キネマ点心のロゴです

pinキネマ霊園pin第52回カンヌ映画祭・結果pin掲示板

 レンブラントへの贈り物 「レンブラントへの贈り物」の画像です

 1999年作品。フランス=ドイツ=オランダ合作。103分。 配給=アルシネテラン。監督=シャルル・マトン。脚本=シルヴィ・マトン。台詞=シャルル・マトン。撮影=ピエール・デュプエ。音楽=ニコラ・マトン。編集=フランソワ・ジュディジエ。美術=フィリップ・シフレ。衣装=エーヴ=マリー・アルノー。録音=ベルナール・バ、パトリス・グリゾレ、ドミニク・エヌカン。芸術監修=シルヴィ・マトン。ヘアデザイン=サノー・ド・ペルペサック。メイク=ドミニク・コラダン。下絵・模写=イザベル・ブラン。美術=ゲンナロ・ロザート(オランダ)。製作総指揮=アニャ・グラフェール(ドイツ)。製作=アンベール・バルザン。共同製作=フィベケ・ヴィンデロフ、ペーテル・ファン・フォゲルポール、エリック・シュト。レンブラント・ファン・レイン=クラウス・マリア・ブランダウアー、ヘンドリッキエ・ストッフェルス=ロマーヌ・ボーランジェ、ニコラス・トゥルプ=ジャン・ロシュフォール、サスキア・ファン・オイレンブルフ=ヨハンナ・テール・ステーヘ、ヤン・シックス=ジャン=フィリップ・エコフェ、ヘルティエ・ディルクス=カロリーネ・ファン・ホウテン、説教師=リシャール・ボーランジェ、ヘンドリク・ファン・オイレンブルフ=フランク・ド・ラ・ペルソンヌ、ヨースト・ヴァン・デン・フォンデル=ジャック・スピセール、マリア・ティッセルシャド=カロリーヌ・シオル、ホーフェルト・フリンク=フランソワ・ドライーヴ、アガタ=ベアトリス・アヴォワーヌ、ティトゥス・ファン・レイン=レオナール・マトン、ティトゥス(6、7歳)/レンブラント(8歳)=ジュール・マトン、コルネリア・ファン・レイン=リュドヴィーヌ・サニエ、公証人=ジャン・オコトレル、カレル・ファブリティウス=エメリック・ドマリニー


 知的なサスキア、官能的なヘンドリッキエ、母性的なヘルティエという3人の女性に支えられながら、不器用に生きるレンブラントの生涯を描いている。監督のシャルル・マトンは、画家でもあるので、レンブラントの作品のような光と影の魅惑的な映像をつくり出した。出演俳優に合わせて描かれる作品の顔を書き替えるという思い切った試みも評価したい。2000年セザール賞美術賞を受賞している。

 ただ、レンブラントをはじめ、登場人物が描けていない。悲劇の連続に苦しみながらも次々と作品を完成させていったレンブラントの内面が伝わってこない。それぞれの女性たちの思いも宙に舞っているようにつかみどころがない。出だしは、様々な仕掛けを楽しむ事ができたが、サスキアが死んだ後は急に地味な展開になったように思う。


 ペイ・フォワード 「ペイ・フォワード 可能の王国」の画像です

 2000年作品。アメリカ映画。122分。配給=ワーナーブラザース映画。監督=ミミ・レダー。原作=キャサリン・ライアン・ハイド。脚本=レスリー・ディクソン。美術=レスリー・ディリー。編集=ティビッド・ローゼンブルーム,A.C.E.。撮影=オリバー・ステイプルトン。音楽=トーマス・ニューマン。ユージーン・シモネット=ケビン・スペイシー、トレバー=ハーレイ・ジョエル・オスメント、アーリーン・マッキニー=ヘレン・ハント


 世の中を変えるには、何をすればいいのか。少年のアイデアが人々を変化させていく。直球タイプの社会派作品。ケビン・スペイシー、ヘレン・ハント、ハーレイ・ジョエル・オスメントという芸達者がそろった。特にアル中のシングルマザーを演じるヘレン・ハントのうまさにうなった。95%までは、とても良い仕上がりだった。
 しかし、唐突な結末で一気に下品な映画になった。社会活動をする人は殉教者にならなければならないのか。この映画の基本は誰もが行なえる善行だったはずだ。そこまでして、観客の涙を搾り取らなければ気がすまないとは、なんとあさましい考えだろう。「ディープ・インパクト」 もそうだったが、ミミ・レダー監督は良い作品をラストで台なしにする天才だ。

 Unbreakable 「アンブレイカブル」の画像です

 2000年作品。アメリカ映画。107分。 配給=ブエナビスタインターナショナル。監督・脚本・製作=M.ナイト・シャラマン。製作=バリー・メンデル/サム・マーサー。撮影=エドゥアルド・セラ。美術=ラリー・フルトン。音楽=ジェームズ・ニュートン・ハワード。ブルース・ウィリス、サミュエル・L.ジャクソン、ロビン・ライト・ペン、スペンサー・トリート・クラーク、シャーレーン・ウッダード


 「シックス・センス」の衝撃のラストが記憶に新しいナイト・シャラマン監督の新作。列車事故で乗客131人が死亡したが、ただ一人だけ無傷のままの生存者がいた。今回は最初に大きな謎を提示し、見る者を引き付ける。どんな奇抜な展開になるのかとわくわくさせられた。しかし、予想だにしないストーリーではない。肩すかしのような真相。最も犯人らしくない人物が犯人であるという定石に沿った結末である。伏線の張り方はうまいものだが。

 ブルース・ウィリスとサミュエル・L.ジャクソンという取り合わせも、生かされているようには思えない。ブルース・ウィリスは「ダイ・ハード2」(レニー・ハーリン監督)のころから、アンブレイカブルだったし、サミュエル・L.ジャクソンが虚弱な妄想家というのもしっくりこない。


 BROTHER 「BROTHER」の画像です

 2001年作品。日英合作。配給:オフィス北野、松竹。監督・脚本:北野武。プロデューサー:森昌行、ジェレミー・卜ーマス、吉田多喜男、ピーター・ワトソン。ラインプロデューサー:小宮慎二、アン・カーリ。撮影:柳島克己(J.S.C.)。照明:高尾齋。美術:磯田典宏。録音:堀内戦治。編集:太田義則、北野武。助監督:清水浩。音楽監督:久石譲。衣裳デザイン:山本耀司。ビートたけし、オマー・エプス、真木蔵人、加藤雅也、大杉漣、寺島進、石橋凌、渡哲也(特別出演)


 日・英合作による国際的なプロジェクト。ハリウッドのビジネス・システムと北野武監督の作家性を生かし合う映画製作手法としては、注目すべき成果を上げたといえるだろう。しかし、作品としてはやや期待はずれだった。「HANA-BI」で確立した独自の映像文法が失われ、おびただしい殺戮が続くだけだ。「ハラキリ」を盛り込むなど海外を意識しすぎたサービスも不快。北野流という作品は、こんなにうすっぺらだったのか。

 ほとんど死ぬためにロサンゼルスへ渡った山本をビートたけしならではのセンスで演じている。その虚無感はなかなか良い。しかし縄張りを拡大するための犠牲死や日本人の連合が物語を安易な方向へと転がして行った。マイノリティ同士の友情というほのかなテーマ性はあるものの、見終わったあとの欠落感は否定できない。


 ぼくの国、パパの国 「ぼくの国、パパの国」の画像です

 1999年作品。イギリス映画。96分。 配給=クレストインターナショナル。監督=ダミアン・オドネル。製作=レズリー・アドウィン。原作・脚色=アユーヴ・カーン=ディン。配役=トービー・ホエイル、ジョーン・マッキャン。撮影監督=ブライアン・テュファーノ。編集=マイケル・パーカー。美術=トム・コンロイ。装置=ヘンリー・ハリス。衣装=ローナ・マリー・マガン。音楽=デボラ・モリソン。ジョージ・カーン=オーム・プリー、エラ・カーン=リンダ・バセット、末っ子サジ(サジット)=ジョーダン・ルートリッジ、ひとり娘ミーナ=アーチー・パンジャビ、四男マニーア=エミル・マーワ、五男サリーム=クリス・ビソン、三男タリク=ジミ・ミストリー、二男アブドゥル=ラージ・ジェイムス、長男ナジル=イアン・アスピナル、アニ―おばさん=レズリー・ニコル、アーネスト=ゲイリー・デイマー、ムーアハウス氏=ジョン・バートン、ステラ=エマ・ライドル、ペギー=ルース・ジョーンズ、ポパ・ハーリド=クリス・ドザニー、神父=ベン・キートン、ムッラ―=カリーム・ジャンジュア、シャー氏=マダーヴ・シャルマ、シャー夫人=リーナ・ディングラ、医師=ラルフ・バートウェル、マーク=ゲイリー・ルイス


 原作「eeast is east」は、父がパキスタン人、母がイギリス人の家庭に生まれたアユーヴ・カーンが初めて書いた自伝的な戯曲。最優秀ウエストエンド戯曲賞を受賞するなど絶賛された。アイルランド出身のダミアン・オドネル監督が初長篇で映画化。カンヌ国際映画祭第1回メディア賞を受賞した。パキスタンとイギリス。異文化のきしみを孕んだ家族を、辛らつに、コミカルに描くという困難な課題を克服している。権威をふりかざし暴力をふるう父親。ともすれば悪者にされがちな父親への温かいまなざしが、作品に深みをもたらした。

 末っ子のサジをはじめ、兄弟の個性がきらめく。多兄弟家族の雰囲気が楽しい。そこに文化の違いによる危機が訪れる。父親役のオーム・プリーの熱演も評価するが、何といっても最後にびしっと決めた母親役のリンダ・バセットがうまい。それにしても、あんなに下ネタが満載とは思わなかった。


バックナンバー
1996年       4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
1997年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
1998年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
1999年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2000年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2001年 1月

点です バーのカウンターへ(HOME)

 Visitorssince2001.02.11