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2015.09.21. 掲載
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目次
はじめに
マドリード周辺
ラマンチャ地方
アンダルシア地方
バルセロナ
まとめ
20年前、2回目の海外旅行先にスペインを選んだ。旅行の記録はビデオで行い、写真はわずかしかなく、文章による記録はビデオのシナリオだけである。
ビデオはDVD化してあるが、写真入りのWeb記事の方が簡単に情報に接することができる上、情報量も多い。 そこで、1995年のスペイン旅行の記録を記事として残すことにした。
ビデオは、シングルエイトカメラで撮影したアナログテープをデジタル変換して作ったAVIファイルを中心としたが、アナログテープを編集して作品を作り、それをデジタル変換して作ったAVIファイルも活用した。
これらのファイルを PlayMemories Home に読込み、その中の場面を画像として切り出し保存した。
写真もわずかであるが保管していたので、これはイメージスキャナーで取り込んだ。
その上で、ビデオ作品「真夏のスペイン」のシナリオを参考にしながら、旅の思い出を記事にまとめた。
このスペイン旅行はマドリードからはじまり、バルセロナで終わった。
マドリードは1561年よりスペインの首都である。スペインには、マドリッドのほかに、セビリアとバルセロナにもスペイン広場がある。イタリアにもスペイン広場があり、それぞれが個性的である。
ここトレドはマドリードの南70kmのところにある。150年近く西ゴート族の首都であり、その後400年にわたり、イスラム教徒に占領され、それからマドリードに遷都するまで、500年近くの間、スペインの首都、文化の中心であった。ここにはスペインの歴史が凝縮されている。
アランフェスは、マドリードの南50kmのところにある、タホ川沿いの緑の美しい王家の保養地である。16世紀に建設が始まり、18世紀後半に完成した。
盲目のロドリーゴが作曲したギターのための協奏曲、アランフェス協奏曲によって、この町の名は世界中に知られるようになった。
中でも、その第2楽章は、「恋のアランフェス」という名前で、ポピュラーとしても多くの人々に愛唱されている。
この「アランフェス協奏曲」は、1940年11月に、バルセロナで、この曲をロドリーゴから献呈されたサインス・デ・ラ・マーサのギターによって初演され、この甘味なメロディは世界中に響き渡った。
ラマンチャ地方はスペインの中部にある中央台地の一部で、セルバンテスの名作「ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ」の主人公ドン・キホーテが行う、数々の冒険の舞台となった果てしない荒野。ラマンチャとはアラビア語で「乾燥した土地」を指す。
この地方は冬の寒さが厳しく、また夏は非常に暑く、降雨もまれで、寒暖の差が激しく、非常に乾燥している。
「ドゥルシネア姫の家」というドン・キホーテ物語の架空のお姫さまが住んでいたという小さな建物がある村。
ドン・キホーテが「逃げるな、臆病者め!」と叫びながら、槍を片手に、愛馬ロシナンテまたがり突進した風車とされる風車のある村。ドルシネア姫の家がある「エルトポソ」からは20kmほどの距離にある。
ここはセルバンテスがよく泊まったという旅籠のあった場所で、今はレストランになっている
アルマグロにあるパラドール・デ・アルマグロという国営ホテルに泊まった。近くには東西に長く伸びたマヨール広場があり、ここを散策した。
その時、自転車に乗った数名の中学生らしい女の子に「エスパニョーラ?」と尋ねられた。「ノー」と答えると「ハポネス?」と聞いてくる。「シーシー」と答えると、ニコニコ顔で手を振って離れて行った。
私たち夫婦はこの会話ですっかり気分を良くした。エスパニョーラはスペイン人(女性)、エスパニョールはスペイン人(男性)である。私たちをスペイン人かと尋ねてくれたのは、どこかその雰囲気があるのだろうと解釈したからだ。
ホテルは昔の修道院を改装した建物で、ここに入ると、まるで中世の世界にタイムスリップした気分になる。廊下階段には宗教画が飾られ、家具や調度品も修道院で使われていたものがそのまま使われていた。
アンダルシア地方はスペインの最南部に位置し、ジブラルタル海峡を挟んでアフリカ大陸と向き合う。8世紀から800年近くイスラム教国の支配が続き、イスラム文化の影響が色濃く残っている地域である。
アルハンブラはスペイン語では赤いお城という意味だそうで、イスラム王国最後の城である。
レコンキスタ(国土回復運動)によってキリスト教徒に追い詰められたイスラム教徒の最後の王国がグラナダだった。
1492年イサベル女王によりアルハンブラ宮殿アルハンブラは陥落、同年コロンブスは女王の援助のもと、新大陸を発見した。
イスラム文化が色濃く残っている都市である。
セビリアはアンダルシア地方随一の都会で、コロンブスの新大陸発見以来、セビリアはアメリカ大陸の貿易港として繁栄を極めた。
ビゼーの「カルメン」、モーツアルトの「ドン・ジョバンニ」、ロッシーニの「セビリアの理髪師」の町でもある。
バルセロナはスペイン第2の大都市であり、カタルーニャ地方の首都である。カタルーニャ地方独特の文化を持ちながら、スペインの中で最も西欧文化の香りがする地域でもある。
芸術家も非常に個性的で、私の好きなミロはここに生まれ、ピカソはここを踏み台にしてパリに出て行った、私の嫌いなダリ、ガウディもここで生まれた。
1.20年前の旅行を、その時に撮影したビデオとそのビデオを編集したときのシナリオを基に、静止画を中心とした旅行記録にまとめた。
2.167枚の静止画のうち、スナップ写真は24枚、Google Map 1枚、ビデオから切り出したものは142枚(85%)だった。
3.海外旅行の最初は1992年のイタリアだった。3回目1997年のドイツ・オーストリアまでは、旅行記録はビデオで行うことに決めていた。
4.しかし、1996年に自分のサイト(ホームページ)を開設してからは、静止画を含んだサイトの記事として旅行を記録に残すことに変更した。
5.ビデオしか記録のない海外旅行を、サイトの記事としたのは、これが最初である。私としては、この程度で良しとしなければならないと思っている。
6.あとは、最初のイタリア、3回目のドイツ・オーストリアを記事としてまとめておきたい。
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