後記 2017-10-01                    


 

  

  音もなく
  形もなく
  何ものにも依らず
  げに
  現ならざる永劫の旅人

 

 つい先日のこと、読者からの質問メール(埴谷雄高の武田百合子追悼文についてのことでしたが)をきっかけに数年ぶりに「埴谷雄高全集」を手に取ってみました。
 埴谷雄高は〈あるとき、一人の客がアインシュタインに、あなたは死のまぎわになったとき、御自分の人生をどのように判断されるでしょうね、ときいたが、アインシュタインはそれに答えてこういった。「私は、死のまぎわだろうとどんなときだろうと、そのような問題に興味をもたないでしょう。所詮、私は自然のちっぽけな粒子でしかないのです」〉という言に対してアインシュタインが述べた〈「自然のちっぽけな粒子」としての宇宙の何処かの粒子にまで自分が連続しているといういわば存在との永劫和解の考え方は、死についての、恐らくは現代において殆ど一般にもたれている代表的な思考法であると思われる。自己の生が遠く遡れるごとく、自己の死もまた遠く遠く辿りゆけるのだ。〉と「死」を想い、「死」を語っているのですが、自身の「死」については〈一冊の書物のなかだけで、これまで存在したものの魂をも、また、存在しなかったものの魂をも時空の制約などなしに、やたらに動かすことにしているけれども、自分自身の死については、もはやそれっきり、ぷっつり説である。(中略)私はアインシュタインふう自然の粒子に無理やりされそうになっても、恐らくそうはならぬであろう。それきり、ぷっつり、の非連続で、存在との和解なしのまま、私は死にたいものだ。できれば、相手に永劫の不安をもたらしながら———。〉と、結んでおりました。

 ところで、今回の更新で新たに掲載した大庭みな子は——〈げにやげに久しく待ちし旅路なれ いざことほがん今日の門出を〉——という辞世を遺しています。
 彼女は平成19年5月24日午前9時14分、腎不全のため千葉県浦安市の病院で死去しましたが、意識的な無意識から生まれたという彼女の作品『寂兮寥兮 かたちもなく』では、冒頭の部分で、夢に見た雪の畦道を行く野辺送りの行列を描写しています。
 〈あたり一面銀世界で、田の水だけが黒かった。乳色の柔らかな雲の間から、陽が洩れ、ときどき思い出したように白い雪の花びらが舞い落ちた。四人の若い男が花嫁の輿をかつぐ晴れやかな顔で、柄のついた板の上にのせた柩をかついでいた。男の一人は死んだ兄の顔だった。(中略)とりとめもない夢のことを思いながら、万有子はそれが自分の葬式のような気もしていた。だが、その夢の中で自分は死んだというわけでもなく、生きていた。どこかで、その葬式を見ていた。猫になっていたような気もする。死ぬということは多分そういうことなのだという気もした。〉と。

 「寂兮寥兮」とは「有物混成、先天地生、寂兮寥兮」〈渾然として在り、万物がそれによって成る天地の以前からあるものは、形もなく、何ものにも依らない〉という老子から借りた言葉です。大庭みな子はそれを(かたちもなく)と表現していますが、彼女の想う「死」もまた形もなく、音もなく、何ものにも依らない、いうなれば宙にかざした手のひらに息を吹きかけただけで瞬く間に消え去ってしまうような現ならざるものであったのでしょうか。
 また、彼女が大学に入ったばかりの頃に野間宏の家で偶然出会ったことがあるという埴谷雄高の言葉について触れている文章があります。
 〈自分の囲りの事物が全く意味を持たないような状態になるとき、そして自分自身さえをも、死の直前の混濁状態に陥った病人のように感じるとき、埴谷雄高の言葉が闇の中でほの白い光を集める一筋の線のように閃くことがある。〉として、埴谷の「私の本心は私をとりまく日常の薄汚れたものに少しも触れたくなく……。(中略)だが、私は私がそこから創りあげる現実という点では必ずしも希望をもっていないのではない。たとえいまこんな日常は私どもの周囲にはないといわれても、私がそれを書いてしまった以上は、恐らく数××年後の読者はそれが現実になってしまうだろうと信じているのである」という一文を引用しながら〈私は自分が死んで物質になってしまったときのことを考え、命のないひと握りの土くれとして地球の一部になってしまった自分の上を歩く人間たちが呟いている言葉に好奇心をかき立てられる。何世代もの人びとが死んだり生まれたりして、彼らの着ている服や、食べているものや、眼に見える建物などの様相はすっかり変わってしまっていて、また人間の機構も違ったものになってしまい、それらのものに人間たちがまつわっている様が見えるような気がするが、そのとき彼らが呟いている言葉のかなり大きな部分は今の私には何のかかわりもない無意味なものであろう。ただ、それでもやはり、ところどころには聞き覚えのある言葉が聞きとれるような気がして、ある種の現実感がある。そして、その言葉に対する執着こそが、私に文学などというものをさせているエネルギーとなっているのではないかと思う。〉と、埴谷の言葉を自身の文学観に添えて愉しんでいますが、それはそれ、あまた文学者の言を待つまでもなく「死」とはあやふやなもの。埴谷雄高にしても、大庭みな子にしても、文学上の「死」と、自分自身の想う「死」と、現実の「死」が重なり合うということはあり得なかっただろうと想像します。

 たとえば、山寺に至るくねくねとつづく杉木立の間道、丁碑を頼みとしながら、あえぎあえぎ上りつめた後の、見た目より急な石段に息をきらして半ばあたりで一休み、梢を揺らす新涼の風を汗ばんだ肌に感じつつ、ひたすらに歩いてきた道のりをようやっと振り返ってみたとしましょう。
 一刻前までは青々としていた稲田のひろがる山里も薄絹をかけたような暮色に滲んでいて、残照に照り映えた金色の光を一筋際立たせた雲が西の山端から東の方へと、ときめきのように流れています。ああ、こんなにも穏やかな日もあったのだと一閃する黄昏の風景に身を預けてみたものの、かすめては消えてゆく夏の翳り、眠る地蔵の、寂寥の音、石段の隅にこぼれる草の実……。静かに待つ永劫の時、ただそれだけのことだったのです。風の匂いも、鳥の鳴き声も、あるかなきかの谷川のせせらぎも、おおよそ人の生き死になどに何の関わりも持たないはずなのですが、山の斜面の石段に榧の実がひとつぽつりと落ちただけで、やがては禅問答のような思いもかけない深い思考に陥ってしまうことがあるものです。
 埴谷雄高の言うように、死んでしまえばそれっきりと諦観している自分がいることも確かなのですが、それでも尚、私自身の「死」の想いは以前の編集後記(後記 2016-05-20)で述べたように、「死」によって消滅してしまった私の世界も、かつて私の世界に存在していた人々の世界の中に、ひとりひとりの私となって幾人もの私が生き続けてくれていることを信じていたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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