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 2007年12月31日
 大晦日の朝です。昨日から雪が降っており,海辺のこの団地でも,屋根や木の上は真っ白です。
 修論の方は大詰めに近づいてきているように思いますが(徳川家康は,「百里の道は九十九里を持って半ばとす。」と言われたとか・・・。),新たに地域医療の関係の調査研究の話が来て,荷物の重さは軽くなりそうにありません。
 とはいえ,何かに懸命になれるということは幸せなことだと思います。自分には一体何ができるのかと疑問を持つことも少なくありませんが,先週は3つほど,国際関係,地域医療関係,行政関係の講師の依頼をいただき,どれほどの役に立つのかは分からないものの,本業以外の世界でのいろんな方々との接点を持たせていただけることが私自身幸せなことだと感じています。
 役所に戻って2年9月が経ちましたが,その組織の課題の一つは,「実感」なのではないかと思っています。自分の仕事が社会の中でどのような意味を持ちどのような影響を与えているのか,組織外の人々との付き合いの中で,自分は肩書きを除いてみた場合にどれほどの信頼を得られているのか,そんな実感が得にくいことが行政組織の一つの課題かもしれません。ともすれば,批判・批評・評論で仕事をした気になったり,惧れを知らない子どものようなままで自分の世界で過ごせたりしてしまいかねません。
 本業の話ですが,昨年度から取り組んできた「人づくりビジョン」も中間とりまとめまで来て,現在,広島県のホームページでパブリックコメントを募集しています。ご興味があれば,何か一言お書きください。
 今年1年も,ほんとに勝手な「ひとり言」にお付き合いくださり,感謝申し上げます。ずいぶんブログが盛んになっているようですが,しばらくはこの調子で自分勝手に続けさせていただこうかと思っています。格別の理由はないのですが,やはり,自分が静かに考える時間があって初めて,対話が生まれるようにも感じています。
 今年1年ありがとうございました。来年が,よい年でありますように。

 2007年12月24日
 本業の方は年末ということもあり台風の目に入った感じの小康状態で,大学の方も冬休み!なのですが,その他の仕事に追われて相変わらず余裕のない日々です。
 とはいえ,昨日は尾道の老親の親孝行に三原の仏通寺に行ってきました。中学生時代に友人に誘われて二人で座禅会に参加して,予定の途中で脱走して帰ったことがあります。40年近く前の日を懐かしく思い出しました。

 2007年12月16日
 年末を意識する余裕もなく日々を過ごしています。
 そんな中で,昨日は,外国の絵本をその国の言葉で読み聞かせる「お話コンサート」に行ってきました。普段は広島駅近くの留学生会館で開催されているのですが,17回目の今回は地元の廿日市市のホールでの開催ということもあり,覗いてみたものです。
 今回は,中国語,タガログ語,オランダ語でした。それぞれの国の絵本をそれぞれの国の言葉で読み聞かせてもらうというのは,なかなか良いものでした。もちろん,日本語訳も読んでもらえるので理解できるのですが。
 その中で,司会者が「他の言語で読まれるのを聞いているとちんぷんかんぷんで戸惑われたでしょうけど,外国から日本に来た人たちはみんなそんな戸惑いの中で暮らしているのだということを考えてあげてくださいね。」と言われたのが印象に残りました。そういえば,シンガポールに駐在した最初の頃も,基本は英語だとは言うものの言葉が通じないことが多く,情けない思いをしたものです。
 この「お話コンサート」は,次回は1月20日(日)に広島市留学生会館で開催予定とのことです。詳しくは,こちらをどうぞ。

 2007年12月9日
 大学の授業のレポート作成や修論の準備,科研(科学研究費)のレポート準備など,あいも変わらずの週末でした。でも,クアハウスには行けたので,それなりにバランスは取れているのかも知れませんが。
 本業の方も,波乱が多くて・・・。
 人づくりビジョンの関係で,いろんな団体の方々とテーマ別に意見交換会をしており,先週は,乳幼児期をテーマにした意見交換会をしたのですが,「お母さんは,昔は子どもの顔を見ながら授乳をしてたものだが,最近は携帯を打ちながら授乳をしていて,子どもの顔も見ていなければ話しかけもしていない。」との発言に,考え込んでしまいました。

 2007年12月2日
 あいも変わらず,平日は会議や行事などに追い回され,週末は修士論文や個人的に係わっているシンガポール関係や科学研究費の仕事などに没頭していて,乾いた生活を送っています。その中でも,晩秋の紅葉を眺めたり,朝の通勤路の阿品の海の景色がちょうど瀬戸の海からの日の出になっている短い時期を楽しもうとはしているものの,どうも落ち着きません
 とはいえ,先週も,いろんな方々にお会いできたことは感謝しなければと感じています。みんなそれぞれに頑張っておられ,その緊張感に触れさせていただくことは,いい刺激になっています。
 大学の方も,前期前半,前期後半,後期前半と4分の3が済み,あと少しです。単位もなんとか揃いそうで,少しほっとしていますが,まだ気は抜けません。
 長年ばたばたやっていると,その中でも,息を詰めて走っている無酸素運動のような時期と,少し余裕のある歩き方をしている有酸素運動のような時期があるように感じます。今は,前者の時期かもしれません。先の見えない時期には,どたばた走っている方がいいのかもしれません。

 2007年11月25日
 先週は,仕事で県北の三次市と県東部の福山市に行って,本業の人づくりビジョンに関する意見交換会をしてきました。いつも思うことですが,それぞれのところでそれぞれに真剣に仕事に取り組んでおられる魅力的な方々がいらっしゃいます。
 (物理的な意味での)県庁の中に閉じこもっていてはいけないと,つくづく思います。
 三次市への往復の車の中から見た紅葉もすばらしく,地方で生きる価値を再認識しました。東京一辺倒ではなく,それぞれの地でそれぞれの思いを大切にして過ごせて,しかもそれがこれからの社会づくりにつながる環境を作っていきたいものです。

 2007年11月18日
 なんとも慌ただしい中で,目の前の蠅を追いながらスケジュールを消化している状態です。
 修士論文の方も佳境に入っています。主として健康福祉分野における社会サービス・イノベーションを推進するコーディネーターの人材育成について考えています。これまで実践経験の中で漠然と考えてきたことを何とか少しでも整理したいと取り組んでいます。
 ポイントは,複雑化した社会の中で変革を起こしていくには,正しい答えを見つけるだけでは十分でなく,一定の仮説に基づいて試行し見直し改善しながら再度取り組むといったことを繰り返していく必要があるということ,そしてそれを推進する人材育成が重要,というものです。
 一気に問題は解決しませんし,何よりやってみなければ分からないのに,「そんなものやっても駄目に決まってる」と否定する人が多すぎるように感じています。(特に役人に・・・)快刀乱麻の問題解決を夢見て実際には何も行動しないよりは,やってみなければ始まらないと,少し背伸びをした新たな取り組みをこつこつと続けていくことから,イノベーションは生まれるのではと,考えています。
 知識社会化・組織社会化した現代では,組織の外部のアドバイザーだけでなく,組織の内部で信用と実務能力を身に着けたコーディネーターが求められていると思っています。それが,専門職として認められれば良いのですが,道は遠そうです。

 2007年11月11日
 先週木曜日は,アジアの会で,小学5年生の時に親に連れられてブラジルから日本に来て,言葉の違いに苦労し,いじめや排除の中でもめげずにたくましく成長した青年をゲストスピーカーにお迎えして話をしました。ブラジルから日本に来た子どもは沢山いる中で,この青年のように,日本の社会の中でしっかりとたくましく育っていった子どもと,そうでない子どもとの違いは何だろうかという話の中で,その子を来日時から日本語指導された先生から,親の考え方や姿勢という言葉が出てきました。親がしっかりとした考えを持って,子どもに接している親とそうでない親とがおり,彼の親御さんは前者だったという話です。
 また,自分は何人なのか悩むというアイデンティティの問題も話し合いました。日本からブラジルに移住した人の中ではそのような話を聞かないこと,それは多民族国家であるシンガポールでも同じであること,ブラジルで生まれ育った彼にしても日本に来るまでそんなことを意識しなかったことから,これは,日本の社会のよそ者排除の壁に押し返されたことから顕在化したものという話になりました。もちろん,その他の状況でも,アイデンティティの問題は生じますが,多民族が共存している社会では,アイデンティティで悩むことが少ないのに対して,閉鎖社会である日本では社会への受入れを拒否されることによって,自分は一体何者かということを悩まざるを得なくなるということのようです。
 同じグループ内の仲間内だけと仲良くする「グループ内お友達主義」ではなく,「『群れる』から『個のネットワーク』へ」と変化していく必要を改めて感じたところです。
 ドナルド・キーンが,日本人は日本人だけが特殊でそれは他の人には理解されないと思っていると書いているが,そんなことはないし,そう言ってしまうとそこで終わってしまう,世界基準の中で考えていく必要があるのではという話も出ました。
 そういえば,彼の就学申請をする時に,両親は日本語が書けないにもかかわらず,「お役所」が『保護者が書くことになっているから,代筆では駄目』と頑として聞き入れてくれなかったとか。天動説の日本がここにはあります。
 彼の話の中で印象深かったのは,彼の勤め先で,アルバイトが外国人のお客さんに,普通の日本人向けの決まり文句でしか対応せず,相手が理解できるようなコミュニケーションの努力をしなかったので,コミュニケーションの糸口を作ることの大切さを注意したという話です。(その後は,うまくできるようになったとか。)日本人の「外国人」とのコミュニケーション経験の不足と気配りの不足,会話(コミュニケーション)のきっかけを作り出すための努力の大切さの話になりました。
 入管への帰化の申請書について,中国人の場合は漢字(日本漢字?)でいいのに,他の外国人の場合は,漢字ではだめでカタカナでなければならないとの理由で多数の書類を書き直させられたとの話。しかも,それは,訂正印でも可能なのに,「東京!」に送るのに見栄えが悪いからとの理由だったとのこと。(まあ,少しでも通りやすくしてやろうとの親切心からだったのかとは思いますが・・・。)
 今時の若者に見習わせたいような,すがすがしくしっかりとした好青年である彼のお話に,充実した時間を過ごさせていただきました。
 金曜日の仕事の後に職場の旅行で行った下関から,一人朝5時過ぎ起きで鎌倉に行き,計5時間もの,精神障害のある人の住居確保の研究会に参加しました。金沢,高知,三鷹,川崎など各地からの実践報告を聞きながら,世の中,こんなにも真剣にいい仕事に取り組んでいる人たちもいるのに・・・・・・・と考えてしまいました。「立派な」建築家の設計による,格好はいいものの使いにくそうな福祉ハウスも印象的でした。普通に地味に原点を大切にしていくことの大切さを,改めて感じたところです。

 2007年11月3日
 ここのところ,毎週毎週,破綻すれすれでなんとかかんとかしのいでいるのが不思議なような,スリルある日々が続いています。もっぱら本業がらみの話で,新たな取り組みが多いので仕方ないことではありますし,チームのメンバーが頑張ってくれているからなんとか前に向かっているので私としてはひたすら感謝なのですが,それでも金曜日までたどり着くとほっとします。シンガポール時代に教えてもらった言葉の一つに,TGIF!というのがあります。"Thank God It's Friday!"の略で,まあ,「やったぜ,今日は金曜日だ!」というような感じでしょうか。当時は土日も含めて緊張の連続でしたのでさほどには感じませんでしたが,最近はちょっと実感があります。
 とはいえ,今週も含めて,土日は修士論文やその他の個人的な活動で埋まってしまうので,どたばた過ごしていることに変わりはありません。
 修士論文を書き進めていくうちに,自分にはいったい何ができてこれから何をしたいのだろうかと考えてしまいます。できるだけ長く,手応えの感じられる仕事をしていきたいものです。

 2007年10月27日
 いつも真剣に目の前のことに取り組んでいた友人がしばらく落ち込んでいて,少し回復したので会ってきました。普段,目の前のことに忙殺されその処理と対応に一生懸命になっていると,人の悩みに鈍感になってしまいます。
 忙しければ忙しいほど,何か忘れていないかと問い直すことの大切さを思い起こさねばと感じます。それが,ある日突然ポキンと折れることを防いでくれるのかもしれません。人には大きなエネルギーがあるのに,それを生かせずに折れてしまうことがあります。
 学生時代に山に登っていて,みんな限界状況で歩いている中で,誰かがバテたと根をあげると,それまでもう限界だと思っていた(私を含めて)他のメンバーが一気に元気を取り戻して,「大丈夫か?ゆっくり休めよ。」と手のひらを返したように変わるのを経験して,人の限界ってなんだろうと考える中で,メインタンクと出口のタンクの話を思いつきました。
 人には,メインのタンクと出口のタンクがあり,日頃の活動は,エネルギーをメインタンクから出口タンクに移して使っている。この出口のタンクが一時的に空になってしまうと,もう限界だと思ってしまう。実際には,メインタンクから出口タンクへの補給がとどこおらないように,肩の力を抜いて努力をしていくことが大切だ,という話です。
 一生懸命になるのは,目の前の目標に対してではなく,自分の肩の力を抜いて自然体で力を出すことに対してであるべきで,出口のタンクを空にしないことだと思います。
 いずれにしても,どんなに努力しても,多くのことは思うようにはならないものですし,うまくいかないのが普通なので,一喜一憂せずに,やめずに続けるしかないのだと思います。やめなければ,それまでの失敗や挫折の数々は「経験や財産」ですが,やめてしまえば「失敗の山」に終わってしまいます。
 先週末には,精神障害のある人の住居確保の研究会で,税理士や宅建などの資格を持っている方との勉強会をしていました。議論を進めていく中で,自分の思い込みや思い違いが明らかになっていくのを面白く感じていました。知らないことを知り理解し受け入れていくことは,ひとつの力ですし訓練でもあると感じます。このような,異分野の職業の者同士の議論が大切になっている時代だと感じます。

 2007年10月21日
 相変わらず,その日暮らしのドタバタの日々です。今月から大学の後期が始まって,忘れていた学生気分も取り戻し,宿題のレポート作成などに追われたり,提出期限が見えてきたにもかかわらず,まとまりのない修論の先行きを案じたり(案じたからといってどうなるものでもありませんが),それなりに忙しく充実した日々を過ごしています。
 今日は尾道の老親を連れて,広島県中央部の世羅大地にドライブに。工夫と努力の成果で,多くの観光客の人気を集めている姿には,これからの地域の希望がこもっています。
 そういえば,来年のスケジュール帳を買いました。今年4月に,初めて「年度」単位のスケジュール帳を買ったのですが,長く使っていた以前のスケジュール帳が使い勝手が良いので,結局また歴年単位のものに戻ることにしました。歴年単位の方が種類も多く選べるというのは,年度単位での仕事が多くても,依然として「新年」での気分一新を大切にする人が多いということでしょうか。生活の実態面では,元旦から営業するお店も増えて,昔のように静まり返ったまちの姿に新たな年の始まりを感じるというようなことはなくなりましたが,意識の中では,やはり区切りなのでしょうね。

 2007年10月13日
 木曜日の夕刻から休暇を取って三次市に行き,夜,友人たちと楽しいお酒を飲んで泊まって,翌金曜日も一日休暇を取って,午前中は「三次まちづくり大学」で2時間まちづくりを語り,午後は「地域リーダー養成講座」で2時間半講師を務めてきました。役に立つお話ができたかどうかははなはだ心もとないのですが,楽しい時間を過ごさせていただきました。いつもながらJR芸備線で往復したのですが,快速だったのでいつもの風情がなかったような・・・。今度から鈍行にしよっと。
 参加者の方々の意見を聞かせていただきながら,どうしたらそれぞれの土地でそれぞれの人たちが自信とプライドを持って,充実した生活を送ることができるのかと考えてしまいました。都会で暮らしたい人ももちろんいるでしょうけど,地域で暮らしたい人もいる訳で,それぞれの思いに応じた暮らしができる社会をめざしたいものだと思います。
 なんといっても,誰もが都会で暮らす社会というのが健全な社会だとは思えません。
 とはいえ,仕事がなければ仕方がないので,地域の持続のための仕組みづくりの大切さを感じています。

 2007年10月8日
 折角の3連休でしたが,相変わらず修論に終われ,先週から始まった大学の授業のレポート作成や,今週金曜日に県内の三次市で午前午後とダブルでやる地域づくり関係の二つの講演の準備,それに本業の仕事関係と,ドタバタしているうちに終わってしまいました。
 とはいえ,昨日は,瀬戸内海汽船の「せとうちおさんぽクルーズ」で朝8時から夕刻5時まで瀬戸内の島巡りを連れ合いと楽しんできました。下蒲刈島,大崎上島のほか大崎下島の御手洗港へ上陸するというコースで,秋の一日を楽しみました。下蒲刈島は橋が架かっていて車では行ったことがあるのですが,海から上陸すると港町の景色もまた違って見えるのが新鮮でした。
 このところずっと余裕のない時間を過ごしているので,連れ合いのご機嫌取りのつもりだったのですが,いい時間を過ごすことができました。こんな贅沢な時間を手軽に過ごすことができるのも地方に住んでいるからこそであり,そんな生活にもっと自信とプライドが持てる社会づくりが大切だと感じたところです。それぞれの土地に住み,それぞれの生活と人生が楽しめるのが本当だと思います。
 ワーク・ライフ・バランスという言葉がはやっていますが,自分の心の中のバランスが大切なのだと再認識したところです。
 そういえば,本日の中国新聞朝刊に,広島シンガポール協会の関係の記事が掲載されました。ご興味をお持ちいただける方はこちらをご覧ください。

 2007年10月2日
 先週末の土曜日は,小児救急電話相談の研究会のため新幹線で東京日帰りをし,日曜日は,来週末の三次での2つの講師役の準備に,庭仕事,尾道の老親のご機嫌伺いなどやっているうちに,あっという間に終わってしまいました。
 東京での研究会は,いつもながら皆さんの切れの良い無駄のない議論に感心することしきりでした。地方でも,このような緊張感ある議論の場を作っていくことの大切さを感じます。
 昨日から大学院の後期が始まり,学生生活に戻りました。2か月の「夏休み」のはずだったのですが,良くしたもので大学に行かなくてよくなった途端に,本業の方で残業しなければならない状況が続いて,ちっとも休んだ感覚がないうちに新学期です。無事修了めざして頑張らねば・・・。
 本日は,本業の方で,炭素系複合材料の専門家をお招きしての内輪の勉強会をしました。仕事の話は置いとくにして,この講師の方が,難しい素材に対して,意欲と好奇心,そして信念を持って長年この素材の活用に向けて真摯に粘り強く取り組んでこられた蓄積の迫力が感じられる話しぶりに,さわやかな迫力を感じ,聞き手までちょっといい感じにさせていただきました。民間企業におられた,現場の実践の中で生きてこられたと同時に,企業の枠を越えたグローバルな視点で行動されてきたことのバランス感覚は,これからの時代にもとても大切なことだと感じた次第です。日本は,そして地方は,どのようにしたらこのような魅力的で迫力のある頼りになる人材を生み出し続けることができるのでしょうか?

 2007年9月23日
 今夜は,今年初めて行われた地元廿日市の花火大会に行ってきました。宮島の花火は交通手段が混むためもっぱら自宅の屋根の上で見ているので,久しぶりに間近で見る花火でした。屋根の上からの宮島の花火も少し遠いもののよく見えるのですが,やはり臨場感が違います。
 やはり「現場」でなければ・・・。
 折角の2週連続の3連休なのに,ひたすら部屋に閉じこもって,修論や小児救急電話相談,10月12日に三次市で2つ頼まれている講演の準備などをしているので,連れ合いへのせめてものサービスでした。三次の話は,午前中に「みよし まちづくり大学」で2時間,午後は「地域リーダー養成講座」で2時間のダブルヘッダーです。以前に頼まれて気楽に引き受けてしまったのですが,受講者募集案内に,前者は「50年,100年後の理想のまちの姿や地域の夢の実現に向け,三次のまちづくり・地域づくりについて考えます。」と,後者は「50年,100年後の理想のまちの姿や地域の夢を見据え,社会の変化と各地の動向などを聞きながら,三次のまちづくり・地域づくりについて考える。」と書かれているのを知り,期待はずれにならないようにと責任を感じているところです。
 いつも引き受けてしまってから悩むのですが,引き受ける前に悩むと引き受けられなくなるので,まぁ仕方ないかと訳もなく自分で納得しています。明日は修論頑張らねば。

 2007年9月20日
 県議会の9月定例会が始まったこともあり,相変わらずなんとも緊張感ある日々を過ごしています。とはいえ,昨夜は,アジアの会(We Are Asians)の,季節はずれの納涼会で盛り上がっていましたが。
 数日前に,シンガポール国立大学日本研究学科から,来年4月から広島県三原市にある三原国際外語学院での1年間の日本語留学生を決めたとの連絡をいただきました。この制度自体は,本年度から始めたものですが,継続的な発展を考えて,シンガポール国立大学の日本研究学科(日本語学科ではなく,日本の経済・文化・社会・政治などの研究をしている)との提携を持ちかけていたものです。
 ここ3年ほどシンガポールに帰る機会がなかったため,すべて電子メールによる協議でしたが,これまでの信用を元に,最終的にHonor's Courseと呼ばれる,成績上位5%の学生だけが進学できる「4年生(シンガポールの文系学部は通常3年で卒業)」の学生が,卒業を1年延ばしてまで,来年1年間三原市に留学することになりました。
 実績と信用を大切にするシンガポールとの付き合いの醍醐味を感じさせるニュースでした。
 先月シンガポールを訪問した広島シンガポール協会の訪問団は,(会員から一般公募したメンバーでしたが)全員がシンガポール外務省の事務方のナンバー3がホスト役になってのランチレセプションに招待され,8月9日のシンガポールの独立記念式典では,シンガポールの大統領や首相以下の全閣僚が座る席のすぐ後ろの席に招待されたとか。広島シンガポール協会の会長は,シンガポール政府のジョージ・ヨー外務大臣に45分間も会っていただいて,これまでの学生交流の取り組みについてお褒めいただいたとのこと。日本の二国間交流団体としては初めての外務大臣との面会だとか。ビジョンを高く掲げ,その確実な実行に徹底的にこだわるシンガポールならではの,破格の対応だったと思います。
 前例主義や横並び主義とは無縁のシンガポールの,バイタリティの原点を改めて感じた思いでした。振り返って日本は,これからの厳しいグローバル社会で,どのようなポジションを取っていけるのか,考えてしまいます。スイスのシンクタンクのIMDが毎年公表する世界の国の競争力(企業が競争力を持てる環境)でシンガポールは米国に次いで2位です。これに対して日本は,10数年前までは6年連続1位だったのが,27位まで転落し,一時17位にまで回復したかと思ったら昨年は24位まで落ちています。その主な理由の一つは,変化への対応の鈍さとのことです。緻密な気配りだけでは,ダイナミックに変動していく世界の動きに付いていけないのではと考え込んでしまいます。

 2007年9月17日
 折角の連休だというのに,7月下旬から本業がひたすら忙しかったために準備がすっかり遅れてしまっている修論のために,ずぅーっと部屋に籠りきりです。考えてみれば,私の大学時代は,学園紛争後の反動期で,「騒がずに静かにしてさえいてくれたら卒業させてあげる」という状況でしたので,1年生の授業と3,4年のゼミ以外は,大学で勉強をした記憶がほとんどありません。(第2言語も不要で,卒論も書かずに卒業させていただいたまま,『大学教授』の肩書きをいただいたのがなんとも気恥ずかしく感じていました。)その分,遅ればせながらも今になってバランスを取っているのかと,妙に納得してまじめに取り組んでいます。
 本業でももちろん色んな資料は読まなければいけないですし,個人的にも普段からそれなりには本を読んでいる方だと思いますが,一つの論文のためにひたすら準備をするという経験はありません。最近関わっている「人づくり」の議論の中で,今の時代の人づくりの一つの問題は,嫌なことはやらなくても済んでしまうことだという意見があります。なんとなく説得力があるように感じます。東大の苅谷先生とお話していた時にも,嫌でもやらざるを得ない場面に耐えている中で,身についてくるものもあるという話になりました。(私も含めて)物分りの良すぎる大人や上司が増えすぎているのかもしれません。
 私たちの世代は,職場では,「怒ってもらえなくなったらおしまい」という感覚がありました。それぞれに,上司には恵まれてしっかり怒っていただきましたが,今の自分が同じ責任を果たしているかというと,いささか忸怩たるものがあります。
 「豊かになると,じたばたせず角の立つようなことを言わずに,格好良くスマートに過ごそうとしてしまうことが問題だ。」と,研修会などでは自分で言っているのに,自分自身も同じ方向に流れてしまっています。
 余談ですが,人それぞれに癖があり,私は雨が近くなると(気圧が低下すると?)掃除をしたくなるような傾向があるようです。若いうちは,晴天の中で無性に車を洗いたくなってワックスがけまでしたとたんに雨に降られた経験が何度もあります。最近は,さすがに「学習効果」のおかげでそんなことにはなりませんが,雨の日の今日は,午後からずっと家の中の片づけをしていました。

 2007年9月9日
 昨日と今日と,早朝から昼まで,修論のためになんとか集中力を維持して,昨日午後はクアハウスに,今日の午後は尾道の老両親のご機嫌伺いに行ってきました。やっと,平常ペースの生活に戻った感じです。
 尾道からは,老親をつれて因島をほぼ一周してきました。近くでありながら,三庄や土生といった町はあまり行ったことがなく,因島公園も初めてで,瀬戸の町を楽しんできました。
 昔と違うのは,造船所で働く外国籍らしい人たちの姿が目に付いたことくらいでしょうか。あとは,昔ながらの夕暮れ時の瀬戸の風情を楽しんできました。こんな生活が守れない社会は,根本的なところで何か間違っているのではないかと感じます。
 何度も書きますが,アメリカの大企業で本社が首都(ワシントンDC)にある企業などないのに,日本だけは何故,東京集中なのでしょうか?自分なりの生活を大切にしつつ,脇を締めて世界に通じる緊張感を維持しながら,良い仕事をしていく人たちが地方に増えていくことを期待したいと思います。

 2007年9月8日
 久しぶりに,行事予定のない週末です。8月9月は,大学院の「夏休み」期間中で,本来ならば修士論文の準備をしなければならないのに,本業でのドタバタに加えて,研修等の講師や交流会の運営委員,シンガポールの外務大臣の件など,目の前のことに必死で過ごしているうちに,「夏休み」ももう半分以上終わってしまいました。今朝から,久しぶりに修士論文の準備に取り掛かっています。
 先週の人吉での公務員の組織風土改革交流会では,「変革への思いはあるが、なかなか実践することができない」と悩んでいる人達のための分科会のお世話役を担当しました。分科会の参加者の一人の町の,女性のお茶汲みなど旧態依然とした体質を持った行政組織の話を聴き,最初は,まだそんなところがあるのとか,気の毒だねとか,他のメンバーは,少し自分が優位な立場から「同情」していたところがありましたが,話し込んでいくうちに,旧態依然とした体質の保持が何をもたらしているか ⇒行政の質の低さとして現れているのではないか ⇒変革のできない体質が行政のレベルを低いままにしているはずなので,ベンチマーキングをしてそういった問題を表面化させる工夫をしていったらいいのではないか ⇒行政のレベルを問うとすれば,旧態依然とした職場体質の話だけではなく,自分たち自身についても,横並びで現状に満足せず変革への継続的な取り組みを十分しているのかという自省も必要なのではないか,というように,「他人の話」から「自分自身の話」へと気付きが生まれました。
 このほか,雨が降った日は役所の廊下が濡れて滑りやすくなって,来所されるおばあちゃんが難儀をしていることに,問題を感じる人と感じない人がいる。そういった問題に「気付く力」が大切。そのためには,仕事への取り組みにおける目線の高さ,めざすもの,使命感,思いやりが大切,といった話も印象的でした。助走のないジャンプはない,環境の悪さを愚痴りながらへたり込んでしまっているということのないように,頑張らねばという話になりました。

 2007年9月2日
 公務員の組織風土改革世話人交流会で熊本県人吉に行ってきました。一定の思いを持った人たちが,緊張感のある時間と場を共有することにより,自分一人では生み出せない気付きを生み出すことができるという,交流会の価値を再認識しました。日々,目先の問題に振り回されている中で,同じ思いの下に,静かに考え静かに語り静かに聞くという対話を積み重ねるという場は,新鮮でした。あきらめないこと,見えないものできないことに気づく力,危機感の大切さ,緩んだ組織の仕事の質の差を見えるようにすること,思いを共有し語り合うことの大切さは民間の人との協働の場にも通ずること,困った時の原点に戻っての問い直し,目線を高く置くことなど,短い時間の中でいろんな思いを得ました。

 2007年8月26日
 先週金曜日に,香川県の自治研修所に呼んでいただいて3時間の研修(+希望者に1時間余のおまけ研修)の講師をしてきました。何で他県の職員を頼むかなど担当の方は説明に苦慮されたようなので,責任を感じていたのですが,なんとか無事楽しくすみました。どこにも,熱意を持って取り組んでいる人たちがおられるのものだと改めて感じたところです。夜の懇親会も含めると7時間近くしゃべっていたので,翌日は声がかれていました。
 土曜日は高松空港から東京に飛んで,小児救急電話相談の検討会に。各界から多忙な方々が集まっての検討会は緊張感のある時間でした。明後日は広島県健康福祉大学校の講師,金曜日の夜から日曜まで熊本県人吉市で組織風土改革交流会の合宿と,本業以外の行事が続きます。いい加減に減らさないといけないとは思いつつ,あれこれある方が集中できる面もあり,難しいところです。

 2007年8月19日
 昨日は,知人の紹介で,広島をベースに世界7大陸の最高峰登頂をめざしている若者吉田太一さんのチベット遠征報告会に行ってきました。登山を始めたのが26歳で,それから,組織に属することなく単独で計画し実行していること,登頂だけを目的とするのではなく,シェルパを雇ってルート工作をしてもらうのではなく自分自身で上ろうとしていること,これまで世界の多くの山々に挑んできながら,一番好きな山は?と聞かれて(広島の)白木山と真顔で答えるところ,そして山行きの過程で克明に書き込まれたイラスト旅日記の素晴らしさなど,新しいタイプの若者が出てきていると,とても頼もしく感じました。
 今回の報告会は,『ため息を深呼吸に変える』という味のあるキャッチフレーズで,広島ベースで世界の秘境ツアーやトレッキングなどの会である「深呼吸クラブ」を主催されている清水正弘さんのご紹介でした。清水さんの活動自身も,極めてユニークです。学生時代に,チベットのダライラマが京都に来られたのを知りホテルに押しかけて面会を実現して以来,ネパールでの1年余りの生活も含めて,多様な国の山と生活に触れてこられています。その活動状況は,深呼吸クラブのホームページでご覧いただけます。「旅の写真館」もあり,楽しめます。また,清水さんのブログには,吉田太一さんのチベット登山紀行が連載されています。登頂が成功したかどうかだけを追い求め,それを最優先の価値基準とする考え方に対して,個人としてめざすものを維持しながら,その制約と限界を受け入れつつ,しかも前進を続けていくという行動様式が,とても新鮮に感じられました。

 2007年8月12日
 久しぶりに中国山地の列車の旅を楽しみました。古い昔から人々が住んできた中国山地の神話の世界を,営々と築き上げてこられた山村の集落の姿を眺めながらゆったりとした時間を過ごしていると,このような形の生活の姿を選ぶことのできる社会の価値を考えていかなければと感じます。
 もちろん,大都会での生活を選ぶことも自由です。ただし,そこには,単一の価値観ではない,社会の姿も必要ではないかとも考えるのです。
 世界の色々な国々を訪れてみても,子どもたちが大都会で暮らしたがるという話はどこでも聞きます。でも,そんな中でも,自分たちの地域に愛着と誇りを持って,自分の生活を楽しもうと地域づくりに取り組んでいる人たちもいます。それぞれの町々村々から,なんとはなくおしゃれな自己主張を感じることがあります。
 人の生き方に,一つだけの価値観があるのではないからこそ,それぞれの生活をそれぞれに楽しめるのだと感じさせられます。
 日本が単一の価値観に染まってしまって,それが大都市中心の価値観であったら,成熟した文明の崩壊が本当に始まってしまうのではないかと,危惧せざるを得ません。

 2007年8月6日
 休暇を取り,終日,部屋に籠って修士論文に悪戦苦闘していました。62年前,思いを残して逝かれた人々に胸を張って誇れるものもなく,今の恵まれた時間をいささかなりとも意味のあるものにしようとの願いはありながら,歯車は噛み合っていないまま。

 2007年8月4日
 大学で学割証をもらって学割の切符を買いました。知り合いからは,学割には年齢制限はないのか?とからかわれながら。
 実際に学割切符を手にしてみると,少しだけ若返ったような気がします。笑ってしまったのは,学割証の体裁も紙質もまったく40年前と変わっていなかったことです。この変化の時代にあって,こんなに長い間変わっていなかったものがあったとのかという,新鮮な驚きと懐かしさが湧いてきました。37年前,高二の夏休みの信州への修学旅行の帰路,京都で一人だけ下ろしてもらい,「学割」で京都発〜岐阜〜富山〜能登半島一周〜金沢〜敦賀〜小浜線〜舞鶴線〜鳥取〜萩〜下関〜尾道着の一筆書きの乗車券を買って,駅のベンチで寝袋をひろげて寝ながら一人で1週間ほど旅行したことがあります。今回も山陰から中国山地を回る一筆書きの乗車券なので,余計に昔のことを思い出しました。京都駅で,学割証を差し出して,初めての寝袋を持っての一人旅にドキドキしながら切符を買ったことが,鮮明に蘇ってきました。ほかは全部すっかり変わっているのに,この小さなセピア色の学割証だけがまったく昔のままで,なんとも不思議な感じです。
 高二の貧乏旅行は,高校の社会の授業で,「糸魚川の手前の親不知あたりは断崖沿いに北陸本線が走っている。」との先生の説明に,「危険を避けるために,最近,トンネル化の工事が完成したはず。」と発言したところ,そんなことはないと頭ごなしに否定されて,それなら実際に現場に行って確認してやる!と思ったという,たわいもないきっかけでした。このあたりの性格はあまり変わってないような気がします。糸魚川までは一筆書きにならないので,富山から別に乗車券を買っていき,帰りは崖沿いを走る道路からの景色見たさに,糸魚川の街中でヒッチハイクをして,富山まで帰りました。富山の駅まで帰った頃には日が暮れかけてたものの,駅のベンチに寝袋をひろげる勇気が出ず,駅前で当分逡巡していました。よほど,安い宿を探そうかとも思いましたが,夏休み中に午前中はクラブ活動をして午後だけの酒屋の配達のバイトで稼いだ所持金はわずかであり,結局勇気を出してベンチで寝ました。その後この手の旅行が一時はやりましたが,当時は,大学生がたまにそんな旅行をしているくらいで,他に仲間もなく,心細い思いをしたことを思い出します。その後は,能登半島の小さな駅の駅長室に寝かせてもらったり,金沢の駅前の芝生で寝たり,鳥取駅ではタクシー乗り場の前しかなくて早朝から起こされて寝ぼけて間違った列車に乗ってしまったり,萩では台風で駅舎の中まで雨が降り込む中で床に寝たりなど,最後の下関駅まで6泊の旅でした。
 学んだことはいろいろありましたが,一番大きかったのは,いくら自分で「旅」だといきがってみても,所詮は通過人でしかないという思いです。一次的な「非日常」の世界に浸るだけでは何も変わらず,(それを否定するというのではなく)自分の「日常」を変えていかなければいけないと感じたのです。大学時代は,少しでも生活の中に入りたいと,長野の雪深い山村の17軒しかない集落で毎冬1か月程度住み込んで手伝いをしていましたが,それでも所詮よそ者でしかありません。高二の小旅行は,自分自身の生活を自分はどうしていくのか,を考え出すきっかけとなった旅行だったと思います。ひょんなことから,37年間の時空を越えてしまいました。

 2007年8月1日
 今日は休暇を取って,自宅で雑多なやるべきことに取り組んでいます。シンガポール政府の外務大臣が広島シンガポール協会の会長に会ってくれるというので,半信半疑で先週からあたふたと作成していた「広島シンガポール協会活動記録」がなんとか完成しましたので,「駄文抄」のコーナーにアップしました。まず英語版を作成しましたが,ついでに日本語版も作ってみました。ご興味がおありでしたらどうぞ。
 今日から2か月夏休み!です・・・。といっても,大学院の授業に出なくていいというだけの意味しかありませんが。

 2007年7月28日
 今日は,朝一番の飛行機で上京し,最終便で帰広して,先ほど午後10時に帰宅したところです。個人的に関わっている小児救急医療電話相談の新たなシステムの検討会でした。各分野の関係者が参加しての議論はなかなかに刺激的で,その切れの良さに感銘します。
 今週は,ただでさえ本業や学生生活でドタバタしているところに,これまた個人的に関わっている広島シンガポール協会が来週出すシンガポール訪問団について,2年前の派遣時に続いて今回も,シンガポール政府外務省が,20人の訪問団全員を外務省に招待してくれて事務方のトップクラスがホストになってランチレセプションに招待してくれるという話とともに,この訪問団の団長として行く広島シンガポール協会の会長に外務大臣が30分間会ってくれるというニュースが舞い込んできて,その対応に追われてました。日本の二国間交流団体のトップに外務大臣が直接会うのはこれが初めてとのことで,来週土曜日の出発を控えて,持参する資料の作成に追われています。
 この招待の理由は,ここ16年で695人のシンガポールの大学生などが基本的には自費で,1か月程度の企業体験研修と1週間程度のホームステイプログラムで広島を訪問する事業を続けてきたことだと思っています。16年前に初めてシンガポールを訪問し,シンガポール広島事務所の初代所長としての活動を開始した際に痛感したのは,国際的な多様性許容力を備えた思考力の重要性でした。思い込み,決め付けではなく,目の前の事実を素直に受けとめて理解する力の大切さです。それが,経済交流事務所の初代所長でありながら,大学生を中心とした学生交流を私が始めたきっかけでした。シンガポールとの学生交流を通じて,広島の未来を担う若者の発想にいささかなりとも,グローバルな感性が広がればと思ったのです。このような活動は続かなければ意味がないので,最初から「汗はかくけど金は出さない」を基本ポリシーとしてやってきました。最初はシンガポールの国立高専との交流から始めた交流の実績を元に,シンガポール最高学府であるシンガポール国立大学との交流に拡大しています。シンガポールの学生たちは自分のお金で広島にやってきます。とはいえ,ホームステイプログラムでは,ホームステイ先と集合場所との間の交通費にでこぼこがあるのはアンフェアだからと,学生一人当たり(わずか)千円の支援をして,20人のグループの中での交通費の不均衡を是正する原資に使ってもらうなどの配慮はしています。
 このような地道な取り組みに,外務大臣の面会という形で応じてくれるのがいかにもシンガポールです。体裁ではなく実質で応えてくれるシンガポールの,成長の背景にある意思を感じたところです。
 シンガポールとの交流は,16年にわたる広島での企業体験研修やホームステイプログラムのほか,12年目となる三原市の中学生交流,一昨年に試行をして今年から本格実施を始めた三原国際外語学院での1年間の日本語留学奨学金制度と発展しています。「できる無理を少しずつ」積み重ねてきた成果です。理念と本質を大切にした地道な取り組みの大切さと,それを見る目の力を感じたところです。

 2007年7月22日
 相変わらず公私ともどたばたした生活に追われています。本業の方は,ちゃんとできて当たり前なのですが,これがなかなか難しいものです。今は,一部,事業系の仕事もありますが主には(当然ながら)企画系の仕事が多く,自己満足ではなく成果につながる企画を立て計画をまとめていくというのは簡単なことではないと痛感しています。
 現場の感覚から離れた計画をまとめても絵に描いた餅ですし,今ある情報を手堅くまとめたとしても優等生の作文に終わってしまいます。特に,今のように,道州制など国・地方の行政制度改革の議論がこれまで考えられなかったくらいに急速に進み,東京一極集中が量から質に進む中で地方都市の魅力の維持が問われ,地方交付税制度の見直しなどもあり中山間地域の疲弊が保育・教育,保健・医療・福祉,生活交通,雇用などの様々な局面で極めて厳しい段階に至っている中で,地方行政として何をめざしてどのように限られた資源を集中的に活用していくべきかをきちんと考えていかなければと感じてます。そのためには,地方自治制度を初めとする多様な社会制度への相当の知識・経験や,国を初めとする最近の動きについての情報,そして人の社会についての歴史の流れも含めた洞察と先見的な視野などが求められています。大いに力不足を感じるところであるものの,少しでも責任を果たすべく努力をしなければと思っているところです。とはいえ,方向性の議論もさることながら,現場発の継続的な問題解決取り組み力が大切であり,その応援の環境づくりが最も大切なのだと感じています。
 県立広島大学の修士課程は1年コースなので,来週は2回目の修士論文の研究計画の発表会があります。各教員の前で全員がそれぞれの研究計画を発表するというものです。前回は初めてでもあり,どたばたと終わってしまったので,今回はもう少しちゃんとやらねばと思っているところです。 平日夜に4日+土曜日の大学通いというハードスケジュールも今月で終わるので少し楽になるのではと期待していますが,8月も,本業の行事が多い上に,香川県や広島県の研修センターの研修講師や,広島県の老人大学の研修講師なども引き受けており,これに修士論文の準備も考えれば,暑い夏に変わりはなさそうです。
 今日は両親の米寿の祝いの会を予定しています。もしも仮に同じ歳まで生きるとするとあと35年!,どのようにしてその時間を生かしていくのかと考えても,思考が宙をさまよってしまいます。

 2007年7月16日
 先週木曜から休暇を取り,東京のリスーピア(お台場にある松下電器の理数教育施設)を見学した後,地域社会振興財団(自治医大)主催の「健康福祉プランナー養成塾」の講師で日光まで行っており,台風の中,かろうじて土曜日の夕刻に広島に帰ってからずっと修士論文の準備をしていました。慣れないことをすると前に進まないことに疲れます。でもまあ,「慣れたこと・できること」だけをするよりいいかと,自分で慰めながら,こつこつぼつぼつやってます。
 「養成塾」では,全国各地の市町村等で意欲を持って取り組んでおられる参加者の方々とお話しすることができ,色んな可能性を感じたところです。私の前の講師は,地方財政審議会の木村委員でしたが,三位一体改革における生活保護費の攻防の中で,全国知事会と市長会の取り組みとして,県と市からのメンバーと一緒に新たな生活保護の仕組みの報告書をまとめられた話などをお聞きして,地方からの政策提案力向上の大切さを考えさせられました。
 「養成塾」は,地域の保健・医療・福祉の連携のコーディネーター役を担う職員の養成をめざして9年前にスタートしたもので,私は毎回で参加しています。修士論文の仮のテーマである「健康福祉分野における社会サービス・イノベーションに関する研究 〜コーディネート機能を担う人材育成について〜 (仮称)」に近いのですが,具体的な成果を生み出す仕組みにまで発展させていくのは,簡単ではありません。
 「連携」が生み出すもの,「連携」の意義について,説得力ある説明が必要だと感じています。
 なお,今回の受講者のうち4人が医師でしたが,そのうちのお一人が,広島大学医学部で長年地道に毒物・中毒等の化学分析専門家の情報ネットワークづくりをしておられる(私が尊敬している)先生をご存知で,そのような個人の信用を基にしたネットワークづくりの取り組みの大切さの話で盛り上がりました。スタンドプレーではなく,自分が必要だと思うことのために長年にわたって取り組み続けることの大切さと価値を再認識したものです。見る人は見ているものです。

 2007年7月7日
 曇り空の七夕です。
 週5日の登校と課題レポートに,本業の方も2日の月曜日に4月以降かかりきりになっていた事業系の仕事が一山越してほっとする間もなく,それまで棚上げにしていた計画系の仕事の山の掘り崩しで,ドタバタしてます。
 そんな中でも,1日の日曜日には福祉関係の方々と,木曜日には経済団体の方と,金曜日は地域の産業起こしの支援を地域密着型でやっておられる方と,そして今日は大学の授業の後で医療関係の方と,それぞれ本業以外のミーティングをする機会に恵まれて,目の前の雑多さ故に,なんとなく忙しさがまぎれてしまうという,相変わらず不思議な生活を送っています。どうも一定の処理能力を超えてしまうと,目の前の変化に対応するだけで手一杯で忙しさを感じる余裕がなくなるようです。
 そんなドタバタを楽しくさせてくれるのは,それぞれ多様な分野で,真剣に手を抜かずに頑張っておられる方々のお話を聞かせていただけるという幸せ感です。困った時の原点帰りと言いますが,自分の原点を大切にして日々の活動をしている方々には,背筋の伸びた地に足がついた安心感があります。みなさんそれぞれにめざすものに向かって背伸びをして無理をして過ごしておられるのですが,自分を無理やり取り繕っていない自然体の印象があります。
 いつもいつもうまくいくものではなく,むしろうまくいかないことがほとんどの中で,それでも一生懸命に肩の力を抜いて,止めずに頑張ろうとしておられる方々の姿に触れることは,なんともいえない幸せ感を感じさせてもらえます。昨日は,シンガポール人の友人から久しぶりにメールが来て,その温かい言葉にほんわかしているところです。

 2007年6月30日
 今日(土)も午後1時から10時前まで大学で講義を受けていて,先ほど帰ってきたところです。
 昨夜は,大学で院生と教員の懇親会があり,普段,なかなか雑談する機会のない学生仲間(といっても,私以外は20代30代ですが。)と話をする機会がありました。同じ専攻では,約半数が留学生で,ベトナムから1人であとは中国からの留学生で,性別はほぼ半々です。自分の国で大学を卒業してから大学院に留学してきている人も多く,アルバイトをしながらの努力には頭が下がります。
 ひかれたレールの延長線上ではなく,先の見えない中で,「将来の不確かさ」の不安に耐えながら努力を続けている彼らに共感します。
 この世に「安定」などないはずなのに「今」に安住している生き方をしている人達が,故国を離れて努力している彼らの姿に接することで,少しでも変化のきっかけをつかめるのではないかと,思ってしまいます。昨日と同じ今日,今日と同じ明日を「選択」するのではない生き方をしている人たちが,国内外にいます。
 今年も今日で半分が過ぎました。いろいろありますが,まあ日々懸命になれることがあることに感謝です。明日の日曜日は,県内のある福祉関係者の方などと勉強会です。

 2007年6月24日
 先週から平日夜に4日と土曜日の週5日の大学通いのハードスケジュールが始まりました。議会も始まり,本業での国土形成計画がらみの調査研究事業や各種会議に,人づくりビジョン関連も本格化し,もうなんともいえない状況です。大学院は1年コースなので,もう修士論文の準備をどんどん進めなければならない時期なのですが,慣れないことゆえ勝手が分からず無駄に時間を消耗している状況です。まあ,初めてのことってこんなものですね。
 土曜日は,大学でマーケティングの授業に出ました。この授業は,いろんなテレビ番組やCMのビデオを見て意見交換をするという,比較的入りやすい授業です。昨日は,イトーヨーカ堂の生き残り戦略などについてだったのですが,同社会長兼CEOの鈴木敏文氏のお話になるほどと思わされるところが多々ありました。
 曰く,「渦の中にいるとおかしいことから脱却できない。具体的な事実から考えることが必要。」「坂道から転がり落ちているものを止めるのは大変。すべて作り直さねば。」「過去を否定できるか。本当の豊かさを提案できる小売業に。」などなど。そういえば今週の日経ビジネスには,西武百貨店とそごうを立て直した和田繁明氏のインタビューが掲載されていました。曰く「百貨店は王者ではなくなった。驕る気持ちが抜けきれずに改革が遅れてしまった。」「臭いものに蓋をして,知らぬ存ぜぬの社風では再生できない。生産性に結び付いた行動でなければ,真の『合理化』とは言えない。逃げない,ごまかさない,あきらめない。この気持ちと姿勢が肝要だ。」などなど。
 どちらも,ものづくりにおける厳しい合理化努力から無風でいてしまったサービス業が,今,問い詰められている課題へ必死で向き合おうとした中から生まれた言葉だと思います。行政も社会サービスというサービス業であることからすれば,このような言葉と無縁ではありえません。
 普段の生活の中では向き合うことのないものに向き合う機会が得られるという点では,学生生活という「非日常」の世界も悪くないと,感じているところです。

 2007年6月23日
 本のご紹介です。
 柴田昌治さんの『なぜ会社は変われないのか』を読んだのをきっかけに,7年前から参加している「公務員の組織風土改革世話人交流会」のコーチ役をしていただいているスコラコンサルトの元吉さんが,『どうすれば役所は変われるのか―スコラ式風土改革』を6月25日に日本経済新聞出版社から出版されます。(1,890円)
 元吉さんは,三重県の北川知事時代に,やらされ感のある改革から一人ひとりの自主的な取り組みへと変えていくために始められた,気楽で真面目な議論のできる組織風土改革を現場で支援してこられた方で,その他にも多くの企業や自治体での豊富な現場経験を持っておられるので,とても有意義な本になっていると思います。前・三重県知事の北川正恭早大教授と伊藤忠会長の丹羽宇一郎さんからの推薦の言葉を本の帯にいただいているとのことで,その評価の高さが伺われます。
 阪神淡路大震災で被災された際に,行政の役割の大切さを痛感されて,以来,感性とフットワークの良い行政のための組織風土改革の支援に取り組んでこられた現場の智慧が詰まっていると思います。
 ご興味のある方はぜひ読んでみてください。

 2007年6月17日
 金曜日の午後から休暇を取り新幹線に乗って(途中,新横浜駅での飛び込み事故の影響で三島駅で1時間足止めされつつ)6時過ぎに東京に着き,6時半から9時近くまで東京駅近くの地下の会議室で国立精神保健研究所関係の研究会に出た後,東京駅近くのホテルで泊まって,土曜日の朝7時台の新幹線で広島に戻り,午後1時から9時半まで大学院の授業に出てました。
 ばかな話ですが,大学院に入学するまで,週に何日,何時間くらい授業に出なければいけないかも知りませんでした。というか,調べなかったというのが正直なところです。年間で100万円近くもポケットマネー(ポケットにはそんなに入っていませんが,以前の講師料などの貯金をはたいて)を投じる割にはいい加減だったと思いますが,物事,あまり調べすぎても仕方がないという思いがあったのも事実です。事前に調べすぎると,とてもできそうにないと思ってしまうもので,むしろ,一定の可能性があるのならば,飛び込んでみてから悩めばいいというのがこれまでの経験です。今回もまあそうだったかと思っています。
 県立広島大学の経営情報学専攻の大学院は,一回に2コマ連続で授業をするために,通常の大学のように前期・後期ではなく,前期前半・前期後半,後期前半・後期後半の4つに学期が分かれています。先週から始まった「前期後半」が一番の山で,なんと,平日夜に4日と土曜日の週5日大学に行く必要があります。平日の夜は,午後6時20分からの2コマ終了が夜9時半ですので,それから1時間ほどかけて帰宅することになります。
 どうなることやらと思いますが,まあ,悩んでいても仕方ないので,ぼつぼつやっていこうと思っています。
 先週水曜日には,アジアの会を開きました。今回は,この5月まで3年近くベトナムの大学で日本語を教えておられた方をゲストスピーカーにお招きしました。私自身は,ベトナムには13年前に2度ほど訪問しただけですが,この間の変貌振りに驚きました。13年前のベトナムのハノイには(ホーチミンは違いましたが)外国人向けのホテルがほとんどなく,私が泊まった「外国人向け」のホテルでも,お風呂の蛇口をひねると茶色い水が出る状態でしたが,今では高級ホテルが立ち並んでいます。
 当時は,自転車の前に座席があるシクロという自転車タクシーが唯一の公共交通手段でした。シンガポール日本商工会議所の訪問団から一人離れてベトナム商工会議所を訪問し技術研修生受け入れの協議をしていた私は,ホテルへの帰路の手段がなくて,通りかかったシクロの運転手さんと身振り手振りで交渉してやっと乗せてもらったのはいいけど,ドルでは駄目だといわれて,ホテルまで運んでもらった後にホテルのキャッシャーで両替して(ベトナム)ドンで支払いをしたのが印象的でしたが,今ではシクロも観光用しか残っていなくて,しかもドルでの支払いを要求されるとのことで,13年という年月は,一昔ではなく二昔以上だと感じたところです。外国人の存在や米ドルになど縁のなかった人々の生活に,大きな変化が起きています。
 このほか,日本とベトナムがほぼ同じ時期に中国から言葉を習っているために,Chu-y(チューイ=注意)など類似の言葉が少なくないということ,敬語の使い方が厳しく常に相手との年齢関係を気にするということ(初対面でまず互いの年齢を聞きあうのもそのためだとか)など,以前訪問した時の断片的な記憶がよみがえりました。

 2007年6月7日
 今夜は,3週間の日本企業体験研修で来広しているシンガポール国立大学日本研究学科の学生9人と,広島シンガポール協会の事務局をしていただいている広島信用金庫の職員9人との意見交換会のお手伝いを,9時過ぎまでして先ほど帰ってきました。今年の学生は,例年以上に日本語能力が高くチームワークも良いので,なかなか充実した会になりました。
 全体を4つのグループに分けて,まず1時間半ほどかけて,シンガポールと日本との働き方や考え方の違いを話し合ってもらい,その後,50分ほどかけて発表とコメントをしました。
 発表の中では,両国で初任給が余り違わないこと,給与の税金控除や年金・保険の違い,秘書業務や従事者の年齢の違い,就職活動の時期の違いなどのほか,結婚退社がシンガポールにはないこと,女性の働く意識・向上心が日本では弱いこと(例えば,シンガポールでは就職する時に社長にまでなりたいと思う女性が少なくないのに日本には少ないことなど),育児休暇が日本では取りにくいのにシンガポールでは男性も取りやすいこと,シンガポールでは女性が上司に自由に意見が言えること,日本では上下意識・先輩後輩意識が強いこと,飲み会が多いこと,日本ではずっと同じ会社にいて転職が少ないがシンガポールではよりよい給料を求めて転職することが珍しくないこと,などが指摘されました。
 それに対して,私の方からは,違いを感じた時に,それを鵜呑みにするのではなく,本当にそうなのかを問いかけること,また,その違いは何故生まれているのかを考えること,自分が使っている言葉(例えば年功序列,男尊女卑など)により自分は本当は意味しようとしていることは何かを考えること,などをコメントしました。
 その中で,このプログラムの世話をしていただいている方から,違いを指摘しているだけでは駄目で,どこからどうやって変えていくのかへつないでいかなければならないとの指摘をいただいたことが印象的でした。
 16年前に,初代のシンガポール広島事務所長としてシンガポールに赴任してみて,昨日と同じ今日・今日と同じ明日の世界で過ごし,異質なものを受け入れ尊重していく経験を積まないままでは,国際経済交流もままならないので,まず若い世代の交流から始めて意識と行動様式を変えていきたいと始めたシンガポールとの学生交流も,三原市の中学生の相互交流の約250人を除いても,シンガポール国立大学とシンガポール・ポリテクニック校の合計で,700人近いシンガポールの学生が自分のお金で広島を訪問しています。
 こんな地道な努力の積み重ねが,広島に何らかの変化を生み出していくことを期待しているのですが。

 2007年6月6日
 昨日は,東京日帰り新幹線出張でしたが,帰路の新幹線の車中で,明日7日に三原市に到着のはずのシンガポールの中学生交流団の引率の先生からの最終メールに6日三原着になっていることに気付き,それが単純ミスだと確認するまで一騒動でした。とはいえ,走行中の新幹線の車内からシンガポールにメールが打てる時代になっているすごさを感じたところです。
 今日は別件です。5年半前からやっているアジアの会のメンバーの清水さんから,世界の秘境などの写真集のホームページを開設した旨のご案内をいただきましたのでご紹介です。世界の秘境の美しい景色に心を洗われたい方はこちらをどうぞ。
 清水さんは,学生時代に京都に来られたダライラマに会いに行かれ,その後ネパールなどを放浪されるなどして,現在は,秘境ツアーガイドとして「ため息を深呼吸に変える」『深呼吸クラブ』を広島の「田舎」をベースに活動しておられます。このような方にいていただけることが,広島の財産だと感じています。最近,「ため息が多い!」と指摘される私ですので,「深呼吸」側に立ち位置を変えなければと感じているところです。

 2007年6月2日
 今日は,朝9時から県庁の組織風土改革系のミーティングに声をかけられて参加した後,午後1時から夜9時半まで大学の授業を受けていて,やっと先ほど帰ってきました。長い一日でした。午後の授業はIT経営論だったのですが,通常は1コマ1.5時間の授業が半期15回で2単位のところ,午後1時から5時50分まで1日に3コマずつで5回で終了するという集中講義の最終日でした。これでやっと2単位。修了に必要な30単位の第1歩です。
 県庁の組織風土改革系のミーティングは,全国版の公務員の組織風土改革世話人交流会のお手伝いをしていることから声をかけていただいたものです。今回のミーティングの世話役の方々と話をしていて,改めて,民間企業と公務員の組織の置かれた状況の違いを踏まえた,「オフサイトミーティング」等の取り組みのあり方を考える必要性を感じたところです。
 参加に当たって,話題提供にと,下記のようなメモを用意しました。
・ 県庁で感じるのは,明日の仕事がなくなるかもしれないという「恐怖感」や,相手に何とか理解してもらわないと仕事が取れないという「切実感」,何が何でも成果を出していかなければならないという強烈な「目的意識」の少なさ。
・ それが一部の人について感じる水気の少なさ,乾きにつながるようにも感じる。
・ もちろん,そのような切迫感の少なさが,じっくりと社会のためにいい仕事をしていくという環境につながっている。それをどれだけ,意識的に生かしているかが問題。
・ 折角,銭金ではなく社会のために仕事のできる職業を選んだのだから,社会のためにいい仕事をしたいというのが,基本のはず。ただし,それは,「県庁の優等生」になるというものではないはず。
・ そのためには,県庁内だけではなく社会でも通用することが大切であり,県庁村の意識ではなく,自分自身の基盤としての問題意識が必要。グループ内お友達主義ではなく,社会に本当に必要なものは何か,自分ができること・すべきことは何かの意識が必要なはず。
・ 最も問題なのは,周りとの意識のずれから,一生懸命が恥ずかしくなって,自分で自分のブレーキをかけること。これは,独りよがりで浮き上がっているのを調整することとは別の問題。
・ 自分は正しいことをやっているのに周囲は理解してくれない,という意識も問題。分かってくれるかどうかは相手の勝手。こちらは,駄目元で相手に働きかけているはず。そこの部分について自分の心の整理がなければ,相手への恨みや周囲への愚痴が残ってしまう。それを溜めていると,心が硬くなってしまう。
・ 物事は自分の思うようにはならず,うまくはいかないのが普通。その中で,肩の力を抜いて,自分がめざすもののためにさらりと,しかし止めずに諦めず行動を続けている中で,人は共感してくれるもの。「これだけやったのに」は自分の都合であり,相手や環境に言っても仕方ない。柔らかな心で,できるまで止めないことしかない。粘土と一緒で,つぶされ続けて粘りが生まれる。
・ 人のつながり・仲間は,「思いつき,思い込み,思い上がり」を排し,謙虚に素直に自らを振り返る契機。
・ 正しい一直線の道などなく,すべての取り組みが新しい模索。
・ 自分の置かれた環境や周囲の人との関係を客観的に受け止める力が大切。そうでなければ,単なる甘えや勢いでの一時的なダッシュで終わってしまう。
・ 不安に耐えての懸命な取り組みがないと,仲間の共感は得られない。
・ 職場は,一時的な付き合いの場であるが,仕事への意識や姿勢・基本的な考え方ができるだけ共有されている方が,自分自身の仕事の可能性も広げる。
・ 基本的には,それぞれの仕事への取り組み方を通じて理解しあうもののはずだが,言葉で交換しないと通じないこともある。
・ 人づくり提言の基本は,
1 自ら考え行動する個人の自立        [自 立]
2 認め合い向かい合う対話力・共感力     [ 絆 ]
3 社会の一員としての役割意識       [社会意識]
このほかに,「人を活かす社会」づくりとして,
 @ 多様な違いを受け入れ尊重する社会  [多様性]
 A 誰もが未来への希望を持てる社会    [ 夢 ]
 B 挑戦し変革する人を応援する広島    [応 援]
さらに重点分野として,
 ☆ 社会が支える 育ちゆく子と親のスタ−ト
 ☆ 社会と向き合い 社会が支える学校教育
 ☆ 社会を担う大人のチャレンジと継続的発展
以上です。最近は,「勉強のできる頭の良さ」よりも「他人の思いと場の空気が読める感性」の大切さを感じています。

 2007年5月27日
 「週一」で「一方的」に書くのがやっとのこの「ひとり言」ですが,今日は,予定通り?尾道経由で三原で4時間ほど中学生の相手をしていて,今だにハイテンションなので一言。
 今年から継続的に,三原国際外語学院で,広島シンガポール協会と同学院の共同奨学金事業として,シンガポールから日本語留学生を1年間受け始めました。今日から,その留学生に三原市の中学生のシンガポール交流の手伝いをお願いしました。
 今年で12年目となる三原市の中学生のシンガポール交流が,今年で17年目となるシンガポールとの学生交流とつながっていくという意義を感じた4時間でした。促成栽培の即効性ある成果を求める風潮の中で,きっちり地道に真摯に取り組む交流の生み出すものがつながっていくことを感じて,少し気分を良くした一日でした。

 2007年5月26日
 なんとも余裕のない日々を送っています。本業では,私が最も苦手なタイプの仕事を含め「てんこ盛り」の上に,大学への通学やシンガポールとの学生交流が重なって,もうスリル満点の日々です。
 今日(土曜日)は,午後1時から9時半まで大学の授業があり,午前中は修士論文の計画発表の準備をしていたために,あっという間に一日が終わってしまいました。明日は,午前中に尾道の老親のご機嫌伺いの後,午後は三原市の中学生のシンガポール交流のお手伝いです。一昨日の夜は,仕事の後,シンガポール国立大学日本研究学科の学生の1か月の広島での企業研修のオリエンテーションを夜9時過ぎまでしており,シンガポールづいています。広島企業での日本語でのコミュニケーション上の注意事項からホームステイ先の玄関での靴の脱ぎ方まで,過去16年間の経験からのアドバイスをしていました。学生からの質問は,日本企業での女性の昇進(今回の9名は全員女性!)から,お昼休みに食事に誘われた時の対応や終業時刻になっても上司が帰宅しない時の対応,企業研修中にトイレに行きたくなった時の対応まで,実に幅広いものでした。
 このほか,昨夜は,原則月1回開いているアジアの勉強会(WAA広島)で,日本滞在30年近いネパール出身の方をゲストスピーカーにお招きして,国という社会は何なのかという極めて難しいテーマについて,意見交換をしていました。
 国の構成員とは,どういう意味と立場を持つものなのか,その構成員の資格・条件とは何なのか,といった議論に発展していきました。EU型,北欧型,植民地型,日本型それぞれにおける,国の間を移動した者への参政権のような権利付与の問題に典型的に現れる,「国の構成員」への考え方の違いとその背景といった話です。 私が提起させていただいたのは,一方に,血でつながった「家族・Family型」すなわち無条件で帰属する集団という形があり,他方に,契約・ルールに基づいたメンバーシップにより構成される「集団・Association型」というような概念があるのではないかというものです。 これは,連続的につながるというよりも,「家族・Family型」については,かなり孤立した段差があるようにも感じました。つまり,帰属者かそうでないかという「0か1か」という,排除型・閉鎖型の性格をもっているというものです。 現代では,国の間での移住者が増加する中で,「家族・Family型」の限界が生じてきており,むしろ,「集団・Association型」の中で,条件設定のあり方によって,グラデーション状に,連続的に多様なあり方が模索される時代になっているのかもしれません。
 話がややこしくなってしまいましたが,忙しくなると目の前の課題の解決しか見えなくなるという,即物的な生き方になっているようにも思います。息子も遊び放題だった?信州での大学生活を切り上げてこの4月から大阪に移動して,親子揃っての大学院生生活をしていますので,親父としても負けないように頑張らねば。とりあえずは,「まじめな学生」を楽しんでいます。

 2007年5月19日
 5月6日付けのひとり言で,4月から始めた「チャレンジ」のことを書きました。最後までできるかどうか不安もあったので直裁に表現しませんでしたが,できなければそれも仕方ないかと思いますので,ご紹介させていただいときます。
 昨年秋に,県立広島大学大学院修士課程(社会人1年コース)の入学試験を受験し見事?合格して,この4月から,学割のきく「勤労学生」をしています。今年は多分仕事は変わらないだろうとの読みの下に少し2年目の余裕ができることを見込んでのことだったのですが,隣のチームが解散して4月からそのかなりの部分を引き受けることになったために,予想に反してドタバタしっぱなしの上に,本業の終業時刻が従来の5時15分から5時半に変更になってしまったために,6時20分から始まる授業に間に合わせるために食事抜きで飛び出して,夜9時半までの授業を受ける羽目になっています。
 「大学教授」から「大学院生」へというのは,順序が逆なような気もしますが,もともとコーディネート能力を見込んでいただいて「はずみ」でなった「教授職」でもあり,また,学園紛争の反動期で大学側の規制が目一杯緩んだ時期に学生生活を送り,ほとんど授業にも出ず第二外国語も卒論もなく卒業させていただいた私としては,いくらか肩書きに忸怩たる思いを持っていましたので,いまは「実質上初めての学生生活」を楽しんでいます。
 今日,土曜日も,午後1時から9時半までの授業を受けて帰ってきたところですが,非日常の世界を楽しんでいます。
 来週日曜日も,三原市の中学生のシンガポール交流の手伝いなので,週末恒例のクアハウスのスポーツジムに行けないという問題はありますが,気分は若返っています。「同級生」の中には,中国やベトナムからの留学生や企業から派遣の社員,他県の商業高校の先生で1年間休職して参加されている方などもいて,バラエティに富んでいます。
 最後まで続くかどうか,はなはだ不安ではありますが,まあ,悩んでいても仕方ないので,その時々のご報告をさせていただきたいと思います。53歳のおやじの勉学奮闘?記です。

 2007年5月14日
 昨日,日曜日の午後半日,三原市の中学生のシンガポール交流の手伝いに行ってました。4月21日にも書きましたように,もう12年目です。一時は他の自治体でもシンガポールとの交流事業(訪問事業?)がありましたが,今では私の知る限り県内では三原市だけになったようです。
 三原市の交流事業の特徴は,単なる海外旅行体験プログラムではなく,派遣前3か月にわたり毎週!土曜日(または日曜日)の午後に準備を積み重ねることです。学校の勉強やクラブ活動,塾,習い事などに忙しい中学生を集めることの難しさは,大学勤務時代に関わった子どもの科学教育プログラムで強く感じたことですが,三原市では,これまでの実績の中でこのプログラムの価値が評価されて,子どもたちも保護者もこのような厳しい条件にも関わらず積極的に応募してくれます。
 昨日も,5年前に子どもがこのプログラムに参加したという保護者の方から,このプログラムに参加した頃から,相手のことと自分のことをきちんと考えられるように変化したと感じる,参加してよかったという話を聞かせていただき,とてもうれしく感じました。12年前のスタート時点から,シンガポールにはお客さんとして行くのではなく,相手の貴重な時間を使わせてもらって,その時間を双方にとって価値のあるものにするために一緒に努力していくプログラムだ,ということを言い続けてきました。相手のことを大切に考えようとすれば,自分のことも大切に考えざるを得ません。
 昨日は,シンガポールの中学生に三原のことを紹介するグループと,シンガポールのことを調べシンガポールの中学生にいろんな質問をするグループの2つのグループに分けて準備をさせたのですが,三原のことを紹介しようとすれば,自分が言いたいことだけを考えるのではなく,相手はどのようなことに興味を持ってくれるだろうかを考える必要がありますし,シンガポールのことを聞こうと思えば,三原ではこうだけどシンガポールではどう?と,三原のことを分かりやすく説明しなければなりません。このようにして,相手のことを考え,自分のことをきちんと説明することの難しさと大切さを学んでいきます。
 このような地道な取り組みにより,12年前のスタートから3年目には先方からの提案でシンガポールでのホームステイが始まり,6年目からは交流先の中学の生徒も三原を訪問しホームステイをするようになり,SARSの時にもホームページとインターネットTV電話での交流で継続し,今年はシンガポールの独立記念日の大切な学校行事に招待していただけるところまできました。このような,一貫した理念の下に継続していくことの大切さと,それによって築いていかれる信用・信頼の大切さを感じています。また,三原市役所の,一貫した取り組みの継続も大きな要素です。

 2007年5月7日
 別に,わざわざ書くほどのことではないのですが,新緑の話を書くのを忘れていましたので。遊びのページに朝日の写真を載せていますが,自宅からの通勤路は海が見えてなかなかのものです。その道が,ついこの間まで新緑のまぶしいほどの緑でした。でも,連休明けの今朝は随分落ち着いた緑に変わっていました。
 本当の新緑の勢いは,極めて限られた期間なのだと実感した次第です。

 2007年5月6日
 昨日は,姪の結婚式のために早朝から福山へ。スピーチを頼まれて,ほんの3分ほどのことなのに,準備に随分時間がかかりました。1時間程度の講演や講師業はさほど苦にならないのに,短い時間に簡潔に分かりやすくまとめて話すというのはとても難しいものです。時間が短いほど,リハーサルに時間が必要なような気がします。3分をこのくらい大切に日々過ごしていれば,毎日の成果がもっと違うのでしょうが,そんな生活も気詰まりだと思うので,まあ,今くらいで良しとすべきかもしれません。
 今日は,4月から始めた「チャレンジ」の関係で早朝から終日机に向かっていましたが,ほとんど何も成果がありませんでした。新しいことに取り組む時ってこんなものです。実際に取り組んでみないと,いかに知らないか,できないかが分かりません。何とかなると比較的軽く考えていただけにショックも大きいのですが,何とかなると思っていたのがそもそも間違いだったのだと考え直して,こつこつ取り組んでいきます。あっという間に,連休もおしまいです。明日からも,頑張らねば。

 2007年5月4日
 今日は早朝から終日,家族と県北の中国山地地域をドライブしていました。本業の方で国土形成計画の中国圏広域地方計画に関わっていて,書類上で現状のデータなどは見るのですが,やはり実際に行って見ることは大切だと感じました。これだけ魅力ある環境で魅力ある人たちが魅力ある仕事をされているのに,なぜ中山間地域,限界集落,地方交付税の切り下げといった後ろ向きの議論しか表面に出てこないのかと感じます。ヒバゴン丼,竹屋饅頭,自家製チーズや自家製豆腐,蓮華畑や数多くの花に込められた生活者の思いを,うまくアピールしていく大切さを感じました。若者が大都市に行きたがるのはどこの国にも多かれ少なかれある傾向ですが,それでも残った人が自信とプライドを持って,自らの生活を築いていくことのできる社会が必要だと思った一日でした。

 2007年5月3日
 4月末の3連休は,神戸での公務員の組織風土改革世話人交流会の運営チーム合宿であっという間に終わってしまいました。札幌市や三重県,滋賀県,富山県,西宮市などからの仲間と,快晴の空の下,会議室にとじこもってひたすら議論をしていました。昇給やボーナスといった金銭的なインセンティブや,抜擢昇任などという人事上のインセンティブがほとんどなく,個人の使命感や理想に,やる気の源泉を頼らざるを得ない公務員の組織において,少しでも変革への意欲が広がる組織風土改革のあり方などを議論していました。部長や課長クラスの者から30代の中堅クラスまでの幅広い年齢層での議論は,とても新鮮でした。年2回の交流会ではそれぞれが分科会のコーディネーターを担当しているために,運営チームメンバー同士でのじっくりとした議論の機会はなかなか持てないので,貴重な時間でした。
 昨夜は,シンガポールとの中学生交流を12年手伝っているなど,いろいろなお付き合いのある市の友人たちとの飲み会で,三原市へ。どこにも熱意と使命感・責任感を持って主体的に仕事に取り組んでいる人たちがいるものだと,改めて感銘を受けました。そのような熱い思いと努力が,うまく歯車がかみ合って成果に結び付いていくとともに,地域の魅力としてうまく発信していけることが大切だと感じたところです。

 2007年4月21日
 先週末は,老父が入院したので病院に泊まり込んだりしたため,帰ってからも書く気力が出ませんでした。病院で24時間を過ごしてみると,つくづく健康のありがたさを感じます。そのありがたさを,しっかりと活かして,今の日々を大切に過ごさなければと感じているところです。
 とはいえ,ここのところ,本業・副業とも,なんともひたすらドタバタしており,さして考えながら行動する余裕などない日々を送っています。
 今日は,以前からの懸案だった,部屋の机と本箱の位置の変更をしたのですが,その途中で1台のパソコンに2台接続しているディスプレイ(デュアルディスプレイ)のうちの1台のディスプレイの接続ケーブルを抜いて再接続したところ,左右2つのディスプレイを一体として表示しているのが,右左の表示が逆になってしまいました。変更の方法が分からず悪戦苦闘する中で,「要らないことをするんじゃなかった」と反省していたのですが,どうも,このような反省をする回数が他の人よりも多いのではないかと感じました。
 しょっちゅう要らないことばかり手を出しては,トラブルにぶつかって落ち込むことが多いようです。まあ,そのために,前回書いたように,うまくいかない状態に少しは慣れてきているようにも,思うのですが。
 明日は,シンガポールとの中学生交流の関係で三原市です。立ち上げからお手伝いしているこの交流も,もう12年目です。SARS騒動で相互訪問が中止になった年にも,インターネットTV電話やホームページを通じた交流で信頼関係をつないだことが自慢です。

 2007年4月7日
 新年度が始まりました。私のチームでは,2人が転出して5人が転入して来ましたが,かなりいい感じでスタートしたのでほっとしています。人事異動で大きくメンバーが変わっていくのは大きな組織の常だと思いますが,良し悪し両面あります。情報システム会社で仕事をしている友人は,固定したメンバーで何年も一緒に仕事をしていくからこそ,人材育成に真剣に取り組めると言います。
 確かに,人事でいささか問題があっても,数年我慢すれば…と考えてしまう面がないとは言えないかもしれませんし,あるいは,人材育成に真剣味が足りないとのそしりも,全面的には否定しがたいところもあります。とはいえ,新たなメンバー構成で心機一転というのも,私は好きです。自分の新たな側面を伸ばしていくきっかけになるような気もします。何かきっかけがないと,人はなかなか変わりにくいものです。
 今年度は,私自身,新たなチャレンジを始めることにしました。本業の守備範囲がかなり増えて忙しくなりそうなので,最後まで続くかどうか不安もありますが,1年後にその成果をご報告できるように頑張りたいと思っています。できないこと,したことがないことに新たに取り組むというのは,不安やしんどい面もありますが,原点に戻って謙虚になれるという点で,なかなかいいものだと思っています。勝手知った世界で,既に経験済みの手の届くことだけを繰り返していくのではなく,過去の知識や経験に頼ることのできない知らないことだらけの初めての経験に恐る恐る飛び込んでみることにも,ある面,だんだんと慣れてくるように思いますし,どこかで面白がっている面もあります。(本当はそんな余裕などないのに…)
 20年前に国地方を通じて全国で始めて商社に1年間出向した時もそうでしたし,前任者がいなくて一人でスタートしたシンガポール事務所もそうでした。全国初の大学と社会との連携組織の立ち上げのために未知の世界だった大学に転籍した時も手探りのスタートでした。でもまあ,そうやって揉まれていく中で,体感できることもあります。今回もなんとかなりますように。
 と,ここまで書いたところで風呂に入り,湯船につかりながら,多様な経験から学んだことはなんだろうかとぼんやりと考えていたところ,物事は思うようにいかないものだし,うまくいかないのが当たり前だと素直に考えられるようになることかと思いつきました。そんな当たり前のことがなぜ価値があるかといえば,実際には,人はなかなかうまくいかない現実を受け入れることができず,できない理由をくどくどと考え込んだり,必要以上に落ち込んだりしてしまって,その時に本当に求められている次の対応のための行動が起こせなくなってしまうものだからです。そもそもうまくいかないのが当たり前だと素直に思えていれば,仕方ないなぁと思いつつ体は次の行動に移れます。もちろん,悪いことは重なるもので,そういった時には,一人でぶつぶつ独り言を言い出したりして危ない状態になることもありますが,まあそこまで行くのはそうしょっちゅうではありません。うまくいかないのが当たり前と思っていれば,着手前に必要以上に緻密に計画を立てることもなく,原点を大切にして大きな方向性を間違わないように,そしてブレの許容範囲を考えるようになります。また,資料の完璧さよりも,(こちらの話に興味を持ってくれないのが当たり前の)相手にどうやって聞いてもらうかを工夫するようになります。資料の力と説明力と相手の反応の把握力などの総合力のようです。
 ところで,3月26日に本業の方の仕事で昨年度事務局役として真剣に取り組んだ広島県人づくり懇話会の提言が会長から知事に提出されました。事務局役の立場で言うのもなんですが,なかなか中身のある提言だと思います。学校教育だけでなく,生涯を通じて学ぶ・働く・暮らすの幅広い分野について,人づくりと人を活かす社会づくりについて考えています。ご興味をお持ちいただける方は,こちらからダウンロードしていただけます。

 2007年4月1日
 今日は終日,老親への親孝行で,福山市神辺町から岡山県井笠地方の思い出の地めぐりをしていました。最初は,神辺にある本陣跡と菅茶山の黄葉夕陽村舎(こうようせきようそんしゃ)跡,菅茶山記念館と訪ねました。本業の,人づくりビジョンの関係でその存在だけは少しだけ聞きかじってはいたのですが,江戸末期の文化人,教育者としての存在に少しだけ触れることができました。
 新しいものが正しいものというような観念にとらわれがちですが,個人の存在感については,時代を超えて伝わるものがあるように感じます。
 とはいえ,明日から新年度が始まり,仕事もスタッフも増えた中で,とりあえずは日々の生業に打ち込んでいかねばなりません。真剣に取り組むべきことに恵まれていることに感謝しつつ,新たな年度の始まりを迎えたいと思います。
 課題山積で,どうなることやらという思いもありますが,これまでもそんな中でこつこつやってきたので,まあ息切れしないようにやっていきたいと思います。
 平成19年度がみなさまにとって,良い年度でありますように。

 2007年3月25日
 あっという間に,年度末です。最後の週まで行事山積で,珍しく本業の方の勉強を自宅でこつこつやってます。今年は,人づくりビジョンのほかに,国土形成計画の中国地方の課題と広島都市圏,備後都市圏の課題などの調査検討などにも関わっているのですが,いろいろ調べてみると,いろんな課題が見えてきます。 地域で若い人が,学び,楽しめる環境づくりの大切さを感じているところです。
 先週は人事異動の内示がありました。私自身は動いていないのですが,スタッフと仕事と両方増えたので,新年度からきちんと筋の良い成果の出せるチームづくりに取り組んでいきたいと思っているところです。とはいえ,本年度分の仕事をまず片付けなければいけません。
 先週,研究会のために上京した際に少し時間があったので,御茶ノ水の丸善で,4月始まりの手帳を買ってきました。仕事は4月始まりの年度単位でやっているのに,なぜかずっと1月始まりの手帳を使ってきました。やはり,年の変わり目というのには,身に染み付いた特別の意識があったのだと思います。ここ1〜2年ほど,年末年始に2冊の手帳を持って歩くのが億劫になってきていたのですが,いつも使っているタイプの手帳に4月始まりのものがなかったので,逡巡していました。(4月始まりでも似たような問題はありますが) 今回は結局,妥協して少し違うけれども似たようなタイプのものを見つけて買いました。まあ,慣れれば問題はないのだと思います。
 頭の中がすっかり本業の仕事モードになってしまっているためか,どうも乾いた文章になってしまいます。今日はこのあたりで。

 2007年3月18日
 昨日は,個人的に声をかけていただいている,東京での研究会に出席して,最終便で帰ってきました。私と仲間の情報システム専門家以外はみんな医者という会議ですが,それぞれ所属の組織でトップクラスの実績を上げてこられた方ばかりなので,なんとも議論に切れがあります。
 私は取りまとめ担当を頼まれており,資料を提出し議論をまとめて報告書に反映しなければならないので緊張しながら参加しているのですが,それぞれの参加者の整理された切れの良い議論の仕方に,感心しつつわくわくしながら聞いています。
 議論のための議論ではなく,結論と結果を出すための議論に慣れている(その世界で生き抜いてきている)方々の話の中に入らせていただいているだけで,嬉しくなってしまいますし,あれこれ気配りで玉虫色の(歯切れの悪い)資料を提出してしまっている自分が恥ずかしくなってしまいます。創造的で生産的な議論の仕方を体感させていただいているという感じです。
 このように,驚き感心できる機会を数多く経験することの大切さを改めて感じています。

 2007年3月10日
 研究会の検討ペーパーを他の委員の方に発送したので,意見が帰ってくるまでの間ちょっと一息です。とはいえ,本業での,人づくり提言の最終調整や,他の調査事業2本の最終まとめなど,年度末の慌しさに変わりはありません。年末は師走ですが,年度末はなんというべきなのでしょうか?
 先週は,運営委員をしている広島シンガポール協会の講演会があり,シンガポール大阪総領事館の副領事とシンガポール政府に10年働いていた友人のランドスケープアーキテクト(景観設計技術者)の2人に講演をしていただきました。
 副領事の方は,シンガポール政府の奨学金で東大工学部に留学した後に米国プリンストン大学で修士号を取った典型的なシンガポールのエリートで31歳です。十分な日本語で30分余の講演をしてくれました。年功序列で経験と能力は周囲との協調の中でだんだんと身についていくものだとの考え方とは対極にある,優秀な人間は早くから責任あるポジションにつけて徹底して鍛えて育てていくというシンガポール・スタイルを改めて感じました。
 ランドスケープ・アーキテクトの友人の方も,33歳でランドスケープの専門家としてシンガポール政府に招かれ,都市公園の設計などで高く評価され,2〜3年の予定が10年になり,後半の5年はシンガポール政府国立公園公団の計画開発部長としてシンガポールの誇る植物園の設計などをやっていたという経歴の持ち主です。シンガポールというと,常に,「質」へのこだわりと徹底した「評価」,そして「個人」を大切にする姿勢を感じます。
 この友人も,あまり海外に長くいると日本の社会に戻りにくくなるからと42歳で辞表を出して日本に戻って,大阪で小さな事務所を立ち上げているのですが,自己都合で帰国したにもかかわらず,以後も13年間にわたりシンガポール政府からの仕事の依頼が続いています。最近では,シンガポール政府のアジア地区の大使館のランドスケープを手広く任されていますし,先日は,シンガポールの今後の目玉になる大規模公園開発の設計コンペに世界トップクラスの設計会社70社と肩を並べて招待され最終選考に残っています。常に,世界トップクラスの質の確保にこだわり続けて国づくりを進めてきているシンガポールの「(規模ではなく)質」「評価」「個人」へのこだわりとその成果を感じたところです。最近では,シンガポール政府が初めて開催した屋内でのランドスケープ展にも招待作家として招かれています。これには,シンガポールの建国の父リー・クァン・ユーや現首相のリー・シェン・ロンも訪れて,彼から直接説明を聞いています。指導者のこのような姿勢が,「質」へのこだわりの姿勢を維持していっているのだと感じました。
 成果・結果を重視して「質」の違いにこだわっていくことの大切さを改めて感じたところです。そのためには,現場・原点と自分自身の思いを大切にして,手を抜かずに泥臭くやり続けていくことが大切なようです。最も尊敬している友人の一人を広島に迎えて旧交を温めながら,そう感じました。

 2007年3月3日
 しばらく書けてなかったように思っていましたが,ほんの10日余りに過ぎなかったのが意外です。2月24日に東京で小児医療関係の新システムの研究会に出て以来,次回,3月17日の研究会までに検討報告のたたき台を作って参加メンバーにお送りしなければということで頭が一杯で,なんとも厳しい日々を過ごしていました。(本業の方もばたばたやってました。)
 いろんな新しいシステムづくりに関わる中で,これしかないと思って提案したものに意外な問題があって見直しをせざるを得ないことを何度も経験してきました。一旦思い込むと,自分自身で違う視点から冷静に見直しをするというのはなかなか難しいものです。
 まったく前例のないものを,無から生み出そうとする際には,そんな模索する不安に耐えられなくなり,既存のものの引用や受け売り,成功事例のコピーに走ってしまいがちになります。新たな取り組みについての問題点や欠点探しをしているだけでも仕事をしたつもりになれる職種の場合には,そんなみずから模索し続ける重圧に耐え切れなくなってしまうことも少なくありません。私はそれを「一生懸命が恥ずかしくなる」と表現しています。誰しも自信にあふれた断定的な物言いをしたいものだと思いますが,既に答えのわかっている冒険のないものについてはともかく,新しいものを生み出そうとする時には,そうはいきません。だから,どうなるのかどきどきわくわくもしますし,不安につぶれそうにもなるのだと思います。ただ,一定の所から道は二つに分かれます。組織のリーダーの場合は,ある程度のところまできたら,「決定」をして,そこからはぶれない「方針」として掲げ続ける必要があります。これに対して,もう一つの道は,最後の最後まで,模索し続けたいという道です。どちらが正しいというよりも,個人の向き不向きではないかと,ドラッカーも言っています。私自身は,後者だと思っています。
 また,これまでいろんなシステムづくりに泥臭く取り組んできた経験からは,新たなシステムづくりの模索をするのと,他人の提案の問題点の指摘をするのとでは,必要とするエネルギーに何十倍も差があるように感じます。新たなシステムの提案をする方は,答えが見えてないだけに,嫌になるほど無駄な模索をし続けなければなりません。それでもなお,上述のように,何度も何度も,更なる見直しをせざるを得ません。そういった回りくどいやり方と,「正しく論理的に問題点の指摘をする」こととの間には,何とも言いがたい大きな差があるように感じます。
 今回の新システムの検討のメンバーは,私と相方の情報システムの専門家以外は,その分野の重要人物ばかりです。そんな場に参加させていただけるのも,いろんな不安に耐えながら,悩み続け見直し続けてきた経験の蓄積があればこそではないかと,(不遜かもしれませんが)感じるようになっています。
 今回もまだ試行錯誤の過程の中ですが,先が見えない中での模索の一つの知恵として,とりあえず必要な基礎的な資料をこつこつと作り続けることの大切さと,ほぼまとまる方向が見えたと思った段階において,改めて全く違う方向からの否定をしてみる忍耐力の大切さを改めて感じているところです。

 2007年2月21日
 19日に書いたパソコントラブルの修復は,結局,今日までかかりました。プログラムの削除に起因するトラブルを復旧するためにシステムの復元を行ったのですが,そうすると今度はウィルス対策ソフトにトラブルが出て,その原因と対策が分からなかったためにウィルス対策ソフト会社にメールで問い合わせて,今日返事をいただき,その指示に従ってやっと先ほど復旧しました。
 19日にも書いたように(といっても,パソコンのトラブルでホームページにアップできてなかったのですが),新しい仕事に手を出した時には,往々にしてこのようにトラブルがトラブルを引き起こして,もう本当に情けない思いをすることがあります。そんな時は,(余計なことに手を出すんじゃなかったと内心思いつつも,仕方がないので半分開き直って)じっと黙って,こつこつと一つひとつのもつれた糸をほぐしていくしかないのですが,そんなことの中であえて意味を見出すとすれば,トラブルの時に泣き言を言っても仕方がなく(程度次第なのでしょうが),嘆く前にトラブル解決のために体を動かすように条件付けられるようになってくることでしょうか。予想外のトラブルに直面した時に,それがどんなに大変なトラブルかの解説を始めたり,(自分の責任ではなく)誰の責任であるかを述べ始めたり,最悪の場合はどうなるのかという想定を説明しだしたりする人も見受けますが,そんな時にはそんなことをしても何の役にも立たず,ただこつこつと一つひとつ解決していくしかないということを,身に沁みて感じるようになることかもしれません。
 先週末以来なかなか改善しない風邪に悩みながらも,トラブル対応だけは淡々と取り組む中で,少し緊張感が戻って来つつあるようにも感じます。これで風邪も飛んでいけばいいのですが。

 2007年2月19日
 まだ風邪が治らないので,開会中の議会対応が早く済んだのをいいことに,定時に事務所を出て医者に寄って早くに家に帰ったまでは良かったのですが,パソコンのトラブル対応で折角の時間がつぶれてしまいました。
 週末に時間があったので,使わない(と思った)プログラムをいくつか削除したのですが,どうも必要なものまで削除してしまったようで。動かないパソコンほど情けないものはなく,情けない思いをしながらマニュアルなどを見ながら復旧しました。
 そんな中で思ったことは,何かに手を出すことにより,平常では考えられないくらいのばかばかしい無駄な時間を過ごしてしまうことが往々にしてあります。余計なことをしなければ,しなくても良かった無駄な苦労なのにと思うことも良くありますが,でもまあ,そうやって膨大な無駄な時間を情けない思いとともに過ごしてきたおかげで,少しは,世界が広がり忍耐強くなってきたのではないかと,自分を慰めていました。
 平坦な道を大過なく過ごしているだけでは見えないものがあり,身に付かない力があると,くやしまぎれ半分に感じていたところです。

 2007年2月18日
 今日も一日風邪が抜けず,恒例のクアハウスでの週に一度の運動もやめて,終日部屋で資料や本をたらたらと読んでました。まあ仕方ないですね。
 シンガポールに駐在してた時に,参ったことの一つは,年中「夏」だということです。四季の変化がないために,「あぁ,あれがあったのは,桜の花が散る頃だったよなぁ・・・」とか「あの時,初雪が降ってたんだ・・・」という昔?を振り返って感慨に浸るきっかけがないというのももちろん問題なのですが,なによりひたすら夏が365日続くというのは,人間の体に無理をさせます。(365日,毎日32度,湿度96%です。)
 四季というのは良くできているなあと,つくづく思ったものです。冬には冬の意味があり,静かに心と体を休めて春を待つことも大切だと感じました。学生時代4年間,信濃の最も雪深い小さな集落で,毎冬延べ1か月ほど皿を洗っていましたが,その時に習った「糸魚川小唄」に,「ハァー,雪は降る降る,昨日も今日もよ,チョイセ,明日も雪かよねぇ,チョイトサ,囲炉裏のまどい,唄で励まし話でなだめ,同じ思いで春を待つ,ヤーンレサッテモサッテモナ,ヤーンレヨイヤサノヨイヨイヨイ」という一節があったことを思い出します。
 それが年中毎日夏だと,それは風情も何もなく,ひたすら働き図目という感じでした。おかげで丸一年経った時には急性胃腸炎で倒れてしまって。商社勤務の人に言わせると2倍歳をとるとか。外務省の在外公館規定でも,不健康地の指定が。
 休み休みやらねばと言い訳しながらというのが貧乏性だと思いつつ,結局だらだら過ごしてました。

 2007年2月17日
 精神科研の研究レポートを提出したことと,先週の全国集会が無事済んだこと,本業の報告書?の見通しがなんとか立ちだしたことなどで,気が緩んだためか,風邪気味です。風邪をひく余裕が出てきたということかもしれません。全体として,テンションが下がった中で,個人的に頼まれて参加している小児医療関係の検討資料づくりに終日関わっていました。
 今日終日かけてやったのはこれだけですが,いつもあれこれ追い詰められている状態と違って,なんとも集中力が上がらないこと。新しいシステムづくりの検討は,比較的好きな分野なのですが,どうもいまいちです。来週末には東京で検討会ですので,それまでにはなんとかしなくては。
 気が緩んでいると,文章も浮かんできませんので,このあたりで。

 2007年2月12日
 大学を辞める準備の一つとして,それまで大学のサーバーを使っていた個人のホームページを,アサヒネットのサーバーに移してから2年が経ちました。それを機にアクセスカウンターを付けてみたのですが,意外に見ていただいているというのが実感です。ありがたいことです。
 週に1回くらいは書こうと努力しているのですが,どうも陳腐なことしか書けていないと反省しきりです。
 先週も結局ドタバタで走り回っていた上に,昨日今日と個人的に参加している公務員の組織風土改革世話人交流会の全国集会が広島であり金曜の夜から広島市内に泊まって運営準備に参加していて,これまたドタバタしていましたが,なんとか終わりました。他の頼まれごともある程度かたがつき,すこしほっとしているところです。

 2007年2月4日
 先週末まで本業を中心になかなかスリルのある調整案件が続き,本業以外にも科研の研究レポートや新たなシステムの研究会の準備などで週末まであたふたしていました。大学での4年3か月の経験を経て,改めて現実に物事を動かしていくこと,新たなことを始めていくことの大変さと大切さとを感じています。
 「正しいこと」を緻密に主張すれば物事が動く訳ではなく,聞く気のない人に話を聞いてもらい,疑心暗鬼で変化のリスクを取る気のない人に変化の必要性への思いを共有してもらうまでには,それなりのエネルギーと忍耐力が必要ですし,何よりも自分自身が息切れしないための持続力とある面での明るさが必要だと思います。その中で,誰が見てもある程度そうだなと思ってもらうための切り口の整理や計画の段階的な流れの整理,最悪の場合への対応や他の先行事例等との関係なども整理されていきます。
 このあたりが,理論的に?正しいことは何かを追求していく世界と,実際に変化を起こしていくことの違いのような気がしています。これは,どちらが正しいという話ではなく,人によってどちらが向いているかということのようにも感じます。新たな話に取り組む中で,周囲の無神経とも思える冷たい言葉や反応にうっと詰まりながらも何とか説明の糸口を見つけようとあれこれ模索する中で,自分の考えや説明がより練り込まれていくことは普通のことですし,無駄玉だとは思いながらも藁をもつかむ思いであちこちに話をしていくことの中で,意外な展開が生まれてくることもこれまた普通のことです。そんな,一見非効率でばかばかしいとさえ思えるような調整作業の中から何かを生み出していくためには,もちろん社会のためにそれが必要だと思う信念や歴史の流れの中での責任意識も必要ですが,やはり,そんな意外な展開を楽しむ心と物事が動くというのはそんなものだという受け入れの心が必要なような気がしています。
 2年前に引き受けた三次市の行革推進審議委員会の委員も続けることになり,精神障害者の住居確保の科研や小児医療関係の新たなシステムづくりの話に声をかけていただき,週末には他県の職員の友人からその県の職員研修の講師の声をかけていただくなど,相変わらずいろいろと声をかけていただく中で,自分ができることはなんだろうかと考えると,物事を,正しいか正しくないかではなくて,理解されるか理解されないかで,考えていることがその一つではないかと感じています。もちろん,それは下手をすると単なる調整的な足して二で割ることに終わってしまう危険性もあるので,めざすべきものをしっかりと持っておく必要がありますが。
 いずれにしても,正しいことは何かを追求していく世界と,実際に変化を起こしていくことの間をつなぐことが大切な意味を持ってきているような時代だと感じています。どんな理論も日々の実践の中での検証と反映が必要だと思いますし,実践側にも継続的に改善へと向かっていくためのバックボーンとなる理論が必要だと思うからです。

 2007年1月27日
 本業が会議と調整続きでドタバタした上に,昨日は,アジア・アフリカ・南米から政策研究大学院大学へ留学している学生40人ほどに1時間半にわたる地方自治の現状説明とQ&Aを頼まれて,余裕のない1週間でした。昨日来広した留学生は,各国の政府機関に勤めている公務員が派遣されてきているもので,これからの国の作り方の中での中央政府と地方自治体との関係など,なかなか楽しい議論ができました。私自身の意見として言ったのは,目標が明確なキャッチアップの時代には,クリーンで効率的な政府が中央集権的なすすめ方をすることはありうると思うが,今の日本のように新たな社会の姿を自分たち自身で生み出していかなければならない場合には,多様な実践と試行錯誤の中で答えを探していかなければならないために,中央集権ではなく,地方の個性と競争が必要ではないかということです。
 意見交換にも,参加者の真摯な思いが伝わってきて,久しぶりに清清しい思いに浸りました。
 東南アジアで強く感じたことの一つは,国や社会の将来は,運命的に決まっているのではなく,それぞれのビジョンを掲げた実際の行動の積み重ねであるということです。昨日と同じ今日,今日と同じ明日ではない明日があるのに,選択をしない選択をしてしまっている(いろいろと言い訳・理由はあるにしても)ことを,改めて思い起こしました。1時間半という短い時間でしたが,とても感動的な時間でした。

 2007年1月20日
 先週からトラぶっていたパソコンも,それぞれのソフトメーカーにメールで問い合わせて解決法を教えてもらい,何とか解決しました。(あとから見れば)ほんのちょっとしたことなのですが,うまくいかないことって,こんなもんですね。
 昨日は,昨春から本業の方で事務局役として関わっている「広島県人づくり懇話会」の提言(中間まとめ)を議会の委員会で報告しました。一山超えただけでまだまだ大変とはいうものの,まあ一息つきました。本業の話をするのもどうかと思いますが,相当にエネルギーを投入したものなので,思い入れもあります。県のウェブサイトで公開してありますので,お時間とご興味のある方はこちらをどうぞ。
 昨夜は,古い友人と二人で久しぶりにゆっくりとおいしい酒を飲んでました。かなり厳しい仕事をしている人物で,日々修羅場をくぐってきているだけに,静かな語り口の中にも迫力と説得力があります。危機感,責任感,忍耐力,持久力,持続力,自主性,自発性,感性,感受性,使命感,熱意,行動力,表現力,対話力,フットワークや空気を読む力,信頼感,信用力,信頼性,傲慢さ,不遜さなどなど(自分たちのことは棚上げで・・・)盛り上がり,すっかりオジさん的な酒だったかもしれません。
 ということで,ひさしぶりにゆったりとした週末のはずですが,来週頼まれている,開発途上国の政府から日本のある大学院に派遣されている留学生グループへのブリーフィングとディスカッションの準備や,科研の研究レポートの仕上げ,先日読み終わったドラッカーの経営論の抜粋作成などをしていたら,あっという間に一日が終わってしまいました。50歳前まで,自宅で机に向かうことなど全くなかったのに,自分でも笑ってしまいます。まあ,それぞれに脈略のない支離滅裂な仕事なので,ある意味,飽きが来ないのかもしれません。また,どれも個人的な活動だということが長続きする理由かもしれません。(逆に言うと,中途半端なことばかりやってるとも言えそうですが。)
 まあ,やることがあるのが幸せかと思いますので,ぼつぼつやっていきたいと思っています。

 2007年1月15日
 本業の方が何かと取り込んでいるので,今朝はいつもよりも30分早く,始業1時間前に職場に着く電車に乗ったのですが,それでも電車は満員で,みなさん頑張っておられるのだと改めて感じました。
 仕事となれば言いたいことも言えず我慢することもあります。私自身良い経験をさせていただいたと感じているのは,水戸黄門の印籠?を持ったり持たなかったりの仕事を経験させていただいたことです。私自身もそうですが,お役人の言動に?と思っても,なかなか言いにくいものです。
 逆に言えば,公務員というのは,(もちろん色々と指弾されることは多いものの,そうは言っても)明日の仕事がなくなることへの恐怖感を感じることが相対的に少ない職種と言えるかもしれません。とはいえ,公務員でも,何か自分がぜひとも成し遂げたい仕事があれば,(自分のためにではなく)その「なすべきこと」のためには,いくらでも頭を下げられるものだとは思いますし,良い仕事をするためにはいろんな情報が集まるように信頼され頼られるように努力するものなので,要はその姿勢の違いは,何が何でも実現したいものの有無の違いであって,公務員かどうかの違いではないのかもしれません。

 2007年1月13日
 先日から,自宅のデスクトップパソコンの電子メールソフトの調子が悪くなり,昨夜は何時間も悪戦苦闘した上で,結局駄目でした。今朝もいろいろと調べたりやってみているのですが,うまくいきません。その関係で,ノートパソコンの方もいろいろとつついていたら,こちらの方にも不具合が出てきて,ふんだりけったりです。理屈ではうまくいくはずなのですが,どうにもなりません。こんなことは,実際にいろんな仕事を始めてみると良く経験することではあります。ちょっと何か新しいことをしようと取り組みだしただけなのに,予想外のトラブルが続き,それに対応しようとしているうちにまた別のトラブルを引き起こしてしまう。回りからは,なんて馬鹿なことをやっているのかと思われ冷たい眼で見られているような気がするし,成果は出ないし,時間だけは嫌になるほど経っていってしまうし・・・。
 ですが,何度も何度もそんな経験をしていると,そんな状況にいくらかは慣れてくるような気もします。めげて落ち込んでいても仕方ないし,何でこんなことを始めてしまったのかと自分を責めても仕方ないし,まあ少しずつ折り合いをつけていくしかないような気になっていきます。
 このあたりが,スマートに要領よく理屈だけをしたり顔して言って満足している人たちとの間で,もっとも相違感を感じるところです。どんな難しいことを言っても,実際に自分でやらなければ失敗はしませんし,論理が破綻することもありません。したがって,ますます,緻密で隙のない美しい理屈を言うことができるようになります。しかし,実際の仕事では,家の骨組み工事をやっている時にトイレの壁紙の色についてとうとうと論じてしまうようなピンとはずれのことにもなってしまうことも少なくありません。
 いつも言うことですが,のこぎりで大きな木を切って新しい形を切り出そうとすると,どうしても切り口にトゲが残ります。そうすると,離れたところで見ていた人が飛んできて,ここにもトゲがあるしあそこにもトゲがあると言い立てることはよくある話です。でも,紙やすりでせっせとこすってトゲをなくしても(それは仕上げの段階ではとても大切なことですが),元の大きさよりも小さくなることはあれ大きくなることはありません。言葉についてもそうで,よってたかって引っかかる表現を修正していけば,誰の心にも残らない平板なものになってしまうと思います。味のあることには,クセやトゲやでこぼこの個性があるものだと思うのですが,日々の仕事などの中では忘れられがちです。人と違うことをすることについても,そうです。手を出せば届くのに,届かないものだと思い込んでじっとしている。昨日と同じ今日,今日と同じ明日を,「選択をしないという選択」をして日々選んでいっているということを,忘れてしまうのかもしれません。
 パソコンの不具合でへこんでいるために,くどくどしい話になってしまいました。そういえば,自宅のデスクトップパソコンを,ディスプレイ2台を並べて一体的に使える「デュアルディスプレイ」(これがもう素晴らしく快適です。パワーポイントやワード,ウェブサイトを左右に並べて同時に作業ができるので効率が格段にアップします。。)を実現するまでにも,随分の(後から考えれば無駄な)時間とお金がかかってしまいました。でも,そんな無駄や回り道や情けない思いも,まんざら無駄ばかりではないと(半分悔し紛れに)思っています。
 先週は,アジアの会の例会で,滞日経験の長い韓国の方のお話を聞かせていただき,意見交換をしました。海外に移住した際の各民族(中国人,ユダヤ人,日本人など)の,言語,宗教,伝統文化の維持のスタイルの違いや,国による少数民族,外国人への対応の違いなども話題になりました。個人的には,他国では(例えばシンガポールでは,中国系シンガポール人やマレー系シンガポール人,アメリカではアイルランド系アメリカ人など,が当然なのに),日本には韓国系日本人はいない,というお話がとても印象深く感じました。多様性がなければ,社会は発展していかないのではないかというお言葉に,共感したものです。

 2007年1月8日
 折角の休みだったのに,昨日のミーティングの結果の見直しレポートの作成をした後は集中力が続かず,実り少ない1日でした。ふと思いついて,以前VHSのビデオテープに録画していたものを,DVDに保存しようとセットしました。最初に選んだのが,遊びのページでも紹介しているカナディアンロッキーなどへのキャンピングカーでの旅行のビデオです。地方公務員としてのやりがいを感じて真剣に取り組んでいた地域医療の仕事から国際関係の仕事に異動となり,1年で福祉保健の分野に帰してもらおうと休日出勤も含め懸命に働いたものの効果なく,気分転換にと,比較的暇な時期を選んで19連休を取って行きました。
 カナダへの往復がサンフランシスコ経由で,時間つぶしに郊外のUCバークレー校の見学に行ったのですが,帰国後1か月余で広島大学から声がかかって大学人への道を歩き出したのも奇遇だと感じたものです。
 生まれて始めての右ハンドルの国での(シンガポール,マレーシア,ニュージーランド,オーストラリアなどは左ハンドル)7500ccのでかいキャンピングカーでの旅行のビデオを見返してみて,よくも思い切って行ったもんだと改めて感じたところです。でもまあ,今にして思えば,思いつくのと実行することとの間にはまったく別次元の違いがあり,しかも思い切って実行に踏み切ってしまえば,「案ずるよりも生むが易し」という強い味方があります。
 最近特に,いろんな思いがけないところから声をかけていただくことが増えましたが,それも,考え続けるのではなく,いざとなったら開き直って跳んでしまうという乱暴さが,道を開いてくれているのではないかとも感じてもいます。頭のいいスマートで行儀のいい人たちへの,単なる子どもじみた反発かもしれませんが。
 昨日と同様の開き直りかもしれませんが,私が尊敬してお付き合いいただいている方々には,どこかで吹っ切れて,修羅場に飛び込んで必死になって生き残ろうとしてきた方が多いようにも感じます。

 2007年1月7日
 今日は,雪が積もっている中,ある医療系の新しいシステムの検討会に出かけてきました。東京からの一人と広島の3人で,10時半から4時半までまじめに議論をしていました。私を含めて主催者以外の3人にとっては本業とは関係のない話なのですが,主催者である人物の熱意に手弁当での参加です。私も,昨日と今日と早朝からの最も効率の高い時間帯を検討会の資料づくりに使ってしまいました。私以外の集まった方々は,それぞれの分野で相当に多忙を極めている人たちばかりですが,筋のいい話を力を合わせてまとめていくことに面白みを感じて貴重な時間を割いての参加です。
 今日の参加者の一人と話をしていて出たのは,「みんなが集まる理由はその主催者に邪心がないからだ」との言葉です。自分の功名のためではなく,社会のために必要なことに真摯に取り組もうする人に対しては,損得なしにおもしろがって参加しようという気になるという話です。
 ある面では無駄な活動だともいえますが,これまでの経験からは,そのような一見無駄だともいえることに面白がって真剣に取り組んで,無駄な回り道をしていたことが,結果的にはだんだんとつながってきているようにも感じています。頭が良くてスマートに効率的に立ち回る人よりも,面白がって一見無駄な非効率なことに膨大な時間とエネルギーを投じている人の方が,長い目で見て応用が利くように思ってしまうのは,単なるひがみでしょうか。
 でも,少なくとも,ある種の人たちの間では,そのようにして信用が築かれていっているような気がします。

 2007年1月1日
 あけましておめでとうございます。
 1年の節目の感覚がだんだんと薄れていっているような感もありますが,やはり,一つひとつ区切りを付けていくことは,一旦立ち止まって,後ろを振り返り,前を見つめるためにも大切なような気がします。
 1年中30度前後という一定の気温で,常に緑に囲まれて,日の出・日没時刻もほぼ一定と感じられるシンガポールで3年近くを過ごしてみて,季節の大切さを感じました。過去の出来事を振り返るのに,「あれって,お正月あけてすぐだったよなぁ。」とか「桜の花が満開の頃だったなぁ。」と振り返れることは,心を豊かにしてくれるような気がしました。
 今年もいろいろありそうです。大学勤務時代に始めたこのひとり言ですが,時に,読んでるよ,と声をかけていただくありがたさに,ついつい続けています。かといって,ブログに移行するのも面倒で(というよりも自分が書きたい時だけ一方的に書くという単なるわがまま・自分勝手なのだと思いますが),今年も気ままにぽつぽつと書いてみたいと思います。
 お読みいただくみなさまに感謝をこめて。



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