メテオ ★☆☆
(Meteor)

1979 US
監督:ロナルド・ニーム
出演:ショーン・コネリー、ナタリー・ウッド、ブライアン・キース、ヘンリー・フォンダ

左から:ショーン・コネリー、ナタリー・ウッド、カール・マルデン、
ブライアン・キース

70年代スペシャルとも言うべきパニック映画(あちらではpanic movieとは言わずdisater movieと言うはずであり言わば大災害映画ということですね)の火付け役となったのが「メテオ」同様ロナルド・ニームが監督した「ポセイドン・アドベンチャー」(1972)であったわけですが、どうやら70年代パニック映画のトリを務めるのもニームの作品すなわちこの「メテオ」になったようです。ハリウッドの専売特許のようにも見える扇情的な70年代パニック映画が実はイギリス出身の監督によって口火を切られまた同時に締めくくられたというのは興味深いところです。しかし残念ながら、「ポセイドン・アドベンチャー」のエポックメイキングな内容に比べると、こちらはどうもヌエのような作品になってしまったようでありあちらでの評価は最低です。確かに、この作品にはどうにも安っぽい印象があることも確かであり、意図しないところで思わず笑いたくなる箇所が多々あります。たとえば、巨大な隕石が地球に向かって宇宙空間を飛来するシーンが時折挿入されますが、少なくともテレビモニター上ではどうも私めには巨大な殻付き生牡蠣がバフバフ音をたてながら宇宙空間を転っているようにしか見えず、このシーンを見る度に笑いたくなってしまいます。まあ宇宙空間では音は伝わらないだろうなどというチャチャは入れないないにしても(SF映画ではたとえばレーザービームの音であるとか物理的事実が無視された例はいくらでもあるわけです)、いくらなんでも風を切るようなバフバフいう音は頂けないところで、苦労して考えたけれどもどうにもこのような音しか合成出来ませんでしたという雰囲気が滲み出ていて笑いたくなります。また殊にシベリアの雪原に隕石が落下するシーンや、スキーリゾートでの雪崩のシーンで使われている特殊効果は、70年代も末に製作された映画としてはいかにもチンケに見え、まるで1950年代初頭のSF映画を見ているような印象があります。苦労して合成しましたというのがミエミエなのですね。またブライアン・キースとナタリー・ウッドのロシア人は???であり、キースは始終ロシア語を話しているからまだしも通訳役のウッドが苦労して訛りのある英語を喋ろうとしているのには思わずご苦労さんと言いたくなります。しかしこの作品の一番の問題点は、70年代パニック映画の伝統に従って主人公達がパニック状況に陥るシーンを挿入することに固執した故か、地球滅亡的黙示論的なテーマの壮大さに比べるといかにもチンケなドブ水の中を主人公達が逃げ惑うシーンがラストのクライマックスとして挿入されていることです。しかしながら、実はこのシーンはある意味で70年代パニック映画の本質がどこにあったかを示唆しているとも言えるかもしれません。つまり、70年代パニック映画はいかにゴージャス且つスペクタクルなビジュアルシーンを活用した壮大な作品であったとしても、内容的には終末論的黙示論的な壮大さがそこにあることは決してなく、ローカルな範囲での個人的なパニックが常に対象とされていて、人類の危機というようなマクロな側面よりも常に個人のパニック状況というような極めてミクロ且つ心理的なレベルがクローズアップされていたということです。たとえば、70年代パニック映画を代表する作品「タワーリング・インフェルノ」(1974)は同時に70年代を代表する大作映画の中の一本ですが、内実はたった1つのビルディングの中で逃げ惑う人々が描かれているのであり、見方によっては極めてせせこましい映画であると言うこともできるわけです。「メテオ」に関しても隕石が地球に衝突して人類の運命やいかにという壮大な状況設定がされていながら最後のクライマックスがドブ水からの脱出になってしまうのは、やはりこのような70年代パニック映画の特質が図らずも露出したからであると言えるかもしれません。よりにもよって主人公達が滞在するニューヨ−クに隕石の破片が落下する確率が一体どのくらいあるのかというようなチャチャは別としても、テーマの壮大さとクライマックスとして提示されるビジュアルイメージのチンケさとの間にあるギャップがあまりにも大き過ぎるので、最後に騙されたような気になってしまうわけです。とまあここまでは、70年代パニック映画を締めくくったという以外にはこの作品の価値について触れずに、専ら悪い点のみを羅列してきたわけですが、しかしそこそこ興味深い点もあります。というのもこの作品が製作されたのは、丁度ソビエトがアフガン侵攻という結局は自らの首を絞める結果となる挙に出る直前、すなわち南部のピーナッツ農場出身のジミー・カーターがしきりにデタント(緊張緩和)政策を繰り広げていた頃であり、そのような時代的背景が反映されているとおぼしき面があるからです。アメリカのミサイルとソビエトのミサイルが仲良く並んで巨大な隕石を破壊するシーンは、現在の目から見れば何と言うか微笑ましいものすらありますが、ここには一種のデタント的メッセージが籠められているということでしょう。思うにもしアフガン侵攻が1年くらい早く発生していたならば、この「メテオ」の内容は全く変わっていたことでしょう。何しろアフガン侵攻を1つのきっかけとしてアメリカ世論を支配するようになった対ソ強硬路線の中で誕生したレーガン政権がぶちあげた構想の1つが、かつてハリウッドの2流半役者であった彼にはいかにも相応しい命名がなされているスターウォーズ計画であり、宇宙空間からソビエトのミサイルを迎撃しようというアイデアは、「メテオ」のハーキュリーズ計画を思わせるものがありますが、ソビエトと仲良く協力してミサイルの向かう方向が内ではなく外に向けられるような展開になるストーリーは国辱的にすら映るようになったかもしれません。かなり大袈裟に聞こえるかもしれませんが、その意味においてはこの作品は、70年代のパニック映画を締めくくったと同時に、70年代そのものを締めくくるような内容を持っていたと言えるかもしれません。従って、「ポセイドン・アドベンチャー」同様エポックメイキングとは言わずとも、エポックリフレクティングな作品であったと言えないことはないかもしれないということです。


2006/11/18 by Hiroshi Iruma
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