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歌とコーラス

第3回コンサートを終えて

2010.03.30. 掲載
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目次
はじめに
コーラスの感想
コーラスで学んだこと
私の歌への影響
まとめ


はじめに

コーラスのレッスンを受けるようになって2年半近くが過ぎ、一昨日3回目のコンサートが終った。主催は、私たちのコーラスを指導してくださる新森美加先生が代表のフックラック音楽事務所で、新森美加先生が教えてこられた各教室の発表会である。

コンサートのレベルは、全体として昨年よりずいぶん高くなったが、内容は2回目のコーラス・コンサートとあまり変わらないので、今回は、コンサートについてではなく、コーラスの感想、コーラスで学んだこと、それが私の歌にどのような影響があったか、などをまとめておくことにする。


コーラスの感想

月2回のレッスンを喜んで楽しく受けている

私たちのコーラスは女声12名男声2名の変則的な混声合唱で、平均年齢は70歳前半である。それでは、唱歌や古い歌謡曲を歌っている老人施設のグループのようなものと思われるかもしれないが、決してそうではない。こんどのコンサートでも、グリーン・スリーブス、アメイジング・グレース、涙そうそう、ロシア民謡などを2部や3部合唱で歌った。レッスンは毎回、30分のオーソドックスな発声練習を受けてから始まる。

そのレッスンが、いつも楽しくて、笑いが絶えず、歌い始めるとからだの芯から熱くなってくる。メンバーのほとんどが、私と同じ気持ちなのではなかろうか?

先生の教え方が上手

このコーラスに誘われた時、誘ってくださった方の顔を立てるために、一応見学をした上でお断りするつもりだった。ところが、見学をして30分もしない間に、ここへ入れていただきたいと思ったのだから、愉快だ。とにかく、楽しい。しかも、音楽的に高度なことを教えてくださる。

大学に入った55年から56年の2年間、男声合唱団に入ってコーラスに熱中していたことがあった。そこでは、プロの指導はなく、音楽的才能のある先輩や仲間からいくらか指導があるほかは、ほとんど自分で読譜や発声法を身につけて来た。それから50年以上コーラスから離れていたのだが、ここの楽しい雰囲気にすっかり魅せられてしまった。

私はこどもの頃から教えられたり、命令されるのが嫌いで、自分でするのが好きな人間だが、ここでは楽しみながら、発声法や歌唱法を学べるかもしれないと感じた。その予感は当たり、自学では分からなかったに違いないいくつかの大切なことを学ぶことができた。

この先生について感嘆することがある。思いつくままに挙げていくと、1)ピアノがものすごくお上手で、2)キーチェンジを瞬時に行うことができ、3)同時進行で、ピアノ伴奏、コーラスの指導しながら、唄うことができる、4)頭の回転が速くて、とっさに適切なギャグが出て笑わせてくださる、5)ほめ上手で、うまく歌えたときなどは、涙ぐまれて絶賛してくださる、6)説明の例えが分かりやすく、7)それでいて、音楽的レベルは高く、とても無理ではないかと思われる難しい曲を課される、などだ。

一つのことに集中することはできても、同時に二つ以上のことをすることができない私には、驚異であり感嘆するばかり。まるで、聖徳太子のようだと思ってしまう。

メンバーに対する感想

先生が素晴らしいことは、見学の段階ですぐに分かったが、メンバーの素晴らしさも、回を重ねるごとに分かってきた。それを、順に述べていきたい。

1)音感が良い
これは、すぐに分かった。レッスン前の発声練習で、キーをアトランダムに変えて歌うところで、誰もが正しく歌えるのだ。私は、何とかついていけたが、間違って変な音を出さないかと不安だった。そして、その不安は今も続いている。

皆さんは読譜があまりお得意でなく、視唱のできる人は少ないようだが、その代わり、耳がものすごく良く、聴いて覚えるいわゆる聴唱がすばらしい。それに比べて私は、昔身につけた読譜力がまだ残っているので、譜面に頼ろうとするためか、音を聴く力がかなり劣っていることを思い知らされた。

そのことから、あの天才歌手美空ひばりも楽譜をあまり読めなかったこと、しかし、1回聴けばほぼ完璧に歌えたという伝説を思い出した。盲目の歌手やピアニスト、そのほか目を使わず耳だけで音楽をマスターしてきた人がいる。なまじ、少し譜面が読めるから、少し歌えるからと聴くことをおろそかにしていれば、音感は育たず、逆に衰えていくということを知った。

2)年齢を感じさせない美しい声質と歌い方
メンバーの平均年齢は私の歳と同じと聞いているので、お姉さまもいらっしゃるはずだが、声質が昔の女学生のように澄み切っていて素直で美しい。そして、歌い方もまた素直で、演歌なまりは感じられない。一度、先生に命じられて、皆の前に座り、歌を聴くことがあった。正面から、皆が歌うのを見ると、誰もが口を大きく開き、NHKの合唱コンクールを見ているようで驚いた。

この方たちは、全員ソロプチミストのメンバーだと聞く。ということは、実業界や専門職など社会でバリバリ働いていらっしゃるのだろう。そのような方たちが、歌では昔の素直な女学生であるのだから、信じられないほどだ。

3)女声は裏声(頭声)を使う
昔所属していた男声合唱団では、裏声(頭声)を使うことは無かった。テナーはG(ゲー)かAs(アス)くらいまで出ればよく、全部地声(胸声)で歌ってきた。このコーラスに入って、女声の歌は、高い音は必ず頭声を使うらしいことを知った。

先生は、男声も同じように頭声を使う必要があると思っていらっしゃるのではないかと感じることがある。しかし、ベルカント唱法はプロが行うもの、素人は地声でしかうまく歌えないと思うのだが、間違っているのだろうか?

先生への個人的質問で知ったこと

レッスンからの帰りの電車で2〜3度先生と一緒になったことがあり、その最初の日にお尋ねしたのは、自分が大きな声を出しすぎではないかということだった。

これまでの経験から、コーラスでの声の大きさは、全体とのバランスが重要で、一人だけが大声を出すことはご法度であることを重々知っていたからである。

その答えが、「目に余るようなら注意しますから、それまでは、もっと大きな声で歌って構いません」だった。一番気にしていたことにOKをいただき安堵した。幸い、いまのところ、声の大きさでは、注意は受けていないが、その内に、目に余ることになりそうな予感はしている。しかし、それまでは、おことばに甘えさせていただこうと思っている。

2回目にご一緒した時、お尋ねしたのは、譜の読み方と絶対音感についてだった。

私だけでなく、昔のコーラスの連中も、譜面を階名読み(移動ド読み)で歌ってきた。楽器を弾く人はほとんど音名読み(固定ド読み)であることは知っていたが、ピアノを専攻され、バリバリのピアニストの先生は、声楽家としてもプロでいらっしゃる。このような方は、どちらを使われるのか、おそらく楽器は音名読み、歌は階名読みではないかと予想していた。

ところが、どちらも音名読みだと仰る。それじゃ、音名は何語で?とお尋ねすると、ドレミ(イタリア語)だと言われる。ドイツ語なら#、bを「is」 「es」を付けて表すことができる。男声合唱では、Gis(ギス G#)、As(アス Ab)、Es(エス Eb) などのドイツ語の音名が飛び交っていたので、音名読みならドイツ語だと思い込んでいたから、これにも驚いた。

そこで、ドレミなら、#やb はどうするのかとお尋ねすると、#やb は頭の中で意識するだけで、声に出すときは、#やbを付けない。つまり、ソ#でもソbでもソと読んでしまうと言われるのだ。

階名読みなら、臨時の# b だけを半音、頭の中で上げ下げすれば良いので簡単だが、多数の# b のあるキーで、音名読みをしようとすると、頭はこんがらがってパニック状態になる。そう思ったが、絶対音感がある人には、それは問題ではないのかもしれないと思い直し、絶対音感をお持ちですかと尋ねると、もちろんと答えられた。そして、「どのキー(調性)に対しても、階名読みで歌うことなど到底できない、できる人を尊敬する」と仰られた。

最初は、皮肉られているのかと思ったが、よく考えてみると、絶対音感を持っている人には、何種類もの「ド」があることなど、信じられない、あるいは耐えられないことだと想像できた。同じように、相対音感で育ってきた人間には、#や b の多いキーでも、#や b を頭の中で想像して、音名にはつけないで、譜が読めることなど信じられないことである。

そこから興味が出て、いま世の中(特に小中学校)では、階名読みか音名読みなのかをWebで調べてみると、驚いたことに、30年前から音名読みになっていることを知った。そんなバカなと思うが、現実はそのようだ。外国では、フランスとイタリアが音名読み、ドイツ、英米が階名読みらしい。ラテン好き、カンツォーネ好き、イタリアオペラ好き人間ではあるが、この点では独英米を支持する(笑)。

先生は、あるキーの主和音とキーチェンジをしたあとの主和音をお弾きになり、このように調性(キー)には、その調性に固有の暗い、明るい、さびしい、悲しいなどのイメージが付いているとよく話される。しかし、そうかもしれない程度でしか納得できなかった。極端な話、半音や1音程度の違いは、私にはまったく分からないと思ってきた。

先生が絶対音感の持ち主であることを知って、先生の仰る調性とイメージの関係が、なぜ私に分からないかという理由が分かるように思った。絶対音感のある人は、それぞれの音に固有のイメージがあり、わずかなキーの違いからもイメージの違いを感じるのだろう。相対音感の人にはそれが分からなくてもおかしくはない。


コーラスで学んだこと

発声法

1.腹式呼吸法
腹式呼吸は、これまで行ってきた方法で間違っていないようだが、毎回レッスン前に行う発声練習によって、具体的に、いろいろの方法で、腹式呼吸が身についてきたように思える。

2.あくびをする状態で声を出す
喉の奥をひろげる方法として、具体的で分かりやすく、行ないやすい。

3.歌う声は話す声ではない
コーラスの発声は、大阪のおばちゃん式の口を横に開く、浅く平たい声(横開け発声)ではなく、喉を広げて、口を縦に開く感じで歌う(縦開け発声)と説明されるが、分かりやすい。

4.顔を少し上に向けて歌う
譜面から顔を上げ、前を向いたときに、声の響きがずいぶん良くなったと仰る先生のコメントは、分かりやすく、納得できた。

また、低い音は頭を上げぎみにで、高い音は頭(顎)を下げぎみにして歌うと、声がよく出るとのコメントは、これまで無意識に思っていたイメージと逆で、インパクトがあり、今ではそれを意識して行うように努めている。

5.力を抜く
これは、よく言われていることだが、知識として持っていても、なかなか実行できず、力んで喉に力が入ってしまう。それでも、だんだんと、できるようになるのだろうと思っている。

6.笑顔で歌う
たしかに、なぜか、笑顔の方が声が響くようだが、まだまだ、実行はできていない。

7.響かせるからだの部分をイメージして発声する
例えば、低い音は胸や腹、高い音は額や頭頂などに声をぶつけるようにイメージして声を出すことをアドバイスしてくださる。それはなんとなく分かるのだが、まだまだ身につくところまでは行っていない。

8.高い声を出すには、出せると思うことが大事
これも、そのとおりだと思う。出せると思うと、実際に高い音が出せるから不思議だ。声というものが、いかに精神状態によって左右されるものかが分かる。しかし、いつでもそう思うことができる状態になるのは、簡単なことではなさそうだ。

歌唱法

1.ダンスのように1拍が少し長い目の3拍子もある
日本人が不得意な3拍子について、強、弱、弱に注意することは良く言われているが、1拍を、ダンスのワルツのように、少し長くとる必要のある曲があること、その場合、身体を横に揺らすとうまくいくことを教えていただいた。

2.他のパートの歌を聴きながら、自分のパートを歌う
余裕がないときは、自分のパートを歌うことが精一杯で、ずれてしまうことがある。アメイジング・グレースで2度、その誤りを指摘された。

3.自分のパートを歌いながら、頭の中で他のパートの音を聞くことができるようにする
頭の中で歌うことはよくしているが、歌いながら、他のパートの音を頭で聞くことはできない。しかし、やっているうちに、できるようになるのかもしれないと思っている。

4.吐くから吸うことができる
当たり前のことであるのに、息を吐ききらない状態で吸って、充分に空気を吸いきれず、息が続かなくなる失敗をすることがある。充分な息継ぎというのは、充分な発声を終えた後でできることを学んだ。

5.歌は歌詞を正しく歌うことが大切で、そのためにはブレスが重要である
私は、歌詞よりもメロディーが大事な人間であるためか、歌詞に合わないブレスをしてしまうことがある。しかし、これは間違いで、歌詞に合ったブレスが大切であることを教えていただいた。歌詞によっては、ブレス(フレージング)が1番と2番で変わることもあることを教わった。

「もしもピアノが弾けたなら」では、西田敏行式に歌詞をぶつ切りにして歌って、注意されたことを思い出す。

6.ピアニッシモでは、腹式呼吸がより重要
喉だけの発声ではピアニッシモは出せないし、音程が安定しない。腹式呼吸はピアニッシモにこそ重要だという逆説的な事実を教わった。これも非常に役に立つコツの一つだと思っている。

7.低音では、腹式呼吸がより重要
腹式呼吸は高音発声に有用だと思ってしまうが、そうでなく、低音の発声により重要で、喉だけの声では音量が弱く、音程が安定しない。低音発声では、充分に息を吸って腹から声を出すというコツを教えていただいた。

8.臍下丹田に常に力を入れておく
歌を歌うときに限らず、日常生活のなかでも、絶えず下腹に力が入っていることに気付いていた。これは古来重要視されてきた「臍下丹田」と言われた部分に絶えず力が入っているということになる。先生は一二度、臍下丹田に力を入れるというお話をされたことがあり、よく理解できた。

歌の練習法

1.マスターできていない部分は、何度も反復練習する必要がある
このことは、昔から私も思ってきたことで、音楽好きは反復が苦にならないという仮説を持っている。

2.反復練習ばかりではダメで、失敗しても止まらず歌っていくことは、それ以上に大切である
このことも、その通りだと思ってきた。

3.失敗はいくらしても良い、失敗を恐れて大きな声を出さないのでは、進歩はない
これも、その通りだと思ってきた。小さい声で歌うには技術が要る。大きい声の方が練習になるというアドバイスは納得できる。

4.間違って覚えた曲を修正するには、莫大な時間と努力が要る
これも、経験的によく分かる。だから、予習よりも復習の方が効率が良いという教えが納得できる。

5.ある時突然うまく唄えるようになる(弾けるようになる)
これも、経験的によく分かる。ある日から自転車に乗れるようになったように、あるいは、泳げるようになったように、できなかったことができるようになるという話もよく理解できる。

6.メロディーをグループとして理解する
メロディーをグループとして見るようにすれば、曲の全体構造が良く分かり、結局その方が、暗譜しやすく、理解しやすいというお話は説得力があり、なるほどと思った。

7.暗譜をする
譜面から目を離し、暗譜で歌うことにより、声がより良く響き、歌の内容がより良く伝わるということも理解できる。


私の歌への影響

コーラスで学んだことは、上に書き出したように多い。しかし、それが実行できているかどうかは別問題である。

声の不安が少し解消された

交野市にいたときは、3方が田畑の中にある一軒家だったので、大声を張り上げることができた。5年前に、大阪市内のマンションに転居してからは、大声が出しにくい上、出しても声が小さく聴こえるので、すっかり自信をなくしてしまい、歌う楽しさから遠ざかってしまっていた。

コーラスのレッスンを受けるようになり、その部屋では、もっと声が小さくなることを知ってから、マンションも遮音性が高くて、音が吸いとられているのだということが分かり、年齢による声量の低下の不安がなくなった。そして、歌をうたう楽しさが戻ってきた。

ブレスやフレージングを注意するようになった

ブレス、フレージングの重要性を教えていただき、注意をするようになった。これは、コーラスでレッスンを受けたことの影響の一番大きなことではないかと思っている。

暗譜をする

曲の暗譜をするのは50年ぶりくらいのことになるが、やってみると、案外できることが分かり、コーラスの曲はできるだけ暗譜することにしている。もともと、歌詞を大切にしない人間で、間違っても気にならないし、適当にごまかして歌うのが得意なので、暗譜もできるのだろうと思う。

このたびのコンサートは全部暗譜で歌ったが、ソロで歌う出だしの歌詞を間違ってしまった。途中でそれに気が付き、何食わぬ顔で正しい歌詞に戻したが、聞いていた妻は分からなかったという。私たちのコーラスのメンバーには、おそらくばれているのだろうが、ほかの人は気づいていないのではなかろうか?

リズム感が少しは良くなった?

リズムよりもメロディーが大事な人間で、リズムを規制されるカラオケは好みでない。などというのは、リズム感が弱いことを自覚していることの裏返しである。50年以上、リズムを合わさなければいけない環境にはいなかったので、好きなように歌ってきた。しかし、コーラスではそのようなわけにはいかない。アメイジング・グレースで、先生に2回リズムの遅れを注意されたことがあり、リズムに注意するようになった。その効果が少しは出ていれば良いのだが、、、

発声が少し良くなった?

毎回のレッスンで発声のアドバイスがあるので、その効果が少しは表れているかもしれない。

読譜力を少し取り戻した?

50年ぶりの読譜であり、忘れている記号もあるが、予想以上に読譜力は残っていた。読譜を再開して、2年半近くになるので、少しは読譜力を取り戻せたのではないかと思う。

歌詞を大事にするようになった?

先生はレッスンで歌詞の大切さを繰り返し説かれる。それが良く分かるので、コーラスの曲は歌詞に注意しているが、もともとはメロディー大事、歌詞は二の次で生きてきたので、あまり影響を受けないかも分からない。

先生の教えに反して、歌詞を大切にしないという不肖の生徒の弁明を少し申し上げる。もちろん、私にも歌詞が大切な歌はある。思いつくままに書いていくと、「からたちの花」「椰子の実」「荒城の月」「城ヶ島の雨」「トゥー・ヤング」「マイ・ウェイ」「スマイル」「嘘は罪」「ハイ・ヌーン」「ジャニー・ギター」などがすぐに思い浮かぶ。これらは、メロディーと同じくらいか、それ以上に歌詞が好きだ。

しかし、大部分の歌は、歌詞よりもメロディーが好きで、しばしば、歌詞は滅茶苦茶となり、家族から呆れられてきた。「くちなしの花」を「いしけりの花」と大声で歌っているのを聞いた息子から、「どこから、いしけりが出てくるんや」と言われたり、「ラ・ノビア」を歌っていると、「それは、神さん怒りはるは!」と妻が笑う。「祭壇の前に立ち」を「祭壇の上に立ち」と歌っているというのだ。

歌詞を全部通して歌える歌などほとんどなく、分からないところは適当に歌詞を作るか、ドレミやラララなどで歌い、メロディーが途切れることはない。お陰で、今回のコンサートでの歌詞間違いも、立ち往生することなく、気づかれないで対応できた。

こどものころから歌うのは好きだったが、人に聴いてもらいたいのではなく、とにかく、歌いたいから歌ってきた。だから、歌うのは80%以上が鼻歌、15%以上が頭の中で歌い、実際に歌うのは5%もないと思う。

このようにして歌を楽しんできたので、この歳になって、歌詞中心の歌い方へ転換することは、できない相談だと許していただきたく思う。歌に限らず、音楽はその人が一番好きなやりかたで楽しめば良いのではなかろうか? もちろん、これはひとりで楽しむ場合のことであるが、、、


まとめ

あと半年も経てば、コーラスをはじめて3年になる。石の上にも3年というが、このあたりで、コーラスが私にとって何だったのかを、まとめておきたくなった。総括をしなければ気持ちが落ち着かないのは、私の困った性分である。

もう一つは、このような楽しい時間を過ごすことを可能にしてくださった新森先生と守口教室の皆様への私の感謝の気持ちを申し上げたかったからである。

最後に、このコーラスに誘ってくださった神谷先生ご夫妻に心からのお礼を申し上げる。ありがとうございました。すべては、先生と奥様のお誘いからはじまりました。


<2010.3.30.>

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