流氷が接岸する音を聞いたことがあるだろうか?
その音はギィーッというすさまじい音がするそうだ。またその音は、動物の鳴き声のようでもあるらしい。
私が流氷の町を初めて訪れたのは十数年前。正確には12年前の2月下旬のことだ。
2月下旬ともなると、もう完全に流氷は接岸を終えていて、流氷の上に降り積もった雪がまた違った風景を作り出していたりする。能取岬から見る流氷原は、水平線までただ白い風景がひたすらと続いているように見え、とてもそこが海だとは想像できないような風景が広がっていた。
私が流氷の町と呼んでいるその町は、色々な意味でオホーツクの中心的な役割を担う町、 網走のことだ。
網走は「網走番外地」などの映画の影響か、イメージとしてはなんとなく暗く、そして「最果ての地」という印象を人に抱かせる。
確かに12年前、真冬のしかも夕方に到着したその町はひたすら寒く、何もかもが凍り付いてしまいそうな気持ちがした。夜、一歩外に出るとチラチラと降る雪が街灯に照らし出され、より一層厳しい寒さを感じさせた。外を歩く人の数は少なく、それでも歩いている人は例外なく肩をすぼめ、辛そうに歩いているように見えた。
だがそのとき抱いたイメージは、決してこの町のすべてを現してはいない。訪れる季節や訪れた時の気分によって、そこは光りあふれる町にも見えるし、どこまでも活気にあふれる町にも見える。
今回は6月中旬、初夏の雰囲気があふれる季節に、この流氷の町「網走」を訪ねた。
駅前の国道を右手(東側)の方角に歩いて行くと、やがてそこが市街の中心地だと言うことがわかる。
さっそくホテルでチェックインを済ませ、久しぶりの網走の町を歩こうと思った。
訪れた季節の違いか、12年の間に町並みが大きく変わったせいか、どちらにしても記憶にある建物は全くない。これでは初めて訪れた町に来ているのと変わらない。不思議なもので、町でただ「すれ違っただけのおばあさん」や「道ばたで欠伸をしている犬の姿」などは、何故か鮮明に覚えていたりするのだが。
予約しておいたホテルはすぐに見つかった。
部屋に入って、その狭さに多少驚く。札幌では同じくらいの料金で、この倍くらいの広さの部屋に泊まっていたのだ。
札幌でホテルの予約電話を入れたときに「料金が500円割高の部屋と、通常料金の部屋のどちらもお取りできますが、どちらにしますか?」と聞かれ、「どう違うんですか?」と尋ねると「本館と新館で、新館の方が500円高くなっています」と、分かったような分からないような説明を受けた。
私の方でも深くは考えずに、「そうかぁ、新館の方が新しいんだから、きっと部屋が広くて綺麗なんだろうなぁ。まあ、500円の違いでしかないけど」と言う具合で、躊躇無く新館の方の部屋を予約したのだ。ところが、結果はこういうこと。
もっとも、新館の部屋の方がなぜ高いのか、この理由はすぐにわかった。
部屋のグレードが高いのではなく、部屋の外−部屋の窓からの風景が新館の方が秀でているのだ。
窓からは真正面に網走川と網走港、そしてオホーツクの海が見える。遠くには知床半島と知床連山も見ることが出来る。
この価値に500円という値段を付けたのだなと思うと、妙に納得できてしまった。
先週までの天候が嘘のように晴れ渡り、しかも突然30℃を越える気温だ。これには身体が追い付いて行かない。すぐに汗が噴き出してくる。
途中から商店街のアーケードに入り、歩きながら商店街の様子を眺める。
中学生ぐらいと見える女の子が二人、ソフトクリームを舐めながら歩いている。真冬に制服の上にオーバーコートを着込んで、寒そうに歩いていた中学生の姿は今の季節にはない。そんなことを考えていると、なんだか別の町に来たような気が段々してきた。
やがて商店街の外れまで来た。すぐそこが網走川の河口だ。
河口には漁船が何隻も停泊している。その船を見ながら、ロープを留めるブイ(っていうのかな?)の上に腰掛け、途中の自販機で買ってきた缶コーヒーを飲む。
風向きがちょうど海から陸に向かっているせいか、潮の香りをかなり強烈に感じた。
しばらく海風に当たりながら過ごしていると、沖から引き上げて来た漁船が私の目の前を通り過ぎて、網走川をどんどん上っていった。漁船の航跡が光を反射してキラキラ光る。
同じ道を引き返すのも面白くないので、横道に入って行くと、すぐに車道に出た。
「郷土博物館」という看板が出ていたので、その入り口まで行ったが、今回は見学をパス。いつもだと博物館のたぐいは好きな方で覗くことも多いのだが、今日一日でかなりの距離を歩いていたせいか、さすがに歩くのが好きな私も億劫な気がしたのだ。博物館の奥はグラウンドになっていて、子供たちが野球の練習をしていた。
博物館の写真を外から撮影するだけにして坂道を下り、また先ほど通った商店街に出る。
とりあえずホテルに一旦引き上げて、一休みしてから晩飯を食べに(実際は"酒を飲みに"なんだけどね)出ることにしよう・・・。
旅をしていると、いつも以上に自然の変化に敏感になり、夕陽などをじっくり見る機会も増えるのだが、朝陽を見る機会はさすがにあまりない。この時期、網走の辺りで午前3時半には陽が上る。本気で「朝陽を見よう」と思わない限りは、なかなか見るチャンスはない。つまりは、それなりの準備と覚悟(こっちが一番の問題)が必要というわけだ。
だが今回は特別な準備も覚悟もいらない。
「今日寝るときにカーテンを開けっ放しで寝れば、朝陽が直接俺の顔を照らすよなぁ。こりゃあ目覚まし時計よりも確実に目が覚めるぞ。それに曇っていたり、ひょっとして雨が降ったりすれば眩しくないわけで、これはこれで無駄に起きる必要もないし・・・」
とまあ、大発見をしたような気分になったというわけだ。もうさっきまでのホテルに対する不満も消え失せ、「よくぞこのホテルを、しかも新館を選んだものだ」と自画自賛したくなるような気分でいる。私は単純なやつなのだ(笑)。
昨日は知床までの日帰り旅(こちらは「旅その11」を見てね)のせいで疲れていたせいか、目覚まし時計が鳴るまでグッスリと眠りこけていた。
時刻は8時。慌てて身支度を整え、網走バスターミナルに向かうことにする。ここから発車するバスで、天都山(てんとさん)のオホーツク流氷館、そして網走監獄を見ようと思ったのだ。
12年前に訪れたときには、あまりの寒さに歩き回るのも面倒で、博物館のたぐいは全然見ることもなく次の場所へ移動した。だから訪れるのは今回が初めてだ。
ターミナルを出たバスは網走駅前を通過し、網走刑務所の辺りで左に折れ、山道を登って行く。この辺りは網走湖にも近く、市街地のこんな近くに自然が溢れていることが羨ましい気がする。
やがて山頂。山頂にはオホーツク流氷館があるのだが、実はこの流氷館を見ることが目的ではない。流氷館の受付横の階段を上って行くと無料の展望台があるのだ。この展望台からは網走湖、網走の町並み、そして遠くにオホーツクの海、そしてさらに遠くには知床半島まで見渡すことが出来る。
今日で三日連続の晴天。真夏のような日射しが眩しい。流氷の町も今は光に溢れている。
車道を歩いていると、すぐに枝道があった。歩くには手頃な道で、車道は山をグルッと回り込んでいるので、こちらの道の方が短時間で歩けそうだ。まあ少なくとも車が脇を通らない分だけ、快適であるには違いない。
さすがに誰も歩いてはいない。虫の大合唱が本当に夏を感じさせる。
車道が回り込んでいるのも当然で、直線的に作られた遊歩道はそれなりの斜度がある。「上りだったら途中で嫌になっちゃいそうだな」と思いながら歩く。
結局、再び車道に出るまでの間、誰にも出会うことはなかった。
再び車道を歩く。来るときにバスの車窓から見えた牧場が見えてきた。斜面に作られたこじんまりとした牧場だ。羊と馬(小さいので道産子かな?)が仲良く草を食んでいた。
段々汗が噴き出してくる。相変わらず、虫は盛大に合唱を続けている。
網走監獄では明治期の、まだ刑務所が監獄と呼ばれていた時代の建物をこの地に移築、あるいは再現している。各建物のポイントに配置されたマネキンの人形が、リアルな雰囲気を出している。
団体バスの観光客や修学旅行の学生が数多く来ているせいか、辺りは妙に賑やかだ。30℃を越える天候と相まって、開拓期の監獄の厳しさや過酷さなどはイメージしにくい雰囲気だ。
それでも「行刑資料館」という各種の資料を展示している場所などでは、その厳しい歴史について色々な思いが頭をよぎる。
何年か前に読んだ小説の中に、「北海道の各地の"道"を切り開いたのは、北海道の各地の監獄に収監されていた囚人たちで、彼らの人命を犠牲にして開拓が進められた」といった記述があったのを思い出した。
監獄には重罪を犯した囚人も確かにいたのだが、言論が自由でない時代、その言動が正論であっても、それが正論であるが故に反政府的であると見なされ、収監された政治犯も多くいたらしい。そしてそんな彼等の命と引き替えに北海道の開拓は進められた。
そんなことを考えていたら、一瞬だけ、あの12年前の寒々しい風景が脳裏に浮かんだのは気のせいだろうか・・・(たぶん、気のせいだね)。
さてここからは再びバスに乗って網走駅に戻ることにする。
さっそく自転車に乗って海を目指した。
網走川を渡って、モヨロ貝塚(縄文?時代からこの辺に人が住んでいたんですね・・・)の脇の道から海沿いの道に出る。
そう言えば12年前、この網走川を橋の欄干から見つめた。その時、氷を浮かべた川の水が、逆流して上流に向けて流れていたことを思い出した。
こんな些細なことがなぜか記憶に残っている。薄い氷がどんどん上流に向かって流れていくのが印象的だったのだ。
今は初夏。氷なんかもちろん流れているはずもなく、日射しを浴びて川面はキラキラ輝いている。
今日のオホーツクの海は波もほとんど立たず、とても穏やかだ。小学生ぐらいの子供たちが波打ち際で遊んでいる。
「今日は休みの日だっけ?」
旅を続けていると、段々と日付や曜日の感覚が怪しくなってくる。
そのまま快適な海沿いの道を「二ツ岩」を目指して進む。特に目的があるわけでもなく、かと言ってなにも目標がないまま自転車を走らせているだけでは面白くない。そこで遠くに見える二ツ岩を目指そうというわけだ。
この二ツ岩の近くには、あのクリオネ(「流氷の天使」と呼ばれている貝?の仲間)がいるオホーツク水族館もある。
「風を切って走る」と言うほどスピードは出していないが、それでも風が心地よい。
二ツ岩で自転車を止め、波打ち際を歩いて岩の裏側に回る。この辺りの海岸は農水省(だったかな?ハッキリと覚えていないんです)の試験地域で、勝手に海藻などを採って持ち出しては行けないらしい(と、看板に書いてあった)。そのためか誰もいない。のんびり過ごすには最高の環境だ。 オホーツク水族館の脇の自販機で買ってきた「夕張メロンミルク」(ちょっと名前が違ったかな?ダイドードリンコの缶飲料。ミルクとメロンの味が絶妙でした)を飲みながら、しばらく日光浴。
誰もいない、穏やかな、そして明るいオホーツクの海。
つい数ヶ月前までは、この辺りには一面「白い景色」が広がっていたのだ。厳しい季節もあり、そしてこんな季節もある。四季の表情がこれほど豊かでハッキリしている。
さてその後、2時間あまりの間自転車をこぎ続け海沿いの道を行ったり来たりしていたが、そろそろ自転車を返す時間になった。
今日の夕方の便で帰京することにしていたので、自転車を返した後、駅のトイレで着替えることにする。
着ていたTシャツは汗でビショビショだ。
鏡を見ると、肌が露出していた部分が赤くなっている。知らず知らずの内にかなりの日焼けをしていたらしい。
着替えを済ませ顔を洗い、ようやくさっぱりした気分になって、また市街地に向けて歩き出した。これからどこかで食事を済ませ、そしてバスターミナルから女満別空港行きのバスに乗るつもりでいる・・・。
次にここを訪れたとき、この流氷の町はどんな表情を見せてくれるのだろう。
そして、今度は何を感じるのだろう・・・。