橋本康男のひとり言2012年 '01 '02 '03 '04 '15 '06 '07 '08 '09 '10 '11 '12 '13 '14 '15 '16 '17 今年
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2012年12月22日
 年末のご挨拶。
 昨日で,(一人だけ先に)仕事納め?をしました。周りのみんなは予算作業等で頑張ってくれているのに申し訳ないのですが,まあ,普段からしょっちゅう居ないので,居なけりゃ居ないで何とかしてくれるという変な安心感があります。
 逆に,私がいなければ!と気負い過ぎてもうまくいかないよと,自分勝手に都合よく解釈をしています。
 慣れたことには頑張りやすいのですが,新たなことに取り組む場合には,どう頑張ればいいのかが分からないこともあって,なかなか歯車が噛み合わないものです。先の見えない中で,焦燥感や徒労感や不安感に襲われながらも,地道に取組みを続けていくのは難しいことです。
 転職準備でいろんな必要書類の準備のために過去の記録を整理していく中で,地に足のつかない,先の保証のない不安感の中でもがいていたことの一コマ一コマを思い出しています。
 分かっている道を走るために力を使うよりは,どんなに無駄な努力を繰り返そうと回り道をしようと,分からない道を開拓するために,わくわくどきどきしながらエネルギーを絞り出す方が楽しいと感じています。
 もちろんそれには,最悪の場合でも,崖から転落しないだけの実績を上げておく必要はありますが。
 まあ,58歳の終わりに近づいてもこんな青臭いことを恥ずかしげも臆面もなく書けることに,まずは感謝です。
 今年1年,このひとり言にお付き合いいただきありがとうございました。明日から元旦まで南イタリアです。
 来年が,皆さまにとって良い年でありますように! 良い年末年始をお過ごしください。

2012年12月16日
 公務員生活最後の年末かも知れないなどと考えて…?12月25日から休みをいただくことにしました。大学を辞める時には29連休を取ってタスマニアに行ったのですが,今回はささやかに13連休で南イタリアの世界遺産アルベロベッロです。
 とはいえ,身の振り方が決まっていないので,能天気に遊び歩いているところではないのですが。まあ,先楽後憂です。
 頑張り過ぎなくてもいい。一番大切なのは,心が固くならないこと。どっかでフッと抜かなければ,他人にも頑張りを押し付けてしまうようになります。やめないこと,あきらめないこと,止まらないこと,それがすべてだと思っています。少しずつでも,前に向かっていればそれでいいと思いながら,さりげなく頑張りながらやっていきたいと思っています。

2012年12月9日
 いろんなことがありながらも,日々は過ぎていきます。良いことも悪いこともありますが,それが自分でありそれが現実です。
 先週は,今年最後の三原市の職員研修のお手伝いと,本業の方でのアメリカの大学生へのブリーフィングと留学生活用セミナーのコーディネーター。シンポジウムのコーディネーターをやっていて感じるのは,世の中,本当にいい仕事をしておられるすごい方がいらっしゃるということです。そんな方々の,素晴らしい面をどのように引き出して会場参加者にお伝えできるか,その緊張感が好きです。
 先月の自治医大の財団のシンポジウムもそうでしたが,他の方々のいい面をみんなに伝えることは,いい仕事だと思います。コーディネーターというのは,いろんな人や組織の力をつないで自分の能力以上のことを実現することであるし,自分がやったと自慢するのではないけれど自分がいなければ生まれなかった仕事を生み出す手助けをすることだと思っています。
 これからも,そんな仕事をしていきたいと思っています。
 あと2週間,今年の残りの日々を頑張ります!

2012年12月2日
 訪欧から帰ってもう4週間,12月に入ってしまいました。今年度に入って,9月の国際会議と国際平和フォーラム,そして訪欧と,大きな行事の準備に追われて緊張感の高い日々でした。帰国後は,溜まっていたほかの仕事や個人的な活動も続いて,あっというまの4週間。ひとり言もほとんど書く余裕もなく。
 研修講師活動もほぼ一段落して,やっとほっとしているところです。
 先々週の地域社会振興財団40周年記念シンポジウムと先週の日赤広島看護大学での1コマの授業で,久々に,保健・医療・福祉の課題と可能性を感じることができました。社会の色々な課題を,多様な人や組織をつないでシステム・仕組みとして少しずつ解決していく,そんな仕事の面白さを再認識することができました。(英語で苦労する必要がないというのも,うれしいです。)
 社会の現場で起きていることを,その現場だけの問題にとどめずに,組織の課題として共有していき,社会の課題へと発展させることの大切さを改めて感じています。
 それと同時に,現場の課題を肌感覚で感じ理解していくことの大切さも。
 誰も,不幸に生まれてきた訳でも不幸になろうとしてきた訳でもなく,ほんのちょっとの歯車の狂いが,いろんな問題を引き起こして悪循環を起こしてしまう。河のあっち側に立っている人とこっち側に立っている人がいる訳ではなく,たまたま,偶然や運やちょっとした失敗や状況の変化が,様々な違いを生み出してしまっているだけ,ということを理解していないと,問題へのアプローチを間違ってしまいかねないように思います。
 自分自身も含めて,みんな不安定な足場の上にかろうじて立っていて,偶然や運に翻弄されながらも,その中で自分なりの最善の努力をしようとしている存在だという感覚は,大切だと思っています。
 そんな感覚が,人と向き合う時にも,問い詰めるのではなく問いかける,春のような温かい心で向き合う,そんなことを生み出すようにも思います。
 といっても,こんなことを書いている私がそうできている訳ではなく,いつも不安定に波に揺られているだけですが。
 今年は,21日が(個人的に)「御用納め」なので,あと3週間,しっかり頑張りたいと思っています。

2012年11月26日
 自治医大でのシンポジウムの後,軽井沢のアウトレットを見物して,(私の)生活感覚からかけ離れた値段の商品が売れていくことに(田舎者として)驚嘆し,浅間山周辺から見る(学生時代に登っていた)アルプスの山々にほっとして,小諸の藤村記念館で時代を振り返り,今日,帰広しました。シンポジウムでは,それぞれに,いい仕事を着実に懸命に進めておられる方々のお話をお伺いして,もっと頑張らねばと思いました。

2012年11月18日
 訪欧から,あっという間に2週間。先週も,木曜日は午後休暇を取って三原市の職員研修,金曜日は東京日帰り,週末は,年末の旅行準備でと来週金曜日の地域社会振興財団40周年記念シンポジウムの準備,そして尾道の老母孝行?であっという間に終わり。 こんなテンポでは,すぐお正月が来そうです。
 来年は,新しい仕事が見つかっているのか。先が見えないというのは,楽しみの部分もあります。来年,何をしているのか分からないから,今年の今を頑張れるというのもありそうです。

2012年11月11日
 訪欧から帰って3日間ドタバタと働いた後,木曜日は休暇を取って,横浜市の福祉保健センターの幹部研修に。人口380万人近い大都市でも,フットワーク良く変化に対応しようとしています。
 月末には,自治医大の地域社会振興財団40周年記念シンポジウムの司会(コーディネーター)もあり,地域医療系の活動が続きます。
 英語で悩まなくても良いこともあり,こちらの方が,性に合っているような気がしています。
 定年間近にして,身の振り方が決まらず,中途半端な感じです。

2012年11月4日
 5泊8日,実質5日間で3都市を訪問し18回の会談等を行うハードスケジュールから無事帰国しました。
 地方自治体が,国連機関や国際機関,国際的な研究所や大学を訪問して協議をしたり,外国の大使の方と意見交換をするなんてことは,私の時代には考えられなかったことです。
 時代は変わりつありますが,それに対応していくのは容易ではないとも感じています。
 とはいえ,ダーウィンが言ったとされる,強いものではなく変化に対応したものが生き残る,という言葉を思い浮かべています。
 先は見えなくても,行動し扉を叩いてみることの大切さも感じています。(その大変さも…)世界の動きに取り残されないようにとも感じています。

2012年10月28日
 昨日は,14年目となる地域社会振興財団(自治医大)の健康福祉プランナー養成塾の講師で東京へ。長くやっていると各地で頑張っている講師仲間と会えるのも楽しみの一つです。専門職が中心でつなぎ役が少ない保健・医療・福祉分野において主に行政職員を対象にコーディネーターを養成しようと始まったコースです。最近ようやく,コーディネーターの必要性が言われることが増えてきて,14年前の先見性を感じています。
 私自身は,15年前の地域医療係長時代に,救急医療情報ネットワークやへき地医療支援システムなどの発表をこの財団のフォーラムで発表させていただいたのがきっかけで講師陣に入れていただいています。ただ,この養成塾に参加するようになって以来,本業の仕事では一度も地域医療に関わる機会に恵まれていないのが残念です。
 今回は6時間のグループワークを担当し,今朝帰ってきました。今から,本業の方で,知事の訪欧の随行です。

2012年10月21日
 焦っていようが落ち着いていようが,時間は着実に過ぎています。とはいえ,それを使う密度は多様です。いろんな経験をする中で,限られた時間の中で何が何でもやり切らなければならないこともあり,緊張感を高め集中力を高めて取り組まざるを得ない場面も少なからずありました。そんな経験から,同じ時間でも密度の違いというものを感じています。
 もちろん,いつも緊張感と集中力を高めっぱなしではやってられないので,緩めることもとても大切です。糸が切れないように,張ったり緩めたり。
 止めないことが一番大切です。いじけたり,ふてくされたり,投げやりになったり,開き直ったり。それでも,気を取り直してまた前に向かって歩き出すこと,たとえほんの少しずつでも止まらないで前に向かって歩き続けることの大切さを感じています。
 あせらず,あわてず,あきらめず。緩急をつけて,運不運に振り回され過ぎないように,明るく楽しくさわやかに,頑張っていきたいものです。

2012年10月14日
 変化とスリルに富んだ日々が続きます。まあ,変化があるから本業の方のスリルにも耐えられるのかなとも都合よく考えています。いろんなスリル一杯の課題がある中で,着実に打てる手は何でも打っていかなければいかないものの,悩めば何とかなるものでもありません。本業とは別の世界で,研修講師やシンポジウムのコーディネーターを何本も抱えていて,それぞれに資料の準備や進行の打ち合わせなどがあるので,無理やり頭を切り替えなければいけません。これがあるから,持つのかもと思っています。
 週末には,九州や関西からも公務員仲間の友人たちがわざわざ広島まで来てくれて,話を聞いてくれる会を開いてくれました。初対面の人もいて,新鮮でした。
 ミニ講演とこれまでの足跡の振り返り,意見交換を2時間でさせてもらったのですが,やはり意見交換が面白かったです。中堅の職員さんから,若い頃に将来どんな職員になろうとめざしていたのかと聞かれて,そんなことは考えていなかったことに気が付きました。いつもその時その時の目の前のこと,今できること,今やるべきこと,ばかり考えていたように思います。結果的に37年間のうち10年間を県庁以外で仕事をする経験に恵まれましたし,今も,いろんな経験をさせていただく機会に恵まれていますが,それはその時その時の一つひとつの積み重ねの結果でしかないと感じています。その一つひとつの過程のどこでつぶれていても不思議はなかったと思いますし,そうならなかったのはいろんな点で恵まれていたのだと感じています。今は,結果としてのそんな幸運を,少しでも皆さんに返していかなければと感じているところです。
 若い頃に,凡中の非凡という言葉を思いついて,いまだに気に入っています。今をしのぐのではなく,今に全力で向かおうとしてきたから,結果として,いくつかの壁を越えることができたように思います。それは決して,最初から思い描いていたり計算していたものではなく,偶然の積み重ねの結果なのだと思います。
 いざとなれば,本当にどうしようもなくなれば開き直ればいいやと思っていたから,地道にやって来れたように感じています。

2012年10月6日
 ビジョナリーカンパニーのCを読みました。十数年前に@を読んで,緻密で膨大な調査分析でありながら,現実感を失わず,人と組織の姿を生き生きと描き出していることに,感銘を覚えました。圧倒的にパワフルな叡智というものを感じます。これは,ドラッカーの本を読んでいても感じることです。こうした本を普段から継続的に読まなければとは思うのですが,通勤途上が主たる読書の場であるため,ついかさばらず軽い新書を選んでしまいます。お手軽だけではダメだと反省した次第です。(もちろん,新書にも大きな学びがあります。)
 今回のCでは,徹底的に着実に取り組み続けること,多様なトライアルの中から手応えのあるものを見出しそれに集中して取り組むこと,目一杯最悪のケースを想定しながら打てる手を打っていくことの3つが大切であることなど,私自身の経験からも共感できることが数多くありました。それを膨大な調査を通じて実証して見せていることに,凄みを感じます。
 ところで,ひょんなことで,卒業(定年)間近の公務員のこれまでとその思いを聞いていただける場を知人がセットしてくれて,その準備のために,これまでを振り返る良い機会をいただいています。社会人になって今年で37年が済みますが,定期的に?所属する場が変わってきたために,常に新鮮な緊張感に恵まれてきたと思います。それまでの実績の蓄積や肩書が全く通じない立場に立つことを繰り返す中で学んだことは,こけおどしで格好をつけてもメッキは剥げてしまうこと,軽自動車のエンジンにベンツのボディを載せても仕方なく,無駄や遠回りも厭わず,地道に正面から取り組むしかないということだと思います。
 そんな地道な努力の積み重ねが,凡中の非凡につながることを願っています。

2012年9月30日
 もう年度の半分が過ぎました。緊張感の高い状態が続いていたため,あっという間だったという思いと長かったという思いが混在しています。緊張感と言うのは,単に緊張するというのではなく,打つべき手をきちんと打ち続けなければという意味での緊張感です。「信号一つの違い」と言って伝わるかどうか分かりませんが,横断歩道の青信号が点滅しだした時に,次の信号で渡ればいいやと思うのと,今なら間に合うと思って急いで渡るのとで,後々,とても大きな違いが生まれることを現実に数多く経験してきたため,ちょっとしたタイミングを逃さないようにと緊張感の高い状態が続いているということです。やるべきことをちゃんとしてないのではないかという焦燥感でもあります。
 これは先の見えない新しい仕事に取り組んでいる時に特に大切なことだと感じています。
 先が見えないからこそ,あれこれと回り道の模索の連続の中で少しずつ形にしていっていくしかありません。効率よく進めるものではなく,圧倒的なエネルギーを消費しながら,情けない思いに襲われながら,表面的には地道にこつこつという感じての模索が続きます。そうした先の見えない模索の積み重ねの中で,いつか少しずつ形が生まれてくる時期があります。手を抜かずに緊張感を持って一生懸命模索してきたからこそ生まれるものがあり,丹精込めて手をかけてきた後の収穫の時期に少し似ているようにも思います。
 これは,実際にやってみないとなかなか伝わりにくいものです。
 模索の方に目が行き過ぎると,全体の大きな視野での状況把握ややるべきことを見落としてしまったりすることもあるので,難しいものです。残りの半年も,適度の緊張感をもって過ごしていきたいと思っています。

2012年9月23日
 いつまでも夏が続くと思っていたら,一気に涼しくなって,冬が間近に感じられるようになってしまいました。なんか変ですね。もう少し,僅かずつの変化を楽しめればいいと思うのに。
 そんなゆるやかな変化のあたたかさ,といったものがもっと欲しいように思います。0か1かといったように,白黒つけようとするのではなく,いろんな濃さや色がある,そんな多様性の豊かさや奥行きが必要だと感じています。
 社会においても,恵まれた状態にいる人や勝ち組の人たちだけでなく,いろんな状況に置かれている人たちが,少しずつでも前向きの変化を感じられて希望を捨てなくてもいいような,そんなふところの深い社会がいいなと思います。
 一気に季節が変わろうとする中で,もう少しじっくりと行こうよ,とそんな気分です。

2012年9月16日
 3連休の中日です。3連休だというのに,どこにも出かけず,家でいろんな講師の準備や,猫の額程度の家庭菜園の秋野菜の準備,孫娘の相手などなど,平穏な時間を過ごしています。
 本業の方で,年度初めからずっと地に足のつかない状態で緊張感の高い不安定な時間を過ごしてきたのが,とりあえず何とか崖から落ちずに一息ついています。新しいことに取り組むというのはいつもこんなものです。
 一方では,平穏な安定を望みながらも,新たなものを生み出していくためには乱暴さ,大胆さ,強引さも必要で(強引マイウェイ…),「いい人」だけではやっていけません。
 昔は,ホメオスタシス(恒常性)とカタストロフィ(破断)とか言っていましたが,そんな大仰なことではなく,着実な延長上にあるものを求めることと,ぼんやりとしかつかめていないものをつかもうとする模索との違いなように感じています。
 仕事にも,手堅く間違いのないことを安定的に仕上げていく仕事と,地に足がつかず先の見えない中でめざすものに向かって不安定さに耐えながら模索して仕事とがあり,その両方をきちんとこなすことが求められます。そして,新たなものを生み出す仕事には,多くの回り道や無駄や失敗が数多くあります。「うまくいかないのが当たり前」,でも,「めざせば叶う訳ではないがめざさなければ何も生まれない」ので,徒労に終わることを覚悟しながらも,こつこつと地道に取り組んでいくしかないように思います。

2012年9月9日
 なんとか無事,日曜日を迎えることができました。この前の日曜日の夜から始まった丸二日間の平和関係の国際会議や国際フォーラムなどの行事も無事終わり,木曜日のJICA研修生への講義と,土曜日の日本語指導者研修会もなんとか済んでほっとしているところです。3週間休みなしでしたので,ちょっとほっとしています。
 JICAの平和教育コースの3時間研修は,アフガニスタン,東チモール,フィリピン,ネパール,ベトナムからの11人でしたが,なんとかグループワークの「三静か(トップページの最下段に説明を書いています)」まで持ち込むことができ,終了時には結構一体感が生まれました。外国の人に(英語で)三静かを説明するのは結構難しくて,うまく伝わらない人も出てきますが,研修員同士で助け合って,これまででは一番うまくいったと思います。
 みんなそれぞれに,厳しい環境で頑張っている方々ですので,そんな方が,行政の責任を感じたとか,100年後の自国の姿を考えないといけないと思った,などと言っていただくのはうれしいものです。
 帰国すれば,命の心配もしながら仕事をしなければならない人たちもおられる訳で,そんな心配のないところで働いている私たちは,どれだけ真剣に働いているのかと,考えてしまいます。
 4月からずっと息を詰めて仕事をしてきた感じだったのが,少し一息ついています。秋も,本業,趣味の講師活動共にいろいろ盛り沢山ですので,あまりのんびりもできませんが。
 これまで,常に半歩前に踏み出し「余計なこと要らんこと」に手を出し続けてきて,いろんな失敗もし反省すべきことも数多くありますが,それでも,前に踏み出してきたから,いろんな経験ができ,沢山の魅力的な方々と意味のある時間を過ごすことができ,信頼のネットワークに加わらせていただくことができたのでと感じています。
 次にそんな友人に会った時に恥ずかしくないように頑張らなければと,自分を励ましてきたように思います。

2012年9月2日
 先週日曜日の夜にハワイから帰って,火曜日は東京日帰り出張,水曜日はここ10年やっている広島県自治総合研修センターの市町村指導者養成研修3時間の講師,金曜日は広島で開催されたあるシンポジウムのパネリスト2時間,その夜から土曜日昼まで本業関連での延べ11時間の合宿ミーティングでした。
 明日明後日と,本業の国際平和拠点ひろしま構想関連で,アメリカ,オーストラリア,アフガニスタン,中国からの参加者を得ての国際会議と国際平和フォーラムがあり,今日の夜からその来客対応が始まります。
 木曜日はJICAの平和関連の研修講師を英語で3時間,土曜日は日本語教育関連のセミナーの講師と続きます。
 そんな中での楽しみは,いろいろな魅力的な方々にお会いできることです。いくら高名な先生でもびっくりするほど子どもじみた振る舞いをされることもありますし,光が当たらないところで地道に取り組んでおられる方の中に本当に感銘を受ける魅力を感じる方がいらっしゃいます。
 とりあえず次の日曜日を無事に迎えられることを願いつつ,目の前の一つひとつに真摯に向き合っていきたいと思います。

2012年8月26日
 なんとか無事帰ってきました。

2012年8月21日(ハワイ時間)
 なぜか,ハワイにいます。
 本業の方で,20日からハワイ出張予定だった課長さんが19日に急病になり,温泉旅行先の鹿児島から急遽呼び戻されて20日昼に広島に戻り,その夜の飛行機に飛び乗りました。
 色んな経験をしてきましたが,これは初めてです。
 ハワイは仕事で3度目ですが(前回は10時間!滞在),いつもスーツなので,なんというか間抜けた感じです。ただ,今回は,ほんの僅かな時間を見つけて,初めて海に(ひざ下まで)足を浸けてきました。ささやかな?リゾート気分??でした。まあ,仕事で来るところではないですね。
 ただ,時差が19時間とはいえ,日本時間に5時間足して1日前に戻すので,時差ボケはほとんど苦になりません。
 今週日曜日の夜に広島に帰るまで,気の抜けない日々が続きます。この日曜日はへたり込んで書けないかもしれませんので,まだ元気のある今のうちにの「ひとり言」でした。

2012年8月12日
 ちょっと一息です。本業の方でずっと緊張感が続いていたのが,とりあえず一時休憩という感じです。
 そう言えば,ここ最近のひとり言も,ちょっととがっている感じです。もう少しゆったりといきたいものです。
 とはいえ,新しいことにチャレンジしている時は,どこまでやれば十分なのかは分からないものですし,適切な手順も段取りも分からない中で手探りで進む不安の中で,じたばたともがき続けるしかないのも事実です。
 他人の仕事のチェックしかしたことのない者には,無駄で非効率にしか見えないかもしれないことにも,大真面目に懸命に取り組んでいくことが求められます。
 遊園地の迷路を攻略マニュアル片手に通り抜けてみることと,現実の世界でのチャレンジの中で手探りで多くの無駄と回り道を繰り返しながら根気勝負を続けていくこととは,本質的な根本的な部分で違いがあります。
 管理部門しか経験したことのない者には,分からない部分なのかもしれません。もちろん,それを理解できる感性のある人も中にはいるのでしょうけど。
 それは,管理とマネジメントは異なるということかもしれません。管理部門においても,管理しかしていない人と,リソースを生かすマネジメントをしている人との違いなのだと思います。

2012年8月5日
 相変わらず,新たな取組みの中でもがいています。そんな中で感じるのは,視点や志の違いです。つまり,自分が完璧な仕事を仕事をすることを中心に考えるのか,社会にとって少しでも意味のある仕事を生み出すことに参加しようとするのか,という基本的な姿勢の違いです。
 前者であれば,問題点を指摘してあるべき論を語り,正しい(と分かっている)ことだけをやっていればいいですが,後者であれば,限られた条件の中でどうやって少しでも目的に近づこうかを考えます。
 自分が間違いのない正しい仕事をしていることに満足をするのか,社会のために少しでも何か意味のあることを生み出していくことに達成感を感じるのかで,仕事への取り組み方が違ってくるのだと思います。
 正しいこと,間違ってないことを自信たっぷりに語り行うことに生きる喜びを感じるのか,社会のためにという思いで,先の見えない分からない中で,人や組織の力を合わせて,ささやかでも何らかの成果を現実のものにしようと,ほんのわずかな可能性をも大切にして,歯を食いしばって,必死になって肩の力を抜いて頑張る中で,仲間の大切さとありがたさをしみじみと感じることができるのかは,大きな違いだと思います。
 もちろん,いろんな意味で恵まれてきたからこそ,今,そんなことが思えるのであり,そのことにも感謝をしたいと思っています。

2012年7月29日
 最近つくづく,最後まで責任感を持ってやり切ろうという人の存在の大切さを感じています。簡単なことではないし,孤独も感じます。でも誰かがやらないと,物事は動きません。だから,同じ思いを共有できる仲間が必要であり,それが自分を支えてくれます。
 もう一つ,片付ける,すなわち捨てることの大切さです。片付ける捨てるという行為は,乱暴さがないとできません。捨てる,というのは追い詰められないとできないものです。誰しも,角を立てずに日々を平穏に過ごしたいものですし,そうであれば,捨てたことによって起きる問題にも対峙したくはないし。でも,捨てなければ,身軽になってのチャレンジはできません。
 捨てるということは,自分にできることは限られているということの理解の元に,何を大切にしていくかの選択なのかもしれません。なんでもできる訳ではないので,せめてこれだけは頑張ろうと思うから,それ以外のものを捨てることができるようになります。
 何か新しいことにチャレンジしようとすると,不測の事態に機敏に対応できるよう常に身軽にしておかなければなりません。この感覚は,やってみないと分からないところもあるかもしれませんが,要は,いつどんな予想外のトラブルがあるかもわからないので,資料は日頃から常に体系的に整理しておいて必要な資料がとっさにすぐ出るようにしておくとか,思わぬトラブルが起きたとしても,それに対応できるように時間を空けておくとか。平生往生ですね。
 選択といえば,集中力の切り替えの大切さにもつながります。大切な時に瞬時に集中力を上げていくことができるかどうかが大切です。いつも集中力を上げている訳にはいかないので,大切なところで一気に集中力を上げていくという切り替えが大切であり,その選択が問われます。

2012年7月22日
 先週は,久しぶりに,復興途上の国々の政府職員の方々への研修講師をしました。アフガニスタン,リベリア,南スーダン,コートジボアール,ネパールからの11人。以前,リベリアの政府職員の研修をした時に,自分たちの一番の悩みは長い内戦時に広がった武器を子どもたちからどうやって回収するかだ,と言われて絶句した経験があります。
 地域紛争などによって政府機構が崩壊した中で,必死になって国づくりに取り組もうとしている人々,そんな人たちに何を語れば力になれるのかと,最初の頃は悩みました。単なる制度の説明や,日本の恵まれた状況の自慢などをしても意味はないし,かといって「頑張れ」といった精神論だけでも仕方ない。結局は,同じ公務員として,どのように社会の課題を捉えようとしているのか,今どのような課題に直面していてそれらに対してどのように対応しようとしているのか,その過程で起きる問題に対してどのように向き合っているのか,というそんな悩みや模索を等身大で語ることが一番いいようです。
 知識だけでは,絶望的な状況の中で倫理観を維持し公務員としての使命を果たそうとする意欲と信念は生まれてきません。精神論だけでは,実際の変化を起こすための逞しい推進力と持続力は生まれてきません。どんな状況の中でも,未来の社会のために今自分たちがなすべきことを考え,目の前の現実の社会と向き合って,一つひとつ現実の変化を生み出していこうとする忍耐強い努力の積み重ねこそが大切だということについては変わりはないということを共有することこそが,意味があるように感じています。
 今回は,複数の国の方の組み合わせだったからか,1時間50分という時間が良かったのか,いつになく受講者全員と一体感を味わうことができ,終了後も随分熱心に語りかけていただきました。国に帰れば厳しい現実が待っていることを皆さん知っているが故に,ここでの気付きを自分の中に定着させて,困難を乗り越えて自分の国の未来を切り開いていこうという真摯さが,熱く伝わってきました。
 恵まれた国で過去の蓄積を食いつぶしながら,やらない理由できない理由を数え上げて無為に過ごしていくというのではなく,困難な状況の中にあっても,自分も歴史の一員として自分たちの社会の未来のために担うべき役割を果たそうとする,そんな思いを持つことの尊さとでもいうようなものを感じた時間でした。

2012年7月15日
 先週は,半日休暇を取って,今年で5年目となる県内の三原市の組織風土改革研究会(と今年からの,政策プロジェクトチーム)のお手伝いに。本業の方だけでも大変なのに,という思いもありますが,気分転換も必要かと。
 一つのことだけを思い悩んでいると,いい結果にはならないような気がしています。世の中,いろいろな大切なことがあるのだから,それぞれに大切なことを考えながら一つひとつ取り組んでいくという姿勢が大切なような気がしてます。一つのことだけで頭を一杯にしているよりは健康的かもしれません。「多様性の力」の一つ,かも。
 三原市さんとは中学生のシンガポール交流のお手伝いで17年のお付き合いですが,組織風土改革研究会も長くなってきました。組織風土改革というと,オフサイトミーティングという手法もありますが,ここでは,仲間と一緒での悩み方に焦点を当てています。グループ毎のテーマについて,一人では見えないものを,みんなと一緒に悩む体験が,仲間が持っている意外な力への気付きにつながり,それぞれのいいところを引き出し力を合わせて成果を生み出す組織風土づくりへとつながっていくことを期待しています。思い付き思い込み決めつけ,ではなくて,一緒に素直に一生懸命に悩むことの大切さを感じる場になればと思っています。
 同じ組織に働いていても,普段は,仕事を円滑に進めることが優先され,あまり個人的な思いや考えを話し合い,あるべき姿を系統的に掘り下げていく機会は意外にないものです。互いの思いや考えをきちんと伝えあう場を持てば,誰しもそれぞれの思いを持っていることが分かり,学び合い創造的な議論をしていくことができるのではないかと思っています。単に企画書を作るための議論ではなくて,自分たちの本質的な使命から見て為すべきことは何なのかを考え合う場を作ることが大切だと考えています。

2012年7月8日
 昨日は,広島で開催中の日本医療ソーシャルワーク学会に参加してきました。数年前から,ひょんなことで医療ソーシャルワーカー(MSW)さん向けの研修講師を何度かやらせていただいているので,顔見知りの方にもお会いできました。
 MSWは,病気で入院しなければあまり縁がない専門職ですが,医療機関をベースにして,患者さんとその家族のために保健・医療・福祉の資源をつないでいくという仕事をされています。社会サービス分野での組織間連携のコーディネートという私のテーマに近い職種ですので,親近感が持てます。
 昨日は,医師1人,MSW2人の35分ずつのリレー講演があり,いずれの方のお話も素晴らしく圧巻でした。一人目の医師は,あの亀田総合病院でこの春まで22年間働いておられた方で,問題の状況と解決策・対応策をきちんとデータで示し,社会的な変化,現場の状況を説明して,MSWの必要性を院内で理解してもらって大幅増員を実現し,新しい体制を生み出した方でした。また,2人目,3人目のMSWの方も,病気をその病状の治療だけでなく個人の生活全体の問題として捉えて対応するとともに,そのような対応を個別の対応,個別の解決だけに終わらせることなく,院内と院外の関係機関も巻き込んだ仕組みづくりを,理念を持って進めておられていました。
 現場で,実際に評価されるいい仕事をされておられる方は,理念を持ち,幅広く社会全体を見て,周囲を巻き込んで,成果を生み出しておられるものです。いい仕事をされている方々の話を聞かせていただくことは,感動と学びがあり,やる気につながります。もっと頑張らねばと感じます。
 お3方ともいわゆる中堅の年代なのですが,医療の現場で,広い視野と理念を持ち,患者さんのために実際の変化を生み出すとともに,それを継続的な仕組みにしていく中で,もまれ見識を高め個人としての魅力を身に付けておられました。行政の職員も負けないように,実力,見識,個人の魅力を兼ね備えた人材を輩出していければ…と,切実に思った一日でした。

2012年7月1日
 もう7月です。いつになく追い詰められ感のある日々です。とはいえ,じたばたしても仕方はないので,一つひとつ,今打つべき手を打とうと努力している日々です。
 若い時から,(結構自分からあれこれ言い出して)変化に取り組んできた経験があるおかげで,気持ちの焦りと体の動きをある程度は切り離して取り組めるようになってきたように思います。
 焦るのは焦るのですが,それを口に出して焦りで頭の中を一杯にしたところで問題が解決する訳じゃないと,一定のところまでは考えられるようになったのだと思います。もちろん,それはある程度までであり,それ以上になるとパニックになったり折れてしまったりもしかねません。その限界値がいくらか伸びただけだと思います。
 薄い鉄板は熱しやすく冷めやすいので,その厚みを増すことが大切なように思いますが,簡単なことではありません。めざしてできることというよりも,一つひとつの壁にぶつかりながらもがく中で,少しずつ厚みが増していくのだと,この歳になって感じるようになりました。連携連携と言って実現する訳ではなく,ある目的を達成するための仕組みづくりに必死になって取り組んだことの結果として,連携という状況が生まれてくるのと似ているような気もします。どちらも,結果なのだと思います。
 このようなもがき方が人の出会いを生み出すのでもあると,感謝しています。しんどさの中でも諦めずにもがいていることへの共感が,仲間を生み出すのだと感じています。

2012年6月24日
 ひょんなことから,軽い山登りをしてきました。ほんの往復2時間程度の話ですが,久しぶりなので結構一生懸命になりました。
 学生時代は,山登りの同好会に入っていて,北アルプス全域と八ヶ岳,南アルプス北部を登っていました。同好会と言っても,3000m級の山々を1週間前後かけてテントをしょっての山行でしたので,それなりにはハードでした。夏山は,午後7時就寝朝2時起床,朝4時出発で午後3時過ぎまでひたすら歩くという毎日でした。私は雨男なので,いつも雨の思い出しかありません。20数kgの荷物(山岳部の皆さんは40数kg!)を背負って毎日12時間前後3000m級の山々を登ったり下ったりしていると,結構限界です。毎日ギリギリのところで歩いていると,夕食後に作って飲む砂糖入りの紅茶の配分が他の人よりも少ないと感じるだけで,翌日他の人よりも自分の方が先にバテテしまうのではないかという不安感すら抱いてしまうような,メンタルな要素も強く出てきます。
 こんな経験をする中で学んだ大切なことの一つは,止めないこと歩き続けることが全てということです。素人ほど,登り始めは饒舌で大言壮語をするものですが,そんな人ほどバテるのも早いものです。肩に食い込む重さに耐えて1日中登り下りをやり切るかだけが勝負です。途中でギブアップしても誰も助けてくれません。大言壮語していても,結局はペースを崩して周りの人に迷惑をかけて終わるだけというのは珍しくはありません。とにかく,他人に迷惑をかけずに自分の足で最後まで歩ききるか,だけが問われるのです。
 私は,歩いている時には,ほとんど何も考えずに,ただ単純に単調なリズムを心の中に刻んでいました。歩くこと歩き続けることにあれだけ真剣に取り組んだことは,後にも先にもありません。
 山を登っていると,どうしても「希望的観測」を持ちたくなります。「もうすぐ山頂に違いない」「次の角を回ればきっと山頂が見えるはず」,そんな思いが,数えきれないほどの失望を生み出すことを学び,段々と,そんな希望的観測に頼らないことを覚えていきます。あとちょっと,と思うところから,本当のスタートが始まるのだと学ぶのです。それが学生時代の最大の学びかもしれません。そんな昔の日々のことを思い出しました。

2012年6月17日
 本業の方が課題続きで,忍耐力勝負の感があります。早く退職してのんびり暮らしたいという思いもありますが,あれこれとチャレンジしているが故の課題であり,この緊張感がないのもなあと,思い直したりもしています。
 高度経済成長時には,社会のすべてのものが変化しており,新たなものを生み出していたので,個人としても常に新たな環境への対応が求められていたように思いますが,今のような,成熟期・安定期になると,どうも空気がよどんできて,個人の発想も,ちまちました感じになりかねないという危惧を感じています。別に「昔は良かった」と言いたい訳ではなく,大きな目標に向かってダイナミックに取り組むような環境がないと,人はささいな意地や面子,思い込みにとらわれて不毛な行動に出してしまうような面が増えてくるのではと,懸念しています。
 もっとさわやかに,明るく前に向かって進むような空気が広がっていけばいいなと感じているところです。
 来月に頼まれている南スーダンやアフガニスタンなどの紛争からの復興に取り組んでいる国の政府職員向けの研修の準備をしていても,そう思います。
 ここ何年か,カンボジア,リベリア,サブサハラ,スーダン,アフガニスタン,パレスチナなどの厳しい条件におかれている国の政府職員の研修のお手伝いをしてみて,社会の未来を考えるという点においては,彼らと共有できるものがあると感じるとともに,本当に何もないところから,あるいは長年の内戦のために子どもから武器を回収することが課題というマイナスの状態から社会を創り出していかなければならない状態からでも,必死になって取り組もうとしている姿を見ることで,今の恵まれた日本の環境において,我々がもっと必死になって取り組むべきことがあるのではないかと感じます。
 社会の成熟が衰退に向かい,貧すれば鈍する,ということにならないために,考え行動すべきことは沢山あるように思います。

2012年6月10日
 今日は,町内会の一斉清掃でした。我が家は,団地内を周回する両側に幅広の歩道付の往復2車線の道路に面しており,こちら側の歩道が我が家が属する1丁目町内会の班の清掃担当区域で,向かい側の歩道は2丁目町内会の担当です。両側に7〜8mおきに植えられている街路樹とその根元の植え込みは,いつもは市役所が刈り込んでくれているのですが,今年はまだで伸び放題のため,お向かいの町内会の方が,エンジン付刈り込み機で手早くきれいに刈られました。それを見て,こちら側も私を含め数人で,刈り込みバサミで刈り出したのですが,向かい側の歩道で年配のご婦人が,「街路樹の刈り込みは(今年はまだ来ていないが)市役所がやってくれるのだから,やる必要はないのに」,と何度も繰り返して周りの人に語りかけておられました。ご自分のエンジン付刈り込み機で自発的に頑張られた方はもう他に移られた後だったので良かったのですが,それを聞いていて,役所にもこんなことを言う人はいるなあと,思い出しました。それはやらなくてもいい仕事なのに余計なことをする,としたり顔してとうとうと理屈を説明する人はどこにでもいます。理屈はそうでも,現に目の前に問題があって,それを自分たちが解決できるのならやればいいじゃないかと思うのと,要らん事だから自分はやらないと思うのと,さらにはそれを口に出して周囲の人に言って回るのと,何が幸せだろうかと思ってしまいます。
 理屈と形にこだわって体を動かさないよりも,四の五の言わずに,動けばいいじゃないかと,思います。ちょうど先週,広島に3週間の企業体験研修に来ているシンガポール国立大学の学生と,広島シンガポール協会の事務局をやっていただいている広島信用金庫の若手職員との意見交換の手伝いをしていて,シンガポールでは,課長や部長レベルでの転職も普通にあるということに,広島側の若手が驚いていたことを思い出しました。日本では職位が上がっていくと,段々と「形」にこだわりだして,硬直化していくと感じます。それは課長の仕事じゃない,部長の仕事じゃないとか。部長でも部長でなければできない新たな開拓をしようとすれば,部長自身が前に出で,雑用も含めて自分自身が自分から動かないといけません。だから,シンガポールでは,課長レベル,部長レベルでも転職があり得るのだと思います。うまく階層というお神輿に乗って期待される役割だけを果たしているだけなら,そんな転職なんてありえません。役所の中で,神輿に乗ってその役職らしい行動様式を取っているだけでは,身に付かない力があります。
 理屈を言う前に目の前の問題を解決しようとする,問題の解説をするのではなく解決をする,そんな行動が大切なように思います。
 私自身,部長として,あまりに口を出し資料もつくり走り回り過ぎているかと反省することもありますが,組織として初めての仕事をしている時に,腕を組んで担当から順に上がってくるのを待っているような余裕はないと開き直っています。(もちろんテーマ次第ですが。)
 でも,優秀なスタッフを集めてもらって,みんなで一緒に議論しながら見えないものに向かってもがいていると,自分の能力の限界が自分の仕事の限界になるということを感じて大学教員職を辞めた判断は間違っていなかったと,改めて感じています。

2012年6月3日
 もう6月です。先の見えない中で必死になってみんなで緊張感を維持しながら取り組んでいる仕事があるため,月が替わるとドキっとします。とはいえ,新年度が始まって2か月が経ち,チームが少しずつ機能を高めている感があります。
 最近,仕事をしていて感じるのは,未来への想像力の大切さです。今のことだけを見ているのではなく,将来起こり得る出来事や状況を想像して,そのために今出来ることをできるだけやっておく,必要な手を打っておくということが大切です。逆に言えば,今打つべき手をちゃんと自分は打っているだろうかという不安感というか恐怖感のようなものに襲われます。こうしたことは,失敗の痛みから覚えていくことでもありますが,どうも,それだけでもないように思います。
 先日,最近はこの想像力・予測力が弱っているのではという話になった際,ある中堅職員が,昔は,若手は職場の飲み会の世話などでも,先輩の反応に緊張しながら集中して準備していたけれども,最近は,そんな経験をすることも無くなっているからではないかと言ってました。学生時代でも,運動部では先輩後輩の礼儀が厳しく,先輩に失礼のないように怒られないように,緊張して先々のことまで考えて行動していましたが,最近は,そんなに気を使う必要はなくなっているので,想像力,予測力,先見性までも弱くなっているという指摘について,そのまま正しいとは言えないかもしれませんが,当たっている面もあるような気もしています。。
 昨日は,三原市のシンガポール交流で,シンガポールから引率で来ている交流先の中学校の先生と40分間の打ち合わせをするために,往復4時間近くかけて三原まで往復してきました。メールでも済みそうなものですが,やはり,微妙なところは面と向かっての議論でなければ駄目だなと感じました。対面での対話力の低下といえば…,とまた「今時の若者は…」調の話になりそうなのでこのあたりで。
 口直しに,スティーブ・ジョブズが天才的なアイスホッケー選手の言葉として紹介している「私が滑り込んでいく先はパックが向かってくるポイントであり,パックがあったところではない」という言葉をどうぞ。目の前の物の後追いだけではなく,次を予測して動いていきたいものです。

2012年5月26日
 シンガポール日本商工会議所月報の平成24年5月号に,シンガポールとの学生交流20年について書かせていただきました。
 駐日シンガポール大使が,シンガポール政府観光局の日本支局長に,広島の学生交流についてほめていただいたようで,それがシンガポールに進出している日本企業で構成されるシンガポール日本商工会議所の会報担当の方に伝わり,寄稿のご依頼をいただきました。ご縁というのは,このようにして生まれるものだと感じています。
 自ら仕組んで,ということもないことはないかもしれませんが,今までの経験では,やるべきだと思うことに地道に忍耐強く取り組んでいく中で,いろんなチャンスに恵まれてきたと感じています。成功とは何かという議論はありますが,単純に何らかの変化の具体化だと考えると,「成功は偶然の産物かも知れないが,その偶然は努力の産物である」と私が言っているのは実感です。最近,『ガバナンス』に書かせていただくなどいろんな新しい経験をさせていただいているのも,それをめざしてのことではなく,やるべきと思うことをやってきたからなのだと感じています。
 成果を性急に求めると,長続きしません。このシンガポールとの学生交流も,21年前にシンガポールに駐在して,その多様性の力に比べて内向きの広島を感じて,少しでも何とかしたいと思って始めたものです。大学生の交流で20年,中学生の交流で17年続けています。事業を始めた頃に生まれた若者たちがプログラムに参加してくるようになっており,月日の経過を感じます。
 どんな仕事も,うまくいく時もありますしそうでない時も必ずあります。報われていると感じることもそうでないこともあります。結局は,自分自身の納得なのだと思います。どんな報酬を期待するのか,とか,他人からどう評価されるだろうか,とかではなく,自分自身がやるべきだと考えやりたいと思うかどうかが,大切なのだと感じています。
 今回,寄稿の原稿を書いていて,改めてそんなことを感じました。
 明日は,三原市の中学生のシンガポール交流の事前研修で片道2時間近くかけて三原です。来週末は,シンガポールの中学生を引率してこられる先生と今後のプログラム改善の話し合いのため三原へ,再来週はまた事前研修のお手伝いで三原です。楽しみながら,やっていきたいと思っています。

2012年5月20日
 本業の方が相変わらずの模索状態で,落ち着けない気分のままで過ごしています。でもまあ,新しい仕事というのはいつもこんなものだという,何というか,達観でも諦めでもない,受け入れといったような思いも同時にあります。先の見えないものに向かって,神経を集中して必死になれるものがあることの幸せを知っているから,というと言い過ぎかもしれませんが。
 病気や怪我,事件や事故に遭わなければ,人は,それらが無かったことの幸せに気が付きません。崖っぷちを歩いていてもそれに気付かなければ,たまたま幸運にも落ちなかっただけなのにその幸せには気付かないのです。このように,「無い」ことへの幸せに気付きにくいと同時に,「有る」ことへの幸せにも気付きにくいものです。やるべきことが有ることの幸せも大切にしながら,頑張りたいと思います。
 不幸も幸福も,固定した結果ではなく,日々の一瞬一瞬の状況の連続なのだと思います。「不幸中の幸い」もあれば「幸福の絶頂での不幸」もありうる訳で,それらが「あざなえる縄」として続いていく。決まってしまった幸福も決まってしまった不幸もなく,それらの雑多な積み重ねが日々の出来事なのだと感じています。特に,最近,リベリア,スーダン,アフガニスタンなど厳しい状況にある国々の政府職員の方々に研修で話をする機会を通じて,置かれた環境を元に幸不幸を議論することの無意味さを感じています。
 幸福も不幸も自分の力だけでは左右しきれない偶然の積み重ねであることから,せめて自分ができる範囲内では,自分と周囲の幸福のためにできるだけの努力を意識的に積み重ねていこうというのが,落ち着きどころのような気がしています。

2012年5月13日
 先週は,連休の後半の4日間を使って大阪から松本に転職した息子夫婦の新居に遊びに行った帰路の,中央西線の落雷停電による列車遅れによって帰広が遅くなり,書かずじまいになりました。学生時代に登っていた北アルプスの山々はしっかり雪に包まれており,長野市の近くで泊まった高原の温泉宿の周囲にはまだ結構雪が残っていました。
 このひとり言は,別に,1週間ごとに書かなければならないものでもなく,また,毎日書いてもいいようなものですが,今のところは,週に1回程度一方的にひとり言を書いておくというのが,適当な感じです。
 情報の発信と交換については,考えをある程度まとめることと適当なタイミングで交換することの両方が大切だと感じています。
 私が研修で使っているグループワークの手法の「三静か(静かに考え静かに語り静かに聴く)」は,5分かけて語るポイントを3点まとめ,それを3分間で語る練習を実際にしてみて,その後,6人程度のグループで全員がきっちり3分ずつ語り合うというものですが,このように自分自身の中で考えをまとめる「静かな時間」を持つことによって,思いが深まり対話も充実してくるように思います。思い付きをそのままキャッチボールするというのも,出会い頭のひらめきを生むという点で有効なこともありますが,静かに深めたものを語り合うことも大切なように思っています。
 一方的に聞き学ぶだけでも,ひたすら話し合うだけでもなく,静と動の適当な組み合わせが必要なような気がします。
 先週は,久々に終日の研修を受講しました(義務だったので)。最近は講師をする方が多いので,受講者側をしてみると,いろいろな気付きがありました。上で書いたこともそうですし,内容をうまく整理して飲み込みやすく体系だてる必要性についてもそうです。そんなことを思いながら受講した中での自分の気付きは,「戦略」「組織」「個人」という切り口でいろんな課題を説明してみようというものです。戦略が良くても機能する組織が生まれてなければ駄目ですし,組織改革を進めても自ら考え行動でき踏ん張れる個人がいなければ最後の山は越えられません。逆に組織や個人がしっかりしていても,選択と集中という戦略がうまくできていなければ,迷走してしまいます。3つがそれぞれに大切だという極めて当たり前のことなのですが,当たり前のことを分かりやすく伝えることが大切だと改めて感じているところです。
 明日からの1週間が,これをお読みいただいているみなさまにとって,良い日々でありますように。

2012年4月30日
 いつも日曜日になると習慣的に何か書こうかという気になるのですが,昨日は,月曜日も休みということで書かずに過ごしてしまいました。
 といっても,昨日は,朝から家を出て尾道の老母のところにちょっと顔を出した後,午後はずっと三原市の中学生のシンガポール交流の参加者選考会に参加し,午後5時過ぎに終了した後はいつものようにツーカップ(ワンカップ×2)で2時間近くかけて在来線で帰りましたので,文章を書ける状態ではなかったかもしれません。この三原市の交流はもう17年続いています。開始当時には市役所の企画室長と係長だったお二人が今では二人して副市長になっておられますので,時の流れを感じさせられます。
 この交流は,駐日シンガポール大使からも高く評価をしていただいており,先日は,シンガポール政府観光局の北アジア局長と日本支局長が教育旅行のモデルだと広島まで勉強に来られたほどです。なんといっても,シンガポール訪問前3か月間,10〜12回,ほぼ毎土曜日に3〜4時間かけて交流の準備をするという本気度の高い取組みが特徴です。最初に三原市から相談があった時に,税金を使って子どもに海外旅行をさせても仕方がないと申し上げたことからこのような取組みになったのですが,その本気の取組みに,私も17年,相手校との連絡や事前研修のお手伝いをさせていただいています。
 ともすれば,理屈や見かけ優先で「効率的」な取組みをめざすことも多い中で,地道に真剣な取組みを継続していくことの大切さを改めて感じています。こちらの真剣な取組みが伝わり,3年目からはホームステイが始まり,6年目からは先方からも三原を訪問する双方向の交流になっています。派遣する生徒の選考も,私の小一時間の話の後に作文を書かせて,3人組3チームの面接者が全員を面接するという,全部で4時間以上かけた徹底したものです。しかも,行政だけでなく,商工会議所,観光協会,青年会議所,外語学院の方々も選考に参加しています。何にせよ,本気での取組みというのは,その一員として参加していても気持ちのいいものです。
 面接の時の評価と,選ばれて事前準備や本番の訪問をする中での個人個人の成長度合いや貢献度合いが異なるというのも面白い点です。一つの評価だけで人を見ることの危険さを感じます。結局,実際に現場でやってみなければ人は分からないということだと思います。

2012年4月22日
 本業の方では,相変わらず緊張感の高い状態が続いていますが,新チームが着実に立ち上がりつつある手応えも感じられだしています。
 今の仕事は,これまでやったことがなく例もない仕事なので,海底に足のつかないところでもがきながら泳いでいる感じがあります。似たような経験は何度もしてきていますが,ある程度の形が見えるようになるまでは嫌なものです。それが面白いのでもあるのですが。とはいえ,役所のことですから,実際には,地に足のついた仕事のやり方も同時に求められます。形を守らないといけない部分と,そこから跳んで新たなものを生み出さなければならない部分とを両立させる必要があります。
 安定と模索の両立というのは,簡単ではありません。常識に従い間違いのない安定した継続的で確実な仕事をすることと,常識を捨て自らの感性を信じて一定の方向性の下での模索を繰り返し多くの無駄や遠回りを繰り返しながら少しずつ前に進んで行くことは,矛盾するものでもあります。むしろ,どちらかに偏ることの方が簡単かもしれません。
 私が「箱庭の完璧主義」と呼ぶ,自らの経験の世界の中だけに閉じ籠って,常識に従い確実なことだけを信じて行儀よく自信と確信を持ってキチンとした完璧な世界に安住する行動様式ではなく,また,自由奔放に振る舞い常に青い鳥を追うような放浪の世界に身を置くのでもなく,臆病さと大胆さ,繊細さと図々しさ,慎重さと無謀さ,常識と非常識などといった相反する不安定さといったものを自分の中に抱え込むことは,いろんな問題も引き起こします。
 ただ,常識に従い行儀よく過ごすだけでは新たな飛躍を生み出すことができないのも実際だと思いますので,周りの人々に迷惑をかけながらも,じたばたしていき続けるのかなと感じています。そんな経験をしている人たちに会った時には,仲間意識や連帯感も楽しめるものですし。

2012年4月15日
 新年度が始まって2週間。こんなに緊張して集中してスタートした年度もなかったように思います。公務員生活最後の1年になるかも,ということもありますが,それよりも,本業の方での責任感のような気がします。
 平和関係が分離独立して実質2課体制になり2名増。毎年100人単位で人員削減している組織としては,ありがたいことです。新しい課では,県と広島市での副課長の相互派遣も実現しました。
 平和関係では,破壊された広島としての「核兵器廃絶への信念」に基づく核兵器廃絶関連の仕事と,復興した広島としての「復興への確信と未来への希望」に基づく復興平和構築の人材育成関連の仕事です。復興平和構築の専門家育成というだけでなく,より広く,復興プロセスマインドを持って活躍する社会の各分野の専門家の人材育成という形に広がればと思っています。
 このほか,開かれた広島づくりとしてのよそ者に優しい地域づくり,福祉対策に留まらない多文化共生の施策の充実など,やることは山積みです。
 県庁組織内部の内向きの仕事でなく,外の社会の方々と直接つながり,実際の協働を生み出し成果を創り出していく仕事は,わくわくします。新年度の業務開始の中で,新たに加わったスタッフの何人かからも,「わくわくする」という言葉が出たことが,なによりうれしかったことです。
 どんな状況にあっても前向きに取り組んでいくために,このわくわく感を自分の中に意識的に生み出していけるように努力していきたいと思います。それが前向きでかつ安定的な信頼感のある仕事を生み出していく原点だと思っています。

2012年4月8日
 新年度の最初の一週間,大切に過ごそうと息を詰めて努力しました。
 担当していた国際課が二つに分けられて,平和推進関係のチームがプロジェクト担当課として独立しました。副課長には広島市から職員を派遣していただいています。相互の派遣です。私自身,商社やシンガポール,財団や広大に出たことがあるほか,県の中でも,県警本部,中国電力,マツダ,市町から派遣された方々と一緒のチームで仕事をさせていただく機会に恵まれてきました。いろんな組織背景がある方々と一緒に仕事をさせていただくというのは,いろんな学びがあります。県庁組織全体では毎年大幅に人員削減がされている中で,担当する国際分野では2人増員していただきました。県庁の外の方々と一緒に成果を生み出していかなければならないという,県職員としては貴重な経験のできるチャンスに恵まれた職場だと思いますので,一人ひとりがそれを活かしてもらえるように配慮していきたいと思います。
 楽ではないかもしれないけれど楽しいと思える仕事ができる職場環境をめざして,この緊張感を1年間維持していきたいと思います。

2012年4月1日
 一夜明けて,今日から新年度です。自宅でのんびりと迎える新年度というのもいいものです。
 まず何をしようかと考えて,自分の部署に新しく参加してくれるスタッフに配っている「仕事の進め方メモ」を改訂することにしました。これは,15年ほど前の係長時代に作ったのが最初です。書類の整理や資料の作成といった基本的な部分と,仕事の進め方や考え方をまとめています。段々と書き加えて3ページほどになっていたものを1ページに圧縮しました。言いたいことはあれこれあるのですが,段々と冗長になってしまいますし,なにより読んでもらわなければ意味がありません。「平成24年4月版仕事の進め方メモ」はこちらです。ご興味がおありでしたらどうぞ。
 今年度は,公務員生活最後の年になるかもしれない年ですので,今までの集大成のつもりで取り組んでいきたいと思っています。
 とはいえ,一昨年亡くなった父親の歳までと考えると,なんと30年以上ある訳で,その過ごし方も考えながら準備していかなければいけません。
 自分の原点を改めて考えながら,この1年を大切に過ごしていきたいと思っています。

2012年3月31日
 今年度最後の一日です。年末年始ももちろん心の一つの区切りですが,組織で働く者としては,年度末はやはりいろいろと考える時期です。県庁と商社・シンガポール・財団・大学の間を行ったり来たりしたのも多くは年度末でしたし,県庁の中でも所属や担当業務が変われば,気分も随分変わります。自分の生活の中での,職業人としての役割の部分の大きさを感じています。
 7年前に大学から県庁に復帰して以来,研修企画課長1年,政策企画課長2年の後,国際課長3年,国際部長1年で新年度も同じ仕事をやれと言われてますので,ここ4年間は年度末で仕事が変わらない時期が続いています。仕事が変わる楽しみもありますし,仕事を続ける楽しみもあります。
 どちらにしても,今を大切に,そして自分自身の信用を大切に,取り組んでいきたいと思っています。

2012年3月25日
 もう今年度の最終週かと思うと,果たして,やるべきことをやったのかと考え込んでしまいます。その時その時には,もちろん一生懸命にやろうとはしましたが,結果として,責任を果たしたかと考えると,悩ましいところです。残りの一週間を大切に過ごしたいと思います。
 今年度の仕事のまとめとして,今後の取組みの体系整理をしています。何となく分かったつもりで済ませてしまったり,相手からの受けの良さを優先して考えてしまったりしないように,地道に根気よく考え続けることが大切だと感じています。一時的な見た目の良さや格好に振り回されず,一つひとつ丁寧に積み上げた仕事には「静かな迫力」があると思っています。もちろん,時には大胆に単純化したりして本質を描き出すことも大切ですが,その背後には,やはり目先の格好つけに振り回されない地道な努力が必要だと思うのです。
 一言で言えば,波乱の年度でしたが,大切な1年でした。
 この1年間の瞬間瞬間を大切にして,次年度の準備を進めていきたいと思います。

2012年3月18日
 送別会や懇親会が続いています。平たく言えば,アルコール漬けです。
 そんな一つとして,ある財団に出向されている民間企業の方々との意見交換会+懇親会をしました。二時間ほどの意見交換会で,民間企業の方たちと行政職員の発想の違いに改めて驚きました。
 今更なのですが,ある施策を打ち出す時に,私自身は,その施策が社会の将来にとって意味があるのか必要なのか,という点に神経が集中します。事業全体で見た場合に,いくらか効率の悪い部分などがあっても,新たな変化を生み出すためにぜひ必要だと思えば,打ち出す必要があると考えてしまいます。それが,意見交換会では,事業の全体及び部分でのメリットデメリットのチェックの話が出て,理解しているようでも,発想の違いの理解が足らないことを感じました。どちらが正しいかという議論は難しいですが,少なくとも,私自身の認識の足らないところを反省させられました。
 意義がある事業なのだから,細かいことを言わなくても良いではないかと,切り捨ててはいけないと感じた次第です。
 本業の方は,模索を続けているうちに,あっという間に年度末を迎えてしまっています。倒産しないお役所仕事だと言われないように,社会の未来への責任をしっかりと意識して頑張らねばと思っています。
 今から二十数年前,まだヒラ職員だったころ,県職員は偉そうなのとへりくだり過ぎるのと両極端に分かれていて,これでは,表面的には頭を下げてもらっても腹の中では馬鹿にされて終わってしまうと言って,人と情報で仕事をする民間組織への1年間単位での職員派遣制度の創設を主張し,7か月にわたる交渉?の末に,広島県庁初の1年間単位の民間派遣制度を立ち上げて,商社,シンクタンク,社会人向け大学院への派遣が始まったことを思い出しました。この事業の費用対効果などは説明が難しいと思いますが,当時は,県庁組織としての,新たに毎年入ってくる若い人たちへの組織としてのメッセージなのだと頑張ったことを思い出します。
 制度を作っただけでなく,図々しく自分で手を挙げて応募して,派遣していただいたことが,良くも悪くも今につながっています。選択と責任の循環に入れたことは,少なくとも自分にとっては良かったと思っています。

2012年3月11日
 先週は,広島シンガポール協会の講演会があり,広島市立大学の板谷先生に昨年のシンガポールの総選挙の話をしていただきました。以前から講演をお願いしておりやっと実現です。シンガポールの変化がよく理解できるお話でした。また,この会に出るためにわざわざ広島に来られたシンガポール政府観光局の北アジア局長に,別室でシンガポールと広島との学生交流の20年をご説明しました。いつもながら,若くして重責を任され成長しているシンガポール政府職員を見て,人材の育ち方を考えてしまいました。
 外部との交渉が少ない「グループ内お友達主義(グループ内の世界のことだけ考えているという行動様式を示す私の造語です。)」の世界では,どうしても「体裁」や「らしさ」にはまってしまいます。社長なんだから,部長なんだから・・・と。
 本人も周囲も,そんな既成の思い込みを守り育てていってしまいます。それが「裸の王様」を生み出しかねません。個室に入って,「相応の」相手とだけ会っていると,見えなくなってしまうものがあるようにも思います。シンガポールの若くて優秀な人材が,形にとらわれず,構えず柔軟に相手と向き合う姿を見ていると,考え学ぶものがあるように感じます。
 講演会の冒頭に短いスピーチをしていただいた,シンガポール国立大学から三原国際外語学院に1年間の日本語学習のために来ていた学生も,300人という参加者の前で,(緊張したとは言うものの)肩を張らず素直にそしてユーモアを交えてこの1年の自分の思いを参加者に伝えて,大きな感銘を与えていました。
 豊かになり形に取り囲まれ「落ち着いてしまう」ことが,素の個人としてのコミュニケーション力の低下にもつながりかねないと,そんなことを感じました。

2012年3月4日
 ひょんなことから,シンガポール日本商工会議所の会報に,シンガポールと広島との学生交流について寄稿するように求められて,原稿準備をしています。21年前の今頃に,商工会議所と行政が共同でシンガポールに東南アジアとの経済交流促進のための事務所を作るという話を聞いて,ぜひ行きたいと立候補しました。
 公務員初の1年間の商社派遣から県庁に復帰して丸3年が経ち,広島県庁初の企画員として産業振興分野で毎晩11時くらいまで働いていましたが,民間企業と役所とのギャップを感じる中で,また外の空気を吸いたくなったのです。
 シンガポールに行って,広島から来る訪問団の参加者の方々とお話ししていると,中には,「みんな,全部,絶対」という,先入観,思い込み,決めつけで,「インドネシア人は,みんな・・・だ。」とか「今からは,絶対にタイが・・・だ。」というような話をする方がいらっしゃいました。あるいは,日本で思い描いていたイメージに合うような場所を探して,「やっぱり,東南アジアは・・・だ。」と自分で納得されるとか。
 シンガポールで会う人々のオープンな考え方との違いを感じて,広島の若い人たちには,もっといろんな経験をしてもらって,視野を広げ考え方を柔軟にしてほしいと思ったのが,経済交流事務所だったのに学生交流を始めた理由です。シンガポールから広島に学生が行って,広島で多くの人に会ってもらいたいと企画しました。これまで20年で約800人の学生が自費で広島を訪問していますが,果たして効果があったのだろうかと自問してしまいます。ないよりは良かったとは思っていますが。それにしても,20年というのはあっという間ですね。
 シンガポール側からは,大統領にもほめていただきましたし,シンガポール政府初の外務大臣表彰もいただいていますが。一人あたりのGDPで日本を上回ってもなお伸び盛りのシンガポールと,過去に生み出した豊かさを食いつぶしていっているように見えてしまう日本と。改めて,将来を考えてしまいます。

2012年2月26日
 来週はもう3月になるのかと思うと,気ばかり焦ります。経験のない新しいことに取り組んでいる時はいつもそうですが,全体の,あるいは先の見通しが立たないという不安の中で,なんとか気力を奮い起こそうとする努力が求められます。
 こじつけかもしれませんが,私が映画をほとんど見ないのも,そんなところにつながりがあるかもと思ってしまいます。つまり,映画の場合,あとどのくらいと残り時間が分かってしまいますので,ストーリーの終わりに向かっての流れを考えてしまいますし,どんなに悲しい,危険な,困難な場面であっても,一定の折り合いどころに辿りつくという安心感?が持てます。もちろん,映画を見れば,楽しいですし感動もして涙も流しますが,用意された空間という点で,現実とは隔離された一時的な体験というところに,若干の違和感を感じてしまうのかもしれません。リゾートホテルなどの美しく演出された場においても,それを純粋に楽しみつつも,いくらかの違和感を感じるのも同様なのかもしれません。
 一寸先の見えない,シナリオのない,どんなことでも現実のこととして起きてしまう「今」を生きていることの方が,はるかに刺激的でスリリングです。いいことだけではなく,情けないことも恥ずかしいことも絶望することも他人を傷つけてしまったりすることも,なんでもありますが,一旦起こってしまえば,それはもうどうすることもできない現実であり,それがどんなに不都合なことであっても,その現実からすべてをスタートさせていくしかありません。
 それは,個人の思いや計画どおりにならないという点で,清々しさすら感じます。どんなに落ち込んでも,それを認め受け入れ気を取り直して,いつ来るとも分からない「終わり」に向かって,新たな努力を続けていくしかないという点でも,やり直しはないという点でも,それを受け入れていくしかありません。とはいえ,意識的な努力が現実に影響を与えるのは当然のことであり,私が,「成功は偶然の産物だがその偶然は努力の産物だ」という言葉を思いついて使っているのもも,そんな気分を表したかったからです。
 先週,アフガニスタン政府職員の方々に1時間の研修をして,その後のレセプションでもいろいろと話をする中で,明日の命の保証もないところで,自分の国の社会の未来をめざして青さを持って向き合っている人たちの姿から,そんなことを考えました。
 「今」恵まれていることの儚さを感じることなく過ごしていれば,思いもよらないことに直面した時に,不満や嘆きばかり出てきます。「今」を大切に意識的に過ごしていれば,そこで起きたことはある面自分の選択とも関わっていると受け入れることができ,次に向かって歩み続ける気力と根気も生まれてくるのではないかと感じます。そんなことばかりでもありませんが。

2012年2月19日
 相変わらず,本業の方では,未知の領域?での模索状態が続いています。表面だけ見ると,効果がはっきりしない分かりにくい仕事が多くなっています。とはいえ,初めての仕事というのはそんなものだと,自分に言い聞かせながらこつこつとやっています。
 企画管理部門の長い人物に対して違和感があるのは,このような経験の有無によるのではないかと思います。他人の作った計画に疑問を呈し,他人のやった仕事に対して評価をするというような仕事ばかりしていると,大きな方向性の中で漠然とした状態で気力を奮い起こして模索を続けるということの感覚が理解しにくくなるのではないかと思います。結果だけ見て,なんでそんな無駄なことを,無駄な回り道をしたのだと問い詰めることができるような無神経な人物とは,一緒に仕事をしたいとは思えません。
 とはいえ,できるだけ効果的に効率的に物事を進めなければならないのは当然です。いずれにしても,できるだけ多くの人から情報がいただけるような雰囲気を維持し,できるだけ多くの人の意見に耳を傾けて自らの考えを見直していくように,意識的な努力をしていきたいと思います。
 個人的な活動としての研修講師の方は,シーズンオフなのですが,来週は,本業の関連で,アフガニスタン政府職員向けの研修を一つ頼まれています。国際政治の荒波に翻弄され,安心して平和に暮らすことが難しい状況に置かれつつも,祖国をなんとか立て直そうとする人たちに,いくらかでもヒントと意欲を持っていただければと思っています。
 ここ数年,カンボジア,リベリア,サブサハラ,アフガニスタン,スーダン,コロンビアなど,自分の努力だけではどうしようもない環境の中に置かれても,なお国づくりに向けて努力をしようとしている人たちと研修を通して話をする機会を得て,自分自身も,そんな人たちに恥ずかしくないように,前に向かって行かなければと感じています。

2012年2月12日
 あっという間に,2月も中旬です。転職活動の不調に落ち込む暇もないほど,本業の方でやるべきことが山積しているのですが,そもそも何をどうすればいいのか分からないことも多く,歯車が噛み合っていないことも多いです。
 ある程度同じ仕事を続けていると,一つの形に納まってきて,何をどうすれば何ができるかが見えてきますが,新たな分野を模索していると,それが分からないが故に仕方なくあれこれ手探りでの模索を繰り返すことになります。無駄や回り道も嫌になるくらい繰り返すことになります。
 自分の知識や経験や理解の範囲内であるいはそれを着実に拡大させて手堅く安定的に進めていく人もいれば,それらにこだわらず直感的にいろんなことに手を出して行動していく人もいます。私は臆病なので,どちらかというと,その中間的なところをめざしているつもりですが,地に足がついていない感じの状態で模索を続けていくというのは,なんとも非効率な感じもして,落ち着かないものです。とはいえ,これまでそうしてきたことによって,いろんな道が開けてきたとも思うので,仲間やパートナーを大切にしながら,軸をぶらさないようにこつこつとやっていきたいと思っています。
 こんな状態を繰り返す中で,いつも感じるのは,教えていただくことの大切さです。教えてもらい上手,というと変ですが,こちらの悩みや真剣さをうまく伝えて,ご助言や応援をいただくということが,とても大切だと感じています。
 そういえば,鰍ャょうせい発行の今月号の『ガバナンス』という地方公務員向けの雑誌に,「組織内連携」について3ページほど書かせていただいています。昨年1月号の「対話力」に続くものです。組織間連携に比べてあまり意識せずにやってきた分野ですが,これまでの経験を通じて感じたことを,読んでいただいた方へのエールを込めてお伝えしたいと思って書いています。
 背伸びし過ぎて地に足がつかなくなることなく,へたり込んで前に進めないのでもなく,地道にやっていきたいと思っています。

2012年2月5日
 そういえば,先週「祖父」になりました。いつまでも青くてじたばたしているのに…,という感想です。

2012年2月4日
 転職活動本年度3敗目です。良い時もあれば悪い時もある,仕方ないですね。これまで雑多な経験をさせていただいたことで,良かったなと思うのは,どんなにうまくいかないことが続いても,なんとか前を向き続けようと思える力がいくらか増してきたかなと思えることです。もちろん,この先,もっともっと大変なこともあるでしょうし,心が折れてしまって戻らなくなることもあるかもしれませんが,それまでは,なんとか(往生際悪く)じたばたし続けたいと思っています。
 利潤動機が働きにくい社会サービス分野(特に保健・医療・福祉分野)での組織間連携のコーディネート機能と社会人を対象とした人材育成をライフワークにしたいと考えており,今回の転職話は,そのための良い機会だと思っていましたが,能力不足だったようです。ただ,社会人を対象としたコーディネーター人材育成は大切な課題だと思いますし,年間20−30回の研修講師等の活動を通じて手応えも感じていますので,引き続き個人的な努力は続けていきたいと考えています。「現場研究−人材育成−現場支援」の実践的なサイクル形成が大切だと思っていますし,「現場の課題を組織の課題にそして社会の課題に」していける人材育成の支援にも関わりたいと願っています。
 残念ながら来年度も現職を続けることになりそうですが,とはいえチャレンジングな仕事ではありますので,やるからには精一杯,恥ずかしくないように頑張っていきたいと思っています。
 先週火曜日には,7か月間関わってきた三原市の組織風土改革研究会の市長さんの前での発表会がありました。今年で4年目ですが,やっと一つの壁を越えたような感じです。組織風土改革研究会とはいっても,実際は,「健康」「産業」「国際」をテーマに,今後の三原市が取り組むべことをグループで議論してまとめるというものです。グループの他の参加者の意見をしっかり聴き尊重して,積み上げ型の議論をして,「なぜ何のために何をめざして」を考え,方向性を整理して体系的にまとめていけるようになるための,悩み方を身に付けていただくことがねらいです。
 最初の頃はなかなかうまくいかなかったのですが,4年目にして,やっと少し歯車が噛み合ってきたような感じです。こんな実践経験を積ませていただいていることに感謝です。と同時に,今後それを活かしながらさらに発展させていきたいと願っているところです。

2012年1月29日
 先日58歳になりました。いつまで経っても,どたばたと過ごしています。性分なのかもしれません。
 「・・・らしく」ができないのだと思います。
 先が見えない中で,これまでの貴重な経験で学ばせていただいたことを,いくらかでも社会のためにお返しさせていただきたいと思っているところです。

2012年1月22日
 本業の方では,来年度へ向けての準備を進めていますが,れまで経験のない分野であり,形にしていくために模索が続いています。新しい仕事というのは,いつもこんなものです。
 個人的にもいろいろとあり,いろんな点で転換点だとは思いますが,先が見えない状態というのは同じです。
 こんな時は,基本を大切に,こつこつと目の前のことに一つひとつ取り組んでいくしかなさそうです。

2012年1月15日
 昨日は久しぶりにクアハウスに行き,ジムで体を動かしてきました。月数回のペースで行ってた時にはそうでもなかったのですが,3か月近くの空白があったので,かなり体に負担感があり,日々の継続した運動の必要性を感じたところです。以前,自治体職員研修の際に,ふと心に浮かんで口にした「助走のないジャンプはない」という言葉が反応が受講者からの良かったので,時々使っていますが,まさに普段から体を動かしていないと,いざという時に思うように体が動かないものだろうと改めて感じました。
 座ったまま体を動かさずに考えていると,何でもできるような気がしてしまいますが,実際に体を動かしてみるとそんなにうまくはいきません。内部管理系の仕事が,内弁慶の机上の議論になりかねないのは,そんなところにもよるのだと思います。
 金曜日は,ここ4年ほど年間5〜6回のペースで手伝っている三原市の職員研修。3つのチームによる課題研究です。次回が市長さんの前での発表なので,大詰めの検討でした。全体像をとらえ,本質的な課題をつかみ,体系的に掘り下げていくというのは,簡単ではありません。どうしても,自分たちの興味と関心の高いところに目が行って他が見えなくなったり,体系的な整理をしていたつもりが途中が飛んでしまって強引に最後の言いたいところにつないでしまったり。自分自身がやってる時も同じようなことをやってしまっていると思いますが,お手伝いをする立場で一緒に考えていると,岡目八目で,意外に抜けてしまったところが見えてくるものです。自分自身,反省させられることも多々あります。
 休暇を取ってこのような活動をしている意義は,そのあたりにありそうです。教えることは学ぶこととはよく言ったものです。この三原市の研修は,「組織風土改革研究会」という名前が付けられています。私が付けた訳ではないのですが,いい切り口だと思っています。過去の経験や知識だけでは簡単に答えが見つけられない場合には,課題を考える時に,特別優秀な一人が考えるのではなく,何人かが,互いがいろんな思いを持っていることを理解し認め合って,それぞれに意見を投げかけ合い,意見を積み上げ模索しながら一定の整理をしていく,そんな組織風土を生み出していくことが求められているように思います。
 とはいえ,枝葉ではなく形を変えるような変革は,変革の意思を固く持ち覚悟を決めて,風圧に耐えてぶれずにやり抜く人がいなければ生まれないのも実際のところだと思います。そんな人材を育てることと,そんな人を生み出し活かす組織風土改革の両方が必要なのだと思います。
 いろんな変化の可能性を感じながら具体的な形にならず落ち着かないところですが,とりあえずは足元のことに一つひとつ丁寧に向き合っていきたいと思っているところです。

2012年1月9日
 12連休の後に3日働いてまた3連休。何ということもなく,家の片づけなどをしながらぼんやりと過ごしました。とはいいつつ,土曜日はここ5年ほど関わっている小児救急電話相談の研究会で東京日帰り。全日空の新型機ボーイング787も二度目の体験でした。研究会では,これまで研究会でご一緒させていただいていた小児科の先生の発表の中に,ずばりと本質を突いた表現があり感心しました。言葉にすれば,相談と診療は違うというものなのですが,それを実に見事に説得力を持って説明されました。理解力,説明力の大切さを改めて感じたところです。
 ちょうど,昨年も対話力について書かせていただいた地方公務員向けの雑誌に,組織内連携についての原稿を頼まれて呻吟していたところですので,本質を捉え説明しきる力に感心しました。
 あとは,広島にある国連機関ユニタールの依頼での在京の外国の外交官研修の準備。12月は研修講師がなかったので,のんびりしていた気分を集中モードに切り替え中です。
 昨年もいろいろありました。考えさせられることも多く,反省することや,新たな挑戦に向き合おうとすることもありました。それらの中でも,仲間の大切さを感じた年でもありました。自分一人ではできないことも,いい仲間を得ることで,チャレンジできるようになります。その点では,これまで本当に恵まれてきたと思います。
 これからも,そのような,仲間やパートナーを大切にしていきたいと思っているところです。
 そういえば,年末に,勤め先の職場のネットワーク掲載用のメッセージを書くように言われたので,公務員生活の最終盤を歩んでいる者として,後進へのメッセージのつもりで書きました。お暇でしたらこちらをどうぞ。

2012年1月1日
 あけましておめでとうございます。
 穏やかな年の始まりを迎えています。
 表面的には何も変わらない日々が続くように見えていても,昨年の東日本大震災のようにある日突然起こる大きな変動や,足元から静かに徐々に起きてくる変動があります。
 目の前の平穏さに浸るだけでなく,変動に直面した時にもぶれずに対応できるように,明日を見ながら,日々を大切に過ごしていきたいと願っています。
 昨日同じ今日,今日と同じ明日というのではなく,今日とは違う明日もありうることを意識しながら,いろんな可能性を大切にして過ごすという,これまでの姿勢を維持していきたいと思っています。
 旧年中お世話になったすべての皆様に心からの感謝を申し上げます。今年も,引き続き,よろしくお願いします。


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