宇宙のなかの太陽系の、生命の棲む奇蹟の青い星、地球。その地球が、地球温暖化やピーク・オイルで、さきゆき怪しいのだそうです。地球のうえのユーラシア大陸のはずれの、青い海に浮かぶ奇蹟の島、日本。そこで住んでいるぼくたちにも、無縁の問題ではなさそうです。この星のこの島に生きている毎日をいつくしみつつ感じたこと、思ったことを、あれこれと…
 
   
1.文明の逆行(2010.1.20.) 6.縄文と弥生の連続性(2010.4.13.)
2.都市は滅びる(2010.1.24.) 7.日本海沿岸文化の底力(2010.4.18.)
3.都市と火災(2010.1.26.) 8.適正規模への回帰(1)(2010.5.05.)
4.きのうときょうの都市問題(2010.1.29.) 9.適正規模への回帰(2)(2010.5.10.)
5.都市からの逃亡(2010.2.27.) 10.あらためて文明の逆行を(2010.5.25.)
   

4.きのうときょうの都市問題(2010.1.29.)

   
東京・秋葉原無差別連続殺傷事件の公判はじまる

きょう(2010.1.29.)の『朝日新聞(朝刊)』に、きのうはじまった「東京・秋葉原無差別連続殺傷事件」の公判の記事がでている。この事件は、2008年6月8日、元派遣社員・加藤智大被告(当時25歳)が、日曜日の昼で歩行者天国となっていた東京・秋葉原の交差点に、レンタカーの2トントラックをつっこんで通行人を殺傷、さらにクルマをおりてダガーナイフで通行人に切りつけ、あわせて7人を殺害、10人に重軽傷を負わせたというものだ。

被告・加藤智大は青森県出身。中学時代は成績優秀で、学級委員をつとめた。岐阜県の短大を卒業。仙台で警備会社にはいり、アルバイトから正社員になった。その後は、派遣社員として埼玉県・茨城県・静岡県など各地を転々。この間、さまざまな不満をつのらせ、まわりから孤立していったようだ。心のよりどころを携帯サイトの掲示板にもとめ、1000回にのぼる書きこみをくりかえしていたが、やがて殺人予告の書きこみをするようになる。派遣さきの静岡の自動車工場をやめて、沼津から犯行現場まで移動するあいだに、約30回のメッセージを書きこんでいたという。

被告は「事件の記憶がほとんどない」といい、弁護がわは、「なんらかの精神障害により、心神喪失か心神耗弱の状態にあった疑いがある」としている。

地方出身、進学、就職、派遣社員、失職、不満、孤独、携帯サイト、レンタカー、ダガーナイフ、秋葉原、歩行者天国…。これらの要因が、どのような因果関係でむすばれて、無差別大量殺人という結果になったかはわからない。そして、どんな条件があろうと、被告に極刑をという世論は高まることだろう。しかし、これは、いかにも大都会に起こりそうな事件だといえる。

殺人の時効廃止

おなじ新聞のトップには、「殺人の時効廃止」の記事がある。法務省刑事局が、下表のような時効の改正の骨子案を提示したという。現行は25年とされる時効は廃止、そのほかは、時効期間が倍になっている。

廃止(現行25年) 殺人、強盗殺人・致死、強盗強姦致死、汽車転覆致死
30年(現行15年) 強制わいせつ致死、強姦致死、集団強姦致死
20年(現行10年) 傷害致死、危険運転致死、逮捕監禁致死
10年(現行5年) 自動車運転過失致死、業務上過失致死、自殺関与及び同意殺人

犯罪被害者らの要望を受け、検討されていたものだが、これらは凶悪・重大事件がいつ起こるかもしれない都市住民たちの不安を反映したものともいえるだろう。しかし、「東京・秋葉原無差別連続殺傷事件」にどんな極刑が課されても、はたして、どれほど以後の事件発生の抑止力になるか。時効期限をのばして、どれほど犯罪抑止につながるか。都市犯罪の多発にたいする恐怖は消えない。

ハイチ大地震で首都壊滅

きのう(2010.1.28.)の朝刊には、ハイチの大地震の続報があった。「ハイチ政府によると、大地震で少なくとも15万人が死亡、住む家がなくなった人は100万人に上ると推定される」「首都ポルトー・プランスでは官公庁や学校、病院などの重要な建物の70%が倒壊し、電気水道など社会基盤も崩壊したままだ」。1月12日に、マグニチュード7.0の大地震が発生して、2週間がすぎた。

別面で、日本人記者がリポートしている。「首都ポルトー・プランスを中心として、推定で最大300万人という被災者の大多数には、まだ何の支援も届いていない」「重爆撃を受けたような市街地」「残されたがれきの山のほとんどは手つかずのまま」「ゴミや遺体が異臭を放つ」「母は糖尿病でインスリンもわずかしかない」「多くの人は、テントはおろか、雨露をしのぐ場所もなく、シーツを広げるなどして、文字通り野宿している」「水と食べ物が欲しい」「支援物資の食糧にありつけているのは10%に過ぎない」「今は乾期だからまだいいが、6〜7月ごろから雨期に入ったら、感染症も広がって、命を落とす人がさらに増えかねないのでは」。

いまハイチには、首都はないにひとしい。地震が一瞬にして首都を壊滅してしまったのだ。首都機能を回復するのに、何年かかるか想像もつかない。ハイチという国そのものも、いまや機能していない。

15年まえの阪神・淡路大震災。江戸・東京も、なんども大地震を経験している。しかし、いまはそれをすっかり忘れ去っているのではないか。大都会は、地震・台風・洪水・火事などの災害を、極限まで増大させるというのに。

一票の格差

さきおととい(2010.1.26.)の朝刊には、「一票の格差また違憲」の記事があった。選挙区によって、一票の格差が2倍を超えるのは違憲だなど、各地で裁判がおこなわれてきた。これは昨夏の衆院選における広島1区の選挙の無効を訴えていたのにたいして、広島高裁が違憲の判決をくだしたものだ。昨年は大阪高裁で、違憲判決がでた。今後、定数配分の見直し論議が高まると見なされている。

これまで問題となったのは、千葉4区・東京3、6区・神奈川7、10、14区・北海道1区、兵庫6区など。人口増加の多かった都市だ。人口増加が生んだ格差といえる。この格差は是正されて当然だが、今後、人口が減少し、都市への集中が衰えた場合はどうなるのか。ピーク・オイルは、そういう問題をも予測させる。

あいつぐデパート閉店

きょうの紙面には、おとといの西武有楽町店の閉店につづいて、京都四条河原阪急の閉店のニュースがでている。すでに00年に、そごう東京店が閉店している。09年には、そごう心斎橋店、三越池袋店、三越鹿児島店が閉店した。ことしは、ほかに8店が閉店を決めているという。

日本最初の百貨店は、三越だ。江戸時代の呉服商・越後屋にはじまる。ようやく力をつけてきた江戸庶民に、京文化の華のきものというファッションを、安く提供することによって人気をえた。1904年に、三越と改名して、百貨店となる。舶来品をまじえて近代文明のアイテムをそろえ、東京のショー・ウィンドウとして発展した。三越に追随して、各大都市の一等地に、百貨店が開店。ゆりかごから墓場まで、近代生活に必要なものはなんでもそろう場所として、大繁栄した。デパートは、発展する近代日本がもとめる文明文化のアイテムを、一般大衆に見せるメディアとしての役割もはたしてきたといえる。この時代、デパートは大都市の象徴だった。

しかし、現代生活に欠かせない電気製品・パソコン・携帯電話などは、秋葉原の電気店街や、さらには家電量販店があつかうようになった。ファッションについても、高級品から格安品まで、専門店に客をうばわれた。TV・CMが大量消費をうながし、スーパーやコンビニが増殖し、ネット販売がひろがるなど、もはやデパートがはたしてきた役割を、都市市民は必要としなくなったのだ。

都市市民の欲求は変化し、都市がつくりだすマーケットも変貌する。都市の変貌は、はげしい。

3D映画アバター

きのうの朝刊社会面には、3D映画『アバター』の話題が紹介されていた。全世界興行収入が、『タイタニック』をぬいて、史上最高額を記録したという。

この映画は、22世紀の宇宙を舞台に、鉱物資源ゆたかな星の支配を目指す人類と、その星に住む先住民の戦いと恋を描いたものだそうだ。そして、この映画を観た人たちのあいだで、「映画から日常にもどり、本当に落ち込んだ」「現実世界に帰りたくない」などという人が続出しているのだという。

ワシントンの記者は、「三次元映像で描かれた、神秘の惑星パンドラの風景や、自然と調和した住民の平和な生活に魅せられた人が、現実との差に悩むことで起きているようだ」と、この現象を解説している。地球こそ神秘の惑星だったはずなのに、現実には、彼らの都市が自然と調和していないことを、アメリカ人も痛感しはじめたのだろうか。

映画全盛期だったのは、昭和30〜40年代だろうか。あのころは都市に映画館があふれ、24時間観られた。都市の娯楽を独占していたといっていい。テレビにおされて、映画は衰退した。映画が、現代文明のアイテムとしての資格を失って久しい。3D映画は、あらたな現代文明のアイテムとなりうるだろうか。

篠山紀信のヌード写真

ちょっと古くなるが、1.15.の夕刊社会面には、写真家・篠山紀信が、公然わいせつ容疑で書類送検されたという記事がでていた。写真集『NO NUDE by KISHIN 1 20XX TOKYO』に掲載されたヌード写真が、ひっかかったのだ。

撮影したのは、08年8〜10月。朝早い橋のうえ、深夜の都心、青山墓地などをバックに、2人の裸の女性が写っている。公然わいせつであるかどうかはともかく、女性たちがいなければ、都会のむなしさを感じさせる無人の風景だ。女性たちがいることによって、都会の孤独がゆるむ気もするし、かえって孤絶に気づかされるようでもある。

捜査当局によると、「六十数ページのうち8割強が公道など公共の空間で撮影された」という。都会とは、公の世界だ。公とは規範であり、息苦しい。しかし、これが市民の安寧をまもるという。ただ、私をまもるべきはずの公が、どこまで私を圧殺していいかは、おのずと限界がある。そして、映画『アバター』の世界へのがれてしまいたいなにかが、ぼくらの都会に内在していることも、また確かであるようだ。

これから考えていくうえで、新聞にころがっていた、都市とかかわりのある問題を、いくつかひろってみた。ひろってみて、都市についていま、ちょっと、せつない思いでいる。なにげない都市の風景のなかから、都市の悲鳴が聞こえてくるような気がするからだ。これらのなかには、解決しておかなければ、あとになって牙をむくものもあるかもしれない。聞きのがしてはいけないSOSがあるかもしれない。

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1.文明の逆行(2010.1.20.) 6.縄文と弥生の連続性(2010.4.13.)
2.都市は滅びる(2010.1.24.) 7.日本海沿岸文化の底力(2010.4.18.)
3.都市と火災(2010.1.26.) 8.適正規模への回帰(1)(2010.5.05.)
4.きのうときょうの都市問題(2010.1.29.) 9.適正規模への回帰(2)(2010.5.10.)
5.都市からの逃亡(2010.2.27.) 10.あらためて文明の逆行を(2010.5.25.)
   
         
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