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畑山のパラボラアンテナ 山口のランドマークともいうべき山に丸山がある。山口の住民は丸山を眺めた時いつもその背後の畑山も目にしている。 畑山頂上には独特の建造物であるパラボラアンテナが建っている
。NTT畑山無線中継所のアンテナである
。このアンテナには畑山の名前に由来する謎が秘められていた
。 2010年5月、公民館講座推進員責任者の庄治さんから畑山に関する貴重な情報を頂いた。畑山の名前の由来は「旗振り山」であるという情報だった。 江戸時代以降、大阪堂島の米相場を山から山へ手旗信号で伝えていた。畑山はその山のひとつで「旗山」が変化して畑山となったとのことだった。確かにに、「有馬郡誌」下巻の山口村の「山嶽」の記述には畑山は旗山と記述されている。 旗振り山熱中人・柴田さん庄治さんの情報で「旗振り山」研究の第一人者で東大阪養護学校教諭の柴田昭彦さんを知った 。柴田さんのホームページ「旗振り通信ものがたり」には、旗振り山に関する詳細な情報が掲載されている。 以下、HP「旗振り通信ものがたり」から抜粋してコメントした。 【柴田昭彦さんのプロフィール】 ・2004年2月、旗振り山情報満載のHP「旗振り通信ものがたり」の立上げ ・2006年5月、日本で初めての旗振り山の本「旗振り山」を発行(左画像) ・2009年7月、NHK番組「熱中時間」で「旗振り山熱中人」として紹介される 江戸時代中期から大正中期まで、大阪堂島の米相場を山から山へ手旗信号で伝えた。 米相場を早く知って売買で儲けるためだ。 畳一枚ほどの大きさの旗が振られ、20倍位の遠眼鏡(望遠鏡)で覗きながら、堂島から広島まで約40分で伝えたという。幕府は米価を伝える公認の飛脚の仕事を奪うとして禁止したが、旗振り業者は後を絶たず、早さと正確さを競った。柴田さんによると「その数は西日本中心に約130ヶ所。六甲山系はもやが発生しやすいなどの理由で、中継点が多い」とのことだ。 相場を旗振りで伝えたことから「相場山」「相場振り山」「旗振山」「旗山」「高旗山」と呼ばれたり、標記変化や抜け商い逃れのため「畑山」と呼ばれる場合もある。※右の画像は「NHK熱中倶楽部」ブログより転載させて頂いた 。 畑山は旗振り山山口の「畑山」は、三田の街への通信の中継点だった。畑山から「さんしょう山(三田市香下)」、「三国ケ嶽(三田市小柿)」を経て多紀連山を通り、日本海へ抜けるコースであったと推測されている。 「NHK熱中倶楽部」ブログより転載の旗振り山をプロットした地図(左画像)には上記のコースが描かれている。また相場山、相場の峰、高旗山、相場振り山の名前が記されている。 |