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 沙羅双樹  「沙羅双樹」の画像です

 2003年作品。日本映画。99分。配給=日活、リアル・プロダクツ。監督・脚本=河瀬直美。プロデューサー=長澤佳也。撮影=山崎祐。録音=森英司。照明=佐藤譲。衣装=小林身和子。スチール=野村惠子。音楽=UA。麻生俊=福永幸平、伊東夕=兵頭祐香、麻生卓=生瀬勝久、麻生礼子=河瀬直美、伊東昌子=樋口可南子


 既存の映画文法を乗り越えた作品をつくり続ける河瀬直美監督。物語に参加するようでいて、よそよそしくもあるカメラの動き。対象との独特な距離感を持った映像が、不思議な雰囲気を醸し出す。「ならまち」を舞台に死と生が淡々と描かれる。そこには、かつての監督が持っていた粘着性は影をひそめ、静かな時間が流れる。

 ひとつのクライマックスである「バサラ祭」も、強い熱気をはなつわけではない。 町内会のお祭りの雰囲気。観客との距離は近いが、感動するほどの盛り上がりはない。監督自らが演じた出産シーンも、日常の中にさり気なく埋め込まれている。人々の生死を風土の中に溶け込ませるという「悟り」の境地に達したかのように。人々に寄り添っていた視線は、最後に空へと上がっていく。そのシーンを見つめながら、河瀬監督が、何か大切なものを失ったように思った。


 永遠のマリア・カラス  「永遠のマリア・カラス」の画像です

 2002年作品。イタリア・フランス・イギリス・ルーマニア・スペイン合作。108分。配給=ギャガGシネマ。監督・脚本=フランコ・ゼフィレッリ。脚本=マーティン・シャーマン。製作=オリヴィエ・グラニエ。リカルド・トッツィ。ジョヴァネーラ・ザノーニ。撮影=エンニオ・グァルニエリ。編集=ショーン・バートン。音楽=アレッシオ・ヴラド。音楽コンサルタント=ユージーン・コーン。マリア・カラス=ファニー・アルダン、ラリー・ケリー=ジェレミー・アイアンズ、サラ・ケラー=ジョーン・プロウライト、マルコ=ガブリエル・ガルコ、エステバン・ゴメス監督=マヌエル・ド・ブラ


 「永遠のマリア・カラス」という題名は、波乱万丈の生涯を送ったマリア・カラスの伝記的な作品を予想させるが、この映画は、マリア・カラスを良く知るフランコ・ゼフィレッリ監督の作り上げたフィクション。晩年のマリア・カラスの苦悩と矜持を描いていくが、自らの映画という表現への問いかけすら含む屈折した物語=手法を用いている。

 声の衰えた晩年のマリア・カラスを主役にオペラ映画「カルメン」を製作するが、その声は最盛期の時代の歌声を使うという企画に参加したカラス。充実した現場を楽しみながらも、「まやかし」ではないかと悩む。ファニー・アルダンがカラスを演じ、歌声のパートはカラスの声が使われる。この映画も、しょせんはまやかしではないかという問いが隠されている。

 その「カルメン」が何とも素晴らしい。カラスの歌声だけでなく、映画的にも傑作となりうるテンションを備えている。まやかしでも、虚構でも、感動的であることに変わりはない。しかし、オペラという生の舞台に立ち続けたカラスのこだわりも理解できる。ファニー・アルダンとジェレミー・アイアンズの熱演を見つめながら、アートについての思いを巡らせ、マリア・カラスの天才性をかみしめていた。長く余韻の残る傑作だ。


 28日後...  「28日後...」の画像です

 2002年作品。 アメリカ映画。114分。配給=20世紀フォックス。監督=ダニー・ボイル(Danny Boyle)。製作=アンドリュー・マクドナルド。脚本=アレックス・ガーランド(Alex Garland)。撮影=アンソニー・ドッド・マントル DFF。美術=マーク・ティルデスリー。編集=クリス・ギル。衣装=レイチェル・フレミング。音楽=ジョン・マーフィ(John Murphy)。メーキャップ・デザイナー=サリー・ジェイ。ジム=キリアン・マーフィ、セリーナ=ナオミ・ハリス、ハナ=ミーガン・バーンズ、フランク=ブレンダン・グリーソン、ヘンリー・ウェスト少佐=クリストファー・エクルストン、兵士ジョーンズ=レオ・ビル、ミッチェル伍長=リッチ・ハーネット、ファレル軍曹=スチュワート・マッカリー、マーク=ノア・ハントレー


 秘かにダニー・ボイルのぶっ飛んだホラーを期待していたが、望みはかなえられなかった。映像は魅力的だったものの、ストーリーははんぱに真面目で、半分いい加減なものだった。しかし静まり返った無人のロンドンは圧巻。狂暴化したウイルス感染者が、窓ガラスを突き破って襲ってきた時の凄まじい恐怖もハイテンション。感染した仲間を躊躇することなく切り殺すシーンが、実に寒々しい。序盤は良かったが、ラストに向かって不自然さが目立ち始める。

 不自然さの極みは、バイク・メッセンジャーだった主人公が、急に強くなって武器を使いこなし、軍人たちに単身で勝ってしまうクライマックスシーンだ。最初ひよわに見えた主人公が、愛する人を救うために、超人的な活躍をするという展開は、ハリウッドのウイルスに感染したとしか思えない。ラストは、かなりストレートなハッピーエンド。HELL+OでHELLOって、笑えない駄洒落。じつは、エンドクレジットの後に、別なラストシーンが紹介された。期待してバカをみた。こんなつまらないラストなら、わざわざ公開しなくてもいい。


 ドラゴンヘッド  「ドラゴンヘッド」の画像です

 2003年作品。日本映画。122分。配給=東宝。監督=飯田譲治。原作=望月峯太郎「ドラゴンヘッド」(講談社ヤングマガジンKC刊)。製作 プロデューサー=平野隆。製作総指揮=近藤邦勝。共同製作総指揮=濱名一哉、神野智。協力プロデューサー=下田淳行。脚本=NAKA雅MURA、斉藤ひろし、飯田譲治。撮影監督=林淳一郎。美術監督=丸尾知行。ビデオエンジニア=鏡原圭吾。照明=豊見山明長。録音=井家眞紀夫。VFXプロデューサー=浅野秀二。VFXディレクター=立石勝。視覚効果デザイン=樋口真嗣。テル=妻夫木聡、アコ=SAYAKA、ノブオ=山田孝之、仁村=藤木直人、岩田=近藤芳正、松尾=根津甚八、安藤=寺田農、福島=谷津勲、シュン=大川翔太、ジュン=吉岡祥仁


 ウズベキスタン・ロケによる広大な廃虚のセット、火山弾などの迫力あるCGは、及第点。日本映画で、ここまで頑張れば納得という人もいるだろうが、私は物語がまるでダメなので失望した。パニック・アクション映画としての基本である飢餓や葛藤がリアルに描かれていないので、緊張感が高まらない。

 飯田監督は、極限状態での人間を描きたかったのだろう。それなら、原作のエピソードを詰め込むのではなく、めりはりのある展開でじっくりと登場人物を掘り下げるべきだった。主人公の二人でさえ、人間関係の変化や苦悶が浮き上がってこない。だから、最後に「希望」を語られても、心に響かなかった。


 座頭市  「座頭市」の画像です

 2003年作品。日本映画。116分。配給=松竹。監督・脚本・編集=北野武。企画=斎藤智恵子。原作=子母沢寛「ふところ手帖」。プロデューサー=森昌行、斎藤恒久。衣装監修=山本耀司。音楽=鈴木慶一。タップダンス指導=THE STRIPES。撮影=柳島克己。美術=磯田典宏。編集=太田義則。録音=堀内戦治。衣裳=黒澤和子。照明=高屋齋。製作=バンダイビジュアル・TOKYO FM・テレビ朝日・電通・斎藤エンターテイメント/オフィス北野。座頭市=ビートたけし、服部源之助=浅野忠信、おしの=夏川結衣、おうめ=大楠道代、おせい=橘大五郎、おきぬ=大家由祐子、新吉=ガダルカナル・タカ、銀蔵=岸部一徳、扇屋=石倉三郎、飲み屋の親父=柄本明


 2003年ベネチア国際映画祭監督賞(銀獅子賞)を受賞した。「勝新・座頭市」のイメージを打ち破るとともに、既存の時代劇の枠組みも飛び越えた娯楽映画の傑作。早足なテンポが心地よい。そこに金髪の座頭市によるスピーディな殺陣、どたばたコントが投げ込まれる。湿っぽい情緒は存在しない。ビートたけし的に言えば「座頭2」「座頭3」といった世界が開かれている。

 タップを取り入れたラストの群舞がユニーク。「ゲロッパ!」でも、ラストに全員が集まったダンスシーンが登場するが、「座頭市」では座頭市や服部源之助が参加していない。それが、深い意味を持っている。「たそがれ清兵衛」「あずみ」と時代劇の地平が広がったが、「座頭市」も可能性を大きく広げたと言えるだろう。どの殺陣が良いかではなく、その多様性にこそ注目したい。


 ファム・ファタール  「ファム・ファタール」の画像です

 2002年作品。アメリカ映画。115分。配給=日本ヘラルド映画 。監督 脚本=ブライアン・デ・パルマ。製作=タラク・ベン・アマール、マリナ・ゲフター。音楽=坂本龍一。撮影=ティエリー・アルボガスト。美術=アン・プリチャード。衣裳=オリヴィエ・ベリオ。編集=ビル・パンコウ。製作=サミット・エンターテインメント。ロールとリリー=レベッカ・ローミン=ステイモス、ニコラス・バルド=アントニオ・バンデラス、ヴェロニカ=リエ・ラムッセン、ブルース・ワッツ=ピーター・コヨーテ、ブラック・タイ=エリック・エブアニー、ラシーン=エドュアルド・モントート、セラ警部=ティエリー・フレモン、大使館員シフ=グレッグ・ヘンリー、レジス・ヴァルニエ監督=レジス・ヴァルニエ


 ブライアン・デ・パルマらしいエロティック・サスペンス。カメラのしなやかな動きも、遊びに満ちた細かな仕掛けも、ハイセンスでゴージャスなセットも、ひねりの効いたストーリーも、まさにデ・パルマ。ラストに向かう意外な展開は、あざとくて禁じ手ぎりぎりなのだけれど、丁寧な伏線を生かすことで、それを快感に変えてしまう。その確信犯的な振る舞いもデ・パルマ。すべてがデ・パルマの美意識に貫かれている。だから、とても楽しい。

 キャストでは、何と言ってもロールとリリーの2役をこなしたレベッカ・ローミン=ステイモスを讃えたい。シャープで硬質な美しさは、悪女役にぴったりだが、女優としての多面的な魅力を楽しんだ。あれだけ美形だと官能も直球だ。坂本龍一の音楽も、妖しい作風にばっちりマッチしていた。


 ALIVE  「ALIVE」の画像です

 2002年作品。日本映画。109分。配給=クロックワークス。監督=北村龍平。プロデューサー=佐谷秀実、服巻泰三。アシスタントプロデューサー=進啓士郎。原作=高橋ツトム(集英社 ヤングジャンプ・コミックス)。脚本=北村龍平、山口雄大、陶山勲。音楽=森野宣彦、矢野大介。撮影=古谷巧。照明=田村文彦。美術=林田裕至。編集=掛須秀一(JSE)。八代天周=榊英雄、三枝百合華=りょう、三枝明日華=小雪、原みさ子=小田エリカ、徳武=ベンガル、小島=國村隼、松田=菅田俊、ゼロス=坂口拓、権藤=杉本哲太


 死刑執行が中止され、生き残るために密室での実験を選択した八代天周は、三枝百合華にとりついた「異次物」と遭遇させられる。ここまでの展開は、密室の心理劇が大半を占め、派手なアクションシーンはない。しかし、実験の背後に国家の陰謀が見え始めてくると、物語が大きく動き始め、アクションのテンションも上がっていく。

 決め台詞のカッコ良さ、場面転換のセンスの良さ、ラストの切れの良さは、認めるとしても、基本となる物語がばらばらのまま終わってしまう。重いはずのテーマも、アクションシーンのお膳立てに過ぎないような印象を受けた。「VERSUS」や「あずみ」に比べ作品的密度が不足している。榊英雄のとがった存在感とともに、りょうの表情豊かな妖艶さは収穫。小田エリカが、ややおとなしすぎたのが残念だった。


 
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