| 本名=堤 清二(つつみ・せいじ) 昭和2年3月30日—平成25年11月25日
 享年86歳
 神奈川県鎌倉市十二所512 鎌倉霊園第60区特別区
 
 
 
 
 実業家・小説家・詩人。東京都生。東京大学卒。西武グループの創業者・堤康次郎の次男。流通事業を受け継ぎ、セゾングループを築いた。辻井喬の筆名で詩集『異邦人』、小説『彷徨の季節の中で』や谷崎潤一郎賞受賞の『虹の岬』などのほか『父の肖像』『風の生涯』や詩集『鷺がいて』『死について』などがある。 
 
 
   
 
 
 
 光が別々の方向に走り去ること それが別れだと思っていた
 しかし一方が消えてしまうような
 そんな別れもあるのだった
 それは意志を持って別れるのではなく
 別れさせられるのでもない空間の出現なのだ
 どんな人でもいずれはそのなかに入るのだが
 その空間の佇まいについては
 戻って来た人がいないので分らない
 (中略)
 そう遠くないうちに僕も入るその空間には
 雲が流れているだろうか
 緑が滴って澄んだ水に映っているか
 ひとりで去っていくのは別れのひとつの形
 それは微風が櫸の梢に揺れているようなもの
 あるいは遠ざかる鈴の音を追う耳だけの緊張
 切ないけれどもそれだけのこと
 美しい別れもあれば朽葉が落ちるような時もあって
 去る人が別れの空間に入るとは限らない
 こちらが入る場合もあるのだから
 
 (死について)
 
 
     〈生い立ちについて、私が受けた侮辱は、人間が生きながら味わわなければならない辛さのひとつかもしれない。私にとっての懐かしい思い出も、それを時の経過に曝(さら)してみると、いつも人間関係の亀裂を含んでいた。〉と自伝的デビュー作『彷徨の季節の中で』の冒頭で苦悶しているように、西武グループの創業者・堤康次郎を父に、その愛人(のち正妻)青山操を母にという複雑な育歴への負い目と確執、反意と自壊、逃げ場を持たず定めなく漂流する心の様を秘めながら、自らの立ち位置や価値観を追い求めてきたのは誰のための抗いであったのだろうか。平成25年11月25日午前2時5分、肺不全のため東京都内の病院で死去した堤清二=辻井喬の入って行く空間は遙か遠くの空に浮かんでいる。  
 
    堤康次郎の跡を継いだ堤義明が商法違反で逮捕されて西武王国は崩壊したのだが、康次郎自らが計画して造った鎌倉の公園墓地、墓々を睥睨するように一等高いところに設えられた帝王の如き墓の土手下に羅漢槙の生垣で視界を遮られた「堤家」墓が静謐な空間を保っていた。康次郎没後20年を経て逝った母操のために清二が建てた墓である。大伴道子という歌人でもあった最愛の母が詠んだ「なき易すくな里しこころをいたはりてやまに来し日よ山に雪ふる」の刻まれた歌碑、母操とパリで死んだ妹邦子とともに清二の名が刻まれた墓誌が左右に配された霊域からは遠く相模湾や霊峰富士が望めるはずなのだが、生憎の梅雨空とあっては如何ともしがたい。ただ瞑目するのみであった。  
 
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