ポセイドン・アドベンチャー ★★☆
(The Poseidon Adventure)

1972 US
監督:ロナルド・ニーム
出演:ジーン・ハックマン、アーネスト・ボーグナイン、レッド・バトンズ、キャロル・リンレイ

左から:ステラ・スティーブンス、アーネスト・ボーグナイン、レッド・バトンズ、
キャロル・リンレイ、ロディ・マクドウォール

 1970年代と言えば、盛んにパニック映画が製作されていたことは映画ファンならずとも誰でも知っているはずだが、その導火線になったのが「ポセイドン・アドベンチャー」である。エアポートシリーズの第一作「大空港」(1970)はそれより以前の1970年に製作されているが、他のシリーズ3作には明らかに扇情的なパニック映画の要素がふんだんに散りばめられているのに比べ、「大空港」はむしろ空港に集まる人々を描いたグランドホテル形式の群像劇と捉えられるべきであろう。たまたま、ラスト3分の1の展開がパニック映画的であるというに過ぎない。「大空港」をパニック映画の元祖とするのであれば、それよりも15年も前に製作され、「大空港」に極めて類似する展開を持つジョン・ウエイン主演の「紅の翼」(1954)をパニック映画の嚆矢とすべきだろう。従って、1970年代のパニック映画の元祖としては「ポセイドン・アドベンチャー」を挙げるのが妥当であろうと個人的には考えている。今でも覚えているが、生き残った何人かの乗客が転覆した豪華客船から何とか脱出しようとするストーリーは、当時中学生になったばかりの小生にはいかにも新鮮であった。というよりも、完全に上下逆さまになった豪華客船という或る意味で滑稽ですらあるイメージが強烈であったという方が正しいかもしれない。

 そのような子供時代の記憶は別として、大人になった現在この映画を見直して気が付くことは、実はこの映画には、宗教的なコノテーションがかなりの程度含まれているのではないかということである。言い換えると「救済」というテーマが厳然として存在するように思われる。ジーン・ハックマン演ずる主人公が牧師であるということは別にしても、転覆した豪華客船の一番下側(転覆しているので実際は上部になる)から海面に突き出ている船底に向かって、主人公達が火をくぐり、水をくぐりながら這い上がっていく様子には、言ってみれば地獄、煉獄を通って天国へ昇っていく救済の道が示唆されているようでもある。その意味で言えば、転覆した豪華客船という設定は斬新であるというよりも、必然的な設定であったということかもしれない。また、「ポセイドン・アドベンチャー」の設定を逆にしたのが、1970年代のパニック映画の最高峰とも言われる「タワーリング・インフェルノ」(1974)であり、穿ちすぎかもしれないが、そもそもこちらにはタイトルそのものに「インフェルノ(地獄)」という単語が含まれている。語呂の問題かもしれないが、hellのような一般によく使われる単語ではなく、infernoというイタリア語起源の用語がわざわざ使用されているのも、或いはダンテの「神曲」あたりが意識されているということかもしれない。「タワーリング・インフェルノ」は高層ビル火災がテーマということもあり、「ポセイドン・アドベンチャー」が下から上であったのに対し、最上階から地上に火をくぐり、水をくぐりながら降りていくというように上から下へと救済のベクトルが向くが、根本的な思考様式は全く変ってはいない。

 振り返ってみると、「ベン・ハー」(1959)のようなスペクタクル史劇超大作ですらその本質は宗教劇であったことを思い出してみれば分かるように、1950年代まではハリウッド映画にも宗教をテーマとした作品が数多く製作されていたが、1960年代に入ると勢いが衰えカウンターカルチャー運動の時代を経て1960年代の終盤にさしかかると宗教が直截に関連する映画はほとんど製作されなくなる。「ポセイドン・アドベンチャー」や「タワーリング・インフェルノ」を見ていると、実はそのような流れの中において1970年代のパニック映画とは、形を変えた宗教的主題の密かな復活ではないかという印象を受ける。「ポセイドン・アドベンチャー」のテーマを一言で要約すれば、ジーン・ハックマン演ずるスコット牧師が強調し、いみじくも自ら実践する「信ずる者は救われる」であり、いかに月並みであろうがこれを宗教的主題でないとは言えないはずである。また、極めて世俗的であった警察官(アーネスト・ボーグナイン)が「信ずる者は救われる」を地で行くスコット牧師の行動を見て最後に改心するシーンなどには、宗教的なコノテーションを感じざるを得ない。アメリカという国は、一見すると効率第一主義のプラグマティックな国であるように見えるが、ロナルド・イングルハートなどによれば、北ヨーロッパの新教諸国とは異なり、アメリカは保守的とも言える宗教感情が根強く浸透している国だそうである。また、一般に日本では、宗教とは個人的な信仰の問題に過ぎないと考えられる傾向があるが、社会学者のピーター・バーガーやトマス・ルックマンの著書を読めば分かるように、あちらでは共同体の基盤として宗教が重要な位置を占めており、宗教とは必ずしも個人の信仰の問題のみに還元されるものでは決してない。かくして共同体維持の基盤として宗教が深く係わっており、また個人の生活も共同体の存在抜きにはあり得ないとすれば、個人の生活基盤も深く宗教に根差していることになる。いずれにしても、パニック映画とは、人々が試練にさらされるところが描かれる映画であり、そのような映画の製作が宗教感情とは全く無縁であったと考える方にむしろ無理があるのではなかろうか。

 最後に監督のロナルド・ニームについて触れておこう。現在では、彼は70年代のパニック映画をスタートさせたこの作品やパニック映画に東西冷戦のカリカチュアをミックスし70年代のパニック映画を締めくくった「メテオ」(1979)のようなハリウッドの大作映画で知られているが、実はイギリス出身であり、1950年代、1960年代は小粒ながら面白いイギリス的な作品を専ら監督していた。「ミス・ブロディの青春」(1969)も素晴らしいが、個人的に見た作品の中では、「The Man Who Never Was」(1956)、「The Horse’s Mouth」(1959)、「Tunes of Glory」(1960)、「ドーヴァーの青い花」(1963)等もなかなか面白い。フレデリック・フォーサイスが原作である「オデッサ・ファイル」(1974)もイギリス映画であるが、全体的にヨーロピアンな雰囲気の濃い作品であるとはいえテーマ的にはむしろハリウッド的であると言えよう。他にも「First Monday in October」(1981)もなかなか面白いロマンティックコメディであるが、残念ながら日本劇場未公開である。

※当レビューは、「ITエンジニアの目で見た映画文化史」として一旦書籍化された内容により再更新した為、他の多くのレビューとは異なり「だ、である」調で書かれています。
 


2004/07/11 by 雷小僧
(2008/10/17 revised by Hiroshi Iruma)
ホーム:http://www.asahi-net.or.jp/~hj7h-tkhs/jap_actress.htm
メール::hj7h-tkhs@asahi-net.or.jp