橋本康男のひとり言2015年 '01 '02 '03 '04 '15 '06 '07 '08 '09 '10 '11 '12 '13 '14 '15 '16 '17 今年
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2015年12月26日
 今年も勤務日はあと1日となりました。(といっても,明日の日曜日は行事があるので一日出るのですが。)
 いつもながら1年間の長さと短さを感じます。長くもあり短くもありといったところです。本業の方で昨年から取り組んできた新たな事業が,年末になってやっと少し動き出しました。新しいプロジェクトの場合,ガンガン押していくというやり方もあるのでしょうが,じんわりとあきらめずに根気強く押していくやり方も必要だと思います。
 どちらがいいのかの判断は難しいですが,私の場合は「できるまで少しずつ押し続ける」とという方が向いているような気がします。
 いろんな種をまいておいて,反応の良いところから少しずつ押していくというのが私には良さそうです。
 折れないへこたれないやめない,が大切だと思いますし,これからもそんな感じでこつこつやっていきたいと思っています。
 今年もお読みいただきありがとうございました。
 今日は今から,友人の船で今年最後の釣りです。よい年をお迎えください。

2015年12月23日
 先週末は,保健医療系のコーディネーター人材育成カリキュラムの検討会がありバタバタしているうちに書きそびれました。いくつかの職種の方々と1回5時間ほどの研究会を何回か続けています。これまでいろんな経験をさせていただいた(特に,うまくいかない経験)からこそ言えることも多いように感じています。
 「うまくいかないのが当たり前」「めざせば叶う訳ではないがめざさなければ何も始まらない」「地に足の着かない不安に耐える」「成功は偶然の産物かもしれないがその偶然は努力の産物」といった言葉は,これまでの新たなものを生み出そうとする多様な取り組みの中で,もがいているうちに生み出された言葉です。
 最近,「マネジメント」の名の下に小手先の進行管理や重箱の隅つつきが目に余るような気がします。めざすものを掲げることなく緻密にやろうとすると,そうなっていくように思います。若い頃に読んで感心した例えに,「目的地まで確実に到達するためには,まずは目的地までの距離の半分を進み,さらに残りの半分を進み,さらにそのまた半分を進み,という風にすればいいが,それでは永遠に目的地まで到達できない。」というのがあります。決まった距離の半分の半分…としていくとどんどん細かくなってしまうというものです。
 進行管理,マイルストーン,PDCAといったものにも,使い方によっては,そのようなリスクがあるように感じています。やったことがあること,行ったことがある所,であれば厳密な進行管理もありうるのかもしれませんが,めざすものに向かって,模索を続けようとする時に,PDCAが回っていないとしたり顔して指摘をするようなことがマネジメントだと言われれば,ちょっと違うのではないかと言いたくなります。
 「昨日と同じ今日,今日と同じ明日」ではない明日をめざそうとして,先の見えない不安に耐えてもがいていくことなしに,高速道路をナビを使いながら「計画的に」走ろうとするのは,実際には何もめざさず何も成し遂げたことの無い人にしかできないことのように思います。そうではなく,無から有を生み出すための模索ともがきを大切にしていける幸せを感じながら取り組んでいきたいと思います。

2015年12月12日
 事務所の引っ越しもあり,気ぜわしい日々を過ごしています。広島駅の北側の新たに開発が進んでいる地域に建設された県医師会のビルに移転しました。引っ越し自体はスタッフが責任感を持って頑張ってくれたのでスムーズに進んでほっとしています。ただ,新たに大規模開発が進んでいる地域なので,まだ周囲には開発予定の更地も多く昼の食事の確保に困っています。まあ,何事にも悩みはつきものです。
 週明けの月曜日には,広島シンガポール協会の20周年記念行事があります。24年前に初代のシンガポール広島事務所長として駐在して感じたシンガポールの多様性の活力を広島に導入したいと,翌年から大学生等の交流を始めました。「汗はかくけど金は出さない」で,(東大より上とも言われる)シンガポール国立大学の学生などが自費で広島に来てくれているのが自慢です。平成7年には広島の信用金庫さんが事務局となっていただき広島シンガポール協会が設立され,この学生交流を支援していただいています。過去23年間で延べ976人が広島に来ています。この事績が評価されて,6年前には,シンガポール政府外務省が作った外務大臣表彰の第一号を受賞しました。何事も続けることが大切だと感じています。
 続けることによって生まれてくるものがあると思います。思い付きの事業とせず,続けていくためには,「めざすもの」が大切です。シンガポールとの交流では,24年前にシンガポールに初めて行って感じた多民族国家の多様性許容力とビジョンと行動力を広島にも持ち込みたいという思いです。当時日本の一人当たりGDPはシンガポールの2倍でしたが,現在ではシンガポールの方が日本の1.5倍となっています。>  国の未来は取り組み方によって大きく異なるのだということを,私はシンガポールから学びました。それは情緒的な精神論ではなく,将来ビジョンに基づいた具体的な行動であり,その継続です。
 規模の大きさではなく,未来への意志と行動の継続こそが大切なのだと学びました。

2015年12月5日
 あっという間に12月です。10月末の警察署の署員研修から始まって,東京・大阪での内閣府の自殺対策研修(内閣府の自殺対策のFacebookでも紹介されています。11/30編集の第4回分です。),フィリピン・ミンダナオ自治政府職員研修,社会福祉概論の教科書づくりの分担分の原稿提出,医療福祉のコーディネート人材育成カリキュラムの検討会,そして先週木曜日の立命館大学でのインドネシア政府職員・大学教員向けの公共政策立案研修と,息つく暇がない感じで過ごしてきました。
 もちろん,本業の方もいろいろとあります。いろいろと重要課題もあるうえに,事務所の引っ越し(月曜日から新事務所です。)もあり,なんとも気ぜわしい日々でした。
 立命館大学での研修は6年前から頼まれているもので,"Planning Ethics (計画倫理)"がテーマです。何で私が「倫理」を教えるのかという思いもありますが,より良い社会づくりをめざすために公務員に求められるもの,姿勢や矜持を共有できればと,つたない英語でもがいています。4時間の講義と演習なので,無事済んでほっとしています。
 講義するこ自体も刺激的なのですが,今回は立命館大学の大阪の茨木の新キャンパスでしたので,そちらの方も刺激的でした。某ビール会社の広い敷地後に広大なキャンパスを建設しています。この少子化の時代に,これだけの攻めの経営をして,しかもしっかりと学生を集めている立命館大学のパワーとエネルギーを感じました。
 まだまだ頼まれごとも多いので,立命館大学の攻めの姿勢に刺激を受けながら,前向きに過ごしていきたいと思っています。

2015年11月28日
 ここ1か月,警察署の署員研修に始まり,17年目となる健康福祉プランナー養成塾3日間,フィリピンミンダナオ自治政府職員研修,三次市行革推進審議委員会と市長さんへの提言提出,東京と大阪での内閣府の自殺対策連携コーディネート研修に加え,社会福祉の教科書の分担分の締め切りと医療福祉コーディネーター人材育成研究会の担当分の準備と続き,来週は立命館大学の大阪の新キャンパスで6年前から手伝っているインドネシア政府職員・大学教員の公共政策研修での「計画倫理」講義があります。
 本業の傍らにこなすにはかなりの集中力がいります。(本業の方でも大切な時期にある課題がいくつかあって,大真面目に取り組んでいます。)
 とはいえ,内閣府の研修では,東京と大阪の両会場で,全国的に見て大きな意義のある各3つの事例紹介の進行も担当したのですが,それぞれにほれぼれするような,そして本当に頭の下がるような真摯で熱意あふれる取組みをお聞かせいただき,もっともっと頑張らなければと感じさせていただきました。
 「いいものを見る」ことは本当に大切だと思います。そうでなければ,自己満足,お山の大将に終わってしまいます。世の中で,どれだけ多くの人たちが,どれだけ素晴らしい取り組みをされておられるのかを知らなければ,自分の手の届く範囲の小さな世界で,小さな満足と小さな不満に満たされて過ごしてしまいます。
 ずっと緊張が続き息を詰めて走った感じの1か月でしたが,学び振り返ることの多かった1か月でした。来週から師走です。年の最後まで,丁寧に大切に過ごしていきたいと思っています。

2015年11月21日
 先週13日の金曜日に東京で開催された内閣府の自殺対策官民連携協働ブロック会議で午前午後と事例紹介の進行を1時間と3時間半の研修を担当し,水曜日はフィリピン・ミンダナオ自治政府職員研修4時間,昨日は内閣府の同じ研修を大阪で担当するなど,ひたすらドタバタしています。
 このひとり言も書けていませんが,落ち着いてからまた書きたいと思います。

2015年11月7日
 先々週から,老猫の通院介助が始まった上,県東部の警察署での署員研修,会長をしている三次市行財政改革推進委員会,中山間地域の病院長会議への出席を1日でこなしたり,週末には丸3日間,講師と運営委員をしている自治医大の地域社会振興財団の健康福祉プランナー養成塾で東京,帰広後も早朝は毎日,来週からの内閣府の自殺対策研修(東京,大阪)の準備とドタバタしているうちにもう週末です。
 まあ,緊張感があっていいといえばそうですし,ありがたいと思います。
 来週は,水曜日に半日フィリピン・ミンダナオ自治政府職員予定者向けの研修で金曜日は内閣府の研修で東京なので,またあっという間に過ぎそうです。
 研修講師も,しゃべり出すともう開き直って集中してしまうのですが,準備する時と実際にしゃべりだすまでは緊張します。特に内閣府の研修は,東京・大阪の両会場とも午前中に各地の事例発表3つのコーディネートで午後が半日講師なので,いろいろと準備が重なります。
 本業も何かと動きがあり,緊張感を楽しんでいます。

2015年10月24日
 気ぜわしい日々が続いています。週明けから年末にかけて,某警察署の署員研修,自治医大の財団の健康福祉プランナー養成塾,フィリピン・ミンダナオの自治政府職員候補者研修,内閣府の自殺対策連携コーディネート研修を東京と大阪で,立命館大学のインドネシア政府職員公共政策研修などが続きます。年明けも,熊本県の自殺対策研修や看護大学の授業,イラク政府若手職員研修と続きます。これに加えて,大学の社会福祉の教科書づくりに参加させていただいておりその原稿締切が迫っているし,医療福祉連携人材育成研修のカリキュラム検討会の分担案の作成もまだ作業中です。
 一見雑多なことですが,要は,目の前の「問題事象」だけを見るのではなく,社会のありたい姿を考えそのための方向性を整理した上で,問題の背景や全体像を考えて,幅広い視点から変革を生み出す取り組みを考えてそれを実行に移すということです。
 こう書けば当たり前のことのように思えますが,日々目の前のことに追われて過ごしているとなかなかできないことです。
 現場を見る目と社会全体を見る視点,個々の問題の中身をしっかりと理解することと問題の軽重と優先度を考えること。
 やらない我慢も大切です。とかく目の前の「急ぎの仕事」に目がいってしまい,それに追われて時間が終わってしまいます。ある意味,その方が楽なこともありますが,成果を挙げるには,優先度の選択がやはり大切なように思います。

2015年10月17日
 なんというか,ドタバタと過ごしています。8,9月は研修講師が1本しかなく,本業の方も仕込みの時期だったので比較的落ち着いていたのですが,10月に入って,以前から予定されていた研修講師に加えて新たな依頼がいくつも舞い込んできて,本業の方も仕込んできた案件が動き出していて,なんとなく気ぜわしい気分になってきました。
 長年いろんなことをやってきた中で,仕事は自分の都合のいいようにはやってこないものだというのは,何度も経験はしてきました。この忙しい時に何で今…などと思うこともよくあることです。
 とはいえ,そんなことをぶつぶつ言ってても仕方ないので,集中力を高めてやっていくしかないですし,またそんなにやることがあることが幸せなのだと思います。
 保健医療,国際,行政という3つの柱でまんべんなく声をかけていただけることで,共通する大切なことを考える機会に恵まれていると思います。
 それは,「どうすればいいのか,何をすればいいのか」の前に「どんな変化が起きているので,何をめざして取り組むべきなのか」という基本を大切にすることです。目の前のことだけを見ていると,いろんな細かな調整が必要になり,常に妥協が生まれます。そして,いつの間にか当初描いていたものとはずいぶん違うものになってしまう。広くかつ遠くまでの視点と,足元をしっかり踏みしめる感覚の大切さは昔から指摘されていることです。改めてその大切さを感じています。

2015年10月10日
 あっという間に10月も中旬です。今週途中から上着を着て通勤するようになりました。身軽さは犠牲になりますが,ポケットが増えて,手帳や名刺入れ,老眼鏡,腕時計(いつもポケットの中です)などをカバンの中から出さなくてもよくなり便利になりました。便利さと身軽さはトレードオフの関係ですね。とはいえ,フットワークは常に軽くありたいものです。
 8月9月と研修講師が少なくてのんびりしてました(その分本業の方で重要課題が佳境を迎えていてそちらに集中していました)が,秋の研修シーズン?で少し気ぜわしくなってきています。今日の午後は自宅から徒歩10分の日赤広島看護大学での大学院の授業,月曜日はコーディネーター養成カリキュラム研究会,月末は某警察署の署員研修,11月は健康福祉プランナー養成塾の講師とフィリピン・ミンダナオ自治政府職員研修に内閣府の自殺対策連携コーディネート研修2本。
 あれこれ雑多ですか,基本は,目の前の「何をすればいいのか」だけでなく,未来のために何をめざしていくのかを考えること,そして,否定や切り捨てではなく,あるものを集め育ててつないで生かしていくことだと思います。無いものを数えて他者を否定して悲観してみたところで何も変わりません。「ダメなところ」を直す努力よりも,「良いところ」を伸ばす努力の方がはるかに効果的だといいます。
 自分自身の思い込みや決めつけではなく,素直に人の話を聴き,素直な疑問を大切にし,自分自身ではなく,社会の未来への大きな流れの中で必要なことは何かを考え,その中でささやかではあっても自分にできることを考えるということが,大切なような気がします。
 みんなが目の前のことばかり考えだすと,社会は迷走してしまうのではないかと思います。大言壮語するという意味ではなく,歴史の流れの一隅に生かされている自分とその役割を少し考えてみることが大切なような気がしています。

2015年10月3日
 昨夕は,広島県庁に入って数年目に上司の仕事ぶりとそれで通用している組織に幻滅して県庁を辞めようと思い詰めていた頃に一緒に仕事をさせていただいたことにより,こんなすごい人物が居られるのならもう少し頑張ろうと,辞めるのを思い留まった先輩との会食の機会がありました。あの出会いがなければ今の自分は無かったと改めて感謝した次第です。
 もともと,高校3年生の時に文化祭の事務局長をやったことなどを契機に,理数系が得意だったのに社会に関わる仕事をしたいと文科系に進学し,就職の際も企業訪問は一切せずに行政に入ったので,行政のお役所仕事自体には問題意識は持ちながらも仕事は嫌ではなかったのですが,当時の上司たちの重箱の隅をつつくような仕事ぶりと30年近く働いてもそのレベルでしかもそれで通用して昇任していることに驚いて,こんな組織にいてはいけないと思うようになっていたのです。
 まあ,今から思えば辞めなくてよかったと思いますので,あの時の出会いに感謝しています。そんな尊敬する先輩との懇談でしたので,とても楽しい時間でした。人の縁のありがたさを改めてしみじみとかみしめていました。
 これまでも通勤の往復では,電車の中でずっと本を読んでいるのですが,最近特に集中して読んでいるような気がします。シンガポール関係の講演をする予定なので日本軍による占領の実態関係や建国の父であるリークアンユーの本などを改めて読んでいるほか,医療関係や経営系など分野はあれこれです。最近読んでいる中では,伊藤忠商事の元社長の丹羽宇一郎さんの本が印象的でした。知性の厚みとそれを実践の中で磨くことの大切さを改めて感じています。追い詰められる場面に自らを置いて厳しさの中で踏ん張って道を切り拓いていくことで,本当のたくましさが生まれてくるのだと思います。
 改めて本を読む楽しさを感じているところです。

2015年9月26日
 連休の土曜日早朝から,娘家族と一緒に,長野で働く息子夫婦のところに遊びに行ってたため,先週はひとり言を書きそびれました。
 ほとんど雪が降ることの無い尾道で生まれ育ったために雪国での生活をしてみたくて,学生時代は毎冬3週間長野の雪深い山奥の民宿でただ働きで皿を洗っていました。そのかわり年中いつでも好きなだけ居候させてもらえるという条件で。旅人として訪れるというのと,そこで生活をするというのは随分違います。お世話をする側,裏方としての立場から見える風景は,お客の側の立場とは異なります。今でも,きれいに整えられたホテルやレストランの快適な空間を見ると,そのために投じられたスタッフの努力の方に意識がいってしまいます。
 一昨年,内閣府自殺対策推進室の依頼で仙台,東京,名古屋,京都,広島,福岡の6都市で自殺対策連携コーディネート研修をして回りましたが,今年も同様の研修を東京,大阪で頼まれています。この連携のコーディネートにも,お客さんではなくお世話側の視点が大切だと思っています。めざす理念を共有した上で,多様な人や組織が連携して一つの目的のために行動していくためには,それをつなぎ細かな調整の労を取るお世話役が必要です。「自分が」だけではなく,相手がどうすれば気持ちよく行動できるかを考えることが必要です。
 これまでいろんな仕事をしてきた中で,長野の山深き地で体験し学んだことの意味は大きかったと感じています。
 理屈だけではなく体験が大切だと感じる所以です。

2015年9月12日
 再度ワイヤレスキーボードネタです。ブルートゥース(無線の一種?)のタイプのものにしたのに調子が悪くて返品,今回壊れたものはネット上でも壊れやすいとの評価があったので別メーカーのものを買ったのですが,やはり使い慣れなくて,結局それを別のパソコン用に使うことにして,以前から使っていたものと同じものを改めて購入しました。
 結局,最初から,故障覚悟で同じものを買っておけばあれこれドタバタすることは無かったのに,ものごとというのはこんなものですね。ジタバタしなければ分からないものはあります。失敗や回り道をしなければ分からないことは沢山あります。
 新たな環境に飛び込むことで,いやおうなしにスイッチを切り替えて全力で必死になって取り組まざるを得ないこともあります。そんな中で集中力と筋力がついてくるものだと感じています。
 今日は久しぶりに友人の船で釣りに連れて行ってもらい,瀬戸内海で暮らすことの幸せを改めて感じました。

2015年9月7日
 ワイヤレスキーボードは,いろいろと調整してみたのですが,結局,思うようにはいかず,初めての返品に。先月は,注文したサーキュレーターが動かずこれも初めての交換をしました。続くものです。
 ところで,土曜日の朝に,大学生向けの社会福祉の教科書づくりの話が飛び込んできて日曜日に編集会議!?で,ドタバタしてるうちにひとり言を書きそびれてしまいました。
 2010年に初めて教科書『新・医療福祉学概論』作成に参加させていただいてから5年振りの話です。一度は経験させていただいたとは言えども,普段ほとんど縁のない話だけに新鮮でした。
 何でもそうですが,外から眺めるのと中に入って見るのとでは違います。4時間近い編集会議の中で,社会福祉の知識だけではなく,社会の中での福祉の意味,例えば,貧しい家に生まれても頑張ればチャンスがあるという「社会的流動性」を確保することで社会の活力を生み出すということの意義など,社会福祉を社会の視点から幅広く捉える視点の大切さなどを盛り込みたいと申し上げました。
 「何をするのか」の前に「なぜ何のために何をめざすのか」が大切,ということです。広島大学に転職していた時に,近くの大学で福祉系の学生に3年間「医療福祉情報管理論」を教えていましたが,その際にも,自分なりの問題意識を持ってもらうことの大切さを感じていました。
 どうなるかは分かりませんが,折角の機会ですので,私なりの貢献ができるように取り組んでみたいと思っています。

2015年8月29日
 自宅で使っていたワイヤレスキーボードが壊れて使えくなったので,仕方なく更新。最近いろんなものを更新しています。明日は,この間の台風で壊れた物干しの屋根の波板のやりかえです。
 最近,幅広い部署で変革に取り組むことができる行政組織の作り方について,いろいろとお手伝いをしている市と話し合っています。
 変革というと,何か目玉的な事業に取り組んですごいことを成し遂げたぞ!と自慢するようなきらいもありますが,私自身が考えているのは,それぞれの自分の持ち場で自分の担当業務のことを真剣に考えるが故に,やらざるを得ないと考える取組みが広がることです。
 できれば面倒なことはやりたくないし関わりたくはないのだけれど,自分の仕事を真剣に考えると,どう考えても今のやり方はおかしいし,あるいはもっとやるべきことがあると思う。とはいえ,できれば自分はやりたくはないけど,自分以外に声を出してやろうとする者はいないし,そうすると自分が今声を出さないとこのまま誰もやらないままで終わってしまう。でも,それでは,行政としての責任が済まないし,何よりも,それによって困っている人がそのまま放置されてしまったり,より良い社会のためにやるべきことが放置されてしまう。
 半導体の世界的な権威の東北大学の大見先生が「できること,やりたいこと」と「やるべきこと」は違うと言われています。できること,やりたいことだけをやっているのではなくて,やるべきことをやる。でも,それは往々にして,簡単にはいきません。これまでやられていないのは簡単ではないから,だということも往々にしてあります。でも,「できること,やりたいこと」は自分の都合であり,「やるべきこと」は社会の都合です。自分がやりたかろうがやりたくなかろうが,やらなければ自分の責任は果たせません。
 できればやりたくはないし避けて通りたいけれども,社会のためにやるべきことに気付いた者としての責任からやらざるを得なくなることは,大切なことです。行政職員に,一人でもそんな職員が多くなってほしいものです。
 そうした,自分の都合ではなく社会の責任の仕事であれば,自分の「気分」で止めたりする訳にはいかず,個人の事情など関係なく,成果が出るまで必死に死にもの狂いでしがみついてやらざるを得ないので,そこで本当の力量がついてくるのだと思います。あと少し,と思ったところから延々と新たな難題が出てきて,それまで応援してくれた人達すら離れて行ってしまうような中でも,やりかけた責任と,やり切らなければそれまでの膨大な情けない思いの中での努力がすべて無になってしまうことへの恐怖感が最後には投げ出さない原動力になってきます。
 事故で体の一部を無くしてしまった人は,いくら強く願っても元には戻りません。それでも,それを受け入れて前を向いて生きていこうとされています。普通に恵まれた行政職員は社会のために本当に必要なことを実現しようとしながら壁にぶつかった時に,どんなに苦しくても最後に諦めてしまえばその苦しさから逃れて元に戻れてしまいます。安易に投げ出してしまうことの責任を深刻に考えなければとも思います。
 そんな思いを,行政組織の中で行政職員がどうしたら共有できるのだろうかと考えてしまいます。

2015年8月22日
 夏の終わりをほのかに感じさせるようになりました。1か月に7本の研修講師という嵐のようだった7月が済み,今月は,今後頼まれている研修の資料づくりにじっくりと取り組んでいます。こうして少しじっくりと考える時間ができたことはとてもありがたいと感じています。
 とはいえ,頭に浮かんでくるのは「雨も天気のうち」(一喜一憂してても仕方なくそれぞれに合った過ごし方楽しみ方を考えるしかない),「相手の反応は自分の心の鏡」(余談や偏見を持たずに自然体で素直に向き合うことが大切),「止めれば失敗・止めなければ経験」(数年単位の短距離競走の学生時代と異なり社会人は10年20年単位の長距離競争,失敗を経験にするかどうか)といった,当たり前のことばかりです。
 でも,その当たり前のことを素直に受け止めて取り組むことがなかなかできないことだと思います。
 はでなパフォーマンスでなく,当たり前に大切なことを,精一杯大切にしていくこと,そんな地道な努力が大切だと改めて感じています。

2015年8月15日
 8月9日はシンガポールの独立50周年記念日。8月15日は日本の終戦記念日であるとともに,シンガポールにとっては丸3年半にわたる日本による占領の終結記念日でもあります。70年前のことです。シンガポール駐在中に被占領50周年をシンガポールで迎え,占領初期の6千人から数万人にわたると言われる日本軍による中国系住民の虐殺やその後の3年半にわたる占領時期の残虐行為が連日報道される中で胸の痛む思いでした。生まれながらに残虐な人がいる訳ではなく生まれ育った環境やその時に置かれた環境によって外に現れる人間性は変化します。
 だからこそ,人それぞれの良い面が前に出てくるような出せるような社会を生み出していかなければならないと思います。と同時に,難しい環境に置かれても,良識と人に対する優しさを失わないでいられるように,普段から考えていかなければとも思います。

 海外経験がほとんど無い中で赴任したシンガポールは,私と家族にとって「よそ者に優しい国」でした。
 中国語,マレー語,タミール語などを母語とする人たちで構成されたシンガポールは,外国語である英語を共通言語として定め,小学校1年生から全ての授業を英語で行い,会社でも英語で仕事をしているために,こちらの英語が下手でも根気よく理解しようとしてくれ,積極的に助け舟を出してくれました。
 その時の人々の優しさは今でも忘れられません。
「グループ内お友だち主義」で内向きになり,僅かな違いを取り上げて排除やいじめに結びつけてしまうというのとは正反対に,よそ者も積極的に受け入れようとする姿勢に感銘を受けました。と同時に,「相手の反応は自分の心の鏡」という側面もあり,こちらから心を開いて飛び込んでいくことも大切だと感じました。
 50年前に,マレー人への優遇措置についての結果平等か機会平等かの考え方の違いからマレーシアから放り出される形で独立したシンガポールは,開放的で多様性を重視し,ビジョンを掲げそれらを一つひとつ実現していき,汚職防止に力を注ぎ全ての人々への公平なチャンスの提供をめざすことで発展を続けてきました。
 常に未来へのチャレンジを続け,みずからを常に変化させ続けてきたシンガポール。
 強いものが生き残るのではなく,変化に対応して行けたものが生き残るのだという進化論の原則と,めざすものに向かって変化し続けるという理念を組み合わせて,よりよい社会をめざしていきたいと思います。

2015年8月8日
 70回目の原爆の日が終わりました。月日は過ぎていきますが,忘れてはならないものはあります。広島県の国際課長・国際部長をしていた時に,破壊された広島と共に復興した広島としての側面を並列で打ち出したいと努力していました。どのような悲惨なことがあったかを世界にそして後世に伝えていくことは広島の使命ですが,同時に,いかにしてその悲惨な状況から人々は立ち直ったのか,も大切だと思います。悲惨だったというだけでは,こっちの方がもっと悲惨だったという話にもなりかねません。それぞれの悲惨な体験を共有し,そしてそれから立ち直り今の状況を作り上げてきた経験を共有することで,過去の経験を繰り返さず未来を創り出していく力が生まれてきます。
 未来にめざすものめざしたいものが無ければ,目の前のこまごまとしたものにこだわり過ぎてしまいます。不満ばかりが頭に浮かんできたりもします。でも,共にめざしていきたい未来の姿が共有できれば,少々の違いは超えて力を合わせることができるのだと感じています。
 後ろ向きになって細かな違いをあげつらってギスギスした関係をつくるのではなく,よりよい未来をめざして明るく楽しく取り組んでいきたいものです。
 復興した広島を語るためにと発案した,県と広島市の共同事業としての社会の各分野の復興プロセス研究の報告書が昨年完成し今年はそれを教材とするための小冊子が完成しました。広島の社会のそれぞれの分野で未来のためにと懸命に頑張った人たちがいます。そんな人たちの努力の成果を意識し大切にしながら,自分たちの未来への責任を考えていきたいと思います。

2015年8月1日
 三次市,熊本県,JICA,看護大,内閣府,養成塾,香川県と続いた7月が終わりました。本業の方も,変化を生み出す大切な時期ですので,緊張感を維持しています。来週はまた三次市の職員研修です。これまで随分いろんな自治体職員等の研修をさせていただく機会がありました。そうした経験を通じて,実際の変化を生み出す視点を身に付けて行動につないでいくことのできる人材育成とともに,それを応援する組織側の継続的な取組みの両方が組み合わさっていくことの大切さを感じています。
 誰かがスーパーマンであるだけではだめですし,経営管理部門を強化して進行管理を強化しても「社会の不条理への良質な怒り」から生み出される内在的な行動力は生み出されません。それぞれの現場や立場の人たちがその仕事で接する社会の人々との接点の中で自らの問題意識を産み育て,そして周囲に働きかけて変化を生み出すための行動をそれぞれの分野で始めていくということが求められています。
 それは人材育成部門だけの仕事ではなく,組織全体の経営の問題でもあります。地域社会への責任,歴史への責任を背負った取組みの意識が必要です。
 「楽」ではないけど「楽しい」仕事に気付き,達成感を感じてさらにチャレンジを続けていく人たちの数をどう増やし応援していけるのかが,自治体組織の基本的な課題なのだと思っています。
 一人のスーパースター(とその追従者)よりも,百人のみずから考え少しずつでも行動していく人たちの集まりの方が,魅力もありますし健全だと思います。そんな取り組みを,これまでの経験を生かして応援していきたいと思っています。

2015年7月26日
 先週木曜日の香川県庁のグループリーダー候補者研修で,過密スケジュールの7月の研修講師の予定が無事に済んで少しほっとしています。香川県庁の研修は今年で9年目です。最初に頼まれた時には,広島県の政策企画課長をやっていましたので,香川県の中でも「自分の県の幹部候補研修に何で他県の職員を講師に呼ぶのだ」という声もあったと聞きました。当然ですね。でも,当時の担当者が頑張られて実現してからは,毎年4時間の研修を担当させていただいています。変化を起こすのは大変ですが,一旦始まってしまうと続くのも行政かなとも思います。
 その変化を起こすことのできる人材をどれだけ育て抱えて活かせるかが行政組織の力だと最近改めて感じています。
 「こうすればいい」と言うだけでなく,実際の変化を起こしていくことは簡単なことではありません。「なぜそんなことをしなければならないのか」とか「うまくいく保証はあるのか」と言う人たちに,根気強く説明し理解し協力していただく必要があります。
 「正しいことを言う」だけでなく,「必要な変化を実際に生み出す」ことが求められているように思います。
 そのためには,「自分の仕事の使命・役割」をしっかり考え,その使命をちゃんと果たすために必要なことは何かを考えて,一定の方向性の中で為すべきことの優先順位を判断していくことが大切です。私自身も,常にその原点を大切にしながら,もがいていきたいと思っています。

2015年7月20日
 先週末の金曜日に上京し内閣府で今年の自殺対策関連研修の打ち合わせをした後,週末に栃木県の自治医大での健康福祉プランナー養成塾の開講式に参加してきました。保健医療福祉のコーディネーター養成をめざしてスタートしたこの養成塾も今年は17年目です。その第1回目から講師を務めており,最近は運営委員もしています。開始当初は夏だけだったのですが,7年ほど前から秋コースも始めており,最近はそちらの講師をしています。ただ,昨年から,開講式のオリエンテーションも手伝っています。
 北海道から沖縄まで全国から集まってこられた受講生の方々が,夏は8日間,秋は3日間,ともに学び交流しています。17年続けて来れたのも熱心に参加いただく受講生のおかげだと感謝しています。
 金曜日は折悪しく台風が朝から中国地方を通過して,在来線は近畿地方に至るまで全面的な運休でした。その中でも新幹線は動いているとのことでしたので,自家用車で広島駅まで行き新幹線に乗ったのですが,全く遅れずに運行しました。改めて新幹線の信頼性の高さに感心したところです。
 健康福祉プランナー養成塾もそうですが,最近,社会人向けの,問題意識の整理と行動の開始と継続に関する研修のあり方を考えています。知識や理論,事例などを学ぶことはもちろん大切なのですが,それらを生かすためには,何より目の前のことだけでなく,大きな視点での問題意識を持ち,社会の不条理への良質な怒りや,未来の社会へのめざしたい姿などを明確にして,現実に一歩踏み出すとともにそれを継続し工夫していくことが求められます。そのための内在的な力の持ち方をどうするのかが課題だと感じています。
 自分自身の内在的な動機づけと,仲間と共に共有していく力との両方が大切なように感じています。

2015年7月11日
 今週は月曜日には熊本県の自殺対策企画研修に行き,金曜日はJICAの平和教育の研修でした。熊本県は,一昨年の内閣府の全国6都市での自殺対策連携コーディネート研修に参加された方から声をかけていただいたもので,年2回のコースとなっています。研修も,一度だけのやりっぱなしではなくこのような形でのやり方もありだと昨年の経験から感じています。内閣府の研修では新潟県の研修にも声をかけていただきましたし,自治医大の財団の健康福祉プランナー養成塾の受講者からは横浜市や沖縄県北谷町にも声をかけていただいたことがあります。一生懸命に準備して取り組んだ研修の参加者から声をかけていただくというのはうれしいものです。
 何でもですが,研修を受講していろいろと考えるということと,行動するということは別物です。研修を受講していただいて,地元のほかの人にも聞かせてやりたいなと思うことと,実際に行動を起こすこととの間には遥かな隔たりがあります。最近の研修でも,このような「実際の行動に移す」ことの大切さをお話しています。
 昨日の研修の参加者は,ウガンダ,スーダン,コートジボアール,ネパール,フィリピン・ミンダナオといった最近のJICA研修の定番国のほかに,初めてブルンジからの方がおられました。調べてみると中部アフリカの内陸部で世界最貧国の一つだとか。でも,どこの国でも,それぞれに自分の国の将来をより良いものにするために努力している人々がいます。知識や経験だけでなく,そのような未来への思いや姿勢といったものも持って帰っていただきたいと思っています。
 破壊された広島としての核兵器廃絶への確信だけでなく,廃墟から復興した広島としての復興への確信と未来への希望も。
 よそ者に優しい国シンガポールで,英語もろくに話せなかった私を助けて支えてくれた多くの地元の友人たちのおかげで,少なくとも私自身の,国による意識の壁は確実に下がったと感じています。昨日も2時間半の研修の中で,私の経験を共有し一緒に考えることができたように思います。日本も自殺の問題や国の異常な借金,子育ての問題などなど多くの問題を抱えています。彼らに恥ずかしくないように真剣に取り組んでいかなければと感じています。

2015年7月4日
 昨日からワイシャツを半袖に変えました。20数年前に駐在していたシンガポールでは,当時は,長袖の白シャツが基本で,上着もネクタイもなくても長袖の白シャツだったら公式行事でも通用していたので,帰国後も県庁勤務中は真夏でも長袖ワイシャツで過ごしていました。退職・転職して1年目はその習慣を引きずっていたのですが,昨年から20数年ぶりに半袖ワイシャツを着始めました。前職の県庁の名残りから離れることができた感じでちょっと新鮮な思いでした。このように。いろんな習慣を人は引きずって生きています。
 本業の方でも調整しなければならない課題がいくつかあり,緊張感を維持しようと努力しています。長年いろんな新しいことに手を出してもがいてきた中で,アイドリング状態と集中力を高める状態との切り替えの大切さを感じています。新しいことに取り組んでいると,必死になってアクセルを踏み込んでいるつもりでも,いつまで経っても何も変わらないように思える時があります。でもそんな時でも,アクセルを踏み込む力を緩めずにひたすら頑張らなければいけない時もあるように思います。
 普段から,意識して切り替えをしていなければ,そんな時に長続きがしないような気もしています。本当に力のある人は,そうでもないのかもしれませんが。
 そうはいっても悩むことがあるということは,朝から公園に行って一人で時間をつぶさないといけないよりはまだいいかなとも思っています。そっちの方がいい時も来るかもしれませんが。

2015年6月27日
 もう今年も半年が過ぎようとしています。本業とそのほかの頼まれごとのそれぞれに緊張感があり,ありがたいことだと思っています。特に,先々週にご紹介したJICAの研修のように関わりが深くなるケースもいくつかあり,また違った緊張感を生み出すので新鮮な気持ちで取り組んでいます。
 7月も,三次市の行革研修の第2ステージ,熊本県の自殺対策企画研修の2年目,JICAの「平和教育」,日赤広島看護大の非常勤講師,内閣府での今年の自殺対策連携コーディネート研修の打合せ,自治医大の財団の「健康福祉プランナー養成塾」の開講式,今年で9年目となる香川県の管理職登用研修などがあり,準備に追われています。
 いずれも,「前回と同じ」という訳にはいかないので,それなりに真剣に向き合っています。行政職員研修,保健医療,外国政府職員研修と分野は異なっていても,社会の課題を正面からとらえて,現場の課題を組織の課題として組織の連携による問題解決を図ること,それでも解決できないことについては社会の課題としていくこと,といった基本は同じです。
 なにより,「○○が問題だ」という問題点の指摘や解説だけでなく,「こうしたらいいのに」という評論家風の指摘でもなく,自らの生き方につながった課題への向き合い方で,覚悟を決めて度胸と腕力と感性で取り組んでいくという点については共通するものがあります。
 今月のJICAの研修では,いつもの「メッセージ」を最後に配ると,全員がそれぞれの紙に自分宛ての名前と私のサインを書いてほしいと言ってくれました。極めて厳しい環境の中で自分たちの国をなんとか作り上げていこうとしている人たちから,このメッセージを励ましとしたいという思いが感じられました。
 平和で豊かな国に暮らしている者として,少々の忙しさに「大変だ」などと言ってはいけないという思いです。生きていること,仕事があることのありがたさを感じながら,懸命に取り組んでいきたいと思っています。

2015年6月20日
 母の四十九日がすみ,一区切りついたという感じです。とはいえ,頼まれごとが多く毎週のように何かが続いていますので,常にその準備に追われている感じです。本業の方も大事な時期を迎えていますので,「今」を担当している者としての責任をきちんと果たしていかなければとかなり集中しています。本業とそれ以外の両方の緊張感がいい効果を生み出しているように思います。
 先週も書きましたが,今日食べる物の心配や明日の命の危険に追われることなく生きていけることの幸せを無駄にしてはいけないと思います。もちろん,実際には,どこの国に生きていたとしても,今日という日すら無事に終わるかどうかは分からないものですが,それよりもはるかに高いリスクを前に生きていて,しかも,自分のことだけでなく自分の国に未来の人たちのために一生懸命に働こうとしている人たちを前にすると,「真剣さ」という言葉の重みを改めて感じます。
 うまくいくことばかりではなく楽なことばかりではないですが,それでも今この場所に存在できていることそして沢山の方々とのご縁に恵まれていることの幸せを,前向きの力として,少しでも前に向かっていきたいと思っています。
 あと何年生きれるかと数えながら過ごすのではなく,前だけを向いて走り切れたらいいなと思っています。

2015年6月13日
 今週は,自宅から約60kmのところにあるひろしま国際プラザにJICAの紛争影響国政府職員研修に3回通いました。これまでは,自分の担当部分を2〜4時間話すだけでしたが,今回は,3週間前の東京での来日直後の研修員の発表から始まり,今週火曜日の私自身の講義,木曜日の振り返りディスカッション半日,そして昨日の終日の研修員による修了発表会とコメント,そして修了式での祝辞と 幅広く参加させていただきました。それだけ研修員の生の声を聴く機会も多く,良い経験でした。(多様な英語の聞き取りには本当に苦労しましたが…)
 私の講義では,行政の違いによる国の発展の違いなどについて重点を置いてお話ししたのですが,今回の参加者の中には,ウガンダのように,過去には内戦で苦しんだけれども今は着実に発展への道を進んでいる国,アフガニスタンのように,ここ10年でますます治安が悪くなっている国,フィリピン・ミンダナオのように長い内戦が終結してやっと自治政府の樹立に向けてスタートした地域とそれぞれです。それぞれの一人ひとりの思いや努力だけではどうしようもないことが多い環境の中でも,少しでも自分たちの国を良い国にしようと一生懸命に学び考えている人たちと時間を過ごしてみて,自分自身も自らの責任をきちんと果たす努力をしなければと痛感しました。
 明日の命の心配をすることなく安心して食べて飲んで眠れることが当然のことではなく,過去の多くの人々の努力によって実現していること,今のこの状況が当然に明日も続く訳ではなく,自分たちのよりよい社会への努力の継続が必要であること,そしてそのような努力を続けたとしても,個人個人についてはいろんな不幸のリスクからは逃れられないこと,でも,だからこそ,今,自分ができることを誠実にしていくことしかないこと,そんなことを考えさせられた3週間でした。
 誠実に懸命に生きている人に出会った時に恥ずかしくないように,努力を重ねていかなけばと思いました。

2015年6月6日
 なんというか,気ぜわしい日々が続いています。今週は広島シンガポール協会の行事が2件。といっても1件は総会で,もう一つは協会の事務局をしていただいている広島信用金庫の新入職員とシンガポール国立大学の学生との意見交換会の進行でした。
 シンガポール国立大学との学生交流は22年続いていますが,今回は17年前から始めた広島の企業での3週間の企業体験研修で来ている学生8人と広島信用金庫の新入職員27名との意見交換会でした。もともとこの意見交流会は私が言い出したものです。折角,規模の大きさではなくビジョンと実行力で勝負しているシンガポールとの学生交流の事務局をしていただいているので,広島信用金庫が,そういったシンガポールの力をもっと取り込んでほしいと提案して始めたものです。
 早いものでこの意見交換会も今年で7年目です。継続しているうちに私自身も学ぶこともあり,今年はかなり充実したものになったと思います。継続は力だと感じています。今年も若者同士が真剣に集中していくつか設定したテーマに沿って熱心に議論してくれました。
 シンガポールとの学生交流は,初代シンガポール広島事務所長として赴任し,広島から訪問される多くの経営者の方々と話をさせていただく中で,普段縁の無いことについては人は「みんな,全部,絶対」と極めて単純化して考えてしまいかねないものだと感じました。例えば囲碁や将棋,柔道などでは何級・何段と細かく言うのに英語の場合はペラペラかそうでないかというように単純化してしまいます。また,経済交流の面でも,○○人はみんな怠け者だ,今からは絶対タイが投資先だ,などと単純に決めつける発言を聞いて,若いうちからもっと幅広く柔軟な考え方を身に付けてほしいという思いから,経済交流の基盤づくりの一環として学生交流を始めました。つまり,世間に出て「常識的な考え方」に染まる前に,自分自身の考え方で物事を素直に考える力を身に付けてほしいと始めたものです。
 爾来,少しずつでもその成果が出てきているように感じることができる時間でした。
 来週は,JICAの紛争影響国政府職員研修に3回参加予定です。先々週に東京で開講直後の参加者の思いを聞かせていただいた研修の後半が広島で実施されるので,講義をするとともに意見交換会への参加です。みなさん,自国の将来のために真剣な思いを持って来られていますので,それになんとかこたえたいと思いますし,今後のより効果的な進め方についても何かしらの工夫を考えることができればと思っています。

2015年5月30日
 先週は1日半の休暇を取って,内閣府での自殺対策連携コーディネート研修の打合せと,JICA東京での紛争影響国政府職員研修に参加してきました。前者は2年前に担当したものの続きであり,後者はこれまで講義だけ担当していたのを今回は来日直後の研修員の問題意識の発表への同席と研修終了時の成果発表会への同席の機会をいただいたものです。紛争後の厳しい状況から立ち直ろうとしている国の政府職員がどんな思いを持っているのかを聞かせていただき,改めて恵まれた状況にある日本での真剣な努力を果たす責任を感じました。
 置かれた状況は大きく異なっていても,自分の国や社会の未来への思いは同じです。持っているものではなく,めざすものへの真剣な努力こそが問われているのだと思います。
 自殺対策の問題も復興の問題も,知識や理論,技術,ノウハウだけではなく,自らの問題意識を持ち,めざすもののために行動しやり遂げようとする意志が不可欠であるという点では同じだと思います。
 このように,それぞれの分野において真剣にかつプロフェッショナル意識を持ってチャレンジを続けておられる方々と仕事のご縁をいただくのは,本当にありがたいことだと感じています。私自身も,背筋を伸ばして真剣に努力を続けていかなければと思います。
 とはいえ,声をかけていただく機会が増える度に,休暇の残り日数が心配になる状況です。今年も綱渡りの状況が続きます。

2015年5月23日
 相変わらず体調がぐずついています。今日は先週に引き続いて,シンガポールから帰国以来お世話になっているかかりつけ医の先生のところに行ってきました。21年前にシンガポールから帰国した後,5月中旬から咳が止まらなくなり抗生物質の薬を処方していただいても効かず,ついには咳のし過ぎで胸が筋肉痛になっても湿布薬をくれるだけで1か月が過ぎたので,知り合いに紹介してもらった先生です。
 初めて行ってすぐに,熱帯勤務で基礎免疫力が落ちているのだから,まずは体を冷やすコーヒーやビールなどを止めて漢方の薬を飲むように言われて,その日から嘘のように咳が止まったので,すっかり信頼して頼っています。この先生は,内科医なのですが,漢方やOリング,電磁波などにも関心を持って取り組んでおられ,小さなシートに漢方薬を浸み込ませたものを小さな絆創膏で腕などに貼ったりするので我が家の家族からはちょっと敬遠されているのですが,私は医学だってわからないことは多いのだから,このような取り組みも意味があると思っています。
 現に,枕元に携帯電話やスマホなどいろんなものを置かないようにするだけで,実際にアトピーや頭痛などが改善したりするので,広島市の中心部にある診療所はいつも患者さんでにぎわっています。儲けにはならなくても,少しでも患者さんの症状を軽減してあげようとする姿勢に感銘を受けています。で,今日も小さな絆創膏を腕や背中にぺたぺたと貼ってもらってきました。まあ,脚気の原因が分かっていなかった江戸時代でも,なぜかははっきりとは分からないけど,白米ではなく玄米を食べると改善すると知っていた人もいたと思います。何が本当に問題なのかが100%分かっている訳ではない中で,病を少しでも改善してあげようと,(世間的にはなかなか認められにくい分野に)長年にわたってこつこつと努力しておられる姿に価値があると思います。
 固定観念や先入観,思い込みにとらわれ過ぎないことも大切ではないかと思っています。
 いずれにしても早く体調を回復しなくては…。

2015年5月16日
 ずっとドタバタしていた中で疲れが溜まっていたのか,先週は本当に久しぶりに体調を崩して休暇を取りました。研修講師や遊びに行く時しか休暇を取ることがないので,なんだか不思議な気分でした。
 まあ,それだけ恵まれてきたということなのだと思います。体調の方はまだぐずついていますが,なんとかやってます。
 今日は20年お手伝いしてきた三原市の中学生のシンガポール交流の事前研修会です。これで一区切りのつもりです。時間の経つのは早いものです。シンガポール駐在中に大学生学生交流を始めたのは23年前ですが,こちらは続けていくつもりです。続けることの中で生まれることがあると思ってあれこれやっているので,手を広げる一方でしたが,少しずつ整理して絞り込んでいきたいと考えています。
 あと現役でできる期間を考えると,少し活動を絞り込んで,少しでも具体的な成果に貢献できるように努力していきたいと思っています。
 今夕は,広大時代に防犯関係の共同研究のお手伝いをした県警の方の送別会です。10年前のことなのに声をかけていただけるのがありがたいと思っています。

2015年5月9日
 連休を使って,長野で転職した愚息のところに遊びに行っている間に,95歳で食欲旺盛,杖なし歩行,自炊生活だった尾道の老母が急逝したためにドタバタでした。95歳という歳を考えれば仕方ないとは思うものの,ちょっと急でした。
 葬儀関係もですが相続に必要な戸籍謄本等の各種手続きに走り回っていました。その中で印象的だったのが,訪れた3つの市役所の窓口の方々の対応の良さです。親切・丁寧で,私が言うのもなんですが役所のイメージが変わります。(別に,管理部門等において難しい顔をして重箱の隅をつついているようなタイプの人たちと比較している訳ではないのですが。)  長年行政職員研修に関わって来た中で,問題意識の整理やあるべき姿の提示,方向性と問題解決の取り組みなどばかり考えていましたが,基本はやはり,親切・丁寧だと思いました。
 今年はこれまで以上に外国政府職員向けの研修の話をいただいており,行政の原点を考える機会が多くなっています。また,3月に行革大綱の提言を市長さんに提出した三次市でも行革関連の研修をすることになっています。せっかく,目の前の利益ではなく社会の理想のための仕事をできる立場にいるのですから,親切・丁寧と,よりよい未来のための変革挑戦を両立する意欲を持っていただけるように,工夫し努力していきたいと思っています。もちろん,私自身も自分の仕事の中でその努力を更にしていきたいと思っています。
 今年は,内閣府から,一昨年に全国6都市で担当した自殺対策関連の研修も頼まれていますので,命の価値を大切にするという視点も含めて取り組んでいきたいと思います。
 良い週末をお過ごしください。

2015年4月25日
 なんというか,慌ただしく日々が過ぎていきます。ここ1年間ほど追いかけている,過疎地においても若手中堅医師に多様な研修研鑽機会を提供できる体制を整備していくことによって,そういった地域での医師の確保しやすい環境を実現していこうとする取り組みも,少しずつですが進んでいます。
 こういう新たな取り組みをしていると,こういった仕事に関われている幸せを感じます。つまり,「こうしたらいい」と言っているだけでは単なる評論家に終わってしまうので,実際に自分がそれを実現するために(スリルと)やりがいを感じながらもがく中で,実際の変化に向かって真剣に取り組めている幸せを感じるのです。
 「正しいことを言う」というのと,「めざしたいもののためにもがく」ことの最も大きな違いの一つは,「切り捨ててしまえるかどうか」だと感じています。「正しいこと」を言いたいだけであれば「間違っていること」は切り捨ててしまえばいいのですが,「めざしたいもののためにもがく」過程においては,そんな贅沢なことはできず,どんな些細な力でも大切にして何かしらの役に立てたいと思うようになります。60点の合格点ではなくとも,5点でも10点でも,こつこつとそれらを拾い集めてなんとか力にしていこうとする努力が,新たな分野において無から有を生み出そうとすれば求められます。
 格好良く,なんて考える余裕などなく,とにかくめざすものに向かう上でプラスになりそうなものは何であれ丁寧に集めて力にしていくことが必要になります。
 もちろん,嫌になることも多々ありますが,それでも,やりたいこと実現したいことがあるからこそ我慢もできる訳だし,何であれ少しでも役に立ちそうと思えるものについては,切り捨てることなく力にしていこうと思えるのであり,それによってそれぞれの人にいろんな力や可能性があるということを理解する機会にも恵まれるのだと思っています。

2015年4月18日
 先週の「日々捨て去りつつ過ごしゆく」もそうですが,若い頃からいろいろな言葉を思いついて使っていました。その一つに「凡中の非凡」があります。別に奇をてらわなくても,本当に大切なことは何かをまじめに考えてきちんと行動していれば,非凡なことにつながっていくのではということです。
 これまで,商社,海外,大学などといろいろな経験に恵まれましたが,それぞれ先の先を読んで仕組んだものなどなく,その時々にこれだけは実現したいと思って取り組んできた結果が積み重なってきたものです。
 うまくいくこともありますが,そうでないことの方が圧倒的に多いものです。最近関わりが増えている人材育成やマネジメントの話についても,学者や専門家が理論的に説明されるものも勉強にはなるのですが,実際の現場での模索においては,理論ではなく,先の見えない成功の保証のない中で,めざしたいもののために不安の中でこつこつジタバタと泥臭くやっていくしかないように思います。
 理論的な整理と,この泥臭い話とをどう結び付けていくのかが課題だと思っています。
 「度胸と腕力と感性」と私は言っていますが,どんなに正しい立派なことが言えても,その実現のために,格好を付けずにひたすら変化をめざしてもがき続ける力こそが大切なのだと思っています。「解説力」より「解決力」と言っている所以です。
 時にはやり過ぎたりして失敗したり恥ずかしい思いをすることもありますし,ためらっていてチャンスを逃してしまうこともあります。何が正しいのか,どうすればうまくいくのかは分からないものだというのが実感です。ですから,できることは何でもやってみるという,一見非効率でどんくさいやり方しか実際にはないのではないかと思っています。
 でもいずれにしても,泥臭くもがいている人を笑う側よりも,めざしたいものを持ってもがいている側にいれることが幸せなのだと思っています。

2015年4月11日
 先週のひとり言を読み返していて,若い頃に「日々捨て去りつつ過ごしゆく」という言葉を意識していたことを思い出しました。いろいろと鬱屈した面もあった思春期であったが故ですが,その思いが今日までの自分を生み出してきたのだと思います。持つことにこだわらないことが,チャレンジのハードルを下げたようにも思います。
 人は生きているうちにいろんなものを身に付けて引きずって歩くようになります。価値のあることも名誉なことも含めて。でも,今の今時点の自分の判断や行動に関わるもの以外は,過去のことです。もちろん,それに意味がないなどというつもりは全くありません。むしろ,「継続すること」には人一倍努力してきたつもりです。シンガポールとの学生交流の22年から始まって,広島シンガポール協会と三原市中学生のシンガポール交流の20年,自治医大の財団の健康福祉プランナー養成塾の17年,香川県の管理職登用研修の9年,三原市の組織風土改革研修の8 年など,続けること続くこと自体に価値を感じています。
 ただ,それはあくまで前向きに取り組み続けることの結果であり,守りに入った結果ではありません。むしろ,全力で前向きに取り組めなくなった時には,たとえそれが「教授」の肩書であっても躊躇なく捨ててこれたことが,今の自分を生み出してくれていると思っています。
 それは,ある面,自分を常に不安定な立場に追い込んでいるということかもしれません。でも,それはめざすものがあってこその不安定さなのだと思います。だからこそ,一時的にバランスを崩しかけてでも,必死にもがく中でそれなりの安定を生み出しているのだと思います。
 最近とみに,「めざすもの」の大切さを強く感じるようになっています。目の前の損得とか,お作法とかではなく,自分が強く思い続けることのできる「めざしたいもの」があるかどうかが,人のぶれない安定感と信頼感を生み出すのだと思うようになっています。人は誰しも必ず死んでいく中で,少しでも長く,精一杯腕を伸ばしながら水をかき泳ぎ続けて,そして沈んでいきたいと思っています。

2015年4月4日
 新しい年度が始まりました。県庁を退職して3年目の年度の始まりです。いろいろありますが,まあ恵まれていると思います。15年来の念願だった地域医療分野を本業として仕事ができていること,研修講師等で相変わらずいろいろと声をかけていただいていることなどです。
 ここしばらくドタバタしていましたが,やっと一息ついての週末です。いろいろと考えてみると,肩書きなどに頼らずに仕事ができている部分が少なくないことが,幸せに感じる一つの理由だと感じています。県庁にいる時から,エリートコースとかなんとかではなく,自分がやりたい仕事をめざして,商社出向やシンガポール事務所の立ち上げに行けましたし(何人かの先輩方から昇進には不利な回り道だと忠告をいただきました),大学に移って3年3か月で教授に昇任させていただいた後に1年で辞めさせていただいたことも,肩書きという点では不利だという考え方もあったと思います。
 肩書きがあれば,みなさんそれなりに遇していただけますし,安定した環境にも恵まれます。それがいいとか悪いとかでなく,自分が一番生き生きと伸びやかに手応えを感じながら働けるのはどういう環境なのか,自分でなければ生み出せない社会への貢献ができるのはどういう仕事なのかを考えることも大切だと思っています。
 もちろんうまくいかない時もありますが,それでも,何かをめざして変化へと踏み出したかどうかが大切なように思っています。最近増えている紛争復興国等の外国政府職員では,"To Have or To Be"「何を持っているかではなくどう生きているのか」が大切だと語っています。学生運動のあおりでほとんど授業を受けなくても卒業させてもらった大学時代に傾倒していたアメリカの精神社会学者の言葉ですが,このような原点となる言葉を若いうちに学べたことは大きかったと思っています。外国政府職員研修では,(汚職などにより)ベンツの最高級車に乗っていたとしても,その車から降りた途端にあなたはただの一人の人であり,あなた自身の生き方が問われるのだよ,といった言い方もしています。もちろん,厳しい環境の中で,立て前やきれいごとだけでは生きていけないこともあるとは思いますが,自分がめざそうとする軸がなければ,それからどれくらい外れてしまっているのかも分かりません。それが分かれば,徐々に軌道修正していくことも可能になります。
 昨年12月に担当したイエメン中央政府各省庁の職員研修では,総理府の職員の方が研修後に来られて,「自分は30年総理府に勤めているが,なかなか同僚に変革の大切さを理解してもらえないがどうすればいいのか?」と聞かれました。私からは,今の仕事のことだけを話していても難しいので,未来の自国の社会においてめざしたいものを共有していくこと,そのためには,今,これだけはぜひ少しずつでも変えていかなければならないことは何なのかを共有していくことから始めるのも一つの方法ではないかとお話しました。そのイエメンも,今は大変な状況のようです。
 真剣な顔をして自国の将来のための変化について語っていたあの人が,今,大丈夫でいるかどうかを考えてしまいます。それからすれば,余程のことがない限り,今日の命や明日の仕事のことを考えなくてもよい環境にいる我々は,もっと真剣に生きて努力を続けていく重い責任があるように感じます。
 広島県の国際課長・国際部長の時に関わることができた「破壊された広島だけではなく復興した広島として,復興への確信と未来への希望を提供していくこと」の大切さを改めて感じています。今日の命の心配をしなくてもいいからこそ,人間の社会のありたい姿のために,未来を見つめながら努力を続けていくべき責務があるのだと感じています。今持っている目の前の小さなものにこだわり過ぎて守りに入ることなく。

2015年3月28日
 最近,社会人向けの人材育成について考えることが増えています。それは,この分野での「専門家」のあり方についての問題意識でもあります。一般の「大学教授」は,社会人経験のない20歳前後の「子ども(社会人経験がないという意味で)」を教えることが中心(研究が中心という考え方もありますが)であり,この点では社会人教育の専門家ではないように感じます。(立派な方々がおられるかどうかとは別の話です。)広島大学を辞めて広島県に再就職し最初の1年間研修センターに配属された時には,いろんな研修会社等の講師の方々の講師ぶりを拝見することができて勉強させていただきました。前の研修センター長がすばらしい方で,講師派遣会社ではなく講師一人ひとりを評価して実力のある講師だけを選んで招へいするというシステムを創っておられたので,レベルの高い講師陣が揃っていました。社会人としての現場での実績をお持ちの方が多く,講師としてのレベルも高く,感心しながらお聞きしていたのですが,過去の経験を元に話されているという印象は否めませんでした。もちろん,現場実践経験に基づく講義は十分に迫力と価値がありましたが。
 私自身,これまで20年にわたり現場で仕事をしながらいろんな講師を頼まれてきて,昨年はあれこれ合わせると30回程度の研修講師をしましたが,その中で感じるのは,実際に現場でリスクを取り悩みながらもがいているからこそ語れるものがあるのではということです。社会人向けの研修の中には,知識伝達型のものと,考え方や行動様式を変えるきっかけを提供するものとがあるように思いますが,後者の場合は,やはり現場でチャレンジをしている人の張りのある話が大切なように思っています。
 とはいえ,講師という役割には,それなりの経験も必要だと思いますし,知識や経験をある程度整理して伝えることも大切だと思いますので,片手間ではやりにくい面があるのも実際だと思います。また,現場で活躍しておられる方々が多くの休暇を取って社会人向けの講師をすることもそう簡単ではないと思います。
 だからこそ,私自身,長年にわたって自分自身が現場でチャレンジしながら社会人教育に関わり続ける機会に恵まれてきたことのありがたさを感じていますし,それが,自分の仕事にも何らかのプラスにもなってきたと感じています。
 最近外国政府職員研修に声をかけていただくことが増えて新年度はさらに関わりを増やすようにお声がけいただいていることや,社会人向けのビジネススクールのお手伝い(ごく一部ですが)も声をかけていただく中で,知識を伝えるだけではなく,めざすものや方向性,課題整理や問題解決の取り組みなど考え方や行動の変化について伝えることのあり方について考えることが増えています。
 正しいことを主張するだけではなく,めざすものに向かって実際に変化を生み出す力を身に付けることに役立つ社会人向けの人材育成のあり方を考えていきたいと思っています。

2015年3月23日
 昨日の日曜日に東京で開催された医師の臨床研修病院の合同説明会に参加して,今日帰ってきたところです。平成16年度に医師の臨床研修制度が義務化されて以降,出身大学から離れて大都市等の病院で研修する医師が増えたため,どの県も研修医の獲得に懸命です。私のいる広島県地域医療支援センターでは,東京,大阪,福岡の3か所での合同説明会に県内の病院と共に参加しています。
 研修病院の医師や研修医,事務職員が参加しますので,かなりの負担ではありますが,医師確保のためにはそんなことは言っておられないところに各県とも追い詰められています。
 もちろん,研修病院自体の研修の魅力を向上させていくのが本筋ですが,それを知っていただかなければ勝負になりません。ということで,私も終日立ちっぱなしで,広島県ブースへの客(研修医)の呼び込みに取り組みました。(あ〜腰が痛い…)

2015年3月14日
 昨日,三次市行財政改革推進審議委員会の会長として,新しい行財政改革大綱についての提言を市長さんに提出し1時間ほど懇談してきました。一昨年7月の審議委員会発足以来10回にわたり議論をしてきたものです。経済団体や女性団体,企業,自治組織の方や公募委員など各分野から参加された12名の委員での議論は,回を重ねる毎に互いの信頼関係も深まり充実した議論になったと思います。改めて議論の場づくりの大切さを感じました。
 昨年の1月には,委員会での議論の中間報告として,「市民と行政の行財政改革のためのメッセージ」を市長さんに提出し,今回は,それを踏まえて委員会で議論した行財政改革大綱を市長さんに提出したものです。
 委員の皆さんと一緒に議論した基本は「市民と行政との距離を縮める」ということです。また,中国横断自動車道尾道松江線の全通により,「広島県の北の端」から「中国地方の十字路」となる三次市の可能性を,単なる可能性に終わらせることなく変化を実現していくために,実際の変化を生み出すことのできる職員の行動力の大切さを市長さんにはお伝えしました。
 できない理由を並べ立ててしたり顔をして自己満足に浸るのではなく,どのようにしたら実現できるかを考えることのできる職員がいなければ何も生まれてきません。そのために,組織のいたるところで,若手中堅を中心に新たな行動の提案がなされそこから実際の変化が生まれる組織づくりが求められています。
 いつも言う話ですが,「楽」ではなくとも「楽しい」仕事をしていける環境づくりが大切だと,つくづく感じています。

2015年3月7日
 なんだかドタバタ続きです。本業の方の新しいプロジェクトの立ち上げや,いろんな課題の整理にそれなりの緊張感を感じながら,その緊張感を楽しんでもいます。
 このところ,いろんな講師の依頼の話をいただいており,新年度もそれなりにあれこれ新しい経験もさせていただけそうです。ご依頼の中には,自分がちゃんとできるだろうかという不安を感じるものもあるのですが,逆にその緊張感を持ちながら準備をする面白さもこれまで感じています。
 この点で,本業の方が,県庁を退職後も,引き続き自分で事業の体系付けや新規プロジェクトの立ち上げなど現場の一線の仕事にいれる立場に恵まれていることを心から感謝しています。最近ぐちぐちと書いていたように,どんなに注意をはらってプロジェクトを進めても,それが多様な団体や人を巻き込むものであれば,どこか一つでもうまくいかないところがあれば全体に影響してしまいます。そんな時にそれを批判していても仕方なくて,少しでもそういうことが起きないように地道に努力を重ねることと,起きた時にも,それを嘆くよりも前にできる対応策の行動を開始することが大切になります。嘆いたり反省したりするのは問題をある程度解決してからでも間に合います。
 そんな緊張感を日々持てていることが何より大切なことだと思います。社会人教育の難しさは,自分自身がそのようなチャレンジを日々進めている人がそれを共有し一緒に考えることが望ましいと思うのに,実際には研究教育を本業としている人たちにその主たる部分を頼らざるを得ないことです。
 その点で,本業を持ちながら年間30本以上の研修講師等の機会を持たせていただいている私の立場で見えてくることを,社会人教育(外国政府職員研修も含めて)の発展のために生かしていきたいと思っています。
 これまでの一日一日が,よかった日もそうでなかった日もそのすべてが今の自分を積み上げてきているのだと思っています。否定でも過大評価でもなくそのままの自分として受け入れて,これからもまた新たな積み上げを続けていきたいと思っています。

2015年2月28日
 しばらく暖かい日が続いていたと思ったら,昨日は久しぶりに少し寒くなりました。寒い暑いは相対的なものだと感じます。年間毎日32度で最低気温も年中26度のシンガポールに暮らしているとそれが「普通」だと感じるようになりますし,学生時代毎冬1か月皿を洗っていた長野県の雪深い小谷村では,早い年で11月初めに50センチの雪が降り,7月にストーブを仕舞って9月にはまた使い出すという環境でしたが,それが普通に思えるようになるものです。
 どのあたりを基準に置くかの問題です。
 仕事でも,緊張感のゆるんだところを「普通」とするのか,ある程度の緊張感を維持していくのかでは,長い年月の中では大きな違いになると感じています。身分が安定している公務員の場合,緩んだ状態でも過ごしてしまえるということろが課題だと感じています。それは社会にとって残念なことであると同時に,本人にとっても残念なことだと思います。どうせやらなければならない仕事であれば,楽しくやりがいと達成感を持って取り組みたいものです。もちろん,いつもいつもそんな風にはいきません。上司や同僚などの環境に恵まれないこともあります。けれども,雨の日は雨の日なりに晴れの日は晴れの日なりに頑張っていくことはできると思いますしそれが緊張の糸を切らさないためには大切なことだと感じています。
「雨も天気のうち」と思いついたのは,そんな恵まれない環境の中でも,その時なりの過ごし方を前向きに考えていきたいと思ったからです。前に向こうとする力,その努力を放棄して開き直ってしまえば,その人の「人としての張り」が緩んでしまうように感じます。
 自分なりにその時なりに精一杯手を伸ばして水をかいて泳ぎ続けたいと思ってきましたし,できればこれからもそうありたいと思っています。

2015年2月22日
 先週も書きましたが,「間違っていないことをしている」ことに満足感を覚えることと,「(自分だけの成果では到底ないけれど)自分がいなければ生まれなかったと思える仕事」に満足感を感じることとの間には,大きな違いがあると思います。
 もちろん,前者のタイプの人も必要です。特に若いうちには,仕事をちゃんと間違いなくやりきる信頼される実務能力を身に付けなければ勝負の土俵にも上れません。
 ただ,ある程度の立場になってからも,「自分は間違っていない」というだけで済んでしまうのではどうかと思います。問題点の指摘をするのとそれを解決するのとでは,極めて大きな違いがあります。前例のない新たなことの実現をめざすためには,試行錯誤が必要となります。そこでは,多くの間違いも犯してしまいます。それは一見無駄なことですが,その無駄を積み重ねていかなければ,変化を生み出す糸口さえつかめないこともあります。そうすれば,その無駄は必要な「無駄」ということもできます。
 「濁った沼の中にコツコツと石を投げ込み続けていても表面上は何も変化は見えないけれど,それでも止めずに投げ入れ続けているとある日表面に変化が見えてくる。」というのは随分前に思いついた例えですが,今でもそうだと思います。
 そんな泥臭いことを積み重ねることで初めて,新たなことが生まれるのだと思います。最近研修で,「解説力」より「解決力」と言っています。「こうすればいいのだ。」という解説は実行が伴っていなければ意味がありません。
 実際にもがき続けた末に何かを生み出した経験のある人は,自分にも他人にも謙虚で優しくなれるような気がしています。それは,地位や肩書,知識や経験の量ではなくて,「取り組み方」の姿勢の問題なのだと思います。
 "To Have or To Be"という言葉にもつながるように感じています。これまで,じたばたしてこれたことに感謝していますし,これからもそうありたいと思っています。

2015年2月15日
 ある仕事の関係で,関係者の一人の内弁慶・お役人的対応でプロジェクトがちょっとつまづいてしまい,改めて「めざすもの」のために仕事をすることの大切さを感じています。 ある事業を協働でする際に,自分の担当分について,提案された内容ではできないと言って切って捨てて自己満足してしまうのか,どうしたらできるかを考えようとするのかは,その事業で地域を少しでも良くしたいと思って取り組むのか,単に自分の仕事の担当範囲だけしか見ずに判断してそれを唯一の答えとして固執し主張するか,の姿勢の違いとして現れるように思います。
 「めざすもの」を考えていれば,それを実現するための進め方やり方についてはいろんな方法があり,結果を出すために柔軟で創造的な取り組みができます。自分の小さな箱庭の中で,一つひとつの手続きの正しさのみに目を向けていれば,それで終わってしまいます。
 共に力を合わせてそれぞれに工夫をしながら新たなものを生み出していくことの楽しさと達成感,充実感を味わったことのある人は,自分の担当部分について壁にぶつかっても,事業全体の実現を考え,責任感を持って代替提案を探して走り回りプロジェクトの実現に精一杯取り組むものですが,そうでないと,地面に座り込んだままで,目の前に流れてきた案件についてできるできないと言いつのって自己満足の世界に閉じこもってしまいます。お役所ではそれでも済んでしまうのが,その組織の難しいところです。
 とはいえ,箱庭の中の完璧主義で暮らすことが幸せだとは思えません。(人それぞれでしょうけど…) やはり,「楽」ではないけど「楽しい」仕事をめざしていきたいものです。
 明日から,また気を取り直して「楽しく」やっていきたいと思います。

2015年2月7日
 個人的に引き受けている研修ラッシュが一段落したと思ったものの,本業の方もドタバタで,緊張感のある日々でした。ここ1年近く追いかけてきた新規事業の立ち上げの大事な詰めの時なので,スリルと緊張感を味わっています。と同時に,県庁を辞めて転職しても,このような経験のできる仕事に携われていることに感謝しています。
 研修の講師にしても,過去の経験を元に話をするだけだと他人事になってしまいますが,自分自身が今現在も何かをめざしてもがいているから,受講生の皆さんと同じ立場で向かい合えるのだとも思います。このあたりが,大学等の「先生」との違いだと感じています。「こうしたらいいのに」と言うだけではなく,自分が実際に結果に対して責任を負う立場にいればこそ共感できるものもあるように思います。
 来週は,ここ7年手伝っている三原市の中堅職員のグループ研修の仕上げの市長発表会や,今年17年目となる自治医大の財団の健康福祉プランナー養成塾の運営委員会,そして三次市の行財政改革推進審議委委員会での新行革大綱の最終議論と続きます。いずれも,「正しいこと」を語り「何をすべきか」を考えるだけではなく,「なぜ何のために何をめざして」,「何をどう変えていくのか」を大切にしていきたいと思っています。
 「めざせば叶う訳ではないがめざさなければ何も始まらない」訳ですから,まずはめざしたいものを明らかにして,基本的な方向性を整理した上で初めて「何をするか」を考えていきたいと思ってます。

2015年2月1日
 昨日,三次市での地域づくり講演会が何とか終わり,3週間で講師7回というドタバタの1月が終わりました。当たり前の話ですが,本業の方もドタバタしていますので,とりあえずほっと一息です。昨日の講演会は最初100人くらいと聞いていたのに200人も参加されて,その熱意に頭が下がりました。
 講演会の前に地区自治会の会長さんたちの話を聞く機会があり,人が減っていく中で地域を維持していくためのご苦労を改めて認識させていただきました。都会に出ていった子どもたちの代わりに,地域に残っている人たちが残された年老いた親の面倒をみるという構図には考えさせられるものがあります。
 大学に勤務していた時に,地域の産業振興ビジョンづくりなども頼まれて考えていた時にも,同じことを感じていました。当時は,そこに住んでいる「定住人口」と観光などで訪れる「交流人口」のほかに,血縁や地縁による「ネットワーク人口」というものを想定して,このネットワーク人口を通じて故郷への資金の還流ができないかと議論していました。
 都会で元気で稼いでいる人たちが故郷の親たちのためにも,何らかの貢献ができる仕組みが必要なような気もしています。ふるさと納税もその一環なのかもしれませんが。ふるさとから離れて都会で働いていた人たちが一斉に後期高齢者になっていくことになる2025年問題もありますが,都会と地方との関係ももっと考えていく必要があるように感じています。
 本業の方では,過疎地域の医療機関が連携して若手・中堅医師の研修・研鑽支援をする仕組みをさらに発展させて,診療所や専門診療科の確保にもこのような仕組みが生かせないかと議論しています。頑張る人たちを支え地域の医療を守る仕組みづくりが求められていると感じています。

2015年1月24日
 今週も何かとドタバタした日々でした。まあ,朝から一日中何もすることがないよりもいいとは思いますが,それにしても年の初めからのドタバタ続きで少し疲れが出だした感じです。
 水曜日のスーダン・ダルフール地域の行政職員研修は,先週のフィリピン・ミンダナオ自治政府職員候補研修が全員30歳以下だったのに対して50歳代中心でほぼ私と同年代でしたので,普段とは少し違う緊張感がありました。とはいえ,社会のために働く公務員としての基本は同じなので,共感していただけるものがあったように思います。
 金曜日の熊本県自殺対策企画研修は,昨年7月に開催した第1回の研修会に参加していただいた方々を対象とした2回目の研修でした。普段は1回だけの研修が多いので,2回目の研修をどのように意味のあるものにしていくかが課題でしたが,主催者側の担当者の皆さんのご意見もいただきながら準備しました。やってみて,このような継続的・積み上げ方の研修の意義を感じました。社会人の面白さは,学生時代のような3年間なりの限定された期間での勉強競争ではなく,現場での生涯を通じた継続的な努力とその中での成長の持続なのだと思っています。その点からも,同じ方々に,継続的に考えていただき相互に刺激をし合っていただく機会というのも価値があると感じました。
 また多様な年齢層の方々が真剣に議論をしていただいているのを見て,社会人生活のすべての過程において,既存の蓄積や肩書などに頼ることなく,その時々の課題に対して真剣に向き合い続ける姿勢を維持していくことの大切さを改めて感じました。
 私自身も,このような多様な機会に恵まれていることに改めて感謝した次第です。

2015年1月17日
 どんどん日にちが過ぎてしまっています。まあ,この追い詰められ感にもだいぶ慣れてきましたが。
 今週はフィリピン・ミンダナオ自治政府職員候補者研修と三原市職員研修各4時間。今年も休暇の残り日数を心配する日々が続きそうです。ミンダナオの方は,20歳から30歳までの若い人たちでしたが,その真剣さが印象的でした。長い内戦の後にやっと自分たち主導の地域づくりに取り組もうとしているのですから当然かもしれませんが,それにしてもです。三原市職員研修は3グループに分かれて半年かけての課題研究ですが,来月の市長さんへのプレゼンを前に最終検討でした。課題を整理し全体像を把握し取り組みの視点を整理して検討の方向性を決めて体系的に掘り下げる,と言うのは簡単ですが実際にやるのは簡単ではありません。とはいえ,今年で7年目ですので,私自身これまでに学ばせていただいたことも紹介しながら楽しくやらせていただきました。
 今朝も早起きして,今月末に三次市で行う地域づくり講演会の準備をしていました。来週のスーダン・ダルフール地域研修と熊本県の自殺対策企画研修は何とか準備したので,こちらの準備に。まさに自転車操業状態です。
 これらはそれぞれ対象は異なりますが,何をすればいいかと短絡的に性急に答えを求めるのではなく,めざすものは何なのかをきちんと整理して,そのための方策として,課題の背景を整理し方向性をまとめて全体像の中から体系的に物事を考えていくということについては同じだと感じています。
 めざすものがしっかりしていれば,実際に具体化に取り組む段階において困難に直面しても一喜一憂することなく,めざすものを実現するために必要なことに粛々と取り組み続けることが出来るように思います。なぜ何のために何をめざしているのか,がやはり大切なように改めて感じます。

2015年1月10日
 新年早々,ドタバタと過ごしていたので,まだ1週間しか経っていない感じがしません。今月は特に,個人的な活動の方で,外国政府職員研修が3回,市職員研修が2回に熊本県自殺対策企画研修と三次市地域づくり講演会があるので,それらの準備にちょっと気ぜわしい感じです。
 言い訳がましくなりますが,あれこれ先延ばしにできない言い訳のできないことが沢山あると,集中力と緊張感が上がり,本業の方でもそれが維持されます。(の筈です…。)本業の方でも新たなシステムづくりのプロジェクトも立ち上げの大切な時期ですので気が抜けません。
 十数年前に大学に転職した頃から,個人としての仕事の成果が問われる経験をする機会が増えて,その中で,時間の密度の違いの大きさを痛感しています。時間は同じように流れますが,その密度と内容は驚くほど異なります。のんびり散歩している状態と,小走りの状態,そして集中して全力で突っ走っている状態の違いのようなものです。
 いつも全力で走れるものではないしそれがいい訳ではありませんが,そんな経験を時々していると,時間の持つ重みを感じますし,大切な仕事をする時にいかに集中力を上げていくのかを考えるようになります。
 昨年8月にチリでの国際フォーラムでのスピーチを頼まれた時には,1か月間毎朝3時に起きて6時半までの3時間半を準備に充てましたが,今はそんなことはないので朝4時半から5時くらいからの2時間又は1時間半です。短い時間ですが貴重な時間です。
 ただ,これは資料づくりなどの話であって,コーディネートのような場合には話は別です。いくら自分の集中力を上げても相手のあることなのでうまくいくとは限りません。むしろ,いかに集中力を上げつつも肩の力を抜いていくか,自分自身がイライラしたり息切れしないようにするかが大切になりますし,根気強く着実に前に向かって足を踏み出し続けることが何より大切になります。このあたりが,研究者の世界と実践者の世界の違いとして面白いところだと感じています。正しいことを言うのとそれを実現することの違いだと思います。それらをバランスよくこなすことは難しいことだと感じています。

2015年1月3日
 元旦,二日と広島では珍しい雪続きでした。
 元旦からいつもながらの早起きをして,講演等の準備をしています。1月は,フィリピン・ミンダナオとスーダン・ダルフールの自治政府職員研修が計3回,熊本県自殺対策研修,三次市住民自治組織講演会のほかに三原市の職員研修などもあり,なんとなく気ぜわしい感じです。本業の方でも,新規プロジェクトの立ち上げが正念場であり。
 こういうことは,一気に準備できるものではないので,毎日早起きをして少しずつ準備をしていく必要があります。広島大学に転職して,産業振興ビジョンづくりや研究レポートの作成,講演等の依頼が増える中で,だんだんとそのような習慣がついてきました。
 朝は,出勤準備までの限られた時間なので,集中せざるを得ません。限られているからこそ集中できるように思っています。
 今年は,鰍ャょうせいが出版している自治体職員向けの雑誌『ガバナンス』1月号に,年来の中心テーマである「組織間連携と自治体職員のコーディネート力」について書かせていただく機会を得て,一つの節目となる年だと感じています。「現場の課題を組織の課題にそして社会の課題に」していき,組織間連携により解決していくコーディネート力が大切だと考えて,これまで取り組んできた体験の中で感じたことをまとめる良い機会でした。
 これを機会に,さらに意識的に取り組んでいきたいと思っています。今年もよろしくお願いします。

2015年1月1日
 あけましておめでとうございます。
 みなさま,良い年をお迎えのことと存じます。
 昨年は,県庁を退職して念願の地域医療の仕事の2年目,少しずつでも新たな仕事の仕込みに努めた年でした。今年は成果につないでいかなければと思っています。
 今月号の鰍ャょうせい発行の『ガバナンス』には,一番の関心テーマである「組織間連携とコーディネート力」について書かせていただけて幸先の良い年だと思っています。
 また,多くの魅力的な方々とのご縁をいただいていることを改めて感謝しています。
 様々なご縁に恵まれていることの幸せを,社会のためにも少しでも生かしていきたいと願っています。
 今の幸せを写真に撮って形として残そうとするのではなく,前に向かってもがき続けていられる幸せを常に感じ続けられる1年でありたいと思っています。
 本年もどうぞよろしくお願いいたします。
 今年が,みなさまにとって良い年でありますように。



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