ずっとマウスとキーボードはレガシータイプを使ってきた。万一の時、USBインターフェースで確実につながるかどうかの心配があったためだ。マザーのBIOS設定機能にそれぞれのUSBサポートの設定があったのではじめて使ってみることにした。マウス(これは浩之からの父の日プレゼント)についてはワイヤレス方式にした。ロジクールのMX Revolution。充電式でグリップ感がいい。いままでマイクロソフト製ばかりを使ってきたが、少し損をした感じさえする。

 帰宅したとき、まだ1テラを500ギガずつに分けた二つのドライブのフォーマットは終わっていなかった。フォーマットが終わったのは帰宅の1時間あとくらい。17時間くらいかかった。パーティションに分けて2ドライブを並行してフォーマットしたからか。

 システム構築は継続中でまだスキャナーがつながっていない。新システムにもSCSIボードを実装するか、インターフェース変換器をかませるか思案中。したがって、以下の記事はキーイン。

見出し:安倍氏、株式記載漏れ/毎日新聞社株
 安倍晋三前首相は、30日公表の資産等補充報告書で、毎日新聞社の株式1千株を保有していることを明らかにした。毎日社員だった父親の晋太郎・元自民党幹事長が91年に死去したのに伴い相続したが、これまで公表していなかった。
 安倍事務所は「持っているのは分かっていたが、株券が見あたらず記載してこなかった。最近になって見つかった」と説明。「事務的なミス」による記載漏れとしている。
 毎日新聞社は非上場で株式の時価を公表しておらず、同社によると、安倍氏が保有している期間は配当もなかったという。

 夕刊記事。今ごろになってこの資産公表は不自然な気がしないでもない。安倍の突然の辞任と週刊現代がすっぱ抜いた「相続税脱税」の関係については未だに「疑惑」のレベルにとどまっているが、そういう視点からすると興味深い記事。(6/30/2008)

 一通りのシステム環境は整った。しかしまだアプリケーションでインストールができないものがかなりある。ホームページビルダーがダメ。最新バージョン12のディスクはなんと直近のバージョン11のディスクがないとインストールできないという。直接の親バージョンの利用者以外はダメなどという販売条件だったのか。(ソースネクストからジャストシステムに移管する条件と関係があるのか?)

 小物の環境も整わない。時刻較正、クリップボード拡張、カレンダー、・・・。やはり今回も土日の二日間では難しかったということ。先ほど、1テラの方のフォーマットをスタートさせた。(6/29/2008)

 きのう、7時半過ぎに荷物が届いた。夕飯もそこそこに作業に取りかかった。組み立てはまったく問題なくチェックを含めても3時間ていどで終了した。

 最初の計画では組み立てを終了したところで就寝し、Windowsのインストールとシステム構築はきょう朝からゆっくりとする心づもりだった。だが**くんから「1テラのハードディスクのフォーマットとなるとゆうに数時間以上はかかるんじゃないですか」と聞き、とりあえずシステムのインストールまでは済ませ、残りドライブのフォーマットを始めてから寝ようと思った。

 ところが、システムのインストールの最初で大幅なロスタイムが発生したばかりか、システムがDドライブにインストールされたり、やっと正常にインストールされたと思っていたらブートに関わるファイルがDドライブ上にあったりとともかく御難続き。結局、徹夜する羽目になってしまった。

 現在は三回目のシステムインストール作業中。(6/28/2008)

 朝の武蔵野線。背後で女性の声がした。「やめて下さい!」。「なに?」。「やめて下さい」。「なにしたっていうの、鞄、持ってるんだよ」。「片手、スカートの中にいれたじゃないですか」。ずいぶん、気の強い女性だと思った。男性の方は「なに、あんまりだ、こんなことで、いわれるなんて」と抗弁した。これもかなりの迫力だ。ところが、次の瞬間、女性は泣き出した。泣き声からすると、高校生くらいなのかもしれない。可哀想になった、男性の方はたたみかけるように「なにもしてない、なにもしてない、こんなことで」と繰り返す。声が裏返っている。

 背中で起きたことで事情は皆目分からない。男の切羽詰まったような声の調子からすると言いがかりのような気もするし、女は勇気をふるってはねつけたのにまわりの誰も助けてくれない冷たさに急に悲しくなったのかもしれない。しかしこちらはなにも分からない。振り返って声の主たちを確かめたところでどうにも判断はつかない。

 電車は西国分寺に着いて、そのまま降りた時、背後で別の女性の声がした、「ちょっと、あなた、そのまま行っちゃうの?」、少しとげを含む調子だった。振り向くと、いかにも痴漢役に似合いそうな中年小太りのおじさんが「なに、言ってんだ、関係ないよ」と女性を振り切るのが見えた。泣き出した女の子が誰だったのか確認はできなかった。

 痴漢行為はあったのか、それはあの中年小太りの男だったのか、それとも違う男がしたことだったのか、まさに「藪の中」だった。(6/27/2008)

 パソコンの調子が悪くなり始めてほぼ一月。月初めごろは立ち上げ時、ブルースクリーンになるのをやり過ごし小一時間してからリセットすればあとは問題がなかったのだが、先週ぐらいからは再起動回数を増やさなければならなくなり、日曜からは操作中に突然ブルースクリーンになるようになった。

 滴水録によると、このパソコンは02年8月22日の組み立てだから、もう6年近くになる。いくつかのアプリケーションではレスポンスが悪いなと感じることが多くなって4月頃から新規更新を考え始めた。もう自作は面倒と思い、エプソンダイレクト数回見積を繰り返してあるていどスペックをしぼったのだが、あてにしていたキャンペーン割引が終了してからはいかにもコストパフォーマンスが悪くなった。

 再度自作の腹を固めたのが先週、Windows-XPの販売が終了する前にOSのみは購入した。(いまのマシンのDSPを流用しようかとも思ったが、アップデートを延々とやること、またVISTAへのアップデートをしたくなった時のことを考慮した)

 午後半休をとって秋葉原に行き、ツクモでおおかたのところをまとめた。

 MPUはインテル・コア2クアッド(Q9450:クロック2660)、メモリはトランセンドでDDR2: PC2-8500 2GBを 2枚組、マザーボードはGIGABYTEのGA-EP45-DS5、インテルの最新チップセットP45を使った最新版、ビデオもGIGABYTEのGV-NX96T512HPというファンレスタイプ、ハードディスクは320GBを2台(各々C・Dドライブ用)と1TBを1台(500ギガにパーティション分割)、いずれもシーゲイトのものにした。予算外にかかったのは電源。店員の薦めでシーソニックの600Wのもので2万円ちょっと。ケースよりも高い。既に購入したOSと配送料込みで総額22万ほど。まあこんなところだろう。

 届くのはあさって。週末は組み立てとシステムインストール。滴水録によると、前回は約10日ほどかかっているが、今回はどれくらいかかるだろうか。(6/25/2008)

 久しぶりに立川の店で飲む。今週はあさってセンターの送別会。どうも飲み会は重なるものだ。

 大島クルージングの費用精算を行って次の計画の話など。大島往復で約2万5千円。これほど燃料代の高騰が大きいとはあまり予想していなかった(以前の感覚では1万5千円程度だった由)ということだが、まあ気の合うメンバー限定で、海を独占するかのような贅沢さを考えれば安いもの。

 そうは思いつつも、これほど高くなると、新島クルージングなどは「無謀」と却下。(もっとも「無謀」なのは*******UのGPSが故障していることにあるのだが・・・)。次回は、東京湾を遊覧して三崎かどこかでうまい刺身でも食べようという、ごくごく穏当な話に。秋が楽しみ。

 明るいうちから飲み始めて10時半過ぎまで。帰宅は11時を回った。(6/24/2008)

 朝礼で**さんが最近のニュースから「アジサイの葉で食中毒」という話をした。話を聞きながら、帝銀事件で使われた毒薬についてTBSにいた吉永春子が書いていた興味深い話を思い出した。

「ただ、外国の豆なんかでね、配糖体の作用でシアンが出る場合もあると言われているのです」
「配糖体?」
「そうです、シアン配糖体です」
「配糖体ってなんですか」
「植物の中には配糖体を持っているものが沢山あるのです。又その配糖体もいろんな種類があります。その一つにシアン配糖体がある」
「その配糖体を持った植物は食べられるものなんでしょうか」
「僕はよく知りませんが、口に入れられるものもあるでしょう」
「そのシアン配糖体の植物を食べると、体内でシアンが発生するというわけですか」
「そうですね」

吉永春子「謎の毒薬−推究帝銀事件−」から

 帝銀事件において犯人が行った毒薬の与え方は特殊であったが、吉永の「推定」はその理由をみごとに説明していた。吉永の「推定」はもっと恐ろしいことにまで及んでいたと記憶するが、ここには書かない。

 おそらくアジサイの葉そのものは毒ではないのだが、シアン配糖体を含んでいるのではないかと思う。それが体内に入って消化液の中のグルコシダーゼと反応して青酸系の毒を生成することが、今回の食中毒騒ぎの原因ではないか・・・、まあ、そんな想像。(6/23/2008)

 **(家内)は出かけた。朝帰りの**(下の息子)が起きてきたのはお昼少し前。シャワーを浴びてから帰った。ちょっと雨が激しい。新幹線に遅れが出なければいいが・・・。

 静かな日曜。・・・雨がしとしと日曜日、ボクは一人でキミの帰りを待っていた・・・。いや、まだ帰ってくることはないよ、**(家内)さん。

 雨が降っている。雨は嫌いではない。とくにきょうのように少し肌寒いくらいで、蒸し暑さを感じない雨の日は好きだ。山種美術館で観た奥村土牛の「雨趣」を思い出した。頭の中でドビッシーの「亜麻色の髪の乙女」のメロディーをあわせてみた。なかなかこれがあいそうだと独り笑い。

 きのう新座の本棚から持ってきた「哲学初歩」を拾い読み。やらなければいけないことがいくつかあるが、やる気がしない。まあ、いいさ、やりたくないものを無理にやるのは日曜日には似合わない。(6/22/2008)

 きのうの夜、**(下の息子)が帰ってきて、午前中はいろいろの話。本社にいた時よりは少し時間の余裕があるらしい。寮には事務屋はあと一人いるきりで残りはすべて研究所のメンバー。R&D関係について経理の立場からサポートする業務らしいがよく分からない。

 少し頭の固いところがあるので、「視点にプラスワン」と「もうひとまわりの度量」を意識したらといっておいた。体はもう十分なサイズに達しているのだが・・・。

 夕方、新座に本を取りに行く。「人は島ではない」、最初はアン・リンドバーグの「海からの贈物」ではないかと思っていたが、ジョン・ダンの言葉だと教えられた。「誰がために鐘は鳴る」の扉に引用されていたとも。ヘミングウェーは書棚にはなかった。・・・とすると、どこで読んだのか?

 「哲学初歩」はあった。裏表紙には「1965 . 1」と書いてある。400円。お年玉ででも買ったのだろう。どういうつもりで買ったのかは記憶にない。しかし定規を使って線が引いてあり、何ヵ所かには書き込みもある。その頃の書き込みを読むのは辛い。消してしまいたくなるが、いつもかろうじて思いとどまる。若さというものは恥ずかしいものだ。(6/21/2008)

 きのうパソコンのスイッチを切ってから、中山恭子のニックネームを思いついた。「ミセス待ちぼうけ」あるいは「守株夫人」。中山のしゃべり方を反芻しながら階段を上りつつ、あの口調、誰かに似ていると思った。寝床についてから「ああ、櫻井よしこだ」と思い当たって、似ているのは口調だけではないな(気持ちの悪い猫なで声、そして「慇懃無能」)とひそかに嗤いつつ眠りについた。

 朝刊にそのミセス待ちぼうけと対になる、もう一方の無能な「拉致問題専門家」の話が出ていた。大いに嗤える話なので書き写しておく。

 対北朝鮮外交をめぐり、強硬派で知られる安倍前首相と、対話重視派で超党派の日朝国交正常化推進議員連盟会長を務める自民党の山崎拓氏の批判合戦がやまない。山崎氏らの活動は二元外交に当たるとして、安倍氏は「百害あって利権あり」と批判。これに対し山崎氏は19日、「私は利権政治家ではない。誹謗中傷する政治家の人格を疑いたい」とやり返し、舌戦が熱を帯びている。
 口火を切ったのは安倍氏で、12日の内外ニュースの講演で「百害あって一利なし」と指摘。即座に山崎氏が「制裁一辺倒では前進がなかった。(安倍氏は)幼稚だ」と応戦。これを知った安倍氏が18日の講演で「政府以外の人が甘いことを言って交渉するのは百害あって利権ありと言いたくなる」とたたみかけた。
 ただ、「利権」とまで言われたことに、19日の山崎派会合では所属議員からも「名誉棄損だ」との批判が噴出。山崎氏は「取り消しと謝罪を求める」として、申入書を安倍氏あてに送付した。

 山崎が利権政治家であるかないかについては書かない。(だが、自民党代議士で利権政治家でない人物を捜すのは難しかろう)。しかし安倍のやってきたことが「制裁一辺倒」で寸毫の前進もなかったことは知らぬ者とてない事実。安倍が幼稚であることもまた百人中九十九人がそうだと答える事実。

 ただ五十の坂を過ぎて「幼稚」といわれれば痛かろう。ましてそれが紛れもない事実とあれば普通なら穴に入って出られないものだが、そこは「お腹が痛いので仕事を放り投げることにしました」と病院に逃げ込むような安倍のことだから恥知らずにもやり返した。

 人間は自分のレベルでしか世界を見られない。わずかにそれを変えるものは「教養」とでも呼ばれるもののはずだが、「幼稚な」安倍晋三にはそんな素養はあるはずもない。山崎もきっと拉致問題を食い物にした自分の延長だと思い込んだのだろう。必死になって山崎に浴びせる悪罵を考えて、洒落たつもりで「百害あって利権あり」と言ったに違いない。この程度の言葉しか思いつかない教養の低さには絶句せざるを得ないが、まあ、最近の右翼屋さんの相場はこんなもんだ。

 そういえば、週刊新潮の釣り広告に「『日本人拉致』の実行者『よど号犯』を帰国させるな!」というコピーがあった。新潮よ、もし彼らが帰国して新潮がいい加減にでっち上げてきた記事のウソがばれることにでもなったらと思っているとしたら、そんなことは心配しなくともよい。カネを出して新潮を読むようなおバカな読者の記憶力はよくはない、一方、記憶力のいい賢明な人々は最初から新潮など買わずに広告コピーだけで嗤っているのだから。

 なるほど自分のテリトリーが脅かされると思うと安倍晋三のような幼稚な政治屋も、週刊新潮のようなイエローペーパーも、洒落にもならない言動に走るのだねぇ。(6/20/2008)

 きのうワシントンのヘリテージ財団で行った講演で、ライス国務長官は北朝鮮が核計画に関する申告書を中国に提出するという見通しを示すとともに、ブッシュ大統領が北朝鮮のテロ支援国家指定解除と対敵通商法の適用除外を議会に通告する方針を明らかにした。この講演のミソは「申告書の提出」がトリガーになるような表現をしていることにある。従来のアメリカ政府の表現は「計画の提出」ではなく、「提出された計画に基づく検証」が条件であった。

 町村官房長官は記者会見で「北朝鮮からの申告提出や、指定解除の具体的なタイミングについては特段言及されていない」とか、「米朝協議は第三段階まで続く。その出口に向かうステップとして解除はあるかもしれない」とか述べた由。

 サンケイの有元隆志(アメリカの議会規則も調べずに「従軍慰安婦公式謝罪要求決議」の記事を書いたあのバカ記者だ)はこのニュースを伝える記事にライスの「書類だけで北朝鮮を信じることはしない」という言葉を書いていたが、有元はここでも肝心なことを書いていない(おそらく考えていないのだろう)。ライスが講演した場がどこかということだ。ヘリテージ財団は保守系のシンクタンクではないか。おそらくライスは「書類だけで北朝鮮を信じることはしない」という言葉を最後に言い添えたのではなく、そのためにどのような検証プロセスを経るかという説明の枕として語ったのだろう。つまり、国務省がかなりの確実な感触を持ち、あらかじめうるさ型のシンクタンクに了解を取る段階に入ったと判断する程度に、事態は具体化しているということだ。

 先日の北京での日朝協議の意味と背景はこれでおおよそ理解できたといえる。北朝鮮がどの程度のびっくり箱を用意してくれているのか、あるいは日本がどこまで北朝鮮のみならずアメリカからも見限られているのか分かる。楽しみに成り行きを注視しよう。

 そうそう、ピエロの発言を記録しておく。「拉致問題担当の中山恭子首相補佐官は官邸で記者団に『北朝鮮に具体的な動きが何もない。日本の状況を理解して解除を控えるよう、しっかり伝えてくれるものと思っている』と述べ」たという。この人は「毅然として」縁側に端座しておれば、熟し柿はいつか落ちてくるものと思っているらしい。天然自然のものはそれでよかろうが、相手が人間となるとそうは行かないという子供でも分かることがあの歳になっても分かっていないとは驚き。

 こんな人が拉致問題担当だったんだもの、拉致問題がミイラになってしまったのは必然のことだったのだ。週刊文春の広告には「官邸に呼ばれなかった中山補佐官」という見出しがあったが無能な飾り物が必要とされなくなるのは当たり前の話でお嗤い種。彼女もそろそろ自分がどれほど無能で役立たずであったか気づいて辞職すべき時なのだが、そういう「使えない奴」に限ってそのあたりの感覚もまたペケというのが世の習い。(6/19/2008)

 朝の「スタンバイ」の聴取者アンケートのテーマは「消費税率引き上げ、賛成か、反対か」というものだった。きのうG8各国の通信社インタビューで、福田首相が「日本は世界有数の高齢化社会だが5%でやっている。だからこれだけ財政赤字を背負っているとも言える。その辺のところを決断しなければいけないとても大事な時期だ」と発言したことを受けての話。

 当然というか、必然というか、賛成は約三分の一、圧倒的に反対という意見が多かった。反対理由の多くは「まず、無駄遣いをなくしてから」。そして無駄遣としては「役人の給与」から「ODA」まで。

 不思議なことがいくつか。まず「ODA(政府開発援助)」までが上がるのに「思いやり予算(在日米軍駐留経費負担)」を指摘するものがなかった(なかったのか、寄せられた意見にはあったにも関わらずTBSがあえてオンエア意見に取り上げなかったのかは不明)こと。たしかにODAの額は無償資金援助から政府貸し付けまですべてを含めると2006年度の場合は1兆3000億(「2007年ODA白書」による)にもなるのに対し、同じ年の思いやり予算は同じ年の場合2300億強である。しかしその中身には先月末に報ぜられたようなアメリカ兵が横須賀市内で犯した女性暴行事件の民事訴訟で確定したオーストラリア人女性に対する賠償金を、本人・アメリカ軍ともに支払を拒否したからと「見舞金」の名目で支払ったようなものまで含まれている。いったい、こんな支払いのどこに税金を使う意味があるのか。

 こういうとかならず「日本の安全保障はアメリカに・・・」などという説明がある。いいだろう、ならば次の問いに答えてもらいたい。先週、ストックホルム国際平和研究所が世界各国の軍事力と軍事費に関する年鑑を発表した。マスコミはいっせいに「中国の軍事費が世界第三位になった」と報じた。その発表によれば日本の軍事費は世界第五位、436億ドル(4兆6200億円)だった。まず、問い1、世界第5位の軍事費を支出しながら、アメリカに安全保障をしてもらうというのはどういうことか。そして、問い2、上位4国(アメリカ、イギリス、中国、フランス)は核保有大国(もう一つの核保有大国ロシアは第7位)だ。核兵器を保有せず、しかも攻めにくく、資源的魅力を有しない国にしてこの巨額の「軍事費」はいったい何なのだ。これだけのカネを軍事に傾けて、思いやり予算を払ってまでアメリカに媚びを売り、北朝鮮の動向に過剰反応をするというのは、自衛隊は張り子のトラ以下で、4兆を超える軍事費のほとんどはドブに捨てているということか。無駄遣いの筆頭にあげるべきは、まず「思いやり予算」、そして「贅肉のごとき自衛隊装備」(たとえば、漁船を駆逐することしかできぬイージス艦など)だろう。

 不思議の次は、なぜ、直接税ではなく間接税、それも消費税率だけが増税に関する唯一の道であるかのように取り上げられるのかということ。我が家はわずかばかりのボーナスから先週**万も持って行かれた。腹は立つが、これで勤労意欲がなくなるなどということはない。だから累進税制に文句はない。税率は我が家のランクあたりから一定になってしまうが、高額所得者に対する累進制はもっときつくてもよい。高額所得者は非正規雇用者の低賃金と労働流動性の恩恵があるからこそ、その報酬を得ているのだということを忘れるべきではない。

 もしどうしても勤労意欲が減退するというのならば、いつぞや森永卓郎が書いていたように相続額は一定としてそれを超える分は全額相続税として召し上げるというやり方にしようではないか。カネはあの世に持って行けるわけではないし、子供に残せばかえって子供の勤労意欲を減退させるだろう。

 高い地位で得られる報酬を当然のものと考えたり、資産の上にあぐらをかこうという人たちに、まず、高額の直接税を負担してもらうことこそが基本だ。消費税の税率はそれらの公平性が担保された後に論議されるべき話だ。ある程度の所得再分配がない限り、秋葉原事件はいろいろな形で再発するだろう。(6/18/2008)

 東シナ海のガス田について日中が共同開発の形をとることが合意された由。対象となるのは白樺(中国名:春暁)、楠(断橋)、樫(天外天)、翌檜(龍井)。

 アル中気味の前経産相は「採掘櫓は中国側にあっても中間線よりこちら側の分も吸い上げている」と俗に言う「ストロー効果」を主張していたが、未だ推定埋蔵量も分かっていない翌檜を除く3井のうち最大の埋蔵量と見込まれている白樺でも可採埋蔵量は0.7兆立方フィートといわれている。樫や楠に至っては白樺の5分の1から4分の1にとどまる由。たとえばプーチン政権の横暴と拙劣な日本外交のために利権を大幅に削減されたサハリン2などは18兆立方フィートといわれている。

 地図を見てみると白樺は九州と台湾のほぼ中間より台湾よりに位置する。直近に陸地のあってパイプラインの建設も保守もやり安いサハリンと比較すれば、日本にとってこんなガス田はコストがかかるだけであまり魅力はない。つまりこのガス田の生産品が経済合理性に適う可能性があるとすればそれは中国。日本にとっては仮に権益を得たところで中国に売るしかないというのが冷静に見た結論だ。

 とすれば、今回のこの合意は至極妥当。日本側でこれに文句をつけるやつがいたら、技術も経済も知らぬただのおバカさんであるということを自ら告白していることになる。けっこういそうだが。(6/17/2008)

 接続が悪いので西国分寺のホームで待つことになるのを承知で38分発の電車に乗るように変えた。けさは中央線が遅れていた関係でいつも通過を見ることになる特急の一本前の電車になった。

 いつものように立ち上げたPCで朝毎読と日経、東京各紙のサイトのトップ記事を見る。朝日のサイトはタイトルのみが並ぶレイアウトに変わってインパクトがなくなった。そのタイトルの一番目が「台湾の船4隻、日本の領海に侵入/尖閣諸島・魚釣島沖」だった。どうやら先週10日、巡視船と台湾の「遊漁船」(なぜ「漁船」と呼ばないのか不明だがマスコミはこう報じている)が衝突と台湾戦が沈んだ事件に対する抗議行動らしい。

 こういう記事は朝日などよりはサンケイが「変に詳しい」はずと狙いをつけて、タブ起動はしていないサンケイのサイトを見てみたが残念なことに該当記事はなかった。中国漁船だったら即時掲載だが、台湾漁船ということになるとサンケイ内のどこかの部署の「高度な判断」が必要でモタモタしているのかしらなどと想像して微苦笑。(お昼休みにサンケイのサイトをのぞいて見るとあった。記事掲載時刻は08:03となっている。ウソをつけ、その時刻にはそんな記事は載っていなかったぞ、と再び、微苦笑)

 朝日の記事には「11管(第11管区海上保安本部のこと)によると、16日午前3時50分、台湾側の4隻が魚釣島西南西約76キロの洋上で魚釣島へ向けて航行しているのを確認。その後、接近を続けたため、11管の巡視船は午前5時3分ごろから、マイクや電光掲示板を使って警告を発し始めたが、同5時53分、領海内へ侵入した。その後も、進路を変えていないという」とあった。この記事には「台湾側の4隻」とあるが、ラジオは既に「漁船1隻と巡視船3隻」と報じていた。もっともこちらの記事は6:54のタイムスタンプ。夕刊には「台湾の遊漁船『全家福6号』と巡視船3隻」とあり、「別の巡視船6隻の侵入も確認した」という追加情報が掲載された。

 巡視船が同行していたのは台湾政府の巧妙な意図が透けて見える話。つまり、対外的には巡視船の役割を「抗議船が過激な行動をとらないよう監視するため」と説明し、一方、国内に対しては「政府は毅然として我が国領海を航行する船の安全を守る姿勢」をアピールするというわけだ。

 住まうわけでもない島の帰属について喧しいのは、まず資源、とりわけ領海域の水産資源のこともあるのだろうが、水産資源の多くは人間の決めた領海域の中にじっとしているわけではないから隣接国の共有資源と考える方が実態に近いはず。とすると、これはもっぱら国内にいるナショナリストどもの慰撫のためで、きょうの台湾の巡視船などはそういうための随行と考えられる。ところでナショナリストどもはなぜ無人島の帰属に熱くなるのか。国富の故か。その国富はどの程度のもので、誰がその利を得るのか。激しく争うためにかえって得られるはずの利を引き出せない愚を犯していることに気づかないとは。

 夜のニュースは動かない(と信じられている)方の資源、東シナ海のガス田について日中間で共同開発の合意がなされていたことを伝えていた。賢明な合意。両国にいる愚かなナショナリストどもは大いに不満とすることだろうが。(6/16/2008)

 きのうの夕刊に山之内靖が書いていた「マルクス再評価の兆し」が妙に気になる。山之内はこう書き出している。「グローバリゼーションの進行と共に福祉国家制度は解体し、格差問題が深刻化している。こうした事態を背景としてカール・マルクスへの関心が復活の兆しを見せている。その動きは彼の主著『資本論』をめぐるテーマにとどまらない。かつてアルチュセールによって「マルクスから最も遠いマルクス」と烙印を押され排除された初期の著作『経済学・哲学草稿』が、エコロジーの危機と共に復権し始めているからである」。これで惹かれなければウソという感じ。

 「経哲草稿」、なつかしい本。高校時代に読んだ斎藤信治の「哲学初歩」には「パリ手稿」という呼び名で紹介されていた。大学に入ってからも**などがしきりに語る「経哲草稿」が、「パリ手稿」のことだと知るまでにはずいぶんと時間がかかったという想い出がある本。

 しかも、関心が向けられているのは、かつて注目の的となったこともある第一草稿「疎外された労働」の部分ではない。最近邦訳が出たスーザン・バック・モース『夢の世界とカタストロフィ』(岩波書店)も示唆するように、正確に読まれることがないままに放置されてきた末尾の第三草稿、「受苦的存在」としての人間を語ったフォイエルバッハ由来の主題のほうである。
 『経済学・哲学草稿』には人間の存在をあくまでも自然と大地の上に基礎をおき、制約されたものとしてみる受動的な観点が姿を現している。ここでの主題には、後の『資本論』を彩る労働者階級の闘争とその頂点に現れる革命といったダイナミズムはない。しかし、「受苦」のドイツ語である「ライデン」が読者に伝えるのは決して消極的な受け身の姿勢ではない。ゲーテの『若きヴェルテルの悩み』に込められた文学的テーマとしての「悩み」が同じく「ライデン」であるように、この「受苦」こそが、本来回復すべき情熱であり、人間の生の根源的な意味なのである。
 『資本論』第一巻を刊行した後、第二巻・第三巻の原稿はすでに出来ていたにもかかわらず、マルクスは自らの手で完結させることのないまま、エンゲルスに後事を託して死んでしまった。ここには、『資本論』のプランに行き詰まり挫折したマルクスの姿が浮かんでくる。挫折の要因は恐らく「初期マルクス」の「受苦」の視点が晩年のマルクスに再現していたという点にあったと思われる。そのことは晩年の作品『ゴータ綱領批判』に見られる次の文章が示すとおりである。
 「労働がすべての富の源泉である」という思想は社会主義者のものではなく、ブルジョワ思想である。土地と生産手段を独占しているブルジョワ階級は、自然が富の第一に重要な源泉だという事実を隠蔽しようとするのだ――。労働者階級の搾取を主題とする『資本論』とは明らかに質を異にする論点である。
 この観点が今日、実は「環境不公正」という新たな質を帯びた格差問題として浮上してきていることにも、留意しなければならない。地球温暖化による海面上昇が太平洋上の島々に住む人々から故郷を奪っているという状況はそのほんの一例である。産業技術の高度化がもたらす物質的な豊かさ、過剰なまでの便利さの背後から、自然と大地という根源を忘却して経済的安楽さを追求してきた近代という時代の歴史的限界が露呈し始めている。21世紀の社会科学は、「受苦的存在」としての人間という根源を自覚し直すことなしには、もはや存立の余地をもち得ないのである。

 「資本論」にまで手を出すことには絶対にならないと思うが、マルクスという偉大な山の裾野を遊ぶくらいのことは一度しなくては生まれてきた価値がないだろう。(6/15/2008)

 公開講座、最終回。テーマは「日本人の契約意識」。講師の杉浦保友はこれまでの一貫してアカデミーにどっぷりという教授とは異なり、一橋を卒業後、1970年から2003年まで三井物産で企業法務の現場、それも海外取引の最前線に立ってきたキャリアをもつ人物。

 契約に関する意識アンケート。そして例の日豪シュガー・ケースのアンケートに答える。そして川島武宜による「遅れた契約意識」と加藤雅信の実証データつきの反論などを紹介しつつ、彼自身が関わった実際例をあげて、「やはり実務経験的には日本企業とアメリカ企業の間には微妙な意識のずれを感じてきたこと」、そしてその理由などを分かりやすく説明してくれた。時間を延長してでも話を聴きたいところだったが、予定時刻10分オーバーで終了。

 公開講座ながら最後に学長名の修了証書が発行されるところはご愛敬。受講者は57人。ざっと見回したところ、若い人が二人ほどいたがそれは例外で、ほぼ同一年齢か年上ばかり。しかしきょうの内容などはできるなら高校生に受講させたいと思った。こんな分野にはこんな仕事があって、そこにはこんな面白さがある、キミもそういう場面で存分に生きてみないか、そういう経験はもしそのままストレートにそのコースに進まなくともけっしてムダにはならないはずだ。(6/14/2008)

 11日、12日と北京で開かれた対北朝鮮協議において、北朝鮮は拉致被害者に関する再調査を実施し、あわせてよど号ハイジャック事件の赤軍メンバーとその妻あわせて6人を送還するための調整を行う、日本は現在実施している制裁措置のうち人的往来規制と北朝鮮からのチャーター便の乗り入れ規制の解除、人道物資の積み込み目的に限定して北朝鮮籍船舶の入港を認めるという合意が成立した由。

 以上の発表された事項とおそらくは拉致問題に関する協議状況の未発表部分に対する説明を受けた家族会は、先ほど、記者会見で「満足していない」、「拉致問題解決に向けた取組みのハードルを下げただけ」と不満を述べ、ローカルなインタビューでは「制裁を継続し、圧力をかけ続けるべきだ」と言っていた。

 お気の毒と思うから誰も直言しないが、家族会のバカさ加減は拉致問題の解決にとってもはや障害の領域に達している。

 まず家族会に問いたいことがある。「あなたたちが主張した制裁による圧力はどのような成果を上げましたか?」、「いったい、どのような効果を発揮しましたか?」と。まず、このことに納得のゆく回答をしてもらいたい。「あなたたちは拉致被害者全員の帰国を訴えていますが、いまの制裁を継続したまま何の交渉努力もしないで、ある日突然北朝鮮が一方的に『死亡したと報告した人が生きていたので帰国させることにしました』と連絡してくると考えているのですか?」と。よほどの世間知らずでも、ここ数年続けてきた「制裁」が成果なり、効果を発揮してきたとか、ある日突然、北朝鮮が改悛するなどと考える者はいない。とすれば、ご不満をならす家族会の皆さんは、これから何をしたらいいとおっしゃるのか代案を出してもらいたい。

 もともと今回の北京での協議設定は我が政府の努力によるものではないといわれている。アメリカと北朝鮮の間の継続した協議の流れの中で、アメリカに促される形で設けられたということは公知の事実。したがって、べつに今回の取り決めが解決に向けた光明になるとも、賢明な取引だとも思わない。

 「拉致問題」に関しては北朝鮮はいつものとおり再調査という言葉を振り回すだけで何も実質的に進展することはないだろう。その意味では家族会の「不満」は理解できないわけではない。あえて書けば、02年9月17日の小泉訪朝の日、金正日がことさらに「拉致」という言葉を使って「国家犯罪」を認めたあのとき、その流れの中で一気呵成に事を進めることだけが「拉致問題」を解決する最初にして最大のチャンスだった。無能なくせに野心だけは人一倍という安倍晋三というバカが、かつて週刊現代がすっぱ抜いた素性の怪しい韓国人フィクサーの持ち込んだ「拉致問題解決」話に惑わされて、自らの手柄にすることを夢想して、唯一無二といっていい好機をつぶしてしまったということが問題をこじらせる元となったことは想像に難くない。

 しかし少なくとも赤軍メンバーの送還は「クモの糸」くらいにはなるに違いない。帰国した彼らがどのていどの情報をもたらすか、蓮池夫妻、地村夫妻がもたらした情報に違う角度から光を当てるものがあるかもしれない。家族会はいくつもの「失敗」を繰り返してきた。そのひとつに第一回小泉訪朝の年の暮れに持ち上がった横田滋と地村保の訪朝案をよってたかってつぶしたことが上げられる。それは北朝鮮にいる孫に会うという話(当時、地村家の孫は北朝鮮にいた)だった。横田めぐみの娘、キム・ヘギョンと横田滋との対面があれば、それが北朝鮮当局の管理の下でなされたとしても、母である横田めぐみの生死に関して横田滋はそれなりの感触を得ることができたのではないかと想像される。会わなければ情報はゼロに留まるが、会えば少なくともゼロということはない。虎穴に入らずに虎児を得られるわけはないのだ。家族会は政府がセットした訪米のようなテレビ映えはするけれど、いったいどんな成果・効果が得られるのかいささか疑問のある活動はするが、韓国の家族会が行っているような自力による脱北支援活動についてはもちろん地道な努力についてはいったいどのていどのことをしてきたのだろうか。

 今晩の記者会見が始まる直前、ずらりと並んだ右端の二人の女性が互いに何か言葉を交わして笑っているのが映った。たしかに政府からの説明は型どおりのものでさしたる情報量があったとも思えない。それに続くものだとしても、政府説明に不満をぶちまける記者会見の始まりにしては、どこかずいぶん緊張感に欠けているように見えた。拍子抜けする思いだった。それがいまのあなた方「サークル」の「空気」なのか、と。

 そういえば、今週発売の週刊新潮の広告には、「緊急対談:『拉致問題』で北朝鮮が仕掛けた『卑劣な罠』」というタイトルがあった。対談しているのは安倍晋三と中山恭子。何の成果も上げられなかった「おバカコンビ」が、まだ、「拉致」で地位保全を図ろうとしている。どうも「拉致問題」はよほどおいしい飯のタネになるようだ。嗤うべし。(6/13/2008)

 出張。久しぶりの新幹線。読めるかどうかと思いつつも二冊、持った。正解だった。どういうわけか、きょうは睡魔が襲うことはなく、まず往路で、読みさしだった加藤雅信ほかの「日本人の契約観」。題名は正確ではない。世界22カ国を対象にした契約意識に関する調査報告。結論は「日本人は誠意を持って臨むならば、約束(契約)そのものは必ずしも言葉どおり遵守されなくても差し支えないとするのに対して、欧米、就中アメリカなどは友情と約束は別物で、契約の遵守は当然のこととしている」という「一般常識」は実態に反している、日本人の契約意識は欧米の意識とほとんど差がないというもの。各国で行ったアンケート結果は非常に刺激的な内容を含んでいて非常に面白い。

 帰りは堤未果の「貧困大陸アメリカ」。新自由主義がもたらした悲惨な社会の各層が紹介されていて心が痛む。いわゆる「中流層」までがじつにあっさりと「下流層」に転落するところ、そしていったん下流になると這い上がることなど絶望的になること、つまりもはや「アメリカン・ドリーム」なるものは画餅に過ぎないことが手際よく書かれている。そこそこの生活水準にある人が虫垂炎の手術を受けるだけで職を失い蟻地獄のようなその日暮らしの境遇に落ちるなどというのは我々には想像もつかないが、彼の国ではさほど珍しい話ではない由。原因は「健康保険」。コイズミの「功績」である「後期高齢者保険制度」はおそらく「アメリカ型新自由主義国家」に向かう一里塚だということがよく分かる。(6/12/2008)

 「人は島ではない(No man is an island.)」。どこで読んだのかも憶えていない言葉が浮かんだ。

 マスコミが「秋葉原無差別殺傷事件」と名付けた事件の犯人、加藤智大が携帯サイトにアップした記事を読むうちに、人がどれほど人を必要とするものかと思ったのだ。人は離れ小島ではいられない。

 しでかした事が事だけに犯人に対する同情の言葉は一切ない。それは当然の事なのだろう、同情すべきは殺された被害者たちなのだから。しかし、そう、しかし、加藤智大なる青年が書き連ねた短い文章は痛々しい。夜のニュースによると、彼は「読んだ人に犯行を止めてもらいたかった」と供述した由。バカを言うな、甘えるんじゃない、誰しもそう思うだろう。だが、おそらく彼は「言い訳」としてこう言っているのではない。自分の話を真剣に聴き取ろうとしている(ように見える)取調官を前にして、ウソ・偽りのないところを精一杯まじめに語っているのではないか、あの短文の集成はそう想像させる。

 皮肉なのは、自分の話をきちんと聴こうとする人間が彼の前に現れたのは、彼が人を殺したためだということ。犯行に至る前にこのような機会があれば、事件は起きなかったはずなのだが、事件を起こさなければ彼にはこのような機会が訪れることはなかった。

 報ぜられた一連の彼の書き込みの中で印象的だったのは「私を管理する部門は人事部ではありません、工務部です」というものだった。これほど客観的に事実を見て、記録することができるのなら、ほんの少し視野を転ずることができれば事件は彼の手によって起こされることはなかったような気がする。ただ、彼同様の境遇に置かれているグループの中から、第二・第三の加藤智大が現れることは必然であると信じるけれど。

 きょう、参議院本会議は福田康夫内閣総理大臣に対する問責決議を可決した。首相に対する問責決議の可決は現憲法下でははじめて、旧憲法下では1929年に田中義一内閣総理大臣に対し貴族院が可決した例がただ一例あるのみとのこと。(6/11/2008)

 けさの読売朝刊のトップは「下水道談合」だったらしい。読売のサイトから記事を転載しておく。

 下水道施設で使われる電気設備工事を巡る談合事件で、1995年に独占禁止法違反容疑で刑事告発された日立製作所や東芝、三菱電機など重電9社が摘発後に談合を再び始め、約10年間にわたって継続させた疑いのあることがわかった。
 9社は本社主導の談合が告発されたため、受注調整の場を地方に移したという。告発を受けた企業が談合を復活させるのは極めて悪質で、公正取引委員会は本格的な調査に乗り出す。
 3社のほかに、談合を復活させた疑いが浮上したのは富士電機システムズ、明電舎、安川電機、日新電機、神鋼電機、高岳製作所。9社はいずれも95年3月、日本下水道事業団発注の浄化センターなどで使われる受変電や制御・監視用の電気設備工事を巡り、本社営業幹部らがシェア(占有率)を取り決め、落札予定者を割り振った疑いで公取委から刑事告発され、東京高裁で翌年、有罪判決が確定した。
 下水道施設の電気設備工事は、大規模な自治体が直接発注するケースと事業団に委託して発注するケースがあり、市場規模は事業団発注分だけで年間200億〜500億円に上る。
 業界関係者によると、事業団が94年9月に公取委の立ち入り検査を受けた後、9社は本社レベルでの談合を断念し、地方の営業拠点ごとに切り替えて続けていたという。メーカー関係者は「現場の担当者同士で受注意欲などの情報を交換するようになった」と認める。
 各社は営業拠点での談合でも、新規物件は営業努力を競い合う「汗かき」、継続物件は過去の物件を手がけた社を優先する「既設優先」の以前からのルールを維持していた。こうした動きは本社の営業部門も了承していたとみられる。談合は復活後、10年近く続いたが、東京地検特捜部が2005年11月に新東京国際空港公団(当時)を巡る官製談合で強制捜査に着手し、離脱する社が出て消滅したという。

 朝日の夕刊にも後追いで同様の記事が載っているが、記者は談合構造の背景について、どのていどの取材をし、事実関係についてどこまで把握をしているのかと思う。水を離れて十数年以上になるから、断言するほどの確信はもてないが、少なくとも************************。どこか違う場面で取材したことがらの延長で記事を書いているのではないか。

 もし談合を呼び込む構造について正確な理解があったなら、「既設権」の淵源がどこにあるかは分かるはずで、記事のトーンはもう少し違うものにならなくてはなるまい。(6/10/2008)

 けさは新聞休刊日。夕刊トップはきのう起きた秋葉原での無差別殺人事件。結局7人が死亡、7人が重傷、3人が軽傷。犯人は25歳の青年。(いま25歳というのは酒鬼薔薇世代、つまり、文部省が「日の丸・君が代の義務化」を織り込んだ89年3月告示の新学習指導要領の前倒し適用一期生ということ)

 社会面(18面・19面)と17面一ページを割いて写真が載っている。1面に2枚、社会面に3枚、17面に5枚。いずれの写真にも説明文とともに撮影者に関するクレジット。「馬上雄一さん撮影」、「竹花徹朗撮影」、「筋野健太撮影」、「福留庸友撮影」、「読者提供」、「現場にいた人が撮影」となっている。敬称がついていない写真はすべて撮影時刻が1時台以降になっているところをみると駆けつけた記者の撮影だと思われる。また「読者提供」というのは氏名の掲載を断ったということだろう。よく分からないのは「現場にいた人が撮影」、これと「**さん撮影」あるいは「読者提供」とはどう違うのだろう。

 最近、秋葉原の歩行者天国では様々の路上芸があるということだから、カメラ持参の人が少なくないことには納得がゆくとしても、血を流して倒れている人、駆け寄って介護している人にレンズを向け、シャッターを切る人には、どこか、しっくり来ない違和感を覚える。もっとも、その背景に目を転ずると、遠巻きにしている人々の横を「事件」には目もくれず、歩きすぎる人が映っている。「大丈夫か?」でも、「シャッターチャンス!」でも、いや「そんなの関係ねぇ!」という反応すら見て取れない、血を流している人間が「路傍の石」でしかない人がいるのだ。

 ・・・もしその場にいたなら、オレは、駆け寄る人だろうか、遠巻きにする人だろうか、シャッターを切る人だろうか、それとも先を急ぐかのように歩きすぎる人だろうか。(6/9/2008)

 6日からきょうまで開催された競泳ジャパンオープンで、話題のスピード社の水着(レーザーレーサーという由)の着用で日本新記録が15、世界新記録が1(200m平泳ぎ、北島康介)生まれた。ここまでの記録ラッシュを目の当たりにして、さすがの水泳連盟幹部も10日の理事会決定について「見たとおりの結果に落ち着くだろう」と述べたとか。

 しかしこれほど用具の進歩が記録更新に直接的に結びつくと、そもそも「記録とは何だろう」という気になる。着るものでこれほど記録が左右されるならば、もはやスポーツは泳ぐ人や走る人の能力の競い合いではなくなってしまう。とすれば、もう一度、原点に戻ってスポーツを夾雑物なしに楽しむためにはどうすべきか。

 簡単なことだ。古代オリンピックに戻すのだ。つまり、すべての競技は何も身にまとわない状態で競うということ。

 ところでそのとき女子の記録、男子の記録、それぞれはいまの記録よりも伸びるだろうか、それとも劣るだろうか。男は、たぶん確実に、劣るに違いない。邪魔になるものがあるからだ。その時スポーツ選手は争って、カストラートに・・・、なるわけはないか、呵々。(6/8/2008)

 公開講座、第四講。きょうのテーマは「最近の雇用問題と労働立法の動向」。雇用問題としては「サービス残業」と「偽装請負」について、労働立法としては「最低賃金法」と「労働契約法」についての4つのテーマを概説。講師は盛誠吾。

 手際のよいまとめ方で頭の中が整理された感じ。2時間はあっという間。印象に残った話、その一。「ヨーロッパでの派遣はあくまでテンポラリーなものに対して行われるのに対して、日本では恒常的業務に派遣を認めていることに基本的な問題がある」。

 思い当たったのはスカイマークのこと。週初めにスカイマークが今月2日から29日までの28日間で168便を運休する旨国交省に届けを出したというニュースがあった。けさの朝刊にはさらに「7月運休は300便」という見出しが出ていた。理由はパイロットが二人退職したため。二人減っただけで一日あたり6便の減便というのはずいぶんすごい話と思ったが、それ以上のことは考えなかった。帰宅して新聞を繰ってみた。解説記事にはこんな事情が書かれていた。

 スカイマークでは約25人の機長のうち、外国人機長が約20人と大半を占めるという。外国人機長は全点契約制のため、実働日数が毎月、15日程度の人も多い。外国人機長を重用する背景には、契約制のため需要に応じて解雇しやすく、日本人のように組合活動もしないなどの点があったとみる関係者も多い。
 こうした外国人の勤務のすき間を5人前後の日本人機長で埋めているのが実態だった。そこへ今回の日本人機長2人の退職で、いっきにも68便もの大量運休を出すことになったとみられる。

 なるほど恒常的業務をいつでも馘首にできる要員でまかなっている故のことと分かった。こんなことをしている航空会社が安全運行をどの程度の仕組みで実現しているか、安かろう危なかろうに違いないと疑われてもスカイマークは反論する根拠を持たないだろう。

 印象に残った話、その二。盛は、今年の春、台湾で開催された労働法についての講演会で労働契約法の概要を紹介した。「フロアとの質疑終了後、陳先生、台湾におけるこの分野では重鎮と呼ばれる方ですが、その陳先生が会場の若手に向かって、『諸君、諸君は絶対にこのような法律を作ってはならない』とおっしゃったのです」。

 どういうことか。作られたばかりの労働契約法は利害関係者の対立を調整することができず、一般論ばかり、従来判例をサマリした程度のお粗末なものだという意味。片方に市場原理主義によるお粗末なビジネス、もう一方に形骸化した法制度、沈み行く国よ。(6/7/2008)

 グーグルのバナー、きょうは「ラス・メニーナス」。何だろうと思って、wikipediaで調べてみると、きょうはベラスケスの誕生日だった。(1599年6月6日、セビリアの生まれ)

 読み終わったばかりの中野京子の「怖い絵2」はこの絵についてこう書いている。(「怖い絵」、「怖い絵2」、いずれもいわゆる「教養」をベースにした縦横無尽の解説で抜群に面白かった)

 何しろ複雑でたくらみに満ちた作品なので、いろいろ想像できるのが楽しい。そこへベラスケスの腕の冴えが加わる。実際に本作を見た人は誰もがその魔術に驚嘆するのだが、銀糸をたっぷり織り込んで煌めく王女のスカートなど、近づいて見ると単に筆で乱暴に絵の具を塗りたくっただけで、何を描いたかわからないほどである。ところが再び画面から離れると、やはりそれはみごとな布でありレースであり、それ以外の何ものでもないと納得させられる。荒っぽいまでの大胆さが、一定の距離を置くなりたちまち繊細さに変わる、その不思議の魅力!

 やはりプラドへ行きたい。書いてあるままだとしても、それをこの目で見られるものなら、実際に見たい。来年になるか、再来年になるか、でも、プラド、行くぞ。(6/6/2008)

 2016年の夏のオリンピック開催都市の第一次選考結果発表。選に残った4都市は評価点(政府支援・インフラ・競技会場・選手村・環境影響・宿泊施設・輸送計画・治安・大会実績・財政・計画)の高い順に、東京(8.3)、マドリード(8.1)、シカゴ(7.0)、リオデジャネイロ(6.4)。ドーハは評価点はシカゴに次いでいたが気温の関係で10月開催を譲らなかったため落選した由。ドーハの招致委員長が10月開催が受け入れられないということは実質的に中東を閉め出すものだといったのはもっともな話で、ほんとうの理由は他にあるような気がする。

 薄ら笑いを浮かべて記者会見に臨んだ都知事は「飛び上がって喜ぶような話ではない。これからは非常に複雑で見えにくい競争が始まる」と言い、記者から「IOCが独自で行った世論調査では4都市中、東京の支持率が59%と一番低かったが」という質問が出るや、不愉快そうな顔で「それは君たちが足を引っ張るからだ。国家的行事なのだから君たちはもっと協力すべきだ」と吐き捨てた。

 オリンピック開催都市の第一次選考での順位は必ずしも最終的な決定には結びつかない。北京の次の開催地であるロンドンは第一次選考ではパリに水をあけられていたという。IOC委員はけっして高潔な人々ではない。接待攻勢には弱いという定評があるし、買収の噂は常に絶えない。石原が「複雑で見えにくい競争」と言ったのはそのあたりのことを意識してのことだろう。東京以外の3都市はすべて初の開催であり、南アメリカ大陸での開催となれば、それもはじめてのことになる。アテネ(2回)、ロンドン(2回、そして12年開催予定)、パリ(2回)、ロサンゼルス(2回)などの開催例はあるものの、東京がアジアで初めての複数回開催地に選ばれる可能性はやはり低いだろう。

 とすれば、東京が勝つためには「相応のカネ」が必要になるに違いない。もっとも、そんなことは心配することはないのかもしれない。石原慎太郎は1000億のカネをドブに捨てて、なお400億のカネを再度ドブに捨てようという税金の無駄遣い王なのだから。

 それにしても、西の知事は予算削減案を提示している(きょう橋下府知事は「大阪維新プログラム―陳腐なネーミング!!―」を発表した)というのに、東の知事は無駄遣いのネタ探しに余念がないというのはなんともアンバランスな話だ。(6/5/2008)

 川崎工場で吉田道雄の講演を聴く。たぶんこういう講演はお手のものなのだろう、あっという間に話に引き込むところ、さりげなく著書とホームページの宣伝をするところなどはじつにうまい。

 主催は原子力統括部ではなくJANTI(日本原子力技術協会)。例の安全キャラバンの一環。タイトルは「組織の安全管理と人間理解」、サブタイトルが「グループダイナミックスから見た安全」。

 グループダイナミックスとは「集団力学」のこと。「人間」と書いて「ジンカン」と読むことを知っていれば、おおよその筋書きは分かろうというものだ。しかし実際データを提示されてその話を聞くと、その効用に驚く。プレゼンされたデータはひとつが「西鉄バスの有責事故の推移」、もうひとつが「三菱重工長崎造船所の全員参画による安全運動」。

 前者の例。50年代の初頭、保有車両数と走行キロ数が増大するにしたがって、西鉄バスでは自社側責任の事故件数が両者を上回る率で増加した。会社は事故を引き起こした運転手を集め、集合教育を行ったが、なかなか事故件数の低下にはつながらない。そして60年代の中頃、九大心理学研究室の協力でグループダイナミックスの考え方に立って、まず懲罰的な姿勢を転換し単なる座学の安全教育ではなく運転手によるグループ討論(引き起こした事故の説明、事故防止への知恵の出し合いなど)に切り換えることにした。車両数、走行キロ、事故件数の重ね合わせグラフはじつに劇的だ。台数は増え、キロ数は増加しているのに最大年間525件あった事故は翌年には310件、翌々年には136件になった。

 60年代の中頃は道路事情も格段によくなった時期であったから、この改善のすべてがグループダイナミックス応用の研修によるものとばかりは言えないかもしれない。しかしこの取組みそのものに十分な効果があったことは、同時に3名以上の参加があった事業所の方が1名ないし2名の参加だった事業所よりもその後の再発率が格段に少なくなったという事実から明らかに分かる。つまり研修後にたびたび「近頃、どうね?」、「いや気をつけとるけんね、あんたは?」、「おんなじたい、またやったら恥やけん」、「おうおう」というような会話があるところの方が効果を上げやすいということ。こうしてみるとJR西日本のいわゆる「日勤教育」がいかに拙劣なものだったか、人間をきちんと見ない管理などどれほど無意味なものになるかということがよく分かる。(6/4/2008)

 エステラ。

 譲ってもらった子供向きの本で読んだときからエステラが好きだった。子供心にでも一番賢明な選択がビディーなのだということは分かった。でもエステラに惹かれてしまうピップの心は、自分自身のものでもあった。

 ディケンズの「大いなる遺産」の大詰めでピップとビディーはこんな会話を交わしている。

「ねぇ、ピップ。あなた、あの女の人のこと、本当に怒っていやしないの?」
「うん、怒っていないつもりだよ」
「ねぇ、昔なじみに免じて、私に聞かしてちょうだい――あなたあの人のことを忘れてしまったの?」
「ねぇ、ビディー、ぼくは生涯に起こったことはほとんど忘れたりしないよ。まして、ぼくの心のなかでこのうえないほど重要な場所を占めていたことが忘れられるはずはないだろう? でも、ビディー、あのはかない夢はみんな過ぎ去ってしまったんだよ、全部、すっかりね!」

日高八郎訳「大いなる遺産」から)

 ディケンズの最初の発表原稿はこの会話で終わっているのだそうだ。つまり、定本にあるピップとエステラのミセス・ハヴィシャム邸跡地における再会は「じつはなかった」。それが「現実」というものにいくらか近いように思うのは歳のせいなんだろうね。(6/3/2008)

 江東区のマンションで姉と暮らす23歳の女性が行方不明になったのは4月中頃。容疑者として同じマンションの二部屋隣に住む33歳の星島貴徳という男が女性の部屋への家宅侵入容疑で逮捕されたのは先週、日曜のことだった。先週中のニュースで、容疑者が「遺体は切断し、トイレに流すなどした」と供述していること、さらにはマンション近くの下水道管から人骨様のものが発見されたなどが伝えられていたが、今晩のニュースでは被害女性のDNAと一致した由。

 防犯カメラの記録から、被害者が帰宅後マンションを出た形跡がないこと、そしてマンション各部屋の捜索でも遺体などが発見されないことなど不思議な事件と思われていたが、供述どおりとすると想像以上に特異な事件なのかもしれない。容疑者は「暴行目的で襲ったが騒がれたため殺害した」としているが、トイレから排出できる程度に死体を効率的に細かくすることは通常の生活用品では難しかろう。その一方で、一カ月以上警察なりマスコミが監視している中で解体用具を運び込むことも難しいとすると、そういう準備が既にしてあったと考える方が自然ではないか。どこか、あの佐川一政を連想させて不気味だ。

 気象庁から「関東・東海は梅雨入りした模様」との発表。(6/2/2008)

 一通り新規PCのパーツ候補を決めた。Core2Quadで4ギガのメモリ。余る分はRAMディスクにしてもいい。マザーボードはGIGABYTEのEX38-DS4。ハードディスクは1テラのものを2台。ゲームをするわけではないからグラフィックボードは何でもいい。2〜3万の間で選択。こんどは少し静音化にも気を配ろう。ケースと電源はアビーからと思っているがいまひとつピンと来ないところがある。

 概算23〜25万。かなり過剰なスペックには違いない。しかしこれくらいにしておく方が結局は長く気持ちよく使えるのだ。安物買いは銭失いのもと。

 FXのゲインが現在のところ15万くらい。このあたりが潮時かとも思うのだが、もう少し我慢して20万を超えるところまで待とうかとも。理想的には貯金に一切手をつけず、FXの稼ぎだけでシステム更新したい。P45チップのマザーも出回る頃まで頑張れば、ちょうど夏休みになるかもしれない。ただXPは今月いっぱいの由。それが悩ましいところ。(6/1/2008)

 あしたはもう6月になるというのに寒い。そしてまたしても雨の週末。

 公開講座、第三講。昨夜は新規パソコンのパーツ調査に夢中になり就寝が3時。先週のように眠気を誘う講義だったらどうしようと思いつつ着席。きょうのテーマは「入札談合をめぐる法的諸問題」、講師は山部俊文。朝からずっと雨なので出席率が悪いのではと思ったが、逆。先週、先々週よりもかなり多い感じ。テーマがタイムリーなせいか。

 配られたレジュメはかなり詳しい。先週の野田博のようにほとんどそのまま読み上げ説明するとしたらという悪い予感がしたが、さすがに11ページ(これに参考資料が20ページ)にもなるとそういうことはない。ポイントを押さえた説明で飽きさせない。飛ばした部分については「うんちく的な部分ですから、ご興味があれば」というが、結構おいしそうな話がポツポツ。参考図書の紹介もあって刺激十分の講義だった。終わったのは定刻プラス10分というところだったが、ちょっと駅前で道草を食った関係で7時過ぎの帰宅。あと2週で終わりというのは少し残念。(5/31/2008)

 自衛隊機の中国派遣は見送られることになった。派遣といっても単に支援物資の空輸程度のことなのだが、おおかたのマスコミが「戦後初めて、自衛隊(日本軍)機が中国の空を飛ぶ」と異常に興奮したものだから、またしても中国に肩すかしを食らったような形になった。

 ただおとといからの報道を「文章」でよく読むと、話のポイントは「早急に支援物資(自衛隊が装備しているテントだという話)が欲しい」ということが主であって、自衛隊機を使用することは「早急」という条件を満たすためならば「許容可能」とニュアンスだったことが分かる。

 きのうの朝刊には、町村官房長官の「自衛隊のテント、毛布などを自衛隊機で中国の空港まで運んでもらいたいという趣旨だと理解している」ということばと並べて、高村外相の「自衛隊機で運んでくれというわけじゃなくて、自衛隊機でも結構ですよ」というより慎重なことばが載っていた。

 聞きたいように聞いてしまうのが人間というもの。そういう傾向は粗忽者ほど強い。粗忽者には親中もいれば、反中もいる。「早く欲しい」と聞こえたか、「自衛隊機で輸送してくれ」と聞こえたか、それによってそれぞれの耳の持ち主の心のありかが分かるというのも面白い。どうやら我がマスコミは朝日からサンケイまですべて「自衛隊機で」と聞いて見出しを作ったらしい。そう聞こえたのか、それとも大多数の読者がそのような見出しを喜ぶと思ったのか、これまた興味深い。(5/30/2008)

 ネパール王室で奇怪な殺人事件が起きたのは7年前の今ごろだった。第一報はこのように伝えられた。「結婚に反対された皇太子が国王夫婦と王族ら計9人を射殺し自身も自殺を図って重体」、しかしこの皇太子は日をおかずに亡くなり、王位は前国王ビレンドラから、その弟ギャネンドラに継承された。「奇怪」と書いたのは検視した医師の証言とあわせて「@前国王の左側頭部から右側頭部にかけて短銃の銃弾が貫通しており、右利きだった前国王の『自殺説』は不自然、A泥酔状態だったとされる前国王の体からアルコール分が検出されなかった、B現場からライフル銃など4種類の銃器が発見され、犯人は複数だった可能性がある」などの事実が報ぜられたから。(もっと興味深いのはビレンドラ国王、王妃、犯人とされる皇太子、皇太子の弟と妹、計5人が全員死んでいるのに対し、ギャネンドラ国王一家は、王妃、息子、娘、計4人すべて無事であったという事実)

 王位を簒奪した感のあるギャネンドラ国王は即位時からネパール国民に不評だっただけではなく、議会の解散、閣僚も全員解任するなどの強硬政治を行いますます政情を不安にしてしまった。おととし4月の大規模な抗議運動により議会を復活したものの、前国王を謀殺したという「疑惑」も忘れられることはなく、まさに「山から転げ落ちるように」(きのう廃業記者会見を行った船場吉兆の女将が使ったことば)王位を失うことになったわけだ。

 昨夜から始まった制憲議会は王政の廃止を賛成560対反対4で可決、共和制政体を定める憲法の制定に向かうことになった。革命によらずに王制から共和制に移行する例は多くはない由。(5/29/2008)

 IPAXの展示を一覧、講演を一通り聴き、早く帰宅するつもりが、どうしても本屋に足が向いてしまう。ことしは既に購入金額が去年の年間購入額の半分、おととしに近いところまで来ている。いくら何でも少し使いすぎとは思っているが、退職後の時間のことを考えると、もうあれもこれも読みたいものはすべて読めるような気がして抑えが効かなくなっている。結局また5冊買ってしまった。(それでも買いもらした本が2冊。石濱裕美子の「チベットを知るための50章」とアレイダ・マルチの「我が夫、チェ・ゲバラ」)

 石川榮吉の本(「欧米人が見た開国期日本」)は今週の読書欄に取り上げられていた、そして草薙厚子の本(「いったい誰を幸せにする捜査なのですか。」)は**さんがそのブログに取り上げていたからだが、野田正彰の「見得切り政治のあとに」は偶然手にしたもの。野田が信濃毎日に定期連載しているコラムがいいという話は聞いていたが縁がなかった。帰りの電車の中で見出しから拾っていくつか読んでみた。台湾の元日本軍「慰安婦」を診察した後、訪れた金門島での話。金門・馬祖と並んで称せられた時代を紹介した後、こんなことを書いている。

 海岸線は鉄の杭が槍ぶすま状に打たれ、長い長い地雷原となっている。「地雷、危険」と書かれた赤標識から小道をはさんで農民が牛に犂を引かせている。野菜に水をやり、サツマイモを掘り出している。機雷などのため、海へ出ていくことが容易でない漁民は、海水を引き込み、カキや魚の養殖池を作っている。これらの農産物を使って、おいしい料理を工夫し、菓子を焼き、観光客をもてなしていた。料理が見事なだけでなく、島民のホスピタリティーは台湾本島よりも快く思われた。
 極めつきは、包丁やナイフの製造である。昔からの地場産業だろうと思い込んでいた「金門包丁」は、実は近年のものだった。無数にある砲弾を切り取り、精錬し、たたき、磨いて作ったものだった。今や台湾本島で「金門包丁」はブランドになっている。砲撃で壊された赤煉瓦と赤瓦の昔の街並みも再建され、観光の島に変えようとしていた。
 他方、金門よりはるか後方にある日本では政府や自治体が「安心と安全」という標語を乱用しながら、常に不安をあおっている。日本人なら恐ろしくって住めないような島で、金門の人びとは緊張をとき、暮らしを楽しんでいるのに。日本人は不安が大好きなのだろうか。

 皮肉な結びを読みながら、本屋の平積みにあった岡崎久彦の「台湾問題は日本問題」だとか、櫻井よしこの「異形の大国中国」などの書名を思い浮かべてかすかに嗤った。そして帰宅すると、中国へテントを中心とする支援物資を自衛隊機で空輸とのニュース。我が嫌中派は反対するのかしら、それとも右翼マインドの故に日の丸飛行隊の赤い国での「活躍」に驚喜するのかしら。それにしても町村官房長官の妙にうれしそうな顔が印象的。いつぞやの常任理事国騒ぎで露呈したことだが、この男には政治家に必要な一番重要なものが抜けている。(5/28/2008)

 朝のラジオで荒川洋治が「ほめことば練習帳」という本を取り上げていた。

 山本五十六のことばを思い出した。「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ」。組織における要員教育はこれに尽きると思う。退職までの間にまとめておこうと思っている品質教育プランについて考えた。

 まず「やってみせ」から。これは動機付け。興味を持たせる、関心を抱かせる、・・・これを学びたいという意欲を喚起するフェーズ。自動的に行われる新人研修を別にすれば、上長は部下に必ずこのステップを踏ませる責任がある。しかしこれはあまりできていないのが普通。

 そして「言って聞かせる」。これは教育の中の一方の中心ではあるが、けっしてすべてではない。多くは座学で行われる。時として寝ていたりするのはその前の動機付けがきちんとできていないからの話。

 「させてみせる」とは「実習」のこと。本来、教育プログラムの中にきちんと組み込まれているべきものだが、あれこれの理由から省略されることが多い。プログラムの中にないのなら、上長が意識して行わなければならないのだが閑却されている。「教育」と「実践」の対応関係をつけないのは費用の無駄遣いなのに平然としている管理職の多いこと。

 「ほめてやる」ことにはどんな意味があるのか。たぶんこのフェーズがいちばん誤解されている。ほめてやるというのはいい気にさせることではない。ふつう、学ぶ側は習得した知識・技能を適用するときに自信・確信が持てない。これに保証を与えるものが「ほめる」というプロセスなのだ。それでいいのか、それではまだ足りないのか、そこをきちんと伝えられるかどうか、これが「ほめる」というプロセスの意味。これは難しい。上長自身の知識・技能の裏打ちが必須となるからだ。自信・確信を持たない上長が増えている。彼らには人を育てることはできない。それはちょうど愛情を注がれずに育った子供は長じて子育てに失敗することが多いという事情に通じている。

 「人は動かじ」、これを「オレのいうことをきく」というくらいに受け取るのは間違い。これは組織要員としての仕事がきちんとできる人が完成したかどうかということ。

 ・・・と、ここまで考えて、こんな語り方をしたら、業務としての「品質教育プラン」はまとまらないなと思い直した。いまの「上長」のほとんどは「ほめられない」と「いうことをきかない」手合いばかりなのだから。(5/27/2008)

 きのうは帰宅した時間にはまだ結びの一番前だったのだが、楽の結びとはいっても優勝に絡まない両横綱(優勝は角界のベッカムといわれる琴欧洲)の勝負にはさしたる関心はなくテレビのスイッチを入れることはなかった。しかし相撲内容はともかく「見所のある」横綱対決だったらしい。新聞もテレビも琴欧洲初優勝よりも番外部分たるこの対決に「異常興奮」している。

 朝刊はこんな風に書いている。「結びの一番は両横綱の蛮行でぶざまな結末になった。引き落としで勝負がついた後、朝青龍は土俵に手をついた白鵬に両手でダメを押した。怒った白鵬は立ち上がりながら右肩をぶつけて応じる。その際に朝青龍の右手が白鵬の顔に当たったこともあり、両者は一時、土俵中央でにらみ合った」。

 またぞろ「品格」論議が持ち上がった。たしかに勝負がついた後のにらみ合いは見ている者にはあまり気持ちのいいものではない。しかしとかくに横綱の品格をうるさくいう「相撲通」は仕切り前のにらみ合いを異常に評価する傾向があるではないか。そのくせ、目に見えることだけを取り上げて「品格」論議をしたがり、なにやら大変なことをしでかしてくれたといわんばかりの話っぷり。相撲を格別のものと思わぬ者には片腹痛い。

 もともと「品格」は日常自然の行住坐臥の中に漂わせる空気にほんの少しついた香りだろう。いったいいまのこの国にそういうものを利きわけることができる人はどれだけいることか。(5/26/2008)

 予定のメンバーに**・**が加わって、計5名で山種美術館へ。**の話では以前茅場町にあった頃はもっと展示量が多かった由。ホームページによると、来年秋には広尾に移転、展示スペースも倍になるとのことなので、仮住まいなのかもしれない。

 収穫その一。奥村土牛の「雨趣」。雨に煙る風景、湿潤の霧雨の中に遠景が消えてゆく、どこか懐かしい風景。収穫その二。絵ではなく「晩鴉」に付された作者竹内栖鳳の言葉。曰く、「嘘の配剤を知らないのは芸術ではない」。どこか「時には嘘に依る他は語られぬ真実もある」という芥川龍之介の言葉を連想させる。

 千鳥ヶ淵から英国大使館前を通り、少し遠回りを承知で最高裁の角を曲がって、ニューオータニまで歩き、なだ万で食事をして解散。(5/25/2008)

 赤beの「サザエさんをさがして」。きょうの四コマは57年2月9日。波平さんをひげ面の男が尋ねてくる。「どうなさってました」(なんと懐かしい言い回し)と波平さんが訊ねると「暮れから山にこもって野鳥の研究に没頭してました」と男。お茶を持ってきたフネさんが「牧野さんや重光さんが亡くなられて」と言うのに続けてから、波平さんは「何でも神武以来とかでえらい景気ですわ」と言い、わきから「宗谷が南極に上陸して・・・」とカツオくん、「ひばりが塩酸かけられましたの」とサザエさんがたたみかけたところで、山男は目を回してひっくり返る。波平さんが「これだけいまの社会は刺激が強いんだよ」と、洗面器に水を張り、タオルとともに持ってくる。

 ざっと検索をかけてみると、牧野富太郎は1957年1月18日、重光葵は1月26日に亡くなり、神武景気は1955年から57年の間とされ、宗谷がオングル島に接岸したのが1月29日、ひばりがファンの少女に塩酸をかけられたのは1月13日のこと。(インターネットはかくも強力)

 その中からコラムは「南極観測」をテーマとしている。

 日本学術会議が南極派遣を決定したのは55年9月。以来、少年少女たちも、お小遣いの一部から、5円、10円の単位で義援金に寄付した。そうした浄財と国民的な期待に後押しされて、第1次隊は56年11月、南極に向けて出発した。隊員53人。翌57年1月29日には観測船「宗谷」が西オングル島に到着、近くに「昭和基地」を作った。これが、今日まで半世紀も続く南極観測の始まりである。・・・(中略)・・・ 50年代は、敗戦で傷ついた日本人たちが、プライドと自信を取り戻していく時代だった。サンフランシスコ講和条約を経て、改めて「独立」したのが52年。「もはや戦後ではない」という経済白書のことばが流行語になったのが56年。だが、「まだ閉塞感に包まれていた」。そこへ登場した南極観測である。遠い「未知の世界」の学術探検、夢とロマンあふれる科学探検。そう、「観測」ではなく「探検」だからこそ世間は沸いた。再出発したばかりの日本中が熱中した。

 記事には正確に書かれていないが、「南極観測」は国際地球観測年への日本の「貢献」として決まったものだった。いまはどこに行ってしまったから分からないストックブックにはその「国際地球観測年」を記念する切手が入っていたはず。ペンギンが仰ぐ空に地球儀、ペンギンの立つ氷の大地の向こうに宗谷とおぼしき船のシルエットが配されている図柄だった。

 しかしたしかに巷間流布した言葉は「南極観測」ではなく「南極探検」であった。それはおそらく「南極探検」が「敗戦で傷ついた日本人」がふたたび抱いた「ある希求」に基づくナショナル・プロジェクトだったからだろう。その希求とは何か。「領土拡張」への希求だ。つまり未割譲の領土、科学貢献という誰しもが反対しない行為の中に無意識に滑り込んだナショナリズムの最初のささやかな試みであったような気がする。だから国民は好んで「南極探検」という言葉を使ったのだった。(5/24/2008)

 あさの「毅郎スタンバイ」でサマータイム制導入に関するアンケートをとっていた。総数170、うち導入賛成は40票(24%)、反対は130票(76%)。圧倒的に反対が多いのだが、聴きながらの印象では、反対理由のほとんどはどちらかというと単なる感情論で、かりに導入されれば日を経ずに「反対」の旗を下ろすのではないかと想像させる。

 賛成論も似たり寄ったりのところがあるが、割合経験をした上での賛成論が多かった。一番すんなり聞けたのは「南米と中国で数年間の経験があるが、朝の太陽の恵みを無駄にしない点でよい。マスコミでは毎日一時間早起きしないといけないような誤った伝え方をしている。最初の一日だけの問題に過ぎない」というような意見だった。

 反対論の中に経験に立った上でのものがあった。「既に実験している札幌にいるが、サラリーマンは、午後4時、明るいうちに全員終了というのは現実的に難しい。結局、サービス残業が増えるだけ」。おそらくこれが一番正しいだろう。欧米、中国、すべてうまくいっても、きのう書いた「カイゼン」を「自主的活動」にしてしまうような国ではサマータイムはただのサービス残業促進制度にしかなるまい。(5/23/2008)

 朝刊トップはトヨタが「カイゼン」活動を「業務」として認定し、残業代を全額支払うことにしたというニュース。リードの最後のセンテンスが嗤える。「労働組合も了承しており、6月1日から実施する」。日本の労働組合なるものがどれほど第二勤労部化しているかということ。

 かつて猛威をふるった小集団改善活動は、近年では下火になっている。それは必然だといえる。いわゆる「カイゼン」はただ働きを引き出す巧妙な仕組みであったが、年功序列制が崩れ、より巧妙にただ働きを引き出すことが可能な「成果主義評価」が徹底すれば、その方がよほどスマートなのだから。

 業界トップのトヨタがQCサークル活動を業務としてその労働対価を支払う姿勢に転換したことは同業他社、製造業全体に影響を与えるだろう。ゴーン社長が率いるニッサンなどではどうなっているのか、あるいは口先はグローバル企業といいながら、そのじつ生産現場はドップリとムラ型体制に浸かっている鉄鋼・電機業界の現状はどうなのか、知りたいものだ。

 いやそんなことよりなにより小集団活動を品質改善と切っても切り離せないものとして偉そうに「指導」してきた、勤労管理屋兼業の旧世代の品質屋ども(彼らのおかげでどれほど本当の意味の品質管理が歪められたものになったことか)は総退場を宣告されるはず。もっとも感性の鈍い彼らにそういう認識はかけらほどもないのだろうが。(5/22/2008)

 毎日のサイトにこんな記事が載っていた。

見出し:裁判員制度 司法解剖の遺体写真、イラストやCGも活用
 来年5月に始まる裁判員制度で、日本法医学会(理事長・中園一郎長崎大教授)と最高検は、市民から選ばれる裁判員の心理的負担を軽くするため、遺体の写真の代わりにイラストやコンピューターグラフィックス(CG)を使った立証を積極活用する方針を決めた。学会は、司法解剖の結果を裁判員に分かりやすく伝えるため、初めての一般向け法医学用語集の作成にも乗り出した。
 事件性が疑われる遺体の死因を究明する司法解剖の結果は鑑定書にまとめられ、裁判の証拠になるが、残酷な遺体や傷の写真も添付される。難解な専門用語が並ぶことも多く、学会と最高検は昨年7月に研究会を作り、司法解剖の結果をいかに裁判員に説明するか協議してきた。
 遺体や傷の写真は裁判員にショックを与える恐れもあることから、写真の代わりにイラストを鑑定書に添付したり、鑑定医が法廷で証言する際にCGを使う案が浮上。学会内には、傷ができていく過程を連続イラストで表すアイデアを提案する学者もおり、裁判員が目で見て分かる説明方法が検討されている。

 まず、専門用語。なぜそんな用語をあえて用いるかといえば、ひとつには概念の混乱を避けるためということがあろう。日常語が持つ尾ヒレによる誤解、あるいは勝手な想像を避けて、論理が「混濁」することを避けている、そういう側面があるはず。アホな大衆を差別したい、そういう下衆な専門家もいないとはいわないが、そればかりではない。

 しかし専門用語についてはまだいい。あくまで注意深くすればよいのだから。しかしイラストだのCGだということになるとそうはいかない。写真ですら、厳密には、実物ではないが、イラストやCGは「事実」ではない。誰かが作るものである以上、作り手の主観の混入は避けられない。そんなものにいったいどれだけの証拠能力があるというのだ。

 「遺体や傷の写真は裁判員にショックを与える恐れもある」。そんなことは当たり前の話で、それに耐え得ない者が有罪・無罪の判定を下し、量刑について関わるとしたら、これはただの裁判ごっこに過ぎない。多くの人々は自分が裁判員になることばかり想像しているが、自分がそういう裁判員に裁かれる立場になったこと、それが身に覚えのない罪に関するものであった場合、それを想像してみるべきだ。証拠写真ではなく、検察側の意を汲んだイラストレーターが誇張して作成したイラストが証拠として法廷に持ち出された場合を想像してみるべきだ。よほどお上に従順な愚か者でも慄然とするに違いない。(5/21/2008)

 きのうは**と立川で飲んだ。***での打合せを作って待ち合わせたので5時からスタート。9時過ぎまでいろいろ話し込んだ。ずいぶん飲んだ。

 どういう経緯で*****を辞めたのかについてはよく分からない。あまり語りたくない事情でもあるのではと思って聞かなかった。いきおい昔話になる。そうだ、彼とつきあうようになったのは、こっちの退職騒ぎがあってからだ。

 ******の開発が一段落して設計室に戻った。リレーシーケンスよりはソフト製作に関心が移り、異動を申し出たがいっこうにそういう話にならない。仕事が面白くなくても給料が高ければ許せる。給料が安くても仕事が面白ければ許せる。でも給料は安い、仕事は面白くない、これは許せない、そう思ったし、そうも言った。若くて生意気盛りだった。***の中途採用に応募した。それなりの試験はあったが、たいしたことはなかった。ただ面接の時に訊ねられたことは心に残った。「わたしどもの会社に何を売っていただけますか?」。会社専門人間になってはいけない、仕事専門人間になろうと思った。

 会社を辞めることにした。給料は五割り増しだった。課長に辞意を伝え、部長の慰留があって、形ばかりと思っていたら、思いもしない**さんから電話があった。

 「会社、辞めたいんだって、どうして?・・・じゃ、こちらで仕事するんだったら、辞めないこともありかい。・・・あしたの夜、うち、来ないか?・・・**、同期だったよな、一緒に連れてこいよ」。

 諸々の話の間をしながら見ていたテレビ中継は王がヤクルトの鈴木から756号ホームランを打つのを映していた。辞めることを止めた夜は世間的にも劇的な夜だった。辞める男を引き留めた人はいまはホールディングスの社長をしており、つきあってくれた**は仕事に打ち込んでそれ故に辞めた。辞めるのを止めたオレは**さんの当時の期待ほどの仕事はせず、最後まで会社に残り、来年定年で退職する。Such is life。(5/20/2008)

 天声人語、けさのテーマは「品種改良」。ビワという果物は釈然としない感じがつきまとう。あえていうなら損をしたような気がする。食べたあと種を庭の隅に種を埋めたくなるのは種の領域が大きいからに相違ない。

 「枇杷すすりすぐに大きな種と会ふ」という句を紹介している。川柳のように思えるほどに分かる。じつによく分かる。種なしビワというのがあるのだそうだ。名付けて、「希房(きぼう)」。読みもよければ、字義も通る。うまいネーミングだ。

 続けて星新一のショート・ショートを紹介している。

 動物学者がリスとライオンをかけ合わせた新生物をつくる。かわいいが、不審者には勇猛に立ち向かう夢の動物。それを見た友人の植物学者は、ブドウとメロンを交配し、大きな実が房をなす夢の果物に挑む。苗は育ち、ブドウ大の実をメロンのように少しだけつけた。

 バーナード・ショーの逸話を思い出した。イサドラ・ダンカンが「あなたと結婚したら、わたしの容姿であなたの知力を備えた子供が生まれるわ」と言うと、すかさずショーは「わたしの容姿であなたの知力の子供が生まれるかもしれないさ」と応じたという話。星新一はこのエピソードを種にしたのかしら。(5/18/2008)

 かなり前から受講したいと思いつつ、うち続く入院騒ぎと病院通いなどで適わなかった一橋の公開講座。ふたつある講座の中から「現代の企業社会と法」を選択。受講者は57名とのことだが、それほど混んではいない。ひと渡り見た感じではどうも年上、かつ男が多い。もう一つの講座は「男/女/ネイション−表象の政治学」。あちらの方が受講者には恵まれたかもしれない。

 きょうは第一講、「コーポレート・ガバナンスへの招待」。講師は仮谷広郷。まず「コーポレート・ガバナンス」の看板で論議される可能性のある論議を列挙するところからスタート。@いわゆる「会社は誰のものか」という会社主権論議、A会社の存在意義を問うことから始めるステークホルダー論議、Bコンプライアンス体制の構築を考える法令遵守体制構築論議、C経営者モニタリング論議、きょうの対象はC。小規模な事業を説例として取り上げ、その理解のもとに会社法による規定の理解を促す形。最後にモデル適用に潜ませた価値観への留意に至るまで懇切な説明。

 やはり市民講座は市民講座で全体的には少し「易しい」。それでも最近の記憶力ではと、かなりまじめにノートをとると、これはこれでなかなかの知的運動量。ほんの少し枝葉でふれたゲーム理論やら、所有権の正当化論の部分に収穫もあって、まずは心地よいトレーニング感覚で満足。(5/17/2008)

 月曜日以来の中国四川地震報道やらネット雀の書き込みやらを見聞きするにつけ、つくづく情けない国になったものだと嘆息するばかり。

 まずマスコミ。日本の救助隊派遣を中国政府が断ったといっては大げさに憂い、一転受け入れることになると「日本の申し出でを最優先に受け入れたのは胡錦濤訪日の成果を活かしたいからに違いない」と「政治的配慮」で説明しようとする。本当か。

 胸に手を置いてみたら分かることだろう。スイスやらアメリカやらの支援受け入れにもたついたのは、阪神淡路の地震の時ではなかったか。スイス隊が連れてきた救助犬の受け入れと法定の検疫の問題をどう調整するかが問題になったのはあのときだったと思う。非常事態に際して平時を想定している国内法規定とどう折り合いをつけるのかはどこの国でも簡単ではない。それがすべて「一党独裁共産中国」に固有の問題であるかのかどうか、そんなことも我がマスコミは判断がつかないのか。当事国でもない国のマスコミが自らの経験も忘れてソワソワ、ウロウロ、キャンキャンと大騒ぎする様は滑稽きわまりない。

 マスコミがこの程度なら、ネット雀の書きようはものすごい。「チベット弾圧のバチが当たったのだ」に始まって「死ね、死ね、もっと死ね、中国人、ザマーミロ」まである。これがいまのこの国のアベレージなのだとは思いたくないが、少なくともこのような言説が堂々と流通するということは、これほど愚かなことを書いても恥ずかしくもなければ、たしなめられることもないという「安心感」があるからだろう。

 こんな下衆が「オレこそがニッポン人だ」と歩き回っている国、これがいまのニッポンだ。ならば、オレはニッポン人でなくてもけっこうだよ。(5/16/2008)

 そろそろシステムを再検討しようかと思い始めている。今月に入ってから、システム起動時にBIOS設定を促すアラームが一回、突然のブルースクリーンが一回起きた。BIOS設定画面にして何も変更せずセーブ・再起動したり、単純に再起動しただけでトラブルにはなっていないが、コンセプトサーチのキーファイル更新時とホームページビルダーの対象ファイル読み込み時の反応は極端に鈍い。

 いつものポリシーでほとんど無駄と思えるほどのシステム構成で更新しようか、それとももうそろそろそんな「おたく」っぽいことはやめようか。こんどばかりはSCSIを捨てるとすれば、スキャナーはどうしようか。VISTAにするか、XPのままで頑張るか。・・・「生まれ出ずる悩み」は尽きない。中でも最大の悩みは、今度も「自作」するか、もうエプソンあたりのBTOにするか、だ。

 ためしにエプソンダイレクトで見積をしてみる。ボーナスシーズン狙いか、ディスカウントがある。20万少しかけるとまあまあの「過剰スペック」マシンが買えそうだ。しかしどうせそれくらい出すのなら、少し手間をかければ、もっとハイスペックにまとめられる・・・。しばらくは「楽しい時間」を味わうことにしよう。(5/15/2008)

 朝刊に「SAPIO」の広告が載っている。相変わらずといえば相変わらずなのだが、いまのこの国の糞詰まり状況を象徴しているようにも見えるので、記録しておく。

 今号の柱はふたつらしい。「世界を侵食する『闇社会』の台頭」のメインタイトルに「1晩40万円!世界のVIPを虜にする超高級売春クラブ『7つ星の女』」(武末幸繁)、「テロ資金、犯罪マネーを洗浄するマネーロンダリング最新手口」(橘玲)、「世界シェア90%!ネオ・タリバンが差配するアフガン・ヘロインの猛威」(エマニュエル・レイナート)、「1人7万円で女・子供25万人を売買する中国『誘拐ビジネス』の闇」(湯浅誠)、「天下統一を目前にした六代目山口組『参勤交代』の苛烈」(溝口敦)、「『消費者救済』を謳う改正貸金業法が貧乏人をヤミ金に走らせている」(窪田順生)。下半身ネタをトップに持ってくるあたりがご愛敬だが、ある種、まっとう。

 もう一つのメインタイトルは「媚中ニッポンの正体」。以下の記事タイトルは「『中国論』−中国人には『統一見解』しかない」(小林よしのり)、「世界から失笑された福田・胡錦濤会談の裏事情」(本誌政界特捜班)、「河野衆議院議長『媚中発言』の呆然」(井沢元彦)、「日本の仏教界はなぜチベット仏教弾圧に声を上げないのか」(大樹玄承)、「『最強国家ニッポン』の設計図−チベット問題ソフトランディング『究極のシナリオ』」(大前研一)。小林よしのりから井沢元彦までが熱烈な「SAPIO」ファンのための記事なのだろうが、「諸君」同様、どうも最近の右翼誌の低迷は「バカも三年もやれば飽きる」ということを如実に示しているのかもしれぬ。

 それにしても、井沢は、なぜ、正面切って中国を批判しないのか、不思議でならない。「反日」とか、「媚中」とかのお札をペタッと貼って、もっぱら、身内の額に貼り付けた「反日」と「媚中」のお札に向かって悪罵を投げつけるだけ。まるで祈祷師だ。相手をひたすら呪うだけしか能がない。哀れなものだ。ほら腐臭も漂ってきた。いくら低能が売り物のウヨクでも、もう少し切磋琢磨したらどうだ。このままでは知的惰性の中に腐り果てた職業サヨクの二の舞になるぞ、呵々。(5/14/2008)

 きのう午後2時28分(日本時間では3時28分)中国四川省で大地震が発生。マグニチュードは7.8。阪神淡路大地震よりは一桁違う規模だったようだ。死者は数千人から始まって既に万を超えた。被害地域は先日来話題になったチベットに近接し、チベット系住民も多数居住する地域である由。

 ・・・ここで、ふと思いついた、週刊新潮あたりにこんなネタを提供したら、買ってくれるかしら、と。「四川大地震は中国政府の陰謀。災害派遣を理由に軍隊を動員、チベット系住民を大虐殺」。胡錦濤の訪日と関連づけて大まじめに「リンリン暗殺説」を報じていたくらいだから、大いに乗り気になってくれるかもしれない。

 多少ともこの国の歴史を知っているものならば一笑に付すことはあるまい。大地震を奇貨として、軍人は「危険分子」を殺害し、警察は朝鮮人、中国人による不法行為を「警告する」形をとって自警団による殺害、暴行を煽った。いずれも他ならぬこの国で起きたことだ。同様の「国家的策動」を懸念するのも不自然ではない。心当たりのある者ほど、同じ悪事は他人様もはたらくに違いないと思い込むものだ。(5/13/2008)

 連休が明けてからまだ一週間も経っていない。しかし中央線はきょうもトラブル。アナウンスは「ご迷惑」を連呼しているが、毎度のことなので時間遅延などは一切気にしていない様子。緊張感などはぜんぜん感じられない。だからよけいにアナウンスの「お詫び」が浮いて聞こえる。「慇懃無礼」とはこのようなことをいう。

 中央線関係者の運行管理だが、最近は武蔵野線にも伝染したようだ。3月のダイヤ改正この方、朝7時47分に新秋津を出るはずの電車が定刻に運転された日は数日あったかどうか。47分が近づくと、予定したように構内アナウンスが流される、「47分発の電車は途中駅混雑のため・・・」、このあと続く言葉には二パターンある。ひとつは「ただいま、お隣の東所沢駅を出ました」、もうひとつは「*分程度の遅れが出ております」、そして「お急ぎのところ、まことに申し訳ございません、いましばらく、お待ちください」と締めくくる。

 JR本社は武蔵野線各駅にこんな自動アナウンス装置を設置したらいい。まず電車の遅れの理由部分には「途中駅混雑」の他に、「車両点検のため」、「信号機故障のため」、「沿線濃霧のため」、「線路内に人が立ち入ったため」、「急病人が出たため」など思いつく限りのいいわけを吹き込み、遅れ時間と隣駅名などをランダムに自動編集して流せる装置。

 べつにその時の状況をありのままに伝える必要などない。運行への取組み姿勢同様、もっともらしければそれでいい。ウソでも何でも適当に放送すればいいのだ。ただし謝りの言葉はバカ丁寧にする。払い戻しの絡む特急の運行を別にすれば、普通運賃や定期券客など口先の謝罪をすればどうでもいいと考えている(その証拠に特急の追い越し待ちのために遅れている普通電車を駅に五分も十分も停めて平然としている)のだろうから、その思想で押し通す。「巧言令色」はそのためにあるものだ。

 さらに時刻表を撤去した方がいい。守れない、そもそも守る「気」も「覚悟」もないダイヤなのだから、あえて公開する必要などない。その方が客も定刻に運転されるなどという「過大な」期待などしなくてすむというものだ。既に東日本旅客鉄道株式会社の信頼度など、そのていどのものになっている。(5/12/2008)

 約束どおり、システムとネットワークの不具合を見るために**邸へ。BフレッツのマンションタイプでVDSL経由に変えてから不調になったのだという。他にもWindowsUpdateや、マカフィーのウィルスパターンファイルの更新ができなくなったとか、かなり怖いことまでいう。

 順を追ってチェックを開始。LANカード、ドライバーとも問題なし。ところがDOS窓から"tracert"で経路情報を追おうとしたところですぐにつまずいた。初段から「* * * timed out」。どうやらVDSLやらなんやらNTTの機材はセキュリティ関連で応答を返さないのかもしれない。

 着実にチェックポイントをつぶそうとLANのプロパティから確認してゆくことにした。TCP/IPのプロパティを見るとIPアドレスは自動取得になっているものの、DNSサーバーについてはアドレスがセットしてある。これが標準設定なのだろうか。ためしにこちらの方も自動取得にしてみた。それでOKだった。おそらく切替導入に作業中に意識なく設定されていたのだろう。スパイウェアなどによる書き直しでもと思いhostsファイルをチェックしようと探す。lmhostsのサンプルはあるがhostsはない。どうも杞憂だったようだ。

 あっけなく片付いたこともあって、SP3への更新、PerfectDiskでデフラグなどをしながら、たっぷりおしゃべりをして5時前に辞去した。(5/11/2008)

 ミャンマーの米作のほとんどはイラワジ川が作るデルタ地帯でなされる。その低湿地帯を2日夜から4日にかけてサイクロンが襲い推計10万人を超える死者が出た由。

 国家という組織は愚かなものでいくらでも回避可能な「戦争という人災」に備えると称して「軍隊」にカネをかけたがる。そして度し難いことに愚かな国家ほどけっして避けえない「自然からの攻撃」に備えることにはカネをかけたがらないものだ。国家の愚かさを象徴しているのが「軍隊」という組織(だからこそ頭の不自由な右翼マインドの連中は「軍隊」を国の中心に置くことを理想とする)だ。したがって、その「軍隊」が政治の実権を握る国家は最悪にして最低の国家ということになる。現在のミャンマーはその最悪・最低の国家にあたる。

 きょう、ミャンマーでは新憲法の賛否を問う国民投票が行われた。マスコミは彼の軍事政権が各国からの支援をカネと物資については受け入れつつも、医師派遣などの人的支援は拒み続けていることとあわせて、国連の勧告などを例に引き、「・・・にも関わらず、国民投票を強行」と批判的に報じている。

 しかし「にも関わらず」ではないのだろう。つまり国民投票を(延期などせずに)速やかに終わらせ、人的支援として入国する外国人には選挙実態を見せない、これが本来のプライオリティを取り違えている愚かな軍人たちの「知恵」なのだ。もっともこれは彼がそれなりには正気を失っていない場合の話で、彼らが自分たちの権威と常識にこだわり続けるならば、国民投票が終わってもなお人的支援は拒み続けるだろうが。

 客観的に見るならば滑稽極まりないことだが、彼ら軍人にとっては大まじめな理屈なのだ。それは沖縄戦で住民に自分たちの常識を押しつけ、徴発した食料は戻さないくせに、手榴弾は気前よく配給した帝国陸軍の滑稽さに通じている。もちろん軍人にも高潔な人はいるがそれは例外に属する。おおかたはこのていどの愚劣な人間で占められている。(5/10/2008)

 また入っていた。気がついたのは去年の2月ごろ。最初は毎月月末、最近は月の初め。受信記録を見ると「接続ナシ」、つまり「ワン切り」。おかしいのはそれが「非通知設定」であること。「ワン切り」というのは「誰かな?」、「何だろう?」と思わせて、コールバックで引っかけようという狙いのはず。だから「非通知」では何の役にも立たない。

 先月末から大島クルージング出発まではなかった。大島クルージングの日は海上でもある(実際にはドコモの場合圏外になる時間帯は30分ていどのはず)し、充電器を忘れたこともあって、ほとんどの時間帯をオフにしていた。今月もまたまた「ワン切り」を敢行したのか、それともさすがにもうバカなことはやめたのか、どちらだったのか。確かめる術がないと思うと、かえって気になったりするところが我ながらおかしかった。

 ところが、けさ、**さんにメールをしようと思って携帯を見たら、入っていた。こうも正確に月一回のワン切りを記録が残るように狙い撃ってあててくるというのは、少しばかり気持ちが悪い。しかし「正確」であることが逆に「犯人」の目星をつけるのには役立った。夕方、かけてみた。非通知・ワン切りについてはしらばくれていたけれど、それ以外の話はできた。お母さんが亡くなった由。

 もう「定期便」はなくなるだろう、きっと。(5/9/2008)

 朝刊経済面にカローラの開発主査だった長谷川龍雄のことが出ている。先月29日に亡くなった由。トヨタの主査制度はクラウン開発主査の中村健也に始まるといわれているが、長谷川はその下で主査付きを務めていたらしい。

 記事によると、63年暮れごろにカローラの開発を提案した際、当時の豊田英二副社長には「良すぎる」と反対されたのだそうだ。トヨタ主力車種であったコロナの仕様と比べての話だったらしい。長谷川は販社の神谷正太郎社長を説いて味方につけ開発が進められた。記事には「長谷川さんが最も恐れていたのは東洋工業(現マツダ)のファミリア。800CCで売り出した同車が排気量をアップしてきたら『向こうが今のトヨタになっていたかもしれない』と振り返った」とある。記事には触れられていないが、当時マツダが注力していたのはロータリーエンジンだった。いまこの時点で見ると技術評価と市場性に関して、なんともいいようのない感慨を覚える。

 その長谷川が監修した本の末尾に「主査十箇条」というのがあった。こんな内容だ。

第一条 主査は常に広い知識、見識を学べ。
第二条 主査は自分自身の方策を持て。
第三条 主査は大きく、かつ良い調査の網を張れ。
第四条 主査は良い結果を得るためには全知全能を傾注せよ。
第五条 主査は物事を繰り返すことを面倒がってはならぬ。
第六条 主査は自分に対して自信(信念)を持つべし。
第七条 主査は物事の責任を他人のせいにしてはならぬ。
第八条 主査と主査付き(補佐役)は、同一人格であらねばならぬ。
第九条 主査は要領よく立ちまわってはならない。
第十条 主査に必要な資質
  @ 知識、技術力、経験
  A 判断力、決断力
  B 度量、スケールが大きいこと
  C 感情的でないこと、冷静であること
  D 活力、ねばり
  E 集中力
  F 統率力
  G 表現力、説得力
  H 柔軟性
  I 無欲という欲
「幻の高高度戦闘機−キ94―B‐29迎撃機の開発秘録−」から

 最後には「要約するに総合能力。それは『人格』」とあった。経験によれば、第一条と第九条はなかなか両立しない。第九条というのは憲法同様、この世の中では難しい理想のようだ。(5/8/2008)

 長い連休明けの初日。日程的にはできるなら大島クルージングが5・6ではなく4・5で間に一日欲しかった。それでも気力充実で出勤。きのうのにわか焼けで顔がヒリヒリする感じ。

 システムを立ち上げるとメールがどっさり。30日のタイムスタンプのものは少ないが、28日のものが結構ある。11日間ぶち抜きというのはさすがにそれほど多くはなかったらしい。部会があったり、急ぐものについてはそのつど付帯処理をしながら回答メールを書いたりする関係もあって、すべてのメールを処理し終えたときには3時近くになった。

 それにしても・・・と思うのは、メールの文章のひどさだ。まず、照会なのか、依頼なのか、通知なのか、読み返さないとよく分からないというメールが結構ある。ひどいものになると、本文ではほとんど何を言いたいのかよく分からず、いくつもつけられている添付文書の隅から隅まで目を通してはじめて「アッ、こういうことなのかな」とかすかに推測できるという具合。

 一昔前、対面であったならば、「要点から言え!」とか、「結論は何なんだ!」と一喝されたはずの語り口がまかり通っているという印象。「メールの書き方が悪いッ!」とメールで指導するなどという「気力」はふつう持ち合わせていない。したがっておそらく彼および彼女はほとんど気がついてもいないに違いない。

 長々とあれでもないこれでもないとやっている電話を端で聞くのも辛いものだが、あれはまだ自分はその当事者でないからまし。しかし「To」で来るメールとなると、否応なしにつきあわなくてはならない。そもそもそういう奴は「To」と「CC」の使い分けすらしない。

 こんなことが腹立たしくなるのは歳をとったせいなのか。(5/7/2008)

 きのう、・・・という感じがしないが、午前2時半、起床。まず宮本交通にタクシーを依頼。あらかじめ準備をした荷物を点検、3時、出発。志木街道から府中街道。眠っている町は静か、道路は空いている。交番の前の辻にはお巡りさんが立っているし、コンビニの入り口を店員が掃除している。人の目があろうとなかろうと、やるべきことをきちんとやっている人の姿を見ると、「まだ、この国の基盤はしっかりしているのだな」などと妙なことを思う。

 府中で**さんの車に拾ってもらい、**さんとは新宿で合流、木更津到着は6時前。釣り客相手の店で食料・飲み物を買ってマリーナへ。**さんのアニバーサリーU号は定員12名、全長は10メーターくらいだろうか。「モーターボート」というイメージよりははるかに大きい。相方となるウィッツ号のメンバーと相互に自己紹介をして7時前に出航。波浮港到着10時半過ぎ。

 きのうは曇ベースで時折薄日が射すという感じだったが、きょうは快晴、風はさわやかに頬をなでる。どんな文句のつけようもない好天。陸にいれば文句のつけようのない好天気も海上は別。午前中、元町港あたりをブラブラ歩きしていたときの快適さは、2時前、波浮港を出港するや吹き飛んでしまった。立っていられないほど揺れる。僚艇ウィッツを見ると時折ジャンプしている。こちらも同じ、バンバンと海面にたたきつけられる音がする。それでも小一時間経って大きな波がおさまると、多少の揺れもこれはこれで心地よい。庶民にはなかなか手に入れることのできない贅沢な遊び。

 木更津到着は5時。お世話になった船の掃除などを手伝い、9時半過ぎに来た。**さんが「こんどは新島あたりまで行こうか」と盛んに言う。「もう少し穏やかな季節はないの?」というと、「きのうはべた凪、きょうのが普通、条件はよかったと思うよ」とのこと。できれば、東京湾内の遊覧で楽しく談笑、というのがいいのだが。(5/6/2008)

 NHKあさ7時のニュース。盲学校の生徒が撮った写真が渋谷の商店街で屋外展示されているというニュース。指導をしたカメラマンの管洋志が出て、全盲の生徒たちがなぜカメラを持つようになったか、彼らはどのようにしてシャッターチャンスをつかむのか、彼らの作品は・・・などを語った。

 紹介された写真のすばらしいこと。セルフポートレートを撮った少女の表情など、見ているだけで涙が出てきた。カメラの先生管を撮った子はカメラ向けてから指でカメラをコツコツと叩いたのだという。管がその音に「なんだろう」と応じたとき、彼はシャッターを切った。「そんな写真の撮り方があるなんて、カメラマンを長くやってきたけど思いつきもしなかった」と管は言っていた。人間という存在の可能性について、日曜の朝にふさわしい心温まるレポートだった。

 作品は「キッズフォトグラファーズ盲学校の23人が撮った!」という写真集として刊行されている由。今度本屋に寄ったとき、探してみよう。

 あしたは大島クルージング。午前2時、起床で府中へ。**さんの車に拾ってもらって木更津出航予定は7時。そろそろ寝なくちゃ。(5/4/2008)

 家にこもっていると新聞と本ばかりになってしまう。毎度の書き出しになるが、朝刊から。

見出し:船場吉兆、食べ残し料理を別の客に
 牛肉の産地偽装や総菜の不正表示が相次いで発覚した高級料亭「船場吉兆」(大阪市中央区)=民事再生手続き中=は2日、昨年11月の営業休止前まで、本店の料亭で客の食べ残した食事を別の客に再び出していたことを明らかにした。湯木正徳前社長(74)の指示で、はしをつけていない料理などを「もったいない」として使い回していたという。大阪市保健所は同日、本店に立ち入り調査し、再発防止を指導した。
 市保健所によると、使い回していた料理は、アユの塩焼き▽稚鮎の素揚げ▽ゴボウをウナギで巻いた「八幡巻き」▽エビと魚のすり身を蒸した「えびきす」▽サーモンの焼き物▽刺し身の添え物――など少なくとも6種類。
 同社取締役の山中啓司料理長や代理人弁護士らによると、客が食べた形跡のない料理を置いておき、食材が足りなくなったときなどに再び加熱するなどして別の客に提供していた。使い回しは2〜3週間に1回の頻度で繰り返されており、調理場のほぼ全員が知っていたという。6〜7年前に正徳前社長から「もったいないから明らかに使えそうなのは使え」と指示を受けたのが始まりで、今年1月の営業再開後はしていないという。
 同社は昨年12月、偽装や不正表示問題を受けて農林水産省に改善報告書などを提出したが、使い回しについては触れていなかった。同日夜、店舗前で報道陣の質問に答えた山中取締役は「お客様に不快な思いをさせ、深く深くおわびします」と謝罪した。

 この記事を読んで、「高級料亭がねぇ」と嘆息するか、「吉兆だけの話じゃないさ」と笑うか、「怖いなぁ、従業員の給料少しあげなくちゃ」と首筋を撫でるか、様々の場面を想像して一人含み笑い。

 そうそう、「こんなネタが出るんなら、もう少しちゃんと書いておくんだった」と地団駄を踏んでいる編集長もいるだろう。最近号の釣り広告、「営業再開でも船場吉兆女将が『もう指輪は買えません』」。皮肉で辛らつなタイトルで売る週刊文春にしては、やけにやさしいフリだった。「一服、盛られたか」といぶかしんだくらいだが、ひょっとすると、食べ残し料理でも振る舞われていたのかもしれぬ、呵々。(5/3/2008)

 **(家内)はきょうはお出かけ。静かなお休みの朝。

 広げた朝刊一面には「内閣支持率20%」の見出しが躍っている。一週間ほど前は25%、その日、日経は29%としていた。朝日と日経の支持率はほとんどいつも数%あるので、ひそかにこれを「ANオフセット」と呼んできた。しかしきょう日経が報じた内閣支持率は21%、ANオフセットが解消されたということは福田内閣の支持率が正真正銘の「危険水域」に入ったことを意味している。理由は書くまでもないだろう。マスコミにとって乗り遅れは恥と思うが故のこと。

 政党支持率についても、朝日は自民支持24%、民主支持28%、日経は自民支持33%、民主支持36%といずれも民主が逆転したと報じている。こちらの方のANオフセットが解消していないのが面白い。

 日曜日の日、所沢に帰ってからと思った部分を書き写しておく。まさに孫引きそのものになるが、書き留めておきたい言葉だから。それにしてもやはりスキャナーは便利だ。

 かつて、英国のブルーム卿は、「刑事弁護の真髄」として、1821年にこう説いた。
 「弁護人はその依頼者に対して負担する神聖な義務として、世界のうちでただ1人の人、つまり、依頼者のために、かつ依頼者のためにのみに、その職務を行わなければならないということであります。
 いかなる手段をつくしても依頼者を助けること、弁護人を含む依頼者以外のものに対するいかなる人にどのような迷惑をおよぼしても、依頼者を保護することは、弁護人の最高にして疑いを容れる余地のない義務であります。
 弁護人は依頼者以外のものに対し、驚き、苦しみ、厄災、破壊をもたらそうとも、介意すべきではありません。
否、弁護人が愛国者として負担する国家に対する義務をも必要あれば風に吹きとばし、依頼者保護のため国家を混乱に陥れることも、それがもし不幸にして彼の運命だとしたら、結果を顧みることなしに続けなければならないのであります。」

佐藤博史著『刑事弁護の技術と倫理』(有斐閣刊)より

 いま大阪の府知事に「出世」した橋下徹や彼の扇動にのって懲戒請求を要求した度し難いバカ者たちには逆立ちしてもこの精神は分かるまい。(5/2/2008)

 **(家内)とサントリー美術館でガレ展を観る。エミール・ガレ、アール・ヌーヴォーを代表するガラス職人。ガラス器だけではなく、陶器、家具のデザインも手がけたらしい。

 息をのむほどに美しいものもあるが、「あっ、そう」というだけのものもある。「ガレとジャポニズム」という展示会タイトルではあるが、展示品を見た限りの印象ではガレの日本理解は「オリエント趣味」にとどまっていたのではないかと思わせる。トンボ、チョウチョ、バッタ、鯉、・・・それらが少しばかりうるさく、必ずしも雑器の中にとけこんでいないような気がするのだ。

 ジャポニズムの関係を説明するためだろう、ガレの作品以外の展示が少しあった。それらについてもう少し丁寧な説明が欲しかったような気がする。説明によっては素人にも別の印象を与えたのかもしれないのだから。(5/1/2008)

 朝刊に「教育振興 投資なき船出」という見出しで来月中にも閣議決定される見通しの「教育振興基本計画」に関する記事が載っている。教育改革を看板のひとつにしていた安倍晋三前総理は、結局、教育基本法改正のようなイデオロギー案件のみに熱心で、肝心の教育政策全般に関する基盤整備のようなことには何一つ手をつけずに政権を放り出した。

 もっとも教育の基盤整備について、ろくな識見を持ち合わせないというのは自民党文教族のDNAともいうべきで、安倍の前任の小泉などは特にひどかった。そもそも小泉構造改革というのは、大多数の国民に対するサービス費用を削減することが最大の目的であったから、「骨太の方針06」では教員給与、国立大学運営交付金、私学助成金など考え得るすべての教育関係費を削減してくれた。おかげさまでGDPに占める公的教育支出の割合は順調に下がり続けた。

 昨年の暮れ、OECDが07年版の「図表で見る教育:OECDインディケータ」を発表したとき、マスコミはこぞって学力調査結果で前回順位からランクダウンしたことを大々的に取り上げた。「ゆとり教育」が学力低下の元凶だとされ、新しい教育指導要領は授業時間の増加をうたった。その日はそのバカバカしい騒ぎを大いに嗤ったものだった。

 同じ資料のChapterB、197ページにあるグラフB2.2を見ると、大騒ぎをした我が国の初等中等教育に対する公的教育支出のGDP比は加盟30カ国中のブービー。朝刊にはその資料データを使って、フィンランド、アメリカ、イギリス、韓国、日本、そしてOECD平均の値が95年、99年、04年とグラフ化されている。順調に対GDP比を減らした国は日本のみだ。まさに「コイズミ・コーゾーカイカク」の賜物だということがよく分かる。(通貨危機直後の世界的景気後退期であった99年には各国とも比率を下げた中で韓国だけは唯一比率を伸ばしている。あのウォン危機を経験しても韓国は教育関係費を「カイカク」することはなかったということになる)

 これで学力調査結果のランクダウンのみを騒ぎ立てたのだから、どれほど愚かしい空騒ぎをしているかがよく分かる。教育関係費の「カイカク」→レベルダウン→定見なき「カイカク」→さらなるレベルダウン→・・・、まるでデフレスパイラルだ。沈みゆく愚かな祖国よ、コーゾーカイカクにカンパイ。

 上野動物園のパンダ、リンリンがけさ死んだ。22歳7カ月。夕刊によれば人間でいえば70歳の由。(4/30/2008)

 おととしの暮れに渋谷で起きた夫殺害・バラバラ事件の一審判決があった。弁護側の精神鑑定医だけではなく、検察側の鑑定医までが「刑事責任が問えない心神喪失状態にあった可能性がある」と報告した由で、このことからも判決に注目が集まっていた。

 判決は懲役15年。ワイドショーに絶好のネタを提供した事件とすれば妥当なのかもしれない。それにしても被告にとっては「敵性証人」である検察側鑑定医の意見を退ける論理はどのようなものだったのかとあらぬ興味をかき立てる。・・・こういう時、インターネット環境がないというのはじつに不便。

 テレビニュースによれば、判決は「精神鑑定結果に疑いはないし、専門的意見は十分に尊重するが、最終的に罪に問えるか否かという責任能力は法的に判断する」と述べた由。言い換えれば、これは「責任能力の有無は精神鑑定専門家ではなく裁判官が判断する」ということ。(通常、鑑定人は「可能性がある」という表現方法をとるが、それはある意味の「謙譲表現」というべきで、いくぶんなりとも鑑定結果に紛れの要素があれば「蓋然性が高い」などの表現を使うものだ)

 専門家の意見がどうあれ(きょうの場合は専門家の出した「鑑定結果に疑いはない」とまで言っているらしい)法的に判断するというのなら、カネをかけて精神鑑定をする必要などはなくなってしまう。なにより可笑しいのは「幻聴や幻視があった」とする鑑定意見は認めながら、「身元が判明しやすい頭部は遠くに、手足は近くに廃棄したり、携帯メールで被害者の死後も生きていることを偽装するなど、幻聴や幻視があったとしても責任能力は認められる」としているところ。この論理展開のどこに「法律的判断」があるのだろう。結論という目的地にピョンピョン跳ねてゆく、典型的なカンガルー・コート・ロジックではないか。いまやこの国ではワイドショーのような場における「空気」でまず「結論」が決定され、裁判官はその「結論」に迎合して判決を決め、しかる後に判決理由を曲芸的な論理で書くらしい。我々はそのみごとなアクロバット的論述をプロの技として拍手をもって迎えるというわけだ。

 ここまで社会が正気を失ったのならば、刑法の「心神喪失」条項は疾く廃止するがよかろう。そうすれば「精神鑑定」のようなものにムダな公費を使うこともなくなる。その方が感情論に盲動する連中を逆なですることもなくなるというものだ。この国のアベレージがそのていどなら法律もそのていどで十分。未だ明治の知恵にも及ばぬ幼児期の日本に戻るのもいいかもしれぬ。(4/28/2008)

 岩国市長選に現職議員を振り向けたための衆議院山口二区補選。結果は民主党の勝利。ガソリン課税と後期高齢者保険制度のダブルパンチではさしもの保守王国(いったいなにを「保守」しているのだろう?)ももたなかったということか。

 豊里の不便は風呂とネットワーク。シャワーが完備してISDNレベルでもいいからネットワーク環境があればこちらの方がいいくらいだ。もっともインターネット環境がないことは悪いばかりではない。本が読める。持参した中野京子の「怖い絵」を拾い読みしながら、今枝仁の「なぜ僕は『悪魔』と呼ばれた少年を助けようとしたのか」を平行して読む。

 今枝は光市母子殺害事件の弁護団にいて中途解任された弁護士。客観的に事件のこと、弁護団のこと、そして自分のことを書いている。被告少年を弁護する際、最大のネックとなった例の「不謹慎な手紙」についても、それなりの釈明が行われており読ませる。マスコミはあれだけ感情的で片寄った報道をして裁判に影響を与えたのだから、逆方向に片寄ってこの本に書かれた主張を取り上げてバランスを取ってもいいのではないかと思う。もはや死刑判決は動かしがたいのだから、橋下徹のようなアジテーターに煽られてホイホイと懲戒請求を寄せた正真正銘のバカたちに、多少なりとも自分たちのしたことがどれほど愚劣な行為だったかに気付いてもらうために。もっとも自省する能力すら持ち合わせないからこそバカはバカたり得るとすれば、彼らをまっとうな社会常識という水の上に浮いた油滴とすることが是非とも必要だ。

 この本の末尾近くに今枝がじつによい言葉を引いている。所沢に帰った日にでも写すことにしよう。(4/27/2008)

 昨夜はほとんどバタン・キューだったせいもあり、けさも朝風呂。ラジオを持ち込みスイッチを入れると、「大宅映子の辛口トーク」(博物館入りしそうな名前!)だった。賞味期限切れの御用評論屋と思っていたが、光市母子殺害事件に対するマスコミの偏りを指摘、裁判員制度への懸念との関係について至極まっとうな話をしていた。意外、じつに意外。

 汗がおさまってから出発。4時半豊里着。東北道は気のせいかいつもよりタンクローリが多かった。暫定税率復活の再議決が30日に予定されている。駆け込み需要がふくらむとみてのことだろう。

 茶の間にあった河北新報のコラム「河北春秋」。筋立てはありきたりなのだが、面白いことにふれていたので書き写してみた。

 オリンピックは本当にスポーツの祭典なのか。北京五輪の聖火リレーをめぐる混乱ぶりを見ていると、そう考えざるを得ない。厳戒態勢が敷かれる中、きょう長野市でリレーが行われる▼五輪が政治問題化したのは、最近では1980年のモスクワ五輪。冷戦下、旧ソ連のアフガニスタン侵攻に抗議して、西側諸国がボイコットした
 ▼人権問題がクローズアップされたのが、68年のメキシコ五輪。陸上男子200メートルで金メダルと銅メダルに輝いた米国の黒人選手が表彰台で黒手袋をはめた手を掲げ、黒人差別に抗議した▼結果は、選手村からの追放と米ナショナルチームからの除名。2人は帰国後も不遇をかこつ。だが、捨て身のパフォーマンスによって、米国での黒人差別の過酷さが浮き彫りになった
 ▼この振る舞いを晴れの舞台を汚した暴挙、と難じるのはたやすい。だが、彼らは五輪が国威発揚の場であることを熟知し、そしてそれを逆手にとった。北京五輪リレーの異常なまでの緊迫度は、建前は別として政治と五輪の「近さ」を物語っている▼チベット問題や人権問題で、中国政府を批判するのは自由。だが、40年前の抗議行動が記憶に残るのは、辛うじて非暴力に貫かれていたからだ。親中国であれ、反中国であれ、いま必要なのは抑制ではあるまいか。

 当時我がマスコミがこの「ブラックパワー事件」をどのように報じていたかを思い出した。黒人差別の状況から彼らに同情的であった新聞もあったがそういう新聞もテレビ・週刊誌と歩調を合わせて、この両名に対するアメリカオリンピック委員会の処分を当然のこととした。理由は「オリンピックに政治を持ち込んだから」あるいは「国旗と国歌を侮辱したから」というものだったと記憶する。

 その後「オリンピックに政治を持ち込んだから」という言い草はあまり使われなくなった。なにがあっても正しいとされるアメリカがソ連のアフガン侵攻を理由にモスクワオリンピックボイコットを呼びかける事態が発生したためだ。まさかソ連のアフガン侵攻が遠因となって、後に他ならぬアメリカが「アフガン侵攻」(なぜか「侵攻」の言葉は使わないようだが、一犯罪者の引き渡しに応じないくらいのことで「戦争」をしかけることが妥当だと後の歴史家は認めまい)をするようになるとは誰も想像しなかった。因果は巡るとはよくいったものだ。

 そう考えると、最近、にわか人権屋の看板を上げた連中にどんな皮肉な成り行きが待っているか、楽しみなことだ。チェチェン、北アイルランド、バスク、東チモール、チベット、・・・、身につかぬ「人権」や「フリー**」の看板はけっこう重たいはず。まあ向き合う権力が共産中国でなければ、最初から「カンケーネェ」というのがホンネなんだろうが。そのていどの志で「フリー・チベット」と叫ぶなら、あっという間に「熱」はさめるだろう。(4/26/2008)

 吉野家向けにアメリカから輸入された牛肉から特定危険部位として本来日本向けからは除かれているはずの脊椎が見つかった。アメリカ農務省は「日本向けではないものが誤って出荷された」と釈明したが、出荷元のナショナルビーフ社は「アメリカでもアメリカ以外の国々でも食べている安全なものものだ」とコメントした由。まるで「日本だけが特殊な要求をするから日本向け仕様としているが本来そんなことは無意味なのだ」と言わんばかりの話。

 件の危険部位は入荷ロット700箱うちの1箱のみだそうだが、吉野家はこの3月から牛丼の全店24時間販売を再開したばかり。入荷量が増えるや、たちまち見つかったということか。700本に1本の「当たりクジ」と考えるとなかなか「いい当選確率」だ。もちろん危険部位はあくまで危険部位に留まり、確実に異常プリオンを含んでいるわけではない。いまのところ毒入りギョーザよりは確率が低そうだが、みごとに当たりクジを引き当てた場合にはクロイツフェルト・ヤコブ病になることができる。メタミドホス中毒は解毒後は健康体に戻ることができるが、クロイツフェルト・ヤコブ病は地獄への片道切符だ。

 よく宝クジの売り場に「当たりクジ、当店から出ました」という張り紙が貼ってあるが、どうだろう吉野家は「おいしい異常プリオンは当店でご賞味を。抽選でCJDツアーへもご招待」とでも宣伝したらいかがか。(CJD:Creutzfeldt−Jakob Disease)(4/24/2008)

 野村證券社員を含む三人が企業買収・合併に関わるインサイダー取引により数千万の利益を上げていた容疑できのう逮捕された由。野村證券で企業情報部に籍を置いていた中国籍の錫とその知人。いずれも中国人。企業情報部というのは企業合併などのコンサルタントと証券会社としてのサポートをするセクションらしい。

 ちょっと前に読んだ野口悠紀雄の「金融工学、こんなに面白い」の中にこんな一節があった。

 ところで、この公式については、ブラック自身が述べているエピソードがある。ブラックとショールズは、公式の現実性を試すために、実際のデータを用いて、実際に取引されているオプションの価格の理論値を計算した。殆どのオプションは、現実値が理論値とおりだったが、理論値より非常に価格が低いオプションが一つ見つかった。「掘り出しもの」を見つけた彼らは、実際にそのオプションを購入した。しかし、ほどなくして分かったことは、その会社は、配当政策を変更することにしていたのだ。オプションの価格が低かったのは、そのためであった。彼らが、その情報を知らなかっただけで、マーケット参加者はすでに知っていたのだ。これは、「市場が効率的」であることの典型例の一つといえるかもしれない。

 「この公式」とはノーベル経済学賞受賞理由ともなった「ブラック・ショールズの式」のこと。ブラックとショールズは「逆インサイダー」だったと言える。市場関係者の多くが知っている情報を彼らは知らなかったわけだから。

 インサイダー取引に関する規制の意味は分かる。だが「効率的な市場」なるものを想定すると、いったいどのていどの情報を役立てたらインサイダー取引になるのか。ワーテルロー会戦の結果を利用したネイサン・ロスチャイルドは「有罪」なのかといえば「無罪」だろう。しかし彼が伝えられるような手法によらずに「イギリス軍勝利」という情報を得たものだったとすれば、簡単に「無罪」とは言えなくなる。

 インサイダー取引の境界はかなりグレイなような気がしてくる。(4/23/2008)

 光市母子殺害事件の高裁差し戻し判決。最高裁は、おととし6月、無期懲役の高裁判決を破棄して、「死刑の選択を回避するに足る特に斟酌すべき事情があるかどうかにつきさらに慎重な審理を尽くさせるため」差し戻しという判決を下した。かつて三百代言とは弁護士に対する蔑称であったが、いまでは裁判官を呼ぶ言葉として使ってもさほど違和感はない。ヒラメのように上ばかり見て、その意を迎えるためならば、どのような詭弁でも弄してみせる裁判官がゴロゴロいるからだ。

 だからよほど性根の入った裁判官でもない限り結論は出ていると思っていた。そして判決の結論は予想通りであった。しかし判決の理由づけはじつに「無惨」なものだった。差し戻し審を担当した楢崎康英裁判長は「斟酌すべき事情」の有無を審理することよりは、「死刑を回避」しないための理由付けに注力したようだ。夜のニュースで「一審、二審の判決はともに元少年の更生を願ったものと見ることができるが、虚偽の弁解をし偽りと見ざるを得ない反省の弁を口にしたことでその期待を裏切った」というくだりがあることを聞いて、理屈というのはどうにでもつけられるものまさに「三百代言」そのものと嗤った。茶番は、最高裁への上告、上告棄却、死刑判決の確定、・・・と続くに違いない。

 最高裁判決の出た日、日記にこう書いた。

 詮ずるところきょうの判決は「無期懲役では正義が保たれない」というものだ。事実関係にこれ以上審理の余地がなく、かつ破棄された判決が有期刑ではなかったのだから、広島高裁は死刑の判決以外は出し得ない。とすれば、今後の事態の流れは高裁が「死刑」といい、被告が再上告し、最高裁が「死刑でよい」というプロセスを「既定通り」に繰り返す以外はない。量刑の判断において犯人の年齢事情などの情状よりは犯罪の悪質性と被害者家族の慰撫の方を重く見なければならぬというのなら、それを最高裁判例として確定させるべきであった。その意味で本村の希望は当然のものだ。(06年6月20日)

 最後の「その意味で本村の希望は当然のものだ」という文章は、「山口母子殺害事件の上告審に対し最高裁は二審判決『無期懲役』を破棄、広島高裁に差し戻した。被害者の夫本村洋は見た範囲ではNHKからテレビ朝日へとハシゴ出演し、『最高裁には自ら死刑の判決を出して欲しかった』と言っていた」というこの日の書き出しを受けたものだ。

 その本村洋は、きょうの記者会見の中で、この事件によりまず二人の命が失われ、そしてもう一人、死刑になる元少年の命が社会から消える、事件がなければ生き続けていた三人の命がなくなることになる、どうすれば、加害者も被害者もでない平和で安全な社会を作ることができるかを考える契機にしたいというようなことを話していた。

 彼も10年近くにもわたる時間経過の中で大きく変わり始めたのではないかと思う。彼のとった戦術はまことにみごとなものであったが、それがもたらした「成果」が見えてきたいま、立ち尽くす「あした」が視野に入ってきたのかもしれない。それは悲劇の当事者にならない限り、それと闘わなければ絶対に見ることができないものなのだろう。はじめて、彼の言葉に大きく共感した。(4/22/2008)

 朝刊には中国での反仏デモの続報が載っているが、そのわきに同種ではあるがもっと嗤える記事があった。ロサンゼルスのCNNビルの前で中国系アメリカ人2000人が抗議集会を開いた。CNNのコメンテーター、ジャック・カファティなる人物が9日の番組中で一連の聖火騒動の尻馬にのって「中国人はならず者だ」と発言したことに対するもの。カファティという名前から移民が市民権をもらった嬉しさに何が何でも「アメリカ」におもねりたくての発言かとも想像される。

 どこの国にもならず者はいるだろうが、だからといってならず者がその国の国民のすべてをあらわしているわけではない。このていどのことは小学生にでも分かる。何に興奮したのかは分からないがバカなことをいうものだ。もし彼が「中国という国家はならず者国家だ」と言いたかったとすれば、ある程度理解できないわけではない。しかし世界最大のならず者国家が自分の住むアメリカ合衆国であるということくらいは自覚を持っておいたらよかろう。いったいアメリカという「ならず者国家」はここ十年の間だけでも世界中でどれほどの死ななくともよかった無辜の民を殺しまくったか。あまりに多くて誰もその数を正確には知らない。自分のことが分からないのは人類共通の宿痾だ。CNNコメンテーターの理屈を借りれば、「アメリカ人は自省する心を忘れた殺人鬼だ」から特に難しかろう。呵々。(4/21/2008)

 中国各地で反仏デモが起きている由。理由は聖火リレーに対する妨害。デモの参加者たちは妨害が一番ひどかったのがフランスだったと思っている。特にフランス資本のスーパー「カルフール」を標的にしているのは「カルフールの経営者がダライ・ラマに資金提供をしている」というウワサがあるからだとか。店を取り囲むだけではなく、買い物に訪れた客に対して「売国奴!」という罵声を浴びせる輩まで現れたという。

 いまの中国でカルフールで買い物ができる階層が社会的にどのていどの割合を占めるものか知らない。しかしふだんからそこで買い物をしている者が「売国奴」と罵ることは考えにくい。ふだんそういう店に縁遠い者であるからこそ「売国奴」という言葉が出てくる。中国に限らず格差社会では頭が不自由なために経済的に恵まれない人々はナショナリストになりがちなものだ。経済的に恵まれなくとも社会がどのようにできておりどう振る舞えば生活を改善できるかを考えられるほどの頭脳があればバカバカしくてナショナリストになどなりはしない。

 さしあたって「中国人であること」くらいしか自らを慰撫するものがない連中が、「愛国的」という「正当性」がパスポートになると実感できれば、どこまでも暴走する。「愛国的」とはそういうことだ。その小道具が国旗と国歌。反仏デモ隊が「五星紅旗」を打ち立て「義勇軍進行曲」を流しているのはまさにお約束通り。その様は冷静な批判者に「反日」のレッテルを貼ってひたすら「日の丸」と「君が代」に酔い痴れているこの国の右翼人士にとてもよく似ている。どちらも憐れで醜いナショナリストだ。(4/20/2008)

 4月になって、土曜版の「赤be」は「愛の旅人」から「うたの旅人」に代わった。きょうは西島三重子の「池上線」。

 あの歌詞は作詞者佐藤順英の実体験である由。「赤be」によると、駅は池上。71年学習院大1年の彼は他大学1年の彼女と交際していた。彼は国連職員をめざして、その年9月ハワイ大学に留学。文通での交際は続いていたが、翌年「私だけが待っていることに疲れた」という手紙をもらう。すぐに帰国したが、こじれた関係は難しく修復は適わなかった。復学せずにそのまま作詞家になった彼が、「留学直前、最後のデートで家まで送った夏の日の感傷を、帰国し、あきらめざるをえないと悟った冬の日の情景に移し、相手の女性に仮託して言葉を紡いだ」。

 ・・・女の側の詩にするなど、いい気なものだと思う者は、これという思いに破れたときの「男」のことを知らないだけのこと。ウソを書かなければ心の平衡が保てない、そういうことはある。

 記者は「少なくともよけいなお世話、重く見積もると、犯罪的迷惑、そうわかりつつも、彼女の消息を」追う。尋ねあてた女性の言葉がこれだ。「池上線80周年コンサートの情景を目にし、『どうしていらっしゃるのかなあ』と思っていました。あの方も、ご結婚されていますよね?」。彼は55歳になるいまも結婚していない。

 それにしても、女は本当にそう思ってこう言うのか、飾ってこう言うのか。この歳になっても、いや、死ぬまで分からないに違いない。(4/19/2008)

 日本国内の聖火リレーのスタート地点として決定していた善光寺が辞退を申し出た由。寺務総長は理由として、@文化財や檀家を守らねばならない、A同じ仏教徒としてチベット人への人権弾圧が行われていることを憂慮する、をあげた。

 @の理由は、日教組の教研集会の開催を右翼団体の妨害を理由にギリギリになって拒否したプリンスホテル、ドキュメンタリー映画「靖国」に対し一部国会議員の無言の圧力を恐れてあっさり上映取りやめた映画館も同様の理由をあげていた。

 「聖火」も「聖火ランナー」もチベットの自由を抑圧しているわけではないし直接の責任もない。自分たちの主義・主張を通すために、「無関係なことがら」あるいは「無関係な人々」を攻撃することを「無差別テロ」と呼ぶことにするというのが、最近の言葉の使い方であった。とすれば、これは立派な「無差別テロ」だろう。

 つまり善光寺は「テロの脅しに屈した」のだ。プリンスホテルも映画館も同様。こういう言い方を「屁理屈だ」というならその通り。もともと「テロの脅しに屈した」とか「テロの脅しに屈しない」などといって、ありもしない「大量破壊兵器」に猪突猛進する理由付けとすることそのものが「屁理屈」なのだ。

 善光寺が@の理由の他にAをあげたことはある意味では評価できる。しかしチベット人への弾圧は最近始まったことではない。善光寺が聖火リレーのスタート会場を引き受けたときよりも遙かに前から中国の不正はあった。善光寺はこれまでなにをしてきたのだろうか。善光寺が同じ仏教徒であるチベット人が永きにわたって弾圧されてきたことを知らずに、北京オリンピックの聖火リレー行事を引き受けていたとすればずいぶん迂闊なことではないか。

 ついでに書けば、そのあたりの弾圧は世界中に掃いて捨てるほどある。だから捨てて置けと言うのではない。世間の耳目を集めるほどの騒ぎにならなければ、知らぬ顔の半兵衛を決め込むつもりだったくせにと嗤っているだけだ。「空気」を恐れた善光寺の釈明は一見筋が通っているようでじつは通っていない。しかしその辺のまっとうな感覚を時代は忘れつつある。(4/18/2008)

 午後、大崎でグループの品質保証部会。***(中略)***さすがにファクトには沈黙せざるを得ないことくらいは分かっている。それが「品質をとらえて、老いを迎えた者」の唯一の取り得だ。会議は4時半前に終了。

 久しぶりに、と言ってもせいぜい半月ぶりくらいのことだが、本屋を覗く。日曜の読書欄に載っていたアル・ゴアの「理性の奪還」を探したが、どういうわけか平積みにはなかった。池袋西武のブックコーナーにはよくある話。

 本屋には相性がある。読みたい本がすぐ探せるということの他に、それと気がついてはいない状態で、これだ、こういう本が読みたかったのだという本と出会える本屋がある。池袋では芳林堂がそういう本屋だったが、いまはもう閉まってしまった。そういう意味では池袋西武は好きな本屋ではない。ただクラブオンのポイントがつくこと(だいたい年にハードカバーで一、二冊分が浮く)、そのことだけで決めている。どうしてもというときはジュンク堂にする。そういうときは自由価格本のコーナーも必ず物色する。

 会議資料がどっさりあって鞄が重い。新書5冊とハードカバー1冊にとどめた。(4/17/2008)

 車内広告でソフトバンクの922SHを見た。よくある折りたたみ形の携帯電話は蝶番が短辺についているが、これは長辺についていて横長扱いになっている。画面はワンセグ画面やPCモニタのように横長のディスプレイ、ボタンが並ぶ面がQWERTY配列のキーボードという仕掛け。

 NOKIA9000を思い出した。96年のCeBIT会場で見たNOKIA9000は当時としてはじつに斬新で魅力的だった。まだ電話の子機のような大きさでコロコロした感じだったが、普通の携帯電話を割ると大型ディスプレイを備えたポケコンが現れる、欲しいと思った、仮に電話として使えなくともいいから。

 携帯電話でメールをするのはあまり好きではない。キーインに手間取るからだ。しかしフルキーボードがあれば、仮にキーが豆粒でもなんとかなる。ただアルファベットが中心でJISカナを振り当てるほどのキーはないようだった。日本語の敷居は高いのだ。残念。(4/16/2008)

 きょうは年金の振り込み日。いわゆる後期高齢者医療制度の施行に伴う第一回の保険料天引きが行われるということで夜のニュースはそのあたりに集中。しかし問題は「後期高齢者」のみを構成員とする健康保険であることにあるわけで、天引きされることにあるわけではない。そもそも保険とは多数の者がある確率で発生する事象に共同で備えるものだ。つまり加入数は大きければ大きいほど、加入者のバラツキも大きければ大きいほど、安定でタフなものになるというのが常識であろう。

 それをわざわざ75歳以上のものだけで構成する、それも各都道府県単位にして地域ごとに保険料率を決めるなどというのは、「悪意」に基づく制度設計以外のなにものでもない。

 とはいうものの、いまごろ騒ぐのは間の抜けた話と言えぬでもない。この制度は小泉内閣が法制化したものだ。小泉が進めた「構造改革」というのは「市場原理」による資本主義の運用を徹底するための改革だった。勝間和代が書いていたように「資本主義というものは賢くない人から賢い人にお金が流れる仕組み」なのだから、小泉のような輩を歓呼して宰相に迎えたときに「賢くない人もほどほどに扱ってくれる社会制度」は葬り去られることが決まったのだ。

 「賢くない人」をこき使い、病気になったら「自己責任だ」といってどんどん社会の底辺に押しやる、それでも身体が強健で後期高齢者になるまで生き延びるような奴には、もう「後期」なのだから早く死ねと督促する社会ルールを定着化する、それが「構造改革」のめざす社会だ。年収が数百万ていどしかないくせに小泉自民に投票した「賢くない人」のなんと多かったことか、世の中はカモばかりだ。(4/15/2008)

 夕刊の「人脈記」(このコラムは一面の下部三段をまるまる割り当てている。右横にお天気欄が来るため紙面は完全に上下に分断される。こういう割り付けを「ハラキリ」と呼ぶ。かつては絶対やってはいけない割り付けだった、少なくとも高校の新聞局ではそう教わった)、ここしばらくは「マネー回流」。きょうはデリバティブ取引と金融工学。

 ブラック・ショールズの式の証明に「伊藤の公式」が使われていることと、ショールズとマートンがこの研究によって97年のノーベル経済学賞を与えられていることは紹介されているが、伊藤清がこの公式の功績により、創設されたばかりのガウス賞の第一回受賞者になっていることにはふれていない。残念なことだ。どうも数学者というのは地味な商売らしい。(4/14/2008)

 北京オリンピックの聖火リレーに対してチベット問題における中国の対応への抗議を理由とする妨害活動が頻発している。先月24日のオリンピアにおける採火式の際には中継映像に映るように「チベットに自由を」という横断幕を見せるていどであったが、イスタンブール・サンクトペテルブルクを経て、6日ロンドンに入るや抗議活動は聖火とランナーに直接向けられるようになった。翌7日のパリはついにランナーが立ち往生してバスに収容される事態。9日のサンフランシスコでのリレーは予定されたコースを避け、まるで犯罪者のように逃げ回るリレーという印象。

 欧米各国にこれほどチベット問題に関心のある人々がいるとは思わなかった。

 共産中国がチベットに進攻した時期は朝鮮戦争と重なり、アメリカをはじめとする欧米各国は何らこれに反応しなかった。ついでに書けば、台湾国民政府は「チベットは中国の領土」という立場を堅持していたから、国連におけるチベット問題は当時から中国の内政問題として認識されていた。朝鮮戦争が終わり余裕を持ったアメリカはチベットゲリラの養成(テロリストの養成と同義)に力を入れるようになるが、そのことが逆に共産中国の介入強化を引き出すことになり59年のラサの蜂起が起きる。これはあっさりと鎮圧され、ダライ・ラマはインドに亡命した。これがチベット問題の要約だ。

 共産中国のチベット弾圧については信頼できる資料は乏しいようだが、相当激しい人権侵害があったことに疑う余地はない。にもかかわらず、欧米各国政府も、普通に呼ぶところの人権団体(ふだん人権問題などせせら笑っている右翼系団体を除くということ)も、これまで、チベット問題に対しては比較的冷淡であった。だからここに来てなぜ彼らがかくもチベットに同情的になり、にわかに人権問題として抗議活動を始めたのか不思議でならない。

 不思議といえば、中国への抗議が聖火とランナーをターゲットにする理由もまた分からない。各国にある中国大使館と領事館をターゲットにするのがごく自然的な考え方であろう。聖火とランナーには「罪」はない。だから中国政府首脳にほんとうの意味の知恵があるのならこう言えばいいのだ。「我が国への批判と抗議は我が大使館へどうぞ。聖火ランナーは中国人ではないので抗議をしてもムダです」と。それが君子、士大夫というものだが、官僚化した共産党幹部には無理なことかもしれぬ、呵々。(4/13/2008)

 きのうの東名の事故で亡くなった観光バスの運転手の最期の仕事を伝える記事が朝刊に載っている。事故概要は以下の通り。下り線を走行していたトラックの左後輪のタイヤが外れ、中央分離帯を乗り越えて反対車線を走行中のバスのフロントガラスを破り運転手を直撃したもの。高速道路を走行中のバスの運転手が亡くなったにもかかわらず、乗客は7名の軽傷にとどまった。

 前から5列目に座っていた若尾正治さん(65)は左まぶたが切れ、ジャンパーに血のあとがついた。「下を向いていたらボーンと音がして、通路を細かいガラスがザーツと流れた」と語る。
 若尾さんは、バスは急に止まることはなく「スーツとセンターライン付近に停車した」という。大脇さんも「バスガイドさんが慌ててサイドブレーキを引こうとしたら、すでにブレーキは引いてあった」と証言する。
 同バスの幹部は「県警の人が『あの状況でよくブレーキを引いた』と言っていた。運転手は、意識があるかないかの状況のなか、衝突から200b以内で車を止めたらしい」と話した。

 運転手は関谷定男さん。この日が57歳の誕生日だったという。平生から模範運転をたたえられる優秀なドライバーだったと報ぜられている。みごとな仕事ぶりだったことを記録しておく。(4/12/2008)

 富士重工が軽自動車の生産から撤退する由。一世を風靡したスバル360は富士重工のヒット車だった。札幌の社宅で最初に「マイカー」(なんと懐かしい響き)を買ったのはお隣の戸田さんだった。戸田家にスバルが納車された日、多少興奮気味のおじさんが乗せてくれたことをよく憶えている。いまに比べれば、スバルの内装はシンプルで車内も狭かったが、タクシー以外、車に乗ったことのない身にはとても贅沢な応接間のように思えたものだった。

 スバルは当時の大衆車の水準をはるかに超えていたという。柳田邦男の「日本の逆転した日」は人気番組「プロジェクトX」に先んじた同じような味わいの本だが、その中にスバル360が世に出るまでを取り上げた章があったはずだ。スタッフは工場のある伊勢崎から赤城山山頂をめざすテスト走行を繰り返す。オーバーヒートとエンストの連続。技術的検討と改良。そしてついにノンストップ登頂に成功する。それはじつに感動的な話だったと記憶する。

 おとといの日記に書いた黒井千次はたしか富士重工に勤めていた。「夢のいた場所」の舞台はおそらくその伊勢崎工場だ。ネット検索をしてみると、彼が伊勢崎にいたのは1955年から1959年、スバル360の開発期間にぴったりと重なる。経済学部卒の事務屋さんに開発・製造関係者の苦闘がどのように見えていたのか、少し気になる。(4/11/2008)

 中央線に比べれば武蔵野線の運行は比較的安定していて、霧とか強風などの気象要因以外ではめったにダイヤの乱れはない。もっとも中央線はおそらく首都圏の電車線の中で最悪にして最低の線区だから比較対象になるものではない。その武蔵野線も最近恒常的に遅れるようになった。けさもいつもの46分新秋津発の電車が数分遅れていた。おしなべてすべての電車が遅れるわけではなくダンゴ運転になる。三郷レークタウンという新駅ができた影響について、スジ屋(ダイヤを編成する専門職)の考慮が足りなかったせいなのではないかなどと想像をしているところへ車内放送があった。「現在、中央線は武蔵小金井・国分寺間の沿線火災の影響で上下線が止まっています」。

 たしかに「沿線火災」といったかどうかは定かではないが、そのように聞いていつものように西国分寺で降りた。電車が止まった直後らしくホームはまださほど混み合ってはいなかった。それでも中央部あたりの車両はかなり混み合って着くだろうと考えて先頭車両の位置に並んだ。程なくホームにアナウンスが流れた。「国分寺の変電所火災のため止まっております。振り替え輸送を行います」という。「バカ野郎、変電所火災なら変電所火災と言えよ」と思った。沿線火災と変電所火災ではえらい違いではないか。そうと知らされれば、西国分寺では降りずに府中本町まで乗った。

 腹が立ったのはそれだけではない。「振り替え輸送」などと言いながら、近隣接続線への乗り換えの費用負担をするという意味なのか、バスなどの手配までするという意味なのか、また、どこからどこまでの「振り替え輸送」をするのかということを伝えなければ、情報としては無価値に等しい。なにも考えていないのだ。最近のJR職員は知恵遅ればかりか。

 変電所火災により停電する区間の情報も欲しい。立川から高尾方面が運転できるのかどうか、それによって府中本町で乗り換えたあと、立川まで行くのか分倍河原で京王線に乗り換えるのかが決められる。ところがそのあたりことは何一つアナウンスしない。なるほど「中央線に時刻表など不要」という陰口がたつのも道理と納得した。工場に着いたのは9時半過ぎ。

 結局、中央線が動いたのは午後3時過ぎだった由。朝の6時半に火事が発生して、テレビ・ラジオには何の連絡もせず、漫然と運行を続け、8時少し前になって電車を止めたというのだから、その感覚には驚く。旧国鉄時代に比べても中央線のJRスタッフは質的に低下している。たまには一ヶ月間5分以上の遅れゼロ件を達成してみたらどうだ。それができないのなら、駅の時刻表をすべて取り外して、「電車は来るときに来ます」とでも書いた看板を上げた方がいい。

 きょうの話はこれだけではない。帰宅時、改札を通ろうとするとSuicaが通らない。朝、京王線の駅を出るときには電子音を確認したはずだがと思いながら窓口に行くと、システムにかけて京王線乗車分の料金をリセットしてくれた。振り替え輸送負担の自動処理プログラムを動かして、ゲートをクローズしたものらしい。ところが西国分寺から分倍河原までの乗り越し分はそのままなのだ。せっかく作ったプログラムなのだが、ここもごく当然の考慮がされていない。おそらく開発仕様をまとめるときの検討がそのていどのものだったことによるのだろう。「語り得ぬものについては、沈黙せねばならぬ」は「論理哲学論考」の結語だが、「仕様として記述されないものは、作るわけにはゆかない」のはソフトウェア製作のオキテだ。いまのJRのレベルはこの程度らしいと、あきれ笑い。(4/10/2008)

 小川国夫が亡くなった。ただ一作「或る聖書」を読んだきり。

 会社に入った翌年のことだった。遠藤周作の「イエスの生涯」などと前後して読んだ。共観福音書とキリストの生涯を書いたものを集中して読んだころ。

 黒井千次の「夢のいた場所」を読んだのもあのころだった。そうだ、あれはまさに「夢」のいた「場所」だった。懐かしいというよりはいくぶん息苦しい、記憶。

 黒井千次はその後もいくつか読んだのに、小川国夫の本を手に取ることはなかった。それがなぜかは分かっている。はっきりしている。が、頭はそれを認めない。しかしそんな思いももう固化してしまったかもしれない。忘れなければ、こんど、新座に行ったときにパラ読みしてみよう。(4/9/2008)

 夕刊に興味深い記事が載っている。こんな内容。

 千葉県に住む女性が統一教会に「夫の病死は先祖からの因縁によるもの」と騙され2億1000万の献金と霊感商品1000万ほどを詐取された。統一教会側は当初1億3000万の示談金で逃げ切ろうとしたが、女性側が統一教会とあわせて宗教法人管理を所管する文科省も被告として慰謝料を含め2億6000万の損害賠償請求をするとの訴状を送ったところ、統一教会は一転して1億円を上積みした示談金を提示してきたという話。

 被害金額は2億2000万であるにもかかわらず、文科省の名前が出るやいなや、あの統一教会があっさりと2億3000万で示談にしたいといってきたというのが興味深い。

 まさか2億2000万−1億3000万を計算間違いしたわけではあるまい。ということは、統一教会としては文科省の管理責任を取り上げられることを避けたい事情があったと推測できる。記事は「統一教会側が高額の示談に応じたのは、文科省を刺激し、事業停止などの措置を受けたくないという思惑が働いたからではないか」という弁護士の言葉を載せている。確実に言えるのはその程度のことだろうが、おそらく、統一教会が霊感商法であれほど悪辣なことをしながら、いまだに宗教法人の看板を上げていられるのは、安倍晋三を代表とする一部の自民党議員が文科省に圧力を加えているからに相違ない。今回の「誠意ある」示談額の提示は、統一教会として彼らに「迷惑」がかかることを考慮してのことだろう。

 安倍は統一教会からいったいいくらくらいの袖の下をもらっているのだろう。まさか祝電を打つ費用ていどということはあるまい。引き算をすればマイナスになるくらいの計算はノータリンのシンちゃんにもできるだろうから。(4/8/2008)

 オリンピックに特段の興味はない。柔道についてもさしたる興味はない。だから北京オリンピック代表選考の最終ステージとなる全日本柔道選手権大会が開かれていたことも知らなかった。

 男子はまだ未定の100キロ超級を除いて、すべてこの大会の優勝選手が代表に決定した。男子60キロ級の野村忠宏は準決勝で伏兵浅野に負けて代表の座を逃した。アトランタ、シドニー、アテネ三大会連続の金メダル獲得は柔道種目では前人未踏の記録だった。少なからぬ人が四連覇という偉業の達成に期待したはずだ。それでもやはり負けたのだから仕方がない。そういう厳しさは必要だ。

 しかし女子の代表選手はなんとも情けない。なんと6階級中5階級までがこの大会で負けた選手なのだから。この大会で負けることがオリンピック代表に選ばれるための条件だったのではないかと嗤いたくなるというものだ。いったいどんな選考がされているのかと思うが、これに対する答えは「実績重視の結果」だというからあきれる。直近の対戦の結果は無視して、過去の実績を重視されたら、伸びるはずの若手の芽は摘まれてしまう。

 谷亮子などは決勝戦で一度ならず二度までも畳に倒されて敗退した。惨敗というべきだ。谷のオリンピックでの「実績」はシドニー、アトランタの金メダルにとどまる。代表の座を逃した野村には及ばない。もし谷に野村に勝るものがあるとしたら自分を売り出す器用さだろう。「谷でも金」というキャッチフレーズで味をしめた彼女は「ママでも金」という新しいキャッチコピーでみごとなまでのマスコミ操縦をしてきたが、あのうたい文句は変えた方がいい、「負けても代表」と。

 大会の結果を無視し若手を腐らせてまで、「過去の実績重視」と豪語した選考委員会の決定がどのていど正しかったか、まずは北京で、そして次のロンドンで、どのような結果が出るのか、楽しみに待つことにしよう。(4/7/2008)

 きのうは佐倉城址公園で花見。メンバーは*******、総勢14名。天候は上々、暑くも寒くもなく、桜は満開の峠を少し越えたくらいで、すばらしい。1時過ぎから4時過ぎまで桜とおしゃべりを堪能して、その後、近くの藍屋で会食。8時少し前に佐倉を出て、帰宅は9時半過ぎ。

 きょうは**さんの告別式。定年退職後はほとんどガンとの戦いだった由。享年74歳。**(家内)と8時前に家を出て、稲毛着が9時半。告別式から火葬まで意外に早く済んで2時前には稲毛を出た。池袋で買い物をして帰宅。

 朝刊の日曜「ナントカ学」は「魔鏡」。ガラスに銀を蒸着したものではなく、青銅などの金属を研磨した鏡。普通に鏡を見る限りは自分や周りのものが映るのみだが、太陽光を鏡に反射させて壁に映ずるとそこに隠された像(多くは仏像や経文など)が浮かび上がる。
けさの記事の写真には十字架にかけられたキリスト(それほど鮮明なものではないから、キリストかどうかは分からないが)が写っていた。てもとには魔鏡の技術に関してふれた雑誌「計装」の記事のメモがある。

 この2000年の歴史をもつ魔鏡が、いま光工学関連の研究者や技術者の間でにわかに脚光を浴びている。というのは魔鏡の投影現象を利用すれば、従来より簡単でしかも高感度な半導体シリコンウェハの表面検査や結晶材料の欠陥検査、あるいは将来の光コンピュータの素子作りなどに応用できるというのである。このため89年には魔鏡の利用に関する研究会も開かれており、すでに魔鏡現象を応用した半導体ウェハの検査装置を実用化した企業もある。
 だが、魔鏡現象のメカニズムについては、まだすべてが定量的に解明されたわけではない。工業技術院・機械技術研究所ではこの分野の研究を積極的に進めているが、これまでのところ、魔鏡全体はなだらかな凸面形状をしており、その表面に非常に微細な凸凹があること。そしてその凹面が鏡裏の絵模様の肉厚部分に対応しており、ここで光の収束が起こり、鏡裏面の模様を光の明暗パターンとして壁(スクリーン)に投影する、ということなどが明らかになってきている。
・・・(中略)・・・
 そして最近になって、触針計による詳細な測定や光干渉計を使った表面粗さ・形状測定、さらには反射像の光線追跡計算の結果、表面の微細な窪み(凹構造)による集光作用が、魔鏡結像の原因であることが証明された。
・・・(中略)・・・
 魔鏡の特徴は、肉厚が通常の青銅鏡よりも薄く、全体として平均1〜2mm、厚いところでも2〜3mmになるまで表面をやすりや丸い鉄の棒をつかって手作業で研磨することにある。そこで機械研ではこの表面研磨時の"弾性変形"によって凹構造が形成されるのではないかとの仮設を立て、実験を行った。

「先端技術への可能性を秘めた古代魔鏡の謎」(「計装」91年5月号:工業技術社)から

 肝心の実験結果の部分がない。なんとも中途半端なメモ。時間のあるときに調べてみよう。

 日曜「ナントカ学」にはさらに鏡にまつわる蘊蓄が書かれていて興味深い。「白雪姫」、「浄玻璃の鏡」、「リチャード二世」、「鏡の国のアリス」、「アルノルフィーニ夫妻の肖像」、「音楽の稽古」、「宮廷の侍女たち」、「組曲『鏡』」、「鏡の間」。魅力的なおもちゃが並んでいるが、別の日のタネに。(4/6/2008)

 風呂から上がってからずっと為替の動きを見ている。きのう誘惑に負けて、南アランドを一単位だけ買い建てをしたせいだ。意地の悪いことに13円24銭で約定してからランドはどんどん下がり始めた。

 ニュージーランドドルは一単位が1万ドルだが、南アランドは一単位が10万ランド。つまり10銭上下すれば1万円の上下、1円ならば10万円の上下になる。この数日間でランドは1円ほどあげた。11円台で底をうった。そう見えた。「おそらく」(これはお笑い)電力不足の危機も過ぎた「のだろう」(未確認の憶測)。よし、数十銭の上昇気流にのってアクロバットスタンダードの購入費に充てよう。そういうみみっちい考えだった。(・・・こうして文字にしてみると、チャートにつられてトレンドで稼げると考えることがいかに愚かなことかということがよく分かる)

 ちょっと前に「ドル対第三国通過の関係がどういうメカニズムになっているのか分からない」と書いたが、メカニズムそのものは分からないものの、かなり忠実にドルの上下に追従するようだということは分かった。

 9時頃、ずっと13円50銭界隈に張り付いていたランドが上がり始めた。15分位するとトントンときのう買い建てをしたポイント13円20銭(売値は13円16銭)に戻した。スプレッド分の8銭をクリアしたら決済売りをかけよう、小心者には遊びでも10銭1万円の上下は心臓に悪いと思い始めたとき、劇的に値は下がった。13円を切った。売値は12円94銭。ランドのマイナスは3万円。それを助けてくれるニュージーランドドルも80円を切って、プラスは1万円を切った。同じタイミング(そのほんの少し前)にドルは102円50銭から一気に101円80銭に下落していた。1分足チャートは90度の角度で千尋の谷へと落下している。

 その後30分足らずでドルは102円60銭まで戻した。ニュージーランドドルも、南アランドも同じように下落ポイントプラスアルファまで戻した。しかしきょうのロンドン市場はその後も総体的な下落トレンドの中でジェットコースターのように下落・上昇を繰り返していて飽きさせない。ドルはまた9時半頃の最低水準101円56銭まで戻ってきた。もう少しすると、ニューヨークの為替市場が開く。今晩、この先どこまで行くのだろう。(いま、101円48銭をつけた)

 どちらにしてもそれぞれ一単位ずつだから、ニュージーランドドルが77円まで下落しても、南アランドは11円を切るまでは持ちこたえられる。悪心から始めた南アランドの遊びのために40万円、人質に取られてしまった。パソコンの買い換えはしばらく見送りなるかもしれない。(4/4/2008)

 先月19日の夜、横須賀市内でタクシー運転手を刺殺した容疑者としてあげられていたアメリカ兵がやっと日本側に引き渡され、きょう横須賀署に逮捕された。ウグボグという名前のこの米兵への容疑は殺された運転手の足下にクレジットカードが落ちていたため早くから濃厚となっていた。マスコミがこのニュースを報ずるとき、「ナイジェリア人の」もしくは「ナイジェリア国籍の」という形容詞を必ずつけているのが可笑しかった。ナイジェリア人であっても、ナイジェリア国籍であっても、彼がこの日本に来て、この日本の領土内で、日本人を殺すことができたのは、アメリカ軍の兵士だったからだ。わざわざナイジェリア人であると強調する理由はどこにあるのか。

 米兵は入国審査を経て日本に入ってきているわけではない。検疫も受けているわけではない。伝染病にかかっていようが、保菌者であろうが、ドラッグ常習者であろうが、性犯罪の累犯者であろうが、フリーパスでこの国に入って来ている。当然、米軍当局の管理はなされていると思われているが、それがどの程度のレベルにあるかについては、日本政府当局はもちろん我々国民は一切知らない。毒入りギョーザに大騒ぎし、性犯罪の累犯者にGPS付き発信器をつけろと主張する人々も、もっと大きく空いた穴には気付かないのだからあきれてものも言えぬが、世の中の人々の平均値というのはその程度のものだ。

 その一方で、きのう衆議院外務委員会は在日米軍駐留経費の日本側負担を3年間延長するための特別協定案を可決した。たぶんきょうの本会議でも可決したものと思う。きのうのニュース解説によれば、対外条約・協定に関わるものは衆議院の優越規程があるから、仮に参議院が否決しても再議決などの必要はない。在日米軍駐留経費、いわゆる「思いやり予算」(ウィキペディアによれば、「英語表記でも『Omoiyari yosan』で通用する」由)はおおむね2,500億円前後で推移してきているが、負担範囲は拡大の傾向にあり、アメリカ軍の戦略転換による移駐経費まで広がろうとしている。気前のいい属国、日本は、極端な言い方をすれば、婦女暴行から強盗殺人までの犯罪を税金で助成していることになる。

 「愛国者」を自認するネット在住の右翼さんたちはこういった「主権侵害」や「属国化」には腹が立たないのかしら。彼らは頭だけではなく眼まで不自由なのかしら。

 ところで、目下お上主導で鳴り物入りのPRが展開されている裁判員制度、こういう米兵による犯罪もその対象にするのだろうか? できるなら、そういう裁判の時の裁判員になりたいものだ。思いっきり偏見にみちみちた判断をして「死刑」を主張してさしあげるのだが。(なに、心配には及ばない、仮に不当な死刑判決を下したところで、被告が上告して高裁に進めば、高裁には裁判員制度は不適用だから致命的なことにはならない)(4/3/2008)

 今年は早く始まったからもう終わりかなと油断をしていたら、きょうあたりから猛然と目が痒くなり、今年はじめて鼻水がチョロチョロし始めた。処方にザジデンを加えてからは「今年はなんとかこれで乗り切れそう、案ずるより何とやらだったなぁ」と思っていたのだが。少しばかり、土曜日の佐倉お花見会が心配になってきた。

 ペンギンは飛べないという常識が覆された由。BBCはきのう朝から「史上初めて空を飛ぶペンギンを撮影することに成功した」と報じ、氷山の上を編隊飛行するペンギンの映像をオンエアした。このニュースのポイントは「きのう」というところにある。朝刊にはその他にもサンは「サルコジ大統領が背を伸ばす手術を受ける予定」と報じ、デイリーエクスプレスは「ビッグベンがデジタル化されることになった」と書いたとある。この国が、ガソリン代が据え置かれたの、値下げされたのという報道に多大の時間を割いた日に、まったく次元の違う報道合戦に明け暮れた国もあったのだ。

 ところでデイリーエクスプレスの「ニュース」は記憶によれば二番煎じだ。記憶にある「ニュース」は前段は同じだがもう一ひねりしてあった。「廃棄される現在のビッグベンの長針と短針は裁断され、メモリアルカットとして販売される予定。希望者は議事堂事務局へどうぞ」という後段がついていたはず。(4/2/2008)

 道路特定財源のための暫定税率の期限切れ。朝のニュースから夜のニュースまで時間延長までしてこれを取り上げている。もうまるで「ガソリン狂騒曲」のありさま。

 1リットルあたりで約25円、ふつうの車ならば一回の給油毎に1000円近くも差が出る。暫定税率を定めた特別措置法が失効したから上乗せ税率が消えただけの話で、ガソリン税(揮発油税+地方道路税)がなくなったわけではない。まだちゃんと揮発油税法(第9条:24,300円/1キロリットル)と地方道路税法(第4条:4,400円/1キロリットル)による税金はかかっている。つまり、きょう一日大騒ぎした25円10銭をこえる28円70銭の税金はしっかりと取られているのだ。

 その上に・・・、それを書く前に、きょうニュースがこぞって焦点をあてたことを先に書いておく。ガソリン同様、暫定税率による上乗せ(これは軽油取引税の中で規定されている)があった軽油が取引税であるのに対して、ガソリンは「蔵出し課税」であるため、きょう現在、市中のガソリンスタンドにあるものは既に課税済みのもの。つまり暫定税率で課税されたものを売り切るまでは販売価格は下げられない。報道各局のニュースはそのあたりをとらえてスタンドの悲喜劇をクローズアップしていた。

 悩みは分かる。客が期待する25円安いガソリンを売るためには、高税率ガソリン在庫をゼロにしなければならない。しかし期待価格より高いガソリンを買ってくれるお人好しがそれほどいるわけではない。在庫がはけないうちは低税率ガソリンは仕入れられない。先月のドル安円高の時、ヨーカドーは輸入食料品の価格を一気に下げた「円高セール」をうった。その時の現品は円高環境で仕入れたものではなかったろう。しかし再び円安になったときに差額調整をすればいい。それが規模も意識もスケールの大きい店の振る舞いというものだ。勇気を持って下げられない店は置いてけ堀をくい続けるだけのことだ。

 「蔵出し課税」に戻る。市中のスタンドではガソリン税が含まれた価格が既に原価となっている。我々消費者はガソリン価格にガソリン税を加えた価格にさらに消費税を負担させられているわけだ。典型的な二重課税。これに対して軽油はスタンドで購入する時に取引税をかけられている。したがって重ねて消費税という税金の支払いは求められない。

 それにしても、搾れるだけ税金を搾り取ろうという根性は時代劇に登場する悪代官そのもの。

 「地方に道路を」とか「地方を見捨てるのか」などと大騒ぎした方々に問いたい。28円70銭のガソリン税では何もできないということなのかと。閑古鳥が鳴いてクマがダンスをしていると揶揄される有料道路を造る分を有料ではない普通の道を造る方にまわせば、足りるのではありませんか、と。(4/1/2008)

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