ひふみ預言では新しい世界が始まることを「岩戸開き」と言っているのですが、その日がくるまでの道筋・経過を予言として書いているわけです。

ひふみ神示を何度か読んでいて最近疑問に感じることがあるので書き記すことにしますが、当然ながら私も信者だったわけです。
しかし何度も読んでいるうちにある種の違和感を感じてきましたので、その中のいくつかをピックアップしました。

「日文の一部分」と「それに対するコメント(違和感)」の形式で書いていますので、ご自分で思い、そして考察してください。
ここでは他の資料と比較したり、調べる必要もないのですから。日文を普通に読んでみるだけです。

● 一日に十万、人 死にだしたら ● -----------------

先ずはとても分かりやすく本音が出されている所から紹介しましょう。

 上つ巻 第二五帖 
(一日に十万、人 死にだしたら神の世がいよいよ近づいたのだから、よく世界のことを見て皆に知らしてくれよ。この神は世界中のみか 天地のことを委されている神の一柱だから、小さいこと言うのではないぞ、小さいことも何でもせなならんが、…)

1日に十万人が死ぬことは、この神にとっては「小さいこと」のようです。

そしてこれで「 神の世がいよいよ近づく 」そうですが、世界中が死体と白骨だらけだと思われますが、いったいどんな「 神の世 」なんですかね。

NWO(ニューワールドオーダー)の人口削減計画を連想してしまうのですが、これ、考えすぎどころかそのものズバリでしょう。


● 「身魂磨き」って何 ● -----------------
ひふみ預言には「身魂磨き」しなさい、これは重要ですよと何度も々々も書かれております、が、これ「身魂磨き」ってなんなんでしょうか?

どうすれば「身魂磨き・洗濯・掃除・改心」ができるんでしょうか。
しかし、その「身魂磨き」をするための具体的な方法については「ひふみ預言」のどこにも書いてはいないようです。

信仰する・宗教する・スピリチュアルする 等々のことを指しているんでしょうかね。つまり、早い話が自分で調べなさいと言うことのようです。

そもそもこの「身魂磨き」って人間として生を受けた時からの人生の究極の目標(目的)なのではないでしょうか。
しかし「 ひふみ預言 」では「 岩戸開き 」されたときに「 身魂磨き 」できていない人間はこの世からは消滅するようです。


● 神懸り ● -----------------
「身魂磨き」する目的は、この「神懸れる」身体(人間)になることのようです。

(掃除すれば誰にでも神懸るように、日本の臣民なりて居るぞ、神州清潔の民とは掃除して綺麗になった臣民のことぞ。)

(洗濯すれば神懸るぞ、神懸れば何もかも見通しぞ、)
(早う神の申すこと、よく聞いて生れ赤子の心になりて神の入れ物になりてくれよ。)

(神懸れる人 早う作るのぞ、身魂洗濯するぞ、神懸りと申しても狐憑きや天狗憑きや行者のような神憑りでないぞ、真の神憑りであるぞ、)

(それにはどうしても身魂磨いて神懸れるようにならねばならんのだ。神懸りと申しても そこらに御座る天狗や狐や狸憑きではないぞ。真の神懸りであるぞ。)

(人民同士の戦では到底かなわんなれど、いよいよとなりたら神が移りて手柄さすのであるから、それまでに身魂磨いておいてくれよ。)

真の神懸り、これ「我欲を気持ちよく刺激」しておりませんか、それが「闇からの啓示」か「光からの啓示」を切り分ける指針ですからね。

現在の世の中はピラミッド型の階層構造になっていますが、この「神懸る」と言うのはまるで人間をロボット(操り人形)にすることに感じられます。


● 七人に伝える ● -----------------
「ひふみ預言」には、何故に七人に伝えるノルマがあるんでしょうかね。 まるで宗教団体やマルチ商法に入会して信者を増やすための勧誘活動のようです。

もしかしてまさか、これが「身魂磨き」ではないですよね。

 下つ巻 第一七帖 (一人で七人づつ道伝えてくれよ、その御用が先づ初めの御用ぞ。)
 下つ巻 第三三帖 (一人が七人の人に知らせ、その七人が済んだら、次の御用にかからすぞ、…七人に知らしたら役員ぞ、)

 日の出の巻 第一三帖 (改心第一と申してあろがな、七人に伝えと申してあろがな、吾れ善しはちょんぞ。)
 運命の巻 第九帖 (先づ七人に知らせと申してあろがな。)
 合火巴の巻 第一三帖 (七人に伝えよ、と申してあろ、始めの七人大切ざぞ、)


● 代りの身魂 ● -----------------
 上つ巻 第一二帖 (油断すると神は代りの身魂使うぞ。)

 上つ巻 第三八帖 (嫌なら嫌で 他に代りの身魂があるから神は頼まんぞ、嫌なら辞めてくれよ。無理に頼まんぞ。)

 下つ巻 第九帖 (役員は人の後について便所を掃除するだけの心掛ないと務まらんぞ、役員づらしたら直ぐ替身魂使うぞ。)

 下つ巻 第一七帖 (慢心すると誰かれの別なく、代え身魂使うぞ。)

これを現代風に変更すると、『何で上司の指示どうりに作業しないの? きみは使いものにならないから他の人にやらせるよ』って言うことですよね。


● 戦の見通しついている ● -----------------
 上つ巻 第三九帖 (神界ではもう戦の見通しついているなれど、今はまだ臣民には申されんのぞ。改心すれば分りて来るぞ、改心第一ぞ、早く改心第一ざ。)

神様でも戦争するんですかね?
これではいま地球上で人間達がやっている競争(戦争)と同じことでしょう。(やらされている)


● 身も心も神のもの ● -----------------
 富士の巻 第一四帖 (臣民に分かるように言うなれば、身も心も神のものだから、毎日毎日 神から頂いたものと思えば良いのであるぞ、)

素直に解釈すれば大切に使ってねですが、裏があるように感じてしまいます。 この神ってどんな存在なんでしょうか。

神様に感謝を捧げますが、この神の操り人形(ロボット)にされたくはありませんから。


● 手柄立てさすぞ ● -----------------
 上つ巻 第二一帖 (洗濯できた臣民から手柄立てさして嬉し嬉しの世に致すから、神が臣民にお礼申すから、いっさい芥捨てて、早う神の申すこと聞いてくれよ。)

 富士の巻 第五帖 (どこに居りても掃除出来た臣民から、よき御用に使って、神から御礼申して、末代名の残る手柄立てさすぞ。)

その人にだけ特別にご褒美が貰えるようです。
手柄立てさす、これ「我欲を気持ちよく刺激」しておりませんか、それが「闇からの啓示」か「光からの啓示」を切り分ける指針ですからね。


● 五十九の身魂 ● -----------------
 上つ巻 第一三帖
(元の人三人、その下に七人、その下に七七、四十九人、合して五十九の身魂あれば、この仕組は成就するのだ、この五十九の身魂は神が守っているから、世の元の神懸りて大手柄をさすから、神の申すよう何事も、身魂磨いてくれよ、これが世の元の神の数ぞ、これだけの身魂が力合わして良き世の礎となるのだ。)

 下つ巻 第四帖
(五十九の石の宮 出来たから五十九の意志身魂いよいよ神が引き寄せるから、しっかりして居りて下されよ。今度の五十九の身魂は御苦労の身魂ぞ。)

その他大勢の普通の人達はどうするの、いらないの、見てればいいの?
世の中が替わると我欲のない人間に自動的に変化するのでしょうか、とても違和感を感じるのですが。


● 違和感 ●
これで全9種類ですが、読んでいるとまだまだいくらでも違和感を感じる日文がありますが、説明としてはこれで終了です。

まとめて書き出しましたので、私が感じる『 ある種の違和感 』について理解されやすいのではないでしょうか。

ひとつずつの小出しだと分かりにくいですが、これらの日文とその解釈をまとめて読んでみると違和感を感じませんか。


◯● あなた ●◯
さて、あなたはこれらの「疑問・違和感」をどう「理解・解釈」しますか?