Fourteen Hours ★★☆

1951 US
監督:ヘンリー・ハサウェイ
出演:リチャード・ベースハート、ポール・ダグラス、バーバラ・ベル・ゲデスデブラ・パジェット

左:リチャード・ベースハート、中:ロバート・キース、右:ポール・ダグラス

ニューヨークに聳え立つ高層ホテルの高層階に位置する部屋の窓の外にある狭いへりの部分にへばりついて飛び降りようとする自殺願望の男(リチャード・ベースハート)を、たまたま現場に居合わせた交通巡査(ポール・ダグラス)を始めとする警官達が14時間に渡って説得するというシンプルに纏められたストーリーが展開されます。この為メインの舞台はホテルの一室と窓の外にあるへりの部分に限定され、高所恐怖症的めまいに加えて閉所恐怖症的とまでは云わずともかなり動きの制限された趣のある作品です。1938年にニューヨークで実際に起きた実話に基いているそうですが、「拳よ、闇を払え」(早川書房)というハードボイルドフィクション作品も書いているエディ・ミューラーという人の著書「Dark City」(St. Martin's Griffin、邦訳不明)によれば、最後に男が警官隊に救出される映画のラストとは異なり、実際にはこの自殺願望の男は警官隊の説得もむなしく飛び降りて助からなかったそうです。また映画に関しても、プレミア上映の際には事実通りに最後は男が飛び降りてエンドになるという展開であったそうですが、何でもプレミア上映が行われた丁度その日に、この作品を制作した20世紀フォックス社の一人の重役の娘が映画の舞台と同じニューヨークに位置するベルビューホテルの8階から飛び降り自殺し、強烈なショックを受けたこの重役が一旦この作品を流通から回収し、ザナックの指令によりハッピーエンドのエンディングが新たに撮り直されたそうです。まあいわくつきの作品ということですね。日本劇場未公開のこの作品はフィルムノワール作品にターゲットを絞った「Fox Film Noir」シリーズというDVDシリーズの中の一本として販売されていますが、ここで疑問になることは、自殺願望男がホテルの高層階から飛び降りようとするというようなストーリーが展開される作品が本当にフィルムノワールとして分類され得るのかということです。実を云えば前述したエディ・ミューラーの「Dark City」という著書も、「The Lost World of Film Noir」というサブタイトルを持つことからも分るようにフィルムノワールを専門的に扱った書物であり、どうやら「Fourteen Hours」という作品はあちらでは一般的にはノワール作品であると見なされているようなのですね。しかしながら、ノワールという用語はそもそも表現様式に関して言及しているのか、内容に関して言及しているのか、或いはその両者なのかという問題は取り敢えず棚に挙げておくものとして、個人的にはノワール映画には「犯罪」という要素が必ず含まれているはずだという先入観があったので、この作品をノワールに分類するのはどうにも腑に落ちないところが最初はありました。また、冒頭で述べたように動きが限定されている点においても、殊にギャングものや或いはハードボイルド調のノワール映画を思い浮かべてみるとアクション性がなさすぎるような印象もあります。「犯罪」という点に関しては、殊にキリスト教圏にあっては自殺は大きな罪だと見なされる傾向が確かにありますが、このような文脈においては「神に対する罪」と「社会的な犯罪」は全く別な範疇に属すると考えるべきでしょう。というのも、少なくとも個人的に見た範囲では一般にノワール映画に宗教色を見出すことはほとんどできないのであり、そこで扱われている内容に関して社会的な犯罪という範疇を越えそれが宗教的な主題にまで転換されるようなケースは全く見受けられないからです。そのように考えてみると、40年代に引き続きノワール映画が全盛を迎えていた1950年代前半は、同時に宗教映画が数多く製作されるにようになった時代でもあるという事実は極めて興味深く、一方で宗教色を脱したノワール作品が幅を利かせると同時に、それを補償するかのように宗教映画が製作されるようになったということは、単なる偶然ではないのかもしれません。なにしろ、この二つのジャンルは、1960年代の初頭に揃って衰退消滅する運命にあるのです。またノワール作品は、光と影のコントラストの強調などの表現面において、ドイツ表現主義にも近いものがあるように思われますが、但しそれとは異なり、ノワール作品には心理主義的な方向に過度に深入りする傾向がなく、むしろ表面的な美学に重きが置かれているような印象すらあります。この辺りは、ロマン派やフロイト精神分析学の大きな影響化にあるドイツ表現主義と、プラグマティックなアメリカで産声をあげたノワール作品(但し、ノワールという言い方がいみじくも示すようにノワール作品が最初にかかるジャンルとして評価されたのはフランスにおいてでしたが)の違いなのかもしれません。「Fourteen Hours」に、テカテカと底光りがするほどポマードで頭をなでつけ、大向うを張った精神分析的バズワード(buzz word)を怒涛のごとく駆使しながら自殺願望男の精神構造について得々として語るキザな精神分析医が登場しますが、このような心理主義的傾向に対するカリカチュアとも見なせるようなキャラクターが登場すること自体、表層的なスタイルを重んじる美学意識がいかにもそこには強く働いているようにも見えます。ヘビーで暗いドラマにあってほとんどコメディ的にすら見えるこの人物を、ハサウェイはカルカチュアを意図して登場させたのか、大真面目に登場させたのかはそもそも疑問の残るところですが、1つ確実に云えることは現在の目から見れば明らかにこのケッタイな登場人物はこの作品が描くシチェーションからは完全に浮き上がって見えるということです。いずれにせよ、これらの印象は私め個人のものですが、それならば一般的にノワールフィルムとはどのような映画であると考えられているのでしょうか。1つの例として、エフレム・カッツ氏の「The Film Encyclopedia」の「Film Noir」の項から抜書きしてみましょう。なかなかうまく纏められているので、少し長くなりますが全文を挙げておきます。

◎A term coined by French critics to describe a type of film that is characterized by its dark, somber tone and cynical, pessimistic mood. Literally meaning "dark (or "black") film," the term is derived from roman noir, "black novel," which was used by French critics of the 18th and 19th centuries to describe the British gothic novel. Specifically, film noir was coined to describe those Hollywood films of the 40s and early 50s which portrayed the dark and gloomy underworld of crime and corruption, films whose heroes as well as villains are cynical, disillusioned, and often insecure loners, inextricably bound to the past and unsure or apathetic about the future. In terms of style and technique, the film noir characteristically abounds with night scenes, both interior and exterior with sets that suggest dingy realism, and with lighting that emphasizes deep shadows and accents the mood of fatalism. The dark tones and the dense nervousness are further ehhanced by the oblique choreography of the action and the doom-laden compositions and camera angles.
(暗く陰気なトーンやシニカルでペシミスティックなムードによって特徴付けられる一連の映画を指す為にフランスの批評家達によって生み出された用語。文字通りに云えば「暗い」或いは「黒い」映画ということになるが、この用語は、イギリスのゴシック小説を指す為に18、19世紀のフランスの批評家達によって使用されていた「暗黒小説(roman noir)」という用語にその起源を持つ。殊に、フィルムノワールという用語は、40年代や50年代のある特定のハリウッド映画を指すために生み出された。すなわち、犯罪や汚職という暗く陰惨な暗黒街を描く映画であり、悪漢達はもとよりヒーロー達ですらシニカルで世の中に幻滅しており、しばしば一匹狼であり、過去に否応なく縛られ、未来に対して不確実で無気力であるような、そのような人物が登場する映画のことである。スタイルやテクニックという点では、フィルムノワールは薄暗いリアリズムを象徴するセットと、深い影や運命論に充たされたムードを強調する照明に縁取られ、室内、戸外を問わず夜間のシーンに充ちているのが特徴である。このような暗いトーンや色濃い神経過敏性は、斜に構えたアクションシーケンスや運命感を惹起させるような構図やカメラアングルによって更に強化される。)

この後、代表的なノワール作品を列挙した監督別一覧が付加されていますが、ヘンリー・ハサウェイの項目に「Fourteen Hours」はなく、もしかするとカッツ氏はこの作品をノワール映画であると見なしてはいなかったのかもしれません。明らかにカッツ氏は、それが必要条件なのか十分条件なのかは別として、ノワールという用語は内容面にもスタイル面にも適用されると述べていることになりますが、確かに上記中の「犯罪や汚職という暗く陰惨な暗黒街を描く映画」というフレーズをモロに適用すれば「Fourteen Hours」はノワール映画ではないということになるとはいえ、それ以外の記述はピタリとこの作品にも当て嵌まります。殊に過去に縛られ未来に何の希望も抱いていないペシミスティックな自殺願望男という人生の孤独な敗者(loner且つloserなのですね)が主人公であるという点では、まさに上の記述がピタリとマッチします。夜間のシーンはラスト15分くらいに限定され光と影のコントラストという点についてはそれ程強調されていませんが、見ているオーディエンスにも大きな不安感や眩暈を与えるような斜に構えた様々なアングルからホテルの高層階という舞台を捉えているという面においては、スタイルやテクニック的にもノワール的な要素を見出すことが可能かもしれません。主人公を演じているリチャード・ベースハートは1960年代に入ると、オヤジがよく見ていたので私めも子供の頃見ていた記憶のあるテレビの原子力潜水艦シービュー号シリーズのネルソン提督役で有名になりますが、50年代初期はノワール映画に何本か出演しており、微妙に歪んだキャラクターを演ずると絶品でした。「Fourteen Hours」でも、父親(ロバート・キース)とも母親(アグネス・ムアヘッド)とも恋人(バーバラ・ベル・ゲデス)とも疎遠になり一人鬱々としているキャラクターを見事に演じています。都会に住む孤独な人物が主人公であるという点においては、1950年代的というよりは1960年代以降に見られる特徴すら見出せますが、これはむしろこの事件が実際に発生した1930年代の不況のイメージが色濃く漂っているとも解釈することができるでしょう。いわば特殊な極限状況が描かれたなかなか面白い作品であり、フィルムノワール作品として分類するならばかなり境界領域に位置する異端的な作品であるとはいえ、残念なことに一般的にフィルムノワール作品はBクラス的なイメージがある為か一部の有名な作品を除くと日本劇場未公開の作品が多く、ビデオやDVDに関しても国内販売されているものは多くはなく、「Fourteen Hours」も同様にこれまでのところは国内ではほとんど言及されることのない作品です。独特な雰囲気に充たされたノワール作品の中には結構それなりに面白い作品も多く、もう少し国内で紹介されても良いのではないかという気がします。とはいえ、3タイトルボックスセットで2万円などというリージョン1対応のDVDプレイヤーそのものが買えそうな程の滅茶苦茶な値段が付けられた日には、ほとんど誰も買わないでしょうね。最後に付け加えておくと、この作品にはその後名前を知られるようになる3人の新人女優さんが出演しています。その内二人は、デブラ・パジェットとジョイス・バン・パタンというマイナーな部類に属する女優さん達ですが、もう一人はかのグレース・ケリーであり、この作品は彼女のデビュー作でもあります。離婚手続きの為にやってきた弁護士のオフィスから、向いのビルの自殺願望男の挙動を眺めているという少し変わった役ですが、彼女の出演作は極めて少ないのでその意味でも貴重な作品かもしれません。マリリン・モンローオードリー・ヘプバーンの初期の作品が出回っていることを考えれば、グレース・ケリーファンはこの作品を是非とも国内でも販売して欲しいと考えているかもしれませんね。


2007/12/20 by Hiroshi Iruma
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