山口の鉱山跡
かって山口には鉱山があった。「西宮市史」によると山口の鉱山跡は市内では唯一のもののようである。山口村誌には、『採鉱の跡』(「第九章 名所・旧跡・伝説」の「旧跡」の項)の中で、山口の鉱山採掘に関する以下の記述がある。
江戸時代末から明治の中ごろにかけて、当地では鉱山の採掘が盛んに行われたが、含有量が少なく、採算が取れないため現在は全部廃坑となっている。 ※主な鉱山として次の各鉱山があげられている。
・畑之上鉱山 弘化二年(1845)頃から細工していたが明治三年中止
・名来の蠟石(ろうせき)鉱山
・高丸鉱山 銀銅を採掘 明治三十四年に採掘中止 |
高丸鉱山跡
上山口の知人の本田さんからかって山口で採掘されていた高丸鉱山についての2001年当時の資料を頂いた。資料には概略すると次のような内容が記されていた。
・高丸鉱山の旧住所名は「有馬郡下山口村字高丸」であり、「金山鉱山」と呼ばれていた。
・明治26年(1892)に塩瀬村の小和田熊吉氏により採掘届が出されたが、含有量が少なく採算が取れないため明治34年に採掘を中止した。
・かっての高丸鉱山のあった所は、山口町徳風会の所有であったが、現在は西宮六甲ゴルフ倶楽部の所有になっている。(ちなみに同倶楽部の住所は「西宮市山口町下山口字高丸1645-1」であり、高丸の名前が今も残されている)
・高丸鉱山の位置は、船坂川の七合橋の約500m北下流にあり、坑道入口は数ヶ所あった。その内の一ヶ所は、鍋倉橋の北下流約300mの所にあった。(現在、そこに至る道はゴルフ場管理下にあり、進入路入口は閉鎖されている。 |
入手できた高丸鉱山の坑道入口跡の画像は以下の通りである。
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