**さんに教えてもらった文化資料室に行き、例の関係の調べ物。応対の窓口の方が懇切に相談にのってくれ、「稚内市史」の中に記載があるのを見つけた。

 **(父)さんの話で事件は1931年頃ではないかと思っていたが、稚内港の象徴的な屋蓋式防波堤の設計を手がけた北大卒の土屋実が赴任してきたのが第二期計画二年目の1928年とあるから、この頃である可能性もある。とすれば、**(父)さんが小学校に上がったか上がる直前だったことになる。

 癸一さんの3年ほど先輩にあたり、同じ勅任技師であった伊藤長右衛門は北海道港湾の父と呼ばれ伝記のようなものもあるようなので、そのルートから調べてみるとなにか分かるかもしれない。とすれば、わざわざ北海道まで来ることもなかったか。(6/29/2006)

 昼過ぎに千歳について小樽へ直行。*****(中略)***** 千歳に着いたときにはどんより曇っていたのだが、小樽に着いたころにはきれいに晴れ上がってきた。札幌に戻っていつもの東横インすすきの南にチェックイン。

 崔桂月・金英子母娘は北朝鮮に拉致された金英男が再会を果たした様子が夜のニュースで流された。

 金英男はキム・ヘギョンと現在の妻、その長男という「一家」として現れた。抱き合う親子の映像はある意味感動的だが、交わされる言葉のどこか噛み合わないところが無惨な印象を与える。

 興味深く思ったのは北朝鮮でさえ政治性が前面に出てこない場面では儒教が牢固と根を下ろしているらしいこと。それを感じさせたのはキム・ヘギョンがイスに腰掛けた祖母に向かって、床に正座し深々と礼をした映像だった。「長幼の序」。政治がしゃしゃり出ないところではそれがまだ健在なのだろう。

 キム・ヘギョンの表情は数年前に比べれば硬かった。数年前のテレビインタビューで見せた素朴だけれども聡明な、およそ我々が漠然と抱いている「北朝鮮らしさ」を感じさせない愛くるしさは影を潜めていた。大学生になったそうだが、ふつうに「大人になった」というものとは微妙に違っていた。(6/28/2006)

 変なと書いたらいいのか、嫌なと書いたらいいのか、どこか理解しがたい座りの悪い事件が続いている。

 起き抜けのニュースは渋谷区の美容整形外科医の娘が誘拐され3億円の身代金要求があったが、娘を車に押し込むところを目撃した女性がナンバーと車の特徴に関する情報を提供したため、スピード解決したというものだった。

 件の外科医は美容整形クリニックを経営し、年商12億、テレビでは評判の「お金持ち」だったとか。警察署の前でインタビューを受けるそのスタイルも「?」だったが、どこか緊迫感の欠ける被害者の娘の答えも「??」。さらに犯人は三人組で、日本人、中国人、韓国人の組合せ。しかも互いに「知らない奴がいた」と供述。被害者の携帯電話を長々と使うところなど間抜けに思える反面、踏み込んだ警察官に改造拳銃で負傷を負わせているところがアンバランス。

 よるのニュースでは2人を生き埋めにして殺害したという事件の遺体発見のニュース。こんな経緯。同じ大学の学生2人の間で女性との交際をめぐってトラブルがあった。それぞれ友人を呼んで一方が他方に暴行を加え慰謝料を請求した。そして暴行された側はさらに知り合いを呼び慰謝料の支払いをエサに呼び出しをかけ仕返しをした。被害者側が暴力団とのつながりを匂わせたため、後難を恐れて殺害にまで及んだ。うなされる夢のような話。そしてその殺害方法の・・・、なんともいいようのない残虐さ。

 どの場面ででもブレーキがかかり、そこで踏みとどまり、終わってよさそうなものだが後戻りできないところにいってしまう。もう遮眼帯をつけた競走馬だ。デジャブ、どこかで見たような感じ。この国の首相の靖国参拝。どんどん最悪の場所へと墜ちてゆく。

 誘拐犯たちは踏み込んだ警官に向かっては発砲しながら、被害者に銃口は向けなかった。最悪のところには堕ちなかった。わが宰相は踏みとどまれなかった一点において、交際トラブルからスタートして、残虐な殺人にまで行き着いた若者に近い。(6/27/2006)

 会社で帰宅前最後のニュースチェックをすると各社横並びで村上世彰の保釈をトップで伝えていた。ただ一社その流れに抗していたのはサンケイのサイトだった。時流に流されず敢然と自己主張を貫く姿勢はじつにすばらしい。「オオサンショウウオ360匹 命の恩人と"友情"」という「なんかなぁ」というトップ記事でなければもっと評価したいところだった。

 5日の逮捕だったからちょうど3週間目。毎日のサイト記事によれば、検察側は準抗告を見送った由。注目の書「ヒルズ黙示録」を書いた大鹿靖明は村上が逮捕された翌週発売の「AERA」に「仰天シナリオ:村上無罪への大逆転」を書いていた。

 書き出しは「独演会となった村上世彰の6月5日の記者会見は、彼ならではの計算されつくした仕掛けがふんだんに施されている。ほとんどのマスコミも、おそらく東京地検特捜部の検事も騙されているが、彼がしおらしく有罪を認めたのは演技にすぎないのではないか」となっている。そして末尾はこう結んでいる。

「ボクはね、今回は判例をつくりますから。それは検事さんもそうしましょうと言ってくれている。裁判所の判断の中で、将来の悪例とならないといいな、というのをつくりたいんです」
 この言葉は、阪神で果たせなかった大逆転劇を、特捜部との戦いでやってみせようという、村上の宣戦布告を込めたメッセージだろう。「ボクは証取法のプロ中のプロ」と何度も会見で言及したのは、証取法に疎い検事をあざ笑っているかのようだ。
 膨大な人員を投入した特捜部のヒルズ族摘発。それは、死屍累々の割に戦果が乏しい特捜部の「203高知」として、長く記憶されるかもしれない。   (太字は原文のまま)

 大鹿は「逆転無罪」の可能性の根拠を「宮内の肩書き」に求めている。ライブドアの取締役の宮内からニッポン放送株を買い集める決定をしたと04年11月8日に聞いた上で買ったというのが検察側の主張だとしたら、それは成立しないのだというのがこの記事の目玉。「実は、このとき宮内は、ライブドアのナンバーツーの取締役CFOではなかったのである。ライブドアが出資したイーバンク騒動の責任をとって、宮内は10月25日に取締役を辞任。ライブドアのヒラ社員に降格し、・・・(中略)・・・宮内が取締役に復帰するのは12月24日。宮内は不祥事を起こした責任をとって、この2カ月間の取締役会や戦略会議など社内の重要会議には参加資格がなく、一回も出ていない」。

 まるで江川の「空白の一日」のような話。驚異的な有罪率を誇るこの国の司法制度のことだから、あっさり「実質的に知りうる立場にあった」くらいの認定はしそうな気がするが、そもそもが「インサイダー取引で起訴することが間違い」だとすると、ひょっとするとひょっとするのかもしれない。その時はあくまで抵抗して周辺の者を巻き込んだ堀江とさっさと恭順の意を示し自分のみに留め鮮やかに切り返した村上、この対照は「エセー」の冒頭を思い出させる。(6/26/2006)

 昨夜、日付が変わる頃に、朝・毎・日経のサイトに「米ファンドでもインサイダー疑惑」というタイトルでこんな記事が報ぜられた。

 米大手投資ファンドでインサイダー取引疑惑が浮上し、米証券取引委員会(SEC)が調査に乗り出したと23日、米紙ニューヨーク・タイムズが報じた。調査過程で、ブッシュ政権に近い米証券界の大物から事情を聴こうとしたSECの担当者が解雇され、この担当者が事態を米議会に告発。政権を巻き込むスキャンダルに発展する可能性も出ている。
 対象となっているファンドは「ピーコット・キャピタル・マネジメント」で、運用規模は70億ドル(約8100億円)。01年7月に米ゼネラル・エレクトリック(GE)が金融会社を買収した際、直前に金融会社の株を大量に取得する一方、GE株を空売りして1800万ドル(約21億円)の利益を出すなど、計18件の不透明な取引についてSECが証券取引所から報告を受けたという。
 SECは約1年半前から調査を始めたが、担当者が、ブッシュ大統領の有力支援者でもある米証券大手モルガン・スタンレーのジョン・マック会長兼最高経営責任者(CEO)から事情を聴こうとしたところ、05年9月に解雇された。
 マック氏はピーコットの創業者に近く、ピーコットの会長を務めたことがあるほか、GEによる金融会社買収当時、金融会社側の助言をしていたクレディ・スイス・ファースト・ボストン(現クレディ・スイス)のCEOも務めていた。
 報道に対し、ピーコットは疑惑を否定。モルガン・スタンレーも関与を否定している。
朝日新聞サイト記事から

 ふたつある。ひとつは見出し通りのインサイダー取引の問題。もうひとつはSECの調査担当者への政治的圧力の有無。一連の村上ファンド騒動の中で繰り返し指摘されたのはSECによる株式市場監視の厳しさであったが、そのSECの調査が権力の柔らかい横っ腹に及ぶや一見担保されているかに見える彼の国の公正さもにわかに怪しくなるようで、嗤うやら、安心するやら。(6/25/2006)

 **(父)さんの一周忌を**寺で。心配した雨は降らないどころか、晴れ間も覗く天候、少し蒸し暑いくらいだった。当面の三つの片付けごと。これでひとつ片づいた。気持ちは軽くならない。

 いったん家に戻って、**(下の息子)を除く三人で**(母)さんの見舞い。痛みが少し増してきているらしい。座薬を併用しているということ。モルヒネのコントロールとの組合せということだろうか。ベッドサイドの担当医の名前が転任になった**先生のままで、新しい先生の名前に変わっていないことが少し気になる。

 けさまでの試合でワールドカップの決勝トーナメント進出チーム16が出そろった。対戦順に書き抜いておく。ドイツ・スウェーデン・アルゼンチン・メキシコ・エクアドル・イングランド・オランダ・ポルトガル・イタリア・オーストラリア・スイス・ウクライナ・ガーナ・ブラジル・フランス・スペイン。

 韓国はスイスに0−2で敗れ、勝ち点4に留まり、決勝進出を逃した。息を潜めて成り行きを見ていたのだろうネットの嫌韓族はその敗北に欣喜雀躍している。ひとつだけ、書き写しておく。(「初戦」という言葉の意味が分からないが、安堵心から哄笑している雰囲気がよく伝わる一種の「名文」だ)

祝!姦賊初戦敗退!(^o^)/
今ちょっと前に知ったんですが、スッキリしましたね〜。所詮姦賊なんてこの程度よ!ハハハハハ

 この大会でアジア勢は一国も決勝トーナメントに進めなかった結果、次の南アフリカ大会でのアジア枠は現在の4ヵ国から最悪2ヵ国に減らされる可能性が出てきている由。さらにオーストラリアが新たにアジアゾーンに加わるらしい。韓国の敗退が狭き門を確定的にするかもしれないことについて、この嫌韓君はどう考えるのかしら。もちろん我が方が現在のブラジルほどの実力をもてばよいだけのことではあるが。(6/24/2006)

 **(家内)は3時半過ぎに起きてテレビの前に座り込んだ。根性無しのこちらはとても起きる気にはなれなかった。結果は1−4での敗戦。ブラジルは強かった。オーストラリア戦やクロアチア戦の後の不完全燃焼感は露ほどもなく、実力差を実感させた試合だったようだ。

 夕刊には試合後ピッチに寝そべって動かなかった中田の写真が載っている。**(家内)は「他の選手がスタンドのファンに挨拶をしているのに、長いこと寝っ転がって、カッコつけかしら」と言っていた。中田はまたバッシングされるのだろう。

 その写真からソ連映画「戦争と平和」の一シーンを思い出した。戦場で銃弾を浴び、倒れ、仰向けになるピエール。上空には蒼穹。「愚劣だ」と彼は呟く。そんな場面。写真の中田はタオルをかぶっている。しかもゲームはナイトゲームだった。仰向けの中田を見下ろしていたのは虚空。熱狂のゲームとその余韻の漂う会場。彼の視線の先にはそれらとまるで無関係に広がる黒い虚空が広がっていた。ピエールとはまったく違う意味で、中田は終わったゲームをどう思っていたのか。感慨か、絶望か。

 三戦して、0勝2敗1分け。日本のワールドカップは終わった。それぞれの戦いを記録した数字を記録しておくことにする。

6月12日:カイザースラウテルン:46,000人】
  日本:中村 前半22分
  オーストラリア:ケーヒル 後半39分・後半44分、アロイジ 後半44分

日本

 

オーストラリア

1−0

0−3

3

コーナーキック

5

27

フリーキック

14

3

オフサイド

5

11

反則

22

枠内

枠外

シュート

枠内

枠外

2

4

12

8

33.3%

枠内シュート率

60.0%

48%

ボールキープ率

52%

269

パス

360

74.4%

(成功率)

77.2%

14

クロス

11

21.4%

(成功率)

36.4%


6月18日:ニュルンベルク:41,000人】

日本

 

クロアチア

0−0

0−0

5

コーナーキック

11

24

フリーキック

20

1

オフサイド

6

19

反則

18

枠内

枠外

シュート

枠内

枠外

5

7

6

10

41.7%

枠内シュート率

37.5%

56%

ボールキープ率

44%

334

パス

229

79.6%

(成功率)

72.9%

12

クロス

21

16.7%

(成功率)

28.6%

6月22日:ドルトムント:65,000人】
  日本:玉田 前半34分
  ブラジル:ロナウド 前半44分・後半36分、ジュニーニョペルナンブカノ 後半8分、ジウベルト 後半14分

日本

 

ブラジル

1−1

0−3

3

コーナーキック

11

6

フリーキック

13

4

オフサイド

0

9

反則

6

枠内

枠外

シュート

枠内

枠外

3

6

14

7

33.3%

枠内シュート率

66.7%

40%

ボールキープ率

60%

353

パス

589

82.2%

(成功率)

90.3%

12

クロス

17

8.3%

(成功率)

17.7%


 数字というものはじつに正直なものだというのが、たったひとつの印象。(6/23/2006)

 朝の武蔵野線、車内の吊り広告に嗤った。「なかったことにしようトリノ五輪」という見出しをふったあの週刊文春の広告だ。朝刊から拾っておく。こんな調子だ。

ドイツW杯:こんな日本代表に誰がした!
▼大暴落!ジーコのお値段▼柳澤と高原はDFに転向しろ▼俊輔を外したトルシエは正しかった
▼「独裁者」川渕キャプテンの進退を問う▼「日本はイケる」と煽ったテレ朝と女子アナの罪
金子達仁「中田英寿はなぜイチローになれなかったのか」

 中村俊輔を外したトルシエを当時文春がどのように書いていたのか日記記載がない、残念。

 ところで「日本の主要メディアはほとんど報じていない」ジーコ発言が、高田昌幸の「ニュースの現場で考える」に取り上げられている。現在、ロンドン駐在の彼はこんな風に書いている。

 BBCは、Japan boss angry at match timingsというタイトルの下、Japan coach Zico criticised World Cup organisers after his side played their second consecutive match, against Croatia, in hot weather.と報じている。それによると、ジーコ監督は"It's a crime that we had to play in this heat again,"と、「犯罪」という言葉までを使って、組織委員会・テレビ関係者を批判している。ビジネスだから仕方がない、と言いつつではあるが。
 日本戦の時間変更は、昨年12月下旬に決まった。豪州戦は現地時間午後9時キックオフの予定が午後3時に、クロアチア戦は午後6時の予定が、これもまた午後3時に。いずれも、「テレビ放送のため、当初の予定から各国の時差などを考慮した」結果である。そのため、予選リーグでは、日本など数カ国だけが、あの酷暑の時間帯に2試合も行うハメになったそうだ。
 「戦犯は電通だ」という声が起きる素地は、十分にある。

 週刊文春さん、安全な相手には噛みつくが、電通に噛みつく勇気はなかったのだろう。いかにもありがちで情けない話。

 幇間文春さん、大丈夫ですよ。こんどばかりは荒川静香のような「裏切り」、いや、「奇蹟」は起きないでしょう。あんな間の抜けた惨めな思いは二度とゴメンですよね、呵々。(6/22/2006)

 霊感商法など数々の詐欺行為を行ってきた統一教会が先月行った合同結婚式に、安倍晋三が内閣官房長官名で祝電を送っていたという話がネットに流れたのは先週のことだった。いくら安倍がノータリンの素朴な反共主義者だとしても、この時期にわざわざとかくの噂の絶えない団体に祝電を打つことはやはりあるまい、おそらく統一教会が自作自演でもしているのだろうと思っていた。

 しかしけさからサンケイを除く各紙(朝・毎・読・東京・共同・時事)が伝えるところによると、安倍事務所は「私人としての立場で地元事務所から官房長官の肩書で祝電を送付したとの報告を受けている」と事実を認めている由。もちろん「誤解を招きかねない対応であるので、担当者にはよく注意した」とのいいわけつきで。まあ安倍晋三という男はカネさえもらえば詐欺師の片棒を担ぐくらいは平気でやってきた前歴があるから、事務所もいつものお仕事くらいに思っていたのかもしれぬ。(ネットの安倍支持者はこぞって「反安倍派の悪質なデマ」と書いていたが、他ならぬ安倍事務所が白状してしまったとあってはどんな気分でいることか、呵々)

 「FACTA」5月号の「蓋された安倍晋三の実像」は、安倍が総理の座を狙う時、最大の弱点になるのは「安倍事務所のチームワーク」の悪さだと書いていた。安倍晋太郎の凋落の折、古参の秘書が金脈と人脈を持って四散したのを茫然と見送ったお坊ちゃん晋三くんは、爾来、疑り深くなり、秘書同士が打ち解けすぎるのを好まず、金の管理など重要なところはいまだに晋太郎未亡人洋子が取り仕切っているのだという。

 安倍を見ているとすぐに分かることだが「知恵」が出ない。本人の能力がその程度といえばそれまでだが、陣笠代議士とチョボチョボの秘書しかおらず、首相秘書官を務められそうなタマも、懐刀になりそうなブレーンもいないのがその理由らしい。だから再チャレンジ議連のような「持ち込みネタ」に一も二もなく飛びついてしまう。森喜朗あたりに「みっともない」と言われたのはそれ。もっともきょうびはそういう無能ぶりがかえって受けるらしいからイヤになってしまう。きょう、夏至。(6/21/2006)

 山口母子殺害事件の上告審に対し最高裁は二審判決「無期懲役」を破棄、広島高裁に差し戻した。被害者の夫本村洋は見た範囲ではNHKからテレビ朝日へとハシゴ出演し、「最高裁には自ら死刑の判決を出して欲しかった」と言っていた。

 詮ずるところきょうの判決は「無期懲役では正義が保たれない」というものだ。事実関係にこれ以上審理の余地がなく、かつ破棄された判決が有期刑ではなかったのだから、広島高裁は死刑の判決以外は出し得ない。とすれば、今後の事態の流れは高裁が「死刑」といい、被告が再上告し、最高裁が「死刑でよい」というプロセスを「既定通り」に繰り返す以外はない。量刑の判断において犯人の年齢事情などの情状よりは犯罪の悪質性と被害者家族の慰撫の方を重く見なければならぬというのなら、それを最高裁判例として確定させるべきであった。その意味で本村の希望は当然のものだ。

 二審判決のあった日だと思う、彼は当時久米宏がキャスターを務めていたテレビ朝日の「ニュースステーション」に出演し、無期懲役の判決に怒りの気持ちをぶちまけていた。既に一審判決後に「司法が頼れぬなら自分がこの手で殺す」というようなことをいったという話とあわせて彼への印象はよくなかった。その頃に比べれば、今晩の彼はずいぶん「洗練」されていた。(「流布」を「リュウフ」などと言ったり、やたらに「させていただく」を多用するところなど、いかにも現代日本人のボキャブラリーの貧困が目立ち、繕ってもここまでかと思わせたが)

 最愛の妻と娘を非道極まる動機で殺されたことには深く同情する。しかし本村に対する違和感は今晩もぬぐえなかった。十分に同情するだけの事情があるのにどこか彼には共感できない。なぜだろうか・・・。考えるうちに思い浮かんだのが松本サリン事件の被害者であり被害家族である河野義行のことだ。河野には百二十%共感する。この違いはなにか。マスコミを利用し、そのマスコミに媚びる印象の有無が二人を分けているのではないかと思い当たった。

 象徴的な場面が今夜の報道ステーションにあった。本村が犯行のあったアパートの扉の前に位牌と供物と花を置きしゃがんで手を合わせる映像が流されていた。凶悪な犯行に命を絶たれた妻と娘よ安かれと祈る気持ちは十二分に分かる。しかし、団地の階段を選んで祈ること、その情景をテレビカメラにとらせることが自然には思えない。どこか作為的な演出の匂いがつきまとう。

 おそらくいろいろな事情があり、妻と娘が殺されたアパートの部屋はいまは別の人が住んでいるのだろう。愛する者が命を絶たれた場所に適う限り近いところで祈りたい気持ちはよく分かる。位牌、供物、花を置いたところに現在の住民が出入りをせぬよう、あらかじめ断りも入れているのだろう。しかし団地の階段は狭い。祈りが終ればそうそうに位牌も供物も花も片付けねばなるまい。その間どれほどの時間だったか分からぬが、ままごとのような仕種になったに違いない。墓にも参った上でどうしても現場でも祈りたいというなら佇んで頭を垂れるのでも思いは達せられよう。どうしても捧げものをしたいなら思い出の部屋の見える場所ににわか作りの祭壇でもしつらえればその方がずっと落ち着こう。ことさらに人の往来する場を選んで地べたに位牌や供物や花を並べるのはワイドショー向けの「絵」としてはよいのかもしれぬが弔いの心とは不釣り合いだ。

 本村は「被害者にも法廷尋問させるべきだ」、「被害者が直接加害者に問うことが許されるべきだ」と主張していた。「被害者」ではなく「被害者の家族」だということを別にすれば、まことにもっとも主張だ。しかしマスコミ受けと情緒的な演出が目につく間は素直に彼の主張を支持する気持ちにはなれない。(6/20/2006)

 **さんの「今日はラッキー!」のアイスクリームに関する話を読んで想い出が噴出してきた。

そのころとなりのお姉さんが結核で寝込んでいた。
結核は恐ろしい病気だった。

ある日、着物姿のお姉さんが家の前に立っていた。
お姉さんの家の板塀に落書きがしてあった。
お姉さんは私に、「鹿之助ちゃんはこんな悪いことしないね」と言った。
記憶にあるお姉さんはこれだけだ。

 二度目に名古屋に引っ越したときのこと、覚南荘へ一家5人で行ったことがあった。小学校に上がる直前まで住んだアパート、**(弟)は生まれていなかったが、**(祖父)さんはそこで亡くなり、**(父)さん、**(母)さん、**(祖母)さん、家族にはいろいろの想い出のあるアパートだった。

 アパートの西側の踊り場に立った。すぐ目の下の家は見覚えのある造作のままだった。横にいた**(弟)に「あの家にね、結核を患った女性がいて、あの縁側のある部屋に寝ていたんだ。いつだったか、ボールか何かをとりに庭に入ったときに声をかけられたんだよ。涼しげな声で、目の大きい、透き通るように白い肌のお姉さんだった、アッ、これ、ここだけの話。誰にも内緒、な」。**(弟)はにたっと笑って何も言わなかった。

 庭に入ってそのお姉さんと話をした日、そのことを話すと、**(祖母)さんにしては珍しくかなりきつい口調で「肺病の家に近づいたらダメ」と叱られた。その家の庭に入ることは二度としなかったが、南明町の家に引っ越すまで、毎日、毎日、踊り場からその家を見ていた。縁側に敷いた布団に誰かが寝ていればなぜか心が落ち着くのだった。

§

 対クロアチア戦。スコアレス・ドロー。不完全燃焼で終わってしまった。川口、あのPKセーブは素晴らしかった。柳沢、なんとかならなかったのかい。岡田は城と心中した。ジーコは柳沢と。そんな印象。(6/18/2006)

 昨夜は学会のプレゼンがあって**さんが上京し**ルートのメンバーで飲み会。**君はお義父さんがなくなったとかで来られなくなり結局4人。

 やはりワールドカップがテーマになり、日本人のフィジカルハンディキャップについてあれこれ話をしているうちにふと浮かんだ思い。

 たしかに先日のオーストラリア戦などを見ていると、体格・体力ともに圧倒され、その不利は絶対的なものに思える。それが解消されないうちはどのような議論をしてもムダという気はする。しかしサッカーもゲームである以上は戦略と戦術によって彼我のギャップを解消できないはずはないのではないか。

 フランス、日韓、ドイツと続く三大会を日本は岡田、トルシエ、ジーコと三人の監督を立てて戦った。ドタバタの中で監督代理から持ち上がった岡田を別とすれば、サッカー協会は「グローバル・スタンダード」に対する理解に期待してガイジンブランドをとったのだと思う。それは間違ってはいなかったと思うが、この国の完全な理解ということになると、トルシエは当然のこととして、アントラーズにおけるジーコの業績を評価するとしても難しいと思う。

 サッカーがもはやその国の空気の中で形成されるものを必要とする競技になっているとすれば、監督はやはり日本人であることが望ましいだろう。世界レベルの状況を選手としても指導者としても完全に理解しており、かつ日本という国と人と社会に対する的確な認識を持ち、なおさらに日本的なものに対する客観的で冷静な評価分析ができる日本人監督を我々はいつ持つことができるだろうか。まだ相当の時間が必要なのかもしれないが、中田英寿がその役割を引き受ける日を楽しみにしている。(6/17/2006)

 父の日に子から父へ贈りたい字は「謝」。住友生命が行った「漢字一文字で表すお父さんへの気持ち」アンケートの結果。伝える記事には「『好き』『ありがとう』と素直に言えないもどかしさを理由に挙げる人も多く、謝の一字には感謝のほかに『ごめんなさい』の思いも込められているようだ」とある。

 思いつく言葉を書き抜いてみる。「謝恩」、「感謝」、「謝礼」、「謝金」、「報謝」、なるほど礼を伝える言葉か、「謝意」、「多謝」、「謝辞」、「陳謝」、「謝罪」、やがてお礼からお詫びに変わり、「謝絶」へ。国語力が落ちた最近の世の中では、「面会謝絶」という語は「せっかくお見舞いに来ていただきましたが面会はとめられております、お心には感謝いたします」というお礼とお詫びのニュアンスで語られているようだが、本来はこれは「拒み断る」という強い意味の語でヤワなニュアンスは欠片もない。

 同じ用法として「謝肉祭」という言葉がある。謝肉祭というのは「肉に感謝するお祭り」と理解している向きがあるが間違い。「カーニバル」は「肉断ち」を意味している。つまりここでも「謝」は「お断り」ないし「拒絶」の意味。

 とすると、言葉というものは無意識下に入り込むものだから、やはり子は心の底のどこかに父を拒絶したい願望を秘めている・・・、まあ、そんなことを考えるのはすね者親父くらいのもの。さらに、早く「謝世」しろ、そこまで考えるとなると、ほとんどビョーキか。(6/15/2006)

 ワールドカップ報道の陰に隠れているが平均株価がかなりの勢いで下げている。きのうの東証の終値は14,218円60銭、前日から一日で614円41銭安とあの911の翌日以来の大幅の下げとなった。ニューヨーク株式もかなり下げているから、そのあおりなのかもしれぬ。

 ちょうどひと月ほど前、NHKが企画した特番「小泉改革5年を問う」に出演した竹中平蔵は得意満面の顔で「最近の好景気は構造改革の成果だ」とぶち上げた。皮肉なことにその少し前から株価は値下がり続きで4月はじめの17,500円からはわずか二月足らずのうちに3,000円以上も下げた。

 竹中が学者から政治屋に転身を図った理由がよく分かる。もちろん学者に易者の働きを期待するわけにはゆかないが、結果に居座ってものをいうようでは学者としては恥ずかしかろう。そういうことが胸をはってできる商売は見渡したところ政治屋と評論家くらいのものだ。竹中にとっては必然の道だったに違いない。

 きょうの大幅な下げのもうひとつは「福井ショック」がひとつの要因になっている。日銀総裁、福井俊彦がきのうの参議院財政金融委員会で民主党の大久保勉議員の質問に村上ファンドに1000万の投資をしていたこと(総裁就任前に出資、ことし2月に解約申し入れをして今月末解約見込みの由)が明らかになったことも要因とか。

 小泉首相は信じられないくらいの早さで福井を擁護した。それはゼロ金利解除をめぐってそれなりの対立があった相手の弱みを握ったと信じたからか、あるいはほかならぬ自分ないしは閣僚が福井同様の事情を抱えているからか、いまは分からない。

 それにしても、「平等よりは競争」、「競争により活力のある社会」、「頑張る人が頑張っただけ報われる社会」というようなことを看板にしてきた小泉改革が、なんのことはない昔と寸分違わぬ「インサイダー情報」というハンデつきのルールのもとで行われているとしたら、いったいどこが「構造改革」されたのか嗤うばかり。

 嗤いの対象は小泉ではない。我が隣人、たやすく「ユーセイ・カイカク・コール」にのせられた自民党支持者たち、就中、福井がポンとはたいた一千万、その額を一年かかっても稼げないのに自民党を支持して「額に汗する人が報われる改革」が実現すると期待している素朴な人々だ。(「じゃ、誰に投票するんだい」という声も聞こえそうだが、権力者をマジメにさせるためには見せかけでも「反権力」の意思表示をするという「技術」が必要で、それこそが「政治プロセス」というものだ。「それでは壊すだけじゃないか」って?、コイズミは壊す以外に何をしたんだい、答えてみろよ、呵々)(6/14/2006)

 通勤電車の中、ラジオから「・・・アクセスの山本モナです。今晩は枝野幸男さんをお招きして、後半グダグダになった感のある・・・」、(そうだったよな)、「・・・本国会の・・・」、(なんだ、オーストラリア戦の話じゃないのか)、・・・。昨夜の日豪戦、1−3の敗戦。

 前半のちょうど中頃(新聞によると26分)、中村があげたクロスは密集する選手群の頭上を越えてワンバウンドしてからゴールの中に入っていった。それはまるでループシュートのような感じだった。エッ、入ったの、あれ。あまりに意表を突く幸運だったから、中継のアナウンサーはとっておきの「ゴ〜〜ル」という絶叫もできなかった。ラッキーパンチとはいえ先制。試合は有利に展開していた。

 前半を終えて1−0。そして後半。敵ゴールにはスタンドの陰がかかり、午後の陽は前半よりも陰と日なたのコントラストを強め、それはオーストラリアのキーパーにとっては相当の悪条件になるように思われた。しかし我が方の攻撃はぬるかった。とにかくシュートを打とうとしない。リードしており、かつ日なたから直接ゴールを狙うシュートはキーパーのハンディにつけこむ有効な攻撃となりそうなのに、ペナルティエリアの中までボールを運ぼうとする。そのペナルティエリア内ですら、まるで責任を回避するかのように自分ではシュートしようとしない。どの場面だか忘れたが三都主が自分の足下にパスされたボールに「エッ、なんで」というような表情を見せたことがあった。

 川口は鬼神もかくやと思われるほどのファインセーブを続けた。守りに関しては素人眼にも素晴らしかったと思う。しかしシュート数は相手20に対し我が方はたったの6。こうなれば大数の法則から逃れることはできない。残り10分足らずというところになってから、同点に追いつかれ、たちどころに逆転され、追加点すら奪われてしまった。あっという間のことだった。

 ずいぶん久しぶりに途中浮気もせず約2時間テレビの前にいた。どっと疲れた。寝床に入ってからもなかなか交感神経と副交感神経の交代ができず寝付けなかった。おかげで今日は一日ぼんやり。(6/13/2006)

 朝刊に「牛丼チェーン社長、米視察」のサブ見出し。てっきり吉野家の社長かと思ったが、「すき屋」の社長だった。書き出しはこうだった。

 「やっぱり米国の現状は変わってない。日本は韓国より安全の基準が低いということか」
 7日朝、東京・品川。牛井チェーン「すき家」などを展開する「ゼンショー」本社の社長室で新聞を広げた小川賢太郎社長(57)は、そう思った。
 韓国が米国の食肉処理場を現地調査した結果、米国産牛肉の輸入再開を延期したと報じていた。「輸入再開へ」と、日本のメディアが報じてから半月ほどたっていた。

小川社長は暮れの輸入再開に向けて、去年9月、アメリカ大手食肉加工会社3社の処理場を見ていた。記事にはその時の見聞が続く。

 サッカー場2面分ほどの広大な処理場。逆さづりにされ、背骨から左右に真っ二つに割られて枝肉となった牛の体が、互いにぶつかり合いながら猛スピードで動き回る。牛海綿状脳症(BSE)の感染危険部位とされる脊髄を、従業員が掃除機のノズルのようなもので吸い取っていく。
 だが、1日に5千頭を処理し1万の枝肉が流れる処理場で、一つの枝肉の脊髄除去にかける時間は2秒ほど。肉にはゼリーのような脊髄の液が残ったままだった。
 飛び散る牛の体液を避けながら、小川さんは除去作業に追われる従業員に話しかけると、従業員は「テレビカメラが来れば3人に増えるけれど、ふだんは1人でやるのさ」と苦笑いした。脊髄や危険部位の脳は、他の家畜の飼料に再利用されているとも聞いた。

 食肉加工会社の経営者はこんなことも言ったそうだ。「BSEのリスクがないとは言わないが、日本人がフグにあたる確率よりは低いだろ」。さすが大手食肉業経営者ともなれば、日本の食事情にも精通しているものと見える。件の経営者に教えてやりたいものだ、異常プリオンが吉野家の牛丼の味に貢献している可能性について。

 さあ、オーストラリア戦のキックオフだ。(6/12/2006)

 「サンデー・モーニング」の週間ニュースコーナーでザルカウィ殺害の現場映像が流れた。爆破された家屋の瓦礫の中から兵士がぬいぐるみを拾い上げていた。おとといの朝刊には「米軍は8日、爆撃の映像を公開した。現場では2人のほかに、女性と子どもを含む身元不明の4人も死亡していたという」とあり、きのうの朝刊には「犠牲者の中には女性もいた。米軍は8日『子どもが1人いた』と発表したが、9日『いずれも成人だった』と改めた」とあった。

 かつて「ちいさい子供たちを、・・・誰れが殺せますか?」と言って爆殺を中止したテロリストがいた。時代は変わりテロリストはターゲットを選ばなくなった。そしていつのまにかテロリストに対抗する側もその隣にテロリストがいさえすれば子供を殺すことにいささかの躊躇もしなくなったようだ。

 「目的は手段を正当化する」と彼らは主張するのだろうが、彼らの頭の中では「手段は目的を正当化する」ようになっているに違いない。気のふれたアメリカ合衆国は皮肉なことに彼らが人非人扱いをするテロリストとまったく同じレベルに堕ちてしまった。いまやテロ国家となった、アメリカ合衆国に、乾杯。(6/11/2006)

 朝刊の「私の視点」に元東京地検検事、郷原信郎が書いた「村上ファンド事件:『インサイダー』が核心か」。先日来の村上騒動の中でいちばん得心のゆくものだった。

 郷原はまず「インサイダー取引とは、株価上昇につながる内部情報を得て公表前に株を買う、または株価下落につながる情報を得て公表前に売る行為である。『株式の大量取得』は株価上昇につながる事実であり、その情報を知って買う行為が違反となる」と定義を明確にした上で、「今回の事件は、既にニッポン放送株を大量保有していた村上ファンドが、ライブドアによる大量買いを利用して巧妙に売り抜けたものであり、全体として見ると、インサイダー取引の構造ではな」く、「事件の核心はむしろ、ライブドアによる大量買いが村上前代表に仕組まれたものだった疑いがあることだ」と断じ、「このような行為、つまりインサイダー取引や株価操縦といった具体的要件に当てはまらない非定型的で悪質な不公正取引を処罰するのが『不正の手段、計画又は技巧』を禁止する証券取引法の包括規定(157条1号)で」、これを適用することを主張している。

 そしてインサイダー取引摘発にこだわる危険性を次のように指摘している。「村上側がライブドアによる大量買いの前に株を買った事実を切り取って、インサイダー取引の要件に当てはめることは不可能ではないが、その場合はライブドアによる大量買いが決定された時期と、村上側の買いの時期との前後関係が最大のポイントとなる。違反の成立範囲を広げすぎると、プロ投資家の取引が広範囲に違反にあたることになってしまう。結局、違法と認定できる買いは、あったとしても取引全体からするとわずかな部分にとどまるだろう。インサイダー取引を事件の焦点にする限り、今後の展開は、会見で『微罪』イメージを強調した村上前代表の思惑通りになると予想される」と。

 結語は「今回の事件で何を不公正行為ととらえるのか、経済検察の試金石と言えよう」というもの。

 さて、地検特捜部はどのようなチャートを引いているか。一部にある「今回の事件はライブドア摘発に行き詰まった地検のやぶにらみ捜査」という声の真否はもう少しすれば分かる。(6/10/2006)

 「シンドラーのリフト」というのだそうだ。

 港区住宅公社のマンションで都立高校2年の男子生徒が扉が開いたまま突然上昇したエレベーターに挟まれ死亡したのは先週の土曜の夜のことだった。そのエレベーターを製作したのがスイスのシンドラーという会社と分かってマスコミはシンドラー社の余罪調べに狂奔、例の如く例の通りの「こんなこと」「あんなこと」オンパレード。

 伝えられるところによれば、シンドラー社の世界シェアはオーティス社に次ぐ世界第2位。日本国内でのシェアは1%たらずだが、公共施設の設置が多いのはかなりの安値で応札しているからだという。常識的に考えて世界シェア2位の会社の技術レベルが格段に劣るとは考えにくいから、原因がシンドラー社にあるとすれば、今回の事故機種固有の設計不良ないしは製造上のロット不良ということだろう。石原都知事は「エレベーターが急上昇したり急落下するのは密室の恐怖で、明らかに欠陥商品だ」と断じて得意顔だったが、可能性としてはシンドラー社の主張のように保守会社の作業内容が原因とも考えられる。むしろその確率の方が大きいかもしれない。

 事故機のメンテナンスは設置された1998年から2005年3月まではシンドラー社だった由。おそらく保守委託業務の入札制によって、昨年度は日本電力サービス社、今年度はエス・イー・シー・エレベーター社というぐあいに、「年替わりメニュー」状態になったものと思われる。入札制により一円でも安い業者に発注しコスト削減を実現することはいまや当然のことだが、そうするためには忘れてはならない最大の前提条件がある。それは発注者側が保守管理に関する情報を自らの責任できちんと管理をし、入札に際しては発注仕様の一部として明示しなくてはならないということだ。

 しかし朝刊の記事によれば昨年度の受注者も今年度の受注者も前年までの保守管理情報については何も聞かされていなかったと言っている。港区住宅公社は入札制度に移行するにあたって自分たちがなさねばならなくなった業務に正確な認識があっただろうか。「一円でも安い業者」から購入するためには、発注する側にも相応の努力が不可欠だと明確に意識していたかどうか。事故の遠因はそのあたりにありそうな気がする。

 きょう、梅雨入り。ワールドカップ、ドイツ大会、開会。(6/9/2006)

 拉北者家族会の記者会見の日、絶妙のタイミングで北朝鮮政府当局が「同胞愛と人道主義に基づいて、615南北共同宣言6周年をきっかけに行う南北離散家族再会行事(19〜30日)の際、金英男氏と母親の再会の場を設ける」と発表した。日経には姉、金英子の「同じ痛みを持っている横田めぐみさんの家族より先に会えるようになって、めぐみさんの家族には残念だ」、「韓国政府が許可し、めぐみさんの家族が一緒に行きたいと希望すれば一緒に行きたい」というコメントが載っている。韓国と北朝鮮、双方の政府に対して再会を要望する場が再会実現の感想を聞かれる場になったのだから喜びは大きかったのだろう。来日時、横田夫妻から「北朝鮮には行かないように」要望されたことを失念するくらいに。

 夜のテレビニュースを見てから新聞各紙のサイト報道をざっと眺めた。・・・「北朝鮮は日韓の分断を狙っている」、「金英男は対南活動に従事してきた経歴から『北朝鮮化』しており家族に会わせても安全と判断したのだ」、「金英男に横田めぐみは死んだと言わせて既成事実化を図ろうとしている」、・・・等々。再会させるという事実の報道は刺身のツマ程度、その分量をはるかに上回る「観測記事」が報ぜられている。

 ひとつひとつ、「そうかもしれないな」とは思うのだが、どこか違和感がついて離れない。それは、月曜日、村上世彰の会見映像を見た際に感じた違和感に似ている。いずれもこれから明確になるであろう事態を予測して見せ、精一杯の主観的予断情報を積極的にふりまくことによって、ニュースの受け手が受けるショックを和らげ体面を保とうとする必死さのようなものが透けて見える。

 これだけ解説し、予想してみせるなら、なによりもっともあり得そうなことについての指摘があってもいいはずだ。それは何か。今回、北朝鮮がつけた留保条件、「韓国内で難関を生じさせることが起きないよう韓国当局が責任ある措置を取ることを望む」、これが破られたことを理由に彼の国お得意の「ドタキャン」をする懸念だ。土壇場で難癖をつけ、「我が共和国の同胞愛と人道主義は踏みにじられた」などと敵を非難してみせる、これこそ北朝鮮がもっとも得意とするシナリオではないか。

 どうして、100%、再会劇が演ぜられるという仮定についてだけ「観測記事」を流しているのか。おそらく日本の家族会とそれに連なる輩が心理的な落とし穴にはまっているからだろう。再会劇から派生するものにのみ神経質に予防線を張っておくのは、再会劇がこの国の人々にごく自然な疑問をもたらすことを極端に恐れているからに他ならない。(むしろドタキャンは望むところなのだろう)。

 「どうして会わないの?」、「ウソをつく顔と目を見るだけで分かることだってあるじゃないの?」

 思えば不自然なことがいくつかある。まずこれまでどちらかといえば韓国には冷淡だった日本の家族会がにわかに積極的に韓国の家族会と交流しようとし始めたこと。そしていつのまにかふつうに語られるようになった崔桂月・金英子の訪朝。そしてそれに対する日本の家族会の反対表明。これらは今回北朝鮮が金英男の存在を認める約ひと月も前から始まっている。

 おとといの日記に書いた「政治的に悪用しようとする印象」、韓国の家族会はどのような点にこういう印象をもったのか。あるいは日本側の誰かが彼らに対してこんなことを持ちかけたのではないか。「お母さんが息子さんにお会いになりたい気持ちはよく分かります。けれどそれは非常に問題がある。北朝鮮が会わせますと言ってきてもお断りいただけないでしょうか」。ここまでなら彼らも「政治的に悪用しようとする印象」などと言わなかっただろう。この言葉に続いて、「もしお断りいただけるならば、わたしたちは全面的にあなた達を支援する用意があります。いかがでしょう、年額**ウォンぐらいの活動資金の提供はできますよ、もちろんわたしたちの言うことに従っていただけたらの話ですがね」とでも言ったとしたら、拉北者家族会崔代表がまるでハンナラ党に牛耳られた拉北者家族協議会のようだと思い、「息子に会いたいという母親のどこが悪いのか」といささか感情的な反発の言葉を吐いた理由も分からぬではない。(6/8/2006)

 ドミニカ移民訴訟への東京地裁判決。外務省や農林省の責任は認めつつも、除斥期間を過ぎて損害賠償請求権が消滅しているとして原告の訴えを棄却。

 少子化が進み、このままでは日本の労働人口は減少の一途を辿り、経済成長にも深刻な影響が出ると騒いでいるいま、政府の音頭とりで海外への農業移住を奨励したなど信じがたい話。しかし55年当時、敗戦に伴う海外からの引き揚げ者による人口の急増は無視し得ない問題だったらしく、中南米への移住などは多少事情は異にするものの北朝鮮への帰国事業などと同じ発想の政策(ともに独裁者――トルヒーヨ、金日成――の統治する国へ送り込むこと、ともに「カリブの楽園」、「地上の楽園」と宣伝されたこと、皮肉な相似がある)だったようだ。要は当の「移住者」なり「帰国者」の行く末などさして気にかけることもなく、とにかく少しでも生活保護対象者の口減らしができればそれで万々歳だったわけだ。

 彼らの鼻先にぶら下げられたニンジンは「18ヘクタールの肥沃な土地を無償譲渡であなたも自営農業者」。目の前の現実よりははるかにましに思えたかもしれない。だがその実態は「配分面積は狭く、土地も耕作不適地で、移住者に所有権はなく耕作権しかない」というものだった由。夕刊によればドミニカには249家族、1319人が入植、そのうち約130家族は数年を経ずして集団帰国することになった。現地に残った残り約半分の家族の生活は悲惨なものだったらしい。

 「時効」制度はなぜあるか。@一定期間継続した事実の尊重、A権利主張なき者の不保護、B立証の困難性への配慮だが、この件に限って言えば、現実に継続している状況は尊重されるべきものでもないし、原告たちは「権利の上に眠っていた」わけでもない。あわせて立証が格別困難である事情もない。なにより移住者に対して国がなした扱いは法によって実現されるべき「正義」に著しく背馳している。

 東京地裁はあくまで「お上」を免罪するために判決に「除斥」という言葉を使ったのではないか。「時効」には「停止」や「中断」があり、なにより当事者の主張がなければ裁判所側から「時効」判断ができないのに対し、「除斥」ならば判例上では停止はなく、自由に適用することができるというから。

 しかし、それほどに「民」を踏みつけにし「権力」にへつらうのがこの国の裁判所か。裁判長名を記しておく、金井康雄という。(6/7/2006)

 毎日のサイトに共同電としてこんな記事が載っている。

【見出し】拉致問題:金英男さんの母、北朝鮮訪問など表明へ
 韓国の聯合ニュースは6日、横田めぐみさんの夫とされる韓国人拉致被害者、金英男さんの母、崔桂月さんが8日にソウルで記者会見し、北朝鮮訪問など北朝鮮や韓国政府に対する自らの要求を表明すると伝えた。
 日韓両国の被害者家族は拉致問題解決に向け協調を模索しているが、崔さんの訪朝要求の表明で、訪朝に慎重な日本側との協調が困難になるのは必至だ。 北朝鮮側は金英男さんの存在を認めていないが、崔さんは北朝鮮と韓国政府に訪朝可能な措置を求めるとみられる。
 金英男さんがめぐみさんの夫の可能性が高いとする日本政府のDNA分析結果を受け、日韓の拉致被害者家族に協調の機運が高まり、5月末に崔さんらが訪日したが、訪朝をめぐり考えの違いも表面化。韓国の拉致被害者家族団体「拉北者家族会」(崔成竜代表)は既に日本側を批判する声明を発表している。
 聯合ニュースによると、拉北者家族会は6日、「先月の訪日時に日本の拉致関連団体が拉致問題を政治的に悪用しようとする印象を受けた」と言明、あらためて立場の違いを強調した。(ソウル共同)

 韓国の家族会は積極的に拉致問題を取り上げようとしない韓国政府を批判しつつ、同時に日本の「拉致関連団体」にも拉致被害者や家族を救済するという本来の目的と照らし合わせて不純なものを感じたのだろう。少なくともこの一点に関しては彼らの感覚は鋭く的確だ。(6/6/2006)

 村上世彰はあっさりとインサイダー取引容疑を認めてしまった。「あっさり」という印象は昼休みニュースサイトで記事を読んだときのもの、夜のニュースで見たときの印象は必ずしも「あっさり」したものでも「認めた」というものでもなかった。

 「ふぉーりん・あとにーの憂鬱」によると、検察側が越えなければならないハードルは次の三つだという。@ライブドアはいつ買い付けを決定したか、A買い付けに関する決定内容の何を聞いたのか、Bそもそも村上はライブドアの共同買い付け者ではないのか。

 一般的に信じられているところによれば、ライブドアという会社は堀江貴文の一存で動かされていた会社だ。ライブドア事件で検察は堀江の「部下がやったことで自分には認識がなかった」という抗弁を宮内以下の側近の証言により「堀江の了承なしには成立しない謀議」と主張しようとしている。とすれば、@にしろ、Aにしろ、村上が「堀江さんが直接言ってくれたのならまだしも、実際のところは半信半疑でしたね」と反論すれば、堀江が協力してくれない限り検察としては苦戦は免れないところだったはず。だから村上は徹底抗戦するだろうと思っていた。

 それが表向きはあっさりと白旗を掲げたのだから、この国にはないはずの「司法取引」でもやったのかと思った。午前中の記者会見、そして目につかない場所での逮捕などは、検察側の「了承」があればこそできたのだ、と。しかし会見で村上は「過失」だと言っていた。「ホラ、あそこに進入禁止の標識があったでしょと言われて振り返るとあった、そういわれて一方通行の道に入ってしまっていたなと分かったようなもの」というような言い方。裁判ではどんな主張をするのか、興味津々。

 そもそも「インサイダー取引規制」というのは「事情を知る者同士でうまくやっていて、よそ者はうっかり入り込むと損をする」のではないかと疑っている一般人に対して、「こういうルールがあって、そういうことはできないことになっています」と安心させ、株式市場でカネを使わせようというもくろみで作られたものだ。悪くいえば「見せかけ」の安全ルール。

 抜かずの宝刀、どんな場合に抜くのか、どんな斬りつけ方ができるのか。相手が生き馬の目を抜く市場での話なのだから、実際に適用するとなると難しい。証取法166条と167条、それぞれの条文の長さはそれを示しているようにも思える。無理に人を斬ってみせるのもよいが、とかく正論と杓子定規は始末に悪いもの。市場を萎縮させてしまえば、カモを誘った意味さえなくなってしまうだろう。(6/5/2006)

 **(家内)は**さんたちと尾瀬バスハイク。早起きにつきあって6時起きし「時事放談」を見ていたら、秋田の小学生殺し事件で被害者と同じ団地に住む女性を任意で取り調べというニュース速報が入った。週刊紙メディアが例の「新聞が伝えない有力容疑者」という独特の形容で取り上げてきた「近所の女性」なのか。怖い世の中になったものだ。警察が犯人を挙げる前にマスコミが容疑者リスト作りに熱中し、「疑惑確率」を濃縮する。そのプレッシャーの中で警察も検察もまるで当て物でもするように犯人を選び、後は世界一有罪率の高い裁判所に送り込む。何年かするとこのシステムの中に素朴にして凶暴な裁判員が組み込まれることになっている。ほとんどかたちを変えた魔女狩りが現出するかもしれない。

 「時事放談」、きょうは野中広務と藤井裕久。社会保険庁の納付免除・猶予不正処理から始めて小泉外遊まで看板通りの「放談」。おとといの「再チャレンジ議連」の盛況(94人、秘書などの代理出席21人)を評して「ああいうことになると、テレビに映りたい一心で集まるような人が多かった。いまのところはそれだけのことです」とバッサリ。野中には小泉憎しのバイアスがかかっているからかつてほどの冷厳な観察力は期待できないが、それでも永年あの世界でメシを喰ってきたキャリヤを通していうのだから、議員たちの心理分析と顔ぶれの品定めは確度が高いと見ていいだろう。

 さあプレマッチだ。この時間帯なら見よう。(6/4/2006)

 週末に日経BPメールを手がかりにBPサイト内のコラム記事などを読む。今週いちばん嗤えたのは、日下公人の「現実主義に目覚めよ、日本!」の最新版。「第32回:職業外交官は謙虚な日本をしたたかに売り込め」というタイトル。書き出しはこうなっている。

 最近では、米軍も譲歩するようになったと防衛庁の人たちは言う。昔では考えられなかった。その理由を聞いてみると、それはサマワとインド洋へ自衛隊を出したからだそうだ。米軍も、日本をむげには扱えないと思ったのだろう。
 日本側の交渉態度も昔とは変わってきて、防衛庁は米軍に対してどんどん要求するようになったらしい。「これを通してくれないなら、もう後方支援しませんよ」と米軍に対して言えるようになったのだ。
 防衛庁が「インド洋に軍艦を出して、ただでガソリンを配給するとか、そういうことはもうしません」という内容のことを強く言うと、外務省も「仕方ない」と思って米国へ取り次ぐようになった。

 こんな調子の与太話が延々と続く。講釈師の名調子と思えばそれまでだが、よくまあこんなものに日経は原稿料を払うものだ。

 経験的にいって「現実主義を!」と大声で叫ぶ人がほんとうに現実的であることは少ない。この日下の話もどこが「現実的」なのかちっとも分からない。(ガソリンで動く軍艦があると防衛庁から聞かされたのだとしたら、日下さん、あんたはもうバカにされているんじゃないのかな、呵々)

 「・・・だそうだ」、「・・・らしい」、・・・まるで市井の一般人の日記のような書きぶりでしか書けぬことを根拠に「米軍に対して言えるようになった」などと断定されても、「どんなことがきちんと言えるようになって、それはどんなことで確認できているのか」、具体的なことはなにひとつ書かれていないから、なんだか夢を見ているような話。

 現実主義者様が見ている「夢」から醒めたこの世界では、グァムに海兵隊を移転させるだけでわけの分からないカネを一兆円近くもふんだくられる話が進んでいる。これは万人が知っている「現実」の話。だからよけいに可笑しくなる。

 日下も七十の半ばを過ぎて耄碌したのに違いない。老害をふりまくぐらいなら、筆を折り、口を緘すべし。それができぬなら、早くあの世にいって一人で勝手な夢を見て欲しい。(6/3/2006)

 あさ7時のNHKニュースのトップは村上ファンドだった。容疑は昨年のライブドアによるニッポン放送株取得騒動に際して、インサイダー取引を行ったのではないかというもの。一口にいってインサイダー取引の規制はふたつの場合にわかれている由。ひとつは対象となる株式会社関係者に対する規制(証取法166条)で、もうひとつが議決権の5%以上に当たる株の買い付けをする者の関係者に対する規制(同167条)。それぞれについて「ふぉーりん・あとにーの憂鬱」書かれていることを表にまとめると次のようになる。

  対象者 対象情報 規制対象取引
売る 買う
会社関係インサイダー規制 会社関係者 会社関係インサイダー情報
買付関係インサイダー規制 買付関係者
(除く買付者)
買付の事実のみ

 規制の理由はよく分かるし、規制内容も分かる。しかしこれを村上ファンドに当てはめようとすると、東京地検の特捜部がどういう容疑をかけているのかが分からない。ライブドアがニッポン放送株を買い占めようと動くはるか以前に村上ファンドはニッポン放送の筆頭株主になっており、だからこそ去年の2月時点ではキャスティングボードを握っているのは村上だと注目された。つまりライブドアに売ることはあっても、既に仕入れ済みで買う必要はなかったはずで167条に違反しているとは思えない。

 167条違反だとすると、ライブドアの買付情報を知ったのではなく、その約半月ほど前に発表されたフジテレビによるTOBの情報絡みか、もしくは、最初から村上ファンドとライブドアが示し合わせて画策したシナリオだったということくらいになる。後者だとすれば、これはインサイダー取引というよりは壮大な詐欺のような気もしてくるが、そもそもそういうシナリオを咎める法規程はあるのだろうか。(6/2/2006)

 「FACTA」が着いた。創刊されたばかり。年間購読料先払いで書店売りはなし。日経ナントカならば不安はないが下手をすれば途中でポシャるかもしれない。だが、記事広告がリアルで興味をそそられたのと、NHKを辞めた手嶋龍一、日経の田勢康弘、朝日の田岡俊次が連載コラムを引き受けているのに惹かれた。

 創刊号からとチェックを入れたのに着いたのは最新号。ポストコイズミに関する記事は小泉首相がガーナで同行記者団に語った「二人が出馬してもいい。本人が出たいというのを止める方法はない」という言葉を「出られるものなら出てみなさい。あなたの出番ではないはずですよ」という意味だと書くところから始めている。続けて選挙に弱い安倍を千葉の補選やら岩国市長選の例をあげて指摘し、清和会の歴史を軽く紹介した上で、末尾をこんな風に締めくくっている。

 福田氏の長官辞任は、表向き年金未納問題とされたが、真相は2度目の北朝鮮訪問をめぐる首相への抗議だった。この時も福田氏は、小泉首相を面と向かって怒鳴りつけたといぅ。さらに小泉首相は就任後も毎年、福田赳夫元首相の命日に福田邸を弔問してきたが、これまで福田氏が出迎えたことはなかった。二人の確執は相当に根深い。
 その小泉首相が福田氏を「出られるものなら出てみなさい」と挑発したのは、「勝負師」の直感で最後は踏み切れないと読んでいるからだろうか。インテリの慎重さは勝負を恐れる。父・赴夫氏は「ポスト佐藤の本命」と言われながら田中角栄元首相に敗れて以来、大平正芳元首相との総裁予備選敗退(「天の声にも変な声がある」)に至るまで、「角福戦争」のことごとくに敗北を重ねた。とことんまで泥を被れないエリートの弱さが原因だった。似た気質を受け継ぐ福田氏は、親子2代の「連敗の家系」を避けるため、冒険はしないだろう。「師」の限界を反面教師として「経世会(田中・竹下・小渕・橋本派)支配」を倒した小泉首相には、それが見えているのか。
 あるいは自ら戦いを経て強くなってきた小泉首相は、「安倍禅譲」に備えて施す宰相学の最終課程として、首相の座は戦いの末にもぎ取らせる体験が欠かせないと思い定めているのか。安倍氏には勝負を厭わない好戦性が備わっている。ないのは実戦経験だけだ。その場合は「師」の子息を「踏み台」に使うことになるが、それこそ小泉流「非情」政治の締めくくりに相応しいのかもしれない。清和会の歴史の集大成となるであろう「血と骨」を懸けた政争が始まるろうとしている。

 小泉が安倍を推していることはその通りなのだろうが福田が躊躇するのではという説は採らない。それくらいならば4月から5月にかけての福田の東奔西走はまったく無意味ということになるのだから。もっとも福田が当節珍しいほどに深く考え抜く男なら、安倍が総裁になったところで確実に民主党の前原並みの転び方をすると予想し、その後を襲う方がすべての点でよいと判断する可能性はあるかもしれない。ただこの考えの難点は自分が下りたとき確実に安倍がその座に坐るとは限らないことだ。(6/1/2006)

 韓国から拉致被害家族が訪れている。テレビニュースなどでは明確に伝えられていないが、韓国にはこの関係の家族会が三つあるらしい。ひとつは朝鮮戦争時関係の「韓国戦争拉北人士家族協議会」、残りふたつは「拉北者家族会」と「拉北者家族協議会」。横田めぐみの夫であることがDNA鑑定で分かった金英男の母が所属するのは前者。「協議会」はメンバーが野党ハンナラ党議員と同伴で来日したところを見ると政党のヒモ付き団体なのだろう。どこか「原水禁」と「原水協」を想像させるものがある。とすると、「家族会」のヒモはなんなのだろう。

 けさの読売のサイトにはこんな記事が載っている。

 韓国人拉致被害者、金英男(キム・ヨンナム)さんの家族は31日、新潟空港から帰国の途に就いた。
 28日からの訪日で、横田めぐみさんの母親、早紀江さん(70)と初対面を果たすなど、日韓の被害者家族がきずなを深めたが、拉致された肉親との面会方法を巡る姿勢の違いも浮き彫りになった。
 「(北朝鮮に)行きます」。金さんの姉の英子(ヨンジャ)さん(48)は29日、参考人招致された衆院拉致問題特別委員会で、「家族に会うため、北朝鮮から誘いがあった場合はどうするのか」と問われ、きっぱりとそう語った。母親の崔桂月(チェ・ケウォル)さん(78)も「息子に会わせて下さい」と訴え、英子さんと同調する姿勢を示した。 これに対し、早紀江さんは「(めぐみさんの娘の)ヘギョンちゃんが現れた時、すぐにでも行くという気持ちであったが、北朝鮮がどういう国か考えなければならない。自由に話ができる場所でなければ(北朝鮮の思惑通りになり)こちらが行くのは危険」と発言。孫から訪朝を呼びかけられても応じず、日本での面会を訴え続けてきたことを改めて強調した。
 父親の滋さん(73)も30日、新潟市内で金さんの家族と夕食を共にした際、「返してもらえるなら遠慮はないが、『会いに来い』というなら周囲に相談してほしい」と伝えた。
 関係者によると、英男さんと同じ集落にいた拉致被害者の蓮池薫さん(48)も、委員会後に都内で金さんの家族に面会し、「会いに行くべきではない」と反対した。だが、家族の意思は固いとみられ、忠告にも「参考にします」と述べるにとどまったという。
 31日午前、空港で見送った横田さん夫妻は、金さん家族と笑顔で握手を交わしたが、面会を巡る"溝"は埋まらなかった。

 誰しも「虎穴に入らずんば虎児を得ず」という言葉を思い出すに違いない。日本の家族会メンバーは常に「皆さんのご支援を」と言うが、「天は自ら助くる者を助く」ではないのか。

 北朝鮮が一筋縄で行かぬ国であることは誰しも納得することだが、もともと国家などというものは一筋縄では行かぬものだ。ただ国家は逃げ隠れができない。それなりの体面は守らなければならぬ。いかな北朝鮮でもそれは変わらない。逆にああいう国であるだけ体面には気を使っている。つまり世界注視の中で国外から面会に訪れた人間を帰さぬわけにはゆかない。心配なら護衛をつけてもいいのだ。北を訪れ「韓国には帰らぬ」と言い始めたなどということは、少なくとも母・崔桂月には作りうるシナリオかもしれないが、金英子には難しいし、横田夫妻に至ってはまったく適用できないシナリオだ。

 幾分危険の伴う崔・金母子が訪朝してもよいとしているのに、はるかに安全な横田夫妻が自らは「虎穴」には入らずひたすら「天の助け」を待ち望んでおりますというのは、どうも釈然としない。

 横田滋そして地村保はかつて孫に面会するために訪朝したいと言ったことがある。よってたかってそれを諌めたのは「家族会」だった。我が方の「家族会」の見えないヒモは誰が握っているか。拉致問題からダシをとろうとしている安倍晋三だ。二の矢の備えもなく「見かけ強硬姿勢」の一点張りを行った彼にとっては自分の能力を超えた意想外の展開が起きることは絶対に困るのだろう。お気の毒なのはこの国の家族会だが、誰かに頼ろうとするからそうなったまでのことと言えぬでもない。(5/31/2006)

 今村昌平が亡くなった。カンヌ映画祭のパルム・ドールを二度受賞しているのは日本では彼のみ、他には4人しかいないとのこと。

 名古屋から転校してすぐ、季節的にはいま頃だった。学校行事として下高井戸駅近くの映画館で「にあんちゃん」を観た。授業に代えて映画館で映画を観るというのははじめてのことで「東京の学校は名古屋あたりとは違う」ということと、映画そのものの両方にインパクトを受けたことを憶えている。「貧乏」という言葉に独特の存在感がある時代だった。

 小学生だったから監督の名前に意識はなかった。やがて、「にっぽん昆虫記」(左幸子のはだけた胸に男が食らいついているスチールが忘れがたい)、「赤い殺意」(春川ますみの匂うような猥雑さ)、「復讐するは我にあり」(緒方拳の圧倒的な存在感)などを観るようになった後から、あの「にあんちゃん」の監督でもあったと知った。

 ここまで書いて、今村をカンヌ・グランプリの監督として観たわけではなく、受賞する前のいささか脂ぎっていた今村を映画館で観ていたことに気がついた。仕事に追いまくられるようになったことはこちらの事情だとして、ひょっとすると、今村は映画館で観るのに似合った映画(人間の営みの言い難い猥雑さを秘かに楽しむということ)を撮ってきた、そういうことがあるのかもしれない。「うなぎ」はテレビで見た。少しイメージと違った感じがしたのは今村の年齢のせいだと思っていたが、家のテレビで見たせいかもしれないとも思い始めた。

 「楢山節考」あたりから観てみたくなってきた。しかし映画館で観るのは難しいだろう。(5/30/2006)

 創刊300号を記念して「ニュートン」が量子論の特集を組んでいるらしい。「これがなかなか面白いんだ」と**さん(同僚)が言う。強電が専門だったので粒子と波動の二重性について興味をかき立てられているようだ。今月号の新聞広告の惹句に「アインシュタインのノーベル賞は相対性理論に対して与えられたものではない」とかいう言葉があったことを思い出して聞いてみると「意外だった」という答え。

 受賞理由が「光電効果理論」であったことは少しばかりアインシュタインにとっては皮肉だったかもしれない。20世紀の初っぱなでそれまでの物理学の世界観を塗り替えたのは「量子論」と「相対性理論」だった。そのどちらもアインシュタインから始まっているといってよいが、彼と量子論との関係は「もつれ(entanglement)」ている。というのは量子論に対する疑問として彼が提示したパラドックスが後に「確認」されてしまい、現在ではそれが量子コンピューティングという技術につながっているのだから。

 量子論の確立につながったアインシュタインの功績が「光電効果理論」だった。この理論と特殊相対性理論はともに同じ年に発表されたはず・・・、と思って調べてみた。まだ記憶はたしかだった。同じ年、1905年。そう、それはこの国の勘違いの始まった年、日露戦争に勝った年でもある。(5/29/2006)

 作り溜めをしておく「あの日の滴水録」に、石原慎太郎の「三国人」発言にふれた日のものを選んだ。意識的に「蔑称」として使いながら単なる「俗称」だと強弁したあれだ。当時、2ちゃんねるの右翼オタクスレッドにはまことにご苦労なことにこの言葉の「由緒来歴」を弁じ「蔑称」ではないことを「証明」した者もいた。記憶によれば半分くらい虚構が混じるところがご愛敬だった。

 先日、石原は知事三期目に意欲を示す発言をして、理由のひとつに「東京オリンピック招致」をあげていた。話題は作れても実績となると寂しい知事としてはなにか「足跡」を残してやめたいのだろう、同情する。当初の公約であった横田基地の返還を実現してくれれば「天晴れ」の一語だが、もともと守る気もない口から出任せであったとすれば実現できるはずもない。

 オリンピックには福岡も名乗りを上げておりIOCへの立候補はまず国内で争うことになった。多くの人々が信じている通り、オリンピックはスポーツの祭典、人類平和の象徴。民族の融和は当然の話で「三国人」という言葉を使いたがる人物のセンスとは大きく背馳する。とすれば二度目の東京よりはじめてとなる福岡に立候補権を与えるのが至当。(5/28/2006)

 きのう、見た夢。まるでゴルフ場のような芝の植えられた、なだらかなアンジュレーションのある前庭。その向こうには針葉樹の森が見える。柔らかな陽光の差し込む広めで天井の高い洋室。ソファーにくつろぐのは銀髪で恰幅のいい老紳士、差し向かいに座る男はそれよりは幾分若い赤毛の男。

 「・・・これで(と、テーブルの上の新聞を指さす)カムフラージュ計画は完璧かね?」、「まあ、いままでもさんざんアフリカ起源説を宣伝してますからね」、「そうか、ならばよい。・・・ところでネクスト・エイズは完成したのかね?」、「ええ、動物実験はほぼ満足するデータになっていますから、次のステップの材料待ちという段階です」、「そうか、・・・、しかし、こんどはHIVの時のようなイージーな方法はダメだ」、「・・・と申しますと、囚人は使えないということですか?」、「当たり前だ、ホモもダメだ、・・・、国内などは論外だ」、「しかし、そんな都合のよい国が・・・」、「できるなら、せっかく、こういう研究で造ってもらったのだから、アフリカがいいのだが・・・」、「火をつけるだけなら、アフリカのほとんどの国はオーケーですが、最初は、ある程度実験データとして将来も使えるくらいの環境が欲しいですね」、「黄色いサルはどうだ?」、「別に、黒くなくても、かまいませんが、申し上げたように、ある程度粒の揃った環境・・・」、「わかっている、だから黄金の国でどうだといっているのだ」、「エッ、あの国で、そんな人体実験ができるんですか?」、「できるさ、わしがプッシュすれば、・・・、ちょっとガツンとおどせば、BSE牛の肉だってなんだって、平気で国民に喰わせるような奴を押さえてある」、「いいですね、小生意気な黄色いサルどもがネクスト・エイズで互いに反目するざまを見たいですね」、「ふふふ、そうだよ、神が造りたもうた完璧な人間はアングロ・サクソンのみだ、それ以外はいずれはメギドの丘で一掃されることになっておる、来るべき世界の到来を早めることは、神のご意思でもあるのだ」

 ここまで、聴いたところで目が覚めた。テーブルの上の新聞記事は、きのうの朝刊で読んだものだった。

 世界的な感染拡大が続いているエイズウイルス1型(HIV1)は、アフリカ・カメルーンに生息している野生のチンパンジーが起源となっていることを、米アラバマ大などの研究チームが明らかにした。初めて実施された大規模な現地調査と遺伝子解析による成果で、従来の見方を裏づける結果となった。26日、米科学誌サイエンス電子版に発表する。
 HIV1の起源をめぐっては、よく似たサルエイズウイルス(SIV)がこの地域のチンパンジーから見つかっていることから、これまでもチンパンジー説は有力だった。ただ、生息地域が隔絶されていることや、チンパンジーが絶滅の危機にあるといった理由で、研究は進んでいなかった。
研究チームは、チンパンジーのふんから感染ウイルスの遺伝子を見分ける方法の開発に成功。カメルーン南部の森林10カ所で採取した446匹分のふんを分析した。
 その結果、今回調べたチンパンジーから、これまでに見つかっているSIVのなかで、最もHIV1に近いウイルスを見つけた。
 これまで感染が判明したケースは飼育動物がほとんどで感染率が2%ほど。野生のチンパンジーの感染実態はよく分かっていなかった。今回の調査では、あるグループの感染率が35%と高率だった。
 研究チームによると、このSIVが20世紀初め、一帯にすむチンパンジーからヒトへ、種の壁を超えて感染した結果、HIV1になったと考えられるという。
 また、エイズウイルスは突然変異を繰り返すことから、多数の遺伝子の種類がある。今回の調査以外、ほとんど調査が進んでいないこの周辺地域では、まだ発見されていない新しいウイルスが存在する可能性があり、ヒトへ感染する危険もある、と研究チームは指摘している。

 ただ男たちが英語でしゃべっていたのに聴き取ることができた理由、置かれていた新聞が朝日新聞なのに男たちがそれを読むことができた理由が分からない。まあ、夢だから、そんなものかもしれぬ。(5/27/2006)

 次期自民党総裁選、安倍晋三と福田康夫の一騎打ちになるとの予想が専ら。いまのところ、世論調査では安倍が40%台から30%台へ降下、福田が20%台から30%台へ乗せる勢い、となっている。

 おととい安倍は「サミットが終わった頃」という発言をしたらしいが、それ以前、来月、小泉が訪米をした際が最初の節目になるだろう。きのうの朝刊の三面見出しには「安倍氏出馬意向/福田氏の急追意識/政策づくり急ぐ」とあった。つまり安倍はどうやら「小泉による後継指名」と「成り行き・ムード」でゆけると思っていたのが、思いの外福田の水面下の動きとパフォーマンスがムード(世論調査支持率)をあげていることでバタバタし始めたということ。

 訪米後、小泉は、大方の予想とは異なり安倍後継指名について従来のニュアンスを変えることになるような気がする。ゴールデンウィーク、日本に張り付いていた安倍と海外を飛び回った福田の違い、つい半月前の福田の訪米時の「異例の厚遇」がどのような意味を持っていたのか、やっと安倍がそれに気がついて「サミット」という言葉を口にしたのだとしたら、ひょっとするともう裏の舞台は回っているのかもしれない。(5/26/2006)

 朝刊一面に「安倍氏、出馬の意向」の見出し。安倍の発言とされるところを拾っておく。「世論調査で一定の支持があるので、それは無視できない」。「高い支持をいただくことは光栄で、期待にこたえられるような実績を残したい」。「官房長官の職責をしっかり務めていくことによって、おのずと道は決まっていく。いずれかの時点で考えを表明しなければならないが、サミットが終わって、どのタイミングになるか考えなければならない」。「(憲法改正は)新しい時代を切り開くことにつながる。国民的議論が必要で時間を要するが、次の内閣で大きな課題になることは間違いない」。

 これによると宰相になりたいのは「世論の支持があるから」で、やりたいことは「憲法改正」だということになる。さすがに気の毒と思ったか、朝日の前田直人なる記者は次のように書き足した。

 また、小泉改革路線の継承を訴える一方で、「改革のひずみ」との批判もある格差是正に向け、今年の「骨太の方針」に「再チャレンジが可能な社会づくり」を盛り込み、自らの政権課題とする見通しだ。
 靖国神社参拝問題では、参拝するかどうかの明言を避ける考えだ。アジア外交では、インドとの関係強化を図り、「自由・民主主義・基本的人権・法律の支配」の理念を共有するアジアの自由主義陣営を結んだ戦略対話の枠組みを提唱する。

 「再チャレンジが可能な社会」とはいったいどんな社会のことで、いったいどのような「負け犬」の再チャレンジをどのような「仕組み」で可能にするのか、まるで「防衛庁」を「国防省」にしたらすべてがうまくゆくような論理に似ていて、ちっとも分からない。おそらく、安倍自身も何を言いたいのか分かっていないのではないか。まさか、がむしゃらにやってきた亀田兄弟がチャンピオンベルト挑戦に失敗したら、リターンマッチのムードづくりのためにまた噛ませ犬を探してきてやるなどというありがちでくだらないことを「再チャレンジ可能」などと呼んでいるわけじゃなかろうね。呵々。

 さらに中国が嫌いだからインドにラブコールなどという程度の発想でアジア外交の再構築などとは話にならぬ。そういう愚か者を評する言葉を教えてやる、「夜郎自大」というのだ。嗤笑。(5/25/2006)

 昼休み、ニュースサイトを見ていたら、村上世彰が既にシンガポールの労働許可証取得を申請し、永住許可も将来申請する可能性があるというニュースを見かけた。このニュースおかしなことに主要紙には載っておらず、共同電の配信を受けている地方紙とスポーツ紙でのみ報ぜられている。

 記事には「申請の理由には触れていないが、同国は日本より所得税率が大幅に低く、地元では『生活拠点もシンガポールに移し、税制上の利点を享受するのが狙いでは』との見方が出ている」と結んでいる。それはその通りなのかもしれないが、もうひとつ考えられることは村上は堀江の逮捕・起訴に衝撃を受けたのではないかということ。

 典型的な明治の女性でなおかつ「武士」の意識が抜けなかったシズさんには「商人は狡い」という牢乎たる「偏見」があった。もともと交易というものは価値観の違いに口をつぐんで相手の無知につけ込むほど大きな利益を生む。だから「ビジネス」と「モラル」は友人であるわけがない。それでも最低限のモラルは尊重しましょうかというのが「商業道徳」。そのハードルはもともとけっして高くはないけれど、そのハードルだって踏み倒しても早くゴールインすれば勝ち、という競技ルールの一般化をめざしたのが「規制緩和」に他ならない。その「規制緩和」に目に余るほどの行き過ぎがあった時には「一罰百戒」もありうる。ところがその「行き過ぎ」が「目に余るほど」のものかどうかという判断は「お上」が恣意的に行いますというのが最近のこの国の風潮。国家自身が「法治」のハードルを低くしているのだから恐ろしい話だが、誰もこれを怪しまないのだからまさに百鬼夜行状態。

 高率ファンドとしてアピールする限りはグレイゾーンのコーナーギリギリをつく必要がある村上とすれば「一罰百戒」のリスクをそのまま放置するわけにはゆかなかった、と、そういうこと。(5/24/2006)

 書いてあることよりも書いていないことの方が、はるかに雄弁に事態を語っていることがある・・・などと書くのは大げさかもしれないが、昨夜からきょうにかけての各紙のサイト記事から。

【朝日】就任後初めて中国を訪問したドイツのメルケル首相は22日、中国の胡錦涛国家主席、温家宝首相とそれぞれ会談し、イランが核兵器を持つべきではないとの認識で一致した。また、胡主席は「ドイツが国連など国際組織でより大きな役割を発揮することを支持する」と述べ、ドイツの国連安保理常任理事国入りを支持する考えを示唆した。

【日経】訪中しているドイツのメルケル首相は22日、中国の胡錦濤国家主席、温家宝首相と北京で相次いで会談し、リニアモーターカーを含む鉄道分野など19件の協力合意書に署名、経済面での連携強化で合意した。一方、人権や知的財産権侵害問題では中国に厳しい改善要求を突きつけたとみられる。・・・(中略)・・・胡主席との会談ではイランの核問題や国連改革問題で意見を交換。胡主席は「ドイツが国連などでさらに大きな役割を果たすことを支持する」と述べ、ドイツの国連常任理事国入りを支持する考えを示唆した。

【東京】初訪中したドイツのメルケル首相は22日、北京で温家宝首相、胡錦濤国家主席と相次いで会談、華僑向け通信社、中国新聞社電によると、温首相と胡主席はそれぞれ「ドイツが国連など国際機関でより大きな役割を果たすことを支持する」と表明し、ドイツの国連安全保障理事会常任理事国入りを支持する考えを示唆した。

【読売】ドイツのメルケル首相は21日夜、首相として初めて中国を訪問し、22日、北京で胡錦濤国家主席、温家宝首相とそれぞれ会談した。中国側報道によると、双方は、重要な国際問題などでの両国間の協力と対話を強めていくことで一致した。胡主席はこの中で、「ドイツが国連などでさらに大きな役割を発揮することを支持する」と述べ、両国間の協力関係を全面的に推進していきたいとした。メルケル首相も、戦略協力関係を発展させると強調した。同日、中独双方は、高速鉄道、知的財産権保護、エネルギー分野などでの協力を定めた19合意文書に調印した。

 各紙、サイト掲載記事は長いものではない。日経と読売は特派員名を付した記事であるのに対して朝日は明示なし。東京は共同電となっている。それに比べると興味深いのは例によってサンケイの記事。日経よりもはるかに長い。

【北京=伊藤正】中国訪問中のドイツのメルケル首相は22日、温家宝首相との会談後の共同記者会見で、双方がイランの核兵器開発反対で一致したとしつつも、国連安全保障理事会での対イラン制裁決議案をめぐる中国側との溝は埋まらなかったことを示唆した。メルケル首相は続いて胡錦濤国家主席とも会談、新華社電によると、胡主席は省エネなどの技術協力強化を要請した。
 メルケル首相の訪中は昨年11月の就任後初。首相は会見で、イランの核開発阻止には「圧力」が必要だと強調。制裁に消極的な中国に翻意を促したことを示唆したが、中国と合意に達したかについては言及しなかった。中国側はロシアとともに制裁に反対する立場を堅持したといえる。
 中国市場を重視し、「中国に甘い」と評されたシュレーダー前首相と違い、メルケル首相は中国の人権抑圧、知的財産権侵害や人民元問題でも注文を付けた。しかし中国側の態度は硬く、「今後も協議を続けるほかない」と述べた。
 また、天安門事件以来続く欧州連合(EU)の対中武器禁輸問題についても、メルケル首相は「人権問題と切り離せない」と述べ、解除は時期尚早との考えを示した。
 メルケル首相は約40人の経済人らを同行、鉄道やエネルギーなど19件の協力文書に調印し、経済関係の発展には積極姿勢をみせた。北京−上海間の高速鉄道建設についての協力覚書も交わされたが、具体的な取り決めはなかったもようだ。
 メルケル首相は22日夜、上海入りし、23日にカトリック教会などを訪問。ドイツの協力で建設、実用化されているリニアモーターカーに乗り、浦東地区の国際空港から帰国の途につく。

 まさに委細を尽くした記事に見える。だが、なぜか、読売さえ控えめに書かざるを得なかった「ドイツが国連などでさらに大きな役割を発揮することを支持する」というところだけがすっぽり抜けている。

 これは「愛国的」でないことは報じないというサンケイの「プラウダ的体質」を表したものというべきか、それとも読みたくない知りたくないことは書かないでくれという低レベルのサンケイ読者に迎合したというべきか。いずれにしてもなかなか興味のある報道姿勢だ。

 ロシア語で「プラウダ」は「真実」という意味だそうで、かつてはなかなかのブラック・ジョークだった。サンケイの体質がまるでかつての共産党総本山の機関紙と同じというのは同様にブラック・ジョークになるだろうか。(5/23/2006)

 よる11時の「ニュース23」、「コイズミ的を問う」を見つつ、ヒトラーやゲッベルスはいまごろあの世で地団駄を踏んでいるのではないかと思う。「オレたちの時代にテレビがあったら、もっと巧妙に、もっと効果的に、かつもっと完璧に大衆をコントロールして見せたのに」、と。

 いっそのこと彼らがテレビを完璧に利用し尽くすことによって大衆扇動の極致を見せていてくれたらよかった。「大衆」が扇動者という悪魔を自ら熱狂して迎えたあげくに、興奮の極点から絶望の谷間へと投げ落とされて、ズダボロになる様を見ていれば、・・・、と夢想しつつ、やはり人間というものは自分でその体験を味わわないうちはダメなんだろうと思い直す。

 明治から営々と積み上げたものを一気に摺ってしまった前の戦争の失敗から、なにひとつ確実なものを得ることができなかったこの国はまたまた声が大きいだけの愚か者たちに引きずられつつある。もう一、二回くらい手ひどい目に遭わないといけないのだろう。オレはもう人生の半ばを過ぎた。惜しむほどのものもない。ならば、人間というものがどれほどバカなものか、この国に住む人々が総体としてどれほど愚かしい選択をしてゆくものか、たんと見せてもらうのも悪くはない。他人の成功を見せられるよりは、失敗を見る方が楽しいのは大方の人間の通性だ。

 意識のある限りはそれを書き留めてゆこう。とすれば、次の宰相には是非とも安倍晋三を望みたい。いま候補にあがっている中では100%ピュアな愚劣漢は彼をおいてあるまい。(5/22/2006)

 東府中の府中の森芸術劇場で府中市民交響楽団の定期演奏会を聴く。製造にいる**さんがホルンを吹いている関係で**さんから誘いがあったもの。

 演目はバーンスタイン「キャンディード」序曲、モーツアルト「交響曲:ジュピター」、チャイコフスキー「交響曲第4番」と、お気に入りの曲ばかり。指揮は荒谷俊治。

 **ちゃんを連れて来るというので「名曲解説全集」から関係分のコピーをとって出かけた。演奏の巧拙については分からない。ただ生演奏には生演奏なりの収穫はあるものだが、「生」という感激が薄かったのはホールの音響に何か足りないものがあったせいか、あるいは耳が悪くなったせいか。(5/21/2006)

 きのうにも法務委員会での強行採決といわれていた「共謀罪」法案、河野議長による仲裁が入っていったん水入りになった由。朝刊にはこんな記事が載っている。

 だが、「共謀罪」を盛り込んだ法案を19日に採決するという細田氏の強い決意をその日の朝になって覆したのは、当の首相の「鶴の一声」(党幹部)だった。19日午前10時半。国会内で細田氏は、公明党の東順治国対委員長らと会っていた。「きょうの採決はしない」。関係者によると、細田氏はこう切り出した。採決に反対する民主党を相手にともに戦ってきた公明党には寝耳に水だった。
 細田氏はこの後、自民党の矢野哲朗参院国対委員長、青木幹雄参院議員会長と相次いで会い、この方針を説明。その際、河野洋平衆院議長に調整を委ねる考えを示した。細田氏と東氏はこの後、河野氏と会談し、民主党の渡部恒三国対委員長との仲裁を求めた。国会空転の際に議長が事態収拾に乗り出すことはしばしばある。だが、委員会の採決前の段階で議長が動くのは、極めて異例の事態だ。議長とすれば、仲裁を求められれば「話し合いを続けて」と言うしかない――。河野氏の周辺は「議長は乗り気ではなかった」と明かす。
 一方、午後1時開会の法務委員会では、こうした動きが十分に伝わらぬまま質疑が続けられていた。採決に移る気配がないので与党理事の一人は国対に電話をかけ、「どうなっちゃってるの?」。返事は「粛々と質疑して下さい」だった。午後3時過ぎ、そのまま委員会が終了すると、法案を提出した杉浦法相は「何が起こったのか分からない」と首をかしげた。

 考えられそうなのは案外不評だった水曜日に行われた党首討論。あの討論、冒頭で小沢は「医療制度改革は急いで上げるほどのものではない、法案審議は時間をかけるべきだ」と切り出し、うっかり「賛成だ」と答えた小泉に「強行採決したばかりで賛成と言われてもねぇ」と軽く一本とった。既定路線の強行採決、直前になっての見送り。自民党内に「どうなっちゃってるの?」、「何が起こったのか分からない」と言わせた小泉豹変の理由はこのくらいしか考えられぬ。

 とすれば、すぐに浮かぶのは「お楽しみに」を連発したあげく自滅した前民主党代表の前原のこと。「若いという字は苦しい字に似てるわ」という歌があったが、「ワカ」(若者)という音は「バカ」(馬鹿者)という音に似ている。前哨戦が始まった自民党次期総裁選。拉致以外には何の実績もネタもないように見える安倍晋三、他に取り柄はあるかと見れば「51歳の若さ」ということになりそうだが、自民党員もきっと考えるに違いない、「若い」だけが取り柄のリーダーの「バカさ」加減に振り回された民主党の轍を踏んではならぬと。前原はまだ京大だったからあの程度のバカですんだ、安倍は・・・、どこまでバカだかしれたものではない。(5/20/2006)

 今週月曜、NHKスペシャル「小泉改革5年を問う」の第二夜に出演した竹中平蔵は「最近の好景気は構造改革の成果だ」とぶち上げたが、皮肉なことにここしばらく平均株価は下がり続けている。

 今日の終値では16,155円45銭と戻したものの、きのうは一時1万6千円台を割り込んだ。

 それでも竹中はバブル景気の51ヵ月連続を超える拡大基調とふんぞり返っていた。しかしその月数の中にはどん底が深すぎたからこそアベレージに戻すのに必要だった期間がたんまり含まれているのだから、谷間を深くした自分の無能ぶりを含めて自画自賛してもいることになるわけで、なるほど「詐術以外は駆使したことがない」と評されるのもあながち根拠のないことではない。(5/19/2006)

 朝刊にはおもしろ記事がふたつほど。ひとつは海上自衛隊の有事演習計画が護衛艦勤務の隊員のパソコンからWinnyを介して流出していたという記事。もうひとつは横田滋がめぐみの夫と目されている金英男の母および姉とソウル市内で面会した件に絡めての安倍官房長官の動きに関するもの。

 流出データはおもしろ可笑しくはあるが、もともとWindowsなどを標準OSにしているセンスの防衛庁・自衛隊だもの、演習の想定内容もまるでそのレベルそのままで新味などない。もうひとつも朝日もこんな提灯記事を書くのかと嗤える体のもの。ただ、チョーチンにはチョーチンなりの可笑しさがあるから一部書き写しておく。

 情報提供を主導したのは、安倍官房長官。4月中旬に準備に入ったが、マスコミが注目する横田滋さんの訪韓に合わせて提示する周到さだった。
 安倍氏は前日に面会したタイ外相に続き、16日にはエジプト外相に「拉致問題を国際的な問題としてとらえて欲しい」と要請。「次の手」として安倍氏が狙うのは、7月にロシア・サンクトペテルブルクで開かれる主要国首脳会議(G8サミット)でのアピールだ。
 安倍氏は、サミットへの働きかけを外務省に指示。10日の衆院拉致問題特別委員会で安倍氏は「議長国ロシア、人権の国のフランス、イギリス、ドイツに働きかけ、ブッシュ大統領にも小泉首相とともに発言していただくようお願いする」と語った。自ら橋渡しをした横田早紀江さんとプッシュ大統領との面会も弾みにする思惑がある。

 嗤ったのは「マスコミが注目する横田滋さんの訪韓に合わせて提示する周到さ」というくだり。家族会と救う会の活動資金がどこから出ているかを考えれば、BがあってAなのではなく、Aがシナリオを書いてBはその通りに動き、マスコミは大本営発表を伝えているだけであることなど、よほどのバカでない限り想像がつく。ただAが書けるシナリオは国内向けにはそこそこの劇画レベルだが、国外向けにはAの想像力の貧困を露呈し、「悲惨」の一語に尽きる。

 それでもG8サミットがどのていど「拉致サミット」になってくれるか期待しよう。総裁選レースにおけるAのみかけを少しだけ「ヨイショ」するくらいのことはもはや惰性モードに堕した無力なサミット・低支持率にあえぐエイプ・ブッシュでもなんとかなるかもしれぬ。そうでなくては血税を使っている意味がない。それは見方を変えれば、Aの事前運動への私的流用に他ならないわけだが・・・。バカな官房長官を持つと苦労する、納税者は。

 国会では小泉対小澤の党首討論。ヒューザーの小嶋進、逮捕。あえて、この日に逮捕する不思議。よほどトップニュースに取り上げられたくないものがあったのか。(5/17/2006)

 安倍晋三官房長官がハイド外交委員長の発言について問われて、「そもそも米議会で演説するという予定はないし、そういう希望を述べたこともない」と断った上で、「多くの議員の方々は信仰の自由の観点から参拝を取りやめるべきとの批判はしていないのではないか」と反論した由。議会演説について外務省が画策しているのはいまや半ば公知の事実だから、官房長官としてそれを知らされていないとしたら、よほど安倍はつんぼ桟敷に置かれているのだろう。可哀想に。

 閑話休題。たしかに高齢な参戦体験者にして頑迷な共和党員でもあるハイド議員のマインドがアメリカ議会の多数の議員と大きく異なることは事実だろう。だが、パープリンの安倍には理解できなかったのかもしれないが、ハイドが指摘しているのは「信仰の問題」などではない。太平洋戦争の落とし前を一身に背負わせたA級戦犯の「罪」を否定して合祀している「思想」の象徴たる靖国神社に参拝するような「公人」を議会でスピーチさせ、その後、その人物がいちばんニュースバリューのある日に「ニュース」を作ったならば、連合国の首魁であったアメリカは大恥をかくことになるぞ、と、そういうことだ。その一点に絞って彼の国の国会議員にアンケートをとるならば、それを許容する議員がどれほどいるか、安倍の「希望」など瞬時にして吹っ飛ぶだろう。

 安倍の「希望」の所在は分かる。他ならぬA級戦犯が身内にいるからだ。冤罪であったとしても「罪人」を身内に持つことは辛いことだ。もし安倍がその汚名を雪ぎたいのならば、まず岸信介をA級戦争犯罪者と断じた東京裁判の結果を誤りであったと、連合国の中核にいたアメリカ合衆国に認めさせるべきで、戦場で「戦死」した人々の陰に隠れてなし崩しに名誉を回復するなどという姑息極まりない手段をとるべきではない。すべての英霊が「戦死を騙る合祀者」によって迷惑をしているのだから。(5/16/2006)

 午後、半休をとって北原脳神経外科で診察を受ける。物忘れ、午後の睡魔、大したことではないと思いつつ、それでも**(父)さんのことなどを思い出すと不安感が拭い難かったため。

 予約は3時20分だったのだが、呼び出されたのは3時50分。問診を受けてから、採血、脳波、CT、言語療法士による検査。脳波をとるのははじめて。二十数本もの電極をつける。装着前に、たぶん導電性があるのだろう、クリームを塗る。「痛かったら言ってください」と言われたがさほどのことはない。ベッドの上に横になって目を開けたまま、チカチカ明滅するライトを当てられる。そのあとは「お楽にどうぞ、眠たければ寝てもいいですよ」。それで小一時間。CTを終わって、待つこと二十分ほどで診察室に呼ばれた。どうやら指示漏れがあったらしく、こんどは言語療法室へ。記憶力を中心にした検査。「きょうは何日ですか、いまは何時ですか、ここは何病院ですか、都道府県ではどこにありますか、・・・」、そうだよ、たしかに若年性アルツハイマーではないかと思って来たのだよとは思っても、さすがにちょっと情けない気持ちになる。

 「ミカン、電車、27、憶えてください、ハイ、言ってみてください」。「五分くらい後に、またお尋ねしますから憶えておいてくださいね」、立体の透視図を書かされたりする。(ミカン、電車、27)、秘かに記憶をリフレッシュしておく、(湘南電車のオレンジはミカン、27は癸一さんの命日)、・・・、「ここに書いてあるものの中で「あ・い・う・え・お」の字に○をうってください。書かれている内容についてあとで質問しますから内容も読み取ってくださいね、時間は2分です」。・・・。いちばんガクッときたのは、順に読み上げられた十組の単語を復唱してすぐにそのペアを答えるもの。「鳩・豆、鉛筆・消しゴム、・・・」などというものは造作もないのだが、これがまったくペアに関連性のないもの、「柳・電話、夏・とっくり、・・・」などというものになるともう情けないくらいにできなくなる。三回のトライアルで三組回答できるのがやっと。「こちらの方は、ひとつかふたつできれば問題ないとされていますから、お気になさらなくてけっこうですよ」とはいうが、十組のほとんどが「分かりません」では落ち込んでしまう。

 結果は、「脳に萎縮はない」、「脳波にも異常な点は見られない」、「記憶についても年齢相応」、・・・、「ご心配のようなことないと思われます。眠気の件は睡眠がとれていないのではないかと思われるので、そういうお薬を出しておきます」とのこと。会計を終わって病院を出たのは7時半過ぎ。(5/15/2006)

 よる9時からのNHKスペシャル「小泉改革5年を問う」を見る。

 「道路公団『改革』」、「年金『改革』」、「郵政『改革』」、・・・、どれをとっても『改革』なんぞしてないじゃないかと思ってきたが、少なくとも「公共事業『壊革』」だけはやった。これが小泉改革だった、と、そういう内容。番組中に表示されたグラフによると小泉施政の最初といまでは約4兆円ほど削減されている。

 すぐに思い出した数字はアメリカ軍の再編に伴う日本の負担金。額賀がアメリカに呼びつけられて申し渡された沖縄駐留海兵隊司令部のグァム移転費は約6,500億。その数字が日本の新聞に踊ってすぐにアメリカの国防副次官が「日本の負担は2兆円から3兆円だよ」と言ってのけた。

 なんのことはない、チマチマと地方交付金や公共事業費を削減して、パッパッとアメリカが行う「軍事公共事業」に気前よく払おう、と、これが「小泉改革」なるもの正体だ。僻地の道路整備に使うはずのカネがグァム島に建設する海兵隊士官の住居に化けただけ。グァム島の米軍軍属住宅はいったい「テロとの戦い」のどんな局面に役立つのか、説明できる人間はおるまい。(5/14/2006)

 訪米中の福田康夫が「異例の厚遇」を受けている由。10日にライス国務長官、11日にはラムズフェルド国防長官、チェイニー副大統領と会談。きのうの夕刊には「ブッシュ政権は昨年来、チェイニー、ラムズフェルド、ライスの3氏が、安倍官房長官(訪米時は自民党幹事長代理)、麻生外相、谷垣財務相との会談に応じてきた」とあったが、現在、閣僚でもなく自民党の要職にあるわけでもない福田にこれだけの対応をするのは「異例」なのだそうだ。

 一方、夕刊には、昨年加藤駐米大使に小泉首相の靖国参拝がアジア諸国に及ぼす影響を懸念する書簡を送ったハイド外交委員長が下院議長ハスタートにあててこんな注文をつけている旨の記事が載っている。

 米議会筋によると、書簡は4月下旬に出された。まず、イラクやアフガニスタンで米国を支援した強固な同盟の代表として首相の議会演説は基本的に歓迎する意向を表明。そのうえで、首相が演説の数週間後に靖国神社を参拝することへの懸念を示した。真珠湾攻撃に踏み切った東条英機元首相ら同神社に合祀されているA級戦犯に首相が敬意を示せば、フランクリン・ルーズベルト大統領が攻撃の直後に演説した場である米議会のメンツをつぶすことになるとしている。
 さらに、真珠湾攻撃を記憶している世代にとっては、首相の議会演説と靖国参拝が連続することは懸念を感じるにとどまらず、侮辱されたとすら思うだろう、と指摘。「演説後に靖国参拝はしないと議会側が理解し、納得できるような何らかの措置をとってほしい」と求めているという。

 記事は「書簡に対するハスタート下院議長からの返答はまだない」と書いており、ハイドが82歳という高齢、かつ太平洋戦争の参戦体験者であることを割り引いて考える必要はあろう。しかし、この手の内輪の書簡がリークされるにはそれなりの背景があると考えておくべきだ。

 アメリカが日本をどの程度のパートナーと見ているかは昨年の常任理事国拡大騒ぎで明らかになっているが、それでもアジア諸国に対して中国のカウンターとしての役割は大いに期待しているに違いない。その点でいえば、こと外交に関する限り小泉亜流でしかない安倍や麻生などはアメリカにとっても「使えない奴」でしかない。福田が掲げる「アジア外交重視」が大きくアメリカと衝突するものでないことさえ確認できればアメリカとしては福田がよいと考えていることは想像に難くない。

 現実の問題としていまやこの国は合衆国の植民地になり果てている。つまりこの国の首班は国会で指名を受けてもそれは単なる必要条件に過ぎず、宗主国の了解をとることが絶対の十分条件だ。福田の今回の訪米はこの面接試験を受けに行ったということだろう。では合格したのか、総裁選まで待つ必要はない、早ければ来月、遅くとも8月頃までにはわかる。(5/13/2006)

 あさの「スタンバイ世論調査」、きょうのテーマは「次の自民党総裁には誰がよいか」。ホームページで確認すると、総数119票、第1位は福田康夫で53人(45%)、第2位が安倍晋三31人(26%)、第3位河野太郎6人(5%)、その他29人(24%)と書いてある。電車の中だったので聞き逃したのかもしれないが、記憶によると谷垣の名前は読み上げられたが、麻生の名前は読み上げられなかった。つまり、麻生は「その他」の中で少なくとも5人(4%)以下だったということ。

 「スタンバイ」という番組の視聴者にある種のバイアスがかかっていることは確かだ。だから「抜群の国民的人気」という枕詞がつく安倍だが、多少とも眼の利く「国民」からの評価はさして高くないということ。ついでに安倍支持の声として紹介されたものも書いておく、将来、この時代を振り返ったとき、その雰囲気と民度がどんなものだったかの理解を助けるだろうから。

 安倍さんがいいです!けしからん!って言われるかもしれませんが物腰も柔らかだし、見た目がいい!!総理大臣になる方は海外メディアにも沢山出るので素敵な方がいい!(栃木県・30代女性)
 安倍さんではアジアとの関係改善は進まないかもしれないが、逆に「経済の中国依存」を脱却するチャンスになるのでは、、、割り箸問題のように。(神奈川県・30代男性)
 安倍さんがいい。拉致問題に力をいれたのは安倍さんならでは。小泉さんの改革路線を引き継ぐにしてもソフトにアレンジできそうな気がします。(埼玉県・50代女性)

 じつに的確な支持理由で「なるほど」と思わせる。「見た目」が大事というのを「けしからん!」こととは思わない。麻生が選外に落ちた理由はバカっぽいコメントの数々だけではなく「見た目」が悪すぎるからだろう。

 こういうことはなまじ理屈など言わない方がいい。「あんた、『経済の中国依存を脱却』したら、いまの日本経済がどのようになると考えているの?」とか、「『拉致問題に力をいれた』結果がこんにちこの程度、あんた、これで満足かい?」とか、安倍支持層のものを考える力が那辺にあるかが透けて見えて電車の中で嗤いをこらえるのに苦労した。(5/12/2006)

 ポストコイズミ候補を二人抱える森派がドタバタしている。

 三島由紀夫が「家畜人ヤプー」を激賞しているのを評して「人は読み物を選んでいるように見えて、読み物に選ばれている場合もある」と言った人がいる。夜のニュースで山本一太という名前はチンピラ風、外見はチンピラそのものという議員(見かけだけのバカでないことは先日ご本人がわざわざテレビ番組でご披露――イラクがどこにあるか地図で指し示せなかったというから開いた口がふさがらない――してみせた由)が「安倍先生が総理にふさわしいという情報を発信していきたい」といささか興奮気味にしゃべっているのを見て、なるほど「選んだモノ」と「選ばれたモノ」にはまことにのっぴきならぬ関係があるものだと嗤った。せいぜいこの程度のチンピラが「先生は大物」と思える「人物」、それが安倍晋三ということか。

 それにしても「総理にふさわしいという情報を発信する」という言い回し、山本は洒落た表現のつもりで使っているのかしら。ふつう「・・・についての情報を発信する」というとき、「・・・」は「モノ」であって「(生身の)ヒト」ではない。だからうっかりすると安倍は「ヒト」ではなく「モノ」かと聞こえてしまう。いくら安倍が「無能な政治屋」だとしても「ヒト」の端くれではあろう。もちろん「安倍先生が総理にふさわしい」という「理由」に関する「情報を発信していきたい」というのは表現としては誤りではない。だが「なぜ安倍先生が総理にふさわしいか、訴えていきたい」といえばそれですむことで、際どい言葉の綱渡りをする必要など最初からない。

 失われた十年の半ば過ぎから「情報を発信する」という表現が猖獗を極めた。いまだにこういう胡散臭い言い回しに「IT技術」の匂いを嗅ぎ取り、幻惑される素朴な人たちが安倍や山本の支持者に多いのだろう。「ナウい」という言い方がいまだに「ナウい」と思っているようなものだ。呵々。(5/11/2006)

 昨年秋に印刷、今年初めに日銀に納入、既に流通済の千円札39,500枚にATMでは受け付けられないという欠陥があるというニュース。日銀は「紙幣としては有効だから積極的に回収はしない」、「困るという申し出でがあれば交換する」としている。あわせて「なぜATMが受け付けないのかは偽造防止の観点から説明しない」とも。

 おそらく偽造防止技術として公表されている「光学的対策技術」には誤りがないが「電磁的対策技術」に欠陥があるということなのだろう。いずれにしてもATMは偽札だと判定するが人間の五感は騙せるとしたら「紙幣としては有効」、これが日銀および印刷局の理屈らしい。相応の印刷技術を持つ犯罪集団ないしは犯罪国家にはなかなか魅力的な見解だと思う。そういう弱点を晒す判断であることに当局は気付いているのだろうか。

 と、ここでもうひとひねり考えてみた。じつは当局は既に件の欠陥千円札をほぼ完璧に回収しているのではないか。その上でニセドル紙幣での稼ぎが悪くなった某犯罪国家が偽造対象をドルからエンに切替えていないかどうかをセンシングしようとしているのかもしれない。つまりもうないはずの電磁的偽札がATMのチェックで見つかったなら、日銀の関知しない「偽札」が流通していることが分かるわけだ。ウン、そうに違いない。(5/10/2006)

 経済同友会が「今後の日中関係への提言」を発表。その中には「中国等アジア諸国に少しでも疑問を抱かせる言動を取ることは、他でもない戦後の日本の否定に繋がりかねず、日本の国益にとっても決してプラスにはならないことを自戒すべきである」、「『不戦の誓い』をする場として、政教分離の問題を含めて、靖国神社が適切か否か、日本国民の間にもコンセンサスは得られていないものと思われる」とある。

 これに対して小泉首相はさっそく「財界の人から、商売のことを考えて靖国神社に行ってくれるなという声もたくさんありましたけどね。それと政治は別ですと、はっきり私はお断りしてますからね」とコメントした由。

 あえて「商売」という言葉を使ったところがいかにもポピュリスト・コイズミらしい。おそらくその言葉を使うことに執心したあまり注意力が散漫になったに違いない、「政治は別」と言ってしまった。「靖国参拝は心の問題だ」というのが常套句だったのに。嗤うべし、語るに落ちたこの発言を。(5/9/2006)

 連休中に立花隆の「メディア・ソシオ・ポリティクス」に新しい記事がアップされていた。題して「青春漂流その後の20年」。

 「青春漂流」はマスターネットの時代に教えられて読んだ本だ。インパクトのある本だった。これを読んだ89年はちょうど40歳になった歳だった。悔しさをにじませて、当時シスオペをしていたボードに、こんなことを書いた。

 学校の成績ばかりが人を計る尺度になっているような社会風潮からちょっと距離をおいて人を見る、やみくもな我慢・忍耐を強いる形では人は育つものではなく自分が見つけた面白さに努力・集中力が誘発されてこそ道は極められるものではないか、自分の子供を育てるとき何が出来なくてもこれだけはというものは何か、などなど、いろいろなことを考えさせてくれるだけの豊富な内容を持っている本だと思います。
 そして、すでに青春が終ってしまったわたしにとっては、「人なみである」ことだけに汲々として過ごしてしまった、あるいは、あきらめと辛抱と怠惰をないまぜにして心の奥にしまいこんだ我身が、かえすがえすも残念でならないのです。

 いま読み返してみるとまさにここで「二度目の敗戦」に向かっていたわけだが、二人の息子はまだ小学生だったし住宅ローンも背負って、そういうものをリスクに晒すわけにはゆかなかったこともまたひとつの理由だった、と、書いておこう。

 閑話休題。その11人と立花が斎須政雄の店に集まって、田崎真也のワインセレクトで会食した。立花が自慢したくなる気持ちも分かる。ただ鷹匠の松原英俊が仕留めた野兎を誉めて、「そのウサギ肉だが、これはまさに野生の味そのもので、脂ぎった日本の高級牛肉とは対極にある肉料理である。『これぞホンモノの肉』といいたくなるじっくりした味わいの肉で・・・」と書いていることが気になった。「青春漂流」の中でいちばん印象に残っているのが森安常義だったからだ。(5/8/2006)

 **(上の息子)も**(下の息子)も昨夜それぞれに帰ってきて、久しぶりに家族4人うち揃って西武球場(いまはインボイス西武ドームと呼ぶらしい)にライオンズ−ホークス戦を見に行く。獅子の中華バイキングと指定席券とがセットになったものが3千円とかなりお得。

 「お弁当代を浮かそうと、おにぎり・唐揚げ・果物・・・全部作ったわよ」、「開場と同時に席をとるために10時前には出たね」、「旗やメガホンやもういろんなものをいろいろリュックに詰め込んでさ」、「おじいちゃん、おばあちゃんには先頭の車両に乗ってくれとか言って・・・」、**(父)さんも**(母)さんも元気いっぱいだった。そう、野球観戦は一大イベントだった。「花火が見たいぞって、応援もあったし」、「石毛・辻・平野・・・、田辺がいちばん見劣りしたよね」、「秋山がいて、清原はまだクスリを使う前でスッキリした顔だったし・・・」、そう、あの頃のライオンズは強かった。

 試合は涌井と杉内の先発。涌井は先頭の大村にライト前ヒットを打たれ、川崎を歩かせ、カブレラは三振に取ったものの、松中を歩かせフルベースのピンチ。つづくズレータの三塁線のあたりを平尾が抜かれて、あっという間に2点を取られてしまう。続く2回は本間にデッドボール、これを牽制でアウトにとりながら山崎にフォアボール、大村のイージーなショートゴロでダブルプレーと思ったところで中島がお手玉。川崎のバントヒットでまたフルベース。カブレラをサードゴロ本封でツーアウト、ピンチ脱出かと思いきや松中にフォアボール押し出し、ズレータにデッドボール押し出し。たった3安打で4点。もうこのあたりで気を入れてみる気がしなくなった。

 ホークスはいいチームだ。内野手、特にショートの川崎が状況に合わせた中継位置をとる。だからきっちりしたプレイはどうかと思われるカブレラがしっかりした返球処理ができているように見えてしまう。緊張感を欠いた我がライオンズの内野陣とのレベル差は存外大きいように見えて仕方がなかった。ホークスと同じ11本のヒットを打ちながら3−7の敗戦。悔しいとも残念だとも思わせぬ、負けて当然の試合内容だった。ガンバレ、ライオンズとは言えない。しっかりしろ、ライオンズというレベルだ。

 13時プレイボールの試合が終わったのは16時少し過ぎ。うち揃って**(母)さんを見舞い、ファミレスで食事をしてそれぞれに帰宅。(5/7/2006)

 イギリスの統一地方選挙、ブレア労働党は惨敗を喫した由。月曜日の夕刊に「英与野党の主張逆転」という見出しで面白い記事が載っていたのを思い出した。従来福祉や環境を重視してきた与党労働党が「犯罪に強い党」を前面に治安対策を訴えるにの対し、最大野党保守党は「環境にやさしい党」をアピールする作戦をとって「奇妙な逆転現象」が起きている、という話。「不祥事続きで劣勢に追い込まれている与党が惨敗すれば、ブレア首相への退任圧力が強まるのは必至。英国の今後を占う選挙となる」とも。

 そして記事にはこんな数字とコメントが消化されていた。「4月21日に実施されたICM社の世論調査によると、労働党の支持率は保守党を2ポイント下回る32%。同党が大敗した87年の総選挙時以来の低水準だ。ロンドン大学経済政治学院のパトリック・ダンレビー教授は『労働党が議席を減らすのは間違いないが、保守党も中道寄りの政策を強調した反動で極右政党に票を奪われそうだ』とみる」。

 ふたつの予想はともに当たったようだ。まず、4,418の改選議席に対し、労働党は319の議席を失い1,439議席に、保守党は316議席を奪い1,830議席になった。そして、第三党の自由民主党が2議席増でほぼ横ばいの909議席だったのに対して、極右といわれる国民党が27議席増の32議席を獲得した。

 ブレア政権の敗因はもっぱら選挙直前の発覚した灰色融資疑惑と副首相プレスコットの不倫騒動と分析されているがやはり「イラク戦争」と無関係とは考えがたい。思えばスペインのアスナール、イタリアのベルルスコーニは既に政権の座から転げ落ちた。つまり「ブッシュのペテン」に引っかかった宰相をもつ国民はあいついで「ノー」を突きつけてきた・・・、と書いて思い直した。我が宰相コイズミだけはそうならなかった。それは宰相コイズミが類い希な名宰相であるからか、それとも我が選挙民が西・伊の選挙民よりも「ペテン」というものに鈍感であるからか、いったいどちらが真の理由だろう。(5/6/2006)

 頭痛というのではないが朝から変な感じ。**さんのブログ「試稿錯誤」の「東京裁判」でやっとシャキッとしたところ。

 例のパル判決書から書き始めている。その書き始めのところで「パルの下した診断は、『当時の国際法で個別の戦争を裁く枠組みはない』といっているにすぎず、これを勘違いしてニッポンジン被告はなにも『悪いことしてない』よ、などと、おもうからおかしくなってくる」と書いている。胸のすくような「正論」で、このいちばん根源的なところを共通認識としてもたない限り議論をしても意味がないし、どのように衒学的な論理を精緻に組み立てたところで現実逃避のお遊びにしかならなくなってしまう。

 おそらくそういうことがはっきりしてしまえば「パル判決書」にしがみついている人々の大多数は急速にこの判決書に対する興味を失ってしまうに違いない。せいぜいその程度のものをこの国では未だに「保守思想」と呼んでいるらしいが、それほど自在に遣り繰りできるものならば「思想」など要らないというごく単純なことに気付かずにすむことは驚きだ。だからそういう連中を見ると「お商売ですか?」と尋ねたくなるのだ。(5/5/2006)

 じつにいい天気。寒くもなく、暑くもなく、さわやかな風と、おだやかな日光、生きていることに感謝したくなる。この季節には必ず思い出す岩崎宏美の「想い出の樹の下で」を小声で歌いながら**(母)さんの病院に向かって自転車をこいだ。

 朝刊2面に「モネの睡蓮、40年ぶりに光」の見出し。オランジュリーの改装工事が終わり、この17日から一般公開される由。記事によると、「半地下の造りだった睡蓮の部屋は地上階に戻り、作品は40年ぶりに自然光と戯れる」とある。

 自然光?、改装前のオランジュリーを訪れたのはちょうど十年前の春、出張でCeBITに行った帰りパリによって二日ほど市内を歩いた時。一番奥のオーバルルームで二枚(あの大きさの絵はなんと数えたらいいのだろう)の睡蓮に見入った。春まだ寒い頃でトップシーズンではなかったせいか、あまり混んではおらず、ゆっくり見ることができた。はじめは立ち尽くし、やがて中央におかれたスツールに坐って。それは水族館の水槽のようにも、また特大の窓から池を眺めるようにも錯覚された。間接光のせいもあってあまり気にはならなかったが、自然光の下ならばまた少し違って見えるのかもしれない。

 02年に**(家内)と行ったときは改装中でがっかりした記憶がある。(**(家内)はかえってよかったろう、マルモッタン・オルセー・ルーブル・ピカソ・ポンビドーセンター、たった二日でこれだけまわらされれば、よほどお気に入りのものが見られるのでなければ、疲れが先になるだろう)

 新しい部屋はオーバルルームではないのだろうか? オーバルルームだとすると、どのように外光を取り込んでいるのだろうか? 早く行ってみたい。こんどはジヴェルニーまで足を伸ばそう。(5/4/2006)

 小泉首相がアフリカから北欧を歴訪している。歴訪といってもアフリカはエチオピアとガーナ、北欧はスウェーデンのみだが。ただアディスアベバにはアフリカ連合の本部があるから一粒で五十数回おいしいという効果を期待してのことかもしれない。しかしアフリカ諸国の多くは一国内でも部族レベルの対立を未だに解消できないところが多い。部族の顔にこだわる弊が抜けないとすれば、アフリカ連合に面通しをしたからといって、日本から挨拶があったと考えてくれだろうというのは少し図々しい期待ではないかと思う。

 一方、切れ切れの報道なのでよく分からないところがあるが、胡錦涛はアメリカ訪問の足でまずサウジアラビアへ行き、既にモロッコ、ナイジェリア、ケニアもまわっている。アメリカでの待遇が国賓級でなかったことを単純に喜んでいるブログがあったが、そういうことに一喜一憂するよりは中国首脳が連続してどのような外交日程を消化しているかに注目するべきだろう。アメリカに続いてサウジに行くセンスは見え見えの石油戦略だけとは片付けられない気がする。(中国は通貨バスケット制の充実を志向している。サウジは石油代金の受け取りをドルオンリーからユーロなどをミックスし、極端なドル依存から脱却しようとしている。・・・など)

 小泉首相、ガーナで野口英世ゆかりの病院を訪れ、例の如く「感動した」を連発して野口英世賞の創設を提案した由。大いに結構。だが、この賞の効果、日本向け、ガーナ向け、アフリカ諸国向け、いずれに効果があるか、よく考えてみると、なんだ日本国内のウケ狙い最優先という気がしてこないでもない。昨年、常任理事国入り騒動ではじめてアフリカ諸国における「意外な」不人気を知った小泉政権、そのプアな感覚ではせいぜいこの程度の「チエ」しか出なかったものとみえる。

 「あとで後悔する時がくる」というのは中韓に対する小泉首相の最新の捨て台詞だが、どうもこの言葉、宰相小泉の業績評価としてブーメランのように彼自身に戻ってくるような気がしてならぬ。その時は小泉を支持した者も支持しなかった者もともに日本国民としてツケを払わされることになる。(5/3/2006)

 雨。きのうからは一転、少し寒いくらい。**(家内)はきょうから豊里へ。5日に帰る予定。食事のこととか、洗濯とか、面倒なはずなのに、ちょっとウキウキした気分、なぜだろう。

 国会図書館で開催中の岩倉使節団展示を見に行くつもりでいたのだが、ちょっと降りが激しい。たちまち巣ごもりが楽という気持ちになってしまった。

 せめてもと思い「回覧実記」を拾い読み。あらためて明治の初心とその後の慢心について考える。新興の一等国日本が坂を転がり落ちていった原点はこれを編んだ久米邦武にふりかかった筆禍事件(「神道ハ祭天ノ古俗」に対し神道家どもがこれを攻撃した事件)にも見られる。(5/2/2006)

 暑い。ことしはじめての夏日。甲府は33.4℃、熊谷は31.4℃になった由。

 朝刊にガルブレイスの訃報が載っている。「29日、老衰のためボストン郊外の病院で死亡した。97歳だった」とある。ガルブレイスは経済学者としては毀誉褒貶の激しい人だったらしい。彼の論敵は「彼は需給曲線も分かっていない」と言ったそうだが、おそらく「そんなものにとらわれて人間を見失っていては役に立つ経済学にはなり得ない」というのが彼の気持ちだったろう。そのあたりを彼は「一流の経済学者と二流の経済学者の違いは歴史の視点があるかないかだ」と語っている。

 たった一度アメリカに出張したことがある。91年のことだった。いまから思うと一段のショックはあったものの、平成景気(後にバブル景気といわれるようになった)がまだ続くものと思われていた頃だった。そうでなくてはほとんど英語ができないオレをISAショーの調査に行かせるなどということはあり得なかった。つまり「どうせ予算を余らせるくらいなら、あいつだっていいから一度くらいは経験させてやろうか」、そんな判断だったのだと思う。その出張に読み物としてもっていったのがガルブレイスの「バブルの物語」だった。比較的薄く、しかも少し読んではいろいろ考えさせそうで退屈しないだろうというもくろみで選んだ本だった。いわゆる「バブルが弾けて・・・」という言葉が決まり文句になったとき、じつに皮肉で的確な選択をしたものだと「自分で自分を誉めてあげたい」気分になった。

 書棚から取り出してきた「バブルの物語」に貼られた付箋箇所から一箇所書き写しておく。

 しかし日本でも、楽観ムードと過ちがあったのだ。東京の株式市場は、不確実な動きをしていた後、一九九〇年には長期にわたる不況へと突入した。普通におこなわれている計算によると、株式の時価総額の約半分が失われた。これは他に前例を見ない大きな下落であった。一九二九年のニューヨークにおけると同様に、大金融機関の株価維持の役割は妄想にすぎなかった。より安泰でない立場にあった中小の機関は、それまでは市場の動きに便乗していたのであるが、彼らがその保有資産を取り崩したり、またはそうせざるをえないようになると、それが株価の下落に力を添えた。本書を書いている今の時点では、政府の役割は必ずしも明らかでない。政府部内に、規制および株価支持をめぐって、意見の鋭い相違があったことは明らかである。おそらく、投機の時代は、先のニューヨークにおけるよりも東京における方が、より穏かな形で終わった、と言ってよいのかもしれない。日本人のムードがアメリカ人のそれよりも興奮する度合が小さい、ということも依然として事実である。しかしながら、日本の証券市場を見るとき、投機の衝動およびその結果はアメリカと同じだと結論せざるをえない。日本でも金融の天才がいたし、また天才は暴落の前にいたのである。
 日本について目新しいことが一つある。それは、日本人社会の持つより寛容な−−同情的とさえ言える−−態度を何がしか反映したものである。日本にかかわりを持つ或る有力な投資会社が報告したところによると、「株で損した機関がその事実を隠しておくことができるように会計規則を変更しようという話があった」。
 日本が大きな経済力を持ち、今後ともそれを持ち続けるであろうことについては、誰しもまじめに疑うことはできない。しかし、日本の市場について言えば、楽観ムードの上に楽観ムードが打ち立てられて、ついには最終的な啓示と崩壊の日が来る、という脆さがあることは、すべての賢明な日本人が考えておかねはならぬことである。

 なるほど「歴史の視点」をもつ経済学者とはどんなものかということがよく分かる。(5/1/2006)

 **(友人)が講演で上京。きのうは、変わり映えしない顔ぶれながら、12時に横浜駅前のシェラトンのロビーで待ち合わせ、隣花苑で昼食をとって、午後いっぱい、雨の三溪園を散策。

 隣花苑、3,500円の価値はお弁当(不可でもないが、可でもないだろう、あれは)にあるのではなく、暗い囲炉裏端から見える軒外の風景にあった。新緑、雨に濡れて、ほんとうに美しかった。花は要らない。若緑のバリエーションだけで十分。端坐して、一日、こうしているのも悪くないと思い、その額縁になっている暗い家屋に谷崎の「陰影礼賛」を思い出し、ほんの一瞬、伝統の日本家屋に住むことなど夢想する。

 三溪園、悪くはない。悪くはないが、これほどあちらこちらからいろいろなものが移築してあると、どうしても趣味の不統一が気になる。最初に訪れたときの印象を引きずっているのかもしれないが、どうしても薄く剥がれてゆくような心地が抜けない。基本的には誰だかが言っていた明治・大正期のユネスコ村という悪口に賛成一票。

 そういう意味ではきのうの雨は悪くなかった。移築されたひとつひとつの建物が木々の間の水蒸気の中にふっくらと包まれてとけ込むようにしていたから。

 三溪記念館に俳句展投句のものがいくつかかけてあった。ひとつだけ、書き写してきた。

紅梅や しづかに影の 睦み合ふ

 よる、桜木町前の店で呑みながらの論議。久しぶりに触発されるものがあった。***(一部略)***、もう少し突っこめたのにと、少し残念。6月末から7月はじめに釧路に行く計画を立てる。できれば女性抜きがいい。帰宅は11時過ぎだった。(4/30/2006)

 神経的な疲れは人を休ませない。たまらなくモーツアルトが聴きたかったのに、そんなときに限ってiPodの電池切れ。仕方なくラジオを聴きながら帰ってきた。「アクセス」(TBSラジオ)。日刊ゲンダイの二木啓孝が「けしからん罪」という罪名を創設してはどうかと言っていた。

 東大和で十数人の女性とハーレム生活をおくっていた男の事件。検察側は懲役1年6箇月を求刑して結審した。検察の求刑の論拠が可笑しい。「社会復帰すればまた一夫多妻制的な生活が復活するのは明白」と論告した由。

 ハーレム男、耐震偽装関係者(今回の逮捕のうち粉飾決算の木村建設の社長・取締役以外)、思えばロス疑惑の三浦和義もそうだったかもしれない、すべてが「いい女といちゃいちゃしやがって」、「一級建築士の名義貸しだけで一千万かよ」、「形式審査だけで儲けやがって」、「女房なくしてたんまり保険金もらいやがって」、・・・などなど、いったん火がついたら「いけ好かない奴」は何が何でもしょっ引いて欲しいという大衆的欲求に答えなければおさまりがつかないという風潮がまかり通っている。どうでもそうしなければ納得しないというのなら、いっそのこと「けしからん罪」を創設してすべてそれで裁いたらいかがかというのだ。「一罰百戒」を社会のルールとして公言する「法痴国家ニッポン」にはお似合いのなかなかいいアイデアかもしれない。(4/28/2006)

 きのう、日記を書き終えて、風呂に入っていると洗面所から**(家内)が「エリック・ホッファーの本、天声人語で読んだから?」と訊いてきた。「天声人語じゃないよ、時のエピタフだよ、どうして?」。「天声人語を担当していた人が亡くなったって記事の中に、最後の原稿がホッファーのことを書いたものだったってあったから」。「エッ、早野透が亡くなったの?」。・・・「小池民男って書いてあるけど・・・」、居間から朝刊を持ってきた**(家内)が風呂の戸を開けて見せてくれた。「そうそう、小池民男」と応じながら黒枠記事を読んだ。

 「時の墓碑銘」と「日々の非常階段」は楽しみにしているコラムだ。ともにここ一、二週間、紙面から消えて最終回の案内は記憶にないがどうしたのかと思っていたところだった。きのうの天声人語。

 白昼なのに、暗い闇があたりを包み、雷鳴がとどろく。雨が若葉をたたいてしたたり落ちた。昨日、東京都心では、一時嵐の様相となった。この明け方、築地の国立がんセンターで、ひとりの記者が力尽きた。
 身内のことを記すのをお許しいただきたい。「天声人語」の前の筆者だった小池民男さんである。昨春からコラム「時の墓碑銘(エピタフ)」を連載し、食道がんで倒れた後も病床で執筆した。
 以前に見舞った時は、ベッドの上にパソコンを置き「来週あたりはサンテグジュペリにしようかと思う」と言った。「最近は、むしろ前よりいい回もあるようですね」などと軽口をたたくと、言葉をのみこむようにして笑顔を浮かべた。最後の回となった今月3日の「エリック・ホッファー」まで、筆に乱れは無かった。

 そうか、小池は病床から「エピタフ」を書いていたのか。サン=テグジュペリならば、どんな言葉を引くつもりだったのだろうか。逝きし名コラムニストを悼む。(4/27/2006)

 一連の耐震強度偽装騒ぎで、きょう逮捕者が出た。全部で8名。まず、設計計算を偽った関係で姉歯秀次と秋葉三喜雄。建築士の資格がないのに設計を行った容疑で秋葉、これに名義貸しを行った容疑で姉歯、つまり耐震強度偽装とは無関係。つづいて、耐震強度不足のマンション建設を行った木村建設関係で木村盛好、篠塚明、森下三男、橋本正博。決算内容を粉飾したものを監督官庁に提出した容疑、これも耐震強度偽装とは直接関係ない。さいごに、偽装された設計を見抜けずに設計確認審査を通したイーホームズ関係で藤田東吾と岸本光司。設計審査機関の資格に関連して資本金に関する登記を偽った容疑。これもまた耐震強度偽装とはなんの関係もない。どれもじつにみごとな「別件逮捕」だ。(木村は社長、森下は専務、橋本は常務だが、篠塚はたかだか東京支店の支店長。いくら別件にしてもその篠塚に粉飾決算容疑というのはもはや別件とも言えないような気がするが)

 関係書類を押収するなど強制捜査を行うためにはやむを得ないことと考えてもよいが、だとすれば、最終の被害者に一番近いヒューザーの小嶋進や総合経営研究所の内河健なども「別件逮捕」しなければバランスがとれまい。どちらも黒い尻尾の一つや二つは持っていそうな面構えではないか。それとも彼らのまわりには伊藤公介から安倍晋三に至る利権政治屋の陰がちらついて迂闊に手を出せないという事情でもあるのか。

 東京地裁がやっと堀江貴文の保釈を認めた。しかし検察側は準抗告した由。経済事犯でこれほどの長期拘留。いったんお上に睨まれたらおしまいとは、恐ろしい国になったものだ。(4/26/2006)

 福志郎はやはり「福」はもたらさなかった。カネを出す側がカネをもらう側を訪問するという時点でもはや「敗北」は約束されたものだったわけだ。呼びつけられた額賀が卑屈な照れ笑いとともに「合意しました」と言ったアメリカ海兵隊のグアム島移転費用に関する日米合意の内容はおおよそ下記の通り。

 まず、移転費用の総額は「102億7000万ドル」。日本側が59%にあたる60億9000万ドル、アメリカ側が残り41%41億8000万ドル負担する。日本の負担のうち28億ドルは直接負担として、17億9000万ドルをJBIC(国際協力銀行)からの融資、15億ドルを未だ素性のよく分からない新設の特殊会社への出資として支払う。

 朝日のきのうの夕刊には、日本の負担のうち家族住宅の建設費25億5000万ドルについて、カッコ書きで「ただ、この額は民間活用で21億3000万ドルに減額される」と書いてある。読売はきょうになってわざわざ「沖縄米軍グアム移転費用、日本負担は57.6%」と見出しを打って、「在日米軍再編を巡る在沖縄海兵隊のグアム移転費について、日米が合意した総額102億7000万ドルは、民間資本の活用により家族住宅整備費が4.2億ドル節約できるため、実態では総額98億5000万ドルとなることが25日、分かった」と書いた。「民間資本」の活用により「節約」できるというのが合意と同時に分かっているとはどういうことか。日米いずれの「民間資本」なのか。タイミングから言ってアメリカ側であると考えていいだろう。それも政権によほど密着した「民間資本」に違いない。誰でも簡単に推理できる。ブッシュおよびチェイニーファミリーが経営する企業だろう。つまり日本政府が15億ドル出資させられる新設の特殊会社の主な株主はブッシュとチェイニーと・・・、ひょっとするとコイズミやヌカガなどの名前もあるかもしれぬ。そう考えると、合意と同時に「値引き額」まで出せるのも合点がゆく。(負担が軽くなったなどという読売新聞の見出しが急に間抜けに見える可笑しさよ)

 それにしても、伝えられる内容をほんの少し読むだけで、小泉政権というのは納税者である日本国民のためには一切骨を折る気のないアメリカの傀儡政権だということがよく分かる。もはや日本人は自分たちの政府を持っていないのだ。

 まず交渉の土台となるべき移転費用の総額についてネゴをした形跡がまるでない。アメリカの言い値通り認めている。これがバカのひとつめ。

 つぎにグアム移転は別に日本の都合だけで行うものではないはずだが、半分を超える費用を負担することをのむなどというのはお人好しなどというレベルではない。これがバカの二つめ。ちなみに同じアメリカ軍再編に伴う移駐が行われているドイツは一切このような費用を負担していない。ついでに書けば駐留アメリカ軍の費用を肩代わりする「思いやり予算」などというカネをアメリカに払っている国は世界中で日本だけだ。(「思いやり予算」をアメリカは"Omoiyari Yosan"と訳している。直訳して"Sympathy Budget"とすると「憐れみ予算」というニュアンスになるからだという。嗤える話だから後世のために記録しておく、愛国心を声高に叫ぶ政府がかくも情けない政府であったことを証するために)

 もっともっと嗤える話は続く。大枚のカネを出して沖縄から出て行く海兵隊は「第三海兵機動展開司令部の大半」であって戦闘部隊はすべて沖縄に残る。つまり頭がなくなるだけのことでうるさい離発着を行ったり、たまには市街地に墜落してくれるヘリ部隊などの「迷惑部隊」はいまのまま沖縄に居続けるのだからバカバカしさはここに極まる。

 コストダウン分を差し引いても負担は56.7億ドル、昨日の為替レートで6,522億円だ。このカネは思いやり予算の2千数百億とあわせてぜひとも防衛関係予算の枠の中で捻出して欲しい。「傭兵」費用なのだから。(4/25/2006)

 きのう投票が行われた衆議院千葉7区の補選、メール問題でじり貧にあった民主党が勝利した。もっとも955票という僅差、「勝った」というのはどうかなと思えぬでもない。しかし補選特有の投票率(49.63%)の低さ(「衆院補選は2001年10月以降、今回の千葉7区補選前までは16選挙区であり、自民党が11勝、民主党は2勝。投票率が低くなりがちな補選では公明票など固い組織票を持つ自民党が有利という傾向が出ていた」――東京新聞)とか週刊紙を動員した「民主候補はキャバクラ嬢」キャンペーンなどを考えると民主党が「勝った!」と言いたい気持ちも分かる。

 自民党にとっては「負け」は千葉だけではなかった。アメリカ軍艦載機の移転問題がかかった岩国市長選、嘉手納基地の日米共同利用推進がテーマの沖縄市長選、その両方に敗北した。特に前者は安倍官房長官のお国元での惨敗であった。別に与野党対立ではなかったようだが、東広島市の市長選では中川政調会長の息子も負けた。掛け替えるはずの看板はすべてみごとにかけ損なってしまったというわけだ。「潮目が変わった」と書いた新聞があったが故なきことではない。

 一連の選挙ニュースの映像からふたつ。

 千葉7区の選挙戦に自民党はいわゆる小泉チルドレンを繰り出した。キャバクラ嬢のレッテルを貼られた太田が松戸のホステスながらスポーツマン的明るさにあふれていたのに対して、財務省キャリア・片山さつき、セレブ料理家・藤野真紀子、ほんらい上品なエリート臭が匂ってきてもよさそうな彼女たちが不健康ですすけた銀座のホステスのように見えたのが不思議だった。

 もうひとつは岩国市長選、味村候補に対する安倍の応援演説の映像だった。「・・・是非とも味村さんを応援願います」と締めくくった安倍は味村の方を振り返りもせず手探りで味村の腕を探って差し上げた。自分が推薦する候補に一瞥もくれないさまは一種異様だった。眼をあわせるのは人としての礼儀だ。勝ち味の薄い候補ということで手を汚したくなかったのかもしれない。安倍がカネに汚い男ということは知っていたが、ハートが冷たい男でもあるのだなと思わせるシーンだった。(4/24/2006)

 お昼、テレビの前を通りかかると「サンデー・スクランブル」に勝谷誠彦が出演していて竹島論議をまくし立てていた。

 海峡をはさむ両国の漁民なり交易に携わった人々ははやくから竹島の存在を知っていたに違いない。ただ見ての通りの島、おそらく航海中に嵐に遭うかトラブルに見舞われたときの避難場所として使えるくらいの認識だったと思う。竹島に領土としての魅力はない。領海あるいは排他的経済水域に魅力があるわけだ。しかし少なくとも江戸時代まで領土の概念はあっても排他的経済水域の概念はなかった。あったとすれば国家に帰属する領域ではなく、その存在を知る両国の漁民の入会地のようなものだったに違いない。入会地は誰のものでもない。

 勝谷は何が何でも「朝日新聞」をくさしたいらしく、他でもない「テレビ朝日」で「朝日新聞は竹島を日韓両国の共同統治にしたらなどとふざけたことを書いている」と言っていた。そんなに「ふざけたこと」だろうか。そもそも一人前の大人があるいはそれなりの国家がそれぞれに正統性を主張する以上、ふつうはそれなりの根拠なり言い分はあるのではないか。子供は自分ことしか見えず分からないものだが、いずれ他者の視点を身につける。他人にも道理の欠片はあるかもしれぬ・・・と。

 竹島に関する日韓両国の主張は、@どちらが先に見つけたか、Aオレのものだという宣言の有効性、B敗戦処理過程の有効性の三点に絞られる由。AとBについていえば、彼我必ずしもどちらとは言い難いところがあり、いずれか一方に圧倒的に理があるないしは非があるわけではない。@となると彼の国は既に6世紀の歴史文書にその記述があると主張しているらしい。我が方はその記述の矛盾を指摘するが、たとえば邪馬台国への道程に関する記述に紛れがあるからといって「魏志倭人伝」を偽書といい、邪馬台国に相当する国などなかった、あるいは日本などなかったなどと言う者はおるまい。このあたりは突き詰めてゆくと、文字の獲得時期で負けている我が方は潜在的には不利だと考えておいた方がいい。つまるところ@からBの論争では完全に両国が納得する結論は出し得ない。もともと近代国家として領有を主張する前は入会地だったとすれば、領有の概念を持ち込むことの方がおかしいのだ。

 しかし「オレのものだ」と言い張る連中が両国の過半数を占めるならば争わざるを得ない。その延長線がどうなるかを考えれば、ふたつの道しかなくなる。戦争をして決着をつけるか、共用することで折り合うか、これに尽きる。

 勝谷は「共同統治などというふざけたことにしたら、殺された漁民が流した血はなんになるのだ」と激高していた。番組を途中から見たせいでよく分からなかったが、彼の国に殺された漁民というのが李承晩ラインにからむものだとしたら、ひとつだけ知っていることを書いておこう。

 李承晩ラインはかつて我が国が朝鮮を植民地にしていたとき、総督府が半島側の漁民の保護のために設定し本土側の漁民の操業を禁じたエリアにほぼ重なる(ただし竹島はその外、竹島は島根県だったから)。李承晩ラインは我が方ではえらく評判が悪いが、半島側の「臣民」の漁業権を保護するために他ならぬ大日本帝国の行政機関たる朝鮮総督府が引いたものがもとになっていることは忘れない方がいい。そんなことも知らないで口角泡を飛ばす論争をするなら思わぬところで転けてしまう。

 さて、入り会いの原則が守られねば、時に流血の事態となることは避けがたい。しかし血で贖う話をはじめればきりがないことは肝に銘じなくてはならない。血で贖ったものを守るためにさらに血を流すというやり方は紛争の解決になりえないが、それでも「血」で事態を煽り決着をはかるというなら戦争しかないだろう。オレはあんな島のために命をかける気にはなれぬ。だがあえてそれを主張するなら、勝谷よ、まずいの一番におまえの血を捧げてくれ。おまえが誰にも先駆けて死んでくれたら、その言葉を少しだけ尊重してやる。さあ、死んでくれ。

 ・・・とここまで書いて、ふと海峡を隔てたあの国にもあの国なりの「勝谷」がいてテレビカメラの前で同じように熱くなっているのかもしれぬと想像して吹き出してしまった。ならば、勝谷とその賛同者たち、そして彼の国の勝谷とその賛同者たちを他でもないあの竹島に送致して、ともに相手を皆殺しにするまで戦ってもらったらどうだろう。最後に一人勝ち残った者の国籍で竹島の帰属を決める、それもよかろう。なにより血の気が多く声が大きい者が自らの思想と信条に従って落とし前をつけるのだからスッキリしてよい。さあ、義勇軍による竹島合戦だ。せいぜい、頑張ってくれ。呵々。(4/23/2006)

 夕刊の「窓−論説委員室から−」にこんなことが書かれている。

 厚生、共済両年金を一元化するための政府・与党の議論が大詰めを迎えた。焦点は「追加費用」をどこまで切り込むかだ。といってもたいていの人には何のことか分からないだろう。
 追加費用とは、国と地方の公務員がもらう共済年金だけに投じられている税金のことだ。年間1兆7千億円にも上り、これから半世紀、ざっと20兆円払われる。共済年金ができる前にあった恩給の名残だ。恩給時代に働いていた期間については、保険料ではなく税金で払われる。

 タイトル見出しは「燃え尽きたのか、小泉さん」となっている。五月病という言葉がある。何を「改革」したのかよく分からない道路公団改革、郵政改革、たったこのふたつのフリフリ改革に「精も根も尽き果てた、オレはもう真っ白だよ」などといわれても悪い冗談にしかならない。

 小泉某は総理に就任するや公約として自らに国債発行30兆円枠を課した。しかしほどなく挫折し、そのことを国会で問われるや「総理たる者、大きなことを考えなくてはならない。そのためにこの程度の公約を守らないことは問題ではない」と大見得を切った。では「宰相たる者が考えるべき大きなこと」とはなんだったのか。「痛みに耐える」というスローガンのもと、次々と公共サービスのグレードダウンを強行しながら、外に向いてはアメリカの求めに唯々諾々と従い、内に向いて役人の既得権には指一本ふれようとしない。これでは30兆円枠など守れなくて当然。

 これが「宰相たる者がなした大きなこと」だったというのか。小泉純一郎の志などこの程度のものだったと記録しておく。これが我が同時代の宰相だ。情けない。そして「この程度の宰相」を支持する約半数の国民がいる。どちらも、情けない、ほんとうに情けない。でもあきらめよう。不特定多数の人間が作るこの社会はもともとこうしたものなのだ。テロリストも隣人なら、アキメクラも隣人なのだ。(4/22/2006)

 王がジャイアンツの監督をしていた頃、福王という選手がいた。福王はよく起用された。「代打!福王」、その声を何度も聞いた。しかし福王はあまり王監督に「福」をもたらさなかった。

 額賀防衛庁長官の名前は福志郎という。どうやら福志郎もあまり日本に「福」をもたらさない男のようだ。彼がはじめて防衛庁長官になったとき防衛庁調達本部の水増し発注問題が露顕し、今度長官に就任するやいなや防衛施設庁の談合問題が持ち上がった。額賀に責任があるとは言えないのかもしれない。だが運のない御輿は担いでも甲斐がないこともまた事実。

 それにしても・・・と思う、どこの世界に金を払う方が金を受け取る方に揉み手をして訪問する話があるか。これがとかくに「毅然たる姿勢」を強調する政府がとる行動なのか。まるで属国並みの「卑屈なる姿勢」ではないか。(4/21/2006)

 北見と池田町を結ぶ「ふるさと銀河線」が100年を超える営業を終えて廃線になる。NHKニュースでは最後となる21時30分北見発の列車の出発風景を中継していた。維新からわずか三十数年、日露戦争の頃にはこのような地域にも鉄路が敷かれていたわけだ。鉄道敷設の施設投資が首都から千キロ以上も離れた地域にも行き渡りつつあった明治の日本・・・。ある種の驚きを感ずる。

 てもとの世界大百科の日本地図を開いてみた。廃線になった鉄道路線がいくつもある。札沼線、名寄線、天北線、・・・、88年刊のこの地図には既にないが「愛国」から「幸福」ゆきの切符で売った広尾線などというのもあった。

 鉄道輸送から道路輸送へ、より自由度の大きい手段への移行は必然だといわれれば、なんとなくそうかと思わぬでもないが、それは右肩上がりの単調な成長神話が成立することが前提条件となろう。この国は人口の面では高齢化社会という再調整期を経て「小国」に向かおうとしている。つまり人口のリストラ局面に入るのだ。ならば鉄道輸送は見直されるべきものではないのか。少なくとも道路輸送至上主義が自明ということはない。数十年から百年の視野で当為を語る者はこの国からはいなくなったようだ。

 ***(一部略)***本別はこの沿線にある。春はまだ名ばかりなのだろうか。(4/20/2006)

 阪南市発注の屎尿処理施設の談合容疑に関する各社記事を順に読む。もしこの業種の「場」も***の「場」と同じだとすれば、朝日・日経・東京の記事の方が、読売・サンケイの記事よりは正確ということになる。

【朝日】 ・・・荏原製作所は阪南市から設計を請け負った日本環境衛生センターに対し、「汗かき」と呼ばれる図面設計作業などに協力。この結果、同センターが市に提出する発注仕様書には荏原製作所が持つ技術が盛り込まれたという。

【日経】 コンサル業務を代行するなど貢献度の高いメーカーが受注できる慣行があったとされ、大阪地検特捜部は家宅捜索で押収した資料を分析し、癒着の実態を調べる。

【東京】・・・業界の慣習として、自治体から設計施工管理の委託を受けたコンサルタント会社の業務を、工事の受注希望業者が代行するなどして自社技術を駆使した設計図を作製。落札をアピールすることになっているという。
 阪南市のケースでも、日環センターが作製した設計図では荏原が有利になる技術が使われていたとされており、特捜部は日環センターが談合の"要"としての役割を果たしていたとみて、入札前後の経緯を詳しく調べている。

【読売】 ・・・メーカーが談合組織を作り、発注自治体の委託で施設の設計業務を行うコンサルタント会社から、設計図面を入手した社を優先的に受注会社に選ぶ「ルール」で談合を繰り返していたことが判明した。

【サンケイ】 業界では、コンサル業者が作成した図面などを入手したメーカーが「チャンピオン」として工事を落札する慣習があり、特捜部は談合の実態を解明するためにはコンサル業者の強制捜査も必要と判断した模様だ。(大阪版夕刊)

 日経の記事には「財団法人は環境省と厚生労働省所管の『日本環境衛生センター』(川崎市)で、環境問題の啓発活動や環境関連施設の調査、仕様書作成などコンサル業務も手掛ける。理事・監事は約30人で、大手プラントメーカーでは荏原から元副社長、クボタ(大阪市)から社長、西原環境テクノロジー(東京)から相談役が非常勤理事に就任している」とある。読売やサンケイの記者はこんな「コンサルタント」に設計をして図面を引く能力があるとでも思ったのだろうか。そうだとしたら、ずいぶんカンのはたらかない記者に記事を書かせていることになる。またもし、取材記者は正確に事実関係を書いたのにデスクが記事を直したのだとしたら、読売とサンケイはなぜそんな「書き直し」をしたのかということになる。

 いったいどちらだったのだろう。(4/19/2006)

 終日、大崎。帰りの山手線、目黒で隣に座った女の子が開いたノートに「希望は羽根をつけた・・・」と、近頃珍しいくらいにきれいな字が目に入った。

 あれ、どこかで・・・「これ、フライング・トースター、思い出さない?」とカラカラ笑い、「でも、ハネはfeatherになってる、wingじゃないよ」、そんなやり取りの記憶。でも、誰の詩句だっけ?

 その子に尋ねれば簡単なのだが、どうして聞いたものか。「それ、なんだっけ?」、「エッ、なんですか」とでも応じてくれればまだしも、ジロリと睨まれて次の駅で無言のまま降りるに違いない。

 煩悶するうちに件の子は原宿で降りた。あいかわらず喉元に引っかかった小骨はとれない。こんなことなら、ダメモトで「ねぇ、キミ」とでも聞いてみればよかった・・・などと思い始める。高田馬場を過ぎたところで、こういうときはいくら考えてもダメと諦めた。こんなにパッと気分を変えられるのは、こだわりの原因があの「字のきれいな子」にあったからか、と自嘲しつつ。

 池袋で降りる頃にはもうすっかり忘れていた。少し喉が渇いていて炭酸系のドリンクを探す。コーラはダメ、サイダーか、ジンジャーエールがいい、・・・、突然、思い出した、「ディキンソン、エミリー・ディキンソンだ」。ドリンクのことは忘れてジュンク堂に向かった。あった。

「希望」は羽根をつけた生き物――
魂の中にとまり――
言葉のない調べをうたい――
けっして――休むことがない――

 じつに気分のいい一日になった。字のきれいな子は面差しもまたきれいだった。(4/18/2006)

注)ジンジャエール -> カナダドライ -> ウヰルキンソン・タンサン -> ウィルキンソン -> ディキンソン

 国会図書館は学生時代から折にふれて利用してきた。中央ホールにある

"Η ΑΛΗΘΕΙΑ ΕΛΕΥΘΕΡΩΣΕI ΥΜΑΣ"
(真理が我らを自由にする)

は聖書(ヨハネ伝8章32節)の言葉、採用は参議院議員だった羽仁五郎の発案になるものだそうで、いかにも焼け野原に立って国を根本から再建しようとした人々の志をストレートに伝える言葉だと、本の出てくるのを待つ間、親しんできた。夕刊にその国会図書館の独立行政法人化の話が載っている。まさか国会図書館までが乱暴極まりない「壊革」の対象になっているとは知らなかった。その一部。

 たとえば「国民に対しても、貸し出しや利用時間でサービスの向上を図る余地は十分ある」などという発言には、この人は国会図育館と普通の図書館の違いさえわかっていないのではないか、と思わせられるのである。

 こんなくだりを読むと、いかにこの国が限りなく愚かな国に堕ちてゆこうとしているのかということが分かって絶望的な気持ちになる。この半世紀はこんなくだらない奴を国会議員に選ぶことに費やされたのかと思うだに腹が立つ。

 基本的に貸し出しを行わない国会図書館の重要な役割とは、「納本制度」を裏づけとして、国の文化財としての「出版物を網羅的に収集・保存」し、「日本国内のすべての刊行物」の総合目録および雑誌記事索引を作る、というところにある。そしてそれが、全国の図書館の拠り所になっているのだ。
 「日本国内のすべての刊行物」が基本的に国会図書館にはある、ということの安心感と意義は大きい。だが、独立法人化されたとき、この「網羅」を支える納本制度はいったいどうなるのだろうか。
 事実、先に独立法人化された国立公文書館では、各行政省庁から行政文書が集まりにくくなっているという(00年まで平均1万7千冊だったものが、02年には8千弱、04年で5千強)。現在、国会図書館法では、納本された本に対し、請求があれば定価の半額までを支払うことになっているが、これが「予算」によって縛られることになれば、本が集めにくくなるのは火を見るより明らかだろう。そして、いったん集めそこなった本を後から収集するためには、とんでもない手間がかかる。つまり一度崩れてしまったら元には戻らないということである。

 やたらに「愛国心」だの、「毅然たる国家」だの、見せかけばかりにこだわって、文化を支える気概すらないのだから、バカバカしくて話にならぬ。ああ、つくづく嫌な国にしてくれるよ、コイズミ、カイカク。(4/17/2006)

 朝刊にオーティス・ケーリの訃報が載っている。「現地時間4月14日午後1時(日本時間15日午前5時)、カリフォルニア州オークランドの介護施設で肺炎のため亡くなった」とある。84歳、**(父)さんと同い年かひとつ下ということか。

 オーティスさんの父は小樽教会に派遣された宣教師。**(祖母)さんは小学校教師をするかたわら、オーティスのお母さんに日本語を教えていたという。**(祖母)さんが英語に堪能だったとはとても思えないので「事件」のため経済的に困窮していた我が家をそういう名目で援助していたのではないかと想像する。**(父)さんのみならず、**(叔父)さん、*(叔母)さんまでケーリ家にはよく遊びに行っていたらしい。オーティスさんには**(叔母)さんと歳が近い妹さんがいたような話を聞いた記憶があるが、まだ存命なのだろうか。(4/16/2006)

 永六輔の「土曜ワイドラジオ東京」に出た大橋巨泉、「小泉改革」について問われて、「改革、改革って言うけど、あの人がやったのは日本をアメリカやイギリスみたいな格差社会、初期資本主義みたいな社会にしようってことだけ」、「イギリスやヨーロッパはもともと住んでいる場所で何から何まで分かってしまう階級社会だから格差ってものに慣れてるけど、日本人はダメだね、そういう意識がいままでなかったんだから」というようなことを言っていた。

 巨泉の言うように日本が伝統的に平等社会だったとは思わない。しかし、少なくともここ一世紀半くらいの間は日本は平等を理想とする社会に向かっていたことは言えそうだ。近代日本、明治日本が急速な発展において一時的に大成功したのはまちがいなく庶民の隠れたプライドや社会上昇感覚を「四民平等」と「国民皆兵」というスローガンがくすぐり続け、「平等社会」の幻想をふりまいたことに支えられていた。「国民平等」という連続性だけは1945年の敗戦においても途切れることはなかった。そしてその「約束」を体現するものが「天皇」だったわけだ。

 小泉が「靖国神社」と「男系天皇」に対してとる姿勢の違いはここにある。小泉にとって「使役すべき階層」を慰撫する「靖国」という仕掛けは不可欠のものだが、「平等」の体現者としての「天皇」は既に無価値なのだ。小泉本人はそれを明確に理解しているようには思えない。それは安倍晋三の扱い方を見ていればおおよそ見当がつくことだ。

 最初には無自覚な先駆者が来るものだ。然る後に時代の求めるものを的確に把握した者が現れる。家康とおぼしき者が見えない現在、秀吉をはさむかどうかはまだ分からない。理想を現出しようとする者はそろそろ考え方を整理し、いつでも求めに応じられるまとめを心がけておかねばならないのだが、それとおぼしき者もいまはまだ姿が見えない。(4/15/2006)

 いつものごとく小沢遼子のおしゃべりを電車の中で聴く。教育基本法改正についてざっくりこんな言い方をしていた。「あんたたちみたいなのが政治家やってなかったら、はるかに愛せる国になったはずよと思うような連中が主張しているってのが可笑しいわよね」。まことにその通り。

 有名な「愛国心はならず者の最後の拠り所(Patoriotism is the last refuge of a scoundrel)」という言葉は「悪魔の辞典」によればサミュエル・ジョンソンの言葉だそうで、ピアースはこれを「最初の拠り所」と直すべきだと書いた。しかし最初に使うか最後に使うかはならず者のおつむの程度によって違うだけのこと。むしろ愛用者をもっと明確にした方がよかろう、「愛国心は三流政治屋の唯一の商売道具」と。(4/14/2006)

 朝刊に昨日の栃木リンチ殺人損害賠償訴訟に対する宇都宮地裁の判決要旨が載っている。争点となった栃木県警の対応の違法性に関する指摘は、おそらく警察の不作為捜査に対してこの国の裁判所が下した判断でもっとも峻烈なものだと思う。要旨の末尾を書き写しておく。

・・・(略)・・・警察権を行使することによって加害行為の結果を回避することが可能であったと考えるのが相当だ。
 したがって、警察官が職務上の作為義務に違背して警察権を行使しなかったことにより、殺害行為の招来を防止できず、被害者が死亡するに至ったといえる。このような警察権の不行使は違法な公権力の行使に該当するから、被告栃木県は、被害者の死亡について損害賠償責任を負う。

 しかしこの判決文にも、昨夜からの報道のどこにも「日産自動車」の名前は出てこない。日経以外の主要紙はすべてけさの社説に警察批判の論陣を張ったが、書かれているのは「警察はこれを反省材料に・・・」というばかりで、なぜこれほど石橋署が徹底的にサボタージュをしたかの本質論に迫ったものはひとつとしてなかった。

 この事件を取材した「栃木リンチ殺人事件−警察はなぜ動かなかったのか−」に黒木昭雄はこう書いている。「・・・職務怠慢な警察官はどこにでもいる。だが、警察官全員が怠慢なはずはない。・・・警察官の習性として住民の訴えをここまで放置することはあり得ない。にもかかわらず、警察現場はなぜか網羅的かつ統一的に機能を停止していた」。

 この疑問に対する答えは「日産自動車栃木工場総務部」だった。黒木の本によれば、栃木工場の総務部はかなり早い段階から被害者がゆすりにあっていること、被害者を強制して借金をさせそれを巻き上げている者がいること、被害者も加害者もともに栃木工場の従業員であることを含めて事態をかなり正確に把握していた。しかし事件が「犯罪」として公になると「お縄付き」を工場から出してしまう、その体面を慮って県警から総務部に天下ってきた男を通じて逆に県警の手足を縛った。黒木はそう推定している。日産自動車栃木工場総務部に誤算があったとすれば、被害者がただのゆすりの被害者にとどまらず殺人の被害者になってしまったことだ。黒木はこの本の末尾にこんなことを書いている。「権力をかさに着てやりたい放題の悪徳代官と、それに取り入る悪徳商人の結託・・・」

 この事件における悪徳商人とは、日本が誇る自動車メーカー、日産自動車だった。
 一九九九年十一月二十四日、正和君が、日産自動車株式会社の従業員就業規則第八五条第六項を根拠に諭旨退職(退職金不支給)に処されたことはすでに書いた。だが、その取り消しがあったとは本稿に書かれていない。つまり、現在もなお正和君の名誉の回復はなされていないのだ。二カ月もの間、監禁されリンチされていた正和君は、自分の意思で怠業していたわけではない。日産は、犯人グループの一人(本書では植村と表記している)にも同じ処分をくだしている。監禁の加害者であり殺人犯でもある男と、被害者の正和君が同じ処分というのは、どうしても納得いかない。事件の発覚後、処分のまちがいに日産も気がついたはずだ。しかし、会社側は企業イメージを守ることにのみ終始し、遺族に処分の撤回と謝罪の言葉をだそうとする気配すらない。
 極論すれば、正和君は「警察と太いパイプをもつ」日産自動車という会社の社員でなかったなら、助けだされていたかもしれないのだ。
 まちがいをただすことに時間の制約はないはずだ。いまからでも遅くはない。日産自動車は正和君の「諭旨退職処分」を撤回するべきなのだ。そのことを明記し、須藤正和君の名誉回復を実現することが本稿の最大の目的だったといっても過言ではない。

 本の奥付を見ると2001年4月26日になっている。5年が過ぎて日産自動車は須藤正和の諭旨退職を撤回したのだろうか。それとも事件をもみ消そうとした当時の感覚そのままにうやむやにしたまま放置しているのだろうか。

 それにしても事件の主犯格の少年の父が警察官だったことは報ぜられているのに、それ以上に悪質なふるまいに徹した日産自動車の名前がほとんど出ないというのはじつに不思議な現象だ。こういうマスコミ操縦や事なかれ体質は三菱自動車のリコール隠しのようなものに転ずる可能性を大いに秘めている。日産の製品には気をつけることにしよう。(4/13/2006)

 きのう、キム・ヘギョンと韓国から拉致されたという男性の母親・姉など親族5人とのDNA鑑定の結果が発表されて、横田めぐみの夫が78年8月に韓国全羅北道の仙遊島から拉致された男性であることがほぼ確認されたとする発表が政府からあった。鑑定は神奈川歯科大学と大阪医科大学が独立に行い、それぞれ99.5%、97.5%の確率と結論づけたというからほぼ間違いないところだろう。もっとも結論だけは先週のうちに報ぜられていたからショックはほとんどない。かえっていくつかの舞台裏が透けて見えて可笑しくさえある。

 まず既に出ている結果の発表時期を意図的に調整し、この日曜日から開催されている「北東アジア協力対話(NorthEast Asia Cooperation Dialogue)」に出席中の北朝鮮にぶっつけたところがいかにも「安倍」らしいセンス。安倍にしてみれば北朝鮮に圧力をかけたつもりなのだろうが、どれくらい安倍に外交感覚が欠けているかを露呈している。この「会議」を「六ヵ国協議」の予備会談のように受け取っている者が多いが、この会議はカリフォルニア大学サンディエゴ校の世界紛争協力研究所(Institute on Global Conflict and Cooperation)が主催する民間レベルの学術会議だ。参加者は政府関係者にとどまらない、いや、主役は本来政府関係者などではない。今回、六ヵ国協議の場外ラウンド機能が期待されたのは「朝鮮半島における核問題」の解決方向を探る意図があってのことに決まっている。そういう場にわざわざ国際的にはローカルでトリビアルな項目である「拉致問題」をぶつけるのはパーティで政治演説をぶつような田舎者の所業以外の何物でもない。「圧力」というのは効果を上げてはじめて「圧力」になる。単なる「空気:気配」は「圧力」にはなり得ない。

 もうひとつは日本の報道機関がいわゆる記者クラブ制度の中でいかに官製情報の受け売りに終始しているかということ。先週の報道は韓国メディアの日本支局が出元だった。韓国メディアの記者は相応の地道な取材を行っているのに対し、我が国メディアにはそういう姿勢が見られず、もっぱら「政府発表」をひたすら待つ姿勢だった。もっとも「政府発表」を待っていたのは日本メディアだけではなかった。家族会も同様だった。先週、韓国メディアの「抜け駆け」にあわてふためいた日本メディアのインタビューを受けたときの横田夫妻の困惑気味の顔がなにより彼らの「政府」(というよりは安倍官房長官)頼みの姿勢を如実に現していた。なぜアメリカより先に韓国の同じ被害家族を訪問しないのか、なぜ国連の人権機関や国際刑事裁判所への働きかけを優先しないのか不思議に思っていたが、結局のところ彼らは安倍にリソースを依存し、その指示で動いているということなのだろう。

 今回の「NEACD」に場外ラウンド機能を持たせようと画策したのは一説にはあの田中均だということだ。安倍の狙いは北朝鮮の顔をつぶすことより田中の顔をつぶすことにあったのかもしれない。拉致問題を煽る以外に総理の座を勝ち取る妙策がない政治屋としては致し方のないところか。(4/12/2006)

 通勤途上のラジオ、荒川洋治が村上春樹を取り上げていた。村上は海外でも高評価を得ているらしい。回生ブレーキによるノイズで聴き取りにくかったが、カフカ賞を受賞した(この賞はノーベル賞への通り道である由)話から例の安原顕が村上の自筆原稿を古書店に売った話へと流れ(荒川は安原を編集者'Y'として実名を伏せていた)原稿は誰のものかというかなり興味深いテーマへと展開したのだが、話そのものを聴きにくく感じた。内容ではない。荒川が頻発した言葉だ。「生(ナマ)原稿」。

 「生(ナマ)なにがし」が氾濫している。「生足」、「生写真」、「生体験」に始まって、「生小泉」などという言い方まで。「ナマアシ」は「素足」をさしているのだろうが、妙に肉感的でその手の感情を煽るときならともかく、「ナマ足」などという言葉を日常的に使うのは下品だ。「写真」は写真、「ナマ」と特に断る必要はなかろう。それとも合成でないことを強調しなければならないほどに「ニセ写真」がはやっているのか。「体験」も同じ。「疑似体験」と異なることを誇示したいということか。

 そういう意味では「生小泉」(別に小泉でなくともよいのだが)には自分が直接間近で見たのだというニュアンスを込められているのだとすれば納得できないでもない。しかし現在「ナマ誰それ」の表現を用いたくなるほど謦咳に接したことを自慢したくなる人物がどれほどいるだろうか・・・などと考えるうちに、そうかと思い当たった。村上春樹はその肉筆原稿に接することが感動であるほどの大作家なのか、と。(4/11/2006)

 痴漢容疑で逮捕されその後不起訴処分となった男性が、被害を訴えた女性と逮捕・拘留した国、東京都に慰謝料を請求した裁判の判決があった。東京地裁八王子支部松丸伸一郎裁判長は痴漢行為はあったとして請求を全面的に棄却した。

 痴漢が卑劣な犯罪であることに異論はないが、他の犯罪に比べると被害事実の認定は難しい。目撃者がいればよいが、通常、それは期しがたいとすれば被害事実と犯人特定は被害者に依存するわけで場合によっては冤罪を生みやすい。それだけに取り扱いには相当の注意がはらわれなければならないだろう。

 いくつかの新聞サイトの記事を整理するとこんな「事件」だった。発生は99年9月2日夜、場所は中央線車内。被害者は当時20歳の女子大生(氏名は報道にはない)、被疑者は当時会社員(現在63歳)の沖田光男。沖田は21日間の拘留の後、嫌疑不十分で不起訴になった。慰謝料請求裁判で証人として立った痴漢容疑を刑事事件として担当した検察官は「立件できなかったのは被害女性が捜査の途中から出頭要請に応じず容疑の立証が困難になったから」と証言した由。この女性自身も「出頭に応じなかったのは面倒くさくなったから」と証言しているという。沖田は「事件当日女性は車内で携帯通話をしていて三鷹あたりで注意した。これを逆恨みして国立で下りた際にウソの申し立てをしたのだ」と主張した。

 これに対して、松丸裁判長は「女性の証言は具体的で信用性が高い。原告が痴漢行為をしたと認定できる」、「携帯電話の使用を注意されたくらいで虚構の痴漢被害を申告するとは通常想定できない」、「原告が逮捕の際に無実を弁解せず氏名や住所なども黙秘したのは極めて不自然、したがって不当逮捕の主張は虚偽だ」とした。

 この手の話はその場にいない者にとってはつねに「藪の中」だ。被害女性の面倒くさいという気持ちも被害から時間が経てば「自然」な気もするし、他方、かりに痴漢などしていないとしたら、ことの成り行きに動転してしまうのが「自然」で、理路整然と無実を主張し、スラスラと住所・氏名を言う方がかえって「不自然」ではないかという気もする。まあ、普通の男の感覚なら、車内で携帯通話をするような女、ましてそれを注意した当の相手に性的魅力を感じて痴漢行為に及ぶのは「不自然」な気もするが、東京地裁八王子支部の裁判長殿はそういう女性を痴漢対象にすることが「自然だ」と考えたらしい。よほど被害女性にある種の魅力があったのかもしれぬ。(4/10/2006)

 あの人は、私のほうを屹っと見て、「この女を叱ってはいけない。この女のひとは、大変いいことをしてくれたのだ。貧しい人にお金を施すのは、おまえたちには、これからあとあと、いくらでも出来ることではないか。私には、もう施しが出来なくなっているのだ。そのわけは言うまい。この女のひとだけは知っている。この女が私のからだに香油を注いだのは、私の葬いの備えをしてくれたのだ。おまえたちも覚えて置くがよい。全世界、どこの土地でも、私の短い一生を言い伝えられる処には、必ず、この女の今日の仕草も記念として語り伝えられるであろう」そう言い結んだ時に、あの人の青白い頬は幾分、上気して赤くなっていました。

 訴人と呼ぶのが適当かどうか・・・。その男はさらに続ける。

 あの人は、どうせ死ぬのだ。ほかの人の手で、下役たちに引き渡すよりは、私が、それを為そう。きょうまで私の、あの人に捧げた一すじなる愛情の、これが最後の挨拶だ。私の義務です。私があの人を売ってやる。つらい立場だ。誰がこの私のひたむきの愛の行為を、正当に理解してくれることか。いや、誰に理解されなくてもいいのだ。私の愛は純粋の愛だ。人に理解してもらう為の愛では無い。そんなさもしい愛では無いのだ。私は永遠に、人の憎しみを買うだろう。けれども、この純粋の愛の貪慾のまえには、どんな刑罰も、どんな地獄の業火も問題でない。私は私の生き方を生き抜く。身震いするほどに固く決意しました。私は、ひそかによき折を、うかがっていたのであります。

 ナショナル・ジオグラフィック協会は、6日、初期キリスト教の幻のアポクリファ「ユダの福音書」を確認し、その解読を行ったと発表した。文書は70年代にエジプトで発見、古美術商の所有になっていたパピルス13枚で表裏にコプト文字で書かれていた。放射性同位体による年代測定では220〜340年、インクの成分分析、スペクトル分析、文章解析その他により3、4世紀のものでその後手を加えられていないものの由。

 伝えられる記述内容は「イエスが他の弟子とは違い唯一教えを正しく理解していたとユダを褒め、『お前は真の私を包むこの肉体を犠牲としすべての弟子たちを超える存在になる』とイエス自身をローマの官憲へ引き渡すよう指示した」というもので、これまでのユダ像をひっくり返すもの。夕刊の記事は「同協会の依頼を受けた顧問委員会のメンバー、クレイグ・エバンズ氏(新約聖書学)は朝日新聞に対し、『この福音書が描くイエス像は異端とされた『グノーシス派』の信仰に基づくもので、歴史的な事実を反映しているとは私は考えない。だが、ユダの人物像については新たな材料を提供する重要な文献だ』と語った」と結ばれていて、ことの真偽と行く末によってはキリスト教文化圏には相当の衝撃を与えるものということが分かる。

 訴人の切れ目のないモノローグは続く・・・、平凡な人間にはよく分かる心の揺れをそのままに表した言葉。

 おや、そのお金は? 私に下さるのですか、あの、私に、三十銀。なる程、はははは。いや、お断り申しましょう。殴られぬうちに、その金ひっこめたらいいでしょう。金が欲しくて訴え出たのでは無いんだ。ひっこめろ! いいえ、ごめんなさい、いただきましょう。そうだ、私は商人だったのだ。金銭ゆえに、私は優美なあの人から、いつも軽蔑されて来たのだっけ。いただきましょう。私は所詮、商人だ。いやしめられている金銭で、あの人に見事、復讐してやるのだ。これが私に、一ばんふさわしい復讐の手段だ。ざまあみろ! 銀三十で、あいつは売られる。私は、ちっとも泣いてやしない。私は、あの人を愛していない。はじめから、みじんも愛していなかった。はい、旦那さま。私は嘘ばかり申し上げました。私は、金が欲しさにあの人について歩いていたのです。おお、それにちがい無い。あの人が、ちっとも私に儲けさせてくれないと今夜見極めがついたから、そこは商人、素速く寝返りを打ったのだ。金。世の中は金だけだ。銀三十、なんと素晴らしい。いただきましょう。私は、けちな商人です。欲しくてならぬ。はい、有難う存じます。はい、はい。申しおくれました。私の名は、商人のユダ。へっへ。イスカリオテのユダ。

太宰治「駆込み訴え」から

(4/9/2006)

 朝刊にふたつの記事。まずひとつめ。ブッシュ大統領の支持率が低下の一途を辿っている。イラクの大量破壊兵器に関する政権の姿勢を批判したウィルソン元駐ガボン大使の妻がCIAの秘密工作員であることを暴露したリビー前副大統領首席補佐官の裁判で、リビー被告が暴露はブッシュ大統領の承認を得て行ったと証言していることが分かった。疑惑が発覚したときブッシュはこう言っていた、「情報を漏らした人間は解雇される」と。洩らした人間は解雇されるが洩らすことを指示した人間はお咎めなしなのか。

 バカのひとつ覚え「テロとの戦い」を繰り返すエイプ・ブッシュに6日ノースカロライナ州シャーロットで行われた市民集会では「あなたが自らを恥ずかしいと思う謙虚さを持ち合わせていると思いたい」という発言まで飛び出した由。

 発言したのは初老の白人男性で、大統領が国家安全保障局(NSA)に令状なしの通信傍受を許可したことなどを批判。「ワシントンの指導者についてこれほど恥ずかしいと思ったり、恐ろしいと思ったりしたことはない」と述べた。大統領は国民を守るための決断だなどと切り返した。

 もうひとつの記事の見出し、「米国産牛肉の輸入香港が一部停止−また骨が混入」。香港環境衛生署はカーギル・ミート・ソリューションズ社カンザス工場から出荷された牛肉に危険部位として禁止されている背骨が見つかったとして同社の製品の輸入を即時禁止すると発表した。香港では先月も同じアメリカの会社スイフト社の製品から背骨が見つかって輸入禁止にしている。この時のアメリカ政府当局の弁明は「構造的な問題ではない」というものだった由。アメリカ農務省の担当部門には「今回の問題は構造的なものではない」というスタンプでも用意してあるに違いない。「またか、ホイ」、ペタってなもんだ。(4/8/2006)

 9時から大崎で***(省略)***から羽田へ。読み物を持ち忘れたことに気付いて空港内の本屋を覗く。限られたスペースにどんな本を置くか、そこに最近の出版事情が凝縮されている。とにかく「新書」花盛り。玉石混淆は既に通り越してガラクタ石の多いこと多いこと。

  11時55分の便で鳥取へ。どういうわけか窓側があいていた。南アルプスあたりだろうか山にはまだ雪が残っている。機影が地上を走るように見えるほどクリアではないが春霞というよりは幾分視程は確保されている。若狭湾かそれともなどと思っているうちに着陸案内のアナウンス。久しぶりの飛行機で子供のようになり、買い求めた新書(阿部謹也「物語ドイツの歴史」)はほとんど読まなかった。***(省略)***17時45分の便で戻る。

 民主党代表選挙。小沢が47票の差(119−72)をつけて代表に。よく言われるように小沢は小泉とはさして変わらない。小泉の毒を制するには小沢ぐらいの毒がなくてはなるまい。その意味ではよかったのかもしれぬ。(4/7/2006)

 「きっこの日記」に紹介されていた「テレビ欄占い」というのをやってみた。テレビ局タイプでいうと「NHK教育」と出て苦笑い。右手の感情線と運命線の間にクロスがある。「神秘の十字架」と呼ばれるものでこれを持つ者は頭ではどう思っていてもじつは迷信に弱く神秘現象を秘かに信奉するヘキがあることになっているらしい。

 で、「テレビまさのり」の平均視聴率は15.8%、その性格は「一言でいうと実直、勤勉です。目立つ風貌ではありませんが、人はあなたと一緒にいると落ち着きます。あなた自身も人と一緒にいることが好きで、人から抜きんでることは好みません。仲間はずれにされると、とても傷つきます。人に言われたことには従いますが、それで負けたとは思いません。普段はおっとりとしていて柔らかいあなたですが、ひとたび怒るとその怒りは相当のもので、しかも怒りは持続します。けれど相手が心をこめて謝ると、善良なあなたは許してあげます」となっている。ウン、あたっている。イヤ、オレっていい奴なんだぁ・・・というのが嬉しいんだね、きっと。(4/6/2006)

 NHKがきのうのプリオン専門調査会委員大量辞任につながるニュースを報じている。

米長官、辞任の委員の主張批判――NHKニュース
 アメリカ産牛肉の輸入再開について審議した食品安全委員会の専門調査会の半数の委員が辞任した問題で、アメリカのジョハンズ農務長官は、4日、辞任した1人が「政府に都合の良い結論を強引に決めようとしていると感じた」などと主張していることについて、「主張は公平でない」と批判しました。

 語るに落ちるとはこのことだ。辞任した委員は「政府に都合の良い」と言ったのであって「アメリカに都合の良い」と言ったわけではない。それともジョハンズは「日本政府に都合の良いこと」は百パーセント「アメリカ政府に都合の良いこと」と一致するという強い確信の根拠でも持っているのかしら。

 きのう書き損ねた笑い話を書いておく。

 愛媛県警捜査1課所属警部の私有パソコンから捜査情報が漏洩した。これだけでは単なる「またWinnyが・・・」事件なのだが、流出した捜査報告書の記載からとんでもないことが露顕して大騒ぎになっているという話。

 流出した捜査報告書の中で02年に未解決殺人事件の情報を提供して謝礼を受け取ったと記載された住民2人が、県警から事情を聴かれていなかったことが3日、関係者の証言で分かった。報告書通りに捜査報償費が支払われていれば、実態のない報告書に基づいて公費を支出したことになる。
 事情聴取をせずに作成したとみられるのは、02年11月14日付と11月21日付の捜査報告書。いずれも当時警部補だった男性警部が容疑者として浮上した男性の情報を入手し、謝礼を交付したことを捜査1課長に報告する内容になっている。
 自営業者の男性に聴いたとする報告書によると、同年9月に宇和島市内のスナックに酒を飲みに行き、当時容疑者として浮上していた男性と会った。自営業者の男性が「やったんやないん」と聞いたところ、「うん。おれがやったんよ」と話したことになっている。
 しかし、自営業者の男性は取材に対し、「警察は来ていないし、報告書にあるような内容は話していない」と証言。「当然、物品も金も受け取っていない」と話した。
 男性会社員に聴いたとする報告書では、会社員が容疑者として浮上していた男性から「同年1月末ごろ、(殺された)女性を峠に連れて行った」と聞き、女性が1月中旬から失跡して殺されていたことから、「どう考えても犯人ではないか」と証言したことになっている。
 しかし、会社員は「(容疑者とされた)男性は知らない。当時、警察から事情聴取も受けていない」と説明した。
 この事件に関して流出した捜査報告書はほかに15人分あり、いずれも情報提供に対して謝礼を交付したことになっているが、取材に応じた12人のうち、お菓子の提供を受けたり、食事をおごってもらったりして何らかの謝礼を受けたと認めたのは2人のみだった。4人が自分が証言した内容とは大きく違っていると話している。

 15人が謝礼を受け取ったことになっているが菓子をもらったり食事代をもってもらったのは2人。残る13人が全員何らかの謝礼をもらいながら「もらっていない」とウソをついているとは考えられない以上、捜査報償費のほとんどは「カラ交付」されたと考えられる。愛媛県警の捜査費不正支出疑惑には仙波敏郎巡査部長という現役の内部告発者がいることで知られている。県警は仙波を左遷し徹底的に冷遇したが公然化した帰結としてそれ以上の処置をとれず、ほとぼりの冷めるのをひたすら待っているその矢先にこんなことになったというわけ。さしずめ「『電網』恢々『密而』不失」とでもいえばいいのだろうか、老子も地下で嗤っているかもしれぬ。

 ここまでは嗤って済みもしよう。しかし事情聴取もされずに相知らぬ者を「犯人ではないか」と言ったとか言われたとかいう話は尋常ではない。警察の誰かが公金をくすねるために冤罪事件を創作しているなどじつに空恐ろしい話だ。(4/5/2006)

 アメリカ産牛肉の輸入問題に関わる内閣府食品安全委員会のプリオン専門調査会の12人の委員のうち半数にあたる6人の委員がこの3月まで辞任していた由。

 これまでの委員の氏名と肩書きを調べてみた。(○印が辞任した委員、*印が新任の委員:4/9に追記

小野寺 節 東京大学大学院農学生命科学研究科応用動物科学専攻教授
甲斐 諭 九州大学大学院農学研究院農業資源経済学部門教授
甲斐 知恵子 東京大学医科学研究所実験動物研究施設教授
金子 清俊 東京医科大学医学部生理学第二講座主任教授
北本 哲之 東北大学大学院医学系研究科学専攻教授
佐多 徹太郎 国立感染症研究所感染病理部長
品川 森一 独立行政法人農業・生物系特定産業技術研究機構動物衛生研究所プリオン病研究センター長
堀内 基広 北海道大学大学院獣医学研究科教授
山内 一也 財団法人日本生物科学研究所主任研究員
山本 茂貴 国立医薬品食品衛生研究所食品衛生管理部長
横山 隆 独立行政法人農業・生物系特定産業技術研究機構動物衛生研究所プリオン病研究センター研究チーム長
吉川 泰弘 東京大学大学院農学生命科学研究科獣医学専攻教授
石黒 直隆 国立大学法人岐阜大学応用生物科学部教授
門平 睦代 国立大学法人帯広畜産大学畜産学部助教授
永田 知里 国立大学法人岐阜大学大学院医学系研究科教授
水澤 英洋 国立大学法人東京医科歯科大学大学院脳神経病態学教授
毛利 資郎 独立行政法人農業・食品産業技術総合研究機構動物衛生研究所プリオン病研究センター長
山田 正仁 国立大学法人金沢大学大学院医学系研究科教授

 辞任した山内一也が十年ほど前から徳島大などで行った「人獣共通感染症講座」の講義録は主にエイズやエボラ出血熱に関する興味から折々読んできた。この碩学が「我々は『可能性は低い』と述べただけなのに政府はそれを『科学者が絶対と言っている』に変える。責任をすり替えている」と言い、品川森一が「省庁が望む結論ありきの委員会、やっていられない。改選で議論に異議を唱える人がいなくなった」と言っていることを記憶しておこう。残留した委員や新たに選出されるだろう委員をすべて「色つき」と決めつける気はないが、何年かしてからその中から有力な清浦雷作賞候補が出ないことを祈りたい。(4/4/2006)

 きょうの朝刊、8・9面は皮肉な対照をなしている。8面「時の墓碑銘」にはエリック・ホッファーが取り上げられ、9面にはベストセラー「国家の品格」について藤原正彦と内田樹が書いている。

 「時の墓碑銘」から書き写しておく。

 「権力は腐敗するとしばしば言われる。しかし、弱さもまた腐敗することを知るのが、等しく重要であろう。権力は少数者を腐敗させるが、弱さは多数者を腐敗させる」(『魂の錬金術』作品社)
 政治の世界で最も有名な格言の一つが「権力は腐敗する。絶対的権力は絶対に腐敗する」。これをくるりと転回させた。抑圧される側の弱者も腐敗する。弱者たちが自分より弱い者を餌食にするときの酷薄さを決して侮ってはならない、と。
 弱者への厳しい目は、彼の人生遍歴からきている。ファナティックな大衆運動に傾きがちな弱者の「心理と行動」への警戒心は強い。
       ・・・(中略)・・・
 仲間の多くは、社会の底辺で暮らす脱落者、不適応者、つまりホッファー自身も含めて彼がいう「人間のゴミの集まり」、社会的弱者だった。彼らのきわめて優れているところも危険なところもホッファーは熟知していた。弱者に向かって歯にきぬ着せず「きみたちの逆恨みの源泉は、不正への憤りでなく、自分が無力・無能だという意識だ」と訴えることができた。

 深くものを見るということはこういうことだ。「きみたちの逆恨みの源泉は、不正への憤りでなく、自分が無力・無能だという意識だ」という言葉はそのまま藤原の「国家の品格」といういかにも浅いお手軽な本への手厳しい批判になっている。(4/3/2006)

 きのう、いつものメンバーに、**君、**さん、**さんを加えた顔ぶれでお花見会。風もなく、暖かく、絶好のお花見日和。限りなく透明に近い青空を背景したサクラを見ながら思ったこと。

 サクラの花の咲き方は普通の感覚からすれば下品といわれても仕方のないものだ。ウメ一輪、一輪ごとの・・・というように、密集して咲いてしまっては花というものは台無しのはず。しかしサクラはじつにしつこく濃厚に密集して咲く、こちらの思いなどにはまるで頓着なく。

 花の色はじつはピンクではない。ほんとうはシロなのだ。圧倒的なシロの色にゴクゴク、ゴクわずかに朱が一滴投じられて、それが密集して咲いている花に瞬時に拡散した、そういう色だ。それがソメイヨシノ。いろいろある他のサクラは明確にピンクである分、サクラの女王にはなれない。

 あのモリモリとした花の密集、そして真っ白な花弁をほんの少し血で染めた、そういう花のボリュームが、この季節の数日間、我々にいたたまれない胸騒ぎを覚えさせて年の経過に気付かせる、ああ、また一年が経った、と。(4/2/2006)

 ついに前原が代表を辞任した。前原は防衛問題については一家言あると自負し、またそれを認める人もいたようだが、お笑いぐさというものだ。軍略とでも呼ぶ分野で最低にして最悪の愚策とされているものは「戦力の逐次投入」である。このひと月のあいだ前原がやったことはまさにこの「戦力の逐次投入」そのものだった。

 前原よ、辞任会見の映像でしきりに「すべては党代表である私の責任」といかにも潔いところを強調するような言葉遣いをしていたが、その当たり前の責任をきょうまで認めずにグズグズと逃げ回ったその醜態についてどう落とし前をつけるのだ。前原よ、お前と永田はまったく同格、またはそれ以下だよ。

 知恵も、能力も、器量も、何もかも足りない、いや欠片もないバカを組織のヘッドに据えると何が起きるかという絶好の見本をとくと見せてもらった。もっともそんなことはやってみなくても分かったことだ。だから民主党の惨状は余計に嗤えるのだ。

 さあ、きょうはこれからお花見。場所は芝公園。(4/1/2006)

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