朝刊で、昨日の最高裁決定の裁判官名が分ったので書いておく。

多数判断(一審無罪者の拘留を認めるもの)  井嶋一友・大出峻郎・町田顕
反対意見  遠藤光男・藤井正雄

 一昨日、「まだ、最高裁判事として一件も判決にかかわっていない、町田顕判事の数字が下から三番目であったことをどう見たらいいのだろう」と書いたが、町田は×だったようだ。

 オウムの林泰男に死刑判決

 私たちは、この教団の信徒たちのあり方を考えるとき、ついわがままの過ぎる「教祖」のもとに、苛烈な恐怖政治が繰り広げられていたかのように思いがちだ。しかし、よく考えてみると教団は、人々がその中でどのように暮らすのが安穏か、組織の中で他人との距離を慎重に測りながら、その一方では、全体の利益のために身を粉にして頑張ろう、と考えてしまう、小市民の集団だったのではなかったろうか。
 いささか奇抜な発想に聞こえるかもしれないが、もしかしたら教団は、私たちが戦後日本社会の中で、それが当たり前だと考えてきた、ごく普通の社会生活の、ある醜い側面ばかりが異常に増殖してしまった集団だったようにも思えてくるのだった。
――降幡賢一 「オウム裁判と日本人」――

 オウムはけっして異端児ではない。正当なこの国の嫡出子だ。オウムのまじめさも、必死さも、恐るべき独善性も、この国のどこにでも見られるものだ。オウムの子供の就学を拒否しようとした住民運動も、自分と異なるものに対する攻撃的な不寛容さにおいて、オウムと寸分変わらぬ体質を持っている。(6/29/2000)

 夜のニュースから。東電OL殺しで一審無罪となったネパール人男性の拘留について、最高裁が拘留容認の決定。決定は「一審無罪となっても、有罪を疑う相当の理由があれば、拘留できる」というもの。これはこの国の裁判機構の頂点が世界に向かって「我が国はが法治国家ではありません」と宣言したものだ。あきれかえってものがいえない。一審はこの国では正式の裁判ではないのだ。なぜなら「情緒的判断(司法手続きによる判断以外の判断)で怪しいと思えるならば、(正当な司法手続きによってなされた)一審の審理とそれによる判決は尊重する価値はないものなのだ」と言っているのに等しいのだから。

 5人の裁判官中、3人の多数派意見ということ。この没論理、強権論、3人の名前を知りたいものだ。(6/28/2000)

 朝刊から。最高裁判事の国民審査結果。罷免を可とする数字は以下の通り。

亀山継夫 5,919,825    大出峻郎 5,489,744    町田 顕  5,390,158
金谷利廣 5,536,630    奥田昌道 5,426,058    山口 繁  5,527,290
元原利文 4,979,746    梶谷 玄  4,994,732    北川弘治 5,420,683

 もちろん、罷免要求は絶対少数ではあるが、いちばん罷免要求が多かったのは、亀山継夫判事。少なかったのは、元原利文判事。まだ、最高裁判事として一件も判決にかかわっていない、町田顕判事の数字が下から三番目であったことをどう見たらいいのだろう。(6/27/2000)

 総選挙の結果。与党は、自民はマイナス38、公明はマイナス9、保守はマイナス11、しかし、与党合計は安定多数多数254をクリア。野党は、共産党以外、すべて議席を伸ばした。確定議席は、自民233、民主127、公明31、自由22、共産20、社民19、保守7、無所属の会5、自由連合1、無所属15、計480。

 投票率は62.49%、前回よりも2.84%アップしたということ。

 与党は「相撲に負けて、勝負に勝った」、野党は「相撲に勝って、勝負に負けた」というところか。夕刊によると、森首相は「多くの支持をいただいた」と述べた由。結果に居座るのが堕落保守の習いとはいえ、それにしても現状認識の浅さに驚く。

 この国はもともと二重構造の国だった。近代における二重構造は江戸幕府体制から明治政府体制への変革が上ものベースだけで行われたことに起因しているのだろうが、幸か不幸か封建社会の枠組みの中で経済も文化もかなり高度な発達を遂げていたために、不自然ではあってもそのことが国家体制の足を引っ張ることはなかった。こうしたことが社会的行き詰まりに遭遇すると「明治に帰ろう」という素朴な復古主義意識につながっているのだろう。二番煎じがきくはずもないことは明らかであるのに。

 それはそれとして、そのとき以来、この国は二重構造の国になった。今回の選挙は政治の世界でもその構造をより鮮明にしたといえる。「変わること」を望んでいる経済先端地域と「変わらないこと」を望んでいる経済停滞地域とに。

 問題は両方の地域それぞれにある。経済停滞地域の問題は自らの地域の課題とその処方箋がまったく自覚されていないことにある。処方箋がないことは現在の状況では無理のないところかもしれない。処方箋を考えるための基本的な方向性についてさえ明確な意識がなく、ひたすら天候の回復を祈るだけ、あるいは季候が良かったと信じている頃の再現を待望しているというのが現実なのだろう。「変えたくないもの」、「守りたいもの」、「それを核にして自らのよりどころとすべきもの」を明らかにした上で、それを国の予算やら、補助金の誘導で実現するのでなく、もっと確実で永続性のある方策で、自立的に発展させるにはどうするか、そういう発想で処方箋を検討しなくては現在の刹那主義政治とともに自滅するだけだ。

 経済先端地域の問題はより深くより複雑だ。この地域にはグローバル対応とそこに生活する人々のローカル対応の双方が求められているからだ。「グローバル」という言葉の中身ももっと検証されなくてはならないだろうし、いかなる選択をするのかについても高度な判断が求められている。そういうときに経済先端地域で不信任をくらったにもかかわらず経済停滞地域の乞食根性を背景として押し出された政治屋どもが形式的な勝利をうたいながら舵取りをしようというのだ。暗澹たる思いになるではないか。(6/26/2000)

 昨日、皇太后が亡くなった。マスコミは「良い人」の大合唱だ。食うことが自動的に保証されている境遇にいたら、人は争う場面が格段に少なくなることだろう。争わなければ、憎まれることはない。したがって、必然的に「良い人」になれるのだ。当たり前のことが当たり前にそうなっただけのことだ。

 むしろ、そういう恵まれた地位を活かしてどれほどの社会貢献を果たしたかが、問われるべきなのだ。日本の皇族でそういう当然の貢献を果たしている人はいない。(6/17/2000)

 北朝鮮の都合で一日延期になった南北首脳会談。金正日が金大中を空港まで迎えに出たことがクローズアップされている。金大中の太陽政策がひとつの実りを得たということ。おかしかったのは北朝鮮側のニュース。「北南会談」と呼んでいる。南北は中国でも南北、朝鮮半島でも南北ではないのか。(6/13/2000)

 朝の関口宏の「サンデー・モーニング」で田中真紀子が、「自民党は国民が何を問題しているのか分っていない」にもかかわらず、「選挙では勝つだろう」、なぜなら「かつてないほどにすさまじい与党間の選挙区調整をやっているからだ」といっていた。

 今度の選挙がそのような結果になるとしたら、この国にはほとんど期待がもてないということがはっきりするだろう。そう思う反面、仮に自民党が大敗するとしたら、相当の混乱が待ち受けることになるとも思う。そして、そのような混乱が招来されれば、ヒトラーを待望するような雰囲気が一気に醸成されるのではないかという危惧を禁じ得ない。

 というのは、少なからぬ人が現状に怒りを感じていると実感しているからだ。とくに、若い人のうち、深くものごとを考えることをしない(できない)人たちは、この社会のたてまえの部分に飽き飽きする気持ちだけで、民主主義だとか、憲法だとかに感情的な反発を抱いている。森某のような復古主義者たちはこのような若者と非常に近いにところにいる。なぜなら、両者は、現代の複雑な状況をきっちり分析するには頭が悪すぎるという点でも、何かに対するネガティブ思考(アンチ民主主義、アンチ憲法)からしか出発できないという点でも、みごとにフィーリングが一致しているのだから。これはある点で、ナチス勃興期の「背後からの一突き」伝説に飛びついたドイツに通じる状況に思えるのだ。

 話は以上なのだが、ついでにこうした若者の分析をしてみよう。

 彼らの多くは学校で落ちこぼれたか、受験競争に負けたことに傷ついているから、学校で価値を持っていたものはすべて呪詛の対象になるのだろう。マスコミ嫌いのくせに、限定したパブリシティであること以外はマスコミと寸分違わぬ構造を持ったものに、彼らはコロリと引っかかる。それは良くも悪くも彼らが否定したいと思っている教育が彼らに刷り込んだもののなせる技なのだが、そうした構造が彼らには明確に理解できていない。しかし、おぼろげながらに、何か気持ちの悪さというか、居心地の悪さというようなものは意識している。そして、自分をそのように感じさせるものに彼らはむかついている。自分がむかついている対象を彼らは眼前のたてまえ社会だと考えているのだが、自分をむかつかせている本当の犯人は彼ら自身の自己と社会を見つめる力の不足にあることに、彼らは気づいていない。これが彼らの病理だ。(5/28/2000)

 フルート奏者のランパルが亡くなった。きらめくような音色の絶妙な演奏。音楽を聴く楽しみを実感させる奏者だった。(5/21/2000)

 今週の「フライデー」には「鬼畜と化した少年少女の素顔」という記事が載っている。12日、JR車内においてハンマーで殴りかかった少年(神奈川)も、監禁した女性の耳たぶをハサミで切り落とした少女たち(茨城)も、17歳。愛知豊川の主婦殺害事件、九州佐賀のバスジャック事件、いずれの犯人も17歳。そしてあの神戸の酒鬼薔薇クンも今年17歳なのだという。今夜のTBSの「ブロードキャスター」ではこの17歳たちの育った時代を振り返っていた。ファミコン世代、学校におけるいじめが顕在化した時期、・・・、などを取り上げていたが、いちばん象徴的なことを番組は見落としていた。

 いま満17歳という子はこの4月に高校3年生(この4月に誕生日をむかえたのなら高校2年生)になった。彼らが小学校に入学したのは1989年4月(2年生ならば90年の4月)ということになる。おおよそ10年ごとに改訂される学習指導要領で文部省が「日の丸・君が代の義務化」を盛り込んだのは89年3月に告示した「新学習指導要領」であった。このときの指導要領は、小学校の場合、92年度からの導入することになっていたが、日の丸・君が代の義務化は前倒し措置がとられ翌90年度から実施された。つまり、酒鬼薔薇クンをはじめとする問題児たちは、教育現場で日の丸・君が代が幅をきかせはじめたまさにその第一世代に属しているわけだ。

 教育改革論議は、ひとつには、こうした暴走する少年少女たちの所業をなんとかせねばというところにある。「神の国」宰相森某の一連の愚かしい言葉に、「便所掃除をさせるのがよい」とならんで、「教育勅語にはいいところもあった」というのがあった。しかし、「教育改革は古き良き日本に回帰することによって達成できる」という単細胞的な発想法の無効性は、「日の丸・君が代で育てられた酒鬼薔薇クンとその仲間たち」が明確に証明してくれている。

 おりしも今朝の朝刊には、文部省協力者会議が一学級30人制度を検討しながら、各都道府県教育委員会の判断で現在の40人制度を見直せるようにするという、なんとも無責任な結論に逃げ込んだことが報ぜられていた。30人制度を全国一律に実施すると12万人の教員増と1兆円の予算増が必要になるからだという。どうやら、人もカネも出さずにひたすら復古・精神主義に頼ろうというのが、国の教育改革の基本姿勢らしい。日の丸・君が代で「酒鬼薔薇現象」が解決すると文部省の木っ端役人どもが夢想しているとしたら、嗤うべし、彼らの度し難い脳髄を。(5/20/2000)

 週末のニュースサマリー番組で気になったこと。豊川主婦殺害事件犯人の祖母のインタヴュー音声にかぶせて字幕スーパーを入れている。「こんなことになるとは夢々思っていなかった」と。たしかに「夢にも思わなかった」というニュアンスだろうから、この誤記もわからないではないと嗤う。それにしても、こうして言葉は崩れてゆくのだ。しっかりしろ、TBS。

 今日の日曜版「名画日本史」は「紫式部日記絵詞」。ただいつもとは少し趣を変えて、絵の話よりは日記に重点を置いたもの。王朝時代から明治期まで、日記はその性格を変えつつ、この国の文化となったというのが結論。「日記は、もう一人の自己をつくりあげて、生の不安を軽やかにする道具にすぎない、と評論家の紀田順一郎氏は著書『日記の虚実』に書いている。書きたかった過去しか日記には書かれていない。だからこそ、人生の走路を見失いかけたときに、ふと読み返したくなるのである」というのがその末尾。なるほど、あたっている。(5/7/2000)

  3日、九州で西鉄バスが乗っ取られ、乗客一人が首を刺されて死亡する事件があった。犯人は翌早朝(4日朝5時過ぎ)取り押さえられたが、精神病院から一時帰宅中の17歳の青年。月曜日の夕方、愛知県豊川市で主婦を惨殺した事件の犯人も同じ17歳だった。

 事件としての不気味さは愛知の主婦殺しの方がまさっている。犯人は地元有名私立高校の特進科に在学中で、成績はトップクラス。級友・教師・近隣の住民の評判はすこぶるよい。不気味だと思うのは彼の供述だ。「人を殺す経験をしようと思ってやった」「若い未来のある人はいけないと思った」、ともにマスコミで伝えられた彼の言葉。

 2年ほど前に出された永井均の「これがニーチェだ」は、テレビの討論番組における「どうして人を殺してはいけないのか」というある若者の質問に対する大江健三郎の批判を鋭く反批判するところから書き始めている。永井の大江批判は、彼が紹介する大江の言葉の範囲においては、まったく正しい。

 テレビ番組でそのような問いが出て波紋を呼んだことについては聞いたことがある。しかし、それがどういう番組のどのような議論の中で発せられたものかについては知らない。もし、政治的なテロに関連して出てきたものだとすると、大江が紹介されたような一見愚かな批判をしたことはわかるような気がする。そうでなくては、大江の文学的業績から考えるとずいぶん常識的な発言で、何となく納得がゆかない気がするから。

 この高校生が、もし、この問いからスタートしたものだとしたら、そして、何らかの形でこの問いに決着をつけた上で、社会的な恨みやゆがんだ自己顕示欲とは無縁な心の中で計画されたものだとしたら・・・。そう考えると、時代がついにそういう17歳を持つに至ったこと、そのことがたまらなく不気味だ。(5/6/2000)

 グアテマラでツアー中の邦人が現地住民に襲われ一人死亡。「外国人が子供をさらいにきた」という声が引き金になったとか。グアテマラにも「三国人は何をするか分らない」というシンタロウさんがいて、人々を扇動し殺人に駆り立てたりするのだろう、「・・・を守るために」と。(5/1/2000)

 昨日に比べれば、花曇りの少しはっきりしない天気。それでも午前中にさっと歩きに出た。

 歩いているといろいろなものを見る。向こうから、「何から何まで真っ暗闇よ、スジの通らぬことばかり」と歌う鶴田浩二よろしく耳に手をあてがって、少しばかり小首を傾げた男が歩いてくる。なんのことはない携帯電話で話をしながら歩いているのだ。歩く間も惜しんでしなければならない話の割には、表情がたるんでいるのが不思議だ。それとも一人歩くときも、たわいない話で隙間を埋めずにはおられぬほどに、身の内の空虚感が強いのだろうか。(4/30/2000)

 通勤途中のラジオで去年の東海村臨界事故で被曝した篠原理人さんの死亡を聞いた。結局、直近の現場にいた二人が亡くなったことになる。産業立国、技術立国でやってきたこの国が、まったく単眼的な改善提案、単細胞的なコスト至上主義に冒され、その素顔をあらわにした事故だった。昨年来、うち続く衛星打ち上げの失敗や鉄道トンネルでのコンクリート剥落と、この事故は地下茎でつながっていると考えた方がいいだろう。(4/27/2000)

 先日の石原都知事の「三国人」発言に対して、ばっさりと切った記事が朝刊に載っていた。

 「三国人」発言に関する都知事の記者会見をつぶさに見ました。私が不思議に思ったのは、「三国人」が差別語であるかどうかに、質疑が終始していたことです。都知事はそれに、「三国人という言葉は辞書には第二次大戦中に国内に居住していた人の『俗称』とあって、『べっ称』とは書いていない」「辞書には、『当事国以外の国の人』という意味で出ている」「不法に滞在、入国している外国人をさしていった言葉で、ずっと在日でいた朝鮮の人や韓国の人を不法入国したとは思っていない」などと答えている。
 不法入国している外国人とは、当然、蛇頭、ロシアマフィア、黒社会などと呼ばれる犯罪組織を背景にして、日本に不法滞在する連中のことでしょう。つまり、中国、元ソ連、台湾(1949年以降の)、元英国領香港の暗黒街に連なる人々のことです。しかし、彼らは「半世紀前日本が戦った戦争」の正当な先勝国民、つまり当事国民なのです。サンフランシスコ講和条約に調印した国は、イランやフィリピンを含めて48もあります。これらの国も、当事国に変わりない。つまり、たとえどのような辞書に頼ろうと、この文脈で「三国人」と呼べるのは、在日、朝鮮、韓国の人しかあり得なくなってしまうのです。こうなるとべっ称であるかどうか以前の問題です。もし弁明が正直なものなら逆に、この言葉の誤用は文筆家としてのセンスを疑われても仕方ない。私にとって、彼は都知事である前に「石原慎太郎」であるため、この点に関してはとても「第三者」ではいられず、一言書き留める次第です。

「eメール時評」矢作俊彦(作家)

 つまり、「『三国人』は単に外国人のことだし、それもその前に『不法に滞在している』という修飾語がついているのだ」という慎太郎のいいわけは、きちんとした言葉の使い方を心がける文筆家としてはちょっと恥ずかしい間違いだというわけだ。

 慎太郎の発言のさもしさは、外国人犯罪の急増という社会現象に借りて、自衛隊に媚態を示していることにあるのだ。およばれされた自衛隊に、慎太郎はおべっかを使いたかった。(あるいは軍事マニアとしての小児性が思わず出てしまったという程度のことかもしれないが・・・)

 自衛隊に晴れの治安出動の舞台を用意するために、彼は、不法滞在「三国人=外国人」の犯罪が急増している現況にあっては災害などの非常時となれば治安出動が必要だという論理を組み立てた。しかし、不法滞在している外国人が一斉に犯罪行為に走ることそのものが考えにくい。なおかつ、そういう状況に治安出動のようなものが効果的であるのかどうかもじつは怪しい。

 いささか乱暴過ぎる「治安出動」の論理を納得してもらうために、彼は、感情に訴えようとした。ちょうど外形標準課税を大銀行にのみ押しつけた時のように。それには不逞鮮人が暴動を起こすというかつての「伝説」の助けを借りるのが手っ取り早い。その伝説を呼び起こすために、彼は、あえて「三国人」という言葉を使わざるを得なかったのだ。

 さて、ところで、事実はどうか。不法滞在外国人が多くいそうな神戸で震災があったとき、慎太郎の指摘するような「三国人=外国人」の不穏な行動はあったのだろうか。答えは誰もが知っている。必要だったのは、銃器の必要な治安出動ではなく、銃器など不要な災害出動だった。これが事実だ。

 あの関東大震災のときも、不逞鮮人の暴動などなかった。あったのは、常日頃、差別の感情を持ち続けた人々が抱いた「ふだんあれほどひどい扱いをしているのだから、ひょっとすると仕返しをされるのでないか」というあらぬ恐怖心だった。これが「伝説」の正体である。しかし、「伝説」の上澄みこそが慎太郎という男の心象風景なのだろう。(4/16/2000)

 夕刊から。この6月12日から14日の日程で南北朝鮮の首脳会談が行われるとの発表。このやりとりをテレビのニュースで見ていて気がついたこと。同じ言語を使っているのに、そしてたぶん同じボキャブラリーを使っているはずなのに、北と南とではまるで別の言語のように聞こえるのが、じつに可笑しい。おそらく、「北」は半世紀前の日本をお手本にしているに相違ない。そうでなくては、あのご大層な節回しはあまりに「大本営発表」と発声する仕方にあまりにも似ているから。

 そうそう、いまどき元号を使っているのは、世界広しといえども朝鮮民主主義人民共和国と日本国ぐらいのものだもの。復古主義右翼の面々が北朝鮮を嫌うのは、きっと近親憎悪の然らしむるところなのだろう。(4/10/2000)

 桶川女子大生殺しに関する件、捜査担当3名を懲戒免職、県警本部長など監督責任者9名を減給などの処分。懲戒免職になったのは、刑事二課長片桐敏男、係長古田裕一、課員本多剛。ただし、懲戒免職の直接の理由は調書の改竄による有印公文書変造容疑らしく、この改竄は今年の一月になってから署の捜査が不適切ではなかったかとの批判をかわすために行ったものということだから、あいかわらず警察の視点は本末を転倒したままのようだ。(4/6/2000)

 小渕後継はあっという間に森ということになった。何ともお手軽な人事だこと。一方、小沢自由党はといえば、結局、小沢についたのは19名、過半数の26名はたもとを分かつことになった。で、自由党から割れた連中の党名がなんと「保守党」というのだから嗤ってしまう。首相人事といい、安直なネーミングといい、これが当世風ということなら、なんとまあ軽い国になったのだろうね、この国は。(4/4/2000)

 起き抜けのラジオで小渕首相が緊急入院したことを知った。昨夜11時半に青木官房長官が「2日午前1時頃に不調を訴えて順天堂大学病院に入院した」と発表したとのこと。昼間から夕方の報道ではどうやら脳梗塞で復帰は難しいという。なんとはなしの支持率も徐々に馬脚を現しはじめて最近はじり貧に向かっていたところだから、ちょうどいい頃合いだったのかもしれない。さて、次は誰になるのだろう。(4/3/2000)

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