橋本康男のひとり言2002年 '01 '02 '03 '04 '05 '06 '07 '08 '09 '10 '11 '12 '13 '14 '15 '16 '17 今年
橋本康男のトップページへ参考フレーズ集駄文抄遊びのページEnglish Page広島大学での4年3か月


2002年12月30日−その2
 大学から帰宅途中の電車の中です。片道1時間50分(帰りは駅まで迎えに来てもらうので1時間半強)の雛にも稀な長時間通勤を今年も1年無事続けることができました。長時間通勤をし出したおかげで,健康に気をつけて規則正しい生活を送るようになったようです。朝7時に家を出て夜10時過ぎに帰るという規則正しい生活で,土曜日も特別な行事がない限り大学で過ごすという,ある面単調な一年でした。
 行政にいた時には,極端に単純化して言えば与えられた時間の中でそれぞれの課題に取り組むという点では,ある程度は時間が解決するという部分があり,比較的気分転換がしやすかったように思いますが,大学では常に課題が目の前に並んでおり,これでいいというのがないのがつらいところです。
 特に今年は,初めての海外の大学での発表やパネルディスカッションへの参加,大学での初めての授業,地域文化や地域産業振興についての初めての講演など,48歳にして初めて経験することが多く,息の抜けない毎日でした。
 大学の多くの研究者のように,若いうちからある専門分野において継続的な歯車の噛み合った蓄積を築いていくというのがうらやましく感じることもありますが,今更どうなるものでもなく,また,これまで自分が歩いてきた雑多な経験の道もそれなりに意味があるかとも半分開き直りもありながら感じています。
 これは,人それぞれの持分とでも言いようがないように感じています。あとは,それを自分なりに生かしていくことが必要なのだと思います。
 舞台の上で主役を演ずる人や脇役を演ずる人がいれば,また舞台裏で大道具や小道具やその他のお世話をする人も要る訳で,雑多な経験が役に立つ場合もあるかと思います。
 来年も1年,「自分ならではできること」を探しながらこつこつやって行きたいと思っています。
 来年が明るく良い年でありますように!

2002年12月30日
 今年も終わろうとしています。
 大学に移って2年目は,忙しくはあり一生懸命にやったつもりではあるものの,何と言うか支離滅裂な感じのまま終わりつつあります。
 これは,行政という良く言えばゼネラリスト,悪く言えば専門性のないタイプの世界にいた者が,大学にいることにより違うタイプの仕事のやり方をせざるを得ないことによるのかもしれません。
 個人の仕事の評価がストレートに問われるということを,大学での仕事以外にも,講演や研究協力者として参加しているプロジェクトなどで強く感じます。まあ,いろいろと声をかけていただくのが嬉しくて新しい仕事を見境なく引き受けてしまって自分の首を絞めているだけなのではありますが。
 専門性を持たない中でコーディネーターとしていい仕事をとは思っていますが,こればっかりはやってみなければ分からない瞬間芸のようなもので,経験を積んだからといってうまくいくという保証は何もない厳しさがあります。だから面白いのかもしれませんが。
 年末押し迫ってまで仕事に出ている中で,バスの時間待ちを利用しての今年最後の意味のないひとり言でした。
 みなさまにとって,来年が良い年でありますように。
 今年1年間,ありがとうございました。
 良い年をお迎えください。

2002年12月7日
 2か月書けずにいました。
 11月にこれまで経験したことのない分野の講演を2つ引き受けてしまっていたことと,幼稚園,小中高の先生方と広大の理学部・教育学部の先生方,そしてこども文化科学館の館長さんとマツダ財団の事務局の方々と6月から議論していた「科学わくわくプロジェクト」の中間報告をまとめていたこと,公務員の組織風土改革の研究会が2日連続でみっちりあったこと,国立精神保健研究所関係の研究チームに声をかけられたこと,農工連携,環境関連産業創出関係の会議が続いたこと,東広島商工会議所関係の誌上座談会があったこと,東南アジアの企業体験研修をした学生のシンガポール関係分の発表準備に首を突っ込んでいたことなど,大学情報サービス室の将来方向についての検討作業が続いたこと,などそれぞれいろいろ理由はあるのですが,要は一言で言えば余裕がなかったということです。
 最初に述べた2つの講演の一つは,大学の近くの町のある地区に招かれたもので,なんと「地域文化について」というタイトルで講演をしました。全く文化的でない私がお話するのはいくら何でもと思いましたが,折角のご依頼でしたので,「地域文化」というのは単に芸能や祭りだけでなく,「地域の人々の生きている姿」そのものだということを基本に,世界や社会の変化などをお話した上で,緑についても単に地域に存在する環境としてだけでなくもっと積極的に生み出していく緑,作り出していく緑というふうに,自分たちが生きていく中でどう働きかけていくかが大切ではないか,祭りにしても,結果としてのその形だけではなくそれを実現し続ける地域の人々の集い協力する姿に意味がある,といったようなことをお話させていただきました。もっとも,価値があったのは,私の講演よりも,その後に続いた猪鍋(ししなべ)パーティーと子ども相撲ではなかったかと思います。
 もう一つの講演の方は,高田郡6町の町長さん,町議会議長さん,商工会長さんなど100人近くの方に「これからの地域と産業振興 〜行政と経済団体への期待〜」ということで広域合併がらみで,昨年関わった広島中央地域の産業振興ビジョンの話や地方の元気などについての話をさせていただきました。こちらの方は,駄文抄にレジュメを入れておきますので,ご興味がおありでしたらどうぞ。
 このほか,中国新聞の記者の方から個人紹介記事で取材を受ける機会があり,これまでの自分を振り返るチャンスになりました。その中で感じたことは,個人単位で評価される大学やシンガポール,商社と組織の中での評価が基本である行政との両方を経験している私としては,個人単位で評価される世界の快適さ(と厳しさ)を感じるとともに,みんなの力を合わせて成果を生み出していく組織での仕事の面白さも再認識しているということです。
 個人が「スター」になる必要のない組織は,ある面では地方の一つのあり方にも通じると思います。地域の人々や家族・親戚・友人などとの間の空気を大切にしながら,いつも100点を取ろうとするのではなく,自分自身のバランスを取りながら新たなものに取り組んでいけることは,地方の魅力の一つではないかと考えています。競馬場の中で全力疾走するサラブレッドだけが馬じゃないという言い方は無為に対する言い訳につながる恐れもありますが,大切なポイントも含んでいるように感じます。ただ,野っぱらで群れて草を食べるだけではなく,個を大切にしながら,自分なりにめざす方向へ歩いていくことも大切だと思います。
 ただ,「個人」を対象として取材されるのは初めての経験だったため,自分で自分を表現することの難しさを痛感しました。記者さんにはご迷惑をおかけしたと思います。
 再来週には,富山県庁で組織風土改革に取り組んでいる友人を訪ねていくつもりです。富山県庁でのオフサイトミーティングに招待していただけるとのことで楽しみにしています。私が参加している公務員の組織風土改革の研究会の参加者は,最初は国関係の方が多かったのですが,最近はほとんど地方自治体の方になりました。地方自治体の変化のうねりが(一部では)起きていることを実感しています。

2002年10月2日
 なんと3か月以上も書いていませんでした。どうも一方的に書くのは向いてないようです。
 この間,幼稚園から大学までの先生数人ずつで集まっての子どもの科学へのわくわくプロジェクトの検討の事務局役だとか,例年担当している自治医大での市町村職員対象の地域の保健・医療・福祉コーディネーター養成塾の講師だとか,なにかとぱたぱたと過ごしていました。
 先週初めまで1週間程シンガポールに行ってきました。広島大学が昨年から始めた東南アジアの日系企業へのエンジニア系の学生の1か月の派遣研修の関係です。その時の印象を断片的にメモしておきます。
(スコール)
 朝8時頃から1時間ほどのスコール。シンガポールに済んで驚いたことの一つはスコールの突然さです。ほんの5分ほど前までは快晴だったのが突然真っ暗になり大粒の雨が吹き降りで来ます。最初の頃,天気がいいからと全部の窓を開けっ放しで近くに買い物に行ったらその間に土砂降りになり,家中が吹き込んだ雨でずぶぬれになったことを思い出します。
(地元企業)
 以前シンガポールにいた時にシンガポール政府経済開発庁の地元企業の海外展開支援プロジェクトに協力していた関係で知り合った旧知の地元企業を訪問しました。
 中国系シンガポーリアンの経営者です。主な製品は,プラスチックメッキや電磁波防止塗装です。電気塗装や吹き付け塗装,射出成型などをやっており,製品デザインや耐熱試験,強度試験,X線検査機器などを備えた研究開発室も持っています。
 8年前にはベトナムに工場を作る段階だったのが,今回行ったら中国に4つ,台湾,ベトナム,タイ,マレーシアにも工場を展開していました。取引相手先は,米系が70%。ヨーロッパ系が20%,日本系が10%程度とのことです。ヒューレットパッカードのロゴマークや携帯電話の胴体の製造などをやっています。ベトナムの工場もフルオートメーションラインにしているというので,人件費の安いところでなぜと聞くと,取引先からの品質面での信頼を得るためには必要という話が印象的でした。同様の理由で,環境面でも充分な配慮が必要とのことでした。
 中国の発展が話題になり,現在でも中国の取引先には,技術と資金はもう問題ない,あと学ぶものはマーケッティングだけだと豪語している者もそうです。15年後には中国はすべてを手に入れてさらに発展しているだろうというのが,この経営者の弁でした。その時に,シンガポールと日本はどうしているんだろうなどと話し合っていました。
(中学校の競争)
 午後は県内のある市が交流している中学校を訪問。7年前に交流を始める時から手伝っているもので,広島側の中学生には「お客さんで行くのではない。相手の時間を使わせてもらうのだから,その時間がどうしたら双方にとって意味のある時間になるのかを考えて,そのために事前の準備に充分時間をかける必要がある。」と言っています。市役所側の意欲に支えられて,事前研修を派遣前3か月程度かけて毎土曜日に10回程度やっています。
 幸いシンガポール側からは高い評価を得ており,2年目からは先方からホームステイの提案があり,昨年からはシンガポール側からも広島に訪問するようになって双方向の交流になっています。ちなみに,シンガポールでは全国の中学校毎の生徒の成績がランク付けされて公表されており(学区制がなく,各学校は優秀な生徒を集めて学校の評価を上げるために一生懸命とのことです。),この中学はこれまであまり有名ではなかったのですが今年は全国のトップ10に入ったとのことです。別の中学校のケースですが,校舎の壁に「わが校は全国のトップ10に入りました。」と書かれた馬鹿でかい横断幕が掲げられていました。
 今回は,7年もやっているとマンネリになるといけないので,相手側の率直な意見を聞きたいということで訪問しました。
 シンガポールにいた時には,地元側から「日本との学生交流は,日本側の思い込みと押し付けで進むものが多い。自分たちが一方的に思い込んだプログラムを押し付けてきて,自己満足して帰っていき,後の礼の手紙もない。」という話を聞くこともありました。情報が少ないこと,英語の問題があること(日本の学校の先生の教科書英語の要求調の英文レターには悩まされていました。)は仕方ないにしても,一見遠慮しているような振りをしながらも自分の思い込みを押し付けるという行動様式は,日本では珍しくないようにも感じます。
 この中学校では,校長先生と担当の先生2名と1時間ほど意見交換をしました。実績の積み重ねで生まれた信頼関係をベースにすることによってより率直な意見交換ができ,さらに良いプログラムを生み出せる関係を作りたいと意見交換を始めたのですが,最初に校長先生から提案されたのが中学生に企業体験研修をさせたいというものであったので,ぶっ飛びました。大学とポリテクニックとでやっている企業体験研修でも多くの困難があることを説明して納得していただきましたが,うーん,さすがシンガポールというところです。
 いろいろ話しましたが,面白かったのは,広島に行った時に広島側の中学校が2−3時間分をシンガポールの学生との交流で授業への参加も含めてプログラムを組んでくれるけれど,そこまで準備したものでなくていいので,まる1日ただ教室に座っているだけでいいから授業の雰囲気を味あわせたらどうか,というものでした。言葉は分からなくても日本側の生徒の授業中の雰囲気を味わうだけでも勉強になるというのです。交流事業の中には,日本側が気を使いすぎて準備しすぎてしまうケースもあります。むしろ肩の力を抜いて進める方が理解が進むというケースもあります。
 この話で面白かったのは,日本の学校では音楽などの科目でも生徒は熱心に授業を受けているというものです。シンガポールでは,中学校卒業資格試験(GCE−Oレベル試験)に必要な科目は熱心に勉強するが,他の科目は生徒は手を抜いてしまう。だから日本は総合力が高いんだ,という意見でした。私の方からは,高校入試と内申書の制度の話などもして,必ずしも美しい点だけでなく,システム上の理由もあるということを説明しましたが,このような思い込みも往々にしてあるものです。
 このほか,シンガポールでは,大学入試に当たる高校卒業資格試験(GCE−Aレベル試験)について,これまで英国のケンブリッジ大が用意した試験をそのまま使っていましたが(試験問題を英国から運んで採点も英国で),最近シンガポール独自に単なる記憶力だけではなく思考力を問う問題を導入しているとのことでした。
(シンガポーリアン)
 シンガポールでいつも感じることですが,どうしてこんなに人の付き合いが快適なのかというほど,スムーズに打ち解け合えれます。多様な人々が混住している中での行動様式なのだと思うのですが,生身の個人の評価を大切にする環境だからかもしれません。もちろんその裏には,個人のビジョンと実績を重視する風土があり,厳しい評価があるのですが。ただ,いずれにしてもお互いやるべきことはやらないといけないのですから,それさえクリアすれば,何も難しい顔をして格好をつけたり現在の肩書きを振り回して形にはまることはないじゃないかというのが,シンガポールで感じるメッセージです。
 一つの「群れ」の中にいつまでもいるわけではないのだから,群れの中の序列や担っている役割(役職),形にこだわることなく,個人としての魅力を大切にしようということかもしれません。この点では,退職して組織の中での肩書きを失った時の落差はシンガポールの方がかなり小さいのではないかと思ってしまいます。

2002年6月15日
 6月末に行う,外国人児童生徒を受け入れている小中高等学校の先生方を対象とした講演会の準備のために大学に出てきています。外国人児童生徒の受け入れについては,人・物・金の現場での受け入れ態勢や法制度の問題など多様な問題がありますが,今回は日本社会の多様性許容力の部分に重点を置いてお話したいと思っています。マジョリティに属している意識が安心感となり,異質なものを排除する方向に働くことは良くあることです。(倒産しない組織に働く場合も似たようなことが言えるかもしれません。)今回はタイトルを「『群れる』から個のネットワークへ 〜シンガポールで感じた多文化共生〜」としました。個人を意識することがマイノリティの感覚の理解につながるとともに,感性を共有できる仲間の大切さも感じられることにつながるのではないでしょうか。
 先日あるミニコミ紙に頼まれて随想なるものを書いてみたので,下記に。800字というのは長いようで短いようで。
 「上海に行ってきた。十五年ぶりの上海。びっくりした、という言葉では言い表わせないほど驚いた。十五年前にはネオンひとつなく高層ビルなど一本もなかった上海が、全く違う未来都市になっている。 残念ながら、広島市など規模の点からも勢いの面からも比較対象にもならない。以前シンガポールに3年ほど住んでいたことがあるが、物価を加味すると一人当たりの豊かさが日本を上回るというシンガポールにひけをとらない豊かさを感じる。しかも、シンガポールは持てる力を振り絞って頑張っているという感じがするのに対して、上海はまだまだどこまで発展していくのか分からない未知の可能性を感じさせる。十五年ぶりという時間の経過が、五十年分以上にも感じられる変化のスピードだ。もうまく、しかも背伸びをしている感じがない。 新しく開発された浦東地区には、八十八階建て高さ四百二十メートルのオフィスビルをはじめとして、数え切れない高層ビルが建っている。ほんの5年前までは一面の農地であぜ道があるだけだったとはとても想像できない。上海で聞いた「中国は一つではない。香港の近くの華南地域は華僑的な短期間での投資回収を考えるが、上海周辺は日本と同じく品質にこだわるものづくりをする地域だ。」という話も印象的だった。上海には日本企業も多く進出しているが、大学を出て直ぐに上海でベンチャー企業を設立している日本の若者にも出会った。在学中に中国語をマスターし、上海でビジネスをしているという。世界中の力を受け入れ活躍のチャンスを与えることにより発展する中国の姿を感じた。


2002年5月26日
 授業なるものを始めて2か月ほどが経ちました。
 教えるということの難しさと面白さと恐さを感じました。
 ある教授が学生の卒論を読むというのは,自分に対する試験を受けている気分だと書かれているのを読んだことがありますが,まさにそんな感じです。
 全員が理解できるような内容とスピードというのはなく,毎回が試行錯誤の連続です。でも,学生というのは自分が思うよりも遥かに理解力やセンスを持っていたり,予想外に素直な反応を示してくれたりであり,一喜一憂しながら100名ほどの学生全員に義務付けている毎回の感想文を読んでいるところです。いずれにしても,若いってのはいいですね。
 駄文抄に先月ある公民館の生涯学習の開講式で300人ほどの方々を対象にお話した「国際化時代の生涯学習 〜心を硬くしないためのチャレンジ〜」というタイトルでの講演の草稿をアップしました。タイトルのうちの本体は先方からご指定の演題で最初はびっくりしたのですが考えてみるとなかなか面白いタイトルだったと思います。実際には原稿から離れて自由に話すので半分ちょっと位しか話せないのですが,初めてのテーマの場合はやはり一度書いてみないとイメージがつかめません。ご興味とお暇とがおありでしたらどうぞ。
 来月は,NPO法人多文化共生センターひろしまのご依頼で,外国人児童生徒の指導をされている先生方を対象に「『群れる』から個のネットワークへ 〜シンガポールで感じた多文化共生〜」というテーマでお話をする予定です。このテーマは自分で考えたものでそれなりに気に入っているのですが,現場で苦労されている先生方に役に立つ話ができるかどうか心配もしています。
 先日あるぬるま湯組織の弊害を感じさせられる話があり情けない思いで落ち込んでいましたが,先週の上京の際に上杉鷹山の本を読んで,昔から変化を起すことと維持することの難しさを感じるとともにそれを超えようと努力している人々の姿に触れて,頑張らねばと思っているところです。。
 以前も書きましたように,倒産しない組織における変化というのは難しく,私自身半歩先だとか中腰の姿勢ということで組織の中で組織から浮き上がらないはじき出されない変革の大切さを意識していたものの,外に出てみて社会では変化が大股で怒涛のように起きつつあるのを感じて考え込んでいるところです。
 いろいろありますが,できるだけ多くの人々がそれぞれ精一杯腕を伸ばして水をかき泳いでいける環境が広がっていくことを祈っています。

2002年4月27日
 宮城県の浅野知事,三重県の北川知事,高知県の橋本知事による「知事が日本を変える」(文春新書)を読みました。
 3知事が一致して組織風土改革,意識改革に重点的に取り組んでこられたことを印象深く感じました。行政組織の場合,結果評価が難しいが故に減点主義になりかねず,自ら提案して新しいことに取り組んだ経験の少ない事後調整型の優秀な職員が多くなりかねません。また業務への外部チェックが効きにくいが故に慢心したり自己肥大・自己満足になりかねない恐れもあります。極端な場合には,思い付きの政策を押し通そうとして思うようにならないと開き直ったり職員個人の恣意的な判断を「行政としては」と組織の看板を背に押し付けるということすら起きかねず,それに対する有効な対抗手段がなくて泣き寝入りということも考えられます。上記の本で語られているのは,徹底した情報公開と意思決定プロセスまで含めた公開での議論,結果評価の徹底などです。
 今までにないことをしていくのは大変なことですし,組織の常識を超えていくのは簡単ではありません。より良い社会のための新たな提案を自分自身でして粘着度の高い重い空気の中で変化を生み出すためのもがきをしている人には,自分の判断への不安や恐れ,それを超えて進めていくべきだという使命感,一人でも二人でも協力者を増やしたいという熱意などがあり,そうした中で生み出される静かな迫力や厚み,謙虚さといったものが感じられます。行政組織においても,自分自身がそのような経験をし,それ故地域の人々の真摯な取り組みの価値を評価し励まし応援していけるような職員が増えていくことと,信頼され評価される行政への取り組みが広がっていくことを期待しています。
 昨年,21世紀の人材育成というテーマで話をするようにと依頼された時に,「21世紀の日本の社会が求めているのは,変革と創造であり,それを実現する個人の静かな迫力ではないかと考えています。群れになって人と同じ行動をし手の届く範囲の世界で生きていくというのではなく,変革と創造の過程で周囲と違うことに取り組んでいく孤独に耐えて,新たな領域に踏み出していける人材が求められているように思います。破壊や捨てることのできる強さも時には必要になります。同時に,ビジョンを共有する仲間も大切です。そして何より,人と社会に対する豊かな感性が求められています。」というようなことを考えました。「群れる」ことから「個の連携のネットワーク」への転換が求められているように感じています。

2002年4月17日
 先週の水曜日から広島国際大学で「医療福祉情報管理論」の授業を始めて,今日で2回目です。
 広島大学では「助教授」の肩書きは持っているものの授業を持っていないので,初めての授業です。ちょうど自分の娘と同じ年頃の学生たちを教えているのですが,なかなかに緊張するものがあります。
 でも,いくつになっても新しいことを始めるというのは,不安もありますが楽しいものです。
 時々は新しいことにどきどきしながら取り組んでいかないと,心に埃がたまってしまいます。この点からすれば,しばらくは毎週の授業でわくわくどきどきが楽しめそうです。

2002年4月4日
 余裕のない毎日を送っているうちに,随分更新できずにいました。
 先日,ある方からホームページ見てるよと言っていただき,何とかしなくてはと思っているところです。
 年度末にインドネシアに出張に行ってきましたので,その時に感じたことをアジアについて考える友人たちのメーリングリストに書いたものの一部をとりあえず転載しておきます。お暇があればどうぞ。
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 私の方は,今日,当地のガジャマダ大学(インドネシアのトップ4とのことです。)での「Workshop on Strengthening the Collaboration between University and Industry and Community」なるものでの発表が無事済んでほっとしているところです。広大から2人,タイとアメリカから1人ずつ各30分の発表と1時間半のパネルディスカッションだったのですが,東南アジア英語には自信があったはずなのに,会場からの質問が充分聞き取れず,やはり私の英語はシンガポールでしか通用しないシングリッシュ(シンガポールイングリッシュ)だと落ち込んでいます。(それすらあやしいものですが。)
 それと,大学関係者ばかりの集まりに参加してみて,大学の社会連携の話は全体像が見えない話であることを改めて感じ,引き続きじたばたしてみたいと思っています。
 インドネシアは7−8回目ですが,懐かしいインドネシア料理にすっかり幸せな毎日を送っています。ホテルも清潔で快適で,水道の水が少し茶色いので洗濯をする時に蛇口の下にうっかり置いておくと色がついてしまうのが困るくらいで,インドネシアの方々の笑顔に囲まれて和んでいます。ただ,以前,インドネシア滞在十数年でインドネシア語にも堪能で個人的にも尊敬できるとても魅力的な日本人の方が,「その笑顔の中には生来の純粋な人の良さと同時に300年にわたる植民地支配により外国人に上位意識を持つが故の卑屈さが込められた笑顔もある。それが,最後のところでどうせできないからとあきらめてしまう踏ん張りの弱さにあきらめの良さ?つながることもあり,自分はインドネシアの国と人が大好きなんだけれども,そんなところをみてしまうと好きであるだけに時々怒りを感じてしまう。ぐっと奥歯をかみしめて頑張ってほしいと思うこともある。」という趣旨のことを言っておられたのを思い出します。でも,今回お会いしている方々は(ある面成功者ではあるのでしょうが)意欲にあふれ,ここ何十年も,大きな可能性を秘めた国と言われ続けながら可能性に終わってきたインドネシアにも変化の波は少しずつ押し寄せてきているようで,それが実を結ぶことを祈っています。
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 今夜はガジャマダ大学の学生たちに夜11時半までジョグジャカルタの街を案内してもらっていました。みんな実に自然でいきいきとしており,広島の学生がこのように外国からの客をもてなせるだろうかとメンバーで話し合ったものです。(もちろん,日本の京大に相当?するエリート大学の学生であり,自信を持っているということもあるのでしょうが,それにしても,嫌味や卑屈さや気負いを感じさせない自然さが印象的でした。)
 インドネシア語講座の続きです。
 Selamat Pagi (セラマット パギ)おはようございます。午前5時から午前9時頃まで
 Selamat Siang (セラマット シアン)こんにちは。午前9時から午後2−3時頃まで
 Selamat Sore (セラマット ソレ)こんにちは。午後2−3時から午後6時まで
 Selamat Malam (セラマット マラン)こんばんは。午後6時から寝るまで。
 Terima Kashi (テリマカシ) ありがとう
 Selamat Tinggl(セラマット ティンガル) さようなら(出かける人が残る人に言う場合)
 Selamat Jalan(セラマット ジャラン) さようなら(残る人が出かける人に言う場合)
 サマサマ どういたしまして
 キラキラ 大体
 キリ 左。 カナン 右。
 これであなたはインドネシアの友人です。
 ところで,当地で一番人気のある歌は「心の友?」だそうですが,ほとんどのメンバーは知りませんでした。昨夜のガジャマダ大学主催のレセプションでも,歌われていました。ちなみに,のん兵衛の私としては,イスラム国で,一滴もアルコールを飲まずに見事に盛り上がる当地のスタイルにいつも感銘を受けます。アルコールに頼らないと盛り上がらないって,変なのかも知れませんね。
 ちなみに,インドネシアでもっとも有名な日本人は,「クレヨンしんちゃん」です。というのは冗談にしても,ガジャマダ大学の売店にはクレヨンしんちゃんに大学の名前が入ったステッカーを売っていました。(不思議に,クレヨンしんちゃんのだけでした。)
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 ジョグジャカルタからジャカルタへの飛行機が,航空券に表示された便に席が無くて乗れず4時間ほど遅れてしまいましたが,無事着きました。最初はガルーダ航空側の責任だと思って交渉していましたが,いろいろと調べていくうちに(まだ最終結論は出ていませんが)どうも日本側の旅行代理店の発券ミスではないかという感じになっています。(インドネシア側に厳しい言い方をせず紳士的?に対応していたので恥ずかしい思いをしなくて済んで良かったというところです。)
 9年ぶりのジャカルタは,高層ビルが増え車は総じて新しくなり,近代都市になっています。そのぶん,他の国の首都と同様無性格な都市(国際都市)になっていますが。
 以前訪問していた頃には,タクシーの利用は料金交渉から始まりましたが,ジャカルタとバンドン,スラバヤなどの大都市はメーター制が一般化しているようです。昔,ジャカルタからバンドンに行くのに安く値切って乗ったタクシーが後部座席のクッションがへたっていて,直接床の固さが感じられる状態で3時間半程度の爆走運転(先の見えない山間のカーブ続きの道で平気で追い抜きをかけていくなど)のスリルを味わったことも嘘のようです。
 こちらに来て経済格差を背景としての人の向き合い方の難しさを改めて考えています。日本でも同じですが,いろいろな弱い立場にいる人たちとの向き合い方において,自然で素直であるというのは難しいと感じています。開発途上国では依然として,貧しい部分に目が行って全体像が見れなかったり,日本人と付き合い慣れしている一握りの層を通して判断してしまったり,思い込みや決めつけ,思い上がりや憐憫としての同情に染まってしまったりと,多様性許容力の訓練のできていない日本人としては,なかなか対面の仕方は難しいように感じます。容易に擬似優越感に浸れやすいだけに,浪花節にならず,量や力の単線的比較の論理にもならずというバランスの取り方は難しいですよね。 結局は自分の中の弱さへの向き合い方でもあるのでしょうが。もっとも,こちらで活躍されているほとんどの方は純粋な使命感で頑張っておられると思いますし,そのエネルギーが日本国内の変化にもつながっていくことを期待しています。
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 また,公務員の組織風土について話し合う会のメーリングリストに書いたものの一部も転載しておきます。
・自分自身,行政ではそれぞれに一生懸命にやってきたつもりではあったものの,専門性や蓄積という点ではどうだったのか。行政にいる時は,行政の仕事は瞬間芸のようなもので,過去の実績やキャリアではなくその時その時の判断のセンスの良さや行動力,説得力が問われるのだと思っていましたが,この道一筋の研究者の集団の中に入ってみて,やはり蓄積の大切さを感じています。特に,継続的な勉強の習慣がない(私の場合)というのが問題だと感じています。
・大学に来て,改めて専門職を生かすコーディネートの専門家の必要性を感じています。それぞれの持ち味を生かすような,個性を生かした連携が求められていると感じます。
・行政においても,前例のないことに取り組むためには,まず愛嬌が大切だと感じています。「愛嬌」というのはともかく,他人にまず話を聞いてもらう,意見を言ってもらう,そして信用してもらうというのが大切で,そのためにはまず相手に自分を好きになってもらうことが必要なように思います。ところが,最近このあたりでは,頭のいい人が管理部門中心に回ることにより,そのことの大切さを体験していない場合が増えているようにも感じます。
・給料をもらいながらフルタイムで社会のために仕事のできる行政の仕事というのは,とてもいい仕事だと改めて感じています。特に地方行政の場合,地域で頑張っている人々を応援し可能性を引き出し発揮する場を用意する社会システムづくりにその醍醐味があると感じています。
・それは行政自身の中でも同様だと思いますし,そんな中で組織力の差がどんどんと開いていっているのではという恐怖感すら感じます。今はまだ結果として組織力の差が大きく表面には現れていないように見えますが,それが目に見えるようになった時にはどうしようもないのではと心配しています。

2002年2月23日
 先日,個人的に参加しているアジア関係の集まりで,中国に長く関わってこられている方の話を聞く機会がありました。この方は,仕事の上で始まった中国の付き合いが,個人としての中国への関心へと発展していっており,仕事と個人とがうまくつながり,幅の広いものの見方と行動力に結びついています。どうも,仕事は仕事という言い方で個人としての責任が表に出てこず,個人のトータルなものが見えないことが多く,それが逆に仕事の上で個人の魅力が感じられない一つの理由にもなっているのではと感じていますので,さすがだなという感じでした。
 最近時々「産学官民」の連携ということが言われます。ある側面からは大事なことだと思っていますが,これが逆に産学官を組織としてだけとらえてその中にいる個人の意味を見過ごすことになりはしないかというのを心配しています。組織の中の個人個人が,自分の個人としての信用と存在をかけて仕事をし,個人個人が光ることが大切なのだと感じています。
 私が以前いたような組織でも,やはり個人の思いや夢・理想,それに歴史の中での使命感など裏打ちされた個人の魅力が大切であることは変わりないと思っています。それがなければ,倒産しない組織における唯我独尊・傲慢不遜さや無気力さ内弁慶といった病巣への対応は難しいのではないでしょうか。
 国立大学もこれまでお役所的な面があったことは否定できないと思いますが,少しずつ変化の風を感じています。変化の現場にいれることの幸せさを感じて,自分にできることに取り組んでいきたいと思っています。

2002年1月21日
 今年は歳男であり来週には48歳になります。もう少し歳相応に落ち着いてきてもと思うのですが,こればかりは思うようになりません。言い訳がましいのですが,これまで割と雑多な経験をしてきたからかもしれません。1年ちょっと前までは24年と9か月県庁職員をしていたのですが,その間にも1年間の商社派遣研修や3年間近くのシンガポール駐在を経験しています。この商社派遣は,当時人事課におり「どうして役所の人間は偉そうにするのとへりくだりすぎるのと極端に分かれるのか,どちらも同じ土俵で対等に議論しようとしていないのは同じではないか。」と感じたことをきっかけに,組織の外で単なるお客さんではない研修ができないかと企画したものです。他にシンクタンクや大学院への派遣制度なども制度化しましたが,商社派遣については結局自分も立候補して行かせていただき,全国で初めての公務員の商社研修として得がたい経験をさせていただきました。このほか,県にいる間は,県警本部の警察官・警察事務官や市町村・民間企業から派遣された方と一緒に仕事をする機会もありました。シンガポール時代やその後の国際交流課時代は多様な国の方々と一緒に仕事をさせていただきました。昨年1月からは大学に移り,これまた180度違う世界を経験しています。大学の中にも各専門の研究者の方々がいらっしゃいますし,事務局職員にも多様な方がおられます。また,昨年1年間の名刺交換枚数が1500枚というように随分多くの方々にお会いできました。
 その中で感じたことの一つは,当たり前のことですが,医師や大学研究者のようにある専門を持って蓄積を重ねていく職種と比較的雑多な仕事を経験していく職種があるということです。私はもちろん後者なのですが,ほとんど前者の職種ばかりという大学に移ってみて,改めて自分の不勉強と蓄積のなさを感じています。もちろん後者のタイプにも,随分勉強されている方は多くいらっしゃいます。問題なのは後者の職種でも行政事務職のように安定した職種にいると,多様な業務を経験することがそれぞれの場面で専門的な勉強をしない言い訳になる場合もありうるということです。そのような勉強の機会が少なく専門性の意味や厳しさを感じる機会が少なく学びの意思が薄くなると,行政だからという意識が先走った独り善がりのタイプが生まれてくることもあり得ます。(もちろん大多数の職員は謙虚に懸命に仕事に取り組んでいるのですが)たまにそういうタイプの人が他人の話を聞こうとせずに「行政としては」などと自信たっぷりに発言されるのを見るとそれだけで悲しくなってしまいます。
 いろんな国や職種で頑張っておられる方々の魅力に触れ,自らの努力の必要性を感じ(なかなか思うようにはなりませんが),歴史の流れと社会のシステムの中でもがいている者同士の共感を感じるというのが,生きている面白さではないかと感じています。
 ということで,今年もまだまだおさまりかえれそうにありません。できない自分に悩みながらも,なんとかもがいていきたいと思っています。

2002年1月17日
 先週末,国立情報学研究所の先生が中心になっている社会コミュニケーションの研究会で冬の軽井沢に行ってきました。東京から新幹線で1時間10分の近さに驚くとともに,ブランド品なども揃えたアウトレットと古くからの商店街の両方の賑わいにも驚きました。研究会の方は,政府でe−Japanをやっているお役人や大学関係者や企業の方など多彩なメンバーでなかなかに刺激的でした。
 ある議論の中で,「地方の情報化の話には他にはないユニークなものや独創的なものがない,東京のミニチュアだ。」という指摘がありましたので,私の方からは,「地方でも一通りはビジョンの中に並べておく必要がある。人並みになりたいという思いと同時に,そうしておかないと不毛な揚げ足取りの議論に追われる。むしろ大切なのは,そのように一通り並べ立てたビジョンの中から,何を選択し具体的に何を実現していくのかということだ。つまり『選択と実行』が結果として地方の特性を生み出していくことになる。」という趣旨を発言しました。メニュー自体の新規性や特性を競うよりも,具体的な選択と行動の結果としてのユニークさを競うことが大切ではないでしょうか。

2002年1月5日
 あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
 県庁から大学に移ってからあっという間に1年がたちました。新鮮な刺激の多い夢中で過ごした1年でした。昨年1年間に名刺交換をした枚数が1500枚を超えるなど随分沢山の方々にお会いすることができ,大きな刺激を受けさせていただきました。この点では大変恵まれていると感じています。それをどう役に立つようにお返ししていくかが課題だと感じています。
 沢山の方にお会いする中で,本当に真剣に勉強され実践の中で挑戦を続け大きく成長されている方々もおられれば,既存の粘着度の高い横並び意識の組織風土の中で歯車を噛み合わせることができずにもがいておられる方もいらっしゃいます。いろいろな機会に組織体質・風土の硬直化を感じ,危機感と問題とを感じています。積み上げ式の頑張るぞ!だけでは変化は生まれないとは思うのですが具体的にどうしていけば良いのか難しいものがあります。役所にいた時には,「半歩先」でなければ組織の中で浮いてしまって実際の変化を生み出せないと言っていましたが,時代はどうもそんな組織の都合など無視して大股で進んでいってしまっているようです。全員がスーパーマンのように頑張ることはないとは思いますが,せめて個人の創意工夫や努力が生きて評価され個人が成長していく環境が必要だと感じています。大きな焦燥感を感じているこの頃です。地域の変化のためには,これまでやられてなかったことを実際にやってみることが必要だと思いますが,コロンブスの卵を最初にひっくり返すためには,普段からの問題意識の蓄積と周囲からの「いらんことをする」との声に耐えてじたばたするもがきが必要だと思います。そんな取り組みをする人々を応援していく環境づくりが大切だと感じています。今年が年男の私にとっては変化に対応し続けていくのはだんだんときつくなっているようにも思いますが,今年もじたばたしていきたいと思っています。
 新年早々ちょっと話が暗くなってしまいましたが,変化の時代において,組織の中で社会の中で個人が光る時代にしたいと思います。
 皆様の今年のご活躍をお祈りしています。


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