佐賀県の玩具 |
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おくんちというのは“お九日”のことで、9月9日の重陽(ちょうよう)を祭りの日として尊んだものだが、九州では御供日、御宮日などの漢字を当てて、単に祭りと言う意味で使う(1)。唐津明神のおくんちは10月29日の前後三日間、各町内から獅子や鯛、兜などの大きな作り物を据えた曳山(やま)が14台も繰り出して、お囃子に合わせて町々を練りまわる。これらの曳山はいずれも和紙に漆を塗り固めた「一閑張」で、重さ2トンにもなるという。制作費用もかさみ、1846(弘化3)年の記録では金1750両を要したとある。祭りに所得の3か月分を費やす“三月(みつき)倒れ”の風潮は、華美で刹那的な化政文化を反映したものである(2)。写真は木彫の玩具で、左が1番曳山・刀町の赤獅子、右が8番曳山・本町の金獅子(高さ5p)。(H28.3.6)

さまざまな素材の曳山玩具。14番曳山・江川町の七宝丸は土製、5番曳山・魚屋町の鯛は縮緬細工、7番曳山・新町の飛龍は博多人形である。土製の3番曳山・材木町の浦島太郎も前に紹介した(水族館20)。ほかに、美術工芸品として唐津焼の曳山もある。佐賀県は焼き物どころで、有田、伊万里など名だたる窯場を擁するが、唐津も古くから「一楽、二萩、三唐津」と称され、とくに唐津焼の茶器は名高い。鯛曳山の高さ15p。(H28.3.6)

酒米の産地として有名な佐賀平野の東にあり、吉野ヶ里遺跡にも近い神崎は、ふるくから宿場として栄えたところでもある。窯業の歴史は鎌倉時代まで遡り、元寇で捕虜となった大陸の陶工が技術を伝えたものと云われ、その住まいは今でも蒙古屋敷跡として残されている。そして、彼らが瓦や火鉢などの日用雑器を焼くかたわら作り始めた人形が、今日の尾崎土人形と伝えられる。素焼きに胡粉を塗り、赤、青、黒で無造作に描彩しただけの人形で、赤坂土人形(福岡12)に通ずる素朴さがある。左より波乗り馬、饅頭喰い、立ち娘。饅頭喰いの高さ16p。(H28.3.6)

左より鳩、長太郎、雀、水鳥の土笛。代表的なのは鳩笛で、当地では“テテップウ”と呼ばれて親しまれている。長太郎という裸児の人形は、弓野でも見られるものである。長太郎笛の高さ12p。(H28.3.6)

明治15年、博多人形の職人が修行で各地を放浪の末に弓野に定住し、この地で土人形を作り始めた。一時は6軒もの専業者があったが、現在は1軒となってしまった。弓野土人形は古博多の系統ながら、形のおもしろさ、磨き出しによる艶、鮮やかな彩色が特色とされている。人形には内裏雛、土天神、加藤清正、花魁、八重垣姫などの節句ものが多い。私が作者を訪ねた折には、高さ50pほどの大きな武者人形が棚にずらりと並んでおり、その存在感に圧倒された。現製作者は新たな人形の創造にも精力的で、現在長崎人形と呼ばれている一連の風俗人形(龍04・長崎02-04)も、かつて長崎に滞在した折、型起しを指導したものという(3)。この座天神には、讒言によって九州に流された道真の憤怒が表れている。高さ17p。(H28.3.6)

同じ弓野の座天神だが、前回とは作者が異なる。こちらは一転して、学者然とした穏やかな表情である。高さ22p。(H28.3.6)

弓野では大型の節句ものばかりでなく、干支ものや風俗人形、土面、貯金玉(貯金箱、弓野では貯金つぼと呼ぶ)などの小品にも独自の型を有する。この恵比寿大黒は高さ10p足らずのものだが、均衡のとれた形、落ち着いた配色と丁寧な描彩に加え、細かい衣装模様を浮き出しにするなど、手が込んだ作品である。(H28.3.6)

干支ものからも一つ。昭和26年の兎年に新たに型起こししたもので、写実的な兎に仕上がっているが、土俗的な雰囲気は失われていない。高さ10p。(H28.3.6)

弓野では戦後の貯蓄運動に着目し、子供受けのする動物や童顔の人形を作って、それまでの平凡な貯金玉にはない斬新さを売り物にしていた。かつて弓野といえば貯金玉と言われるほど、九州はもとより西日本一帯に広い販路をもっていたが、最近は余り作られなくなった。左は夏みかんを象った貯金玉、右は弓野の代表的な型である鶏乗り子供の貯金玉。夏みかんの高さ8p。(H28.3.6)

北方町で戦後生まれた郷土玩具。武雄盆地と白石平野の間にある杵島(きしま)山は、古来常陸の筑波山、摂津の歌垣山とともに、わが国の三大歌垣山として知られる。歌垣とは、自分の思いを和歌に託して妻問(つまどい=求婚)すること。杵島山を舞台にした万葉の歌垣伝説に登場する“歌垣姫(かがいひめ)”と杵島山に住む動物たちを、スズランアカギの木を材料にして一刀彫したのが杵島山人形である(4)。左がカササギ(カチカチ車)、右がカイツブリ(きゃあつぐろ車)。ほかに有明海に生息するムツゴロウ車(水族館22)などもある。車付きなのは、九州各地のキジ馬(福岡01・大分12)に倣ったものだろう。いずれも高さ13p。(H28.3.6)

これも杵島山人形。須古踊りは佐賀県白石町に伝わる踊りで、400年前に龍造寺隆信に滅ぼされた平井一族の残党が、祖先の霊を慰めるために行った儀式が起源と云われている。後に紹介する浮立(ふりゅう)の一種で、太鼓を打ち鳴らしながら胸の前で合掌する動作に特徴があるという(4)。現地では忘れられた感のある須古踊りだが、平井一族が逃れた先の長崎県平戸市や大村市に伝わり、今も盆踊りとして継承されている。しかし、こちらは“元祖”須古踊りとは違って太鼓は打たず、編み笠を被った男性がゆったりと手踊りするものである。ここでは杵島山人形のミミズクやゴイサギ、十二支の鶏や羊も併せて紹介した。須古踊りの高さ16p。(H28.3.6)

伏見(京都01)、豊川(愛知16)と並んで日本三大稲荷に数えられる祐徳稲荷は、肥前鹿島藩主に輿入れした夫人が京から伏見稲荷の分霊を勧請した社。その参拝土産として戦後創作されたのが能古見(のごみ)人形である。現在では十二支土鈴(兎09・蛇07・猿12)の生産が主となっており、年賀切手にも何度か取り上げられた。宝珠駒の高さ10p。(H28.3.6)

秋になると、佐賀県ではいたる所で豊作を祝う浮立(ふりゅう)が盛んに行われ、地域ごとに意匠と技を競い合う。浮立(風流)とは、もともと祭りの場を華やかに楽しくする演出で、色鮮やかな飾り物、衣装、踊り、行列、山車などをいう。すなわち、いま全国で繰り広げられている祭りの呼びものは、ほとんどが浮立ともいえる(5)。県内の浮立にもさまざまな形態があり、その一つが面浮立である。恐ろしい鬼面をかぶり、首から吊るした締太鼓(鞨鼓)をバチで打ち鳴らしながら集団で踊る(左)。お囃子は笛や太鼓や鉦。このうち鉦叩きは女性が務め、1つの鉦を2人で持って、拍子に合わせて2人同時に打つ。頭に笠を被り、手ぬぐいで顔を覆う鉦叩きの姿もなかなか風情がある(右)。いずれも能古見人形で、面浮立の高さ13p。(H28.3.6)

これも浮立の一種。南川にある琴路(きんろ)神社の獅子浮立は、秋祭りに繰り出す神輿の先祓いをする獅子舞で、この地方では“獅子わいわい”と称する。前の一人が獅子頭を被り、後の一人が尾の方になり、胴体を母衣(ほろ)で包んだ二人立ちである。頭(かしら)は扁平で丸い形をした独特のもので、頭よりも仮面と呼ぶほうがふさわしい。面浮立同様、面の周りには麻や馬の毛で作った赤熊(しゃぐま)が付いており、“バウバババウ”と聞こえる掛け声にも特徴がある。因みに青が雌で赤が雄とのこと。これも能古見人形で高さ10p。佐賀県で行われる浮立には、ほかにも行列浮立、踊浮立、一声浮立、鉦浮立、皮浮立(太鼓浮立)、念仏浮立などがあり、合わせて八種ほどに分類されている(6)。(H28.3.6)
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