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橋本康男のトップページへ 参考フレーズ集 駄文抄 遊びのページ English Page 広島大学での4年3か月


2004年12月3日
 前回のひとり言から,ちょうど1か月です。
 嵐のような「秋」(春も夏もそうでしたが)が終わりに近づき,なんとかこうにか生き延びてます。
 今年の末で大学生活も丸4年です。ほんとにひょんなことから私にとって最も縁遠いアカデミックな世界に迷い込んでもうそんな時間がたったのかという感じです。
 咋秋にはNHKのおはよう日本の全国版で国立大学の地域連携のモデルとして特集していただきましたし,今年の夏には日経グローカルでこの3年半の活動を紹介していただきました。もうぼつぼつ潮時かなとも感じています。
 私の場合は,「教授」という肩書きをいただいているものの,@教員(学術),A教員(業務)のうちのAで,実際に成果を出してなんぼというつもりでいますが,どうも現実はそのようには動いていないようです。
 最近私のように大学支援機能(地域連携,産学連携,留学生支援,保健管理,入学,就職,情報メディアなど)に採用される人々が増えていますが,その評価の定着にはまだまだ時間がかかりそうです。
 特に最近,お勉強はして理屈と批判はするけど現実の世界で汗をかくのはいやというタイプの人を見るにつけて(そしてそれにげんなりして),自分自身は現実の世界での評価の中で生きていきたいと感じるようになっています。
 これからどのような世界を開いていくべきか,悩むところです。事件は現場で起きているという原点を大切に,口先ではない現実の世界で,社会の原点を大切にした仕事を続けていきたいと思っています。

2004年11月3日
 流用ばかりで気が引けますが,公務員関係のメーリングリストに流したものです。
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みなさま
橋本@広島大学です。
 日曜日から,世界社会精神医学会なるものの手伝いを頼まれて神戸に来ています。2年前から国立精神保健研究所から,触法精神障害者の社会復帰や自殺予防などの研究を頼まれている縁ですが,このような仕事をしていると,行政の役割の大きさを感じます。
 もちろん,それはお金を出すことだけではなく,現場の方々が動きやすい環境を作ることと,励まし応援する仕組みを作ること,いい仕事をしている人達の仕事に光を当て,それを社会に広く紹介することなども大切だと感じています。
 明日のオフサイト,一番に出席の回答をしましたのに,同じ時間帯に旧知の医学部の先生から講演を頼まれてしまい,残念ながら出席できなくなりました。ヒ素やサリンなどの毒物分析の専門家の全国ネットワークの構築に地道に取り組んでおられる先生です。全国600人程度の専門家のためのデータベースとメーリングリストを広大のサーバー上で運営しておられます。(ご興味のある方は別添を参照してください。)
 広大に移る前にひろしま国際センターにいた頃に,あるプロジェクトについて県行政へのアプローチの仕方を教えてほしいとコンタクトしてこられました。ある人から紹介されて来られたのですが,県行政の敷居の高さに
悩んでおられました。
 全国規模のネットワーク作りとともに,地域での,大学,警察,消防,研究機関,自衛隊,麻薬取締官などの関係者が中毒関連事件が発生した時にスムーズに連携が取れるようにとのミーティングを毎月開催しておられます。今回は今月の月例会で,社会システム作りとコーディネーターについて話をするように依頼されました。(既存のものの組み合わせなどで資料を作りましたので,ご興味があればどうぞ。)
 この先生の例にしても,今回の学会でお会いした現場でいい仕事をされている方にしても,魅力を感じるのは,その言っていることの正しさ?よりも,実行していることの信念と柔軟さと粘り強さです。口先で能書きを並べ立ててすましているのではなく,結果を出そうとしている人々には,なりふり構わずもがいていく中で身に付けたしたたかさと逞しさと,そして周囲の無理解無神経に痛められた悲しさとそれに耐えて身に付けた明るさとがあるように感じます。
 「正しい」理屈どおりにやればうまくいくというものではなく,自分のめざす方向に向かってあきらめずにもがき続ける中で一定の結果が出てくるというものかと思います。スポーツの世界でも,一時聞かれたイチローのバッティングフォームに関しての「専門家」の批評の「正しさ」の意味も考える必要があるように思います。
 現場に近いところで仕事をする地方行政としては,少なくとも霞ヶ関よりはこのような方々の思いを理解し応援できる仕事をしたいものです。
 明日の講師の川本さんは,もう20年来お付き合いいただいていますが,既成の感覚にとらわれない,良い仕事を着実に積み重ねてこられています。県庁の中では「変わり者」の部類ではないかと思いますが,その「変わり者」がここまでどう考え仕事に取り組み生き残ってきたかも聞いていただければ,これからの若手の方々の参考になるのではないでしょうか?難しい顔をして口先で理屈をこねるというのではなく,責任感をもって実際に物を動かそうとする者が評価され生き残る組織でありたいと思います。
 長くなってしまいました。
 引き続き,よろしくお願いします。
 草々
 広島大学 橋本

2004年11月1日
3か月近くも更新していなかったことに,自分でも驚いています。
 大学生活もこの年末で丸4年になることもあり,今後の身の振り方を悩みながらも,目の前の仕事に没頭していたというのが正直なところです。
 とはいえ,9月には2週間近くシンガポール里帰りと初めての台北を(休暇で)体験しましたし,10月には往復夜行船中泊釜山6時間滞在というのもやりました。
 ということで,恒例のシンガポール便りを(いささか古くなりましたが)掲載します。
 また,先日頼まれて行った「社会システムづくりとコーディネーター」の講演の資料を駄文抄に掲載しておきます。
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(シンガポール便り−1)
 みなさま
 橋本(広島大学)@シンガポール休暇里帰り中です。
 シンガポールには,個人的に関わっている学生交流のメンテナンスに来ています。13年前にシンガポール広島事務所(商工会議所と行政の共同事務所)の初代所長として何もないところから事務所を立ち上げて活動を開始してみて感じたのは,経済交流を言う前にまず考え方や発想のグローバル化が必要だというものです。
 「みんな,絶対,全部」などという単純な決め付けや,自分の都合のいいことを言うダブルスタンダードを平気で使う,日本人だけで固まる「グループ内お友達主義」などなど,「個人」として考えることの必要性などを感じました。
 このため,シンガポール国立大学日本研究学科とシンガポールポリテクニック(国立高専)のそれぞれと,1週間のホームステイと1か月の企業研修の2つのプログラム(計4つ)をスタートさせて,この13年間で累計586人がシンガポールから広島を訪問しています。「金の切れ目が縁の切れ目」となることを避けるために,「汗はかくけど金は出さない」と,自分のお金で来させていることが自慢です。
 昨日は,シンガポール国立大学の日本研究学科長や三井物産と組んでシンガポール初のバイオベンチャーを成功させている友人などと会っていました。
 その中で共通して話が出るのは,個人としての「思い」の大切さです。「To be or To have」という言葉がありますが,何を持っているか(お金や知識や肩書きなど)ではなく,どう「ある」のかが大切だということです。歴史の時間の意識の中で,自分が何をめざしてどう生きようとしているのかを考えていくその基本的姿勢ことが大切だというものです。
 最近は,性急に要領よく最短距離で「実績」を上げたがる傾向があるが,TVゲームの攻略本と同じで,迷路を攻略本を持って次は右,次は左と本に従って進もうとするのではなく,行き止まりで立ち往生して挫折しながらもめざす方向に向かって進んでいく内在的な力が大切だという話が,シンガポール人とシンガポールで活躍する日本人との別々の会話で共通に盛りあがりました。「時間」の評価に耐えられる仕事をしていきたいものです。
 東南アジアに住んでみて感じたことの別の面は,政治と行政の大切さです。政治と行政の違いによって,ここ数十年で見ても,国の発展に大きな差が生まれています。それがそこに住んでいる人々の幸せにも,随分の違いを生み出していると感じます。それはビジョンと行動力の違いだと感じます。良いことをいう指導者は多くいますが,それを口先ではなく,個人の全存在として表し行動し結果を出していく一部の指導者には,確かな迫力を感じます。
 脈略のない話になってしまいましたが,1年ぶりのシンガポールからの便りでした。
 草々
 橋本

(シンガポール便り−2)
 みなさま
 橋本@シンガポール休暇里帰り中からのシンガポール便り続編です。ご興味のある方はどうぞ。
 京都大学の研究者が研究室メンバーごとシンガポールに移転している話や,日本の大手電機メーカーのシンガポールのアジア本社の活動の話(韓国のサムソンやLGの強さ,世界同時発売やブランド戦略重視の動きなど)や,新潟のアルビレックスがシンガポールのプロサッカーリーグに参加している話,オーストラリアの大学がシンガポールに15000人規模の私立大学を開港する話などを聞く中で,日本が一プレーヤーとして参加している国際競争の実感がわいてきます。
 その中でも印象的なのは,政府の経済開発庁の局長級が40歳前後であったり,政府のコンピューター部門のうちの開発チームが企業として独立してシンガポールテレコム(NTTのようなもの)に買収されていること,ある会社の内輪話などです。
 経済開発庁は,シンガポールの経済的発展の立役者として知られていますが,その主要幹部である局長には40歳前でなっています。こちらでは,リーダー論として,早くから時期リーダーとして指名して自覚を持って鍛えていく方法と,ぎりぎりまで横一線で競争させていく方法との特質の議論がありました。後者は組織の活力を維持するとは言われるものの,それなりの人材しか育たないというのが,この国の考え方のようです。もちろん,落ちこぼし教育で一握りのエリートを徹底して教育しようとしている国ならではの考え方ではあります。
 経済開発庁(EDB)の話では,ベンチャー企業育成について,あまり政府が音頭を取って進めると,適性のない人までその気になってベンチャーに走って失敗してしまうので,ベンチャーベンチャーと言って騒ぐのではなく,政府を小さくし公務員の人件費を減らして法人税や個人所得税を減らし,各種規制を緩和していくことにより,「邪魔をしない」環境を政府主導で現実に生み出すように努力している,という話が印象的でした。口先で言っても自分自身の行動が伴わないのでは仕方ないという点で,シンガポールならではの面目躍如といったところです。
 このEDBは,インドの映画のメッカであるボンベイ(ハリウッドとかけて,ボリウッドと言うのだそうですが)でのアカデミー賞?的なものの授賞式をシンガポールに誘致してくるようなことまでやってのけています。
 政府のコンピューター部門の民営化の話は,政策企画部門は別として,開発の実戦部隊は会社として独立させて,国内の民間企業や海外の仕事を受注する中でより力をつけることにより,シンガポール政府のe-governmentも推進するというものです。政府の仕事を取るには,IBMやHPなどと公平な?入札競争をしているとのこと。ちなみに,ほとんどの政府関係の手続きが電子化されており,確定申告でも源泉徴収票は発行者から電子的に提出されて個人ごとに自動的に整理されるので,個人はそれを確認するくらいで済むのだとか。政府の縦割りのない国だけに思い切ったことをしていますが,もちろん不安を感じない訳ではありません。
 このような情報システムの話では,日本では阿吽の呼吸で仕事をしているために仕様書を書く習慣がなくそのようなシステムもできてない。このため,インドや中国にアウトソーシングすることができないためにコストを下げることができず国際競争力を失っているという話も別の方から聞きました。以心伝心の可能性と弱みを考えていく必要がありそうです。
 ある会社の内輪話は,10数年来のシンガポール人の友人からの話ですが,まあよくある部下についての愚痴話ではあります。いくら指示しても期限までにきちんと仕事ができず,どうしても必要な資料が当日に間に合ってなくて乗っているタクシーが故障して会社に間に合わないと言い訳をしてくる,しょっちゅう会社から外出していて何をしているのか分らない,結局会社を辞めて修士号を取りに行くと言ったので開いた口がふさがらなかった,そんな責任感の無さで勉強だけしてなんになるんだろう,という話でした。まあ似たような話は日本でも経験しますので,どこも一緒というところでしょうか。この話には,別のスタッフは人は良くて一生懸命やってくれるのだが前に進まないとか,優秀なスタッフと議論しているとどんどん新しいアイデアが生まれてきて生産的なのだが,彼とだけ議論していると他のスタッフがやっかむだとか,まあ組織の世界の悩みは共通といったところでしょうか。
 この話の落ちは,結局大切なのは,責任を持って仕事に取り組むということと,目の前の功にあせるのではなく,長期的な視点に立った時に評価されるような仕事に自分が関わっていけることの幸せを大切にしていく必要があるね,ということでした。
 このほか,昔からの付き合いの国立高専では,すべての手続きが電子化されたためにスタッフも学生も途惑っているだとか,各事業の毎年の成果評価を厳しく問われるので,交流事業のような継続的な事業については説明に苦慮しているという話もありました。
 ここ9年ほど続いている中学生の交流相手の中学校の校長先生と話をしていた時には,10周年事業をやろうというところまでは良かったのですが,その例として相手が言い出したのが両方の中学生をカンボジアに送って一緒に学校建設を手伝う経験をさせたらどうかというものでしたので,その発想にぶっ飛びました。まあ,お互いの理解を深めるために,数学などの教育内容や社会の福祉制度の両国の比較などを両国の生徒に共同作業でやらせたらどうかという穏便な路線に持っていったのですが,自分の発想力の限界?を感じさせられました。
 長くなってしまいました。 ご参考までに。
 草々
 橋本(広島大学)

(シンガポール便り−3)
 みなさま(オリジナルを県などの行政職員向けに書いていますので,やや役所向きになっているのはご勘弁ください。)
 橋本@シンガポール休暇里帰り中からのシンガポール便り第3編です。ご興味のある方はどうぞ。
 昨日は,日帰りでインドネシア領のビンタン島に行ってきました。12年前にシンガポールに駐在していた時,たまたま知り合っていたインドネシアのサリム財閥系の銀行であるBCA(Banc Central Asia)シンガポール支店の人に招待されて,シンガポールの企業人相手のビンタン島開発視察団に唯一の日本人として参加させていただいたことがあります。
 1泊2日の日程で,まだまったく手付かずの砂浜と椰子の木しかない海岸に連れて行ってもらい,リゾート地開発についての意見などを求められました。砂浜では,地元の人から,高い椰子の木の上から取ったばかりの椰子のみのジュースをいただき,こんなまったく何にもないところに国際リゾート地なんて夢物語ができるのだろうかと感じたものです。その夜とめてもらった当時の島内唯一のホテルでは長時間にわたり停電し,本当の真っ暗闇を経験し,その感を強くしたものです。
 10数年振りに訪問して,計画が本当に実現しているのを見て驚きました。シンガポールから渡るだけで5千円程度かかりパスポートも必要なのに,多くの人々が訪れていくつものリゾートホテルが整備されています。人工的に整備された環境で人々は楽しみお金を使っていきます。(日本人も何人も見かけました。)リゾート地では,インドネシア領にも関わらず,食事等の料金はシンガポールドルで表示され,シンガポールドルがそのまま通用します。このリゾート地の成功?のポイントの一つは,シンガポールの信用力だと思います。シンガポールという看板が持つ,「安全」「安心」「清潔」というイメージが,有効に働いているように感じます。
 今回の訪問で改めて感じたのは,組織が仕事をするのではなく人が仕事をするのだという考えです。それは,強烈な結果志向でもあるように思います。
 EDB(経済開発庁)であった局長さんは3つの局の局長を兼務していました。駐在中に出会った人の仲には,政府の局長職のほかに政府系大企業の社長を3社兼務していた人もいました。シンガポール政府で10年(後半5年は部長職として)は,自己都合帰国後実に11年にわたって「毎月」呼び戻されてシンガポールで仕事をしています。これは,あるレベル以上の仕事は誰にでも出来る訳ではなく,出来る者にやらせて結果を出させる必要がある,という強い意思を感じます。(結果が出せなければ厳しい処遇が待っていますが)それは小国シンガポールが生き残るための必死の思いでもあります。欧米型の合理的な組織経営の中に,組織論を超えた強い個人志向も感じます。結局,誰がするのか,結果が出せるのは誰か,が問われているのです。
 そして,そのようにして選ばれた「責任者」に共通して感じられるのは,肩書きを振り回さないオープンさです。自分の判断に対する責任意識と「責任者」が実際に責任を取らなければならない現実の故に,常に新しい筋の良い情報と人的ネットワークを築くことに必死であり,そのためにはオフィスの椅子に座って「部下」がもってくる決裁文書に難しい顔をして文句を言うというのではなく,人と情報を自分のところに招き入れ続けるために,明るくオープンでフレンドリーな雰囲気を身に付けています。もちろん,それは強烈で厳しい責任意識と実践に裏付けられたものであり,単におしゃべりがうまいとか人当たりと愛想がいいというだけではありません。これは,組織論を学べば身に付くというものではなく,実戦の修羅場をくぐってきて初めて身に付くもののように感じます。
 このような社会(もともと,海外の厳しい環境で長年生きてきた中国系の人々には個人の信用を大切にする面が強いように感じますが)では,個人の信用を築いていくことが基本になります。そのためには,実績が必要です。未来・現在・過去の3点セットと私は言っていますが,未来において何をめざしたいのか,そのために現在何を議論しようとしているのか,そしてそれが口先のことでない証拠に過去においてどのような実績を上げてきたのか,を説明する必要があります。
 シンガポールポリテクニックと13年,シンガポール国立大学と11年,バレスティアヒルと9年にわたって継続してきた学生交流は,この点で大きな財産になっています。
 例によって長くなってしまいました。高い志を持ち,明るくオープンな態度で強烈な責任感と旺盛な好奇心を背景に仕事をしている人達に会って,少し気分が高揚しているのかもしれません。
 草々
 橋本@シンガポールでした

2004年8月7日
 これまでの,県庁,商社,海外,財団,大学という場での仕事の経験を通じて,最近,組織と地方ということについて,考える機会が多くあります。
 その中でも,理屈を言うこととできるということは違うという点があります。ところが,現実の世界の評価にさらされることなく,自分の世界で自分にできることだけを理路整然と?主張する人もいます。したいこと,できること,ではなく,やるべきことを議論すべきであるにもかかわらず,意識的・無意識的にも関わらず,自分の檻にとらわれてしまいます。これでは,イソップの童話ではないですが,自分が食べられないものはまずいものと主張することにもなりかねません。
 以下,最近公務員関係のあるメーリングリストに投稿したものです。

○ 現場感覚と総合性
  一つは,地方の可能性が高まっているということです。掛け声ではこれまでもいろいろと言われてきましたが,最近実感として感じます。
  昨夜,サイエンスレクチャーの後,広大の教授等関係者数人で話していた時にも出たのですが,最近,どうも最短距離を効率的に走ろうとして寄り道や手を汚すようなことや地道な作業を避ける風潮がある,本で読んだ理論などを振り回し,促成栽培的に竹馬に乗って無理な背伸びをしているようなのを多く見かける,という話です。
  私は,地方行政の一番の強みは,現場感覚と総合性だと感じています。20年近く前に,人事課で県庁初の1年単位の組織外派遣研修の制度を提案し作った時も,毎年入ってくる若い人たちが,将来に夢を持って意欲と好奇心を持ち続けながら現場で現場感覚と実務能力を鍛えていくための,組織としてのメッセージを送りたいというのが動機でした。このため,県庁での実務経験8年以上というのを,商社やシンクタンク,社会人向け大学院,海外総領事館派遣の条件としたのです。(その後簡単にひっくり返されましたが)
  地方の良さは,情報量の多い東京に振り回されずに,本当に現場で必要なものを,既存の理屈だけでなく現場の中から見て現場感覚を元にして施策に作り上げていくことではないかと感じています。私が,国立精神保健研究所の仕事を頼まれたり地域社会振興財団(自治医大)の研修会の講師を6年ほどやっているのも,そういった面を評価いただいているのだと感じています。
  現場において現場の視点で地域を見ていると,大きな声の出ない人たちの姿が見えてきて,社会の問題についての(良質な)怒りが生まれてくるはずです。それを胸に,動かない組織を動かしていくというのが,地方行政職員の最大の面白さではないかと思っています。本で読んだ理屈で変革を主張するだけでは人は動かなく,原点が大切なような気がしています。

○ 組織活動と責任
  大学で仕事をしてみて,最も違和感があるのは,組織の構成員としての責任です。まあ,個人商店の集合体としての大学としては,仕方のない面があるのかもしれませんが。
  広島国際大学の授業に毎年ゲストスピーカーとして来ていただいている萩市民病院の事務部長さん(全国公募で選ばれた人です。全国公募すればいいというものではありませんが,この方の場合は本物です。)が講義の中で言っておられた,「チームワークというのは結局前者責任を果たして次に引き継ぐということだ。」という言葉が印象的でした。前の人が80%しかしなければ次の者は120%(厳密な計算は別として)をせざるを得なくなるというものです。
  このように,組織の中でそれぞれが担う責任を確実に果たしていくことによって,大きな仕事が生まれてくるというのが,組織の面白さではないかと感じてます。それによって,組織内の仲間や外部の組織や人たちの力を生かして,自分一人ではできない仕事を生み出していくことが,組織人の面白さだと感じます。
 もちろん,そこでは,プレッシャーがかかった時に逃げるか逃げないか,腰が砕けるか耐えられるか,言い訳をするかしないか,自分の都合だけを主張するのかチーム意識を持てるのかが問われます。それはどこの組織においても人の評価と信頼の基本になるというのは同じだと感じます。

○ 時間の評価
  この点で,地方行政の組織運営の重要な要素の一つは,時間の評価ではないかと感じています。大学にも,大きな声で自信たっぷりに自分の意見を主張する人もいますが,どこの世界でも,時間の評価の中で,それが単なる思い付きの自己顕示欲主張だったのか,本当に中身のある主張だったのかが明らかになってきます。そして現実の負荷がかかった時の対応を人々は見ています。そうやって,瞬間最大風速を競うのではなく,時間の流れの中で通用していく地力のある職員を大切にしていけるのが,地方行政の力ではないかと感じます。
  いわば,組織活動における責任,チームワークを基本とした,実績よる個人評価に基づく「顔の見えるネットワーク」が地方の力であるように感じています。

○MBA
  昨日,ある研究会で知り合った地方自治体の若手職員から,MBA取得のコースに入って学びだしたが,「民間企業の本質・マインドに触れ,役所との大きな違いにかなり戸惑っている状況です。企業家の持つ経営理念に比べて,我々の意識が抽象的であり,本質を得ていないことに苛立ちを感じている状況です。MBAになって,うちの役所に対して一体何ができるのだろうか?と絶望感に陥っています。そのため,役所に置いているはずの軸足がぐらぐらしてしまい,自分の職場に対する魅力がしだいに薄れていくような感じです。」との相談メールをいただきました。
  私自身は,地方行政のめざしているものの価値は,これまで述べたように自分が主役ではなく自分の功名・自己主張ではなく,社会のために組織や制度を動かしていくことだと感じています。そのための組織経営手法はいろいろと学ぶ必要はあると思いますが,原点が揺れてしまえば,あせりや無力感に陥ってしまう危険があります。社会の中で,歴史の歯車を前に動かしているのか,止めているのか,後ろに動かしているのかを考えながら仕事のできることの価値を自覚して,責任を果たしていく考えが大切ではないかと感じます。いわば,性急に結論を出すのではなく,社会のあり方について悩みながら社会作りの仕事をしていくということなりの,仕事のスタイルを考え出していく必要を感じています。この点では,ドラッカーの著作に触発されるところが多くあります。

2004年8月2日
 うーん,なんと4か月。書いてませんでした。6月半ばから,社会人の常識を超えた行動によるトラブルへの対応に忙殺されていましたので仕方ないにしても,その前も書いてなかったとは。余裕が無かったんですね。まあ,こうやって書けるとこまで来れたことを感謝です。

2004年4月12日
 大学情報サービス室は,学長直属の組織から,社会連携担当副学長の下に新たに設置された社会連携推進機構の中で地域連携センターの名称になり,新たなスタートを切りました。
 各特定分野の専門家の集合体としての大学において,このような連携のコーディネート役の組織が継続的に必要かどうかは,これから評価されるものと考えています。私自身は,専門家が生きるためにはつなぎ役としての専門職が必要だと感じていますが,はたして将来的にはどう評価されるのでしょうか。

2004年3月29日
 2か月近くも書いていなかったとは思いませんでした。
 この間,助教授2名の全国公募の選考や,個人的に引き受けている研究報告3本,障害のある人の作業所の支援システム研究のまとめなどで,余裕のない生活を送っていました。
 また,国立大学法人化の波の中で,唖然とすることも少なくなく,個人商店の集合体としての大学が組織体として変化しようとする際の軋みのようなものを感じていました。まだまだ時間はかかりそうですが。
 最近,行政のような組織が長年かけて身に付けてきた知恵といったものを感じています。思い込みを声高に主張することはどこの世界にもありますが,それらは結局は時間の流れの中で厳しく評価されます。周囲の現実をきちんと見つめて,関係者との調整に汗を流し理解を求める努力を惜しまず,自分の立場を相対視してその役割を理解して,その責任を逃げずに言い訳せず腰が砕けずに果たすかどうかが組織の中での信用を勝ち取る大切なポイントだと思います。
 話は変わりますが,毎月1回第2水曜日(2,8月休み)に広島市留学生会館で午後6時半からアジア人の会(We Are Asians)というのをやっています。私の友人が始めたものですが,アジア人としての立場で考えようという勉強会・雑談会です。どなたでも参加いただけますのでご興味があればご連絡ください。昨日,この会のメーリングリストに書いたものを下記に添付しておきます。
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 先日,この4月から広島大学の(非常勤の)社会連携担当副学長就任予定の方とあれこれ話をしていた際に,社会貢献と国際協力の話になりました。
 私が3年3か月前に大学に移った時には,産学連携と社会貢献という言葉しかなかったので,社会との双方向の交流を通じて大学自身も活性化していくという趣旨を打ち出したくて,「社会連携」という言葉を使い出しました。
 つまり,「社会貢献」というのは,(本来的にはもっと幅広い意味の言葉であるにしても)自分は十分に立派で他人に対して一方的に何かしてあげる,というニュアンスに取られかねないということです。
 同時に,社会連携というのは,単なるお人好しのリップサービスなのではなく,社会の中で大学が成すべきこと,成せることをきちんと認識してその責任を果たすことだと学内では主張しています。
 自分自身も変化し成長していくものとして相対視し,外部刺激を受け入れ,社会の中での自分自身の責任を自覚し行動していくことが必要かと考えています。
 国際関係分野でも,仲良くするのが国際交流,貧しいかわいそうな人を助けてあげるのが国際協力,という概念ではなく,新たな概念を具現化していく必要があるのかもしれません。
 それが,地方が東京に伍して発展していく道ではないかと考えています。
 話が理屈っぽくなってしまいました。
 この1年半ほどかけて,医学部,総合科学部,教育学部の先生方と地域のボランティアや作業所経営経験者(全盲)の方々と,障害のある方の作業所支援システム研究というのをやっていて,やっとほぼ報告書がまとまりました。サブタイトルでは「障害があるから見えてくるものの価値の社会化」として,障害者知見の社会還元をうたっています。つまり,「かわいそうだから」というのではなく,「まなぶものがあるから」資金(お金)が回るようなシステムを作ろうということで,小規模作業所を含めて作業所のネットワークを作り,組織的なインターンシップの受け入れやユニバーサルデザイン評価受託,製品の開発や販売などをしようというものです。5月にはNPO法人の設立をめざしています。今回の特徴の一つは,作業療法の専門家による,健康保持と二次障害の防止の配慮の提言です。人に頑張れという時には,頑張れるような環境整備(座位の確保できる車椅子の改善とか)と,頑張りすぎることによる二次障害の防止配慮が必要というものです。まとめ役をやらせていただきながら,学ぶことの多かったプロジェクトでした。これから,具体化が始まりますので,みなさまのご支援をお願いします。

2004年2月8日
 ほかに言葉がないのかと自分でも嫌になりますが,相変わらず余裕のない息を詰めた日々を送っています。大学での本業のほかに,個人的に頼まれたレポートがいくつもありそれが結構重いので,自由時間を奪ってしまっています。
 ところで,一昨日と昨日の夜に,妻に録りためておいてもらったプロジェクトXのビデオを何日分かまとめて見ました。
 いずれもいい話で涙が出たりするのですが,少し格好良すぎて完全には没入できません。番組作成上仕方がないのだとは思うのですが,たどった後の迷路を出口から振り返っているようなモノトーンの単純さが気になるのだと思います。
 実際の現場では,山ほどの模索と失敗と要らないことをした恥ずかしさなどが渦巻いているのでしょうが,時間の関係上それらは整理されて成功へとつながった軌跡だけが描かれてしまいます。
 実際に現場でもがいている人にとってはそのような「無駄の山」があるのは当然のことですからいいとしても,そのような経験をしたことのない若い人たちにとっては,格好のいい成功体験だけが強調されすぎると,地道な無駄を覚悟の模索の部分が軽視されてしまうのではないかと,案じてしまいます。
 全ての新しいものは,「余計なこと」「要らぬこと」「夢と不安」から始まり,自信たっぷりにできるのは既に分かっていることの部分改良に過ぎないのだと思いますし,そのような不安に耐えることから,人恋しくなったり,仲間の信頼が生まれてくるのだと思います。

(平成16年年頭に当たって)
 「21世紀初日付けの採用辞令」に惹かれて,広島大学に移ってから,4年目に入りました。
 文字通りあっという間の3年間でした。
 それまでの地方行政時代に,全国初の公務員の商社への長期派遣,シンガポール広島事務所の初代所長など,一人で新しい環境に放り込まれる経験をしていたことが,過去の蓄積・実績がそのままでは役に立たない違う評価基準の世界に入った時に,いくらかは役に立ったと思います。もっとも,それは単に「そうした経験をしたことがある」ということだけではなく,そうした経験も含めて「自分の置かれた環境の発想の枠にとらわれずに考え行動する」という意識的な取り組みの積み重ねの問題ではないかとも感じています。
 大学というところは,現時点ではまだ,特定分野において集中的に一貫して研究・教育を続けてきた人々の世界ですし,発想や評価基準,運営も当然そのような確固たる蓄積を有していることが前提となっています。いわば,それぞれの自分の専門分野を持つ人々の個人商店が集まっている場所という性格があります。
 そのような世界で,これからの社会には,「専門家をつなぐ専門職」が必要であり,大きな方向性の中に悩み迷いながら試行錯誤を続けていく者も必要な筈だとの思いで,この3年間模索を続けてきました。
 幸い,多くの方々に助けていただけたおかげでなんとか形になり,この度助教授2名を公募できるところまで来ました。
 これまでは,多分にビギナーズラックの面があったと思います。しかしながら,これまでになかった新たなものを生み出していこうというのはいつもうまくいくわけではありませんし,そういう問題意識を持っていない人々にとっては単なる「無駄な取り組み」であり「何をやっているのか分からない」ということににります。
 それでも,これまで取り組んできた中で,「学内横断的な連携」によって広島大学としての取り組みを形づくり,「広島大学」の信用力を生かしてより大きな「組織的・継続的」で「社会的」な取り組みを生み出していくことと,大学という「知的で中立的な社会的存在」としての性格を生かして,社会での新たな変化を生み出すための「場づくり」をしていくということについて,ささやかながらも手応えは感じられたと思います。
 変化の時代にあって,このような取り組みは引き続き必要だとは思いますが,環境がどう変わっていくか予断は許されない状況です。
 皆様方のご理解・ご支援をいただきながら,新たな社会の変化を生み出し地域の価値と可能性を高めていくために大学が何ができ何をすべきかを考え行動していきたいと思いますので,引き続きよろしくお願いいたします。
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2004年1月11日
 あけましておめでとうございます。
 今年が良い年でありますように。
 年末年始にずっと取り組んできたレポートが(出来は別にして)一応の形にはなったのでほっとしているところです。
 年末ぎりぎりの12月26日に助教授2名の公募を開始しました。4月からの採用予定ですのであまりに遅きに失しているのですが,国立大学法人化の混乱の中でいろいろな準備が遅れている影響です。良い方が見つかればいいのですが。
 今回の公募は,大学情報サービス室の教授退官等に伴う体制整備によるものです。
 大学情報サービス室の仕事は,個人業績の評価が基本となる大学の中にあって,個人の成果を競うのではなく大学情報サービス室としてのチームの成果をめざすものであり,学内横断的な連携で教員個人では生まれないものを生み出そうとするものです。つまり,「大学情報サービス室が一人でやった訳ではないが大学情報サービス室がなければできなかった仕事」をめざしたいと思いますし,明確なゴールが設定されていてそれに向かって最短距離を効率的に走っていくというのではなく課題を模索し多様な課題に試行的に取り組み意味のあるものを生み出していくという過程を大切にしていきたいと考えています。
 このため,ささやかな可能性のサインをつかむ感受性・理解力や,タイムリーに行動を起こしていくフットワーク,信頼を勝ち得て人を巻き込んでいく信用力・協調性,社会的意義を説明できる説明能力,プロジェクトをまとめていく構想力・構築力・忍耐力・責任感,多様な意見や考え方を受け入れまとめていく多様性受容力・柔軟性・明るさ,大学としての情報発信ができる知力・プレゼンテーション能力・論理性,猪突猛進でない幅の広さ,弱い立場の人たちの理解ができる繊細さ・想像力,地道な仕事も確実こなせる堅実性・緻密さ,ある程度のところで妥協できる「いい加減さ」・楽観性・決断力,そして夢を語れる青さが大切だと考えています。
 このため,自分が自分がという過度の自己主張や,成果を独り占めしようとする過度の名誉欲,後であるいは影で言い訳をする逃避性,人の話が聞けない・理解できない強度の思い込み,現実が見えず自分だけの世界で風呂敷を広げてしまう自己陶酔,細部にこだわりすぎる偏執性などは避けたいところです。
 なんて言ってしまうと,お前はどうなんだと言われそうですが,「いい加減さ」だけは満たしているかなと・・・。
 要は,一定程度の業務遂行能力があり,将来への夢を持って着実に仕事に取り組んでいただけること,でしょうか。
 以前,中学校の進路指導の先生方にお話した時にまとめた次の表現が私の思いを表していると思います。
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 21世紀の日本の社会が求めているのは,変革と創造であり,それを実現する個人の静かな迫力ではないかと考えています。群れになって人と同じ行動をし手の届く範囲の世界で生きていくというのではなく,変革と創造の過程で周囲と違うことに取り組んでいく孤独に耐えて,新たな領域に踏み出していける人材が求められているように思います。破壊や捨てることのできる強さも時には必要になります。同時に,ビジョンを共有する仲間も大切です。そして何より,人と社会に対する豊かな感性が求められています。
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