第1章 シルバーバーチの使命
〔高級霊団から使命を仰せつかったシルバーバーチが地上圏での活動の準備と開始に至るまでの経緯について語る〕

ずいぶん前の話になりますが、他の多くの指導霊と同じように私も、地上圏に降りて協力者の一団を集め、霊的メッセージを地上界へ届ける仕事を引き受けてくれないかとの懇請を受けた時、私はそれを使命としてお引き受けしました。

そのためにはメッセージを受け取ってくれる霊媒を探し出す必要があることも知らされました。そこで私は霊界の記録簿を調べ、この霊媒に白羽の矢を立てました。

それはこの霊媒がまだ母胎に宿る前の話です。私はその母胎に宿る一瞬を注意深く待ち、いよいよ宿って自我を発現し始めた瞬間――と言っても、まだほのかな明り程度のものに過ぎませんでしたが――から私なりの影響力を行使し、今日まで続いている一体関係がその時から始まったのです。

私はこの人間の霊とその小さな精神の形成に関与しました。誕生後も日常生活のあらゆる側面を細かく観察し、互いの一体関係を促進し、物の考え方や身体上の癖を呑み込むように努めました。つまり私はこの霊媒を霊と精神と肉体の三面から徹底的に研究したわけです。

次に私がしなければならなかったことは、この霊媒を霊的真理の理解へ向けて指導することでした。まず地上の宗教を数多く勉強させました。そして最終的には彼はそのいずれにも反発を覚えて、いわゆる無神論者になってしまいました。が、それはそれなりに当人の精神的開発にとって意味があったのです。これで霊言霊媒となるべき一通りの準備が整いました。

ある日私は、周到な準備のもとに初めて彼を交霊会へ出席させ、彼の口を使って私の意思を発言してみました。いかにもぎこちなく、内容もつまらないものでしたが、私にとっては実に意義深い体験だったのです。

その後は回を追うごとにコントロールがうまくなり、今ご覧の通りにまでなりました。今ではこの霊媒の潜在意識に邪魔されることなく、私の考えを百パーセント伝えることが出来ます。

さて、先ほど申した通り私はさる筋から使命を仰せつかったのですが、その時こう言われたのです。

「そのためには、あなたは物質界まで波動を下げなければならないし、また、適当な道具を見出してから、その霊媒と霊的に親近性のある人間を数名見出して、その霊媒を通してあなたがメッセージを語る場を用意しなくてはなりません」と。それがあなた方です。私がここへ陰からお誘いしたのです。

しかし、私が遭遇した困難の中で最大のものは、人間を納得させるような証拠――もちろん物的証拠であって霊的な証明ではありません。地上の人間はまだ霊的な証明ができる段階に達しておりません――を提供するか、それともその霊的証明を理解させるための教えを説く、つまり霊的真理を説くか、この二つのどちらにするかということでしたが、私はあえて困難な方の後者を選びました。

私はその使命をお引き受けした時にこう言いました――これまでの長い霊界生活における多種多様な体験を携えて地上圏へ戻り、慈しみの心で人間に接してみます。まず何よりも理性に訴えたい。言うなれば大人の魂、つまり高い霊性と教養を身につけた人物に訴えてみたい。霊界からのメッセージをできるだけ単純明快な形で説き明かすべく努力します、と。

またこうも述べました――人間の理性が反発を覚えるようなことは絶対に述べないことにしたい。慈しみの心で接し、怒りをもって諌めることだけは絶対にすまい。自ら公言している通り自分が確かに大霊の使者であることを、教訓と模範を垂れることによって証明したい、と。

さらに私は、地上時代の姓名を絶対に明かさないという重荷を自ら背負いました。仰々しい名前や称号や地位、名声は持ち出すまい。私が述べることと態度で私という存在を判断してもらいたいと思ったのです。

実は前回の会合でその先輩の霊たちとお会いしたのですが、その席上で私はお褒めの言葉をいただき、使命が順調に進捗していることを聞かされました。その言葉に私は思わず感激の涙を流しました。しかし、使命が終わったわけではありません。まだまだ為さねばならないことがあります。

他の霊団――私の霊団と同じ仕事に携わっているのですが――による尽力もあって、あなた方の物質界にはかつてよりもより多くの光明が射し、より多くの幸せが生まれ、悲しみが減り、涙が流されることが少なくなりました。死についての無知がわずかながら克服されたことを意味します。

また、多くの魂を鼓舞して、日常生活で高度な自我を自覚させました。正義と真理についての目を曇らせてきた過去の多くの誤った概念を駆逐しました。長年にわたって地上界を毒し続け、愚行によって理性を辱(はずかし)めてきた教義と独断の牢獄から多くの人々を解き放してあげました。

私たちは、特定の者のみを可愛がり、憤怒に燃えて報復したり、疫病をまき散らしたりする神に代わって、慈しみと叡智の始源としての大霊の概念を説くことに努め、そしてそれはある程度まで成功しました。またナザレのイエスを(唯一の神の子としてではなく)偉大なる人間の模範として崇めるべきであると説いてきました。そうした私たちの教えの基本となっている根拠を理解してくださる人も多くなりました。

確かに大きな成果を上げることが出来ましたが、これから為さねばならない、もっと大切な仕事があります。人間は今もって、やらなくてもよい戦をやりたがります。私たちが説く真理を理解し実生活に生かせば、殺し合うなどということは、いの一番に止めるはずです。

飢餓もあります。大霊は十分な恵みを与えてくださっています。なのに、新鮮な空気も太陽の光も入らない粗末なあばら家で生きるか死ぬかの生活を余儀なくされている人がいます。不足と悲嘆と苦痛が多すぎます。

廃絶すべき迷信がまだまだ数多く存在します。心を痛めている人が多すぎます。根絶すべき病気があります。私たちの仕事はまだまだ終わっていません。

私たちはこれまでの成果を喜ぶと同時に、あなた方サークルの協力を得て、さらに多くのサービスが成し遂げられるための力を授かりたいと祈っております。

私はこの地上へ私を派遣した霊団の代弁者(マウスピース)に過ぎず、私という一個の存在としての栄誉とか報賞を求める気持はみじんもありません。誇大に宣伝したり地上時代の偉そうな人物名を名乗ったりする趣味も持ち合わせません。私はただこれまで申し上げたような霊的真理、長い間忘れ去られていた真理に改めて“神の真理”のシールを張って、こうして地上界へお届けするための道具であることに喜びを感じているのです。

私の役目は、私が所属する霊団からのメッセージをお届けすることです。手塩にかけて養成したこの霊媒と私自身の霊力の力量の範囲で受け取ったものを忠実に伝達する努力を続けてまいりました。私はただお役に立てばそれでよいのです。もしも私がお伝えするささやかな教えが、人生の嵐の中にあるたった一個の魂の一服の憩いとなり、疑念の嵐をくぐり抜けてきたあとの確信の港となれば、あるいは又、こうした一見なんでもなさそうな素朴な霊的真理の聖域の中に幸せを見出し、生き甲斐を覚えさせてあげることになれば、父なる大霊から仰せつかった使命のいくばくかを成就したことになりましょう。

第2章 交霊会の目的
〔それにしても一体、シルバーバーチのような高級霊がわざわざ地球圏へ戻ってきて人類を啓発しようとする、その理由は何なのか。それについてはシルバーバーチは単純明快に、それは現在の地上人類にとって最も欠けているもの、裏返せば最も必要としているものは霊的真理についての正しい理解だからだという。では、交霊会の本来の目的についてシルバーバーチの説明を聞いてみよう〕

私は、他の同僚と同じように、さる筋から物質圏での仕事の要請を受けました。その仕事というのは、自分たちの住む地球もろとも破滅へ追いやることばかりをしている人類を救済することでした。

それをお引き受けした私は、以来ずっと皆さんとともに仕事をし、今なおこうして努力しているところですが、その目的とするところは、人間は地上を去っても同じ大霊の懐の中にあって、より高い波動の界層において、より生き甲斐のある生活を営むことになることを人間の得心の行く形で証明し、究極的には今地上で生活している人々すべてが、居ながらにして大霊の一部であることを理解していただくことです。

もっとも、そうした目的で私たちが奮闘している一方には、肝心のこうした教訓よりも枝葉末節のどうでもよいことを詮索することに関心を向ける人が少なくありません。例えばシルバーバーチを名乗っているこの私が一体何者なのか、どの民族に属していたのかといったことです。同じメッセージが地上人類の「白人」と呼ばれている人種から届けられようと「黒人」と呼ばれている人種から届けられようと、黄色人種から届けられようとレッド・インディアンから届けられようと、そんなことはどうでもよいことではないでしょうか。大霊の摂理を届ける者がかつて高い学歴を持っていた人間であろうとなかろうと、要は摂理でありさえすれば、つまり正しい真理であれば、それはどうでもよいことではないでしょうか。

旧約聖書に「狼は仔羊とともに住み、豹は仔山羊のそばに横たわり、仔牛と小獅子が仲良く食み、幼な子がそれらを導く」(イザヤ書十一)とあります。賢(さか)しらぶった人間の愚かな知恵を棄てて幼な子のごとき無邪気さに立ち戻るまでは、この地上にあっても、あるいは私たちの世界へ来ても、大した向上進化は得られません。地上の人間は大霊が授けた太陽と同じ七色の肌に上下の差をつけたがります。肌色だけを見て、霊性においては一つであることを知らずにいます。

人間はなぜ戦争をするのでしょうか。それについてあなた方はどう思いますか。なぜ悲劇を繰り返すのか、その原因は何だと思いますか。なぜ人間の世界に悲しみが絶えないのでしょうか。

その最大の原因は、人間が物質によって霊眼が曇らされ、五感という限られた感覚でしか物事を見ることが出来ないために、万物の背後に絶対的統一原理である大霊が宿っていることが理解できないからです。宇宙全体を唯一絶対の大霊が支配しているということです。ところが人間は何かにつけて“差別”をつけようとします。そこから混乱が生じ、不幸が生まれ、そして破壊へと向かうのです。

前にも申した通り私たちは、あなた方が“野蛮人”と呼んでいるインディアンですが、あなた方文明人が忘れてしまった大霊の摂理を説くために戻ってまいりました。あなた方文明人は物質界にしか通用しない組織の上に人生を築こうと努力してきました。言い変えれば、大霊の摂理から遠くはずれた文明を築かんがために教育し、修養し、努力してきたということです。

人間世界が堕落してしまったのはそのためなのです。古い時代の文明が破滅してしまったように、現代の物質文明は完全に破滅状態に陥っています。その瓦礫を一つ一つ拾い上げて、束の間の繁栄でなく、永遠の霊的摂理の上に今一度築き直す、そのお手伝いをするために私たちは戻ってきたのです。それは私たち霊界の者と同じく物質に包まれた人間にも、大霊の愛という同じ血が流れているからにほかなりません。

こう言うと、中にはこんなことをおっしゃる人がいるかも知れません。「いや、それは大きなお世話だ。われわれ白人は有色人種の手を借りてまで世の中を良くしようとは思わない。白人は白人の手で何とかしよう。有色人種の手を借りるくらいなら、不幸のままでいる方がまだマシだ」と。

しかし、何とおっしゃろうと、霊界と地上界とは互いにもたれ合って進歩して行くものなのです。地上の文明を見ていると霊界の者にも為になることが多々あります。私どもは霊界で学んだことをあなた方にお教えしようと努め、同時にあなた方の考えから成る程と思うことを吸収しようと努めます。その相互扶助の関係の中にこそ地上天国への道が見出されるのです。

そのうち地上のすべての人種が差別なく混じり合う日が来るでしょう。どの人種にもそれなりの使命があるからです。それぞれに貢献すべき役割があるからです。霊眼をもって見れば、すべての人種がそれぞれの長所と、独自の文化と、独自の体系的知識を持ち寄って調和の取れた生活を送るようになる日が、次第に近づきつつあるのが分かります。

ここに集まったあなた方と私、そして私に協力してくれている霊たちはみな、大霊の御心を地上に実現させるために遣わされた“使徒”なのです。私たちはよく誤解されます。同志と思っていた者がいつしか敵にまわることがしばしばあります。しかし、だからといって仕事の手をゆるめるわけには行きません。大霊の目から見ていちばん正しいことを行っているが故に、地上に存在しないエネルギーの全てを結集して、その遂行に当たります。徐々にではあっても必ずや善が悪を滅ぼし、正義が不正を駆逐し、真が偽を暴いていきます。時には物質界の力にわれわれ霊界の力が圧倒され後じさりさせられることがあります。しかし、それも一時のことです。

われわれはきっと目的を成就します。自ら犯した過ちから人類を救い出し、もっと高尚で、もっと気の利いた生き方を教えてあげたい、お互いがお互いのために生きられるようにしてあげたい、そうすることによって魂と霊と精神を豊かにし、この世的な平和や幸福ではなく、霊的に高尚で価値あるものを得させてあげたい、そう願っているのです。

それは大変な仕事ではあります。が、あなた方と私たちを結びつけ一致団結させている絆は神聖なるものです。どうか、父なる大霊の力が一歩でも地上の子等に近づけるように、ともに手を取り合って、大霊の摂理の普及を阻もうとする勢力を駆逐して行こうではありませんか。

こうして語っている私のささやかな言葉が少しでもあなた方にとって役に立つものであれば、その言葉は当然、それを知らずにいるあなた方以外の人々にも、私がこうして語っているように語り継がれて行くべきです。自分が手にした真理を次の人へ伝えてあげる――それが真理を知った者の義務です。それが摂理なのだと私は理解しております。

私とて、霊界生活で知り得た範囲の摂理を英語という言語で語り伝えているに過ぎません。それを耳にし、あるいは目にされた方の全てが私の解釈の仕方に得心が行くとは限らないでしょう。しかし忘れないで下さい。私はあなた方とはまったく次元の異なる世界の人間です。英語という言語には限界があり、この霊媒にも限界があります。ですから、もしも私の語った言葉が十分に納得できない時は、それは、あなたがまだその真理を理解する段階に至っていないか、それともその真理が地上の言語で表現しうる限界を超えた要素を持っているために、私の表現の仕方が十分にその意味を伝え切っていないかの、いずれかでしょう。

しかし、私はいつでも真理を説く用意ができております。地上の人間がその本来の姿で生きて行くには、大霊の摂理、霊的真理を理解する以外にないからです。盲目でいるよりは見える方がいいはずです。聞こえないよりは聞こえた方がいいはずです。居眠りをしているよりは目覚めているほうがいいはずです。皆さんとともに、そういった居眠りをしている魂を目覚めさせ、大霊の摂理に耳を傾けさせてあげるべく努力しようではありませんか。それが大霊と一体となった生き方への唯一絶対の道だからです。

そうした生き方ができれば身も心も安らぎを覚えることでしょう。大宇宙のリズムと一体となり、不和も対立も消えてしまうでしょう。それを境に、それまでとは全く違った、新しい生活が始まります。

知識は全て大切です。これだけ知っていれば十分だ、などと思ってはいけません。私の方では知っていることを全部お教えしようと努力しているのですから、あなた方は吸収できる限り吸収するよう努めていただきたい。こんなことを申し上げるのは決して私があなた方より偉いと思っているからではありません。知識の豊富さを自慢したいからでもありません。自分の知り得たことを他の人々に授けてあげることこそ、私にとっての奉仕の道だと心得ているからにほかなりません。

知識にも一つ一つ段階があります。その知識の階段を一つ一つ昇って行くのが進歩ということですから、もうこの辺でよかろう、と階段のどこかで腰を下ろしてしまってはいけません。人生を本当に理解する、つまり悟るためには、その一つ一つを理解し吸収して行くほかに道はありません。

このことは物質的なことに限りません。霊的なことについても同じことが言えます。と言うのは、あなた方は身体は物質界にあっても、実質的には常に霊的世界で生活しているのです。従って物的援助と同時に霊的援助、すなわち霊的知識も欠かすことが出来ないのです。ここのところをよく認識してください。あなた方も実質的には霊的世界に生きている――物質はホンの束の間の映像に過ぎない――これが私たちからのメッセージの根幹をなすものです。

そのことにいち早く気づかれた方がその真理に忠実な生活を送ってくだされば、私たちの仕事も一層やり易くなります。霊界からのメッセージに耳を傾け、心霊現象の中に霊的真理の一端を見出した人々が小さな我欲を棄て、高尚な大義のために我を犠牲にしてくだされば、なお一層大きな成果を挙げることが出来ましょう。

人間の一人一人が尊い存在であることは言うまでもありませんが、その個人を通して授けられる知識やサービスは無限です。これまで私たちが成し遂げてきたものは、これから成就可能なことに比べれば、ホンのささやかなものでしかありません。大霊の働きに“限界”というものはありません。地上界へ届けられる叡智にも、インスピレーションにも、霊的真理にも、限りがないのです。地上界を満たすべく用意されている強烈な霊力にも制限というものがありません。あとはそれを届ける通路としての、良質の道具が用意されさえすればよいのです。

第3章 地球浄化の大事業
〔本章でもこうした交霊会を通してその霊界通信の背後にもくろまれている世界的規模の計画について語る〕

私たちが携わっている仕事には確固たる目的があります。意図があります。宇宙に絶対不変の摂理が存在することを証明するだけではありません。地上の人間に慰めを与え、霊的知識を広めるという目的もあるのです。物理的法則だけでなく霊的法則も存在することを証明してあげることも私たちの仕事の一環です。

その仕事の前途に立ちはだかるのは、誤った宗教的教義によって築かれた巨大な組織です。何世紀にもわたって続いてきたものを元に戻さなくてはなりません。誤った教義を土台として築かれた上部構造を取り壊さなくてはならないのです。

私たちは物質の世界の子等がいかにすれば伸び伸びと生きることが出来るか、いかにすれば霊的真理の光に浴することが出来るか、いかにすれば人間的産物である教義への隷属状態から脱け出せるかをお教えしようとしているところです。もとよりそれは容易な仕事ではありません。なぜなら、いったん宗教的束縛を受けるようになると、その迷信の厚い壁を真理の光が突き抜けるには、永い永い時間を要するからです。

その霊的真理の宗教的意義を披露することこそ私たちの努力目標です。地上人類がその霊的な重要性を認識すれば、戦争や流血による革命よりも遥かに大きな革命が生じるからです。魂の革命とも呼ぶべきものです。地上の全ての人間が魂としての本来の権利――霊的存在としての自由を享受する権利を我がものとすることになりましょう。その時は、何世紀にもわたって魂の足枷となってきたものが全て取り払われることでしょう。

私たちが忠誠を尽くすのは一つの教義でもなく、一冊の書物でもなく、生命の大霊とその永遠不滅の摂理です。

いずれ、強大な霊力が物質界へと流入します。地上のあらゆる国においてその威力が感じ取られるようになります。利己主義と無知の勢力を迎え撃つという仕事は、並大抵の力では成就できないからです。いつかは必ず克服します。しかし、その途中の段階では大きな産みの痛みは避けられません。

あなた方の味方として大変な数の霊が差し向けられております。その中にはあなた方のよく知っている人々もいます。血縁でつながっている人もいれば、あなた方への愛の念から馳せ参じている人もいます。しかしそれがどういう人であるかについて、あなた方があの人この人と想像なさるのも結構ですが、それ以外にあなた方とは何の縁もゆかりもない人々で、自分の存在を知ってもらいたいとも功績を認めてもらいたいとも思わず、ただひたすら自分を役立てたいというサービスの精神から参加している人が無数にいることを忘れないでください。

地上世界はサウロがダマスカスへ向かう途中で体験したような、目の眩むような閃光で一気に改革されるものではありません。大霊の霊力の道具が増え、そのチャンネルを通して届けられる霊的真理に目覚める人の数が増すにつれて、少しずつ霊的な光明が地上界に行きわたるのです。

霊に係わることは慎重な配慮による養成と進歩を要します。急激な変心は永続きしません。私たちの仕事は永続性を目指しているのです。一人また一人と、暗闇から光明へ、無知から知識へ、迷信から真理へと這い出るごとに地上界が進歩するのです。その一人ひとりが物質第一主義の棺に打ち込む一本のクギなのです。

発達にも二種類あることを知らないといけません。精神に係わるものと霊に係わるものです。前者は心霊的能力の発達にすぎませんが、後者は魂の成長そのものです。心霊能力が発揮されても魂の成長が伴わなければ、低いバイブレーションの仕事しかできません。両者がうまく組み合わさった時は、優れた霊能者であると同時に、偉大な人格をそなえた人物となります。

人間を真の意味で自由にし、大霊から授かった資質を有り難く思わせてくれるメッセージ、あらゆる拘束物や束縛を振り棄てる方法を教えてくれるメッセージ、霊的知識を十分に満喫させてくれるメッセージ、物質界だけでなく死後の世界にも通用する生き方を教えてくれるメッセージ、美と愛と叡智と理解力と真実と幸せをもたらしてくれるメッセージ、そして人のためというサービスの精神を説くメッセージ――私たちは、こうした、形容する用語を超越した素晴らしいメッセージを、地上という物質界へお届けしているところです。

なのに私たちは、大霊の啓示が理解できない人たちによる拒絶に遭っております。彼らは、いつの時代にもそうであったように、霊というものの存在を否定します。

しかし、私たちの行っている仕事は今後もますます要請されてまいります。地上世界は流血と悲劇と苦悩にあふれております。無明ゆえに神の摂理にそった生き方をせずに暗黒と絶望へ向かう道を選択してしまいました。そこで私たちが希望と光明と安らぎと調和へ導く叡智をお教えしようとしているのです。それを地上の人間は無知から軽蔑しようとします。お届けするメッセージを拒絶します。霊力の働きかけを否定します。しかし、そうした態度にお構いなく、真理は地上へ広がって行くことは間違いありません。大霊を始源としているからです。

神の摂理に逆らった生き方をする人は自ら酷しい収穫を刈り取らねばなりません。摂理に素直にしたがって生きる人は、物的な面においても霊的な面においても、幸せと豊かさを手にすることになります。

地上界に蔓延している暗黒の中にあっても決して希望を失うことなく、人類の高揚のためにあなた方とともに働いている霊たち、物質界を少しでも良くしようと心を砕いている霊たちは必ずやその闇を駆逐してくれるとの信念に燃えてください。それは宇宙でも最強の力だからです。

しょせん価値あるものは苦難と悲哀なくしては成就できないのです。教訓にはそれなりの入手方法というものがあることを知らないといけません。私たちは物質界の全側面に突破口を開こうと努力しているところです。私たちのメッセージが各分野の人々の心を明るく照らし、霊の光が広がるにつれて唯物主義の暗黒が消散して行きます。

これまでに得たもので満足してはいけません。良い意味での“不満”は、さらなる進歩への欲求の表れであり、その不満がより大きな知識を呼び込むのです。手にしたものにあぐらをかく者は活力を失います。満足できない者がより大きな自由を求めて苦闘するのです。

「理屈を言ってはいけません。そう信じればよいのです」――私はそんなことは申しません。反対に「神が与えてくださったもの(知的思考力・理性)を存分にお使いになって私をお試しなさい。しっかり吟味なさってください。そしてもしも私の言うことに卑劣なこと、酷いこと、道徳に反することがあれば、どうぞ拒否なさってください」と申し上げます。

たった一個の魂を高揚してあげることができたら、喪の悲しみに沈んでいる一個の魂に慰めを与えることができたら、意気地のない一個の魂に生きる勇気を与えてあげることができたら、人生に疲れ切った一個の魂に生きる力を与えてあげることができたら、それだけで十分にやり甲斐のある仕事をしたことになるのではないでしょうか。

その一方には、私たちがお届けするメッセージに困惑する人、何らかの古い教義に縛られているために逃れようにも逃れられずに戸惑っている人、それでいて自由の呼び声が聞こえて必死にもがいている人が大勢いることも思い起こしてください。

私たちのメッセージはそういう人たちも念頭に置いているのです。それまでは考えも及ばなかった真理があることを知って、それが魂にとって大きな刺激となるのです。いかなる真理も次の真理への踏み石にすぎないのです。

私が今こうして語りかけている霊媒の口から皆さんの理性が反発を覚えるようなこと、大霊の愛の摂理と矛盾するようなこと、愚かしいこと、皆さんの知性を侮辱するようなことが聞かれるようになったら、その時は私の時代も終わり、お役ご免となる日が来たことになりましょう。

何度も申し上げてきたことですが、私自身としては魂が希求する最高の憧憬を挫かせるようなことは何一つ述べたことはないつもりです。私たち霊団の者が常にあなた方の内部の最高のものに訴えるように心掛けているからです。

地上の人間は自らの努力で自らを救済できるようにならなくてはいけません。既成の方法というものはありません。前もって用意されたシステムというものは存在しません。そのためにまず大切なことは、現象として顕現している森羅万象の背後に永遠の実在としての霊が存在していること、人間も物的身体に宿っているという点では物的存在であっても、その身体を通して自我を表現している霊的存在であることを理解することです。

そうなると、まずその身体にとって必須のものを大霊の意図している通りに存分に摂取して健康体にしておく必要があります。その上で今度は既成宗教のドグマや信条から精神を解放する必要があります。実質的な価値、つまり霊的価値のないものに忠誠を尽くすことなく、真実のためにのみ働き、これまで何千年もの長きにわたって地上人類を縛りつけてきた教条やドグマをめぐる戦争や論争や不和を止めにしなくてはいけません。

私たちは大霊を共通の父として、全人類が霊的に同胞であるその福音を説きます。その福音の理解を妨げるのがこの世的概念であり、誤りの上に建てられた教会であり、既得権力の横暴であり、暴君――裸の王様のような暴君の高慢と強権です。

私たちの教えが地上界に広まるということは民族間の離反の終わりを意味します。国家間のバリア(障壁)の消滅を意味します。民族の差別、階級の差別、肌色の区別、さらにはチャーチ、チャペル、テンプル、モスク、シナゴーグ等の区別もなくなります。何となれば、それぞれに大霊の真理を宿しており、他の宗教の真髄は自分の信じる宗教の大切なものといささかも矛盾しないことを悟るようになるからです。

そういう次第ですから、見た目には混乱しているかに見えても、そこから神の意図が具現化し、調和と平和が訪れます。こうしたことを申し上げるのは、あなた方にその壮大な意図の一部――そのために私たち霊界の者がこうして物質の世界へ戻ってきているのです――と、あなた方が今回の地上生活を終えるまでに果たすべき役割とを理解していただくためです。

私たちが説くことは、かつての改革者たち、聖者と呼ばれた人たち、預言者たち、あるいは理想主義者たちが、それぞれの時代に天啓を受けて説いた崇高な教えと完全に合致しております。魂の霊性が高かったゆえにその霊的な視力によって霊的実在を垣間見ることができ、その美しさ、その素晴らしさが逆境と葛藤の中にあって心の支えとなったのでした。

彼らには、いつの日か実現する神の意図が理解できていたのです。だからこそ物質界の子等を高揚すべく努力したのです。犠牲的精神で自分を役立てたということです。

彼らは、ほかならぬその物質界の子等から貶(けな)されることがありました。反抗にも遭いました。嘲笑の的にされることもありました。しかし彼らの成し遂げた仕事そのものは生き続けております。今世界各地で行われている無数の交霊会――この交霊会もその一つです――が、それに参加した人々は忘れ去られても、そこで届けられたメッセージは今後とも生き続けるように、今もなお生き続けております。強烈な霊力が再び物質界に放たれております。地上のいかなる力もその潮流をせき止めることは出来ません。

地上の人間は相変わらず流血によって問題が解決するかに考えているようですが、歴史をご覧になればお分かりのように、流血の手段で問題が解決した例しはありません。流血の行為はムダ以外の何ものでもなく、解決をもたらすことはありません。

人間はなぜ大霊が与えた理性を使わないのでしょうか。なぜ唯一の解決法ができるだけ多くの相手を殺すことだと考え、最も多くの敵を殺した者を英雄として讃えるのでしょうか。地上というところは不思議な世界です。

あなた方の世界は私たちの世界からのメッセージを必要としております。霊からのメッセージ、即ち霊的真理の理解が必要なのです。霊的摂理というものが存在すること、そして自分自身の内部と外部とから導きがあり、困難に遭遇した時に慰安と導きと援助をどこから求めるべきかを知る必要があります。

私たちは私自身への見返りを何一つ求めておりません。何かの恵みが欲しくてこの仕事に携わっているわけではありません。皆さんのお役に立ちたい――具体的に言えば、人類が忘れてしまっている霊的摂理を改めて啓示してあげ、物質界にも存在する霊力を再発見し新たな希望と新たな生命を呼び覚ますことになればと願っているのです。

古い規範が捨て去られ、あらゆる権威が疑念をもって見直され、その威力が衰えつつある今こそ、絶対に働きを止めずまた誤ることもない摂理として顕現している大霊を絶対最高の権威として啓示せんとしているところです。その大霊の摂理にのっとった生き方をしさえすれば、地上界に再び平和と調和が訪れます。

それが私たちの使命の全てというわけではありません。見捨てられた古い信仰の瓦礫の中にあって人間が単なる疑念や不信から全てを拒否することなく、本物と偽物、事実と神話とを選り分け、真に価値あるもの、全ての宗教の内奥に秘められたもの、物質界の人間による想像物の下敷きとなってしまっている霊的真理を我がものとすることが出来るようにするための大規模な仕事の一環であることを知ってください。

その昔、霊覚者たちを鼓舞し洞察力と勇気、奉仕への熱誠と願望を与えた霊力は、今日でも我がものとすることが出来るのです。物質界の人々でも、霊的摂理の働きの中にそれを見出す努力を怠らなければ、必ずや我がものとすることが出来ます。

教会・聖典・教義――こうしたものは今や衰微の一途をたどっております。少しずつ廃棄されて行きつつあります。しかし、霊的真理の権威だけは永遠に変わることはありません。私がこうして地上界へ戻ってきた時に必ず目にするのは混乱と無秩序ですが、鮮明な霊の光――隙間からもれる僅かな光ではなく全てを照らす強力な光――が降りそそぐようになれば、そうしたものは立ちどころに消えてしまいます。

そういう光が得られるというのに、なぜ人間は暗闇を好むのでしょう? 知識が得られるというのに、なぜ無知のままでいたがるのでしょう? 叡智が得られるというのに、なぜ迷信にしがみつこうとするのでしょう? 生きた霊の真理が得られるのに、なぜ教義という生命のない骨を好むのでしょう? 霊的叡智の水が得られるというのに、なぜ神学という濁った水を好むのでしょう。

そうやって自ら選んだ暗闇の中で、自由になれるのにクサリにつながれ、奴隷のような生き方をしている魂が数多くいるのですが、私が案じているのは、そういう束縛の生活にあまりに長く慣れてしまうと、その束縛から解き放たれるのが怖くなってしまうことです。鳥カゴの中で長いこと飼われている小鳥は、その鳥カゴから放たれた時に、もしかしたら飛べないのではないかと心配になるものです。

ですから、束縛から解き放してあげるのは結構なことですが、自由になった時に歩むべき道も用意してあげないといけないのです。何の道標もない場所へ放り出されて、進むべき方向も分からないままの状態に放置してはいけないのです。自由になってもらわなければいけませんが、同時にその自由が導いてくれる道も教えてあげなくてはならないのです。

人間というのは、長いこと束縛の状態に置かれたあとで自由にされると、その自由がうれしくて誰のアドバイスにも耳を傾けようとしなくなるものです。

「イヤ、もう結構です。これまでさんざん懐疑と困惑を味わってきて、今ようやく脱け出たところです。宗教というものにはもうこれ以上係わりたくありません」

そう言って拒否するのです。一種の反動です。

私としては、お届けするメッセージに耳を傾けてくださればそれでよいのでして、私という一個人、メッセンジャーとしてのシルバーバーチへ関心を寄せていただいても有難くありません。

これまでの人類は教えを説くその人物に関心を寄せ過ぎて、過大評価して途方もない地位に祭り上げ、肝心の教えそのものをなおざりにしてきました。

私たち霊団の使命は誰かを権威ある地位に祭り上げることではありません。真理を啓示し、知識を広め、叡智を授けることです。私が史上に名高い人物であろうと無名の人物であろうと、それが何の関係があるというのでしょう。私たちが訴えるのは名前や権威ではなく、理性、これのみです。

人間の知性が反発を覚えるようなことは何も要求いたしません。あなた方の理性に照らして真実とは思えないようなこと、人間としての品位にもとること、卑劣なこと、人類を侮辱するようなことは説いていないつもりです。人類全体を高揚し、宇宙の生命機構の中における人間の存在価値についての正しい概念を大霊との関係で啓示し、地球全体としての霊的一体関係についての理解を得させてあげたいと願っているところです。

私たちは、すぐに聖典の文句を持ち出したり教祖の言葉や権威に頼るようなお座なりのことは致しません。神から授かっている理性を頼りとして、これに訴えます。私たちがお届けする真理は“聖”の文字を冠した書物の言葉を引用することで広められる性質のものではありません。理性に照らして納得が行かなければ、どうぞ拒否してくださって結構です。

しかし、すでに皆さんには私たちが最高にして最善の人間的本能に訴えていること、私たちが求めているのは古い時代からの間違った概念を払い除けて、これなら人間も大事にしてくれるであろうと思われる真理をお届けしていることが分かっていただけているものと信じます。“宗教”と呼ばれているものは“真理”を土台としなくてはいけません。理性による攻撃を受けて脆くも崩れるような土台は、むしろ崩れてしまった方がよろしい。

私は、そのような真理――人間がせっかく手にしながらいつしか見失うということを繰り返してきた真理――を改めて啓示し、物質界の最も重要な位置に据えてあげるべく努力している、一個の道具に過ぎません。

私たち霊団は、今度こそは唯物主義と利己主義の勢力がはびこらないという確信がもてるように努力しております。そのためには人間みずからがその勢力に負けないようにならなくてはいけません。それは、その邪悪な念が住みつかないようにするために、日常生活のすみずみにわたって霊的真理の光で油断なく見張るしかありません。

地上世界は今や破滅に瀕し、混乱の極にあります。絶望と不和と敵意に満ちております。理性が敗走して利己主義が支配しております。私はその理性を取り戻させ、誤った概念に代わって真理を説き、迷信に代わって正しい信仰を説き、暗闇を光明で照らすことによって、人生の闘争に負けそうな人には力を与え、いじけそうな人を健全な精神に立ち戻らせ、人生に疲れ果てた人には気力を回復させ、不当な扱いに苦しめられている人には正当な報いを得させてあげたいと願っているところです。

私たちがお届けする真理は霊的摂理に係わるものだけではありません。物的法則に係わるものもあります。なぜなら、私たちから見れば物的世界も大霊の宇宙の一部であり、その物的世界で苦しんでいる大霊の子等に無関心でいるようでは、真の意味での“宗教的”であるとは言えないからです。私たちの目には人のために役立つことをする人は全て立派な人物ですが、その“役に立つ”ということは真理を普及することだけに限られるわけではありません。他にもいろいろあります。

病に蝕まれた身体で苦しんでいる人々をその痛みから解放してあげる仕事、不正と圧政に闘いを挑む仕事、憎み合いを止めさせる仕事、自由を守り邪を排除し、魂の奥にある大霊の資質を発揮させる仕事、こうした仕事は真の意味でのサービスと言えます。

物質界の人間も本来は霊的存在です。その人間に霊的摂理を教えるためにラップなどの物理的心霊現象から始めなくてはならなくなったことを残念に思います。それほど現代の人間が物的感覚に浸り切り、霊性がマヒしているということです。

あなた方人間も全て大霊の一部なのです。大霊がこう呼びかけていると思ってください――私の摂理は全部ここに用意してあります。これを使えば素晴らしい世界になります。全てを差し上げますから、それを使用して正しいことと間違ったこととを選り分けてください。私の摂理に適った生き方でもよし、反した生き方でもよし、どちらでも試してみられるがよろしい、と。

これまでの人類はどちらを選んだでしょうか。霊界の指導霊は地上界が大霊の意図にそって発展するように、大霊の波動を身につけた者(霊媒・霊能者)を地上へ派遣しているのです。しかし、霊的波動に鈍感になってしまった人類は物的なものにしか反応しなくなっています。

しかし、吹雪が吹き荒(すさ)んだあとには必ず新しい生命の春が訪れます。一面が雪に覆われた荒涼たる原野を目にしている時に春の息吹きは感じられないでしょう。しかし、春は必ず巡ってきます。そして生命の太陽が天空を登ってその威厳が最高潮に達します。今地上界には不満の暗雲が立ち込めていますが、いつかは夢にまで見た春が訪れ、そして充実の夏へと向かいます。

それがいつになるか――早く来るか遅いかは、人間が大霊から授かった自由意志をどう使うかによって決まることです。が、地上の一人の人間が他の一人の人間に救いの手を差し延べようとする時、その背後には数多くの霊が群がってそれを援助し、その気高い心を何倍にもふくらませようと努めます。善行の努力が無駄にされることは絶対にありません。奉仕の精神も決して無駄に終わることはありません。

誰かが先頭に立って藪を切り開き、後に続く者が少しでも楽に通れるようにしてやらねばなりません。やがてそこに道ができ上がり、通るほどに平坦になって行きます。

私は高級界の霊が目に涙を浮かべている姿を時おり見かけることがあります。今こそと思って見守っていたせっかくの善行のチャンスが踏みにじられ、無駄に終わり、いつかはその愚かさに気づいてくれるだろうと願っているのです。

そうかと思うと嬉しさに顔をほころばせているのを見かけることもあります。名もない人が善行を施し、それが暗い地上世界に新しい希望を灯してくれたからです。

私も他の大勢の同志と同じく、すぐそこまで来ている新しい世界を一日でも早く招来せんがために、波動を物質界のレベルに近づけて降りてまいりました。その目的は、神の摂理をお届けすることです。その摂理に忠実に生きさえすれば大霊の恵みをふんだんに受けることが出来ることを教えてあげたいと思ったからです。

この地上界へ降りてきて目にするのは、幸せであるべきところに不幸があり、光があるべきところに暗闇があり、満たさるべき人々が飢えに苦しんでおります。神は必要なものは全て用意してくださっているのです。問題はその公平な分配を妨げている者がいるということです。取り除かねばならない障害が存在するということです。

それを霊界側で取り除いてくれればよいではないかと思われるかも知れませんが、それは私たちには許されないのです。咎め立てすることも許されません。私に許されているのは物的身体に宿っているあなた方に大霊の摂理を教え、どうすればその摂理が正しくあなた方を通して運用されるかを教えてあげることだけです。それが出来る方が地上の悪弊を指摘してその摂理による矯正手段を講じて見せなくてはなりません。

要するにあなた方自ら毎日の生活の中で、霊力を自覚した者はこれだけ立派な生き方ができるのだということを率先して見せることです。

私としては、あなた方に摂理の存在を説き、それがどのように作用するかをお教えすることが出来れば、それで良しとします。その結果として不幸が幸へ転じ、無知による過ちを防ぐことになれば、こうして地上界へ降りてきた努力の一端が報われたことになりましょう。

私たち霊団は決してあなた方人間本来の義務を肩代わりしようとする者ではありません。なるほど神の御心があなた方を通して働いていることを身をもって悟ってもらえる生き方をお教えしようとしているだけです。

私が時おり残念に思うのは、人のための行為に条件をつける人がいることです。例えばこんなことを言う人がいます――「もちろん食べるものに事欠いている人に施しをしますよ。しかしその前に大霊に祈っていただかないとね」と。なぜ大霊に祈るか祈らないかにまで干渉するのでしょうか。お腹を空かしている人には食べるものを施してあげればそれだけで良いのではないのでしょうか。

また、寝る場所もない人に「どうぞウチで寝ていってください」と言ってあげるのは結構なことですが、「しかし、ちゃんとお祈りをしてくださいよ」などと付け加える人もいます。

人生の法則の一つに「物心両面の均衡をはかる」というのがありますが、その知識を手にされている皆さんは、自分みずから均衡をはかったことがおありでしょうか。

スピリチュアリズムを知ったということは地上では推し量ることが出来ないものを手にしたことになります。大霊の真理についての貴重な知識を手にしたことになります。ご自分の魂が大霊の魂とつながっていることを悟られたのです。即ち、ご自分が大霊の一部であることを知ったということです。その上、霊界から派遣されている背後霊団のバイブレーションにいかにして反応すべきかを学ばれたわけです。

それほどのものに比べれば、物的なものは、いかに高価なものであっても、まったくチャチなものです。今は物質界にいる皆さんも、これから霊の世界で計り知れない歳月を生き続けるのです。そのことを思えば、この交霊会を通じて得た知識や叡智は、この地上で物的身体のために一生懸命に求めるものより遥かに貴重なはずです。

何事も見かけの結果だけを見て判断してはいけません。あなた方は物的な目でしか見ることが出来ないのです。もしも霊的な目で見ることが出来れば、人間が一人の例外もなく完全に公正な扱いを受けていることがお分かりになるはずです。私は時おり人間の祈りに耳を傾けてみることがあるのですが、もしも大霊がその願いの通りにしてあげたら却って不幸になるのだが……と思うことがあります。

また私は死の関門をくぐり抜けて霊界入りした人ともよく語り合ってみることがあるのですが、こちらへ来てから地上生活を振り返ってみて大霊に抗議したいと思うような不当な扱いを受けたと文句を言った人は一人もいません。

地上界には大きく分けて三つの問題があります。一つは“無知”、もう一つは“悲しみ”、そして三つ目が“貧しさ”です。この三つは、政治に霊的知識が生かされ、人々もその知識の指し示す通りに生きるようにならないかぎり、地上からなくなることはないでしょう。

しかし、勝利へ向けての波のうねりは止まりません。古い秩序が死滅し、新しい秩序と入れ替わります。新しい世界は着実に到来しつつあります。しかし、新しい世界になったからといって暗い面が完全に消え去ると思ってはいけません。涙を流すこともあるでしょう。心を痛めることもあるでしょう。犠牲を強いられる局面も生じることでしょう。

大霊に係わった仕事は犠牲なくしては成就されません。新しいものを建てるには古いものを壊さないといけません。物的な惨事が続く時代になると人間は霊的なものの基盤を疑い、改めて吟味しはじめるものです。物的な手段がすべて失敗に終わった時、ワラをも掴む思いで、それまで試みられてきた制度を吟味し、そこに頼れるものがないことを知ります。

そこに至ってようやく霊的真理の出番となり、新しい世界の構築が始まります。大霊の摂理が正しく運用される世界です。そこへ至るまでには大きな混乱は避けられません。もっとも、いつの時代にも何の混乱も生じない世界にはなりません。なぜなら、完全に近づくとその先にもっと次元の高い完全性が存在することを知るからです。

質疑応答
――霊界側がスピリチュアリズムの普及を望んでおられるのなら、もっと新聞などを使った宣伝をなさるとよいのではないでしょうか。

これは、これは、驚きました。あなたは霊的知識の普及がどういうものかよくご存じないようですね。知識が普及するということは結構なことです。しかし宣伝効果となると、また話は別です。魂が真理に目覚めて感動するには、それぞれに時機というものがあるのです。

私たちは私たちなりの手段を講じています。計画はきちんと出来あがっているのです。あとはあなた方の世界からの協力が必要なのです。

私たちは魔法の杖で一気に悟らせることはしないことを知っておいてください。魔法の処方箋があるわけではありません。宇宙の自然法則を啓示してあげようとしているだけです。

私たちのメッセージを聞いて魂が感動し、自分を通じて大霊が働くことが可能であることを理解してくださることを望んでいるのです。霊界からの普及活動が休止することはありません。ただ、それは地上界の騒々しい宣伝によって行われるのではなく、魂と心に訴え、霊との一体関係を緊密にすることによって成就されるのです。

――この地球上での体験、即ち戦争、痛み、物心両面の苦しみ、病気、悲しみ、憎しみ、喜び、幸せ等々はみな人類の進歩と進化のために必要不可欠なもので、神の計画の一環なのでしょうか。

それは違います。戦争は大霊がやらせているのではありません。病気は大霊が与えているのではありません。いずれも大霊の子等が自由意志の行使を誤ったために引き起こしているのです。学ぶべき教訓というものがあることは事実です。しかしそれは身の毛もよだつ蛮行や行為に訴えなくても学べます。人間の行為と大霊の行為とを取り違えてはいけません。

――共和国となった現代でも英国は「王室」という体制を維持しておりますが、これは意義のあることでしょうか。

意義のあることです。何事につけ、国民を一体化させるものは大切にすべきです。国家は拠って立つべき共通の要素によって一体化を求め、国民全体が一丸となるべきです。何かにつけて離反させようとする者たちの行為に批判的なのはそのためです。魂が解放されれば自ずと互いに近づき合いたくなるものです。

――霊的プランがあるということを何度も聞かされているのですが、見たところその影響はどこにも見当らないようですが……

それはあなたが物的視点からのみ見ているからです。あなた個人の短い人生を尺度として見ておられるから進展がないかに見えるのであって、私たちは別の次元から見ていますから進展が見えるのです。霊的知識が広まり、霊的なものへの理解が深まり、寛容的精神が高まり、善意が増え、無知と迷信と不安と霊的束縛による障壁が崩れて行きつつあるのが見て取れます。

突如として革命が起きるかに想像してはいけません。そういうものは決して起きません。霊的成長と進歩はゆっくりと進められるものです。絶望する必要もありません。確かに物的文化のすさまじい発達を見ていると絶望感を抱きたくなるかも知れませんが、他方ではその唯物主義の霧を貫いて霊的真理の光が射し込みつつあります。知識が広がり続けるかぎり霊的真理の勝利は間違いありません。

現在の地上人類にとって霊界からのメッセージが大切なのはそのためです。私たちにとって大切なのではありません。あなたたち人間にとって大切なのです。私たちはあなたたちのため、つまり今までの生き方を続けていては痛い思いの中でその代償を支払わねばならなくなる――無知、度を超えた利己主義、故意の残虐行為への代償を支払うことになることをお教えしたいのです。あなたたちをこのまま見て見ぬふりをするわけには行かないのです。

私たちは、人類を破滅に追いやろうと企む邪霊集団ではありません。人間を罪深い存在に貶(おとし)めたり、残忍なことや罪深い行為を唆(そその)かしたりするようなことは致しません。その反対です。内部に宿している大霊と同じ神性と霊力を自覚させ、それをサービスの法則にのっとって活用させ、大霊の計画の推進に一役買っていただきたいと思っているのです。

第4章 明日の世界
〔人類が霊的法則に目覚め、その指し示す方向へ忠実に生きるようになった時の世界はどういう世界であろうか。新しい世界は一人の独裁者、一つの政府、あるいは国際連盟のような組織によってコントロールされる性質のものでないことは明らかである。人間各個による努力の結果として誕生するものであろう。その時の喜びがいかなるものであるか、それをシルバーバーチに語ってもらおう〕

地球人類は今まさに危機の真っ只中にあります。何事につけ誕生には苦しみが伴うものです。新しい秩序の誕生にも大きな苦しみが伴います。その誕生が近づくにつれて苦痛も増大してまいります。

しかし間違いなく言えることは、その新しい世界の種子がすでに地上界に根づいているということです。既得権力の座に安住している者たちがいかなる策を弄しても、それは功を奏さないでしょう。イエスは「天に為される如く地にも為されるであろう」と二千年前に述べております。それがもうすぐ実現しようとしています。

これからも地上には幾つもの大変動が生じます。崩壊もあれば隆盛もあるでしょう。皆さんには暗黒と苦難の時代の到来のように思えるかも知れません。「大変な時代になった……」そうおっしゃるかも知れません。しかし、そうした変動の背後には地上世界へ向けての大きなエネルギーの働きがあるのです。

こうして地上世界のための仕事に従事している私たちの多くは、これから先の地上はこうなるという未来像を見せていただいております。それを受け入れる能力のある地上の同志に伝え、挫けがちな心を鼓舞しております。私が見せていただいた未来像に比べると現在の地上世界がとても醜く見えます。が、私には地上世界はこれほどまで立派になり得るのだ、こうならねばならないのだということが分かっております。あとは“時間”の問題です。それを早めるのも遅らせるのも人類の自覚一つに掛かっております。

そのうち、政治も宗教も科学も学問もある一つのものの側面に過ぎないことが理解できる、新しい人類が現れるでしょう。その人類にとっては痛みも心配も喪の悲しみも不幸もなく、笑顔と明るい笑い声の世界となるでしょう。が、現段階の不幸に満ちた地上世界で最も人徳があるとされる人間は、他人の悲しみを取り除き生活を楽にしてあげられる人です。それほど不幸な人が多いということです。

これまでの人間は、何か良いものを手に入れると、それを人のために使用せずに独り占めにしようと画策し、結果的には、いずれ崩壊するに決まっているような社会組織を構築しようとしてきました。なぜなら、その基盤が間違っているからです。

大霊からいただいた資質を発達させ、それを人のために役立てる方向で使用するようになれば、永遠なるものを基盤とした社会組織が構築されるでしょう。

私たちが説いていることは決して新しいものではありません。霊的な視野をもつ人々がずっと説き続けている古くからある真理です。それを大方の人間が顧(かえり)みようとしなかっただけです。そこで私たちが改めて説き、大霊の摂理というものがあることを指摘する必要が生じたのです。人類は自らの間違った考えによって地上界を破滅の寸前にまで追いやっております。

今こそ人類は大霊とその摂理へ回帰しなくてはいけません。イヤ、すでに回帰しつつあります。私の目には、ゆっくりとではありますが、大霊の摂理が地上界に具現しつつあるのが見えます。

何よりもまず人類が知らなくてはならないのは、大霊の恩寵はみんなで分け合わなくてはいけないということです。現在の地上には今日の食べものに事欠く人がいる一方で、有り余るほど貯えている人がいます。もちろんこれは間違っています。余るほど持っている人は足らない人に分けてあげなくてはいけません。別に難しいことではないと思うのですが……

また既得権を取り壊す必要があります。摂理は寸分の狂いもなく働きます。あなた方が自分のことを忘れて人のために精を出す時、あなた方を通して大霊が働くのです。あなた方だけではありません。人間の全てに言えることです。それは無理ですとおっしゃるかも知れませんが、私は可能だと申し上げます。それが人間としての正しい生き方だからです。摂理は完ぺきで、ごまかすことは出来ません。その摂理を一つでも多く学び、それを実行に移さなくてはいけません。

長いあいだ人類は、本当は取り壊すべきものを構築することに自由意志を行使してきました。その結果として生じた暗闇に、今ゆっくりと大霊の光が射し込みつつあり、混乱と無秩序の中から新しい世界が生まれつつあります。そこには最早や持つ者と持たざる者といった不平等も不公平も差別もなく、大霊からの賜(たまもの)が全ての子等に平等に分け与えられるようになることでしょう。

その新しい世界をどのような用語で呼んでも構いません。要するに大霊の意思に適った世界の成就――大霊の霊力はもとより、新しいタイプの喜び、新しいタイプの人生、新しいタイプの幸せを求める誠心誠意の人間の貢献によって、これ以上霊界へ“出来損ない”(死後に地縛霊となってしまうような人間)を送り込まなくなるような世界のことです。

時としてその誠心誠意の努力が無駄に終わっているような感じを抱かれることがあるかも知れません。しかし、そういう時でも、世界中のあらゆる所で、あらゆる人々が、自覚するしないに関係なく、新しい世界の夜明けのために活用されているのです。大霊は我が子が破滅の道へ向かうのを黙って見ているわけには行かないのです。私があなた方に援助をお願いするのはそのためです。そうした努力を“政治”と呼ぶかどうかは、私には関心はありません。とにかくそうした働きかけは絶え間なく続けられています。地上界と霊界の協力です。もはやそれをストップさせることは不可能です。

そうした一体の努力で私たちが物質界の到るところで大きな仕事を成就していることを誇りに思っております。悲しみに暮れていた心が明るくなっております。地上の暗闇に光が射し込んでおります。知識が無知を、まだ僅かではありますが、駆逐しております。生きる意欲を失った人々を勇気づけ、人生に疲れた人々に力を与え、道を見失っている人々に導きを与え、同胞のためにボランティア的に働いている人々には援助を与えると同時に、その背後には、大霊とその子等のための仕事を鼓舞する霊の大軍が控えているとの自覚を植えつけようとしております。

また私がうれしく思うのは、皆さんが愛しまた皆さんを愛している霊界の人々をこのサークルにお連れして、その人たちが決してこの宇宙から消えてなくなったわけではないこと、死によって愛と情愛と友愛で結ばれている人々が引き裂かれるどころか相変わらず結ばれ続けていることを、これまで以上に確信させてあげることが出来ていることです。

私たちの影響力がどれほど広範囲に広がっているかをお見せできないのが残念です。地上界と霊界とのこうした結びつきを邪魔している障害を取り壊し、障害物を取り除き、そして知識をもたらすことが出来ております。人類を霊的に、精神的に、そして身体的にも自由にする、至って単純な真理です。ご存じのように私たちはただお役に立てば、それだけで満足なのです。無償の献身を通してのみ、地球人類は救われるのです。サービスです。

ここで改めて申し上げておきたいのは、私がただの道具に過ぎないということです。真理、単純な霊的真理、あなた方人間も全生命の源である大霊の一部であるとの認識を植えつけてあげたいと望んでいる大きな霊団の一人に過ぎないということです。大霊はあなた方の内部にあるのです。神性という遺産を引き継いでおり、その潜在的神性が宿されているからこそ大霊の恩寵にあずかる資格があるということ、さらに、それ故にこそその神性を妨げる障害物や慣習を廃絶しなければならないのです。私たちの仕事は魂と精神の自由だけを目的としているのではありません。物的身体も病という束縛から解放してあげることが目的の一つです。

そういう仕事に私たちは献身してきたのです。それが私たちのいうサービスです。私はあくまでも道具の一つに過ぎませんが、私を通して人類に役立つ真理が届けられることを光栄に思っております。皆さんとともにその仕事に携わってきて何年かになりますが、これからもまだまだ続きます。地上界の皆さんと霊界の私たちの連帯によって、今こそ地球人類が必要としているものをお届けしてまいります。あなた方はすでに知識をお持ちです。霊的真理を手にされています。そして、そうした霊的知識には、それをさらに価値あることのために使用する義務が伴うことを忘れないでください。

あなた方の説く真理が疑いを差しはさまれた時は、それには神性のスタンプが押されていること、そして又、その理由は私たちが常に人間の理性に訴えていることを思い出してください。言い変えれば、私たちがお届けするメッセージが、あなた方の品位を落とさせたり知性を侮辱したり、サービスと善性と誠実さの道に背を向けさせるような要素はみじんもないということです。それどころか、人間に内在する神性を認識させ、大霊とのつながりを自覚させることによって、その神性があなた方の日常の行為の全てを律するようにと願っているのです。

霊的真理を常に意識している人たちが一致団結して、物質界に立ち込めている無知の霧を晴らすためにその力を使用すれば、どれほど大きな仕事が出来ることでしょう。善性と有用性とサービスの勢力は常にあなた方の味方であることを自覚して、自信をもって前進してください。

我々の前途にはサービスの分野がいくらでも広がっております。多くの人がお座なりの説教を捨て、古い信仰を信じず、理性的懐疑に耐え得る真理を求めながらも、いずこへ向かえばそれが得られるか、迷いに迷っております。そういう人々にこそ霊的真理と霊的摂理をお届けするのです。内部に宿る霊的資質に気づかせ、自分も神であるということはどういうことなのかを理解させ、憎悪の復讐心に燃える神の前にひれ伏すような卑屈な信仰心を永久に捨て去るように指導してあげることです。

要するに私たちは、大霊の子等のために役立ちたいと願う地上の有志との協調関係を求めている霊的勢力の存在を認識していただき、霊的真理を武器として迷信の全て、暗黒の霧の全てと闘い、霊的真理の光で地上界を照らしていただきたいのです。それが私たちの仕事なのです。私たち地球浄化の大軍には霊力という武器があります。地上界の有志を鼓舞し、導き、心の支えとなり、飢えた魂に心の糧を与え、病に苦しむ人々に癒しを与え、全ての人にインスピレーションと啓示と叡智をもたらすことが出来ます。

人間の側に理解力と受容力がそなわれば、その能力に応じて霊力で満たしてあげることが出来ます。教会に属していようといまいと、どこかの宗教に属していようといまいと、科学者であろうと唯物論者であろうと哲学者であろうと、そうしたラベルにはお構いなく、受け入れる能力のそなわった人を一人でも多く見出して協力者に仕立てて行く用意があります。