◎橋場弦著『古代ギリシアの民主政』(岩波新書)

 

 

民主制(ちなみに著者は一貫して民主政と記述しているけど、やはり「制度」という面を強調したいところなのでここでは「民主制」と記すことにする)は、基本的に1648年のウェストファリア条約以後に成立した国民国家によって可能になったと個人的には思っている。では、当然ながらそれより1500年から2000年以上も前に成立していた古代ギリシアの民主政治はどう考えればいいのかという点が問題になる。だからその答えが得られるだろうと思って、この本を買った。

 

現代の民主制が間接民主制であるのに対し、古代ギリシアのそれは直接民主制だったというのがよくある回答なんだろうけど、現在雑にイメージされている直接民主制と古代ギリシアに実施されていた直接民主制はかなり異なることがこの本を読むとわかる。

 

たとえば現在直接民主制と言うと、その対象はなんとなく立法府に限られているように思える。でも古代のギリシアでは立法府のみならず行政府、司法府にも直接民主制が採用されていた。だから選挙で選ばれていた将軍などの一部の特殊な職を除けば、行政府のお役人がたも、司法府の裁判員(現在の日本でも裁判員制度なるものが実施されているけど、それは判事とは別の陪審員としての役割であるのに対し、ギリシアの裁判には判事は存在しなかったらしい)も、一般市民からクジで選ばれていたとのこと。しかも任期が1年などと短く、一度に選ばれる人数も多いので、市民が何らかの職を一生のうちに一度は経験する可能性は非常に高かったらしい。

 

そのようなわけで、著者は現代の民主制と古代ギリシアのそれを比較して、「近代民主主義の基本が「代表する」ことにあるならば、古代民主政の基本とは何か。それは「あずかる」、あるいは「分かちあう」ことであると私は思う。(…)市民にとって政治参加とは、ポリスの公共性という大きな全体に、一人一人が平等にあずかることを意味した(237頁))と述べている。

 

さて私めがこの本を読んで思ったのは、現在の民主制と古代ギリシアのそれのもっとも大きな違いは、前者では選挙が基本だけど、後者ではクジ(偶然性)が基本になっているという点。選挙するということは、原理的には選ぶ人にも選ばれる人にも相応の能力が求められることになる。それに対しクジで決めていれば能力はまったく関係がないことになる。

 

そう考えてみると、古代ギリシアの直接民主制と比べると、現代の間接民主制はむしろ共和制(二世、三世の世襲政治家も多いことを考えれば貴族制)に近いように思えてくる。この点に関しては、著者自身も次のように述べている。「古代アテナイ人がもし今日の議会政治を目にしたならば、それを民主政ではなく、極端な寡頭制と見なすであろう(237頁)」。

 

こうしてみるとやはり代議制をとり垂直的な側面もある現代の民主制は国民国家とともに発展したのであり、水平的とも言える古代ギリシアの民主制は人口が限定されるポリスという都市国家とともに発展したと言えるように思える。ただし人口に関しては、アテナイは「青年男子市民だけで最盛期五〜六万人を数える例外的な超大国であった(6頁)」そうだから、限られた人口以外にも直接民主制が発展する要因はあったのだろうけど。

 

 

一覧に戻る

※2023年4月28日