塚本邦雄 つかもと・くにお(1920—2005)


 

本名=塚本邦雄(つかもと・くにお)
大正9年8月7日—平成17年6月9日 
享年84歳(玲瓏院神変日授居士)
京都市上京区寺之内通大宮東入妙蓮寺前町875 妙蓮寺(本門法華宗)



歌人。滋賀県生。神崎商業学校(現・八日市高等学校)卒。寺山修司、岡井隆とともに「前衛短歌の三雄」と称され、独自の絢爛な語彙とイメージを駆使した旺盛な創作をし、昭和30年代の前衛短歌運動の旗手となる。『水葬物語』『日本人霊歌』『不變律』『魔王』などがある。




 


アルカリの湖底に生れて貝類はきりきりと死の螺旋に巻かれ
      
卓上に舊約、妻のくちびるはとほい鹹湖の曉の睡りを        

五月祭の汗の青年 病むわれは火のごとき孤獨もちてへだたる    

日本脱出したし 皇帝ペンギンも皇帝ペンギン飼育係りも      

たましひは死にむかひつつカント・フラメンコと赤き海膽を愛せり  

金婚は死後めぐり來む朴の花絶唱のごと蘂そそりたち        

ほほえゑてこの遊星の週末を見む漸弱音の秋ほととぎす       

朱の硯洗はむとしてまなことづわが墓建てらるる日も雪か



 

 主宰誌『玲瓏』61号巻頭歌として掲載された最後の一首——〈皐月待つことは水無月待ちかぬる皐月待ちゐし若者の信念〉。すべての生物が瑞々しく躍動を始める5月、どれほどか待ち望んでいた若者の信念に、自らを準じたいとした歌人の想いはかなえられたが、5月を迎えた時にはすでに幾ばくの生命も残されてはいなかった。
 平成10年、慶子夫人に先立たれ、12年には胆管結石と急性肺炎を併発、入院などの混乱にも見舞われた。さしもの博覧強記も、求道的情熱も徐々に衰えて、17年6月9日午後3時54分、呼吸不全のため大阪府守口市の病院で最期をむかえた。その年の11月に予定されていた「玲瓏二十周年記念大会」への出席は叶わなかった。



 

 「玲瓏院神変日授居士」という法号も、辞世の一首も、はたまた葬儀場までも万端怠りなく用意し、100歳まで生きながらえて『神變』という歌集を上梓すると生前語っていた。定型短歌を嫌い寺山修司、岡井隆とともに前衛短歌運動を担った塚本邦雄の鎮まる塋域、京都御所にもほど近い法華宗本山妙蓮寺。邦雄が『玲瓏』発刊の昭和60年に建てた「塚本家之墓」に5月の輝かしい陽は降り注ぎ、風化した営みを舞い散らせて、執拗な熱気は蒸発する。
 〈もともと短歌という定型短詩に、幻を見る以外の何の使命があろう〉と〈形而上の世界に魂を彷徨〉させた歌人よ。言葉の命によって美学的に具現化した「幻」を、私たちはもう見ることはできないのだろうか。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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