第1章 霊界の様子
第1節 そもそものきっかけ
二十年あまりにわたる私の意識的な体外遊離体験について語る前に、一体こうした奇妙な体験がどういうきっかけで始まり、そして全開するにいたったかを述べておく必要があろう。その背景の説明はこの種の超能力を信じる者はもとより、懐疑的な態度をもっている人にとっても興味があろうし、大勢の人にとって参考になるものと考えるのである。と言うのも、実は体外遊離体験は想像されている程珍しいものではないのであるが、予備知識なしに体験した人はびっくりし、さらには、愚かにも自分が精神的におかしくなったのではないかという恐怖心を抱くケースがしばしばあるのである。
多分私の場合は好条件が揃っていて、言わば、気がついたらその能力が開発されていたと言える。従ってこれについて合理的な解説は何一つ出来ない。1934年に妻が他界するまで私は大半の人間と同じように『死後の生活』或は『霊』については全く無知だった。幸せな結婚生活を送っていただけに妻の死は大きな打撃だった。妻は二人の子供と店を残していった。が、店は何とか私一人で切り盛り出来たし、子供の方もその後私の叔母が来てくれたので、十分な世話をしてやることが出来た。
妻の死後も近くの図書館から幅広い分野の本を借りて思索の糧としていた。私の好きな著者の一人にオリバー・ロッジがいた。科学者であり、当時の英国学術協会の会長でもあり、私は電気及び電磁波の実験に興味を持っていた。ところがある日のこと、図書館で同じロッジの著書で『なぜ私は死後の個性存続を信じるか』という題の本を見つけたのである。
私は驚いた。科学的実験法に徹し、一つの事柄について各種の実験をし、その結果が全て一致しない限り満足しないロッジ博士がこんな分野のことについても本を書いていることに驚いたのである。私は博士がいかにして『霊魂不滅』をテストしているかに興味を抱いて読んだ。その結果分かったことは、この問題についても科学者ロッジは永年にわたって証拠を募集しており、同時に普通では考えつかないような入念な実験を重ねていたということだった。その実験結果はロッジにとって決定的なものだったし、霊魂不滅は証明されたと信じたのだった。
その決定的証拠は他界した人間の姿を見たり、霊界と地上との連絡を取り次ぎ出来る『霊媒』と呼ばれる人間を通じて得られていた。私はこの分野についてさらに多くの本を読む決意をした。そして分かったことは、霊魂不滅を扱った文献は実に莫大な量にのぼるということだった。
同時に私は、霊魂の存在を否定し死後の存続や死者との通信をまやかしとする人達の本も読んでみた。しかし、そうした否定派の著者は肯定派の著者程その研究に用意周到さがなく、大抵は他人のしていることについて単なる個人としての意見や批判を述べているに過ぎないことが分かった。そこで私は、私独自の研究をして、出来ることなら自分の手でそのどちらが正しいかの決着をつけたいと考えたのである。
そこでまず出向いたのがS・A・G・Bだった。(Spiritualist Association of Great Britain スピリチュアリストすなわち死後の個性存続を信じる人達の為の総合的施設で、現在も存在し二十名程の霊媒が常駐して相談にのっている)
紹介された霊媒はヘレン・スピアーズという女性霊媒で、霊視能力者だった。女史に案内された部屋は小さいが日当りのいい部屋で、肘掛け椅子が二つ置いてあった。二人が腰掛けると、まず女史の方から私に、これまでにもこうした体験があるかどうかの質問があった。私が今回が始めてであることを告げると女史は怪訝な顔をしながら、「じゃ、いきなり大きい成果は期待なさらない方がいいでしょうね」と言った。
それまでに私が読んだ本の中に、霊媒というのはいかにも他界した身内の霊が語っているかに見せかける為、出席者から上手いこと情報を『聞き出す』コツを心得ているから用心するように書いたものが何冊かあった。そこで私は、自分だけは絶対にその手に引っ掛からないように、それらしい質問には牡蠣のように口を閉ざして答えまいと決心していた。一つの予防策として、その場で二人の口から出たものは全てノートに書き留めることにした。
間もなくスピアーズ婦人が、一人の女性の姿が見えます。あなたの奥さんです、と言ってその容姿を述べ始めた。叙述は正確だった。が、私は黙っていた。夫人はなおも叙述を続け、身体の特徴、表情、それに私の日常生活と妻の死後三ヶ月間の出来事を述べた。(奥さんがテレパシーで伝達したものを婦人が受け取って述べている)
私は黙々と書き留め、時折確認の為の質問をしたが、それも間髪を入れず正確な返事が返ってきた。妻は自分の死後の二人の子供の様子を述べ、私しか知らないはずのその後の家庭内の出来事や部屋の模様変えについても語った。後に残した親戚と、霊界で再会した親戚の話もした。
私にとってそれが妻であることを疑う余地はなかった。妻は自分の存続を示す為に私が要求する証拠を全て用意してくれていた。私は与えられた一時間をフルに使って書き留めた。霊媒はその仲立ちをすることで満足している様子で、私のノートが余白が無くなった後もなお叙述を続けた。そのうち時間切れを告げるノックがした。
その交霊会は私にとって極めて満足のいくものであり、多くの思索の糧を与えてくれた。そして、いよいよ二人揃って部屋を出る時、スピアーズ夫人が私にこう言ったのである。
「あなたもご自分で試してみられてはいかがですか。私の姿をご覧になるのと同じくらい鮮明に奥さんの姿が見えると思いますよ」
第2節 霊能育成会に参加
私も霊能者になれる――少なくとも個人的な目的の為に――という意味なのだろうか。いつかは私自身の霊視能力で妻を『見る』ことが出来るようになるのだろうか。実際にはそれ以上に劇的な体験をすることになるのであるが、その霊媒の述べたことは全て正確だった。
ともかく私はある『霊媒養成会』に参加することになった。週に一度集まって、潜在している霊能を開発する為の訓練をするサークル活動である。そうした会で心霊能力を開発している人の数は驚く程多く、また養成法の指導書も実に多く出版されている。当然のことながら優れた霊能者が指導するサークルに参加するのが一番望ましい。
そのサークルにきちんと出席するうちに、これなら今までにも瞬間的に体験したことがあるぞという自覚を覚えて、自分の可能性に自信が湧いてきた。
その後さらに、そうしたサークル活動とは別に、自宅で肘掛け椅子でゆっくりと寛いでいる時の方がさらに好い結果を生むことが分かってきた。それが次第に霊界との自然でしかも素敵なコンタクトへと導いていき、それが私にとって何ものにも代え難い、内的な幸福感と満足感とを与えてくれることになった。『幸いなるかな悲しむ者、その人は慰めを得ん』という聖書の言葉が私において現実となったのである。
初期の頃はベッドに入って完全に寛いでいる時などに私の背後霊の姿を見るようになった。そして寝入ってからまるで実際の体験のように思える鮮明な夢を見るようになった。
私は真剣に求める者は必ず睡眠中に霊的体験を得させてもらえると信じている。日中の物的精神の習性が霊的精神に反映するのである。つまり物的精神の殻を破って霊的真理を求めようとする精神活動が霊的精神にも同じ活動を生むのである。このことを私の背後霊は後に『黄金の粒を探し求めるようなもの』と表現したが、まさにその通りである。かくして人間側が真剣に求めようとすることが背後霊の働きかけを容易にするのである。
そのうち、ある日のこと、肘掛け椅子に座って何かを霊視してみたいと思っているうちに、私の身体が大きな霊の腕に抱かれるような感じがした。私を抱いたその霊は空中高く上昇し、中空に止まってからこう言った――『あなたはなぜそう霊視したがるのですか。なぜ霊の声を聞きたがるのですか。なぜ物質化現象を見たがるのですか。あなたにはそんなものよりはるかに素敵な能力があるのですよ!』そう言い終わるなり、椅子に戻された。
この体験は強烈だった。私の背後にそれほどの溢れんばかりの愛情をもった霊がいてくれていることが私の想像を超えたものだったからである。私は物質化現象よりも素敵な霊的体験とは一体何がありうるだろうかと考えた。その回答は間もなく与えられることになる。『霊界旅行』が始まったのである。
第3節 ついに肉体を離れる
それから数ヶ月――それが私には随分永く感じられたが――ベッドに入った後で思い切り受け身の状態に入る練習をし、ついに私は肉体的感覚が消えた後の、覚醒状態と睡眠状態とのギリギリの接点で少しの間意識を保っておくことが出来るようにまでなった。時には宙に浮いているように思えることがあったが、その状態では体重が感じられないので、多分、自分の想像に過ぎないと考えていた。
ところがある夜のこと、それが現実となった。自分が上昇していくのがはっきり感じられたのである。内心では興奮しながらも、折角の体験を台無しにしたくないので、必死に受け身の精神状態を保とうと努めているうちに、嬉しいことに感覚が極度に鋭敏になり、側に背後霊の一人が存在するのが感じられるようになった。私自身は完全に受け身の状態で自分からどうしてみようという意図をもたなかったせいか、その動きは実にゆっくりとしていた。そのうち突如として私の肉体が激しく振動した。それはしばらくして止み、私は少しの間さらに上昇し続け、そして止まった。
もう受け身の状態を止めてもいい頃と考えて辺りを見渡すと、私はある部屋のテーブルの後ろに立っていた。そのテーブルの前を若者が一列になって歩きながら私に微笑みかけている。全員が青い服を着ているように見え、私は一瞬、第一次大戦中に私が入院していた陸軍病院で着ていたのと同じ服だと思った。
そのうち私の視力が良くなってくると、その青色は実に薄い霧状のもので、それが一人一人を包んでおり、皆それぞれの普段着を着ていることが分かった。全員が年の頃23歳程に見え、肌の色と目の色の完璧な鮮明さは息を呑む程だった。実に美しかった。
私はもしかしたら自分は単に霊視しているにすぎないのかも知れないと思って辺りを見回すと、もう一人の青年がすぐ側に立っているのが分かった。笑顔を浮かべており、その人のオーラから友愛の情を感じ取ることが出来た。
そして、これは霊視しているのではなく、私も同じ霊的次元にいること、従って私は今は霊的身体に宿っているに相違ないと思った。そう思うとわくわくしてきて、その状態で霊的なことをもっと知りたいという願望が最高潮に達してきた。霊に触ったら『固い』のだろうか。霊が自分の身体に触ったらどうだろうか。そんなことを知りたいと思ったが、果たしてどうすればよかろうか。
まさかその青年達のところへ近づいて触ってみるのは失礼であろう。そこで私は一計を案じた。私のすぐ側に立っている霊の後ろをわざと身体に触れるように歩いて『あ、すみません』と、さりげなく言えばいいと思った。そして早速行動に移り、その霊に触れようとした瞬間、その霊の方が私の両手を捕まえて大声で笑い出した。私もつられて笑い出した。と言うのは、二人のオーラが交錯してお互いの心で考えていることが分かったからである。
これが事実上、霊界の事情についての勉強の始まりであった。同じ次元ないし同じ波長の状態にあればお互いに『固い』と感じられること、心に思ったことが本を読むように読み取れるということがまず分かった。
二人で笑っているうちに私は自分の身体が後退していくような感じを覚え始めた。私の気持ちは行きたくなかった。楽しかったからである。が身体の方が自分以外の力(背後霊)で肉体の方へ引き戻されているなと感じて、私は抵抗せずに成り行きにまかせた。その動きは穏やかで優しかった。しかも、実に自然に思えたのである。思うにこれは私と背後霊団との関係の親和性のせいであろう。動きが止まっている感じのまま何の感覚もなしに肉体の中へ入った。それから徐々に体重と寝具の軽い圧迫感を感じ始めた。
その体験を思い返しながら部屋の暗闇を見つめているうちに、私の真上に、美しいデザインをした大きな黄金の線条細工が現れた。それは暫くの間その位置に留まっていて、やがて薄れながら消滅していった。
その線条細工は天井全体を覆う程の大きさで、これは体験が上手くいった時の、言わば成功のシンボルだった。と言うのは、その後の霊界旅行の度に、上手くいった時は必ずそれが現れたからである。シンボルは白い大理石に彫られた浅浮き彫りであることがよくあった。私はそれをしみじみと観賞し、これは霊界で技術を磨きあげたかつての大彫刻家が彫ったのではなかろうかと考えたりした。
遊離状態から戻ってきて暫くは、その間の霊的感覚が残っていて霊視能力が非常に強烈である。その為、肉体に戻ってからは、そのデザインが暗闇の中でも肉眼で鮮明に見えたのである。
それが消えたすぐ後、もう私は、これから先さらにどんなものが見られるかと楽しみで仕方がなく、時にはその晩もう一度旅行出来ないものかと思ったりした。が、間もなく普段の眠りに落ちていた。その最初の霊界旅行は、短さのせいでもあるが、私が肉体から離れて一時間、すなわち幽体離脱ないし体外遊離現象の最初から終わりまで完全に通常意識を維持出来た唯一の体験である。
第4節 二度目の体験
それ以後、私は毎晩のように床に入ってから受け身の精神状態になるように努めた。すると数日後に身体が静かに浮き上がるのを感じた。今度は、どうなるのだろうかという不安の念は起きなかった。既に一度体験がある。私は楽しい期待をもって次の変化を待った。今回は振動は起きなかった。多分、背後霊が身体からの反応を遮断するコツをマスターしてくれたのだろうと考えた。
上昇する感じはなおも続き、次第にスピードを増していき、ついに意識が維持出来なくなった。そして次に意識が戻った時は白い石段を上がりつつあった。私のすぐ右を十歳前後の少女が一緒に歩いており、その子の右肩に私の右手を置いている。
そうした周りの状況が意識されると同時に私は、妻はどうしているのだろうという考えがふと湧いた。すると、まるで受話器を耳に当てて聞いているような響きで妻が『私は大丈夫よ、フレッド。後でお会いしましょうね』という声がした。その瞬間私は何かの本で読んだ『霊的には本当の別れはない』という言葉が事実であることを理解して、それまでの懐疑の念が拭い去られた。多分テレパシーのようなものだったのであろう。
その頃はもう私は自分の置かれている情況に注意を向ける余裕が出来ていた。少女のオーラと接触するのは楽しい体験で、私は子供らしい屈託のない愉快な気持ちを感じ取ったが、同時にその少女にはもっと年上の子供のもつ落ち着きと成熟度も具わっているように思えた。二人が石段の一番上まで来た時、私はその少女の肩を抱きしめて、骨格があるかどうかを確かめてみた。なんと、ちゃんと骨格があったのである! 当時の私は霊的なことに全く無知だったのである。
石段を上がり切るとホールになっていた。二人で中へ入ると、そこは最近他界したばかりの者――多分身体上の病気が原因で――が霊界生活での意識に十分目覚めるまで養生するところであるような感じを受けた。ホール一杯にそういう人がいて、その一人一人に縁故のある人やヘルパーが付き添い、意識が回復するのを根気良く待ちながら介抱している。中をぐるっと回ってみた感じでは、まるで午睡を楽しんでいる人達みたいで、目をうっすらと開けている者もいた。
ホールの一番奥まで来て私は黒のコートと縞のズボンの、がっちりとした体格の男性の前で足を止めた。するとその男はゆっくりと目を開けて私を見つめた。その時である。その男の背後にオルガンの鍵盤が現れ、はっきりした形体を整えた後、すぐまた消えていった。私はその半睡状態の人間から強い想念体が出たことにびっくりした。そして多分この男性は地上でオルガン奏者で、オルガンが最大の関心事だったのだと推測した。
その位置からずっと先に身体が奇妙な動きをしている女性がいた。あたかも水面に映った映像が波で歪むように、形体が変化しているのである。見ていて私は気味が悪くなって、少女と一緒にその側を急いで通り過ぎた。しかし実際は少しも心配するには及ばなかった。本人はとても穏やかな心の持ち主だったのである。
その近くの通路を通って私達二人は控え室に入った。そこは照明も明るく、ヘルパー達が大勢いた。すると私の前に一人の若者が連れてこられた。私はすぐにそれが22年前にガリポリ半島で戦死した戦友の一人であることが分かった。顔は青ざめ、やつれ果て、目を閉じたままだった。私には何をしろというのか分からなかったが、ともかくその男を私に合わせることで(彼を目覚めさせる上で)何かの手がかりが得られるのではないかとの期待があったものと思われる。残念ながらその思惑は外れた。故意なのか、それとも不可能だったのかは知らないが、彼は目を閉じたままだった。
二人は控え室を出て再びホールに入った。が、すぐにホールを出て例の白い石段を下りていった。私のいつもの癖で、下りながら一段一段足下に注意していて始めて気づいたのは、その女の子が素足だったことである。長いドレスを着ていたので、それまで気づかなかったのである。私が驚いて
「オヤ、何もはいてないじゃないの!」と言うと
「いいの」と言う。
「いいことはないよ。何かはかなきゃ」と私が言うと彼女はうろたえた表情で
「いいえ、これでいいの」と繰り返して言った。
次の瞬間私は自分がいけないことをしたことに気づいた。と言うのは、地上的感覚で言えば大した問題ではないにしても、そのことが私とその子との間の思念の衝突を生んだのである。思念が全てである霊の世界においては、それは避けられないことだった。
階段を下り切ってから私はそろそろ今回の霊界探訪も終わりに近いことを感じ取った。私は女の子に地上ではどこに住んでいたかを尋ねると、カナダのオンタリオだという。それを尋ねたのは、その子が私の家系と関係のある子かどうかを知りたかったからである。その直後からその子はスタスタと私から離れていき、反対に私はそのシーンから後退して肉体の方へ戻っていった。
いつもそうであるが、肉体に戻る時は、意識は残っていても霊視力は消えており、従ってその途中は何も見えていない。が私は安心して受け身の気持ちを保ち、辺りで背後霊が立ち働いているのを穏やかに、そして心地よく感じ取っていた。やがて私の動きが止まり、少しの間じっとしていた。するとベッドに横たわっている身体の感覚が徐々に戻ってきて、それと共に、それまでの体験が一気に思い出させてきた。
もっとも、それで全てが終了したわけではない。例によって天井一杯に黄金のデザインが現れたのである。その日はことの他美しく見えた。私は心の中で背後霊の心遣いに感謝した。背後霊はかなりの数ではないかと推測した。というのは、離脱のタイミングといい、少女が案内してくれたホールでの用意周到さといい、一人の仕業とは思えなかったのである。
その時になって私はヘルパーの控え室に連れて来られた戦友に何もしてあげられなかったことを残念に思った。名前まで覚えていたのである。が、あの状態はそう永く続くものではないという確信がある。というのは、辺りの様子がとてもいい感じだったし、部屋の証明が輝きに満ちていたからである。
この二度目の長い旅行は申し分ないもので、上手くまとまっていたので、心の奥の高揚感と感謝の気持ちが終日消えなかった。ただ一つ妻のことが気がかりで、私は霊界の生活について実感をもって知りたい気持ちが残っていた。それまで心霊書で色々と読み交霊会に出席して霊言でも聞かされてはいたが、矛盾したところや曖昧なところがあった。
私にとってこの就寝時刻が一日のうちで一番大切な部分を占めることになった。
第5節 霊的法則を知らなかった為の失敗
期待を込めて床に着きながら何事もないまま数日が過ぎた。そしてやっと三回目の霊界旅行を体験することになった。
この時は同じように受け身の姿勢を保っていたが、屋根と樹木の薄ぼけた輪郭が私の身体の下を通り抜けていくのを見ているような感じだった。そこで私は意志を働かせてその映像から注意を外させた。私の考えではそれは地上的映像であり、それに気を取られるということは地上へ意識を戻すことであり、霊界旅行の妨げになると思ったのである。私にしてみれば、たった一度の旅行でも無駄にしたくないという気持ちだった――それほど興味津々だったのである。
間もなく動作の感覚が消えた。辺りを見渡すと、私の目に映った限りではたった一人きりで明るい片田舎に立っていた。
そこへ突然妻が近づいてくるのが目に入った。三十メートル程先である。私に見覚えのある足取りで笑顔を浮かべながら近づいて来る。その時の私の気持ちは『ああ、やっと再会出来た』という思いで一杯だったと述べる以外に言い表しようがない。その時の光景はそれまで何度か霊視していたものより遥かに鮮明だった。妻は自宅に置いてある肖像写真と同じコートと思えるものを着ていた。
その写真のことを思ったことが間違いの発端だった。いつもそれを眺めては心に抱いていた哀惜の念が湧いたのである。すると突然私はそのシーンから後退し、薄い闇の中を肉体へ向けてぐんぐん引っ張られていくのを感じた。
その瞬間、私は間違ったことをしたことに気づいた。ベッドに戻ってから、肉体の感覚の中で私は残念無念に思った。が私が一方的に悪いのである。哀惜の念は地上的無知の産物である。つまり死を永遠の別れとして悲しむ情である。それは真実を完全に無視した情であり、霊的法則に反し、波長を下げることになる。
私はまだ霊界の住民ではない以上、その低い波長は肉体には適切である。結局私は地上に生活するような具合に無知のままで霊界に暮らすことは許されなかったのである。間違ったことをして一体どうして神の法則に特別の計らいを期待出来ようか。果たせるかな、その夜は天井に例の成功のシンボルは見られなかった。