第26節 母の来訪
遠い親戚に当たる女性が他界した後私はその女性の為にあらかじめ用意されていた家に連れて行かれた(人間は例外なくその地上生活に相応しい住居を用意されている)。その家の一つの部屋で私の父が待っていた。二人で話をしているうちに父が『ほら、見なさい』と言って壁の方を指差した。私は壁紙のことを言っているものと思って見つめていると、その壁の前に一個の像の輪郭が見え始め、やがて姿が整ったのを見ると母だった。
母は私達に映じる波長の姿をこしらえるのに必要な精神統一をしている為に緊張し、真剣な表情をしていた。すっかり整うとようやくにっこりとして近寄り、挨拶をした。非常に若く見えた。他界したのは74歳の時だったが、今は20~25歳位に見える。かなり高い界層に所属し、それでそういう出現の手間をかけなければならないのだと理解できた。
私は一通りその家を案内してもらった後、もう一度別の部屋で母と会った。母は明るく幸せそうだった。そして、そろそろ帰らなくては、と言った。それから寝椅子に横になり『さようなら』と言った。私は母の頭部の横に立って見ていると、すーっと姿が薄れて消えていった。母とはいつでもコンタクトが取れるので、その光景を見て私は少しも悲しさは感じなかった。
その後の霊界旅行で子供達が野原で遊んでいるのを見ていた時に、再び母が姿を見せた。この時は前の時よりも地上的雰囲気に近かった。そして最近他界してきた例の親戚の女性が地上の家のことで悩んでいると告げた。私はその人があとに残した家にとても執着していることは聞いて知っていた。そこで地上に戻ってから聞き合わせをしてみたところ、息子さん達がその家を売る考えであることが分かった。
第27節 スピリチュアリストの集会所
ある時霊界の素敵な住宅地区とおぼしきところを訪れた時、そのうちの一軒へ案内された。門をくぐってドアに近づくと、中から二人の男性が出て来た。すれ違う時に軽く会釈をした。二人の顔は見覚えはなかったが、直感的にそこがかつて地上でスピリチュアリストだった人達の出入りする集会所のようなところであることを察した。部屋の一つを覗いてみると何人かが集まっており、一人を除いて顔見知りの人は見当たらなかった。その一人というのが、私が交霊会で離脱するところを前の席から霊視していた年輩の女性だった。
この女性は霊視能力が強く、霊姿を細かく叙述出来た。ある時は私の側にいる霊を叙述して、この人はアラブ人の服装をしているが、どうやらアラブ人ではなく、アラビアのロレンスですと言った。それからそのロレンスからのメッセージを伝えてくれた。内容はその夫人には何のことか解読出来なかったようであるが、私にとっては紛れもなくアラビアのロレンスであることを立証するものだった。
その老夫人を私が霊界で見かけたのは夫人が他界してまだ一年ばかりしか経っていない時期であったが、さすがに落ち着き払い、安らぎを見せていた。この夫人にとっては『夢幻界』は存在していなかった。私を見かけると『ようこそ、スカルソープさん』と、地上の時と同じ態度で挨拶した。私はゆっくりと話がしたかったが、周りに見知らぬ人が大勢いて、いつもの私の引っ込み思案の癖が出て、黙っていた。
この遠慮ないしはにかみは高い界層へ行くと消えてしまう。以心伝心の関係が緊密となるからであり、私の体験でも、一度も堅苦しい挨拶をした記憶がない。誰に会っても、或はどんな集団の中に入っても、自然にお互いが知れてしまい、あたかも兄弟姉妹に会った時のように、改まった紹介が不要なのである。
私はそれから家中を見学した後、外へ出て地域全体を見てみた。見たところ英国の街外れの住宅地区そっくりで、すぐ近くにショッピングセンターもあった。真新しい白いコンクリートの商店街が立ち並び、上の方に赤色の大文字でROSEWAY(バラ通り)と書いてあった。私は同じものが地上にもあれば面白いが、と思った。
その通りを歩いていると東洋風の男を見かけた。その男が私に気づくと一瞬戸惑いの表情を見せた。多分私の姿がその界層での『個体性』を十分に備えていなかったからであろう。私は例のスピリチュアリストの集会所へ向かったのであるが、確かにこの辺りだったと思うところへ来ても、その建物が見当たらない。そこで私は丹念に一軒一軒の門柱の表札を確かめながら歩いた。
その時面白いことを発見した。表札によってはその家の前の居住者の姓名がうっすらとその下に残っているのである。うっすらというのは、ペンキが薄くなっているというのではない。ペンキはもう完全に消えている。結局その姓名を書いた人の意念が残っていて、それを霊的感覚によってサイコメトリ的に読み取っていたのである。
それにしても、私が探している家がなかなか見つからないでいると、例の少女が現れて教えてくれた。この少女は時折こうして私が困っていると現れては謎のような消え方でいつの間にかいなくなってしまう。
さて私はその建物の中へ入ったのであるが、その時点で意識が途切れてしまった。肉体へ戻されたのではない。これは多分背後霊の仕業で、私の地上的なはにかみの癖を捨てさせて、そこに集まっていたスピリチュアリスト達、特に例の夫人と心置きなく話をさせる為の配慮だったと信じている。
第28節 グレンジャー通り
地上とそっくりの場所に関連した初期のことの体験に次のようなものがある。ある時気がついたらロンドンとおぼしき通りにいた。直観的に妻に会えるような感じがすると同時に、その通りの端にある家に妻がいそうな気がした。すると意識がはっきりしてきて、嬉しさを覚えて、そこの光景が透き通るように鮮明に見えてきた。
建物は1850年代のスタイルで、この通りの端に『グレンジャー通り』と記したプレートが見えた。いよいよその家の入り口まで来ると妻の方からドアを開けてくれた。再会を喜び合い、応接間でしばらく語り合っていると、妻が真剣な顔で『あなた、もう時間だわ』と言った。私はもう少しいたかったので妻の手を取って『まだいいよ』と言ったが、いつものように、どうしようもない法則でベッドへ連れ戻されてしまった。
それから二、三日して私はある交霊会に出席したところ、正面の席にいた霊媒にある霊が憑依してきて、身体を前屈みにして『私はあなたが奥さんにお会いになった時に同じ通りにいた者です』と私に言った。
交霊会が終わってから私は霊媒に、あの霊は何者ですかと尋ねると『あの霊はよく私に憑依してくるのです。ロンドンのオールドケントロード付近に住んでいた方で、誰かの結婚式で酔ってしまい、道路を横切ろうとしているところを消防自動車にはねられたのです』と語ってくれた。
家に帰ってからロンドンの市街帳を開いてみたら、確かにオールドケントロードの近くにグレンジャー通りというのがあった。私はいささか興奮を覚えた。その通りと、妻と会った家はきっと地上にもあるはずだと確信していたからである。同時に私はプレートに記された通りの名の字体も覚えていたので、次の日曜日に車でその通りへ行ってみた。
が、来てみるとグレンジャー通りというのは見当たらず、だだっ広い土地があるだけで、その中に新しいレンガや建築用材が積み込まれていた。近くの店へ行って尋ねてみたところ『それならその空き地にありましたよ。新しくアパートを建てる為に、少し前に取り壊されたんです』と言う。私は『霊界にはまだその通りがありますよ』と言うわけにはいかなかった。
第29節 霊界でのドライブ
こうした地上と霊界の二重生活が滑稽な錯覚を生んだことがある。ある日オートバイで当てもなくドライブをしていた時、ふと『家のプールの様子を見てこよう』という考えが過り、さらに『今日は日曜日で交通規制がないから思い切り飛ばしてやろう』と思った。が、後でプールは霊界の家にしかないことに気づいた。
心理学の専門家に言わせれば、これは一種の『精神分裂』であろう。そして事実、人間には物的精神と霊的精神の二つが同居しているのである。私はむしろこの両者が分裂しないで死後もなお物的精神のみ――つまり死んだことに気づかず地上的意識のみで延々と何十年何百年と地上と同じ場所で暮らしている人を数え切れないほど見ている。この種の人はいつの日か、もう一つの自我、すなわち霊的側面が目を覚まして、それまで無視してきた指導霊の導きに耳を傾けるようになるまで、蝸牛にも似た進化の歩みを続ける他はない。
私はよく霊界でオートバイに乗るが、『あちら』では決して故障することがない。前に飛行機で山を超えようとしている光景を紹介したことがあるが、あれと同じで、オートバイが『走る』と思い込むだけで走るのである。霊界に置いてある私のオートバイに背後霊がよくイタズラをすることがある。ある時は、まっ黄色に塗ったバス位の大きさの見苦しいサイドカーがそのオートバイに取り付けてあった。実は当時私は地上で小型のオートバイを乗り回しており、それとあまりに対照的なので滑稽に思えた。私としてはサイドカーを付けることによってスピードが落ちることだけはご免こうむりたい心境だった。が、それは一種の予言でもあった。その年のうちに私はサイドカーを取り付けることになったのである。
霊界でのドライブは意念操作であるが、私の場合は操縦の手順を一通り行わないとダメである。前に紹介した飛行機の操縦も地上の習慣で『こうすれば飛ぶ』という期待、つまり一種の信念で飛ばしていた。もしも自分の身体を飛ばしてみろと言ったら、馬鹿を言うなと言い返したことであろう。
が、高級霊になるとそうした操作は一切不要である。私はある時霊界の運転の名手のドライブに同行したことがあるが、まさに電光石火のスピードを出すことが出来た。私にとって新たな勉強になったが、気分のいいものではなかった。言ってみればフィルムを早送りするようなものである。辺りの景色は何も見えず、曲がり角も弾丸の勢いで蛇行し、目眩がして不快さえ催した。
こうした高く速い波長は私の遅い波長の身体にとって『スリル』を味わうという段階を超えた体験で、終わった時はホッとした。どうやらその間その名手は自分のオーラで車と私を包んでしまうらしい。だから低い波長の環境でもそれほどのスピードが出せるのである。それがその体験の教訓だったと信じている。
第30節 霊界でのショッピング
この、いわば中間層ともいうべき境涯においては、地上の楽しみや興味の対象がことごとく存在し、しかも時間も経費もかからないので、生活全体にのびのびとした気楽さが見受けられる。気楽に訪問し合い、気楽に観光を楽しみ、気楽にショッピングが出来る。店の種類も家具、衣服、金物等々の専門店もあれば大きなデパートもある。デザイナーや制作者は経費も手間もかからないので次から次へとアイディア商品を開発している。
ある時娘と一緒に大きなデパートに入ったことがある。大きな入り口を入りかけた時、地上の学校の制服を来た女の子と一緒になった。娘の学校友達だなと直感した。そして案の定、小学校時代に他界した子だった。
デパートには素敵な品物が色々と置いてあったが、私が特に興味を持ったのはカラーの花の模写を載せたページの大きな本で、生きた花そのままに描かれていた。
あるコーナーでは十四インチの長さのアラバスターの小箱に興味を引かれた。内側に金細工が施してあり、まるでアラジンの洞窟から持ち出してきたものみたいで、地上だったら、さしずめ収集マニアの垂涎の的となるところであろうと思った。
地上に戻ってからのことであるが、知人の霊媒を通じて娘が、デパートの入り口で一緒になった女の子について、いつも一緒に暮らしてるわけではない――興味が同じでないから、といった意味の通信を送ってきた。