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 かって三田と有馬温泉は、直通の鉄道で結ばれていた。山口村と呼ばれていた当時の村の西の端・公智神社前を、蒸気機関車が煙を吐いて走っていたのである。想像するだけでロマン溢れる光景ではないか。
 

 下山口の大壇尻は、近畿一円でも有数の大きさを誇るという。だんじり専門情報誌記者の調査による下山口大壇尻の制作者、規模、機能、特徴などの全貌を紹介する。


 山口には、三人の浄瑠璃太夫の墓碑がある。何故、三人もの太夫の墓碑が至近距離で、また共通する形状でこの地に残されているのか?この地域にどんなゆかりの人物たちなのか?


 快慶作といわれ国の重要文化財である明徳寺の本尊は、かって永蓮寺にあり、寺が兵火で焼失した際に明徳寺に安置されたおkとが記録に残っている。 廃寺となった永蓮寺の歴史と格式が窺える。古刹・永蓮寺があった永蓮寺山はどこにあったのか?定かでない。

 

 山口の住民は丸山を眺めた時、いつもその背後の畑山を目にしている。畑山の頂上には独特の形状の建造物であるパラボラ・アンテナが建っている。このアンテナには、畑山の名前に由来する謎が秘められていた。

 

かって山口には鉱山があった。「西宮市史」によると山口の鉱山跡は市内では唯一のもののようである。
 高丸鉱山跡の位置と現状のレポート。