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       後記 2020-02-01                   


 

     

 

 我が家の一年の締めくくりは大晦日の鎌倉詣です。
 三十年来、ほぼ恒例になっています。
 一年の俗塵を掃き清め箒目がくっきりと印された神社仏閣の詣り道は冷徹なまでに静寂で、亡びた都の、あるいは都と呼ばれた古のよすがを鎮めるかのように緊張感をもって生きる証を問うてくるのです。
 喧騒を排し、光をあつめ、私が立つために浄められたその位置に毎年誘われるように訪いつづけているのは、そんな問答を思い描く儀式でもあるのでしょうか。
訪問の多くは北鎌倉駅から歩きだすのを常としていたのですが、近年は鎌倉に入るにも少し趣向をかえています。
 都と呼ばれた時代、東と北、西の三方を山で囲まれ、相模湾を南にした、いわゆる「旧鎌倉」に入るには「鎌倉七口」と呼ばれる切通しを通らなければならなかったのですが、今日では数多くの道が整備されており、一昨年は大船駅から常楽寺、北大路魯山人の星岡窯旧跡、六国見山を越え天園ハイキングコースを歩いて鎌倉宮へと下る行程をとりました。そのコースも今は台風被害の影響で部分通行禁止になっているそうですが、昨年は逗子市と横須賀市にまたがる「神武寺・鷹取山ハイキングコース」を選んでみました。京急神武寺駅下車、登山口から裏参道を逗子八景の一つである天台宗の寺院・医王山来迎院神武寺や凝灰岩の岩場、山岳信仰の霊場だった鷹取山を経て東逗子に下り、鎌倉に向かうというコースです。
 前日は一日降り続いた雨。凝灰岩の岩盤を削った階段は湿った苔が張り付いて滑りやすく、転ばないように注意深くゆっくりと上ってゆきます。
 横須賀の米海軍基地や池子の米軍住宅が近いせいか時おりアメリカ人のグループと行き会います。
 谷川というほどの窪みもなく岩盤の割れ目を透き通った水は音もなく流れ、鳥の声もなく、風は山道を覆う草木枝葉の先端を揺らすのみ。崖から滲みでてきた水がうっそうと茂った羊歯から垂れ落ちています。ささやかな日常の物音も届かず、冬とはいえ陽は昇っているはずなのに光さえ潜んだように黙しています。冷ややかな気配、わずかに開けた樹木の隙間からのぞける宙空を数羽の鳥影が飛翔してゆきます。ゆっくりとした足取りを数えるたびに一歩一歩背後に沈んでゆく暗緑の匂い。鬱屈した歳月の遠さを思うのです。自在に吹く風を感じたい。と、考えながらS字状の階段を曲がった時、突然に異界を抜けでたような感覚を覚えたのです。数十段のぼりつづく道の上方から射し込んでくる光は前を歩く妻の、石段をのぼる躍動にあわせてその輪郭を上下させながら戯れているかのように見えたのです。
 この光景を目にした時、真っ先に脳裏に浮かんだのは西新宿の旧居の壁にピン止めされていた一枚の写真でした。
 こんもりとした茂みをぬけ、明るく開けた野面に出ようとする一瞬の幼い兄妹の後ろ姿を捕らえた写真家ユージン・スミスの「楽園への歩み」。
 グラフ雑誌「ライフ」の従軍写真家として、第二次世界大戦中の戦地へ赴き、沖縄戦同行中に日本軍の砲弾爆風によって全身を負傷、約二年間の療養生活を余儀なくされたユージン・スミス。<私の写真は出来事のルポルタージュではなく、人間の精神と肉体を無惨にも破壊する戦争への告発であって欲しかったのに、その事に失敗してしまった>と述懐していますが、生涯その後遺症に悩まされることになったユージンが、絶望の縁でシャッターを切ったかけがえのない幸福の情景です。キャプションの言葉には<きみたちがあゆむその足もとから新しい世界がはじまる>。
 日常にひそむ人間性の追求や人間の生活の表情などに興味の矛先を向けたユージンの田舎の医者をテーマにした「カントリー・ドクター」、うらぶれたスペインの村落を描いた「スペインの村」、アルベルト・シュヴァイツァーを撮った「慈悲の人」、都市の肖像「ピッツバーグ」、また水銀中毒をめぐる悲劇「水俣」の報道写真は事実を事実として沈着克明に告発したものとして重い評価をうけました。
 被写体の奥にうつりこむ彼の眼差しは信じることへの安堵と慈愛、仕組まれた畏怖、絶望、新しく出発するために振り分けられた悔恨や希望などが透明な影とともに定めに寄り添うように重なっているのです。

 人間の深淵に核の如く存在する闇や炎(ほむら)、虚偽と真実を隠しようのない露わな姿でえぐりだした彼の写真は見る人々の心に理もなく訴えかけてきます。
ところかまわず落書きするのが好きだったというユージンが、水俣の暗室の壁に書きつけた言葉、筆跡の優しさにユージンの人柄を感ぜずにはいられません。

   MY’ PHOTOGRAPHS
   VERY QUIETLY SAY — —
   LOOK YOU, LOOK AT
   THIS AND LISTEN ——
   LOOK YOU, LOOK AT THIS
   AND THINK ——
   LOOK YOU, LOOK AT
   THIS AND REACT ——
   AND YOU DO.
   NOT BECAUSE I HAVE
   COMPELLED BUT BECAUSE
   YOU HAVE REACTED.
   MY PHOTOGRAPHS VERY URGENTLY,
   BUT QUIETLY URGE YOU TO
   THIS IS MY HOPE FOR THEM.

   わたしの写真は静かに語りかけます
   見て、聞いて、考えて
   反応して行動すること
   誰かに迫られたのでもなく
   切実に、淡々と
   自ら求めるのです
   思考することを
   触発することを
   わたしの写真は
   それを望んでいるのです

   (訳:掃苔録管理人)

 フォトジャーナリストとして理想を背負い、現実を背負って、満身創痍の身体を鼓舞しながら敢然と闘いつづけてきたウイリアムス・ユージン・スミス。 1977年12月、脳溢血の発作が彼を襲いました。奇跡的に回復したものの翌年の10月15日、アリゾナ州ツーソンの食料品店で発作をおこして帰らぬ人となりました。享年59歳。

   降り注ぐ陽射しの中に
   揺れ動く影の輪郭
   輝いて
   一瞬のうちに交差する
   生も死も
   やがては小さな消点となって
   巡りあった軌跡だけが
   風のなかに凍っている

 

 この日、私は思いがけず「楽園への道」を歩いたことと鷹取山頂の手前で相模湾に突きだした江ノ島と白雪をかぶった雄大な富士の山を一望することはできましたが、年のせいか余りに疲れてしまって東逗子に下りて鎌倉に向かう予定を変更せざるを得なくなり、反対の田浦方面に下りて東京に帰ることになってしまいました。
 鎌倉は年末までお預けです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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