Here is
a list of the differences between Hackers and Crackers.
Parameters |
Hackers |
Crackers |
Definition |
Hackers are good people who hack devices and systems with good
intentions. They might hack a system for a specified purpose or for
obtaining more knowledge out of it. |
Crackers are people who hack a system by breaking into it and violating
it with some bad intentions. They may hack a system remotely for
stealing the contained data or for harming it permanently. |
Skills and Knowledge |
They have advanced knowledge of programming languages and computer OS.
Hackers are very skilled and intelligent people. |
These people may be skilled. But most of the time, they don’t even need
extensive skills. Some crackers only have a knowledge of a few illegal
tricks that help them in stealing data. |
Role in an Organization |
Hackers work with specific organizations to help them in protecting
their information and important data. They mainly provide organizations
with expertise in security and internet safety. |
Crackers harm an organization. These are the people from whom hackers
defend sensitive data and protect the organizations as a whole. |
2020年10月24日:石巻市長の発言
東日本大震災時学校側の常識では考えれないな対応によって84人が犠牲になった大川小学校の件について次のような記事が掲載されていた:2020年9月26日:防災グッズ
防災グッズとして一般的に挙げられるのは次のようなものだ:
飲料水
食料(アルファ米、カップ麺、ビスケット、チョコレート、乾パンなど)
貴重品(現金、印鑑、預金通帳、健康保険証や免許証のコピーなど)
防災ずきん、ヘルメット
マスク
軍手、手袋
救急用品(ばんそうこう、包帯、消毒液、常備薬、お薬手帳など)
懐中電灯(予備電池も)
携帯ラジオ
携帯電話の充電器
衣類、下着
毛布、タオル
くつ、スリッパ
洗面用具、使い捨てカイロ、ウェットティッシュ、携帯トイレ
ろうそく、ライター
めがね(ないと困る場合)
笛(居場所を知らせることができる)
筆記用具(紙、ボールペン、油性マジックなど)
これらがはたして災害を防ぐ品物と言えるだろうか。これらは災害時に備えておく品物であって「防災」(災害を防止すること。「―訓練」広辞苑五版)するものではない、とへそ曲がりは考えるのであります。大昔のことだが、社内報で防災グッズを直訳して"Disaster
Prevention
Goods"として上記のようなものを挙げていたので思わず笑ってしまったのである。僕はそのころゲーム業界のアメリカやイギリスの業界紙を読んで有用な記事を翻訳して社内外に提供したり、時にはアメリカの業界紙に自社の人事情報や新製品情報を提供する仕事をしていたので、毎日英文の業界紙を何誌もくまなく読んでいた。だからアメリカ人がそういった品物を"Disaster
Supplies"とか"Emergency
Suppliesなどということを知っていた。皆さんも納得されるだろう。しかし僕は、へ理屈ばかり言うやつだ(実際そうなのだが)と嫌われるから黙っていた。今日の今日まで!
だいたい日本語が悪いのであるがそれでも皆さんはその意味するところを分かっていらしゃっるから、まあ問題ないが。もし翻訳することががあれば、まてよ、と疑問を持って調べてください。笑われないように。右京さんいわく「細かいことが気になってしまうのが、僕の悪い癖。」
2020年9月5日:山下清の「長岡まつり大花火大会
毎年夏になり各地の花火大会の模様が放映されるたびにちょっと気になることがある。それは山下清の長岡まつり大花火大会(今年はコロナ禍のために中止になった)と題する張り絵と「画家」としての山下清に対する小林秀雄の評価だ。はるか昔のことだが、なぜか今でも心に引っかかる。小林秀雄全集を読んでいたとき、記憶では「山下清は知的障害者で芸術家ではない」という趣旨の一文をあった。いつも夏になると正確にはどのように書いてあったのか確認しようと思ったのだが忙しさにかまけて怠っていた。それと私の持っている全集はかなり古いもので、ハトロン紙ではなくビニールのカバーが付いて、箱に入っており、おまけに箱には帯が付いているという過剰包装で実に扱いずらい。また本に冊子がはさんである。この体裁はずいぶん長いこと日本の本ではポピュラーであった(今はだいぶシンプルになっているが相変わらず帯は付き物のようだ。)本を箱から抜き出すたびにハトロン紙や帯が破け、あちこちで読んでいるときに冊子を紛失する、とにかくうっとうしい代物だ。特にビニールのカバーは日がたつと箱に密着して本を抜き出しずらくなる。まあこの辺りも確認を怠った理由の一つともいえる。どっちにしても今は肉体的な理由で紙の本で確かめようがない。病気してからはもっぱらKindle本のような電子書籍に頼っている。電子書籍の利点は検索が容易なところと携帯性だ。僕はFire
HD8というタブレットをデイサービスや通所リハビリの際に携行して空いた時間にKindle本を読んだり、ブラウザで調べ物をしたり、Gmailを使ったり、音楽を聴いたりと重宝している。右手も麻痺はあるものの扱いにはそれほど困らない。横道にそれるときりがなくなるので話を元に戻す。結局でインターネットで検索してみることにした。随分あった。主なものを抜粋する:
・山下清ブームは画檀や文芸界の側からは露骨な批判が浴びせられるのです。戦前に山下清らの特異児童の絵が取り上げらた時、評論家の小林秀雄は「清君の絵は美しいが、何も訴えかけてくるものがない。」と吐き捨てています。
続けて「山下の絵の美しさとは『目を空洞にして見入るよりほか仕方がないようなもも』に過ぎない。」としています。
さらに小林は、戦後には、絵の底になにかをもっていない様な形だけの美しさしか知らない者は金閣寺に放火した犯人をなんら変わりがない、というような事をいいました。彼は、山下清を昭和10年代に発見した心理学者、戸川行男を批判している。
「或る心理学者が倫理観の欠如したこういう狂人(この言葉は小林秀雄が用いたもので戸川は使っていないだろう)にも美の意識はある。恐らく美の意識は、道徳の意識より人間には根底的ものだ、という論を書いていた。しかし、これは美という濫用に基づく非常に広く行き渡った誤解である。」
・成る程、清君の画は美しいが、何にも語り掛けてくるものがない、いくら見ていても、美しさの中から人間が現れて来ない。尋常な生活感情を欠いている人の表現は、人間的な意味を全く欠いている。人とともに感じ、人と共に考える能力のない狂人の画は、決して生命感を現わしていない。現れているのは、単なる運動感である。その色彩は、眼に訴えるが、心まではとゞかない。狂人にも鋭敏な色感がある事は、例えば狂人にも鋭敏な性欲があるという以上の事を意味しやしない。そういう美しさを画家は美しいとは言わないのである。
特に狂人という言葉はかなり強烈で、今そんな発言をしたらSNSで大バッシングの嵐に見舞われるだろう。小林秀雄がここまで強烈な発言に至ったのには「彼は戦後に、『泰西複製画美術展』に初めてのゴッホに触れて、その場にうずくまってしまうほどの衝撃を受けています。そのゴッホと山下清を並べて考えるなど言語道断というのが彼の意見であったでしょう。」という背景があったのだと思う。彼は狂人(キチガイ)であるゴッホが死ぬまで毎日のように書き続けたの膨大な数の手紙(彼は講演の中でそれを「告白文学」と呼んでいる)の中に、ゴッホを一狂人でなく「芸術家」たらしめている何かを見出した。
「山下清は知的障害者で芸術家ではない」という言葉については人それぞれ思うところがあると思う。僕は、見るものがその作品に美を感じたならそれはそれで立派な「美術品」だと思う。しかしその作品ないしは作家が「芸術」ないしは「芸術家」とは言えないと思う。やはり生活感情というものが底流に流れていなければならない思う。
あえて言わせてもらえれば、小林秀雄という人の評論(たとえば「ドストエフスキイの生活」)の根底にあるものは対象人物の「生活感情」であると思う。随分偉そうな、とりとめのないこと書いたけれど長年の宿題を終えたような気がする。
2020年8月30日:しんかい6500
久々に非常に興味深いTV番組を見た。有人潜水調査船「しんかい6500」とレアメタルやメタンハイドレートなどの鉱物資源、さらに熱水噴出孔付近を棲み家としていスケーリーフットの話である。もう一度見たいと思いネットで調べてみた。
するとNHKの『有吉のお金発見
突撃!カネオくん』の「お宝が眠る!?深海のお金の秘密」という番組であることが分かった。メタンハイドレートなんかの鉱物資源が日本の領海内の深海に豊富にあることは知っていたが、この番組はそれをわかりやすく数値なども示して説明してくれた。NHKオンデマンドで有料で見ることはできるが、番組紹介のWebサイトを見れば大体のことはわかるからぜひ見てほしい。
ついでに関連情報を色々調べたが、一つ残念な記事に出くわした。下記に引用する:
世界最深の1万2000メートルまで潜航できる次世代の有人潜水船「しんかい12000」の開発構想が本格的に動き出す。海洋資源の宝庫である深海底では近年、各国による資源探査の競争が激化しており、海洋研究開発機構は2023年ごろの運用開始を目指している。しんかい6500が1989年に完成してから、すでに25年。このまま開発の空白期間が続けば、せっかく日本が蓄積してきたノウハウが風化してしまう。磯崎氏は「蓄積を引き継ぐ次世代有人潜水船の開発を急がなくてはならない」と訴えている。最近ではスケーリーフットの大群集の発見では多くの人々が心躍らせ、東北地方太平洋沖地震震源海域に大きな亀裂の確認では、その有用性を証明してくれました。
2023年に向けての政府に運用開始を提言したが、予算措置は講じられていない。海洋研究開発機構は2020年代後半の完成を目指している。
天然資源の乏しい日本にとって島国であることの地の利を生かした海洋資源の開発は日本の未来を左右すると言っても過言ではないと思う。「しんかい6500」の開発にかかった費用は125億円だそうだ。「しんかい12000」の開発にいくらかかかるか知らないが、アベノマスクにかかった費用の数十倍はかけるべきだろう。金、それも税金の使い方を知らないから、頭脳流出が起こることは周知の事実だ。基礎研究に基づいて今度は採取方法などの応用研究に入るのだろうが、天然資源は地球全体の共有物だから日本の領海だからといってやたらめったら採取していいわけではないと思う。地球という視点に立って考えるべきだろう。グローバル化とは本来そういうことではないかと、ちょっと偉そうで理想主義と言われそうだが、少なくともそういう「倫理観」を持つことが不可欠と思う。
2020年7月18日:クラウドファンディング
クラウドコンピューティングとは簡単に言えば、「クラウドコンピューティング(英: cloud
computing)は、インターネットなどのコンピュータネットワークを経由して、コンピュータ資源をサービスの形で提供する利用形態である[1]。略してクラウドと呼ばれることも多く、cloud
とは英語で「雲」を意味する。クラウドの世界的な普及でオンラインであれば必要な時に必要なサービスを受けられるようになり、あらゆる作業が効率化され、社会の創造性を高めることに成功した」(ウイキペディアより。)伝統的にインターネットのを通じて各種デバイスを接続するネットワークを表すのに雲の絵が用いられてきたのはご存じの通りだ。しかし、クラウドコンピューティングは細かいことを言えばサーバーの能力をフルに生かすためかつ耐障害性を高めるために仮想化技術が必須となる。プライベートクラウド、パブリッククラウドなどの分類がある。他にも切り口によっていろんな種類がある。僕は翻訳者時代、クラウドコンピューティングの雄であるEMC(現在はDELLと合併してDell
Technologies)の技術ドキュメントやマーケティング資料の翻訳を嫌というほどやっていた。DELLはEMCの子会社であった仮想化技術のNo.1であるVMware社の技術が欲しかったらしい。DELLが財務的危険を冒してまでEMC取得を行ったのは、仮想化技術がクラウドコンピューティングのコアだからだ。能書きはこのくらいにして、僕はクラウドファンディングも当然、Cloud
Fundingだと思っていた。インターネットを通じて投資を募るのだから。ある日、英語の記事を読んでいたら、Crowd
Fundingという言葉に出くわした。ううん、と思って読み続けるとどうみてもクラウドファンディングのことだった。クラウドファンディングは、伝統的にインターネットの概念を示すCloud(雲)でなく、Crowd(群衆)のCrowd
Fundingなのだ。紛らわしいな。この辺りは、ネイティブの頭でないと分からないのかなと思う。
ある記事を引用させてもらう:
2020年6月11日、「蓮舫クラウド」という言葉がTwitterでトレンド入りし、ネットを中心に注目を集めた。発端となったのは、同日の国会での発言。この日、立憲民主党・蓮舫議員は参議院予算委員会にて持続化給付金等のオンライン申請で発生したシステム障害を問題視して、その詳細を高市早苗総務大臣に質問していた。その質疑の中で蓮舫議員は「サーバは増やすんじゃなくて、時代はもうクラウドなんですよ」と発言し、「クラウドであってもサーバを必要とするのに蓮舫はクラウドの仕組みを理解していない。IT音痴だ。」という批判が巻き起こった。だが、質疑全体を見れば、こうした批判は発言の一部を切り取った的外れなものである。
僕も連坊議員の「時代はもうクラウドなんですよ」というのはクラウドコンピューティングの仕組みをわかってないなと思った。サーバーを増やすことはそれなりに意味のあることだからだ。しかし僕もテレビでその部分だけを見ただけなのでそう思ったのだが、上記の記事を読むとそうではないらしいが。でも、「蓮舫はクラウドの仕組みを理解していない」のは事実だと思うし、素人なのだから当然のことだ。以前、蓮舫議員のスーパーコンピューターをめぐって「2位じゃダメなんですか?」発言が話題になって、その発言に対し批判も多かった。まともな反論もできない当事者も情けないと思ったものだ。しかしその発言の真意は「スピードが世界一になったところで利用者の使い勝手が悪ければ使われない、しかもすぐに抜かれるだろうという予測もある、なぜそれなのにスピードばかりにこだわるのか?」ということらしい。まあ、蓮舫議員がそこまで認識の上で発言したかどうかは疑問だが。(アベノマスクの小ささを揶揄したのはよかったが。)
それを受けて開発する側も方向転換し、アプリケーションを重視して、「使い勝手世界一」(新たなベンチマークで)の富岳の実現に至ったという。結果オーライというわけだ。
何を書いているのか怪しくなってきたので、このあたりで失礼する。
2020年6月2日:ダジャレ
通所リハビリの送迎車からやっとこさ降りるとき迎えの職員がこれじゃ「3密」になるねというとそれをネタ誰かがダジャレを言った。僕にも聞こえたが頭に入ってこない。でもうまいダジャレらしく、さすがKさんねとみんながほめた。ガヤガヤした中で、僕の耳にしっかりと聞こえたのは「壇蜜妊娠したんだって」という誰も気に留めないだじゃれだった。僕だけ笑いが止まらない。これからエレベータまで装具に3点杖で歩かねばならないのに。歩行の妨げとなるのだ。転倒の危険がある。この笑いが止まらないというのは、「強制泣き笑い」と言って「仮性球麻痺」を特徴付ける症状の一つだ。嚥下障害と構音障害は「仮性球麻痺」と「球麻痺」どちらにもあるがこの「強制泣き笑い」という「感情失禁」は「球麻痺」にはない。今は多少その症状は弱まっているが。なぜ僕だけみんながほめるダジャレに反応せず、「壇蜜妊娠したんだって」にはまってしまったのか。大学以来の友人にかつて「A君は天邪鬼だからな」と言われたことがある。不本意だが、否定もできない。
エスニックジョークというのがある。たとえば、有名な例として、沈没しかけた船に乗り合わせる様々な国の人たちに、海に飛び込むよう船長が説得を行う際次のように言う:
・アメリカ人に「飛び込めばあなたはヒーローになれます。」
・イギリス人に「飛び込めばあなたはジェントルマン(紳士)になれます。」
・ドイツ人に「飛び込むのはルールです。」
・イタリア人に「飛び込めばあなたは女性に愛されます。」
・フランス人に「飛び込まないでください。」
・ロシア人に「海にウォッカのビンが流れています。」
・日本人に「皆さん飛び込んでます。」
・韓国人に「日本人はもう飛び込んでいますよ。」
*うろ覚えなのでウィキペディアから引用させてもらった。
2020年5月9日:野鳥の巣作り
この時期になると思い出すことがある。まだ病気をする前のある日、家のポストを開けると中にびっしりとふわふわしたコケが敷かれていた。ぎょっとした。誰かのいたずらかと疑ったが、こんなことをする人がいるとはとても思えない。
ポストはのこんな形である。Googleのストリートビューをキャプチャーしたのでちょっと角度の関係で細長いし正面の細部が見えないが実際はもっと幅がある。
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正面を手前に開いて郵便物を出し入れする形になっている。また正面には、覆いの付いた幅10cm高さ4㎝程の矩形のスリットがあり、その覆いを掴んで正面を手前に開くようになっている。
どうやらコケは我が家の庭にはびこっているコケのようだった。小鳥かな、まさか...我が家の庭には桜の木が3本あり、ヒヨドリ、スズメ、シジュウカラ、コゲラ、ヤマガラなどの野鳥がたくさん飛来する。でもまさか鳥がスリットを通ってコケを運び入れるとは信じられなかった。とにかく掻き出して様子を見ることにした。数日は何事もなかったが、1週間ほどしてポストを開けると、またもやふわふわしたコケが敷かれ、その上に郵便物が乗っていた。もう一度コケを取り除いて様子を見ることにした。同じだった。またもやコケが敷かれていたのだ。
それであれこれ考えた末、スリットをガムテープでふさいでみることにした。
一件落着。二度とコケが敷かれることはなくなった。
スリットは小鳥の巣作りのためだけにあるというわけか...
2020年5月4日:「DeepL翻訳」...恐るべし
久しぶりに"Linguee"のサイトを見た。翻訳を生業にしていた頃ずいぶんお世話になった。なにせ「人の手による訳文を集めた世界最大のデータベース」なのだ。対訳形式になっており、あらゆる分野を網羅している。たとえば、「電磁波」で検索すると膨大なデータベースから次のような結果が、単語ではなく例文の形で表示される。翻訳者にはこれが欲しいのだ。Click to
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色々見ているとLingueeと並んで「DeepL翻訳」という文字列が目に付いた。Click to
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今まで全然気付かなかった。さっそく試してみて、仰天した。思わず、すげえ~、と心の中で叫んでしまった。本当にすごいのだ!
試したのは僕のWebサイトのホームページの文言だ。
「一度目の脳梗塞発病の後、ようやくリハビリ病棟に移って本格的なリハビリが始まったころ、ベッドに横になって天井をながめながら……脳細胞は一度死んだら再生しないのかな……などとぼんやり考えていた。調べる手立ては携帯電話だけ。スマホは持っていない。悪戦苦闘の末なんとかブラウザにたどりついてGoogleで検索を始めた。普段はデスクトップパソコンに21"のモニターを2台並べて仕事をしていた僕にはガラ系の携帯でブラウザを使うのは、視力も弱っていたこともあって、大変なストレスだった。それでもやっとのことで豆粒のような液晶画面の中からサンバイオとSB623いう文字列を見い出した。毎晩仕事から帰って見舞いに来る妻にこの2つのキーワードで検索をして資料を印刷して持ってきてくれるように頼んだ。翌日は土曜日だったので午後1時ころ妻が資料を持って来てくれた。驚いた。神経幹細胞を活性化し、脳神経と血管を再生するというではないか。米国での臨床試験Phase1/2aでは「急性期から6~60カ月でリハビリを3カ月以上行っても改善が見られない患者に対して行われたが、1カ月ほどで大幅に運動機能が改善を見せた。2年以上動かなかった腕が上がるようになり話し方も普通程度にまで回復した例や、歩けなかった患者がゆっくりながらも自立歩行できるまでになった」という例が報告されている。その日以来、再発後も、再生医療の最新情報をあさる日々が続いている。これがWEBサイト作成のきっかけとなった。」
この下手な日本語を「DeepL翻訳」は次のように英語にしてくれたのだ
"After my first stroke, when I was finally
moved to the rehabilitation ward and full-fledged rehabilitation began, I was
lying on my bed, staring at the ceiling, wondering if brain cells don't
regenerate once they die. The only way to find out is with a cell phone. I don't
have a smart phone. After struggling with it, I managed to get to my browser and
started searching on Google. I usually work on a desktop computer with two 21"
monitors side by side, but using the browser on my phone was very stressful for
me because of my weak eyesight. Even so, I finally found the string "Sunbio" and
"SB623" in the pea-sized LCD screen. I asked my wife, who comes home from work
every night to visit me, to do a search with these two keywords and to print out
some materials and bring them to me. The next day was Saturday, so my wife came
to me around 1:00 p.m. with some materials. I was amazed. It is said to activate
neural stem cells and regenerate brain nerves and blood vessels. In a Phase 1/2a
clinical trial in the U.S., patients who had been in the acute phase of
treatment for six to 60 months and had not improved after three or more months
of rehabilitation showed significant improvement in motor function after about a
month, including a recovery in arm movement and normal speech after more than
two years of immobility, and a slow but independent walk for a patient who had
been unable to walk. Since that day, even after the relapse, he has been
searching for the latest information on regenerative medicine. This led to the
creation of the website."
少し手直しすれば十分使えるレベルだ。いままで日本語->英語の機械翻訳でこれほどの高品質の翻訳を見たことはない。
ぜひ試してほしい。オンラインでも使用できるし、実行ファイルをダウンロードして使用することもできる。
オンラインおよびダウンロードはこちらから。
2020年4月10日:「日経バイト」...黒子(ほくろ)の不思議
「
日経バイト」誌は下記の編集方針のもと、1980年代(創刊)から2006年1月号(最終号)まで21年4カ月にわたって刊行された月刊誌である。
編集方針:コンピュータの世界で、生まれつつある新技術の動向、実証データに基づく新技術の評価、旬の技術がもたらしかねない未知なる問題の解決などに力点をおき、読者の「次のコンピュータ技術がどうなっていくのか?」「新技術をどう評価すればいいのか?」という疑問に答えます。
僕はそのうちの12年間ほど購読していた。IT中級者向けで、社内で実際に環境を構築して評価を行うなど非常に実践的な内容だった。本文のコンピュータ技術に関する記事も素晴らしかったが何よりも、SF作家ジェリー・パーネルの名物コラム「混沌の館にて」(Computing
at Chaos
Manor)が一番の楽しみだった。パーネル氏は実際にコンピューターを組み立てたり、既製品を使ったり、アプリケーションソフトウェアをインストールして評価したり、あるいはインターネット接続に苦労したりと実に多様な経験を楽しいエッセイにまとめ、約20年間に亘って連載した。当時はたとえばマイクロコム社の公衆回線用モデムを使って通信していた。僕もマイクロコム社のモデムを使っていた。モデム同士がネゴシエーションするときの、あの独特なシヤー、ピーという音が懐かしい。ある時、ATコマンドをいろいろ試していた際、誤ってダイヤルコマンドを119で実行してしまった。すぐに切ったが、折り返し消防署から電話があった。平謝りした。
終刊号は2006年1月号(no.272)である。僕はこの号を封を切らないでそのままとってある。いつか、封を切ってうまい酒でも飲みながら、IT創世記の「よき時代」を振り返るつもりだった。残念ながらそれは実現できなくなってしまったが。
ある時、当時高校生だった愚息が、僕が「日経バイト」誌を手にしている姿を怪訝そうにじろじろ見て「とうちゃんバイト探してるの..」とのたまうた。
2020年3月27:アユの稚魚+α
ぼんやりテレビを見ていたら滋賀県の名物を紹介していた。琵琶湖のアユの稚魚だった。ここではアユの稚魚を氷魚と書いて「ひうお」と読むのだそうだ。氷魚は一般には「こまい」と読み別つの魚だ。琵琶湖で養殖されたアユが全国の河川に放流されていることは知っている。だが稚魚を食するのは初めて見た。玉ねぎなとと混ぜてかき揚げにするのだ。うまそうだった。
いや違う。突然思い出した。随分前のことだが僕はアユの稚魚のかき揚げを食べたことがあるのだ。茅ケ崎に住んでいたころ、休みの日は必ずと言っていいほど、竿を背にたすき掛けし、荷台にクーラーボックスなどを積んで自転車で港に通ったものだ。目の前の烏帽子岩などに渡してもらうか、遊漁船に乗るか、あるいは小さな堤防で小物を釣るかのどれかであった。小物釣りも、石鯛の子供などが釣れてすごく面白いので大抵はそれにすることが多かった。その日も小物釣りをするつもりで用意していると、港の内側で、延べ竿を上下して何か釣っている一群が見えた。大きく竿を上げるとサビキ仕掛けにたくさんの透明な稚魚が連なってぶら下がっていた。白魚みたいだった。聞くとアユの稚魚だという。1度に10匹は付いている。みんな次々に竿を立てている。しばらく見てから仕掛けを買いに走った。極小の針が15、6本連なって、下に3号ほどの重り、上のサルカンに小魚の形を模した薄い金属片が付いたサビキ仕掛けである。やたらめったら釣れた。クーラーボックスに海水を入れてできるだけ活かして持ち帰ることにした。昼前に早々に切り上げ、白魚で一杯やる姿を思い描きながら自転車を飛ばして帰った。いざ踊り食いをしたらとても食べられたものじゃなっかった。白魚のように生卵の黄身に混ぜてみたが駄目だった。似てはいるが白魚とは全然違う。ついに妻が揚げてみようと言った。正解だった。それで昼からうまい肴で一杯やることができた。
その年は上物(うわもの)が不漁で天敵のいなくなったアユ稚魚が大量に生き残り川に遡上出来ず順番待ちの状態だったのだ。早川の河口近くに行ってみた。低い堰堤を無数のアユの幼魚が跳ねて飛び越そうとしていた。それこそ足の踏み場もない状態だった。あちこちの川を見て回ったが、小川のみたいな小河川までびっしりアユの幼魚で中流域まで埋め尽くされていた。
これを少しづつ書き始めて2週間以上になるが、PCの横に置いてあるTVでは連日コロナウイルスとオリンピックの話題を報じている。Webカメラでローマのスペイン広場、ニューヨークのタイムズスクエア、ダブリンのパブなどを見たがやはりいつもの賑わいはなく閑散としていた。
羽鳥慎一モーニングショーに玉川徹氏が出ていなかった。さてはどこからか圧力が…などと考えた。というのも先日、コロナウイルスに関連して、地方自治体の長の決定はパフォーマンス云々の言ったのだ。明らかに大阪府知事の「大阪・兵庫間の往来自粛」の提言を指しての発言があったからだ。同じように思った人がいっぱいいた。SNS上でそのことが話題になっていて、玉川氏は、いつものようこの時期にとる休暇を取っていることがわかった。
オリンピックの延期がようやく決まった。随分長くかかった。オリンピックがたとえ中止になったって命が奪われるわけではない。さっさと決めてコロナウイルスに集中すべきっだった。独占放映権を持つ米放送大手NBCがIOCの結論に従うとする声明を発表してすぐ事が動き延期が決まった。オリンピックにかまけてコロナウイルスに対するアクションが遅れたとしか言いようがない。情けないことだ。だれも責任を負いたくなかったのだ。延期が決定されたとたん、遅ればせながら都知事が動き出したと思うのは僕だけだろうか。
アスリートファーストなどと訳の分からないここを言ってる暇はない。人命第一がすべての行動の規範だろう。
話題が脱線したが、きりがないからここらで止めておく...
2020年3月15:またヤツがやって来る
今年もサクランボのなる桜の木が小さな花を咲かせた。この種の桜は花が小さく開花が早い。小さい木だが毎年結構な数のサクランボが収穫できる。病気をする前は枝ごとにごみ出し用のビニール袋で囲って必要最低限のサクランボを鳥から守った。それでも袋をかける前にサクランボがまだ赤子のうちに鳥が突いて落としてしまう。ヒヨドリだ。ヤツは収穫のために袋を外すとすぐにやってきてとなりの桜の木に止まる。いつもなら人気を感じてすぐ飛び去ってしまうのに、ことサクランボとなると逃げようともしない。いやそれどころか、俺のものだと言わんばかりに、鳴き、にらみつける。半分以上はヤツのために袋をかけないようにしているにもかかわらず。強欲なヤツだ。
今は妻が少し袋をかけて、サクランボ酒に必要な分だけ確保している。だから多分8割がたは野鳥に提供している。妻は毎年いろいろな果実酒を作るが僕は飲まない。でもサクランボ酒だけは味見する。何とも爽やかな色合いと味だ。今年もしばらくすると、またヤツがやって来るだろう。他の小鳥を追い払って。それはそれで楽しみだが...
昨日妻が切ってきて携帯で撮ったサクランボのなる桜の木の枝
2020年3月9日:コロナウイルスと「ペスト」
中国武漢での新型ウイルスの発生、感染の広がりが報じられて、すぐにアルベール・カミュの「ペスト」を思い出した。あれこれ考えていると、大学以来の友人から「同書の注文が殺到していて新潮社は1万部増刷したというニュースが新聞に載っている…」という内容のメールが届いた。僕が以前「アルベール・カミュのこと」と題するエッセイを書いたとき、彼はそれを読んで感想をメールしてくれ、偶然アルベール・カミュの「ペスト」を読んでいるところだと知らせてくれた。脳梗塞の再発以来新聞は読んでいないので有難かった。後を追って記事をスキャンしたファイルまで送ってもらい記事をPCで読むことができた。同じように感じる人がいるのだなあと思った。
ご存じの通り、カミュの「ペスト」では、ペストという不条理が隔離集団(アルジェリア北西部のオラン)を襲い、医師、市民など様々な人が様々な思いを抱いて助けあいながら不条理に立ち向かう姿が描かれている。現実は、コロナウイルスの感染は世界中に広がりを深刻な状況にある。また、不条理は集団だけではなく、個人をも襲った。例えば、最初に、海鮮市場で7件の重症急性呼吸器症候群(SARS)に似た肺炎が確認されたと告発し、「社会の秩序を著しく乱す」、「虚偽の発言をした」として処罰され、後に自身も感染し亡くなられた李文亮医師。彼は病床にあってもこの不条理(この場合は「異邦人」の底流をなす哲学的な不条理というよりも、より一般的な理不尽という言葉が適切だろう)に対してSNSを通じ、最後まで発信を続けた。また、神戸大学感染症内科の岩田健太郎教授は厚労省から「ダイヤモンド・プリンセス号」に入船を許されたが、1日で下船させられた。氏は、船内が「カオス状態」と告発した。しかしその生々しい内容に賛否両論が巻き起こり、2日後に動画を削除した。理不尽以外の何物でもない。
書きたいことはもっともっとたくさんあるが考えが渦巻いて文字にする体力がない。
2020年2月3日:耳障りな言い回し
常に耳障りな言い回しが流行ってはすたれる。たとえばなんでも、~のほう、をつける。コーヒーのほうお持ちしましたとか取材のほうお願いししますとかお食事のほうをお持ちいたしましたとか、~のほうの連発で辟易としたのは記憶に新しい。これは結構長く続いただが最近は収まってきたようでめったに耳にしなくなった。それに代わって、新たな耳障りな言い回しが生まれてる。それは「~になります」、「~するかたちになります」だ。テレビを見ていたらある学芸員の方が、「日本初の郵便ポストになります」、「ふたを開けて入れるかたちになります」とおっしゃっていたのには閉口した。特に「ご用意頂くかたちになります」のようないいかたは最悪だ。また某有名予備校の地理の先生はレギュラーで出演しているテレビ番組で「~になります」を連発するものだから見るのをやめてしまった。面白い番組なのに。次はどんな言い回しが流行るのか…戦々恐々といったところだ…もっとも耳障りと感ずる程度は人によって異なると思うが…
追加:ちょうどこれをアップロードしようとしていたら朝のニュースで日本のドラッグストアでマスク売り場に人が殺到している様子を映していた。花粉症の時期とコロナウイルスの不安が重なったせいらしい。そのときドラッグストア内のアナウンスが聞こえてきた「マスクのほうは売りきれと…」
2020年1月31日:ふしぎの国、ロシア
1976年9月6日、アメリカに亡命するためにソ連のMiG-25戦闘機が函館空港に強行着陸して世界中を驚かせた。僕も本当にびっくりした一人だ。それだけでも十分びっくりだが、アメリカに亡命後、アメリカでMiG-25戦闘機を解体調査したところ電子回路の一部に、な、な、なんと真空管が使われていたことを聞いて仰天した。MiG-25といえばマッハ3級の航空機。当時から、今もなを宇宙に人を送り続けているロシアなのだ。
僕は中学生の頃からアマチュア無線に夢中になっていて、送信機や受信機やオーディオアンプなどを自作していたから真空管には格別な愛着が今でもある。ST管のヒーターのぽっとした明りを想像するだけであの頃の興奮がよみがえってくる。秋葉原は当時中学生の僕にとってドリームランドだった。今は「旦那様」や「ご主人様」の言葉が飛交う街のようだが。電気・電子部品は何でもあったし、ジャンク屋で掘り出し物をあさり、米軍の払い下げの送信機や受信機によだれをたらし、月一度は徘徊していた。あまりにも夢中のなっていたので一度、すりの被害にあって万世橋交番で電車賃を借りてとぼとぼ帰ったこともあった。中学生の僕にお巡りさんはとても親切でしょぼくれていた僕を励ましてくれた。そうこうしているうちに高校受験の時期になった。船の無線技士になろうとしていたから迷わず前から決めていた区外の工業高校の電子科に進学したが。トランジスタの授業があったのは2年生の時だった。同級生のオーディオマニアはすでにパワートランジスタを使ってアンプを製作していた。だからそのころから真空管はもう時代から消えつつあったのだ。あれから35年余りのちに突然、「真空管」がMIG戦闘機とともに浮上したのである。
ロシアは新興5か国をさすBRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ共和国)の一員とされている。それに対してロシアは、我が国は前から大国だぞ、新興国なんかじゃないと主張している。僕もそう思うが、これはあくまで経済の話だからしょうがないかなと思うが、ロシアの言い分も十分わかる。
自動車産業もソ連時代モスクビッチという乗用車を生産していたことは知ってるが今はどうなっているのかなと思っていたら自動車産業発展戦略が策定されたというニュースがあった。ロシア独自設計の乗用車を生産して長期的には輸出を目指すらしい。いつかロシア製の頑丈な車に乗りたいものだが、間もなく免許を返上するから、それは叶わない...
コンピュータについても1950年代までは、アメリカのそれに劣らない現代的なコンピュータ部門を生み出していたが、1970年代初めに、ソ国の指導部は、ユニークな開発を中止して西側のシステムの海賊版の作製する決定を行った。その結果、部門全体が崩壊し、優秀な人材の海外流出を招いた。もしも、単一のスタンダードの欠如とこのような誤った戦略をとらなければ、ロシア製のオペレーティングシステムとCPU、PC、メインフレームがアメリアを凌駕したかもしれないという人もいる。実際、ソ連を去ったウラジーミル・ペントコフスキイ氏はインテルのマイクロプロセッサの中心的な開発者となり、彼の指導のもとペンティアムプロセッサを創り出した。
宇宙へ人を送り続ける国のこのアンバランスが不思議たる所以である。
40数年前ソ連を訪れた際まず最初に驚かされたのは、すらりとした長身の美人が多いことだった。カーリングのロシアの女子選手を見ればいい。と同時に筋骨たくましい女性たちが線路工事に従事していたのに驚いた。当時ロシア人女性と結婚をしたいなら、先ず親を見てからにしろと言われたものだ。
2020年1月23日:チバニアン
さきごろ、最後の磁場逆転が記録されている地点として千葉県市原市の養老川沿いにある約77万年前の地層が国際標準模式地(GSSP)に認定され、「チバニアン」と名付けられた。イタリアとの激しい競争の末のことだったらしい。小出市長はあいさつで「市民と喜びを分かち合いたい。これからは『千葉の時代』が世界の教科書に載るため、研究や観光に資するような展開を責任を持って図っていきたい」と述べた。森田健作知事は命名決定を受けて「県民の新たな誇りになるとともに、千葉の魅力を世界に向けて発信できる絶好の機会になり、大変うれしい」との談話を発表。ちなみに台風15号への対応でケチのついた森田健作は生年月日が僕と全く同じである(1949年12月16日)。あの時のメディアに対する受け答えを見て生年月日が同じ人間としてひどく情けなかった。今度の「チバニアン」のことで、森田知事は何かしたの?とSNSでおちょくられていた。満面の笑みで談話を発表しらしい。市長と県知事のコメントの中で「観光に資する」と「世界に向けて発信」というのがちょいと気になるが。世界遺産登録みたいな感じだ。国内に反対者もいたが、市長・市当局をはじめ市民、学者の皆さんの多大な努力のたまものだ。まあごちゃごちゃ言わないで、お祝いしよう、めでたいことには違いなのだから。でも「快挙」というメディアの言葉はいただけないな。
このニュースを通じて地球磁場が逆転することをはじめて知った。そんなことがあるんだな…新しい知識を得ることができた。磁場について色々調べていて、お粗末な勘違いに気づいた。北極がN極で南極がS極だと今日の今日まで思っていた。北極がS極で南極がN極なんだって。コンパスが考えてみれば当然のことだ。SとNは引き合い、S同士、N同士は反発するは当然知っている。でもなぜコンパスの針のNが北極つまり北を指す理由を考えたことはなかった。北極がS極だからコンパスの針のNは当然北極つまり北を指すわけだ。北極がS極で南極がN極であることは小学生程度の知識なのかなあ…まだまだ勘違いしていることが沢山ありそうだ。次に地球磁場が逆転するのは数十億年後か…なにも想像できない…
2020年1月17日:Muse細胞
Muse細胞を使用した臨床試験が現在日本で行われている。しかしMuse細胞そのものについて、日本では見当たらないが、海外では批判的意見や疑念があるようだ。その一つに"KNOEPFLER
LAB STEM CELL BLOG"のブログがあり"Dubious MUSE cells are in 4 Japanese stem cell
trials"(疑わしいMuse細胞に基づいて4つの幹細胞試験が日本で行われている)と題する記事がある。筆者はSTAP細胞のnetにおける検証でも有名な、Knoepfler博士だ。4つの試験とは、4つの異なる組織が行ってるのではなく、「脳の再生医療」ページで紹介した4つの対象疾患に対する生命科学インスティテュートが行っている臨床試験のことだ。筆者はその存在自体が疑わしいMuse細胞を使った臨床試験がなぜ日本だけで許可されるのかと問いかける。この臨床試験はClinicaltrials.gov(米国国立公衆衛生研究所
(NIH)と米国医薬食品局 (FDA) が共同で、米国国立医学図書館 (NLM)
を通じて、現在行われている治験及び臨床研究に関する情報を提供しているデータベース)に登録されていないという。また、Nature誌に掲載されたといっても、それは有料広告としてであって、通常のNatureの査読記事と紛らわしいと指摘する。この指摘を受けてNatureはMuse広告記事を撤回したという。なんか記憶に新しいSTAP細胞の二の舞となるのではないかという論調が感じられる...Muse細胞の存在証明のプロトコルについては僕など門外漢にはとても理解できるわけはないが、著者は一貫して懐疑的である。
おまけに次のようなアンケートまである。
もちろん僕は"Definitely Yes"に一票を投じた。
1/16現在の投票結果は
研究者だけが投票するわけではなく、僕みたいなのも投票するのだから科学的とは言えないが、否定的な票が多いのは残念だ。まあ臨床試験の結果を待つしかない。
2019年12月31日:機械翻訳(続)
前に機械翻訳の例を掲載したが、今度は少し本格的な論文を翻訳してみた。Chrome + Google翻訳とEdge + Translator for
Microsoft Edge(Edgeの拡張機能)を使用した。Translator for Microsoft
Edge(Edgeの拡張機能)はMicosoftの翻訳エンジンを使っているからかなり期待できる。Microsoftは一部のドキュメントに機械翻訳を使って公開している。対象読者がそのドキュメントの内容に対する知識を有するという前提があるからそれで十分用を足していると思う。うまく使い分けている。
原文 "Robot-assisted Therapy in Stroke Rehabilitation"
または
URL
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3859002/
A Chrome +
Google翻訳
B Edge + Translator for Microsoft Edge
AとB両方の翻訳結果をみて欲しい。どちらもかなり良いが、互いに補完して読むとさらに良くなると思う。どちらの翻訳エンジンもAIを実装して翻訳精度を上げているようだ。個人が情報を得るには十分な出来ではないかと思う。どちらも無料なのがうれしい。
最近は翻訳ソフトの宣伝をあまり見ないような気がする。以前は随分あったのだが、上記の結果を見るとわかるような気がする。ただ公開するにはリライトが必要だ。いまだにまれだがわけのわからない日本語のWebサイトを公開している外資系企業があるのが残念だ。
2019年12月27日:潮力発電所
宮沢賢治の「グスコーブドリの伝記」を読んでいたら潮汐発電所という言葉が出てきた。それも2か所。
もうどうしても、来年は潮汐発電所を全部作ってしまわなければならない。
計画どおり、潮汐発電所は、イーハトーヴの海岸に沿って、二百も配置されました。
あの時代に潮汐発電所というものを知っていたのか。「グスコーブドリの伝記」は1932年(昭和7年)4月に刊行された雑誌『児童文学』第2号で発表されたから、賢治はおそくとも昭和7年にはすでに潮汐発電所というものを知っていたことになる。あるいは大正時代に。
世界初の潮力発電所はフランス北西部、ブルータニュ地方のサン・マロ郊外に位置するランス川河口に、1966年11月26日(昭和21)に完成したランス潮力発電所だという。ただ潮汐発電所をランス川に建設するというアイデアは、1921年(大正10年)の
Gerard Boisnoer
から始まったらしいが、1961年まで着工されることはなかった。だから大正10年にはフランスで潮力発電というアイデアは存在たわけだが、岩手にいた宮沢賢治がおそくとも昭和7年にそれをどやって知り得たのか…
宮沢賢治といえば思い出すことがある。妻と花巻で遊んだ後、秋田に向かう途次道に迷ってあちこち走ってると妻が「とうちゃん、イギリスに着いたよ」と叫んだ。川端に「イギリス海岸」と記した看板が立っていた。
2019年12月27日:Chromeブラウザー
僕のPC環境だけかもしれないがChromeでは他のブラウザーのようにF5でページの更新できない。Webサイトを更新したときに確かめる際にとても不便だ。Ctrl+F5でもページの更新ができない。方法はClear
Cacheのような拡張機能を使うか履歴を削除するしかない。なぜこのような仕様になってるのか分からないが、とにかく不便である。豊富な拡張機能を誇り国内シェアNo.1のブラウザーだけに何とかならないものか。
2019年11月20日:韓国選手の姓名の英語表記
ずっと以前から疑問に思っていること
久しぶりにWBSCプレミア12で野球を見た。ラグビーワールドカップを見たばかりか、野球がはなんだかまだっるこしく見えてずっとは集中しては見てられなかった。パソコンをいじりながらのいわゆる「ながら見」といったところである
記憶が定かではないが、ソ連時代のロシア人に野球を見せたところ、ピッチャーとバッターの二人だけゲームをして他の選手は何をしてるのか、休憩してるのか、と言って全く興味を示さなかったそうである。確かにサッカーやラグビーなどと違い動きという点では静の時間が多いといえる。静の時間も見どころがあるのだが僕は前からずっと見続けるのが苦手である。決して野球が嫌いなわけではない。楽天の試合などはよく見る。ただし「ながら見」で、面白い場面になると目を向ける。
本題に戻ろう。韓国選手の背中に、例えば「H S Kim」のように姓名が記されている。漢字表記では、金 賢洙(キム・ヒョンス)である。だから日本なら「H
Kim」と書くだろう。なぜ名前の賢洙をHyun-Sooのようにを分割するのか。これは10数年ほど前にも疑問に思ったことである。韓国の姓は、
金(キム)kim
李(イ)Lee
朴(パク)Park
のように短くて数も極めて少ないという。だから「H Kim」さんは山ほどいる。それで「H
S
Kim」のように記述して識別率を高くしているのかななどと根拠のないことを考えてしまう。正解はなんだろう。逆に日本は姓が星の数ほど多い。だから同じ姓の人が数百人ということも結構ある。僕もそのような姓の持ち主の一人だ。
2019年11月15日:歯磨きの使いみち
いつも大昔の話で恐縮だが、40数年前僕は横浜、ナホトカ、ハバロフスク、モスクワを経てウイーンに到着した。ウイーンに2泊してアテネに行く算段をつけるつもりだった。二日目の朝とにかくウイーン駅に行ってみた。時刻表を眺めているとアテネ行きの列車があった。列車名はバルカンなんとかと書いてあった(高校世界地図、小川国夫の「アポロンの島々」それにバックパッカーのための売血の方法などを記した本しか持っていなかったので、それが映画にもなったバルカンエクスプレスであることをずっと後になって知った。)とにかく切符を買った。この時もう少し考えるべきだった。寝台車にするとか。無知だった。その時の僕は、とにかく乗ればアテネに着くだろうということにしか頭がまわらなかったのだ。たしか夕刻か夜の出発だったので、それまでウィーン美術史博物館を訪れたりして時間をつぶした。美術品はみな眩しいほど素晴らしかった。
暗くなったころ無事乗車した。念のためパンを少々と、チーズ、ピクルス一瓶を買っておいた。座席は広くて、すいていたから、これなら眠れるなと安心した。ひと眠りすれば着くだろうなどと、信じられない勘違いをして眠りについた。朝目が覚めた。高校世界地図で位置を確認した。まだ全然アテネは遠い。愕然とした。だんだん混んできた。座席に座っているのがつらくなってきた。座席を立って少し歩いて戻るともう誰かが座っている。僕の席だと主張して開けてもらう。ようやく夜になった。深夜旧ユーゴスラビアを通過中、役人らしい人が乗り込んできてパスポートやビザのチェックを始めた。うとうとして眠れない。やっと夜が明けた。結局アテネ駅に着いたのはその日の午後だったような記憶がある。2泊3日、40数時間列車の座席に座っていた。死にそうに疲れていたが、やはり若かったのだろう、駅を出て、あ~あアテネだと感激して元気を取り戻した。早速駅近くでホテルを探した。手ごろなところを見つけて、空きがあるか聞いて無事宿泊となった。エレベータで、何階かと聞かれて、エプタ(現代ギリシャ語で7の意)と答えたのを記憶してるからまあまあのホテルだったのだろう。すぐにシャワーを浴びて食事に出た。死ぬほど空腹だったのだ。しっかり飲んで食べたら元気が出てきてあちこち歩きまわってそのまま夕食もとって、夜遅くホテルに戻った。
翌日も朝から終日歩き回った。パルテノン神殿も見た。遺跡だらけのような気がした。いくら歩いても飽きることはなかった。途中で知り合った美大の先生だという人と昼食をとった。彼に倣ってケバブとトマトサラダとウーゾという酒お注文した。トマトサラダはトマトとカッティーチーズと黒いオリーブの実が入っていた。彼は野菜不足にならないように毎日食べるのだといった。オリーブの実を口に入れると、ゲッとなった。初めて食べた。こりゃだめだと思った。だけど1週間もすると癖になったから不思議である。ウーゾは透明な酒だが水を入れると白濁する。ケバブを食べながらウーゾを飲んでいると、「日本で焼き鳥を食いながら焼酎をのんでるみたいですな…」と彼は言った。話がはずんでギリシャについていろいろ教えてもらった。昼食を終えて立ち上がった時、膝に違和感を覚えたが、その後も暗くなるまえ歩き回って、また夕食にたっぷり飲んで食って夜ホテルに戻った。風呂に入って、途中で買ってきたビールを飲んでいた。そのうち立ち上がると膝がひどく痛くなってきた。激痛である。列車での疲労が今頃出てきたなと思った。そのころ僕は時々だが原因不明の関節痛におそわれた。腕だったり、肩だったり膝だったり、一度なるとなかなか治らなかった。これはまずいと思った。明日からのことが心配になった。湿布薬はないし、薬局はどこだかわからない。あれこれ思いを巡らせているうちに…そういえば歯磨きは口の中で、すっとするなと思いついた。幸い歯磨きは大きなチューブのものを2本持ってきていた。さっそくハンカチにたっぷり塗って膝に当てタオルを巻いて固定した。なんだか湿布薬を貼ったみたいにすっとした。とにかく早く寝ることにした。窮すれば通ずである。翌朝にはすっかり治っていたのだ。
2019年11月10日:ビールにまつわる話
大学以来の友人のブログの記事"コートールド美術館展
魅惑の印象派」を観て"を読んでいてそこに掲載されているポスターから美術館展はきっと素晴らしかったのだろうとな思いを馳せていたら,英国ビールに言及している箇所があり、それに触発されてビールについて書いてみようと思った。
40数年前のギリシャ旅行の途次立ち寄ったウイーンで初めてヨーロッパのビールを飲んだ。レストランで昼食時にまっ先にビールを注文した。たまたま居合わせた、日本人の観光客でビールは苦手という若い女性にもビールをすすめた。彼女は一口飲むなり目をみはって「なにこれ...」といって、おかわりまでした。あまりのうまさに僕もうなってしまった...日本で飲んでいるビールは本当にビールなのかと。
後年仕事でドイツに長期滞在した際は、もちろん、ビールを満喫した。昼食時、隣のテーブルで腰に拳銃さげた警察官がビールを飲んでいたのには驚いた。ドイツではグラスに目盛りがついている。液体がこの線を越えていなければならないのだ。グラスの半分が泡なんてことはあり得ない。したがって注文してから出てくるのに少々時間がかかる。温度は地下室の温度が基本のようである。日本のようにキンキンに冷えたなんてのはあり得ないことだ。
題名は忘れたが小説で、風邪を引いた子供に温めたビールを飲ませる場面があったのを記憶している。ヨーロッパで飲んでみて納得した。もともとビールは滋養になり、コクのあるものなのだ。つまり濃いのだ。ノドゴシがいいなんてことはない。
帰国の途次、ロンドンに1週間ほど滞在し毎日昼食パブでとった。もちろんエールビールを飲みながら。帰国してからは飲み屋では日本のビールを飲んだが、家ではエールビールを探して飲んだ。
そういえば最近はあちこちで地ビールが作られている。でも地ビール=美味いわけではない。手作りが必ずしも美味くないのと同じだ。僕のおすすめは山形の月山ビールだ。ミュンヒナーがお気に入りだ。
2019年10月1日:時蠅は矢を好む
大学のころ、なぜか機械翻訳の研究をしたことがある。まだパソコンもないころである。今となっては、理由は定かではないがおそらく一儲けしてやろうなどとよからぬ動機と思われる。文献では、"Time
flies like an arrow."が「時蠅は矢を好む」となってしまうとあった。今ではそんなことはないと思う。でもこれを「光陰矢のごとし」と訳す翻訳ソフトがあったらそれは怪しい、つまり構文解釈のロジックに従っているのではなくデータベースに、Time
flies like an
arrow.=光陰矢のごとし、と登録してあってそれを持ってきているにすぎないのかもしれないからだ。「時間は矢のように飛ぶ」くらいでかまわない。
若いころ、ある外資系の会社に勤めていた。外資系にもかかわらず、社長はからきし英語がダメだった。ある日、社長がうきうきした様子で出社してきた。そして入社したばかりの僕や秘書の女性に、ポケット型電訳機をみせて「きみいもう大丈夫だよと声をかけてかろやに社長室に入っていった。僕はそれを見てはらでは、こりゃだめだと思ったが、「すごいですね」などと応えた。ポケット型電訳機はソフトバンク社長の孫正義氏が、留学先のアメリカでこの試作機を発明して、シャープに企画を持ち込んで製品化を実現したものだ。それを資金にソフトバンクの大躍進が始まった。ポケット型電訳機はそれなりに素晴らしいものだが、それを使って米国本社の人たちとダイレクトにコミュニケーションをとれるものではない。案の定、昼食時に、社長が冴えない顔をして社長室から出てきて2度とポケット型電訳機に触れることはなかった。
機械翻訳は公共性をもつWebサイトなどではおまりお勧めできない。それをもとにリライトすればよいが。一部の市のWebサイトで機械翻訳したものを直接使って問題になったことがある。
今は無料で使えるもので、個人が情報を得るうえで十分実用にたえうるものもある。
例
To date, many animal studies
have indicated the neuroprotective effects of mesenchymal stem cell (MSC)
transplantation in ischemic stroke. Several clinical studies have also revealed
the safety, feasibility, and neuroprotective effects in ischemic stroke
patients. In this review, we present the main approaches of MSC transplantation
in ischemic stroke, the mechanisms of MSC therapy, and the current clinical
studies on MSC transplantation in ischemic stroke patients. We also explore the
safety of MSC transplantation and conclude that MSC therapy will play an
important role in the future treatment of ischemic stroke. The optimal timing,
approach, and cell dose in the transplantation are important issues for
successful clinical application.
A. Chrome + Google翻訳(拡張機能)
今日まで、多くの動物研究は、虚血性脳卒中における間葉系幹細胞(MSC)移植の神経保護効果を示しています。いくつかの臨床研究は、虚血性脳卒中患者の安全性、実現可能性、および神経保護効果も明らかにしています。このレビューでは、虚血性脳卒中におけるMSC移植の主なアプローチ、MSC療法のメカニズム、および虚血性脳卒中患者におけるMSC移植に関する現在の臨床研究を紹介します。また、MSC移植の安全性を調査し、MSC療法が虚血性脳卒中の将来の治療に重要な役割を果たすと結論付けています。移植における最適なタイミング、アプローチ、および細胞線量は、臨床応用を成功させるための重要な問題です。
B. エキサイト翻訳
今までのところ、多くの動物性の研究により虚血性のストロークにおいて間充織の幹細胞(MSC)移植の神経保護効果は示された。いくつかの臨床の研究により、虚血性のストローク患者の安全、実現可能性、および神経保護効果も明らかにされた。このレビューにおいて、私達は、虚血性のストローク患者でのMSC移植において虚血性のストロークでのMSC移植の主要なアプローチ、MSC療法のメカニズム、および現在の臨床研究を贈る。私達はMSC移植の安全も探究し、終えて、MSC療法は虚血性のストロークの未来の治療重要な役割を果たす。移植の最適なタイミング、アプローチ、およびセル一服は、成功
Aは、「脳卒中」や「間葉系幹細胞」などキーとなる単語が正しく訳されており、個人が情報を得るに十分な精度であると思う。Bはちょっと…
2019年6月7日:アルベール・カミュのこと
僕の母が入所している横浜の特養老人ホームで行われたカンファレンスに出席したり、空き家になっているぼろ屋の始末を、僕の幼馴みで日ごろ母がお世話になっているご夫婦に相談にのってもらうために、妻が横浜に行った帰り、東北新幹線の座席に置いてあるトランヴェールという小雑誌を、「父ちゃんみたいな人がいるよ」といって、レスパイト入院している僕の病室に持ってきてくれた。そこには沢木耕太郎の「水で拭く」といふエッセイが掲載されていた。当該箇所を勝手に引用させてもらう。
大学の卒論に、経済学部であるにもかかわらず作家のアルベール・カミュについて書きたいと言い出したときも、いくらか困惑した表情を浮かべながら、それでも「君がやりたいと思うことをやればいい」と許してくれた。大学を卒業し、就職した会社を一日で辞めてしまった...
僕は東京外国語大学のモンゴル語学科に在籍していた。国際関係コースを取れば卒論は専攻言語と関係ない分野でもいいという制度があったので、初めからアルベール・カミュについて書くつもりだった。どこかのゼミに登録する必要があった。幸い哲学のゼミがあった。顔合わせの初日に出席したら、三木清がテーマに決まっていた。自分で決めるものと思っていた僕は、妙に腹が立って登録だけして2度と出席することはなかった。そして勝手に「アルベール・カミュ論」なる、小林秀雄の「ドストエフスキイの生活」の手法を気取った幼稚かつ尻切れトンボの卒論を提出した。他の単位もぎりぎりであったし、モンゴル語学科として卒業させるか否か大分もめたようだが、僕のような不良学生を理解を示して下さった大恩人のモンゴル語学科のH教授の多大なる助力もあってなんとか卒業することができた。なぜか妻が僕自身見たことのない成績を知っていて、唯一古代ギリシャ語が「優」であとは全部「可」であったそうだ。卒業できる確証がなかったので前年あたりから来ていたいろいろな商社からのダイレクトメールによる面接の誘いはもちろん完全に無視していた。それどころではなかったのだ。だから卒業が決まった日に新聞の求人欄を見て、銀座にあったその業界では大手の業界紙に就職した。エレベータが小さくて、急いで乗ると正面の壁に激突してしまうようなビルだったが仕事は新鮮で楽しかったし、何よりも出勤が遅いのがよかった。ある日、編集長だったかとにかく偉い人に連れられて日本通運の原子力燃料だかなんだかの輸送に関する取材に出かけた際、日通のビルのエレベータに乗ると見上げるような背の高い女性達が乗り込んできた。聞くとバレーボールの選手だという。その谷間で二人で顔を見合わせて苦笑いをした。後にも先にもこんなに背の高い女性たちに囲まれたのはこれが最初で最後であった。しかしこの会社もつまらない理由で1か月半で辞めてしまった(1日ではない^^)。1か月半務めたおかげで、今でも東京都報道組合の企業年金、980円/年なりが振り込まれている。律儀なことだ。大変申し訳ないと思っている。
卒論を書いている際、最も感動し参考になったのは、カミュの恩師である哲学者・小説家のジャン・グルニエ氏の著作、「アルベール・カミュ―思い出すままに」である。これほど、温かいまなざしで、しかも簡潔な文章で記述し、フランス領アルジェリア時代の若き日のカミュの心象をあるいは心の原風景を自然な形で浮き彫りにした作品を読んだことはない。最近まで年に一二度は読み返していた。そんな本はめったにない。電子書籍になっていないのが残念だ。2階の書斎に卒論を書いたときに集めた本が今でもたくさん眠ってる。タバコのヤニでひどく変色しているが…先日フランス語から英語に翻訳された「The
Stranger」のKindle 版を手に入れたので50年ぶりに読み返している。どのように英語に翻訳されているのかもなかなか興味深いものがある…
2019年5月19日:ウオッカにかかわる記憶
ウオッカをベースにした果実酒をゼリーにしてもらい嚥下訓練のときに飲んでいる(嚥下反射を起して飲み込む)。単調な生活を強いられている中の、読書と並ぶ数少ない楽しみの一つだ。病気になる前は毎日酒は欠かさなかったし、一回目の発症後5か月余りの入院を経て退院した後、飲食には障害が残らなかったので酒を飲んでいた。再発後は仮性球麻痺による嚥下障害と構音障害で顔面と顎と舌が麻痺して食べることも話すこともできなくなってしまった。それでも何とか飲みたい一心で嚥下訓練に励んでいる。ウオッカで思い出すことが2つある。
1973年(昭和48年)ころだったと思うが僕はギリシャ旅行を終えて帰路モスクワで一泊して飛行機でハバロフスクまで飛び、ハバロフスクからシベリア鉄道に乗ってウラジオストクに向かっていた。ナホトカから船で横浜に帰るえる予定だった。モスクワでは赤の広場に面する、エリザベステーラーも宿泊したというナショナルホテル(?)に泊まった。昼間は、長蛇の列に並びなんとかレーニン廟を見てから路面電車に乗ってチェホフの家やあちこち見て回った。噂通りデパートは品薄だった。なるほどな…とため息が出たのを覚えている。夜はホテルのレストランで食事をした。数人の日本人のグループがいたので同席させてもらった。彼らはボリショイサーカスを楽しんできたらしくそすばらしさを僕に聞かせた。チーズとキャビアを注文してもっぱらウオッカを飲んでいた。バラライカの生演奏をしていた女性達がぼくらに気づいたらしく由紀さおりさんの曲(夜明けのスキャット?)を弾いてくれた。楽しい夜だった。翌日はハバロフスクに飛び、ハバロフスクからシベリア鉄道に乗った。ウオッカを2本ばかり買いこんで乗車した。夜になって寝台車でウオッカを1本ほぼ空にして寝てしまった。朝目が覚めると猛烈に喉が渇いて食堂車に行ってДай
мне
водыと叫んだ。何故かいざというときのために憶えておいたロシア語だ。するとテーブルについていた老人が日本語で、ビールでもどうですか、と声をかけてくれた。日本人だった。お言葉に甘えることにした。新しいビールを注文してくれた。小さな瓶だった。栓を抜くとシャーベット状のビールがあふれ出た。いっきに喉に流し込んだ。一息ついて老人と言葉を交わした。彼はシベリア抑留者だった。現地で結婚して今はオデッサで暮らしているとのことだった。色々話したが記憶が曖昧で知らぬうちに僕の中で粉飾されて部分もあるような気がする。衝撃であったことだけは確かだ。日本に帰ってからシベリア抑留に関する本をたくさん読んだ。そのため聞いた事実と本から知ったことが長い期間を経てごちゃ混ぜになってしまったのだ。
もうひとつはBloody mary without vodkaという言葉だ。ブラッディマリー(Bloody
Mary)とは、ウォッカをベースとする、トマトジュースを用いたカクテルだ。チャールズ公が皇太子のころ来日した際こう言ってトマトジュースを注文したそうだ。ずいぶんしゃれた表現だなあと思った。これもいつ頃、何で知ったのか記憶がない。Googleで検索したがそれらしいものは見つからなかった。記憶の無意識のねつ造だろうか。いや、チャールズ公が言ったのかどうかはともかく、このようなしゃれた言葉で誰かがトマトジュースを注文して何かで話題になったことは確かと思う。
2019年4月10日:句点(。)までが長い文章
ときたま明治時代の小説が無性に読みたくなる。まだ20代のころ幸田露伴の五重塔を読んで以来だ。それと樋口一葉。二人の小説には共通点がある。いくつもの読点(、)で文をつなぎなかなか句点(。)に達しない。小説を書くというよりも、物語を「語り」それを文字に起こす手法、いや、様式だ。一度、樋口一葉の「たけくらべ」の朗読をラジオで聴いたことがあるが、それはもう、間のとり方といい、リズミカルで実に心地のよいものだった。まるで頭の中で物語を名調子でそらんじてるかのように読むことができる。それが時々読みたくなる理由だ。現代小説でこの様式を用いたのは、記憶では、野坂昭如の火垂るの墓だろう。戦後派では石川淳がいる。この様式の使用が独特の文体を可能にし、何とも言えぬ雰囲気をかもしだしている。
ちなみに樋口一葉の「たけくらべ」の「一」の文字数をカウントしてみた。青空文庫からテキストファイルをダウンロードして秀丸エディタで読み込んで文字数をカウントした。ほぼ1675文字あった。幸田露伴の五重塔は「其の一」がほぼ1450文字だった。
2019年4月7日:インバウンド
通所リハビリの帰り、妻の運転する車でラジオを聴いていたら国会中継が聞こえてきた。女性議員が質問していた。「インバウンドのプロモーション」がどうのこうのといっていた。最近外国人の日本観光旅行をわざわざインバウンドというのをよく耳にする。inboundは「入ってくる、到着する」を意味する形容詞だから名詞が付かないと意味をなさない。インバウンドだけで観光客に特定するのは無理があるし、なんだか不愉快だ。だけどすっかり定着してしまったようだ。またぞろインバウンドか...と思っていたら答弁が始まった。
答弁している議員の口から、会津若松、アクセンチュア、会津大学、ICTなどの言葉が出てきた。アクセンチュアは大手の外資系ITコンサルティング会社だし、会津大学は英語で授業を行うIT分野に強いユニークな大学だ。どうやら外国人の日本観光じゃないようだ。この「インバウンドのプロモーション」はどうも外資系企業の地方誘致の促進らしいと合点がいった。日本語は将来どうなってしまうのか...
いい歳して知ったこと
次のような掲示の大人、小人、みなさんはなんと読みますか。
入園料
大人 1000円
小人
500円
正しくはそれぞれ「だいにん」、「しょうにん」だそうです。だけど窓口で「だいにん一人、しょうにん二人」とは言えませんよね^^
アルファベットのA
だいぶ前のことだがメールアドレスをおしえてくださいというので、エイ、ズィー…と始めると、エーですねとさえぎられた。そうですエイですというと、またエーですねとのたまう。意地悪な気分になってきて、そうですA、B、Cのエイです...と僕。それでも納得しないようなだ。僕のアドレスは幸い名字だからしょうがないのでひらがな読みしてアルファベットに変えてもらった。何とか決着した。お粗末な話だ。
2019年3月27日:ドイツの眼帯
通所リハビリで経腸用半固形剤を注入してくれる看護師さんが眼帯をしていたので、注入中に筆談であれこれ話していたとき、今から30年以上前にドイツにいたときに眼の具合が悪くなって現地の眼科に行ったときのことを思い出した。治療を終えて眼帯を渡された。なんと、それは黒い眼帯だった。しかも角形ではなく丸みのあるものだった。これでは海賊ではないか。ずっとつけていたかどうかは記憶にない。帰国時に持ち帰って妻に見せたような気がする。ドイツ、あるいはヨーロッパではあの海賊がつけるような眼帯が普通なのか...少し調べてみることにした。
次のようなブログがありました。勝手に抜粋させてもらいます。
ちょっと聞いてください…ドイツの眼帯(ノД`)・゜・。
何と黒でした!!!!
しかも形が日本みたく四角ではなく丸みを帯びた三角形
((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
これじゃまるで海賊です(;´Д`)
ベルリンおばばの独り言
昔、プラハでモノモライが出来ました。
ベルリンに戻り、薬局で買ったのが、この眼帯。
眼帯が黒!
これじゃ海賊ですよ!
日本のような白い眼帯はドイツでは無いそうです。
一度も使いませんでした。
やはり少なくともドイツではそのようだ。なぜあのような眼帯が海賊を連想させるのか。注入時に側にいた若い女性は、『ONE
PIECE』(ワンピース)に出てくるやつね、とおっしゃった。パイレーツオブカリビアンはどうだったかな。僕らの年代は、たぶん小さいときに少年漫画で見たか、初期のテレビ番組にそんな風なものがあったのだろう。いずれにしても普段黒い眼帯をつける勇気はないだろう。
2019年3月8日:東洋のシンドラー
20代後半、つまらない理由で、勤めたばかりの銀座一丁目にあった業界紙を辞めてぶらぶらしていたころ、タイトーという会社がスカウトキャラバンという怪しげなキャッチフレーズの下に人材を募集していた。おもしろそうだったので応募したら採用になった。あの一世を風靡したスペースインベーダの会社だった。たしか一部上場企業位の売り上げを記録し、好景気で活気に満ち溢れていた。平河町に自社ビルを持っていた。窓から国会議事堂をのぞむことができ気に入ったので入社することにした。IC不足で生産が間に合わず、どこから調達してくるのか怪しげなICのブローカーが出入りしていた。
技術部に配属になった。当時のエンジニアは基板の論理回路の設計からプログラムミング(マシン語だったような気がする。16進数だけが並んでいた)まで1人か2人で行っていた。僕は電子回路のかなり知識はあったが、途中から方向転換していたため集積回路
(Integrated Circuit)
やププログラミング(後に10年間ほどプログラミングを職業とすることになったが)に関してはまったく素人だった。そんなわけでもっぱら海外から輸入したいろんなゲーム機のマニュアルの翻訳をしていた。次から次に輸入するものだから結構忙しかった。でも実際にそのゲームで遊ぶのだから、何とも贅沢な仕事だった。その中に僕が入社する前から技術部の隅に置かれていたと思われるゲーム機があった。伝説のビデオゲームATARIのPONG(卓球ゲーム)だった。どうやらビデオゲームの開発の参考にしたらしい。驚いたのはそのマニュアルだった。マニュアルには集積回路と論理回路の基礎から応用までまるで教科書のように懇切丁寧に記述されていたのだ。面白いからこれで論理回路と翻訳を同時に勉強することができた。
タイトーの社長は創立者のミハイル・コーガンだった。白系ロシア人で日本に来る前は人の一人や二人は殺しているという噂だった。その風貌から、なるほどと思ったものだった。企画室に異動になってから社長に接する機会が増えた。ある日僕が海外支店に配布する英語の技術資料をタイプしていると、「大変でしょう、タイピストを付けましょう」と言って貿易部の女性をタイピストとして付けてくれた。初めの印象と異なり、とてもやさしく気さくな面のある人だった。
タイトーを辞めてから数年後、氏が出張先のアメリカで客死したことを新聞か何かで知った。ウクライナ生まれユダヤ人であること、64歳と思いのほか若かったことを知って驚いたがそれきり忘れていた。
その後いつだったか思い出せないが、第二次世界大戦中、外務省訓令に違反し大量のビザ発給して、大勢のユダヤ人を救い「東洋のシンドラー」と呼ばれた杉原千畝(すぎはらちうね) 氏が遅まきながらメディアに取り上げられ話題になった。たしか「ちうね」を「せんぽ」と読み違えていたことがユダヤ人たちの日本での杉原氏の特定を遅らせた原因の一つだった。僕の好奇心を掻き立てた。様々な資料をかき集めた。資料を読んでいるうちに、ユダヤ人を救った人が他にもいたことを知った。ハルビン特務機関長、樋口
季一郎(ひぐち
きいちろう)氏だった。軍人でありながら当時の同盟国ドイツの意に反して、満鉄を利用して上海へのヒグチ・ルートを開き多くのユダヤ人を救った。終戦時樺太でソ連軍に対抗する指揮を執っていたため戦後スターリンが彼を戦犯として引き渡し要求したが世界中のユダヤ人コミュニティの活動により、マッカーサーはそれを拒否したという。彼の名はエルサレムにあるゴールデンブックの4番目に刻まれている。彼に関する資料を読んでいたら突然、ミハイル・コーガンという名が出てきて驚いた。2人は満洲で交流があったのだ。そろそろ疲れてきたし、あまり熱中してると無意識に立ち上がって動こうとして転びかねないので、詳しくはウイキペディアに任せることにします。
ミハイル・コーガン
樋口 季一郎
ゴールデンブック
2019年2月4日:拝啓Microsoft様
家では光だが外出時にインターネットに接続できるようにポケットWiFiも使用している。今は外出といっても通所リハビリとデイサービス、月一度の再診だけだ。WiFiを使う時間はわずかなものだ。それでも20G/月に加入している。というのも年に数回、集中的リハビリテーションを兼ねて地域ケア病棟に2週間ほど入院するからその際ラップトップPCを持ち込んでインターネットを使うからだ。20GBあればAmazon
Prime
Videoで動画を見たりしても間に合う。今年も1月7日から21日まで地域ケア病棟に入院した。動画も見たし、eBayでアプリケーションをいくつか購入してダウンロードしたりしたが20GBを超えないように注意していた。ところがある日Windows10のアップデートが始まった。まあ大丈夫だろうと思ってみているといつまでたっても終わらない。運悪くそれは大規模なアップデートだった。それもあって1週間ほどで20GBを使い切ってしまった。制限速度では実質的にインターネットは使えない。GMAILで外部との連絡が取れない。重度の構音障害で何も話せないから携帯は解約してしまったし、タブレットなら制限がかかってもなんとかかんとかGMAILが使えるのだが持ってきていない。しょうがなく看護師さんにメモを書いて妻に連絡を取って息子のWiMaxルーターを借りることにした。宅急便なら神奈川からだから翌日につく。ところが何とかという安い方法で送ったため3日かかってしまった。アホ息子め!
Windows
Updateの半強制的な自動更新が元凶だ!Windows10になってからアップデートのポリシーがややこしくなっている。二度とこんな目に合わないように色々調べた結果、西村誠一氏作のWinUpdateSettingsというフリーソフトを使わしてもらうことにした。アップデートのポリシーの複雑さ故の作者の苦心の跡がうかがえる労作だ。僕の場合はポケットWiFiを使う時だけ禁止すればいいので、
□特定のWiFi接続中のみ禁止する
にチェックも入れてSSIDを入力すればいい。
Microsoftとの付き合いはMS-DOS以来30数年になるが実に様々なことで悩まされてきた。最初は8086の640KBというメモリ上限だ。いろいろそれを補う拡張法が出たが、エンドユーザには面倒だった。いちいち挙げたらきりがない。16MBのメモリーをリニアにマップできる68000搭載のMacintoshを使っているユーザーがうらやましかった(これはこれで、初期のOSではよく爆弾マークのエラーが出て作業中のデータが吹っ飛んでしまうという問題があったが)。いまはもう仕事に使うアプリケーションの都合でWsindowsに縛られることがなくなったのでそろそろMicrosoftともおさらばするかとも思うが、体力のいることだしそれに結構な数のWindows対応のアプリケーションがあるし…例えばMacにすると新たにアプリケーションを購入する額が相当になる…悩ましい限りだ。
2019年1月26日:映画「ALWAYS 三丁目の夕日」の頃
昭和30年代の東京の下町の庶民の生活を描いた西岸良平原作の漫画を映画化したもので、昭和24年生まれの僕は、そこに出てくる少年たちとピッタリと重なる。僕は横浜の鶴見区で生まれ育ったが同じような雰囲気のところだった。映画の中で鈴木オートに近所で最初にテレビが入った日に場面があるが、我が家が近所に先駆けてテレビを買った日のことを鮮明におぼえている。鶴見でも特にこの地域の人は、我が家も含めてあまねく貧乏だったが、にもかかわらず父は新しもの好きだった。自転車の荷台にテレビを載せて、“ラジオ屋さん”と呼んでいた人が半袖の下着姿であふれる汗を拭きながら玄関に現れた。中古のテレビを“ラジオ屋さん”がどこかで調達してきたのだ。一度“ラジオ屋さん”のうちに行ったことがあるが、なぜか6畳ほどの部屋に畳が3枚しか敷かれていなかった。
テレビは我が家の押し入れに収まった。翌日から夕方になると、狭い我が家は近所の人たちでいっぱいになった。三丁目の夕日の鈴木オートの場面と全く同じである。
映画を見てM君のことを思い出した。M君とは20代半ばで知り合った。そのころ、4,5人の仲間で年中飲みまわっていた。夕方になると銭湯に行ってから飲みに行ったものだ。しこたま飲んでみんなずいぶんと「活躍」した。M君はやっと大学を卒業してメタクソバッジを作っている会社に就職したばかりだった。いつも「ALWAYS
三丁目の夕日」が掲載されている週刊誌を持っていた。横溝正史の小説をこよなく愛する小太りのやさしいひとだった。そのM君が忽然と姿を消した。町工場を経営していた兄と2人暮らしだったが、工場の経営がにっちもさっちもいかなくなって2人で夜逃げしたのだった。
いまでも夕焼けを見ると、ときどきM君のことを思い出す。僕よりひとつ上だから、生きていれば今年で71になる…
2019年1月13日:小林秀雄
偶然面白いWEBサイトに出くわした。次の文から始まる。
正直言って、私は小林秀雄が大嫌いである。若い時、小林の書いたものを読んで、言葉遣いは華麗だが内容が乏しい、対象とする人や物に対する独りよがりの思い込みが激し過ぎる、これでもかと言わんばかりに捏ねくり回した難解かつ曖昧模糊とした表現で読み手を煙に巻くありように反感を抱いて以来、今日に至っている。それなのに、世間で小林が批評の神様扱いを受けているのはなぜか。こんなに分かり難い表現をすることが許されていいのか。いったい読者の何人が彼の評論を理解できているのか――これらのさまざまな疑問を一挙に解決してくれたのが、『ドーダの人、小林秀雄――わからなさの理由を求めて』(鹿島茂著、朝日新聞出版)である。これほど溜飲が下がる思いをした読書は、本当に久しぶりのことだ。...
調べてみると鹿島茂という人には、他に「ドーダの人、西郷隆盛」と「ドーダの人、森鴎外――踊る明治文学史」という著書がある。Kindle版がないのでどれも読むことはできないが、このサイトの続きを読めばおおよその見当はつく。若い頃から小林秀雄大好き人間の私は、思わず、ほっほ~と小さく笑ってしまった。何も目くじら立てて騒がないで、楽しんで煙に巻かれればいいじゃないか、と思う。全集はほとんど読んだが自分なりに多少は理解できたつもりだし、何よりも大切なことは知の喜びを与えてくれたことだ。あの江戸っ子らしい華麗で小気味よい文体が難解な言い回しと相俟って楽しく煙に巻かれたのである。小林秀雄の評論・エッセイ類さらに生活ひっくるめて小林秀雄というひとつの作品なのである。読む側の姿勢の違いだと思う。「捏ねくり回した難解かつ曖昧模糊とした表現で読み手を煙に巻く」、結構ではないか。文体を味わい、作者の生活を知り、読書から知の喜びをもらうのである。
坂口安吾は「教祖の文学」で小林秀雄を痛烈に批判している。安吾流に言うと「教祖に成り下がって」骨董を愛でている小林が許せないのである。「思ふに小林の文章は心眼を狂はせるに妙を得た文章だ」というのだ。宮沢賢治の「眼にていふ」という遺稿を引いて「半分死にかけてこんな詩を書くなんて罰当りの話だけれども、
徒然草の作者が見えすぎる不動の目で見て書いたといふ物の実相と、この罰当りが血をふきあげながら見た青空と風と、まるで品物が違ふのだ。」とおっしゃる。いつもながら厳しいな...坂口安吾は。そこまで小林秀雄に要求するのか。しかし根底にあるのは、小林秀雄に対するあたたかさに思える。
これは青空文庫に収録されているので是非読んでいただきたい。
麻痺の残る右手だけでキーボードを打っているのでしんどいから心残りだがここまでにします。
2019年1月7日:~を見ない前から
書斎で本を読むことげできないため、読み返したい本がKindle本にあれば新たに購入してPCやタブレット端末で読んでいる。青空文庫にあれば無料なのでこれも重宝している。梶井基次郎や坂口安吾なども無料で読める。で最近、小林秀雄の「近代絵画」がKindle本にあったので少しずつ読みかえしている。冒頭近くに「絵は何かを描いたものでなくてはならない。そして、この何かは、絵を見ない前から私達が承知しているものでなければならない。」という一文がある。どうも、「絵を見ない前から」に違和感を覚えた。「絵を見る前から」ではないかな…でもあの小林秀雄が書いているのだし…もう何十年も前、別の文章で同じような表現があり、違和感を覚えて色々調べてその時は納得した気がするが、どう納得したのか記憶がない。ネットで調べてるが今のところ回答は糸口すら見つからない。
2018年12月16日:なぜブラックアウトなのか
今年9月6日に北海道で発生した大規模停電を報じた際、NHKも含めてメディアはブラックアウト(Blackout)という言葉を使っていた。今もそうである。大規模停電という立派な(?)日本語があるにもかかわらず。Blackoutは、電気に関しては、単に停電という意味しかない。例えば、Longman Dictionary of Contemporary Englishでは、a period of darkness caused by a failure of the electricity supplyと定義されている。Merriam-Websterではa period of darkness (as in a city) caused by a failure of electrical powerだ。大規模とか広域という言葉はどこにもない。英語でも大規模停電は、Massive BlackoutとかLarge-Scale Blackoutというふうに形容詞あるいは形容詞句がつくのである。ブラックアウトは和製英語のように妙ちくりんな英語の組み合わせではなく、英語は英語だが、拡大解釈してまでなにもわざわざ横文字を使う必要はないだろう。何か意図があるのだろうか。多分これが定着してしまうのだろうな。大規模停電なら10バイトで済む( ^^)。ブラックアウトは14バイトを要する。おまけに、(大規模停電)と括弧書きの説明をつけるくらいなら初めから日本語を使おうではないか。
2018年11月16日:ガートルード・ベルとアラビアのローレンス
Amazon prime
videoでなんとなく「アラビアの女王」というタイトルの映画を観ていた。主人公の女性ガートルード・ベルは、な・な・なんと、ニコール・キッドマンが演じているではないか。で、まじめに観ることにした。
ベルは伯父が大使を務めるテヘラン大使館を訪れ、やがて数人の現地の従者を伴い、ラクダに乗って砂漠の旅に出る。当時および近い未来のアラビア情勢のキーパーソンとなる色々な部族長とも会う。途中、英国の発掘隊の発掘現場に立ち寄る。そこに若い考古学の学生がいた。一目で、おっ、あれはT.E.ローレンスだなとすぐに分かった。昔観た映画「アラビアのローレンス」でピーター・オトゥール演ずるT.E.ローレンスに、いでたちが似ていたからだ。「アラビアのローレンス」を観てすぐに中野
好夫のアラビアのロレンス (1963年) (岩波新書)を読んだものだ。それとT.E.ローレンスの著作「知恵の七柱」(Seven Pillars of
Wisdom)は原書で読んだ。もう一度原書で読みたいなと思い、Kindle版があるか探してみた。えっ!なんと99円であるではないか。結構厚い本だ。さっそく、ポチッ!速攻で買った。あの原書を買うのに当時は大枚はたいたような気がする。
なぜ実在の人物がでてくるんだろう...不思議に思って調べてみた。なんと、ガートルード・ベルも実在の人物だった。実際にT.E.ローレンスとの交流もあった。
ウイキペディアによると「イラク王国建国の立役者的役割を果たし、「砂漠の女王」(Queen of the Desert)
の異名をとったイギリスの考古学者・登山家・紀行作家・情報員」とある。
僕が知らなかっただけだ。
「日本奥地紀行」のイザベラバードといいイギリス人女性はたくましい。
Amazon prime videoで映画を観ていると新しい知識を得られることがある。
「奇蹟がくれた数式」もその一つだ。インドの天才、夭折の数学者・ラマヌジャンの短い人生を描いた映画だ。ラマヌジャンはもちろん実在の人物で、映画を通じて初めて知った。ラマヌジャンについて調べていると次々に新しい知識に出会う。
こんなに不自由な体でも、常に新しい知識が得られるのも、インターネットのおかげだと思う。
2018年11月4日:バイノーラルビートについて
左右の耳で微妙に周波数の異なる音を聴くと“うねり”(beat)が生じる、それがバイノーラルビートと呼ばれるものです。脳がその周波数の差につられて脳波をあわせてしまうという特徴、つまりエントレインメント(Entrainment:〔生物学の〕同調、エントレインメント◆生体の自律的リズムが他のものに合わせられること)が、リラクゼーション、瞑想、睡眠導入、不安の解消などのヒーリング効果をもたらすと言われています。一方でバイノーラルビートは有害だという説もあります。YouTubeにはたくさんのバイノーラルビートが投稿されており、中にはBrain
Cell Regeneration(脳細胞再生)をうたったものまであり、これらは販売もされていますが、Brain Cell
Regeneration(脳細胞再生)は根拠のない誇大広告が多い。だけど心のどこかでそれを期待して日本でK氏が販売しているデルタレゾナンスというバイノーラルビートを購入してリハビリの前とかに聴いています。もちろんこれは怪しげな誇大広告などはなく、K氏が実体験に基づいて作成した、きちんとしたものです。
そこでさっそく、ググって(Googleの動詞、名詞形はGoogling、googleのネイティブの発音はグーグルの長音があまり長くなくググルに近く聞こえます)みた。
“Binaural Beat Research & Science”と題する記事が見つかった。
これは筆者が過去3年間に収集したバイノーラルビートに関する研究論文を要約したものだが、大部分が数値的に効果を裏付けるものではないが、2つだけ数値で効果を示すものがあったのでここで紹介します。
A:バイノーラルビートの身体への効果
Giampapa博士はこの研究で、バイノーラルビートが寿命と健康全般に直接関係する3つのホルモン(コルチゾール、DHEAおよびメラトニン)の生成に大きく影響することを示唆した。
・コルチゾール値は平均して46%低下した
・DHEA は平均43%増加した
・メラトニン生成は平均98%増加した。
*コルチゾール は副腎皮質に認められ、学習と記憶に影響をし、コルチゾール過剰は私たちに悪影響を及ぼし、ストレスを引き起こします。
*DHEAは、体が必要とする実質的にすべての「良いホルモン」の「原料成分」として使用され、免疫系を促進します。
*メラトニン
は、深く自然な睡眠中に生成される化学物質です。DHEAとメラトニンがたくさんあることは、私たちには良いことです。
B:
バイノーラルビートが知性への効果
このバイノーラルビート研究は、脳波同調(BWE: Brain Wave Entrainment)
がIQと知性に及ぼす影響を調べています。
Siegried
Othmer博士のこの研究では、脳波同調によりIQの平均23%向上が見られたとしています。IQが100以下の場合、平均33%向上したらしい。これはちょっと??
まあとにかく、脳細胞再生はさておいて、何らかのヒーリンヒーリング効果ありそうなので引き続き聴いてみようと思う次第であります…
2018年9月26日
よもやま話
お迎え
デイサービスや通所リハビリに行っていると”お迎えがくるまでちょっとお待ちください”に類した言葉耳にすることがある。高齢者にとって、お迎え、は…つい笑いが…。話ができれば”まだお迎え要りません”と言いたいところだ。
ヘルスメーター
妻が小耳にはさんだ近所のばあちゃの会話。うちの旦那、酸素吸入必要になってボンベ持ち運ぶようになったのよ、それでも毎日遊びに出歩くんだから、頭来るよ。そうなの大変ね、うちのは心臓悪くて、えーとあれほら、そうそうヘルスメータ埋め込んでるのよ。ああ...そう...それも大変だわ。車の運転に差し支えるほど一人で大笑いして出かけたそうだ。ヘルスメーターを埋め込める人間、どんな人間だろう。僕も笑いが止まらなくなってしまった。
脳梗塞の再生細胞薬の投与方法について
毎日のように再生細胞薬に関する情報を検索しているけど最近気になる情報をがあった。インタビュー記事の中で再生細胞薬投与方法に関して次のような記述があった。
「...投与経路を考えるうえで、脳卒中発症後の時間と、細胞の働きは重要です。発症後早い段階では、脳が発するシグナル(ホーミングシグナル)があり、動脈や静脈、髄腔内に投与された細胞は、損傷領域に引き込まれます。しかし、慢性期には、そのシグナルは消えてしまいます。つまり、慢性期では、静脈、動脈、髄腔内投与ではなく、損傷部位に直接注入しないと、そこで効果を発揮するのはむずかしいのです。...」
現在実際に慢性期患者に脂肪由来の幹細胞を静脈投与している病院もあり、効果も示されているが...それはリハビリによるものかなんとも判然としない...フラボノ効果みたいなものかなあ...
僕は2回発症して、慢性期だし、2回目の発症は外科手術の出血に備えてプラビックス(
血小板凝集抑制剤)を2週間前前から休薬したことが一因なので、頭蓋骨に穴をあけて針で再生細胞薬を損傷部位直接投与することには若干不安がある。休薬期間がもっと短いか、しなくてもよければいいのだが。
いずれにしても何らかの治療を受けられる日が確実に近づいているからそれを励みに頑張ろうと思っている。
嚥下障害と構音障害について
嚥下は微小だが改善しつつある。朝昼晩ラコールという経腸用半固形剤を2パックずつ経管注入していたが晩だけ1パックにして不足分のカロリーは40度仰臥姿勢でトロミをつけたソフト食(嚥下食)で経口摂取できるようになった。酒もとろみを付けて100mL程度飲み込んでいる。数少ない楽しみの一つだ。ソフト食は妻が試行錯誤しながら色々なものを作ってくれる。とろみの程度がなかなか難しいらしい。明日から、新潟の銘酒、吉乃川だ。構音障害の方はほとんどか改善なく、言語を口から発することができない。この仮性球麻痺というやつはなかなか難敵で再生医療を受けても回復する見込みがないかもしれないがリハビリだけは欠かさない。
運動の前準備
手足などを動かす際各部に前準備をするように伝達する神経系統が2回目の脳梗塞発症でダメージを受けたため、また姿勢制御にかかわる網様体路が両側ダメージを受けたため、安定した4点杖での歩行はいまいちだがそれでもリハビリによって少しずつだが改善している。2階にも手すりを使って上がれるようになった。継続は力なり!
2018年9月26日:銀髪のオーラ
大学はたまにしか行かず、行っても講義で出るわけでもなく、たまり場になっていたH教授の研究室にたむろして、夕方になると集まってきた数人と教授も一緒に飲みに行くのが常だった。地元の仲間とも頻繁に飲みに行ったから、1年300日以上は飲んでいただろう。僕は講義や授業という形で人からもの教わるのが高校時代から苦痛かつ苦手で、受験勉強なども独学でやってきた。だから大学でも講義に出るより本を買って読んだ方が手っ取り早いので出席しなかった。といえば聞こえはいいが、自分に興味のあることしかやらないの云う生来のナマケモノなのかもしれない。講義は出ないし、学部とは関係のない勉強ばかりしていた僕のようなものでも、あの頃は、なんとか卒業できたのである。今はなんだか高校の延長のようだと云う。
そんなある日、研究室に一人いると、何の集まりだが忘れたが、教授から僕に一緒に行かないかという誘いがあった。会場に着くとかなりの人がいたが、中からふさふさ輝く銀髪の人物が現れて、教授に挨拶した。司馬遼太郎だった。僕も”うちの学生のAです”と紹介してくれた。司馬氏はこやかに何か言って握手してくれた。分厚い掌の感触と、あの輝く白髪と云うよりも銀髪から発せられるオーラに圧倒されたのをおぼえている。教授は司馬氏に頼まれてチンギス・ハーンのモンゴル帝国やその後の元朝関係の資料の提供していたらしが、教授は、後日、やたら資料を欲しがるんでね…、と少々困ったような顔をしていた。ちなみに僕は司馬遼太郎の作品を未だかつて一冊も読んだことがない。
2018年8月5日:アビーロードのWebカメラ
時々Webカメラでアビーロードの様子を見ている。必ずといっていいくらいあのビートルズのアルバムジャケットの写真のポーズを取る人がいるのがおかしい。それを写真を撮るなど危なっかしい行動をとる観光客らしき人みいる。急ブレーキの音が聞こえたリすることもある。いつも気になっていたのだが横断歩道手前の白線がなぜジグザグなのか。調べてみると、例のポーズを取る人が多く接触事故や死亡事故まで起きたのでジグザグの線にしたとのこと。これは横断歩道を歩く人がいたら車は絶対に止まらないといけないという印だそうだ。信号機を設置すればいいと思うのだが。現在は文化遺産に登録されているという。そのせいで設置できないのかな...でもご覧になればおわかりのように本当に危険だと思う。今は夏時間だから時差は8時間であることをお忘れなく。
2018年5月10日:Ach So
タクシーに乗ってウイーンの街を旅するというBSのテレビ番組を見ていたら、おばさんのタクシードライバーが、後部座席の日本人の話しかけにこたえて、アッソウ(アッソウとアッゾウの間くらいに聞こえた)と相槌を打ったので思い出したことがある。ドイツに転勤になって数ヶ月経った頃のことである。同僚の日本人と世間話をしていたとき、ドイツ人の女性秘書が、あなたたちの話を聞いてるとよく、アッソウと言うけど、それひょっとしてドイツ語のAch
Soと同じ意味じゃない、と英語で言ったのだ。僕たちはほとんどドイツ語ができないので現地の人とは英語で会話していた。さっそく手元にあった独和辞典をひいた。驚いた。彼女の言う通りだった。音が似て意味も似ていた。僕たちの会話の中によく、アッソウが出てきてそのタイミングから、どうもAch
Soに近い意味ではないかと思ったというのである。なんだか3人ともうれしいような気持になって、笑顔になったのを思い出した。
脳梗塞発症の前日まで翻訳の仕事をしていた。納期に追われるため1日10時間以上パソコンに向かう日々が多く、手首の疲労を抑えるため、また、能率をあげるためにマウスによるコマンド選択はせずにもっぱらコンビネーションキーを使っていた。たとえば、Ctrl+C、Ctrl+V、Ctrl+Shift+U等々、Windows固有のもの、アプリケーション独自のもの、様々ある。片手しか使えないようになった今、コンビネーションキーの使用はなかなか困難になった。キーが片方の指で届く範囲あればなんとかできるが、Ctrl+
Alt+
Del(タスクマネージャーの起動、ログオフなど)のような場合は困ってしまう。僕の手の大きさではこの3っつのキーを同時に押すことはできない。今使っているキーボードはAltキーが右側にはないからだ。何か便利な方法はないかと調べていたらありました。固定キー機能という機能で、初めて知った。まずShiftキーを5回連続で押す。すると固定キー機能を有効にしますか?
という確認画面が左上に表示される。[はい (Y)]
をクリックする。後はCtrl、Alt、Delを順番に押すだけ。片手しか使えない人にとってはありがたい機能です。ちょっと大袈裟かもしれないが、窮すれば通ず、といったところかな。
2018年4月29日:オリジナルTシャツ作りました
十数年前山形の西川周辺の物産館で買った月山をモチーフにしたTシャツがやたら気にいってその後も行くたびに同じものを買っていたが、ついになんとか着られるものが一枚になってしまった。夏は昼も夜も、また1年中パジャマ代わり着ていたので1年でダメになる。同じものはもう売ってない。そんなわけで、それをイメージしたオリジナルのTシャツを作ることにした。WEB上でデザインして簡単に作ることができた。1週間ほどで届いた。2枚で4,800円なり。
もとになったTシャツ 新たに作ったTシャツ
2018年3月29日:集合住宅の名前
先日送迎車に乗ってたら、デイケアに向かう途中、カーサXXXという高齢者向けの7階建て集合住宅に寄って老齢の女性をピックアップした。「カーサ」か……カーサまたはカサはラテン語系の言語で「家」を意味する。カサ・ブランカは白い家という意味である。それで思い出した。20数年前、まだ会社員だった頃、米国の本社の人事部から、今度グローバルに勤続年数に応じてプレゼントを贈るプログラムを始めるから、社員の名簿を英語にして送るようにというリクエストがあった。僕はその頃、情報システムの管理職を務めていたが、何故かお前のところでやれということになった。人事情報データベースから必要と思われるフィールドのレコードを抜き出してデータファイル作り、アシスタントの女性に指示するためにデータを眺めて、名前はローマ字にすればいいし、住所はローマ字にしてフォーマットを教えればいいな……などと考えていた。ところが、見るとメゾンXXX、パレスXXX、XXXマンション……というのがちらほらある、むむ…山田課長はパレス(宮殿)に住んでるのか……う~ん、日本語で書く分には構わないが、横文字にするには恥ずかしいような。アメリカから日本になにか送るとき、国名をJapanとしておけばあとは日本語でいいはずだ。日本語でいいか米国本社担当者に聞いてみた。答はノーだった。予想通りだった。彼はミシガン州の信号機が一つしかない町の生まれだ。しかし、その後すったもんだしているうちに、結局、プレゼントの種類とそれぞれの数量を知らせろ、まとめてプレゼントを日本法人に送るから、そちらで配布しろ、ということでチョンとなった。
今はどんな名前があるだろうと思って検索してみた。XXXハイム、レジデンスXXX(まあこのあたりはなんとか)、エスポワールXXX(希望、仏語)、メルヴェーユXXX(驚異、仏語)、レガーロXXX(贈り物、イタリア語)。リュミエールXXX(明かり、仏語)、エスペランサXXX(希望、ポルトガル語)、レーベンXXX(生活、独語)、サンクレイドル(Sun
Cradle=太陽+ゆりかごのつもりらしい)、アビタシオン(住居、仏語)、タウンイーストガン(不明)、キャッスルマンション(何とも言えません)……自分がそんなところに住んでいたら、外国の友人に横文字の住所をおしえるときなんだか気恥ずかしいような名前ばかりですね。部屋番号だけで届くところならいいけど。
建物に外国語の名前を付けるのは日本だけかと思っていたらそうではなかった。先日テレビをみていたら、驚いた。桜木花道、久石譲、小室哲哉……どれも台湾の建物に付けられた名前だ。日本人の名前を付けると高級感が増すのだそうだ。その数日前にAmazonプライムビデオでスラムダンクを見ていたから桜木花道がでてきてたまげてしまった。
2018年2月27日:カラスの話
カラスが自動車にクルミをひかせて中身を食べるという話があるが、僕が経験したのはちょっと違う。港から外海に出る水路の両側が高さ2mほどの堤防になっている。外海に突き出している堤防と違って多少海が荒れても安全な釣りができる。ある日ぼくはそのような場所で竿を出していた。竿先に集中していたそのとき背後に何か危険を感じて思わず首をすくめた。カラスが僕の頭上すれすれを飛んでクルミを堤防にぶつけていたのだ。目を疑った。よく見ると、堤防の下にクルミが5,6個ころがっているではないか。「自動車にクルミひかせて」というのは、クルミを落として割ろうとしたところにたまたま自動車が通ったのではないかな。それともその光景を学習したか。
もうひとつ経験は、朝日山公園でウオーキングをしていたときだ。突然後頭部に衝撃を感じた。頭を上げると前をカラスが飛んでいくではないか。恐怖を感じた。家に帰ってすぐにネットで調べた。子育て中のカラスは人が近づくとよくそのような行動をとるらしい。よく言われるように、つつくのではなく、ぶつかるのだそうだ。その後も何度かぶつけられたので、禿げ頭のせいかなと思い、帽子をかぶることにした。
2018年2月2日:冬タイヤ
私が宮城県に住むようになったころは、まだ冬タイヤといえばスパイクタイヤだった。スパイクタイヤは和製英語で標準英語ではStudded
Tire(鋲を埋め込んだタイヤ)だ。それを知ったのは、その頃勤めていた外資系企業のアメリカ本社から人が来て対応していた時だった。車に乗せてレストランに向かう途中、道路のわだちを見てなんでこんなに道路がけずれているのかと聞かれたのでスパイクタイヤのスパイクで…と答えたら、すぐには通じなかった。相手はややあって、そうかスタッドで削れるのかなるほどと言った。
だから日本ではスパイクタイヤのスパイクのついてない冬タイヤはスパイクレスタイヤと呼ぶのかと思ってたら、なぜかちゃんと、スタッドという英語を使ってスタッドレスタイヤになっているではないか…結構なことだ。ついでに英語のウイキペディアでSnow
Tire(Winter
Tire)の記事を読んでいたら”すべての日本の都道府県では最南端の沖縄を除き、凍ったあるいは雪解けの道路では車両は冬用タイヤやタイヤチェーンを装着する必要がある。スノータイヤのトレッド溝がその元の深さの50%以上摩耗場合、法的要件を満たすために交換しなければならない。ドライバーはスノータイヤやタイヤチェーンの要件に従わない場合は罰金を科される。”という記述あった。へ~と思って調べてみたら、ありました。
宮城県道路交通規則 第14条第1号
積雪又は凍結のため、滑るおそれのある道路において、タイヤに鎖又は全車輪に滑り止めの性能を有するタイヤ(接地面の突出部が50パーセント以上摩耗していないものに限る。)を取り付けるなど滑り止めの方法を講じないで、三輪以上の自動車(側車付きの二輪の自動車及び小型特殊自動車を除く。)を運転しないこと。
ノーマルタイヤでの雪道走行は違反とは知ってたけど。
2018年1月5日:WEBカメラのスナップショット
WEBカメラの中にはスナップショットが撮れるものもあります。前に紹介したダブリンのTHE TEMPLE BARとドイツのブリュッケン・ラウンドアバウト(環状交差点)のスナップショットを撮ってみました。それぞれ、1月5日11:36と1月5日12:46。写真に写っている白いバンに"gsls"と印してあるがこれはダブリンの大手物流業者だそうです。右の写真はいかにもドイツらしいですね。きっと道路には、塵ひとつないのでしょうね。ドイツ人のきれい好きは、ドイツからフランスに歩いて移動するとその違い歴然です。ずっと前ドイツで仕事をしていたとき、同僚に夕食に招かれた際、キッチンを見て驚いた記憶があります。本当に使っているのかなと疑うほどピカピカでした。内も外も清潔感に満ちた環境は、僕みたいに京浜工業地帯の雑然とした環境に育った人間には、必ずしも居心地がいいわけではありません。やはり「適度」がいいですね。
2018年1月3日:王徳中(?)
2日の夜9時過ぎにTVのチャンネルをあちこち変えていたらNHKで越路吹雪の映像が映っていた。モノクロである。ナレーターが彼女は当時珍しくヨーローッパのオートクチュールを着ていたと云っていたので、あることを思い出した。それはクラシック音楽の作曲家、團伊玖磨氏のパイプの煙というエッセイ集の中に一話である。話の内容はもう定かではないが要約すると次のとおりである。あるご婦人と話していたがオートクチュールのイントネーションがちょっと変だなと思った。話を続けているうちに、どうやらご婦人は、オートクチュールを中国人の王徳中(?)というデザイナーと思っているらしいというのである。
2018年1月1日:世界のライブカメラ
世界のライブカメラで世界各地の様子を見るのはちょっとした気晴らしになる。僕が気に入っているのはアイルランド、ダブリンのTHE TEMPLE BARというパブの周辺に設置されているライブカメラだ。2018年の新年も起きてすぐにカメラを見たが10時を過ぎていたため、新年を迎える瞬間の様子は見逃してしまった。それでも深夜にもかかわらず大勢の人で賑わっている様子を見ることができた。かねてからこの”BAR”は酒場の意味で使っているのかな、と気にかかっていたのでTHE TEMPLE BARのWEBサイトで調べてみた。Historyに説明があった。BARR(後にBARと短縮された)とは砂州を形成する砂の堆積を意味し、その上を歩けるようになっている。17世紀、William Temple卿を祖とするTemple家の敷地がリフリー川のその砂州周辺にあったことからその地域がTemple Barと呼ばれるようになったとのことである。つまらないことが気になるたちの人間にとって便利な時代だ。ちなみにTHE TEMPLE BARは、パブの他にshopやstoreなど手広く商売をしているようです。
2017年12月19日:井伏鱒二(イジョウタルジ?)
茅ヶ崎の鶴が台団地に引っ越して数年後、茅ヶ崎駅もようやく新駅舎(ウイキペディアによると昭和60年=1985年)になった。それまでは湘南の名に似つかわしないおんぼろ駅舎だった。同時に、茅ヶ崎ルミネという名称の駅ビルもできた。駅ビルの中に小規模ながら書店が入った。ちょうどその頃、井伏鱒二全集の刊行が始まったのでさっそく注文しておいた。ある日いつものように、遅く帰宅すると女房がひどく楽しそうな様子で本屋から電話があったと言った。なんでも、電話の向こうから「イジョウタルジの第1巻が入りました」と若い女性の声がきこえたそうだ。最初、何のことやらわからなかったが、ややあって、ようやく合点がいった。電話の主に説教してから電話を切ったそうだ。今でも茅ヶ崎という地名を聞くたびにそれを思い出して笑ってしまう。
2017年12月7日:ババヘラアイス
今や秋田名物のひとつになっているババヘラアイス。「ババ」が専用ヘラでアイスを盛り付けて販売することから「ババヘラアイス」と呼ぶそうだ。イチゴのフレーバーのピンクとバナナのフレーバーの黄色をどう盛り付けるか、それがババの腕の見せ所らしい。道端にパラソルを立てて販売している。ある年の夏、男鹿市の女房の実家で1週間を過ごして帰ることにした。たまには高速を使わず海沿いの7号線で帰ろうということになった。途中、道の駅があれば必ず寄った。海を臨む温泉など、どの道の駅もそれぞれの特徴を出していてとても楽しかった。道路際に特徴的なパラソルがちらほら見え、女房が、どこまであるんだろう、とつぶやいた。それでそのまま南下してババヘラアイスの南限を突き止めてみようということになった。結論から言うとそれは山形の遊佐だった。ちなみに僕の女房は秋田県人にもかかわらず、ババヘラアイスは仙台の秋田料理屋で初めて食べたそうだ。
2017年11月11日:上杉謙信
昔、農協の海外旅行が盛んだった頃(昭和40年代?)、からかい半分で農協英語なるものがあった。"What time is it now"は"掘った芋いずるな"といった具合である。では上杉謙信は?ウェストケンジントンである。昭和40年代のある年、僕はギリシャ旅行を終えてイギリスに飛んだ。ヒースロー空港に到着して、2番目に並んで入国手続きを待った。すぐ自分の番が来た。1週間ほどロンドンで過ごしてロシアを経由で帰国するつもりだった。目的は、大英博物館を訪れることとそのころ好きだったアラン・シリトーの原書を買うことだった。今でも鮮明に覚えている。博物館に入ったとたん、あのロゼッタストーンが目の前に鎮座しているではないか。すごく感激した。大英博物館を訪れる人なら事前に知っているものらしいが。話を戻すと2、3ありきたりの質問の後、いきなり別室へ連れていかれたのだ。ぼくの風体とアテネから来たこと、さらに帰りのチケットを持っていないことが理由らしい。チケットの件はちっとばかりややこしいので説明してもなかか納得しない。そのうち面倒になったのか、もういいと言って解放してくれた。荷物をとってすぐに空港内のインフォメーションに向かった。ホテルを紹介してもらおうとしたが料金を聞いてやめた。ギリシャでは、3000円も出せばそこそこのホテルに泊まることが出来たのだ。700円というところもあった。バス乗り場に向かった。そこで、"Is this bus for 上杉謙信"とたずねた。"Yes"という答えが返ってきたのだ。さっそく2階建てのロンドンバスに乗り込んで、ウェストケンジントンに向かった。
2017年11月1日:ジビエ・白神の館
秋田県能代駅のすぐ近くにあるジビエ・白神の館。上から順に鹿肉、熊肉、猪肉、ホロホロ鳥のようですね。経口摂取できる日が来たらホロホロ鳥の肉でも取り寄せて食べてみたいなあ.....
2017年11月1日:シモコシ
宮城県南部の浜沿いの松林でとれたシモコシ。枯れ落ちた松葉の下に埋もれているため大掃除をしなければならない。季節になるといたるところ大掃除のあとだらけになる。子供のうちは地中に埋まってをり、丸っこくてとても可愛い形をしている。地元の人は、キンタケと呼んでいる。キンタケはキシメジで別物であるがやはりキンタケと呼びたい。とにかく松葉を掻き寄せて見つけた時の嬉しさはたとえようがない。女房と競うように松葉をかき分けたものだ。砂が付着して後始末が大変なキノコだが、それはすべて女房に任せて、僕は明るいうちから、キンタケのバター炒めを肴に一杯やるのが常だった。それも2011年3月11日が最後になってしまった。
2017年11月1日:加茂水族館
山形県鶴岡市にある加茂水族館
直径5 メートルのクラゲドリームシアター
新館建設にあたっては、資金を市の内外から募る目的で加茂水族館クラゲドリーム債を発行した。旧館も職員の方々の手作り感があってよかったが、新館になってより一層クラゲを楽しめるようになった。ただし個人的には2つ不満がある。旧館では売っていたイカ、クロダイ、ヒラメなどのフィギアの付いた携帯ストラップがなくなっていることと気に入ったクラゲのデザインのTシャツがなかったことだ。
2017年11月1日:バカ者になりたい
A fishing rod is a stick with a hook at one end and a
fool at the other.
18世紀イングランドの文学者(詩人、批評家、文献学者)サミュエル・ジョンソン(Samuel
Johnson)の言葉。数多くの名言・警句を残している。これはそのうちのひとつで、「釣り竿は一方に釣り針を、もう一方の端にバカ者をつけた棒である」というほどの意味である。釣りをやる人ならフフンとうなずくだろう。だけど本当の「バカ者」になるまでには、配偶者を含みまわり人々に多大な迷惑をかるけし、相当な労力と年月を要する。それでも「バカ者」になりたいと思うのであります。サミュエル・ジョンソンの警句をひとつ紹介する。It
is observed, that a corrupt society has many
laws.(腐敗した社会には、多くの法律がある。)なんとなくおさまりが悪いので、「腐敗した社会ほど、法律の数が多いものだ」としたほうがいいような気がする。