橋本康男のひとり言2010年 '01 '02 '03 '04 '15 '06 '07 '08 '09 '10 '11 '12 '13 '14 '15 '16 '17 今年
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2010年12月28日
 シンガポール便り5日目です。早くも今夜の夜行便で帰国ですので,シンガポールで書くのはこれが最後になります。今回は,最も中心的な学生交流の相手先であるシンガポール国立大学日本研究学科の学科長が不在で,懇意にしていただいている先生も日本留学中なので,訪問先が一つ少なくなりました。私がシンガポールに赴任した翌年に始めたシンガポール・ポリテクニック(国立高専)との交流と,その翌年に始めたシンガポール国立大学との学生交流で,これまでの18年間にシンガポールから広島を訪問した学生数は約800人となり,しかもそのほぼすべてが自費で来ていることが自慢です。当初から,「汗はかくけど金は出さない」というポリシーで維持していることが良かったと思います。(ただし,ホームステイ先から集合場所までが遠い学生の交通費負担の不公平をカバーするために一人当たり千円を人数分支援するという気配りはしています。)
 このような,「広島側の変化のために」を主目的に継続性を意識して努力してきたことが,昨年創設されたシンガポール政府の外務大臣表彰第1号(世界で!)を広島シンガポール協会がいただいた理由だと思っています。
 19年前には日本の約3分の2程度だった一人当たりのGDも2年前から追い抜かれ,スイスのIMDが発表する国際競争力ランキングでは,27位に低迷する日本に対して,シンガポールは,それまでのアメリカに続く万年2位から今年は初めて第1位になっています。とはいえ,シンガポールも常に模索しながら進んでいる訳で,日本にとってそして広島にとって,学び合える大切なパートナーではないかと思っています。
 昨日は,オフの日にして,セントーサ島で1日を過ごしました。結構楽しめましたが,ここまで開発し尽くすかというのが,一方での感想ではあります。

2010年12月27日
 シンガポール便り4日目です。朝7時半から,シンガポール政府教育省に勤めている友人と7時間にわたりだべってました。(妻は別行動でのんびりローカルショッピングです。)元々は小学校の芸術科目の先生でしたが,熱心な指導振りと働きながら修士号を取る向上心が見込まれて?4年前から教育省へ。音楽教育カリキュラムと海外からの芸術科目の教員採用などを担当しています。カリキュラムの方は,小なりといえども一国をなすシンガポールですから,国の教育の方向性を決める仕事です。話をしていて,地方自治体としての仕事感覚に慣れている自分自身との違いを感じました。ビジョンと効率性(とクリーンさ)に厳しいシンガポール政府ですから,話の節々に体系的なビジョンとそれを保障するための資格体系の構築などの話が出てきますし,それを驚くほどの少人数でこなしている様子が伺えます。朝8時半から午後6時までが勤務時間ですが,通常,朝8時から夜9時頃まで働いているとか。
 海外の教育カリキュラムの調査にもいろいろと行っている話も聞かせてもらいました。海外調査では,超過密スケジュールで,観光する暇が全くないとぼやいていたのがいかにもシンガポール政府らしいと感じました。圧巻は,海外からの芸術科目の教員の採用の話です。これまで約13か国を訪問して採用インタビューをして回ったとか。芸術科目の指導資格・能力と英語力を確認するとのこと。2年契約で更新していく方式で,住居は政府から提供され,初任給が日本円で約20万円くらいとか。実際に,どのくらい来ているのか聞いてみたところ,全教科合わせると千人はいるのではないかと言われてびっくりです。日本には,音大を出て英語も話せてしかも仕事がない若い人たちが少なくないのだから,シンガポールに働きに来ればいいのにと言っていました。
 小さな政府で一国を運営している感覚,世界の中でのベストプラクティスを学び取り入れようとしている姿勢,世界中から人材を実際に集めている実行力,新たなプロジェクトを次々に立ち上げている積極性,いずれもシンガポール政府のDNAとでもいうべきものが底流に感じられました。初日に聴きに行ったコンサートについて,シンガポール政府の芸術振興への熱意を感じた旨の話をしたところ,文化芸術の発展なくして国の発展はないと力説してくれて,その熱意と意思をまぶしく感じました。小さな国の小さな政府ならではの,政府職員の一人ひとりの熱意によって手作りで国を作り上げているという感覚が伝わってきました。
 一定の面積と人口を持っている日本では,国が消滅するという危機感はほとんど考えもしませんが,広島市よりも小さな面積に500万人弱の人口しかないシンガポールでは,常に国の生き残りを考えているように感じます。私自身,3年前に国際課長になって以来,「地域の生き残り戦略としての『海外人材の活躍環境づくり』」を打ち出して,市町と連携しての外国人相談窓口・日本語学習支援窓口の整備や留学生の活躍支援組織づくりなどに取り組んでいますが,なんというか真剣さの次元が違うという感じです。(私自身は真剣に取り組んでいるつもりですが・・・)
 友人との会話は,最初はベーカリーの中のコーヒーショップ(シンガポールのフードセンターでは練乳と砂糖たっぷりのマレー式の「コピ」が主流ですがここでは本格的なコーヒーで,思わずおかわりをしました。)で,次に,シンガポールの数少ない川の河口の入り江をふさいで淡水化に取り組むという壮大なプロジェクトのための河口堰にある展示館兼公園に場所を移して,そして最後は,大きくリノベーションをした国立博物館での展示を見ながら続きました。
 この国立博物館は,私がシンガポールに赴任した当初に訪れたもので,当時,館内で放映されているシンガポールの歴史紹介の映画の中に,日本軍による占領直後の虐殺(日本側の資料で約6千人)と占領時代の憲兵隊などによる苦難の状態が紹介された後に,突然,広島の原爆のきのこ雲の映像が大きな効果音とともに映し出されて「そして戦争は悲惨で悲劇的な結末とともに終わった」というナレーションが流れるのを聞き,ショックを受けた所です。
 観光地ではあまりこのような日本軍による占領時期の話は表に出てきませんが,学校では歴史の事実としてきちんと教えられていますし,今回のリノベーションされた国立博物館でも,憲兵隊によって理不尽に長期間投獄された方の体験談などが聞けるようになっていました。20年近く前に私が駐在していた時は,被占領50周年で,博物館での記念展示はもとより,テレビ,新聞で大々的に日本占領時代の悲惨な記憶の継承のための取り組みがなされていました。(広島の被爆体験の継承と同じですね。)シンガポールの建国の父であるリー・クアン・ユー元首相自身が,英語が話せるとか名前が英語風だとかというだけで集団的に殺された占領当初の大量虐殺の危機から危うく生き残った体験を持つだけに,イギリス植民地下でのオックスフォード大学出席卒業者として約束されたエリートとしての地位を投げ捨てて,自分の命を自分で守るために独立への努力に生涯をかけた原点です。この点は,ほとんどの(あるいはすべての)シンガポーリアンに共有されているもので,駐在中に,シンガポールの誇りは?という私の問いに,ためらいなく「リー・クアン・ユー!」という言葉が返ってきたことがあります。50年前に,一人当たりGDPがフィリピンの1.7倍だった国を今では22倍もの国にした功績の多くは,リー・クアン・ユーの情熱と努力と能力に帰することは,シンガポールでは不思議でもなんでもありません。これについては,私も同感です。今回も,友人との対話でも,そこは共通するところでした。それはカリスマ化するものではなく,一人の強靭な精神力と意志を持った人物の足跡への敬意なのだと思います。もちろん,リー・クアン・ユーひとりが物事を成し遂げた訳ではありませんが,多民族国家シンガポールにおいて各民族をまとめるビジョンを掲げ続けた「ぶれない軸」であったことは確かなように思います。
 中国系が圧倒的多数だったシンガポール(私の駐在時に中国系が78%,マレー系が14%ネインド系7%)で,多くの激しい反対を押し切って,多数派の言葉ではなく英語を共通語とすることによって現在の発展を生み出しています。もちろん,問題点を挙げればきりがないと思いますが,そんなネガティブチェックを吹き飛ばすほどの実績が,国民を惹き付けているのだと思います。私の友人も,両親がインド系と中国系で,育ての親はマレー系と中国系で,純粋な中国系ではないということで言葉にはしにくい苦労をしてきたと思いますが,それでも努力すればチャンスが開ける社会を実現しているというのが素晴らしいと,素直に思います。

2010年12月26日
 シンガポール便り3日目です。クリスマスの昨日は,地上200mのスカイガーデンのスイミングプールに驚嘆し,イスラム国マレーシアで昼食を取り,シンガポール滞在中によく利用したショッピングセンターでの夕食と,相変わらず「食」中心の一日でした。
 ホテル近くのフードセンターで,いつもより一品奮発して注文しても2人で千円未満という朝食を楽しんだ後,最近開業したばかりのマリーナ・ベイ・サンズへ。超高層ホテルを3棟,一定の間隔を空けて並べて建てて,その上を横につないで,高さ200mのところに延長340mのスカイガーデンを作り,さらにオープンエア(屋根のない)スイミングプールを作るという発想力と実行力に感嘆しました。プールはホテルの宿泊客でなければ利用できないのですが,その周囲のスカイガーデンへは入場料を払えば入れるので,プールのすぐ近くで,当分,座り込んでいました。高さ200mでの屋根のないプールですから,確かに,開放的です。初日に乗った高さ165mの観覧車も下の方に見えます。シンガポールに林立する高層ビル群を下に見ながら,普通に賑わっているプールを眺めながら,先ほど書いた発想力と行動力について考えていました。「そんなことをしてどうするのか」とか「意味があるのか」「そんなところにプールなんか作って無駄じゃないか」など,これまで日本のお役所勤めで耳にしてきた数々の(良識ある)否定語が頭に浮かんできました。スイスのシンクタンク・ビジネススクールであるIMDが毎年発表する国際競争力指数において,日本は発表が始まった20年前には1位だったのですが今年は27位に転落しており,シンガポールはついに1位になっています。今年は,今の日本について,「老化を自覚して気力を失った中年の危機」とのコメントがあったとか。緻密で間違いがなく調和の取れた行動というのが日本のすばらしさだと思いますが,変化を生み出す(一見乱暴な)大胆さと度胸も必要なように感じます。地上200mの屋外のプールで楽しむ人々の姿を眺めながら,あれこれと考えさせられた1時間余でした。
 気を取り直して?,隣国マレーシアのジョホールバールへ昼食に。シンガポールは,面積が720kuと広島市よりもかなり小さい国ですので,広島駅から見ると我が家のある宮島口近くに相当するジョホールバールに行くのにもパスポートが要ります。(余談ですが,こんな狭い空間で暮らしているから,気軽に楽しめる「食」に人々の関心が集中するのだと感じています。)クリスマスだから人が多いよと言われていたとおり,出入国管理の窓口は長蛇の列でした。行きはシンガポール側の出国管理場までタクシーで行って出国手続きを済ませた後,1kmほどの海を渡る土手道(コーズウェイ)をバスでマレーシアに。そこでまた並んで入国手続きを済ませて,やっと市内へ。大規模ショッピングセンターのフードコートで庶民向けのマレー料理を食べた後に,帰路は鉄道にしました。以前にも利用したことがあったので,軽く考えて選択したのですが,2〜3時間に1本しかない列車が1時間遅れたこともあり,シンガポールに帰るだけで3時間もかかってしまいました。笑えるのは,マレーシアの出国手続きを済ませて乗り込んだ列車が5分で海を渡りシンガポール側の入国管理場へ入った後,乗客全員が列車から降りて入国管理を済ませるために55分停車したことです。以前は,乗客が少なかったのでもっと早かったような気がするのですが。再び動き出してからもゆっくり走り,タクシーだと20分以内のところを30分かけて終着駅へ。国境の意味を再確認しました。ちなみに,帰路の鉄道運賃は,5マレーシアドル(約150円)でした。
 夜は,以前暮らしていたエリアを散策し,馴染みのあるショッピングセンターのフードコートで夕食。おいしいものが安く気軽に食べられる環境に満足です。特に,サトウキビを目の前で絞ってくれる好物のサトウキビジュースを見つけてさらに満足でした。昨日も終日食べづめでした。
 フードコートで食べ詰めのため,クリスマスケーキを食べる余裕のないクリスマスでした。

2010年12月25日
 シンガポール便り2日目です。昨日は,学生交流を通じての旧友との朝食と三原市の中学生の交流先の中学校の校長先生ほかとの昼食が中心行事でした。19年半前の8月に,県内の商工会議所と行政が共同で設立したシンガポール広島事務所の初代所長として着任して感じたことの一つが,人が,それまで馴染みのないことに直面した時にいかに物事を単純化して考える傾向があるのかということです。私自身,伊藤忠に出向した33歳の時に初めて英会話を勉強しだして高校生に混じって英検2級を取った程度でしたし,海外旅行も,伊藤忠での新規事業の立ち上げが成功して,ご褒美旅行として生まれて初めての海外旅行として中国に10日間行かせていただいたことと,シンガポール広島事務所の設立事前調査(とアパート探し)のために1度訪問しただけで,生まれて3回目の海外旅行がシンガポール駐在の赴任という状況でしたので,偉そうなことは言えないのですが,新設事務所の珍しさと折からの東南アジアブーム?で,びっくりするくらい広島から訪問してくる経済視察団等の対応をしているうちに感じたことです。囲碁や将棋であれば,10級とか3級とか初段とか言うのに,英語の話になると「ペラペラ」か「話せないか」の2つの単純化するようなものです。「インドネシア人は『みんな』怠け者だ。」というように,「みんな,全部,絶対」という言葉を使い,次には「自分は『見た』んだから間違いない」と来ます。これがいかに当てにならないかは,シンガポール駐在中に何度も経験しました。私自身の失敗談で言うと,当時,シンガポールの救急車はサイレンを鳴らさず走り,消防自動車は緊急出動中でも赤信号で止まっていました。これを『見て』来訪者にそう説明していたら,ある日,サイレンを鳴らして走る救急車や赤信号を突っ切る消防車に遭遇して,「嘘」を説明していたと真っ青になりました。地元の人に良く聞いてみると,道路が整備されて車両の台数がコントロールされているシンガポールでは渋滞がほとんどないので,そもそも救急車がサイレンを鳴らさなくてもスムーズに走れるので鳴らさないだけで,(前の車をどかせたい時など)必要な時には鳴らすし,消防車も,高速で流れている車の流れをさえぎろうとするよりは信号を待った方が無用の混乱を引き起こさず結果的に早いので信号を待つだけで,交通量が少なければ,赤信号でも突っ切ることは認められているのだそうです。このように,物事の「事実」を断片的に「見た」だけで,それを頭から信じ込むことの危険性を何度も教えられました。
 話が長くなりましたが,こんな経験から,「経済交流事務所」の所長として,東南アジアの経済・投資環境の説明をするだけでなく,広島の経済人の方々に多様性を受け入れるグローバル感覚をお持ちいただくための努力も必要だと感じたことが,着任早々に学生交流に取り組みだした理由です。(もちろん,立派なグローバル感覚をお持ちの方もいらっしゃいますが。)
 そんな思いがありましたので,当時,事務所開設3か月後に知事が100名余の訪問団でシンガポールを訪問する記念に,1千万円をかけてシンガポールで花火を打ち上げたいとの話が広島から来た時に,(地元の人たちとも相談して)花火を上げるくらいなら,(学生交流の取っ掛かりをつけるために)地元の高等教育機関に百万円分の日本語教育の教材を寄付したいと返しました。
 結局,花火は打ち上げられたのですが,同時に,百万円も認められて,その寄付をきっかけにシンガポール最古最大の国立高専(当時,人口320万人のシンガポールに大学は2校しかなく,4校ある国立高専が実学の高等教育の中心でした)との交流が始まりました。この交流は,その後,広島工業大学専門学校との交流の覚書調印につながり,現在に至るまで交流が続いています。
 ということで,この交流を通じて知り合った,この国立高専の言語学科長さんとの朝食でした。(長々とした説明ですみません。昔を振り返って,ノスタルジックになってしまいました。)
 この学科長さんとは16年来のお付き合いですが,今回,2時間以上に及ぶ「朝食」では,随分,いろんなことを聞かせていただきました。言語学部だった組織も,言葉を教えるだけでなく,いろんなことを教えるようになっていること,その中には,その高専の「売り」にしている「デザイン・シンキング(物の機能だけでなく,「その物が提供する価値や意味などを総合的に考えよう」というものらしい・・・)」の科目や,テレビなどのドラマ制作ではなく,医療福祉分野などで現場の状況などを伝えるための「ドラマ(日本では「寸劇」ですかね)」を教える科目など,随分新しい科目が増えていること,そして,私の駐在当時は,「福祉国家をめざさない」と宣言していたシンガポールでも,介護等の問題が大きくなりつつあり,いろんな動きが生まれていることなど。フィリピンからシンガポールに移住して,(中国系中心の)シンガポールで一定の社会的な地位を獲得したこの人の語りに引き込まれていた2時間余でした。余談ですが,日常的にお酒を飲む習慣のないシンガポールでは,人と人との交流は,(男女を問わず)このような食事の場が中心になります。
 次に訪問した,これも16年来の付き合いの,三原市の中学生交流の相手校では,校長,教頭,担当教員の3人とも女性で,これまた2時間半,シングリッシュ(シンガポール・イングリッシュ,シンガポールで身につけた私の英語も当然ながらこれです)の世界でした。当時78%の中国系,14%のマレー系,7%のインド系で構成されるシンガポールで,絶対多数派である中国系の言語ではなく英語を共通公用語として,教育もビジネスも英語に統一したことは,多くの反発も生み出しましたが,国をまとめるための一つの見識ではあったと思います。その結果,家庭では,中国語(それも,福建,広東,潮州など多様で)やマレー語,タミール語などを話している人たちが第二言語として話す英語なので,「難しい単語や言い回しを使わない」というのが基本で,そのためにどうしても言語表現が長くなってしまうので自然に早口になるという特徴があります。
 最初は校長室で1時間,そして,近所の「ベジタリアン中国料理」のレストランに場所を移してさらに1時間余の間,3人のシングリッシュの弾丸トークに対応するのは,結構ハードです。シンガポール駐在当初は,この状況で食事もするというのは至難の業であり,日本大使館の豪華な和食の出るレセプションでも,結局食べれたのはかまぼこ一切れだけで,帰り道にマクドナルドに寄ったということもありましたが,段々としゃべりながらも食べられるようになるものです。
 と,朝食会と昼食会の後は,妻のリクエストで,インド人街の巨大なマーケットでの買い物や,ちょっと奮発して,クリスマスイブのシーフード・ディナーでチリクラブ(蟹の唐辛子ソース煮)を楽しみ,結局,昨日も一日,食べ続けていました。
 日本での早起き習慣が続いているシンガポールからの旅行記でした。

2010年12月24日
 22日の午後に(一人だけ一足先に)仕事納めをさせていただいて,6年半ぶりのシンガポール里帰り中です。
 羽田空港の国際空港化で,広島空港を夜9時の最終の羽田便に乗れば,羽田で1時間半の乗換時間で夜行のシンガポール便に乗り継げて,翌朝6時にはシンガポール・チャンギ空港についているという便利さです。荷物も,広島空港で預ければそのままシンガポールです。
 月曜日に,2年前から課内にプロジェクトチームを作って取り組んできた事業で,ここ2か月半ほど難航していた案件が,なんとか一山越えることができて,ぎりぎりでのスリル満点の飛び出しでした。崖っぷちの追い詰められ状態でしたので,支えていただいた関係者と仲間に感謝です。
 今回のシンガポールは,18年続けてきている学生交流のシンガポール側のパートナーと久しぶりに旧交を温めるのが目的です。(もちろん,休暇ですので,シンガポールの変化を見たいとか,懐かしい料理の数々を食べたいとかもありますが。)
 実際,昨日早朝にシンガポールに着いて,高さ165mの大観覧車のシンガポール・フライヤーに乗り,水陸両用車による観光ツアーに参加した後は,もっぱら食道楽の方に走っていました。フードコートに行くと,1品200円から300円で,中国各地の庶民料理,マレー料理などが楽しめるので,もうほとんど終日食べ続け状態でした。19年半前にシンガポールに着任後半年間で,夫婦揃って体重が8kgずつ増えたことを思い出しています。
 また,シンガポールの発展と同時に,中国の存在感の拡大を感じます。昨日参加した観光ツアーでは,中国からの旅行者と思われる参加者が多く,ガイドも英語よりも中国語での説明の方が長い状態でした。以前では,全く考えられなかったことです。また,以前はトヨタだった,シンガポールの中心的なタクシー会社の車が,韓国の現代自動車の車に変わっていたことも,驚きでした。
 昨夜は,シンガポールの友人に頼んで,シンガポールの誇るコンサート・ホールで,シンガポールの若手のオーケストラのコンサートを聴きに行ったのですが,ここでも,シンガポールの力を感じました。広島市よりも小さな面積で,広島県と同じくらいの人口しかなかったシンガポールに,広島では想像もできない素晴らしいコンサートホールで,若手によるオーケストラで,入場料千円余でクリスマスイブ前夜にコンサートをできるということ自体に,シンガポール政府の文化に対する強い意志を感じます。  今回会う予定の会う予定の友人の一人は,小学校の音楽の先生から教育省に移り,現在は,世界各国を飛び歩いて,芸術の先生のリクルートをして回っています。
 シンガポールの,自分の国の将来をデザインする意志と行動力に感服します。
 良いクリスマスイブをお過ごしください。

2010年12月22日
 本日午後2時半で(私だけ)仕事納めをしました。今夕から29日朝まで,6年半ぶりのシンガポールです。学生交流先の関係者とも旧交を温めてくる予定です。

2010年12月19日
 昨日の岡山県医療ソーシャルワーカー協会の研修会で,今年の講師活動が終了で,一息ついています。昨日の研修は,少人数を対象に午前10時から午後4時までの5時間にわたり行うという,密度の濃いものであり,私としても良い経験でした。医療現場で,厳しい状況に置かれた患者さんや家族の方々に寄り添いながら,組織の内外での連携に頑張っておられる方々だけに,迫力と魅力のある方々ばかりで,私としても,とても充実した時間でした。
 このように,社会の現場で,いい仕事をしようと頑張っておられる方々に対して,「現場の課題を組織の課題にそして社会の課題に」という視点の拡大や,組織関連携や組織の中での変革への取り組み方のヒントを提供していくことは,とても大切なことだと思いますし,私としても手応えがありやりがいがあります。同時に,学ぶものも,大きなものがあります。公務員の仕事は,自分の取り組んでいる仕事の成果や評価がすぐ目の前に現れることが少ないだけに,より意識的に責任感を持って取り組んでいく必要があると自戒したところです。
 今年は,来週22日の水曜日で仕事納めをして,休暇を取って6年半ぶりのシンガポール里帰りです。大学を辞めて県庁に復帰して以来,なかなかまとまった休みが取れなかったのですが,学生交流で交流が続いているだけに,時には,シンガポールの変化を見て感じて,そして古くからの友人たちにも会ってこようというものです。ガイドブックを見るだけでも,この6年間の変化の大きさを感じます。
 ここ2年ほどかけて取り組んでいるプロジェクトの大きな転機が来週に残っているのですが,それ以外では,県議会の質問も常任委員会も終わり,ちょっと一息です。ということで,本業の方では,事務室のミニ大掃除?をしました。共同作業の達成感もあり実際に執務環境が改善されるという実利効果もあり,なかなか効果的な取り組みだと満足しています。
 今年もあとわずかです。最後まで,大切に過ごしたいと思います。今年も良い出会いが沢山あったことに感謝しています。

2010年12月12日
 12月8日付けでご紹介した『ALPS』という雑誌での人物紹介は,今年5月7日に掲載された朝日新聞のローカル版の記事がきっかけでお話をいただいたものです。
 こんなローカル版の記事が東京の編集者の目に留まるというのが不思議でしたし,公務員生活35年近い私がこれまで見たことがなかったこの雑誌に今回掲載された記事を,意外に何人かの人が見たというのも不思議でした。
 まあ,公務員生活の最終盤を過ごしている私にとっては,いい記念かと思っています。
 こうして振り返ってみると,いまさらながら,目の前の壁にこつこつと取り組んでいた中で,結果としてこうなっているという思いに至ります。まったく,ライフプランとは正反対で,その場その場でもがいていたことが,結果としては,運よく潰れずにつながってきたということかと思います。
 とはいえ,新たなことへの取り組みは,いつもゼロからのスタートです。どんなに経験を積んでも,特等席からのスタートというのはなく,山ほどの雑用にこつこつ取り組みつつ,先の見えない不安に耐えながら地道にやっていくものです。もし経験の蓄積による違いがあるとすれば,それは,実務の処理スピードと,過去の小さな成功体験に基づく可能性を信じる心,そして新たなものに取り組む不安へのささやかな耐性でしょうか。それに,どこでどう次の手を打っていくべきかという感性がいくらか磨かれてくるのかもしれません。もちろん,立場としてチームを動かせるようになるという大きなアドバンテージは生まれてきますが,最後は個人の力に帰ります。いずれにしても,それらは,自分の仕事の中から生まれてくるものだと思います。スポーツと同じで,実践の中で筋力や忍耐力が付いてくるのだと思います。
 自分の目の前の現実に対して,他人とは違う緊張感を持って取り組みつつ,しかもそれを肩の力を抜きながら,さらっと自然体で(押し付けオーラを出さずに)進めていくためには,表面に出ない大きなエネルギーが必要となります。それを支えてくれるのが,仲間の存在ですが,そのエネルギーを生み出し維持していくのは自分のこつこつとした努力だと思います。
 今年は,6年半ぶりにシンガポールに里帰りをしようと,12月22日が仕事納めだと宣言して,同夜の広島⇒羽田⇒シンガポールのチケットを手配しているのですが,とてもそんな気分になれないほど,日々ドタバタと過ごしています。とはいえ,人付き合いに恵まれているのが,大きな救いです。外国政府職員等の研修では,「人は自分が高く評価できる人に評価してもらえることこそが最も大きな幸せ」だと言っているのですが,まさにそう思います。人は一人で生きているが故に,人とのつながりが必要なのだと思います。

2010年12月8日
 先週,「財団法人地方公務員等ライフプラン協会」という団体から出されている『ALPS』という雑誌に,人物紹介記事を掲載していただきました。

2010年12月5日
 相変わらず本業の方は緊張感の高い状態が続いていますが,個人的活動の方は,年内は再来週の岡山県の医療ソーシャルワーカーさんの研修講師が残っているだけなので,ちょっと一息です。とはいえ,来月は,山口県の県・市町村の保健師研修と国立保健医療科学院の保健師研修に加えて日本小児科医会の小児救急電話相談の研究会があるのですが。
 先週火曜日は,ここ3年間ほど年間4〜7回継続的に担当している研修講師で三原市へ。研修メンバーの優秀さに加えて,こちらの方も3年目で少し指導の要領もいくらかは上達しているよう?で,各グループの議論の内容が深まっていっており,充実感を感じているところです。
 木曜日は,共同主宰しているアジアの会で,ブータン訪問談を聞かせていただきました。人口67万人,九州程度の広さの国ブータンは意外に近く,関空からバンコクへ6時間そこからさらに3時間弱で到着とか。最近は,イギリスのキャメロン首相やフランスのサルコジ大統領も唱えだして有名になった,GNH"Gross National Happiness"を打ち出した国であり,「あなたは今幸せか」という問いに対して,国民の9割がハッピーと答えているとのこと。(下記注:幸福の構成要素)輪廻転生の考えが染み渡っており,六道輪廻ゆえに,来世のために現世を大切にするとともに,そのような輪廻転生の命のつながりを断ち切ることとなる自殺をする人はほとんどいないのだとか。レストランでハエが飛んでくると,「そのハエは,(ハエに生まれ変わった)私のおじいちゃんが私に会いに来てくれたのかもしれないから,殺さないで。」と言われるのだそう。
 なかでも印象に残ったのは,「包まれ感」という言葉でした。人が社会の一員として存在し守られているという感覚は大切だと感じました。
 (注:幸福の構成要素)1.心理的幸福(@正の感情:寛容,満足,慈愛,A負の感情:怒り,不満,嫉妬),2.健康,3.教育,4.文化,5.環境,6.コミュニティ,7.良い統治,8.生活水準,9.自分の時間の使い方
 ところで,先々週末に地方公務員向けの雑誌から「対話力」についての原稿を頼まれて,ここ1週間ほどじたばたしていました。いつものようにまず30点をめざしてとりあえず書いてみて,何人かの友人の意見を聞かせてもらって書き加えて,編集者の方のご意見をお聞きしてと,進めていったのですが,改めて気付かされることもいくつかありました。中でも,一旦書いてしまったことには意外にこだわりすぎてしまうもので,他人に指摘していただかないと,冗長であったり,具体性がなかったりすることについて,自分ではなかなか気づけないものだということです。人は思い込みからはなかなか抜け出せないものだと改めて自省自戒をしたところです。来月発売予定ですので乞うご期待というところです。

2010年11月28日
 自治医大の財団主催の健康福祉プランナー養成塾(秋季コース)で,2日目の朝9時から夜7時までの講義とグループワークを,最近の定番相方の医療ソーシャルワーカーの先生と一緒に担当してきました。木曜日の午後から土曜日の昼までの実質2日間のうちの金曜日丸1日延べ10時間の担当でしたので,かなり責任を感じたのですが,山形から沖縄まで全国から集まった医師,保健師,事務職などの多様な職種の方々の熱心なご参加のおかげで,なんとか無事?済みました。
 公務員としてみなさんいい仕事をしていこうと,全国各地で頑張っておられるのだなぁと,改めて感じた次第です。
 他の講師の方々のお話をお聞かせいただく中で,恵まれない環境の中でも,いかに環境が恵まれていないかをとうとうと語ることなく,じっと耐えて,自らが置かれた環境の中で20年近くも忍耐強く最善を尽くされてきた過疎地の町立病院の院長先生のお話とお姿が印象的でした。
 また,私の尊敬する友人でもある別の講師が言われた,「地域の連携には信頼が必要だと言われるけれども,最初から信頼ができる訳ではなく,実際に行動を起こしていく中で行動の結果として信頼が生まれてくるのだ。」という言葉にも,感動しました。実践の努力の結果として生まれていることを,学者の先生方が重要要素だと指摘することによって,あたかもそれが最初からなければできないと思い込んでしまうということは,あるのではないかと思います。
 この話のパラダイム転換から,「仲間がいるから頑張れる」というよりも,「自分が置かれた環境の中で頑張ることが孤独な作業だからこそ,仲間が必要になる」ということかと思い付きました。
 結果を見てあれこれ講釈を言う人たちの言葉に慣れてしまっているだけに,現場で逃げずにもがきながら,明るさと柔らかさ,さわやかさを維持しておられる方々のお話に,感動した次第です。最初から「理論」に取り上げられている要素がある訳ではなく,行動する中でそれが生まれてくるというのは,大切なポイントだと思いました。逆に,条件が揃うのを待っていてはいつまで経っても何もできず,まず行動していくことが,大切なのだと話し合ったところでした。

2010年11月21日
 土曜日,日曜日と,名古屋で開催した公務員の組織風土改革の世話人交流会に,運営チームの一員として参加してきました。この交流会が初めて開催されて10年目,運営チームよる運営となってからで5年目という区切りの年でした。
 私は2000年秋に開催された第2回からの参加ですので,最古株の一人です。とはいえ,広い範囲の自治体から参加された30人が3つの分科会に分かれて,約10時間にわたっていろいろと語り合う場は,いつもながらに新鮮でした。職場では,自分の思いを語り合うことは(そんな余裕も)あまりありませんが,このくらいの時間を使って,分科会の10人程度のメンバーでじっくりと話し合うと,いろんな発見や気付きがあります。
 今回参加しての印象的なフレーズは,「熱い気持ちを持ちながらも興奮しないで取り組む」や「過去に何を達成したかよりも,今何をめざしているのかが大切」,「春のような優しい気持ちで人と接しられるようになった気がする」「分かってくれる人がいる安心感」など数多くありました。
 勢いだけでは組織風土を変えることはできず,できない自分も含めて何かをめざして努力している自分であり続けることの大切さを,改めて感じました。「職場の組織風土を変えること自体が目的になるのではなく,一つでも二つでも,いい仕事ができるように取り組んでいくことが大切なのだ」と改めて感じました。
 運営チームによる運営を開始した当初は,良い分科会運営をしなければと知らず知らずに肩に力が入ってしまい,自分の思いで進行してしまっていた面もあったように思いますが,今年は,参加いただいた皆さんの良い面がうまく組み合わさった相互作用として建設的で前向きの空間が生まれたような気がしました。
 このほか,「問い詰めるのではなく問いかける」とか,「違いを感じられる人とそうでない人とがいるのではなく,違いを感じられるようになるチャンスに恵まれた人とそうでない人がいるだけなのだ」,「一時的な盛り上がり合戦だけでなく,独りになって静かに考える時に,しみじみと力になってくれるような場が大切」といったいろんな言葉が心に残っています。
 折角の週末を使って,新潟から熊本まで,いろんな地方から参加していただいた方々とともに,充実した時間が持てたことを喜んでいます。
 ここ2か月ほど続いている大きな懸案事項の解決のためのもがきに,その重みに押しつぶされないように静かに歯を食いしばって取り組んでいる時期だけに,いろんな地域で頑張っている仲間たちに出会えたことで,少し元気につながったような気がしています。

2010年11月14日
 金土日と3日間にわたって開催されたノーベル平和賞受賞者サミットが無事終了し,ほっと一息です。直前になって,ゴルバチョフ氏とワレサ氏のお二人がドクターストップとかで欠席になり,個人受賞者の参加は6人になってしまったのが少し残念でしたが,それでもノーベル平和賞を受賞された方々と身近に接しさせていただいたことは,良い経験でした。
 このような大きなイベントについては,十分な体制と時間をもって取り組むのと,年度途中に話が来て既存の体制に純増の追加の仕事として取り組むのとでは随分状況が異なります。広島市が大きな部分を担っていただいた共同支援事業でしたが,県単独でも参加者全員100人余を招待しての広島港から宮島までのディナークルーズを実施したこともあり,職員の負担はかなりのものでした。厳しい状況の中でこんな仕事をしてみると,十分な体制の中でゆとりを持ってやるのでは見えないことが見えてきます。今回は,既存の体制に想定外の重い仕事が追加されたため,個別案件の重要度を考慮して,破綻した場合の影響の深刻さを考慮して優先度を決めて限られた資源を投入していきました。
 外から見ると,いろいろと行き届かない点があったと思いますが,十分ではない体制の中で,重要ポイントを意識して自発的に行動し,結果として破綻することなく終了まで持ち込んでくれた同僚の頑張りに心から感謝です。

2010年11月7日
 木曜日には,朝少し仕事に出た後,休暇を取って京都に。駅近くのキャンパスプラザ京都で,立命館大学のインドネシア公共政策研修(インドネシアの大学教員や政府職員対象)の"Planning ethiccs"の講義。約30人を対象に,グループワークも含めて2時間半を英語でというのは結構ハードです。昨年に続き2年目ですが,社会や行政のあり方についての基本的な考え方,めざすもの,姿勢は,国が違っても同じだと感じます。グループワークの後で個人が感じたことを何人かに発表していただく中で,改めてそれを感じました。
 立命館の講義が済んだ後,夜にゲストスピーカーを頼まれていた滋賀県庁の有志職員の会Σ塾まで2時間近く時間があったので,タクシーに乗って東寺へ。ここの五重塔の美しさが好きなので久しぶりのご対面を期待して行ったのですが,到着した途端に立命館大学の職員の方から電話で,研修会場にコートを忘れているとのこと。京都は寒いからと,今年初めてコートを持って家を出たのが裏目に出てしまいました。あわててタクシーに乗ってとんぼ返り。もう一度東寺まで行く気力もなく,京都駅で,やけコーヒーを飲んでました。
 滋賀県庁のΣ塾というのは,「高い志を持って自ら考え行動しようとする職員により,人材力と組織力を高めその総和(Σ)で県庁力を最大化しようというもの」とのことで,20人余の参加者の方々に40分ほどお話をさせていただいた後に1時間半ほど意見交換をし,さらに場所を移して懇親会へ。問題意識を持って集まっておられる方々との話は,建設的で前向きであり,愉快で充実した時間を過ごさせていただきました。
 Σ塾の参加者の方からは翌日何通ものメールをいただきましたし,立命館の研修参加者からも事務局を通じてメールアドレスを教えてほしいとの問い合わせがありました。このような後に続く反応がうれしいものです。前の週の滋賀県の保健師さん研修でも同様でした。ちょっとしたことですが,思っただけでなく実際にメールを出してみるというような小さな行動から変化が生まれることもあります。
 土曜日の午前中は,個人的に頼まれている,ベトナムの留学生との交流の研究会で,午後から夜(10時!)までは,広島にある国連機関ユニタールのアフガニスタン政府職員や教員等の研修の修了式と送別レセプション。今年からは県の資金のほかにアメリカの国際協力機関の資金も入って研修生が倍以上に増えて盛況でした。アメリカ,カナダ,ニュージーランドなどからも講師を招き,レベルの高い研修をしています。驚いたのは,30歳代を中心とする受講生の英語能力の高さです。私は全くついていけない講師の英語に,55人の受講者が苦もなく反応している姿に感心しました。
 このところ週末に行事続きでちょっと息切れ状態ですが,今日は一息です。とはいえ,来週末はノーベル平和賞受賞者サミット,再来週は公務員の組織風土改革交流会,その次の週は健康福祉プランナー養成塾(秋季コース)と週末行事が続きます。本業で難問の懸案課題が重なっており,心穏やかではおれないところもありますが,一つひとつ取り組んでいきたいと思っています。

2010年10月31日
 他県の同業の友人からのメールに,現場に出ず現場を理解せず,自分からは火の粉をかぶらない待ちの姿勢のくせに,自分の中だけでの独りよがりの解釈で他人の仕事にけちをつけたり勝手に改悪したり,机上の作文が自分の仕事だと思っている行政職員の話があり,怒りを感じるよりも,哀しくなりました。
 行政職員は,自分の足元が安定しているだけに,勘違いがまかり通ってしまいます。私自身,基本的には安定した立場で仕事をさせていただいてきましたが,それでも,いろんな分野で一生懸命に仕事をしておられる多くの方々とご縁をいただく中で,そのような,無神経で独りよがりで,そつなく立ち回る行政職員を見ると,人並みには怒りを感じるようになりました。自省を込めてですが。
 "To Have or To Be."という,学生時代に愛読した社会心理学者エーリッヒ・フロムの著書のタイトルの言葉がすべてだと思います。何を持っているかではなく,どのように生きたのかが記憶されるのだと思います。来週頼まれている,立命館大学でのインドネシア政府職員と大学教員への"Planning ethics (計画倫理)"の講義の最後にもこの言葉を持ってきています。「今の到達点」の評価ではなく,「今の生きる姿勢」の評価が大切なのだと感じています。それは,人と人とのつながりの中で生まれてくる価値なのだと思います。人の幸せも,そんな中から生まれてくるのだと思います。
 先週末は,滋賀県の保健師さんの研修に呼んでいただきました。3時間半の研修は手応えがあり,やってる方にも充実感がありました。最近,なかなかうまくいかない仕事が多い中で,久しぶりにさわやかな時間でした。その分,終了後の一次会と二次会ですっかり楽しく痛飲してしまいました。
 今日は,父親の35日の法要と納骨をすませてきました。
 今年もあと2か月,カレンダーをめくりました。

2010年10月24日
 最近,いろいろとある中で,その底流にあるものとして,未来を考えているかどうかが違いを生み出しているように思います。昨日書きました倉敷市の保健所の事例でも,今までの努力を整理し定着させ,よりよい未来の姿を生み出そうとする動きだと思います。「今」ある問題をいろいろと並べ立てて嘆いているだけではなく,前に向かって少しずつ取り組みを進めて,その成果を少しずつ積み重ねていき,ある程度蓄積されたところで,それまでの努力の成果を自分たちなりに整理して定着させ,未来に向かっての道を,より具体的で手堅いものにしていくという努力こそが大切だと思います。
 本業の方で抱えている問題にしても同様に感じています。「今」の人や組織の問題をあげつらって否定していているだけでは何も解決しません。それ自体をどう変えていくのかに取り組むか,あるいはそれに代わる新たな何かを生み出そうと取り組んでいくのか,のどちらかの努力が必要なのだと思います。それは,未来を生み出そうとする使命感・責任感の問題であるように思います。
 研修や講演でよく引用している,クリントン大統領の1999年の一般教書演説の,「100年後の大統領の一般教書演説において『100年前の人々(すなわち,我々)が,今の自分たちのことだけでなく100年後の人々のことまで考えていた』と言ってもらいたいものだ」というフレーズは,それを示していると思います。
 今ある問題を並べ立てて,その深刻さ難しさを解説したり,その解決の難しさを嘆いて無為の言い訳にしたりするのではなく,未来を具体的に変えたり創り出していくための「行為」が求められているのだと思います。それは,負荷のかかる行為ですが,その負荷に耐えてこそ,筋力もつきますし,失敗の経験を通じた学びからの知恵もつきます。(研修では,まだあきらめていなければ,過程における「失敗」は失敗ではなく「経験」だと言っています。)
 個人の付き合いも同じだと感じます。長くお付き合いいただいている方々は,今の時間が楽しいだけでなく,刺激を与えてくれ考えさせてくれて,明日への自らの「行為」を生み出す手助けをしてくれます。それは,具体的な実利的な打算の話ではなく,相手がいろいろな壁にぶつかって悩む中でも,心を殻で覆うのではなく,青く柔らかく潤いを保とうと努力している姿に共感し,未来を踏み出していくためにそれぞれが努力していこうという気にさせてくれるという,情緒的な面での話なのだと思います。人がそれぞれに生きていく中での,認め合ったり励ましあったりする「同志」的な関係なのかもしれません。
 携帯メール,チャットやツイッターのような,「今」を伝えあう情報量が爆発的に増えている時代だからこそ,独りになって心静かに考える時にも,価値が色あせないものを大切にしていきたいと思います。それには,「今」を楽しむだけでなく「未来」につながっているのかが,大きな要素になるのだと思います。

2010年10月23日
 なんともいろいろとドタバタする日々が続き,難問山積ですが,大学院を休学している分,気分的にはやや楽になっているように思います。 やはり,知らない分野でもがくことは,かなりの負担になっていたのだと思います。 本業と研修講師等のほかにもう1本柱を立てるというのは,いささか無理があったように思います。
 逆に言えば,経験がある範囲だけで過ごしていれば,そんなしんどい経験もしない訳で,これもまた問題だと感じます。自分の経験のある分野で活動を広げていくのは,いわば水平方向の展開ですが,新たな分野にトライしていくのは,垂直方向の移動だと感じます。 歩くのでも,平地を歩くのと階段を上っていくのとでは負荷が全く異なります。筋力のつき方も違います。
 新たな分野での重みに耐えながら進む中で,力がついてくるのだと思います。
 先週水曜日は,休暇を取って,倉敷市の保健師人材育成ガイドライン検討会に出席してきました。このような機会は学びの場でもあるのでできるだけお断りしないようにしているのですが,今回は特に学ぶものが多くありました。倉敷市の保健所が,曽根所長さんのリーダーシップと職員の熱心な取組みで,しっかりとした取組みをされておられるのをみて,感心しました。同時に,このような取組みが続けば,そうでないところと比べると,随分大きな違いが生まれてくるのだろうと感じた次第です。
 このような,現場での実践成果を踏まえて,外部委員も入れてそれを評価し,ガイドラインとして定着させていこうという姿勢が,本当の意味での人材育成の形を生み出すのだと思います。大学や研究機関に所属したから,その世界での常識に従って「研究・教育」をするというのではなく,このような現場での先行モデルをしっかりと評価して,実践的な知見を全国に展開していくという,地方発の全国展開の波が広がっていくことを期待しています。 いい仕事をみせていただく喜びを感じたところです。

2010年10月17日
 仕事の面では,大きな話でも小さな話でも,頭が痛い話が続いていますが,それ自体を悩んでいても仕方ないので,こつこつと現実の対応を積み重ねています。とはいえ,いろんな人間関係には,このところ特に恵まれているのが,せめてもの救いです。
 昨年,国立保健医療科学院の研修の準備をしている時に,「難しい仕事は難しい顔をしていてはできない」という言葉を思いついて使い出しましたが,今さらに,そうだと感じているところです。そんな感じで,頑張っている人とお話をする機会があると,ほっとしますし,何かを共有できるような気がします。
 結局,自分を主役で考えるのか,「めざしたいこと,実現させたいこと」を主役として中心として考えていくことの違いなのかもしれません。自分はこんな人間だとか,自分はこれだけのことをやったとか,これだけの立場を持った自分にはこれだけの対応がなされて当然だとか,といったような感覚ではなく,めざしたいもの,実現したいものはこれなので,それに向かっていろんな人に声をかけて一緒にめざしていこうとすることに,個人の満足を超えたものが生まれるように感じます。
 自分を中心に考えていると,なかなか満足にはたどり着けませんが,「めざしたいこと,実現させたいこと」を中心に考えていると,少しでもそれに向かって変化が起きればうれしいですし,たとえそれが結果としてうまくいかなくても,いろんな人たちと一緒に働いた楽しさや充実感は残るような気がします。
 今週は保健師さんの関係で倉敷,来週も保健師さんの関係で滋賀県草津,次の週は立命館のインドネシア政府職員等研修で京都,その後は,組織風土改革交流会で名古屋,健康福祉プランナー養成塾で東京,医療ソーシャルワーカーさんの関係で岡山など,年内だけでも個人的活動がいろいろと続きます。いずれも,何かをめざして一緒に汗をかくということでは共通するような気がしています。

2010年10月11日
 地域学会での発表を無事??済ませて,ほっとしているところです。東京での学会の往復で,読みかけていた『ビジョナリーカンパニー3,衰退の五段階』を読み終わりました。
 アメリカのビジネス書のうち,このような質の高い本を読む度に感じることですが,現実の世界の膨大で複雑な情報量を,多大な労力と執念と根気で,分かり易くシンプルに解き明かしていく,その圧倒的なエネルギーに感嘆します。
 単純なことを難しくいうのは簡単ですが,複雑で無数の例外があるように思われる現実の社会を,徹底して追及し,シンプルな原理原則として示して見せる力に触れると,アメリカの,というよりは,本当の知の力を感じます。
 衰退の5原則は,「傲慢,拡散,現実否定,一発逆転狙い,崩壊」といったようなものです。(この本に使われている言葉は少し違いますが。)
 「不適切な人を主要なポストにつけるようになると,不適切な人の欠陥を補うために,官僚的な手続きを確立するようになる。その結果,適切な人材を追いやる。」「基本的価値観と厳しい基準の枠組みの中で自由と責任を重視する精神が侵食されるとき,凡庸さの病に感染している」「基本的価値観は決して,絶対に放棄してはならない。」「成功とは,倒れても倒れても起き上がる動きを果てしなく続けることである。」「適切な人材は『肩書き』を持っているのではなく,『責任』を持っていることを理解している。」「偉大な組織の指導者は進歩を促す仕組みを作っており,カリスマ的な個性に頼って物事を進めようとはしない。」などの言葉を読むと,現実とアカデミックな研究との融合の価値を感じます。

2010年10月9日
 今週は,月曜日に議会の「事業仕分け」があったので,忌引休暇中でも出勤して,1時間みっちり答弁させていただいたり,父親の死去に伴う手続きのために尾道に帰ったり,水曜日からは溜まった仕事の対応や,問題案件への対応,海外からの来客対応など,気ぜわしい日々でした。
 水曜日には,共同主宰しているアジアの会の仲間の清水正弘さんの『里地・里山を歩こう』(南々社)出版のお祝い会を仲間内でしました。中国地方の自然の豊かさを再認識します。
 金曜日には,大学の先生と,保健師さんの仕事についての意見交換会。専門職と行政職員としての側面との両方を持っているが故の価値などについて議論していました。  明日,明後日は,学会発表のため東京です。

2010年10月3日
 先週,尾道の老父が亡くなり,喪主を務めてきました。満90歳でしたので,まあ天寿かと思います。8月末に入院した時には,もう長くはないとのことでした。
 普段,命の尽きることを意識して過ごすことがないなと,改めて感じたところです。
 父の享年の90までと考えると先の長さに愕然としますが,たとえそれが明日であっても,心静かに逝けるように,覚悟を決めて日々を過ごさねばと感じた次第です。
 とはいえ,会葬・香典を辞退して家族葬としたため,家族・兄妹,親戚と,久しぶりに一緒に過ごす時間が持てたことは幸いでした。逆に,日々,そのような縁を持つ機会が薄れているとも感じました。

2010年9月26日
 19日の事業仕分けの後,21日は大学院の中間発表会,23日は祝日にも関わらずノルウェー王国議会外交・防衛常任委員会一行の知事表敬,25日は日本小児科医会の小児救急電話相談の研究会で東京日帰りと,相変わらずのスケジュールに追われるとともに,毎週末は入院中の尾道の老父の見舞いもあり,落ち着かない日々でしたが,とりあえず一息です。今日は,早朝から,半年振りに友人の船で海に。朝日の昇る瀬戸の美しい景色,を楽しむ余裕もなく入れ食い状態の釣りに没頭していました。美学よりも欲が優先でした。
 最近,対話力としなやかさの不足に関する話を聞くことが多いように感じます。それは,理解力とか共感力の不足にもつながるように思います。自分の思いが強すぎて,周りの人を忍耐強く巻き込んでいく努力の不足かもしれません。それは目先の自分の満足の追求かもしれません。自分が描く自分の姿を手っ取り早く実現したいが故に,周りの人たち一人ひとりの納得など待っていれないということかもしれません。けれど,自分だけで描いた夢は,はかなく消えてしまいます。どんなに回り道に思えても,他人の理解が得られなければ意味がないという思いを持って,地道に語り続ける必要があると思います。そんな,徒労感や消耗感に耐える力を生み出すのは,「良質な怒り」なのだと思います。社会の理不尽さ,歴史への責任,そういった観点からの怒りが,人の忍耐力を生み出すのだと思います。
 余談ですが,大学院博士後期課程の1年半経過時点で,今年度の後期を休学することにしました。このままドタバタしていても,研究が進むとは思えないというのが主な理由です。一息ついて,これからを考えたいと思います。私はやはり実践側の人間だと思うのですが,次の仕事が見えない中で,なんとか緊張感を切らさずにいたいと思っています。これまでも,先の見通しなどない中で,めざすものを掲げながら投げずに地道に努力を続けてきたから道が開けてきたとは思いながらも,今度はこのままで終わってしまうのではという思いもあります。
 ところで,自宅の机の横に置いている脇机に,半分に切った古封筒に今後の予定の研修講師等の関係資料を入れて並べているのですが,県内の三原市職員のシリーズ研修以外は,年度内の予定先が,倉敷,滋賀,京都,愛知,東京,岡山,埼玉,山口,東京,宮崎となっており,何とも多様です。

2010年9月19日
 先週木曜日はアフガニスタン政府高官(副大臣ほか)への地方自治等のプレゼン,土曜日は「(広島県版)事業仕分け」で,緊張感の高い時間が続きました。8月の後半から,他県職員研修,文化庁日本語教育大会パネリスト,国連機関ユニタールの東京でのワークショップ開会式でのスピーチ,計画行政学会での報告,エクアドル大統領来広対応,留学生活躍支援組織立ち上げ準備などが立て込んでおり,気分的に余裕のない日々が続きました。
 後は,明後日の大学院の研究中間発表会が済めば一息つきます。とはいえ,土曜日は東京で小児救急電話相談の研究会,10月は地域学会での報告のほか,1月までに10回余の研修講師等を引き受けてしまっており,あまりのんびりできる訳でもありません。
 あれこれやってみて感じるのは,何度か経験している分野は,忙しくてもあまりストレスにはならないのに,経験していない分野は,当然ながら負担感が大きいことです。当然といえば当然なのですが,馴染みの薄い分野において,沢山の無駄をしながら模索を続けていくことは消耗感の強いものですし忍耐力を必要とします。とはいえ,そのような分野でジタバタすることは,新たな発見にもつながります。逆に言えば,なじみのある分野の中だけで過ごしていると,知らず知らずのうちに,自己満足に陥ってしまうことにもなりかねないと感じています。
 先週のアフガン政府職員の方々へのプレゼンは,英語でお話ししたものを,先方の研修センター長さんが地元の言葉に翻訳していただくという形でしたが,そんなプロセスを超えて,互いに共感するものがありました。未来の世代のためによりよい社会を築いていきたいという行政職員の基本の思いは同じだと感じました。最近,年に数回このような機会がありますが,そんな思いを強くします。1時間半の話の最後に,今日の話を一言で言うとそのメッセージは何かという質問をいただいて,一瞬言葉に詰まりましたが,気を取り直して,歴史への責任意識ではないかとお答えしました。自分が,それがいかにささやかなものであっても,歴史の歯車を前に動かそうとしているのか,止めているのか,あるいは後に戻してしまっているのか,そんな視点が大切だと思うと申し上げました。
 どんな厳しい環境の中でも,それぞれに,一人の人間としての存在感をもって精一杯生きようとしておられる方々にお会いすると,自らの真摯さを振りかえさせられます。

2010年9月12日
 先週は,月曜日に東京の国連大学で開かれた国連機関ユニタール広島事務所主催の研修の開講式での挨拶(英語!),火曜日は中国からの訪問団とエクアドル大統領来訪対応などでどたばたした上に。金曜日から日曜日まで,日本計画行政学会での発表のために札幌へ。
 このほか,最近,知人からの紹介で知り合った魅力的な方(男性)から他の人(同左)を紹介していただいたり,小児救急電話相談の打ち合わせがあったりと,相変わらずのペースでした。学会発表は,あまり深まっていないものの,座長の先生方に励ましていただき,少し元気が出たところです。
 いずれにしても,学会など,普段過ごしている世界とは180度感覚のことなる世界を経験し,しかもその世界でいくらかの評価を得ようと努力することは,得ることがあるものだと感じています。
 ともすれば,知らない世界に対しては,批判的批評的になってしまいがちですが,その中で評価を取らないと生きていけないという感覚で否定ではなく努力をする中で,学ぶものはあるように思います。

2010年9月4日
 先日,ひょんなことから地方公務員等ライフプラン協会の情報誌掲載用のインタビューを受けました。ライフプランなんて言葉とは縁のない,行き当たりばったりの選択の積み重ねで今日まで来ていますので,いかがなものかと思いましたが,まあご縁ですので。
 いろいろとお話している中で,これまでを振り返る良い機会になりました。県庁から商社へ,県庁からシンガポールへ,県庁から大学へと,全く価値基準,評価基準,行動様式が異なり,しかも過去の実績や肩書きなどが全く通用しない世界を何度も経験する中で,一つの組織の中での受身の評価ではなく,本質的に何が大切なのかを考えるようになったと思います。それは,大げさにかつ単純に言えば,歴史の歯車を(たとえそれが小さな歯車であったとしても)前に動かしているのかどうかといった価値基準だと思っています。
 無から有を生み出していくのは,成功の保証のない中で先が見えずに模索を続けるという点で不安なものですし,大体は,うまくいかないものです。膨大な(一見無駄と思える)努力の積み重ねが必要になります。「風に向かって立つ」と言いますが,自分が言い出して,それによって起きる風を体で受けとめて頑張るためには,小さな成功体験を積み上げる必要があるように感じています。
 ライフプランという言葉について,表面的な言葉の解釈で言えば,私の雑多な仕事のキャリアは,決してライフプランの結果というものではなく,その時その時に,自分がちょっと前に踏み出してみたことの積み重ねの結果だと思います。いずれの選択も,結果が見えていた訳でもなく,「正しい選択」であった訳でもなかったと思いますが,自分なりの漠然とした方向感覚で踏み出していったものであり,その点では,後悔せずに楽しんでこれたと思っています。この点で,「ライフプラン」というのは,単なる将来計画というのではなく,何を大切にし軸として,価値基準・行動様式を選択していくのかということなのかもしれないと思いました。

2010年8月29日
 金曜日に文化庁の日本語教育大会のパネリストが,無事にかどうかは別にして,とにかく終わりましたが,当分締め切りや行事に追われる日々が続きます。文化庁の大会は500人程度の参加者で盛会でした。人数はともかく,日本語教育という慣れないテーマでの発表は緊張するもので,しゃべり出しの自分の声が上ずっているのがおかしく,一人(内心で)笑っていました。内容的には,日本国籍でない人たちの人権問題にまでつながる重い課題であり,表面を引っかいただけで終わってしまったかもしれません。でも,私なりに努力はしたということで・・・。国としての制度設計の大切さを指摘させていただきました。もちろん,地方でできることについては,頑張って取り組んでいかなければならないと思いますが。
 いつも追い詰められた感じで過ごしていても,なんとなくそんな状態に慣れてきて,とりあえず首の皮一枚で何とかごまかすというのには長けてきているように思い,進歩がとまっているのではと思います。
 いずれにしても,ドタバタする中でも,自分なりの存在感から生まれてくる言葉の力を大切にしなければと感じています。
 組織の中でどんなに評価されているかではなく,実質的に,社会にとって社会の将来にとって,必要な・有益な,新たなもの・新たな変化,を生み出しているかどうかが,大切なのだと感じています。(もちろん,やりたい仕事をしていくためには,組織の中での評価を得ることは大切ですが。)

2010年8月22日
 先週は,香川県の課長補佐登用研修に行ってきました。今年で4年目ですが,毎年,それぞれ手応えが違うのをおもしろく感じます。場の空気というか,集団の空気というものがあり,それは,受講者と講師のそれぞれが影響し合って生み出されるもののようです。もちろん,慣れや経験によってテクニック的なものが上がっていくことはありますし,その時の気力や体調によっても異なるのですが,それ以外のなんというか相性とでも言うようなものがあるような気がします。今年は,場の緊張感がスムーズに上がっていき,やっていても手応えを楽しめました。さすがに場数はこなしてきているので,どうにもならないということはあまりないのですが,それでも違いが出るのはおもしろいものです。
 で,週末は,土曜日に尾道の老親宅にとんぼ返りで行ってきたほかは,相変わらず部屋篭りです。これだけあれこれ抱えているのに,なんでまたこれを引き受けてしまったんだろうと思うこともありますが,まあ,この追い詰められ感に馴染んでしまっているのかもしれません。
 などと言っても,肝心の研究の掘り下げが進んでないので,困ったもんです。
 文化庁の日本語教育大会のシンポジストとしての発表準備も,最初にざっと書いた時には,なんとなくものになっているような気になってしまっていたのですが,パワーポイントにしてみて,実際にしゃべってみると,なんとも論理的な整合性も深みもない,表面的な薄っぺらいものに感じられて,へこんでしまいました。もっと普段から緊張感と集中力をもって考えなければと反省していますが,そんなことはできる訳もなく,まあこれが実力だと開き直っています。
 どうも最近は愚痴で終わっています。もう少し,深みのある話をしなければ・・・。
 追記です。今日一日机に向かっていながら,日本語教育大会の発表準備以外はほとんど成果のなかった一日に開き直って,バーボンを飲んでいます。昔を振り返って,あれこれ自分の立ち振る舞いに気を配る余裕もなくなるような本当に厳しい環境に置かれる中で,なりふり構わずつかもうとする物が出てくるし,きれいに掃き清めた箱庭の世界ではなく,嵐の中でも決して手を離してはいけない本質的に大切なものは何なのかを,厳しく問いかけることができるようになるのだ,という言葉を思い出しています。全く価値基準と評価の違う世界を何度も経験させていただいたが故に,自己満足の世界で箱庭の完璧主義に陥らずに来れたのではと,感謝している自分があります。(もちろん,見えていないものは多々ありますが。)

2010年8月15日
 お盆だというのに,部屋に籠っています。あれこれ頼まれ仕事の準備をしつつ,目途が立たない「研究」に手をつける気力も湧かず,中途半端この上ない時間の過ごし方をしています。
 以前にも書きましたが,行政から商社,海外,大学と,それまでとは価値観や評価基準が全く異なる世界に移ってもがいてきた経験はあるものの,「学問」や「研究」の世界はさらに勝手が違います。(広島大学では,社会連携の実践の仕事でした。)これまでは,「現実に結果を出したか」が問われていたのが,「どれだけ先行研究を調べたか,研究・分析手法は適切か,アンケートやヒアリングなどで検証はしてあるか,どれだけきちんと緻密に論理的に積み上げて検証しているか,新規性と有益性のある結論は何か」が問われるので,もうすっかりお手上げ状態です。
 まあそんな中でも,転んでもタダでは起きない,という思いで,何かは得たいと思っています。
 自分にはどうにも手が出ないと思うことにもがく中で,得られるものもあります。いつぞや,「やらねばならない仕事を好きになる」という言葉の入ったポスターを見て,感心したことがあります。「できることやりたいこと,ではなく,やるべきこと」(東北大・大見先生)という言葉もあります。
 ともあれ,わがままを言わず目の前のことに誠実に取り組んでいきたいと思います。人の付き合いに恵まれているのが救いです。
 終戦記念日です。今年の3月14日にも書きましたが,明治時代にエール大学の教授となり,単純事大主義の日本の将来を憂い,日米開戦まで予測した朝河貫一氏のような方々が少なからずいたにもかかわらず進路を誤ったことを考えると,大きな流れの中で,多様性を尊重し,違いを認め受け入れ尊重することの大切さと難しさを感じます。それが変化の力であり進路の見直しにつながるのだと思います。

2010年8月8日
 8月6日の国連事務総長の来広などでひたすらドタバタした日々が続きました。いろいろありましたが,なんとか無事に済んでほっとしました。とはいえ,8月だけで三原市,香川県など3つの行政職員研修講師と文化庁の日本語教育大会のパネリストがあり,その後も7本ほど県外からの話を引き受けてしまっており,今からその準備です。なんといっても問題は,9月10月と学会発表等が3つあるのに,学問的掘り下げの目途がぜんぜん立っていないことで,真夏だというのにすっかり憂うつ気分です。形だけは机に向かっていますが,ほとんど前に進んでいません。
 とはいえ,自分にできないことが目の前にぶら下がっているのは,悪いことではないと感じています。人は誰でも自分のできることだけを見たくなってしまうものですが,できない自分を常に意識せざるを得ないと,いくらか自分の世界が広がっていきそうな気がします。
 子どもたちが学校に行っていた頃,毎夏,10連休を取って新潟県の妙高高原の笹ヶ峰まで片道850kmを荷物満載で運転し,テントで7泊していたことを懐かしく思い出しています。
 昨夜は住んでいる団地の夏祭りに行ってきました。普段,地域のコミュニティと関わることも意識することもないことをいくらか後ろめたく思いながら,雰囲気を楽しんできました。
 明日は東京日帰り出張です。

2010年8月1日
 昨日は,広島で開かれた自治体有志の会のシンポジウムに参加してきました。私はこの会のメンバーでもなく「有志」という柄でもないのですが,公務員の組織風土改革交流会の仲間が何人も参加しているので,旧交を温めに参加です。
 大学院のゼミの関係で,後半のパネルディスカッションからの参加でしたが,佐賀県の古川知事,生駒市の山下市長,スコラコンサルトの元吉さん,札幌市の金田さんというパネリストのお話が素晴らしく,充実した時間でした。特に,元吉さんとは公務員の交流会で10年のお付き合いですが,今回は改めていろいろと得るものがありました。
 仕事について「これってこんなもの」と思い込んでいて「やってます,できてます,分かってます」と言うけれど,本当にそうなのかと話し込んでいくと,実は自分自身のやりたいことという中身がなかったということもある。当たり前になってしまっている仕事を問い直すこと,自分で考えることが大切だけれど,自分だけで考えることは難しいので,他人と関わることで自分を知ることが大切であり,そのためには,自分から関わり相手からも関わってもらうこと,反応する力が大切,関わり続ける力,変わり続ける力が大切,という話になるほどなぁと感じました。
 ○現場で問題に気づく,○課題として捉える,位置付ける,○解決の方向性を定める,○解決策・対応策を検討し,施策・事業にしていく,○交渉し調整し実行する,○変化と成果を生み出す,というプロセスを通じて,見えないものを見ようとする心,問題を問題として捉える感性,自分だけでは考えられないことを一緒に悩み模索する相互作用力,反応力,自己変化力といったものが必要なのだと改めて感じました。
 最近,「現場の課題を組織の課題にそして社会の課題に」ということでの視点の縦方向での展開と,組織間連携などの横方向の展開の必要性を提起することが多いのですが,新たなものを見ようとする意識や,他の人との相互作用で自分だけでは生まれない変化を生み出していこうとすることが大切だと思います。
 元吉さん以外の3人のパネリストの方々からも,そんな姿勢を強く感じさせていただきました。いいもの,いい人に触れることの大切さを改めて感じたところです。

2010年7月25日
 なんとも気ぜわしい日々が続いています。バタバタと忙しい上に,2年がかりで取り組んでいるプロジェクトが大きな局面に差し掛かっており,その上にちょっとややこしい話が重なっていて,本業の方でも気がかりが多い状態です。
 でも,自分で仕掛けている仕事は,良くも悪くも自分の責任なので,スリルを味わいつつも緊張感を楽しんでいます。どんなプロジェクトも,それが新たなものであれば,どちらに転ぶのか分からない時が常にあります。ほんの些細な対応のミスが大きな違いを生み出すこともあるものです。ですから,細心の注意を払いつつ為すべきことはすべて手を抜かずに真剣に取り組んでいかなければ,後で後悔しても始まらないということを,これまでの経験で何度も学んできました。自分の計算能力を超えたところに生まれるものがあり,自分のコントロール能力を超えたところでの偶然性が,自分を救ってくれることもある,というそんな思いが,人を謙虚にさせるのだと思います。
 この感覚はとても大切だと思うのですが,自ら新たなことにチャレンジをして,ほんの些細なことが絶望的な違いを生み出すということを経験することがなければ,理解され難いことだと思います。崖っぷちを歩いていても,それを意識し理解することがなければ,恐怖感も,危機を切り抜けた安堵感も,そしてそのことへの感謝の心も感じることはありません。
 ほんの些細なことが物事の行方を大きく変えてしまうかもしれないということを経験するが故に,駄目元でもできるだけ多くの人に味方になってもらう努力を惜しまず,自分の主張をするだけでなく相手の話に真剣に耳を傾ける。そして,自分への信頼を持っていただくために背筋を伸ばす。信頼は相互作用の産物だと感じます。
 週末は,8月の文化庁の日本語教育大会のパネルディスカッションの準備と,国連機関ユニタール広島事務所長から頼まれたアフガニスタンの州知事さんたちへのレクの準備と,落ちこぼれかけの大学院の勉強のために取り寄せた20本ほどの論文のチェックなどであっという間に終わりました。アフガンのプレゼン資料をユニタールの所長さんにお送りしたら,出張先の(アラブ首長国連邦)ドバイからお礼メールが届きました。世界は狭くなっています。
 でも,クアハウスには行って汗を流して,なんとかリズムを取り戻しつつあります。

2010年7月18日
 金曜日の午後から休暇を取り,栃木での健康福祉プランナー養成塾に行ってきました。今年は例年よりも参加者が少なかったのですが,その分まとまりが良く,私が担当した地域での保健・医療・福祉の連携についてのグループワークも充実したものになったように思います。
 先々週の中国出張の疲れが抜けないままに,先週初めからずっとドタバタした上に,水曜日から金曜日までは豪雨で毎日通勤のJR列車が遅れた上に普段にない混雑で,よれよれ状態での栃木行きでしたが,研修施設に缶詰になっている中で,いくらか元気回復したようにも思います。
 自治体勤務の医師,保健師,看護師,事務職が一緒に学び議論するという環境は,意味があると感じています。最後のまとめでは,青臭いと言われそうでも,理想とするものをしっかりと掲げつつ,自分を含めて3人の仲間を作って,普段の仕事の中でまず目の前の変化のための地道な働きかけを続けることによって,動かないと思っていたことが動くかもしれない,願えばかなう訳ではないけれど,願わなければ何も始まらない,という話をしました。
 これから2か月程度のうちに,アフガニスタンの知事さん方への研修,香川県と広島県の行政職員研修,文化庁の日本語教育大会のシンポジスト,学会報告2件に加えて小児救急電話相談の研究会など,抱え込み過ぎの状態です。本業でも,要人来訪対応や山場を迎えた留学生の活躍支援組織づくりなどなど目一杯です。
 とはいえ,忙しいからあれこれ集中してできるという面もありますので,気分を変えて,明るく楽しく頑張っていきたいと思います。

2010年7月11日
 実質3日間で北京と成都で9か所訪問という過密スケジュールの中国訪問から帰ってきました。今年のGDPが日本を上回って世界第2位になるという中国の勢いを感じました。23年前に伊藤忠商事に出向中に初めて訪問した時とは,全く違う国という印象です。社会というのは変わらないようで大きく変わっていくものだと改めて感じました。広島の社会も,未来への努力を続けて行かなければ・・・と強く感じた次第です。
 ほとんど自由時間が無い中で,北京で2時間,成都で1時間ほど自由に街を歩いたことが印象的でした。団体行動では,見えないバリアができてしまうために感じられないこともありますが,一人で街に出ることで,少しは街の空気に触れられる気がします。
 北京では,勤務先のトップのお供ということで,副大臣クラスの方々にお会いできたり,釣魚台の迎賓館での夕食を経験したりと,珍しい経験もできましたが,街角をふらりと歩いた経験の方が,得るものが多かったように思います。一般の人々に至るまで自信をつけた中国の今後の発展の勢いは,さらに強まるのだと感じました。もちろん,その中では,中央と地方の格差,地方の中での格差も広がっていくのだとは思いますが。
 成都から北京への帰路,北京空港の砂嵐のために成都空港で5時間半にわたり飛行機の中に缶詰になり,結局北京のホテルに着いたのが午前3時。少し寝て6時前に起きて帰国したので消耗しましたが,成都空港での待機中の乗務員の対応も適切で乗客にも特に混乱も無く,しかも午前2時過ぎに到着した北京空港の空港機能がちゃんと動いていることに感心しました。
 以前,シンガポール駐在中に感じた,伸び盛りの東南アジアの背筋の伸びた感じと同じものを中国でも感じました。「今」にすがりつくことなく,「明日」を切り拓こうとしていくことの大切さ,そんな建設的で率直な自立的な人と人との関係の大切さを改めて感じたところです。

2010年7月4日
 あっという間に7月です。2年がかりで進めているプロジェクトが山場にかかっており,かなり緊張感を持って取り組んでいます。これまでもそうでしたが,本当に新しい仕事にはこのような「刹那」とでも呼びたくなる時期があります。いくら一生懸命にやっていても,どうしようもない難しい問題が出てくるものです。そんな時に中途半端な対応をすると,後で後悔が残ります。色々な新しい仕事に取り組んで来たことによって学んだ最大の教訓の一つは,そんな刹那にさしかかった時に,正面から全力で集中して取り組むということの大切さではないかと思います。難しい局面に差し掛かるとつい弱気になるものですし,中途半端な対応にもなってしまいがちです。それが最後の可能性を消してしまうものだと,いつからか思うようになりました。
 結果はどうなるか分かりませんが,集中力を切らさないように頑張っていきたいと思います。このあたりの実感が,口先で大言壮語することとの違いなのではないかと思います。日産自動車のゴーン社長の「私は実践的な人間だ。自分がいつ失敗してもおかしくないことを知っている。だから,傲慢さが非常に嫌いだ。どんな企業にとっても,最も大きな危険の一つは傲慢さだと思う。」という言葉に共感するゆえんです。
 来週は,勤務先のトップのお供で中国です。海外出張はできれば避けたいと2年間頑張ってきたのですが・・・。
 5年半ぶりの出国です。シンガポールへの里帰りのタイミングを探さねば。

2010年6月27日
 いつものことと言えばそれまでですが,せわしなく時間が経っています。金曜日の夜には,早稲田大学の社会連携研究所の報告会に参加し,5月30日のひとり言でご紹介した「科学わくわくプロジェクト」について短い報告をしてきました。2年ほど前から客員研究員になっているのですが,何も貢献していないので,一つくらいというところです。
 大学が個人商店の集まりに終わらず,社会の中で継続的・発展的な変化をを生み出していくことに寄与することへの期待をお話していました。社会に継続的・発展的な変化をもたらすような取組みのためには,個人の研究者としての取り組みだけでなく,より組織的・持続的なかかわり方が必要なのではないかと。(「わくプロ」は平成14年度に準備を始めて,文部科学大臣表彰は22年度ですし,シンガポールとの学生交流は,平成4年に始めて21年度にシンガポール外務大臣賞をいただきました。)また,それは歴史への責任感ではないか,とりあえず目の前に一定の結果が出れば良いというのではなく,30年後50年後につながる仕事をしたいものだと。これは,大学だけの話ではなく,誰もに通じることだと思います。
 過去の分析と研究によるアカデミックな理論化・蓄積と,実際に重い荷物を背負って最後まで逃げずに行動する実践力と,それらがうまくつながればと思います。

2010年6月20日
 昨日,アフガニスタンのカルザイ大統領が来広されました。ここ数週間,担当スタッフはその準備に忙殺されていました。広島滞在の短い時間の中で,平和公園慰霊碑の献花と平和記念資料館視察(この部分は広島市の担当),知事との懇談,知事主催昼食会を入れるために,過密スケジュールとなり,緊張感ある時間でした。私は,空港で副知事とともに大統領を出迎え(握手していただきました・・・),知事との懇談に陪席したのですが,思ったよりも親しみやすい方との印象でした。国際課は限られた人数でかなりの業務をこなしているのですが,それぞれが頑張ってくれているので,無事終了し,ほっとしています。広島県が中心になって支援している国連機関ユニタール広島事務所では,アフガニスタンの政府関係者や教育関係者の人材育成研修を7年前から実施しています。今年からはアメリカ政府資金も入って,研修生の人数が倍になります。広島に来て,復興と平和への確信を身に付けて帰っていただき,母国の未来のために活躍していただきたいと願っています。
 このような行事準備も含めてひたすらドタバタしており,疲れが溜まっていたのか,今朝からのどが真っ赤に腫れていたのに,その状態で町内会の一斉清掃に出て汗びっしょりになったのを良い言い訳に朝っぱらからビールを飲んだら動けなくなってずっと寝てました。
 ちょっとリズムが崩れているので,立ち直りが必要です。

2010年6月13日
 求職活動を始めました。今の仕事には満足しているのですが,残り数年なので。できれば社会人の人材育成に関わる仕事をしたいのですが,そんな仕事はなかなかなさそうで・・・。
 昨土曜日は,三原市の中学生のシンガポール交流で,シンガポール訪問時の三原の中学生の学校生活や学校行事などのプレゼンテーションとウェブサイトの作成のお手伝いを。さすが積極的に応募してきた中学生だと感心しながらの指導でした。
 言葉や文化,生活習慣の異なる友人に,自分の思いを伝えるための工夫の大切さを語っていました。自分の頭の整理,相手の興味への配慮,単なる事実の羅列ではなくエピソードの盛り込みなど,中学生たちとの意見交換の中で,こちらの気づきも多くあります。広島シンガポール協会と山中学園(三原国際外語学院)の共同での1年間の日本語研修に来ている,シンガポール国立大学の学生さんにも手伝ってもらっての半日でした。

2010年6月6日
 あっという間に6月です。昨土曜日は休養日に。何年ぶりかでささやかな昼寝を楽しみました。その後,テレビを見て,庭木の刈り込みを少ししてと,こんなことで幸せを感じられるとは,です。とはいえ,学会報告の申込み用のレジュメ作成が頭から離れず,ぐずぐずと非効率な作業をしていました。
 先週の木曜日の夜は,シンガポール国立大学から広島に3週間の企業体権研修に来ている学生と広島信用金庫の若手職員との意見交換会のコーディネーターを。好きな食べ物は?とか,はやっている音楽は?というような雑談ではなく,「若手と女性の活用」「会社や社会の元気」「将来の夢」といったテーマで2人ずつ程度の小グループで気楽でまじめな意見交換をしてもらいました。日本の育児休暇の期間の長さや両国の子育て環境の違いが話題になったり,シンガポールの学生が将来やりたい仕事の業務内容を具体的に考えていることに驚いたり,一人当たりGDPが直近の2年連続で日本を上回っているシンガポールでほとんど残業がないことに驚いたり,転職について学生時代に自分が生涯かけてやっていきたい仕事が分かる訳ではないから当然ではないかといった意見などなど,1時間余の中で,どのグループも随分充実した意見交換をしていて感心しました。普段の生活の中でも,もっとこんな集中した意見交換の機会があればいいなと思ったところです。
 明日からの1週間が,心静かな週でありますように。

2010年5月30日
 本業の話はあまり書かないようにしているのですが,このところいろいろあってどたばたしてます。先週日曜日の夜から上京し,月曜日にJICAや外務省を回って復興・開発の人材開発の話をしてきました。それなりの手応えがあって満足して帰ってきたら,普天間問題で木曜日にまた日帰り上京,昨日土曜日はNPT(核拡散防止)関連の対応で出勤し,明日月曜日の夜からまた関連業務で上京です。10日間で東京3往復は,昨年9月に,小児救急電話相談と,学会,国立保健医療科学院の研修講師など個人的活動ではありましたが,本業では初めてです。仕事なので忙しいのは当然なのですが,ちょっとバランスが悪くなっています。
 明るい話題をと考えていましたら,広島大学時代に取り組んだ「科学わくわくプロジェクト(わくプロ)」が,平成22年度科学技術分野の文部科学大臣表彰(科学技術賞「理解増進部門」)を受けたというお知らせをいただきました。広島大学で社会との連携推進組織にいた際に,マツダ財団から何か連携事業をと声をかけていただのがきっかけです。幼稚園から小中高校までの先生方数人ずつに集まっていただき,広島大学からも理学部と教育学部の先生方に参加していただいて,1回4〜5時間の議論を計5回開催して計画をまとめたものです。最初は,幼稚園が頑張って教育しても小学校で・・・,小学校が頑張っても中学校で・・・とか,いやいや,最近の高校から入学して来る生徒は・・・,中学から入学して来る生徒は・・・,という不満の言い合いもありましたが,次第にこんなことを言い合っていても仕方ないので,力を合わせてできることを一緒に真剣に議論しようということになり,今に続くコンセプトがまとまりました。
 いろんな議論を経験してみて,この最初の部分をきちんと乗り越えていくことが大切なように感じています。互いに日頃の不満や言いたいことを言った上で,めざすものを共有し,行動のコンセンサスを生み出すという過程が大切だと思います。
 この計画の原点となった「趣意書」です。
 「わくプロ趣意書: 21世紀は日本にとって手本のない時代であり,進むべき道をみずから考え選び行動していかなければなりません。新たな世紀を担う子どもたちには,知らないことに興味を持ち新たなことを学び新鮮な感動を覚える,素直で柔軟な思考力と磨かれた理性が求められています。いままで知らなかった現象面の裏側にある原理が分かるようになる喜び,人類がこれまで築き上げてきた知の蓄積に触れる感動,論理的な思考の積み上げをしていくことの面白さ,そんな学ぶこと考えることにわくわくする経験が大切だと,私たちは考えます。このため,広島大学とマツダ財団では,科学わくわくプロジェクトとして,子どもたちが学ぶことの面白さ,考えることの楽しさを感じる機会を提供するための取り組みを提案し支援することにしました。地域の民間企業や各種団体,行政など幅広い方々の支援を得て,このプロジェクトが大きく広がり,広島の未来をみずから考え築き上げていく青少年の育成と,広島の科学技術の振興に寄与していくことを期待しています。」
 いい仕事に関わらせていただいた喜びを感じています。この「わくプロ」のロゴは,マツダのインダストリアルデザインの専門家の方に作成していただいたもので,とても気に入っています。その作成過程では,デザインのプロの仕事に対する姿勢や熱意を感じさせていただいて圧倒されました。いい仕事をしておられる方々に接する機会を得るというのは,本当に大切なことだと感じています。
 仕事漬けだった頭の中が,このひとり言を書くことで,気分が変わりました。「いい話題」って大切ですね。

2010年5月23日
 健康福祉プランナー養成塾の宣伝です。今年で12年目を迎える,地域の保健・医療・福祉のコーディネーター養成を目的とした2週間研修で,栃木県にある自治医科大学の構内の研修施設で行われます。地域社会振興財団の主催で,往復の旅費だけで参加できます。市町村職員が主な対象です。私は第1回目から講師として参加しており,今は,運営委員もしています。
 かなり力の入った充実した内容で,意義は大きいと思うのですが,2週間連続というのがネックになって,受講者が多くないのが残念なところです。地域での保健・医療・福祉の連携による社会システムづくりとそのコーディネート役が求められている時だけに,できるだけ多くの方に参加していただきたいと願っています。締め切りは,6月10日です。
 週末は,相変わらずの先行研究と,今年の学会の対応準備で終わってしまいました。(とはいえ,昨日は,久しぶりにクアハウスへ行き体を動かしてリフレッシュしました。) 相変わらず,学問・研究の世界と実践感覚との乖離に戸惑っています。考えてみれば,県庁から商社へ,県庁からシンガポールへ,県庁から大学へと異動した時にも,それぞれの価値観や考え方が大きく異なることに戸惑いました。それぞれの場合は,いくら「県庁だとこうだった。」と思ったところで仕方もなく,必死になって考え方を変え,新しい世界の価値観に適応しようとしたように思います。普段このような経験をすることはあまりないと思いますから,その点では貴重な体験だと思っています。
 そのおかげで?いくらかは違う考え方も受け入れて考えられるようになったのではないかと思います。相手の価値観や行動様式を否定したところで,自分に何かが生まれる訳でもないので,それらを一旦認めた上で自分の判断を選択して行くのだろうと思います。
 私自身は,今は,「研究・分析手法」に戸惑っていますが,考えてみれば,行政の世界でも,本質的な内容というよりも,行政手続きや様式規定,法令制度などのチェックや個人の行動様式などの形式的側面のチェックが先にかかることは少なからずあります。安定的に成果を出していくためには,手法や形,様式も大切なので,難しいところです。
 いずれにしても,自分自身が「研究者」に向いていないことだけははっきりしているように思いますので,今の経験を実践の中にいくらかでも生かしていければと考えながら,もがいています。

2010年5月18日
 今日は昼前から休暇を取って,三原市の中学生シンガポール交流での,シンガポールからの訪問団の受入校の生徒400人にシンガポールの紹介と交流の意義の話をしてきました。
 シンガポールの一人当たりGDPが既に日本を上回っていること,日本の変化の必要性,未来への夢を持ってチャレンジすること,違いを認め受け入れ尊重することの大切さ,相手の反応は自分の心の鏡であること,などをお話しましたが,400人もいるとどれだけ伝わったかは心もとない面もあります。とはいえ,三原市の中学生のシンガポール交流に15年間関わってみて,中学生の時期の大切さ,変化の可能性を感じているので,いくらかの刺激になったことを祈っています。
 帰路は,最短コースの山陽本線ではなく,大回りだけれど瀬戸内海沿いを通る呉線経由で。緊張した講演と最近ドタバタしている自分へのささやかなギフトです。山陽本線経由であれば2時間弱で帰れるのに,3時間半ほどかけて帰りました。贅沢な時間でした。JRが瀬戸内の景色を楽しんでもらおうと運行しているマリンビューという2両編成の列車で,1号車が指定席で2号車が自由席なのですが,ちょっと奮発して510円を出して指定席に。平日の夕刻に指定席料金を払ってまでローカル列車に乗ろうとする人もなく,一人で1車両貸切状態で瀬戸の夕景を楽しみました。幸せって,身近なところにあるものだと感じた次第です。
 明日からまた頑張らねば。

2010年5月16日
 昨日午後は大学院のゼミに,今日は朝から先行研究(要は,学者の先生方の論文のお勉強です)を嫌々やっているうちに夕刻を迎え,気分転換に,三原市の中学生交流で今年シンガポールからの訪問団を受け入れてくれる中学校から頼まれた同校生徒へのシンガポールとの交流についての講演準備を。話し慣れているつもりのテーマでも,場面が違うとそれなりに準備が必要になります。あれこれ工夫しているうちに外は真っ暗。生産的だったのかどうか,意味があったのかどうか分からないうちに一日が終わってしまいました。
 先行研究は,公的分野を中心とした組織間連携などについてのものですが,これまで何十年も実践でやってきたことが,こんなに緻密に「理論化」されるのかと感心しながらも,実践の場との感覚の隔たりの大きさを感じていました。このような緻密な「理論」を身に付けていればもっとうまくやれていたのだろうかと自省するとともに,実際の現場での成否を決めるのは,自分の言葉に込められた信念と責任感だという思いも捨てきれません。
 もちろん,「理論」を否定するつもりは毛頭なく,感心する部分は多いのですが,自分自身は「学問畑」の人間ではないなと改めて感じています。そういう意味では,大学を辞めて正解だったのかもしれません。
 学問的「理論」や行政内部での「評価」や「査定」「政策」の意味を否定する訳ではなくても,自分自身は,成功の保証のない前例のない仕事に自分自身が風圧を体で受けとめながら立ち向かっていく(というと格好良すぎるので,実際はもがいてく,というのが近いのですが)実践のスリルが好きなのだと今更ながら思っています。
 とはいえ,このままでは仕事のあてがないので,仕方なく,とりあえず,将来役に立つのかどうか分からない「勉強」を,落ちこぼれすれすれで続けています。別に「先生」になりたい訳ではなく,現場の実践支援に関わりたいだけなのですが,これまでの経験から何がどう結び付くか分からないものという思いがあり,とりあえずできることは何でも手を出してみようというところです。
 そういえば,ちょっとしたご縁で,私もほんの少しだけ関わらせていただいた本『新・医療福祉学概論』が出ました。

2010年5月15日
 なんとも慌ただしい日々が続いています。本業が忙しいのは,まあ,当たり前ではあるのですが,最近どうも走り回ることが多くなっている気がします。それに精神保健改革の話,三原市の中学生のシンガポール交流などのほか,落ちこぼれかけの大学院の研究などもからむので,もう,しっちゃかめっちゃかです。(もちろん,本業最優先!で頑張っています・・・)
 本業の方では,先日の朝日新聞の記事にも書いていただいたように,「破壊された広島」だけでなく,破壊から復興したが故に「復興と平和を信じる心(確信,Faith)を提供できる広島」というコンセプトを軸に,取り組んでいきたいと模索しているところです。
 それが,世界中から人材が集まる魅力ある元気な広島県を生み出すのだと信じています。
 仲良くするだけの国際交流や,一方的に何かをしてあげるだけの国際貢献ではなく,みずからの変化と地域の元気と活力に結び付く国際施策を具体化していきたいと思っています。
 一緒に走り回ってくれる仲間たちのお陰で,なんとか楽しくやっています。

2010年5月9日
 今日は,三原市の中学生シンガポール交流のお手伝いで三原へ。4月29日の選考会で選ばれた14人だけに,積極的で前向きです。しっかりしているなぁと感心するとともに,15年も続いているのかと,今更ながらに感慨にふけっていました。15年前に担当していただいていた企画室長さんは今では副市長に,係長さんは総務部長に,主任さんは職員課長になっておられ,時間の経過を感じます。
 そんな中でも変わらないのは,毎年の参加者である中学2年生です。シンガポール訪問前に3か月間毎週土曜日に4時間近く事前準備をするという他では見られないほどの徹底したやり方の成果として,地元三原でも,この交流の意義の深さが認識されて年を経るごとに応募者のレベルは上がってきていますが,中学2年生の素直な感性は変わりはありません。
 中学生は個人差が大きい時期なので難しい年代ではありますが,自分から手を上げて応募してきてくれる中学生は,それぞれ個性豊かで若者の可能性を感じさせてくれます。それが,私自身も15年間,この交流プログラムに関わらせていただいている理由かもしれません。
 私自身がこだわっている対話力やコーディネート力についても,中学生から70代まで幅広く通用する必要があると思います。
 大学院の研究に行き詰まり,「老後」の過ごし方に悩む日々ですが,若い世代とのやり取りの中で,若さの価値を感じた一日でした。その前に。尾道の老母に,赤いから,カーネーションじゃないけどいいねとバラを渡して母の日の体裁をつくろったい愚息でした。
 そういえば,先週金曜日に,朝日新聞のローカル版に紹介していただきましたので自慢話で。

2010年5月3日
 土曜日日曜日と,4月に引き続いて東京での精神保健改革の議論の合宿に参加してきました。これまで,特定の精神病患者の問題と見なされてきたこころの健康の問題を,国民の誰もに関わる日本社会の課題として取り組むための大きな改革としていこうという,強い思いを持った方々の取組みです。
 精神科の医師などの専門家だけでなく,当事者や家族も参加して議論しています。かなりの部分を一般公開して議論しているというのも,新鮮です。会議はすべて手弁当でなされています。前回はワーキンググループの合宿への参加でしたが,今回は全体会の議論でしたので,また違った経験をさせていただきました。初日の議論は深夜0時半まで続き,関係者の方々の問題意識の深さと改革への意欲の強さを感じたところです。
 私自身は,専門家ではないという立場からの視点の提示ということで参加していますが,このような役回りも議論には必要だと感じています。ただ,そのような役割が社会的には位置付けられにくいというのが悩ましいところです。
 そういえば,先週金曜日に,朝日新聞のローカル版に載せていただきました。

2010年4月28日
 今日は休暇を取って,自宅で論文の準備・・・のつもりでしたが,不慣れな仕事に集中力が高まらず,今週末の東京でのこころの健康政策構想会議関連の合宿のための切符の手配や資料の検討などをしたりして,結局,遅々とも進まないままで夜を迎えていますす。
 明日は,三原市の中学生シンガポール交流選考会での講演と面接でほぼ1日が終わります。広島シンガポール協会と同様に15周年です。この間,シンガポールの中学校と三原とのやり取りの日英メールの中継ぎもずっとやらせていただいています。この関係だけで年間百数十通のメールのやり取りがあり,よく続いていると思います。シンガポール側と三原側との両者が真剣に取り組んでおられるので,間に入っていても苦にならないのかと思います。このような,地道な積み重ねが大切だと思っています。
 行政の仕事も基本は同じだと思うのですが,インパクトのある成果を求められることもあり,難しいところです。新たなことに挑戦せずにおいて無為の言い訳に終始するのではなく,一過性の打ち上げ花火を追い求めるのでもなく,地域の未来のために,着実に成果を拡げて行く取組みをしていきたいと思います。

2010年4月25日
 この1週間は,月曜日のOBサミットのレセプションで始まり,木曜日と金曜日の県警本部の地域・職域防犯推進員研修計4回に,金曜日の夜の広島にある国連機関ユニタールの29か国約50人の方々へのレセプションでの英語スピーチと懇談,土曜日曜日の自治医大の財団の健康福祉プランナー養成塾第2期受講者の10周年の集いに奈良・明日香村での参加などと,あっという間の1週間でした。地域や職域で防犯推進員を委嘱されて悩んでおられる?方々との研修は,楽ではないにしても手応えがあり,また,保健医療の現場で頑張っている人たちとの話はそれぞれにおもしろく,いい時間でした。それに比べて,お役所の官房部門で小手先の理屈を捏ね回している輩の態度ときたら・・・とつい愚痴りたくなる心境です。
 来週末は,また,精神保健改革の議論の合宿で東京です。大学院の論文の目途も立っていないし,再就職先のあても無いのにと思いつつも,目の前の一つひとつの機会を大切にしていきたいと思っています。
 いままでも,最初から計算してやってきた訳ではなく,先が見えない中で一生懸命に(まじめに?)やってきた結果が「今」につながっていると思うので,まあ,じたばたしても仕方がないかと開き直っています。

2010年4月18日
 土曜日の午前中は自宅で久々に本業の資料づくり(と22,23日に計4回頼まれている県警本部の防犯推進員研修の準備)で,午後は大学院のゼミで,日曜日は,これまた本業で,広島で開催されているインターアクション・カウンシル(首相等国家元首経験者の会)関連の対応で1日が終わりました。
 今月は,先週末が「こころの健康政策構想会議」関連の合宿で東京,今週はこんな感じで,来週末は奈良・明日香村で自治医大系の合宿,次の週末はまた「こころの健康政策構想会議」関連の合宿で東京と,週末が終わってしまいます。
 インターアクション・カウンシルには,私がシンガポールにいた頃の首相だったゴー・チョクトン氏も参加されており,当時,連日のように地元紙で記事を読んでいた人物を間近に見て,ちょっと感激でした。
 先週は,アジアの会(WAA広島)で,ネパールから広島に来られて二十年という方のお話をお伺いしました。 「光は見えるのか」というところから話は始まりました。言葉で伝えることの難しさの話です。私たちは,光を知っているし見ていると思っていますが,光の源(太陽や電球)は見えますし,光が照らし出しているものは見ていますが,「光」それ自体は見えているのか?という質問は新鮮でした。
 花を見てきれいと言ったとしても,何がきれいと言っているのか。色なのか香りなのか,蝶々が止まっているところなのか,風にゆれているさまなのか,花そのものに加えているものが美しさに意味を持たせる。 アフリカのりんごと青森のりんごのおいしさの違いをどう伝えるのか。一つのことを完璧に伝えることは難しい。ある一つのものを絶対だと思い込んだら,他のものの価値は伝えられないし受け取れない。 いわば,自分の中に「空白」の部分がなければ,新たな言葉やイメージを受け取れない。 
 見ているものは説明できるけれども,失ったものは失ってみないと分からない。光は存在するものだけれども,影は「光が無い」もの。 といった興味深い前段に続いて,医療と美容の「アーユルベーダ」について,深く語っていただきました。「バランス良く,健康的に,他人に頼らず,自分らしい生き方」です。医療の力で命を維持するのではなく,自分の力で生きること。自然環境,環境衛生,個人習慣(運動,食事,休息),気力。 アーユルベーダは,ネパールでは西洋医学と並ぶ医療として位置付けられており,アーユルベーダの医師になるには5年半の修行が必要なのだとか。出生後40日間の1時間マッサージにより,子どもが母親の胎内で受けたものから自分自身の体になっていくことを助けていくことの大切さなど,興味深いお話でした。物事を見つめなおす時間でした。

2010年4月11日
 客員研究絵員をしている精神保健研究所の関係で,精神保健改革の議論の合宿に参加してきました。それぞれしっかりした実践をされている方々10人ほどで,私自身は門外漢で刺身のツマみたいなものですが,精神障害のある人たちの支援に多様な形で取り組み続けておられる方や,自分が育った池袋のホームレスの人たちへの支援をしている精神科医,生活困窮者への住居確保の支援をされているNPOの方,地域実践に取り組まれている保健師さんたちなど,夕刻から深夜までと翌午前中にわたり,充実した議論でした。思いを共有しながら議論することのおもしろさと大切さを改めて感じたところです。
 私は,保健の重要性の認識が低く十分な資源の投入がされていないという部分で,思わず,「成果」を求めるという点では,消防が民間だったら火事は減っていないと発言しました。消火件数という「成果」を求めるのではなく,防火のための地道な取組みが評価されているからこそ,火事が減っているし,しかも,その体制を維持継続していく必要性が認識されているからこそ,火事が減っても消防署の数は減っていないという議論です。交通事故と交通警察についても同様で,予防の重要性とその意義の説明という点では,比較的分かりやすかったのではないかと自己満足しています。
 消火件数や交通事故処理件数というのは「成果」指標として分かりやすくはありますが,より長い目で見て,火事の件数や延焼を減らすとか,交通事故の件数や重大化を減らす取組みが大切なのだと思います。消防や交通警察の例は比較的分かりやすいものですが,そのあたりの関係が認識され難いケースも多くあります。表面的な成果主義ではなく,より本質的な議論が求められます。
 このような議論に参加してみて,行政職員が,その社会を見る目と経験を元にもっと貢献できるのではないかと感じます。専門家の方々は,それぞれの分野で頑張っておられるのであり,その現場での課題を社会の課題として整理していくというのは,行政の職員のできる貢献ではないかと思います。
 社会づくりの議論が,既存の制度や常識,権威に惑わされることなく,現場で実践されておられる方の声を基本に,社会の責任と歴史の流れの中での意義を踏まえてなされることが必要だと思います。

2010年4月4日
 土曜日は,行き詰っている大学院の研究の相談に,京都まで行ってきました。社会サービスのための組織間連携を進めるコーディネート機能について,これまでの経験を元に,なんとかまとめたいと思っているのですが,アカデミックな世界には縁がなく,苦慮しています。
 訪ねて行った大学は,丁度,新入生のオリエンテーションの日で,若さを感じました。
 研究の方は,行き詰まり感があり,ギブアップするのも時間の問題のような気もしますが,それまではもう少しジタバタしようかと思っています。実践と理論的研究との間には,評価基準に大きな違いがあり,先が見えない状況です。もっとも,これまでも新しい仕事に取り組んでいた時には,いつもこうでした。理論的な整理の必要性については,要は方向性を整理してしっかり勉強すればいいという部分もありそうなので(それができずに苦慮しているのですが),行政組織の中での,めざす方向性に向かって(結果としての)無駄な動きも多くしながら無から有を生み出していくという動きと,既存のものに対して問題点を指摘し「評価」するという動きとの乖離を埋めていくことよりは,まだましかもしれません。
 新年度が始まり,職場も新メンバーでのスタートです。組織の中でも,人材を集めてもらっている幸せを感じています。
 今年も,わくわくどきどき,過ごしていきたいと思っているところです。
 みなさまの春に。

2010年4月1日
 新年度の始まりです。
 職業人として,やはり新たな年度の始まりというのは,1月1日の新年の始まりとはまた違った緊張感があります。国際課長3年目です。この2年間にわたり取り組んできた留学生の受入促進のための体制づくりの具体化の年であり,平和な世界のための人づくりへの取組みの年でもあります。広島にある人材育成のための国連機関ユニタールの所長の言葉である「復興には,知識・技術と資金が必要であるが,なにより大切なのは復興できるという信念(Faith)であり,広島の廃墟からの復興の姿は,広島を訪れる人たちにそれを提供でき,それが広島の力だ。」という思いを形にしていく努力をしていきたいと思います。
 事業をする側よりも企画をする側の方が強化された感もありますが,やはり現場で地道に仕事をしていくことを大切にしていきたいと思います。結果に対する解説や批評・評論よりも,先の見えない中で,めざすものに向かって泥臭く試行錯誤を繰り返していく根気,模索の中でのやり過ぎによる失敗の恥ずかしさに耐える気力を大切にしていきたいと思っています。
 
2010年3月28日
 本年度最後の週末に,愛妻!と神話の国出雲の美人?温泉に行ってきました。人気の小さな宿なので,土曜日は取れなかったため,某国大統領来広対応の休日出勤の振替で金曜日に。3月の終わりというのに,中国山地は大吹雪で山も田んぼも真っ白。交通量の多いルートに変更したため道路は大丈夫でしたが,それでも路面温度のマイナス1度には驚きました。途中,例によって?仕事の話が飛び込んできて,真っ白な路肩に車を止めてひとしきり対応協議を。いつもながらフットワークの良い同僚の方々の対応のお陰で,なんとか当面のしのぎは済みました。感謝です。普段から研修講師等で休暇を取ることが多いので,課長がいない時の対応に慣れていただいています。甘え過ぎてはいけないと思いますが,みんなの動きの良さを離れたところから感じるというのもいいものです。
 帰路は,雪もなくなったので三瓶山の自然科学館へ。充実した施設と展示に感心しました。特に数千年前の噴火の際に火山泥流・火砕流と火山灰などで立ったまま地中に埋もれた大木を掘り出して展示してあるのを見て,歴史を考えました。いろんな偶然が重なって,このようなことが起こり,それがまた数千年の時を経て私たちの目に触れるという時の経過に,歴史の流れの中の今を感じます。
 今年度も,振り返ってみればいろんなことがありましたが,良い1年だったと思います。仕事と同僚に恵まれ,個人活動の面でも新たな出会いと展開がありました。いつも不安もありますが,できる範囲内で努力をして,少しずつではあっても世界が広がっていっている感じがします。偶然の価値と大切さを体験してきているが故に,それを求めるために常にあれこれ手を出して無理をしている中で,いろんな人に迷惑をおかけしながらやっていると改めて思いますが,それを続けてきているから今の自分があり,今の自分しかできないことがあるのではないかと模索を続けています。大学院の研究が目下の最大懸案ですが,実体験を生かした方向性を模索していきたいと思っています。
 新年度も,良い年でありますように。

2010年3月22日
 20,21日と,九州・延岡で開かれたリハビリテーション連携科学学会に行ってきました。19日の夜から行きたかったのですが,18日から広島を訪問されていた東チモール共和国の大統領を広島駅でお見送りする仕事があったので,20日の午後1時半過ぎの新幹線で新大阪に向かわれる大統領をお見送りして,5分後の下りの新幹線に乗って延岡へ・・・の予定でした。ところが,大統領の乗られる新幹線が5分遅れていたため,乗り遅れてしまいました。別府から先の延岡まで行く特急列車が1時間に1本しかないため,仕方なく1時間後の特急に変更してとりあえず次の新幹線で小倉まで行ったら,強風のために列車が遅れており,変更前の特急列車にのるはめに。しかも,変更した1時間後の列車は運休に。仕方なく満員の別府行きの特急列車に立って乗りました。変更しなかったら座れたのにと複雑な気分でした。でも,小倉〜別府間が遅れたために,別府から乗り継ぎの特急列車は,変更後の特急列車で正解でした。なんだかドタバタした中で,現実はこんなものだと妙に納得していました。
 いくら緻密な計画を立てても,環境はどんどん変わっていきますし,その時々に良かれと思って取った行動も,結果としてはいい結果を生み出さないことがあります。一喜一憂しても仕方なく,大きな方向性がずれていなければ良しとしなければと思います。
 本業の方でも,幹部の人数を増やしたため新たに個室が必要になったとかで,国際課の事務室の面積を5分の1ほど削られることになってしまいました。2年間かけてみんなで大そうじを繰り返しながら,効率的な執務環境を作ってきたのに,またやり直しをしています。ミーティングスペースを削ったりして何とか狭くなるスペースに収まるようにとレイアウトを考えてもらいましたが,実際に動かしてみないと計画どおりには行きませんし,一つの計画だけにこだわらずに現場で実際にあれこれ動かしてみると,意外な名案も生まれるものです。みんなの動きが良いのが救いです。
 延岡の学会は,2日目だけの参加でしたが,私自身がテーマとしている組織連携とコーディネートについて,学ぶものが多くありました。いろんな講演や事例報告を聞いていて,やはり,ぶれない方向性と信念を持ち,仕組みづくりの意識を持って,柔らかく前に向かって汗をかき続け,周囲の人に明るく働きかけ続ける人が,いい仕事をされているなと感じたところです。
 新年度も国際課長を続けられることになり,ほっとしています。1年半がかりで取り組んできた留学生支援対策の具体化の年でもあり,いい仕事をしていきたいと思います。

2010年3月14日
 野中広務氏と辛淑玉さんの『差別と日本人』(角川oneテーマ21)を読みました。自らの責ではないことで生涯にわたり不条理な扱いを受け続けることへの,やり場のないいきどおりと哀しみ,そして戦いとそれがもたらす周囲への影響,行き場も帰る場もない中でもがき続ける凄みを感じました。普段,講師業の中で,社会の不条理への「良質な怒り」の大切さを語っていますが,それが軽い言葉に感じられるほどでした。
 辛さんの,「差別は暗黙の快楽なのだ。」という言葉に,立ち止まってしまいます。この本が40万部を超えて売れているという事実と,それでも社会は変わっていないという現実は,明治時代に,エール大学の教授となり,単純事大主義の日本の将来を憂い,日米開戦まで予測した朝河貫一氏の『日本の禍機』(講談社学術新書)を思い起こさせます。
 問題を知っているだけでは十分ではなく,それを潰していかなければ何も語れないとは思いつつも,私自身,小さな取り組みは別にして,そのような覚悟があるとは到底言えません。
 足を踏まれ続けた(というような生易しいものではないにしても)者が発するささやかな反論に,集団の力で集中的に攻撃し封殺するという行動様式に対して,多様性の力の大切さを感じます。人への安心感の一つは,相手が,自らも間違うことがあるかもしれないことを理解していることではないかと思います。
 私がよく引用する,日産自動車のゴーン社長の「私は実践的な人間だ。自分がいつ失敗してもおかしくないことを知っている。だから,傲慢さが非常に嫌いだ。どんな企業にとっても,最も大きな危険の一つは傲慢さだと思う。」という言葉の重みを改めて感じます。出来ることも出来ないこともあります。そんな中で,怖れや不安にさいなまれながらも,前に向かっていこうとすることの大切さを改めて感じました。

2010年3月9日
 本年度最後の講師業であるアフリカ・リベリア共和国政府職員への研修講師"The Role that Local Government Should Play for Residents"が無事?終わり,ほっとしています。今年度も三十数回と,我ながらよくやったものだと思います。しかも,テーマがバラバラなのが特徴です。とはいえ,大きくは,国際,医療,行政の3つの分野で,しかも,社会システムづくりと組織間連携とコーディネートについては共通です。
 今日のリベリアは,十数年間に及ぶ内戦で疲弊した国で,そこでの状況は想像を絶するものがあります。国の状況を表す指標の一つである一人当たりの国内総生産が日本の百分の一以下という厳しさです。それでも,国の再建に必要なことや,社会にとって大切なことなどについての考え方については,共通です。
 2時間半,慣れない英語の世界でコミュニケーションをしている中でも,共感が生まれてくるのが不思議でもあり,同じ「人」として当然だとの思いもあり,なんだかほっとするような時間でした。
 一握りの人たちに豊かさを集中しないこと,より多くの人たちに社会への関心を持っていただくために教育が大切であること,部族間の対立を超えて協働していくためには,より高い視点からより将来の国の姿を共有していくことが大切であることなどをお話ししましたが,不思議な共感があったことに喜んでいます。
 経済的な豊かさの違いに目を奪われずに,原点を共有することの大切さを再確認しました。とはいえ,人々に武器を手放させることが大きな課題だという現実について,どの程度役立てたかどうかは疑問ですが。とはいえ,志の大切さは世界中共通だと思います。

2010年3月7日
 医療ソーシャルワーカーさん向けの教科書づくりに参加させていただいている担当分の校正や,先週に引き続いてのアンケートの集計と,医療ソーシャルワーカーづいている週末でした。
 ソーシャルワークが基本なので福祉職とも言われながら,医療現場に軸足を置き,患者さんの生活を考え社会と関わっていくという職業は,連携とコーディネートをテーマとしてる私としては,親近感が湧く職業です。誰しも,健康を失わなければその大切さを考えませんし,その大変さを想像できません。
 「知らないこと」は「存在しないこと」になってしまいますが,そんな中でも,真剣に一生懸命に取り組んでおられる方々がいらっしゃいます。明後日のリベリア政府職員対象の研修では,そんな地道に社会を支えておられる方々の価値や支援の大切さも話してみたいと思っています。
 あっという間に3月ももう2週目です。今年度も本当にいろいろなことがありました。年甲斐もなくと言われる年齢になりながらも,今年度も1年間ジタバタできたのも,職場の同僚や,私を助けていただける友人・知人の皆様方のおかげだとしみじみ思います。沢山の失敗をし皆さんにご迷惑をおかけしながらも,それでも新たなドアを開け続けられていることは,とても幸せなことだと感じています。
 今年度も,数々の間一髪のところで(運と皆様のおかげで)しのぎながらここまでたどり着けたことに,心から感謝しています。

2010年2月28日
 先週水曜日は,リーガロイヤルホテル広島で300人ほどの出席者で広島シンガポール協会のシンポジウムのコーディネーターをやり,土曜日は,この半年ほど悩んでいた愛知県医療ソーシャルワーク学会での講演がなんとか済んで一息です。とはいえ,今日は,医療ソーシャルワーク学会で参加者にお願いした170枚ほどのアンケートの集計を終日部屋に籠ってやってました。
 自由記述の整理に思いのほか時間がかかって,あっという間に,もう夜です。皆さんに書いていただいたものを整理しているとなかなかに興味深く,飽きっぽい私でも集中して作業できました。現場の声の大切さですね。医療系の職種の方々の話を聞くと,現場の課題には凄まじいものがありますが,それも知られなければ存在しないのと同然です。現場からの情報発信の大切さを感じます。
 医療や福祉の世界は,現場の半径数メートルの世界に深刻な問題が凝縮しているだけに,それが社会の認識につながっていかない面があるように感じます。「現場の課題を組織の課題にそして社会の課題に」と言い続けていますが,改めてその必要性を感じました。それと,これまで傷病の治療に特化していた医療施設の中に,患者さんの退院後の生活や社会の多様な組織との連携の意識を持ち込むことを期待されている医療ソーシャルワーカーの役割の大切さも改めて感じたところです。
 このほか,印象に残ったキーワードについてのおたずねに対する回答で,連携の際の「相手の組織のできることできないことを見極めることの大切さ」を挙げた方が圧倒的に多かったのが印象的でした。普段から実践で苦労されているからでしょうか。このほか,「人の話を聴く力・引き出す力」,「実現まで持ち込む企画力」,「難しい仕事は難しい顔をしていてはできない」などにも多くの共感をいただきました。実践で苦労されておられる方々からの共感に,喜んでいます。
 後は,来週の,アフリカ・リベリア政府職員への2時間半の研修が済めば今年度の講師役の予定終了です。今年も,ダボハゼ的に引き受けた一貫性も脈略もない状態でしたが,逆にそれぞれが新鮮で,私自身にとっても得るものが多かったように思います。私自身には向いていると思いますが,「専門性」がなければ職業にならないところが悩ましいところです。
 とはいえ,これだけ多様な分野の方々のお話を聞かせていただけることに,感謝しています。
 このように,ほんのちょっとしたことから色んな道が開けていくことを何度も実感をもって経験しており,それ故に,つい余計な一歩を踏み出し過ぎては失敗も繰り返しています。失敗して痛い目にあって見なければ限界も見えないとは思うものの,いろんな方々にご迷惑をおかけしたり,自分自身恥ずかしい思いをしたりの繰り返しです。それでも,行儀よくしたり顔して自制するのはできないことと,ここまで来させていただいていることのありがたさを感じていることから,結局,ジタバタし続けるのかもしれません。

2010年2月21日
 昨日は,東京日帰りで,自治医大への期待などについて話をしてました。へき地への良質な医師の供給と卒業医への支援だけでなく,医療と福祉の連続化,施設から在宅への拡大などの環境変化の中で,半径数メートルでの一方通行の一対一の関係性だけでなく,現場・組織・社会システムを結び付けていく新たな研究と教育が求められているのだと思います。 保健師,MSW,リハビリなどの世界では,既にこのような問題意識が生まれつつあるので,地域医療のリーダーシップを期待される医師についても同様の動きが期待されているのだと思います。
 それにしても,このような会議に出させていただくと,色んな分野の第一人者の方々の話を直接お聞きし意見交換に参加させていただく幸せを感じます。自分に足らないもの,見えていないものがあることを知ることが,変化への第一歩だと改めて感じます。
 地方にいながらも,このような機会をより多くの人たちが得られるようにするためにはどうすればよいのかと,考えてしまいます。
 と,悩んでいる余裕はなく,数日後が締め切りの学会誌への投稿原稿の仕上げ,水曜日の広島シンガポール協会のシンポジウムのコーディネーターの準備,土曜日の愛知県医療ソーシャルワーク学会での講演準備に追われています。

2010年2月14日
 大学院の学生としての研究の目途がたたない中で,あせりながらも,目の前のことに追われています。
 とはいえ,試験前の学生のように,ほかのことに手を出したくなり,最近の講演等リスト(抄)を作ってトップページに出しました。こんなことやる暇があれば,目の前のことを一つでも片付けるべきだと思いながら,目の前の勉強に集中できずにいた(はるか昔の)受験生時代の気分を思い出しています。
 リストに載せていない文科省のシンポジウムでの報告やアセアン議連でのシンガポール紹介,自治医大の地域医療政策懇談会まで含めれば,今月は6回しゃべる機会があることになります。なんだかせわしないと思ってたはずです。今日は今から尾道往復です。

2010年2月11日
 気が付くと,先週末に書いていませんでした。
 先週末の土曜日は大学院の学会誌投稿原稿等に忙殺されており,日曜日は,終日,パレスチナのアッバス大統領の来広対応をした後,そのまま月曜日の文科省主催の留学生シンポジウムでの事例報告のために上京したために,すっかり忘れていました。
 来週は,議員さんに頼まれてのシンガポールの話,土曜日は自治医大の地域医療政策懇談会で上京,24日は広島シンガポール協会のシンポジウムでコーディネーター,27日は愛知県医療ソーシャルワーク学会での講演,3月9日はJICAのリベリア政府職員研修(英語で2時間半)と,今年度も30回を超えてしゃべらせていただいています。
 しゃべるのは嫌いではない(たぶん)のでいいのですが,こんな目の前のことばかりに時間を使っていてもいいのかという思いはあります。支離滅裂な仕事自体は嫌ではないのですが,本業にならないのが困りものです。といいながらも,今日も終日部屋に籠って,原稿準備をしていました。

2010年1月31日
 いろいろとへこむこと恥じることもありながらも,目の前の問題に対応するためにひたすら体を動かしています。昨日は,小児救急電話相談の研究班会議で,東京日帰りでした。北海道や茨城,東京,愛知,大阪,北九州などから集まられる委員のうち,医療関係者でないのは二人だけという中で,報告書の取りまとめに関わらせていただいています。他にもやるべきことが山積みになっているのを考えると,気持ちは穏やかではありませんが,今更,途中で投げ出せないので,ドタバタやっています。面白い,というか大切なテーマなので,時間さえあればじっくり取り組みたい内容ですが,あまりにあれこれ抱え込み過ぎていて・・・。
 こういった専門家の方々と一緒に,社会の仕組みづくりに取り組んでいくのは,行政事務職としては最も面白いやりがいがある仕事の一つだと思うのですが,なかなかそういうことのできる人材が出てこないのはなぜだろうかと思います。医療人の方々が,日々の厳しい診療の合間を縫って,時間を捻出して,社会の仕組みづくりのために奮闘されておられる姿を見ると,甘えた過ごし方をしてはいけないと思います。
 明日は,昨年から手伝っている三原市の職員研修グループの市長さんへの発表日です。このような取組みの積み重ねが,組織の力の違いを生み出していくことを期待しています。
 ところで,27日付けのひとり言で書いた,2名の学生を連れてこられた広大の先生からいただいたお礼メールの中に次のようなフレーズがあり,すっかり嬉しくなっています。丁度,冒頭に書いた内容を絵取っていただいたようで。
 「『働く』ということの意味,時間がない中でもポイントを把握して適切な対応をすることのすごさ,他の職員の方の緊張感のある仕事ぶりを見ることができたこと(それでも職員間の仲がよさそうで居心地がよさそうという感想を2人とも言っていました。私はそんなことに気づきもしませんでしたが。さすが女性なのでしょうか)。」

2010年1月28日
 今日は,朝9時から午後4時過ぎまで,スペイン語系英語の国際公務員に付き合っていました。
 言葉の点は置いとくにしても,自分が考え提案し行動していくエネルギッシュなバイタリティには,つくづく感心します。
 歳はとっていくにしても,パワフルではなくても,少しずつは前向きの姿勢を維持していきたいと思っています。

2010年1月27日
 本業の方で,嵐の状態が続いており,バタバタしています。そんな中でも,救いなのは,職場の仲間の動きがとても良くなっていることです。もともと,新しいことに沢山取り組んでいるので,役所の通常ペースに比べてかなり負荷がかかっている上に,新たな負荷が加わっているので不安もあるのですが,なんというか(身内ぼめですが)次々起きる問題に対して,グループの境界を超えて機敏に対応してくれる姿を見て,ちょっと感動しています。
 年3回,半日,全員が仕事を止めて大そうじをするなどの中で,私が期待する筋肉質のフットワークの良い組織づくりをみんなが進めてくれているのだと感じています。
 「楽」をするのと「楽」しむとの違いなのだと思っています。いい仕事をする満足感と楽しみを感じることができるかどうかが,人の幸せを左右していくようにも感じています。
 本業の課題は尽きないのですが,個人的にちょっと意味のある今日を,こうして過ごせたことを感謝しています。
 今日は,知り合いの大学の先生が,公務員志望という学生2名を連れて来られました。尊敬する先生だけに,さすがに感性のいい学生たちで,気持ちよく(自分の世界に浸りながら?)しゃべってました。何のために何をめざして何をするのかを考えるべきだ。人や組織の力を生かして自分の実力以上の仕事をする楽しさ,自分がやった訳ではないけど自分がいなければできない仕事をする楽しさ,必然性の大切さ,社会の不条理への良質な怒りなどなど,好き勝手に,ほざいていました。厳しい現実の中での,ちょっとした清涼剤でした。

2010年1月24日
 今日は,先週とは打って変わって,早朝から夜まで,ずーっと部屋に籠って,大学院の論文や医療ソーシャルワーカーさん用の教科書の担当分の修正,小児救急電話相談の来年度事業の準備などをしていました。
 大学院の方は,もういつ止めようかという状況ですが,考えてみれば,今までもいつもこんな感じてやってきたと思います。諦めかけてから諦めが悪い,変な性分なのだと思います。
 先週は,本業の方で,中国四川省の大学と南米県人会(ブラジル,ペルー,アルゼンチン)からそれぞれ1週間と5週間受け入れているお客さんがダブったことに加えて,カンボジアからのお客さんもあって,さらに想定外の問題発生などなど,まあ,にぎやかな週でした。
 先週は,姜尚中さんの『悩む力』(集英社新書)を読みました。「表層的に老成する」のと「青春的に老成する」のと2つがあるそうです。後者には,挫折や失敗,蹉跌,情念,深淵,煩悶,煩悩などの言葉が並べられており,最後は開き直った破壊力といったようなものでまとめられています。青春的老成パワーでしょうか。
 クアハウスにも行けず,消化不良の1日でした。

2010年1月17日
 今日は,なんとなく始めた庭木の剪定で一日が終わってしまいました。昔,一番安いからと植えたひょろひょろのヒイラギモクセイが,歳月の経過とともに逞しく育って密になりすぎており,上に伸び過ぎたキウイとともに剪定の対象となってしまいました。
 いつもながら,気分転換には,掃除や片付けや剪定をするのがいいようです。
 面白いもので,なんとなく始めた剪定に夢中になってしまい,結局,ほぼ一日を使ってしまいました。(途中,缶ビール付き)

2010年1月16日
 木曜日の,三次(みよし)市の職員講演会が無事(かどうかはともやく)済んで一息ついたものの,いまいちの出来で反省しているところに,毎週土曜日の大学院のゼミで「研究」の世界との距離の大きさを感じて落ち込んでいるところです。
 県北の三次へは,いつもながらのJR芸備線(単線)で片道2時間での往復をしてきました。車窓は一面雪の世界で,学生時代に長野でも最も雪深い地域の一つである南小谷(みなみおたり,大糸線)で,4年間毎冬約1か月間,居候のただ働きとして皿を洗っていた日々を思い出していました。思えばあの頃も,将来何をしようというあてもなく,ただ真面目に皿を洗い雪かきをし買出しをしてお客さんの送り迎えをしていました。当時はまだスキーの面白さに開眼していなかったので,ただ,雪に閉ざされた生活にはまり込んでいました。
 当時の大学は,過半数はモラトリアム留年をしており,私も,長野で民宿でもと思ってお世話になっていたおばちゃんに相談して,そんなに甘いもんじゃないとさとされた思い出があります。
 当時から,そんなどこか投げやりなところがあったので,今まで色んな経験に踏み込んでいけたのかもしれません。もっと計算ができていれば,今までのようなことはしていなかったのかもしれません。
 とはいえ,今に至るまで,先の見えない中で,あれこれ手を出して楽しんでいるだけという計画性のない日々を送ってきています。それでも,反省も後悔もしていないところが問題なのかもしれません。(人の付き合いで,後悔はしていないものの反省をした出来事はありましたが。)
 三次では,午後6時半からの講演会に,時間外で業務扱いでもないのに,そして雪の中にもかかわらず百人以上の市役所の職員の方々に参加いただき,感心しながら話をさせていただきました。とはいえ,講演会ということで前半をパワーポイントを使わずにしゃべったのが,準備不足でしどろもどろになってしまい,反省です。また,いつもながら,盛り込み過ぎで駆け足になってしまいました。これは素人の宿命かもしれませんが,途中で話すことがなくなることへの恐怖感から,ついあれこれと用意してしまいます。
 講演後に,若手と中堅,そしてもうちょっと上の方々と十数人での懇談の機会を設けていただき,改めて,職員のレベルの高さを感じました。これは,ストレートに言うと,地域に他にいい仕事がないからかもしれません。とはいえ,かりにそうだからであっても,折角の人材の集積があるのは事実であり,地方からの全国標準を生み出すような力に結び付いていくことを期待したいと思います。

2010年1月10日
 月曜日が仕事始めで,なんとなく気が重くスタートした1週間でしたが,仕事始めの日からの知事協議に始まりひたすらドタバタしているうちに過ぎてしまいました。正月休みの余韻などかけらもなく,情緒のない,年の初めでした。
 本業に余裕がない上に,比較的大き目の講演準備が3つに,大学院のゼミや論文準備に,小児救急電話相談の報告書のとりまとめまであり,地に足がつかない状態で,ふわふわしてます。3月初めに頼まれている,アフリカのリベリアの政府職員研修も,ちょっと気になっているものの,後回しです。
 今度の木曜日の夜に頼まれている三次市の職員講演会では,変革と現場原点を中心にということで,言葉としてはいろいろ言えますが,実際に新しいことに取り組む時の先の見えないうまくいく保証のない不安感や,先が見えないが故にあらゆる可能性を試そうとしてひたすらあれこれ手を出して,うまくいかずに恥ずかしい思いをした時の情けなさ,もう少しもう少しと思いながら必死になって息を詰めてそーっと進み続ける詰めの時期の息苦しさ(「あと1mの壁」),といった感じは,なかなか言葉では表しがたいものがあります。
 もちろん,「難しい仕事は難しい顔をしていてはできない」ので,明るく楽しく自分で自分をあおっていくのですが,その足元にある真摯さと真剣さがとても大切なのだと思います。それが静かな迫力を生み出すのだと感じています。形に振り回されない,信用につながっていきます。
 次のステップが見えないままに,こんなに手を広げてしまってどうすると思いつつ,いろんな新たな出会いを楽しみに,とりあえず今年もじたばたしていくのだろうと思っています。考えてみればいつもこうだったと思います。まだ主任にもなっていない"ひら"の時に,県庁史上初めての1年単位での民間企業等への派遣制度を提案して実現に向かってもがいていた時もそうでした。難航の末に,理解のあった上司からも今年は諦めようと言われて,結果が駄目であったとして自分からは降りたくないと言い張ったことが懐かしく思い出されます。商社から県庁に復帰し,スピード感の違いの中で,県庁の仕事に必死で取り組みながらも,英会話レッスンに通いつつ,こうして努力していてなんになるんだろうと思っていましたが,それでも止めずに続けていたおかげ?で,結果としてみればシンガポールへの駐在につながりました。地域医療をライフワークにしたいと願っていたのに,国際分野に異動になり,落ち込みながらも仕事には真剣に取り組んでいる中で,広島大学への転職の声をかけていただきました。
 いずれも,打算や計算ではなく,手を抜くことへの,なんとはなしのためらいを大切にしてきたことから生まれたものだと感じています。今もそんな感じで過ごしています。こんなふうにこれまで体で感じてきたことの積み重ねが,良くも悪くも自分の"今"なのだと思います。
 そうして,失敗する自分もうまくいった自分も受け入れて,なんとはなしに折り合いをつけて生きていく中で,人との付き合いのありがたさを感じていくのだと,しみじみと感じています。うまくいかないこと,一生懸命に進みすぎて失敗すること,いろんな人に迷惑をかけてしまうこと,そんなことの繰り返しですが,これまでお付き合いいただいている方々すべてへの感謝を感じています。
 畏敬の友人(と言うのもおこがましいですが)の,「ため息を深呼吸に」の深呼吸クラブの清水正弘さんの映像と音楽を楽しみつつ。

2010年1月3日
 仕事納めの日から風邪を引きずっての年末年始の休みも,もう最終日です。過去,29連休(大学を辞める前の年末年始,タスマニア),22連休(シンガポールの最後の年の年末年始,ヨーロッパ),19連休(ひろしま国際センター2年目,カナディアンロッキー)などのほか,県庁3年目から毎年7連休,5年目からは毎年10連休を(半分意地で)取り続けてきたこともあり,6日間の休みはあっという間の感じです。
 最近は,本業の関係で長期の連続休暇が取りにくいため (とはいえ,研修講師等対応で昨年も年休24日消化でしたが),シンガポールにも5年以上帰っていません。メールでのやり取りは結構あるのですが。
 もっとゆったりと過ごしたいと思いながら,何かに追い詰められ続ける緊張感がないのも・・・というのも性分です。
 ということで,今年も,ドタバタ・ジタバタやっていきたいと思っています。

2010年1月1日
 あけましておめでとうございます。
 広島は雪の大晦日でしたが,新しき年は静かに明けました。
 今年もよろしくお願いします。
 今年がみなさまにとって良い年でありますように。

 大晦日の夜に,小児救急電話相談研究会の分科会報告案が北海道小児科医会の先生から届いて,紅白歌合戦も見ずに全体報告書用に体裁整理をして疑問部分の質問を付けて返送し,昨夏以来の標準生活パターンである午後10時過ぎ就寝,午前4時過ぎ起床で2月の愛知県医療ソーシャルワーク学会の記念講演の準備をした後,年賀状を眺めてから尾道の老親宅に年賀挨拶に行って帰ってきたら,北海道の先生からの返信が届いており,今からまた作業です。お医者さんの世界の時間感覚は世間一般とは若干違うようです。一部の先生方の熱意あふれるハードワークには感心させられます。
 私はといえば,これまでの雑多な経験を活かして,社会の多様な現場で頑張っておられる方々の応援につながるような仕事をしたいと思いつつ,先行きの見通しは立っていませんが,とりあえずは目の前のことに一つひとつ大切に取り組んでいきたいと思います。


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