干支の猿 特集 |
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来年の干支に因んで猿の郷土玩具を集めてみた。モチーフとして猿は十二支のなかでも特に人気がある。顔や仕草が人間に似ているばかりでなく、山里などでは身近な動物として昔から馴染みがあったからであろう。昔話に頻々と登場するのも同じ理由からだ。そういうわけで、ここに紹介するのは数ある猿の人形のごく一部である。先ずは張子から。左より柿乗り猿(静岡県浜松)、親子猿(福島県三春)、猿まわし(千葉県佐原)、面担ぎ猿(岩手県六原)。柿乗り猿の高さ(H15.12.6)

左より喜々猿(大阪府堺)。これは二巡り前の申歳(昭和55年)の年賀切手に採用された。喜々猿は「喜び事が重なる」という意味に猿の啼き声を掛けた縁起もの。その隣は木の葉猿(熊本県玉名)。素焼きの赤肌の上に白、赤、青の点模様を描いた、いかにも南国風のもので、源流は遠く大陸方面ではないかと想像されるが正確な記録はない。安産、子育て、盗難除けなどの信仰と結ばれている(1)。続いて堤人形の猿蟹合戦(宮城県仙台)。一巡り前の申歳(平成4年)に因んで新たに作られた。次は山口人形の猿まわし(新潟県水原)。肩の上のものがようやく猿と分かるのはご愛敬。右端は三番叟猿(長崎県平戸、陶器製)。頭を傾けると舌を出す仕掛けが楽しい。三番叟猿の高さ8cm。 (H15.12.13)

左端は日和見猿(大阪府堺)で七匹の猿を組み合わせた手捻りの作品。てっぺんの猿がもっともらしく烏帽子を着け、扇をかざして物見をしているのが可笑しい。千匹猿と称し、高さ30cm以上に猿を積み重ねたものもある。隣は三猿 “見ざる、言わざる、聞かざる”(熊本県玉名)。前に紹介した木の葉猿と同じ作者によるもので、やはり手捻りである。陽物も付いているなど、猿の玩具にはおおらかな性を扱ったものも多い。続いて裃猿(福岡県赤坂)と猿のズッキャンキャン(長崎市古賀)。古賀人形は京都の伏見人形、仙台の堤人形と並ぶ三大土人形のひとつ。ズッキャンキャンとは肩車をした姿の人形を言い、ほかに子供のズッキャンキャンがある。右端の瓦猿(和歌山市若宮八幡)は瓦職人が余技として焼く人形。手に持った桃と顔がわずかに紅く彩色されただけの素朴なものである。ズッキャンキャンの高さ10cm。 (H15.12.14)

御幣とは、紙を切り細長い木に挟んで垂らした神祭用具。猿は山王信仰では神のお遣いとされ、今も各地の神社で裃姿に幣帛を持った猿の人形がお守りとして授与されている。左から今戸人形(東京都浅草)、住吉大社(大阪府堺)、帝釈天(東京都柴又)の御幣猿。今戸人形の高さ12cm。(H15. 12.14)

御幣を持つ猿を連れた凛々しい若衆姿は笹野才蔵である。才蔵は豊臣秀次(一説には福島正則)に仕えた武将で、疱瘡(天然痘)の疫病神を切り捨てたと言い伝えられる猛者。北九州地方には才蔵の人形や絵姿を戸口や神棚などに飾り、子供の疱瘡除けにする風習があった。猿は山王信仰では神の使いであり、才蔵は熱心な信者であったという。左は古博多土人形(福岡県春日)、右はその流れを汲む今宿土人形(福岡市)。今宿土人形の高さ24cm。(H15.12.14)

「猿」と「去る」の語呂合わせから、厄をはじき去る“弾き猿”や魔を去る“魔猿”と呼ばれる縁起物が各地にみられる。弾き猿は棒を抱かせた布製のくくり猿を、竹の反発力を利用し弾いて上下させる玩具。写真は左より岡寺観音(三重県松坂)の猿弾きと鹿児島神宮(鹿児島県隼人)、御崎神社(宮城県唐桑)、帝釈天(東京都柴又)の弾き猿。なかでも御崎神社(別名、日高見神社)の弾き猿は大漁祈願の授与品で、数本の弾き猿が色とりどりの風車や旗とともに藁づとに挿された華やかなものである(高さ30cm)。弾き猿は弘前にもあったが廃絶した。(H15.12.19)

まさる(魔猿、魔去とも書く)は福島県にみられる正月の縁起物。竹弓に張った弦に土鈴を通し、軽く振動させるとコロコロと音をたてながらおりてくる仕掛けである。猿に見立てた土鈴には羽毛や綿が付けてある。売手は「去年にまさる福まさる、買わんしょ」と客に呼びかける。より良い新年を祈る“駆魔招福”の印である(2)。左が福島市、右が原町市のまさる。なお、同工の玩具にピンピン鯛(大阪)や弓河豚(江ノ島)があった。左側の高さ40cm。(H16.1.21)

猿玩具の変り種をもう一つ。“昇り猿”と呼ばれるもので、竿に通された猿の人形が、背負った幟(のぼり)に風をはらんで昇り降りする仕組みである。もともとは侍の馬印や、作物を荒らす猿への見せしめの風習から始まったといわれる節句幟で、五月に鯉幟とともに門口に立てられる。写真はそれらを張子玩具にしたもので、左は倉敷(岡山県、高さ30cm)、右は昭和43年の年賀切手にもなった延岡(宮崎県)の昇り猿。このように、猿の郷土玩具は極めてバラエティに富んでいて他の追随を許さない。お面などまだまだ紹介し切れないものについては別の機会としたい。皆様、良いお年をお迎えください。(H15.12.22)

平成28(2016)年は、小欄を始めて二回り目の申年である。以前取り上げなかった猿玩具の落穂拾いをするので、またお付き合い願いたい。「猿に絵馬」とは、取り合わせのよい例えに使われる言葉である。むかしから猿を馬小屋の守護とする信仰があり、猿が馬を曳く図を描いた絵馬は多い(馬12)。一方、猿を主題とした絵馬では三猿や御幣猿、桃持ち猿や柿取り猿が代表的である。日枝(吉)山王神社のお使いである猿が、袖無を着て果実を差し上げている図は魔除け、厄除けを祈願するとともに、桃や柿の形から生殖力・生産力の強まることを暗示している(3)。写真は子宝・安産祈願を祈って宮乃盗_社(府中市)(表紙17)より授与されるもの。高さ17p。(H27.12.18)

三猿は、処世訓「見ざる、聞かざる、言わざる」を猿の姿を借りて示したもので、その造形は日本各地にみられる(猿03)。写真は左より別府の猿土鈴(大分県)、葛飾柴又の三猿(東京都)、玉名の木の葉猿(熊本県)。ほかに八坂庚申堂の猿守り(京都09)も紹介したが、最も有名なのは日光東照宮の彫刻だろう(栃木11)。言うまでもなく、三猿は日本語の否定形“さる”と猿とを掛けたものである。しかし、世界中に分布しているというから、三猿には言語を超越した起源があるらしい。面白いことに、海外には四猿というのもあるそうだ。4番目の猿は両手で前を隠して「せざる」を表し、これには性的な意味がこめられている。因みに、英語では“Have no fun”(4)。猿土鈴の高さ3cm。(H27.12.18)

前列は弘前の下川原土人形(青森県)で、左より招き猿、箕(み)被り猿、リンゴ持ち猿。いずれも土笛である。後列左は三春張子の猿三番叟(福島県)。三番叟とは能では千歳、翁に続き三番目に演じられる演目で、五穀豊穣を祈るもの。祭場を浄め神を招く“採り物”(扇や鈴)を手にして舞う(福島06)。後になると、歌舞伎の顔見世や祝儀の場などでも舞うようになった。戦前までは、正月になると家々に猿廻しがやって来て、猿に三番叟を踊らせたという。中央は仙台の堤人形(宮城県)。おなじみ猿蟹合戦の話は、猿が拾った柿の種と蟹が拾ったおにぎりを交換するところから始まる。右は秋田の八橋人形(秋田県)。八橋にしてはやや写実が過ぎ、面白味に欠ける。高さ7.5p。(H27.12.18)

左は那覇の琉球張子(沖縄県)。ウシグワー(牛10)でも使われた柴と赤の原色は、この猿でも強烈である。猿が桃を手にする姿は日本各地(和歌山02)のほか、中国、朝鮮などで広く見られる。猿と桃といえば、天界の桃の実を盗み食いした孫悟空も思い出される。もともと桃は吉祥の象徴で、「樹木の精にして万花に先駆けて開き、邪気を圧伏し百鬼を制する」という中国の古い伝説に因む(5)。中央は鹿島の能古見人形の猿土鈴(佐賀県)。終戦の年、地元の染色工芸家が、余技で付近の陶土を使って創作したもの。この地方独特の祭や行事を題材にした土人形や土鈴が多い。兎土鈴(兎09)と羊土鈴は年賀切手にも採用されている。右は玉名の木の葉猿で子抱き(熊本県)。手捻りで作られた素焼きの猿に白、赤、群青の斑点模様を簡素に付けた人形で、奈良時代に始まるともいわれる。猿は子を可愛がり、お産も軽いので、神棚に祀り夫婦和合、子孫繁栄、安産、子宝を祈願した。子抱きの高さ13p。(H27.12.18)

猿は表情や仕草が人間に似ているので、しばしば擬人化される。その代表が三猿や三番叟、御幣猿であるが、このような愉快なカラクリ玩具にもなる。これはビックリねずみ(長野16)と同じ作者によるもの。高さ7p。(H27.12.18)

清水寺参道の清水坂周辺には多くの土産物店が軒を並べ、主に豆人形、まじない人形、行列人形などの小物玩具を売っている(京都19〜24)。また、寺社向けの授与土鈴を作る店や古い玩具を扱う店もあって、丁寧に見て歩くと掘り出し物に出会うこともあり楽しい。このつなぎ猿は、型によらず粘土を手で捻って作った“捻り人形”。青森などの捻り猿は焼成せずに生土を乾かしたままであるが(青森07、猿02〜03)、京都では細かい細工をするので、高温で固く焼き上げ、壊れにくくしてある(6)。手をつないだ五匹の猿は、どうやら柿の実を取ろうとしているらしい。猿の大きさ各5p。(H27.12.18)

すでに各欄で紹介済みのものだが、一括して再掲する。上段左より仙台市(宮城県)、次の2点はいずれも浜田市(島根県)、金沢市(石川県)、下段左より姫路市(兵庫県)、柏原市(大阪府)、倉吉市(鳥取県)、高松市(香川県)の猿面。いずれも高さ20p前後。ほかに複製の壬生狂言面(京都15)や、土製であるが猿田彦神社の猿面(福岡06)も紹介した。(H27.12.18)
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