後記 2022-02-03                   


 

    

 地下鉄千代田線・千駄木駅のある団子坂下から東の方角に歩いて行くと、上野の山に至る坂道があり、別名首振り坂とも呼ばれたこの三崎(さんさき)坂をのぼりきって左折すると、日暮里と谷中の総鎮守である諏方神社へとつづく朝倉彫塑館通りに入って行きます。広いとはいえない道の両側には多くの寺院や古い商家、小洒落たカフェ、朝倉彫塑館(旧彫刻家朝倉文夫のアトリエと住居)やその南西奥まった路地には谷川俊太郎、田村隆一が住んだ詩人岸田衿子の住居などがあり、落ち着いた町の雰囲気を楽しむために散策する多くの人たちが訪れています。
 朝倉彫塑館通りから東に折れ、了俒寺の角を曲がって北に延びる通称ぎんなん横丁と呼ばれている朝倉彫塑館裏(かつては朝倉邸の表玄関)の通りは、ウオーキングなどで私がよく利用する道なのですが、〈淋しい風が吹いて来て、一本図抜けて背の高い冠のやうな檜葉の突先がひよろひよろと風に揺られた。一月初めの夕暮れの空は薄黄色を含んだ濁った色に曇って、ペンで描いたやうな裸の梢の間から青磁色をした五重の塔の屋根が現はれてゐた。(中略)眼の前の共同墓地に新しい墓標が二三本殖えてゐた。墓地を片側にして角の銀杏の木まで一と筋の銀紙をはりふさげたやうな白々とした小路には人の影もなかった。〉と田村俊子が著書『木乃伊の口紅』に書いたこの小路は、かつて幸田露伴や田村俊子、北原白秋などが住まいしていた場所でもありました。
 幸田露伴は明治24年1月から26年1月に京橋区丸屋町に移るまでの2年間を、朝倉邸を右に曲がった角、下谷区谷中天王寺町21番地に居住し、日々、谷中天王寺の五重塔を眺めて、この塔をモデルにした名作『五重塔』を執筆しています。
 明治42年5月から大正2年6月頃まで、朝倉邸の並び天王寺町17番地に幸田露伴同門の夫田村松魚と新婚の4年あまりをおくった田村俊子は、毎日のように激しい夫婦喧嘩の怒号を横丁に響かせていた不遇時代の生活を『木乃伊の口紅』に書き綴っています。
 北原白秋が大正7年3月以来、8年間にわたった小田原生活に終止符を打ち、河口慧海師の紹介で朝倉邸とは竹垣で隔てられた天王寺町18番地の隣家に居を構えたのは、大正15年5月からのことでありました。
 玄関の前は木の多い公園のような天王寺の墓地で、暇があると散策をするのが習わしとなっていたといいます。越してきて間もない日、菊子夫人が蒼い顔で帰ってきて「白秋の墓」を見つけたのだと告げました。半信半疑のまま、白秋はすぐに家を出て、墓の間を抜けて白い半円の納骨堂の横を入ったあたりで本当にその墓を見つけたのでした。碑面には白秋若目田君/同孺人菊池氏之墓と彫られていました。その時の昂ぶりを〈我と同じ名の白秋といふ人の墓あり。若目田氏たり。明治十九年没、勤王の志士なり。容貌性格我によく似たるものあるが如し。その嬬人菊池氏、吾が妻はまた菊子なり。因縁浅からず、ひとごとならず思へば、時をりに行きては墓を清め、花などをささげて、我と亦自ら慰む。〉と書いているほどに印象深かったようで、昭和2年3月、大森馬込に引っ越すまでの1年足らずの間に朝な夕な、門前に展がる墓原の光景に想いを寄せて詠んだ『天王寺墓畔吟』のなかに「白秋の墓」として 都合八首を献げています。

   墓の座に鐵砲百合の粉は觸れて日の照はげし我はぬかづく
   命かよふ我かとも思ふ朝じめりこの墓庭の青苔のいろ
   青苔に染みうつくしき斑照りこの木洩れ日の幾時あらむ
   この墓に日ざししづけくなりにけりきのふも來り永く居りにき
   この墓をすがしと思へば差出咲く向ひの墓の百日紅のはな
   本ごころさびしき時はここに来てしじ聴きにけりつくつくはふしのこゑ
   この墓に凍みつつ白き山茶花の蕊あざやけき寒は来りぬ
   墓原の遅き月夜の石だたみ山茶花ちらし止む旋風あり

 

 一昨年、《文学散歩:住まいの軌跡》の田端・千駄木・谷中編を編集するにあたって、谷中に住んだ文学者を調べていた時、偶然に『天王寺墓畔吟』を読む機会があって「白秋の墓」の存在を知ったのでした。
ぎんなん横丁から墓地に入り天王寺方向に歩いて行くと左に大きな朝倉文夫夫妻の墓、その少し先に東京大学医学部納骨堂が白い仏塔のようにたっています。隣接する千人塚の南側に入った小路に万延元年、徳川幕府外国奉行として日米修好条約批准書交換のため遣米使節団の副使として渡米した村垣淡路守範正墓所に並んで若目田家墓所がありました。
 北原白秋がたびたび参拝し、墓前で写真まで撮っていた「白秋の墓」は、昭和32年に33代当主若目田利夫氏によって新しくされ、野草のはびこる土庭に「若目田家之墓」と「歴代若目田家祖先之墓誌」と若目田白秋の戒名「顕松院白秋直方居士」以下近年までの歿者が誌された2基の墓誌、向かいの墓の百日紅、北原白秋がたびたび佇んでから百年以上を経てもなお冬陽の中に清々しい趣がありました。

 たびたび「白秋の墓」に詣でた北原白秋は朝を、昼を、夜を、季節を問わず、この墓原を逍遙し多くの歌を詠んでいます。

   子を連れて墓地は若葉の日のひかりしみじみと思ふすこやけき息
   犬牽くと墓地をとめぐる朝涼は力張るらし草分きにけり
   墓原は小雨しめやぐ夜に嗅ぎて吾が堪へがてぬ大葉樫の花
   新土に草の香ながれ風疾し何思ふ我のうつくしみ佇つ
   草いきれあつき日なかに汗は滴り無縁の墓のうつら昼貌
   月よあはれ立ち蔽ふ雲のいやはてを蛍火のごとも光りけるかなや
   墓原の木立の奥書夜はふかし月の光のたたずみにけり
   もんもりと雪ふりつもる朝まだき知音の墓は求めて親しさ


 天王寺門前につづく小路の石畳、白秋の背姿が影を引き、ものしずかな跫音が染み入って、寒々しい日暮の里の丘陵、天王寺墓畔にもそろそろと夕闇がせまってくるようです。
 
  粛々と、無明の眠りを誘うように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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