青森県の玩具 |
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津軽藩の御用窯として数々の名器を世に出してきた高谷家(弘前市桔梗野)が作る可愛らしい土笛。背面にある吹き口からそっと息を吹き込むと、ホーという懐かしい音がする。鳩笛が有名だが、他にも70種以上の型があるという。左より春駒、提灯持ち、鯉かつぎ、饅頭喰い、太鼓鶏、鳩笛。子供は「唐子」姿となっており、伏見人形(京都)をまねたようだが、異国の風俗へのあこがれが感じられる。饅頭喰いは、「両親のどちらが好きか」と尋ねられた子供が饅頭を二つに割って「どちらが美味いか」と尋ね返した説話に基づくもので、各地に見られる型。春駒の高さ4cm。(H15.11.3)

下川原(下河原)土人形の多くは小型の土笛になっている。我が国では古くから幼児に土笛をくわえさせると虫封じに効くと信じられていた。実際、土に含まれる珪酸ナトリウムなどの塩類が栄養になるとの説もある。勢い子供が好む動物が題材となるが、現在でも毎年十二支に因む土笛が作られている。写真は前列左から猪、辰、鼠、羊、後列左から兎(餅つき)、鶏、猿(箕被り)、虎の人形笛。兎の高さ7cm。(H16.1.21)

前回までは人形笛(土笛)を紹介してきたが、今回は一般的な土人形である。やはり小型で、最大でも15cm程度。素焼きの土人形に色鮮やかな泥絵の具で彩色されるが、下川原独特の黄と紫の補色、さらには黒と緑の原色が大胆に使われているのが特徴といえる。題材も津軽の風俗を扱ったものなどがユニークである。左から三味線持ち(門付けのボサマ?)、エズコ姉さま、明治の子供。三味線持ちの高さ13cm。(H15.11.18)

貯金玉とは背面に硬貨の投入口を作ってある土人形のことで、貯金箱の一種。底に開いた穴には紙が貼ってあり、硬貨が貯まったら破いて取り出せるようになっている。左は蛇年に因んで作られた新型「りんご蛇」、右は旧型のだるま。挿図は背面を示す。りんごの高さ10cm。(H15.11.19)

左が面笛、右が首人形(串人形ともいう)。面笛は面を土笛に仕立てた全国唯一のもの。首人形も現存するところが少なく貴重である。やはり小ぶりで可憐な表情が特徴。首の部分が太く作ってあるところが他所とは違い、姉様遊び(着せ替え)用によく考えてある。面笛の大きさ4〜7p、首人形の高さ8p。(H15.11.30)

高さ6cmほどの小さな内裏雛だが、下川原人形の特徴である可愛らしさに威厳も備わった作品である。一回り大きい土雛には右大臣、左大臣から五人囃子まで全て揃ったものもあるが、原色を多用する彩色のせいか、何体もの人形が集合した有様はカチャマシイ(津軽弁で“うるさい”)感じがしないでもない。(H16.2.12)

弘前の土人形が続いたのでここらで一旦お休みにし、今回は青森の土人形。平成16年の干支「申(さる)」に因み、珍しい「なまず乗り猿」を紹介する。型抜きではなく"手捻り"(粘土細工の要領)で作るために、作品にはどれとして同じものはない。作風も自由闊達でユーモア溢れている。青森の土人形は下川原人形の影響下に明治〜大正年間に始められたという。これは福原英治郎氏の作。土人形のほか張子人形も多数作られていたが、昭和53年に作者が亡くなって廃絶した。筆者が青森市の繁華街に作者を訪ねたのは30年前だが、氏の本業は骨董商で古道具の山に埋もれながら人形を制作されていたのを思い出す。その場所はすっかり近代的なビルになっているが、1階が花屋で2階が骨董店なのは今も変わっていない。高さ11cm。(H15.12.6)

藩政時代に黒石の木挽き師が創案したといわれ、その弟子が和徳町に住んで伝統を守った。元来は神社に奉納する神馬玩具で、弘前の馬ッコ、和徳木馬とも呼ばれる。東北三大駒(八戸、仙台、三春)が象徴的な形態をとるのに対し、こちらはかなり写実的である。しかし木彫りの切れ味鋭く、着色も鮮烈で独特の魅力を持つ。戦前は馬が台車に乗せられていて、子供らがガラガラと引いて遊んだという。最近、木馬(左)に代わって張子製の馬(右)を目にするが、作品の勢いという点でどうだろうか。木馬の高さ12cm。(H16.1.3)

弘前の夏祭りに運行する「扇ねぷた」のミニチュアだが、絵柄はすべて肉筆であり、背面(右図)にある"送り絵"の扉を開けてロウソクが立てられるように作られている。勇壮な武者絵は中国の三国志や水滸伝に因んだものが多い。ねぷた(青森ではねぶた)の起源としては、@坂上田村麿が蝦夷征伐の際に船にねぷたを仕立て、それに兵士を隠して敵を退治した伝説、Aねぷたは睡魔を意味し、仕事の妨げとなる眠気を払う習俗など、いくつかの説がある(1)。高さ30cm。(H16.1.3)

青森では「人形ねぶた」が街を練り歩く。子供達も金魚を象ったねぶたを手にして行列に加わった。現在では跳ね人(はねと)の勢いに押されてか、金魚ねぶたを持ち歩く姿は見られず、軒先の飾りや観光土産になってしまった。青森の金魚ねぶた(左、30cm)が紙飾りや鈴を付けたり魚体に斑点を付けたりしてにぎやかなのに対し、弘前(右)のそれは簡素な作りである。(H16.1.3)

華やかなねぷた(ねぶた)の図柄は津軽凧にも共通したもの。ここに紹介する凧絵(左)は三国志から題材をとっており、絵師は中野敬造。竹の入手が難しい津軽地方では、凧の骨にヒバ材を使うのが特徴である。ブーンという音を出すために、凧の上端の糸に和紙を何枚も貼った“ブンブ”という仕掛けを付けたりもする。45cmx33cm。これに対し、南部凧絵(右)は横浜在住だった宇山博明が、戦後疎開先の八戸で創作したものである。テーマを大首の金太郎に絞り、「金時五態」(松、マサカリ、鯉、兎、猿との組み合わせ)を描いている。ダイナミックな構図と艶やかな彩色が魅力的である。60cmx48cm。(H17.10.2)

ねぶた絵はこけしの胴模様にもなる。津軽こけしは温湯温泉(黒石市)と大鰐温泉(大鰐町)を中心とした系統。11ある系統の中では最も新しいこけしで大正時代に生まれた。頭と胴は一体化した構造になっている。胴にはねぶた絵の牡丹やだるまが描かれ、それにアイヌ模様があしらわれるという洗練されたこけしである。前列左より今晃、間宮正男(いずれも3寸)、後列左より阿保六知秀、阿保金光、島津誠一、長谷川健三、島津彦三郎の作(いずれも5寸)。(H16.1.3)

左は盛秀太郎のだるまこけし(高さ13cm)、右はその弟子である奥瀬鉄則のこけし(8寸)。(H16.1.3)

木工用轆轤(ろくろ)で椀、盆などの日用雑器を作る職人を木地師(木地屋)と呼ぶ。木地師が作る玩具(木地玩具)の代表がこけしであるが、ほかにも独楽(こま)、笛、ガラガラ、車付き玩具など種類は豊富である。"ずぐり"は、軸の部分が太く丸くすんぐりとした安定感のある独楽のことで、麻縄や藁縄を巻きつけ投げて回す。温湯の"ずぐり"は、すり鉢型の内側にほどこされた轆轤模様が美しい(左)。雪の中でも回せるように、独楽の尖端もまた独楽のようになっている(右)。温湯や大鰐には砧(きぬた、衣を打つ槌)と台を玩具化した"じょんば"と呼ばれるものもあったが姿を消した。(H16.1.8)

年が明け、今年も受験の季節を迎えた。受験と言えば天神様の出番が増える時期である。元来、天神信仰は菅原道真を怨霊神として祀ったもの。しかし、その事績に因んで次第に書道や学問の神様とされるようになり、昔から寺子屋での手習いを介して子供達にも身近な存在であった。各地に郷土色豊な天神人形が数多くあり、それだけで一冊の本になるほどである。もちろん青森県の郷土玩具にも天神は登場する。写真左は青森の土人形(馬乗り天神、高さ18cm)。手捻りで作られており、漫画的で自由な発想は従来の伝統人形にはないものである。ほかに牛乗り天神、船乗り天神、筆持ち天神なども作られた。対する弘前(下川原)の座天神(右、高さ10cm)は伝統的な型であるが、優しいお顔の親しみやすい天神様である。下川原ではほかに堂内天神(お堂の中に祀られている型)が有名。(H16.1.11)

前に紹介したなまず乗り猿や馬乗り天神同様、手捻りの土人形である。豪快なタッチの虎は、地面に届くほどのひげと赤く裂けた口が獰猛さを良く表わしているが、どこか憎めない愛嬌がある。一方、軍人(明治天皇)は赤と黒を基調とする落ち着いた彩色で威厳を示している。虎の高さ15cm。(H16.1.11)

青森土人形の作者は張子人形の制作も行っていた。張子とは、木型に和紙を糊で幾重にも張り合わせて乾燥させた後、木型を取り出して貼り合せた人形に描彩を施したもの。反古紙が入手しやすい各地の城下町で盛んに作られた。達磨や首振り虎、お面が有名である。輸送中に破損しやすい土人形の替わりに、同一の型を張子で作ることも多かった。ここに紹介する張子も、それぞれ同型の土人形をほかに指摘することができる。左上から時計回りに、福助(高さ15cm)、花魁(同16cm)、チャボ(同30cm)、大黒(同25cm)。とりわけ、チャボの自由闊達なデザインは作者の面目躍如である。(H16.1.12)

月見兎とも呼ばれる人形の背には、満月のほかにワラビや土筆などが装飾的に描かれている。高さ12cm。(H16.1.12)

善知鳥(うとう)は青森の古名。荒木を三角に裁ち割った割り口を生かし、顔そのほかが細かく彫ってある。大正10年頃に創作されたもので、達磨のほか、ばてれん、修道尼、梅見などの種類がある。高さ11cm。(H16.1.12)

五所川原といえば、最近は巨大な立ちねぶたで有名になった。虫送りは旧藩時代から田植え後の“早苗(さな)ぶり”として行われる行事。藁の胴体に木彫の頭を付けた“虫”を作り、若者がこれを担いで町内を引き回した後に村はずれの一番高い木の幹に掛ける。農作物を虫害から守り五穀豊穣を祈る祭りであるが、今では五所川原近郊で行われるに過ぎない(2)。高さ22cm。(H16.1.21)

県の東半分を占める南部地方にも独特の郷土玩具がある。まずあげられるのは八幡駒であろう。南部藩は元來馬産地として有名であったが、八戸近郊の櫛引八幡で行われる流鏑馬(やぶさめ)の奉納には各地から名人名馬が馳せ参じた。これに倣って作られた一鉋一鑿の木彫り馬が八幡駒である。首の長い颯爽とした姿はペルシャ系の馬を思わせ、前垂れには千代紙が貼られていて華やかである。高さ20cm。(H16.2.12)

左は馬頭を象徴したえんぶり烏帽子。えんぶりとは豊作を祈る小正月の行事で、現在は2月17日に舞われる。えんぶりは元来しろかきに使う農具の名で、それが舞の名称となり、えんぶりが鳴り子板に形を変え、柄に鳴り物の付いたジャンギリ、カンダイと呼ぶ木製の舞用木鍬に変わり、田かき馬が烏帽子の形に変わるなど、独自の変遷をしたものだという(4)。烏帽子の後部から頭頂にかけての切り込みは馬のたてがみを表わしており、側面には鶴亀、恵比寿大黒などめでたい絵が描かれている。烏帽子には実物大の立派な美術工芸品から小型の装飾品まで様々あるが、ここに紹介したのは田面木福祉作業所の皆さんの手になるかわいいもので、高さ11cm。右はえんぶり木の実人形。頭はギンナン、胴はクルミ、足は松の実を利用して、えんぶりの様子を上手に表現している。こちらは身体障害者通所授産施設・柿の木苑の皆さんが作っている。高さ15cm。(H16.2.12)
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