素晴らしき戦争 ★☆☆
(Oh! What a Lovely War)

1969 UK
監督:リチャード・アッテンボロ
出演:ローレンス・オリビエ、ジョン・ギールグッド、ラルフ・リチャードソン、マイケル・レッドグレーブ

左:ダーク・ボガード、右:スザンナ・ヨーク

リチャード・アッテンボロと云えば、イギリスの名優且つ「ガンジー」(1982)でオスカーを受賞した名監督であることは、皆さんご存知のことでしょう。俳優としては1940年代前半から出演作がありますが、つい10年程前まではスピルバーグの「ジュラシック・パーク」(1993)、「ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク」(1997)や「エリザベス」(1998)などの話題作に顔を見せていました。当ホームページで既にレビューした出演作品としては、「紳士同盟」(1960)、「大脱走」(1963)、「雨の午後の降霊祭」(1964)、「バタシの鬼軍曹」(1964)、「飛べ!フェニックス」(1965)、「The Bliss of Mrs. Blossom」(1968)、「Conduct Unbecoming」(1975)があり、どの作品においても一筋縄ではいかないエキセントリックとも呼べるようなキャラクターを演じています。この他に彼の独特な個性が光っていた作品として、ロバート・ワイズの「砲艦サンパブロ」(1966)やリチャード・フライシャーの「10番街の殺人」(1971)を挙げることができるでしょう。一言で云えば、性格俳優としては超一流であったということですね。その彼もキャリアの後半は、監督業にも手を染めるようになり「ガンジー」でオスカーを受賞したことは前述の通りです。しかしながら、彼が監督として最初に名前を轟かせたのは、オールスターキャスト戦争大作の「遠すぎた橋」(1977)でしょう。イギリス的に鬱屈した役回りの多い俳優としての彼を見ていると、イギリス映画であるとはいえ内実はいかにもアメリカはハリウッド的なエンターテインメント作品であったこの戦争大作は、全く彼の肌に合わないような印象もありますが、まあたとえば英語圏の作品に俳優として出演した時のビットリオ・デ・シーカがそんじょそこらのコメディアンなど真っ青になるようなコメディパフォーマンスを繰り広げるというような前例もあることであり、必ずしも俳優としてのイメージと監督としてのイメージが重ならない場合もままあるということでしょう。ただ一言だけ付加しておくと、「遠すぎた橋」は、破竹の進軍を続けていた第二次大戦終盤における連合国側の数少ない負け戦の1つであるマーケットガーデン作戦を題材としており、「トラ!トラ!トラ!」(1970)同様イギリス人にしろアメリカ人にしろ見ていて余り気分のいいものではないのかもしれません。さて、実は彼が最初に監督した記念すべき作品も、「遠すぎた橋」同様にオールスターキャストの戦争大作であった「素晴らしき戦争」でした。「遠すぎた橋」の場合にはイギリスの名優達のなかにあってロバート・レッドフォード、ジーン・ハックマン、ライアン・オニール、ジェームズ・カーン、エリオット・グールドなどのアメリカの俳優さん達も数多く出演していましたが、「素晴らしき戦争」は見事なまでにイギリスの名優がズラリと揃い、アメリカの著名なスターは一人も出演していません。上記挙げたローレンス・オリビエ、ジョン・ギールグッド、ラルフ・リチャードソン、マイケル・レッドグレーブの他にも、ジョン・ミルズ、ダーク・ボガード、フィリス・カルバート、ジャン・ピエール・カッセル(唯一のフランス人ですが)、ジャック・ホーキンス、ケネス・モア、バネッサ・レッドグレーブマギー・スミススザンナ・ヨーク、エドワード・フォックス、イアン・ホルム、ジュリエット・ミルズなどわんさか当時のイギリスの一線級のスター達が登場します。同年製作の「空軍大戦略」(1969)のキャストとも大幅に重なっているようですが、もしかして双方をあてにして都合良く集めたということでしょうか。まあそもそもシェークスピア役者として20世紀前半の演劇界を風靡したローレンス・オリビエとジョン・ギールグッドが二人とも出演しているのは凄いところです(但し、映画界においては、後者は脇役としてばかり出演していたので前者の後塵を拝する結果になってしまいましたが)。とはいえ実はこの作品、「遠すぎた橋」もそうでしたが、中心となる主要登場人物がまったく存在しない映画であり、それ故かほとんどの俳優さん達は出演時間が極めて限られていて、たとえばジョン・ギールグッド、ジャック・ホーキンス、ケネス・モア、イアン・ホルム等は後述する冒頭のシーンにしか登場しません。また、「素晴らしき戦争」は、「遠すぎた橋」が第二次世界大戦を舞台とした作品であったのに対し、第一次世界大戦を舞台としています。よくよく考えてみると、第二次世界大戦前にはたとえば「西部戦線異状なし」(1930)のような第一次世界大戦を舞台とした著名な作品が製作されていましたが、第二次世界大戦後になると第二次世界大戦という素材が新たに付け加わったが故か、第一次世界大戦を舞台とする作品がほとんど製作されなくなってしまいます。ダーク・ボガードとトム・コートネイが主演した「銃殺」(1964)などの基本的に戦闘シーンのない軍事法廷ものを除くと、思い出せるところでは、この「素晴らしき戦争」の他にはスタンリー・キューブリックの初期の作品「突撃」(1957)があるくらいです。因みに後者の後半は、軍事法廷ものにかなり近くなります。「突撃」や「銃殺」などを見ていても分るように、軍事法廷ものをも含めた第一次世界大戦ものはエンターテインメント性よりも、「What for?」を問う戦争批判或いはそのような戦争を遂行する官僚に対する官僚性批判が重視されていることが多いように思われます。そのようなわけで、第一次世界大戦ものと云えば華がなくうらぶれた雰囲気に充たされがちになりますが、「素晴らしき戦争」にはそれとはやや異なる傾向があります。勿論「素晴らしき戦争」にも戦争批判が強烈に込められていますが、そのタイトルからも分るようにブラックジョーク的な要素が色濃くあり、イギリス人お得意のシニカルなクリティシズムがそこでは繰り広げられています。考えてみればこの映画が製作された1960年代末は、アメリカではベトナム反戦運動が盛んになった頃でしたが、この作品は純然たるイギリス映画なのでそれが影響していたということはあまりないかもしれません。実はこの作品、官僚達が机上で戦争を遂行するシュールなパートと、スミス一家の5人の息子達(この作品には主要登場人物は存在しないと前述しましたが、敢えて云えば「スミス一家」が主人公であると見なせないことはないかもしれません)が出征して実際に塹壕戦に従事するリアルなパートの2つに分かれており、交互にこの2つのパートが配置されています。しかも、シュールなパートからリアルなパートへの転換は連続的に移行する場合が多く、たとえばいかにも戦争なんかわたし達には何の関係もないわ!然とした貴族のダーク・ボガードとスザンナ・ヨーク(上掲画像参照)がレストランのテラスで暢気に花火を見ているシーンがあると、その花火がいつのまにか戦場シーンにおける照明弾に変わっているなどのようにです。先に列挙した著名な俳優さんのほとんどはシュールなパートに登場し、リアルなパートに登場するのはあまり馴染みのない俳優さんばかりです。そもそもリアルなパートに登場する「スミス一家」という名前はいかにもありふれた名前であり、無名の俳優さん達によって演じられるのが当然であるかのような印象を与えます。それならば、シュールなパートと違ってリアルなパートに関しては、無名の俳優さんを起用して無名の兵士というイメージを与え、そこでは本当にリアルな残酷な戦闘シーンが繰り広げられるかというとそういうわけでもなく、そもそもこの映画では砲弾が炸裂して兵士が吹っ飛んだり、スピルバーグの「プライベート・ライアン」(1998)の冒頭のように被弾した兵士のはらわたが飛び出したりなどという凄惨な光景は一切ないどころか、血の一滴すら流れることがありません。クリスマスの日に、イギリス軍兵士とドイツ軍兵士が丸腰で塹壕を這い出し、互いに酒を酌み交わすなどというようなシーンすらあります。かくして血しぶきが全く飛ばない代わりに、これから戦死する兵士(結局スミス一家の5人は皆戦死します)の傍らには何故かいつも赤いケシの花が咲いているという、かなりシュールな表現方法が採られています。すなわち、リアルな戦場シーンにおいても根本のところでは一種のブラックなジョークが適用されているのですね。そのようなシュールな表現は、ヨーロッパ各国の首脳陣が一同に集まって第一次世界大戦を勃発させる様を描く冒頭のシュールリアリズム演劇を思わせるようなシーンでいきなり全開になります。このシーンにはあたかもギリシアの神々がオリンポスに集まって人間どもの運命を決定しようとするかのような趣があり、この冒頭シーンによってこの映画の以後のシュールでブラックなスタイルが決定付けられているとも云えるでしょう。実は、これまで言及しませんでしたが、この作品は半ばミュージカルでもあります。半ばというのは、通常の会話部分までが歌われることはないという意味ですが、第一次世界大戦当時の流行歌を巧みにアレンジして一種のパロディのようにした曲が多く、たとえばマギー・スミスが若者を徴兵する為にステージショーで歌うなどのエンターテイニングな歌と踊りのシーンが随所に挿入されています。さすがに魔法学校の先生も当時は職にあぶれて踊り子に甘んじていたということでしょうか。それは冗談として全体的な印象を述べると、150分近くある上映時間は少し長すぎるように思われますが、イギリス的にエンターテイニングな作品とはまさにこのような作品なのだろうなと思わせるような作品ではあります。戦死した兵士達を記念する十字架が緑の丘一面に拡がるラストシーンの空中撮影映像は極めてビューティフルで素晴らしく、一見シュールであるようにも見えるこのシーンは音声解説で監督のアッテンボロ自身が語っているように、CGなどが存在しなかった当時にあってはまさにそれこそリアルそのものだったのですね。


2008/02/04 by Hiroshi Iruma
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