橋本康男のひとり言2018年 '01 '02 '03 '04 '15 '06 '07 '08 '09 '10 '11 '12 '13 '14 '15 '16 '17 今年
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2018年6月17日
 昨年秋に声をかけていただき準備を始めた広島滞在型修学旅行への復興平和研修の第1回目が先週無事?終了しました。
 全般的な話はこれまでも当然したことがあったのですが,被爆直後の応急復旧やその後の将来の都市ビジョン作りから具体的な都市計画についての意見の相違など,具体的な復興のプロセスについては,ほとんど掘り下げたことが無かったので,結構準備に時間がかかりました。しかも,資料によって数字が異なることなどもあり,改めて過去のことを整理して語ることの難しさを感じたところです。
 とはいえ,200人の生徒さんには熱心に聞いていただき,グループワークの発表も感心するような内容で,とりあえず,ほっとしました。今後の進め方を引き続き考えていきたいと思っています。

2018年6月3日
 もう6月ですね。相変わらず,本業?の方での復興平和研修の準備と,三次市関係の仕事をしています。とはいえ,それ以外にも,広島シンガポール協会の関係のことや,JICAの研修をいくつかと今年20年目のや自治医大の財団の研修,12年目の香川県庁の新任管理職研修,某警察署の署員研修など,相変わらずダボハゼ状態で何でも食いついているため,しっちゃかめっちゃかです。
 とはいえ,声をかけていただけるだけでありがたいので,何とか頑張っていきたいともがいています。

2018年5月19日
 相変わらず不思議な生活です。
 何でも自由にやっていいということの難しさを改めて感じつつも,とりあえず,これまでまとまった時間が取れないためにできなかったことなどに取り組んでいます。
 あらためて,「決まった役割」があることの「安心感?」と,それが無いことの「責任感」と「緊張感」を感じているところです。
 白紙からの取組は,30余年前の伊藤忠商事への派遣,20余年前のシンガポール広島事務所の初代所長,10余年前の広島大学での社会連携組織の立ち上げに続く4度目のチャレンジですが,さてどうなりますことやら。

2018年5月6日
 あっという間に1か月です。
 4月から不思議な生活をしています。
 基本的には,一般社団法人の運営を自由にしてみないかと声をかけていただいた税理士の方の事務所に席をいただいて出勤しているのですか,三次市にもほぼ毎週行っています。(机も用意していただいていて…)
 一般社団法人の方では,当面,広島での復興研修を目的とした修学旅行の受け入れの充実のための教材準備などをしています。まだ,これで収入が立つのかどうかも良くわからない状態ですが,とりあえず「質の良い仕事」をして信用を得ることから始めないとと思っているところです。幸い,いろんな方に支援をしていただいているのと,県の国際部長時代に提案してスタートした「復興プロセス研究」の成果が蓄積されつつあることから,なんとかうまくそれらを活用していく仕組みにつないでいければと思っているところです。
 とはいえ,これまで個人的に引き受けてきた,自治医大の財団主催の健康福祉プランナー養成塾や香川県庁の新任管理職研修,JICA等の紛争影響国等の政府職員研修,運営委員をしている広島シンガポール協会関係の仕事など,ほぼそのまま引きずっている状況なので,今までよりも忙しくなったような気もしています。まあ,朝からやることが無くて,というよりもありがたいと思って頑張ります。

2018年4月8日
 この4月から新しい仕事にかわり,新鮮な気持ちでドタバタしています。まだ手探り状態ですので,進展に従って少しずつご紹介させていただきたいと思います。

2018年3月31日
 平成29年度が終わります。
 一年の区切りはいつも何かしら感慨深いものですが,今日は,私にっては,昭和51年に広島県庁に入って以来,いろんな出向や転職もしたものの,基本的には県庁なり大学という大きな組織の中で安定した立場から初めて離れるという点で,大きな区切りです。
 これまで本当にいろいろな方々に助けていただいたおかげで,随分多様な経験をさせていただきました。ただ,それは,県庁なり大学という安定した基盤の上でのことであり,良くも悪くも「生活の危機」を意識せずに済む環境の中でのことでした。
 とはいえ,だからこそ思い切ったチャレンジができたと思いますので,今振り返ってみても,安定した恵まれた環境に安住してきたとは思いません。
 今回,職業人としての最終コーナーで,これまでの立場とは違う環境の中で,自分なりの存在意義を打ち出していく機会をいただいたことをとてもありがたく感謝しています。
 詳しくは,4月になってからご報告させていただきたいと思います。

2018年3月25日
 しばらく書いていないと思ったら,1か月近くも経っていました。今月末で5年間勤めた今の職場(広島県地域医療支援センター)を退職するので,色々な整理や片付け,引継ぎ準備に加えて,新しい仕事への準備などなどに追われていました。
 5年前に国際部長職を最後に広島県庁を退職した際,念願だった地域医療の仕事に恵まれたことに感謝しています。
 4月は,個人商店的な形で,広島にとってなにがしかの貢献ができればと思っています。
 引き続き,よろしくお願いいたします。

2018年2月25日
 1週間飛ばしたことに気が付きませんでした。先週は日曜日に本業の関係で出なければいけない行事があったせいでもあるのですが…。
 新しい仕事の関係でやるべきことがすでにいろいろと出てきていて,今の仕事の引継ぎへ向けての準備もあり,なんともバタバタしています。
 新しい仕事は,どちらかと言えば国際系の色が強いので,それ自体はそんなになじみがない訳ではないのですが,それでも頭の切り替えが必要になってきます。
 人材育成や活躍支援に絡むという点では共通点もあります。
 32歳の時に自分で制度を提案して自分で財政課と交渉して国地方通じて公務員全国初の商社研修を実現して自分で行った時も,「社内のどんな情報にアクセスしてもいいしどんな仕事をしてもいいし,しなくてもいい」と言われて,最初の2か月は全く勝手がわからずに,このまま何も得ることなく県庁に帰ることになるのではとの不安との戦いでした。結果としては,所属する本部の新規事業開発担当としてその年唯一の新規事業の立ち上げにこぎつけられてほっとしました。
 37歳の時に,英語もほとんどできないのに,県庁からまた出てみたいために,シンガポール広島事務所の初代所長に立候補してシンガポールへ行った時も,前任者も同僚もいない中で,自分でビザの申請に悪戦苦闘し,新事務所の意義を評価していただくために悪戦苦闘しました。これも,シンガポールの方々の「よそ者に優しい」ことに助けられて,形を作り上げていくことができました。
 47歳で広島大学に助教授として転職した際にも,何をするのかはほとんど決まっていなくて,これも無からの模索でした。必死にもがく中で,3年3か月後に教授選考会で全員一致で教授にしていただいた時には,本当にほっとしました。(ほっとし過ぎて,教授を1年でやめてしまいましたが…。)
 こんな経験があるために,今回もまあ何とかなるだろうという思いと,そうはいってもやって見なければ分からないし何が起こるかもわからないという恐怖に近い不安とが混在しています。
 まあ,一言でいえば,「わくわくドキドキ」というところですので,まあ開き直っているのかもしれません。
 この4月から,このひとり言にどんな言葉を書きつらねていくことになるのか,それこそまさにわくわくドキドキです。

2018年2月10日
 先週末に大切な節目の会議が無事に終わり,ほっとしているところです。ここ何年かかけて準備してきたものがなんとか動き出した感じてす。
 どんな仕組みづくりも,めざすべき姿を考え,そのためになすべきこと,解決すべきことを整理し,想定される課題を洗い出して,しかもそれらから目を背けることなく向かい合っていく必要があります。
 もちろん,一気にすべての課題を解決できる訳ではなく,今の時点ではどうしようもないことや今後の対策が取れないこともあります。そんな中でも,それを言い訳にせずに最善を尽くそうと努力をしていくことこそが大切なのだと思っています。
 4月からの新しい仕事の準備も進める必要があり,焦る気持ちもあります。特に今度は,自分の好きなようにしていいと言っていただいているので,責任も感じます。1月27日付でも書きましたが,30年前に国・地方を通じて初めての公務員の商社派遣制度を自分で提案して制度を作り伊藤忠商事に1年間お世話になった時も,「社内のどんな情報を見てもいいし何をやってもいいから,自分で何か新しい事業を立ち上げてみるように。」と言われて,商社用語の一つも分からない中でもがいた末に,その後も継続した事業を立ち上げることができました。また,商社から帰って3年で組織の外に出たくなりシンガポール広島事務所の初代所長に立候補してろくに英語も話せないのにシンガポールに行って,右も左も分からず自分のビザの申請にすら悪戦苦闘するスタートでしたが,結果的には手応えのある充実した時間を持てました。広島大学への転職もそうでした。
 新しい仕事への不安もある中で,そんな昔のことを思い起こし,心を奮い立たせているところです。

2018年2月3日
 もう2月です。今の仕事が今年度末までなので,あと2か月を切りました。これまで,伊藤忠商事出向,広島シンガポール事務所の立ち上げ,国際財団への出向,大学への転職,大学の辞職と県庁再就職,県庁退職と今の公益財団法人への就職と,比較的多くの転機を経験してきました。それぞれにいろんな思いがありましたしいろんなハプニングもありました。そうはいっても,基本的には,いろんな方々に助けられて,いい方向の転機になっていたことを感謝とともに思い出しています。
 先日は,20年前に全国初の救急医療情報ネットワークを広島で立ち上げた時の実働中心メンバー4人が再開し杯を傾けました。全国標準として実用性に耐えるものに仕上げようと,運用開始ギリギリまで,必死になって議論し作業をしていたことを思い出しました。そのような経験を共にした仲間を数多く得られたことがとても幸せだと思っています。
 4月からの仕事においても,そんな仲間が得られる仕事をしていきたいと思っています。
 昨日,今の仕事の中でも最重要課題の一つについて,この5年間の一つの集大成の会議があり,無事終了しました。一つの区切りを迎えられたことにほっとしています。

2018年1月27日
 新しい年になってもう早や1か月ですか?今の仕事がこの3月までなので,4月以降の仕事のことなどでドタバタしているうちに1月も終わりです。
 おかげさまで,4月以降,毎日公園に行ってブランコに乗っているということにはならずに済みそうです。
 いろんな方々にご心配をいただいたことに,心から感謝しています。
 これまでも,県庁でまだヒラの時に行政職員が人と情報で仕事をする民間企業を経験すべきだと主張して自分で商社派遣制度を提案して自分で立候補して行って以来,商工会議所との共同でのシンガポール広島事務所の立ち上げ,全国標準となった救急医療情報ネットワークの立ち上げ,広島大学に転職しての地域連携センターの立ち上げ,広島県の国際部長としての核廃絶と復興の2本立てでの平和への取組推進,新名称となった広島県地域医療支援センターでの医師確保の取り組みなど,結果としてみれば本当に仕事に恵まれてきたと思います。
 4月からは,そんな経験の集大成としての仕事に取り組めそうなので,わくわく感と責任の重さを感じています。
 それもこれも,いろんな方々とのご縁のおかげです。改めて心から感謝しているところです。

2018年1月8日
 あけましておめでとうございます。
 みなさま,良い年をお迎えのことと存じます。
 昨年も一年間,充実した日々を過ごせたことを,感謝の思いと共に振返っています。
 今年も,懸命に過ごすことができればと願っています。
 今年は転機の年です。
 多くの魅力的な方々との出会いとご縁を楽しみにしています。
 社会のためにも少しでも意味のあることをめざして,日々を大切に今年一年も過ごしていきたいと願っています。
 本年もどうぞよろしくお願いいたします。
 今年が,みなさまにとって良い年でありますように。



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