◎牧野雅彦著『権力について』(中公選書)

 

 

副題に「ハンナ・アレントと「政治の文法」」とあるように、「権力について」と言っても、おもにハンナ・アレントの権力論が取り上げられている。したがって、「権力」と言えばいの一番に思い浮かぶであろう、「みんな大好きフーコーさん」は名前すら見かけなかった。なお本書ではより一般的な「アーレント」ではなく、一貫して「アレント」と表記されているので、引用文以外でも「アレント」という表記を採用することにする。

 

ということで「第1章 政治の文法」から。まず古代ギリシアの都市共同体ポリスにおける、政治と(家の)経済の区別というアレントの有名なテーゼが次のように説明されている。「古代ギリシアにおいて、自由な市民の共同体としてのポリスと、市民の家(オイコス)とは{劃然/かくぜん}と区別されていた。生活のための営みはもっぱら家の領分であった。今日、経済を示すエコノミーは家の営みとしての「オイコノミア」を語源としている。生活のためのさまざまな物資を調達する活動は、家に従属する女性や奴隷に任されて、家を支配する家父長はそうした生活の必要から解放されて、市民として共同の営みに参加することができる。自由な市民の共同体としてのポリスで行われる活動こそが「政治」(ポリティクス)であった(3頁)」。もちろんこれは古代ギリシアの話で、経済と言っても家における生活の営みを指していたわけだし、ポリスで行なわれていた政治とは、今とは違って直接民主制であった。ちなみに直接民主制と言うと現代では立法府だけに限られるようにも思えるけど、古代ギリシアにおいては行政府、司法府に関しても市民が直接参加していたことについては『古代ギリシアの民主政』を参照されたい。いずれにせよ、古代ギリシアでは「自由な市民の共同体としてのポリスで行なわれる活動こそが「政治」(ポリティクス)で」あり、生活のための営みとは区別されていたという点を念頭に置きましょう。さらに著者は、「「公的なもの」と「私的なもの」との区別を踏まえて、人々が自由で開かれた場に集まって「権力」を生み出し、それを行使するための技法、これが「政治の文法」である(5〜6頁)」と述べる。この考えは、本書全体の通奏低音をなしているので、しかと覚えておきましょう。

 

ではアレントの言う「権力」とは何か? アレントはそれを次のように定義している。「「権力」(power)とは、複数の人間が協力し合うところに生まれる力、共同して行為する「能力」である。それは普段は隠れているが、複数の人間のあいだにおいてはじめて発生する潜在的な力である。¶したがって「権力」は個人に内在する特質ではない。複数の人間が共同して、集団として行為するときに、あるいは行為できるときにそれは発生する。共同する集団がなくなれば権力は消滅し、権力が支えていた公的な空間も消滅する(11〜2頁)」。この点もまた、本書全体の通奏低音をなしているので覚えておきましょう。「権力」と言うとどうしてもそこにネガティブなコノテーションを読み取りたくなるけど、アレントのこの定義にはそのようなコノテーションはないように思える。それに対しアレントは「暴力」を次のように定義する。「通常われわれが暴力(violence)と呼んでいる現象は、個人のもつ「力量」、腕力などの肉体的な力を、他者を服従させるために利用するときに発生する。()相手の意志に反して行使される「強制」や「支配」は、本来の「権力」とは正反対の現象である(12頁)」。

 

「権力」と「暴力」をそのように定義したうえで、さらに次のようにある。「「権力」を抑制できるのは「法」ではなく、「権力」である。()いわゆる「法の支配」が抑制することができるのは、「権力」ではなく「暴力」による支配でしかない。「暴力」であれば、それを命令する者や行使する者を「権力」によって抑制することは可能である。だが「権力」には「権力」以外に対抗できるものはない。「権力」の暴走を抑制する上で、権力の分割による相互抑制という「権力分立」の原理が有効なのは、そこに理由がある(16頁)」。まず指摘しておくと、このアレントの見方、すなわち「「権力」を抑制できるのは「法」ではなく、「権力」である」に従うなら、「憲法は政府を縛るためにある」などといったよくある見解は成り立たなくなる。それから最後の一文に注目されたい。「権力分立」の典型例は「三権分立」だろうけど、アレントによれば、それは「権力」によって「権力」を相互抑制するための唯一の仕掛けなのですね。学術会議の問題がクローズアップされていたときに、その点を勘違いして、「三権分立」をただただ立法府、行政府、司法府を相互独立させるためだけのメカニズムとしてとらえて手前に都合のいいレッテルとして使う人が、わらわら出てきた(確か野党の党首にもいたよね?)。実際にはそうではなく、「三権分立」の肝は、「権力の分割による権力の相互抑制」であることが、このアレントの定義によってもわかる。そんなことはわざわざアレントを持ち出さずとも、「三権分立」とは、立法府、行政府、司法府のそれぞれが互いに暴走しないよう監視し合うための仕組みであると高校の政治経済?の教科書にも書かれていたはずなのに、政治家でさえケッタイなことをのたまっていたのには恐れ入ったことを今でも覚えている。

 

ということで「第2章 評議会とはどのような組織か」に参りましょう。最初に「国民」と「国民国家」について言及されているので、その部分を取り上げる。「「国民」の形成は近代における「社会」の登場と密接に関連している。もっぱら家の中で営まれていた経済の営みが市場を通じて拡大していく。人々は、商品経済という不特定多数の人々に開かれたネットワークを通じて結びつけられる。そこに形成される新たな公的領域、「政治」の舞台とは区別された領域が「社会」である。その社会の構成員が一つの政治的共同体を形成したのが「国民国家」であり、そうした「国民」集団の政治的独立への意志の表現が「ナショナリズム」である(22頁)」。「ナショナリズム」も「権力」と同様、昨今ではいかにもそれ自体が悪いものとして扱われることが多いように思われる。でもアレントは、そうは捉えていなかったことになる。「「国民」集団の政治的独立への意志の表現」と言えば、第二次世界大戦直後にアジアやアフリカの諸国が、帝国主義国の支配から脱して独立する原動力になったのが「ナショナリズム」であった。「ナショナリズム」それ自体が悪であるのなら、それらの独立運動も悪であったことになる。もちろんそんなはずはない。おかしいのは「ナショナリズム」それ自体を悪と見なすことのほうなのですね。「ナショナリズム」は「国粋主義」とは違って、ナチスのように過去を理想化することではなく、アレントによれば「社会の構成員が一つの政治的共同体を形成した」ものである「国民国家」という「「国民」集団の政治的独立への意志の表現」なのですね。だからそれ自体が悪であるはずはない。左派メディアや自称知識人はそこを勘違いしていると思う。ちなみにベネディクト・アンダーソンは有名な『想像の共同体』で「公定ナショナリズム(official nationalism)」という概念に言及していた。『想像の共同体』はずいぶん前に二度読んだことがあるだけなので、ここではウィキの「想像の共同体」に関する記事を参照しましょう。次のようにある。「19世紀には公定ナショナリズムという新しいナショナリズムの形態が確立される。これは国民を統合するという政略的な意図に基づいて国家により定められたナショナリズムで、伝統的な王朝の原理と革新的な国民の原理を総合する特徴が認められた」。うろ覚えだけど、ここで言う国家とは、19世紀の帝国主義的な国家を意味したはずで、植民地の民衆によるナショナリズムに対処するために、帝国主義国家が編み出したナショナリズムだったように覚えている(記憶違いだったらすんましぇん)。これは私めの見解だけど、だから「公定ナショナリズム」は、帝国主義国や専制君主国が自らの権力を担保するために利用したナショナリズムであり、まさにアジアやアフリカの諸国が独立を果たす原動力として機能した民衆によるナショナリズムとは対立するものだったと言えると思う。そこを区別せずに、十羽ひとからげに「ナショナリズムは悪しきもの」とする見方は間違っていると言わざるを得ない。

 

少し話が飛ぶけど、次に代表制の問題が次のように指摘されている。「選ばれた代表が選挙民の意志の忠実な執行者であるならば、そこで行われることはたんなる管理=行政(administration)となり、本来の「政治」、公的な場で意見を戦わせるという営みは消滅する。他方で、選ばれた代表が選挙民から自立して、自らの意志に基づいて行動すれば、今度は代表者が選挙民を支配することになる。かつてルソーが批判したように、「人民は選挙のときだけは自由だが、選挙の後には奴隷になる」。いずれの場合にも、「支配」と「服従」の関係がそこには発生する。自由な「意見」を戦わせる本来の政治の場は、上からの「支配」からも下からの「支配」からも自由でなければならないとアレントは言うのである(26頁)」。この問題の回避策としてアレントは、「評議会」をあげる。次のようにある。「評議会においても人々は代表を選ぶ。ただし代表は、支配することも、支配されることもない。各級の評議会では、対等平等の構成員のあいだで、協議や討論の過程で優れた意見、説得力や行動力を示した人物が選ばれる。選ばれた者は、あくまでも「同輩者中の第一人者」にとどまり、同等の構成員に指示や命令を出す権限をもたないし、他の構成員は命令に従う義務を負うわけではない。(…)そうした原則に基づいて積み上げられた評議会のシステムにおいては、上級の評議会と下級の評議会の関係において支配・服従の関係が発生することはない。なるほどそこにはある種の「権威」を帯びた階層構造が成立する。だが、権威主義体制における「権威」が「上から下へ」、超越的な上位の源泉から発するのに対して、評議会システムにおける「権威」は、対等平等の者のあいだの相互承認に基づいて生まれるのである(28頁)」。まあでも「評議会」と言うとどうしても結局独裁体制と化したソビエトを思い出してしまうので、あまりイメージはよくない。その後、「評議会」に関する記述が続くけど、「そのような意味における「評議会」は、議会制とは本質的に相容れない(29頁)」という指摘以外は省略する。

 

「第3章 「連合」の原理と国際関係」に参りましょう。まず冒頭で、章題にある「連合」に関して次のようにある。「「権力」の相互抑制による「連合」という原理は、国民国家のシステムを前提としていない。したがって、それは主権国家を超えた国際関係にも適用できるはずである(41頁)」。これはまさに、国民の生活がかかる中間粒度(国民国家)の問題と、たとえば気候変動の問題のように国際的な解決が必要とされるより大きな粒度のレベルにおける問題は截然と区別して考えるべきだが、どちらも無視してはならないという私めの考えと一致する。ちなみに「国民国家のシステムを必要としていない」ではなく、「国民国家のシステムを前提としていない」とある点に留意されたい。それに関してアレントは、ユダヤ人国家イスラエルをめぐる問題と戦後のドイツ問題を検討しているとのことだけど、後者に関して「ナショナリズムを超えて」という節で気になった記述があったので、ここではそれだけを取り上げる。「戦後のドイツが国民国家としての再建を目標として掲げ、国民がそれを支持すれば、周辺のヨーロッパ諸国に疑念を生み出すだろう。戦後に再編されたポーランドとの国境は、両国のあいだに対立をもたらして、東西の分断を固定化するためにソ連が意図的に仕掛けた地雷である。そうした状況の中で、ドイツが再統一の旗を掲げ続けるならば、国民の願望や政府の意向がどうあれ、それはナショナリズムの対立する世界を再び生みだすだろう。われわれは、国民間の緊張をもたらすようなナショナリズムから脱却して、戦争の危険をはらんだ主権国家のシステムからの転換の道を探らなければならない。諸国民の自由を前提としたヨーロッパの「連合」の中で、東西ドイツ国民の自由も実現するだろうというのがアレントとヤスパースに共通する立場であった(61頁)」。

 

アレントさんやヤスパースさんに、したり顔をして朝日新聞的な口調で「だがちょっと待ってほしい!」と言うのは身の程知らずと言われそうだけど、これに関してだけ言えば、二人は完全に見当違いをしていたと思う。というかこれでは現代日本の左派メディアの薄っぺらな主張と大して変わらない。私めがガキンチョの頃、東西ドイツの統一を怖れる言説がはびこっていたのは確か。でも実際に東西ドイツが統一されても、統一ドイツは経済的ヘゲモニーを握ることはあっても、拡張主義に陥って周辺諸国を脅かすようなことはしてこなかった。アレントはユダヤ人だし、ヤスパースはドイツ人なので、当事者の立場からそのように言うのは心情的にはわからなくもないが、ナチスの問題の核心はナショナリズムにあったわけではないと思う。そうではなく、ナチスが勃興したのは帝国主義時代であって、拡張主義が跳梁跋扈していた。その帝国主義や拡張主義が、自国やゲルマン民族を理想化する国粋主義、いわば理想主義と結びついたのが問題だったのであって、ナショナリズムはそれには直接関係していなかったと思う。ヤスパースはどうか知らんが、前述のようにアレントはそもそも「ナショナリズム」を「「国民」集団の政治的独立への意志の表現」ととらえていたのであって、ネガティブなものとは見なしていなかったと思われるにもかかわらず、彼女がそう考えていたのなら奇妙な話だと言わざるを得ない。「国民間の緊張をもたらすようなナショナリズムから脱却して、戦争の危険をはらんだ主権国家のシステムからの転換の道を探らなければならない」とあるけど、ナショナリズムを脱却すれば、戦争の危険をはらんだ主権国家のシステムからの転換を図れるわけではまったくない。なぜなら戦争はナショナリズムではなく、帝国主義や拡張主義が起こすものだから。現在の世界を見ても、戦争を起こしたり、拡張主義に走ったりしているのは、ドイツではなくロシアや中国であることを考えてみればよい(とアレントさんやヤスパースさんに言ったところで仕方がないけどね)。

 

ということで「第4章 抵抗のための条件」に移りましょう。最初に公民権運動に関して次のように述べられている。「黒人を同等の市民として受けいれるかどうかは、アメリカが真に「自由な市民の共和国」となるための試金石であった。この課題に、正面から取り組んで大きな成果を挙げたのが公民権運動である。アレントにとってこれは、市民の連帯と共同による「権力」形成の典型的事例であった(67頁)」。これを読んでふと思い出したことがある。それは、先日『社会学の新地平』を取り上げたときに、ウェーバーの「資本主義の精神」とフーコーの『監獄の誕生』で論じられている権力のあり方が同じ性格のものだと書かれているのに違和感を覚えると言ったこと。同書には、ウェーバーは「資本主義の精神」を「生産と販売に関わる一人一人の自律性と創造性」としてとらえ、「自律分散的なネットワーク型生産方式」を重視していたとある。このように「資本主義の精神」を自律的な個人の主体性に見出すウェーバーの議論は、フーコーの権力論より、市民の連帯と共同によって「権力」が形成されるとするアレントの権力論のほうがよっぽど親和性が高そうに思えた。もちろんこれは、と〜しろ〜の個人的な印象に過ぎないわけだけど。

 

次に著者は、マイノリティを抑圧する支配者に対する暴力を肯定する、ファノンやサルトルの議論を取り上げ、アレントがその考えを肯定していないことを示す。その理由は、簡単に言えば「暴力は暴力を呼ぶ」などといった月並みなもののようだけど、アレントの著書『暴力について』における次の指摘はきわめて興味深い。「たとえば、黒人の不満に対して「われわれみんなに罪があるのだ」という叫びで応えるのが白人のリベラルな人々のあいだで流行していること、ブラックパワーが喜んでこの「告白」を利用して、非理性的な「黒人の怒り」をひたすら煽ったことは誰もが知っている。すべての人に罪があるというのは、誰にも罪はないと言うに等しい。集団的な罪の告白は本当の犯人が発見されないようにする最良の安全装置であって、罪があまりに重いというのは何もしないことの最良の口実なのである。とりわけ黒人問題においては、それは人種主義をより高い抽象的なところにもちあげるだけであって、問題を曖昧にしてしまう危険がある。黒人と白人の対立を集団的な有罪と無罪という和解しがたい対立にすることで、黒人と白人のあいだに横たわっている本当の亀裂が癒やされるわけではない。「すべての白人に罪がある」というのは危険な戯言であるだけでなく、裏返しの人種主義であって、黒人が抱えている本当の不満や道理のある感情に非理性的なはけ口を与えて、現実から逃避させるのに大いに寄与するだけなのである(85頁)」。『暴力について』は、半世紀以上前に刊行された本だけど、今のアメリカにも「白人に生まれてごめんなさい」などと発言する白人がいるらしいよね。アレントによれば、そのような考えは何事も解決しないどころか、むしろ本質を隠すことになりかねない。そう言えば、若い黒人女性が白人のBLMメンバーに向かって、次のような主旨のことを叫んでいる動画を数年前に観たことを思い出した。「黒人が白人に襲われたときにはすぐに駆けつけて来るのに、黒人が黒人に襲われたときには、あんたらはいったいどこにいたのか? 白人が襲われたときには「white lives matter」と叫べばいいのに、なぜそうしないのか? あんたらは偽善者だ!」。ちなみにそう言われた白人のBLMメンバーは、アレントの言う「人種主義をより高い抽象的なところにもちあげるだけであって、問題を曖昧にしてしまう危険がある」ような返答しかできていなかった。この黒人女性が訴えていることは、本質的に上のアレントの主張と異ならないと思う。アレントが左派か否かは別として(この本を読む限り、少なくとも左派ではないと思う)、昔は左派もこのようなまっとうな見方をしていて共感できる部分があったのに、今ではイデオロギーを優先させて現実をまったく見なくなってしまっていてあきれ返ることが多い。左派の活動家よりも、一介の黒人女性のほうが正しくものごとをとらえているくらいなのだから(何しろこの黒人女性は、インテリのアレントの主張と本質的に異ならないことを訴えているしね)。

 

このアレントの主張に対して、選書本の著者は次のようにつけ加えている。「不当な差別や抑圧を受けた者が、差別した相手や抑圧する支配者を告発するとき、追求を受ける側は、精神的には受け身の立場、いわば道徳的な「弱者」の立場に立たされることになる。ただし、実際には、不当な差別や非人道的な抑圧を告発し弾劾したとしても、実際に差別や抑圧を実行した本人が心から反省することは、おそらくあまり多くないだろう。(…)むしろ「謝罪」や「反省」を口にするのは、そうした行為に直接には関与しなかった周囲の人間や、まったく関わりのない第三者のことのほうが多い。彼らは、そうした不正や蛮行を見過ごしてしまったという自責の念からか、あるいはある種の理想主義に駆られてか、自らを差別や抑圧に加担した者として告発し、道徳的な「弱者」の立場に置くのである。そうした精神的・道徳的「弱者」に対する批判は、彼らの罪状が直接的な加害でないならば、それ自体が一種の「暴力」として作用することになる。そこでは、本当に解決すべき不当な差別や抑圧から目を逸らさせてしまう、とアレントは言うのである(85〜6頁)」。「自らを〜道徳的な「弱者」の立場に置く」とあるけど、今の日本の自称知識人の言動を見ると、最近では実のところ「暴力の犠牲者に対して自らを道徳的な「弱者」の立場に置くことで、一般ピープルに対して自らを道徳的な「強者」の立場に置くこと」が目的であるように思われてならない。つまり一般ピープルに、最近の言い方をすればマウントを取って自身のガラス細工のような自我同一性を確保維持するのがその目的であるようにどうしても思えてしまう。いずれにせよ、「黒人問題に限らず、「集団的な罪」というかたちで問題を提起し、「罪の告白」や「謝罪」を求めることにアレントは総じて批判的(86頁)」なのだそう。

 

とはいえ、人種差別が現実に存在することには変わりなく、「罪の告白」や「謝罪」などといった歪んだやり方ではなく、それに対処するにはどうすべきかが「第5章 抵抗のための「権力」」で論じられる。アレントはこの問題を次のようにとらえる。「なるほど理論や主義主張の正しさへの確信、あるいは正義や理想への献身は、人を行為へと駆り立てる原動力であるし、大勢が反対の方向を向いている中で自分の信ずるままに行動する拠り所となることは確かである。しかしながら、そうした大義への献身だけに依拠することには、ある種の危うさがともなっている。もし拠り所とする主義や大義それ自体が間違っていたとしたら、大義への忠誠や原理原則への確信は間違った道に突き進むことになるだろう。自己の信念の正しさのみを確信して暴走する。そうした落とし穴にはまらないようにする歯止めはどこにあるのか。アレントが考えようとしたのはこうした問題であった(102頁)」。この問題が史上初めて典型的な形で現れたのがフランス革命だったと個人的には思う。以前取り上げた『ケインズ』で、「絶対王制を倒すためには革命が必要だったことは認めるとしても、国政レベルで革命家が政治家として居座るととんでもないことが起こることをその後の歴史が証明している。フランスしかり、ロシアしかり、中国しかり」と述べたのも、まさにこの問題に該当する。実際次の第6章に、アレント自身もフランス革命よりアメリカの独立革命を評価していたと書かれている。次のようにある。「市民が自由を求めて抑圧的な体制を転覆する「革命」は、必然的に「暴力」をともなうわけではないし、「暴力」を用いなければ起こすことができないわけではない。フランス革命に対してアメリカの独立革命をアレントが高く評価しているのもここに理由がある。アメリカ革命を成功させたものこそ、人々が共同することによって生みだした「権力」だったのである(118〜9頁)」。要するにアレントの権力論は、フランス革命よりアメリカの独立革命によりうまく当てはまるということなのでしょう。なおフランス革命については、つい最近取り上げた『シィエスのフランス革命』でもいろいろ述べたのでそちらも参照されたい。

 

さて、では先の102頁の問題提起に対してアレントはどう答えたか? 私めには意外に思えるのだけど、それは「カントが『判断力批判』で論じていた美的判断力(102頁)」と、「そうした判断力を行使する際の源泉となる(…)「共通感覚」(102頁)」ということらしい。アレント自身の言葉を借りれば次のようになる。「共通感覚は、想像力を働かせることで、実際には目の前にいない人を自分の中に呼び出すことができる。そのようにして、人はあらゆる人の立場に身を置いてものを考えることができるとカントは言うのです。誰かがこれは美しいと判断するとき、彼はたんにそれが自分にとって快いものだと(…)述べているのではなく、判断の際にすでに他人を想定して、彼らの同意を求めているのです。したがって自分の判断は普遍的とまでは言わないとしても、ある程度の一般的な妥当性をもつことが期待されている。その妥当性は私の共通感覚がその一員とする共同体にまで広まることになります(102〜3頁)」。選書本の著者は、「「共通感覚」の英語表現である「コモン・センス」(103頁)」と述べているけど、ここで説明されている「共通感覚」は、個人的には認知科学で言うところの「認知的共感力」や「心の理論」に近いと思う。それについては、あとでもう一度出てくるのでそこで取り上げる。ただアレントの権力概念の基盤を、「コモン・センス」や「認知的共感力」に求めるのは少々根拠として弱いような気がする。私めならここは「直観」と言い換えたいところ。でも「直観的に振る舞っていたら、それこそ少なくとも野郎どもは狼なんだから、アレントの言う「権力」が形成されるどころか「暴力」が猖獗する事態にしかならんのでは?」と訝る人も多いかもしれない。その疑問に対して私めは、「それは「直観」の力を正しく理解していないからそう思えるんだべさ」と答えたい。

 

「直観」の力を裏づける根拠は、最新の神経科学/認知科学と進化科学に見出すことができる。まず神経科学/認知科学から言うと、認知作用は必ずしも意識的なものに限られず、意識的、直観的に作用する場合もあるという理解が最近では得られている。たとえば神経科学者で言えば、ジョセフ・ルドゥーがあげられる。彼はカーネマン流のシステム1(無意識的、直観的)とシステム2(意識的、理性的)という二項区分では不十分であるとして、システム1(非認知的で無意識的)とシステム2(認知的で無意識的)とシステム3(認知的で意識的)という三項区分を提唱している。つまりルドゥーの考えによれば、システム2は認知領域に属しながら意識的な作用ではなく、認知には無意識的なもの(システム2)もあれば、意識的なもの(システム3)もあるのですね。神経科学者のルドゥーは、それら三つのシステムに脳のどの部位がどのように関与しているのかを詳細に述べているけど、ここでそれに深入りすることはしない。また認知科学者で言えば、ヒューゴ・メルシエ&ダン・スペルベルがそのような立場を取っていると見なせる。メルシエ&スペルベルに至っては、合理的思考(reasoning)すら直観的推論の一形態としてとらえている。それに関しては二人の共著『The Enigma of Reason』を是非参照されたい。進化科学に関して言えば、ここはステマ、もといアカラサマを兼ねてぜひわが訳書、マイケル・トマセロ著『行為主体性の進化』を読んでみてくださいませませ、と言っておきましょう。『行為主体性の進化』では、人間は「社会規範的行為主体」としてとらえられている。この本から一つだけ引用しておきましょう。「十全に文化的な存在に進化すると、現生人類は事物に対する個人的な視点のみならず、いかなる個人の視点からも独立した客観的状況に照らして世界を知覚し、理解するようになった。そしてさらに、互いに対する責任という視点だけからではなく、集団の全メンバーによって同意された集合的な規範的基準を遵守する義務という視点から、集団の仲間を理解するようになったのだ。こうして現生人類は、客観的かつ規範的な世界に住まうようになったのである(同書191頁)」。ここで注意すべきは、人間にはそのような行為主体性が進化によって埋め込まれているのであって、それは人間の条件そのものであり、したがっていちいち理性的推論を介して社会規範的行為主体としての能力を発揮しているわけではなく、本能的、直観的にそのように生きざるを得ないということなのですね。これはまさに、アレントの権力論の、より深い基盤になるのではないかと思う。

 

ということで「第6章 革命の条件」に移りましょう。最初にハンガリー革命、パリ五月革命、ソビエト革命などの二〇世紀に起きた革命が取り上げられている。でも、後半のフランス革命やアメリカの独立革命に関する記述のほうが興味深かったので後半のみを取り上げる。「理想主義の陥穽――ルソーと「憐れみ」」という節では、アレントは理想主義そのものを否定していたわけではないものの、「アレントが拒絶するのは、たとえばフランス革命の指導者たちが声高に語る「民衆の苦悩」に対する同情や共感といった言辞である(132頁)」ということが論じられている。最初に指摘しておきたいのは、認知科学的に言えば共感には認知的共感(他者の立場に立ってものごとを考えること)と情動的共感(他者と同じ情動を感じること)の二つがあるけど、この章を読むとどうやら著者はもっぱら後者を指しているように思われること。だから「同情」と「共感」はここではほぼ同義と見なしても構わないように思われる。まず『革命について』にあるアレントの言葉から。「やがてフランス革命を遂行することになる人たち、貧民の圧倒的な苦悩に直面し、彼らに歴史上はじめて公的領域への戸口を開いて光を与えた人々――このような人々の心にルソーが巨大な支配的影響力を与えることができたのは、彼の教義のいかなる部分にもまして、この苦悩の強調のおかげであった。すべての人々を連帯させるというこの偉大な努力のために重要なのは、積極的に善をなすというよりは、むしろ無私、自分自身を無にして他人の苦悩の中に没入する能力であったし、最も危険で、最も憎むべきものは、邪悪さよりむしろ利己主義であった(132〜3頁)」。「他人の苦悩の中に没入する」というのは、私めには認知的共感ではなく情動的共感であるように思える。ここで先取りして述べておくと、心理学者のポール・ブルームはわが訳書『反共感論』で、政策レベルに(言い換えれば政治に)認知的共感ではなく情動的共感を持ち込むとさまざまな問題が噴出すると主張している。私めが見る限り、この章で紹介されているアレントの考えは、そのブルームの議論に非常に近いように思えた。

 

フランス革命やそれ以後の革命に対するアレントの見方も、次のように非常に手厳しい。「フランス革命以来、革命家たちがリアリティ一般とそして具体的な人々のリアリティに対して、奇妙なほどに無感覚になったのは、彼らの感傷の無際限さに原因がある。革命家たちはそうした人々を、自分たちの「原理」や歴史の進路や革命それ自体の大義のために犠牲にするのに何の良心の{呵責/かしゃく}も感じなかった。情緒で一杯でリアリティに無感覚だというのは、すでにルソーその人の行動、その現実離れした無責任と信頼性の欠如に顕著に示されているが、ロベスピエールがそれを革命の分派闘争の中に持ち込んだときに、重要な政治的原因となったのである(138〜9頁)」。このようなルソーの度し難い傾向は現代の左派の見方にも流れ込んでいるように個人的には思える。『ケインズ』を取り上げたときに、私めは「革命は政治ではない。というのも、政治とは中間粒度の安定を保つために、さまざまな条件に鑑みて現状に合った最善の手段を考案し実施することであって(そこには妥協も必要になる)、特定の理念や理想をトップダウンに適用することではないのだから」と述べたけど、その理由の一つもここにある。アレントの言う「具体的な人々のリアリティ」は、私めなら「人々の生活がかかる中間粒度」と言い換えたいところ。このアレントの主張に対する選書本の著者の次のような解説もきわめて当を得ている。「ロベスピエールが「同情」を多数の人間によって形成される公的世界の中に持ち込んだとき、それは「同情」から「憐れみ」へと変質してしまった。本当の「同情」は不特定多数の人々に通じるような「言葉」をもたず、ただ個別具体的な人間に対する身振りでしか示すことができない。不特定多数の人々に対して示される「同情」、その実体としての「憐れみ」は、それが感動的な言葉で語られれば語られるほど、特定の人間――自分の目の前にいて他の誰とも取り替えのきかない人――とのつながりからは疎遠になる。そうした個別具体的な人とのつながりを欠いてしまえば、後に残るのは「同情」への情熱でしかない。その情熱がどんなに純粋なものであったとしても、それは他者との関係、世界のリアリティから切り離されて肥大化した自我の内部にしか対象をもたない。「不幸な人民」に対する「同情」を情熱を込めて高唱する革命家が、目の前にいる人々の現実に無関心であるばかりか、彼らを革命のために犠牲にすることに寸分の良心の呵責も感じないという逆説がここに成立する。かくして「同情」の実体としての「憐れみ」の感情が政治の世界で権力を握り、利己主義と偽善に対する闘いを開始するとき、それは革命指導部を含めた「自己粛清」をともなうテロルに行きつくことになるだろう。ロシア革命以降の全体主義にまで連なる左翼のテロルの源泉はルソーの「憐れみ」から発しているとアレントは言うのである(139〜40頁)」。

 

ブルームの見解も、これに非常に近いと思う。たとえば、「本当の「同情」は不特定多数の人々に通じるような「言葉」をもたず、ただ個別具体的な人間に対する身振りでしか示すことができない」というくだりは、ブルームなら「同情(情動的共感力)の持つスポットライト効果のせいで」と言うと思う。誤解のないようにつけ加えておくと、私めも、そしておそらくはアレントもブルームも選書本の著者も、「同情(情動的共感)」それ自体が不要な能力だと主張しているわけではない。そうではなく本来個人間でその効力を発揮する「同情」を、政治や政策のような公共領域に持ち込むと必ずやバックファイアーすると、そしてそれゆえ私的領域ではなく公共領域では、別の力の源泉や、手段に依拠する必要があると言っているわけ。本書冒頭で取り上げた古代ギリシアにおける自由な市民の共同体としてのポリスで行なわれる「政治」と家の営みとしての「オイコノミア(家の経済)」の区別にもつながってくるのでしょう。つまり「同情(情動的共感)」は後者には適用されても前者には適用されない、あるいは適用してはならないということ。そこを間違えると何が起こるかについては、ぜひブルームの『反共感論』を参照されたい。

 

では別の力の源泉や、手段とは何か? それが論じられているのが、次の「第7章 「権威」の再建」なのですね。まず次のようにある。「これまで多くの革命が失敗してきたのはなぜか。それは、「憲法の制定」という課題を彼らが達成できなかったからだ、というのがアレントの答えである。憲法の原語である「constitution」に含まれている「構成する」という意味を込めて、アレントはこれを「自由の構成(constitution of freedom)と呼んでいる(144頁)」。どうやら「憲法」がカギになるらしい。そして次のようにある。「ここで言う(freedom)は、たんなる圧政からの解放(liberation)、既存の権力や支配からの自由ではない。自由を求めて人々が反乱を起こし、旧来の政治体制を崩壊させることができたとしても、「自由」を保障するような新たな体制を打ち立てることができなければ、いずれ反乱は鎮圧されて多かれ少なかれ抑圧的な体制が再建される。事実、多くの革命においては解放がもたらす騒乱が結果的には革命の敗北をもたらしてきたのだった。¶そうした観点から、アレントは「公的な自由(public freedom)と「市民的自由」(civil liberty)を区別している。普通「自由」と言えばまず念頭に置かれるのは「市民的自由」、すなわち政府の権限を抑制して市民の私生活や思想・信教の自由を保障することだが、アメリカ革命やフランス革命の指導者たちが第一に追求したのは、政治の世界に積極的に参入して、活動する「公的な自由」(public freedom)を保障するような制度を打ち立てることだった。そのような意味における「自由」を明確な制度として実現したものこそ、古代ギリシアの都市共同体ポリスであった(145頁)」。やはり最後に古代ギリシアのポリスが出てきたことに留意されたい。エーリッヒ・フロム流に言えば「freedom」は「〜への自由」、「liberation」は「〜からの自由」に相当するように思える。次に「権威」と「権力」の区別が論じられているけど、錯綜するのでここでは省略する。

 

さて先の引用では、アメリカ革命とフランス革命が同列に扱われているけど、前述のようにアレントはフランス革命よりアメリカ革命を評価していた。次に憲法を取り上げて、ではそれら二つの革命のあいだで何が違っていたかが説明されている。まずフランス革命から。「フランス革命において、主権者たる人民を法の上に置くことによって問題を解決しようとしたのが、シェイエスの「憲法制定権力」の理論であった。これは絶対王政の主権の観念を継承して、君主の代わりを人民に担わせたものにすぎない。そこでは、法に正統性を与える「権威」と、実効的な「権力」とが「憲法制定権力」に一元化されている。およそ絶対的な「主権」という観念そのものが、人々の結合によってはじめて生みだされる「権力」の実態にそぐわない以上、これは根本的な解決にはならない(148頁)」。シェイエスの「憲法制定権力」の理論については、『シィエスのフランス革命』でかなり詳しく取り上げられているのでそちらも参照されたい(なおそちらでは「シェイエス」は「シィエス」と表記されている)。あらあら、可哀そうなシェイエスさん、アレントさんにダメ出し食らっちゃいましたね。『シィエスのフランス革命』でも私めの見解として書いたんだけどシェイエスの「憲法制定権力」の概念、もっと言えば国民自身が持つ「憲法制定権力」と、政府という「憲法により制定される権力」の区別は、抵抗権の概念とともに日本の左派がよく口にする「憲法は政府を縛るためにある」という見方の起源をなしているように思われる。でもそのような考えは、あくまでもアレントの言う「市民的自由(civil liberty)」、つまり「〜からの自由」に属するものであって「公的な自由(public freedom)」、つまり「〜への自由」に属するものではない。だからアレントには受け入れがたいものだったのでしょう。

 

それに対してアメリカ革命については、アレントさん自身に語ってもらいましょう。次のようにある。「新たな共和国に安定性を保証したのは、不滅の立法者への信仰でも、「来世」に与えられる報酬の約束や処罰に対する恐れでもなく、独立宣言前文で列挙されている疑わしげな「自明の真理」でさえなく、設立という行為そのものに内在する権威であったと結論していいだろう。もちろんこの権威は、革命の指導者たちが彼らの法の有効性の根拠、新政府の正当性の源泉として必死に導入しようとした絶対者とはまったく異なるものである(149〜50頁)」。前述のとおり、「憲法(constitution)」とは、「構成する(constitute)もの」なのですね。だから次のような帰結が導かれる。「もとより、生まれたばかりの「憲法」がその「権威」を確かなものにするためには、持続していくことが必要である。「権威」は、たんに時間的に継続すれば自然に生まれるのではなく、絶えず自己修正することによって獲得される。立法府たる議会によって行われた一連の憲法修正では、修正第一条の信教、言論、出版の自由に示される基本的人権に関わる条項、あるいは修正第一〇条、一一条のように連邦制の根幹をなす州と中央政府の権限に関わる条項などが定められて、憲法そのものが修正・拡充されていった。そのことが憲法そのものの「権威」を増大させる結果になったのである(150頁)」。あるいは1960年代のアメリカに言及して次のようにある。「黒人問題の深刻化とベトナム戦争の泥沼化によって、アメリカはまさに「共和国の危機」に直面している。暴力の噴出や内戦の危機を回避して、アメリカの憲法体制がその「権威」を回復するためには、市民の異議申し立てに正面から答えて懸命かつ慎重な自己修正を行うしかない。それによって建国の理念は再確認されて、憲法体制の「権威」は維持されるだけでなくむしろ増大していくことになるだろう、とアレントは言うのである(154頁)」。こうして見ると、70年経っても一行も修正されず、一部で世界最古の憲法と揶揄されるようになった現日本国憲法が、本来の「憲法(constitution)」の概念からいかにはずれているかがわかる。私めには、憲法改正に反対する人は、「不滅の立法者」や「絶対者」への信仰を持っているとしか思えない。もしそうであるならば、「現日本国憲法は明治憲法から一度改憲されているわけだから、なぜ明治憲法に戻すべきだと言わないのか?」と尋ねたい。これは些細な問いではなく、実際かの宮沢俊儀さんは明治憲法から現日本国憲法への渡りをつけるために、八月革命説などという、それに比べればハリウッド映画の驚愕のラストでさえ色褪せて見えるウルトラC級のサーカス相撲を繰り出してきたくらいだしね。でも少なくとも宮沢氏は、この問いが些細なものではなく無視してよいものではないことを認識していただけ、現在の護憲派に比べればまだマシだったと言える。第7章の残りは子どもの教育に関するもので、ここでは飛ばす。

 

「第8章 「社会」という領域と政治」では、章題どおり「社会」に関するアレントの見方が取り上げられている。「社会」に対するアレントの見方の前提がよくわかるので、やや長くなるけど冒頭の文章を紹介しておきましょう。

古代ギリシア以来、政治の営みが行われる領域と、生命維持のため、生活のための営みが行われる家の領域とは劃然と区別されていた。家の壁によって四方を取り囲まれた空間、誰からも見られない領域で行われるのが私生活(プライバシー)であるのに対して、家と家のあいだの広場が「政治」の領域だった。人はそこで他人の前に公然と姿を現して、自らの意見を主張し、他人を説得しようと討論する中で、その弁舌を競い合う。他者と競い合い、他よりも優れているところを示そうとすることによって、人はその本当の姿を現すことができる。ギリシア人にとって、「政治」というのは「卓越」のための場だった。

古代ギリシア・ローマの思想や制度は中世ヨーロッパに引き継がれるが、そこでは家の延長線上に、すべてが組織される。家族あるいは氏族の血縁的・疑似血縁的なつながりが人々を結ぶ主要な絆となって、「政治」の営みも、もっぱら領主の私的な支配を通じて行われる――ヨーロッパ以外の地域でも、君主などの「政治的支配」は、おおむね家父長制を拡大した「家産制支配」というかたちで組織されている。「政治」の営みがヨーロッパ世界で本格的に復活するのは、封建領主の支配から自由な市民の共同体としての中世都市においてである。

そこでの市民の経済活動は、市場を通じて人々を結びつける新たなネットワークを形成していく。それまでもっぱら家共同体の内部で行われてきた経済活動、生命維持・生活のために必要な財やサービスを生産・調達するという営みが、市場という家から自立した領域で行われる。不特定多数の人々に対して開かれているという意味において、その活動は「公的」な性格を帯びてくる。

本来の「政治」の場と、「家」を中心とした私的生活の場のあいだに、半ば公的ではあるけれども、もともとは家で行われていた生活のための営みの場が登場する。市場を通じた経済活動によって新たに形成された領域、人間生活の公的な側面と私的な側面とを兼ね備えたこの領域を、アレントは「社会」と呼ぶのである。(175〜6頁)

余談になるけど、「家族あるいは氏族の血縁的・疑似血縁的なつながり」の紐帯をほどいて近現代のWEIRD社会の誕生を可能にしたのは、カトリックの家族施策であったという説がジョセフ・ヘンリックの最新刊『The WEIRDest People in the World』で展開されている。なおこの本は、某出版社が版権を取っており、刊行に向けて準備中とのことなので近いうちに邦訳が出るはず(私めの訳ではありません)。非常におもろいので刊行されたらぜひ一読されたい(おそらく値が張ると思うけど)。私めなんか、大著であるにもかかわらず三度も読んでしまった。

 

ということで選書本に戻ると、アレントによれば「社会」における平等と「公的」な領域における平等は同一ではあり得ない。次のようにある。「人が生きていくためには、何らかのかたちで私生活とその領域が確保されなければならない。不特定多数の人々の耳目から逃れて、安らぐことのできる隠れ場所を人は必要としている。誰もが等しく参入することのできる「公的」領域に対して、不特定多数の者を排除して、特定の者だけがアクセスできる領域が「私的なもの」であるとすれば、職業や階層、民衆や人種などによる区別に基づく集まりは「私的なもの」になる。今日、家の壁に囲まれた領域が「私生活」の安全・安心と休息を与える場として十分に機能できないとすれば、人はその代替・補完として、一定の共通項を共有する者たちのあいだに生まれる親密な関係を求める。たしかにそれは特定の人間集団を排除する差別へと転化する可能性を含んでいる。しかしながら、それはあくまでも人々の自発的な結びつきによる。そうした集団の形成を政治的な権力が阻止するならば、自由な市民の自発的結社の可能性、政治の営みの場を支える「権力」形成の可能性そのものを閉ざしてしまうことになるだろう(177〜8頁)」。これはアレントの権力論の性質からすれば当然の帰結と言えるでしょうね。また平等に関する次のアレント自身の言葉は興味深い。「しかしこの平等という原則は、アメリカに特有の形態においても万能ではない。それは生まれながらの肉体的な特徴まで平等にすることはできない。平等化がそうした限界にまで到達するのは、経済的な条件や教育条件の不平等が撤廃されてからのことだが、そうなったときどんな危険が現れるかは、歴史を学んだ者ならよく知っている。すべての側面でますます平等になればなるほど、そして、社会のあらゆる側面に平等が浸透すればするほど、人は他人との相違にますます敏感に反応するようになり、生まれながら他人と外見が異なる人々はますます目立った存在になるだろう。¶それゆえ、社会的にも経済的にも、そして教育においても黒人[と白人]の平等が実現されることによって、アメリカにおける有色人種に対する差別は緩和されるどころか、むしろ深刻なものとなることも十分に考えられるのである(178〜9頁)」。

 

要するに、平等を声高に叫べば叫ぶほど対立項がかえって強調されてしまう場合があるということでしょうね。最近のトピックで言えばLGBTがそれに相当するかもね。元来、LGBTに対する差別は、キリスト教の影響が世界でも最小限でしかない日本では、なかったとは言えないとしても欧米に比べればそれほど大きくはなかったはず。にもかかわらず法制化を含めてそれを強調すると、人々の意識のなかで違いが明確化されてかえってそれが差別として拡大される結果にもなりうる。ここで個人的な見解をつけ加えておくと、LGBTは最低でも「LGB」と「T」にわけて考える必要があると思う。なぜなら「T」は「LGBTと非LGBT」という区別のみならず、「男性と女性」という区別とも交差しうるから。だから「T」の平等だけを声高に叫ぶと、今度は「女性」の人権が侵害される怖れがある。とりわけ性自認だけで「T」を認めてしまうとその可能性が増大する。ものごとは複雑に関係し合っているのであり、ただ一つのものごとや関係だけを拡大してそれだけに焦点を絞って対応しようとすると、それと交差する別のできごとや関係においてとんでもない事態を招きかねないという点を、政治家や活動家は心得ておくべきだと言いたい。もちろんそれはLGBTのみならず、あらゆる政治的事象に当てはまる。たとえばいつもあげているけど、気候変動問題、原発問題、再エネ技術の問題、環境問題、経済問題、国際安全保障の問題などは複雑に絡み合っている。にもかかわらず一つひとつの問題だけに焦点を絞って、その範囲内だけで解決しようとすれば、別の問題で大きな問題が生じる可能性がある。だからそれらを総合的に判断する必要がある。ところが今の政治家や活動家は、それらの問題のどれか一つに焦点を絞って議論することしかしていないように思える。複数取り上げたとしても順番に取り上げることしかしない。そのようなやり方では、社会が複雑化した21世紀の現代においては、対応できるはずがない。あっと! いつものごとく脱線し過ぎたので選書本に戻りましょう。

 

もちろんアレントは「平等」それ自体を否定しているわけではない。次のようにある。「家族や親しい人々との親密なつながりは、「公的な活動」、万人注視の広場へ出ていくためにも必要な足場であって、これがなければ「政治の営み」も失われる。言いかえれば、どんな人間集団も私的生活の領域、いわゆるプライバシーの領分に関しては、不特定多数の人々の入場を拒否することができる。それがどんなに排他的な集まりでも、それ自体が犯罪的な意図や行為のための場でないかぎり、他者が介入する権利はないし、政治が平等の名において介入すべきではないと[アレントは]言うのである。¶ただし、「社会」には、そうした私的な側面だけでなく、半ば外に開かれた「公的」な側面がある。公共交通機関や一般に開かれた食堂などの場所は、原則として平等に開かれなければならない。(…)黒人を閉め出していたバスや食堂などを、人種差別に抗議する意味を込めて占拠することは、「市民的不服従」の活動の重要な一環であった。黒人と白人との隔離を主張する白人至上主義者たちの暴力による脅迫に直面しながら、基本的に非暴力での抵抗を貫いた公民権運動とその成果をアレントは高く評価している(182〜3頁)」。アマコメに「公民権運動とその成果をアレントは高く評価している」というくだりに関する反論を書いている人がいるけど、その正否は私めにはよくわからん。いずれにしても選書本のここまでの議論からすると、アレントが公民権運動とその成果を高く評価しているのは至極当然に思える(ただしコメ主はどうやらここまでの著者の議論そのものを否定的に見ているらしく、一つ星をつけている。最初に一つ星入れられると痛いよね。著者の嘆く顔が目に浮かぶというもの)。続く「第9章 歴史」では、過去に起こったできごとに対する「許し」が論じられている。この章は本文をなす十章のなかでも一番短く(8頁しかない)、しかも著者は「許し」と表記しているけど、キリスト教的な「赦し」の観念がそこには働いているのだろうという勝手な先入観がどうしても働いてしまうのでここでそれを取り上げることはしない。

 

ということで最後の「第10章 真理の擁護」に参りましょう。まずアレントの次の見解をあげておく。「政治的思考は[他者を]代表する。私は与えられた問題をさまざまな観点から考察することによって、ここにいない人々の立場を心の中に思い浮かべることによって、意見を形成する。つまり私は彼らを代表するのである。代表というこの過程は、どこか別の所にいて、世界に対して違った見方を抱いている現実の誰かの意見を盲目的に採用することではない。それは誰か他人になろうとしたり、他人のように感じようとするという感情移入(empathy)の問題でもなければ、頭数を数えて多数派に与するということでもない。私は私でありながら、現実には私がいない場所に身を移して思考するということなのである。与えられた問題について考えをめぐらしているあいだ、人々の立場を心の中に思い描いて、自分が彼らの立場であればどのように感じ、どのように考えるかについて想像できるようになればなるほど、代表として思考するという私の能力は強まり、最終的に私が到達した意見はより妥当なものになるのである(201〜2頁)」。ここで言う感情移入とは、以前に出てきた同情やブルームの言う「情動的共感」に相当する。ブルームは、「認知的共感」(この文章で言えば「認知的共感」は「人々の立場を心の中に思い描いて、自分が彼らの立場であれば(…)、どのように考えるかについて想像」することに対応する)ではなく、この「情動的共感」を政策立案や政治に持ち込むととんでもない災厄がもたらされると主張している。なので、すでに述べたようにアレントの考えはブルームの考えにかなり近いように思える。ちなみに著者は、「自分自身の立ち位置を明確にしながら、他者の立場に身を置いた場合を想定してものを考えるというこの能力こそ、カントが『判断力批判』で発見した人間の判断能力だったのである(202頁)」と述べ、カントとの類似を指摘している。

 

しかし著者によれば、「「判断力」によって形成される「意見」は、それが自分の立場を一方的に主張したり、自分やその集団の利害のみを重視したりする粗野なものでなく、より公平で質の高いものであったとしても、「真理」と対立することになる(202〜3頁)」という問題が生じる。だからそこから「「意見」、より多くの同意を獲得した意見が求められる政治の世界に対して、哲学者はどのようにして「真理」を説いたらいいのか(203〜4頁)」という問いが生まれる。アレントによればその答えはソクラテスの姿勢に見出せるらしい。次のようにある。「ソクラテスは自分の生命をこの命題の真理に賭けようと決意したのである。すなわち彼は、アテナイの法廷の前に姿を現したときではなく、死刑を逃れるのを拒否したときに、自ら模範を示そうとしたのである。そして実際、模範を示すことによる教えこそは、誤解や歪曲を受けずに哲学の真理を「説得」する唯一の方法なのである。そしてまた同様に、模範というかたちで自らを明白にしめそうとするときにはじめて、哲学の真理は「実践的」となり、政治の領域の規則を侵害することなく行為を鼓舞することができるのである(204頁)」。真理とは普遍的な何ものかであり、それを現実、すなわち実践的な政治の領域に適応する場合には、何らかの解釈をどうしても必要とする。そのときにその解釈の妥当性をいかに評価すればよいかという問題が発生する。その一つの基準が、「自ら模範を示しているか否か」というものになる。これは哲学だけに限られる問題ではなく、ナシブ・タレブさんはそれを「身銭を切っているか否か」と呼び、現実に関することがらにおいて「身銭を切る」意志のない人の言うことは信用するに値しないというような主旨のことを述べている。

 

一つ最近の事例をあげましょう。日本では、最近になってクマの問題が深刻になりつつある。それに対して地元の役所に「クマがかわいそう」とかいう理由で、地元の猟友会がクマを射殺していることに対してクレームを入れて役所の仕事を停滞させている人々がいることが問題になり、ネットでもさんざん話題になったのは誰もが周知のこと。ここでは「クマがかわいそう」という見解の是非を問うつもりはない。そうではなく、まさにクマの被害がないことがわかっている安全圏から身銭を切ることなく、クマの被害に遭って困っている地元にクレームを入れていることが問題だと指摘したいのですね。ネットの反応もそれに近かったのだろうと思う(エリート主義的な一部の人々が考えているように、一般ピープルはバカではないことについては、わが訳書、ヒューゴ・メルシエ著『人は簡単には騙されない』を参照されたい)。もちろん一部のネット民のように「おまえらが現地に行ってクマを説得してこい」などという乱暴なことを言っているのではない。そうではなく、クマを射殺しないのであれば代わりにどうすればよいのか、それに必要な経費は誰が出すのかなどといった具体的な助言をし、余裕があればクマを保護する団体を自分たちで立ち上げて資金は自分たちで調達するなどといった身銭を切った行動を取るべきなのではないかと言いたいのですね。そうせずにただ安全圏から、クマの被害に遭って困っている地元に執拗にクレームを入れたところで、まともな人なら誰でも彼らの言うことを相手にするわけがない。なぜなら、彼らの主張の信用度を高める「身銭を切った模範的行動」がそこにはまったく欠けているから。第10章の残りは、「事実の真理」について論じられているけど、一回読んだだけではイマイチよくわからなかった。一言でいえば相対主義の問題が取り上げられているように思えるが、この問題はそもそも哲学史的にも複雑なので(プラトンの実在論→ヘーゲルやマルクスらの、真理は歴史の流れのなかで動的に顕現するという史観→ポストモダン的相対主義→ガブリエルさんや簡単な目安さんらの新実在論)、別の機会に取り上げることにする。

 

ということで本文はこれでおしまい。ただ「補論 アレントと西洋政治思想」は読み飛ばさないほうがいいと思う。とりわけ最初の「全体主義の破壊の後に」という節にある、アレントが考えていた課題に関する記述は重要に思えるのでここで全文を引用しておきましょう(いつも思っていることだけど、あまり引用し過ぎると、フェアユースの範囲を超えて著者や出版社からクレームが来そうでこわい。でも私めのホームページなどほとんど誰も読んでいないから許してもらうことにしませふ)。そこに次のようにある。

『全体主義の起源』執筆後に、アレントが考えていた課題は次のようにまとめることができる。

1、全体主義という現象は一握りの極悪人の集団、ファシストなどの一部党派の起こしたものではない。その背景には近代社会の成立とそこで大量に生みだされる「大衆」の存在がある。その意味において、全体主義は特異な事件ではなく、近代社会そのものの内に原因がある。それを突き止めることが必要である。

2、全体主義は人間が人間として生活することを可能にしていた条件を根底から破壊してしまった。それまでの制度とそれを支えていた思想は有効性を喪失した。そうした状況の中で、人間としての生活を再建するためには、そもそも人間を人間たらしめている根本的な条件は何か、全体主義を生みだした近代社会はそれをどのように変容させたのかが明らかにされなければならない。

3、人間生活の根本的な条件そのものが脆いものであることを全体主義による破壊は明らかにした。近代社会の内に全体主義を生みだす要因あるいは傾向が存在する以上、そうした破壊は絶えず、新たなかたちで起こるだろう。そうした破壊に抵抗する拠点はどこにあるのか。そのための手がかりをわれわれはどこに求めたらいいのか。(223〜4頁)

1にある「大衆」に関してだけは、私めは別の見方を取るとはいえ、それ以外は全面的にアレントに賛成する。アドルノらの『啓蒙の弁証法』を読んでもわかるとおり、昔は左派であっても、というより左派であるからこそ近代社会の問題を鋭く指摘していた。ところがどっこい、現代では、21世紀に入ってから中世や近世に戻ったかのような事件(同時多発テロ、イスラム国、ウクライナ戦争など)が頻発するようになったにもかかわらず、啓蒙をやたらめったら称揚し、人類の進歩を楽観的に見る言論が広範に流布している。これは『ダーウィンの呪い』の著者に言わせれば「進化の呪い」の一つの現われなのかもしれない。だからこそ、「もう一度アレントに立ち返ったほうがよいのでは?」と言いたいわけ。

 

ということで、結論を述べましょう。アマページでは先にあげたコメのせいで、刊行後一か月半が経過した時点でも一つ星が表示され、アマランも30万番台を低迷している。これは非常に残念なことだと思う。まさに身銭を切っていない匿名の評者が、アマページという誰でも読める公的な空間できわめて否定的な批判を書き込むことはアレント的にも許されることではないと思う。批判それ自体が問題だと言いたいのではなく、身銭を切ることも責任の所在をはっきりさせることもなく公的な領域で安全圏から批判をしていることが問題だということ(クマの問題と同じ構図だということね)。はっきり言えば「言論の自由」をはき違えている輩が多すぎる。私めは訳者だけど、何度かいやな思いをしているしね(今や売り上げにも影響が出るはず)。確かに著者のアレント論は一般的ではないのかもしれない(「あとがき」で著者自身それを匂わせている)。それについて個人的に判断することはできないけど、この本には、賛成するか否かは別として政治を考えるうえで非常に重要な論点が詰まっている。だからその意味では五つ星に値する本だというのが私めの総合的な評価になる。でなければ、引用が多いとはいえ、こんな長ったらしいレビューを書いたりはしない。

 

 

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※2023年12月25日