トラ!トラ!トラ! ★☆☆
(Tora! Tora! Tora!)

1970 US
監督:リチャード・フライシャー、深作欣司、舛田利雄
出演:ジェーソン・ロバーズ、山村聡、マーティン・バルサム、三橋達也


<一口プロット解説>
第二次世界大戦における日本軍の真珠湾奇襲攻撃を描く作品。
<入間洋のコメント>
 さすがに現在の小学生でも「トラ!トラ!トラ!」とは、太平洋戦争の火蓋を切った真珠湾奇襲攻撃の折に日本軍によって使用された暗号コードであることを知っているはずですが、当作品が製作されたのは実際に真珠湾奇襲が行なわれた30年後のことであり、現在ではさらにそれから30年以上の月日が経過したことになります。勿論、1960年生まれの小生に真珠湾奇襲の記憶などあるはずはないとしても、よく考えてみると、真珠湾奇襲とは、史上初の空母機動部隊による大掛かりな軍事基地爆撃作戦であり、空母機動部隊同士の激突が発生する可能性は限りなくゼロに近くなったとしても、空母艦載機による軍事基地爆撃は、湾岸戦争から始まってイラク戦争に至るまで現在でも継続されていることに変わりはなく、その嚆矢となったのがまさに真珠湾奇襲であったことにハタと気付くことができます。その意味では真珠湾攻撃は極めて画期的な出来事であったと見なせます。つまり、日本にはそのような先進的な側面もあったということです。それはそうと、真珠湾奇襲攻撃という歴史的な事件に関連して疑問に思うことがあり、「トラ!トラ!トラ!」を見ているとその疑問が一層つのります。それは、正式な外交ルートを通じて宣戦布告を行なうことが未来を左右するほど重要であるとなぜ当時の日本では考えられていたのかに関してです。何しろ本来真珠湾攻撃で日本が狙っていたのは奇襲効果であり、そもそも奇襲が行なわれるならば攻撃が行なわれることが事前に知られてはならないはずです。それにも関わらず、正式に宣戦布告が行なわれなければならないとするならば、それは実際に奇襲が行なわれる直前でなければならないのであり、実際そのように予定されていたそうです。国際連盟のような国際機関や国際法が存在しない時代に活躍したことに鑑みれば、シーザーやアレクサンダー大王やナポレオンがわざわざ正式な外交ルートを通じて宣戦布告をしたわけではなかろうとまではさすがに言えないとしても、そもそも第二次世界大戦時に日本の同盟国であったナチスドイツがポーランド或いはベルギー等の低地諸国に侵攻した時に、わざわざ正式な外交ルートを通じて宣戦布告などしたのでしょうか。これについては、最近読んだメディア論の佐藤卓巳氏の「メディア社会」(岩波新書)という著書の中で以下のように書かれていたので参考までに挙げておきます。

「いわゆる「宣戦布告の遅れ」については、その責任論を含め多くの議論が存在している。しかし、メディア研究者としてつねづね疑問に思っていたのは、なぜ日本政府は在米大使館に長文の暗号電文を送り、ホワイトハウスでの「文書」手交に固執したのかという点であった。1907年のハーグ陸戦条約で「明瞭かつ事前の通告」は義務付けられていたが、通知媒体の規定は存在しない。実際、第一次世界大戦の口火を切ったオーストリア帝国の対セルビア宣戦布告には電報が使われている。あるいは第二次世界大戦勃発に際し、ヒトラーはポーランドに対する宣戦布告をラジオ中継された国会演説で行った。」

ということは、無法者のヒトラーにしてもさすがに宣戦布告を全くしなかったわけではないようですが、伝達メディアの種類にはこだわらず最も手前の都合の良い方法で宣戦布告を行ったことは確かです。そうすると、ではなぜ日本は、あせっているにも関わらず極めて効率の悪い文書による手渡しという方法に拘ったのでしょうか。前出佐藤卓巳氏は、昭和史を専門とする佐藤元英氏の中央公論掲載記事に言及し、その回答として

「日本政府は事前通告をあまり重視しておらず、12月8日正午から東条首相がラジオ放送で行った詔書奉読こそが、日本国民に向けた開戦告知であり、また同時に英米に対する宣戦布告であった(、と指摘されている)」

と述べています。よくよく考えてみると、この回答は、なぜ七面倒くさい文書により宣戦布告を行なおうとしたのかという疑問に対する回答にはなっていないように思われますが(なぜならば事前通告が重視されておらずそれが単なる形式であると考えられていたのであれば、それこそ電文を送りつけておけばそれで事足りたはずだからです)、いずれにしてもそれが真であるならば冒頭に掲げた小生の疑問は、そもそも前提が間違っていたことになります。すなわち、正式な外交ルートを通じて宣戦布告を行なうことがそれほど重要なことであると当時の日本では考えられていなかったということです。とはいえ、一方において、宣戦布告の遅れによって真珠湾攻撃が卑怯な騙まし討ちと化し、その結果アメリカ一般民の日本に対する戦意を高揚させる結果をもたらしたかのごとく言われることがあるのも確かです。「トラ!トラ!トラ!」のラストシーンで山村聡演ずる山本五十六連合艦隊指令長官(画像左参照)が、幕僚達を前にして

「私の意図は宣戦布告の直後、アメリカの太平洋艦隊ならびにその基地を徹底的に叩きアメリカの戦意を喪失させるにあった。しかし、アメリカの放送によると、真珠湾は日本の最後通牒を受け取る55分前に攻撃されたと言っている。アメリカの国民性からみてこれ程彼らを憤激させるものはあるまい。これでは眠れる巨人を起こし奮い立たせる結果を招いたも同然である。」

と述べているのがその一例です。山本長官のこのセリフは、両佐藤氏の見解とは逆に「事前通告」こそが、その後の戦局を左右する決定的な要件であったと考えられていたことを示唆しているかにも見えます。しかしながら、確かに、山本長官のこのセリフを聞いていると少なからず疑問が湧いてきます。というのも、それでは、もしアメリカが宣戦布告を受け取った1分後に真珠湾攻撃が開始されていたならば、アメリカはそのまま眠りこけていたはずであったかにも聞こえるからであり、たった1時間の違いが、片やアメリカの戦意を喪失させ、片やアメリカという巨人を奮い立たせる結果になるような、億万長者か貧乏農場かというにも等しい決定的な相違をもたらすとはどうにも信じ難いからです。正式な外交ルートを通じての宣戦布告が真珠湾攻撃に間に合おうが間に合うまいが奇襲の意図がそれによって帳消しにされるはずはなく、なぜ遅れた55分をそれほど問題にしなければならないのかという疑問がむくむくと頭をもたげてくることは避けられないように思われます。また、それほど遅れが問題になるのであれば、なぜメディアとして非効率な文書伝達に頼ったのかということが更に大きな疑問になります。要するに、奇襲と文書による通告は、どうにも矛盾した行為であるとしか見えないのです。いずれにしても、もし両佐藤氏の見解が正しければ、宣戦布告の遅れが大きな差異をもたらすであろうとする山本長官のセリフは、結果を知っている後世の人間の目で見た作り話であるか、本人が事実そう語ったのだとしても、それは当時の世論が反映されたものではなかったということになりますが、実際はどうであったのでしょうか。

 そのような政治外交的或いは心理的なソフト面はそのくらいにしておいて、ではハード面では真珠湾奇襲とは結局何だったのでしょうか。「トラ!トラ!トラ!」を見ているとよく分かるように、日本軍が叩いたのは単なる速力の遅い篭マストの旧式戦艦だけであり、もともと実践ではほとんど役立たない時代遅れの代物だったのです。山本五十六長官が「肝心の空母はどうした?」と尋ねているように、上陸してハワイを占領するのが目的ではないのであれば、少なくとも空母を叩かなければほとんど意味がなかったのです。そのことは、まさに真珠湾攻撃そのものが空母機動部隊を中心として遂行されたという事実を考えてみれば自ずと明らかであったはずです。また港湾施設を完膚なきまで叩いたわけでもなく(戦艦「ネバダ」が外洋に出ようとしているのを見たある日本軍爆撃機のパイロットが、「あれを水道で沈めれば半年は真珠湾を封鎖できる」と意気込むシーンがありますが、結局「ネバダ」の艦長がその可能性に気付いて艦を砂浜に座礁させます)、要するに今後の日本の南方作戦に大きく立ちはだかるはずのアメリカ空母も太平洋に浮かぶ要塞ともいうべきハワイの港湾施設も、ほとんど無傷で残してしまったことになります。この後の歴史を考えれば、この事実が以後の戦局にいかに大きな影響を与えたかが分かるはずです。すなわち、難を逃れたアメリカの主要空母が存在しなければ、太平洋戦争の天下分け目の合戦ミッドウェイ海戦は起こらなかったはずだからです。勿論、ミッドウェイ海戦が起こらなかったとしても、物量差が圧倒的であったがゆえに、何年も戦争を続行すれば最終的な結果は同じであったことは間違いないでしょう。しかしながら、山本五十六長官も認識しているように最初からアメリカの全面降伏など有り得なかったのです。カリフォルニアに上陸してそれからアメリカを制圧するなど土台不可能な話で、そもそも陸続きであったとしても広大なロシアに攻め込んだはいいが補給線が延びきって結局退却せざるを得なかったナポレオンやナチスドイツの機甲師団の運命を考えてみれば、広大な太平洋を補給線としてアメリカに攻め込むことなど国力の差を度外視してももともと無理な話だったはずです。すなわち、日本の勝利が有り得たとするならば、それは政治的な限定勝利のみだったということであり、その可能性であればゼロではなかったはずです。しかしこのわずかな可能性もミッドウェイ沖で消し飛んでしまうのであり、その遠因は真珠湾でアメリカの空母を叩けなかったことにあったのです。つまり、真珠湾攻撃の結果は日本側の戦術的勝利ではあったとしても戦略的勝利とはとても見なせなかったということであり
、日本軍は空母機動部隊という画期的なアイデアの実践への投入を世界史上初めて実現したにも関わらず、肝心要のターゲットがいなかったのは仕方がなかったとはいえ、実質的にスクラップになりかかっていた過去の遺物を実際にスクラップにして、モンロー主義の伝統を持つ出無精のアメリカに格好の参戦の口実を与えるだけの結果に終わったというのが真珠湾奇襲の実態だったのではないでしょうか。だからこそ、狡猾なルーズベルトは真珠湾にボロ船を並べて日本にわざと叩かせたなどという話が出てくるわけです。山本長官のぼやきは、まさににこのような認識に端を発していたのかもしれず、表面では外交上のミスを問題にしているようには見えても、彼がいらついている真の理由は、大局的な見地に立った場合、真珠湾奇襲攻撃の見かけ上の大戦果が実質的な効果を全く伴っていないことを見抜いていたからではないでしょうか。

 最後に、昨年海外で発売されたDVDバージョンについて触れておきましょう。このプロダクトは特典盤を含めた2枚組であり、また監督のリチャード・フライシャーの音声解説も収録され、お買い得品でした。フライシャーは昨年亡くなっているので、この音声解説は亡くなる直前に収録されたのかもしれませんが、製作当時の様子を監督自身の口から聞くことができ貴重です。音声解説を聞いていてそう言えばと思ったことがあります。それは、「トラ!トラ!トラ!」は、アメリカ公開版と日本公開版とでは多少違いがあることであり、たとえば日本公開版には渥美清がコックを演じているコミックシーンが挿入されていることです。今回買ったDVDはアメリカ産なので渥美清が出演するシーンは全く存在しませんが、解説を聞いていてそう言えば昔TV放映で見た時そのようなシーンを見たことを思い出しました。また、日本の俳優とアメリカの俳優が同一シーンに居合わせるのは、野村大使がハル長官に期限切れの宣戦布告文書を手渡す最後のシーンのみであり、従って日本側のシーンとアメリカ側のシーンは、ほぼ完全に独立して製作されたそうです。このような製作方法が取られると両者を融合して1つの作品とする作業が極めて困難になるであろうと撮影開始当初は懸念されていたけれども、両者のスタイルが食い違うそのこと自体が当時の日本とアメリカの軋轢を表現することになるがゆえに、それはむしろこの作品にふさわしいと判断されるようになったそうです。開戦に至るまでのアメリカ側の様子と日本側の様子が交互に配置されるよう編集されていますが、奇襲されることを知らないアメリカ側の弛緩した様子と、奇襲を仕掛ける日本側の緊張した様子がそれによって対照的に表現されています。またこのような独立した製作方法が取られたおかげで、日本側の俳優は全て日本語を喋り、しかも日本が舞台となった外国映画でよくありがちな日本人が妙な発音の日本語を喋る怪奇現象(これは恐らく2世、3世の日本人或いは日本人以外の東洋人が日本人として起用されていることから発生するのかもしれません)が見られないことは大きなプラスです。それから、日本側の監督は当初はかの黒澤明がつとめていたそうです。しかし音声解説によると、彼はなぜかプロの俳優ではなく、ズブの素人である実業界の大物を起用して撮影を行っていたそうであり、他にもあれやこれやと週刊誌ネタのような悶着があって深作欣司と舛田利雄に交代したそうです。これに関しては、フライシャーも指摘している通り、もともと黒澤明は「トラ!トラ!トラ!」のような作品に向いている監督ではなく、至極当然の結果になったということでしょう。いずれにしても巨額の制作費を投じて製作された作品であり、必ずしも面白いといえるタイプの作品ではないとはいえ、リアリスティックな戦争映画である点においては現在でも見る価値は十分にあります。因みにアメリカ側の主演の一人ジェーソン・ロバーズ(画像中参照)は、1941年の12月7日(開戦日として一般に日本でいわれるところの12月8日は日本時間であり、日付変更線を跨いだハワイ現地時間では12月7日でした)には、パールハーバーで重巡「ホノルル」に乗艦しており、一部始終を目撃していたそうです。

2007/04/14 by Hiroshi Iruma
ホーム:http://www.asahi-net.or.jp/~hj7h-tkhs/jap_actress.htm
メール::hj7h-tkhs@asahi-net.or.jp