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2015年の総括

2015.12.23. 掲載
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目次
 1.重点をおいたこと
 2.新しく始めたこと
 3.続けていること
 4.変わったこと
 5.サイトに載せた記事
  ●言葉 ●音楽 ●映像
  ●PC ●旅行 ●医療
 6.交流
 7.健康
 まとめ


2004年から、年末にその年の総括を載せてきたので、今回で12回目となる。

1.重点をおいたこと

●記録の充実

1.記録しておくべきだが、未だ記録していないものを探し、記録する
  そのうちで公開できるものはWeb記事とする

2.既にWeb記事として公開記録しているが、より有用性の高い形式に変えて記録し直す

3.既にWeb記事として公開記録している内容の部分修正をする
  何らかのきっかけで目を通して、修正が必要と思った箇所は、即修正する

4.記録の削除、廃棄
  存続する必要がない、あるいは少ないと判断した記録は削除あるいは廃棄する

●新人若者歌手デビューの応援

コーラスで2年間、一緒にレッスンを受けた22歳と20歳の若者が、歌手デビューをするのを応援した。


2.新しく始めたこと

●第3世代 携帯をスマートフォンに代えた。

6年間使いこんだ携帯電話をスマートフォンに変更し、その理解を深める意味で、私の電気通信歴をまとめた。

サイトマップの大分類に「創作」のカテゴリーを加え、8個とした。

私のWebサイト「中之島のBOW」に掲載した記事は、サイトマップの中でカテゴリー分類を、言葉  音楽 映像 PC 旅行 出版 医療の7個の大分類に分けてきた。

私の生きる行動原理は「したいことをする」と「しなければならないことをする」で、7個の大分類にもそれらは含まれてはいる。

しかし、物を作りたいという私の欲求を「創作」というカテゴリーで分けるのが自分は望ましいと考え、一つ大分類を増やした。

その下にくる小分類(サブカテゴリー)は、今は「建築・工作」だけだが、今後増やすかもしれない。

サイトマップの「医療」カテゴリーのサブカテゴリー「医学論文」を「医学学術論文」と
「医療関連論文」に分けた。

カテゴリー「医療」のサブカテゴリー「医学論文」に収めたタイトルを見ていくと、学術誌に掲載された「医学学術論文」と、それ以外の「医療関連論文」の二つに分けた方が、より正確であると気が付き、分類を変更した。


3.続けていること

1日およそ10時間くらいPCに向かっていることは、2005年から続いている。

夕方約2時間程度の妻とのウォーキングは2007年末から続けて来たが、今年は地下鉄で梅田に往復する方が多くなった。

夕食は家で、午後7時から9時頃まで、休肝日を設けずスーパードライ350mlを3缶から4缶飲みながら食事をするのに変わりはない。

朝食は、毎日うどんか蕎麦を、一味唐辛子を思いっきりかけて食べるのも変わっていない。これは結婚以来で、今年は結婚47周年だから、それほど長く続いていることになる。

8年前から、毎月2回コーラスのレッスンを受けている。

年賀状のスタイルも、2008年から変わっていない。

昨年から使用している補聴器も1日8時間程度の装着を続けている。補聴器の音に慣れてはきたが、聴力に異常がなかったころと比べると、話の理解がし難くいのは余り良くならず、音色が汚く、音程も分かり難くなっている。しかし、それも仕方がないかとあきらめの境地にいる。


4.変わったこと

11月に3人目の男の孫が誕生した。母子と2番目の孫娘が、出産前から5週間、同じマンションの下の階で過ごしたので、てんやわんやの忙しさだったが、いつもより孫と密着して遊べたので、楽しいことが多く親密度が増した感じがする。

私は69歳になったとき、それまでの人生をふり返って、9という数字がつく年齢の時に必ず人生の大きな転換点を迎えたことに気づいた。そして「私にとって、9歳は人生のターニング・ポイント」という仮説を立てた。

その仮説を未来に当てはめると、次のターニング・ポイントは79歳、今年となる。この年齢なら、普通に考えて、それは大病とか死であろう。

まだあと4ヶ月は残っているが、今のところそのような気配はない。まさか、男の孫の誕生が私の人生のターニングポイントになるわけではあるまいと思っていた。

ところが、孫が生まれる数日前から1週間近く、私は食欲がなく、疲れやすくて臥せることが多かった。世間では、人が死に、そのあとで身内が生まれると、亡くなった人の生まれ変わりと思うようだが、私もそのようになるのではないかという気持に少しはなっていた。あとで聞くと妻も同じ思いだったようだ。

その時の気持ちは、仮説が正しかったことをこれで実証できる、したいことはまだあるが、悔いるほどではない、これが運命なのだから甘受しようと思った。寂しいとか悲しいとか怖いという気持ちはまったくなかった。

私たち夫婦は孫の守りに関しては二人で何とか一人前、一人では半人前以下、0.4人前くらいだと常々思ってきた。1週間ばかり臥せることが多かったが、その間、妻に負担をかけて済まないと心で詫びていた。

しかし、結婚以来私に頼ることが多かった妻は、この時は愚痴一つこぼすことなく、自分一人で孫の守りに没頭し、私の体調まで心配するのだった。

年齢差、男女の性差から、私が先に死ぬ確率は非常に高い。私が死んだ後の妻のことを考えることが最近多いが、今回の妻の行動を見て、いざとなれば自分一人で何とか生きて行ける逞しさがあるのではないかと強く思った。

甘えて生きることができる環境に育ち、頼られるのが好きな亭主と結婚したのだから、頼れるときは頼ろうとするのは当たり前のことに違いない。

そういうわけで、孫の誕生は79歳もまた「私の人生のターニン・グポイント」であることを教えてくれるきっかけになった。死ぬこと、大病になることばかりが人生の転換点ではあるまい。生き方に大きな影響を受けた時点という意味からすれば「いざという時には、妻は一人でも頑張ることができる」と知ったことは立派にターニン・グポイントであろう。

だから、これからの人生は、やるべき時にはやることができる資質を妻が持っているという前提で、妻に役立つような生き方を考えて行こうと思っている。

もう一つ、生き方に影響を受けた書物がある。それは、吉川浩満著「理不尽な進化」で、これまで地球上に出現した生物種のうち、じつに99.9パーセントが絶滅してきた。私たちを含む0.1パーセントの生き残りでさえ、まだ絶滅していないというだけで、いずれ絶滅することになるだろうということを知った。

これは衝撃だったが、それを知ったあとでも、生きているかぎり、したいことをして生きよう、生きることを楽しもうと思った。そして、「たとえ明日世界が滅亡しようとも、今日私はリンゴの木を植える」と言うマルチン・ルターのことばが頭に浮かび、自分もそのように生きるだろうと思った。

だから、「私にとって、9歳は人生のターニング・ポイント」という仮説は今のところ間違っていないのだ! 「我が家の芝生は青い」と思う人間には負ける、と苦笑されることだろう。平にご容赦を!

来年は80歳、傘寿の年、節目の年である。いろいろエンジョイしようと思っている。


5.サイトに載せた記事

今年サイトに載せた記事は、この「1年間の総括」を含めて14件で、昨年と同様サイト開設以来最少だったが、内容は自分にとって有用なものだった。また、Google検索で1位の記事は8件(57%)、10位以内は12件(86%)だった。

●言葉

私にとっての記録 (02/04) Google検索:1位/約2,170,000件

PCに10時間も向かっているのは、何かをまとめたり、記録に残したりしているためで、そのうちの文章が主体のものを「言葉」というカテゴリーに区分している。

自分はかなり記録好きな人間だが、日記をつけたことがないという変わった記録好きである。そこで記録が自分にとってどのような意味があるのかを考えまとめてみた。

奥村先生を偲ぶクラス会 (04/16) Google検索:1位/約 21,000件

今から69年前、私が戦後最初の小学校生活を過ごした小学校4年の担任だった奥村千鶴子先生(旧姓庄野)が昨年91歳で亡くなられた。

戦後最初の男女共学テストケースの担任として私たちを育まれ、先生を慕って2002年からほぼ毎年、13回に亘ってクラス会を持った。ほぼ毎回10名を超える参加者があり、多い時は17名も集まった。

先生を偲ぶ会には11名が参加、常連の一人のご夫君が亡くなられて欠席となり、残された時間を考える年齢に自分たちがいることを思った。

●音楽

第7回コンサート (03/11) Google検索:?位/約1,230,000件

私が所属し、月2回のレッスンを受けているハートリー合唱団の第7回コンサートが、この春に開かれた。第4回からは新森美加先生が教えておられるハートリー合唱団の他に、先生が教えておられるフックラックミュージックとの合同コンサートの形で催されている。

今回のコンサートで最も素晴らしかったのは、20代の若者3人の歌唱だった。昨年と比べて成長が著しいことに感嘆した。

私は、コーラスやソロを歌いながら、歌の音声記録を行い、CDを作成して出場者に贈呈し、ソロの歌の動画記録のブルーレイ、DVDを作成して出演者に贈呈した。

内倉和真・山本真輔 デビュー ライブ 2015年8月9日 (08/09) Google検索: 1位/4件

夏には、若者二人のプロデビューコンサートが催され、私たちコーラスのメンバーだけでなく、東北石巻のジュニア・リーダーサークル「げろっぱ」の皆さんが、応援出演に駆けつけてくださった。フックラックミュージック所属のメンバーも応援出演し、二人を励ました。

私は若者二人のデビューライブの動画を Blu-rayとDVD に焼いて謹呈した。

●映像

大川沿いの桜 (04/06) Google検索:?位/約161,000件

大阪の桜の名所の一つである「大川沿いの桜」の記事を載せていなかったので写真撮影をした。撮影場所を地図上に記したのが小さな工夫である。

●PC

98画像の変遷(改訂版) (06/15) Google検索:1位/約35,300件

Windows95機が登場するまでは、日本のパソコンの大半をNECのPC9801機が占め、「98」と略称されていた。2002年に、私が経験したPC9801機時代の画像を「98画像の変遷」のタイトルでまとめた。

これを、当時注目されはじめていたフレームスタイルでまとめたが、あとで読んでみると、読みにくく、分かり辛い。

そこで、今回これをフレームスタイルから、通常のノーフレームに改訂することにしたが、かなり分かりやすくなったと思っている。

私の電気通信歴 固定電話からスマートフォンまで (06/25) Google検索:1位/約 980,000件

今年から、6年間使いこんだ携帯電話をスマートフォンに変更し、その理解を深める意味もあって、「私の電気通信歴」をまとめた。

1999年に携帯電話でEメールを載せたころは時代の先端を走っていたが、今ではスマートフォンの最後尾についている状態である(笑)。

●旅行

ケルン・オランダ・ベルギーへの旅 (05/24) Google検索: 1位/約215,000件
真夏のスペイン旅行 1995.8.16.〜23. (07/20) Google検索:5位/約355,000件
秋のスペイン旅行 2015.9.24〜10.4. (09/21) Google検索:10位/約814,000件
真夏のイタリア旅行 1992.8.8.〜14. (11/26) Google検索:10位/約119,000件
真夏のドイツ・オーストリア旅行 1997.8.10.〜17. (12/17) Google検索: 1位/約137,000件

今年は体力的に最後の海外旅行になるかもしれないと思って、普通は年1回のところを2回とし、「ケルン・オランダ・ベルギー」と「スペイン」に行った。

また、今年は「記録の充実」に重点を置いたので、これまでWeb記事としていなかったものをまとめ、新旧合わせて旅行記事は5件となった。

サイトの記事として残すと、まず、「自分のため」に有用で、その次は妻、次は家族、そして最後はその記事の情報を必要としている他人にも有用かもしれないと思っている。

●医療

医療関係論文目録 (02/13) Google検索:1位/約116,000件

今年から、サイトマップの「医療」カテゴリーのサブカテゴリー「医学論文」を、学術誌に掲載された「医学学術論文」とそれ以外の「医療関連論文」に分けた。

「医療関係論文目録」は、その内の「医療関連論文」に属する論文の目録をまとめたもので、サイトに掲載した記事も目録に入っている。

医師2年目から3年目までの診療症例 1963〜1965 (12/17) Google検索:3位/約790,000件

また、今年は「記録の充実」に重点を置いたので、これまでWeb記事としていなかったものをまとめたが、その中で、自分として一番良かったと思うのが、「医師2年目から3年目までの診療症例」である。

医学部を卒業し、1年間のインターンを終えて、医師国家試験に合格。阪大第一外科に入局して1年間、猛烈な研修を受け、関連病院の川崎病院林田分院外科に2年間出張した。

大学では受持医として専門的な医療の見習いが中心であったが、ここでは一般外科を中心に、関連する他科も含め、第一線で主体的に医療に従事した。

大学へ帰局する3ヶ月くらい前から、ここで経験した症例の内、自分が記録として残しておきたいと思う250の症例を、約5000件の全カルテから選び出し、その要点をまとめて転記した。

この50年前の記録を、これまでほとんど目を通すことなく、書庫の片隅に保管してきた。これをまとめてウエブサイトに記録として残すことについてはかなりためらいがあった。1枚で収まる症例から数枚に及ぶものまで内容は多岐にわたる。それをまとめることは大変な作業だ。残り少ない生きている時間を費やすほどの意味があるのだろうか?

1週間ばかり思案したが、やはりまとめることにした。膨大な資料から要点を抜出し、それをまとめ、構築する作業は私がしたいことの一つである。だから、それだけでも意味があると思った。

この診療症例の意味は、1)私が長期間の経験を記録に残した最初である 2)記録して50年目という節目の年に公表できた 3)医師としての生き方について影響を受けた 4)50年前の医療状況の一面を記録に残すことができた 5)医師の卒後研修に対する一つの資料となり得るのではないかと考えた。


6.交流

●コーラス

2007年末から所属するハートリー合唱団で月2回のレッスンを受けている。そのレッスンが楽しい上、食事会、お誕生会、演奏旅行などがあり、一昨年から加わった20歳前後の若者2人と私たち老人2人が組んで男声カルテットを結成してデビューするなど親交を深めている。

●飲み会

1996年のボージョレ・ヌーボー解禁日以来続いている飲み会で、今年も楽しく駄弁り、飲むことができた。今回は19回目の飲み会だった。

●クラス会

小学4年クラス会
敗戦の翌年の1946年に小学4年だったクラスメートが、その時の担任奥村千鶴子先生(旧姓庄野)の死を悼んで、奥村先生を偲ぶクラス会を持ち、そのクラス会に参加した。今回は13回目に当たる。

高校3年クラス会
1954年に高校3年だったクラスメートが毎秋開いているクラス会に参加した。今回は20回目に当たる。

●メール交換

個人的なメールの交換も、人との交流をの記録として最近では重要な情報になってきた。そこで、昨年からこれも加えることにした。これを大きく受信メールと送信メールに分け、それぞれを、家族、親戚、知人、新人に細分した。新人というのは、過去に交流がなく、メール交換がはじめて人を指す。

受信メールの合計は 301 件、その内訳は、家族 52、親戚 06、知人 216、新人 27であった。

送信メールの合計は 266 件、その内訳は、家族 68、親戚 08、知人 178、新人 12 であった。


7.健康

快眠、快食、快飲はこれまで通り続いている。快便ではなく不規則だが、困るほどではない。


まとめ

1.今年は、Web記事として公開している記録の充実に重点を置いた。

2.三人目の孫(男)が生まれた。

3.私が死んだ後、妻は一人でも頑張ることができるのではないかという心証を得た。

4.サイトに載せた記事は昨年と同じ14件で、開設以来最低であった。

5.Google検索で1位の記事は8件(57%)、10位以内は12件(86%)だった。

6.サイトに載せた記事の中で、私にとっての記録が一番重要だと思っている。


<2015.12.23.>

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