【2009年ニューカマー?】2009/4追記 V-1.9UP:by Recycler

ヴィンテージ(MX)モトクロス & ヴィンテージガレージライフ バイク仙人の館、探訪 2008年4月
平成二十年四月二十二日取材(取材業のhara氏を逆取材?)
“新横浜モトクロス場出身、蘊蓄オフロードバイクジャーナリスト、haraQzo氏の秘められた生活”

【ヴィンテージモトクロス:VMXウィルス罹病】
 丁度一年ほど前、2007年の4月に埼玉の川越で開催されたA.C.T.S.主催のヴィンテージモトクロス(以下VMX:別ページでヴィンテージモトクロスの風景2007年4月版として起こしました)のレースを覗きに嫁さんと行った。サイト内の別ページ(『ハンターカブCT110が我が家に!』)に書いたCT110ハンターカブを譲ってくれた友達、haraQzo氏が此のイベントにエントリーしているというので応援がてら見に行ってきたのだ。
 hara氏の生業は、取材業及びオフロードバイク雑誌のライターだ。新横浜駅近くに有ったモトクロス練習場で出会ってから、もう36年くらいになるのだろうか。高一か高二のころだから1972年頃といういことか。自分は、中二の頃から新横浜のモトクロス練習場をバイクで走っていたが、コース自体はもっと前からあったのを覚えている。小学校の頃に自転車で遠征していたときには既にコースがあった。
 てなわけで、新横モトクロス場OBの応援てことだが、今の年輩者には新横のコース(後から移動して直ぐ近くに出来た幾つかの小さいコースではなく川の三角地帯にあったロングコース1.2km位のもの)を走ったことがある人が結構居られるはずだ。

 其のhara氏に出会った頃には世界GPでチャンピオンをとっていたSUZUKIの工場レーサー、RH250が出走しているということだったので、RHを観ることも目的の一つだったが、残念ながら今回のA.C.T.S.VMXミーティングにエントリーされていなかった。でも、他にも垂涎のヴィンテージモトクロッサーが沢山来ていたので、タダでさえ気温が高くてボーっとしていたのに、そんなものを沢山目の当たりに見てしまったものだから遂に発病。熱が出て「オレも出るぞ〜!」シンドロームに罹ってしまった。

 しかしながら、詳しく話を聞けば、自分のイメイジではこの間までその辺に落っこちていた覚えのある二本サスペンションのボロオフロードバイクの類が、わざわざ逆輸入されて手間暇掛けて修復され、けっこうな高値で売られていたり、その上パーツが欠品しているために維持費が結構掛かるので、懐にそうとう余裕がないと思いっ切り遊べないという。「VMXに来ているトランスポータ観ればわかるでしょ?」といわれて見渡せば、外車も多いし装備やテントなどのホスピタリティも優雅な方々が多い。

 ヴィンテージもののオフ車なんて既に消えて無くなってしまったかと思っていたのだが、大事にとってあったものや、レストアしたバイクがあるのと同時に、アメリカでガレージに仕舞われていたものが、爺さんが亡くなって放出されたりして日本に戻ってきたものも多くあるという。蘊蓄オフ車ジャーナリストのharaQによれば、「アメリカ人は、新しいバイクを買っても古い方を下取りにして買うなんてことはせずにも手元に置いてコレクションするんだよね〜。だもんで〜、、、広いガレージに仕舞ってあるから状態の良いものが出るんですよ〜。」、なんだそうだ。

 そぉーかあ、だから旧車を逆輸入するのか、道理で綺麗なものが多いと思った。個人ではなかなか彼処までレストアできないもんね。メチャ欲すい! とは言っても無い袖は振れない。モトクロスに夢中だった頃に夢に見たMAICOやCZ、ハスクなどの海外のマシンが手に入れられなくはない状況にあるのだが、残念ながら手元不如意の自分には直ぐに買える状況ではない。それでも少し余裕が有ったら多分買っちゃうけどね。
 仕方がないので自分の手持ちのCT110ハンターカブで川越VMX-N2クラスに出ようとも思ったが、カブの柔なフレームがポッキリ逝ってもつまらないし、エンジンも可成りヘタレているのでOHしておかないとやばいだろう。はたまたもう一台のエンデューロレーサーKTMのLC4`95じゃ新しすぎてVMXのカテゴリーに入らないし、そもそも二本サスでも楽しめるようにレイアウトしたコースを足周りの性能が良いLC4KTMで走ったってお恥ずかしいだけだしね。それよりも多くの参加者が求めているように、昔に時間軸を巻き戻して、速さ以外にもどこかゆとりのある造りを持った旧マシンで、みなさん優雅にそして楽しくVMXを楽しんでいること自体が大事なんだものね。自分も旧車のマシンで一緒に走りたいものだと、そんな余裕こいた皆様方を可成り羨ましく思った昨春の一日だったのだ。

 でも、ヴィンテージマシンだってレーサーはレーサーたる素性があるわけだし、一応レースはレースだって思っていたら・・・これが此のA.C.T.S.主催のVMXはレースじゃなくてミーティングなんだそうだ。つまり、あまりカリカリせずにレースっぽくスポーツをしようということでしょうから、それぞれのこだわりでスタイルやマシン等々得意なところに力を入れて、またみんなで走ること自体を楽しむ泥遊びなのね。

 自分も、きっと何時の日にか此の川越のVMXに出ちゃる! そしてharaQzoのブルタコフロンテラをアウトからまくってやると、あらぬ夢を見るのは、やっぱり勘違い? 走行会みたいなイベントだけど、出るならばharaQだけには負けたくないなんちゃって・・・

 テーブルトップを飛ぶharaQzo氏。スペインのブルタコ フロンテラ250。`79年頃のマシンだ。リアサスはオイルが抜けてダンパーがスカスカのために、思いっ切りジャンプを飛ぶと底付きとあおりが凄くて危ないらしい。また、この頃の6速ミッションはギアが薄いので耐久性に難があるので大事に扱わないと不味いとのこと。

【三十年熟成トラウマ解放なるか?】
 その程度のトリガーで過去の記憶が甦り競争意識が暴発しそうになったのも、そもそも三十数年前、行きつけのバイク屋から借り出したSUZUKI TM125の2台で鶴見川沿いの土手道を新横浜にあったMX練習場まで自走で行って練習していたときに、自分が借りた方のTM125の調子が今一の為に直線でharaQに置いて行かれた其の悔しい想いがトラウマとなって潜んでいたのが一気に表面化したのかもしれない。腕じゃなくて同種のバイクの調子の差で負けるというのは悔しいものだ。それもワンメイクで競り勝った方の奴は絶対自分の方が腕が良いと思ったに決まっている。

 其の後は、hara氏は学生の時か卒業後に、YAMAHA神奈川営業所のパーツセンターで働いていたはず。わたしも学生の時にはYAMAHA関連全てを運ぶ運送屋でバイトしていた。ピアノや家具だけでなく、YAMAHAのバイクも販売店に配達して回っていたね。3t平ボディだけでなく、4tの二階建てのトラックでね。当時、ヤマハの工場から大型トラック(二階建て)でバイクが入庫されるんだけど、大型で運んでくる連中は、其のトラックの荷台の二階から、長〜い、そして細〜い足場板一本で、地面までバイクを乗ったまま降ろすんだぜ! 殆ど曲芸の世界ね。高所恐怖症の自分はみているだけでクラクラしたことがある。
 その後、Qちゃんには、リベンジのチャンスも無くなり、方や大学生から社会人、自分は悶々とした浪人生から長期大学生となり一緒に走ることも無くなってしまった。。。

 ただ、10年以上経った後に一回だけ、福島の羽鳥で開催されたエンデューロレースのピットでニアミス。4時間耐久レースを同時に走っていたみたいだけど、エントリーしたクラスもマシンも違うし、どのバイクかもよく分からない状態だったので互いに認識できなかった。多分、hara氏はYAMAHAのIT230に乗っていたから彼はレーサークラスで、自分達はDT200Rだったので市販車クラスだったと思う・・・って、乗り物は大して変わらないじゃん。すると、やっぱりまた置いてけぼりにされていたのか。。。20年くらい前の話だ。
 其の後は、また縁が途切れていて、再度復活したのが4年前。本Webサイトの別ページに載せているコンテンツ、新横浜駅前にあったモトクロス場での写真を載せたページを見付けて2004年にメイルをくれたhara氏。そして、三十数年ぶりにお付き合い復活というわけね。なので、これもご縁か、何時かはコース上でQちゃんの前を走ってやる、、、なんちゃって・・・
 果たして、わたしのトラウマが癒される日は来るのでしょうか。 


【良き日々:新横浜モトクロス練習場でのご縁】
 さて、モトクロスに夢中になっていた1970年代前半、新横のモトクロス場やバイク屋で知り合いになった仲間達は、今では考えられないくらい大らかだったかも知れない。

 hara氏のTL125。鶴見川の河原で。乗っているのは同級生でバイク仲間のM氏。SUZUKI TS250-3型輸出仕様を格安で譲ってくれた優しい人だ。

 鶴見川と鳥山川の合流点にあったモトクロス練習場が埋め立てられた後。残土の盛り上がりの鋭角な踏切で飛び出し。此の後、数回目に大前転。hara氏のフィルムコレクションとなる。1975〜76年頃。

 当時、haraQ氏からはHONDAのトライアル車TL125や27インチのスポーツサイクルを借りて乗り回していたし、モトクロス場で話しかけて色々教えて貰ったお兄さん達には高校生にはとても手が出ないレーサーを乗せさせて貰ったりした。そこで知り合いになった人のCB750を長期貸して貰っていたので通学に使ったり日々乗り回していたこともある。そんな大事なCBを時には日曜の高校の校庭で、トラックレーサー宜しくカウンター当てて走り回って遊んでいたり、また近所の酒屋のアンちゃんに借りたKAWASAKIのマッハ3の500でフロント浮かせながら町中を走り回っていたしね。
 今となっては、よく平気で人のものを借りて危ないことやっていたな〜と思うけど、貸す方の人も大したもんだよね。そんな方々にはちゃんとお礼をしている場合もあるけれど、そのまま不義理をしてしまったケースも多くあるはず。自分もKAWASAKIの90SSSというロータリーバルブのスクランブラーを人に貸しておいて壊されてしまったことあるしね。

 あと、印象深く覚えているのは、新横で知り合ったイッチという少し年上の人が、来週レースだけどグラブを買いに行く時間が無いからわたしのグラブを貸してくれと言うので渡したところ、後日2千円を付けて返してくれたこと。当時、グラブは5千円位で買えたものもあるので、借り賃としては充分すぎる金額だったはず。でも、多分受け取らなかったんじゃあないかと思うが、その気持が有り難かった。そういうキッチリとしたお付き合いをいただいて、なにも知らないガキの自分も人付き合いを学ぶことが多かった。

 TM250-2城北チューン:超安く譲って貰った有り難いマシン。オーナーが2年くらいで125に乗り替えたのでわたしに回ってきた。
 この城北チューン(故矢島金次郎選手が在籍した城北ライダース)がノーマルと違うのは、ラジアルフィンのシリンダーヘッド、手作りのエクゾーストチャンバー、シート、前後フェンダーなどかな。新横浜MX場にに走りに来る人は、SUZUKIの場合には城北チューンが多かったかも。YAMAHAは野口チューンだね。

 雪の日にはしゃぐSUZUKI TS250-3。ブルーのタンクは輸出仕様。横浜だったせいか、輸出仕様のものが割とあった。格安のお情け価格で友人が譲ってくれたもの。其の友人M氏は、このハスラーでしょっちゅう箱根を攻めていた。下りは可成り速かったらしい。
 シートは何故か、YAMAHAのDS6のものが取り付けてあった。調子の良いマシンだった。

 そのイッチの超美人の妹は、後年うちの妹と同級になったりしてバイクの後ろに乗せて上げたりしたことがあるけれど、その乗せたSUZUKIのGT380という2st3気筒バイクも友達からの借り物だったりしたので、思い出せば出すほど仲間のものを借りて乗せて貰っていた記憶が甦り、この歳になって改めて得心。感謝感謝。

 はたまた、バイク屋で修理が終わったTM125は、ちょっと調子を診てきて上げるとharaQと二人で二台持ちだしてコースを走ってくるなんて事もさせてくれたんだもんね。そのバイク屋さんでは、二十歳前まで位のモトクロス仲間たちみんなで、夜はブルーフィルムという上品な作品の上映会を肩寄せて息を殺しながら観たりしていたし、その仲間の大学生のH氏はお金がなかった高校生のわたしに、当時30万円位はしていただろうSUZUKIのTM250-2の城北チューンのマシンを確か2〜3万円くらいで譲ってくれた(但しFフォーク無しだったので、あとから城北からTM125用のものを安く分けて貰って付けたけど)。

 みんな優しくて、わたしの友達たちもSUZUKIのハスラーTS250の3型を2万円くらいで譲ってくれたり、YAMAHAのXT500を7万円くらいで譲ってくれたりした。働いていて学生よりは金があったとは言え、これまた感謝感謝だ。他にも数えればキリがないくらい貸して貰ったり、また安く譲って貰ったり、振り返れば兎に角親切にして貰った想い出が沢山ある良き日々だったね。

 それというのも、みんなあまりお金に余裕が無いから逆に互いに親切だったのでしょうか。モトクロスの練習に行ったってアンパンとかジャムパン食べてコーラ飲んでいたし(充分?)。当時はコーラも500mlの瓶なんてもあったりして、それを口を付けたまま一気飲みなんてチャレンジしていたね。その頃のコカコーラは、今のものの様に柔じゃなくて、炭酸が強いものだから咽への刺激が強くて500mlの一気はきつかったのだけど、みなさん覚えて居られますか? それを泥だらけの口も軽く濯いだくらいで飲んでいたし、パンを地面に落としても土を軽く払って食べていたもんね。どうせ、口の中も泥だらけだしっていうことで・・・これで免疫力がそうとうついただろうね。

 日頃、ちゃんとメンテしていないものだから、燃料系が詰まってまともに走れないでやんの。手伝って少しだけ復旧したけれど、やっぱり調子が悪くてまともに走れていなかったこの日のhara氏。
 それにしてもメットから長髪なびかせて走りやがって。顔を観たら髭面。メット脱いだらジジイじゃ心臓に悪いぜ。
 hara氏のトランスポータは、日本が世界に誇る高性能エンジンを積むホンダのマイクロトラックだ。ダッジとかの大型ピックアップも来ているVMXだけど、350年以上も前から横浜に居着いた百姓の系譜はこれよ〜。
 赤いヘルメットは前回VMXで入賞したときの賞品。色のセンスが悪いわけではない。

 それにしても三十何年も経っていて、いまだにバイクでどろんこ遊びをしているんだもんね。ああ、進歩ねぇ〜。でもね、haraQの二人の息子はバイクに興味が無くてゲームばっかりやっていると言う。一般的にそんな傾向なんだよね。でも、そのオヤジ達はみんな、「俺等はリアリティ有る遊びばっかりして来たよなあ〜、そして今もそうだけど精神的には健康だもんね。」と曰う。まったくだ・・・


【ヴィンテージモトクロッサー販売の殿堂:ユニオンクラブさん】
 やっと、東のヴィンテージモトクロスレース※、DIRT A.C.T.S.(※他のVMX関連のリンクも網羅されているのでご覧になったことの無い方は其方からどうぞ)の事務局をTED'sさんと共にやっている川崎のユニオンクラブさんを覗いてきた。1年以上前にユニオンクラブさんのことはhara氏に聞いていて前から行きたかったのだが、山から降りてゴチャゴチャした町中に出ていくのが億劫でなかなか行くチャンスがなかったのだ。

 ところが、つい先日、家のお隣さんであるF氏が、会社の人達と相模川の河原にオフ車で遊びに行っていた時に、チェーン切れでクランクケースを割ってしまい、わたしが軽トラで河原までレスキューに行く事があった。F氏の勤める会社の若い人のバイクを借りて3人3台のモタードスタイルのバイクで河原を走っていたらしいのだが、チェーンが外れてドライブスプロケに絡まってケースから出ていたギアシフトのシャフトをケースごともいで仕舞った様子。
 軽トラでバイクを積みに行ってから取り敢えず上溝にあるバイクショップKMCの茅野さんのところに持ち込んで診て貰った。茅野氏は1960年代の最後にトライアル車で富士登山をした剛の者だ。当時はそんなことやる人間は居ないから、TVから新聞、雑誌までに採り上げられてヒーロー扱いだった。そして今も山岳アタックツーリングをやっている元気なアニキだ。それでバイクを診て貰うと腰下から開けなければ直らないので10万円は超えるという。結局、オークションでエンジンを探した方が良いという事になって、あとはみんなで茅野さんの体験談を聞いていた。

 その時に預かっておいたバイクを川崎に住む持ち主の方のところまで持っていきたいからとF氏に頼まれて、再度軽トラで出動することになったのだが、ただそれだけで行くのはつまらないからと、一緒にユニオンクラブさんのお店に回ってみることにした。調べてみると幸い朝の9時からお店はやっている様子。休日の街場は混むのであろうから、早朝?の7時過ぎに出発して壊れたバイクを持ち主に届けてから、9時半頃にユニオンクラブさんに着いた。

 着いたら店の中からヴィンテージもののバイクを外に出していた五島氏。冷やかし客の我々にも丁寧に対応してくれた。うちのサイトの新横浜MX場のページもharaQzo氏から聞いて観ていただいていたとのこと。
 現在懐が寂しいので、手持ちの`95KTM400scLC4をお店のどれかVMXレースに出られるものと交換してよ、と厚かましく頼んだのだが、御無体なと即却下されてしまった。ま、ダメもとで言ってみたのだから仕方がないっしょ。

 チェコスロバキアのCZ250。1960年代のチャンピオンマシンだ。1970年からはジョエル・ロベールがSUZUKIに移籍してSUZUKIのRH70でチャンピオンを取ったために冠はストップ。昔の画像を観るとロベールは此のマシンで凄い走りをしている。
 ロベールがチャンピオンをとった排気側のポートが二つあり二本のダウンチャンバーが出ているタイプのCZマシンも奥の方に展示されていた。

 ホンダMT250エルシノア風? それともエルシノアに保安部品を付けたもの? 凄く綺麗に仕上がっていた。

 hara氏も乗っているスペインのブルタコが右側。真ん中はストリートスクランブラータイプのホンダSL350

 ユニオンクラブさんを覗いたら物凄い数のヴィンテージモトクロッサーからBSA、トライアンフなどなどのスクランブラーが綺羅星のように展示されていて脳天クラクラだった。高校から大学の頃に雑誌で観ていただけのものの本物が目の前にあるんだもんね。1970年代後半の当時haraQzoの影響で、アメリカの雑誌、MOTOCROSS Action とかDIRT BIKE とかを観てそのライディングの派手さと国内とは違うバイクの種類の多さに魅了されていた其の実物ね。ユニオンクラブさん、楽しかった〜! 二本サスのMAICO 欲しいねえ・・・ どれもそこそこの金額はするけれど、輸入して全バラししてパーツ交換や、配線の基板起こしからやっていたら其れも仕方がないよね。自分の様なレベルだとそんなこととても手が出ないから。やっぱりこういうことになるとプロに任せた方が良いね。hara氏によると、ユニオンクラブさんの社長は他に本業で稼いでいるからこの様なお店をやっていられるけれど、そうじゃなかったらとても無理だと、五島氏もよくやって居られると曰わっていた。そりゃそうでしょ、こんなヴィンテージものの、その上ハードな扱いをするオフロード車だもんね。普通は走るレベルまで維持できないって。

 さて、エルシノアついでに・・・

 ホンダ初の2cycleエンジンの市販モトクロッサー250ccエルシノアとスティーブ・マックィーンの1975年HONDAカレンダー。
 箪笥の引き出しの下敷きとして残っていた。他にもあったけどボロボロになったので捨てた覚えが。
 マックィーンのオフロードライディングをフィーチャーしたホンダのTVCMは格好良かったよね。マックィーンとマルコム・スミス、もう一人だれだっけ?ダートトラックのトップレーサー・・・、とのデザートライディングのシーンが沢山もりこまれたオンエニーサンデーっちゅう映画も楽しく見に行ったね。

 そんな内容のものがメジャーなメディアに流れていたんだから、環境破壊はあまり進んでいない時代だった(生態系の表だったところではね)のかも。また、バイク自体の絶対数が少なかったので、大自然の蘇生力の方が強かったのだろう。自分達が走りに行っていたところも、ちょっと行かないと直ぐに緑に覆われてしまっていたし。

 当たり前だけど正統ヴィンテージモトクロススタイルね。BELLのヘルメットにカレラのゴーグル。パッド入りの革のモトクロスズボンにバックルが幾つもついたモトクロスブーツ。そして長めのウールのソックスを折り返してブーツの上から出して小石などがブーツの中に入るのを防ぐスタイルね。勿論グラブは革製の手首がしっかり閉まるモトクロス用。このカレラのゴーグルは左右の下が開いていたし、視界が広くて使いやすかったんだけどね。

※東のヴィンテージモトクロスレース: 西のヴィンテージモトクロスはオンエニーサンダというイベント。他には富士とか勝沼をベースにする走りのレベルが高いらしいフジビンテージオフロードクラブ:FVOC主催のもの。他には年一回、 A.C.T.S.と同じ埼玉川越で開かれるVET「ベテランズMX」というベテラン達、往年のチャンピオンやトップレーサー達が現行車両でレースをするものとツインショックのヴィンテージレースもあるイベントがあるそうだ。


【築170年のヴィンテージガレージライフ】
 近年、ガレージが特集だったり、またガレージを題材にした雑誌がたくさん出ていて、生活に余裕が出た団塊の世代相手の商売が盛んである。大手メーカが車売るのにも、昔はやった曲を流して、この世代にターゲットを合わせたコンセプトでが見え見えの商売をしている。もしかしてVMXも似ているところがあるかもしれない。昔その時代に活躍した編集者が同じ題材を焼き直して手を変え品を変えてヴィンテージものの本作りをしていたりして。それにしてもレトロばやりで、メーカも昔のバイクのコピーものも多い不思議な流れがある。

 そんな流れの中で、昔から溜め込んだ蘊蓄を雑誌に小出ししながら横浜の片隅で清貧に喘いでいるのが35年来のバイク仲間であるharaQzo氏である。以前からオフロードバイクの各雑誌(※1)では時々クレジットに名前を見付けたりしていたのだが、近年では木工雑誌(※2)の記者もやっていて、うっかり楽しく読んだ記事のクレジットを見直してみるとこ奴の名前が載って居るもんだから、ちょと複雑な気持ちになったりする。そうそう、それは満員電車の中で柔らかい髪の毛が頬に触れたのでどんな美女かと思って振り向いてみたら白髪まじりのウェイブしたロン毛のジジイが鼻毛を出してこっちを見ていた図を思っていただければ良いだろう。かなり心の奥まで犯された心情になれるのだ。そういえば、haraQが記事を書いている木工雑誌にもよくガレージも特集されたりしていたっけ。

 でもって、ユニオンクラブさんに行った帰りに、軽トラに同乗のお隣さんF氏と共にhara氏の家に回ってみることにしていた。スポーツスター乗りでガレージライフを楽しんでいるお隣のF氏は、以前hara氏がハンターカブを家に届けてくれた際に、みんなで道路脇の駐車場に座り込んでバイク談義でダベリングしていたので知らない仲では無いし、そろそろharaQの竹林では筍が出ているはずだったから、出ていたら貰いに回ろうと目論んでいたのだった。

※1 オフロードバイクの各雑誌:最近のだとヤマハ・オフ・ワールド―DT1誕生から40年 (八重洲出版) 、地球一バイクHonda SuperCub―スーパーカブ50年の歩み (同じく) などがあり、同じ八重洲出版だと、「モンキー本や空冷CBモノなんかもやりましたよ。」とのこと。あとはバック・オフ誌とかだが、昔のだと廃刊になったOFFROADBUM誌やOFFROAD RIDER誌、OFFROAD WORLD誌などにもクレジットが載っている。例えば、ホンダXR35年史みたいな歴史物が蘊蓄Qzoの得意な分野ね。他にもバーハンドルの記事とか新型車のインプレッションのライダーインタヴューをまとめたテキストなんかも載っているんだよね。クレジットなんて日頃見ないから、気にしていなかったんだけど、改めて見たら結構載ってるじゃん(5/21追記:もしかしてと、ちょっと思い出して久々にサイクルサウンズ別冊CSオフロード誌(1988年に1年間だけ出たオフロードの月刊誌だ。此の雑誌は、写真も良いし、内容も濃く落ち着いた雰囲気で良い感じだったんだけどね。非常に残念)を引っぱり出してクレジットを見たら、このスタッフだったんだねQzo氏。かなりいい本だったんだけどね。残念。)。こういったバイクの歴史物は、「この辺の奴は古過ぎるので、書く時間よりも調べる時間のほうが10倍かかるんですよ。雑誌なんですが、コピペじゃなくって、一応ワタシらのフィルターを通すもんで。ハイ。」、と言うことらしいです。良く、同じ様な内容や、写真を使い回している場合や、他の記事のパクリみたいなものが見受けられるけれど、Qzo氏は、コツコツと調べていると言うことね。あとバイクに関しては、昔メンテか何かの単行本も出していたはず。その上、なんとQzo氏、Mr.バイク誌にコラム持っているだと〜。そのタイトルが仙人のなんたらって既に書いてあるらしい。うちのページのタイトルとシンクロしたね〜。
 後日、遊びに行った時に聞いたところ、蔵書を蔵に保存していると言う。正しく字の如くなのだが、40年近くも前からのバイク雑誌なんて、一般的には保管しておくところなんて無いのが当たり前。そこは、蔵のあるhara家だからこそ、古い本が残っていたというわけだ。今でも、仕事で調べものがあるときには引っぱり出してみているらしい。それじゃあバイクの歴史物は得意だべな。
※2 木工雑誌:木工雑誌って言ったらドゥーパでしょう。前から時々買っていたんだけど、それこそクレジットなんて見ていなくて、最近になって気付いたらQzo氏の名前が。書いていることを奴は言わないんだもん。むかつくよね、知らない間に記事読まされていたなんて・・・でも、Qz菌は蘊蓄が多くなる位なので実害は少ないと思う。
 今だと`08/6月号の真ん中辺に載っている、うちの近所のアーティストの取材記事ね。この変わったアーティストのオジサンの話は、別ページの鍋屋金物店さんのオヤジさんからも聞いていたんだけど、幾つかの雑誌にも採り上げられているのね。
 そのQzo氏、本当に色々な知っていて、自分の意見をしっかり持っているんだから、Webサイト作れば?というと、メインドイから嫌だという。百姓マインドだよな。ほんとは賢い癖に、目立つところには出ないで、後ろの方で情勢を見守っていて、ポイントポイントの肝心なところだけ抑えているというのは。直ぐに自慢したがるおつむの軽いボクとは違うね〜。なので、わたしはいつの間にか奴が書いた文章を読まされていたという此の気持、、、解って頂けるだろうか。

 緑に囲まれたhara氏の家を尋ねる。170年もの(天保年間築)のヴィンテージな建物だ。さすがVMXに出ている人は違うね。

 おっと!植え込みの陰に座り込んで、なぜかGASGASのパーツリストを見ているhara氏。

 hara氏の家は、横浜のベッドタウンベッドタウン(かつてはチベットタウン・・近隣の仲町台駅はなんで人偏が付くのかポイント。だってイナカじゃ〜ん。だから『イ中町台』と書く奴もいるのだとか:Qzo氏談)である港北ニュータウンの外れ、緑地保存地域にある。系譜を辿ると350年以上前(明暦の頃)までに遡る百姓で、どうも庄屋とかそんな感じの大きな家だったみたいだ。山も竹林も畑(町内の人に貸している)も湧き水も井戸もある。そしてヴィンテージものの築170年にもなる建物が二棟(穀物蔵と文書蔵)もある。

 「Qちゃん居るかね〜。」と裏の竹林に軽トラを停めて、草や木の枝ををかき分け庭に入って声を掛ける。おおっと、綺麗に花咲いているサツキの植え込みの陰に人が! 日々草むしりに余念がないQzo氏であった。hara家の広い敷地は幾ら草むしりをしても追いつかないのだ。えっ?なんで刈り払い機でやらないのかって? そりゃあ、蕗とかノビルとか色々食べるものが混在して沢山生えているからに決まっているでしょ。金が稼げないフリーライターはこれで命を繋ぐわけね。
 今の時代の流行は自給自足なのだ。hara氏の家の敷地には野草類や実が生る樹、筍などが沢山出てくるし、野菜などは畑を貸している人が時々持ってきてくれると言う。今や大都会になってしまった横浜としては可成り自給率高いよね。
 大地震があったとしてもhara家は、横浜の建て混んだ住宅街のオール電化の家に住んでいる人達とは違って相当楽に暮らせるだろう。そうそう、此処の蔵二棟は安政の大地震と関東大震災でも倒壊せずに生き延びた蔵だそうだ。流石に造りがしっかりしている。ただ、ちょっと傾いて居るんだよね。hara氏は、その一棟をバイクのガレージと修理スペースにしているのだ。中で保管されているバイクもヴィンテージものなら、ガレージそのものがもっとヴィンテージものだ。ま、実際のところはガレージというよりも物入れ状態になってしまっている感が強いけどね。
 片付けて改装すれば格調高いガレージになるどころか、隠れ家的なリストランテとかバール(イタリアンカフェね)に変身できる可能性を持っているんだけどと同行したF氏(一級建築士)が言う。味のある良い建物なんだけど、そういった事に一切興味のなく、庭の野草を喰って命を繋いでいるhara氏でありますから、料理は殆どやらないとのこと。そんな味のある、このヴィンテージガレージも雑誌社に取材したいと言われているらしいけど、もうちょっと綺麗にならないとダメ、と断っているらしい。

 

【廃バイク街道を行く】
 その格調高いヴィンテージものの蔵の裏に回ると脇や野っぱらに沢山のオフ車が寂しく佇んでいる。築170年の建物にコーデネートされた様なンボロバイクばかりだ。其の中にプロポーションの良いオフ車のシルエットが。チェーンソーでも有名なハスクバーナだ。其のフォルムが遠目にも解るセンスの良いスタイルだったが、近づいてみるとガッカリ。レストア出来ねーだろ状態のボロボロだ。
 裏に回ってみると緑の草原にオフ車が沢山。

 スウェーデンのハスクバーナの2st430cc。※1

 ヴィンテージな建物にはやっぱりこーでねーととhara氏が言ったかどうかは知らないが、余りにもマッチした風情なのが怖い。何か悪い霊でもとり憑いて居るようにも見えないことも無い。インチキ霊能者が居たら、即お祓いが必要ですから○○万円ご用意下さいと言い出しそうだ。
 それにしても、残念なことに近年のモデルになればなる程にプラスティックが多用されているから、ホントのヴィンテージクラスのマシンとは違って幾ら手を掛けても、その輝きは取り戻せないんだよね。hara氏のところにはオフロードの外車が結構あるので、日本車とは違い1年で色が抜けてしまったフェンダーとかその他パーツ類が色々置いてある。

 アチャルビスのヘッドライトケース。表面は劣化して粉状になっている。hara氏によれば、外車は日本のものとは考え方が違うので外装パーツは1年とか数年保てば良いみたいだとか。  垂れ下がったウィンカーがもの哀しさを醸し出している。この究極の放置プレイをされた様なハスクバーナの横で、hara氏は何故か空の方向を指さす。

 「ハスクよ、アセンション※2はもうすぐだ!」、と仙人かはたまた聖者の様な風貌のhara氏が指さす方向を見ると、なんと山の中腹には墓があり幾つもの墓石と卒塔婆が建ち並んでいるではないか。そうかー、もう直ぐハスクも成仏してあの世に行くんだぁ〜。でも、あの墓には入れて貰えないだろーなあ。

 hara家の敷地を一回りするのにも結構時間が掛かるが、その街道筋には放置されたバイクが次々とある。自分のバイクだけでなく、知り合いが置かせてくれと置いていったバイクが半分だそうだ。長年の放置の間に錆びたりプラスティック部分が劣化したりして、もうレストアレベルだろうというものばかりだ。ただ、如何にせんプラスティックというのはいただけないね。流用出来るものも見付からないときにはレストア出来ないことが殆どだものね。

 ハスクの430XCが片付いたと思ったら、TE510を入手していたharaQ。わたしがKTM LC4用に買っておいたRKの520シールチェーンは使わないからとQzo氏にあげたら、其の直後にTE510が来て、そのチェーンが役に立つという。こういうのを前駆流というが、流れには前兆現象があるのだ。6/21追記

 ところが、その後、Webを観ていて見付けたサイト“古〜いバイクを直したりして遊んでいます”の方は凄い! この頃のKTMやハスクをレストアしているのだが、単なるレストアレベルではなくてマシンが当時の新品以上に。クランクの芯出しからチャンバーのワンオフまでやっちゃうんだもんね。古いプラスティックパーツをはじめとして、各パーツ類を世界中から調達してしまうのもそうだけど、お知り合いの方々のレベルも高いのね。ハスクのメーカー直にもコンタクト取れるらしいし。お金も相当掛かるみたいだけど、質の高い昔のマシンが甦ってしまうのは圧巻。サイトを拝見しているだけで興奮ものね。ありがたやありがたや。ヴィンテージモトクロスにもこちらの方が手掛けたマシンが出場しているみたいだ。Qzo氏は詳しく知っていた。
 そして、ページに書いてあった、日本人はものを大事にしないというお言葉がグサッと。ちょっと改心して、手持ちの道具類は大事にしようと誓った。昔乗っていた`87KTM250は勿体なかったかな〜、なんて今頃思う次第。なので、`95LC4も大切にすることにして売っ払わないで乗り潰しますか。

※1 ハスクバーナ430XC:オフロード車の名門ハスクバーナ、最後のスウェーデン製、生産モデルだそうだ(上記サイトの方によると、ハスクのフレームに使われているスウェーデン鋼は質が高いらしい)。その後、`88年からはイタリアのCAGIVAに吸収され、`08年にはBMWが買収しているとのこと・・・Qzo蘊蓄より。えっ!そうするとハスクバーナのチェーンソーもBMW製ってこと?(チェーンソーはスウェーデン製だと)
 この430XCは、hara氏のお友達が、その後直ぐに持っていってOHしているらしい。なんでもクランクまで水が入って水没していたらしいけれど、丁寧に組み直したら、なんと!ケッチンを喰らったあとエンジンが回ったんだって。凄いよね、其の努力。パチパチパチ!それもそのはず、ハスクバーナの250を既に2台持っている方だそうだ。捨てる神有れば拾う神有り。此のハスクはアセンションできずに、また輪廻して此の世に戻ってきてしまったとさ。やっぱりバイクを直すのって情熱だよね〜。いい人が見付かって良かった良かった。Qzoのところで放置プレイされていたのを引き取るなんて、これもご縁だね。Qzo氏は、そのお友達の紹介で、その後、ハスクのTE510を格安で仕入れて来たらしいから、どこでどう展開するかわからんものだね。

※2 アセンション:次元上昇。いまの粗い世が、振動数が上がって半霊半物質のアストラル界のような世界になるとか言われているが、実は彗星が地球にぶつかって地軸が反転したり、大地震が起きるか、はたまたおとろしい事が起こって、まとめてみんなでお釈迦になるのかもしれない近未来に起こる現象を指す近年の流行語。2012年にマヤ歴が終わっているのと、太陽系の惑星の運行の大きな区切りが来ることもあり、この時期には地球レベルでの大きな転換が起こるといわれている。今の世の人の心の在り方や、世の中の現象、そして自分自身とその周りに起こる出来事の傾向を観ていても、ま、なにかしら起きるのかもねと言う気がする。と、言うまでも既に世界中でそれぞれ数え切れないほどの特異な現象が起こってしまっている。どうします?

 

【自給生活には機械や道具の修理が必須】
 最近よく読むようになったのがヴィンテージな車をレストアする記事が満載のOld-timerという雑誌。バイク雑誌の老舗、八重洲出版のものだが、その中に“廃車体街道を行く”という連載があって、気候風土で古い車が残りやすい土地柄があるそうで、その詳細なレポートが掲載されている。そこから頂いた本項のタイトルなのだが、hara家の敷地は湿気が多そうだし南関東だから酸化環境なので野ざらし保管バイクの状態はとても良くない。それに酸性雨の酸度が強いので直ぐに錆びるとはhara氏の言。

 因みにわたしは此のOld-timer誌に連載されているかつてのプリンススカイライン54Bの“レストア雑記”他を書かれている“わたなべあきひこ氏”の大ファンで、この記事があるから此の雑誌を買っていると言っても過言ではない。うちの嫁さんもわたなべ氏の記事は面白いらしく毎回食い入るように読んでいる。
 勿論、他の記事も面白いので、夫婦共々楽しく読ませて貰っているのだが、中でも特にわたなべ氏の自給的生活の模様と、その生活スタイルに関連する廃棄物のレストアや其の応用などの記事、そしてその視点と価値観、哲学が面白くてOld-timer誌の古本まで探して読んでいるくらいだ。自給生活を目指すものとしては、先ず機械類が修理できないと自立的生活は出来ないと思うので、こういった雑誌類はバイブルの様なものだ。車の修理のみならず農耕機械やその他の構造物、ガレージ作りなどに関連する内容の非常に濃い記事が多い。
 バイクのレストアとかメンテナンスには、モト・メンテナンス誌やタッチバイク誌も面白くて、自分自身で直すとか、道具を作るとか自分でなんとかしたいと思う人間のツボにはまる記事ばかりなので勉強させて貰っている。そういう目で見るとhara氏の敷地内の廃バイクの様な放置プレイ中オフロード車はちょっと哀しいものがある。やっぱり金属ものはレストアが可能だけど、プラスティックパーツ類はしょうがないよなあ。どうしても使い捨て文化、消費サイクルの中のものでしかないかも。

 hara家350年の歴史を見守るお墓。其の後ろの槇の樹は高さ20mを超えそうだ。100年生は超えているであろう。  山の下には竹林が広がり、其処へ近所の方が、掘って良いって言われたからと筍掘りに来たとのこと。

 

【縄文海進と先祖の怨念】
 此処は裏に小高い山というか丘を抱えた高低差のある地区だ。江戸時代の土地の呼び方だと都筑郡池辺村(つづきぐんいこのべむら)だそうだ。そもそも横浜はどこでも起伏が多いからね。なんでこんなに山坂が多いのだろう。Qzo蘊蓄によれば、入り組んだ地形の横浜は、縄文海進の時(6000〜7000年前がピーク)には、田園都市線の市が尾の辺りまで海が入り込んでいたという。貝塚が陸地の奥の方にまで見付かっているらしい。(※その頃は気温が平均2度ほども高かったので青森の山内丸山遺跡があるように北の方でも住みやすかったそうだ。また、平均気温が今より1度ほど高かったという5000年前頃にはやはり高地である八ヶ岳の西南の麓には縄文の人達の住居が沢山あったらしく遺跡が多く見付かっているそうだ。
 また、その市が尾は奈良時代には郡衙(ぐんが)という役所があったそうだ。タダの野山じゃなく、随分と歴史があるんだね〜。実はうちの母親の出はこの辺でして、鉄(くろがね)町という今は桐蔭学園という学校がある近所だった。其処がそんな歴史があるのなんか知らなかった。(^^;; hara氏に、そんなことも知らないの?と言われたが、父方は南紀の海賊の流れだからあんまり歴史に興味ないんだもんね〜っと。土地に根付いて年毎のルーティンの中で地道に暮らす百姓と、舟板一枚下は地獄かお宝箱かという漁師のマインドとは結構ちがうんだよね。

 さて、この辺も谷戸が多く鎌倉時代前期頃までは、其の地形を生かして馬の放牧が行われていたらしい。谷地が多い地形では尾根に柵をすれば馬が逃げていかないので放牧に向いた地形だったから平安時代には牧(まき)と云われる牧場だったのだそうだ。此の近辺を知っている人だったら、池辺町、本郷、元石川、鉄町と言う場所と言えば解るだろう。その広い地域で放牧し、自然交配させて良い馬が出来ると領主に献上していたんだとか。

わたし:「おお〜、それじゃあ、その馬達の霊が乗りうつって、自由に野山を駆けめぐるオフロードライディングが好きになったんじゃないの〜。」「朽ち果てたバイクは馬達の墓標かぁ。」
Qzo氏:「ん〜、うちの先祖は農家だけど、そのずっと前は多分足軽だったもんで、馬も無しで自分の足で走り回っていたから、馬に乗りたかったんじゃないのかなぁ。」「だもんで、オフロードでジャンプしたり自由に走り回るのが好きなのかも知れませんね〜。」
わたし:「先祖の怨念かー。」「家を鎮っちゅうのも大変だよね。」

 hara氏が育った昔の家は茅葺きで、手伝いの人の部屋もある大きな家だったらしい。そして木挽屋(きびや:此の辺りではそう読むらしい)という薪などを置いておく五坪位の掘建小屋とか厩もあったそうな。今でも建っている穀物蔵(今はヴィンテージガレージ?)には近隣から集めた米や穀物を一時デポしていたそうで、それらの年貢は領主→知行主→代官へと納められたんだって。これって学校で習ったんだよねきっと・・・だから庄屋みたいだったということらしい。
 そして、その広い敷地には何十台ものバイク(馬)があちこちに・・・つまり歴史はスパイラルに相似的に繰り返すっちゅうことです。はい。

 アレッ、そういえばうちの母方の方は北条方の何かって言っていたなあ。どうせ足軽か何かだったのだろうから、果たしてQちゃんの所と同じだったかも。だからわたしも野山を駆けめぐるオフロードライディングが好きなのか? 馬に乗りたくても乗れなかった先祖の想いが時空を超えて子孫に衝動として伝わる。心理学者リポット・ソンディの家族の集合無意識的運命論か。

 そして、自分は今は神奈川県の北西の端、津久井に住んでいるのだが、此の地は甲州武田と北条との鬩ぎ合いの土地だ。35年くらい前からバイクで走りに来ていたところ。当時は、横浜から走ってくると本当に山の中に来たと感じたものだった。その後も、丹沢近辺の林道を走りに何度もやってきた(道志道だって、今のような抜け道などにはなって居らず、砂利道でしょっちゅう崖崩れのために通行止めになっていたルートだった)。何か此の土地には縁を感じることが多い。縁が出来る人達と割と波長が合っているみたいなのだ(おやあ?黒潮に乗った海の一族のマインドを引き継いでいるんじゃなかったけ...)。

 そう言えば、先日hara氏が近くまで取材に来たと帰りに寄ってくれたときに、何かの話の流れで、「敵前逃亡しちゃうんでしょ?」みたいなことを言った。いきなりそんな事を言われて面食らったが、何でだ?と聞くと、「そんなタイプだから。」という。そんな事をやった覚えは無いので少々むかついたが、あとでよくよく考えると、「や〜めた!」などと途中で放り出しそうなタイプではある。そう、わたしは自省する心をちゃんと持っているのだよ。

 多分、おそらく、メイビ、きっと・・・前世で百姓だったときに戦いへ足軽として駆り出されて、前世のhara氏と共に敵に相対したけど、「こんなこと、やってらんねぇや!や〜んぴっ。」、と、けつ巻くって帰ってきちまったことが有るに違いない。なにかそんな気がする。
 その時の魂の記録が、きっとhara氏の口をついて出たのだろう。他人様がなんの気もなく言う事って、結構当たっていたりすることが多いんだよね。ふと口を衝いて出たことは、神様か御先祖様か、はたまた精霊達のお諭だったりすることがある。理性は反発するけれど、自分自身の奥を観る力がある人は、こういった他意のない一言が、その発せられた時のシチュエーションとシンクロしている場合には何かのメッセージを含んでいるであろうことが理解できるはず。其のメッセージを読み解いて自分の糧にするかどうかはその人次第だけどね。

 って〜ことで、素直なわたくしめは、hara氏の筋の通らない言葉にちょっとむかついたけど、思い返して懺悔する心しきりである。んでもって、こんなページを起こしてやったわけね。偉いぞ俺...

 竹林の下には駐車場が。友達が置かせてくれと放っていった車が2台。それとお父さんが乗っていた軽トラが1台。都合3台の不動車が置いてある。他の軽トラはhara氏とわたしの乗ってきたものだ。  KTMのシールと“競技車輸送中”のシールが貼られたSUZUKIキャリイ4WD550不動車。まだ12000km位しか走っていないのに勿体ないなあ。乗らなくなって放ってあるだけらしいので、キャブとかタンクを掃除すれば動くのでは。

 

【横浜は昔海の底】
 因みに、別ページに書いた新横浜の駅近くにあったモトクロス場には、1968年頃から通っていたが、その前にも小学生の頃から新横や小机近辺は自転車で遊びに行っていた。それで、田圃や沼みたいなところで遊んでいると、ズブズブと沈んでいっておとろしい目に遭ったもんだ。

 なので、いい加減な駅前の開発をやった当時には、駅前の鳥山川沿いの地域が、1m以上も地盤沈下して営業もしないうちにガソリンスタンドやビルが廃墟となった。地下水の汲み上げすぎらしい。
 hara氏の竹林で出会った近所のおじさんは、「いい加減な業者に開発させたからそんな事になったんだ。」、と言っていた。また、そういった話だけでなく、いい加減な業者達が残土処理やっていたものだから廃材やガラが埋め込まれたり、モトクロス場跡からも六価クロムが出たりして開発が出来ない状態だったそうだ。あの辺りの田圃の中にはトタンで囲まれた訳の分からない施設があったり、夜逃げした廃車屋があったりしたしなあ。そんな田圃の中の用水脇あぜ道にホントに小さな掘建小屋で住んでいた爺さんも居たなあ。

 そのおじさんは更に、「この辺もそうだけど、田圃にそのまま入ったら胸まで潜ってしまうから、板を敷いて田植えをやったもんだ。」、「昔は此の鶴見川もしょっちゅう氾濫して流れが変わったりしていたから、この辺の百姓は船持っていて、二階の軒先に提げていたんだ。其の船は底が平らで、箪笥とか家具を沢山詰めるようになっていて、川の水が溢れて1階が水没すると二階の窓から家具を船に積み込んで逃げたのさ。」と話を続けた。

 鶴見川も恩田川とか幾つかの支流が合流して水量が増えると台風の時には凄いことになっていたらしい。自分が小学生の頃には夏休みになると六角橋からバスに乗って砂利道を市が尾まで行き、其処で乗り替えて鉄町の祖母の家に泊まりに行っていた。その頃の鶴見川の上流域は、台風の後に行ってみると、土手が抉られていて、溢れるくらい上の方まで出水したことが解るほどに川が暴れていた記憶がある。上流の方では、まだ細い川だが、下流域では水が増ええてしまうと平水の多摩川と比べても可成り迫力がある河に変身した。

 小学生だったか中学生だったか思い出せないが、台風の最中かその後だったか、仲間達と新横浜の田圃に遊びに行ったときのことだ。鶴見川と鳥山川の出合いにある辺り(モトクロス練習場のところ)と、横浜線の鉄橋が鳥山川を渡るところの直ぐ下流側の所の二カ所に細い丸太橋があった。それを往きはよいよいと横浜線下流の橋を渡って田圃の中で散々遊び、帰りには雨が強くなってきた中を出会い近くの下流にある二本の細い丸木に板が打ち付けてあった橋を渉ることになった。
 その時には鳥山川の水も増水して、その橋の上に水が来て覆われているくらいになっていた。それを六、七人は居た仲間と協議の結果、えいや!と渉ることにしたもんで、そりゃあこえ〜こえ〜、、、靴を脱いだかどうか覚えていないが足に川の勢い良い流れが当たる中をフラフラと全員無事に渉った記憶がある。誰も落ちなくて良かったよ〜。落ちたら直ぐ下流は鶴見川合流して強い流れに巻き込まれるし、鳥山川だって濁流になっていたから落ちたら大人だってやばかっただろう。子供ってホント危ないことやるよなあ。運が悪かったらおさらばだもんね。
 四〇年も昔、1960年代には新横浜の直ぐ目の前が、そんなワイルドな冒険フィールドだったのだよ。

 そんな縄文海進の頃には海の底だった此の辺りだが、特に新横浜界隈は奈良〜平安時代に開墾されたようだが中断され、鎌倉時代に鳥山・小机を拠点として再度開墾にチャレンジして、農地が広がっていったそうな。:青文字部分はQzo氏による訂正。hara蘊蓄博士によると、その農地改革は飛んでもない失敗に終わったそうな。開墾されたのは良いけれど、古代から気水域だった此の地は、塩分濃度が高くて米作には向かなかったのだ。なんとか採れた米も不味いものでしかなかったという。

 

【オフ車のマザーテレサとなれるかharaQ】
 hara氏は先年尊父を亡くした。この横浜としては広い敷地の跡取り息子だが、資産というのは古い家と蔵二棟、緑地指定の山と畑が少々で、賃貸業なんかはやっていないみたいだし、本人は食えないフリーライターだからとても金を持っているとは言えない様だ。だもんで〜、俺等が買えるバイクは数万円のものだけだよ、とhara氏。
 それで、安いものがあるとコツコツ手に入れたバイク達。だけど、広い土地の草むしりや樹の剪定を一人でやっているのだからなかなかバイクいじりを落ち着いて出来ないだろう。それで溜まって放置されたままのバイクが敷地のあちこちに点在する。30台くらいはあるんじゃなかろうか。

 蔵の脇にも何やらオフ車の陰が。  VT250があるけれど・・・

 今、バイクも処分しようと思うと1台当たり何千円も取られるらしい。今は鉄鋼材の高騰で車だったらお金になるのだけれど、プラスティックが多くてバラすのも手間なバイクはお金を取られると言う。そして筍採りに来ていたhara氏のご友人は、バイク引き取りを変な業者に頼むと脅かされて金を巻き上げられるとか、売れるバイクをタダで取られてしまうとか忠告してくれた。

 ヴィンテージトライアル車のモンテッサ コタ。スペインの250ccのマシンだ。これは未だ現役だそうだ。外に放って置かれるのは可愛そう。

 ホンダのTL125。この系統のホンダのトライアル車がhara家には沢山置いてある。みんなボロなのでなかなか二こ一には出来ない様子。

 だもんで〜、hara氏は負の資産を沢山持っているということ。こんな不動車を沢山置いてあって、あとは朽ちて行くばかりの状態。預かっているバイクも既に朽ち果て掛かっているもの多数。どーすんだろ。

 YAMAHAのAG200はホンダのハンターカブと同じコンセプトのバイク。ただ副変速機は付いていないそうだ。右写真の同様のマシンと二こ一にする予定だとか。DT200Rはウォータジャケットかどこか逝かれていて軽い抱き付きを起こしている不動車。この頃のDTはリアドラムブレーキなので、A.C.T.Sのレボリューションクラスに出場可?

 YAMAHAのAG200はセローの前身、XT200と同じエンジンらしい。牧場用バイクだ。AGはアグリカルチャーの略称ね。
 そして後ろの可愛いのは同じYAMAHAのTY80。小脇に抱えられるくらいに軽いが大人にはちょっと小さい。でも、車に積んで於いてキャンプの足によいとhara氏。

 はしこい人は、こういったバイクをバラしてパーツを磨きオークションで売っているらしい。丸ごと売るよりも儲かるらしく多くの人がやっているみたいなのだけど・・・ ところが、haraQにはそんなまめさが無い。資源は沢山あるのに放って於くからみんな腐れ落ちてしまいそうだ。でも、腐る寸前が美味しいのは肉と○○だけだってさ。早くなんとかしろよ〜Qちゃん!

 屋根があるガレージの下は物置になってしまっている。そのシートの下には知り合いが置かしてくれと持ってきたホンダのXR630とXR500があった。他にはモペットがあったりTL200のエンジンレスがあった。XR630はメキシコのバハ1000マイルに出たものらしく、エルコヨーテのチームシールが貼ってあったから戸井十月氏や宇崎龍童氏達の誰かのマシンだったのかも。

 A.C.T.S.のVMXレースに出場しているブルタコ フロンテラ。サスのダンパーは抜けてスカスカだそうだ。まだ、ちゃんと整備できていないとのことで、2008年の第一回目のVMXミーティングには、此のマシンは持っていかなかったらしい。此のバイクも預かりものなので余り手を掛けられないらしい。
 ブルタコのブルーは綺麗な色だね。(いすゞのトラック、エルフの色に近いらしいが)

  hara氏の愛車は古いVWバス。これで取材に行っている? それにしても凄い屋敷だなあ。

 ホンダのXL250Sが二台。朽ち果てる寸前のお不動さま。柵の下が道路だ。この奥まった地区には地元の人しか来ないところ。

 VWは道路からの玄関へのアプローチの脇に置いてある。ま、一般的には変わった屋敷に見えるだろうね。

 これだけタマがあるんだから、どれかをまともにしてVMXに出られそうなマシンを作れるんじゃないの。でも、レストアすると結構、金と手間が掛かるんだよね。Qzo氏のところから引き継いだCT110ハンターカブを直したら随分とお金が掛かったからね〜。

 

【バイク仙人の館】
 うちのお隣のF氏と寄ったときにhara氏の竹林で筍掘りをたっぷりして何十本も貰ったので、一日おいてからお土産を持ってお礼にhara家に行ってきた。筍はうちの嫁さんが蕎麦屋をやっているので其処で使わせて貰うためにタダというわけには行かないからね。物々交換でお礼ね。

 それと、そのF氏がhara氏の物置小屋、もといヴィンテージガレージの奥にあるというGASGASのトライアル車に興味があると言っていたのと、HONDAのTLM50も仕舞われていて、それはうちが貰うと唾つけておいたから、その両方を見に行く目的もあった。でも、本当の目的は、此のページのストーリーがイメイジされたんだけど、画像が無いので改めてhara家の敷地の景色を撮りに行ったのだ。ま、取材ってことだな。
 それにしても、しょうがねえなあ、ろくに仕事していない自営業者同士は時間がタップリ有るので何時でもフリーなのだ。其のQzo氏は、取材は得意だが取材されることは得意じゃないので、おめかしもして居らずずり落ちたスウェットで対応してくれた。

 物置と化しているヴィンテージガレージ。ゴミ処理場にそのまま持っていくと高額のお金を取られるので分解して自分のところで燃やせるものは処分するんだと。

 仙人のお宝だそうだ。ブルタコ用のスペアホイール。リムはスペインのアクロン製
 少しずつ片付けないと中に入れない。

 前回、二日前にF氏と来たときには、荷物が一杯で中を観ることが出来なかった。段々荷物が貯まってしまっているようだ。

 この中にバイクやパーツが埋もれている。

 其処を二人掛かりで片付けて発掘したバイク。

 二人でえっちらおっちら荷物を外に出して人が入れるようにする。そして、やっと出ましたバイクが。GASGASの250トライアルが2台。`95と`92モデル(一時期あった倒立サスのモデル)かな。あと空冷のFANTICね。それからHONDAのTLM50。

 蔵の二階に上げさせて貰った。昔の蔵の梁はすごいね。チョウナで削った痕が荒々しいぶっとい梁が入っていた。

 大きな長持が二さや。
随分としっかりしたものだ。

 この二階は大分片付いていて、昔のものが若干残っている程度だった。

 GASGASの`92モデルとファンティック。ヴィンテージガレージの入り口は敷居が高いのでトライアル車のみが中に。

 こちらはおフランスのスコルパが2台。それとブルタコのシェルパTが一台。

 荷物に埋もれた下にはトライアル車が都合7台見付かった。前に観たときは、他の車種が有ったように記憶しているんだけど、入れ替わったみたいだ。

 これがF氏が興味有ると言っていたGASGASの250。`95 CONTACT 25 cincoだ、

 アルミパーツ類に白い錆が浮き始めてはいるものの全体に程度は良い。

 この時代の頃のトライアル車の方が今より尖っていなくて乗りやすいし扱いも楽だとは言うけれど、わたしは乗りたいと思わないなあ。

 タンクカバー、シートベース、リアフェンダーは新品もあるのでそちらを付けて格好良くしてみた図。

 油圧クラッチ側のマスターシリンダー内のパーツは要交換(パーツ有り)。

 サイレンサーはカーボン製のワンオフ。他にもガード類などにカーボン製のものが幾つか使われていた。静岡のトライアル販売店が独自で作ったワンオフパーツらしい。

 保安部品もナンバーも書類もある。

 そして、`94年のスペアエンジンもあるそうだ。

 スペアエンジン込みで8万円でどうだと言っているけど。誰か買いますか? タイヤもコンパウンドが硬化していないし、必要なのはキャブのOHと、油圧クラッチのマスターシリンダーのOH。これは部品有りだけど、Fブレーキのマスターシリンダーもスカスカになっていた。こちらは部品を取り寄せないと手持ちは無いそうだ。でも輸入元のアロオさんはサポートが良いので直ぐに取れるらしい。

 中を片付けて、外に置いたままだったモンテッサcota248を中に入れる手伝いをした。 此のマシンをちゃんと動くようにしたいのだそうだ。程度は良かったので、これはそんなに大変ではなさそう。手にしているのはシェルパTのタンク。

 外に引っぱり出したTLM50。程度はまあまあ。この間まで動かしていたものらしい。hara家の敷地はこういったトライアル車でグルグル回れるからね。そして、ちょっと手が空くと草むしりに余念がないhara氏。偉いよね。

 昔は自分ちの裏山にトライアル車でアタックしていたらしい。いまはやっていないみたいだけど、マシンの調子を診るために走り回るスペースはたくさんあるからね。

 後日、TLMがちゃんと走るようになったので、近所の山に行って走り回ってきた。パワーはないし低回転のトルクは無いしで、起伏の激しい山の中から帰ってこられるかと心配したが、なんとか戻ってこられた。
 パワーが無いその代わり、地面をむやみにかっぽじらなくて良いね。非力なバイクでもそこそこ楽しめれば良いし。ま、アタックと言うよりはトレッキングね。
 もっとも、昔々XT500に乗っていた時期には平行して、これまたMX仲間の人から、初期のTY250を此また格安で譲って貰って裏山で遊んでいたけど、わたしみたいなヘボにはトライアルは無理。そもそも高所恐怖症だから高い崖の上り下りは好きじゃないしね・・・って、沢登りやる癖にさ...(^-^;;
 路面状況にもよるけれど、裏山トレッキングする位なら、CT110ハンターカブと、此のTLM50は、総合力として同程度の感じなので面白い相棒になりそう。でも、うちの嫁さんが同じ急峻な所を走れるように成れるかどうか、ちょっと難しいなあ。トレッキングと入っても、それでも場所によっては押しが入る様な山だし、崖から落ちる可能性もあるからね。5/17追記

 これで、蔵の中の荷物も片付いてスペースが採れるようになり、ブルタコシェルパTとかモンテッサコタとかも直れば、ほんとヴィンテージガレージにヴィンテージトライアル車で恰好つくよね。この蔵の中にはモトクロッサーは入れないそうだ。上の写真からも解るように基礎の段差が大きい上に、敷居がかなり高いのでトライアル車じゃないと入れるのが大変だからだ。なので、モトクロッサーは外で保管。それにしても少し処分しないとね。

 さて、バイク仙人の呼び名だが、嫁さんが今回の写真を観て、hara氏のことをそう呼んでいたのでタイトルにも使わさせて貰った。言われてみりゃそんな感じだよね。自給率高い生活しているしね。それも横浜の地価が高い建て混んでゴチャゴチャしたセンスのあまり宜しくないベッドタウンの直ぐ脇で緑と山に囲まれているから、特にそんなイメイジになるんだわ。いまのオモチャみたいなデザインの、日本の風景や風土気候に合わない家が沢山あるニュータウンね。電気があることが絶対条件の機能、造り、設計。機能的には非エコでもって、素材は大地には還元できない消費文明の証みたいな住宅よ。
 古来からちょっと前までの日本の建物って言うのは大地に還ることが出来るものだったんだけどね。それにそういった建物は自分でメンテできるし、また然るべき職人に頼めば大幅な修理もできたもの。ところが今の家は使い捨て。そしてバイクも金属が殆どのヴィンテージものならば、なんとか復旧できるんだけどね。

 TS250-1ハスラー輸出仕様:タンクの色がグリーンメタリックではなくて濃いブルーメタリックだった。F-Rフェンダーは頑丈な鉄で分厚い丈夫なメッキがしてあった。知り合いの人の紹介で中古を7万円くらいで売って貰ったのではないだろうか。バナナ屋とかGSでバイトして支払った。
 Fホイールは自分で21インチに組み直した。シートはアルミ板をベースに自分で作った。あとはチャンバーはキットのものに入れ替えている。スズキ神奈川が、今の狩場ICの辺りに有ったから、バイト代が入るとパーツを買いに行った。
 へっぴり腰なのは、ま、ヘボだから、、、ということもあるけれど、本人的にはスタート練習をしていてフロントアップを抑えているつもり。でも、重たくてパワー無いハスラーのフロントが浮くわけ無いんだけどね。(^-^)  多分、1972年頃のこと。
 履いているMXブーツはモーターサイクリスト誌に載っていた、柿生(新百合ヶ丘だったかな?)の三好という靴屋さんのもの。バイトしてやっと買ったブーツなのに直ぐにボロボロ。1年ほどで底まで剥がれる始末。ガムテープで修理しながら走っていたけど、日本の靴はラベルが違うことを認識。
 其処へまた救世主。MX場で知り合いになった仲間の一人、優しいSA山氏が、アルパインスターが輸入されて一番初期の型のもの、当時の最新式を1万円で譲ってくれた。イタリア製のブーツの良さにぞっこん。此のブーツは、長年の間に、かなり傷んでボロボロになったが、まだ手元にある。みんなに感謝だよね。

 別ページにも書いたけど、自分の記憶としてはSUZUKIのマシンは金属や塗装、メッキの質が高かった様に思える。TS250-2ハスラーまではフェンダーも金属だったし、DTも同じ頃まではそうだよね。そのハスラーはメッキ部分が多くて当時のアメリカン好みだったのかも知れないが、そのメッキの丈夫なことと言ったら。転けて傷だらけになっても、其の傷は浅く、何時までもビカビカだったし・・・・色々なところが丈夫だったね。
 そんなのでも車重はそこそこだったから、基本的な部分は軽かったのだろう。そもそも、Fブレーキドラムが大径のツーリーディングでオーバースペックだしね。分離給油のオイルタンクなんかガッチリした金属製だよ。プラスティックはヘッドライト以外のレンズ類とスピードとタコのメータ。後はスイッチのボタン等かな。造りがシンプルだから素人にも整備しやすかったし改造する余地があったものね。
 自分的にはレーサーはSUZUKIで、ナンバー付きのオフ車はセンスの良いYAMAHAが多かったね。ということで、話がずれたけど、昔のものの方が復旧、修理の可能性が残されているということで、長い目で見て多分エコなんでしょうねえ。

 そんなエコのシンボルの様な百七十年もののヴィンテージ蔵をバイクのガレージにしているバイク仙人hara氏は稼ぎもエコみたいだ。

【おみやげ】
 結局、TLM50は、その日に家に持って帰ることにした※。ハンターカブに引き続き、ある時払いの催促無しねということで(うちの地方では、“ある時無しの催促無しね!”という)スペアエンジン付きで3万5千円でね。手付けに有り金の四千円だけ渡して、即軽トラに積んだ。値引き交渉無しね。だって、何時支払いが出来るかわからないんだもんね。
 それにしても、こういう時に困るんだよなあ軽トラ。大きな荷物も積めるもんだから家にモノが増えること増えること。実は一昨日も一台、hara家から放置車両のオフ車を一台引き上げて来たばかりなのに・・・(写真はあるけど未だ載せない。まともに再生できるかどうか解らないのでちょっといじってみてから取引成立するかどうかだからね
 その放置車両の中から、わたしも協力して2台引き取ったが、懐が寂しい者同士で現金が動いていない。やっぱり自給自足的生活には、物々交換、対価交換方式か? いやいや、またそろそろ稼いでチャンとお支払いするから安心しておくれだよ。嫁さんもバイクに乗りたがっているしね。

 このTLMは、嫁さん用だ。背の小さな嫁さんが乗れるオフ車がないかなと思っていたので渡りに船。取り敢えずバイクに乗ったことが無い嫁さんには丁度良いかと手に入れた。
 嫁さんは、去年、川越のVMXを見に行ったときに、小さい子供さんが格好良くモトクロッサーを乗っていたのを観て、自分も乗りたくなったらしい。果たして乗れるようになるのかどうか。でも、家の近所は山ばかりなので、わたしが運動しに遊びに行くのにも丁度良いかも知れない。はたまた、ちゃんと整備が出来たらhara氏に乗って貰って、ハンターカブと二台で近所の山のアタックかな・・・

 そんな訳で、KTM LC4とハンターカブにまた更に増えて、オフ車が都合4台のバイク長者状態になってしまった。でも、懐が寂しいのでレストアが何時になるか解らない。けれど、1年後くらいにはバイクをレストアして川越ヴィンテージモトクロスレースの新設されたレボリューションクラス(リアブレーキがドラムだったら出られるカテゴリー)には出られるかな〜。ん?このクラスだとhara氏とはカテゴリーが違うんだわ。ダメか・・・エアー・クールド・ツイン・ショックス:A.C.T.S の1970年代のオフロードバイクで、まともにコース走れるのなんて、そうそう簡単には手に入らないよね。前世で敵前逃亡したらしいカルマが本当にあるのか、hara氏とはなかなか一緒に走れないらしい。

 じゃ、うちの近所の山をハンターカブとTLM50で一緒にアタックしますか。これらのパワー無いバイクで、しかもタイヤも大人しいパターンのもので走る分には山を荒らさないしね・・・山道をほじくり返して雨道を作るのではまずいけど、今のように放ったらかされた山には少し人が入らないと逆に荒れてしまう。踏み跡もなくなるし、下生えも蔓延って陽も射さなく風も入らない山になる。
 そして、そうやって人や犬などが入らなくなると、猪や山の動物の天下になり、里の畑の作物を安全に狙う我が天下になってしまうのだ。ま、バイクで入る必要もないが、誰も行かなくなった里山にバイクで音をさせながら入ることは、「これ以上降りてきてはいけませんよ!」という獣達への警告となる。里に下りてきて荒らすようになると害獣駆除の対象とされて抹殺の憂き目に遭うのだから、バイクで山を荒らさない程度に走るのは動物達への愛情の表れである?!  他の人まで入らないところに入り込めるオフロードバイクによる地域パトロールね。なんちって.....自己肯定・・・

※ TLM50:`08年の5月のこの連休に動くようにした。リアタイヤのパンク修理。内部のガソリンが腐っているキャブのフロート室を掃除して、ガソリンコックとタンク、ストレーナも掃除。混合ガソリンになっているのでガソリンの腐りが進んでいた。エアクリーナーのスポンジは粉化していたので、CT110のスポンジを改造して取り付けた。あとはハンドル交換ね。Qzo氏が一本余分にくれたもの。おお、それからhara氏は、わたしが手持ちが無くてタイヤが買えないとぼやいていたら、3.00-21の9部山MXタイヤを気前よくくれた。ヴィンテージ蔵を片付けるのを手伝ったからかな。
 さて、TLMは簡単な基本整備で絶好調に動くようになった。ウィンカーやストップランプ、スイッチ類などは調子悪いが走る分には調子がよい。お陰で暗くなってから整備が終わったところで、ライトを点けて、家の庭から敷地内を通りロックセクションを通ってから階段を降り、さらに近所を走り回ってテストをした。帰りも階段を上がって折り返し庭まで入れた。さすがトライアル車は細かい芸が効くね。
 うちの嫁さんは、このTLMで初めてのバイク乗り。はたして乗れるんだろうか。今度、相模川の河原に行って練習だ。そしてなんと!hara氏と先日電話をしていたら、JTのMXブーツの女性用:61/2→レディースの23.5cm相当のピンク色のものを持っているので、履ければ嫁さんにどう?と言ってくれた。JTなんて既にレトロもんだね。`80年頃でしょ。

 ピンクJTブーツを受け取ってはしゃぐお調子者の我が嫁。ええ歳して...やめれ!
 因みにJTは日本タバコではなくて、アメリカのJT Racing ブランドのものね。ヴィンテージMXやる人は知っているはずだから今更か・・・

 Qzo氏の後ろに見える赤いフェンダーはHONDAのXR200。昔、海外山岳アタックがたけなわだった頃、アフリカのキリマンジャロにアタックしたマシン。風間氏と一緒に行った忠さんが乗ったものらしい。後日、持ち主が引き上げて今は無し。

 そしてQzo蘊蓄炸裂。この頃まではMXブーツもオール革だったので逆に保ちが良く手入れさえして有れば今でも現役という。その後に出来たプラスティック多用のブーツは硬化して割れたりして使えなくなっているらしい。そうでしょ〜。うちもアルパインスターの古いのは二足残っている。アルパインスターのプラスティックが導入されたばかりの頃のは友達に上げちゃって長期使用はしなかったので解らない。SIDIのトライアルブーツは長持ちしなかったなあ。底も革も柔らかかったからボロボロなってしまったし、内側にビニールが多いのはダメだよね。
 それにしても、そんなヴィンテージもののブーツ持っているなんて流石だよね。ありがたいこっちゃ。んじゃあ、どうしようか、、、現金かな物々交換かなあ。

5/21追記:hara氏宅に筍掘りに来て居られた御殿場のRZ250R様。スミマセン、此のTLM50、目を付けていらっしゃったんですって? 先日、JTブーツをわけて貰いに行った際にhara氏からお聞きしました。でも、hara家には先に軽トラで乗り付けた者の方が、めぼしいバイク持って行っちゃいますよね。今回は早いもの勝ちということでご免なさい。TLM50、ロー全開で急斜面を亀のように登っていきますよ。下りはFブレーキがあまり効かないので怖いですね。まだキャブの調整も必要ですし、電装がおかしいので調べないといけないですが、けっこう遊べそうですよ。ということでスミマセンでした〜。
 なんでも軽トラはキャリイの2st550をもって居られるそうではないですか。御殿場だったら四駆でしょ。お仲間ですね〜。キャリイ4WD同士でアタックに行きましょうか。スタック脱出装備は全部揃っていますよ〜。御殿場には楽しい山道はありますか。

【2009年ニューカマー?】2009/4/23追記
 今年もhara氏のところに筍掘りに行ってきた。まいど有り難いことだ。その際に、その後、何か新しいバイク来た?と聞くと、「ありますよ〜、50だけど。」、と案内してくれた。およよ、何じゃこりゃ? YAMAHAの昔の50cc。1969年製のY?50。FS1とかと同じ世代のものだそうだ。懐かしいなあ。リアルタイムで見ていたはずだけど当時は殆ど興味が無かった機種ね。かなり程度が良いのだが、hara氏はオリジナルのままなのではという見解。農林省の払い下げバイクらしい。南アルプス市にお住まいの方から手に入れてきたんだそうだ。ハブのアルミも綺麗だし、ニップルが錆びているくらい。エンジンはキック一発で掛かった。

 エンジンもマフラーが詰まり気味意外は絶好調とのこと。

 農林省山梨統計調査事務所とある。

 Rフェンダーに付いているマークも農林省のものかもとhara氏。荷台はプレス製だ。ウィンカーの予備もあるという。

 ついでにスノータイヤも手に入れたんだそうだ。17インチのものを3本。一番奥のはスパイク付き。

 えっ?これでA.C.T.S.に出るんか? 前踏みロータリー4段ミッション。ロータリーと言えば、エンジンもロータリーディスクバルブだったんだね。そう言えば、自分が中学生の時に乗っていた、つまり同じ頃のYGSの75も、ロータリーディスクをカットして吸気のタイミング変えたりしていたっけ。ポートも拡げたり研磨したりしてチューンナップ(いや、ダウンしてしまったけど)したりしていた中坊だったけど、今から考えると平和だったなと...

 このバイクはうちの津久井地方(相模原市に併合されて不幸せになった地域)じゃ、あまりにもはまりすぎて面白くないけれど、hara氏の住む横浜では逆にいい感じだよねという話。今は変な時代で昔のバイクがリバイバルしているから、町中に停めておいたら若者に受けるんじゃないかと。でも、haraQところだけは田園地帯だから如何にもって感じで昭和にタイムスリップか。2009/4の追記は以上

 こんなのあったっけ?ブルタコのシェルパTの程度の良いのが更にもう一台あった。
 後日、Qzo氏は倒立サスのハスク510を手に入れたというので、LC4用に買っておいたFゼッケンナンバープレートを上げた。そしたら嫁さん用にJTのMOTOパンをくれるという。横浜に行く用事があったのでついでに寄ったところ、綺麗なシェルパTが車庫の奥の方に。前に撮影したときにはカバーが掛かっていて気がつかなかったみたいだ。これも預かりものらしい。6/21追記

 hara氏とF氏。50歳チョイのhara氏と、あと何年かで還暦のF氏。みんな気持が若いよね〜。って、この歳になってバイクの雑誌やWebサイト観ている自分もちょっとねえ。。。でも、身体使って汗かいて身体の芯の毒を出しきってしまう楽しい遊びはいいですよね。この所、沢登りにも行っていないし、そろそろ毒出しをしないとね。

 皆様もお怪我の無いように思いっ切り楽しんで下さい。Recycler 拝 `08年5月吉日

 

P.S.
 hara氏には二人の息子が居るけれど、二人ともバイクに興味が無いらしい。子供用にと手に入れて於いたバイクがあるのにね〜。家の周りも走れるのに勿体ないね〜。そうそう、勿体ないと言えば嫁さん。hara氏の奥さんは若くて超美人だ。このバイク仙人に美人の奥さん・・・腹が立つ組合せだ。でも、hara氏.....家族にも蘊蓄が過ぎたせいか、hara氏が何か言うと、美人の奥さんの返事は、「ハ〜イ、ハイ...・・・」だ。
 気持の籠もった?二度返事。。。『おっ!Qzo...奥さんに適当にあしらわれているのかぁ?』 やっぱり神様って居るんだよ。えがったえがった・・・

 

☆サイト内関連ページ☆
・ヴィンテージMX&ヴィンテージガレージライフ・・・バイク仙人の館、探訪。“蘊蓄オフロードバイクジャーナリスト、HaraQzo氏の秘められた生活”`08---36年位前に新横浜駅近くにあったモトクロス練習場で一緒に走っていた仲間、hara氏。ヴィンテージモトクロッサーとヴィンテージトライアラーに囲まれた生活、そのhara氏のヴィンテージなガレージライフを覗く。---`08/5/5
・ヴィンテージモトクロスの風景2007年4月版:旧友がヴィンテージモトクロスにエントリーしているというので見学してきた。すわ!病気再発か?`08/6
・スーパーモタルド(昔、あめりかでスーパーバイカーズと言っていた)`02 & おまけ:『1970年代のオフロードバイク事情:新横浜モトクロス場編』『ハンターカブCT110が我が家に!』---CTがやってきた経緯 `04
・CT110ハンターカブのその後---整備と部品交換。たかがCT、されどCT。足(たる)を知れと言われても...`05---いい加減な整備とパーツ交換でも相当に調子よくなってしまい、、、ノンビリ走る為の足代わりどころか、遅い車が走っていると捲りだす始末(^-^;;---`05/8/吉日.
・新規格以前の四駆軽トラのお薦め---其の一。身も心も軽く、農的生活には四駆軽トラ。良い“足”を手に入れる。って、ちょっと一般的でない角度からの道具としての四駆軽トラの見方。なんでそんなページまで作るかなぁ・・・`04/12/3
・新規格以前の四駆軽トラのお薦め---其の二 ---スピリチュアル軽トラ-ライフ。良い“足”を手に入れたら---`05/1
・手打ち鉈他、造林用の良い道具類を手に入れる`01/2---刃物は使ってなんぼ。使わなければ良さは解らない
・良い“箕”を手に入れる?---を追加。昭和28年より前の箕をリサイクル屋さんで手に入れたのだが、もしかして漂白の民と言われるサンカの人達の作ったもの!と期待したのだけれど。。。「手打ち鉈他、造林用の良い道具類を手に入れる」の追加記事内の続編--`04/10/9
・肥後の守の使い易い点?---家の近所の金物屋さんに寄ったら肥後の守で竹とんぼを作っていた。切り出し小刀などより意外と使い易い肥後の守の形状とは???って、大したことではないのだけど取り敢えず書いてみました。(^-^;;--`04/12/5
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・“山仕事の道具と技術、智慧は、自給と自衛の基本”(社)全国林業改良普及協会刊 森と暮らすNo.2「ノウハウ図解山仕事の道具」(`08/6/10発行)のお薦め-----自給自足、半農半X、田舎暮らし、農的生活指向の方々に必須? 自然と共に暮らそうと思ったら山と木々があってこそ。本書は、山主や林家向けの入門編の本だが、山の作業と道具に関わることから安全管理まで全てを網羅している。当サイト管理者も、鍛冶屋の智慧や、道具類の修理修復、熱可塑性樹脂カイデックスを使った鉈や道具類の鞘(シース)作りのページを70頁ほど書かせて貰った。実践的な智慧が籠もった本なのでお薦めする。---`08/6/11
・騙された渓(メタボリック沢登り)ぎょうじゃにんにくぎょうざはどうじゃ?の巻 2008年7月:沢には原初の汚されていない美しい風景があり、そして美味しいものが沢山ある。天気にも恵まれ、楽しい仲間たちと行けば、それは天国さ。それにしても荷物重てぇなあ。一泊なのになんでこんな荷物背負ってるんだろ。足下が良きゃいいけど、ちょっと滑ったら滑落だぜ。俺等なんか勘違いしていないかなー。


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