第21章 霊界でも祝うクリスマスとイースター
〔一年に二度、クリスマスとイースターの時期に、他の大勢の指導霊とともにシルバーバーチは霊界の内奥で催される大審議会に出席し、それまでの計画の進捗具合が報告され、それに基づいて次の計画が立てられ、助言と共にそれが言い渡される場に立ち会う。そうした審議会の最高責任者が地上で「ナザレのイエス」と呼ばれた人物で、そのイエスから霊的エネルギーとインスピレーションを賜った指導霊たちは、心身ともに新生して地上圏へ戻ってくるという。その時の様子をシルバーバーチがこう語る――〕

その時のイエスの愛情あふれるお言葉――それまでに私たちが成し遂げた成果についての評価を披露され、新たなる力、新たなる希望、新たなるビジョンをもって新たなる目標に向かって突き進むように、と励ましてくださる時のあの温かい愛を、皆さんにも感じさせてあげたいのですが、それが出来ないのが残念です。教会が説く神格化されたイエス・キリストではありません。多くの有志を通して地球浄化の大事業に勤しんでおられる、一人の偉大なる霊です。

その界層は実は私の本来の所属界です。私は、僅かな間とはいえ、その界に戻って活性あふれる霊力の素晴らしさと美しさに触れ、高級界においてのみ可能な生命の実感を味わうことが出来るのです。こんなことを申し上げる私に、自惚れの気持など微塵(みじん)もありません。

たとえ世界中の名画や霊感的作品、物質界のありとあらゆる美術品、さらには自然界の神秘的な美を集めて壮大な美の祭典を繰り広げてみても、それは高遠の世界の美しさに比ベれば、お粗末な模作程度のものでしかありません。

例えば画家がそうした上層界からのインスピレーションに触れたとしましょう。すぐに描きたい衝動に駆られることでしょうが、手持ちの絵の具では種類が足りないことを知ります。何とか混ぜ合わせて、魂で見た色彩を創り出そうとしますが、それも不可能であることを悟ります。霊的な真理や美しさは物的な表現を超えたものだからです。

霊的な喜悦がいかなるものであるかを、どうして地上の言語で説明できましょう? 叡智と理解力、慈悲心と優しさに満ちた上層界のスピリットたち、こちらから伝える前にすベてを読み取ってしまう直観力を具えたスピリットたち、我々の心の奥の奥の思いまで洞察しているスピリットたち、精神の働き、成功と失敗まで知悉(ちしつ)しているスピリットたち、目も眩まんばかりの光輝を放っているそうしたスピリットたちと共に一堂に会した時の喜びを、どうして言語などで説明できましょう?

地上には、そうした魂の体験を叙述する言語がありません。その集会では来し方の数ヵ月間の成果が復習され、新たな計画が作成され、指導霊の一人一人に役割が与えられます。その上で各自が激励の言葉を賜り、再び各自の使命の地へと赴きます。今こうして私は皆さんの協力を得ながら、持てる霊力を駆使して、地上人類を少しでも大霊の御心に近づけるべく努力しているところです。

質疑応答
――その集会に出席される時は地理的な意味で地球を「離れる」のでしょうか、それともバイブレーションを別の次元に変えるのでしょうか。

私が地球圏を去る時は引力との関係が無くなり、地球圏のバイブレーションとも縁が無くなります。こうして話をしている時の私はダブルを使っているのですが、地球を離れる時はそれを脱いで霊体を使用します。その霊体は、こうして語っている間は、言うなればダブルを隠れ蓑(みの)として奥にしまい込んであります。

脱ぎ捨てたダブルは(次に使用するまで)組織が分解しないように私の意識の一部を残して(活性を保たせて)おきますが、本来の私の自我は内奥へ内奥へと次元を高めて、霊的意識を取り戻して行きます。そのためには時間が要ります。地球のバイブレーションから脱するのに時間を掛ければ掛けるほど、戻って行く界層での私の自我意識の次元が高くなるのです。

しかし、いくら頑張ってみても、最初にこの仕事をうけたまわって地球圏ヘ下降してくる以前の意識レベルまで到達したことは、それまで一度もありません。何年も掛かったものを二、三日で取り戻せるはずはありません。

――本来の意識レベルを意図的に下げるというのは大変な犠牲を強いられることでしょう?

おっしゃる通りです。それは、しかし、物質界で頑張っているあなた方のために喜んで支払っている代償です。

――犠牲の中でも最大といって良いほどのものであるに相違ありません。

確かにそうですが、真理に飢えている人がこれほど多いのですから、私は喜んで持てるものを分け与える覚悟です。

想像してみていただけますか。さきに私は地上世界を「お粗末な模作ていど」と申し上げましたが、私の本来の住処である光輝に溢れた世界、絵画も建造物も詩歌も音楽も完全の域に達し、自然界の美しさも可能な限りの調和の域に達し、しかも交わる人々は趣味も性分も相通じる人ばかりという世界から、暗くて陰鬱なこの地上界へと降りてくるのです。そのために私が犠牲にするものがいかほどのものか、およそお分かりいただけるでしょう。

こんなことを私は自惚れて言っているのではありません。僅かな人々でもよい、安らぎと慰めと希望を与えてあげることが出来れば、私は喜んで持てるものをお分けする気持でおります。

――指導霊の大集会をなぜクリスマスとイースターに催すのでしょうか。ナザレのイエスと何か関係があるのでしょうか。

クリスマスとイースターはイエスが地上へ降誕する以前から霊界で祝われております。バイブルで語られている物語とは何の関係もありません。いずれお分かりになる日も来ると思いますが、地球は「リズム」、つまり進歩の法則の一環である「循環」によって支配されております。それは一定のリズムをもって働いており、地上のあらゆる民族の歴史の中のどこかで顕著となり、人々がそれに気づきます。

私が地上にいた頃、インディアンの民族が大切にしていた祭りが二つありました。それをクリスチャンが自分たちのものとして、今イースターとクリスマスと呼んで祝っているわけです。が、その趣旨は異なります。

インディアンはその二つの時期を大霊との最高の交わりが得られる時期であると直感していました。太陽の影響力が最も盛んな時期で、あなた方(西洋人)にはそれは理解できないことでしょう。その時期に何日にもわたって今日でいう「セイアンス」(交霊会)を開催し、大霊からのインスピレーションをふんだんに受けました。

そうしたわけで私たちインディアンは、地上時代に重要視した時期が巡ってくると、仲間たちで集合して祝うのです。もともと太陽崇拝から始まったものですが、太陽はシンボルに過ぎません。生命あるものは小さい物体から天体に至るまで、すべてが互いに影響し合っております。

全ては自然法則に基づいているのです。クリスマスは太陽の誕生を意味するのですが、それは影響力が格別に強くなるということで、新しい時代の始まりを象徴しています。即ち、さきに述べたサイクルの終わりでもあり新しいサイクルの始まりでもあるのです。大集会がその時期に催されるのは、指導霊の全てがかつて地上で自然法則を基本にした宗教をもつ民族に属していたという点で相通じているからです。

クリスマスもイースターもかつては地上世界で催されていたということから霊界でもこの時期を選んでいるのですが、新しい生命の誕生を祝うという目的はいつしか消えて、今では物質界から一時的に撤退して次の仕事のための新たな霊力を授かるという目的のために使用しています。

――それにはどういう人たちが参加するのでしょうか。

主として現在の民族より以前の民族に属していたインディアンと(スピリチュアリズムの)指導霊たちです。現在の西洋世界はそれらの民族に比べて新しく、その世界の人たちにとっては、私たちの祝いは無意味です。

イースターは全生命の復活を祝う時期です。即ち地上世界が悲劇と痛みと悲しみと苦難から脱して生き甲斐ある人生に蘇るようにとの祈りに、全世界の代表が参加する時期です。

地上世界は今こそその蘇りを大いに必要としています。が、大霊の子等が道具となって使用されるその数が増え、物質第一主義の勢力が撤退するにつれて、ゆっくりではありますが霊的摂理が正しく活用されるようになりつつあります。

私が本来の所属界ヘ戻る時は、他の多くの指導霊といっしょに参ります。そして、短い期間ではありますが、あなた方地上人類の限られた能力では理解できない、霊的生活の愉しみを味わい、愛の絆で結ばれた先輩たちのお顔を拝し、その深い叡智を吸収し、申しつけられていた計画がどこまで進捗し、どこがうまく行っていないかを指摘され、これからも果てしなく続く善と悪との闘いのために用意してくださった計画を申し渡されます。

こうして私たちは、地球圏で働く仲間とともに高級霊からの激励をたまわり、自分が役に立つことの喜びに満たされて再びこの地上界へと舞い戻り、こうして皆さんとともに少しでも多くの霊力を地上界へもたらすべく活動するのです。

出来ることならその集会へあなた方もいっしょにお連れして、地上界のために働いている指導霊たちの顔ぶれをご覧に入れたいものです。その全身を包む光輝、大霊によって選ばれた指導霊がどういう霊であるかを知っていただきたいのです。しかし、もしかしたら、そのあまりの威厳にただただ畏れおののくばかりかも知れません。その地上時代の姓名も知らずにおいた方がいいかも知れません。

それよりも、こうして地上にもたらす仕事の中身で私たちを裁いていただく方が良いでしょう。が、私がこのサークルの皆さんに一度でいいからお見せしたいと思うのは、イエスを中心として開かれるその審議会の壮大さです。地球人類のために私たちがどこまでうまくやっているかを知るために、その審議会に集結するのです。

――霊界での祝日としてなぜ地上のイースターを選んだのでしょうか。

私たちが地上のイースターを選んだのではありません。あなた方が私たちのイースターを選んだのです。

――昔は地上全体で同時に催されていたのでしょうか。

インディアン社会の全民族においては同時に祝っていました。その後キリスト教という組織宗教が発生して、太古の自然宗教が用いていたシンボルを採り入れて行きました。全ての宗教の根幹にそれがあることを知ったからです。

――現在でも霊界においては、インディアン社会だけでなく他の全宗教においても、イースターを祝うのでしょうか。

霊界の全界層においてイースターが催されています。地上でクリスチャンだった者は、例の墓場から蘇ったイエスを祝います。そのイエスよりずっと前の時代に地上生活を送った私たちは、その時代の自然宗教のシンボルとしてのイースターを、霊界での大々的な記念祭として祝います。その機会に、それまで明らかにされていなかった叡智を授かります。私たちより霊格の高い指導霊から教えを受けると同時に、同等の仲間と知識を分け合います。

第22章 シルバーバーチ、子供と語る
〔本章では、これまで見せなかったシルバーバーチの意外な一面を紹介しよう。読者にとって、これまでのシルバーバーチは教えを説く霊、慰めと勇気を与えてくれる霊、そして人工のドグマに対して容赦のない批判を浴びせる霊といった印象が強いであろう。本章では二人の子供を相手に語る、優しくて無邪気な側面を見せている。まずシルバーバーチが開会の祈り(インボケーション)から始める。例の大審議会が催されるクリスマスも間近い頃のことだった〕

「あゝ、大霊よ。どうか私どもが童子のごとき素直な心であなたに近づき、愛と叡智に溢れる親へのまったき信頼心をもつ者にのみ啓示される霊的真理を学ぶことができますように。あなたが完全なる叡智と愛と優しさの権化であるとの信仰のもとに、何一つ恐れることなく近づくことが出来ますように」

そう祈ってから、八歳になる姉のルースと、六歳になる弟のポールを左右の膝の上(もちろん見た目にはバーバネルの膝の上)に座らせて、二人の顔に自分の顔をすり寄せながら、こう語った。

「今日はお二人のために本物の妖精を何人か連れてきましたよ。今夜はその妖精たちがお二人が寝ている間もずっと見守ることになっています。今夜はあなた方にもその姿が見えるようにしてあげましょうね。絵本に描かれている妖精ではありません。妖精の国からやって来た本物の妖精ですよ。今夜は大人たち(サークルのメンバー)とは話をしないことにします。この部屋には二人以外は誰もいないことにして会を進めるつもりです。私はよくお二人と遊びにやって来ているのですよ。ウィグワムまで持ってきて……」

ポール「ウィグワムって何ですか」

「テントのことです。私がインディアンとしてこの地球上で生活した時は、ウィグワムの中で暮らしていました」

ルース「シルバーバーチさんはきれいなお声をしてますね。とてもはっきり聞こえます」

「これは私自身の声ですよ。この霊媒の声ではありません。特別に(声帯を)こしらえるのです」

ルース「霊界ではどのようにして話し合うのですか」

「こちらでは話すということはしません。お互いが思ったことに翼をつけて送るのです。あっという間に空間を飛んで行きます。返事も同じようにして届けられますから、言葉は要らないのです。心の中に美しい絵を描いて、それを送ることも出来ます。樹木、花、小鳥、小川、その他地上には無いものも沢山あります。欲しいものはすぐさま作ることが出来ます。必要なものは何でも作れます」

続いてルースは、普通だったら苦しみながら死んで行くはずだったのにシルバーバーチとその霊団のお蔭で安らかに息を引き取った隣人の話を持ち出して、霊界でも面倒を見てあげて欲しいといった趣旨のことを述べた。さらにルースは、後に遺された二人の子供のことも大霊が面倒を見てくれるよう祈っていると述べた。するとシルバーバーチが、二人のことはちゃんと面倒を見ているし、これからも見ていきますと答えた。

ポール「(亡くなった)あの人はシルバーバーチさんのような立派な霊になれるでしょうか」

「それは、なれるでしょう。時間が掛かりますけどね。二、三百年くらいかな」

ルース「ずいぶん掛かるんですね」

「そんなに長く感じますか。慣れれば長く感じなくなりますよ」

ルース「シルバーバーチさんは生まれて何年になるのですか」

「そろそろ三千年になります。でも、まだまだ若いですよ」

ルース「三千歳は若いとは言えないなあ。死んだらみんな霊になるのですか」

「人間は大きな霊に成長しつつある小さな霊なのです」

ポール「でも、僕たちはシルバーバーチさんと同じではないでしょう?」

「私も僕たちもみんな大霊の子であるという点では同じですよ。大霊の小さな一部分です。それがみんな繋がっているのですから、私たちは一つの家族ということになります」

ポール「するとゴッドというのはすごく大きいでしょうね?」

「この広い世界と同じくらい大きいですよ。しかも僕たちの目には見えないところも沢山あるのです」

ポール「ゴッドが大霊をこしらえたのですか」

「そうではありません。ゴッドが大霊なのです。いつどこにでも存在するのです」

ルース「この地球を訪れることもあるのですか」

「ありますとも。赤ちゃんが生まれるたびに訪れています。自分の一部をその赤ちゃんに宿しているのです」

続けて子供たちが、霊の存在を信じていて良かったと思うと言うと、死んでこちらの世界へ来た人たちに守られているお二人は本当に幸せです、とシルバーバーチが言う。

ルース「そちらの世界は地球よりも広いのですか」

「ええ、広いですとも。ずっと、ずっと広くて、しかも、そちらにないものが沢山あります。美しい色、素晴しい音楽、大きな樹木、花、小鳥、動物、何でもあります」

ポール「動物もいるのですか」

「いますとも。でも怖くはありませんよ」

ポール「殺して食べるようなことはしないでしょうね?」

「どんな生き物も決して殺したりなんかしません」

ポール「おなかはすかないのですか」

「全然すきません。あたりに生命があふれていて、疲れを感じたら生命を吸い込めばいいのです。ポールくんは夜ベッドに横になって深呼吸しますね。あの時ポールくんは生命も吸い込んでいるのです」

それから二人は、霊界での生活の記憶がないことを口にし、これはこの地上生活が最初だからではないかという意見を述べた。それからルースが尋ねた。

ルース「人間は何回くらい生まれ変わるのですか」

「ネコと同じくらいですよ。ネコは九回生まれ変わると言われているのは知ってるでしょ?」

ポール「ネコはそのあと何かほかのものに生まれ変わるのですか」

「いいえ、ネコはネコのままです。ですが、ずっときれいなネコになります。ポールくんのような人間の子供も、地上での生活が長いほど霊界へ来た時にきれいになっているのです。霊界というところは醜さも、残酷さも、暗さも、怖いこともない世界です。いつも晴天の国、と言えるでしょう」

ここでポールは「いつも晴天」ということは雨が降らないということになるので、地上だったらみんな死んでしまうと言った。するとシルバーバーチが――

「ポールくんの住んでる地球がすべてではありませんよ。地球は小さな世界で、生命が永遠の旅に出かける出発点にすぎません。ほかにも生命が生活する世界は沢山あります。恒星の世界にも惑星の世界にも、大霊の子が生活している天体はいくらでもあります」

これを聞いてルースが、八歳にしては博学なところを見せて大人たちを驚かせた。

「(週刊紙の)サイキック・ニューズでは『世界は一つ』と言っています」(バーバネルが毎週書いている巻頭の記事のタイトル)

「その通りですよ。ですが、宇宙には数え切れないほどの生命が数え切れないほどの天体で生活していることを知らないといけません。しかも、みんな大霊の子ですから、その意味で一つですし、みんなの中に大霊がいることになるのです」

ルース「こんなにお話をして疲れませんか」

「いえ、いえ、まだまだ話せますよ」

ルース「あたしにも霊の目があるのなら、いつから見えるようになるのでしょうか」

「霊の目もありますし、耳もありますし、手も指も脚もあります。もう一つの身体、つまり霊の身体があるのです。今でも実際には霊の目で見ることは出来るのです。ただ、その物的身体の中にいる限りは、霊の目で見たものを意識できないのです。でも、少しずつ意識できるようになります」

ルース「あたしの霊の目は大きくなるでしょうか」

「大きい小さいは関係ありません。霊の目は遠い遠い先まで見えますよ」

ポール「地球の果てまで見えるのでしょうか」

「望遠鏡みたいなものです。遠くにある物がすぐ近くに見えるのです」

続いてポールが急に話題を変えて尋ねた――

「また戦争が起きるのでしょうか」

「小さい戦争ならいつもどこかで起きています。でも、ポールくんはそんなことを心配する必要はありません。平和のことだけを思い、その思いをその小さな胸の中から広い世界へと送り出すのです。すると世界中の人がそれに触れて平和への願いをふくらませ、それが戦争を遠くヘ押しやることになるのです」

ルース「シルバーバーチさんときちんと会えるようになるのはいつでしょうか」

「もう少し時間が掛かりますね。今でもよく会っているのですよ。それを覚えていないだけです。お二人が寝入ると、私はお二人の霊の手を取って霊界へ連れて行くことがあります。その身体はベッドに横になったまま、お二人は霊界で素敵な冒険をします。が、その身体に戻ると、そのことが思い出せないのです。変な夢をみたなあ、と思うだけです」

ルース「どこへ行っていたのかも分かりませんけど……」

ポール「夢も見ない時があります」

「本当は見てるんだけど、思い出せないのです」

ルース「シルバーバーチさんも霊界へ帰ると、地上の体験は忘れるのですか」

「そうね、霊界に長くいるほど思い出せなくなります」

ポールがまた話題を変えて言う――

「人間はなぜ動物を殺すのか分かりません」

「それは、殺すことはいけないことだということが、まだ分からないからです」

ルース「殺して食べるために飼っている人がいます」

「動物を食べなくても生きて行けるようにならないといけません」

ポール「殺して食べるというのは残酷です」

「どんな生き物でも殺すということは間違いです。決して殺してはいけません」

ルース「霊界というのは素敵なところなのでしょうね」

「それはそれは素敵なところですよ。醜いものや暗いところや惨めなことが全くないところです。美しいもの、輝くようなものばかりです」

ここでルースが改めてシルバーバーチの声が素敵だと言うと、ポールも相づちを打つように、ちょっと珍しい感じがすると言う。さらに二人が、みんな声が違うのはいいことで、もし同じだったら面白くないよ、などと語り合っていると、シルバーバーチが割って入って、みんな違うようでいて、大霊の子という点ではみんな同じですと言い、ただ、小さな身体に大きな霊を宿している人がいるかと思うと、大きな身体に小さな霊を宿している人がいたりしますと言った。

それを聞いてすかさずポールが、霊界にも小びとがいるかどうか尋ねると、そういうものはいない――地上で小びとだった者も霊界へ来ると普通の大きさになる、との返事だった。

替わってルースが、指導霊というのはみんな同じでシルバーバーチさんみたいな人ばかりなのかと尋ねた。するとシルバーバーチが二人に少し離れたところから見ていなさい、と言う。そこで二人が離れて立ってシルバーバーチの顔を見ていると、その顔が次第に変形して、普段のバーバネルとまったく違う容貌になった。面長で、あごが尖っていた。その間、ルースの目にその顔から光が射すのが見えたという。

その現象が終わって二人が再びシルバーバーチの膝に座ると、いつもははにかみやのポールが頬をすり寄せて甘えるしぐさをした。するとシルバーバーチがしみじみと言う――

「大霊というのは今のぼくと私の間にある心――愛に満ちた方なのですよ」

するとルースが「一生涯、霊が存在することを信じ続けようと思うわ」と言う。

「信じ続けられますよ、きっと」とシルバーバーチが言う。

ポールが最初に出た妖精の話題を持ち出して尋ねる。

「今日シルバーバーチさんが連れてきた妖精はみんな同じ色をしているのですか」

「いえ、緑色をしたのもいれば青色をしたのもいます。それから、お二人が見たこともない色をしたのもいます。今夜ベッドに入ってから見えるかどうか試してごらんなさい。今夜はお二人が寝ている間じゅういっしょにいてくれますよ。守ってあげるように言ってありますから……」

そう言ってから、もうすぐ開催される天界での大審議会の話を持ち出して、こう述べた。

「お別れする前に言っておきたいことがあります。もうすぐ私はこの地球を離れて、天界で開かれる大きな集会に出席します。そこには世界中でこうした交霊会で私と同じような仕事をしている指導霊が大勢集まります。そして一人一人、あのイエスと呼ばれている、子供の大好きな方からお言葉をかけられます」

そこまで語った時ポールが、その天界というのは空の高いところにあるのですかと尋ねた。

「そうではありません。ポールくんのすぐ身のまわりにあるのです。ただし望遠鏡でも肉眼でも見えませんけどね」

そう答えてからさっきの話に戻り、こう続けた――

「もうすぐ来るクリスマスの直前に私はこの地球を離れて天界に戻り、イエスさまに会うことになっています。その時私はイエスさまに、地球にはルースという女の子とポールという男の子の友達がいることを告げ、お二人の愛の心を伝えるつもりです。

霊媒を地上に残して出席した指導霊たちは、一段と霊格の高い霊団から仕事の進展具合についての報告と助言をたまわります。そうして得た新しい計画と叡智、そしてより大きな愛と信念と力を携えて地上ヘ戻ってまいります」

「叡智って何ですか」とポールが尋ねると、あたかもその質問をあらかじめ予知していたかのように、

「それは心で理解しているものですよ」と答えた。

偉大なる霊と二人の幼い子供との、自由闊達で微笑ましい対話を大人のメンバーが笑顔で聞いているうちに、その日の交霊会も終わりが近づいてきた。そこでシルバーバーチが二人の頭に手を置いて閉会の祈り(ベネディクション)を述べた。

「大霊の名において二人を祝福いたします。願わくは二人がこれからの人生の最後に至るまで、いま二人を天国にいさしめている無邪気さを失うことのなきよう祈ります。また、いま二人を取り巻いている霊力に今後とも素直に反応して大霊の良き道具となることが出来ますように」

これを聞いてルースが問う――

「天国って、どこにあるのですか」

「天国はね、人間が幸せな気持でいるときに、その人の心の中にあるのですよ」

ルース「じゃあ、悲しんでいるときは天国にいないわけだ」

「悲しむ必要なんかないでしょ? いつだって天国にいることが出来ます。私も、いつも二人の側にいて力になってあげますよ。もし悲しくなったら、私を呼びなさい。すぐに来て涙をふいてあげ、笑顔を取り戻させてあげましょう」

ルース「シルバーバーチさんて、本当に優しい方ですね」

このルースの言葉にシルバーバーチからの返事はなかった。すでに霊媒の身体を離れていたのである。

第23章 さまざまな疑問に答える
〔シルバーバーチの交霊会ではサイキック・ニューズ紙の編集部に寄せられた悩み事や質問が読み上げられて、それにシルバーバーチが答えるということが集中的に行われることがある。その中から幾つかを拾って紹介する〕

自殺の問題

〔まず最初は、愛する伴侶を失って悲嘆に暮れている女性から、いっそ死んでしまいたいという気持を綴った手紙が読み上げられ、司会者が代わって質問する〕

――この方のように最愛の伴侶に先立たれて生きる希望を失った人が、自ら命を断つということは許されるものでしょうか。

許されません。因果律という摂理の働きは完璧ですから、それに忠実に生きなければなりません。摂理というのは完全なる愛である大霊によって統制されており、全ての中に存在すると同時に全てのものを通して働いております。その働きに干渉する権利を有する者はいません。もしも干渉して自殺すれば、それなりの代償を支払わねばなりません。

例えば熟さないうちにもぎ取ったリンゴは美味しくないように、寿命をまっとうせずに無理やりに霊界へ行けば、長い調整期間の中でその代償を支払わねばならなくなります。その上、その伴侶はもとより、他の縁ある人々とも会えなくなります。(利己的な波動によって)周囲にミゾをこしらえてしまうからです。

〔この質疑応答は翌週のサイキック・ニューズ紙に掲載され、それを読んだ当の女性から次のような礼状が届いた〕

「司会をされた方がシルバーバーチ霊に礼を述ベてくださったかどうか存じませんが、こんなに早く、そしてこんなに明快に回答していただいたことに、どうか“後に遺された者”からの感謝の気持をお伝えねがえませんでしょうか。正直に申して、回答を読んだ時は暗たんたる気持になりましたが、今ではお言葉に従って、霊界からお呼びがかかるまで力の限り生き抜く覚悟を決めております」

安楽死は許されるか

〔安楽死についてはスピリチュアリズムの内部でも賛否両論がある。回復の見込みなしと診断された患者を苦痛から少しでも早く解放してあげるために安らかに死なせてあげることは許されるはずだという意見と、霊的治療によって奇跡的に回復する例がある以上は、それは無謀だという意見とがある。シルバーバーチにその是非をただしてみた〕

――回復の見込みのない患者を安楽死させる権利を医者に与えるべきだという意見がありますが、どう思われますか。

まず申し上げておきたいのは、全ての生命は大霊のものだということです。身体が衰えて霊がその身体から解放される時が到来すれば、自然の摂理に従って死を迎えます。

――それを医学的処置によって引き延ばすことは正しいことでしょうか。

間違ってはいません。

――たとえそれによって苦しみも長引かせることになってもでしょうか。

そうです。ただし、忘れてならないことが一つあります。死すべき時が来れば必ず死ぬということ、そして、地上界のいかなる手段をもってしても、その摂理だけは変えられないということです。

――安楽死させることでその患者の死後ないしは来世(次の地上生活)での苦難が大きくなるということはあるでしょうか。

そういうことはありません。霊的準備の出来ていない魂にショックを与え、それが悪影響を及ぼすのです。その悪影響から脱する過程で、もしそういう死に方をしなかったら不要だったはずの調整がいろいろと生ずるのです。

――人間には寿命を長引かせる力は具わっているのでしょうか。

そういう目的で努力する――それは間違ってはいません。ですが、霊が地上界を去る時期が来れば、為す術はありません。

――と言うことは、生き長らえさせるための努力は結局はムダに終わるということでしょうか。

そういうことです。その証拠に、あなたのおっしゃる医学的処置によって寿命を幾らかでも引き延ばすことは出来ても、結局はみんな死んで行くではありませんか。

――でも、少しの間でも生き長らえます。

患者の身体が反応すればのことです。例えば酸素吸入という方法があります。ですが、霊界へ行く準備が整えば、医師にも施す手段はありません。

――死期が決まっていて、魂に準備が整った時に霊界へ行くことになっているのであれば、なぜ人間の寿命が少しずつ延びているのでしょうか。

地上人類も進化しているからです。物的な要素が霊的なものを決定づけるのではありません。霊的な要素が物的なものを決定づけているのです。

産児制限(避妊)は是か非か

〔子供が出来ないようにする“避妊”と、母胎に宿った胎児を中絶する“堕胎”は別であるが、両者とも絶対に許されないことであろうか。何を基準に判断したらよいのであろうか〕

――霊界側では避妊をどう見ているのでしょうか。

人間には自由意志と善悪を判断する道義心(良心)が与えられています。避妊の問題も最後は「動機は何か」に帰着します。「なぜ避妊するのか」――これをじっくり反芻(はんすう)してみることです。大切なのは動機です。それ以外にはありません。

――生命の誕生を制限するということは摂理に反するのでしょうか。

一個の霊が一対の夫婦を通して生まれることになっていて、万一それが避妊によって阻止された場合は、避妊をしない夫婦を通して生まれてきます。摂理は絶対です。その者の霊的進化にとって新しい生命の誕生が不可欠である場合は、阻止しようとしても必ず生まれてきます。そのように望むようになるからです。

――ということは、かりに私のもとに子供が生まれてくる運命になっている時は、子供が欲しいと思うようになるということでしょうか。

そういうことです。あなたの進化の途上において新しい生命の誕生がもたらす影響を必要とする段階に達したからです。

――それは当然、次元の高い進化ということでしょうね?

次元の問題ではありません。明確にしておかねばならないのは、性的快楽のみを求め、子供は邪魔だという考えから避妊するのは、私は賛成しないということです。動機が下卑た利己主義だからです。

――生まれて来る子供にとっても良くないから、という考えはどうでしょうか。

それが動機ということにならないでしょうか。全てのことに動機が問われます。摂理はごまかせません。行為の一つ一つ、想念の一つ一つ、願望の一つ一つが、あなたの魂に刻み込まれるのです。霊の目には歴然と読み取れます。地上界でのそうした行為に関わる動機が、霊界では赤裸々にさらされるのです。

――霊は受胎後どの時点で胎児に宿るのでしょうか。

納得できない方が多いであろうことを承知の上で申し上げますが、精子と卵子とが結合してミニチュアの形で個体が出来上がった時から、その霊にとっての地上生活が始まります。

――知能に欠陥がある場合は地上生活がムダになってしまいます。その欠陥が遺伝的である場合には断種(不妊手術)ということが考えられますが、霊界側ではどう見ているのでしょうか。

私はもとより、宇宙のいかなる存在も、生命の原理を変えることは出来ません。一個の魂が物質界に誕生する段階が来ればかならず誕生します。なぜかとお聞きになるでしょう。そこで私は“再生”との絡み合いを説くのです。それが理由です。

動物ヘの虐待行為

〔摂理を侵しておいて「知らなかった」では済まされない。人間あるいは動物に無謀な痛みを与えることは摂理に反しており、いかなる言い訳をしてもその代償から逃れることは出来ない。以下は動物実験についての質疑応答である〕

――動物実験がますます増えておりますが、どう思われますか。これを中止させようと運動している団体もありますが、霊界からの援助もあるのでしょうか。

人のためになる仕事をしようと努力するとき、そこに必ず霊界からの援助があります。大霊の創造物に対して苦痛を与えることは、いかなる動機からにせよ許されません。ただ、動物実験をしている人の中には、人類のためという一途な気持から一生懸命のあまり、それが動物に苦痛を与えていることにまったく無神経な人がいることも忘れてはなりません。しかし、罪は罪です。

――でも、あなたは動機がいちばん大切であると何度もおっしゃっています。人類のためと思ってやっても罰を受けるのでしょうか。

動機はなるほど結構なことかも知れませんが、摂理を曲げるわけにはいきません。実験で動物が何らかの苦痛を受けていることが分からないはずはありません。それでもなお実験を強行するということは、それなりの責務を自覚しているものと見なされます。動機は人類のためということで結構ですが、それが動物に苦痛を与えているのです。そうした点を総合的に考慮した上で判断が下されます。いずれにせよ、私としては苦痛を与えるということには賛成できません。

――動物は人類のために地上に派遣されてきているのでしょうか。

そうです。同時に人類も動物を助けるために来ているのです。

――動物創造の唯一の目的が人類のためということではないと思うのですが。

それはそうです。人類のためということも含まれているということです。

――動物の生体解剖は動機が正しければ許されますか。

許されません。残酷な行為がどうして正当化されますか。苦痛を与え、悶え苦しませておいて、何が正義ですか。それは私たちの教えとまったく相容れません。無抵抗の動物を実験台にすることは間違いです。

――動物を実験材料とした研究からは、例えばガンの治療法は発見できないという考えは、その通りでしょうか。

摂理に反した方法からは正しい治療法は生まれません。人間の病気にはそれぞれに治療法が用意されています。しかしそれは、動物実験からは発見できません。

――そうした惨(むご)い実験を見ていながら、なぜ霊界から阻止していただけないのでしょうか。

宇宙が自然法則によって支配されているからです。

霊界からの指導の実際

〔シルバーバーチは自分のことはあまり言いたがらないが、自分と同じスピリチュアリズムに携わる指導霊一般については、いろいろと語ってくれている。その中から幾つか拾ってみた〕

――指導霊は世界中で働いているのでしょうか。

もちろんです。ですが、試行錯誤の末にどうにか継続しているというのが実状です。その原因は、せっかく目星をつけた霊能者がどこまでこちらの期待に応えてくれるかは、前もって判断できるとは限らないからです。最後の段階で堕落して使いものにならず、何十年にもわたる努力が水の泡となることがあります。ですが、物質界の至るところで、こちらからの反応に応えてくれる人間を見出して働きかけている霊が大勢います。

――人類の進歩のために働いているのでしょうか。

物質界の進歩のために役だつ仕事の背後には、それに拍車をかけて発展させようとする霊団がつきます。善を志向する努力が何の反応も得られないということは決してありません。人類を向上させたい、人類の役に立ちたい、大霊の子の不幸を軽減してあげたいと思う霊が待機しております。

――政治体制の異なる国々、例えば民主主義の国と独裁主義の国で働いている指導霊の関係はどうなっているのでしょうか。

あなた方は、本来は言葉を道具として使用すべきところを、逆に言葉の奴隷になっていることがよくあります。私たちは大霊の真理を、それが人間を通して顕現することを目的として説いているだけでして、どの国の誰といった区別は致しません。うまく行くこともあれば手こずることもありますが、手にした道具で最善を尽くすしかなく、その能力は千差万別です。その際、民主主義とか独裁主義といったラベルは眼中にありません。どれだけ役に立つかということだけです。

――その際、積極的な働きかけを受けている人物がそれに気づかないということがあるでしょうか。

大いにあります。その事実を知ってくれる方が、知らないままでいるよりも効果が上がります。

――霊力が出しやすくなるのでしょうか。

その人物とのコンタクトが親密になるのです。知らずにいるよりは知っている方が良いに決まっています。光が得られるというのに暗闇にいたがる人がいるでしょうか。泉があるのに、何ゆえに渇きを我慢するのでしょう?

――(シルバーバーチとバーバネルとの関係がそうであるように)指導霊が一人の霊媒の専属となっているケースが多いのはなぜかという質問をよく受けるのですが……

そういう質問を聞くと、私たちがこうして交霊会を催すに当たって駆使する複雑な方法や手段がいかに理解されていないかが分かります。この霊媒(バーバネル)を通して使命を果たすために私が何十年にもわたって準備したことは、ここにお出での皆さんはよくご存じのはずです。誰かの要望にお応えして別の霊媒を一から養成するなどという愚かなことは致しません。

――霊媒の中には能力を十分に発揮できずに、精神的ないしは神経的におかしくなっている人がいるのは、何が原因でしょうか。

身体と精神と霊の三つが調和して働いていないからです。

催眠術のメカニズムと危険性

――催眠術は研究の対象とするに値するものでしょうか。

術師が善意の人で、自分の能力を役立てたいという願望から発しているのであれば問題ないでしょう。催眠術というのは魂の隠れた能力のほんのうわべを軽くたたいている程度のものに過ぎません。

――その隠れた能力というのは何なのでしょう?

私のいう内在する大霊と同じものです。内部に潜む霊力を発揮すれば克服できない困難はないと申し上げている、その霊力です。これは、本来は日常生活での高潔な心がけと滅私の行いによって霊性を高めることで発揮すべきものです。俗に堕するほど、反応するバイブレーションも低くなります。反対に自己犠牲の要素が高まるほど、反応するバイブレーションも高まり、内部の神性が発揮されるようになります。

――その内部の神性というのは、それ自体が独立した思考と行動をする別個の存在でしょうか。

違います。今あなたがその物的身体を通して表現している精神の質によって条件づけられております。通常の地上生活を送っている場合のことです。それが催眠状態になると違ってきます。催眠術師はいわば看守のようなもので、牢のカギを開けて囚人を解き放つ役をしていると思えばよろしい。術師が正しい意図のもとにそうするのであれば神性を刺激することになるので、良いことをしていることになります。が、神性とは反対の獣性を刺激することもあり得ます。いずれにしても地上時代に発揮する意識は、死後に発揮していく大きな自我のほんの一部に過ぎないことを知っておいてください。

――そういうことを聞かされると、いささか不満の念を禁じ得ませんね。

そうでしょう。でも、不満に思うことは結構なことです。うぬぼれから生じる満足は進歩の敵です。

――霊媒能力を発達させる手段として催眠術を活用することは可能でしょうか。また、あなたはそれを奨められますか。

それは、これまでも試みられて来たことです。が、いったん指導霊が付くと地上の催眠術師の出番はなくなります。その種の力を霊媒が受けつけなくなります。その意味で霊媒現象には奨められません。最初から交霊会でスタートして徐々に霊力の影響を受けて行く方がよいと思います。

――催眠術を霊能発揮の近道とは見ておられないわけですね?

もちろんです。この道に“近道”はありません。これは霊とその能力に関わることです。それが今日の段階まで発達するのに何百万年も掛かっているのです。これまで地上世界に不幸が絶えないのは、霊的な側面を無視してきたからです。霊に関わることは慎重な養成とゆっくりとした成長が肝心です。

霊と魂

――人間の物的身体をコントロールしている魂はどこに位置しているのでしょうか。

どこそこにということは言えません。これが魂ですと言える性質のものではないのです。科学者は肉体を解剖すれば発見できるはずだとか、静脈を通って流れているに違いないとか、どこかの臓器から分泌されているのだろうなどと考えているようですが、魂は肉体のどこそこにあると言える性質のものではありません。

――でも肉体の内部にあることは間違いないでしょう?

魂は内部にあるとか外部にあるとか言える性質のものではありません。空間的な“場”をもつものではないのです。魂とは意識のことです。身体という“もの”に制約されるものではありません。無限の広がりをもつと同時に、進化の極地にまで存在するものです。霊的身体で遠隔の地にまで至る時、意識はどこにあるのでしょう? そう言うとあなた方は地上の距離感覚で想像なさることでしょうが、私たちにはそういう面倒がありません。魂に空間はありません。私たちの意識(魂)は意思のおもむくままに、どこででも機能します。

――「魂」(ソウル)と「霊」(スピリット)はどう違うのでしょうか。

私自身はどう呼ぶかはこだわりません。地上の字引は私がこしらえたわけではありません。私のいうソウルとは内部に潜在する大霊のことです。スピリットとはそれが顕現するための媒体です。が、用語は使う人によって別の意味に使われるものです。

――“顕現の媒体”という表現はさておいて、霊の本質は何なのでしょうか。

大霊、あなた方のいうゴッドの一部で、次々と身体(媒体)を替えながら、無限の向上を続けて行く存在です。それは媒体を通して顕現して初めて存在が知れるもので、顕現しない状態の霊について叙述することは不可能です。

――コンシャンス(良心・道義心)とは何でしょうか。

正しいことと間違ったこととを見分ける魂の感覚のことです。自分の霊的進化にとってどちらが好ましいかを計るバランス感覚と言ってもよろしい。魂の指針です。

オーラとは

――オーラとは何ですか。

オーラは身体が発するバイブレーションによって構成されています。一口にオーラと言っても種類が多いのですが、地上世界で知られているのは肉体と霊体が発するオーラです。厳密に言うとオーラを出していないものはありません。意識のない物体でも出しています。身体から出るオーラはその身体の状態を反映していますから、オーラもさまざまに変化しています。オーラが見え、その意味が読み取れる人は、その人物の秘密が全て分かるわけです。健康状態も分かりますし、魂の状態、精神の発達状態も分かります。魂の進化の程度も分かります。オーラが、開いた本のように、何もかも読み取らせてくれます。

またオーラにはあなたの言ったこと、思ったこと、行ったことが全て刻み込まれていますから、それが見える人にとっては、見かけのあなたではなくて、本当のあなたが分かるわけです。

――霊体のオーラも含まれているわけですね。

そうです。肉体のオーラは健康状態とか気性とか習性などに関連したものが多く出るということです。そうしたもの全てがそれなりの色彩を帯びています。

幽霊とは

――修道院の回廊を何者かが歩き回る音のする幽霊話がよくありますが、あれは何でしょうか。

幽霊話には霊のしわざによるものもありますが、今おっしゃったようなケースは、地球のエーテル層に刻み込まれた像が想念の波動を受けて一人歩きをしているものです。しかし、一般に幽霊が出たという場合は、いわゆる地縛霊のしわざです。

時間は実在するか

――時間は実在するのでしょうか、人工の産物でしょうか。

人工の産物ではありません。時間にも幾つもの次元があります。時計で計っているのは人間がこしらえたものですが、時間そのものは実在します。空間も実在です。ただ、人間が計る時間と空間は焦点が限られているので正確ではないというまでのことです。他の要素を採り入れるようになれば焦点が実在に近づきます。

知能障害と罪悪

――脳に障害があるために霊的自我の欲求とは正反対の行動に出ることがあり得ますか。

あり得ます。精神病患者の場合がそうです。が、この場合は魂の進化を阻害することはありません。機能障害のために物質界での表現が阻害されているだけです。魂の進化と、その地上生活での表現とは別であることを考慮しないといけません。

憑依の原因

――邪悪な人生を送った者が死後もまったく良心の呵責を感じないということがありますか。

よくあることです。何百年、時には何千年もの間そのままということが少なくありません。

――そういう霊が地上の人間に取り憑くということがありますか。

ありますが、両者の間に親和関係(因縁)がある場合に限られます。憑依現象というと一方的に霊の側に責任があるかに考えられがちですが、実際は地上の人間の方に原因があることを知らないといけません。憑依されるような条件を用意しているのは人間の方なのです。調和の取れた生活、正しい心がけと奉仕の精神にあふれた生活、我を張らず、欲張らず、独りよがりにならない生活を心掛けていれば、憑依現象は絶対に起きません。

植物に意識はあるか

――花などの植物一般にも意識があるのでしょうか。

ありますが、あなた方のいう意識とは違います。地上ではまだ知られていない種類のバイブレーションに反応する感覚をそなえています。霊感の鋭い人の中にはそのバイブレーションを偶然にキャッチして、花とか野菜などの植物に関して新しい分野を切り開いている人が少なくありません。

占星術は当てになるか

――占星術というのは当てになるのでしょうか。

宇宙間のあらゆる存在物は振動しており、その波動が絶え間なく外部へ向けて放たれています。その波動は何らかの影響力を持ち運んでおります。そうしたバイブレーションの働きにも法則がありますから、それを知ることは役に立つでしょう。

――霊的メッセージと占星術による予言との間に共通するものがありますが、何か関係があるからでしょうか。

真理の顕現の仕方は無限です。真理とは大霊のことだからです。ただ、それが顕現する媒体である人間の進化の程度によって違ってきます。真理の理解は純真で単純素朴な心境にならないと得られません。難解な用語や新しい造語で解説しなくてはならないものは真理ではありません。それは往々にして「無知の仮面」に過ぎないことがあります。