現在でも人気のある女優さんであり、その名の通りgrace(優美)な美女の名を欲しいままにしていました。しかも、モナコ王妃になったことで、日本やイギリスのような王室を持たないアメリカでは、アメリカ離れした優雅さ、優美さを思い起こさせる神話的な言説とも結び付いて、大きな人気を博したのではないかと考えられます。その人気と悲劇的な最後という点では、アメリカにおけるダイアナ妃であると称せるかもしれません。意図的で天邪鬼なカウンターポイントを奏でようというつもりは毛頭ありませんが、とはいえ正直いえば、映画スターという点では、彼女は非常に掴まえにくい女優さんであったという個人的な印象を持っています。忘れてならないのは、確かに「喝采」(1954)でアカデミー主演女優賞に輝き、他にも「モガンボ」(1953)でアカデミー助演女優賞候補に挙げられたとえはいえ、彼女は、基本的に男優をサポートするタイプの女優さんであり、たとえばベティ・デイビス、ジョーン・クロフォード、キャサリン・ヘプバーンに比べると、あるいはそこまで言わずとも、ラナ・ターナー、スーザン・ヘイワード、デボラ・カー、ドリス・デイ、エリザベス・テイラーなどに比べても、自らの個性の輝きに裏付けられて野郎ども何するものぞと言わんばかりの、あるいはそこまで言わずとも男優と同等の資格で登場するタイプの女優さんではなかった点です。彼女の出演作でもっとも人口に膾炙した作品はといえば、初期の出演作である「真昼の決闘」(1952)を除けば、上掲画像にもあるヒッチコックの3作であると見なせます。ヒッチコックに目を付けられ、しかも彼の3つの作品に出演しているのは、それだけでも大きな勲章であるとしても、ここでハタと気付くことがあります。それは、それらの作品の主演は、レイ・ミランド、ジェームズ・スチュワート、ケーリー・グラントという当時のスーパースターであったことです。彼らはいずれも、ソフィスティケートされた都会的な感覚を持ち、これ以上ないほど自己完結し、彼ら独自の世界に他の要素が混入することを基本的には許さないタイプの俳優たちだったのです。従って、彼らと共演する女優さんは、彼らの世界の一員として登場せねばならず、共演者の個性の方が矢鱈に目立ってはならないのです。ケーリー・グラントは、40年代前半までは何度かキャサリーン・ヘプバーンと共演していたにも関わらず、それ以後は共演がありません。これは、まさに以上のような理由によって説明されるのではないかと考えられます。それに対して、グレース・ケリーがそのようなビッグスターの持つ固有の世界に難なく馴染んでいた事実は、彼女のキャラクターにはサポート的な性格が色濃くあったことを示しています。このような印象は、彼女と同様、ジェームズ・スチュワートとケーリー・グラントという文字通りのスーパースターと共演しながら、必ずしもサポートの領域に留まることなく、相手の特徴を消さずに自らの個性もそれなりに発揮し、自分なりの小世界をしかと確立していたドリス・デイのケースとはかなり異なるように思われます。いずれにしても、ドリス・デイのように振舞うには、グレース・ケリーは、あまりにも優雅で均整が取れ過ぎていたということかもしれません。因みに、彼女の活躍期間は、50年代の前半から中盤に限られ、通常の劇場公開映画としては恐らく以下の一覧に列挙されている作品が、彼女の出演作品の全てであるものと思われます。5年ほどの活躍で、彼女ほどの名声を残した女優さんは、後にも先にも彼女の他にはいないのではないでしょうか(因みに、男優に関しては、ジェームズ・ディーンなどを思い出すことができますが)。 |
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1951 |
Fourteen Hours |
1954 |
緑の火エメラルド |
1952 |
真昼の決闘 |
1955 |
トコリの橋 |
1953 |
モガンボ
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1955 |
泥棒成金 |
1954 |
ダイヤルMを廻せ! |
1956 |
白鳥 |
1954 |
裏窓 |
1956 |
上流社会 |
1954 |
喝采
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