◎梅澤佑介著『民主主義を疑ってみる』(ちくま新書)
「民主主義を疑ってみる」というタイトルには逆張りっぽいところがあるけど、決して著者は逆張りを狙っているわけではなく、民主主義は、自由主義、共和主義、社会主義によって補完される必要があるということを本書で説いている。その点は本文の最後にある次の文章が如実に語っている。「いずれにせよ、民主主義はいまの政治の世界を構成する政治思想のうちの一つにすぎません。それは善き統治の必要条件ではあっても十分条件ではありません。一つの原理に拘泥することなく、目的達成のためであれば、状況に応じて異なる原理を利用することも厭わない。民主主義国家の主権者たる市民には、このようなマキャヴェッリ的君主であることが求められていると言えるでしょう(347頁)」。まあチャーチルさんによれば、「民主主義は最悪の政治形態といわれてきた。他に試みられたあらゆる形態を除けば」ということらしいしね。
まず「序章 人間と政治」に関しては、次の重要な指摘を取り上げておきましょう。「人間は全知全能の神ではありません。自分の思うがままに世界をつくり変えることはできませんし、慣性の法則や万有引力の法則といった自然法則を一から設定し直すこともできません。外面的な自然はおろか、自身の内面的な本能ですら完全に統御することはできません。一見明確な意図や見通しをもって行われたと思われる行為にも、「意図せざる帰結」が伴うことが多々あります。したがって、人間にはある行為がもたらす社会的帰結を完全に予測したうえで行動することは不可能なのです。¶このことは政治と学問の違いとしても表れています。一方で学問(あるいは広い意味での哲学)は、真理の永続的探究に従事します。人間は全知全能の神とはなりえないにもかかわらず、常に学問という営みを通じて、永遠不変の真理に近づこうと努力を続けてきました(…)。学問の自由が守られている限り、その営為が中断することはありません。¶他方で政治においては、節目節目で「決断」が要求されることになります。人びとは必ずしも満足のいく検討が行われていないなかでも、その問題に関する暫定的な結論を出すことが求められます。このように不可避的に不十分な決断を積み重ねていかなければならないのが、学問とは区別された政治という活動の特徴であると言えます(35〜6頁)」。一見すると当たり前田のクラッカーであるように思えるかもしれないが、実は政治の性格に関するこの本質的な洞察を忘れている人は、今日でもたくさんいる。政治の本質は、特定の普遍的な理想を無理やり現実に適用することではなく、種々の複雑な現実的条件を勘案しながら最適解を求めことにあると言える。現実的条件のなかには互いに対立し合うものもある。だからいかなる政治的解決策も、ある側面から見ればすぐれていても、別の側面から見れば問題があるものにならざるを得ない。これは例外ではなく原則なのですね。だから政治家は、長所もあれば短所もあるような政策の実行を「決断」しなければならない。特定の政策に反対することは実に簡単でも(短所だけをチェリーピッキングすればよい)、政策を決定し実行することには大きな困難がつきまとう(長所と短所のバランスを最終的に取らねばならないし、その結果に対する責任を負わねばならない)。私めは「革命は政治ではない」とよく口走るけど、それはまさにその点を指摘しているわけ。普遍的な理想そのものを持つことは間違いではないとしても、それを現実に適用する際には、さまざまな妥協をしなければならない。神学には「決議論(casuistry)」という概念があるし、法学には「衡平(equity)」という概念がある。それらの概念は神学的原理や法の原理は普遍的なものであるがゆえに、それらを現実に適用するときには必ずや不公平や不公正が生じざるを得ないため、それを埋め合わせることを指す。政治はまさに、決議論や衡平法を適用することに類似するとも言える。SNSとかの議論を見ていると、その点をわかっていない人が多いことがわかる。
それから些細な点だけど序章で気になったことが一つあったのでそれについて述べておく。それは政治的判断と道徳的判断を区別することの重要性を述べた箇所に次のような記述が見られること。「というのも、一昔前に「自衛隊は暴力装置である」という(政治学的に見れば当たり前の)発言が政治家や世間から大バッシングを受けたことからもわかるように、日本においては特に両者が混同されがちだからです(40頁)」。あるいは「「自衛隊=暴力装置」発言に過敏な反応を示した日本の道徳観(42頁)」。個人的には、これは著者の見立てが甘すぎる、あるいは別の言い方をすればそれこそ客観性を保たなければならない政治学者の発言としては不用意かつ軽率であるように思える。その理由を説明しましょう。そもそも自衛隊が暴力装置であることは、わざわざ政治学的に見なくても言葉の意味通りの客観的な真実なのですね。どこぞのならず者国家が暴力装置を駆使して日本に攻めてきたら、その侵略国には暴力装置で対抗するか、あるいは暴力装置を駆使して平然と他国を侵略するような国に降伏してその手下になるしかないんだから。とはいえ、「自衛隊は暴力装置である」という発言に「過敏な反応を示した」人々のなかには、確かにその言説それ自体を文字通り批判した人もいたのだろうが、多くの人々は、「自衛隊は暴力装置である」という発言をした当人自身が、特定の文脈のもとで特定の政治思想やイデオロギー(たとえば「日本の平和は9条が守ってくれるんだから、暴力装置、すなわち殺人マシンたる自衛隊など持つべきではない、あるいはあってはならない」)に沿ってそう主張したことを、言い換えれば「自衛隊は暴力装置である」という発言それ自体がまさに、政治的判断と道徳的判断(というかイデオロギー)を混同したもの、場合によっては意図的に道徳的判断を政治的判断で偽装したものであることを直観的に見抜いて、きわめて妥当な批判をしたというのが真相だろうと思う。私め自身も、そのような発言を聞けば、発言の内容それ自体ではなく、それが言われた意図を対象に批判すると思う。要するに「自衛隊は暴力装置である」という発言をした人は、別の価値判断、道徳的判断、イデオロギーに沿ってそう発言したのであり、また「過敏な反応を示した」人々の多くも、発言者がそのような意図を持って発言したことを知っていて、発言それ自体というより、発言者の意図を対象に批判したのですね。なおここでは、両者の意見のどちらが正しいかは関係ない。そうではなく、そのようなからくり、あるいはどんな言説にも、その背後に特定のコノテーションがあるということを理解しようとしないのであれば、政治的判断と道徳的判断(あるいはイデオロギー)を明確に区別できていないのは著者自身だと言われても仕方がなかんべさ、と言いたいわけ。
実のところ、これは政治的判断と道徳的判断の関係に限られるわけではない。たとえば科学的判断と政治的な価値判断のあいだにも妥当する。ここで現在鋭意翻訳中のラッセル・フォスター氏の概日リズム本『Life Time』(YUP, 2022)から引用してみましょう。「一九八〇年代、「遺伝的決定論(生物学的決定論)」という概念が、「人間の行動は環境によって影響されるより、個人の遺伝子によって直接的に支配される」という信念とともに特定の分野で流布していた。議論は郷党的なものと化し、政治的右派は決定論を擁護し、左派は断固として否定するようになった。やがて議論のポイントは、私たちの生物学的機能を形作る遺伝子の役割をめぐる生物学的な問いから、遺伝子が人間の行動に少しでも関与していると認めることが、政治的、倫理的に許されるのかという問いに移っていった。当時の私はこの議論に困惑し、どうして善意の賢者たちが、そのようなあり方で二極化することで議論を阻害できるのだろうかと思ったものだった(同書93頁)」。つまり一九八〇年代に流布していた遺伝的決定論には、右派政治思想(つまり特定の価値観であり、道徳的判断とも見なせる)が背後にあったことになる。さて、その時代に遺伝的決定論を批判する主張をしたり、フォスター氏のようにそれに疑問を抱いたりしたなら、それは政治的判断と道徳的判断を混同したことになるのか? そうはならないはず。なぜなら、遺伝的決定論自体が科学的判断と特定の価値観(道徳的判断)を混同していたわけなので。ちなみに遺伝的決定論それ自体も、一九六〇年代から七〇年代にかけて流行し、メンタルヘルスの問題の原因をすべて社会(家庭)に帰していた、(臨床医学的判断と左派政治思想(道徳的判断)を混同する)R・D・レインらの反精神医学に対するアンチテーゼとして生まれたとも見ることができる。結果的にはフォスター氏の直観どおり、環境の影響を完全に否定する遺伝的決定論は間違いであることがやがて判明する。もちろん科学的判断と政治的判断は違うと言うのかもしれないが、いずれにせよ、新書本の著者のようにそのような機微を無視すれば、結局、政治的判断と道徳的判断を混同している真の下手人がいったい誰なのかをあいまいにする結果につながる。もっと言えば、その態度自体が特定の政治的立場と、それが擁護する価値観、道徳的立場、ひいてはそのような人々が繰り出す印象操作に加担することを意味し、政治的判断と道徳的判断を混同することにつながる。だから、政治的判断と道徳的判断を明確に区別できていないのは著者自身だと言われても仕方がなかんべさと言ったわけ。ただこの新書本には、この手の発言が散見され、それがなければ非常にすぐれた本なのに、それによって見方によってはケチをつける余地を与えてしまっているのはとってもとっても残念に思ったので、最後にもう一度それについて触れる。第1章からは、政治形態別に詳しい説明がなされ、第1章では民主主義、第2章では自由主義、第3章ではリベラル・デモクラシー、第4章では共和主義、第5章では社会主義が扱われている。
まず「第1章 民主主義」から参りましょう。民主主義のルーツは誰もが知るように古代ギリシアにある。ただ古代ギリシアでは、最初から民主政が採用されていたわけではなく、王政から貴族政を経て民主政に至っている。それについて著者は次のように述べている(なお以下すべての引用箇所において、参考文献情報に関する括弧書きはすべて省略する。悪しからず)。「このような国制の変化は、ギリシア人の人間観の変化とも対応しています。ホメロスやヘシオドスの作品においては、人間は基本的に、神々の気まぐれによって振り回される存在として描かれています。この時代においては「政治」というものも、庶民にとって自分たちの力ではどうにもならないものでした。古代ギリシアに限らず、同じく王政が採られていたエジプトやペルシアといった古代オリエントの国々でも、神の意志を体現する国王が執り行う「政治」は、庶民にとっては一方的に押しつけられる「運命」のようなものだったのです(53〜4頁)」。言うまでもなく、ギリシア悲劇には、この「運命」をテーマにした作品が多い。それは当時の政治にも関係していたということになりそう。そして「このような政治観と運命観が、民主政を採用したポリス群において変容を遂げることになる(54頁)」。ではどのように変化したのか。次のようにある。「一方でペルシア帝国においては、政治権力が国王に集中していたため、残りの臣民は戦場でも、国王のふるう権力に対する「恐怖」から指揮官の命令に従っていました。それに対してギリシアの諸ポリスにおいては、都市国家を構成する市民は特定の人格に従うのではありません。彼らは「{法/ノモス}」に従っていたのです(54〜5頁)」。なおここで言う「ノモス」とは、いわゆる「法」の他にも「慣習」や「伝統」や「人為」などといった意味もある点に注意されたい。さらに次のようにある。「このように「政治」というのは、民主政が成立した頃の古代ギリシアにおいては、{自然/ピュシス}の限界内で、{人為/ノモス}によってなんとか運命の気まぐれに対処していく営みとしてイメージされていました。そしてこのような政治観が、後の西洋政治思想史の主流において継承されていくことになります(56頁)」。そして民主政下のアテナイでは、「多様な世界を統べる普遍的な{自然法則/ピュシス}の探究へと向かう(61頁)」イオニアの自然哲学とは異なり、「弁論術」という説得の技法が重視され、「ソフィスト」と呼ばれる職業が重宝されるようになる。まあ「ノモス」という人間の作った「法」「慣習」「伝統」が重視されるようになれば、二〇世紀の用語で言えば「相対主義」が優勢になるのは当然でしょう。ところがアテナイがペロポネソス戦争でスパルタに敗れると事態は変わるらしい。次のようにある。「この[ペロポネソス戦争の]敗戦の経験は、アテナイの民主政という国制に対しても混乱をもたらしました。ペルシア戦争でペルシア軍を追い返したアテナイは、民主政という自分たちの国制に自信をつけ、またそれに誇りを持ち、自分たちの{法/ノモス}を信頼していました。しかしこの信頼が、ペロポネソス戦争敗戦を機に揺らぐことになります(63頁)」。
そこで登場するのがソ、ソ、ソクラテスかプラトンかのソクラクテスさん。ソクラテスがそのような状況で説いたこととは次のようなものだったらしい。「「善とは主観にすぎない」と説いて回ったのがソフィストだったわけですが、ソクラテスはこれとは反対に、「善」というものが客観的に存在することを信じていました。そして彼は人びととの対話を通じて、この「善」の内容を明らかにすることで、もう一度ノモスの権威を取り戻そうとしたのです。つまりみんなが「{言葉/ロゴス}」を通じて現行のノモスのあり方に納得し、ノモスが哲学的な原理によって基礎づけられることになれば、衰弱したアテナイを立て直すことができるだろうと考えたわけです。このような点において、ソクラテスは民主政を奉ずる保守派の政治家たちと共闘関係に立っていました(68〜9頁)」。次に登場するのがソ、ソ、ソクラテスかプラトンかのプラトンさん。プラトンは、そのソクラテスを「死に追いやったアテナイの民主政を経験するなかで、「この世で行われている政治は一つ残らず腐敗している」と結論づけ、(…)「正しい政治のあり方」をこの世ではないどこかに探し求めることになります(70頁)」とのこと。そしてそのようなアテナイ民主政の現実を、例の「洞窟の比喩」を用いて「洞窟の中」にたとえる。だからプラトンにとっての民主政とは、「真理ではなく{臆見/ドクサ}が物を言う政治体制でした。まさにソフィストたちが{宣/のたま}っていたように、民主政においては民衆にそれが「真理」であると{信じさせる/傍点}ことさえできればそれが真理となります(72頁)」。そして新書本の著者はプラトンに関して次のように結論しているけど、非常に重要なポイントだと思われるので、これは是非念頭に置いておきましょう。「プラトンはこのように、現行秩序に代わる理想の政治体制を一から構想する、ということを歴史上初めて自覚的に行った人物でした。西洋政治思想史の教科書がしばしばプラトンの章から始まるのはこのためです。ここで注目すべきは、「政治思想」というもの自体が「民主政」という政治体制に対する{批判/傍点}から出発したということです。事実、西洋政治思想史の全体から見れば、デモクラシーを手放しで称賛するような政治思想が現れたのはごく最近のことです。体系的な政治思想としての{民主主義/デモクラシー}が登場するのはまだまだ先の話になります(73頁)」。
次は野坂昭如にガン無視された可哀そうなアリストテレスさん(何しろソクラテスとプラトンの次はニーチェとサルトルまでぶっ飛ぶ。まあ語呂が悪いからしゃあないか)。政治に関するアリストテレスの考えは次のようなものだったらしい。「哲学者であった彼[アリストテレス]はもちろんソフィストのように客観的な真理の存在そのものを否定したわけではありませんが、かといってプラトンのように日常生活の中で営まれてきた市民の実践としてのノモスを{臆見/ドウサ}として全否定するのではなく、むしろ「長い時間をかけてきて編まれてきた」という点から常識というものを重視し、現実においてさまざまに試されている諸ポリスの政治的実践の中から、理想的な政治のあり方を見つけ出そうとしました(74頁)」。まあいかにも中庸の哲学者といった感じだけど、そのせいで野坂昭如にガン無視されたのかな? それはどうでもいいとして、だから彼は次のように考えていた。「過度な民主政が民会での決議を最優先するのに対し、穏健な民主政のほうは{慣習/ノモス}を重視します。では、なぜ彼は過度な民主政よりも穏健な民主政のほうが望ましいと考えたのでしょうか。¶それは「民会の決議」よりも「{慣習/ノモス}」のほうがより多くの人びとの判断を含んでいるからです。民会の決議には{いま現在/傍点}ポリスに生きている人びとの判断しか含まれませんが、{慣習/ノモス}には{これまで/傍点}ポリスに生きてきた人びと、いわば「ご先祖様たち」の判断も含まれます(76〜7頁)」。現代的に言えばコミュニタリアニズムに近いことを考えていたとも言えそう。私めの用語で言えば、人々の生存や生活がかかる「中間粒度」の基盤にはそのような伝統や慣習が存在しているのですね。
さてアリストテレス以後は、民主政や民主主義は忘れ去られてしまったので、次に登場するのは、「むすんでひらいて」のルソーさんまでぶっ飛ぶ。ルソーについては「一般意志は代表されえない」と主張したことが次のように強調される。「ルソーの議論の画期的な点は、「一般意志は代表されえない」とした点にありました。彼によれば、人民の意志である「一般意志」を、例えば代議士のような他者が人民に代わって議会の場で表明することはできません。何らかの法に従いながらも「自由」な存在であり続けるためには、私たちはその法の作成に直接参加しなければなりません。なぜなら古来、他人の意志に従属する生き方は「奴隷」の生き方とみなされてきたからです。(…)したがってルソーによれば、自由な統治は「人民による統治」である必要があります。(…)だからこそルソーは、人民が直接参加し自らの意志を表明する定期的な集会の開催が必要だと考えたのです。以上のことが、ルソーが「近代民主主義思想の父」としてみなされるゆえんです(80〜1頁)」。ちなみにルソーの政治思想がフランス革命に影響を与えたということがよく言われるけど、「この革命がルソーの目指したような、市民が直接政治に参加する国制を実現することはありませんでした(84頁)」とのこと。それはそうでしょうね。パリだけでも相当人口があっただろうし、ましてやフランスという国家全体が対象になれば、直接民主政は実践的に不可能だろうしね。ただもちろん、そもそも実践的に不可能な直接民主政以外ではルソーの思想がフランス革命に影響を与えたことは間違いないのでしょう。
さて「近代世界における政治思想としての民主主義がルソーにより始められたとすれば、政治的実践としての民主主義のほうは、フランスではなくアメリカで始ま(85頁)」ったのだそう。そのアメリカの民主主義に関して『アメリカのデモクラシー』という著書を著して論じたのがトクヴィルであったのは周知のことだよね。トクヴィルの民主主義に対する考えは次のようなものだったらしい。「トクヴィルによれば、民主主義の要諦は、市民がお互いを「平等」な者としてみなすことにあります。見方を変えれば、これは社会の中に誰も特別な者がいないことを意味しています。特にアメリカ大陸においては誰もが新参者であり、そこにはヨーロッパのような身分制に基づく宮廷社会は存在しませんでした。ヨーロッパでは権威を有していた貴族階級がアメリカにはなかったのです。¶では権威的存在を持たない民衆は、どのように政治的判断を下していけばよいのでしょうか。むろん、各人が自分の頭で深く考え理性的な判断を下すことができれば理想的ですが、現実にはそれは難しい話です。そこで人びとは「多数派」に権威を見いだすようになります。政治的な意見に{質/傍点}的な差異がなくなるからこそ、{量/傍点}が価値を持つようになるのです。そして量は質を駆逐するだけでなく、多数派が少数派を圧倒するようになります。こうして生じる少数派の抑圧のことを、トクヴィルは「多数派の専制」と呼びました。¶中世的な身分社会の{紐帯/ちゅうたい}から切り離され、孤立化した人間は不安に駆られます。結局、自由を手にしたとしても、自己の外部になにがしかの権威を求めてしまうのが人間の{性/さが}なのです。そこで人は、自らが多数派に属していることに安心を感じ、その事実が自らの意見に自信を与え、やがては少数派の抑圧に回ることになります。このように民主主義の心理的な側面を鋭く{抉/えぐ}り出したのが、一八三五年に出版されたトクヴィルの『アメリカのデモクラシー』でした(86〜7頁)」。まあ現代でも十分に通用する見解でしょうね。ただし現代においては、「多数派に属していることに安心を感じ」るには、実際に多数派に属する必要すらない。いわゆる「フィルターバブル」や「エコーチェンバー」に閉じこもって、同じような意見を持つ人々だけを相手にしていればいいわけだから。その手段をSNSが提供しているのは、あえて言うまでもない。とはいえ私めは、マルクス・ガブリエル氏が主張するように、だから即刻SNSを廃止すべきだとは思わない。その理由の一つをあげれば、それは単なるSNSの問題なのではなく、ここでトクヴィルも指摘しているように、そもそも民主主義に内在している問題なのだから。要するに、たとえその種の所業が可能だったとしても、そんな対症療法を適用したところで本質的な問題は解決しないにもかかわらず、結局はSNSの持つ数々の利点をみすみす捨て去ることになるってこと。
次にホッブズやニーチェが取り上げられているけど、長くなりつつあるのでそれは飛ばして、重要な指摘がある第1章の最後の節「5 民主主義の現在」に参りましょう。「民主主義の現在」とあるけど、むしろ第1章のまとめのようなものと考えたほうがいいかもしれない。ここでは私めが重要と考える指摘のみを取り上げる。次のようにある。「古代のプラトンやアリストテレスによる民主政批判にも、また近代民主主義の出発点としてのルソーの政治思想にも共通して言えることは、デモクラシーというものが政治的意見の「質」ではなく「量」を問うものとして捉えられているということです(103頁)」。あるいは次のようにある。「自由な存在として生まれた人間は、トクヴィルが予言したように、文明社会が提供する皮相的な享楽に囚われ、公的な関心を失い、やがては{何某/なにがし}かの指導者に自らの「後見人」を見いだし、権力を一任することでしょう。かようにして民主主義に幻想を抱く者は、民主主義に足元をすくわれることになります(105頁)」。この少し前に「民衆は放っておけば政治的に正しい判断を下すとは限りません(104頁)」とあるけどそれについてコメしておく。ここで「政治的に正しい判断」とある点に留意しましょう。というのは、生存や生活に関することについては、民衆は通常正しい判断を下すのですね。というのもその種の判断は、生物が人間へと進化する段階で得られた能力に基づいているから。ところが政治的な判断というのは、人間が登場してから必要になったものであり(チンパンジーの政治とかいうタイトルの本があったような気がするけど、それはメタファーであり、またメタファーでなかったとしてもチンパンジーが人間にもっとも近い生物である点に変わりはない)、したがってその判断の基盤となる能力が進化するに十分な時間は経過していない。だからイデオロギーなどによって政治的判断が捻じ曲げられ、第二次世界大戦前後の期間にはファシズムが猖獗した。私めは、民主主義の根本的な問題はここ、すなわち政治思想やイデオロギーに適応する能力を備えるだけの進化的時間(そこには遺伝的進化、文化的進化の両方が含まれる)が、まだ圧倒的に足りていない点にあると考えている。
なお繰り返すと、そのことは生存や生活に関する直接的な判断には当てはまらない。それに関しては、認知科学者ヒューゴ・メルシエの『人は簡単には騙されない』や、ヒューゴ・メルシエ&ダン・スペルベルの『The Enigma of Reason』を参照してほしいが、一箇所だけ引用しておく。『人は簡単に騙されない』の「第11章 循環報告から超自然信仰へ」にある次の文章は宗教に関して述べられていることだが、同じことは政治思想やイデオロギーにも当てはまるはず。左右を問わず、特定の政治信条やイデオロギーに囚われた人々が、宗教信者に似通ってくることはあえて指摘するまでもない。よって「宗教的信念」とある箇所を「政治思想」や「イデオロギー」に読み替えてみればよい。「人びとは宗教的信念を受け入れ、それをあたかも自分で見たり実践したりしたかのごとく語るようになるが、忘れてはならないのは、あらゆる信念が認知的に同様なあり方で作用しているわけではないという点だ。宗教的信念は直観的であるより反省的である場合が多い。ここで思い出してほしいのだが、反省的な信念は推論メカニズムや行動を志向するメカニズムの一部と相互作用するにすぎない。ほとんど特定の心の部位に包摂され、直観的信念のように心の中を自由に徘徊することができない(同書233頁)」。要するに反省的な信念として保持される宗教的信念(政治思想、イデオロギー)は、人類が進化を通じて獲得してきた、メルシエ氏のいう「開かれた警戒システム」の埒外に置かれ、そのチェックの対象にならないから、簡単にその人に信じ込まれてしまう。その点が「心の中を自由に徘徊」し、「開かれた警戒システム」のチェックを受けざるを得ない「直観的信念」、すなわち生存や生活に関する直接的な判断とは異なる。
次に選挙制が取り上げられているけど、それは飛ばして、本書のタイトルにある文が登場する最後の非常に重要な結論を引用しておきましょう。「とはいえ、民主主義は油断をすればすぐに独裁へと陥ってしまうような、なんとも{脆/もろ}い政治体制です。その存続のためには、自由主義や共和主義といった他の政治思想の助けを借りる必要があります。だからこそ、民主主義の重要性を学ぶだけでは不十分なのです。私たちは民主主義の意義と限界の両面を確認したうえで、それをより強固なものへと鍛え上げていく必要があります。「民主主義を疑ってみる」ということが、民主主義の延命につながるのです(112頁)」。これには100パーセント同意しちゃう。
ということで、民主主義を補完すべき政治思想の一つ自由主義について第2章で論じられている。第2章の初めの方に次のような文章がある。「とりわけ日本においては{自由主義者/リベラル}を毛嫌いする人びとが散見されますが、他方でそのような人びとの中にも、思想史的に見れば「{自由主義的/リベラル}」と呼びうるような性質を見いだすことができます(116頁)」。率直に言って、私めはその一人だと言える。ただし私めは、現代の日本のリベラルは自称リベラルであって決して「自由主義者」などではないと思っている。むしろ逆に自分の考えが絶対的な正義だと思い込み、普段は言論の自由を声高に叫びながら、少しでも自分が気に食わない言論は弾圧しようとする傾向が見られる。一例をあげましょう。わが卒業大学の学長を務めていた国際政治学者の村田氏(ステマ、もといアカラサマをしておくと氏の社会人講座に参加したときにハイト本を献本したことがある)が、国際政治に関する自己の信念に従って国会で平和安全法制に賛成するスピーチをしただけで、いつも「言論の自由」を叫んでいるような自称リベラルの教授連中に学長の座を引きずり下ろされ、そのことがアメリカの『ウォール・ストリート・ジャーナル』誌にさえ大きく取り上げられたことがあった。余談だけど、村田氏を引きずり下ろすことに賛成する人を募る署名運動に参加した教授の一覧がネットに上がっているのを見たことがあるけど、他の学部より、とりわけ神学部の教授が何人加わっていたのかに興味があった。その結果、確かイスラエル出身の教授一名が署名しているだけだったように覚えている。ちなみになぜ神学部の教授が署名しているかが気になったかというと、これからちょっとだけ触れるように、自由主義の起源の一つにはキリスト教神学があるように思われるので、神学部の教授が、言論の自由を踏みにじるような、その手の署名に大挙して参加していたら世も末だと思ったから。でも、一人だけで安心した。
このように、日本の自称リベラルは本人が気づいているか否かは別として、「自由主義」とはまったく逆の全体主義的傾向を持っているようにさえ思える。何度も書いていることだけど、個人的には自由主義者の典型的な例の一つは、スペイン内戦時にフランコ軍と戦うために世界中から馳せ参じてきた闘士たちだと思っている。だから、リベラルという用語の価値が自称リベラルのせいで恐ろしく下落していることに鑑みて、本来の自由主義を指すときにはリベラリズム(リベラリスト)という言葉を使うようにしている。よって以下の、とりわけ私めの文章中で「リベラル」とある箇所は、もっぱら自称リベラルを指し、私めが言う意味でのリベラリストのことではない。一般ピープルも直観的に自称リベラルのうさん臭さに気づいているのであり、その態度を「毛嫌い」するのもごく当然のことなのですね。自称リベラルはよく「国民はバカなので、俺たちが教え諭す必要がある」みたいなことを平気で言いたがるが、認知科学者のヒューゴ・メルシエ氏が前述の『人は簡単には騙されない』で主張するように、あるいは集合知を考えてみればわかるように、一般ピープル(国民)は総体としては決してバカではない。自称リベラルは、そのあたりから根本的に考え直したほうがいいでしょうね。読んだことはないけど、バリバリのリベラリストの井上達夫氏が「リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください」というタイトルの本を書いているのも故なしとはしないのでしょう。要するに「毛嫌い」されるのには、それだけの理由があるということ。
新書本に戻ると、著者は自由主義の起源を民主主義同様古代に求め、ヘレニズム思想を取り上げる。それに関して次のようにある。「ギリシア人の価値観は、少なくともこのヘレニズム思想家たちに関しては、いまや逆転することになります。彼らは公的空間(政治)からの撤退を余儀なくされたことで、私的空間(哲学)へと隠遁していきました。現代の視点から見ると、このように公的なものよりも私的なものを優先し、プライベートの充実を目指すことを前面に打ち出したヘレニズム思想は、後の{自由主義的/リベラル}な価値観を先取りする画期的なものでした(119頁)」。なんか私めのようなヘタレの引き籠りが自由主義の起源となる考えを提起したというのはなかなか興味深い。ちと曲解気味か・・・。次にあげられているのが、先ほどちょっと言及したキリスト教。次のようにある。「自由主義思想史の観点からもっとも重要なのは、キリスト教が「個人の価値」を認める宗教であったことです。(…)キリスト教は、個人を「かけがえのないもの」として遇します(123〜4頁)」。さらには次のようにある。「後に体系化された自由主義という政治思想は、ヘレニズム思想に見られたような「私的なるものの優越」だけでなく、このような「個人の価値」を前提として理論を構築していきます。そして、このようにキリスト教によって「個人」というものの価値が発見されたことは、西洋政治思想史におけるまぎれもない画期であったと言えます(124頁)」。ただ残念ながら著者は政治学者であって神学者ではないので、中世のキリスト教神学が自由主義に与えた影響についてはせいぜいアウグスティヌスに言及されるだけでほとんど論じられておらず、いきなりウェーバーによるプロテスタントと資本主義の話にぶっ飛んでしまう。いずれにしても、中世キリスト教神学と自由主義の関係については、神学者が書いた本を取り上げる際に検討できると思うので、乞うご期待(いつになるかわからんけど)。
次に取り上げられるのは、ジョン・ロック。社会契約論に基づくロックの政治思想は次のようなものだったとのこと。「ロックの政治思想は恣意的な権力行使に対する警戒によって特徴づけられます。彼は政治権力を「立法権力」(実定法を制定する権力)と「執行権力」(立法権力によって下された判断を実行に移す権力)と「連合権力」(外国との関係を司る権力)の三つに分けました。このうち立法権力を担当するのが議会で、執行権力と連合権力を担当するのが国王ということになります(140頁)」。フムフム、ロックの言う三権とは立法、行政、司法のことではなく、最初の二つはよしとしても最後の司法がなくてその代わりに外交が置かれていたことになる。そして「ここで重要なのは、ロックがこの三つの権力のうちの「立法権力」が最も優越すると考えたことです(140頁)」ということらしい。それから次の指摘に注目されたい。「ロックの権力に対する不信はこれ[執行権力に対する不信]だけにとどまりません。なぜなら立法権力もまた、自然法を破って信託に背く統治を行うかもしれないからです。政治社会の成立以降も、自然状態からあった自然法が根本規範として機能し続けることになります。したがって政府は引き続き「法の支配」の下に置かれます。ロックの政治思想のこうした側面を「立憲主義」と呼ぶことができます。¶ただし、自然法はおのずと守られるわけではありません。その実効性はやはり暴力によって担保される必要があるのです。そこでロックは、人民の「抵抗権」(実力をもって政府に抵抗する権利)と「革命権」(新しい政府を打ち立てる権利)を認めました。政府が信託に背いているか否かを最終的に判断するのは人民であるとロックは言います。このように人民を究極的な政治的判断の主体としている点で、ロックの政治思想のこの最後の部分に関しては「民主主義」と重なる部分があると言えます(140〜1頁)」。
ここでは二点コメしておきましょう。一般に抵抗権や革命権が適用される対象になるのはもっぱら行政府だと思われているようなフシがあるけど、ロックは行政府のみならず立法府も対象にしていたことになる。したがって上記引用文の「政府」とある箇所は、行政府と立法府の両方を指すと思われる。それからロックは実は「人民」が最終的な政治的判断の主体だと考えていたわけではないという話もあったように覚えている。「近代的な思想家という一昔前のイメージとは裏腹に、ロック自身は{敬虔/けいけん}なピューリタンでした(135頁)」とあるように、彼の思想の基盤の一つにはキリスト教があったと考えられる。だから「人民の背後には神さまのお目々がある」という考えに基づいて「抵抗権」や「革命権」の概念を主張したのだという説を聞いたことがある。それについては、この新書本にも「自由主義思想の始祖と目されるロックにおいては、政治による侵害から守られるべき自然の領域(自然権)は形而上学的な自然法によって定められており、それは神の意図を読み取ることができる人間の理性という能力を介して明らかにされうるものでした(174頁、下線部は私めによる)」と書かれている。この見方が正しければ、「抵抗権」や「革命権」のような自由主義の極北を占める(というか著者によれば民主主義に足を踏み入れているとのことだが)概念にはキリスト教の考えが存在していたことになり、先の自由主義の起源の一つをキリスト教に求める著者の考えにも符合していておもろい。では神さまがいなくなってしまった現在において「抵抗権」や「革命権」に基づいた議論をしている人々はいったい何を根拠にそうしているのだろうかという疑問が湧いてこざるを得ない。しかも彼らは、いわゆる「上から目線」で「国民はバカだ」と宣ったりもする。要するに自分たちがバカだと考えている国民に、「抵抗権」や「革命権」など持たせていいのかねってこと(個人的には、前述のとおり生存や生活をめぐることがらに関しては、国民は総体的にはバカではあり得ないが、ただし人類が誕生してから生まれた政治的事象、とりわけ近現代のイデオロギーが関わる事象に関しては誤った判断を下す可能性が大幅に高まると考えている)。彼らの議論は至るところで矛盾を来たしているけど、これもその一つと言えるかも。なお政府に対する規制という考えは、他にも「憲法制定権力」と「憲法により制定される権力」の区別というものがあるようだけど、それについては『シィエスのフランス革命』を参照してね。
さてお次はモンテスキュー。モンテスキューと言えば三権分立の人だけど、彼の三権はロックと異なり「連合権」が「裁判権」に変わり、その意味では現在言われているところの三権とほぼ同じであることになる。しかし次の点には留意しておくべきでしょう。「モンテスキューは、情念を理性によって克服しようとするのではなく、情念と情念を対抗させることによって、おのおのの情念が不当に拡大することを国家構造(constitution)の仕組みによって防ぐという構想を思い描きます(142〜3頁)」。これは経済学で言えば、フリードマンのように人間の理性を絶対視するからではなく、まさに人間は情念と情念をぶつけ合って非合理な行動を取るがゆえに、それをうまく「見えざる手」によってコントロールすることで合理的な方向に導くために市場が必要だと主張したハイエクの議論を思い出す(経済には弱い私めの思い違いの可能性も大きいけどね)。あるいは次のようにある。「以上のことを踏まえて、モンテスキューは権力を「立法権」と「執行権」と「裁判権」の三つに分類します(図2−5)。ロックとの違いは、このうちの特にどれかが他に優越するわけではなく、三つの権力が同等の地位に並置されている点にあります。そしてモンテスキューの「三権分立」という構想においては、例えば国王が権力を濫用したいという欲求に駆られたとしても、貴族の諫言によってこれが防がれ、またそれによって貴族の自由も守られることになります(143〜4頁)」。要するに三権分立の目的あるいは要件は二つあることにある。一つは二番目の文にあるように、「三つの権力が同等の地位に並置されている」ことで、三権がそれぞれ同じ地位を保ちつつ独立して存在していること。二つ目は、最後の文にあるようにそれぞれの権力が、他の権力が暴走するのを抑制すること。これは高校の政経だったか世界史だったかの教科書にも出てくる話なのに、なぜか二つ目の目的/要件を都合よく忘れて、一つ目の目的/要件だけを取り上げる人々がいる。一つ目の目的/要件だけで三権分立と見なすなら、議院内閣制を採っている日本とイギリスも、行政府が司法府の最高裁判事を指名しているアメリカさんも、三権分立違反を犯していることになる。彼らはこれまでその点について批判をしたことがあるのだろうか? たとえば、例の学術会議問題だったかのときに、野党の党首を筆頭にその手の主張を平然と開帳する人々がワラワラ湧いていたよね? 要するに、いくつかある目的や要件のなかから自分の都合のよいときに、特定の要件だけを切り取ってきて、他者の考えや実践を批判するというやり口は、結局根本的な矛盾を生んで自爆するということ(この手の人々は自分に都合がよくなりさえすれば、今度は一つ目の目的/要件を切り捨てて二つ目の目的/要件だけを切り取るはず)。
次はヒュームだけど、ヒュームに関しては次の文を引用するに留める。「ヒュームによれば、人間は現実を超越する理性という能力を行使して理想を発見するわけでは決してなく、生活を反復するなかで繰り返しうまくいってきた慣行を理想と同一視しているにすぎません。つまり現実が理想に基づき設計されるのではなく、反対に現実の反復の中から理想なるものが生じるとヒュームは考えます。このように現実から遊離した客観的な理想なるものが存在することを疑う立場のことを「懐疑主義」といいます。¶ヒュームはこの懐疑主義の立場に立つことにより、彼と実際に交流もあった同時代人のルソーと理論的な{訣別/けつべつ}を果たすことになります。一方でルソーは、文明社会の成立によって人間は腐敗してしまったと考え、それを社会契約に基づく自由な国家の設立によって乗り越えようとし、後のフランス革命に影響を与えました。それに対してヒュームは、むしろ既存の文明社会を肯定的に捉える立場をとります(148頁)」。これだけを読むと、ヒュームは保守派に近い考えを持っていたことがわかる。その後は、アダム・スミス、ベンサム、J・S・ミルと続くけど、彼らの思想家については別の本を取り上げた際にコメしましょう(ミルについては、第3章でも取り上げられる。また『J・S・ミル』も参照されたい)。
その次にハーバート・スペンサーの社会進化論が登場するけど、その少しあとで次のような文があったのが、ポピュラーサイエンス本翻訳者としてはやや気になった。「狭義の経済的自由主義に限らず、「人間社会はこれから先も放っておけば進歩していく(よくなっていく)だろう」という漠然とした楽観主義は、スペンサーの議論を参照するまでもなく、多くの人びとが抱いている自然的感情です。¶さらに進化論に依拠してこのような楽観主義に理論的基礎を提供しようとする学問的な試みは、二一世紀に入った現在においても見られます(ピンカー 二〇一九、上、二八頁)。彼らは「自信を持て! 人類は進歩しているし、これからも進歩していくだろう」としきりに訴えかけていますが、この訴えは果たしていま現在の困窮者にとって慰めになるものでしょうか(175〜6頁)」。これはやや誤解を招くもの言いだと思う。確かにスペンサーやピンカーはそのように考えていた(る)のかもしれない。ちなみに「ピンカー 二〇一九」とは『21世紀の啓蒙――理性、科学、ヒューマニズム、進歩』のことだけど、この本、某出版社(邦訳を出している草思社ではない)から評価依頼されて読んでみたところあまりにも一方的な見解が提示されていたので(確かとても最後まで読み切る気にならず途中で放り投げたように覚えている)、「このような一方的な見方の流布には加担したくないので、少なくとも私めがこれを翻訳することはないべさ」という主旨のことを言ったように記憶している。とはいえ、進化論一般がそのような楽天的な見方を提示しているわけではない。ダーウィン自身も「方向性のない盲目的な変化」を提起したのであって、決して「進化の論」を提起したわけではない。ここでは詳しく述べないけど、それについては、お手軽な最近の新書本では『ダーウィンの呪い』を参照されたい。そもそもこれは、「evolution」を「進化」と訳してしまったことにも問題があると言える。私めは、始原としての中心点から放射状に分岐しつつ広がるものとして「evolution」をとらえる見方がもっとも妥当だと考えている。よって「evolution」は進歩や進化とは無関係であり(もちろんあとからたまたま進歩や進化と見なせる分枝も存在する)、むしろ一般から個別への細分化(分化、特殊化、多様化)と捉えるべきものと見なしている。ちなみにエルンスト・ヘッケルは、「個体発生は系統発生を繰り返す」と主張したことで有名だけど、個体発生はまさに一般から個別への細分化の最たるものであり、したがってヘッケルのこの見方が正しければ、系統発生においても一般から個別への細分化が生じていると見なすことができる。このような見方は、理論的にはテレンス・ディーコンの大著『Incomplete Nature: How Mind Emerged from Matter』(W. W. Norton & Company, 2012)にみごとに展開されている。ただディーコンのこの大著は、かのデネットさんですら難解な本と見なしているくらい超超超難解で、私めは二度読んでいるけど、一度目より二度目のほうがさらにわからなくなったといったほどの本なので、英語の得意な人にもあまりお勧めではない。いずれにしても、ディーコンのこの大著についてはショーン・B・キャロル著『セレンゲティ・ルール』の訳者あとがきでも言及したのでそちらも参照されたい。
さて第2章の最終節「5 リベラリズムの現在」では、これも第1章と同様、まとめと言ったほうが適切な内容が提示されている。一つだけ引用しておきましょう。「その瞬間瞬間の民衆の意見を重視する民主主義と比べると、自由主義はより長いスパンにおける価値観(歴史的伝統か永続的規範か)を重視する政治思想だと言えます(178頁)」。こうして見ると自由主義は保守主義と親和性があるように思える。自由主義の極北とも言えるようなリバタリアニズムが、一般に保守主義に分類されているのは故なしとはしないのでしょう(ただしジョナサン・ハイト氏は先にあげた『社会はなぜ左と右にわかれるのか――対立を超えるための道徳心理学』で、彼の道徳基盤理論に基づいた場合、リバタリズムは保守にもリベラリズムにも分類できず、別扱いしているけどね)。
ということで「第3章 リベラル・デモクラシー」に参りましょう。「リベラル」は自由主義、「デモクラシー」は民主主義のことなので、「リベラル・デモクラシー」とは「自由主義+民主主義」になる。とはいえ、ここまで見てきたように「自由主義」と「民主主義」には対立する部分もある。著者も第3章の冒頭で、「現在深刻化している政治・社会問題の中には、この民主主義と自由主義の組み合わせに起因すると考えられるものすらあります(184〜5頁)」と述べている。最初に登場するのは、第2章でも言及されていたJ・S・ミル。著者は特にミルの「危害原理」を取り上げ、次のように述べている。「ミルの危害原理が重要なのは、それが自由主義の観点から民主主義に制約を課したものだからです。民主主義は、「自分たちの生き方を自分たちで決める」という古来の自由を実現するためには必要不可欠です。しかしながら、それは個人の生命や幸福といった自由主義的な諸価値を侵害するポテンシャルを秘めています。(…)基本的人権の尊重が民主主義にも侵しえない憲法という聖域で保障されているのは、まさにこのように「民主主義の暴走を自由主義が予防する」という発想に基づいています。そしてこのように民主主義の奔流が逸脱せずに善き統治という目的地へと向かっていくように、その水路の外壁となっているのが自由主義であり、両者の組み合わせをリベラル・デモクラシーと呼ぶわけです(187〜8頁)」。これはなかなか興味深い「リベラル・デモクラシー」の説明であるように思える。そして次に登場するのは、な、な、なんと「ナチスの御用学者」とも言われたカール・シュミット。21世紀に入って世界が混乱をきたすようになってから、危機の政治学のシュミットが取り上げられることが増えてきているとはいえ、「リベラル・デモクラシー」の章に登場するとは意外や意外。まず次のようにある。「シュミットのねらいは、自由主義と民主主義を{截然/せつぜん}と区別したうえで、前者を廃棄し後者を保護することにありました(190頁)」。そうだとすれば、シュミットは純然たる民主主義者ではあったとしても、「リベラル・デモクラシー」の信奉者ではなかったことになる。そして次のようにある。「シュミットは、直接民主政とは異なる現代民主主義においては、代表する者と代表される者との「人格的なつながり」の強固さが民主主義の達成度合いを測る指標になると考えていました。¶しかし、ここで終わってしまえば彼は単なる大統領制や首相公選制の擁護者ということで終わるでしょう。ですが彼の議論はここからさらに進んでいきます。彼は、大統領は選挙ではなく「{喝采/アクラマチオ}」によって支えられるべきだと言うのです(193頁)」。この喝采というのが、正直なところ私めにはよく理解できなかった。それに関して、たとえば次のようにある。「「喝采」という手段は、その瞬間の民意をより直接的に表現することができます。喝采によって担がれた大統領は、民衆の拍手と歓声が鳴り止んだその瞬間に、民主主義的正当性を失うことになります。このように喝采という指標は、そのときそのときの民衆の気分により敏感に反応するものであると言えます(194頁)」。「喝采によって担がれた大統領は、民衆の拍手と歓声が鳴り止んだその瞬間に、民主主義的正当性を失うことになります」ということなら、ナチスの御用学者だったシュミットは純然たる民主主義者とも言えなかったことになるのでは? いずれにせよ、シュミットの考えに基づいて言えば、喝采の度合いはつねに、あるいは定期的に計測されていなければならないことになる(そのあとで現代における「支持率」の話が出てくるので、この解釈で合っているのだろうと思う)。機会あるごとになされたヒトラーの演説は、まさにこの喝采の度合いを再確認することで自己の正当性を維持しようとしたということなのだろうか? だとするとかなりの綱渡りだったことになる。相当な自信家かソシオパスでなければ無理っぽい。
まあそれはよしとして、上の文章はまさしく民主主義が一瞬で独裁制に転化しうることを示している。ではシュミットはその問題をどう捉えたか? 次のようにある。「独裁的な体制においては民意を政治に反映するための{合法的な/傍点}手段(例えば選挙)が用意されていないため、両者[独裁と民主主義]は相矛盾した言葉なのですが、シュミットは、こうした一般的な見解に真っ向から反論します。¶そのためにこそ、シュミットは自由主義と民主主義とを何としてでも切り離す必要がありました。というのも自由主義とは、権力の制限を主眼とする政治思想だからです。対して民主主義という政治思想は、それ自体の中に「権力の制限」という原理を含んでいません。したがって為政者が民意を十分代表してさえいれば、必ずしも為政者の権力が制限される必要はありません。だからこそ彼は、独裁と民主主義は本来矛盾する言葉ではないと言うのです(195〜6頁)」。そしてさらに次のようにある。「質よりも量が重視されるのが民主主義社会の特徴であることは、すでにトクヴィルの民主主義論で見た通りです。すべてのものが同等の価値を有するからこそ、何に取り立てて価値があるということも言えない。(…)こうした世界においては、決断の内容がどうであるかよりも、まずは決断することそれ自体が重視されることになります。このような態度のことを「決断主義」と言いますが、シュミットはまさにこの決断主義的な観点から、話し合いを重視するために迅速な決断を下すことのできない当時のワイマール議会を批判し、代わりに強力な権限を持つ大統領が決断を下して民衆を導いていく必要があると考えたわけです(196〜7頁)」。シュミットの危機の政治学はこのような考えに基盤を置いているのであろうことがよくわかる。彼の危機の政治学が肯定的か否定的かは別として、頻繁に取り上げられるようになったことは、現代の日本において思想の左右に関係なく、ロシアや中国などの事実上の独裁者が支配する専制国家に肩入れする人間が増えていることと相関関係があるのではないかとも思えてくる。それはそれとして、ここにきてようやく著者がシュミットを「リベラル・デモクラシー」を扱う章に入れた理由が明らかになる。つまり「リベラル・デモクラシー」の例として彼をあげたわけではなく、「リベラル・デモクラシー」という考えから、いかに簡単に離反しうるかという例として上げたのだろうと思われる。まあ、その離反の結果がどうなったかは誰もが知るところだよね。ちなみにそんな経験をしてきたドイツになぜ今でも大統領がいるのかという疑問が湧いてくる人がいるかもしれないのでつけ加えておくと、現在のドイツの大統領は公選で選ばれているわけではなく、議会が指名している。だから現代の日本で言えば天皇のような象徴的な機能を果たしているだけで実権があまりなく、首相と比べてほとんど、というかまったくと言ってもいいくらい知られていないのですね。私めには、ヴァイツゼッカーの名前くらいしか思い出せない。現在の独大統領の名前ですら、何度ググってもすぐに忘れてしまう。ヒトラー時代を経験しているだけに、アメリカなどとは違って、大統領は、大きな実権を持てないよう議会が指名しているのでしょうね。ならいっそのこと止めちゃったらとか思うんだけど、きっと日本における天皇のようにそれはそれで意味があるのでしょう。そしてお次は、「かつて理想の政治・社会システムをめぐる熾烈な争いによって紡がれてきた歴史は、リベラル・デモクラシーの最終的な勝利によって幕を閉じた(200頁)」と高らかに宣言したフランシス・フクヤマ。いちいち指摘するまでもないけど、このご託宣を21世紀の今になっても信じている人は、まあいないでしょうね。つまり「リベラル・デモクラシー」には欠陥があるということが、とりわけ21世紀に入ってから明確になってきたということ。
それでは、それを補完する「共和主義」が取り上げられる「第4章 共和主義」に参りましょう。まず第4章における著者の目的が次のように述べられる。「現行秩序の中にも含まれているものの、見過ごされがちな共和主義的要素を自覚することで、リベラル・デモクラシーという政治・社会システムを思想的な面から補強すること。これが本章の目的になります(211〜2頁)」。次に著者は、「王の不在」「混合政体」「公的なるものの重視」という共和主義の三つの要素をあげる。ただし「王の不在」は必須ではないらしく、あとであげるカントやヘーゲルは、「王の不在」を共和主義の必須要件とは見なしていなかったらしい。さて著者は、共和主義の起源を例によって古代に求める。トップバッターは、お約束のプラトンさんで、「知恵の点で特に優れている者だけが政治に携わるべき(214〜5頁)」とする、彼の「哲人王思想」が取り上げられている。次もお約束のアリストテレスさんで、「混合政体論」を提起した彼の場合には、共和主義の二つ目の要素「混合政体」が強調される。その次はポリュビオスの「執政官(王政的要素)」「元老院(貴族政的要素)」「民会(民主政的要素)」という三つの政体から成る混合政体論を取り入れたキケロさんで、次のようにある。「ポリュビオスにしてもキケロにしても、民主政は共和政を構成する要素の一つにすぎないということが、民主主義という政治思想を相対化するうえでも重要となります。特にキケロは、共和政を構成する三つの部分がそれぞれ異なる機能を果たすことにより、自然法に基づく政治、すなわち公共の利益が実現されると考えていました(226頁)」。
次はいきなり近代までぶっ飛んで第1章で登場したルソーさんがここでも颯爽と登場する。ただ第1章で究極の民主主義者のごとき存在として登場したルソーさんが、共和主義者でもあったということになると話がわかりにくくなって、と〜しろ〜には見通しが悪くなるので、ここでは最後の結論の部分だけ取り上げておく。次のようにある。「人間には「完成可能性」があります。努力次第で、一般意志[ルソーさんの用語であったことを思い出しましょうね]に{近づく/傍点}ことはできます。しかも他の動物とは異なり、人間は本能に一方的に従うだけの存在ではありません。人間は理性によって情念を克服し、私利私欲を追求したくなる気持ちを抑えて公共の利益を目指すことができる。そして公共の利益へとつながる一般意志に従うことで、人間は「市民的自由」を手に入れることができる。共和主義という政治思想はそのような信念に基づいています(233〜4頁)」。
次に登場するのは「みんな大好きカントさん」。まずカントは、「「共和主義的統治」を行うためには必ずしも「王の不在」という要素は必要ではないと考えた(242頁)」と述べられている。そのうえで次のようにある。「ここまで論じてきたことから[「超越論的認識」や「叡智的人間」や「世界市民」などといった概念を提起したこと]、カントが現実から遊離した理想ばかりを語ったユートピアンに思えるかもしれませんが、実は彼は理想的な政治形態の実現をかなり現実的・段階的に考察しています。現実か理想かの二分法ではなく、両者のあいだにはグラデーションがあるのです(242頁)」。「現実的・段階的」「グラデーション」などといった言い回しは、私めが「粒度」と呼んでいるものに対応するように思われる。ただし私めは、この「粒度」はボトムアップに構成されるべきだと考えている。カントは「世界市民」などといった概念を提起している点からすると、トップダウンに捉えていたのかもしれないが、どうだろうか? 私めは「世界市民」や「世界政府」などといった概念は最終的には全体主義の温床になると考えていて、とてもそれに賛成はできない。というのも、それらはトップダウンの概念と言えるから。それに対して私めのボトムアップの見方は、「世界政府」ではなく、国家が先に存在していてそれを連合した、国連のような連邦的組織が必要とされると考える(現在の国連が抱える現実的な問題はここでは別とする)。ボトムアップの見方で考えた場合、たとえば国連などの連邦的な組織が実施する施策は、実のところ国家やそれ以下の中間粒度の政体における未来の人々の生活や生存を担保するものとして捉えることができる。つまり粒度が異なるそれら二つの要件を対立するものとして捉える必要はない。なぜなら連邦的粒度で実践される施策は、未来の国家(やそれ以下の共同体)、すなわち中間粒度の安寧につながるから。気候変動対策のような施策が国連のような連邦的組織で実施されねばならない理由は、もちろんそれが一国では解決し得ない問題だからでもあるけど、すべての国家の将来の安寧がかかっているからでもある。ところがトップダウンで先に「世界政府」を立ててしまうと、それより粒度の小さな国家や共同体の持つ独自の条件を無視してまで「世界政府」を運営する人々が理想的な政策を押しつける結果につながり、よって「世界政府」と中間粒度の対立を招くと考えるべきだと思う。つまり多様性の担保をどうやって図るのかが大きな問題にならざるを得ない。よって「世界市民」なるものも現実的には存在し得ない。最大でも「国民」に留まる。進化に言及されている箇所で指摘したように、生物の「evolution」の本質は、「進化」ではなく「細分化」すなわち「多様化」にあると個人的には考えている。つまり時間が経てば経つほど、多様化していくのが生物の本質だということ。そのことは生物学的特徴のみならず文化的特徴にも当てはまる。生物学的特徴が異なれば、ユクスキュルが言う意味での環界も異なるのであり、よって最終的には文化的特徴も異なりうる。ただし文化的特徴に関しては、人間の意思が関与するから細分化(多様化)とともに進化も起こりうるだろうし、その結果変化した環境のもとで生物学的(遺伝的)特徴も変化する、いわゆる「遺伝子と文化の共進化」が駆動されることもあろうけど、それはもともとのダーウィンの「方向性のない盲目的な変化」の埒外の作用だし、文化的進化に比べれば急進的には進まないだろうと思われる。いずれにせよ、その点を無視して、「世界政府」や「世界市民」を言い立てるなら、現実世界ではやがて根本的な矛盾が露呈すると個人的には思っている。「世界政府」は全体主義の温床になると言った理由の一つはそこにある。
カントの話に戻ると、さらに次のようにある。「では現象界[私たちが暮らす現実世界]において実現可能な政治形態の中で最善のものは何かといえば、それは「真の共和政」ということになります。真の共和政が成立するための条件は二つあります。一つは「市民主権」、すなわち市民が立法に何らかのかたちで関与することであり、もう一つは「権力分立」、すなわち立法権と執行権が分離していることです。前者は共和政が民主政的要素を含むべきであることを含意しており、後者はルソーの「共和政」概念を明白に引き継いでいる部分です(243頁)」。その後ベンサムとJ・S・ミルが取り上げられているけど、長くなってきたのでこれら二人の功利主義者はすっ飛ばして、次はヘーゲルさん。
ヘーゲルもカントと同様、「王の不在」を共和主義の必須の要件とは見なしていなかったらしい。ヘーゲルの国家像は次のようなものだったとのこと。「ヘーゲルはいったいどのような「国家」像を描いていたのでしょうか。結論を急げば、ヘーゲルの描いた「国家」とは、混合政体としての特徴を持つものでした。¶この点でヘーゲルは、プラトンよりアリストテレスに近いと言えます。というのも、彼は人間の「理性」という能力が現実を超越して「理想的なるもの」を感得することができると考えたカントを批判し、むしろ現実の中に「理想的なるもの」を見いだそうとしたからです。特に彼が理想的な国家のあり方と考えたのは、当時イギリスで採用されていた「立憲君主政」という政治形態でした。¶ヘーゲルによると、立憲君主政は「君主権」と「執行権」と「立法権」という三つの要素によって構成される混合政体です(259頁)」。「現実の中に「理想的なるもの」を見いだそうとした」というくだりは、まさに「正」「反」「合」の歴史的力動性を強調するヘーゲルの真骨頂って感じ。これはカントを取り上げた際に言及したボトムアップの考えに近いように思え、よって不肖私めの考えにも近い。そのボトムアップのヘーゲルが、「現実を超越して「理想的なるもの」を感得することができると考え」、のみならず「世界市民」などといった概念まで持ち出したトップダウンのカントを批判するのはよくわかる。そして著者は最後に次のように述べる。「このように「命令権」「権威」「自由」というキケロの提示した共和政を構成する要素を含む混合政体という構想を、「共和政」や「共和主義」といった言葉を使わずに後世に伝える役割を果たしたのが、このヘーゲルという思想家でした(262頁)」。そのあとはT・H・グリーンとラスキというイギリスの思想家と、さらに日本の状況が述べられているけど、長くなってきたし、あまり知られていない思想家が扱われているのでそれらは省略。
ただ第4章に関して一点だけ気になったことがあったのでそれについて触れておく。それはマキャベリについて。そもそも著者は第4章の冒頭近くでポーコックの有名な著書『マキャヴェリアン・モーメント』(私めもはるか昔に原書で一度だけ読んだことがあるけど、内容は完全に失念した)に言及しながら、それ以後マキャベリについては、冒頭で取り上げた本文の最後にある文章以外では一言も言及されたいない。マキャベリは君主の手下になったとしても(「王の不在」が共和主義者の必須アイテムだったら確かにこの事実によって彼は共和主義者失格になろうが、カントやヘーゲルに見たように必須アイテムとは言えなさそうだし)、バリバリの共和主義者だったような気がするけど違ったのかな? ところで、マキャベリで思い出したことがある。私めが大学に通っている頃、ギョロ目の佐藤優氏の言葉を借りればガラパゴス同志社では、バリストが発生して(当時のことについては佐藤氏が、どれだったか忘れたけど著書の一つに書いていた)試験がすべて中止になって代わりにレポート提出に切り替わったことがあった。確か政治学の講座だったと思うが、そのレポートにマキャベリについて書いたことを覚えている。今手元にあったとしても、あまりに幼稚な内容にわが顔面が核爆発を起こすに決まっているから絶対読まないだろうが、ただ『君主論』を肯定的に評価したことだけは覚えている(もちろん当時は「共和主義」などという言葉自体知らなかったはず)。
まとめのような短い『終章 民主主義を活かすために』を除いた最後の章「第5章 社会主義」ではもちろん章題どおり社会主義が扱われている。ただ社会主義についてはここでは詳細には追わず、最初の文言のみを取り上げる。次のようにある。「「なぜ民主主義をテーマにした本の中で社会主義を扱うのか」と不思議に思われるかもしれません。というのも、社会主義はしばしば独裁的な政治体制と不可分であるかのように語られてきたからです。しかし、社会主義と独裁の結びつきは必然的なものではありません。むしろ社会主義には資本主義以上に民主主義との親和性が高い側面すらあります(286頁)」。まあ社会主義と独裁が結びついているように思えるのは、もっぱらソ連、とりわけスターリンのせいでしょうね。いずれにせよ、本章では自由主義、共和主義とともに民主主義を補完する政治思想として社会主義が捉えられており、カール・マルクス、エミール・デュルケーム(少し場違いな感が否めないけど)、カール・マンハイム、ホブハウス(私めは初耳だけど、マルクスの次に多くの頁が割かれている)、ケインズ(ケインズについては『ケインズ』も参照しましょうね)などが登場する。
ということで、民主主義、自由主義、リベラル・デモクラシー、共和主義など、なかなか区別しにくい政治概念が、非常に見通しよく整理されていて、その意味では非常にお薦めの本だと言える。とはいえ、「序章」で予告したように一点だけ苦言を呈さずには終われない。それは本筋と関係ない部分で、ときおりきわめて不用意、あるいは軽率と思われる政治的発言が見られること。すでにあげた「序章」の自衛隊と暴力装置の話もそうだが、それ以外にも散見される。その典型例を一箇所だけあげましょう。
第4章の最後のほうに次のようにある。「今日ますますこのような「専門知」の存在は重視されなくなってきています。陰謀論と結びついて民衆の支持を得た政治家が、専門知を無視して政策を決定するという現象は、今日においては日本に限らず欧米諸国においても広く見られます。専門知を象徴する日本学術会議という団体も、民主主義を前にしてその地位を脅かされています。哲学者と民主主義の相性が悪いのは、どうやらソクラテス裁判の時代から変わっていないようです(279頁)」。いいたいことはわからんでもないが、それにしても軽率すぎないかい? まず「陰謀論と結びついて民衆の支持を得た政治家」って、具体的には誰のこと? 確かに小さな発展途上国の独裁者にはその手の政治家がいるのかもしらんが、日本や欧米の先進国にそんな政治家がいるの? まさかトランプのような政治家を指しているわけじゃないよね? もしそうだったら、著者は、トランプに投票した、半数のアメリカ人を陰謀論者呼ばわりしたことになる。もちろんトランプ支持者に陰謀論者がいることに間違いはないが、それは民主党支持者にも当てはまるはず。というより、自分が支持する政治思想を支持していない奴はすべて陰謀論者だとレッテル貼りするのでない限り、その政治家が誰を指すかに関係なく、政治信条を問わずそもそも少数しかいない例外的な存在でしかない陰謀論者をここで取り上げることは一種の藁人形論法であり(ネット民ならまだしも学者が本に書くことではないっしょ)、かえって論旨を毀損して、「「専門知」の存在は重視されなくなってきた」とする著者の本来の主張自体が陰謀論めいて聞こえてくる。まあ著者は一九八七年生まれらしくまだ若いので、その種の機微が見えないのかも。
それから後半の学術会議のくだりは、この問題に対していかなる態度を取る人であろうと、「はあ?」って感じられるだろうね。そもそも菅氏、つまり行政府の長が候補者のチェックをしたことがきっかけで始まったこの問題が、どうして「民主主義を前にしてその地位を脅かされて」いることになるのか? 言いっ放しにするのではなく、最低でも説明は必要だよね? さらに言えば、私めを含め学術会議を批判する立場を取る人々が問題にしていることの一つに、まさに学術会議が「専門知を象徴する団体としてふさわしいのか?」、もっと細かく言えば「専門知を象徴する団体として政治的に中立であるべきなのに、特定の政治的アジェンダに従っているのではないのか?」というものがある。それらの問いに対する答えが実際に「イエス」になるのか「ノー」になるのかは、ここでは関係ない。では何が問題かと言うと、著者のこのようなもの言いは、そのような問いを立てること自体を非難しているように聞こえる(しかも、新書本を読むたいていのと〜しろ〜の一般ピープルからすれば、若いとはいえ著者は新書本を書いた偉い学者先生さまなので権威者でもある)。つまり序章の自衛隊の件と同様、意識的か否かは別として特定の政治勢力に加担し、それとは異なる政治勢力の口を塞ぐ結果になる。第一に少なくとも相応の説明を加えなければ、読む側は「はあ?」となるし、誤解も生じやすい。私めも何かを誤解しているのかもだけど、いずれにせよ上記の記述では読者に誤解されてもおかしくはない。おそらく著者は、本筋には関係がないから詳細は省略しても構わないと思ったんだろうけど、この手の記述を含めると、かえって著者自身の本来の主張を毀損する結果になる。いくら新書本であろうが(こんな軽率な文章は論文には書かないでしょ?)、何気なく書いたのだとしても、こういうことを書くとかえって信憑性を毀損するからやめた方がいいと言いたい。ということでやや長めに苦言を垂れたけど、他がきわめてすぐれている本だからこそ、わざわざ指摘させてもらったというわけ(最初から箸にも棒にもかからない本なら、いちいちこんな苦言は呈さない)。実にもったいない。
※2024年2月24日