旅その2 思い入れの丘(美瑛町 1996年5月)

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美瑛町の位置
 同じ土地をこれほど度々訪れていると、普通だったら、 馴染みの店の1軒や2軒出来てもおかしくない。私もご多分にもれず札幌に行くと必ず顔を出す店がある。
 今回は2週間の予定で札幌に来ていた。そして出張最後の夜を、そんな馴染みの店で一仕事終わった開放感とともに過ごしている。



 『帰りにどこかに足を延ばそうと思うんですけど。今ぐらいの季節だと、どこがいいでしょうねぇ?』

 時は5月。東京辺りでは、梅雨入り前の一番良い時期だろう。ところが、ここ札幌は 天候不順でず〜っと曇りがち。しかもとんでもなく寒い。思わず「コートが欲しい」と思うような気温が続いているのだ。

 『今の時期は、どこ行っても寒いよ、まだ。今回は大人しく帰ったら? どうせ、また来るんでしょう?』

 確かにマスターのおっしゃるとおりではある。だがこのまま東京に戻ったとしても、とりあえず少しだけ仕事が暇なはず。ならばリフレッシュを兼ねて、どこかへ出かけたい。

 『十勝なんかどうでしょうねえ?』
 『十勝!? ダメダメ。ようやく春めいて来たってなぐらいじゃない? 夏行きなよ、夏!』

 わかっちゃいるけど、そう都合良くお薦めの季節に出張があるわけでもない。このところ頻繁に札幌へ仕事に来てはいるが、なぜか『夏の最盛期』と『雪祭り』の時期だけは外れている。
 そんなことを話しながら旨い酒を飲み続け、足下がフラフラになる頃合いに店をあとにした。



美瑛駅  さて、翌朝。ちょっと二日酔いの状態だ。
 手早くシャワーを浴びて身支度を整えてから、2〜3日前に買った 時刻表を開いた。巻末に出ている『なんたらかんたら協定ホテル』の一覧を見るためだ。
 昨夜、ホテルに戻ってからベッドの上で考えた。とりあえず、どこかへ行こうと。
 天気はあまり期待できそうにない。どこにしようかなぁ・・・・そう思ったときに閃いたのが、『"思い入れの丘"を見に行こう!』ということだった。
 思い入れの丘とは、美瑛町の『丘』のことだ。

 どうして『思い入れの丘』なのか。ちょっと酸っぱい話なので、理由は省略(^^;)。まあ、10年以上昔の話だ。思い入れには人に語りたいものと、そっと内緒にしておきたいものの二種類がある。で、この丘に対する思い入れの理由は、後者の方というわけだ。
 (そのため以降の旅日記の中で作者の気分が変わる理由も、お読みいただく方には「?」のところもあるでしょうが、ご容赦下さいませ・・・)
 まあとにかく色んな思いがあったこともあり、どういうきっかけで訪れることになるかはわからないが、『いつかは行きたい。必ず一度はこの目で見たい』と思っていたのが、この丘だったと言うわけだ。
 もっとも、それだけじゃない。『帰りの航空券は買ってないから、帰りは違う空港からビューンと帰るのもいいなあ』という、私にピッタリの単純な理由もある。

 さてさて、今日の泊まりは旭川のホテルにしようと思っている。時刻表のホテル一覧からめぼしいホテルを見つけて電話をしてみると、最初の電話で今日の宿が決まってしまった。やっぱりこの季節は観光客が少ないのかなあ・・・・とも思ったが、札幌辺りでも夏のハイシーズンを除けば、大体が電話一発でホテルが取れる。だから観光シーズン云々はあまり関係ないことなのかも知れない。

 とにかくそんなわけで、私は旭川行きの列車に乗るために札幌駅へ向かった。



 旭川に到着。
 札幌から特急で1時間半ほど。北海道第2の都市だが、札幌に比べると遙かにこじんまりとした印象がある。これは、札幌という都市に異常なほど人口が集中しているために、そう感じるのかも知れない。それでも大きな都市であることには変わりなく、道央のすべての中心となっている町であることは確かだ。

 ここでとりあえず途中下車して、荷物をコインロッカーに預けることにする。身軽になったところで再び改札口を戻って、一番端のホームへ向かった。ここから富良野線で美瑛に向かうのだ。

 ホームに立つとまもなく、一両のディーゼルカーが入ってきた。車体の色は白に近いクリーム色で、横に紫とグリーンの線が入っている。ワンマンカーだ。何年か前に乗った深名線の列車(今はもう廃線になった深川〜名寄間を結んだ路線。『旅その1』に登場。そちらをご覧ください)とは車輌の雰囲気が全然違う。もっと『ローカル線らしさ』みたいなものを勝手に想像していたのだが。

 これは乗ってみて、そして走り出してみてすぐに解った。この列車の利用客は思いの外、多い。そして停まる駅ごとに比較的大きな町もある。私がイメージしていた『田舎町を走るローカル線』というよりも、『都市近郊を走る通勤路線』と言う感じ。



美瑛町役場と展望台 展望台からの風景  車窓風景を見ている内に、退屈する間もなく美瑛に到着した。旭川からここまで30分ほどの時間だった。
 とりあえず昼食を取ろうと思い、駅前からまっすぐ東側に延びる道を、とりあえず歩き出す。
 私はいつもそうなのだ。駅の案内図を眺め、全体をざぁ〜っと掴むと、あとは闇雲に歩き出す。それで、失敗することもまた多いのだけど。

 『さあ〜て、何を食べようか・・・・』
 そう思って歩いていると、何やら立派な建物が見えてきた。地方の小さな町で立派な建物を見たら、大抵は「お役所の建物」か「農協の建物」と相場が決まっているが、ここも例に漏れず美瑛町役場の建物だった。本体の建物も立派だが、その隣にこれまた立派な展望台まである。四季の塔という名前らしい。周囲に背の高い建造物がないので、見晴らしは最高に違いない。そう思って早速、その展望台に向かうことにした。さすがにお役所の展望台だから、上に上がるのにお金を取られることはない。
 展望台からはグルリ360度の展望。遠くに大雪山連峰や町の周囲を取り囲むように丘が見える。天気が良ければもっと楽しめると思うのだが、こればかりは致し方ない。
 美瑛の駅の売店で買った使い捨てカメラ(この呼び方、あんまり好きじゃないんだけど、『レンズ付きフィルム』って言うのも何だかピッタリ来ないし・・・・良い呼び方ありませんかねえ?)で何枚か写真を撮って、展望台を降りた。



美瑛の商店街  さて、食事だ。何か名物を・・・・と思ったが考えてみれば美瑛の名物を知らない(もちろんジャガイモなど畑の作物が名物であることは知っている)。結局、駅の近くの蕎麦屋に入ることにした。
 この蕎麦屋のある「通り」は表現が適切でないかも知れないが、新興の高級住宅街風の建物で統一されている。他の通りの建物とはかなり雰囲気が違うのだ。仏具屋さんや床屋さんまで、外見がやたらと凝っている。駅前に「なんたらかんたら再開発事業」みたいな看板が立っていたが、これのことだったのだろう。残念ながら、看板に書いてあった内容は失念してしまった。
 建物には必ず『1992』とか『1993』とかの西暦年が屋根の直下に入っている。これは建物の建築年だろうか、あるいはここに最初に居住した年だろうか・・・。私が入ろうとした蕎麦屋も同様だ。
 中に入ってみると、これはごく普通の蕎麦屋で、何故かホッとした気分になった。
 頼んだビールに、つまみとして出してくれた大根の煮物がいい味を出している。もちろん蕎麦も旨かった。



 蕎麦屋を出て、再び駅前に戻る。
 ここで『レンタサイクル』を借りることを思いついた。駅前には何軒かのレンタサイクル屋がある。その内の一軒で、コースの説明を受けて、3段変速ギア付きの自転車を借りた。

 それにしても、このお店でのコースの説明が微に入り細に入りでなかなか面白い。
 『ここからはず〜っと上りだから、頑張って上るでしょ。登り切って、"しんどいなぁ"と思った頃、こっちの方に"ケンとメリーの木"が見えてねえ』とか、『ここからはず〜っと砂利道。お尻が痛いのが嫌だったら、こっちの道ね』とか、『この後はず〜っと気持ちのいい道が続いているから、飽きるまで真っ直ぐ入って、途中で引き返して来るといいよ。あんまり行っちゃうと、帰りがほんの少しだけど上りになっているから疲れるよ』などと、細かく説明してくれる。
 実際にお薦めコースを走ってみて、確かにお店で教えられたとおりだった。実際にこの店主も走ってみたんだろうなぁ。それで、毎夏どっと押し寄せる観光客にその経験を生かして説明する内に、段々説明もうまくなっていったんだろうなあ・・・・そんなことを思うと何だか楽しい。



ケンとメリーの木・遠望 丘の道を走る  自転車をこぎ出す。自転車に乗るのは久しぶりのことだ。もう、3〜4年は乗っていない。風を切って走るのはなかなか気持ちが良く、あらためて自転車の魅力を感じたりもしているが、少々肌寒くはある。
 出張帰りなので、私はスーツ姿で自転車に乗っている。「これでは解放感には程遠いなぁ」と思って、さすがに途中でネクタイは外したが。
 国道を越えて少しするとすぐに上り坂になった。途端にさっきまでの快適さが嘘のよう・・・・もう直ぐにへばってしまい、自転車を降りて歩き出した。「歩くスピードで景色を楽しむんだもんね」と、自分に対してい言い訳がましいことを考えてしまう。さっきまで肌寒いなどと思っていたのが、今は汗を掻くくらいになっている。

 さてここから先はガイドブックでも有名な景色がず〜っと続く。『パッチワークの丘』とか『セブンスターの木』とか、まあどこをどう切り取っても絵葉書的な風景が広がっているわけだ。お天気にさえ恵まれれば、誰でも優秀な写真家になれそうな気がしてくる。
 だが、そういった風景の描写は、この旅日記からは思いっきりカットしてしまうことにする。この風景を言葉で描写することは難しい。ましてや、私の拙い表現力では・・・とにかく日本離れした風景であるには違いない。

 ところで、同じ北海道の父の生まれ故郷も農業地帯なのだが(これも「旅その1」で、ね)、その地とは正反対の印象を受ける。どこが違うのだろうか。
 この風景を見ていると、どうしても北海道の自然に対する『大らかさ』の部分を感じてしまうのだ。真冬の厳しさも、この丘を訪れる観光客にとってはすべて『美しいもの』に映り、今日のような重く立ちこめた雲や嵐であっても、『自然の大きさ』に感動してしまう。一方、あちらは北海道の自然の『厳しさ』だけが、どうしても強調されて感じられてしまう。
 この印象の違いは訪れた時期の違いや『農業の規模』の違いもあるのだろうが、それだけではない。何よりも大きな違いは、ここには『丘』があるからなのだ。美瑛は『田園』と言う言葉が、ごく自然に違和感無く受け容れられる地だという気がする。

 下っては上り、また下っては上る。その繰り返しに、「ここはやはり『丘の町』なのだ」と、何度も思わずにはいられない。



ケンとメリーの木  やがて周りから一段高い丘の上に出る。ここには展望台が作られている。
 ここで一休み。自動販売機で缶コーヒーを買って、展望台に上ることにした。
 ふと思いついて、胸ポケットの携帯電話を取り出してみると、町中では『圏外』表示だったのが、ここではアンテナマークが点いている。そこで、なんとなく今の気分を誰かに話したくて、友人に電話をかけることにした。が、この『大きな景色』を言葉で伝えられないもどかしさを感じてしまう。所詮、その場にいない人間に自分と同じ気持ちになることを期待しても、無駄なのだろうが・・・。
 実はこの時、急に猛烈に「切ない気分」になってしまっていた。それで電話でも良いから誰かと話がしたくなった。大きな景色は感動と同時に、人の心を裸にしてしまう作用もある(と、断言してしまう)。そんなとき、誰もが感じる思いなのかも知れない。あるいはこれは過去への感傷か。過去への感傷が、自然の力で剥き出しにされる瞬間なのか。

   だが、いつまでもそんな気分でいるのは私の柄じゃない。それに何だか少しだけスッキリした気分もしていた。どうせなら大声で叫んで、もっとスッキリしてみれば良かったかな?
 もう一度大きな風景を眺め渡して、自転車まで戻ることにした。



セブンスターの木 どこまでも続くような丘の道  ひたすら「緑」と「茶」のコントラストの中を走り続ける。車だと一瞬で通過してしまうのだろうけど、急な上り坂では例によって押し歩き。下り坂では、目一杯のスピードで風を切る。
 心の中では「もう戻ろう」と言う気持ちと「もう少し先に行ってみよう」と言う気持ちが交錯する。
 「いったい俺はスーツ姿で、何をやってるんだ?」という思いもちょっとだけする。

 空は相変わらずの重い空だが、時々青空がのぞいたりもする。
 考えてみたら、こんな天気の日に思い入れの丘にやってくることは、考えたこともなかった。いつもいつも「青い空と爽やかな風」・・・・そんなことだけをイメージしていた。
 でもこれは私に限ったことではないだろう。どんなガイドブックを見たって、今日のような曇天の日に撮影して、しかもその写真をわざわざ選んで、掲載するはずはない。
 そんなことを思いながら走っている内に、そろそろレンタルの終了時間が近づいてきた。レンタル時間は延長できるが、そんな元気はもう残っていない。
 この大きな『思い入れの丘』に別れを告げ、今度は往きと違うルートで、一気にレンタサイクル屋に戻ることにした。



茶色の大地  帰りの列車まではまだ間がある。
 駅周辺をブラブラしようと思ったが、何だかとても疲れていた。久しぶりの自転車だったからだろうか。
 出発までの間、駅のベンチで休憩。やがて美瑛・始発の旭川行きの列車が入ってきた。
 再び旭川まで30分。列車に揺られることになる。



 ・・・さて、話はいきなり旭川の夜。場所は寿司屋のカウンタ。
 明日は午後の飛行機で帰るつもりなので、板前さんに旭川周辺の見どころなどを取材している。

 『この付近で、どこか良い見どころありますかねえ?』
 『う〜ん・・・市内だとあんまりお薦めの場所ってないんですよ、旭川って言うところは。ちょっと足を延ばせば、層雲峡とか美瑛とか、有名なところがいろいろとあるんですけどねぇ・・・』
 『実は今日ねえ、その美瑛に行って来たんですよ・・・』

 明日は道立美術館でも見に行こう(若旦那のお薦めだった)と思いつつ、寿司を摘んでいると携帯電話が鳴った。友人からだ。

 『今、どこにいるの?まだ、北海道?』
 『うん。明日、帰るつもりだけど・・・』

 また『思い入れの丘』の話をしたくなったけど、急に気恥ずかしい気分になって、止めてしまった。
 次に美瑛を訪れるのはいつのことだろう・・・・今度は絵葉書のような「お天気」を期待している自分がいる。もう「思い入れの丘」を通り過ぎ、「想い出の丘」を訪れることになるのだろうか。そんな気がしないでもない。いやいや、相変わらずの気持ちでいるかも知れない。

 そんなことを思いつつ、寿司をパクリ。旭川の夜は更けて行く・・・。


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1999.6.16 Ver.5.0 Presented by Yamasan (Masayuki Yamada)