4時半に目が覚めた。土日で新座の二階の三部屋をおおむね片付けたものの、すぐにクリーニング業者が作業に取りかかれるほどまでにはなっていない。まず行く先の状況をクリアにするということで新座を先行させたが、肝心の引っ越し荷物についてはまったく手が着いていない。今から考えると1日の予定など、逆立ちしても無理だったことが分かる。しかし8日ならば大丈夫かとなるとお先は真っ暗。そんなこんなを考えるうちに寝そびれて起きることにした。新座のゴミをグリーンセンターにピストン輸送するためだけにきょうは休暇を取った。7時過ぎに**(家内)と家を出る。

 出がけの朝のニュースでは、アメリカ下院は金融安定化法案を否決した由。まったく度し難い国だ。自らの不始末で世界中に毒入りギョーザならぬ毒入り証券をばらまきながら、その自覚がまるでない奴がいるということ。反対議員の多くは共和党だという。史上最低にして最悪の大統領が最低限の対策として提出したまともな法案を否決してバカな大衆に迎合しようというわけか。「アメリカ合衆国」が可能な限り少ない影響のもとに自然死してくれることが世界中のほとんどの人々にとっての幸福につながるだろう。

 ・・・と、ここまでが昼食時にメモしたもの。8割からあと2割分の詰めこそが仕事で一番辛いところというのは長いサラリーマン生活でよく知っていることだが、なにごとにもこれはあてはまるようだ。疲労困憊の体で8時半過ぎに帰宅。(9/30/2008)

 第92代内閣総理大臣麻生太郎の所信表明演説はおよそ所信表明演説の名に値するものではなかった。そもそも麻生には演説するだけの「所信」がなかったようだ。

 宰相の座についてはみたものの、その座で何をしたいのかということが、彼にはなかったのかもしれぬ。「わたしには現下の情勢に対し、どのような政策を為すかというアイデアがありません」。取りようによっては、そういう風に聞こえた。

 政府がどのような考えに基づいて何をしようとするのかについて「ノー・アイデア」なので仕方がなかったのだろう、麻生は民主党の「アイデア」に対して質問をするという「奇策」に出た。それでも、さすがに「民主党のアイデアは何ですか?」と訊くのは憚られたようで、彼は「財源はどうするのか?」というような、政治の素人でも思いつく質問を連ねてお茶を濁した。

 「売家と唐様で書く三代目」という言葉があるが、選挙の洗礼を受けず「たらい回し」した宰相も三代目となると前任二代よりもさらに頼りなくなるものらしい。(9/29/2008)

 二日間の悪戦苦闘でどうにか二階の三部屋のクリーニングの目鼻はついた。死蔵されている食器類と**(母)さんのスーツは教会へ献品した。食器類の入った箱の山が台所からなくなり、北の六畳の地袋をふさいでいたスーツの箱の山がなくなると、それだけでずいぶん片付いたように感ずる。

 90リットルのビニール袋は火曜日に**(上の息子)に手伝ってもらって運んだ量の三倍くらいはありそうだし、束ねた段ボールと紙箱も定例日に出す分としてはなにか言われそうな量になった。築三十年になる古屋はかなり減量できて、我々が死に絶える頃まではなんとかもってくれるだろう。

 各部屋はなんとか「部屋」の形を取り戻すところまで来たが、「寝室」以外の押し入れとつり棚は手をつけていない。引っ越してきてから順番にやる以外ない。当分の間は運び込んだ我々の段ボールの山の谷間で寝起きすることになるだろう。背中はパンパンに張り、何をする気にもなれないが、目鼻がついたというそのことだけで妙にハイな気分。(9/28/2008)

 国交相の中山成彬が就任後5日にして辞任するという話。理由は「成田空港反対派はごね得を狙ったもの」、「これは戦後の教育が日教組により汚染されたから」、「そもそも日本人は単一民族」などと、今どきいったい何を言っているのかという「失言」を繰り返したから。

 「ごね得発言」こそ国交相の職務内容に関連するが、それに続く話はその職とは何の関係もない。もっとも大蔵省出身でありながら中山は文教族ということになっている(つまり大蔵官僚としては頭が悪すぎて務まらなかったし、議員になってからも大蔵族の看板を上げるには力がなさ過ぎたということ)から、これは年来の彼の「思い込み」なのかも知れぬ。

 しかしこれを「失言」と見るのには多少疑問がある。成立したばかりの麻生内閣はもっぱら選挙管理内閣と目されているから、小渕優子のような初めての大臣経験者ならばともかく、一度でも大臣経験がある者にとってはこんな内閣の大臣のいすなど弊履のようなものだ。一方、中山の選挙区は宮崎1区。宮崎といえば先年の知事選で「そのまんま東」が当選したところだ。詳しくは憶えていないが、お笑いタレントが知事になれたのは中山が与党候補ではなく野党候補を応援してゴタゴタしたから。つまり中山にとって今度の選挙はかなり厳しい。

 とすれば取り得る戦略はふたつしかない。きっちり正攻法で押すか、マスコミに取り上げられて「あの人は面白い」と「そのまんま東」のセンスで訴えるかだ。幸いお隣の大分では教師の採用に関して一大スキャンダルが起きたばかり。シーガイヤの不調に代表される地盤沈下に自信喪失気味の県民を煽れば、東国原知事並みの浮薄なブームも期待できるかもしれない。就任数日にして物議を醸し、お膳をひっくり返して辞任するという、一見愚かしい行動の舞台裏はそんなところかも知れない。

 中山の主張が根拠のない話であることは朝刊見出し「ズレてます」の記事にあるとおり。つまり、日教組の組織率が低くても大阪のように学力テスト結果最悪というところもあれば、組織率が他県に比べて高くても福井のように好成績を残しているところもあるのだから。(9/27/2008)

 朝刊トップは「麻生内閣支持48%」。自民党が期待したご祝儀相場的な支持率は実現しなかった。選挙の洗礼も受けずにたらい回しされた総理の座も三人目となれば、ご祝儀袋の中身を張り込む気になれないのは人情というもの。これではマンガ宰相の人気を頼りに一気に解散総選挙というシナリオも修正が必要になるかもしれない。

 育ちがいい割には麻生太郎の顔にはどことなく「卑しさ」が貼り付いている。唇の歪みはないことにしても、あの顔が「男が責任を持てる顔」と思う人は少ないだろう。経済の先行きに不安がある現在の宰相が貧乏神のご面相と来れば、暗さはいや増すように感じられて、よりいっそう国民の心理を冷え込ませている。(9/26/2008)

 よる9時のニュースの前だった。パソコンに向かう背中でニュース速報を伝えるピコピコ音が鳴った。「小泉引退」のニュースだった。

 小泉くらいになると引退も臨時ニュースになるのかと嗤いながら、それでも心の隅では引き際を鮮やかにするのはたいしたものだと思った。あわせて、先週までの総裁選で小池百合子の推薦に対して、いまひとつ「切れ」が乏しかったのはこれだったのかとも思った。

 しかし寝るまでの間にこれらの「感慨」は吹っ飛んだ。「地元神奈川県横須賀市で開いた支援者の会合で次期衆院選に出馬せず今期限りでの引退を表明」、「後継者は次男の進次郎氏(27)とする意向」という続報が入ったから。

 「改革を進める、それが進まないならば、自民党をぶっ壊す」と絶叫した男がとどのつまりは世襲にこだわり、選挙向けの演出として辞任劇を演ずるというのだから嗤わない奴はいない。結局、「コイズミ・コウゾウ・カイカク」とはこのていどのものだったのだ。最後の最後まで「小泉劇場」でゆくというなら、終幕には後継者とした息子が血の海の中でのたうち回る場面を期待したいものだ。(9/25/2008)

 今月いっぱいで退会予定の品質管理学会の事業所見学会に参加。花王の墨田事業所。亀戸から北へバスで数分。亀戸、あまり降りる駅ではないが、北に行けば管ナビの共同研究を思い出すし、南に向かえばパクられた**(弟)の面会に行ったことを思い出す。それぞれにもう昔の話。「永らふ」とはこういうことかなどと思いつつ、バスに乗った。

 事業所見学とはいうものの、製造現場を見るわけではなく、会議室で事業概要と品質保証ポリシーについて聞く。コンシューマー向け製品ということで開発完了後の市場投入にはかなり神経を使っているらしい。「ゼロ・バッチ」という手続きは初期流動管理を拡充したもののようだ。ユーザーの声をフィードバックするという考え方は当たり前ながら、それを着実に行い商品の改良と開発に着実に活かすという仕組みが完備していることがうかがえる。その後、「花王ミュージアム」を見学。2500円の参加費でシャンプーほかのおみやげはずっしり。「学会の見学会」というには少し面映ゆい。(9/24/2008)

 朝から新座の家の片付け。あらためてモノの多さに仰天。いったい何を考えてこれだけのモノを買い込んだのだろうと思う。靴はちょっと前に**(上の息子)が整理したらしいが、鞄もまたすさまじい数になる。小さいものから大きなものまで、「柔軟対応戦略かぁ」と苦笑するほどにある。「こういったらなんだけど、すごい物欲ね」と**(家内)。それは**(父)さんに限らない。

 **(母)さんのスーツの多さ。あんなに出不精だったのだから、着る機会などそんなにあったわけではないはずなのに、「いったいこれはなんだ」というほどある。作業が進むにつれて、あまりの多さに腹立たしくなり、これだけのモノを片付ける者のことを少しは考えたのだろうかとか、これは必要最小限の時しか訪れない息子に意趣返しをしてやろうとしていたのではないかとか、片端からゴミ袋にたたき込みながら、そんなことを思い始めたその時、よれよれのスーツが出て来た。

 見覚えのあるスーツだった。小学校高学年の頃から中学、おそらくは高校に入った頃まで、**(母)さんはいつもお出かけの時はそのスーツを着ていた。お気に入りのスーツと言えばそうだが、本当のところは、それしか持っていなかったからだ、たぶん。食べ盛りの男の子が二人。そしてやがては必要となるだろう学費。こと教育に限っては、なんとしてでも環境を整え、万一にも息子たちに不自由な思いをさせるようなことがあってはならない、そういう気持ちだったのかもしれない。

 涙がぼあーっと出てきた。独りを幸い、声を出して泣いた。(9/23/2008)

 定例にしている火曜日が秋分の日で休診のため、休暇をとってきょうの受診。検査結果に異常はなく経過は良好。

 きょうにも優勝の可能性があるとのことで**(上の息子)に切符をとってもらった。友達の結婚式で金曜日から来ている**(下の息子)は早々と家を出た。こちらは**(家内)と待ち合わせて球場に向かった。球場前駅をおりて**(家内)にチケットを渡そうとして、座卓の上に置き忘れたことに気がついた。**(下の息子)の分を切り分けた時、バッグに戻し忘れたようだ。

 球場前から折り返す電車が出るまでにたっぷり15分。再びとって返した時は既に一時間以上経って、試合は6回に入っていた。マジック対象のブルーウェイブがマリンズをリードしていたから、優勝は持ち越しになりそうだった。結局、我がライオンズは1−6でイーグルスに負けた。

 王がホークスの今季を最後にホークスの監督を辞する由。「監督生命をかけてと言ったことが、選手たちにプレッシャーをかけることになってしまった。福岡での14年の最大の反省点と考えている」。指揮官としての責任、選手たちへのいたわり、みごとな言葉だ。どこぞのオレの名声、オレのステータスだけが大事というエセ監督とは人物のできが根底から違う。(9/22/2008)

 小沢一郎の続投が民主党の党大会で決まった。一方自民党の総裁選は当初こそ福田の思惑どおり派手に始まったものの、この一週間は米米CLUB(汚染「米」と亜「米」利加経済危機)の人気に押されたこと、そして小池百合子の入閣拒否宣言に象徴される出来レースムードで、今週は完全に人々の関心の視界からは消えてしまった。

 総裁選があしたとかで五人囃子の面々が選挙カーの上に並んで「最後のお願い」をする映像が流されていた。折からの雨に濡れながら手をふる様に連想した映像がある。記録映画などで何回か見た映像だ。神宮外苑競技場、雨の中を行進した学徒出陣壮行式。

 あれまでしても時をおかずして朽ち木は必然のようにして倒れた。あれが大日本帝国の葬送であったように、ひたすらにマスコミに媚びを売るための「雨中のお願い」は自由民主党の葬送のように見えて仕方がなかった。
(9/21/2008)

 以下は確証なき素人の説。たとえばNTTドコモの株を買ったとする。言葉の上では株主、ドコモに出資したことになるし、半年も経てば配当金ももらえる。しかし証券市場での売買である以上、支払ったカネがドコモの新たな収入になったわけではない。つまりドコモは市場でドコモの株価がいくらで取引されようと、自社が保有する株を売却するか新規に増資をする場合以外は財務状況に直接反映することはないはずだ。

 最近の企業会計は株のみならず不動産などの保有資産まで、従来の簿価評価から時価評価に移行した。それが「グローバルスタンダード」だという根拠のもとに。しかし「グローバル」という言葉の真の意味は「アメリカ式」だというだけのこと。この評価方式は経済が右肩上がりである時には「実力以上」の好決算を約束し、短期の成果で役員報酬を「実力以上」にぶんどるという、いかにもアメリカ的拝金主義に適ったものだが、ひとたび経済が停滞から下降局面に向かうと「実力以上」に会社評価を悪くする。破綻したリーマンブラザーズも、救済されたAIGも、ちょっとした傾きが轟沈に向かった一因は「株価」だった。簿価評価ならば、含み損・含み益が不透明な分だけ、株価による「揺れ」が復元力を損なうほどに効くことはなかったのではないかとも思われる。

 そうそう、NHKニュースはAIGが救済された一因として債券に対する「保証業務」をあげていたが、じつは「債券保証」を「債券化」する金融商品(Credit Default Swap)を大量に保有しているからというのが正しいらしい。もっとも素人には同じに聞こえるが。(9/20/2008)

 「日経ビジネスオンライン」のサイトにある神谷秀樹の「日米企業往来」に破綻すべくして破綻したアメリカ投資銀行の話が出ている。

 こうして見ると、投資銀行とは消滅していく種であり、今後のウォール街がかつてのような姿に戻ることは決してないだろう。投資銀行はなぜ、消えていく運命にはまったのか。今回のケースから言えることは、比較的単純だ。「リスクを取りすぎ、リスクをマネージできなかった」からである。信用リスクも取りすぎたし、資金調達リスク(アベイラビリティーリスク)も取りすぎた。それではなぜそんなにリスクを取り、またリスクをマネージできなかったのだろうか。
 他人の金をノンリコース(有限責任)で使える時、投資銀行家とは無限にリスクを取る種族である。なぜなら「今日の利益は僕のもの」(高いボーナスで持ち出すことができる)、一方「明日の損は君のもの」だからである。バランスシート(貸借対照表)が腐ろうと、資金調達が続かなくてほったらかしにしようと、それは彼にとって関係ない。リーマンを潰したファルド会長の昨年のボーナスは4000万ドル、メリルを辞めたオニール前会長の退職金は1億2000万ドルだった。会社が傾こうが、潰れようが、いったん持ち出した金を返すことはない。・・・(中略)・・・
 1999年グラス・スティーガル法が廃止され、商業銀行と投資銀行が同じ土俵で競わなければならなくなった時、ゴールドマンもそうだが、大手の投資銀行は皆株式公開し、大幅に増資し、バランスシートを大きくして資産規模の勝負に出た。リーマンは業界4番手ながら、それでも負債の総額は6130億ドルである。資本の30倍くらい借り入れを起こす。資本のうち、従業員の持ち分は、またその何分の一かである。従って、ほとんど全部「他人の金」で勝負でき、「収益は僕のもの、損は他人の物」という仕組みが出来上がった。これでは博打の賭け金は大きくなる一方である。金融が緩和され、過剰流動性があればなおさら拍車がかかる。最後に欲が過ぎて自爆した。ここには何の不思議もない。
 「起こるべくして起きた」ことである。ウォール街は、何かの外部要因によって破綻したのでは決してない。自らの強欲を、自分でコントロールできなくなり「自爆」したのである。筆者はここ数年、「大恐慌が来る」と警告し続けてきた。それは、そうしたウォール街の生きざまを見ていて、「続くわけがない」と確信していたからである(断っておくが、筆者はエコノミストでも預言者でもない。ただ人の行動を観察しているだけである)。
 米国の金融自由化は州際銀行法の撤廃、グラス・スティーガル法の撤廃、保険との相乗りなどが主たるものであるが、結果は惨憺たるものである。シティバンクやワコビア銀行などの経営難、投資銀行の破綻、アメリカン・インターナショナル・グループ(AIG)の苦境などに、その結果が表れている。筆者が日本の人々に金融立国とか、東京を国際金融都市にというような標語は忘れなさいと常に申し上げてきたのも、米国の金融自由化がちっとも人々の幸福に繋がらず、より大きなバブルを形成している事実を見ていたからである。

 投資銀行、「銀行」とは言い条、法人向け証券会社。大恐慌の反省から生まれたグラス・スティーガル法の銀行・証券分離条項が「規制緩和」(金融ビッグバン?)により撤廃されて金融資本主義は暴走の速度を速めた。

 その入り口にコンチネンタル・イリノイ銀行の破綻(1984年)があったことは印象的だ。「儲けられる時に儲けるのが資本主義社会での紳士だ」とフリードマン先生が怒鳴り散らした銀行こそコンチネンタルだったのだから。先生としては「仇敵」コンチネンタルの破綻を大いに喜んだかもしれないが、その名声もモラルなき金融資本主義の暴走によって地に墜ちる時が近づきつつあるとしたら皮肉なことだ。(9/18/2008)

 月曜日のリーマン破綻ニュースに続き、「次はAIG」という声が出ていた。伝統的に愚鈍でなる共和党政権もさすがに数々の取引を保険で支えているAIGの破綻を座視することはできず、FRBは最大850億ドル(9兆円)の融資をし、同社の株を79.9%保有するという事実上の政府管理に踏み切った。

 けさの「天声人語」にはブラック・サーズデー(1929年10月24日)の話が出ている。その時の大統領は共和党のフーバーだった。フーバーの自由放任主義という無策が全世界を奈落の底に突き落としたことはいまでは誰もが知っている。無能という点ではフーバーに負けず劣らずのブッシュだが、共和党のスタッフがどれほど「自由放任(成り行き任せということ)」が好きでも、それで世界が立ちゆくと考えるほどバカではなかったようで、なんとか最低限の手だけは打ったようだ。

 おかげさまで、日本時間の昨夜10時半から今朝にかけてのニューヨーク市場は141.51ドル持ち直し、東京市場も140.07円上げた。しかし当分の間ハンチングを続けるだろう。(9/17/2008)

 たまたま切り替えた「報道ステーション」に、最近とんと見かけることのなかった木村剛が出ていた。

 もちろんリーマンブラザーズの破綻について語るために呼ばれたわけだが、彼が力説していたのはそういう話ではなかった。一応のところはきょうの東京市場の暴落を枕にしたものの、彼は「サブプライムローンの問題でニューヨーク市場が下がっていることは事実だが」と前置きした後は「東京市場の下落は既に昨年の段階からニューヨークの下げ幅以上になっている」、「日本はアメリカの心配をしている場合ではないのだ」、「日本の方が遙かに危機は深刻だ」、・・・とまくしたてた。

 たしかにこの国の経済状況が悪化しつつあることは事実だが、アメリカのように信用収縮が起きて経済機能不全が進行するところまではいっていない。東京の下落がニューヨークを上回るのは別に珍しいことではない。ニューヨークの谷をより強調してみせるのは東京のお家芸だ。問題はこの国にあるのではない。アメリカにある。

 ハゲタカファンドの先兵として、常に「グローバル基準に達していない日本」、「規制だらけの不自由な日本」というプロパガンダを繰り返してきた「売国奴」としては、主スジのアメリカ様の醜態についてはふれたくない、そういう気持ちになるのは分かる。それは分かるとしても、下降期の人々の不安につけ込んで話の本質をそらし、逆に「構造改革」だの、「規制緩和」だの、「グローバル基準(それはアメリカ基準に過ぎない)」の再売り込みを図ろうというのはいささか図々し過ぎるのではないか。物価が上がりつつあるにも関わらず、日本経済がマイナス成長モードに入っており放置できないことは誰でも意識していることだが、木村の「危機感」は年来の主張を繰り返すための口実でしかない。

 ・・・と、ここまで書いてデジャビュにとらわれた。そうだ、竹中平蔵だ。日経BPから「政界再編」について問われた竹中が、「国民の危機感が決める」とした後、「日本はGDPアジア首位から転落したにも関わらず国民の危機感が乏しい」と「あっち向いてほい」のような滑稽なことを語っていたのに非常によく似ている。竹中も、木村も、この国に暮らす人のことはどうでもよく、海の向こうの「ご主人」様にほめられて骨付き肉にありつくことと、どうしたら「額に汗して働く人たち」の稼ぎを横取りする仕組み作りの環境整備をするかということばかりを考えているらしい。じつに卑しい連中だ。(9/16/2008)

 NHKのニュース。昔と違ってほぼ定刻に工場を出る現在の状況では、毀誉褒貶はあるにしても、帰宅時すぐに見られる7時のニュースはよく見ている。

 打ち身の痛みで見損ねた先週の水曜日、10日の夜7時のニュースはひどいものだったらしい。時間枠を1時間に拡大し、その頭から45分を自民党総裁選に割いたらしい。本来のニュースはなんと7時45分からに押しやられた。つまりNHKは「自民党総裁候補の政見放送」を優先してニュース枠の時間をすべて使い尽くしたというのだから恐れ入る。

 さすがに「NHKは自民党の私的放送局か」と思った人がいたらしく、コールセンターに問合せを入れたらしい。そのやりとりが「内野光子のブログ」に出ている。恐るべきやりとり。書き写しておく。

・・・そこまでは、よくあることで、案外早く責任者につながるらしい、と思っていたら、
「はいはいはい、なんでしょうか」
――総裁選のニュースをあれほどまでに、長く丁寧に流す目的は何ですか。
「はいはいはい、そんなことはっきりしてますよ、そんなことも分からないですか。わははは・・・。自民党のコマーシャルですよ」
(ここで、これって、NHKのひと?耳を疑ったのだが、)
――はいはいはい、は止めてください。なぜNHKがコマーシャルをするのか。
「必要だからですよ。必要だから」
――なぜ必要なのか。
「国民の関心が高いから。これはNHKの世論調査でもはっきりしてます。それに」
――世論調査の人気や関心だけで、番組が決まるのか。NHKの公共放送としての見識はないのか。
「人気でなく、関心ですよ。お客さん間違っては困る。わははは・・・」
――笑いごとではない。
「世の中明るくいきましょう」
――ふざけないでください。ほかに理由はあるのか。
「総裁は、国会で首相に決まります。だれが首相になるか、国際的関心も高いですよ」
――国民にとって重大な別のニュースを犠牲にまでして、時間をとってやらなければならないことではない。
「お客さんの意見でしょ。それは。意見は全部ドキュメントとして、上は会長から担当者まで読めるようになってますから」
――視聴者の意見はどう反映されるのか。
「放送で応えてますからね。番組を見てください」
――24時間見ているわけにはいかないでしょう。どういう意見があって、どう応えるのかを伝える番組があってもいいではないか。
「そりゃそうだ、24時間見てたら死んでしまいますな。ほかに質問あるの?」
・・・・・といった具合。名前を尋ねると、「バカ!」「バカですよ!」という罵声が耳をつく。「ハッ?」とさすがに驚いた。すると「バカ!のカですよ、四足のシカ、角のあるシカと書きまして、カと読みます・・・」と叫んでいる。どうも「鹿」がつく姓らしいのだ。あきれてもう話す気がなくなった。というオマケまでつく。身分を聞いてみると、「対応の責任者」ということだった。しゃべり方といい、人を小馬鹿にした態度といい、異常にも思える、もっとも不適切な人物を、受信料で雇っているかと思うとやり切れず、落ち込んでしまった。

 他人事ながら、これには腹が立った。昨夜、「このような応対の姿勢と、その際の回答がNHKとして適切なものであるのかどうか、それに答えていただきたい。その答えによっては一度として滞納したり、支払拒否などしたことがない受信料の支払について検討するから」とNHKホームページのお問い合わせ欄に書き込んだ。きょう、その回答が来た。

[お問い合わせ番号369040]Re: ニュースに関して
いつもNHKの番組やニュースをご覧いただき、ありがとうございます。
お問い合わせの件についてご連絡いたします。
お問い合わせを頂きながら恐縮ですが、個々のブログに関してのおこたえは控えさせていただきます。
今後とも、NHKをご支援いただけますようお願いいたします。
お便りありがとうございました。

NHK視聴者コールセンター

 慇懃無礼を文章にするとこのようになるという好例。可哀想に・・・、新座の家に受信料を取りに来るNHKの職員(委託なのだろう)は相当辛い思いをすることになるだろう。

 ところで、「鹿」がつく姓ってどんな姓かしら。まさか「鹿内」じゃ、ないだろうね。(9/15/2008)

 夜9時からの「NHKスペシャル:兵士はどう戦わされてきたか」は衝撃的な内容の番組だった。

 もうかなり前になるが「映像の世紀」で、第一次大戦における「塹壕病」の話は知っていた。なにごとも精神論に持ち込む病気(病原菌は東郷平八郎がばらまき帝国陸海軍に蔓延し大日本帝国の命取りとなった)を持つ日本のみならず、ヨーロッパの国々もそれを兵士の個人的な臆病さに帰していたが、アメリカはかなり早くから「科学的アプローチ」をとった。なるほど戦争依存症の国はたいしたものだ。

 もっとも「科学的アプローチ」といっても、それはリクルートしたごく普通の若者を躊躇なく人殺しができるプロの殺し屋にするためにどれだけの「学問」を動員しているかというだけのことで、要するに国家の戦争依存症の度合いがどれほど重症であるかということの現れでしかない。

 番組はそのようにして殺人マシーンに仕立てられた兵士が抱える問題を取り上げていたが、そこに見られるのは人間を単なる材料として扱うある種の「人間機械論」だった。アメリカという国がどれほど人間性を無視した「悪の帝国」であるか、そのあたりに目をつぶる(ないしは気づかない)番組の作り方に違和感を覚えた。我々はいつからこれほど鈍感になってしまったのだろうか。(9/14/2008)

 腫れはまだ残っているし、歩行時の痛みはある。青あざはより激しくなった。

 一度読んだ新聞を引っ張り出して最初のページからくり直す。きのうの朝刊の科学欄にこんな記事が載っていた。

見出し:国際宇宙ステーションの飛行士/米国人不在の恐れ
 ロシアのグルジア侵攻に伴う米ロ関係悪化で、国際宇宙ステーション(ISS)に米国人が初めて不在となる可能性が出てきた。ISSにある日本の有人宇宙施設「きぼう」の運用にも、影響を与える可能性がある。
 米スペースシャトルが10年に退役後、後継機ができる15年ごろまで、ISSに行くにはロシアのソユーズ宇宙船が唯一の手段となる。このソユーズに、ロシア人以外の宇宙飛行士が乗れなくなるかもしれないためだ。
 米国には、イランに核・ミサイル技術を供与しているとしてロシアへの資金拠出を禁止する法律があるが、ソユーズの搭乗権をロシアから購入することは例外として認めている。この規定は11年末に失効するため、再契約をしなければ、12年から米国人がソユーズに搭乗できなくなる。
 この再契約が、ロシアのグルジア侵攻によって危うくなっている。米航空宇宙局(NASA)のグリフィン長官は、米CBSの取材に対し、米議会が規定延長に応じる見通しがたたなくなった、との認識を示したのだ。グリフィン長官は「12年のある時期、ISSには米国人もパートナー国の人もいなくなり、ロシア人だけになるだろう」と述べた。
 日本は「きぼう」などの現物を提供する見返りに、NASAが購入したソユーズ搭乗権の提供を受けて日本人飛行士がISSに向かうことになる。文部科学省宇宙利用推進室は「ISSへの飛行士の輸送はNASAの責任で確保するのが国際約束。NASAがあらゆる可能性を探って確保すると思っており、状況を注視したい」と話す。
 ISSは冷戦が続いていた80年代、旧ソ連に対抗する意味で米レーガン政権が欧州や日本などと組んで始めた「フリーダム計画」が母体。冷戦終結後にロシアが参加し、99年に建設が始まった。協定では必ず米国人かロシア人が滞在することになっている。ISSの運用が始まって米国人は必ず滞在してきたが、今回の「新冷戦」で、初めて米国人がいなくなるかもしれない。(勝田敏彦=ワシントン、安田朋起)

 フリーダム計画はアメリカが一国で「宇宙開発」費用を負担できなくなったために出てきた話なのだから、たかが「新冷戦」程度のことで解消されることはない。そもそも「新冷戦」を戦うことなどいまのアメリカの眼中にはないだろう。だからこの記事を読んだ感想は国際宇宙ステーションの使用に関することには向かわなかった。グルジア「侵攻」か、と思ったのだ。

 ロシアは大きい、グルジアは小さい。大きいものが小さいものをいじめている。これがおおかたの見方なのかもしれない。しかし最初に手を出した「悪者」はグルジアだ。

 サーカシビリ大統領は、プーチンがオリンピック開会式のために北京に行き、メドベージェフも夏休みを取っていた8月7日夜、南オセチア州州都ツヒンバリに軍隊を進めた。だが好機さえあれば南オセチアに侵入したいと思っていたロシア軍は即座に対応した。早いかどうかは別にして、当然、予想されるこのロシア軍の対応について、サーカシビリが何も考えていなかったとは思えない。おそらくは駐留しているアメリカの軍事顧問団からなにがしかの「知恵」を授かっていたのだろう。しかしアメリカは口先介入以外の何もしようとはしなかった。サーカシビリははしごを外された形になった。グルジア軍は圧倒的なロシア軍の攻勢に対してなすところなく退けられて現在に至っている。

 たぶんサーカシビリは読み間違ったのだ。アメリカという国は「友好」や「同盟」などよりもはるかに深く「泥沼の戦争」を欲しているのだ。中途半端なものではなくイラクで起きているような絶望的に改善不能な状態から引き出される「テロとの戦い」という絶対に終結しない「戦争」を。もしサーカシビリが本当の意味での愛国者ならば、いずれアメリカ合衆国という「悪魔」に祖国を売ったことを心から後悔するようになるだろう。もっともコロンビア大学を出て、ニューヨークで弁護士活動をしていたという経歴から見ると、サーカシビリは、そう、きのう書いた竹中平蔵のような確信犯的エゴイストで、祖国が禿鷹の餌食になってもにこにこと笑っていられるような人物なのかもしれない。(9/13/2008)

 腫れはいっそうひどくなり、患部は紫というよりは黒、先生の予告通り、足首の下回りもどす黒く変色している。階段の上り下りが痛いし怖い。これではとてもラッシュの時間帯は無理。

 会議などのスケジュールが入っていないのを幸い、休暇を取ることにした。有給休暇は売るほど残っている。買い取って退職金に上乗せしてくれるとうれしいが、そういう制度にはなっていない。

 歩き回らない限り痛みはないから、日がな一日、パソコンの前に座り続けた。

 日経BPのサイトに「政界再編に対する7000人アンケート」という記事があった。三つのアンケート結果が出ている。まず「総選挙後、政界再編があるべきか」という問い。「そう思う・やや思う」が77.9%に対し、「そう思わない・あまり思わない」が19.0%、次に「政界再編に当たっては政策集団になるべき」という問いに対しては「思う」が84.4%、「思わない」が15.6%、そして「次の首相に誰がふさわしいか」に対しては、小沢一郎2097票(強いリーダーシップがあるから)、麻生太郎1117票(強いリーダーシップがあるから)、岡田克也740票(政策力があるから)、小泉純一郎573票(強いリーダーシップがあるから)、小池百合子435票(世論を喚起する力があるから)となっている。

 この五人でいえば岡田克也しかいないだろう。あとの四人をよいとする理由を見ると時代はヒットラー登場前夜だなと思う。「強いリーダーシップ」を望む女性的で羊のような大衆という構図だ。さすがに女性の小池には「強いリーダーシップ」を要求しない。ただ代わりに「世論を喚起する力があるから」とある。つまり「わたしには格別これという主張はないから、なんか良いこと言ってちょうだい」というトーン。ん、岡田の「政策力があるから」も同じ理由か?

 岡田克也と思う理由は「堅すぎるくらいに真面目(に見える)だから」だ。政治の「べき論」に背筋が通っており、別の思惑で動きそうもないという信頼感が彼には感じられる。

 記事の末尾に竹中平蔵のコメントが囲みでもうけてある。こんなことを宣うている。「政界再編のためには国民の危機感が必要だ」、記事の趣旨からすればこれで終わりのはずだが、竹中はこう続ける。「今年第2クオーターのGDPはマイナスになった。日本はアジア首位の座から転落している。国民に危機感が乏しすぎる」と。そもそもGDPで何を計ろうとしているのか。計った上でどう役立てようとしているのか、竹中にはそれがない、ないしは、そういう話にことさら気づかないふりをしている。まさか「アジアで一番になればそれでめでたしめでたしです」などということではあるまい。

 向かっ腹が立って、めったにしないコメントを書き込んでみた。コメントの掲載は編集部がやるというから、掲載されないかもしれぬ。一応、どんなことを書いたかの記録をとっておこう。

 「政界再編」は必要だ。
 その軸は「国民の生活の維持」であるべきだ。
 それは竹中氏が訴えるようなGDPがアジアで何番目になったか等ということではない。国民の生活が維持されるためにそれなりの経済指標値に「なる」ことは事実だろうが、その指標値を目標にして政策を立案するのは誤りであり、ましてアジアで何番目などということは本末を転倒した話だ。
 既に竹中氏の政策により何割かの国民の生活は破壊された。かつて竹中氏は「額に汗して働いている人が報われるような改革」と仰ったが、実現したのは「本当に汗して働く人」の稼ぎを横取りする「規制緩和」というシステムであった。それはマクロ経済指標の向上と一部の人々を潤したのみであった。
 社会システムが「ズルをした者が儲ける」という改革(一部の人は「構造改革」と呼んでいる)をめざす小泉・竹中型エゴイズム政治集団と広範な国民が働いた成果を分け合える仕組みの実現に心を砕く本当の意味の政治集団に分かれ国民の選択を待つ・・・、そういう「政界再編」こそが必要だ。
 それにしても竹中さんは相変わらず「うまい」。アジアで一位ではないと煽られると血が上る頭の不自由な人いますよね。

 竹中平蔵は「経済学者」ということになっているようだが、「経済」の語源、「経世済民」の意味を知らないのだろう。(9/12/2008)

 夜半に猛烈な痛みで目が覚めた。布団がかかっていて患部が暖まったせいかもしれない。冷却シートをつけ直して左足のみ布団の外に出した。尋常の痛みではない。こんな経験ははじめてだ。

 歩行もままならないので休暇にし、宮本交通を呼んで賀古整形外科まで行った。骨に異常はなかった。それを聞いただけで痛みが半減した。どうも精神的に弱いところがある。あしたくらいになると、足首の下あたりの色が変わる由。そんなわけでうちでぶらぶら。

 911。「気まぐれな日々」のきょうの書き出しはこうだ。

 今年も「9・11」がやってきた。
 新自由主義に反対するものにとっては、厄日である。世界最初の新自由主義国家といわれるチリのピノチェト政権は、1973年9月11日に、アメリカの差し金によって、アジェンデ大統領を暗殺しての軍事クーデターで成立した2001年9月11日のニューヨークでのテロは、アメリカに「テロとの戦い」の口実としたアフガン(やイラク)における暴虐のチャンスを与えてしまった。そして、2005年9月11日には、新自由主義の権化ともいえるコイズミ自民党が、歴史的な大勝をおさめ、以後日本国民は次々と打ち出される負担増や社会保障削減などの圧政に苦しむことになった。

 大筋では同意見だが、「2001年9月11日のニューヨークでのテロは、アメリカに『テロとの戦い』の口実としたアフガン(やイラク)における暴虐のチャンスを与えてしまった」という箇所には素直に同意する気にはなれない。

 ひとつには911のテロの真犯人グループの背後に当のアメリカがいるのではないかという疑念をぬぐい去ることができないこと、もうひとつはそもそも「テロとの戦い」というのは捏造された概念に過ぎないということがあるからだ。

 アメリカ合衆国という国は戦争依存症にかかっている。戦争を戦わなくてはもたない戦争国家なのだ。典型的な戦争依存症の国のひとつに「大日本帝国」という国があった。台湾出兵(1874)に始まり、日清戦争(1894)、北清事変(1900)、日露戦争(1904)、第一次大戦・シベリア出兵(1914・1918)、山東出兵(1927)、満州事変(1931)、支那事変・太平洋戦争(1937)と、日清戦争後の大日本帝国は数年〜10年ごとに戦争を構えた。戦費の増大は徐々に巨額のものとなり、戦争をするために植民地の拡大が必要となるという覚醒剤中毒者にも似た道を辿ったのが大日本帝国であった。

 アメリカ合衆国も戦争依存症にかけては見劣りしない。建国以来、1890年の「フロンティア」の消滅までアメリカは分不相応な陸軍力を維持しなければならなかった。ネイティブアメリカンを「屠殺」し、彼らの土地を「強奪」するためにはやむを得ぬ負担だったのかもしれない。陸軍力だけではない、貿易のための海上通行権を巡ってバーバリ戦争を戦った海軍、海兵隊も新たな「フロンティア」の創出を必要とするほどに増強を重ねた。おそらくアメリカの戦争依存症はこの分不相応に膨張した軍隊がもたらしたものだろう。

 フロンティアの消滅後、アメリカは積極的に戦争を「作る」ようになる。1898年にはハワイ王国を強奪するとともに斜陽のスペインを相手に米西戦争を仕掛ける。米西戦争の端緒は戦艦メイン号の爆発だが、後のトンキン湾事件を考えると、でっち上げた「事件」を口実に戦争を始める悪質な「虚言癖」は、これ以降、アメリカ合衆国の得意技となった。アメリカはせっせせっせと戦争を繰り返した。数十万人のフィリピン人を虐殺した米比戦争、チキータ社の前進であるユナイテッド・フルーツ社の拡大のために行ったバナナ戦争など、とても「自由」と「正義」を看板にする国とは思えぬダーティな戦いばかりだ。

 こうした戦争依存症は第二次世界大戦の終結までは「一等国」に共通するものだったかもしれない。しかし、アメリカにとっては不幸なことに、大戦の甚大な戦禍はヨーロッパ諸国の深刻な自覚(ひょっとすると、植民地の喪失という現実が強いた結果だったかもしれぬが)を生んだ。うまい戦争の口実は徐々に少なくなった。それでもまだ「冷戦」があった頃はよかった。朝鮮戦争も、ベトナム戦争も、共産主義の恐怖とドミノ理論を語り、「自由」を売り物にすればかなりの人々を騙すことができたから。

 「冷戦」の相手ソビエト連邦の弱体化と崩壊はアメリカにとっては喜ばしいものではなかったと思う。それでもなんとか湾岸戦争は滑り込みセーフという形で「起こす」ことができた。当時アメリカの駐イラク大使だったグラスビーが「アメリカはアラブ諸国間の国境問題には介入しない」と語り、前後してケリー国務次官が「アメリカは自由主義諸国に近づきつつあるイラクとの関係拡大を望んでいる」などという発言を繰り返したことはオフィシャルに確認されているが、まだ明らかになっていないいくつかのことがフセインにクウェート侵攻の決断をさせた可能性は十分にある。望み通り湾岸戦争を惹起したアメリカだったが、それ以降しばらくの間は、クリントン政権下の好景気に支えられたこととソマリア内戦においてやけどを負ったこともあって、戦争欠乏による禁断症状から遠ざかった。だがおそらくペンタゴンの中では「どのように新たな戦争を作り出すか」が真剣に検討されたに違いない。

 その答えが従来型の戦争とは著しく異なる「テロとの戦い」だったのではないか。アメリカの悩みはナショナリズムとは別次元の「戦争」をどのように「定着」させるかというところにあったろう。そのひとつの答えが「無差別テロへの恐怖」であり、その心理的病から治癒することがないように用意したものが「テロとの戦いから逃げてはならない」という標語だった。

 戦争依存症のアメリカにとれば戦争さえできればノープロブレムだったが、できるならそれなりの「国益」と結びつく方がよい。そうして選ばれた「国益」が資源、就中、石油だった。必然的に「テロリスト」の設定はイスラム原理主義になった。これならば「山の長老」という伝説を背景に、欧米人のイスラム教に対する偏見をつくことができる。さらにイスラム・ベルトは遠からず対立するかもしれないロシア・中国を南から包み込むように広がっているから地政学的にも理想的。いや、最初から両国を敵に回すこともない、いずれの国も中央アジアのイスラム教徒にたいして神経質にもなっている。もうひとつアメリカの戦争屋さんにとって好都合だったのは、旧ソ連のアフガン侵攻に際して築き上げた、地元イスラムゲリラとのコネクションがあることだった。アルカイダはアフガン侵攻時にCIAが育成したという事実は繰り返し報じられているし、ビンラディン一族とブッシュ一族のつながりは公然の事実だ。

 そういう意味でサミュエル・ハンチントンの「文明の衝突」が1998年に刊行されていることはじつに示唆的だ。ハンチントンがかんでいるかどうかは別にして、湾岸戦争終了後の戦争依存症国アメリカが次の「戦場」の設定を周到に準備するために広範な「知恵」を集めていたことの例証にはなるだろうし、「新たな戦争」を創り出すシナリオとして十分な「仕掛け」になったことは間違いない。

 アメリカは「テロとの戦い」からじつにいろいろのものを取り出した。まず「犯罪」ではないという解釈から、通常の逮捕・拘禁手続き、そして裁判手続きを無視している。そして「通常の戦争ではない」という解釈から捕虜に関するジュネーブ協定も、戦争犯罪に関する国際法も蹂躙している。さらには「通信の秘密」に始まる様々の国家に対する制約からも自由になってナチスや旧ソ連でさえ公然とはしなかったことを公然と行って恥じない国になり、それを「同盟国」に押しつけようとしている。その一例が治安維持法も真っ青という「共謀罪」、アメリカはこの規程を盛り込むよう各国に圧力をかけている。

 旧ソ連亡き後「悪の帝国」ナンバーワンはアメリカ合衆国だ。悪人が主張する「テロとの戦い」などという主張は悪事を円滑に進めるための方便に過ぎない。麻生太郎のクズ本にはおそらく「不安定な弧」などという言葉が使われていると思うが、節穴の眼だけがその欺瞞に気がつかないで受け売りをするのだ。たしかに指摘のゾーンは「不安定」に見えるだろう。しかし不安定にしているのはアメリカだ。アメリカに買収された「山(アルカイダと読み替えてもよい)の長老」に操られた若者を除けば、そこに暮らす大多数の人々はかりにイスラム原理主義者であったとしてもテロリストではない。

 ラドラムが描いた「マタレーズ暗殺集団」の妙な現実感は彼の鋭い感性ないしは独自の取材に引っかかった「ペンタゴンのどこかで企まれつつあるもの」から生まれたのかもしれない。(9/11/2008)

 午後、吹上工場で「AutoV(過電流継電器付真空遮断器)」の対策会議。4時過ぎに終わり、そのまま帰宅。駐輪場を出るところでペダルをから踏みし、左足をしたたかに打ちつけた。どんな風にどこにあたったのかも分からないままに、痛みだけは感じつつ家まで帰った。夕食の頃から猛烈に痛み出した。

 倍というのは大げさにしても、ものすごく腫れている。締め付けられるような痛みもある。患部が盛り上がり、とんがっている。骨折かとも思うが、折れていれば、最初からもっと痛むはずとも思う。取りあえずは冷却シートを当てて寝よう。

 以下、仕事用メモ。朝刊に「中部電、日立を提訴へ/浜岡原発事故『逸失利益』求める」の見出し。逸失利益の補償はトレンドにはなりつつあるものの、電力側からの請求となると話は別。残すところ半年だから在職中の仕事への影響はないが難しい時代に入った。記事のみ書き写しておく。

 中部電力は9日、06年に発電用タービンの損傷事故で停止した浜岡原発5号機(静岡県御前崎市)を巡る問題で、タービンを設計・製造した日立製作所を相手取り、原発停止中に割高な火力発電を代替運転することで生じた「逸失利益」の支払いを求める損害賠償請求訴訟を東京地裁に起こす方針を固めた。電力会社が発電トラブルで重電メーカーに法的措置を取るのは初めて。
 中部電の三田敏雄社長が10日、記者会見して正式に表明する。請求額は数百億円規模となる見通し。電力会社と重電メーカーは原発の技術開発や施設運営で密接な協力関係を築いてきただけに、中部電が訴訟に踏み切るのは異例の事態。重電メーカーにとっては原発停止に伴う二次損失の補填まで求められるリスクを抱えていることを意味し、訴訟の行方次第では日立の経営に影響を与えそうだ。
 浜岡原発5号機は06年6月にタービンの羽根が破損して緊急停止し、07年3月に営業運転を再開した。中部電と日立の調査で事故原因は設計不良による金属疲労と特定され、同年10月には、日立がタービンの復旧にかかる直接的な費用(金額は非公表)を負担することで合意した。
 しかし、停止期間中に火力発電を使用したことに伴う燃料代などの間接的な「逸失利益」を巡る交渉は決裂。中部電は「損失の規模があまりにも大きく、株主に対する説明責任が果たせない」(幹部)と判断し、提訴に踏み切ることにした。(宮崎健)

(9/10/2008)

 星野仙一が自分のブログに「WBCの監督は引き受けない」宣言をした由。

 ひとこと「引き受けない」とのみ書けばいいものを、「今、火ダルマになっているおれがなんでまた『火中の栗』を拾うようなことをするのか」とか、「いろいろ心配したり、気にかけてくれるのは有難いけれど、ない話に向かって断わるも辞退するもない」とか、腹立ちまぎれにイタチの最後っ屁をくれたらしい。(いったいどんなことを書いたのかとアクセスしてみたがつながらない。「炎上」したのか)

 監督話など最初から「ない話」なんだそうだ。じゃあ、成田で「被告席」に座った会見の折、「オレが決めることやない。でも最後はオレが決めることになるか。今はそこまでは考えていない」などと最後まで色気を残したトーンで発言した、あれはなんだったということになる。

 星野よ、案ずるまでもない。100人中99人までの人々は「世渡り一流・野球は三流」の仙一さんになんぞに「火中の栗を拾って下さい」と頼みたいとはこれっぽっちも思っていないから。(9/9/2008)

 北の湖理事長が辞任。不祥事のたびに「親方の責任」といってきた北の湖、自分の部屋の白露山が大麻を吸っていたとなれば、こんどばかりは持ちこたえられなかったということか。

 「北の湖、辞任したってよ」というと、**(家内)が「ホントォ、やっとね」といかにもうれしそうに応えた。器量がいいというだけで女は人生の半分の幸福を手にしているという話があるが、顔が悪いというだけで男はずいぶん損をするんだなぁ、と思う。

 北の湖は現役時代から不人気だった。「強すぎるから」などといわれたら力士としては立つ瀬がないが、怖い顔で無愛想とくれば現下のポピュリズム万能時代には向いていない。気の毒という気がしないでもないのはへそ曲がりの故か。だが今回の騒ぎ、どことは言えないものの、不自然な感じがつきまとって離れない。でも世の中は悪役が降りて、これにて一件落着モード。(9/8/2008)

 民主主義という制度はじつに愚劣な制度に落ちぶれてしまった。福田辞任以来の自民党内の茶番劇、アメリカ大統領選挙に関する一連の報道を見聞きするにつけ、その思いは深くなる。

 いまや選挙に勝とうという者はどのようにして一般大衆をペテンにかけるか、どのようにして知的能力の低い層から盲目的かつ排他的な支持を取り付けるかに腐心する。事実か、真実か、などということは二の次でいいから、いや、積極的にウソでもゴマカシでもかまわないから、単純で力強い標語を作り出し、自らの心に最大の侮蔑を蓄積したうえで、そのエネルギーを使って騙す対象たるバカな選挙民にその標語をに注入するというわけだ。

 自分が一番バカだと見定めた相手を自分の支持者に仕立て上げるという点で天才的な才能を発揮してみせる代表選手が石原慎太郎だ。そのあたりの事情を見極めるために石原慎太郎を観察(理解するのに難しい人物ではないが)する必要はない。石原慎太郎を支持する、石原慎太郎に投票するという選挙民を観察すれば、すぐに納得がいく。

 目下自民党の総裁選に手をあげているメンバーを見ると、麻生太郎、小池百合子などは、まさしくこのタイプだ。石原伸晃は親父と違ってまだ自分に自信がない分だけ、人を食う余力がない。与謝野馨はいちばんまっとうだが、まともなものはこの場面ではほんらい「およびではない」のだ。石破茂、棚橋泰文は血迷ったのだろうし、山本チビ太はテレビでたさのチンピラだから論外。

 それにしても麻生太郎が首を左右交互にかしげながら、いかにもなにか分かっているような口ぶりでしゃべっているのを見るのは可笑しい。自分が漫画そのものになっていることを知らず、ちょっとばかりベランメエ口調(江戸っ子ってぇのは爺さんの代から下町育ちをいうんだよ)を使って中身の薄さをカバーできると思っている根性が透けて見える。崩し字というのはまっとうな字を書いてこそだということを知らないのは哀れな話だ。(9/6/2008)

 アメリカの大統領選。共和党はジョン・マケインを大統領候補に決めた。マケインは副大統領候補にサラ・ペイリンという知名度の点ではさしたることのない人物を指名した。ペイリンは現アラスカ州知事。44歳の女性、5児の母。日本では悪名高い全米ライフル協会の会員で銃規制反対論者。当然のごとく妊娠中絶反対論者で同性婚反対論者。比較的リベラルな主張を並べてきたマケインとしては、共和党及びキリスト教右派における不人気をカバーすることを期待しているのだろう。(マケインが対立候補オバマを「若年のため経験不足」と攻撃してきたことを思うと、どうやら「経験不足」というのは自らの老齢というコンプレックスから出た言葉だったということが分かって可笑しい)

 マケインの大統領候補受諾スピーチはなんということもないものだったが、ペイリンのスピーチはある意味で興味深い。朝刊に載っている演説要旨を記録しておく。

 共和党の副大統領候補の指名を受諾することは光栄だ。4月には末っ子の男の子にも恵まれた。
 私は小さな町で人生の大半を過ごしたことを名誉に思う。私は子どもたちの公教育をよりよいものにするためにPTA活動に参加した。市議会議員に立候補し、偉大なアラスカ州の知事になった。
 私は故郷の市長だった。対立陣営はこの経歴を見下しているようなので説明したい。小さな市の市長は(民主党の大統領候補のオバマ上院議員が務めた)地域活動家と似ているようだが、市長の場合は実際の責任がある。
 メディアの中には、ワシントンのエリートでないというだけで(副大統領候補になる)資格がないとみなす向きのあることも学んだ。だが、私は彼らの評価を求めてワシントンに行くわけではない。偉大な米国民に奉仕するためワシントンに行くのだ。
 彼(オハマ氏)は何を達成したいのか。答えは、より大きな政府であり、増税であり、ワシントンの規制を増やし、危険な世界で米国の力を弱めることだ。

 なかなか口は達者なようだ。「ワシントンのエリートでないというだけで・・・」というくだりなど、大衆をくすぐるには「わたしは、あなたたちと同じ、非エリートである」と売り込むのが一番という現在のアメリカの「病癖」につけ込んでいてなかなかうまいが、所詮そんなものはただのテクニックだ。彼女が彼女に投票する有権者と自分がイコールだなどと爪の先ほども考えていないことはそれほど時をおかずに露見するだろう。

 合成の誤謬は思慮の足りない人間が犯しがちな間違いだが、もののみごとにそれを露呈しているところが嗤える。共和党の教科書どおりの文言でオバマの批判ができたと思っているところなどは、州知事とはいえ自認するとおりの典型的な田舎才女なのだろう。

 あえて書くと、ほんの少し自己陶酔的(ナルシスティック)な匂いがするところが怖い。なぜなら彼らが当選し、マケインが任期の途中で亡くなれば、彼女が核のボタンを押す人間になるからだ。ナルシシストが最高権力者になることの怖さは歴史が教えている。(9/5/2008)

 三重工場で品質保証部会。この工場に来るのもおそらくこれが最後。

(いずれ、会社と縁が切れましたら、公開するかもしれません)

 しかしラジカルな問いに答えられるようでなくては品質保証論議などできない。・・・(省略)・・・そう思いつつ、工場を後にした。(9/4/2008)

 朝礼のネタにタブーの政治ネタを使ってやろうかと思っていたが、始業前、朝日のサイトに「日中韓直径6千キロの『瞳』/電波望遠鏡20台結ぶ」という記事を見て、これに切り替えた。

 ブラックホールや銀河系を精密に観測するため、日本、中国、韓国にある計20台の電波望遠鏡(パラボラアンテナ)が手を結ぶことになった。複数のアンテナで同時に見ることで精度を高める超長基線電波干渉法(VLBI)という技術で「直径6千キロ」の巨大な1台のアンテナとして機能する。世界最大級の「瞳」での観測は年内にも始まる予定だ。

 配置の東端は茨城、西端はウルムチ、南端がクンミンあるいは石垣島になる計画らしい。記事には「日韓は01〜03年にVLBI観測を試験的に実施し、技術的に先行する日本が主導して準備を進めてきた」とある。国立天文台の川口教授に日本国内のものを動員して直径3000キロの仮想電波望遠鏡を作る話を聞いたのは99年のことだったから、以来着々と「大型化」が進んできたものらしい。

 午後、吹上工場で連絡会。比較的順調に滑り出した会議だったが、*****障害のあたりから話が滞り始め、結局5時過ぎまで。予定の電車の一本後で「樽や」には30分ほど遅刻。

 **は既に確定、**も**もそれぞれに待遇は見直されるものの延長が決まったらしい。春から完全フリーはオレだけ。そのくせ**さんを訪ねる話については早めに日程を決めれば行くような口ぶり。フィンランドとなれば往復の旅程だけで4日はかかるだろうに。

 週の半ばということもあり9時過ぎで切り上げて帰ってきた。(9/3/2008)

 さっそくマスコミは「次期首相は誰か」と騒いでいる。候補は麻生太郎、小池百合子、谷垣禎一、石原伸晃、野田聖子、与謝野馨、・・・。本命のつもりの者もおれば、この際、名前を売っておきたいだけの者もいる。いまのところ、本命は麻生らしい。もっとも一年ほど前、安倍が辞任を発表した当座のネクスト本命は麻生だった。たった一週間ほどで、次は福田康夫という風が吹き、麻生は負け戦を強いられた。たぶん、あの時、彼は最初から歪んでいる口に感謝したに違いない、悔しい表情がそれに隠されて目立たぬことを。

 二、三ヵ月前、鳩山邦夫法相を「死に神」と書いて素粒子の筆者が袋だたきになったことがあった。アブラムシの生命力を体現しているような鳩山邦夫を「死に神」になぞらえても、いまひとつピタッと来なかったから誰も「似ている者をそう書いて何が悪い」という話にはならなかった。

 素粒子は少し早まったようだ。「死に神」の尊称は麻生に授ければよかったのだ。わずか一年足らずの間に、続く二代の宰相の死に水をとった幹事長など、そうそうはおるまい。しかも幹事長に据えられるやいなや、ひとつきも経たぬうちの早業だったのだから「死に神」と呼んでも文句はつくまい。

オレのあだ名を知ってるかい
死に神・タローというんだぜ
二代の総理を葬って
後を襲うにゃ慣れたけど
今度成れなきゃ終わりかなぁ

 このネーミングの疵といえば、麻生の顔は死に神というよりは貧乏神に近いということか、呵々。いずれにしても我が日本国の宰相の顔とは思えぬが、卑しさこそ最近のはやりならば是非もない。(9/2/2008)

注)「オレのあだ名を知ってるかい」は、山田太郎の「新聞少年」を「本歌」としております、念のため。

 同期会の記念誌に掲載してもらうものを書いている。そのさなかに9時半から官邸で福田首相が記者会見をするというニュースが入り、それに続いて会見の内容は総理辞任というニュースが入った。読売を除く新聞各紙のサイトはすべてトップ見出しを出した。取材体制がお粗末なためか、いつも「後出しジャンケン」になるのろまなサンケイがやっと追いつく頃になっても、読売のサイトには福田辞任の記事は掲載されなかった。こと政治ネタとなると、ナベツネが自らニュースを作り、それをあの手この手で飾り立て報道するようなパターンに持ち込まないと(それは「作り売り」ということだが)、足腰がなまった受け売り記者には辛いのかもしれない。

 閑話休題。会見を見ながらつくづく思ったのは世襲議員のひ弱さだった。細川護煕に代表されるような「お殿様」、安倍晋三がみせた「お坊ちゃん」らしさが共通する。同じ世襲議員でも小泉純一郎にはそういうところは見られなかった。さきほどmixiには「毛並みがあまりよくなかったからだろう」と書いた。「入れ墨大臣」とあだ名された祖父の彫り物、我慢を連想しながらもそれを直接書かなかったのはmixi住民のレベルにチューニングして短く縮めただけのこと。もっとも「入れ墨」の別名に「我慢」があることなど、大方は知らないかもしれぬ。せいぜいその程度がmixiの平均だ。

 もう少し書くなら、いつか山中定則が死んだ際に書いたことになる。つまり「人間の器量はどれだけ有力な敵と戦ってきたかによる」。一昔前の自民党ならば、陣笠から出発して派閥の親分になるまでには相当の権力闘争を勝ち抜かなければならなかった。やっと自分の名前のついた派閥を作っても、それはただの資格のひとつに過ぎない。合従連衡、裏切りと闇討ちを繰り返し、顔にもそれなりのハクがついた頃に座れるかどうかというのが宰相の椅子だった。

 小泉にはその権力闘争を自分が闘ったもののように身のうちに溜める特殊な才能があったに違いない。あるいはあまり表には知られていないところで局地戦を担った経験でもあったのかもしれぬ。安倍があれほど無能を露呈したのは持っている頭脳が並み以下(右翼イデオロギーに懲り固まれるという一点でもう知能の働きが鈍いことを証明している)だったから、どこにどのように座らせてもらったところで洞察などというものとは無縁だったからに相違ない。そして福田は、所詮、「参謀」であって「将」ではない。「明察」と「決断」・「実行」には径庭のあるものだ。このあたりをよくあらわしていたのが会見の最後の言葉だった。中国新聞の記者の質問に対して福田はこう応じた。「・・・わたしは自分を客観的に見ることはできるんです。あなたとは違うんです」。反感を買う言葉だが、痛快な言葉でもあった。

 「所詮」と書いた。痛い言葉だ。なぜか。オレもまた「将」のカテゴリーにはいない人間だから。なじょうことなき「将」の愚かさを嗤いつつ、嫉妬を押し隠す人間だから。そういうところで、オレは隠れ福田ファンでもあった。(9/1/2008)

 8月31日が日曜日というのは小学生の頃には最悪だった。夏休み帳だとか、算数ドリルだとか、書き取りノートなどというのはだいたい7月中には終わっているのだが、絵日記だとか、読書感想文だとかがいつも残っていた。別けても最悪のものが工作だった。

 8月も20日を過ぎる頃から日増しに気が重くなってくるのだが、根が怠け者なのだろう、面倒なもの、嫌いなものにはなかなか手がつかない。気分が重いのならば、早く済ませてしまうのが一番なのだが、それができずグズグズするうちに31日がやってくる。

 31日が土曜とか、金曜というのはまだありがたい、始業式から帰ってから残した宿題に取り組めるから。最悪なのがことしのようなパターン。つまり始業式に続いて休みなしに二学期に突入するパターンで逃げ場がない。

 いま調べてみると、小学校4年の夏休みがその最悪の年だった。その年だったのかどうかははっきりしないが、首尾よくクリアできた年があった。

 工作は味の素の瓶のまわりに粘土をくっつけて花瓶をでっち上げ、夏休み中ではない時に読んだ「森は生きている」を材料に感想文をひねり出し、絵日記は雲のバリエーションを連ねてごまかした。一日で仕上げた三点のうち、読書感想文と絵日記は二学期のなんとかコンクールで賞状をもらった。世の中をどこか甘く見るという悪癖はあの体験により習得したのかもしれない。

 いつもうまくいったわけではない。忘れもしない小学校5年の夏休み。例年のように放置するうちにつごもりの日になった。さえない顔の息子を見て**(母)さんが「どうしたの」と訊くので、「工作の宿題が済んでない」と言うと、木箱に色紙を貼ったもの入れでも作ったらとアイデアをくれた。**(母)さんは何でも取っておく人でお気に入りの包み紙を押し入れから出してきた。さえないなぁとは思いつつも、切羽詰まっていたから、それに飛びついた。桃が入っていた木箱はかわいい小箱に仕上がったが、クラスでは物笑いの種になった。使った包み紙がすべてクリスマスセールのものだったからだ。(8/31/2008)

 朝刊の一角に小さな記事が載っている。福島県立大野病院事件の無罪判決が確定したというニュース。控訴の断念について福島地検の村上次席検事は「新たな証拠を出すことは不可能」と述べたそうだ。一審における検察のお粗末きわまりない立証から見る限り、そもそも「起訴することが不可能」だったというのが正しいのだろう。

 それよりなにより、任意捜査が相当という状況下であえて異常な「逮捕」、「拘留」、「接見禁止」などの措置をとった警察の担当者の責任はどうなるのだろう。どんな圧力がどこからかかったのかは分からないが、圧力の有無を含め異常な捜査手法を採った理由を明らかにする義務はあるのではないか。

 さらに逮捕状を「了」とした裁判所の責任も問われて当然だろう。この国では警察が請求する逮捕状は100%認められる。しかし富山の冤罪事件などを見れば分かるように、裁判所が逮捕状に盲判を押すのでは刑訴法の規定の意味はなくなる。

 このような怠慢が認められた場合には、逮捕状を認めた裁判官には、ペナルティーは過重としても、給与査定に反映させるくらいのことがなされて然るべきだ。

 ところで、今回の裁判では亡くなった女性の父親がかなり積極的に表舞台に出ていたが、女性の夫はいったいどうしているのだろう。父親だけが「被害者ヅラ」の特権を持っているわけではあるまい。素朴な疑問に答える報道がないのは不思議な話。(8/30/2008)

 きのう天皇・皇后両陛下は川島侍従から高村外相を通じてアフガニスタンで殺害された伊藤和也の両親及びペシャワール会に弔意を伝えるとともに訪問中の草津で予定していたコンサート鑑賞も中止した由。今上が本当の意味の国際協力に対してかなりの理解をお持ちであることがうかがえる話。おそらくこういう人にこそ勲章を授与できればと思っておられるのではないか。

 きのうの朝刊には伊藤和也がアフガン行きを志した際に書いたものが掲載されていた。

 私がワーカーを志望した動機は、アフガニスタンに行き、私ができることをやりたい、そう思ったからです。
 私が、アフガニスタンという国を知ったのは、2001年の9・11同時多発テロに対するアメリカの報復爆撃によってです。
 その時まで、周辺国であるパキスタンやイランといった国は知っているのに、アフガニスタンという国を全く知りませんでした。
 「アフガニスタンは、忘れさられた国である」
 この言葉は、私がペシャワール会を知る前から入会している「カレーズの会」の理事長であり、アフガニスタン人でもある医師のレシャード・カレッド先生が言われたことです。今ならうなずけます。
 私がなぜアフガニスタンに関心を持つようになったのか。
 それは、アフガニスタンの復興に関係するニュースが流れている時に見た農業支援という言葉からです。
このこと以降、アフガニスタンに対しての興味を持ち、「風の学校」の設立者である中田正一先生の番組、偶然新聞で見つけたカレーズの会の活動、そして、カレーズの会の活動に参加している時に見せてもらったペシャワール会の会報とその活動をテーマにしたマンガ、それらを通して現地にいきたい気持ちが、強くなりました。
 私は、関心がないことには、まったくと言っていいほど反応しない性格です。
 反応したとしても、すぐに、忘れてしまうか、流してしまいます。その反面、関心を持ったことはとことんやってみたい、やらなければ気がすまないといった面があり、今回は、後者です。
 私の現在の力量を判断すると、語学は、はっきりいってダメです。農業の分野に関しても、経験・知識ともに不足していることは否定できません。ただ私は、現地の人たちと一緒に成長していきたいと考えています。
 私が目指していること、アフガニスタンを本来あるべき緑豊かな国に、戻すことをお手伝いしたいということです。これは2年や3年で出来ることではありません。
 子どもたちが将来、食料のことで困ることのない環境に少しでも近づけることができるよう、力になれればと考えています。
 甘い考えかもしれないし、行ったとしても現地の厳しい環境に耐えられるのかどうかもわかりません。
 しかし、現地に行かなければ、何も始まらない。
 そう考えて、今回、日本人ワーカーを希望しました。

 朝日のサイトに伊藤が撮った現地の子供の写真が掲載されている。一面に菜の花が広がる畑で微笑んでいる少女、収穫したサツマイモを抱える少年。ペシャワール会の仕事の成果はこの通り。そしてカメラをかまえた伊藤に子供たちが向けた表情、それが彼の人となりを雄弁に物語っている。

  

 派遣応募の文章中の「子どもたちが将来、食料のことで困ることのない環境に少しでも近づけることができるよう・・・」というくだりを重ね合わせると、もう、涙が止まらない。(8/29/2008)

 午後、JEITA半導体調査統計委員会主催の講演会。場所は経団連会館。JAビルの近くのちょっと下品な外観(窓につけたひらひらのような感じの飾り、ラブホテルのセンスだ、あれは)のビルとしか意識がなくちょっと迷った。講演は、「LED照明器具」、「携帯機器用燃料電池」、そして「半導体市場のネクスト」、それぞれ興味深い内容で充実していた。

 おとといアフガニスタンで拉致されたペシャワールの会の伊藤和也の遺体が発見された。31歳、農林大学校卒業後、会社勤務の後、アフガニスタンでの農業指導を希望して現地に行った由。すぐに思い出したのは奥克彦と井ノ上正盛のことだった。もうあれから5年経った。ふたりの死は自衛隊のイラク派遣をスムーズに進めるのに役立てられた。おそらく伊藤和也の死もインド洋での給油延長に役立てられることだろう。事件報告をした外務副大臣の山本チビ太の口元がともすれば緩んでいたのは、久しぶりにテレビカメラの前に立った喜びもあったのだろうが、「テロとの戦いのための給油延長」というキャッチ・コピーを使えるという喜びのせいだったかもしれぬ。

 しかし亡くなった伊藤和也という青年の本当の意思は「テロとの戦い」と称して行われているものを解決するためのもっとも根源的な活動にあったのだと思う。彼が農業指導をしていた地域は世界有数のケシの栽培地域だ。その収益が地域の軍閥や凶暴化しているタリバン(現地では「パキスタン・タリバン」と呼ばれ、これまでのタリバンとは区別されている由)の資金源になっている。一方アメリカが主導する「テロとの戦い」により多くの無辜の民が殺されている地域でもある。「誤爆」と称する意図的な殺害に肉親を失い、その非道を目の当たりにしたアフガニスタンの若者の何割かは報復心からタリバンに加わる。農地も人心もよりいっそう荒れてゆく、ケシの栽培しか適さない土地、そして絶望的な現実。「テロとの戦い」は、まず「人」というリソースを「テロリスト集団」に与え、次に「カネ」というリソースを「テロリスト集団」に供給しているのだ。

 ペシャワールの会はこの悪循環を農民の生活改善によって断とうとしている。農業インフラの整備をし、土地改良から栽培技術の向上、食べられる作物を作るという農業の基本を据え直すのが伊藤和也という惜しむべき青年の意思だったろう。安定した生活基盤を作ることが土地の若者を「テロリスト予備軍」にしないことにつながり、ケシの栽培から米や小麦の栽培への転換が「テロリスト資金源」を断つ。彼にそこまでのパースペクティブがあったかどうかは分からない。しかし彼の歩いていた道はアメリカがでっち上げた「不安定な弧」を解消する「王道」であった。

 しかし、いまや最大の「悪の帝国」に成り下がったアメリカとその下僕である自民党政府はあえてこの「王道」を採ろうとはしない。そしてこれに盲従する愚か者も多数いる。その特徴的な一例をサンケイ新聞が主催する「イザ!」から書き写しておく。ブログ名は「反日勢力を斬る」という勇ましい名称。

お花畑の住人は他人を死に追いやる

 ペシャワールの会をぐぐってみると、1984年からパキスタンの中村哲医師を支援するために出来た会だそうな。著書に「アフガニスタンで考える −国際貢献と憲法九条−」(岩波書店)などがある。
 「丸腰だから現地の人に伝わるものがある」と「九条の会・小平三周年のつどい」で講演し、アフガンへの自衛隊の支援を批判している。やはりお花畑に住んでいる人でした。
http://www.news.janjan.jp/world/0806/0806048723/1.php
 別のサイトでは中村医師はタリバンのスポークスマンだという批判もある。民主党小沢一郎とのパイプもあるという。
 今回の事件でペシャワール会の会長は、「現地の情勢判断を誤った」と認めながらも「今後もアフガンでの活動を続ける」と言っている。
 責任をとってペシャワールの会は解散するのが筋である。NHKは早くも被害者をヒロイズムに満ちた殉教者のような扱いを始めた。
 こういうお涙頂戴的な取り上げ方は御免蒙る。被害者がおのれの信条に殉じたならばそれはそれでいいが、偏向思想の会が純粋な若者を死に追いやったとすれば許せない話である。

 ところでこの筆者はどこに住んでこれを書いているか。まさか自身が「お花畑」の住民であることを失念しているなどということは・・・、「タリバン」も「民主党」も「護憲派」も区別がつかない(単に貶めたい一心で不自由な頭で思いつく嫌いなものを精一杯並べただけに過ぎないのかもしれないが)ところを見ると、ありそうな話だ。このていどの粗雑な頭の持ち主が「テロとの戦い」などという詐欺話に引っかかるらしい。

 ある人物を賞賛するために、唾棄すべき人物を対比させるのは、愚かな話だった。

 伊藤和也のような博愛心を持てないオレはただ脱帽して、この心優しい若者の死を悼むのみだ。冥福を心から祈る。合掌。(8/28/2008)

 一周忌。家を出てこぎ出した自転車の正面の空は気持ちのよい秋空だった。いささか早いのだろうが、これからの季節が一年の中で一番好きな時だ。湿気たっぷりの暑さは、それによく似た言説ともども、大嫌い。とりあえずそういう季節から一番遠くなったというだけでもうれしくてウキウキしてくる。

 星野ジャパン、ホークスの川崎に続いてタイガースの新井も疲労骨折が判明。腰椎だという。指の骨などではない、腰椎。ベンチで選手を管理していたはずの監督、コーチが気がつかなかったというのはずいぶんうかつな話。もっとも彼らはスリーアウトになったことも気づかずにいたことがあった。

 帰国時、上原が「韓国のように国内公式戦でも国際試合球を使うことを検討しても」と言っていた。阿部は「重い」とも言っていた。国際試合球が、少し、大きく、重いと聞いて庖丁の話を連想した。

 凡庸な料理人が牛を捌くと牛刀もすぐに刃こぼれしてしまうが、名人・庖丁は刃こぼれひとつないという荘子に出てくる話。国際試合球が大きく重いという話が本当ならば、ボールをスウィート・スポットで捕らえる技術の差は結果にも影響するはずだし、「芯を外した」時の体への衝撃も違ってくるだろう。

 球の違いを意識して、体をコントロールする技術が未熟な選手ほど、打撃、守備、あらゆる場面で大いに差が出たというのは深読みのし過ぎだろうか。つまり新井は刃こぼれするていどの技能だったのではないかということ。(8/27/2008)

 ******の件、その他があり休暇。

 先週土曜日以来、雨模様の日が続き、涼しい。もはや秋霖かとも思うが、そんなことはなかろう、あと数回はしつこい暑熱が戻ってくるに違いない。

 きのうの留守電に旧・道路公団からのものがあった。「未納料金の件で電話をした。03-5828-8716まで電話をくれ」という話。留守電記録をたどると8月7日に同様の連絡をよこしている。料金はいつも払っている、カードで。だがたった一回例外がある。さきおととし8月12日、福島にからのって西那須野塩原でおりた時の料金だ。既に西那須野塩原と矢板の間では道路冠水があり通行不能になっているにも関わらず、那須高原サービスエリアでは何のアナウンスもなく、ハイウェイラジオではなくNHKラジオの道路情報で事態を知った。さらに驚くことには道路公団は那須IC、西那須野塩原ICのいずれにおいても通行止めの処置もとらず、その先通行不能という情報の通知もしていなかった。

 怒り心頭に発し、料金所では「ここでは支払をしない、きょうの事態に関する説明と負担すべき料金額と請求の根拠を説明しに来い、それに納得したらその時に料金は支払う」と言って、住所、氏名、電話番号を記した紙をわたした。道路公団がどのような説明をしにくるか(あるいは文書を送ってくるか)、楽しみにしていたが3年以上も梨のつぶてであった。

 昼までは手空きであるのを幸い、件の番号にかけてみた。テキはつらっとして、「2005年8月12日の料金未払い分についてお支払いをしていただきたいので・・・」と言った。ホウ、と思った。「・・・うちはいつも料金をきちんとお支払いしています。いいですか、そういうごく普通の利用者が、支払いについて留保したんですよ。べつに強行突破したわけじゃありません、わざわざ連絡先を紙に書いてお渡ししましたよ、なぜここでは払わないのか、どのようにして欲しいかも、それは口頭でしたけれど、お伝えをした、逃げも隠れもせずに連絡先を紙に書いてお渡しした、だからこそ、あなたはいまこうしてわたしのところに電話ができたわけでしょ、そのあたりについて何も確認もせずに漫然と督促しようというの?」、電話口の女性は絶句してしまった。

 「その日、夕方、那須−矢板あたりでなにがあったのか確認してから、その上でネクスコ東日本はどのような根拠で、いくらまでの料金請求権があると考えているか、当時の道路公団にどのような落ち度があって、それにより利用者にかけた損害をどのように補償するのかについて見解を出しなさいよ・・・」。「しばらく、このままお待ちいただけますか?」、「いやです、なんでわたしがぼんやりと電話口で待たなきゃいけないの、事情をあなたが上司に伝えた上で、あなたの方から電話しなさい」と言って切った。

 ほどなく、彼女の上司とおぼしき男性から電話がかかってきた。のっけに、「この電話の趣旨は何ですか?」と訊いてやった。彼はほとんどなにも調べも確認もせずにかけてきたようだった。「オイ、もう一度さっきの女性にした話をしろというか?」、「いえ、あの、ご事情をお聞かせ・・・」。もう一度、もう少し丁寧に顛末を話すことになった。

 「・・・ところでなぜ督促が電話なの? それとも、これ、オレオレ詐欺かい? だいたい8月7日に一回目の電話をもらっているようだけど3年間はなにも言ってこなかったよ、どうして?」、彼は「最後の質問にのみ答えた、「今年になりましてから、未収料金を督促する目標が立てられまして・・・」。ガソリンの高騰、車離れ、通行量の減少、・・・、料金減収が「棚卸し資産」回収のトリガになったということか。いや、三年ぐらい寝かせておけば、普通の人は事実関係も忘れて、言いなりに支払うとでも思っているのかもしれない。忘れないように日記に記載している者もいるくらいのことは考えないのか。

 「では、調べましてから・・・」、彼はもうひたすら早く電話を切りたいようだった。「なに、言ってんの?」、「はっ?」、「いいですか、調べにどれくらいかかるから返事はいつ頃になる、そりゃ、その通りに行くかどうかは分からないでしょうけど、目標としていつ頃になるかぐらい言いなさいよ。最初に『この電話の趣旨はなにか』ってお尋ねしたでしょ、わたしか期待したのは、『いまは事実関係が分からない、どう回答するかも決められないのでお時間を下さい、何日までにはご連絡できると思います。お待ちいただけますか』、たとえばそういうことですよ。・・・ところで、その連絡、どうするつもり? ウィークデーの9時5時、人がいない時間を見計らって、また、偉そうに『電話しろ』って留守電入れるつもり? 確実に連絡が取れるように勤め先に電話してもいいかとか、携帯でもいいか、番号は何番かとか、どうしてそういうことを訊かないの?」。まるで新入社員教育だ。

 なにからなにまでバカな組織らしい。左うちわでカネが入ってくる商売をしているとこうなってしまうのだなとつくづく納得した。(8/26/2008)

 きのう、寝る前、「星野ジャパン」の帰国記者会見の記事を読んだ。じつに星野仙一らしいひねりにひねった「言い訳」で大いに嗤わせてもらった。

 きょう、新聞各紙のサイトをパラパラと見ると、こんな言葉が並んでいる。

「被告席にいるような感じ。すべて私の責任。大変申し訳ない」
「強いものが勝つのではなく、勝ったものが強いということを実感した」
「何を言っても言い訳になるが、初戦で打者がストライクゾーンに不信感、怖さを感じたことがポイントだった」
「体調、技術を含めベストではなかったということは、監督である私の責任。合宿期間中でベストに持っていけなかったわたしの責任」
「失敗しても、失敗してもチャレンジするというのがオレの人生。それをたたくのは時間が止まっている人間だよ」
「野球なんか見るか!」
「1カ月くらいは休みたい。みなさんの前から消えますよ」

 だれもブザマ負け方をした指揮官を被告席に召喚したわけではない。そこが「被告席」に思えたのは、大言壮語したあげくに手ぶらで帰ってきたばつの悪さが、そういう錯覚を生んだだけのこと。

 「強いものが勝つのではなく・・・」、なかなかうまい言い方だが、ただ「弱いものが負けた」という方がより正確なのではないかと思う。わざわざ負ける方向に走っていって、その通りに「負けた」。ただそれだけのことで「敵が強かったかどうか」などはよく見えなかった、これが「星野ジャパン」の試合を見た大方の印象だろう。選手云々というよりは星野の「恩義を施したい」という妙な「こだわり」が敗因だというのが多数意見に違いない。

 一見、責任を自覚しているような言い方をしているが、それがホンネでないことは「(自分を批判するのは)時間が止まっている人間だ」とか、「1カ月くらいは休みたい」、「みなさんの前から消えますよ」などの言葉によってばれている。(ここで「みなさん」と言っているのは一般の野球ファンのことではない、スポーツ紙を代表とする心安いマスコミ関係者のことだと思われる)

 言い訳をしないと言いながら、あえてした言い訳のできはよくない。自分と自分が招いたお友達コーチたちが無能だったことを認めてしまったのだから。星野は「初戦で」と言っている。ストライクゾーンが勝ってゆくための課題になることを初戦で認識しておきながら、最終戦までの間にそれへの有効な対策がなされなかったのはなぜかということにつながるからだ。

 「ここがロドスだ、ここで跳べ(Hic Rhodus, hic salta !)」という言葉がある。キューバ戦の敗戦後、星野は「ストライクゾーンなど、ほかの世界で野球をやってる感じだった」とコメントした。似たようなことを語った選手がいる。ボブ・ホーナー。フォームと打球の軌道の美しさにおいて、あれ以上のホームラン(それに近いのは田淵幸一)を知らない。メジャーからヤクルトに来て、一シーズン、フルにやることもなく帰り、「地球の裏側にもうひとつの野球があった」という本を著し、ほとんどの日本人の反感を買った選手。しかしホーナーは93試合で打点73、本塁打31の記録を残した。ここがロードス島ではなくとも、ホーナーは跳ぶことは跳んでみせた。

 金メダル以外はいらないと豪語したのなら、北京で跳ばなくては金メダルはとれない。どんなバカでも分かる理屈だ。選手が跳ぶためにいかにその世界における「物理法則」を利用するか、それが指揮官の知恵の出しどころではないか。知恵を出そうとしなかった、あるいは知恵が出なかったというなら、それこそが不細工な結果になった「ポイント」であって、ストライクゾーンのことはただの因子(当然予測すべきにもかかわらず想定外であった)に過ぎない。この期に及んで、この程度の言い訳。こんな出来では「言い訳」種目でもメダルにはほど遠い、と、大嗤い。

 さきほど「気まぐれな日々」の指摘で「そうだった」と思い出したのだが、星野は日本シリーズを制したことが一度もない監督だった。少なくとも星野は短期決戦(短期決戦だけではないと思うが)には向かない男なのだ。日本シリーズにも勝てない監督がオリンピックで「一番いい色のメダル以外はいらない」などと言うこと自体が笑止千万、「星野ジャパン、金メダルがほし〜いの」は絶対に適うはずのないユメ・マボロシ、これをはやし立てたスポーツ各紙の記者どもの眼は節穴だったことになる。

 ところが、メダルにこだわるくせに戦略センスのからきしない我が野球界は、来年3月に開催される第2回ワールド・ベースボール・クラシックの代表監督就任を、この権力欲一流、指揮能力三流の星野に依頼しているらしい。星野、それを問われて「オレが決めることやない。でも最後はオレが決めることになるか。今はそこまでは考えていない」という禅問答のようなコメントを返したというから、唖然、呆然、慄然。どこまでも愚かな話、呵々。(8/25/2008)

 男子マラソンは終わった。きのう大崎悟史が左股関節の故障で欠場を発表した。結局日本は男女とも三人枠を確保しながら、出場はそれぞれ二人ずつということになってしまった。そして結果は尾方剛が13位、佐藤敦之が76位(完走者中のラスト)だった。新聞各紙のサイトは金メダルを取ったケニアのワンジルが仙台育英高校に留学していたことを報じて溜飲を下げた。最後に来てやっと「国ではなく」、「人なんだ」というところに安心立命の境地を見出したということはじつによかった、呵々。

 そして夜の閉会式。清朝時代の宮廷料理に満漢全席というのがあるそうだが、閉会式も満漢全席、ゲップの出るようなアトラクションだった。会期中、中国の観衆が意外なほどにアメリカびいき(それは単に日本が嫌いということだったのかもしれないが)なのだと思う場面が多かったが、現在の中国人とアメリカ人はじつに相よく似た存在だ、ともに節度に欠け、趣味が悪いという点で。

 やれることは何でもやってしまうという垢抜けない田舎者趣味、そしてカネの力を心から信じている拝金主義、自然や環境に人間が手を突っ込むことにいささかの畏れも抱いていない単細胞。

 それぞれに荘子、ソローなどの賢者の知恵を有していたはずの両国が、市場原理主義の中に人間性までを商品化し、経済格差の存在などは当然のものとふんぞり返り、利潤を得るためならば農薬の大量散布で大地を損なうことも、遺伝子に操作を加えることもためらわない「ならず者」になって恬然としている。もっともこれらはいまのこの国の姿とも重なるものでもあるのだが。

 閉会式の会場の中央に建ったタワーがブリューゲル描くバベルの塔に見えて仕方がなかった。(8/24/2008)

 もともとメダルがどうこうというつもりはない。負けたから、成績下位だったからといって、出場選手の試合における気構えについて、どうのこうのいうつもりもない。しかし「ママでも金」なみの口ぶりで自己アピールした以上、「ノーメダル」というのは恥ずかしかろう(あのママ金マダムでさえ銅メダルだった)し、そのようなことにならないための準備は怠りなく行わねばならぬ。

 きのう韓国に逆転負け(2−6)を食らって三位決定戦に回った「星野ジャパン」は、きょう、アメリカにも逆転負け(4−8)を喫した。堺正章の「チュウボーですよ!」風にいえば、「いただきましたッ、ムボシ(無★)ですゥ」というところ。

 優勝は韓国だったが、彼のチームは一次予選から通しで9戦全勝、よほどの嫌韓族でもケチはつけられまい。対するに我が「星野ジャパン」は4勝5敗だ。韓国、キューバ、アメリカに対してひとつの勝ち星もないのだから、メダルのメの字をいうのもおこがましいというのが現実の成績だった。

 例によってマスゴミはいろいろの風説・妄説を流すに違いない。「それでもプロか!」という罵詈雑言が選手に浴びせられるような気もする。しかし「戦に負けるのは将の弱さである」。つまり星野仙一が監督を務めていたことがムボシに終わった理由のほとんどを占めることは誰も否定できない。

 時系列的にそれを書けば、まずコーチの選任、星野は守備走塁コーチに山本浩二、打撃コーチに田淵幸一、投手コーチに大野豊を選んだ。山本、田淵は六大学以来の「お友達」だ。大野は山本の人脈から選ばれたのかもしれない。ピッチャーとしての大野はデータ的にも技術的にも星野をはるかに上回る好投手だったが、この顔ぶれでは大野は思っていることの半分も進言できなかったろう。「お友達内閣」がどんなものか、我々は知っている。一年ほど前に勝手に転んで蒸発してしまった安倍内閣という史上最低・最悪の実例を見ているからだ。いずれもじつに愚劣な人選だった。

 そして選手のリストアップ。個別の選手のあれこれについては書かない。それが報ぜられた時、直感的に受けた印象は「これは北京オリンピックに勝つためというよりは、これからの球界で星野が勢力拡張することを意識した選び方だな」というものだった。上原の選択などは「へぇー、星野はジャイアンツ監督の座にもイロケがあるのか」と思ったくらいだ。既にこのとき星野には「勝利への意欲」よりは「球界権力者の座への意欲」の方が勝っていたようだった。

 オリンピックでの個々の試合の采配についてはマスゴミがたんと書くだろう。だから星野の「監督としてのセンス」についてひとつだけ書く。今月9日、「星野ジャパン」はセリーグ選抜と壮行試合を行った。精鋭を集めたチームが格下のセリーグ選抜に2−11と大敗した。試合後、星野は怒気を含ませて「北京ではきょうのようなブザマな試合はしません」と語った。ではそのブザマな試合を避けるために星野を含むお友達内閣はなにをしたか。それに関する報道は見た範囲では何もなかった。おそらく報ずるべき対策など何も見られなかったのだろう。

 リーグ戦が始まってしばらくしてチーム内の空気を伝えるニュースとして「丸刈り」が報ぜられた時、それがチーム一丸の現れなのか、それともある種の恐怖による「暗黙のファシズム」の現れなのか、どちらなのかと思ったが、追加のニュースが出てこないところを見て、後者なのではないかと思っていた。選手たちはホンネではしらけ、タテマエでは星野に恐怖していたのかもしれない。

 こうしてみるとムボシは必然であったようにさえ見えてくる。野村克也に「負けに不思議の負けなし」という本があるが、「星野ジャパン」にはそのままこの言葉が当てはまる。

 オリンピックはあした終わる。反町ジャパン、なでしこジャパン、植田ジャパン、柳本ジャパン、そして、星野ジャパン。「****ジャパン」という呼び名は大はやりだったが、終わってみると総崩れ、ノーメダルに終わった。逆にアテネまでは「宇津木ジャパン」の看板を上げていたソフトボール日本代表チームだけが金メダルを獲得した。それは皮肉な気もするけれど、それよりもっと本質的に「****ジャパン」という憑き物が落ちた、つまり「日の丸のために」ではなく、単純に「勝ちたいんだ」、「負けたくないんだ」がむき出しになったことが、勝利に役立ったということのような気がする。(8/23/2008)

 きょうも、オリンピック。男子400メートルリレーで銅メダル。日本陸上競技トラック種目としては80年ぶりのこととか。

 前回というのはアムステルダム大会銀メダルの人見絹枝のこと。野尻抱影の「宇宙のなぞ」には恒星との距離がどれほどのものかを説明するところに「いまわたしたちが見ていること座のヴェガの光は人見絹枝が銀メダルを取った頃にヴェガを出発した光」という挿絵が載っていた。小学生には実感のない「昔」だった。いま調べてみるとヴェガは25.3光年。だから野尻の執筆は1954年頃だったことになる。その横の北極星は紫式部が源氏物語を書いた頃となっていた。歳をとったことは事実だが、人類のバトンパスレースははるかに雄大なスケールで行われているということもまた事実。

 メンバーを書いておく。一走:塚原直貴、二走:末續慎吾、三走:高平慎士、四走:朝原宣治。タイムは38秒15(一位ジャマイカ37秒10、二位トリニダード・トバコ38秒06、四位ブラジル38秒24)だった。予選のアメリカのバトンミス失格が利した面はあるが、バトンはリレーの最大のポイントなのだからこの快挙の疵にはならない。

 それにしても残念だったのは、優勝したジャマイカのアンカーであるボルトがあまりに速すぎて、朝原の残り50メートルの死闘がほとんど中継画面の外になってしまったこと。

 直後のインタビュー。末續のことばが印象に残った。「日本の陸上短距離の勝利と思う」、まず自分たちがここにいるのは陸上の先輩たちのはたらきがあってのことと語り、これが後輩たちの糧となるんだということを言っていた。これが末續の実感なのだと思う。ある高みに達するためには絶対にインフラ、そして踏み台が必要なのだ。「世界」が相手となれば一朝一夕にはできることではない。いまここに逸材がいるとして、そのコーチを務める者がメダリストであるか、無冠無名であるか、「そんなことは無関係さ」と言えるだろうか。スポーツに限らず技術というものは無条件に「まねる」プロセスが必要である。そのプロセスを確信をもって乗り切れるか否かは、その後の獲得技術の大きさ・高さに影響を与える。「信じて(信頼して)」学べるということはそういうことなのだ(もちろん「そういうこと」とは無縁の人がいることは事実だが「天才」の数は多くはない)。末續の言葉はそういう風に聞こえた。銅メダルの意味は偉大だと思う。そしてそれを意識している人間がいることも。

 残念ながら個別種目ではいまだ世界レベルに遠い日本が「リレー」という陸上競技唯一の団体競技に橋頭堡を築いたことは象徴的だ。それはバトンパスという地味な努力、工夫、練習、・・・まさに「日本的な」パスを通じて成し遂げられた。善し悪し、好悪は別にして、やはり我々に適している場面はこの集合力にあるのかもしれない。・・・成果主義はやはりまだこの国には向いていないのだ。(8/22/2008)

 ソフトボール決勝。シドニー、アテネとアメリカの堅塁を抜くことはできなかった。この大会も予選リーグでの試合はコールド負け、決勝トーナメントになってからも惜しい負け方とはいえまだひとつも勝っていないアメリカとの決勝戦。

 きのうは午前中、アメリカ相手に準決勝第一試合。延長戦に持ち込むも9回表に一挙4点、1−4で負け。そして夜になって三位決定戦をオーストラリアと戦った。2−1で7回表ツーアウトランナーなし、これで決まりと思ったところで同点ホームランで追いつかれる。苦しい試合の典型。11回表には勝ち越し点を入れられたが、その裏しぶとく同点に追いつき、12回裏に死闘を制した。勝ったとはいえ、両試合を投げ通したエース上野の投球数は300球を超えている。迎え撃つ形のアメリカにはピッチャーは余っているのだから決勝に進んだとはいえよもや勝てるとは思っていなかった。

 初回、三者三振、打てる気がしないとはこのこと。その裏はバタバタする感じで1アウト満塁。もうテレビの前にはいられなかった。ところがなんとかこの回はゼロで抑えた。2回の表裏は波乱なく三者凡退の応酬があり試合は落ち着いた。

 そして3回表、先頭打者がツーベース。バントで送るも期待の打者は三振。「せめて転がせよ」などと思ったその時、次の打者の当たりが三塁手の頭を越えるバウンドでショート定位置あたりまで転がる内野安打となって先制点が入った。勝てるなどとは思わない。先制点が敵側の呼び水になるというのは良くあること。その裏にはひやりとする大きなフライがふたつもあった。少しツイているのではないかという気がした直後の4回表、先頭打者がセンターにホームランをたたき込んだ。追加点。そのあたりから雨粒が見えるようになった。試合は中断に入る。

 再開直後の4回裏そうそうに小錦のような体躯のおばさんがホームラン。2−1。

 でもツキがあるのではないかと思い始めたのはその次の回、レフトへのライナーを好捕した時だ。「あと8人」。それからはもう一歩も動けなくなった、腰を下ろしたり持っている本を置いたりしたらツキが変わってしまいそうだと思ったから。

 6回表、一・二塁のチャンスがあったが得点にはならなかった。しかしその方が上野にはいいような気がした。そして6回の裏、ヒット、送りバント、そこでバッターボックスにあの小錦が入ってきた。これが分水嶺だと思った。ベンチは小錦の敬遠を指示。ところがそのあとの打者も四球で歩いて1アウト満塁。向こう側に水は流れ始めたのか、ツキの匂いはどこへ行った。不安がよぎったところで、次打者があっさりポップフライを打ち上げた。この大会、アメリカはビハインドになったことがないらしい。アメリカはアメリカではなくなっているのかもしれない。そういう想像をし始めたところで、その次の打者もポップフライを打ち上げた。上野は踏みとどまった。

 7回表が始まる時、点は入らなくてもいい、そこそこ塁をにぎわせるくらいのことができれば、勝てるかもしれない、そう思っていたが、ヒット、送りバントが野選、ピッチャー強襲の当たりで1アウト二、三塁、そしてスクイズのような当たりで追加点が転がり込んだ。アメリカはもう完全にアメリカではなくなっていた。これはいったかもしれない。

 そして最後の攻撃が始まった。あと三人・・・と思った瞬間に、センター前にヒット。そこからはラッシュだった。三塁側へのファールフライをサードが捕った。次の打者の火の出るような当たりはサード真っ正面。ツイている。本当にツイている。最後はサード前へのゴロ。このイニングのすべての当たりはサードが処理をして試合は終わった。なんと彼女たちは優勝してしまった。

 NHK中継の解説はアテネまで監督を務めていた宇津木妙子だった。サードがファーストに投球し、ゲームセットになる・・・、宇津木の声はもう涙声だった。解説が解説をしないのは今や当たり前になっている。それが大嫌いだ。しかしこの場合はそれは気にならなかった。彼女がどれだけの情熱を持ち、この目の前の成果の基礎を築いたか、それは誰でもが知っている。彼女にはここで取り乱す資格がある。最後まで投げきった上野が、肩車されながら人差し指で「ナンバーワン」をあらわし、スタンドに向かって何度も何度もアピールしている姿が映った。その視線の先には宇津木がいたのだろう。宇津木さん、おめでとう。

 ニュースはサッカー女子、「なでしこジャパン」とネーミングされているチームが三位決定戦で、ドイツに0−2で負けたと伝えている。この大会、「****ジャパン」はふるわない。ソフトボールチームも前回までは「宇津木ジャパン」と呼ばれていたが、この大会、彼女たちにはそういう呼称はない。鬱陶しい「****ジャパン」の呼称がとれ、憑き物が落ちたのが彼女たちにはよかったのかもしれない。

 その「****ジャパン」の最後の生き残りがあした準決勝を戦う。鬱陶しさの点では抜群の「星野ジャパン」だ。負けたら丸刈りをしてみせるなどという「暗黙のファシズム」が「星野ジャパン」の身上だが、そういう隠微なパフォーマンスはどうでもいい。どうでもいいから、最後の「****ジャパン」として本当の面目を施してくれ。(8/21/2008)

 「福島県立大野病院事件」と名付けられている「刑事事件」の判決があった。「事件」は04年12月17日、第二子の出産に際して帝王切開手術を受けた「被害者」(彼女は第一子も帝王切開で出産していた由)が出血多量で亡くなったというもの。起き抜けのNHK7時のニュースには「被害者」の実父が出て「娘はなぜ死ななければならなかったのか」と語っていた。娘を失った父の気持ちは想像できないわけではないが、論理的には逆にこんな言い方もできる「事件」なのだということも念頭におくべき事件。「担当医はなぜ刑事被告人にならなければならなかったのか」。

 判決は無罪だった。検察側が訴因とした「業務上過失致死」と「医師法違反(異常死の届け出義務違反)」のいずれについても福島地裁はこれを退けた。

 きのうの日経メディカルメールは「明日ついに判決、福島大野病院事件」というタイトルであった。そして主任弁護人、平岩敬一へのインタビュー記事を載せていた。日経メディカルの読者層は圧倒的に医療関係者であろうから、その掲載記事のバイアスには十分注意しなければならない。しかし平岩が語った材料から見る限り、警察・検察の捜査と起訴には相当の無理があったことが窺える。なにより、医療過誤を調べる捜査としては考えられない「逮捕」・「勾留」、弁護士以外との「接見禁止」などの措置をとって「供述書」を作り上げたのは異常だ。どのような背景があったのかは分明でないが「たとえ冤罪であろうとなんだろうと血祭りに上げるんだ」といわんばかりの恐ろしい「意思」が看取できる。

 今回の検察側の手続きは多くの冤罪事件に際して彼らがとる典型的な手法だ。

 この「事件」の発端は患者の死亡後に県が設置した医療事故調査委員会の報告書だった。報告書は県事務当局の「賠償金を支払って示談に」という意向を反映して、過失を認める表現を意図的に多用したものだったという。しかし平岩によれば捜査の端緒がその報告書にあるにも関わらず検察側はこの報告書の証拠請求をしなかった。平岩は「(示談絡みという経緯について)警察・検察側は捜査の途中で気付いた」のではないかといっている。必然として検察が頼ったのは被告の供述調書だった。その供述調書は、異例の逮捕、接見禁止などの手法により被告を追い込んで作成したものだった。「自白」調書に過大に寄りかかるのは冤罪事件の最大の特徴である。

 冤罪事件に多く登場するのは専門家とはいえない専門家による鑑定だが、被告が癒着胎盤の予見可能性を見逃したという鑑定意見書を書いたのは腫瘍病理を専門とする医師だったり、周産期医療(妊娠後期から新生児早期までの時期の母子の健康を観る医療)についても癒着胎盤処置についても実務経験に乏しい医師だったというからずいぶんお寒い話だ。(胎盤の剥離が難しくなったら子宮を取れという検察側の「医療ガイドライン」は、あの富士見産婦人科事件なみの話に聞こえる、愚かな検察官もいたものだ)

 冤罪事件にはさらに物証の取扱に対する際だった不公正がある場合が多い。今回も被害者の子宮組織を大学から押収しておきながら、その返却もしていなければ、あらためて行ったはずの病理検査結果も公にしていない。こういう場合、この国の捜査当局は、平然と「無くしました」とか、「検査で全量使い切りました」と主張して被告側からの反証の道を断つ。今回もこのような「手」を用いようとしているのではないかと疑えないでもない。

 これらの警察・検察側の「悪意」をすべて彼らの「職務」であると割り切るとしても、担当警察官や検事が示したような「故意」や「悪意」が入り込む余地のほとんどない「医療事件」をすべて「刑事事件」として扱うことには抵抗がある。「故意」も「悪意」もなく通常レベルの注意義務を果たしつつ遂行している医療行為の過程で非常に判断の難しいことがらに遭遇した際の「失敗」がすべて「刑事裁判」の「被告人」になる恐れにつながるとしたら医者のなり手はなくなるだろう。それは母子ともに元気に生めて当たり前という最近の「常識」の下にある産婦人科などはかえって誰もやりたがらなくなることにつながってしまう。既にその傾向は定着しつつある。それでもいいのか。それで我々の社会は社会たり得るのか。

 きょうの判決は「被害者」の父親には不満だったようだ。だが少し頭を冷やして考えて欲しい。復讐心に燃えるあなたの気が済むように裁判所が「有罪」を宣告したら、専門家はリスクを恐れて手をつかねるようになり、結果として「娘はなぜ死ななければならなかったのか」と泣き叫ぶ父親が別にもっとたくさん生まれる可能性が生ずるかもしれないということを。あなたはそれほど娘が藪医者のヘボで死んだと信じたいのか。亡くなった彼女が「わたしが死んだのは藪医者のうっかりだったの」とあの世で臍を噛むことを望んでいるのか。娘の死因に対して、病院なり担当医の説明が十分でなかったというのなら、それは刑事裁判に頼ることではなく、民事裁判に頼るのがスジというものだ。刑事事件で担当医が有罪になることをひたすら望むのは間違いというものだ。

 少し外れる話だがたまたまきょうの日経夕刊コラム「あすへの話題」に面白いデータが出ていたので記録しておく。コラムの書き出しは「みのもんたの朝ズバッ!」で取り上げたという銚子市立総合病院休止。そして興味深いと思ったのは以下。「・・・今や人口千人あたりの医師数はOECD三十箇国中下から四番目。G7加盟国のGDPに対する医療費の平均は11%であるのにわが国は8%・・・」。

 小泉政権下でいかに優秀なる厚生官僚が医療費削減計画にめざましい成果をあげたか、そして場当たり農政同様の行き当たりばったり医療政策がそこここでハンチングを起こしているのが分かろうというものだ。いずれ、件の父親同様、我々は被害者意識満々で叫ぶだろう、「我々の社会はなぜ死ななければならないのか」と、呵々。(8/20/2008)

 朝刊の「ニュースが分からん!」コーナーに競泳の世界記録ラッシュの背景が書かれている。

 風が影響するため記録の出にくい屋外プールだったアテネに比べると3倍、同一条件の屋内プールだったシドニーに比べても2倍の男女計32種目中21種目25の世界新。

 最大の要因はやはりレーザー・レーサー(LR)というあの水着。25の世界新のうち23がこの水着を着た選手によるものと圧倒的。この水着は「ぎゅっと体を締め付け、お尻や脚の筋肉など体の凸凹を補正し、水から受ける抵抗を減らすことができる。水中でいい姿勢を保ち、理想のフォームに近づける効果もあるという。選手たちが『脚が浮く感じがする』というのがそれだ。専門家は、背の高い外国人の脚が水中に下がりがちな欠点を補っているのでは、と指摘する」由。

 そして次の要因は会場のウォーター・キューブ。「水深が深いため波が立ちにくく、『高速プール』と言われている。記録が出やすいとされる東京辰巳国際水泳場でも水深2メートルなのに対し、水立方は3メートル」。しかしそれよりも興味深いのは「中国の水は日本より硬度が高く、『水がうまく引っかかる感覚がした』と話す日本選手もいた」という話の方。なにやら「硬度」という語感に引っ張られた話のような気がしないでもないが、ここまで寸秒の争いが研ぎすまされてくると水質までが重要な因子になるのかという思いがする。

 根からのへそ曲がりとしては、この大会から始めて正式種目になったオープン・ウォーター・スイミング(OWSと略称される由)のようなものの方がはるかに好ましくなってくる。(8/19/2008)

 組み上げた新システムの稼働日数も50日ほどになる。仕様、機能、性能の点では十分に満足。面白いのはタスクマネージャーのプロセスタブシートで「System Idle Process」のCPU時間がシステム稼働時間に比べて異様に長いこと。Core 2 Quadは名前の通りCPUが4つある。したがってタスクマネージャーに表示される時間はシステム稼働時間のほぼ4倍になるということらしい。

 FXの儲けをすべてつぎ込んだだけのことはあると満足していたのだが、お盆休みの間にとんでもないことに気がついた。システムの内蔵時計が異常に遅れるのだ。システム起動時に時刻較正ソフトでタイムサーバーにあわせているにも関わらず、小半日連続で使っていると2、3分も遅れてしまう。マザーボードの不良、最初はそう考えた。クレームをつけるのはいいけれど交換などということになると厄介だな思っていたが、どうも変。

 システムを落とす時に手動で時刻修正をかけておき、システム起動時の時刻較正値を確認してみるとさしてずれていない。つまり時刻の遅れはシステム稼働中であるということ。これまで使ってきた時刻較正ソフトは単発起動。起動時に起動すればあとは手動起動しかできないのでフリーソフトの「TimeTune」を使うことにした。20分ごとに自動起動させログをとると、なんと20分で5秒も遅れている。

 ネット検索をかけてみた。マザーボード上のバックアップ電池というのがあるが該当しない。システム時計は遅れるように設計されているというのもあるが、そんなものは程度問題だ。いろいろ見てゆくと、あった

 45nm Core 2で割り込み処理関連のタイミングなどが変更になり、何らかの問題が生じて割り込み取りこぼしが起こっている可能性も否定できない。この感じからすると、BIOSアップデートで直るような問題かどうかは微妙である。BIOSのバグでイベント割り込み発生がうまくできていないなら直るだろうが、CPUがタイミング的に取りこぼしているとするとBIOSで直る問題なのかどうか。
 ラグナロクではASUS、MSI、Gigabyteと各マザーメーカーで同じ問題が起きていることから、BIOSや回路的な問題ではない可能性がある。そうだとするとPhenom B2 Stepping Errataのような問題になるかもしれない。
 今のところDynamic Energy Saverとラグナロクを使うと問題が顕著になり、そうでなければ大騒ぎするほど時刻ズレはないようなので、大きな問題にはなっていないようだが、たぶん他にも時計を遅らせるソフトはあると思われるので、もっと問題化してもらって原因を究明してもらい、早く解決してもらいたいところだ。

 ゲーマーでなくとも、まったく同感。パソコン雑誌も提灯記事ばかり書いていないで、このあたりのことも取り上げてもらいたい。(8/18/2008)

 5連休の最終日。涼しい。窓を開け放っておくと少し寒い感じすらする。

 連休に入る前日、東條英機の直筆メモを国立公文書館が公開したというニュースが報ぜられた。思い出して当日の新聞の切り抜きを読んでみた。

 目の中の梁というのは厄介なものだと思うが、これはその時代の中に生きる人間であれば仕方のないことだ。だから敗戦に至るまでの日々の記載については、驚かないし、ある意味、同情しないでもない。(それにしても腹も小さければ、視野も狭い人物だが、経験的にいえば、得てしてこんな奴が出世するのがこの世の仕組みというものだ)

 しかし以下のくだりを読むと、嗤い、そのうち腹が立ってくる。

八月一四日
 赤松大佐へ
一、(略)国民の難きを忍び、皇軍将士の神国日本の不滅を信じつつ大義に殉ぜる犠牲も遂に犬死に終らしむるに至りしことは、前責任者として其の重大なる責任を痛感する処、陛下は元より列代皇祖皇宗の御遺霊に対し奉り、申訳なき次第なり。(略)
二、事茲に至りたる道徳上の責任は、死を以て御詫び申上ぐ一点丈(だけ)、今日、余に残る。而して、其の機は今の瞬間に於ても其の必要を見るやも知れず、決して不覚の動作はせざる決心なり。(略)陛下が重臣を敵側に売りたるとのそしりを受けざる如く、又、日本人として敵の法廷に立つ如きことは、日本人として採らざる処、其の主旨にて行動すべし。
三、光輝ある帝国の将来と国体護持とは、君等の手で何としても全ふせられたし。切に御願ひす。全は青年日本人に深き期待を持つ。
四、之れを原因として国内動乱に陥るなきやを頗る恐る。之れ、単に敵に乗ぜらるるに過ぎず、心痛の至り。速やかに秩序を回復せんことを切望しあり。

 ここで「赤松大佐」とあるのはおそらく赤松貞雄のことだろう。彼は東條の秘書官を務めていた。

 嗤い転げたくなるのは8月14日、部下にこのようなことを伝えながら、一月もたたぬ9月11日に不様極まりない狂言自殺を演じ、オメオメとアメリカ軍に捕縛され、裁判を経て、縊り殺されたことを知っているからだ。恥を知らぬとはこのことだ。

 別に敗戦が東條を姑息な二重人格者にしたわけではない。彼がもともと小物であり、姑息な人物だったことはさまざまな人が伝えている。以下に天皇に対してさえ二枚舌を使った一例を記しておく。

 1944年2月、東條は参謀総長に就任している。彼はその時既に首相と陸相を兼任していたから、それは陸軍における軍政・軍令分離の原則を破るものだった。木戸幸一を通じてこれを聞いた天皇は参謀総長の兼任は統帥権確立の憲法原則に触れるのではないかと尋ねた。馘首になる杉山元参謀長も天皇と同じ論拠をもってこれに抵抗した。東條は上奏の挙に出て、三長官会議(陸軍の人事は陸相、参謀総長、教育総監の三者の合意が慣例)において山田乙三教育総監を抱き込むため、そして杉山を黙らせるための材料とした。

 しかし東條は会議の結果を待たずに「兼任は三長官一致の結論」と木戸ルートで天皇に伝える。つまり山田や杉山にはあたかも天皇の支持を得ているように装い、木戸や天皇には三長官一致であると嘘をついたわけだ。一般に東條は少なくとも天皇に対しては忠実で嘘がなかったとされているが、それは見かけだけのことだった。こういう姑息な手法はいかにも憲兵による恐怖政治を行った人物らしいやり方だ。

 こんな東條も、最近の得手勝手な解釈では、結構持ち上げられているらしい。先日本屋で手に取った福富健一「東條英機−天皇を守り通した男−」などはその好例のようだった。(アマゾンのカスタマー・レビューをエビデンス付で嗤う文章が続くが省略)(8/17/2008)

 何かひどく甘い切ない気分から目が覚めた。一年に何回もあるわけではないがこういう夢からの目覚めもいい。覚め際のシーンの連想なのか、「・・・おまえの泣き顔がぼやけて映る・・・」というメロディーが頭の中で鳴った。宇崎竜童の、ちょうどあの頃の曲だ。

 ロサンゼルス銃撃事件でサイパンに拘留中の三浦和義に対する逮捕状の有効性を争点とする審理があった。以下、夕刊記事。

 【ロサンゼルス=石原剛文】81年の米ロサンゼルスでの銃撃事件を巡り、日本での無罪確定後、米自治領サイパン島で逮捕された元雑貨輸入販売会社社長、三浦和義容疑者(61)の逮捕状の有効性を争う3回目の審理が15日、ロス郡地裁であった。ロス郡検事局側の証人が「日本に共謀罪はない」と証言、争点となっている同じ罪を2度裁けない「一事不再理」にはあたらないとの認識を示し、この日の審理は終了した。結論は次回以降となった。
 証言台に立ったのは、日本でも教壇に立った経験のあるミシガン大のマーク・ウエスト教授。米国の共謀罪は第三者と犯罪の打ち合わせをして下見などをするだけで単独で罰せられる罪で、三浦元社長の逮捕容疑には、氏名不詳の実行犯との共謀容疑が殺人容疑とともに含まれている。教授は日本刑法の共同正犯との違いを説明。「日本では共同正犯だけでは罰せられず、(米国でいう)共謀罪は単独の罪としてはない」と話した。
 この日はサイパンにいる三浦元社長が回線を通して供述する予定になっていた。検事局側と弁護側のやりとりが約1時間半に及び、三浦元社長は具体的供述はしなかった。
 弁護側は、次回の審理で弁護側の鑑定証人、ウィリアム・クリアリー広島修道大教授を証人として検討していることを明らかにした。

 不可解きわまる「三浦拘留事件」の隠された意味は日米両当局の日本国内に向けた「共謀罪」のアピールにあるのではないかと思ってきたが、あながち見当外れなものではなさそうだ。

 検察側の主張はこうだ。「本件は共謀罪の有無を問うものだ。現在の日本の法体系には共謀罪はないのだから、日本における裁判結果によってアメリカにおける共謀罪を罪名とする訴追が制限を受けることはない」。ここで素人の素朴な疑問。何を共謀したのかということ。殺人を共謀したというなら、共謀の核となる殺人について日本の裁判で無罪が確定している以上、少なくとも殺人容疑に関しては一事不再理は成立するだろう。犯罪の核心がない状態で、それを包む「犯罪」にいったいどんな意味があるのか。アンコのないアンパンはアンパンではないだろう。あるように見せかけて、ないものを売りつけることが詐欺だとするなら、さしずめ今回の訴追は「詐欺」なのではないか。

 それにしても、「共謀罪」というのは恐ろしい理屈で成り立っている。「氏名不詳の実行犯との共謀容疑」で起訴ができるということは、検察側はこれと睨みをつけた被疑者を、この世の中に存在するかしないか分からない「実行犯」を仮定するだけで起訴可能だということになる。つまり現代の検察官は中世の魔女ハンターに匹敵する恐るべき「でっち上げ権限」を持っていることになる。

 この商品棚にカボチャが10個あったことは入荷証明から見て明確だ。発行レシートにより、5個売れたことも明らかだ。現在この棚に1個もない以上、5個が盗まれたことはたしかだ。太郎は誰と共謀したかは分からないが、盗みうる客観的条件を満たしており、なによりも検察官であるオレが怪しいというのだから、実行犯をここに連れてくることもその証言をとることもしなくとも、太郎の万引き共謀罪は成立する。こんな話か?

 これが英米法の伝統に照らして、公正で、真っ当な法規定であり得るのか? これがアメリカ合衆国なのか? アメリカ人は因習を逃れて新大陸に公正な社会を建設しようとした彼らの先祖に対して恥ずかしくないのだろうか? 恥知らずなのはジョージ・エイプ・ブッシュだけではなかったのか?

 いずれにしても三浦和義は十分に気をつけた方がいい。もし日米両当局がおまえを殺人犯とすることによってこの国のパープリンどもが熱狂的に「共謀罪」を受け入れる状況を作ろうとしているのだとしたら、アンコを作るのは簡単なのだから。アメリカには時効はなくとも司法取引がある。見かけ上有力な「共謀者」を作ることは比較的簡単にできる。公権力が腐敗した時には何でもやるものだ。

 そしてこの国のパープリンちゃんは故もなく処刑を喜ぶヘキがある。もっとも人間の歴史を振り返れば、処刑を熱望する大衆の話は枚挙にいとまがないほどあり、為政者は公開処刑を大衆の娯楽にして権力の維持を図ってきたのだから、別に現在のパープリンちゃんが特別ではないのだけれど。(8/16/2008)

 **(家内)と東京都美術館で「フェルメール展」を観る。開場の9時にはとても間に合わなかったが、10時前に入ったせいでかなりゆっくりと見ることができた。フェルメール展とはいいながら、フェルメールの作品は7点。もっとも彼の作品と確認されているのは現在三十数点といわれているからそれなりに集められたとも言える。アムステルダム、マウリッツハイス、メトロポリタンなど、すべて見るためには、それなりの金も時間もかかるところだからありがたい。(メトロポリタンには未練があるが、よほどのことがない限りアメリカなんぞに行きたいとは思わないだろうから、メトロポリタン所蔵の「リュートを調弦する女」が見られたことには感謝)

 ルーブル所蔵品の人気投票のようなものをNHKの番組でやったことがあった。フェルメールはベスト5に2点も入った。「レースを編む女」と「天文学者」。繊細な光の変化への日本人の嗜好には格別のものがある。

 フェルメールが生まれた頃、オランダはけっして文化の中心地ではなかった。同時に展示された「デルフト・スタイル」でくくられる画家たちの作品のレベルはけっして高いようには見えない。人物の背景までを窺わせる描き方、窓から差し込む光の質感、フェルメールの絵とのギャップは大きい。生涯デルフトの町を出ることがなかったというフェルメールはいったいどのようにして同じ画家ギルドのメンバーとは違う描き方を身につけたのだろう。親交があったといわれるデ・ホーホの作品の人物は姿勢も表情も動きも静止しているのに、フェルメールの描く人物には切り取った瞬間の前後、時間の奥行きを感じさせる何かがある。

 ・・・というような話を**(家内)にする途中で「アルノルフィーニ夫妻の肖像」が頭に浮かんだ・・・今回は来ていないんだな・・・出口近くの展示にフェルメールの作品のすべてというコーナーがあった。そこには(当然の話)「夫妻の肖像」はなかった。エッ?!

 きょうまで、おそらく高階秀爾の「名画を見る眼」を読んだ頃からだから、40年以上、この絵をフェルメールの絵(口では「ファン・アイク」と発音していたとしても)と思い込んでいたわけだ。アーア。

 得々と**(家内)に雑学を講じていた恥ずかしさのショックは大きかった。それは韻松亭で食事を取り始めるまで続いた。このあたりのことはこれからきっと「アッ」という「あの奇妙な、幽かな叫び声」の種になるだろう。(8/15/2008)

 11時の時報を聞いてエアコンの入っている和室からテレビのあるリビングに移動。**(家内)からは「エアコン許可」が出ているが、年金生活へ向けて電気代の節約癖をつけておこうと「テレビを観るなら汗をかけ」を自己ルールにした。

 さあ北島康介の200m決勝。ハンセンのいないレース、北島にとってはさほどストレスの加わるレースではなかったのかも知れない。2位には1秒以上差をつけてゴール。世界記録(2分7秒51)は出せなかったもののオリンピック新記録の2分7秒64で金メダル。2大会連続の2種目優勝は日本競泳史上初とのこと。やはり録画よりリアルタイムの中継映像は興奮する。

 夕方、大泉の「T・ジョイ」へ。**ご推奨の「クライマーズ・ハイ」を観る。日航123便事故を報道する群馬の地方新聞社で繰り広げられる人間劇。ぐいぐいと引き込まれるのは、原作の力か、それとも台本のうまさか。編集部、広告部、販売部、それぞれの「プロ」の立場をかけた戦い、セクハラなどは日常茶飯のワンマン社長(山崎努の圧倒的な存在感よ)、「オオクボ・レンセキ」(大久保清事件と連合赤軍事件のことだろう)取材時の功績で出世し、その「年金」で食っているような幹部。少しデフォルメされているとはいえ、どんな会社にもありそうな話。

 事故原因を巡る記事の差し込みのために主人公を演ずる堤真一が部長を抱き込む動きに出た時、そのひそひそ話を目立たせないために同僚が難物の編集局長・次長にそれぞれに世間話を仕掛けるシーン。次長にふっかけた話は「競輪」だった。競輪選手の世界は競輪学校での同期、先輩、後輩、出身地などの縁の中でレース中の貸し借りがある。思わずうまい「本」だなぁと感心した。

 映画の山場は事故調査委員会への取材と裏取り。いまも「公式原因」とされている圧力隔壁の破壊をトリガーとする垂直尾翼損壊という見解で事故調がまとまったのかどうか、裏取りは堺雅人が演ずるサツまわりの記者の判断に委ねられる。この台詞がいい。こんなやりとりだった。

「どうだ」
「100%、いや、100%以上、圧力隔壁でまとまったと思います」
「そうか」
「ただ・・・」
「なんだ?」
「100%以上ですけど、おかしい・・・、なんか筋書きがキレイすぎる、おかしいでしょ?」

 差し替え紙面はできている。うるさい販売は撃退した。全権をまかされた主人公の「よし、これでいけ」のひとことで一地方紙がスクープをものにする。そのぎりぎりのところで彼は記事の差し替えを断念する。裏取りが完全ではないとして。

 架空の北関東新聞(作者の横山秀夫は事故当時「上毛新聞」に勤務していた)を舞台にした「小説」だ。実際これに符合する事実があったのかなかったのかは分からない。だが、もしこの主人公が実在するとしたら、どうか。きょう現在、彼はオフィシャルには「びびったチキン」ということになっている。しかしあるていど論理的に考えることができる人には彼の判断はすばらしいものであり、そしてもっと長い時間がたてば大部分の人にとって「勇気ある判断」ということになるに違いない。

 なぜならば圧力隔壁破壊は真の原因ではないからだ。千歩、いや万歩譲って、すべてのテクニカルな事実を無視してオフィシャル報告が正しかったとしよう。ならば、なぜ、数百億もの被害者補償をした日本航空はボーイング社に応分の求償をしなかったのだ。日航トップは背任行為をはたらいたのか。日航がボーイングに求償を求めなかったそのことが、何にもまして雄弁にボーイング社に責任がなかったことを証明している。(事故原因は他にあり、その原因はとても公表できるものではなかったということ)

 横山がこの作品にこめたメッセージは「事故調の発表はもっともらしいシナリオになっているが、キレイすぎてとうてい真実ではあり得ない」というものだったのではないか。そんな気がする。原作と台本の関係を確かめたくなってきた。(8/14/2008)

 きょうからお盆休み。きょう、あしたとも**(家内)は外出。ちょっと鼻歌気分。ルボックスのたたりで気力を失い、先月末から放ってあったホームページのメンテをしなくては。この「しなくては」気分が「したくなくなる」もと。ほとんどアクセス数がなくなったからどうでもいいようなものだが、更新がないと、ほんの数人の人が「死んだのではないか?」と思いながら、朝・昼・晩とアクセスするらしい。となると「存在のリターン」くらいはしなければならぬ。仕事嫌いの怠け者なのになぁ。

 内田樹の「私家版・ユダヤ文化論」をやっと読み終えた。面白かった。一冊読んだら、数冊読みたくなる、いくつも調べたくなる、考えたくなることが出てきてしまうというのが「良書」だと思う。そういう点で、この本は十分に良書の資格がある。

 時間ができた時のために、どこを書き写しておけばよいだろう。かなり悩みつつ直感的に。

 遠い人類の黎明期のどこかで、古代の人々が「時間」と「主体」と「神」という三つの概念を立ち上げたとき、それとは違う仕方で「時間」と「主体」と「神」を基礎づけようとした人々がいた。
 その人々がユダヤ人の父祖なのだと私は思う。
 レヴィナスはユダヤ教の時間意識を「アナクロニズム」(時間錯誤)という語で言い表している。アナクロニズムとは「罪深い行為をなしたがゆえに有責意識を持つ」 という因果・前後の関係を否定する。
「重要なのは、罪深い行為がまず行われたという観念に先行する有責性の観念です」
 驚くべきことだが、人間は不正をなしたがゆえに有責であるのではない。人間は不正を犯すより先にすでに不正について有責なのである。レヴィナスはたしかにそう言っている。
 私はこの「アナクロニズム」(順逆を反転したかたちで「時間」を意識し、「主体」を構築し、「神」を導出する思考の仕方)のうちにユダヤ人の思考の根源的な特異性があると考えている。
 この逆転のうちに私たち非ユダヤ人は自分には真似のできない種類の知性の運動を感知し、それが私たちのユダヤ人に対する激しい欲望を喚起し、その欲望の激しさを維持するために無意識的な殺意が道具的に要請される。
 ユダヤ的思考の特異性と「端的に知性的なもの」、ユダヤ人に対する欲望とユダヤ人に対する憎悪はそういう順番で継起している。サルトルには申し訳ないけれど、ユダヤ人を作り出したのは反ユダヤ主義者ではない。やはりユダヤ人が反ユダヤ主義者を作り出したのである。
 この行程を逆から見ると、反ユダヤ主義者がユダヤ人を憎むのは、それがユダヤ人に対する欲望を亢進させるもっとも効率的な方法だからという理路が見えてくる。
 反ユダヤ主義者がユダヤ人を欲望するのは、ユダヤ人が人間になしうる限りもっとも効率的な知性の使い方を知っていると信じているからである。ユダヤ人が人間にとってももっとも効率的な知性の使い方を知っているのは、時間のとらえ方が非ユダヤ人とは逆になっているからである。そして、そのユダヤ人による時間のとらえ方は、反ユダヤ主義者にとっては、彼らの思考原理そのものを否定することなしには理解することのできないものなのである。

 内田はフロイトの「トーテムとタブー」にふれている。たしかに「父親殺し」を論ずるためには必須であることは分かるけれど、この終章の内容を語るならば、フロイトの最晩年の「モーセと一神教」の名前があってもいい。なぜだろう。

 なにゆえユダヤ人は絶滅を望まれるほどに憎悪を浴びせられているのか、それがフロイトの設定した課題で、「モーセ」はそれに対する回答だったといわれているはずだが。(8/13/2008)

 日曜日、30日ぶりに真夏日から解放されたと書いたが、たった一日のことだった。それでも夜はいくぶん寝やすくなったかなと思っていたが熱帯夜もまた戻ってきた。エアコンを入れて寝るから無関係というわけにはゆかない。浅い眠りの中ではエアコンがオンするたびに「アッ、入った」と意識が戻る。

 通勤の電車は空いている。きょうあたりは6階のフロアも心なしか空席が目立つ。あしたからはお盆休みになる。ことしは高校野球に加えてオリンピックがプラスされてテレビのプログラムは特別編成。朝刊はこころなしか薄くなっている。

 きょうまでのところ、100m平泳ぎの北島康介、66キロ級柔道の内柴正人、63キロ級柔道の谷本歩実で金メダルが三つ、体操男子団体で銀メダル一つ、48キロ級柔道の谷亮子、52キロ級柔道の中村美里で銅メダル二つ。

 谷本の金は光る。すべて果敢に攻めての一本勝ちなのだから。アテネに続く二連覇。谷本がすごいのは二大会連続のオール一本勝ちということ。これは史上初の由。金メダルにとらわれ、ひたすらリスクを回避し、勝ちが転がり込むのを待つ作戦に出て破綻した「金ママ」との違いは大きい。

 マラソンの野口みずきが練習中に左太ももの肉離れを起こし、17日行われる予定のマラソンを欠場することになった由。(8/12/2008)

 インド人女性に代理出産を依頼した夫婦が子供が生まれる前に離婚してしまった。離婚した女性も代理出産したインド女性も子供の引き取りを拒否した。夫が引き取ろうとしたが、インドの法律は独身男性の養子縁組を認めない。そのため生まれた子供は宙に浮いた状態になっている。これが先週報道された内容だった。

 「授かり物」の領域では自然の摂理に外れたことはなるべくしない方がいい、人の心は移ろいやすいものなのだから。いつもそう考えてきた。だから最初にこのニュースを聞いた時には、内心、「だから言わないこっちゃない」と思った。

 しかし朝刊の「時々刻々」欄を読むと話はもう少し複雑というか、むちゃくちゃなものだった。件の男性は独身の時に代理出産の利用を考え、まずアメリカの状況を調査し、次に比較的技術レベルも高く、費用が安いインドでの代理出産を計画した。その後(記事では代理出産計画との関係がよく分からないが)日本国内で結婚したが、計画そのものは予定どおり進めた。記事には彼の言葉として「今回のことは私が一人でやったことで前妻は無関係」とある。しかし子供が生まれる前に離婚。それでも彼は自分を「父」、代理母を「母」としてインドの市民権を得た上でパスポートをとろうと考えていたらしい。

 ここから先にはインド国内法と日本国内法がぐちゃぐちゃに絡み合う。やっととれたインドの出生証明の母の欄は「空欄」、インド国籍は取得できず、パスポートは発行されない。無国籍でパスポートのない者の入国は日本では認められない。こういうニュースになったおかげで、事実関係が比較的オープンになった。両国の役人は知恵を絞って、問題は解決されるだろう。しかし、と思う。いまは男性の実母が子供に付き添い自分が元気なうちはしっかり育てていきたいとしているそうだが、この不自然な形の「無理」が少なくとも子供が成人するまでの間に何らかの破綻を生じないかどうか、かなり難しかろう。

 記事にはアメリカとインドそれぞれの国の代理出産の「価格」が出ている。アメリカは6万ドル(約550万円)、インドは25万ルピー(約65万円)。これもグローバル化の「恩恵」、何でもおカネ、「市場原理」こそが人間生活を限りなく「便利」で「快適」にするという新自由主義の精華なのだろう。(8/11/2008)

 30日ぶりに真夏日から解放されたと、夜のニュース。たしかに比較的過ごしやすい一日だった。

 東プレのキーボードを買った。ちょっと本体への投資額が大きかったので、ケチって買ったサンワサプライのキーボードはスペースキーが長い。「変換キー」を叩いたつもりが「スペース」になってしまう。キーインは呼吸と同じで意識をしてする作業ではない。だから変換のつもりでスペースが入るとイライラさせられる。

 最近、小指担当の文字抜け、中指担当の文字の誤入力が多くなってきている。さらに小指の力が弱くなったせいだろう、「っ」や「句読点」入力時のシフトキー操作はあるていど意識して行わなくてはならない。そういう身には東プレの「変荷重仕様」はじつに魅力的。だが2万円近くとなると、さすがに躊躇する。1,980円のキーボードが気に入らないからといって、19,388円のキーボードにするかぁ、と思わないでもなかったが、欲しくなるとブレーキがきかなくなるのは性分だ。

 ほとんど買う気分になったところでいくつか確認したいことが出てきた。東プレのホームページに「お問合せ」フォームがあったので記入したのは日曜日の晩。ところが梨のつぶて。回答したところで素人が買うわけがないと思って無視しているのか、個人が買うのはたったの一台、まとまった商売にならないとバカにしているのか。それならそうと「個人ユーザーにはお答えしません」と断り書きがあれば、誰も最初から質問を書き込まない。失礼な話だ。

 半ば向かっ腹を立てながらも、疑問の点はそのままにアマゾンで購入。木曜日に配達された。さすがに値段だけのことはある。かなり必死にタイプしても平然とすべてのタッチを拾ってくれる。あえて注文をつけるとすれば、インジケータの青色ダイオードの輝度が高く視界の隅で不要に自己アピールをしすぎることと、文字系キートップと制御系キートップがともに黒で統一され、感触も同じために、かなりの頻度で人差し指が「F」「J」を探すことになること。

 質問をホームページに書き込んでから一週間経つが相変わらず回答はない。ものは間違いなく最高、応対は間違いなく最低。ちょっと不思議な会社だ。(8/10/2008)

 昨夜の開会式、いったいいつからこんな「スペクタル・ショー」がオリンピックのメイン・メニューになってしまったのだろうと思いながらテレビを観た。総監督をつとめた張芸謀はカメラマンの出身、色に語らせる達人だけあって、「アトラクション」としてはなかなかのものだった。高校の世界史ていどの知識があれば面白くもあったかもしれない。しかしソルトレーク・オリンピックの「西部開拓史」同様、こんなものがオリンピックとどういう関係があるのという疑問は浮かぶ。

 小一時間も続いたアトラクションが終わって、やっと入場が始まったがこれがどこかしまらない。延々と続くだらだらした「入場」の途中でスイッチを来て寝た。聖火の点灯のシーンは観ずじまい。

 そしてきょうから競技は始まった。ここまでのところ、いつものパターン。マスコミはすぐにもメダルが取れそうにはしゃぎ回るが始まってみると「なんだ仲人口か」と知れる。それでも実績を理由に「負けても代表」の地位を射止めた谷亮子ぐらいは「ママでも金」という公約を果たしてくれるんだろうと思っていたら、準決勝で負けてしまった。敗者復活戦には勝ってなんとか銅メダル。「負けても銅」とはすばらしい。

 谷の準決勝と敗者復活戦の戦いぶりは対照的だった。自ら吹聴して回った「ママでも金」の公約に呪縛されたためだろう、準決勝での彼女の戦いは最近はやりのけっしてリスクに挑戦しないポイント狙いのつまらない柔道ダンスだった。ところが敗者復活戦は見違えるような柔道だった。その間わずか数十分。ショックが残っているのではとの心配はご無用、初戦から見せなかった(準々決勝まですべて「優勢勝ち」)柔道らしい柔道で一本勝ちをした。つまらないセールストーク「ママでも金」が三連覇を阻む自縄自縛をもたらしたとは皮肉な話。

 試合後のインタビューで谷は現役続行に余地を残す答えだった由。続けるのは個人の自由。ただし話題作りでマスコミをあおり「負けても代表」を画策して後進の邪魔をすることだけはもう二度とご勘弁。(8/9/2008)

 きのう、さすがに立秋と書いたら、きょうはまた蒸し暑さが戻ってきた。寄せては返し、寄せては返すうちに、季節は移ろってゆくと知ってはいても、暑い。この暑さ、なんとかならぬか。

 北京オリンピックはきょう開会式。開会式は日本時間の夜9時から。何のかんの言っても、開会式は見てしまうだろうし、個別の競技が始まれば見てしまうだろう。例のごとく例の通りのアナウンサーのキンキン声とろくに解説らしい解説もしない解説者の愚かしいトークに悩まされるわけだ。もっともこんなことを書き付けるのはオレくらいのもので、世の中は「メダル狂騒曲」一色に塗りつぶされる・・・アテネの時は東京大会に並ぶメダル獲得数と大騒ぎし、トリノではメダルなしにすねて週刊文春などは「なかったことにしようトリノ五輪」という見出しの記事を載せた。件の文春が店頭に並んだ頃に「荒川静香、金」のニュースが飛び込むという、まあ、笑い転げたくなる喜劇もあったっけ。

 その文藝春秋の雑誌「諸君」の見出し広告。題して「北京五輪を観てはならない10の理由」。なるほど最初からボイコットをすることに決めておけば、メダルの数に一喜一憂し、そのあげくに「トリノの醜態」を演ずることもない、賢明な策だ、呵々。

 で、その小見出しがこれだ。右翼屋さんの粗雑な頭の中をじつによく表していて、大いに嗤えるので筆者名とともに書き写しておく。

理由@:投機マネー一気に逃亡、市場崩壊が日本に波及する/田村秀男
理由A:惨状つづく四川省お祭りやってる場合じゃない/三河さつき
理由B:中国人有名選手が生活苦で金メダルをネット販売/星暁
理由C:反日ネット市民の"激情"、もう制御不能/森一道
理由D:五輪明け不況で食料価格暴騰、日本は飢餓に突入/青沼陽一郎
理由E:資源暴食国家の終わりなき貪欲/日暮高則
理由F:強引な都市改造で、北京市民も大迷惑/麻生晴一郎
理由G:開催直前まで、ハンセン病患者入国禁止の非常識/笹川陽平
理由H:反日教育はやっと用済みになるのか/鳥居民
理由I:忘れるな、東京五輪へのいやがらせ核実験/平松茂雄

 これらがどのような論理で「観てはならない理由」になるのか、理解するのは常人には難しいが、なかなか鋭いところをついた記事もある。Fだ。これは文脈からすると国家行事に名を借りたどさくさに都市開発を進める石原都政への批判にも通ずる。Gの指摘はその通りだが、直前になってビザ発給は進められた。ここで「観てはならない」などと言ったら、せっかくビザが下りたハンセン病観客に気の毒というものだろう、呵々。

 人権軽視の中国にオリンピックを開催する資格はないというのが右翼マインドの人々の主張だが、彼らの多くがふだんは「人権なんか大嫌い」と豪語しているのだから大いに嗤える。ホンネは「人権問題」などはただの理屈、単に中国が嫌いというだけのことに違いない。ならば、そう書けばいいのに。

 彼らが目の敵にする朝日のきょうの朝刊にサマランチ前IOC会長へのインタビューが載っている。「中国は人権弾圧などで批判を浴びていますが?」という質問に彼はこう答えている。「ソウルが決まったとき、韓国は多くの国と外交関係すらなかった。韓国はオリンピックを開催して民主国家としてスタートを切った。IOCが国際関係の好転に貢献した一例だ」と。サマランチなどを評価する気はないが、そういう一面はあっただろう。

 だが、こういう話を聞いても北京オリンピックを貶めたい連中は黙らないだろう。それは中国嫌いの面々の心のどこかにアジアの首座を中国に譲ろうとしている現状に対する焦りがあるからだ。しかしアジアの首座を守りきれなかったのは、他でもないいつまでたっても大東亜戦争正当史観や靖国史観を払拭できなかった彼らがこの国の足を引っ張り続けたからだ。戦後、せっかく築いた平和国家日本の実績を常に台無しにし続けた彼らの愚かな言動がなければ、経済の首座を譲ろうとも「人権重視」などを核に日本はアジア諸国に一定の尊敬を維持し続けたに違いない。その証左を書いておく。今回、石原慎太郎は北京に行き、開会式に出席した。彼は中国批判などおくびにも出さずに帰国するだろう。それはふだんの彼の言動のままでは国際社会の「尊敬」が得られないということを如実に示すものだ。

 この一事をみれば右翼マインドの虚け者どもの言動がどれほど内弁慶の子供っぽいものであるかが分かるというものだ。オッ、そろそろ開会式だ。(8/8/2008)

 朝、家を出る時見上げた空は、モンヤリした夏の空ではなく、すっきりと青い秋のような空だった。湿度も低く、ひそかに秋が夏の底に忍び込んだような、そんな気がした。

 きょうは立秋。「暦の上では」という慣用句は二十四節気の当てにならぬ響きを含んでいるが、もともとは陰暦の弊を農耕の便から補ったものだから季節の前ぶれと思えばじつは相当に的確なものだ。

 夕刊に変な記事が出ている。

見出し:米・炭疽菌事件/単独犯と断定
 【ワシントン=勝田敏彦】米司法省は6日、01年の米同時多発テロ後に起きた炭疽菌事件を、先月自殺した米陸軍感染症医学研究所(メリーランド州)のブルース・アイバンス博士(62)の単独犯行だったと断定し、捜査終結の手続きに入ると発表した。
 発表によると、同博士は有名な炭疽菌の専門家。ワシントンにある上院議員の事務所に送りつけられた手紙から見つかった炭疽菌のDNA鑑定結果から、その菌が博士が1人で管理していたフラスコで保管されていたとわかった。
 同博士は、炭疽菌を乾燥させる特殊な機械の操作経験があるほか、炭疽菌入りの手紙が送りつけられた時期、夜間や週末に1人で研究所で仕事をしていたこともわかった。同博士は取り調べに対し、その理由を十分に説明ができなかったという。
 博士は7月29日、研究所近くの自宅で遺体で見つかった。捜査当局は自殺と断定した。
 炭疽菌事件では5人が死亡、10人以上に感染による症状が出た。同時多発テロ直後で、バイオテロとして全米を恐怖に陥れた。

 あの年の11月11日の滴水録には

 空爆の開始の前後から始まった炭疽菌騒ぎも奇怪な話。あの有能なFBIがばらまかれている炭疽菌の素性についてすら確定的な発表ができずにいるのは信じられないことだ。炭疽菌のDNAを解析したら、made in USAの刻印がされていたので、どのように事実を公表してよいか関係機関の意見調整ができずにいるという話さえ、まことしやかに流れている。最近、一部に報道された「炭疽菌をばらまいているのはアメリカ国内の極右組織という見方もでてきた」というのは、「驚愕の真実」とやらが露見した時の緩和のための予防策と見えぬでもない。

とある。やはり「炭疽菌のDNAを解析したら、made in USAの刻印がされていた」という話はほんとうだったわけだ。

 この「決着」はおそらくもっと大きな「真実」を隠すためのものだろう。「炭疽菌騒ぎ」は「911」の効果がはかばかしくなかった時にそれをカバーする「保険」だったと考えると腑に落ちる。

 ブッシュ政権はいま政権が犯した数々の「犯罪」の後始末に大わらわらしい。(8/7/2008)

 けさ一番のニュースはなかなか正確に書くことができない。@冷凍ギョーザ中毒事件の製造元である天洋食品は中国国内に出回っていたものを回収した、Aその回収されたギョーザを食べた人がメタミドホスによる中毒を起こした、Bその中毒事件は6月に中国国内で発生した、そういうニュースだった。マスコミは一斉にこれで中国国内での混入は明らかになったと報じている。しかし、なぜか、中毒を起こした人が何人いるのかとか、なぜ回収したものが再び出回ったのかなどの肝心なことは報ぜられていない。

 「なぜ」はそれにとどまらない。中国政府が日本政府に対してこの事実を伝えてきたのは洞爺湖サミット開催前だった由。読売にスクープされた他のマスコミは、なぜ日本政府はすぐに公表しなかったのかと書いている。たしかにそれも「なぜ」には違いない。ただそれはたぶんに読売に「抜かれた」照れ隠しの匂いがしないでもない。

 読売が地道な取材を通して特ダネをものしたとは思えない。とすれば、これは明らかなリークだ。いったい誰が、何を意図して、この時期を選んで政府の情報隠蔽の事実を読売にリークしたのか、それがもう一つの「なぜ」だ。

 それにしても、隠蔽体質の権化と思われている中国当局が、毒の混入を自国内と認めるメンツ丸つぶれの事実を通報し、中国に比べればはるかにオープンを売り物にしているはずの我が政府がこれを隠蔽したというのはじつに皮肉な話だ。(8/6/2008)

 リハウスの営業が帰って、テレビのスイッチを入れる。テレビはもうオリンピックモードに入ったらしく、今晩の「歌謡コンサート」は拡大枠で既に始まっていた。阿久悠が亡くなって一年、今晩はその特集だった。北原ミレイが「ざんげの値打ちもない」を歌った。この歌にはマボロシの3.5番がある由。

あれは何月風の夜
とうに二十歳を過ぎた頃
鉄の格子の空を見て
月の姿がさみしくて
愛というのじゃないけれど
私は誰かが欲しかった

 つまり「八月の暑い夜ナイフを握って男の帰りを待っていた」(3番の歌詞)19歳から「みんなが祈りたくなる年の暮れに誰も聞かない話をした」(4番)「歳を忘れたきょう」までの間に女は刑務所暮らしをしていたというわけだ。

 いまはすっかり声の凄みを失ってしまった感のある北原ミレイだが、かえって歌に奥行きを与えているように聞こえた。背景は上村一夫のイラストだった。ただこの歌のイメージはオレの中では圧倒的に佐伯俊男なのだ。おそらく**の下宿にあったイラストの血の連想なのだろう。彼らは、いま、それぞれ、どこで、どうしているのだろう。

 きょうのニュースから。未明に松本サリン事件被害者の河野澄子が亡くなった由。事件の発生は1994年6月27日。14年にも及ぶ闘病(?)生活だった。これで三日連続の訃報記録。(8/5/2008)

 ソルジェニーツィンが日本時間のけさ早朝、ロシア時間では3日夜に亡くなった由。

 ソルジェニーツィンはソビエト連邦の敵ではあったが、ロシアの敵ではなく、もしかするとレーニン主義の敵でもなかった。彼がソ連の敵であることの意味を誤解して、資本主義、いわゆる市場原理主義的な何でもありの新自由主義の見方であると考えた人々もいたようだが、彼はそういうものの敵でもあった。ソ連を追放されて後、アメリカに移住したが、ソ連崩壊以前に帰国したのはそういう文脈の中での話と考えるべきだろう。

 夕刊には、そのあたりの事情に関する亀山郁夫の話が載っている。

 もともとは社会主義を「健康的に」支持する若者だったが、収容所体験などを経て、ロシアの暗部を暴露していくことになる。スターリン時代の反省なくして国家は成り立たないと考え、歴史作家として歩んでいった。しかし、ソ連崩壊がもたらした社会は望んだものではなく、彼はがくぜんとし、ある種の反省も生まれた。プーチン時代に入り、民族が精神的に大きくまとまることに期待をかけようとしたところで、死を迎えた。文学者としては20世紀後半のロシアを代表する作家であり、「20世紀のドストエフスキー」と言っていい。総じて、全体主義に絡め取られない人間の自由を古典的なヒューマニズムの精神において描いた。

 チェチェン問題への対応に代表されるプーチン政権の強権的な姿勢について、晩年のソルジェニーツィンはどのように考えていたのだろうか。プーチンがめざす方向は、対外的のみならず、国内統治もあきらかに「社会主義の色」がついていないだけの「ソビエト連邦の復活」に見えるのだが。(8/4/2008)

 きのう赤塚不二夫が亡くなった。おそらく我々の年代は彼の漫画を空気のようにして暮らしてきた。だからあのナンセンスはナンセンスではなかった。ついて行くことができるナンセンスであり、ギャグだった。彼が広く受け入れられたのは安心感のあるナンセンス、ギャグだったからだ。

 そのことはほぼ同時期に活動した谷岡ヤスジを対置してみるとすぐに分かる。谷岡のナンセンスと破壊性は赤塚よりもインパクトが強く、毒を含むもので、時にそれはこちらの存在を脅かしかねないものまで孕んでいた。

 赤塚不二夫にはそれはない。しかしそれは赤塚の漫画の疵ではない。高度成長のためにひりつく人々に慰安を与える漫画を供給し続けた彼の功績は大きい。「これでいいのだ!!」という言葉を布団代わりに日々を終えた記憶はあの時代を過ごした者には必ずあるはずだ。冥福を祈る。(8/3/2008)

 内閣改造などといってもいまの福田にできることは限られているから閣僚名簿などに興味はなかった。まして女性閣僚というのはこの国では新内閣を飾る「色物」と相場が決まっているから、昨夜のニュースで野田聖子が入閣したと知って「福田らしいね」と笑殺しただけだった。

 福田内閣の「色物」の片割れにもうすぐ古希を迎えようという婆さんが迎えられているというのは朝刊ではじめて知った。少子化・拉致問題担当大臣、中山恭子。拉致問題の専門家ということになっている中山はいままでは首相補佐官だった。それをあえて担当大臣にしたわけだ。首相補佐官ならば陰に隠れていれば、問題が一歩も解決に向かわなくとも目立ちはしない。現にここ2年その職にありながら拉致問題は凍結したままだ。

 「毅然として制裁を行えば、北朝鮮は謝罪して拉致被害者を帰してくる」という理屈はどこか「いつかまたウサギが切り株に躓いてくれる」というあの愚かな農夫を連想させたので、彼女のことをひそかに「ミセス待ちぼうけ」ないしは「守株夫人」とあだ名することにした。その彼女もこんどは大臣様になったのだからそれなりの責任も感じているだろう。長くてもあと一年の大臣任期の終わりには、「さすが中山大臣はたいしたものだった」といわれるか、それとも「待ちぼうけ大臣」あるいは「守株大臣」として長く無能大臣の典型として笑いものになるか、さあ、お手並みを拝見しよう。それにしても福田という男も相当に人が悪い。

 閣僚名簿を見ながらもう一つ思い出した。最新号の小学館発行の「SAPIO」の広告にはこんな見出しが踊っていた。「『中川秀直財務大臣』で福田が狙い大逆転・総選挙」、ライターは「本誌政界特捜班」。さすが「SAPIO」の「特捜班」の「実力」はたいしたものだ。他の記事の信頼性もなべてそのていどのものなのだろう、呵々。こんな雑誌に金を払って買う読者なんて・・・いるんだね、いい時代だ。(8/2/2008)

 サミットまでといわれていた福田内閣、総理大臣はまだいけると思っているのか、それともまだやりたいの執念なのか、人事に手を入れることにしたらしい。

 朝刊にははやばやと官房長官の留任が出ている。朝の「森本毅郎スタンバイ」の世論調査、今日のテーマは「きょう内閣改造、変わって欲しい大臣は誰?」。

 「聞くまでもないだろう、辞めて欲しいのは宰相その人だよ」と言いたいところだが、いちおう「内閣改造」という言葉の意味は尊重してという条件をつけたらしい。

 総数117票、第一位は冬柴国交相(31票:26%)、第二位は桝添厚労相(21票:18%)、第三位は町村官房長官(17票:15%)だった。最終結果と照らし合わせると馘首になったのは冬柴のみだった。

 ザッピングしながら見たどこかの局で、いまは日経を辞めて早稲田の先生におさまった田勢康弘が「今回の人事はよく考えられたもので永田町をずっと見てきた自分のような政治記者には納得のゆくものだが、こういう人事で臨めばよいという時代でなくなっているという一番肝心のところが総理には分かっていない」というようなことを言っていた。

 まあそんな感じ、分からないでもない。「幹事長に麻生太郎」などというのはある意味で相当に恐ろしい人事だ。就任を「懇請」する福田康夫、思惑絡みで「受諾」する麻生太郎、同じ「毛並み派」でも知恵の有る無しではこうも違うものかという気がする。もちろん知恵があるのは福田でありバカなのは麻生だ。しかし世の中はいまや「ちょいバカ」が所を得てしまう時代なのだ。福田にはそこまでの洞察力はない。オーソドックスな保守主義者であるということが福田の弱点になっている。(8/1/2008)

 先週くらいからテレビの画面の右上に袋文字で薄く「アナログ」という表示が出るようになった。衛星放送の方はもう少し前から「BSアナログ」と出ていたが、2011年7月24日の地デジ切替日に向けて広報活動を強化しようということなのだろう。

 いわれなくとも大型のハイビジョンテレビは新座に行きしだい買うするつもりだが、常に画面の隅に表示されていると役所と家電メーカーが結託して「早くテレビを買い替えろ」と督促しているような気になる。そういう気持ちで見るせいか「アナログ」の表示が「アナクロ」と読めてしかたない。そうすると、ムクムクと「ああ、どうせ、オレはアナクロだよ」という反抗心がわいてくる。

 しかしこの間ノジマで見た画像はすごくきれいだったなぁ・・・。(7/31/2008)

 **さんはよく「マスコミ」を「マスゴミ」と揶揄する。きょうあたりの「イチロー狂騒曲」を見聞きすると、なるほど「マスゴミだわい」と得心する。

 イチロー狂騒曲のテーマは3,000本安打。たしかにこの国ではそれは張本勲ただ一人だが、彼の国では既に27人も達成者がいる。平凡な記録とはいわないが大騒ぎに値する記録ではない。ましてイチローの記録は日本での1,278本を合算したものだ。メジャーリーガーが日本のプロ野球チームに招かれた例を上げろといわれれば、野球に関心が薄くても一つ二つはあげられるだろう。しかし招かれた選手が彼の国での記録とこの国での成績を合算して「記録だ、記録、大記録」などと大騒ぎした例を上げろといわれたら、相当に詳しい人でも答えられる人はいないだろう。少なくともオレはそんな騒ぎを繰り広げたメジャー・リーガーを一人も知らない。

 もっともそのあたりはイチローも気にしているらしい。マスゴミがこんなインタビューを伝えている。それにしても、こういう時の彼は饒舌で、日頃の無愛想と際立ったコントラストがあるのが可笑しい。

――アメリカでは日本での安打数を含めることに疑問を持つ人もいるが・・・

――アメリカの人の中には「日本でのヒットなんか」みたいな考えが絶対あると思う。
でも、申し訳ないけど、アメリカでのヒットのペースの方が速いんですよ。
だから「日本の方がレベル高いんじゃないの」みたいなことは言えますよね。
(アメリカの方が)試合数だけ多いからっていうのだと、ちょっと弱いけどね。
そこはちょっと、誇りにしているところ。

 イチローの理屈はなかなか挑発的で日本人受けしそうだが、おそらく「日本の方がレベルが高い」というよりは「現在のメジャーリーグのレベルが低い」というのが真相だろう。

 いまメジャーリーグには30の球団がある。1960年まではその数は16であった。61年に18に拡大して以降、節度を失った拡大路線に入ってしまった。古くからのメジャーリーグ・ファンは異口同音に「現在のメジャーのレベルはかつてとは比較にならないほど低下している」といっている。

 一方、メジャーの「三千本安打クラブ」の27人のうち、8人は1960年以前に3,000本を達成しているし、1980年で線を引けば過半数の15人が粗製濫造傾向に陥る前のメジャーで記録を達成している。少なくとも高い水準の環境で三千本を達成した彼らと、日本での1,278本を踏み台にしたイチローの記録が比較できると考えるのには無理があるだろう。(それは4年前のバカバカしい「年間最多安打記録」騒ぎとほとんど同じ。あの時、マスゴミは、そしてイチロー本人も「年間試合数が違う」という事実をみごとに無視して騒ぎまくった)

 イチローが純粋にメジャーリーグのみの数字で3,000本を打ってくれたら多少は評価してあげよう。もっともメジャー3,000本を達成する頃には、マスゴミは日本の1,278本を加えて、メジャー記録のピート・ローズの4,256本を超えた「世界記録達成」と、それはもう大変な「空騒ぎ」に明け暮れているではないかと思うけれど。

 ところでイチローが記録を達成したきょうの試合、シアトル・マリナーズは勝ったのだろうか。テレビでは試合結果にはふれていない、あちこちのマスゴミサイトを見たが、スポーツ新聞のサイトまで含めて、どこにも試合結果に関する報道はあたらなかった。イチローが好調だったり、彼の記録が絡む時、マリナーズはだいたい負けている。「おおかたまた負け試合だったのだろう」と推測しつつmajor.jpにアクセスしてみた。やはりマリナーズはレンジャーズに逆転サヨナラ負け(10−11)をくらっていた。野球は個人記録を競うスポーツだったのだろうか、マスゴミ関係者にお尋ねしたいものだ。

 マスゴミの空疎な騒ぎにイチローがその気になるごとにイチロー嫌いは深まっていく。(7/30/2008)

 午前中、前のマシンのデータ消去作業。大容量ハードディスクは初期化となるとすごい時間がかかる。スタートをさせてからノジマに行く。プリンタインク、ネットワークケーブル(会社から借用したケーブルそろそろ一月になる、一応借用の旨は**くんに断っているが、こんなもので懲戒免職になっては泣くに泣けない)、DVI−DVIケーブル(DVI−VGAケーブルしかなかったのでグラフィックカード側は変換コネクタを使っていた)を購入。DVI−DVI接続にするとこれほど画像がクリアでシャープになるとは想像もしなかった。

 午後一番で予約した秋津診療所に行く。ルボックスを日曜の夜以来飲んでいないにも関わらず、予約を入れたきのうよりも、きょうの方がはるかに体調がいい。漢方医院と聞いていたが、必ずしも漢方でというのではないらしい。先生はじっくり話を聞いてくれる。診療時間が長いのはこのせいなのだろう。

 日曜あたりまでのどこか雲がかかったような感じがウソのようだ。何より心地よいのは「飯がうまい」こと。人生の喜びのかなりの部分はここにある。(7/29/2008)

 相変わらず寝起きは最悪。グズグズするうちに時間が過ぎてバタバタと家を飛び出した関係でうっかり朝の薬を飲むのを忘れた。ところがなんということかえらく調子がいい。午前中から襲う眠気もきょうはなかった。やはりルボックスがあわないのかもしれない。

 **(家内)の薦める漢方医院に行くことにしたが予約制。予約なしの場合は予約患者の合間になるのでかなり待たせることになるというのであしたの予約を取った。

 ルボックスは基本的には50r1錠からはじめて2錠、3錠と増やし、状態が改善されたところで1錠ずつ減らしてきてやめる由。服用を忘れたり、故意にやめるとめまい、嘔吐、イライラが高率で発生するとのこと。しかしけさからそんな感じはない。夜の薬もやめてみることにした。

 久しぶりに気分がいい。抗うつ剤ということだったがやめた方がかえって気分がウキウキしている。もっともこのウキウキはあした休暇にしたせいかもしれないけれど。(7/28/2008)

 江戸時代の人々の時間意識はいまとはずいぶん違っていた。なんと彼らは不定時法で暮らしていた。もっとも「なんと」という驚きや「不定時法」などという堅苦しい呼び名はまさに「からごころ」に毒されているからの話で、日の出とともに起き出で、日の出とともに休息に入る方がはるかに「人間的」かつ「自然」であるかもしれない。薄明の中で自分の手のひらが識別できる時が明け六つ、その薄ら明かりが去る時が暮れ六つ、この間を昼について6等分、夜について6等分して十二支を振り当てた。冬至と夏至とでは一刻は50分ほども違った。

 サマータイムを導入してサービス残業を当て込む経営者はこの究極のサマータイムともいうべきこの制度の導入を主張されてはいかがか。もっとも夏はウハウハだが、冬はその借りを返すことになるけれど。ならばそんな制度導入は要らないといった途端に、サマータイム導入のために語られた「きれい事の理由」のウソの皮がはがれるだろう、呵々。(7/27/2008)

 10時前に宿を出る。永昌寺まではすぐ。路面が濡れているのは未明雨が降ったからかもしれない。花を買って、まず墓参。本堂で法要。小一時間もかからずに終了。降りも照りもせず、なにより。

 もう一度宿に戻って着替えをし、三越の地下で土産物を買ってから、上杉町・勝山館の醇泉で昼食。ピークを過ぎたせいか、感じのよい個室でゆっくり。**(息子)はステーキ御膳とミニ会席御膳をペロリ。

 仙台宮城のインターに乗ったのは午後3時。2回ほど休憩、外環を和光で降り、新座市役所近くの日高屋でラーメンを食べてから新座経由で8時過ぎの到着。

 全行程**(息子)の運転で楽ちん。法要の後はひたすら食べていたような一日。(7/26/2008)

 **(母)さんの一周忌。家族内のみで行い、かつ一ヵ月繰り上げて、永昌寺でやることにした。

 10時過ぎに所沢を出て、新座で**(息子)に運転を交代。外環が混んでいたがその後は順調。5時過ぎに仙台到着。涼しい。もう半月近く蒸し風呂の中にいた身には、ここは天国だ。

 東北大病院そばの「いこい荘」に入る。造りはビジネス旅館だが食事がいい。館内には無線LAN。いつもと変わらないネット環境。朝夕食付きで一人一万円でおつりが来るのだからすごい。感じがいいぶんだけ、かえって「これで利益が出るのかしら」と心配になってしまう。(7/25/2008)

 ひとつの思い込み。楽しみにしていることはけっして夢見ているような形では実現しない。

 来年、3月31日の定年退職。いまのところ、絶対に働くつもりはない。根が怠け者なのだから、これはどうしようもない。引っ越し、家の売却、新座の家の整理と追加リフォーム、・・・やらなければならないことはまだまだいろいろあるけれど、世間でいうゴールデンウィークごろには、日がな一日、本を読み、レコードを聴き、一日おきくらいには**(家内)に代わって夕食の用意をしてもいい、・・・、メンデルスゾーンのバイオリンコンチェルトのあのメロディーをBGMにしたような「長い日曜日の午後」のような生活を夢見ているけれど、ここまでの一生を振り返ってみると、そのように憧れたものは何ひとつ実現しなかった。なにかそれを阻む事態が訪れる、それがオレのいままでだった。

 たとえば夢見た退職生活があしたから始まるというその前の晩になって隠れていた病魔が立ち現れるのではないか。資金計画をあれこれと検討し始めた半年ほど前から、漠然とそういう疑念が頭の片隅に棲み着いた。資金計画が最悪に振れてもなんとか80歳までは保ちそうだ、間違って90歳を迎えることがあってもなんとかなるだろう、我が家が立ちゆかなくなるとしたら、その時は世の中の半分がひっくり返る、それならそれで仕方がないとあきらめられる、そういう見極めがついてから、漠然とした疑念は逆に徐々に確信へと転換した。

 **(母)さんには男3人、女4人の兄弟姉妹がいた。存命なのはわずかに2人。**(母)さんを含めて亡くなった6人のうち戦病死をした二番目の兄さん(「ちゃーさん」と呼ばれたその伯父の名前はどうしても思い出せない)以外5人はすべてガンだった。**(父)さんはガンでは死ななかったがちょうどいまのオレの頃に胃がんの手術をした。**(祖母)さんもガンだった。どうもうちはガン家系である確度が高い。**(家内)は取り合わないが、腹部から背中にかけての痛みはガンなのではないかという「思い込み」に囚われている。

 それでもいいんです。ただあと5年くらいください。ヨーロッパを一通りは回りたいんです、あれこれの本で知っているいくつかの場所を是非この目で見たいんです。ただ通過するだけでもいいんです。中国も長江を逆上りながら、いくつかの故事と詩の現場を眺めたいんです。そして、せめて、いままでに買い込んだ本くらいは一通り目を通したいんです。だから、あと5年、ください。(7/24/2008)

 どうも体調が思わしくない。けさは起きるだけは起きられたのだが、体全体が重く、息苦しい。会議などの予定がないのをさいわいに休暇にした。金曜日には仙台行きのために休暇申請をしているので、気が引けないでもないのだが、体がいうことをきかない。

 「食欲がない」・・・と言うと、**(家内)は「それだけ食べていれば大丈夫よ」と笑う。たしかに食べるには食べているのだが、大げさに書くと「食べる喜び」が感じられない。ルボックスは抗うつ剤だということだったが、最近はむしろ鬱(こんな字、パソコン日記でなくては使えない字だ)気味だ。(7/23/2008)

 きのう、朝7時5分頃と8時10分頃(いずれも現地時間)、雲南省昆明で通勤バスが相次いで爆発し、死者2名、負傷者14名が出た由。

 マスコミは「うち続く暴動や無差別テロは共産党による一党独裁体制に向けたもの」と分析している。先ほどのTBSの「ニュース23」は、「中国国内の暴動の件数は増加の一途をたどっており、2003年には7万3千件、04年には8万7千件だった。05年以降、中国政府はそのデータの公表を取りやめてしまった。おそらく相当の数に上るからだろう」と報じていた。

 共産党の一党独裁が続く中国だが、社会の実態はまず資本主義国以上に過酷な競争社会であり、第一級の格差社会になっている。さらに都市籍を持つものと農村籍を持つものの間の「階層差」さえある。その上に中国伝統の権力腐敗が共産党幹部の中に蔓延しているわけだ。

 そのあたりの事情はおおよそ想像がつくとしても、今回の連続爆破は何か少し異様な感じがする。形として「無差別テロ」の様相を呈しているからだ。「格差社会」、「階層差」、「組織腐敗」に対する怒りが「暴動」につながる想像はできても、「無差別テロ」に向かうためには何かもう少し違う要素が必要なのではないか。たとえば「階層差」ではなく「階級差」、あるいは「民族問題」といったような・・・。(7/22/2008)

 ハッピーマンデーによる特徴のない「旗日」。「海の日」だというから、それらしいことを書いておこう。以前、取り交わしたメールから。(「国歌」で始まるのは前段で信時潔の「海ゆかば」の話がされているから)

国歌には、「我は海の子」は、どうでしょう?
海に囲まれたこの国には、ふさわしいような気がするのですが・・・
メロディーに重厚さはありませんが、平易で、親しみやすいし・・・
なんて、私が言っても仕方がありませんけど・・ 


また、少し意地悪なことを書きましょうか。
ご存じかもしれませんが、この歌も最後の七番になると、こんな具合の歌詞になります。
いで、大船を乗り出して
我は拾はん、海の富
いで、軍艦に乗り組みて
我は護らん、海の国

 この歌詞を勇ましい(護らん、海の国)と思うか、さもしい(拾わん、海の富)ととるかは、読む者がどういう時代に身を置いているか、あるいは読む者の視野範囲が広いか狭いかによる。

 この歌詞から、明治という時代にあっては、官民共々に「貧しく制約の多い陸よりは豊かで漁り放題の海」という意識が支配的だったことが窺える。その発想はやがて軍事力の拡大により「漁り放題の陸」、中国大陸に向けられることとなったわけだ。(7/21/2008)

 天木直人のブログに盲点を突く話が書かれている。タイトルは「拉致問題が進展しない最大の理由」。こんな内容。

 訪中している山崎拓に中国共産党の王家瑞対外連絡部長なる人物が「(拉致問題に関する)解決が行き詰っているのは、何をもって拉致問題の解決とするかについて、日朝間に基準の不一致があるからだ」と語ったという記事が19日の新聞各紙に載っているということを紹介した上で、天木は

 この言葉の意味するところは大きい。いわば拉致問題の核心部分である。
 われわれが政府、外務省から繰り返し聞かされて来た事は「拉致問題の解決とは拉致被害者全員の救出である」という事である。しかしこの言葉は、実は何の意味も持たない。拉致被害者全員とは誰と誰の事を指すのか。我々はいまだかつて一度も政府から具体的なリストを示された事はない。そして拉致被害者の救出とは何を意味するのか。生きて帰ってくることか。それとも亡くなった者がいたとしてもその死亡が確認されればいいのか。何をもって日本政府は死亡が確認されたと認定するつもりか。

と書いている。なるほど「課題」の設定が曖昧なままで「解決」できる「課題」はない。そういう意味では王家瑞の指摘は正しい。(きのうの朝日朝刊が伝えた王の言葉は「日朝双方が自らの基準に固執しているから行き詰まっている。国民的な課題になっているのは理解するが、政府の役割は国民を導くことだ」というものだ。一般的な日本国民の意識では「導くだとぉ?」という感じなのだろうが、なに我が政府の要人も、高級官僚も、自民党の先生方にしてもホンネは変わるものではあるまい)

 第一回の小泉訪朝がなされた2002年当時であれば、北朝鮮が認めた拉致被害者13名中、生存者5名というのは平均余命から考えて不自然きわまるものであった。当時は存命ならば60歳代はただ一人、40歳代は6名もいたが、6年が経った現在、このうち5名は50歳を超えてしまった。北朝鮮という国の状況を考慮すれば、当局の主張を否定することは難しくなりつつある。虎穴に入ることをせず、安全な対岸から「返せ」、「返せ」の空念仏をヒステリックに叫んで空費した時間がいかにももったいない気がするが、これが安倍晋三にたぶらかされた愚かな家族会の人々が自ら望んで招いた結果なのだからどうにもしてあげようがない。(彼らはこの期に及んでまだ「毅然たる制裁」を断行すれば北朝鮮が頭を下げてくると主張しているようだ、精神の病も膏肓に入ることがあるらしい、呵々)

 天木は気が優しいのか、あるいは北朝鮮ヒステリー患者の恨みを避けるためか、先の文章を以下のように「転回」している。

 実は政府はこのような事について、いまだ一度たりとも国民の前に明確に考えを述べた事がない。それにもかかわらず北朝鮮との間では話し合っているのだ。政府の考えを示し、北朝鮮側の立場も聞いているのだ。そうでなければ中国の要人がこのような発言をできるはずはない。
 拉致問題が進展しないのは、もちろん北朝鮮側の硬直的な態度にある。しかし、その北朝鮮側を追い詰めることが出来ない最大の原因は、政府、外務省の秘密主義にある。国民に真実を隠しながら北朝鮮側と、落としどころを話し合う、もしそんな外交が進められているとしたら、拉致問題の誠実な解決は望むべくもない。

 前段の指摘は正しいと思うが後段の指摘の論旨は濁っている。「期違い」の誤りを正確に指摘することは難しいということだろう。(思えば「期」は一度、金正日が国家犯罪を認めたその時にしかなかったということ)(7/20/2008)

 気象庁が梅雨明け宣言をした由。水曜日の朝のラジオで気象予報士の森田正光が「梅雨明け宣言は気象庁の専権事項なので・・・」と前置きをした上で、自分の考えとしては「先週、土曜日、雷やダウンバーストなど大荒れに荒れたあの日を梅雨明けとしてもよかったのではないか」と言っていた。今週に入ってからの陽気を思うとあたっているような気がする。

 ともかく暑い。いつも昼間から冷房を入れることを許可したがらない**(家内)も今年はすんなりとOKしてくれる。この陽気のせいか、それとも歳をとったせいか。体が鈍ることを考える歳ではなくなった、それは確か。あした住林の人が来るのに備えて片付け。しばらく本を買うのは控えなくては。もう少ししたらいつでも好きなだけ読めると思って抑制がきかなくなっている。積ん読本の量がすごい。(7/19/2008)

 北京オリンピックの野球代表選手24人がきのう発表され、朝刊にその顔ぶれと主要選手のコメント、発表記者会見における一問一答が載っている。

 投手10人(上原・川上・岩瀬・藤川・ダルビッシュ・成瀬・和田・杉内・田中・涌井)、捕手3人(阿部・矢野・里崎)、内野手7人(荒木・新井・村田・宮本・西岡・川崎・中島)、外野手4人(森野・青木・稲葉・ジージー佐藤)。

 解説には「首脳陣全員が『11か10で、もめた』と認めたのが、投手の人数。故障を抱える新井や稲葉の野手陣を厚くするため投手10人で落ち着いたが、久保田(神)のような中継ぎの専門家が欲しかったのは事実だ。そのため、楽天からリーグ最多勝の岩隈ではなく、スタミナと若さを買われた田中が選ばれた。星野監督も『フル回転してもらう』と話しており、中継ぎでの連投もある」とある。

 選手が実績どおりの活躍をするかどうかということはなんとも言い難いものだが、打者に比べれば投手の方がその相関は高いだろう。だとすれば、選んだ野手の故障を考えて投手の人選に影響させるよりは、最初から活きのいい若手で野手を固めるのがまっとうな考え方ではないか。選から外された岩隈の今シーズンの被本塁打は2本だが、先発を期待される投手でこの数字に迫るのは田中将大の4本、その他は7本から11本にもなる。信頼度に関する星野の考え方は理解し難い。

 朝刊の解説には続けて、「一方で、復活の兆しの見えない上原を選んだのは、大きな賭けだろう。大野コーチも『上下のバランスが合ってない』と認める。だが『本人が気づいていない原因もある。大丈夫』と、星野監督ともども立て直しに自信をみせる」とあった。「不振の上原を選出したわけは?」と記者に問われて、星野はこう答えている。「今までの経験や投球スタイルを見ているから。昨日の試合を見れば、みんなが不安になる気持ちは分かる。だが、迷わなかった。ここを直せばいいというのを昨日見つけた。私やコーチの経験をぶつけて彼が納得すれば、立ち直らせる自信はある。1週間の合宿で、きちっとやる」。

 今季の上原の不振の遠因に原辰徳監督の起用法なり、上原に対する処遇が絡んでいることは想像に難くない。しかし本来の上原はその程度のことでつぶれる男ではない。つまり現在の不振に「精神」以外の要素があることは十分に想像できる。星野は「一球見ただけで分かった」とまで発言したそうだが、どうもオリンピックの先のことまで考えているような気がする。

 けさの「森本毅郎・スタンバイ」の金曜世論調査は「結果の伴わない上原投手を選んだ星野監督の判断」の是非について問うていた。賛成2に対し反対は1の割合だったが、「メダルを逃せば『上原と心中したんや!』と言い訳できるし、メダルを獲れば『上原はワシが育てた!』と自慢できる。いかにも星野さんらしくてイイ」という意見があった。

 「イイ」とは思わないが、いかにも星野らしい――つまり、選手が目立つことより、自分が目立つことを優先するという意味で――星野仙一らしい代表選手選出だったことは確かなようだ。(7/18/2008)

 野茂英雄が引退宣言。野球選手に大リーグへの道を開いたパイオニアということは既に夜のニュースが伝えている。ふたつのノーヒットノーランゲームに始まるいくつかの記録についてはたぶんあしたの新聞がたんと報ずることだろう。

 しかし彼の功績はそれ以外にもある。彼は口で語るのではなく事実を我々に指し示してくれた。例えば彼我の野球の差に関する虚実。そして「個性的である」ということの本当の意味を。

 仰木彬が個性をつぶさずに大リーグに送り出した選手として野茂はイチローと並んで語られるようだが、ふたりの違いは投手と野手という以上に大きく違う。ともに「マスコミ嫌い」という定評があったが、眼のいい人ならば野茂のマスコミ嫌いは、あの世界に多い紋切り型の知ったかぶりインタビューワを嫌っているだけのことと分かるだろう。(ついでに書けば、イチローのマスコミ嫌いは営業上の戦略に過ぎない。そのことはノーヒットでも律儀にインタビューに応ずる松井秀喜に対して、イチローはそういう時にはけっしてインタビューに応じようとしない、その一事で分かる)

 寡黙な武士、野茂の引退を惜しむとともに、心からの賛辞を送る。(7/17/2008)

 暑い日が続く。今年はなぜかひどく堪える。

 半年ほど前から胃の周辺が時折チクチクと痛む。診療所の見立てでは自律神経機能がおかしいためとのことで「ガスターD」と「ルボックス」という薬を飲み始めた。「ガスター」は売薬解禁時のニュースで知っていたが「ルボックス」というのははじめて聞く。インターネットで調べてみると鬱病の治療薬とある。自律神経失調のつもりが統合失調となると心穏やかではなく、札幌の**(友人)さんに「ガスターと組合せの処方例って、よくあるの?」と訊いてみた。「胃の疾病には自律神経絡みが多く精神安定薬はよく併用する」とのことで、胸をなで下ろした。

 しかし一回一錠25ミリグラムを二錠50ミリグラムにしてからあまり体調がよくない。ちょうど暑さが厳しくなり始めた頃に重なるので、どちらが原因か、あるいはその競合なのかがよく分からない。

 暑い、暑いはいつものことだが、今年はどこか気力が不足しているような気がする。・・・こんな暑さを我慢しなけりゃならないくらいなら死んでもいいなぁ・・・、極端にいうとそんな感じだ。

 ふと**(祖父)さんのことを思い出した。亡くなったのは8月27日、ようやく暑さの峠を超えたかどうかという頃だったのだろう。名古屋の夏は厳しい。仙台に生まれ、東京帝大を出て、勅任技師として北海道に赴任してからは稚内、釧路、樺太と寒冷地ばかり移り住んだ人が、引き揚げ者として小樽を経て息子の任地名古屋に来ざるを得なかったのには、いろいろな意味で屈折があったはず。あわせて、六十の半ばを超えて、名古屋特有の暑さはずいぶんきつかったろう。

 よく金魚の水を汲みに鏡が池近くの湧水点まで連れられていった。記憶のワンショットは麦わら帽子をかぶり、したたる汗をタオルで拭き取りながら見下ろす姿。表情の記憶が乏しいのはいつも逆光の中で**(祖父)さんを見上げていたからかもしれない。大切な孫に直射日光が当たらぬよう、いつも背中に太陽光を浴びていたのか、想像に過ぎないけれど。ジリジリ照りつける陽の光と噴き出す汗、朝夕の凪の中で肌にねっとり粘り着くような湿気の多い空気、**(祖父)さんにはずいぶん厳しかったに違いない。きっと、あの時・・・、こんな暑さ、あと何回耐えられることだろうか・・・。ずいぶん気力がそがれたのではないか、そんなことが想像される。(7/16/2008)

 ダルフールにおけるジェノサイドの容疑でスーダンのバシル大統領に対する訴追手続きを国際刑事裁判所のモレノオカンポ主任検察官が申し立てたというニュース。

 スーダン政府側は当然のように「容疑事実はウソ」、「身柄の引き渡しには応じない」とし、逮捕状の発行手続きを停止するよう常任理事国に打診しつつある由。打診されている常任理事国とは中国とロシアと推測されている。

 昨年のフランス大統領選の際、ロワイアル候補はダルフール問題に対する中国の姿勢を非難して北京オリンピックのボイコットを提案していた。スティーブン・スピルバーグが北京オリンピック芸術顧問を辞任したのはロワイアル候補と同じ主張だったから。つまり「ダルフール問題」はそのくらいの人権問題と意識されているということ。

 はやり言葉になった「フリー・チベット」では「聖火テロ」を容認する空気が蔓延したが、30万人を超える人々が殺害され250万人の難民が出ているこの紛争に関するこの国の反応はきわめて低い。おそらく「聖火テロ」に好意的であった人々に本当の意味の人権意識がないせいなのだろう。ああ、情けない話。(7/15/2008)

 大野晋が亡くなった。大野晋というと渡部昇一との「喧嘩」(「論争」などではない)を思い出す。といってもリアルタイムでの言い争いについては知らない。ろくな能力も持ち合わせないくせに、やたらと専門外の分野に浅はかな解釈を書きたてるという渡部の悪い癖が出て、大野のみならず何人かの国語学者がそれをたしなめたことから始まった「喧嘩」だったらしい。早い話、渡部が自らの無知蒙昧を天下に公言したようなものだったのだろう、ちょうど立花隆とのロッキード論争の時に法律一般に関するパープリンぶりを晒して世間の失笑を買った時のように。

 ただ大野の渡部に対する反論を読んだ時、少し不思議に思ったことがある。橋本進吉の名前を出せば話はそれで済んでしまうではないか。そう思ったのだ。橋本進吉の「古代国語の音韻に就いて」という有名な講演は対象に迫る論理の明晰さと鮮やかで懇切な説明でさして知的訓練を経ていない者でも理解できない者はおるまい。(岩波文庫にも収められているから、ある程度の本読みならば誰でも知っている話だ)

 大野晋は橋本進吉の教えを受けたと伝えられるし、彼の研究の基礎は橋本の業績にあったのではないかと思われる。なにより、文庫のあとがきは大野が書いている。しかし、大野が渡部向けに反論として書いたものの中には明確に橋本進吉の名前を出した箇所は見つからず、少しばかり奇異の念を抱いたことだけが記憶に残っている。(7/14/2008)

 あしたは新聞休刊日。朝刊の最終面が全面広告になっている。あの「ジェット・ストリーム」の10枚組CDセットが広告されている。

 中野の学生寮に入ったばかりの頃、まだ「FM東京」は前身の東海大学FM実験局の流れで「FM東海」という局名で、夜のゴールデンアワー帯になっても通信制高校(「望星高校」という名前だった)のプログラムを流していた。そのFM東海が午前零時を迎えるや、突如、変身して「ミスター・ロンリー」のテーマ曲をバックに城達也のナレーションをオンエアする。切れ切れにしか憶えていないそのナレーションが掲載されている。

遠い地平線が消えて、深々とした夜の闇に心を休める時、
はるか雲海の上を音もなく流れ去る気流は、たゆみない宇宙の営みを告げています。
満天の星をいただくはてしない光の海を、ゆたかに流れゆく風に心を開けば、
きらめく星座の物語も聞こえてくる、夜のしじまのなんと饒舌なことでしょうか。
光と影の境に消えていったはるかな地平線も、瞼に浮かんでまいります。

 このナレーションが始まると、読みさしの本を閉じ、書きかけのレポートの手を止め、7桁の対数表あるいは慣れぬドイツ語の辞書を放り出して、ストリングス中心の音楽に心の隅に騒ぐ心を押さえかねるようないたたまれない気持ちに囚われたりしたものだ。あの焦慮感はいったい何だったのだろうと思う。

夜間飛行のジェット機の翼に点滅するランプは、
遠ざかるにつれ次第に星のまたたきと区別がつかなくなります。
お送りしておりますこの音楽が美しくあなたの夢に溶け込んでゆきますように。

 これがエンディングだった。気持ちを抑えかねる時には寮を出てふらふらと新宿当たりまで出たこともあった。もしあの頃に携帯があったなら「ぼくたち」の青春はどんなものになっていたろうか。

 恥ずかしいことを思い出した。

 中野の学生寮で数ヶ月を過ごし、夏休み、名古屋に帰省した時のこと。首尾よく名大の経済に入った**と会って、自慢のつもりで「ミスター・ロンリー」のメロディーをなぞり、「いい曲だろ、トーキョーのエフエム番組のタイトルなんだぜ」と言うと、「ミスター・ロンリーだね」、「エッ?」。その時まで題名はもちろんのこと、それがボビー・ビントンという歌手のヒット曲だということさえ知らなかったのだった。(7/13/2008)

 旧マシンからSCSIボードを外し新マシンに移設。スキャナーがスカジーインターフェース。USB/SCSIコンバータを買うことも考えたが、物入りの折、むだな出費は避けることに。MOドライブも移設しようかと思ったが使用頻度とケース内の内線ケーブルの取り回しのことを考えてやめた。スカジーケーブルはフラットタイプなのでスペースを食うばかりか通風の邪魔になる。旧マシンの内部はケーブルのジャングルになっていた。

 あと、旧マシンからは1ギガのメモリも取り出した。会社のマシンに転用するため。今どき、たった512メガのメモリで業務を効率よくこなせというのは図々しい話。インストール・ソフトの監視を徹底的にやってくれるついでに、システム資源もチェックして改善するくらいのことはやって欲しいが、そちらの方には頬被り。既にうちで浮いた256メガメモリを増設しているが、最近はレスポンスの遅さにイライラする。これで来週からは少し改善するだろう。家で使っているソフトをライセンスの制限の範囲内で持ち込むと神経質にアラームを出してくるIT推進だが、メモリを私品で増強しても何も言ってこない。嗤うべし、ご都合主義のコンプライアンス運用を。

 水曜日の講演会の帰りに購入したフロッピー・カードリーダー/ライター兼用ドライブも組み込んでこれで当初予定のシステム構成は完成。アプリもMicrosoft Moneyのインストールを残すのみ。やっぱり2週間かかってしまった。(7/12/2008)

 夕刊の「人脈記」、おとといから上方寄席を取り上げている。きょうは桂米朝を巡る「人脈」。米朝が復活した大ネタ「地獄八景亡者の戯れ」で、彼は地獄の寄席に鬼籍に入った名人に並べ自らの名前も「近日来演」と語って笑いをとった。だがまだ死なない。記事によれば82歳とある。

 記事には自殺した枝雀を失った時の米朝の言葉が出ている。「私は荷が重くなった」。こんなニュアンスだったらしい、「そろそろ楽をしようと枝雀に任せる矢先のことだった。これで私は荷が重くなってしまった」。その時、枝雀は59歳。期待の弟子を失うというのは、きのうの小柴の話でもわかるように辛いことのようだ。

 携帯に**さんからメール。米朝と枝雀のCD、聞き終わったので宅急便で送りたいとのこと。図ったようなタイミングの話で、先週の記事でも見てくれたのかと思ったが、まさか退屈な毎日の記事を追っかけてくれているはずはないと思い直した。梱包も手間なら、配送料もムダ。いずれまた暑気払いとかなんとか理屈をつけた集まりがあるだろうから、その時でもいい・・・。あした、レスメールしよう。(7/11/2008)

 戸塚洋二が亡くなった。朝刊に文藝春秋8月号の広告が出ていた。戸塚洋二と立花隆の対談らしい。「がん宣告『余命19カ月』の記録」、サブタイトルは「ノーベル賞に最も近い物理学者が闘う壮絶な生と死のドラマ」となっている。

 夕刊には、師匠の小柴昌俊のコメントが載っている。「発売されたばかりの雑誌に彼が闘病について語った対談記事がある。その感想を彼に電子メールで送った。その5分後に死去の連絡を受けた。弟子を失うのは、親が子どもに先立たれるのと同じ。こんなにつらいことはない」。

 「ノーベル賞に最も近い」というのはニュートリノ振動の発見によるものの由。たしか山本義隆とは理学部物理学科で同級だったはず。

 立花との件の対談記事で一番笑った箇所。

 戸塚 ・・・がんになってわかったことですが、医師というのは意外なことに、数値を使わない。CTの写真も、「これとこれは同じくらいですね」で終わり。
 立花 目で見た感じや勘に頼って数値化しないんですね。
 戸塚 ええ。CT写真を検討するのも大体数分程度。私たちからすると、大雑把。我々のような実験物理学者だったら、CT写真だけで一週間は楽しめるのに(笑)。

 根っからの科学少年だったのだろう。(7/10/2008)

 洞爺湖サミットが終わった。無力で空疎な仲良しクラブに堕しつつあるサミット(2001年のジェノバサミットのあとはわざわざ風光明媚なリゾート地で開催するほどに堕落している)だが、皮肉なことに本来"Summit"ではない国々を招待したことにより、洞爺湖サミットはようやく「あしたへの展望」が開ける可能性へ曲がり角を曲がったのかもしれない。

 G8グループと新興国の主張、いずれを支持するかと問われれば何の留保条件もなしに新興国の主張を支持する。G8には先進国・大国としての度量も知恵も矜恃すらも認めることはできない。特にアメリカ合衆国はいまや歴史上最大にして最悪の「ならず者国家」になった。この国がどれほど人類全体に対して災厄をもたらす国になっているかという例証をたったひとつだけ書いておこう。

 CO2の排出量、世界第一位はアメリカ合衆国で、数年前の統計によれば全世界241億トンの排出量の25%弱を占めている。二位は中国で15%弱だ。しかし中国の人口が世界の20%弱であるのに対し、アメリカ合衆国の人口は5%にも満たない。アメリカ合衆国には環境問題に関する限り生意気な口をきく資格などかけらもない。

 世界各国はまずこの自分勝手で生意気な国をありとあらゆる手段で制裁する権利を持っている。合衆国政府は即刻廃止し、国連に相当する期間により分割統治すべきなのだ。

 アメリカ合衆国の進む道が間違っていることを明らかにして手を打たなければ、人類は滅亡に向かってレミングの行進を始めることだろう。中国はそのアメリカ合衆国の方向に歩き始めている。世界人口の五分の一を占める中国までもが合衆国同様の「当為」を持たず「知恵」を喪失した道を歩き始めたら収拾がつかなくなる。中国を恐れるなら、まず。アメリカ合衆国を人間並みに躾けることから始めるべきだ。(7/9/2008)

 日立システムアンドサービスから世界大百科のインストールキーの連絡あり。再インストールはあっさり完了。

 最初は販売をしたソースネクストに問合せをした。こんな回答だった。

 ソースネクスト・カスタマーセンター担当、鈴木と申します。お問い合わせいただきました件につき、ご案内いたします。恐れ入りますが、現在弊社では「シリアル番号」「インストールキー」などを紛失した場合の再交付は行なっておりません。なにとぞ、ご了承ください。
 ご購入いただきました製品のインストールキーは、同梱されておりますハガキ大の用紙「サポートのご案内」にてご案内しております。また、世界大百科2のシリアル番号についても、同梱しております用紙にてご案内しております。今一度ご確認ください。
 お力になれず大変申し訳ございませんが、なにとぞご容赦賜りますようお願いいたします。以上、よろしくお願いいたします。

 仕方なく制作元の日立システムアンドサービスのホームページを調べると、「紛失された場合は,1.正式商品名(世界大百科事典 第2版&百科事典マイペディア)、2.製品のバージョン(CD-ROMの右上に記載の数字(例:2.1.0))、3.お買い上げ年月日、4.お名前を記載の上,E-maiにてお問い合わせください」とあるではないか。日立システムアンドサービスからは丁重な回答メールが来た。

 ソースネクストは販売業者としての責務をどのように考えているのだろうか。単純に「わたしどもでは分かりかねますが、制作元様に(これこれのデータをつけて)お問い合わせ下されば、お知らせするとのことです」と回答するだけのことではないか。その程度もできないから「ホームページ・ビルダー」の販売権を失ったのだ。そのくせ「ホームページ・ビルダー」の亜流ソフトを売りつけるダイレクト・メールをしつこく送ってくる。自社が扱わなくなった商品のユーザー登録リストを類似品のセールス・プロモーションに使用するのはルール違反ではないのか。そのくせ最低限のユーザーサポートもできない、やろうともしない姿勢にはあきれ果てる。

 ソースネクストよ、おまえは、商道徳を心得ない最低・最悪のカス業者だ。(7/8/2008)

 ウィンブルドン男子決勝はスペインのナダルが勝った。6−4、6−4で2セットを先取、その後、フェデラーが7−6、7−6と追いつき、ファイナルセットを9−7でナダルがとった由。2回の雨を挟んで6時間半、試合時間は大会記録の4時間48分。すさまじい死闘だったようだ。ウィンブルドン記録の6連覇は今回も成し遂げられなかった。

 ウィンブルドンの死闘というと、80年、ボルグがマッケンローを下した試合を思い出す。あれもすさまじい死闘だった。その年ボルグには5連覇がかかっていたが、暴れん坊と異名をとったマッケンローのパワーがそれを阻みそうな試合だった。試合を決めた直後、コートにひざまずいたボルグの眼の青さがいまも脳裏をはなれない。翌年も同じ二人が決勝を争い、その年はマッケンローがボルグによるウィンブルドン記録の6連勝を阻んだ。そしてほどなくボルグは突然の引退を発表した。(調べてみると、引退は83年1月とあるから、マッケンローに敗退したことが理由ではなさそう)

 息を詰めて観戦したことを憶えているが、あれは土曜日の夜の中継だったのだろうか。

 東証13営業日目の上昇。先週金曜日の終値に対し、122円15銭高の13,360円04銭。もう少し下げてくれたら悩むところだ。いまのところは規定方針どおり外国株インデックス投信の買い付けを五月雨的に続けるつもり。三月初めの買い付け額よりは下がっているのがありがたい。(7/7/2008)

 うっかり見始めたウィンブルドンの男子決勝。日曜の夜にならないとやる気のしないホームページ更新を気にしつつも、なかなかテレビの前を離れられない。

 ウィンブルドンにはつきもののにわか雨が降り始めて0時50分頃から中断。思い切ってスイッチを切って更新作業を終わらせたところ。スイッチを入れるのはやめた。これで試合が再開していたら寝られなくなる。もう寝なくちゃ。来年になれば、好きなように時間が使える。あと9カ月の我慢だ。(7/6/2008)

 ほぼ100%稼働。外付きのUSBハードディスクを利用してデータ移行は不安なく終了したのだが、それでもiTuneへの音楽データのインポートはいまひとつすっきりといかなかった。志ん朝の落語データに一部欠損があるのが残念。**さんにCDを返してもらう必要あり。その他は世界大百科。インストールキーを記載したカードが見つからず日立システムアンドサービスに問い合わせ中。

 だいたいのところが終了したので、午後からはBIOSの設定を探検したり、添付アプリケーションのインストールに手を出したりし始めた。時間はいくらでも必要。(7/5/2008)

 年金機構が昨年度の運用で過去最大5.8兆円もの運用損を出したということがニュースになっている。朝刊の記事を冷静に読めばなんということはない話なのだが、テレビニュースなどでは「年金問題にまた新たな問題が浮上」というトーン。マスコミはどこまでバカな存在かと思う。

 まず単年度の運用益・運用損をあげつらうことは無意味。分散投資の各セグメントのベクトルが同一方向に揃ったわけでなければ、ポートフォリオを見直す必要もない。現実に、昨年度の場合、株は国内外ともにマイナスだったが国内債券はプラスだった。株のマイナスをカバーするゲインがなかっただけのことで、分散の効果は発揮できているのだから、単年度の善し悪しでむやみに案分比をいじればかえって振れ幅を大きくしてしまいかねない。

 テレビ各局は年金機構を批判するよりはオイルマネーにみられる「政府系ファンド」の「幻影」に右往左往している自民党内のバカプロジェクトの動きでもしっかり監視して欲しい。(7/4/2008)

 すごい雨音で目が覚めた。5時38分。一番中途半端な時間帯だ。この降りならば歩きと思っていたら、家を出る頃には日が差してきた。湿度が高く、うんざりする暑さ。

 メールデータの移行に意外に手間取る。重複してもいいが欠損は避けるというポリシー。なんとかロストメールは作らずにすんだのではないかと思っている。もっともなくなってしまったメールがあっても気づかないのだろうが・・・。迷惑メールのフィルターは一から出直し。仕分けルールも再設定。たいした作業ではないのだが、時間ばかりかかる。

 公開鍵のインポートがうまくゆかないのでカギセットを再作成した。あしたは会社で同じ作業が必要。ほんとうに従前の環境に戻すには相当の手間と時間が必要。

 やっと新しいマシンの方で滴水録が書けるようになった。細かいところの設定が完全にしきれていないのでいらいらする。(7/3/2008)

 東証の終値は13,286円37銭、6月19日から始まった下げが10営業日連続となった。これは43年ぶり(1965年2月19日〜3月2日)のこととか。ニューヨークもけさがたの終値は少し戻したものの下げ基調は変わらないし、むしろ東京市場よりは確定的に下げ材料を抱えているから、もう少し下がるだろう。既に先週FOMCは金利の据え置きを決めたが、ECBは利上げする方向にあると報ぜられているから、ニューヨーク市場に限らずヨーロッパ市場の株もインフレ懸念の中で株価はかなり振れるに違いない。

 最終ポートフォリオのうち、国内株は予定額までいれて、次は海外株という我が家の状況にはかなりいい風向きかもしれない。来週あたりから何回かに分けて外国株インデックス投信を買ってゆこう。(7/2/2008)

 もともとは岐阜の女子大の学生の落書きを旅行者が写真に撮り、帰国後、大学に「告発メール」を送ったことが発端だったらしい。落書きをしたのが世界遺産のフィレンツェの大聖堂とあって、大学とすれば教育機関としての建前上、当該の学生に反省文を書かせるという「処分」を行った。

 ところがすぐに京都産業大学の学生の落書きが見つかり同様の処分を受けた。そこに夏の大会を控えた高校野球有力校の監督が数年前の新婚旅行の際に残した落書きが見つかってしまった。最近のこの国は物事の軽重については感覚が鈍いくせに、ちょっとした不心得に対しては過剰なまでに厳しい。監督の勤務する常盤台高校は件の監督を解任するに至った。

 落書きの是非については論ずるまでもない。ただ落書きをする不心得を職を解かれるほどの大罪と考えるのはいったいどんな人なのかと思うまで。

 二千年ほど前、聖人がまみえた人たちは、いまのこの国の人々よりははるかに奥ゆかしかったようだ。少なくとも彼らの中からは「なんぢらの中、罪のなき者まづ石を擲て」(ヨハネ:8−7)という言葉を聞いて、さらに石を拾って投げた者はあらわれなかったと記録されているから。(7/1/2008)

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