バタシの鬼軍曹 ★★☆
(Guns at Batasi)

1964 UK
監督:ジョン・ギラーミン
出演:リチャード・アッテンボロ、ジャック・ホーキンス、ジョン・レイトン、ミア・ファロー

左:ジョン・レイトン、中:ミア・ファロー、右:リチャード・アッテンボロ

題名から判断すると戦争映画のように思われるかもしれませんが、そのような要素は全くないとは云わずとも、いわゆる一般の戦争映画とは一線を画する作品と云ってよいのではないでしょうか。正確な年代はいまいち不明ですが恐らくこの作品が製作された1960年代前半か或いは1950年代のアフリカを舞台として、植民地維持の為に駐屯しているイギリス部隊が、現地で発生した政治変動に巻き込まれ現地の叛乱軍(後述するように政治的な状況が曖昧なので叛乱軍という言い方が正しいか否かは疑問があるところですが、他に言い方が思い付かないのでとりあえずそのように呼ぶことにします)にキャンプ地を包囲されるところからストーリーが展開されます。この現地の駐屯部隊を率いているのがリチャード・アッテンボロ演ずるローダーデール軍曹ですが、彼は名誉と規律を重んずるいわゆる古いタイプの軍人であり、その彼が政治的な騒乱に巻き込まれ後述するように最後は政治状況の変化によってむしろ滑稽な結末を迎えるという展開になります。全体的に兵舎の中で繰り広げられる会話シーンを中心としてストーリーが展開される為、派手な銃撃戦などのアクションシーンは全く存在せずむしろ室内劇的趣きすらある作品です。しかも、そのような派手さのないシンプルな展開に加え、これぞイギリス映画とも云えるようなアイロニックなユーモアさえこの作品には見出すことができます。というより、この作品自体が一種のアイロニーを扱った作品であるものとして捉えることも出来ます。この作品を見るにあたってまず念頭に置く必要がある点は、第二次世界大戦終結後、列強各国に支配されていたアジア・アフリカの植民地が一斉に独立を宣言していた頃のアフリカを舞台としてストーリーが展開されていることです。すなわち、武力闘争による独立にしろ平和裏における主権譲渡にしろ、それまで列強諸国(この映画の場合には陽が沈まない帝国としてかつて世界に君臨していたイギリスということになりますが)が握っていた主権を地元の政権に譲渡するのはそう簡単なことではなかったはずであり、この映画のバックグラウンドにもそのような流動する政治状況の下で、日々状況がコロコロ変化していたという前提があることに留意しておく必要があります。このような不安定な政治状況下において、純粋に軍人気質を貫徹させ名誉と規律という既存のコードに従って一枚岩的に行動するローダーデール軍曹の姿は、第二次世界大戦中のように政治的状況が明白であり敵味方の区別に曖昧さが全くない本当の戦時下であれば英雄的な人物にすらなり得るとしても、列強の昔日の威光が色褪せ歯止めがきかなくなった独立花盛りの植民地というような極めて政治状況が曖昧な状況下に置かれてみれば、あたかもドン・キホーテであるかのごとく行動しているようにも見え、まさにそのような点にこの作品のアイロニック且つコミカルな通奏低音を聞き分けることができます。叛乱軍の包囲下にあってバラックに目標を定めている大砲を破壊するメンバーを募った時に誰も名乗りを挙げないのにローダーデール軍曹が業を煮やしていると、包囲している彼らは本来我々の味方ではないのかと部下の一人が口答えしますが、この部下の抗弁は、単純に敵味方が明確に特定できるような戦時下ではなく、マキャベリ的な政治的駆引きが必須になるような流動的な状況下に彼らが置かれていることを示唆しています。かくして、勇猛且つ部下の信頼もあれど古風一徹で柔軟性があるようにはとても見えないローダーデール軍曹の取る行動とそのような流動的な状況との間にあるギャップが、後述するアイロニックでコミカルな結末に結び付くわけです。このような展開は悲劇にも喜劇にも成り得るところですが、ブラックユーモアを国技とするイギリス人はむしろ後者を選択したということになるのでしょう。実は、基本的には極めてシリアスなテーマが扱われている当作品が有するそれにも関わらずアイロニックでコミカルなトーンは開始早々から明瞭に見出すことが可能であり、妊娠したペンギンのようにお尻振り振り歩きながら(これはローダーデール軍曹自身の表現です)挨拶もろくにせずに自分のそばを通り過ぎた現地の黒人兵士を道端に呼びつけて大きな声でローダーデール軍曹が延々と説教を垂れる冒頭のシーンからして、オーディエンスの側からすれば滑稽でユーモラスに見えます(しかしながら、彼は特異なアクセントでマンシンガンのようにしゃべるので、英語が母国語ではない私めには極めて聞き取りづらく最初は字幕をONにしないと何を言っているのかほとんど分りませんでした)。一種しゃちほこ張ったしゃべり方をするローダーデール軍曹のコミカルとすら云える言動は、この作品の最大のチャームポイントでもありますが、前述したように柔軟な対応が要求される流動的な政治状況との齟齬がそのような言動の根底に存在することがそれによって示唆されているとも考えることができます。この作品のラストは、クライマックスというよりはむしろある意味でアンチクライマックスとも云えるような滑稽な展開になります。というのも、政治的に事態が収拾したにも関わらず、そうとは知らないローダーデール軍曹と、コイントスに負けて無謀な作戦に借り出されたジョン・レイトン演ずる兵士が、バラックを包囲している叛乱軍の大砲をド派手にふっ飛ばしてしまうこの(アンチ)クライマックスシーンは、基本的には極めてシリアスであったはずのストーリー展開がいつのまにか完璧なるコメディに変わってしまったような印象を与えるからです。一言で云えば、軍人としては勲章ものの英雄的な行為が、政治的な枠組みの変化によって一挙に茶番劇に変わってしまうという強烈なアイロニーをこのシーンから看取することができます。かくして、本来は英雄的であるはずの行動も、政治的なパースペクティブから捉えられると折角合意された政治的な解決をチャラにするような可能性のある行動であると見なされ、戦時であれば英雄的と呼ばれ得るような行動を取った彼が軍法会議にかけられることはさすがにないとしても、自分の意思に反してイギリスに帰還せざるを得ないという皮肉な結果を招来します。彼はそのような茶番劇を演じた後でも、新たに樹立された新政府が主催する記念祝典に意気揚々と参加するつもりでいますが、ジャック・ホーキンス演ずる上司に、彼が現地に居残ることはこれまでのいきさつから政治的に不都合であり直ちにイギリスに帰還しなければならないことを告げられると、危機の期間を通じて最初から最後まで軍人らしく規律に従って振舞い不名誉な行動は全く取らなかったと考えていた彼は大いに憤激します。このことは、ローダーデール軍曹は常に政治レベルの埒外に置かれていることを意味し、また自身の方でも軍人としての自分は政治などという不誠実の泥沼のような領域に少しでも関わることは不名誉であるとすら見なし一貫してそれに関わろうとはしなかったことをも示唆しています。注意しなければならないことは、この作品はだからと云ってローダーデール軍曹の了見の狭さを批判しているわけでもなく、また名誉や規律など無いに等しく損得勘定でいかようにもなびく不誠実な政治風潮を批判しようとしているわけでもありません。そうではなく、そのような2つのモードの間隙から発生する齟齬が、いかに滑稽な結果を招来し得るか、またこの映画では滑稽な結果で済んだけれども実際にはいかに容易に悲劇的な結果に転じ得るかをイギリス的アイロニーによる味付けによってシニカルに示そうとしたものと見なすことができます。このような齟齬が「バタシの軍曹」のような喜劇にではなく悲劇に帰結する典型例としては、名誉や規律という固定的な観念と、必ずしも政治的ではなかったとしても流動する状況との間の齟齬が、ラストの決定的な悲劇へと運命的に導く様子を描いたデビッド・リーンの超大作「戦場にかける橋」(1957)を挙げることができます。「戦場にかける橋」についてはいつか取り上げる機会があることでしょう。いずれにせよ、このように「バタシの軍曹」はアイロニーに充ち一種のペーソスすら見出せるいかにもイギリス的な作品ですが、監督しているのは10年後に70年代パニック映画の集大作であるかの「タワーリング・インフェルノ」(1974)を監督するジョン・ギラーミンです。地味でアイロニカルなイギリス的作品「バタシの軍曹」とエンターテインメント性抜群の絢爛豪華なハリウッド的作品「タワーリング・インフェルノ」とでは大きな違いがありますが、実はイギリス出身のギラーミンは1950年代から1960年代前半まではイギリス映画の監督をしており、「バタシの軍曹」のようにイギリス的に質素な作品を撮っていました。まあ、「タワーリング・インフェルノ」においても、ほとんどのアクションシーンに関しては製作者としてクレジットされているアーウイン・アレンが監督の役割を果たしていたそうなので、むしろ派手なアクションよりもドラマを得意としていたという点では10年が経過してもあまり大きな相違は実際にはなかったのかもしれませんね。それが証拠に一人で監督したハリウッド的エンターテインメント作品「キングコング」(1976)は、評判が良いとはとても言えない作品に終わってしまいました。それから「バタシの軍曹」は、ミア・ファローの実質的なデビュー作(チョイ役でならばオヤジさんのジョン・ファローが監督した「大海戦史」(1959)に出演しているようですが残念ながら個人的には見たことがありません)でもあります。彼女は「ローズマリーの赤ちゃん」(1968)において見ているこちらの方がマジで心配したくなる程ガリガリに痩せ細ったハウスワイフを演じて以来、エクセントリックな役が多く、最近でも何故わざわざリメイクしたのかと言いたくなるような「オーメン」(2006)でこのリメイクの唯一の取り得である薄気味の悪いガキンチョ、ダミアンの子守役を相変わらずエキセントリックに演じていましたが、上記画像からも少しは分るようにデビュー当時のこの頃はブリっ子型カワイ子ちゃんという風情があったようですね。役は人を変えてしまうものです。それは余談として、既に国内でもDVDバージョンが販売されている作品でもあり最後に付言しておくと、「バタシの軍曹」はイギリス映画のファンであれば気に入る人も多いと思いますが、タイトルだけでド派手な戦争映画を期待して見ると必ずや肩透かしを食わされることになるでしょう。


2007/10/25 by Hiroshi Iruma
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