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 かって三田と有馬温泉は、直通の鉄道で結ばれていた。山口村と呼ばれていた当時の村の西の端・公智神社前を、蒸気機関車が煙を吐いて走っていたのである。想像するだけでロマン溢れる光景ではないか。
 ところで当時の有馬線の軌道は現在の山口町のどこを走っていたのだろうか。2007年6月、旧有馬線の駅舎や線路道を求めて山口、中野、有馬を訪ねた。その結果推定された軌道跡を、入手できた最も古い航空写真上に赤いラインで描いてみたのが下記のマップである。
 右画像は山口町郷土資料館展示の有馬線有馬口駅の写真である。
 左記の航空写真は1974年撮影とある。中国道の西宮北ICはできているものの、流通団地は造成中であり、北六甲台もその姿はない。
 有馬線は西宮北ICの東を南下し公智神社前に出る。
 右画像は神社北側の「駅前橋」と名づけられた旧有馬口駅の名残りの小さな橋である。画像正面は光明寺でその右建物が旧駅舎の跡のようだ(地図画像@)。
 公智神社前の南北の道は有馬線の線路跡である。
 この道の南端の東にカーブした先に一段高くなった「めぐみ橋」が有馬川を跨いでいる(右画像、地図画像A)。この橋に旧有馬線の橋が架けられていた。
 有馬線は中学校の西側を南下し病院や住宅街を抜けていく。阪神高速北神戸線を超えて中野に入る。
 工事中の右画像は中野の山の中腹を走っていた線路跡である(地図画像B)。
 山口と有馬温泉をつなぐ県道を南に進みカルーという喫茶店の向いの小道を左折する。
 右画像は中野の集落に入り正面ある茅葺屋根の民家である(地図画像C)。
 民家前の道を抜けて進むと南側に右画像の古いレンガ積みの建造物が見える(地図画像D)。
 鮮やかに残る鉄橋の橋脚跡である。有馬川の支流・十八丁川に架けられた鉄橋の二つの橋脚が残されてる。
 県道に戻り有馬温泉方向に進む。先山クリニックの案内看板を目印に点滅信号を左折する。
 右画像のコンクリート橋の正面に先山クリニックの建物がある。終点「有馬駅」跡の建物だ(地図画像E)。