宇宙のなかの太陽系の、生命の棲む奇蹟の青い星、地球。その地球が、地球温暖化やピーク・オイルで、さきゆき怪しいのだそうです。地球のうえのユーラシア大陸のはずれの、青い海に浮かぶ奇蹟の島、日本。そこで住んでいるぼくたちにも、無縁の問題ではなさそうです。この星のこの島に生きている毎日をいつくしみつつ感じたこと、思ったことを、あれこれと…
 
   
1.文明の逆行(2010.1.20.) 6.縄文と弥生の連続性(2010.4.13.)
2.都市は滅びる(2010.1.24.) 7.日本海沿岸文化の底力(2010.4.18.)
3.都市と火災(2010.1.26.) 8.適正規模への回帰(1)(2010.5.05.)
4.きのうときょうの都市問題(2010.1.29.) 9.適正規模への回帰(2)(2010.5.10.)
5.都市からの逃亡(2010.2.27.) 10.あらためて文明の逆行を(2010.5.25.)
   

10.あらためて文明の逆行を(2010.5.25.)

   
ブリコロールたちよ

文化人類学者のクロード・レヴィ=ストロースがつかったことばに、「ブリコルールbricoleur)というのがあるそうだ。「8.適正規模への回帰(1)」でふれた、手近な内田樹『日本辺境論』の引用から孫引きさせてもらう。レヴィ=ストロースは、「ありあわせのもの」しかない、限定された資源のうちで生活している、野生の人びとをさして、このことばをつかったという。

レヴィ=ストロースは、『悲しき熱帯』のフィールド・ワークでマト・グロッソのインデイオ裸族にであう。「彼の道具的世界は閉じられている。そして、ゲームの規則は『手持ちの手段』でなんとかやりくりするということである。すなわち、ある限定された時点で手元にある道具と資材だけで、ということである。加えてこれはまったく雑多なものである。というのは、これらの道具と資材はいずれもその時点での企図とは無関係に集められたものだからである。というよりも、そもそもいかなる特定の企図とも無縁なのである。それらはストックを更新したり、増やしたり、あるいは何かを作ったり壊したりしたときの残滓でストックを補充したりする機会があるごとに無計画に収集された結果である。ブリコルールの持ち物は何らかの計画によって定められたものではない。(……)それは道具性に基づいて定められるのである。ブリコルールたちの口ぶりを真似て言えば、彼らの道具や資材は『こんなものでも何かの役に立つことがあるかもしれない』(Ca peut toujours servir)という原理に基づいて収集され保存されているのである」。

かつて田舎の実家の町工場には、さまざまなガラクタがあった。兄は鉄片からナイフをつくり、ぼくはグラインダーの鉄粉を花火に混ぜた。いまも、ぼくの家の物置には、ガラクタがある。ヒモ、箱、板切れ、木切れ、ベルトの皮、壊れたカバンの皮、電気機器の接続線、組み立て家具などについていたスパナ、ネジ釘、緩衝材などなど。

サラリーマン時代は、用もないのに文房具店で時間をすごすのが、楽しみだった。退職後も、近くのD2(園芸・日曜大工の店)をぶらついた。『こんなものでも何かの役に立つ』ことがあったときが、至福なのだ。木に皮を貼りつけて、夏風を通すためのドア止めをつくった。簾をかけるときには、カギフックとヒモが役立った。

しかし、現代文明を代表する電子機器などでは、付属品を保存しておいても、なんの役にも立たない。こちらに電子機器をあつかえるような技術がないこともあるが、急速なイノベーションと頻繁なニューモデル化と厳しいコストの合理化などで、代替を利かせる余裕などはなくなっているのだ。もともと、Aという文明はBという文明に、すっかり入れかわる性質がある。明治の文明開化の時代に、畳の生活から椅子の生活に切りかわりはじめた。レコードはCDに取ってかわった。ところが、いまも畳の生活をつづけている人がいる。レコードの音色の愛好家がいる。畳にはつづいてきた生活文化があり、レコードにも文化が芽生えたからだ。現代文明には、それに見合うほどの文化が育っていないといえるかもしれない。

Aという文明がBという文明に、すっかり入れかわる性質があるということは、Aという文明がとつぜん消えてしまうこともありうるということだ。ピーク・オイルによって、それが起こるかもしれない。つぎの文明がくるまで、そのあいだをつないでくれるのが、これまでの文明がつむいできた文化だ。ぼくらはブリコロールのように、古い文化のなかに、なにか役立つものがないか探しもとめなければならない。

まさに日本海沿岸文化のなかにこそ、わが親愛なるブリコロールたちがもとめるものが、大量に埋蔵されている。縄文弥生以来の文明をつないできた文化が、いまこそ役立つ。

アメリカの植物図鑑

しかし、国際競争力などということをいいたてて、負け犬になってもいいのかとわめく人たちがいる。勝ちも負けもない。日本人は辺境人でありつづけ、「縮み」志向でいこうということだ。この文明がピーク・オイルで無力化したとき、日本人は生きのこれると思う。拡大成長主義の「井戸のなかの蛙」「夜郎自大」と縁を切って、自分の道をいくことだ。相手国の文明が衰退したら、いくら競争したくてもできはしないのだ。

友人からインスパイアーされて、この問題を考えはじめて、さいしょに紹介したのが、『ピーク・オイルへのコミュ二ティの解決策』A Community Solution to Peak Oil: An interview with Megan Quinn)だった。そのなかで、「エネルギー消費量を減らすため、暮らしやコミュニティをデザインしなおすこと」が大切とされ、それを実現している具体的な例としてキューバがとりあげられていた。大国アメリカと小さな社会主義国。いまのうちは、この比較はコメディめく。しかし、アメリカが挫折したとき、キューバが生きのびていることは、じゅうぶん考えられることだ。

キューバはすでに、「ピーク・オイル」を経験しているといいってもいい。1991年のソ連崩壊の影響を直撃して、その石油の50%を失った。その後、キューバのGDPは3分の1も低下した。石油システムにたよった食料受給は崩壊し、多くのキューバ人が飢えた。大規模な石油集約型の化学工業的な生産から転換し、小規模でローカルな有機農業にまでゆきついた。いまハバナの食料の50〜80%が市街地内からもたらされているという。

新鮮で健康的な地場食料・コミュニティ菜園・水を節約するドリップ潅漑・屋上菜園・裏庭農場。キューバ市のアラマル農場では、労働者たちが共同で農場、市場、レストランを運営している。

ソーラー太陽光発電を導入した。キューバの全農村域の2,364小学校へ、ソーラー・発電パネルが導入されている。自転車・自動車・トラック・トレーラなどの廃品を利用して、大量輸送機関の代用品をつくりだした。古いトラックがタクシーとなり、自転車タクシーがつくられた。

もし、これらのエネルギー対策に社会主義が必要ならば、日本には縄文原始共産体があり、一向一揆の階級闘争ジェネラル・ストライキの経験がある。とまあ、これは冗談。

『ピーク・オイルへのコミュ二ティの解決策』のなかで、リポーターのメガン・クインは、アメリカ人にむけて、「私たちの今のライフスタイルは成功しているように見えるかもしれませんが、実のところは、世界の残りの多くの人々や将来世代を犠牲にして、一時的に物質的に豊かさの中で暮らしているだけです」と自覚している。具体的には、「地元で新鮮な旬の食べ物を買うことは、冷凍したり、パッケージにしたり、長距離輸送される食料を消費する際に埋め込まれているエネルギーを徹底的に減らします」といい、自動車の共有をすすめている。とりあえず、「植物図鑑を購入し、あなたの地区ではどんな野生植物が育つのか、そして、その様々な用途は何なのかを学び始めてください」と彼女はいう。

日本でさえ、山野の植物はうかつには食べられない。ましてインディアンの文化を破壊してしまったアメリカの、1492年からの知識では心もとない。その点、日本には縄文以来の山野の知識をうけついだ山野の達人が、地方にいけばいまも生きている。日本では、「海の幸、山の幸」ということばが、『古事記』以来、すたれずに生きている。若菜摘みは、『万葉集』で天皇が詠っているほどだ。生きた文化がたよりになる。旬の沿岸近海の魚貝、山野の植物を食べる。忙しさに追われて食べるファストフードではなく、地のものをつかったスローフードを食べる。この「おいしい生活」がエコロジーそのものだというのだ。こんな楽なことはないではないか。

「おいしい生活」

このシリーズの第1章で、ぼくは「文明の逆行」を説いた。くりかえしになるが、Aという文明はBという文明に、すっかり入れかわる性質がある。ということは、Aという文明がとつぜん消えてしまうこともありうる。Bという文明が力を失い衰退するとき、まだCという文明が登場しなければ、A以前の文明の蓄積に後戻りするのは、やむをえないことだ。文明が消えたといっても、人間が消えるわけではない。歴史はそれを文明の停滞とよんだりするが、たとえばアフリカのローマ遺跡のように、ローマ人たちが消えただけで、ベルベル人たちはちゃんと生きのこっている。まして、古い文明の蓄積のうえに育まれた豊かな文化が、さいわいにも生きのこっていてくれるならば、その文化を最大限に活用するのが、賢明な選択というものではないか。

ぼくらは過去をなめてはいなかっただろうか。現在の文明が最先端であり、ぼくらは最先端に立っているのだと、思いあがっていなかっただろうか。せいぜいケータイでメールして、カーナビで運転しているぐらいで、科学についてなにも知らず、歴史についてなにも知らないのに、自分を文明人だと勘違いしていなかっただろうか。だいたい文明人とは何者であるかもわからぬまま、文明人でありたいと思ってはいなかっただろうか。

底辺に流れる文化を見ずして、他の文明を野蛮人とよぶような、文明人にはなりたくないものだ。ぼくは日本海沿岸の文化を愛し、「おいしい生活」をつづけたい。そして、残存する京文化をしっとりと味わいたい。自然をとりいれた生活文化を楽しみたい。その京文化を生みだした西行・鴨長明・吉田兼好などの古典もゆっくりと味わいたい。なにより、そうすることがエコロジーだというのだから、こんなにありがたいことはない。

ぼくはステージ4bの膵臓がんにかかっている。それを知って友人が与えてくれたのが「ピーク・オイル」というテーマだった。書いているあいだに、2度、入院した。しかし、ぼくなりに楽しみつつ、書いてきたつもりだ。もっと深く追求したいところだが、いまのぼくには、これが精一杯のところだろう。書いたことを実行する時間が少なくなったのも残念だが、充実した時間が送れたことが、とてもうれしい。我田引水。ふるさと礼賛。気を悪くした人もいるかもしれない。ご寛容のほどを。そしてなにより、友に感謝する。

旅支度

まもなく、緩和治療センターに入院する。いま、その準備をしている。以下は、入院のために持っていく全リストだ。もはや入院なれしているのだが、ついの棲家かと思うと、いくつか補充したものがある。

1.ティッシュ・ペーパー/2.濡れティッシュ・ペーパー/3.パジャマ/4.パンツ/5.紙オムツ/6.タオル/7.バス・タオル/8.シャンプー/9.ボディ・シャンプー/10.歯ブラシ・歯磨き/11.歯間ブラシ/12.コップ/13.シェーバー(充電器は2階テレビ台にある)/14.石鹸/15.化粧水/16.目薬/17.消臭剤スプレー/18.爪切り/19.綿棒/20.爪楊枝/21.懐中電灯(電池つき)/22.置時計(電池つき)/23.メガネケース・メガネ・メガネ拭き/24.ころころクリーナー/25.シャープペン・ボールペン・水性ボールペン/26.ノート/27.メモ/28.財布・小銭入れ/29.診察券・健康保険証・健康保険高齢者受給証/30.テレフォンカード/31.クスリ各種・クスリ表/32.カメラ(電池つき)/33.CDプレーヤー(専用電池・充電器・イヤホンつき)/34.単3単4電池充電器/35.交換用単3単4電池/36.Tシャツ/37.Tシャツ長袖/38.短パン/40.襟付き長袖シャツ/41.サマー・セーター/42.靴下/43.スリッパ/44.スプレー/45.イヤホン/46.メモ・ボード/47.着ていったもの一式(シャツ・ジャケット・ズボン・シューズ)/48.本数冊/49.スケッチ・ブック/50.水彩絵の具と筆3本/51.(娘たち孫たちの)写真立て

娘たち孫たちの写真立てが、その補充の1つ。これはいつもは、ぼくの部屋の壁を飾っているものだ。スケッチ・ブックと水彩絵の具と筆3本。何枚の絵を描けるかはわからない。なにもすることがなく、そして絵が描くことができるようなら、病室で花など描いてもいいかなと思ったのだ。

いつもは1つのバッグですむのが、2つになった。しかし、2つあわせても、海外旅行用の20kgスーツケースに収まるほどの量だ。娘や孫や猫の写真、絵の道具をふくめても、すべて旅にもっていっておかしくないアイテムだ。これが、ぼくの最後の旅の、旅支度というわけだ。

そしてこれは、鴨長明が洛外・日野の方丈に持ちこんだものと、大きなちがいはないように思う。3m四方の庵に長明が持ちこんだのは、阿弥陀の絵像、普賢菩薩の懸け物、法華経、和歌・管弦・往生要集などの書物。これに琵琶の名手だった彼は、琴と琵琶を加えた。ただし、これにくらべれば、ぼくのアイテムはなんとムダが多く雑多なことだろう。

「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。舟の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老を迎ふる者は、日々旅にして旅をすみかとす」。いうまでもなく芭蕉の『おくのほそ道』の出だしだ。20kgスーツケース収まるほどのもので、10日の旅はじゅうぶんに間にあう。10日間にあったものは、一生間にあう。すくなくとも、旅支度をしてみれば、いかにふだんの生活にムダが多いかがわかる。

おわり

 

   
1.文明の逆行(2010.1.20.) 6.縄文と弥生の連続性(2010.4.13.)
2.都市は滅びる(2010.1.24.) 7.日本海沿岸文化の底力(2010.4.18.)
3.都市と火災(2010.1.26.) 8.適正規模への回帰(1)(2010.5.05.)
4.きのうときょうの都市問題(2010.1.29.) 9.適正規模への回帰(2)(2010.5.10.)
5.都市からの逃亡(2010.2.27.) 10.あらためて文明の逆行を(2010.5.25.)
   
         
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