宇宙のなかの太陽系の、生命の棲む奇蹟の青い星、地球。その地球が、地球温暖化やピーク・オイルで、さきゆき怪しいのだそうです。地球のうえのユーラシア大陸のはずれの、青い海に浮かぶ奇蹟の島、日本。そこで住んでいるぼくたちにも、無縁の問題ではなさそうです。この星のこの島に生きている毎日をいつくしみつつ感じたこと、思ったことを、あれこれと…
 
   
1.文明の逆行(2010.1.20.) 6.縄文と弥生の連続性(2010.4.13.)
2.都市は滅びる(2010.1.24.) 7.日本海沿岸文化の底力(2010.4.18.)
3.都市と火災(2010.1.26.) 8.適正規模への回帰(1)(2010.5.05.)
4.きのうときょうの都市問題(2010.1.29.) 9.適正規模への回帰(2)(2010.5.10.)
5.都市からの逃亡(2010.2.27.) 10.あらためて文明の逆行を(2010.5.25.)
   

2.都市は滅びる(2010.1.24.)

   
都市の原罪

エジプトの南西、リビアとの国境に、ギルフ・キビール高原がある。そこから西にむかい、アルジェリアにはいると、タッシリ・ナジェール高原がある。これらの高原は、熱帯と温帯をわける北緯23.5度線に沿って散在している。赤道はまだ、はるかな南だ。しかし、いまは広大なサハラ砂漠にかこまれている。それらの高原に散在する洞窟や岩壁には、みごとな壁画が描かれている。ヤギやウシなどの動物、狩猟する男たち、イレズミをほどこした女、そして泳ぐ人も。

ここには、前5000年まえまでは、水が流れ、森が茂っていた。ゆたかな狩猟生活につづいて、牧畜生活がいとなまれていた。しかし、前5000年ごろを境にして、気候変動による砂漠化がすすみ、彼らの痕跡が消える。そして、東のナイル川のほとりに農耕文明があらわれる。気候変動によって、狩猟から農耕へ、文明の交代がおこなわれたのだった。

それ以後、人類はいくつかの文明の交代を経験する。そして、この文明の交代を、ぼくらは進歩・発展とよんできた。しかし、それは、進歩・発展だったのだろうか。

おなじく農耕文明の発祥の地であるメソポタミアで、シュメール人がはじめて都市文明をつくりだしたのは、いまから5000年まえだったという。この都市づくりの話が、『旧約聖書』創世記第11章に、「バベルの塔」の話としてでてくる。

「全地は同じ発音、同じ言葉であった。時に人々は東に移り、シナルの地に平野を得て、そこに住んだ。彼らは互いに言った、『さあ、れんがを造って、よく焼こう』。こうして彼らは石の代りに、れんがを得、しっくいの代りに、アスファルトを得た。彼らはまた言った、『さあ、街と塔とを建てて、その頂を天に届かせよう。そしてわれわれは名を上げて、全地のおもてに散るのを免れよう』。神はこれに怒り、人々の言葉をばらばらにして通じなくし、人々は塔を造ることができず、各地へ散らばっていったという。

1つの言葉とは、いまでいえばEnglish、欧米文明によるグローバリゼーションということだろうか。レンガ・アスファルトはinnovation技術革新をさしているのだともいわれる。ここにはすでに、集住をめざしたのに、かえって離散をまねいてしまった、文明への疑問と反省がある。

シュメール人がのこした、絵文字や楔形文字で書かれた『洪水伝説』や『ギルガメシュ叙事詩』によれば、労働を肩代わりさせるために、神々は人間を創りだしたが、その人間がふえすぎて、神々は困りはてた。どんどんふえた街が5つ目になったとき、神々は人間の種を滅ぼすために、大洪水を起こすことにしたという。

この話のつづきも、『旧約聖書』にも引きつがれている。あの「ノアの方舟」の話だ。家族や動物をのせた「ノアの方舟」が、大洪水からのがれることができる。そして、ノアの家族が生きのこったあと、神々はふたたび人間がふえすぎないようにと、人間の数を減らすものとして、「洪水」のほかに「戦争」と「不妊」を追加したという。

農耕は、多数の人力を必要とする。そのために都市がうまれた。農耕と都市は、多量の木材を必要とする。土を耕すための金属具を精錬したり、水や収穫物をいれる土器をつくる燃料として。家屋・倉庫・車・船などの、資材として。こうして、森が伐られた。収穫物をねらって襲ってくる騎馬民族から都市を護るために、武具をつくり城壁をつくり、さらに森が伐られた。枯渇した木材のかわりに石材がつかわれたが、それは木材の節約にはならず、固くて重い石材をあつかうために、また森が伐られた。

この森林伐採が洪水をひき起こし、さらに砂漠化をすすめた。『ギルガメシュ叙事詩』がある。王ギルガメシュは、レバノンの森を守るフンババを殺してしまう。そして、その非を悔いたという。

こうして砂漠は、さらに北上をつづける。サハラ砂漠から脱出してつくられた農耕と都市の文明は、けっきょく砂漠化をすすめる役割しかはたせなかったことになる。

こうしてみると都市や文明は、数千年まえの誕生のときから、すでに原罪を背負っていたといえるかもしれない。けっきょく文明は、砂漠から逃げた人間を、ふたたび砂漠に立たせる、という結果しかうまないのではないか。

滅びていった都市たち

その原罪のせいだかどうだか、ぼくたちは栄華をきわめながらもほろびていった、たくさんの都市を知っている。

あのアテネも近代になって、ヨーロッパ各国の後押しにより、ヨーロッパ文明のふるさととして復活するまでは、たんなる田舎町、いやほとんど寒村といっていい状態だったという。

ローマもまた、おなじような運命をたどった。「六世紀末までにはローマの衰退ぶりは惨めきわまるものとなった。目撃者たちが目にしたのは、建物は壊れて廃墟となり、水道橋や公共の穀物倉は崩れ落ち、記念建築や神殿は解体され、彫像は略奪されたり傷つけられたりという惨憺たる情景であった。テヴェレ川は水量を増した黄色い流れに乗せて家畜や蛇の死骸を運んだ。人びとは餓えのために何百人という単位で死んだ。そして全住民が伝染病を恐れなければならなくなった」。(クリストファー・ヒッパード『歴史の都の物語(上)』芦原初子・渡辺真弓/思索社)

ギリシア文明も、ローマ文明も、石でつくられたインフラで整備されていた。それが破壊されて機能しなくなると、都市そのものが役立たずになった。地中海のまわりのあちこちに、無数の廃墟がころがっている。コリントスクノッソスペルガモンエフェソスパルミラジェラシュペトラカルタゴエル・ジェムヴォルビリスアグリジェント。ぼくたち夫婦がパック・ツアーででかけて見てきただけでも、こんなにある。

地中海文明だけではない。メキシコでは、ヨーロッパ人がくるまえに、テオティワカン文明が石積みの巨大なピラミッドをのこして消えた。ユカタン半島のジャングルのなかでは、チチェン・イツアに代表される、たくさんのマヤ文明の石づくりの都市が眠っている。そして、メキシコ・シティの地下には、ヨーロッパ人によって滅ぼされたアステカ文明の、湖上の都ティノチ ティトランが葬られている。

ペルーでは、ヨーロッパ人によって、インカ文明が滅ぼされた。空中に放棄された石づくりの山上都市マチュピチュが有名だ。

シルクロードの旅でも、無数の廃墟を見た。敦煌、高昌故城交河故城スバシ故城マリカワチ遺跡砕葉城跡。これらは仏教がつたわった道ぞいの都市だ。仏教文明とイスラム文明のせめぎあいのなかで、滅んでいったのだろう。いまは、いずれも土くれの荒野だ。

中央アジアのタジキスタンには、川に沿う現ペンジケントから見あげる丘のうえに、古ペンジケントの遺跡がのこっている。かつてシルクロードの交易をリードしたソグド人の街だったが、イスラム文明の東漸で滅び、土に帰した。

ウズベキスタンのサマルカンドは、アレキサンダー大王が遠征したことのある古い都市だ。現在の街の北東にアフラシャブの丘がある。ここが古いサマルカンドであり、ソグド人の本拠地だったが、いまは土くれの山がうねる。チンギス・ハンによって徹底的に破壊された街々のうちの1つだ。

トルクメニスタンのクフナ・ウルゲンチは、7世紀にはアラブ、13世紀にはモンゴル、14世紀にはティムールに破壊された。あげくのはてに、アム川の流れがかわり、都の資格を失い放棄された。アム川の流量はおとろえ、アラル海は干あがり、点々と遺跡を浮かべるクフナ・ウルゲンチの砂原は、いま白い塩におおわれている。

おなじトルクメニスタンの街メルヴの郊外に、広大な荒野がある。ここはまさに、文明の墓場だ。遺跡は大きく4つにわかれている。エルク・カラギャウル・カラスルタン・カラ、アブドゥル・ハン・カラ。カラとは城市・都城のことだ。カラからカラへ、時代とともに街は移動した。アケメネス朝、セレウコス朝、パルティア帝国、ササン朝、アッバース朝、セルジュク朝、モンゴル帝国。勢力がかわるたびに、街は破壊され、移動した。そして、最後はチンギス・ハンの末子トゥルイによって、文字どおり人も街もすりつぶされた。

カンボジアでは、数世紀まえまで栄えていた文明が、とつぜん密林のなかに姿を消してしまうということが起こった。アンコール・ワットという祭祀センター、アンコール・トムという王城、ジャヤ・タターカという貯水池、ニャック・ポアンという排水装置。水稲耕作のために、石のインフラを整備した文明だった。これらの遺跡は、破壊されたというのではなく、放置されたといっていいようだ。なぜ放置されたのかは、わかっていない。いま遺跡では、樹木が洪水のように、石に襲いかかっている。

都市の壊滅・衰退・放棄。原因は、地震・津波・洪水などの天災、戦争・征服・火事などの人災、なんだか理由がわからないものまで、いろいろだ。しかし、都市というものは、あんがい、かんたんに滅びる。廃墟・遺跡となる。砂漠にもどる。

*リンクさきは、『2人で旅を!』の各旅行記のコラム・ページです。

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1.文明の逆行(2010.1.20.) 6.縄文と弥生の連続性(2010.4.13.)
2.都市は滅びる(2010.1.24.) 7.日本海沿岸文化の底力(2010.4.18.)
3.都市と火災(2010.1.26.) 8.適正規模への回帰(1)(2010.5.05.)
4.きのうときょうの都市問題(2010.1.29.) 9.適正規模への回帰(2)(2010.5.10.)
5.都市からの逃亡(2010.2.27.) 10.あらためて文明の逆行を(2010.5.25.)
   
         
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